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名無しの4∨クリムガン ヤグルマの森で

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 正義とは、計算のことであるとおれは思う。
 簡単なことだ。誰かが被る不利益と、誰かが得る利益を総合的に考量して、利益が不利益を上回っていたら正義とする考え方だ。これなら、オツムの程度が知れているおれでも計算できるし、まず間違えることはない。
 人間は共同体主義だ。社会をひとつの共同体として、ルールを設定している。部分が全体に優先してはいけない。それが共同体の原理なのだ。そのルールに反するような輩が現れれば、たちどころに正義の執行機関が裁きを下しにやってくる。いわば、左腕がおれの意志に関係なく動くのと同じだ。そんなことが許されるわけがない。
 ルール違反は罰せられる。けれど、時にはルールを破っても罰せられないこともあるし、それどころか称えられることもある。ルールを超克するメタルールがあるのだろうか。そうだとすると、メタルールを越えるメタメタルールも出てきそうな気もする。
 正義とは、計算のことであるとおれは思う。
 しかし、それはおれが人間の手を離れたポケモンであるからこその考え方だ。共同体に身を置くならば、そうはいかない。
 人間は、どうして簡単に正義を判別できるのだろうか。
 共同体主義の人間にとり、正義というものは一面的には捉えきれないものだ。人間は因果を鳥瞰できるわけではない。そのときに最善の行動をとるしかないのだろう。あのときには正義だったけれど、あとから考えると不正な行為だった、ということもあるかもしれない。
 しかしそうなると、一方的に相手を不正だと決めつけるのは、常に間違いの可能性があることになる。そんな不確定な要素で罰せられるのが人間の世界なのだろうか。箱入りの猫も、毒ガスで死にたくなどないはずだ。
 当然、ある程度の指標はあるはずだ。まったく不確定、というわけではないのだろう。
 定性的すぎる概念。正義が相対価値になってしまったら、それは堕落ではないだろうか?
 ウルガモスは言っていた。自由であるとは、同時に不自由であるということ。
 人間の世界において、規律は必要なのだ。共同体主義を起源に据えるということは、恵まれた者は最小限度の不自由は受け入れなければならないということでもある。人間の世界では、それを「責任」と呼ぶ。自由とは、そこでは責任なのだ。
 共同体の共通善は、結局のところ、共同体の存続を絶対価値に置くということだ。各々の自由を最大化するために、わずかな不自由は受け入れるべきなのだ。
 だとするならば。
 あの少年は、正義を行ったのだろうか。それとも、正義に反していたのだろうか。
 ポケモンを使役する人間のことを、ポケモントレーナーという。ポケモントレーナーは、ポケモンの持つ能力を行使する権利がある。これは「自由」だ。そして、ポケモンを使って犯罪を犯してはならない法がある。ポケモンに対する責任もある。これは「不自由」だ。
 あの少年は、おれに対する責任を放棄した。ならば、あの少年は反共同体主義的行為を罰せられるのだろうか。あのときのおれには「少年の元を離れるべきではない」と考えられる判断能力自体が備わっていなかったけれど、ポケモンへの責任は、あの少年にも課せられていたはずだと、おれは思う。
 とはいえ、それは共同体主義を基準とした規律に沿った考え方だ。今のおれは野生のポケモンであって、社会的生物ではないから、すなわち功利主義である確率が高いことになる。源泉が共同体である規律と、おれ自身の正義は迎合しない。
 おれがあの少年に捨てられたことは事実だ。共同体主義的に考えるならば、それは規律に反した行為だっただろう。
 しかし、おれは少年の行動を罪悪だとは思わない。なぜって、当のおれが、今のおれを「不幸だ」と感じていないから。幸福を奪われたのならば「不幸だ」と思いもするのだろうが、おれはあの少年といっしょにいることで「幸福だった」とは思っていない。モンスターボールの中は快適だったが、あの体験は幸福というよりも、おれの中では異常なものだ。良く言って、「ああいう寝床がいつも見つかればいいのになあ」と思うくらいがせいぜいである。
 正義とは、計算のことであるとおれは思う。
 少年とおれに生じた利益と不利益を考量してみる。少年はおれを捨てたがっていたのだろうし、別段おれも、少年といっしょにいたかったわけではない。おれが少年のポケモンとして生きていくことで得られたはずの幸福というものもあったのかもしれないが、そんな不確定な要素を計算に入れると、おれの頭がこんがらがってしまう。だから、これは無視する。おれ自身の損益を決めるのは、言うまでもなくおれなのだから、そのさじ加減をおれが決めても、問題はない。
 こうして考えてみれば明らかだ。
 おれと少年の間に不利益は存在しない。おれに関しては利益も存在しないのだが、少年の方には、おれを捨てることによるなにかのメリットがあったのだろうから、これは利益だと考えられる。
 不利益ゼロ。利益プラス一だ。
 だから、少年の行為は正義だといえる。おれの計算ではそうだ。少なくとも、理にかなってはいる。
 おれは、少年に捨てられたことを恨んではいない。社会的に見れば褒められた行為ではないのかもしれないが、当のおれが「被害を被った」と感じていないのだから、別に恨む必要もない。
 それでも少年の行為を罪悪だとするならば、それは共同体が築いた価値観があるからだ。ポケモンを捨ててはいけない。ポケモントレーナーはポケモンに対して責任がある。そうした意識を、共同体として生きていくうえで植えつけられたのだろう。共同体で生きていくならば、価値観はなるだけ共有させておく方が好ましい。
 理解はできる。ただ、不自由であると思う。共同体の大多数が罪悪だと言えば、おれや少年がどう考えていようと、それは罪悪なのだから。
 人間の手を離れたおれには、そんな価値観はない。自由も、不自由もない。おれがなにをしようとも勝手だが、その後ろ盾になってくれる者はいないし、尻拭いをするのもすべて自分だ。だからこそ好き勝手な持論を主張できるのであるし、それに反発されることもないが、同時に賛同する者もいない。野生で生きていくというのは、そういうことなのだ。
 おれは。
 どこへ行ってもいい。なにをしてもいい。
 しかし。
 誰もおれを助けてはくれない。
 この自由。この不自由。
 おれはもう、人間の手を離れてしまったポケモンだ。だから、おれにはもう、自分の決めたルールを信じて、おれにとっての正義を貫くことしかできない。
 正義とは計算であるという、脆弱な思考過程で自分を守ることでしか、おれは生きていけない。





    ヤグルマの森で




 森の中を、おれは歩いていた。森といっても人間が踏み固めた道も、舗装された道もある。迷うことはなさそうだった。この道を辿っていけば、いずれどこかの街に着くだろう。
 しかし、森は暗くなるのが早い。風も段々と冷たくなってきた。
 ……寒い。
 おれは、どうやら寒さに弱い種のポケモンであることを、なんとなく察した。生存本能というやつだろうか。ポケモンの遺伝というのは他の種族よりも色が濃い。知識や記憶の一部を共有してしまうことさえある
 とにかく、夜の冷え込みで動けなくなってしまうのは避けたかった。動けなくなるだけで、別に死にはしないのだろうが、陽が昇るまで寒さにさらされっぱなしというのは辛い。風邪を引いてしまいそうだ。
 今日はさっさと風をしのげる場所で休んだ方がよさそうだ。そのためには、道を外れなくてはいけない。広くて歩きやすいように舗装されている遊歩道では、休めそうな場所も、風をしのげる障害物も見つからないだろう。森に入る必要がある。
 人間とは違って、ポケモンというのはある程度完成した形で生まれてくる。もちろん成長するにしたがって体も大きくなり、知恵も蓄えていくが、生まれたばかりであってもそれなりの行動力と思考能力は有しているのだ。ポケモン・バトルを思い浮かべてもらえればわかりやすい。生まれたばかりのポケモンも、主人の言葉はなんとなく理解しているし、だから言われたとおりに技を繰り出すことはできる。
 このときのおれも、これから生きていくための最低限の知識というものはしっかりと把握していた。つまり、寝床は温かいところを見つけなければいけないことと、明日は食うものを見つけないといけないことを。
 森に入って、歩きながら森を眺めて回る。あの木の実は食べられるだろうか。あの川の水は飲んでも平気だろうか。あの草は集めると温かそうだから持っていこう。サバイバル初心者のおれだが(というか、おれにとって初めてでないことなどないのだが)、今になって考えれば、目的があればそれに向けて考え、行動するくらいはできた。
 案外冷静だったのだな、と思う。それも無知だったことによるものが大きいのだろうけれど。
 実に幸いなことに、この森には好戦的なポケモンはいないらしい。まるで警戒もなしにずんずん森へ入っていく無防備なおれに、ポケモンが襲いかかってくることはなかった。
 もしかすると、警戒はされていたのだろうか。このときのおれが他のポケモンに一切出会わなかったのは、森のポケモンたちがおれから身を隠していたからかもしれない。見るからに凶暴そうなポケモンが森を散策しているのだ。見つかろうものなら捕食されてしまうかもしれないと考えるのは、自然なことだ。もっとも、生まれたばかりのおれが野生のポケモンに襲いかかったところで、返り討ちにされてしまうのが関の山だろうけれど。
 とりあえずのところ、森の中へ入っていくと、ある程度風をしのげそうな場所を見つけた。倒れた木の内側をくり貫いた樹洞だった。川をまたいで向こうの岸にかけられていて、橋のような役割を果たしている。
 こんなところにこんなものがあるのだから、おそらく向こう側に渡るためのものなのだろう。人間かポケモンかはわからないが、それでも誰かが通りかかるということだ。おれがここを寝床にすることで、他の誰かの迷惑になるかもしれない――ということは全然気にしていなかったけれど、いかんせんそれでは落ち着いて休むことができない。
 とは考えたけれど、場所が場所であるし、時間が時間でもある。人間ならば夜の森に入るなどという馬鹿はしないだろうし、ポケモンならさっさと巣に戻っているはずだ。
 大丈夫だろう、と判断した。
 むしろ、おれ自体がそこを割と気に入ってしまっていた。樹洞の中は、おれが入っても余裕で歩ける程度には広かった。やはり木であるので、地面が平らでなかったのだが、気にならなかった。風に吹かれるのもそれなりに防げるし、姿を隠せるのも都合がよかった。
 道中で集めてきた枯れ草を置く。寒い。風に吹かれることはなくても、夜の寒さはなかなかに堪える。
 ここで、おれはひとつ思いついた。寒ければ火で暖をとればいい。
 おれは口から小さく火を吐いた。予備知識もなにもなく、ただ「それができる」という確信があった。先天的なポケモンの感覚である。
 暖かかった。しかし、そう長くは息が続かない。深く息を吸い込み、もう一度火を吐く。いくらもしないうちに酸欠で頭がクラクラした。暖をとるためとはいえ、これは疲れる。
 樹洞の端まで歩いていって、外側で枯れ草を少し燃やしてみた。派手に燃え上がるのを期待していたのだが、炎が立ち上る前に燃え尽きてしまった。もう少し枯れ草の量を増やしてみるが、あまり効果は芳しくない。これでは、せっかく集めてきた枯れ草を使い切ってしまう。
 落ち葉と枯れ枝を集めてきた。そこらじゅうに落ちているので量には困らない。さっそく燃やしてみたが、しかし、まばらに地面に置いたのでは火が燃え移っていくばかりで、あまり大きくならないし、燃えるのは葉っぱばかりで、枝にはなかなか火が移らない。なかなかうまくはいかないものだ。燃やすものの置き方も工夫しなくてはならないようだ。枝を敷き詰めた上に葉っぱを置いてみたが、これもすぐに葉っぱが燃え尽きてしまう。
 正直言うと、寒さを我慢しながら歩きにくい森を散策したこともあり、このあたりでおれはもう疲れていた。しかし、ここまでくると意地になってしまって、なんとしても火を起こして暖かく眠ってやるのだという決意を固めていた。それに、練習しておけばこの先ずっと役立つに違いないのだ。諦められない。
 石で囲いを作ってみるのはどうだろう。火を一箇所にまとめておけるし、周りのものに燃え移ったりする心配もない。
 考えてみるものの、手ごろな大きさの石というのは、森の中でも簡単には見つからない。樹洞の真下を流れている川に下りると、たくさん石が転がっている。濡れているものは火で乾かして使えばいいだろう。一度には持ちきれないので、何度か往復して石を集めた。冷たかった。感じる寒さに拍車がかかる。
 石を積み上げるのにも、けっこう時間がかかった。一向にうまくいかないので、砕いて四角くした。これで積み上げやすくなった。
 囲いができれば、あとは順調だった。枯葉を多めに入れて、火をつける。枯れ葉がすべて燃え尽きるころには、火もそこそこ大きくなっていた。枯れ枝を入れてみるが、こちらはまだ燃え移らない。もう一度枯れ葉を足し、火を大きくしてから枯れ枝を突っ込んでみる。今度は燃えた。一度燃えれば、枯れ枝は枯れ葉とは違ってすぐに燃え尽きることはなかった。これなら、しばらく放っておいても火が消えることはなさそうだ。念のため、残りの枯れ葉をすべて放り込んだ。火が大きくなりすぎても困るので、しばらく見守るが、心配はなさそうだ。
 枯れ草にくるまって、樹洞の中にうずくまる。暖かい。これで今夜は寒さに凍えることはないだろう。
 できるだけ体温を逃がさないように、おれは体を丸くして、その日はそのまま眠った。




 翌朝。
 目を覚ますと、まだ森の中は薄暗かった。早朝ということもあったかもしれないが、この森の中は陽が差し込みにくいのだろう。それでも、凍えるほどに寒くはない。行動するのに問題はなさそうだ。
 川に下りて魚(バスラオというポケモンもいたが、動きが素早くて捕まえられなかった)を捕り、腹ごしらえをしてから樹洞に戻ると、なにやらポケモンが集まっていた。大きな花のようなポケモンが一匹と、緑色のつぼみのようなポケモンが数匹。ドレディアとチュリネだ。おれが寝床にした樹洞を覗き込み、火を起こした跡を観察していた。火はおれが起きたときには消えていて、積み上げた石と燃えカスだけが残っている。
 今にして思えば、夜の森で火を起したのだ。昨夜のおれはさぞかし目立ったことだろう。野次馬ができるのも仕方ない。
 わざわざ声をかけるのも面倒だったので、気づかれないうちにそっといなくなろうと思ったが、チュリネに気づかれてしまった。ドレディアにおれの存在を伝える。
「あのポケモンなの?」
 ドレディアがチュリネきいた。群れのリーダーのような役割をしているのだろうか。あまり歓迎はされていないらしい。
「なあ」と、おれは話しかけてみる。「おれがなにか、悪いことをしたのか」
 ドレディアはたじろいだ。おれが近づくと、チュリネたちもドレディアの後ろに隠れてしまう。やはり警戒されている。
「いえ、そういうわけではないんです。ごめんなさい」
 ドレディアは、なるだけ物腰穏やかに努めた。おれの不興を買ってしまわないように、だろう。しかし、その佇まいには一抹の殺気が隠されていた。
「このあたりでは見ないポケモンだったから。あなたがこの森を住処にするなら、私たちも挨拶をしておかないと」
 要するに、乱暴者なら追い出してしまおうということだ。おれは厳つい見た目をしているから致し方ないとはいえ、心外だった。
「心配ない。すぐ出ていく。ここへ来たのも、別におれの意思じゃないからな」
「そう」
 わずかに警戒が緩くなる気配があった。おれに害意がないことは伝わったようだ。
「あなた」と、ドレディアは言った。「もしかして、トレーナーに捨てられたの?」
「捨てられた……」
 なるほど、とおれは思った。生まれたばかりのおれは、自分が捨てられたという実感も持てないでいた。だから、このとき初めて「ああ、おれは捨てられたのか」と自覚した。だからといって別段悲しくもなかったし、おれとしては、捨てられたということ自体に思うところはない。
「そうだ。昨日、タマゴから孵ったばかりなんだ。トレーナーといたのも、ほんの少しの間だけだ」
「そう。行くところはあるの?」
 無意味な質問だと、おれは思う。言ったドレディアにしても、おれに行くあてがあるとは思っていないだろう。生まれたばかりで野に放されたポケモンに、いったいどこへ行けというのか。
 それが不自由であるということだ。おれはどこへでも行けるけれど、どこへ行ったにしろ、そこにおれの居場所は存在しない。おれには帰る場所などないのだ。
「いや」と、おれは言った。
「そうよね。生まれたばかりだものね。馬鹿なことを聞いちゃった」
 ごめんなさい、とドレディアは言ったが、おれは気にしない。
「おれ、生まれてすぐに夕陽を見たんだ。大きな橋だった。知らないか?」
 ドレディアはかぶりを振った。
「わからない。わたしはずっとこの森に住んでるから」
「そうか」
 ドレディアと話をしながら、おれは昨夜の火の後始末をした。石を川原に放り投げ、積み上がった燃えカスを尻尾で凪いだ。寝るときに包まった枯れ草は、適当にそこらへんに捨てた。
「じゃあ、もう行く」
「待って。森を抜けるまでわたしが送っていきましょうか」
「どうして」
「危ないから。あなた、闘うのも慣れていないでしょう」
「確かに、そうだ」
 正直に言えば、ありがたい申し出ではある。おれは戦闘もドがつく素人だ。野生のポケモンに襲われたらひとたまりもないだろう。そんなことにまず気づかないあたりが、無知のなせる業だ。これからはもっと慎重に行動しなくてはならない。
 しかし、とおれは思った。
 ドレディアを盾にするように身を隠しているチュリネたちを見やる。いっしょに連れていくつもりなのだろうか。
「大丈夫」怪訝に思っていたおれに、ドレディアは少し笑った。「生まれたばかりのポケモンよりは強いから」
 ドレディアは歩き出した。チュリネたちもついていく。おれは少し悔しかった。



 
 正義とは、計算のことであるとおれは思う。
 おれが死んでしまうという不利益に比べれば、おれに直接の因果関係がない生き物が死んだところで、それはコラテラル・ダメージだ。それこそ、社会に属さないことの自由でもあり、不自由でもある。誰もおれの行動を咎めはしないが、誰もおれが大怪我を負っても気に留めたりしない。共同体主義でない生き物は、すべからくそうして生きている。そこには、ただの弱肉強食があるだけだ。
 だから、これから先、おれは行く先々で不利益を被ることになるだろう。よそ者のおれに敵意を向けてくるポケモンがいるかもしれない。場合によっては、闘うことを避けられないかもしれない。各々が身を守るために、それはしかたのないことだ。
 そうした世界で、おれも生きていかなくてはならない。ドレディアに出会ったことで、おれはそう自覚することができた。
 しかし、それは人間にしても同じことではないだろうか。
 共同体主義の人間にとって、共同体の外側にいる者は排除すべき対象になる。規律に反する者は罰する。共同体に不利益をもたらす者は排除する。
 正義とは、すなわち暴力だ。その一点において、ポケモンも人間も、たいした違いはないのかもしれない。
 どうにも納得ができない。というより、おれには判別ができない。
 少年がおれを捨てる。その行為を、人間はどう判断するのだろうか。その判断基準は、いったいどこにあるのだろうか。直感なら直感でもいい。しかし、それは言葉では掴み取れないというだけであり、なにか意味があるのかもしれない。法則があるのかもしれない。
「行くところはあるの」と、ドレディアはおれに聞いた。
 あのとき、ドレディアにはおれを哀れむ気持ちがあったように思う。でなくては、わざわざおれを森の外まで案内したりしないはずだ。あのドレディアも、共同体主義である可能性がある。
 しかるに、おれは哀れまれる存在なのだろうか。つまり――共同体主義のコラテラル・ダメージの被害者なのか。
 ドレディアがおれを助けることは、ドレディアにとっては正義なのだろうか。けれど、おれの計算によるならば、その行為によってドレディアが得られる利益がない。功利主義である確率が少し高まる。
 結局のところ、正義など共同体主義の発起人が決定するのだ。誰が決定するにしろ、その正義は功利的なものだ。
 なぜ、とおれは思う。
 そんなもののために、ほんの少しでも自由が阻害されなくてはならないことを、人間は我慢できるのだろうか。法なんて方言であって、絶対普遍の法則ではない。多数派は傲慢だ。
「ここまで来れば大丈夫だと思う」
 森を抜け、視界には舗装された道が広がった。ドレディアの助けがあったおかげで、おれは迷うこともなく無事に森を抜けることができた。
「森の外までポケモンが出てくることはないの。人間を襲うようなポケモンは、トレーナーに退治されるか、捕らえられてしまうからね。だから、道の上を歩いていればとりあえずは大丈夫」
「おれもポケモンだぞ」
「あなたは人間を襲うの?」
「そのつもりはない。でも、人間にはそんな判別がつかないだろう。野生のポケモンはどれも同じだ」
「そうね。それはあなたの運次第かもしれない」
 勝手な話だ。おれが生き延びるのに必要なのは、おれの意思などではない。言ってしまえば、それは他者の判断だ。誰かがおれのことを危険だと思い、それが多数派になってしまえば、本当に危険であろうとなかろうとおれは排除されてしまうのだ。
 やっぱりわからない。人間の心のありようが、共同体の正義が、おれにはわからない。
「でも」と、ドレディアは言った。「そんなことにはならないと思う」
「なんでだ?」
「あなた、危険には見えないから。話してみればわかる」
「人間とは話せない」
「話せなくても話せるのがポケモントレーナーなの」
「そうなのか」
 ならば、あの少年も、おれの心を見抜いていたのだろうか。見抜いていて尚おれを捨てたのだから、正義とは計算であるというおれの考えは、ますます正当であると確信できた。
「だから、おれを助けてくれたのか?」
「どういうこと?」
「おれが危険そうに見えなかったから、助けてくれたのか」
「よくわからない。誰かを助けるのに理由が必要?」
「危険なやつを助けたりはしないだろう」
「あなたは生まれたばかりなんでしょう? ひとりでは危ないじゃない」
「理由にならない。たとえおれが死んでも、問題はひとつもない」
「問題はある。そんなの、悲しいもの」
「でも、それが野生のポケモンの正義だろう」
「正義?」
「そうだ。正義のために死ぬんだ。名誉の戦死というやつだ」
「それじゃあ、あなたはすぐに死んでしまうしかないでしょう」
「それでも、悲しむ必要はない。おれが死ぬのは、あんたのせいじゃないからな」
「それでも、生まれたばかりのポケモンを無視するなんて、わたしにはできない」
 どうして、とおれはきいた。
 それはね、とドレディアは言った。
「それが、わたしにとっての正義なの」




「持っていって」
 ドレディアは、おれになにかを差し出した。オレンという名の木の実らしい。食べると体力が回復するそうだ。
 どうして、ドレディアはこんなにも親切にしてくれるのだろう。おれはよそ者なのに。
「いいのか?」
「わたしより、あなたの方が必要でしょう?」
「おれが持っていってしまって、必要になったときに困るんじゃないのか」
「逆になる可能性の方が高いと思うけれど」
 受け取るべきか、おれは少し迷った。おれはひとりだが、ドレディアには仲間がいる。仲間を守るために必要なものを、おれがもらってしまってもいいのだろうか。
「じゃあ、こう考えてみて。この木の実にはとても強い毒があって、わたしはあなたを騙して害をなそうとしているのかもしれない。食べるかどうかは、あなたの自由」
「嘘だな」
「どうして?」
「それも、理由がない」
「理由もなく害悪をもたらすポケモンもいるわ。あなたにとってそれは害悪でも、向こうにしてみればそれは正義かもしれないもの」
「………」
「昨日ね」と、ドレディアが言った。
「昨日?」
「そう。昨日、見たことないポケモンが森の中で火を焚いてるって、仲間に聞いたとき。わたし、想像してみたの。そんなことをするポケモンが、いったいどういうポケモンなのか」
 なんの話だろう。おれのことであるのは確かだが、文脈がつながっていない。不思議に思って、おれは黙ってドレディアの話を聞いていた。
「とても不安だろうと思ったの。仲間もいなくて、寒さに凍えそうで、こんなに暗いところで、草に包まって眠るのは。もちろん、乱暴なポケモンかもしれないし、近づくのは危ないかもしれないけど、わたし、なんとか力になれないかと思ったの」
「そうか」
 ようやく理解できた。
 ドレディアは、はじめからそのつもりだったのだ。オレンの実も、はじめからおれに渡すつもりで持ってきていたのだ。馴染みのない森で生きていくのなら、ひとりでいるよりも仲間がいた方がいい。なにか、自分が助力になれることはないだろうかと、はじめからそのつもりで、ドレディアはおれに会いにきたのだ。
 ドレディアのことを、暴力がすなわち正義とするポケモンだと思ってしまった自分に、おれは憎悪に近い感情を抱いた。
「やさしいんだな」
 ドレディアは、照れくさそうに笑った。
「長生きできないって、よく言われる」
「なら、そういうやつのおかげで、おれは長生きできるわけだ」
 おれは、ドレディアからオレンの実を受け取った。なにか返せるものがあればよかったのだが、おれはなにも持っていない。もらいっぱなしというのは、いささかきまりが悪かった。
 しかし、ドレディアは静かに首を横に振った。
「これから先、あなたがもし誰かが困っているのを見かけたら、わたしと同じようにしてあげて。世界って、そうやって回ってるのよ」
「そうなのか」
「そう。野生のポケモンってね。案外と、助け合って生きてるの」
 それは、共同体で生きているということだ。
 野生のポケモンには、野生のポケモンの社会があるということか。
 やはり、人間もポケモンも、たいした違いはない。
「ところで」
 おれは森に敷かれた道を見回す。森を横断しているであろうコンクリートは、左右に大きく伸びていた。
「右と左、どっちに行けばいいと思う?」
「右かな。右からはよく人が来るの。きっと街が近いんだと思う」
「街が近いと、いいことがあるのか?」
「平和ってことじゃないかしら」
「そうだな」
 人がいるということは、街がある。街があるなら、そこには橋があるかもしれない。その橋は、おれが生まれたあの橋かもしれない。
 なんとはなしに、おれはいっしょについてきたチュリネたちに視線を送る。もうドレディアの後ろに隠れてはいなかった。
 これから先、おれも誰かを助けることがあるのだろうか。
 それは、おれ自身の正義なのだろうか。正義とは計算であるのだから、助けること自体に利益がないとすれば、おれの考える正義ではないことになる。
 利益なしに誰かを助けるのは、正義ではない?
 けれど、おれの手には、ドレディアがくれたオレンの実があった。
 ――正義の源泉とは、こんな小さなところにあるのかもしれない。
 よそ者のおれに心を割いてくれたドレディア。それが、なんとなく嬉しくて、胸が温かくて、肯定したくなって、なんとなく幻想的な気分。
 もちろん、そんな一時の感情が正義だと主張すれば、こんな世界では笑われてしまうだろう。けれど、同じ思想で動いているポケモンがいる。
 自由とは、責任でもある。使命と言い換えることもできる。
 そんな面倒くさいことを、ずっとやり続けるなんて、たぶん人間にだって無理なのだ。だから、抽象的になることもある。そのときそのときでの最善を尽くす以上のことはできない。その判断は、ひとりの人間が負うしかないのかもしれない。
 共同体ではなく、ひとりならば、無関係であるおれにも対話によって正義を受け入れることは可能なのだろうか。たとえば、このドレディアのように。
 それは、結局は共同体に属するということ。共同体の規律に従うということ。
 そんな不安定なものに則するなんて、おれには本当によくわからない。人間と同じように生きることなんて、できるかどうかもわからない。
 けれど――




「ひとつ、わかったことがある」
「なに?」
「次に火を焚くときは、まわりのポケモンに断ってからにするよ」
「そうよ! 森で火事が起こってるって、みんなビックリしたんだからね」
 おれは、ドレディアと笑いあった。
「ありがとう」と、おれは言った。
「元気でね」と、ドレディアは言った。




 ――まごころからおれを助けてくれたドレディアは、決して罪悪ではないはずだ。




【名無しのクリムガン】

じょうたい:健康 Lv.1 4V
とくせい :?
せいかく :?
もちもの :オレンのみ
わざをみる:??? ??? ??? ???

基本行動方針:きれいな夕陽が見たい
第一行動方針:森を抜け、街へ行く
第二行動方針:自分が生まれた橋を探す
現在位置  :ヤグルマのもり・中央部

 中身があるのかないのかさっぱりわからない感じになりました。
 この話は、これからもこんな感じで続きます。ポケモンでやる意味のある小説を書くのって難しいですよね。


 


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Last-modified: 2015-05-22 (金) 20:01:14
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