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名無しの4Vクリムガン(仮) 真実を以って、理想に伝う ‐ 前編

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【[[名無しの4Vクリムガン Actio libera in causa ]]】
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名無しの4Vクリムガン 100日後に死ぬ人間
名無しの4Vクリムガン Pollyanna
 



 ペルソナの共振――レゾナンスは完璧だった。
 ひとつひとつのペルソナの力は弱くとも、結集させればどんなものでも打ち砕く意志になる。
 意志とは、指向性。いくつもの光を束ねて、ひとつの光線として収束する。
 意志とは、光だ。あらゆる事象を照らしだし、明らかにするもの。世界に対して開かれているもの。
 すなわち、意志とは「おれ」だ。
 ほんとうに?
 ほんとうの「おれ」とはペルソナの総体のことではなく、素顔のことを言うんじゃないだろうか?
 おれはおれになりたい。
 何者にも侵されず、何者にも脅かされることなく、思想を志操し、思考を試行する。
 たとえば、ムーランドの持っていた痛快さ。
 たとえば、ドレディアの持っていた柔らかさ。
 たとえば、チラーミィの持っていた絶対の自信。
 たとえば、ビリジオンの持っていた、ええと……なんだろう。
 ともかく、そういう確固たるおれはおれは欲望している。たぶん、おれは「自由」を求めているんだ。
 自由ってなんだろう。
 雲みたいな概念だ。もくもくしている。もくもくというのもうまく伝えられないんだが、そういう曖昧で模糊っとした感覚が、今の状態には非常にマッチングしているように思われた。
 もこもこ、じゃあない。もくもくともこもこはだいぶ違う。よくわからないが、ひと言でまとめると、そのような感じ。
 ()()というのは、しかし、どうしようもない。そういった「感じ」なんてどうにも伝達することができず、自分のなかで消費するほかない。無数の言葉が自分の体のなかへ沈んでゆくようなもの。
 おれは、人間からはクリムガンと呼ばれているが、ひと口にクリムガンといっても色々とあるだろう。凶暴なヤツ、ずる賢いヤツ、肉を好むヤツ、畑を荒らすヤツ――だいたいのクリムガンは人間から嫌われるポケモンで、しかし嫌われ方にも色々ある。それは、クリムガンもクリムガンなりにいくつものペルソナを持っているということで、実際におれもペルソナの選択をおれの意志で行えるんだが、それで自由と言い張るようでは誤謬だと思う。おれは、単純な選択肢の多さが自由ではないことを知っている。
 じゃあ、なんなんだろう?
 ペルソナ六六からの連絡によれば、それはきっと「突き抜けること」だという応答があった。
 ペルソナ三二は「浮遊すること」だと別の表現を使った。
 ペルソナ二二によれば「知らないよそんなもん、馬鹿」だった。しょんぼり……
 ペルソナ二二はともかくとして、たしかになんとなくそういう感じもする。だれかに伝達はできなくとも、おれのなかではすくなくとも真実だ。
 そういう視点で、今までの出来事を振り返ってみよう。
 ひとつ例がある。経験がすくないおれでも、いや、すくないからこそ思いだせることもあるのだ。




 タチワキシティの空から降ってきたのは、丸くて硬くてギザギザしていて、それでいて格好よかった。
 いや、ほんとうに降ってきたわけじゃない。ホミカが()()()を振り回すように弾いてたから、そして彼女自身が横向きに回転するペンドラーに乗って飛翔しながら、螺旋を描いてくるくると木の葉が舞うように目の前に落下してきたから、そういうふうに見えただけだ。
 ペンドラーによると、ホミカのそいつは五弦ベースだった。
「通常よりも低音側に弦を増やすことによって、超低音を出すことができるベースのことを言うんだよ」
 熱く語っていた。
 知らない。知らないが、ホミカとペンドラーが興奮しているのはわかった。
 だからといって、ホミカとペンドラーの感情に共振することはない。当たり前だ。おれはホミカでもペンドラーでもないし、ホミカとペンドラーはおれではない。両者に不可視の関数はなく、したがって無関係といえた。
 思うに、おれには感情があるが、それが一定の閾値を超えることはないように思う。おそらくそれは、おれの持ついくつものペルソナが常に共振しているせいだろう。おれはメインの感情を選びとることはできるが、それが同時にほかの感情を滅却するほど強く働くことはないのだ。
 これでは、おれには「おれ」なんてものがないことにならないだろうか?
 いや、そうは言わない。おれが現に今も()()()()()し、()()()()()んだから。
 でも、それは自由じゃない。
 きっと、それはいくつかのことを経験して、おれ自身というものがよりはっきりしてきたからこそ感じてきた不満なんだろう。
 おれの意思選択は、おれのこの頭のなかでなされている。したがって、おれは究極的にはこの頭や肉体であり、ペルソナはいわば補助脳のような立場でしかない。おれをサポートする意味を超えることはなく、おれがおれであるために、最終的にこれらのペルソナはまったく不要のものなのだ。
 つまり、これらのペルソナが行う感情的な補助とは、結局のところおれの意思決定を曖昧にするという意味合いを帯びてくるんじゃないか? それはゴチルゼルが星の配列から未来を読みとるように、おれはおれの意思をペルソナを通じてしか表現していないということにならないだろうか?
 そんなものは自由じゃない。
 自由とは、おれが考えるに、あらゆる拘束性からはずれた状態のことだ。その定義を自由と措定する。
 おれは自由になりたい。
 五弦ベースの音色が聞こえる。
 天空に跳躍するようなホミカのベースは、どうして自由を感じさせるのだろう。
「なあ」と、おれはペンドラーに話しかけてみた。
「ほいほい」丸くなってホミカの周囲でぐらんぐらんと揺れていたペンドラーが、びろんと体を伸ばす。「今いいところだったんだけどな。なにかい?」
「おまえたちのやってるそれは、なんなんだ?」
「なにって、五弦ベースだぞ?」
「五弦ベースってなんだ」
「だから、弦っていって、ほら、線が五本あるだろう、通常より一本増やしてある」
「多少、出せる音が増えるだけだ」
「まあ、たしかにそうなんだけどな。演奏の幅が広がって自由が増えるだろう」
「音の数で自由を感じるのか?」
「そうだな。自由を感じる。だって、こんなに体に響く音はベースにしか出せないだろう」
 ズンズンした重低音を、ホミカが叩きまくる。
「おれにも自由がほしい」
「弾きたいのか? まあ、手指があるから、おまえさんにも弾けるかもしれないが」
「弾かせてほしい」
 おれはペンドラーを通じて、ホミカにベースをねだった。
「傷つけないでね。けっこう気に入ってるから」
 わかった、とひと声唸り、ベースを受けとった。翼に引っかかって、ストラップを肩にかけるのがひと苦労だった。ホミカは指で弦を弾いていたが、おれにはピックを手渡した。
 とりあえず、想いのまま弾いてみることにする。ペルソナたちが騒ぐのを抑えつけ、楽器の原理など計算しないまま、おれはひとつの物のように、無心で弾いた。
 べんべん、べんべこ。
 ホミカはけたけた笑った。
「なにそれ、お琴やってるんじゃないんだからさあ」
 なぜって、はじめて弾いたんだ。
「まあ最初はそんなもんだよ」と、ペンドラーも笑っていた。
「練習したら、ホミカのように上手くなるか?」
「ふつうはなるな。よほど不器用じゃない限りは」
「教えてくれるか?」
「ホミカがいいならいいけど」
 ペンドラーがおれたちのやり取りを見守っているホミカをちらりと見た。ホミカはにんまりとしている。
「野生のポケモンが、どうして楽器なんてやりたいんだ?」
「野生とかポケモンとかが、関係あるのか?」
「そもそも自由を感じたいっていうんだったら、もっとやりやすい方法があるんじゃないか」
「よくわからない。ベースを弾くから、おまえたちは自由になれるんだろう?」
「そういうわけじゃない。たしかにホミカのベースは気持ちよくて、自由を感じるけど、それは俺やホミカがそうであるってだけで、おまえさんがそうだとは限らないだろう」
「自由ってなんだ。ただの感覚? 快感?」
「さあな。すくなくとも、音楽やってるときはそんなまだるっこしいことは考えないからさ」
 そういう次第で、ホミカから学ぶというおれのもくろみは失敗に終わった。
 でも、これもしかたないことだろう。ペンドラーはホミカの自由を「感じ」として知っているだけで、それならそれは伝達不可能なものだ。おれはおれの言葉で自由を感じなければならず、それはフリージオが精巧な氷の鎖を生み出すのと似ている。もしかすると、ペルソナという補助翼が存在するおれは、そのせいでうまく飛べないのかもしれない。




「自由って、なにか知らないか」
 船乗り場から、ヒウンシティへ向かう船が出るのを眺めているワルビルに訊いてみた。
 ワルビルはおれの知らないことを知ってる。そしておれと旅する根無し草だ。根無し草ということは場所や群れに拘束されないということだから、ワルビルも自由を求めているところがあるように思った。
「また面白いこと考えてるな」と、ワルビルは言った。
「そうか?」
「でもな、自由という状態を考えると、どんどん不自由になってゆくように俺は思う。おまえにとっての暫定真実はなんなんだ?」
「暫定?」
「自由とは現状、なんだと考えてるんだ」
「それは、拘束状態がないってことだ」
「うん、そんなところだろうな」腕組みしながら、ワルビルはうなずく。「でも、すくなくともおまえって自分で考えて自分で行動してるだろう。だれかになにかを言われても、もしくはどこかのトレーナーにゲットされても、おまえの考えというか、想いはだれにも止められないだろう?」
「恋心みたいに?」
「そうだ。おまえのその恋心を敷衍すれば、そもそもおまえの心は『自由』というあり方以外にありえない。その意味ではとても不自由ってことでもあるな」
「論理が循環している。そんな考え方、矛盾じゃあないのか?」
「そうだよ。拘束性の有無なんてものは、自由をなにひとつ表していないんだ。おまえはこれで、またひとつ自由に近づいたんだ」
「だったら、自由ってなんなんだ」
「そうだなあ。たぶん、自由って失踪のことなんだよ」
「はあ?」
「じゃ。またポケセンでな」
 船を見るのに満足したのか、ワルビルはほんとうにおれの前から失踪した。
 失踪ではなく疾走と言いたかったのかもしれないが、それもまたドライブ感であって「感じ」なので、やっぱりワルビルの考え方はワルビルにしかわからないし、おれはそれを取りこめるとも思えなかった。
 わからない、わからない。
 こんなことじゃあ、いずれペルソナに吸収されてしまわないだろうか。そういう、恐れにきわめて近い感情があった。今まではそんなこと、なかったのに。
 どうやらおれは「おれ」でなくなるのが怖いらしい。だから、なにものにも侵されず、永久不変の「おれ」が欲しい。そのため、おれは拘束性のなさを自由と措定し、普遍運動を続けることで「おれ」が保存されることを望んでいた。
 どうしてだろう。
 きっと、それはきっかけというほどのこともなかったんだけど。




 伝達が難しい概念……
 いや、そもそも伝達自体がある種の断絶を生んでいる。知覚、記憶、表現、叙述。伝達のプロセスはこの四つの手続きを段階的に踏むことによって行われる。知覚や記憶はほとんど問題にならない。見間違い、記憶違いというのもあるが、もっとも大きくズレが生じるのは、表現と叙述の領域だ。なぜって、それは言葉そのものの持つ欠陥のせいだ。言葉には多義性があり、反対称性によって同一の言語が反対の意味を指し示すことがある。これ、はシニフィエとシニフィアンの恣意的な結びつきのことを言っているのではない。
 たとえば、ある文脈では「殺すな」が、ほかの文脈では「殺せ」を意味するようになる、ということをおれは主張している。
 言葉なんて曖昧なもので、人間はよくもまあ情報伝達動作を行うものだと思う。その点をいえば、おれのペルソナ間におけるレゾナンスは、完全ともいえる情報伝達をなしうる。おれはある感情を違う感情に取り違えたりしない。「悲しい」は「悲しい」であり、「嬉しい」は「嬉しい」だ。そういったデジタルで構成された感情を束ねることで、おれというものが構成されているとすれば、どんなにか楽だろうと思う。
 問題は、それらペルソナが行う感情の方向性は、おれ自身を通じてなされてはいるものの、おれを離れると好き勝手に解釈を始めるということだ。
 おれが、すなわちここにいるコギトこそがおれの意思決定の第一因である。そのあと、おれはおれのなかに発生した感情を因数分解し、名前をつける。「悲しい」の解であれば、「悲しい」を担当するペルソナに割り当てる。そうすると、数あるペルソナのなかから「悲しい」が主導権限を持ち、ペルソナ全体の感情を統制する。おれはペルソナの影響を受けて、より「悲しい」という立ち振る舞いをエミュレートする。
 つまり、おれとペルソナは一種のフィードバックグループを形成し、おれの感情はその無限ループのなかで加速される粒子のようなものだ。おれはペルソナを支配し、所有しているが、ペルソナのほうはおれのほうこそ支配し、所有していると考えているのかもしれない。おれの感情や言葉は、いったいだれのものなのだろう?
 話が逸れたが、要するに言葉で語る以上、それは言葉の隙間において欠落する部分があることを認めなければならない。そしてそれを補うには想像力が必要だ。言葉と言葉を文脈という糊で固める想像力、あるいは創造力が。物語を繋ぐ糸のような創造性こそが、言葉を単なる音素から解放する。




 きっと、こんな始まりをすればいい。
 人間の子供が、おれのかえんほうしゃを見ていた。ポケモンセンターの前でぼうっとして、「今日はどこへ行こうかな」と考えながら吐いた、ちいさい炎だった。その子どもは親に手を引かれていた。おれのハートのかえんほうしゃは、人間に見せるとなんだかそれなりに人気があって、そしてクリムガンを恐れない人間の子どもなんて珍しかったから、なんとはなしに気になっていた。キラキラした目でおれを見て、手のひらが赤くなるほど拍手して、満面の笑みだった。
 おれは全ペルソナを総動員して、その子の笑みに応答しようと試みた。つまり、笑顔の努力を、した。デフォルトに設定された微笑みとは違う。
 別の日に、二回くらいその子どもとポケモンセンターの前で遭遇した。おれは二回とも、ハートのかえんほうしゃを吐いた。子どもは喜んでおれに手を振った。
 このかえんほうしゃは一種の自己表現だ。自我というものが壊滅的なおれが、自分の在り方と周囲の在り方で、こうしたすりあわせを行うのは必須といえた。もちろん、そういうパフォーマンスで食い扶持を得るということも何度か成功していたが、おれにとっては感情や言葉のエミュレートが存在の大部分を占めている。人間の尊いところは、そういった存在意義という物理的の作用が働かないところで、表現なり芸術なりを行えるところだ。おれが生きるために行いのに対して、人間のそれは余剰行為として行われている。
 だから、それはきっと聖なる行為だ。
 おれは人間の子どもにハートの炎を見られることで、おれのやっているのが人間の真似ごとであり、本来的には聖なる行為であることに思い至り、ならばすこしでもそうあるべきかもしれないと思った。
 具体的にはなんのことはなく、おれの炎に夕陽の色の美しさ持たせようと温度調整の練習なんかもしてみたりする。
 でも、その子どもとはもう会っていない。タブンネに尋ねてみると、理由はすぐに明らかになった。その子がポケモンセンターに来ていた理由が、親のシママが病気にかかってしまったから、そのお見舞いだったのだ。おれがたまたまポケモンセンターにたむろしていたから顔を合わせただけだった。シママが快復して以来、ぱったりとポケモンセンターには来なくなったという。
 誤解しないでもらいたいが、おれはべつにその子どもが来なくなったから悲しいとか、練習したかえんほうしゃを披露する相手がいなくなって苛立たしいとか、そういうことを言いたいんじゃない。おれは、なんというか……
 そう、寂しかった。
 寂しい、でいいのかわからない。
 胸の奥がきゅっとするような気持ち。たぶん、それはその子どもがおれにせいいっぱいの拍手を送ってくれなくなったのが寂しいわけじゃない。
 よくわからない。
 もみじのようなちいさな手が打ち鳴らされるのを見て、きっと、それで、おれは伝達されて、だからおれはおれになれていた。
 もうちょっとはきれいな炎が見せられたんじゃないかと思う。
 上手なハートができたからといって、その子どもがどうなるわけでもない。その子どもの生涯において、おれのかえんほうしゃはせいぜい添え物であり、たった一瞬の余剰にすぎない。人間にとって、おれが、ポケモンが、なにほどのものであるかなんて、おれにはどうでもいい。ちょっと楽しいだけの、そんなものだったのかもしれないし、病気のシママへの心配をすこしは紛らわせられる道具だったのかもしれない。
 もしも、おれがそのことを知っていたら……
 知っていたらどうだっていうんだよ。
 そんな過程は無意味だ。すでに過去は決定されている。シママは病気が治って、その子どもはずっと、もうポケモンセンターには来ていない。




「久しぶりですね」
 あ、と思ったときには、おれはヤグルマの森にいて、目の前にはビリジオンがいた。
 記憶が跳躍している。おれにはこういうことがよくある。タチワキシティでワルビルといっしょに貨物船に忍びこんでヒウンシティに渡ったところまでは覚えてる。海でママンボウに勝負を挑み、おれが勝ったら泳いでおれたちを海向こうまで運ばせるというアイデアは、おれはすごく面白そうだと思ったのに、ワルビルに強く反対された。ワルビルは砂漠生まれで泳げないのだ。根性が足りないんだよ。それでヒウンシティからどこかへ行くなら、砂漠より森のほうが楽だし、ビリジオンならおれの疑問への答えを持っていそうだから、というのが無意識の答えなんだろうか。
「どうですか、イッシュの旅は」
「べつに、可もなく不可もない」
「そうですか。もし不自由だと感じたら、いつでもこの森に戻ればいいです。わたしは歓迎しますよ」
 不自由なんて、いつでも感じている。それは心の問題であり、場所の問題ではない。ビリジオンのいうことは不合理だった。
「おれはいつだって不自由だよ」
「なにかありましたか」
「ビリジオンにとっての自由って、この森にいることなのか?」
 静謐な森に囲まれた原っぱに、ビリジオンはいる。ヤグルマの森の奥深くで、ビリジオンはこの土地を守っているのだ。
「自由ですか?」ビリジオンはゆっくりと頭を傾けた。
「そう。自由ってなんだろうって」
「自由とは孤独ではないことです」
 さすがに、ビリジオンは長生きでたくさんのことを知っている。即答だった。
「じゃあ、孤独ってなに?」
「人間との戦いのあと、わたしは仲間とともに姿を隠しました。長い長い時間、わたしはわたしを慕ってくれるポケモンたちとも会わずに、ただただ毎日が過ぎてゆきました」
「だれにも会えないことが孤独なのか?」
「そうではありません。ポケモンたちを守るための戦いの前から、わたしを慕ってくれるのはポケモンだけではありませんでした」
「人間?」
「そうです。そして、わたしは今よりもずっと人間のそばにいました。わたしは、けれど、どこか孤独を感じていました」
 ビリジオンの仲間たちは、その戦いで人間を信頼しなくなったのか、ずっと行方をくらましたままだという。けれどビリジオンは、実はそれほど人間を憎んではいない。人間が人間として生きる限り、かつての戦いは避けようのないものであったし、ビリジオンは力ある存在として虐げられる側に立たざるをえなかったが、ポケモンばかりを守護するつもりはなかった。そういうことを、仲間には黙っていたらしい。それをどう解釈するかはともかく、ビリジオンは自分を偽っていた。人間に対しても、ポケモンに対しても。
「嘘をついていたから、孤独なのか?」
「そうですね。わたしは事実として、みんなを騙していました。しかし対象がいるかどうかはあまり関係がないのかもしれません」
「他者は関係ないってことか?」
「そうです。孤独とは、己の言葉がだれにも伝わらないという確信から生まれるのです」
「じゃあ、自由って?」
「己の言葉がかならず相手に伝わると信じることです」
「でも、裏切られるかもしれないだろう」
 感情はスペクトラムを形成する。光に対するプリズムのようなものだ。確率的にかならず裏切る。嘘をついていたビリジオンが、裏切りを知らないわけではないのに、光のある特定波長について見ないふりをしていると思った。
「それでもいいのです。わたしは信じています」
 信じることは、嘘をつくことであるとビリジオンは主張しているのだ。




 シッポウシティのポケモンセンターで竹箒を使ってベースの真似ごとをしていると、
「なんだそれ。エアギター?」
 チラチーノが現れた。
 まるで怪物みたいな物言いになってしまってもしかたない。力を振りかざしておれの領域にすんなりと侵入し、服従させてしまうチラチーノは、まさしく怪物だったのだから。それでいて、こんなふうに気安く声をかけてくる。訳がわからない。
 とりあえず、儀礼的におれはチラチーノにも同じ質問をしてみた。「自由ってなんだ」と。
「相変わらず藪から棒に」と、チラチーノは言った。「でもまあ、簡単なことでしょ」
「教えてほしい」
「自由とは、ぼくらしくあることだよ」
()()()」と、おれは言った。「それってなんだ?」
「やりたいようにやっちゃうことじゃない?」
 迷いのひと粒もないような清々しさだった。出会ったときのチラチーノの懊悩を思えば、なんだかちょっとだけ嘘くさい気はするが、今のチラチーノは九割程度はほんとうにそう思っているだろうとも思う。
「でも、おまえの考え方は結局のところ、自分の欲望に忠実というだけで、それは欲望の奴隷になっているだけといえなくもない」
「やっぱりきみは理屈じみたことに敏感なんだね」
「でもそうだろう?」
「違うね」と、チラチーノは言った。「ぼくが主張してるのは、自由は自分から生じるってこと。欲望なんか振り切る程度の力への意志があれば、それは自由といえるんだ」
 チラチーノの自由の主張は、ただの力任せの論理だった。わざの威力を上げてなにもかもを薙ぎ倒してゆく、ポケモンバトルに支配された世界の態度だ。
 パワーで得られる自由なら、おれにだってある程度は許されている。もうすこしスマートに考えられないのだろうか。
「じゃっ」
 チラチーノは去っていった。自由というか、奔放なヤツなんだとは思う。それが主人と旅するあいつのほんとうの姿なのだとも。




 計算どおり、シッポウシティに来ていた理由がひょっこり出現した。ジムリーダー・アロエに連れられて、ムーランドがポケモンセンターにやってきたのだ。
 記憶どおりのふふふ笑いで、ムーランドは胡散臭く言った。
「元気にしていたかな?」
「だいたいいつもは元気だ」
 顔に顔を擦り寄せられる。その動作になんの意味があるのか知らないが、とりあえず攻撃的ではないので、されるがままにしている。
 フレンドリィショップでアロエに新聞を買い与えられてから、ムーランドはおれのところへ戻ってきた。
「自由ってなんだ?」
 おれはもうほとんど義務と化した疑問をぶつける。思うんだが、この質問っていうのはほとんどおれが「おれ」でいるためにはどうすればいいのかという疑問と同義だな。
 ムーランドは、ビリジオンと同じようにゆっくりと首を傾げてみせる。その会話のラグが生み出す沈黙は非常に趣きがある。知識を蓄えた者はみんなそんなふうになるのかもしれない。
「いろいろと訊いてきたんだ。自由は孤独ではないことだとか」
「それはいささか宗教じみているね。宇宙との同一化を目指す類の」
「ムーランドは違うのか?」
「違う。宇宙との同一化など目指せば、それは単に自分というものを自然のなかに埋没させるだけだ。そんなものが自由なわけがなかろう」
「欲望のままに生きるのが自由?」
「それも違う。その考えは自分というものを推し進めるだけであって、それはやはり自分というものに囚われすぎている」
「なら、ムーランドが考える自由って?」
「わたしが考えるに、自由とは選びとることだ」
「選ぶ」と、おれは繰り返した。「それは、自分勝手に?」
 それなら、ムーランドの言っていることはチラチーノと変わらない。
「そうじゃない」
 これもたっぷりと時間を使い、ムーランドはかぶりを振った。
「世界はきみが欲すべきところをきみに求めるだろう。きみもまた、世界が欲すべきところを己が欲するように感じるだろう」
「どういう意味だ?」
 ムーランドは目を細める。ほとんど毛に埋もれてしまうくらいに。おれとうまく会話が成立した場合のタブンネみたいに。
「簡単なことだよ。世界ときみの躰。このあいだにおける位相のズレがあるだろう。そのズレを補正しようと絶えず動くこと。この動的安定こそを、自由と称するんだよ」
 おれはすぐに言った。「でもそれは結局、世界との合一化となにが違うんだ?」
「あんなものは屍体をミイラ化してキレイキレイ言ってるだけの宗教だからだよ」
「でもムーランドが言うのも、皿とか壺を屍体だって言い張ってキレイキレイ言ってるだけの宗教に似ている気がするんだが」
 むうん、とムーランドが唸る。「なかなか痛いところをつく悪い子だ」
「でも動的安定という言葉は惹かれる気がする」
「そうか。さすがわたしの教え子だ」
「ムーランドのものになった覚えはない」
 いや――言葉を殺し続けるのなら、最終的にはおれなんて物と同じなのか。
 ともあれ、ビリジオンとムーランドではほとんど同じように見えて、なんとなく違うところがあることはわかった。光の波長をフラットにすることで世界と重ねあわせるのがビリジオンだが、光の波長で世界の波長を打ち消そうとするのがムーランドなのかもしれない。やっぱり結論としては、世界の中心でおれを叫ぶようで、微妙に納得がいかない。
 おれは世界なんてどうでもいい。この世界に「おれ」が存在することを宣言したいだけなんだ。
 世界の片隅で「おれ」を叫べれば、それでいいんだよ。




 陽が傾いてきた。
 今日もまた一日が終わる。一日を意識して過ごした日は、無為に過ごしたようで、いつもすこし寂しい感じがする。
 このごろのおれは、あの子どもと会わなくなってから、なんとなく気が乗らずにハートのかえんほうしゃを吐きたくない気分だった。自由とはなにかという、ふと飛来した疑問に悶々とさせられているせいだと思う。おれは「おれ」を徹底的に排除して生きていたいと思うのに、でもおれがいるからこそのペルソナであって、今のおれに描写すべき独自の言語のことなんかひとつも浮かんではこないのだ。顔がなければペルソナをかけることなんかできない。
 でも――動的安定か。
 今日もまたひとつの答えを得た。
 納得や消化はまたあとで行えばよい概念として、総括してみれば、ムーランドの掲げる主張がいちばんしっくりくるような気がした。おれのペルソナは静的に安定しているわけじゃないから。すべてのペルソナは、いわば()()()()()のであって、それぞれが持つデータは日々更新されている。したがって、これらペルソナの本初であるところのおれは、ペルソナを動的に安定させている存在といえる。
 ペルソナは、でも、他者なのかというとそういうわけでもないから、難しいところだ。ただ、ペルソナをかけるための顔がなければ、ペルソナはペルソナ足りえないわけなので、やっぱりおれは動的に安定させようとしている。おれがおれであるためには、そうあるべきだっていう簡単な結論のことだった。
 それを、人間たちはなんと言うんだろう?
「ワルビル……」
 きのみを採りに、ヤグルマの森の木立へ消えていたワルビルは、おれが呟けばすぐにやってきた。その顔が、ほんのり寂しそうに見えたのは、森の夕闇がそう見せているだけかもしれない。
「おれのしてること、無意味かもしれないって思う」
「どうしてだ?」
 なぜって、ワルビルそのものはいつもどおりだ。いつもどおり、おれの話を聞いてくれる。
「おれが求めてる自由っていうのは、『おれ』のことだ。でも、そんなものなんかどこにもないんじゃないか?」
「いや、おまえはここにいるじゃねえか」ワルビルはちょっと笑った。「おまえが思考する限り、おまえの存在は疑いようがないだろ」
「それは『おれが考えている』って思考が存在するだけだろう? それはほんとうに『おれ』なのか」
「また面倒くさいこと考えてるな。すくなくとも、大部分はそうなんじゃないのか」
「無意識は、忘れてしまってもいいのか」
「無意識ってなんだよ」
「起源、かな」と、おれは言った。「なあ、ワルビル。おれの心なんて今はもうどこにもないんだよ。おれはそんなもの、ずっと前にポカンしたんだ」
「違う。おまえには意志がある。意志って、つまり志向性だ。意志は光だって、おまえも言ってたじゃねえか」
「結局、おれもそうなんだな。光と同化しようとして……」
 ワルビルが鼻から長い息を吐く。「なにが不満なんだ?」
「おれが忘れられてしまうから!」
「よくわかんね」
「おれは、よくみんなに忘れられるんだ。イマジナリーフレンド∋(仮)って感じで。いつもどこかに検索をかければヒットする。これ以上ないほど、お手軽な……」
「あー、確かに」
 ワルビルも認める。おれは考えも行動もずっとフラフラしているし、ひとつどころに留まるということが絶望的に下手くそだから、みんなの記憶に残らないのかもしれない。なぜって、おれはそういう世界を望んでいた……と思うから。
「でもなあ」と、ワルビルは言った。「おまえが自由を求めるからって、おまえが忘れられるとは限らないんじゃねえの?」
「そうかな」
「そうだよ」
「なあ、おれはどうして自由が欲しいんだろう」
「それは……ほら、自分ってものがまだ曖昧だから……じゃなかったか?」
「でも、曖昧なのは悪じゃない。おれが考えるようなはっきりとした自分なんてものはどこにもないんだと思う。言葉って、光のことなんだろうな。おれは言葉で世界を切り開こうとしてる。そんなピカピカしたもので、モノの原理を壊したくない。おれは、おれの世界を、壊されたくないよ……」 
「おまえの話は意味がわからん。もっとわかりやすく頼むよ」
 おれの論理はこれ以上なくポエティックになるのを止められない。
「おれがしてることは、単なる隠喩連鎖を繋いでるだけじゃないか。つまるところ、ただの言葉遊びにすぎない」
「言葉で遊ぶことのなにがいけない?」ワルビルは腕組みしながら笑ってみせた。「言葉なんてシンボルだろ。タワーオブヘブンのヒトモシがそうだった。そういうシンボルの層が重層的に重なることで意味が生まれる。シンボリックなレイヤーがおまえを構築するんじゃなかったのか?」
「違うと思ったんだよ。プロトーガに追いつけない理論だ。おれたちが進んでプロトーガがいた位置に来るころには、プロトーガはすこしだけ前へ進んでるから、永遠にプロトーガに追いつけない。おれはそれと同じことをやってるだけで、そういうことを無限に繰り返して、おれはなにか答えを得た気分になっているだけかもしれない」
「無限に答えに近づいてゆくんだから、限りなく答えに近い場所には進めるじゃんか。だったら、いつかは答えに追いついて、追い越せるかもしれない。おまえはおまえでいられるんだ」
「行き着く先は『おれ』の亡骸だよ。そんな偽物で世界を埋め尽くして、ほんとうの『おれ』はどこにもいない」
「そうか……」ワルビルは宙を見上げた。「それが、おまえの自由なんだな……」
 熱を見ることのできるワルビルの目には、森の闇にどんなものが見えるんだろう?
 おれの自由とは、最初から、言葉を殺すことだった。そして、おれの自由はあくまで言葉によるものだった。
 おれは今、自由を言葉で表現しようとしている。それはいつものちょっとした自傷行為。おれの自由が侵されること。つまり、おれは知らず知らずのうちにおれを否定していたのだ。そういうつもりがなかったにしろ、でも、おれは言葉で思考することと、言葉を持たないという自由を秤にはかけられない。なぜって、生まれてしまったあとに「やっぱりやめる」といってタマゴに帰ることはできないんだ。
 そのとき、茂みを踏みしめる音がして、おれたちは振り向いた。そこには人間のメスがいた。こんな森のなかで、腕や足を服に守らせず、キャップを被っているのに頭の後ろのところに豊かな髪をまとめてウェーブさせている。子どもとも大人ともつかない年頃のように思われた。おれの元主人だった少年と同じくらい。
 アッと、人間が声をあげた。そして素早く、赤とグレーの長方形をおれとワルビルに掲げるのと、モンスタボールを投げる動作をほぼ同時にとった。そうすることがとても体に馴染んだ、ポケモントレーナーに特有の動きだった。
 パカン、とモンスターボールの不思議な音。あの形状の、あの道具が開くのに、どうしてあんな音がするんだろう? おれはいつもそう思う。何度も聴いたことはないけれど、小気味のいい音だ。
 現れたのは、全体に青っぽい色の、すべすべとした体のポケモンだった。野生ではあまり見ない種類。二本足で直立し、腰のところに下げた二枚の貝殻を、両手に一枚ずつ獲物のように構える。ピンとまっすぐに伸びた白いヒゲが、いかにも好戦的そうにプルプルと震えていた。そのポケモンのことを、「フタチマル……」と、ワルビルが言った。
 ワルビル、クリムガン、と人間が続けておれたちの名を呼ぶ。手にした長方形――ポケモン図鑑――のデータを見て、驚いていた。どうしてこんなところに? しかしそんな疑問の処理は後回しだ。未知との遭遇に歓喜と挑戦のまなざしが輝く。
 トレーナーが繰り出してくるポケモンは、手強いことが多い。だけど「フタチマル」はたいしたことがなさそうだった。トレーナーのほうも、クリムガンやワルビルを見たことがないのだから、トレーナーとしてはまだ毛が生えている。おれなら無意識に頼らずともフタチマルを倒せる。
 でも、そう思っていたらワルビルがおれより先に踊り出て、フタチマルへ立ちふさがった。
「なあ、クリムガン」ワルビルが四足の構えをとり、フタチマルを見据えながら、言った。「おまえはこれまで、たくさんの言葉をもらってきたよな。それは、再生産されるべきだって思う。そうじゃないと不公平ってもんだ」
「やめてくれ、ワルビル」
「クリムガン、俺が考えるに、自由ってのはさ」
「やめてくれ!」
 それは、いつかのときになくした、おれのものだ。こんな世界で生きてゆかねばならないのなら、こんなものは捨ててしまえと思ったものだ。
 ――自由って、愛することだって思う。
 おれは逃げ出した。もちろんフタチマルからではなくて、ワルビルから。
 おれはなにも聞こえない。
 促すような、請うような声だった。でも、聞こえるかよ。そんな言葉……ワルビルの口から……すこしも!
「また遊ぼう、クリムガン」
 返事はいらない。おれはすこしでも早くこの場を去りたかった。ワルビルはたぶん、あの人間にゲットされるだろう。おれの実力があれば、あのフタチマルなんか簡単に倒してワルビルを守ることくらいは易しい。でもそれはできない。ワルビルは望んでいた。きっと最初から、おれと出会った雨の日からずっと、いつか自分をゲットするトレーナーと巡りあうことを。その願いが今日、果たされることの希望に溢れたワルビルの背中は……おれには、とても……
 わざとわざのぶつかりあう音がする。ポケモンバトル――殺しあいを極限にまで限定化した求愛行動――草葉の生い茂る森のなかを、おれは走った。ここから離れることができるのなら、行き先なんかどこだってよかった。心臓が無意識に速く強く鳴っていた。
 ワルビルは、たしかに、そういう世界に生きているのかもしれない。おれだって、いつかは生まれることを心している部分はあるかもしれない。
 それが、希望?
 希望は光であり、言葉?
 違う、違う違う違うんだったら!
 こんなことってない。ただ、おれが願ったのは、正当に認められることだけ。努力したら努力したぶんだけ、認められるって簡単なことだけなのに。それどころか、ほんとうは、ただだれでもいいから、たった一匹のワルビルだけでもいいから、おれを認めてほしかっただけなのに!
 友達でいたかった。
 それだけなのに、不公平すぎるだろうが、世界!!




じょうたい:Lv.49 HP100% 4V こんらん
とくせい :?
せいかく :?
もちもの :なし
わざをみる:げきりん かえんほうしゃ ふいうち へびにらみ 

基本行動方針:???
第一行動方針:正義を行う
第二行動方針:この場を去る
第三行動方針:自由について知りたい
現在位置  :ヤグルマの森
 

 次回、シリーズ完結です。

 



 

 


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Last-modified: 2022-12-14 (水) 16:37:28
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