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氷動クライシス

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氷動クライシス 


【Ⅰ】 

「ん?」
 乾いた洗濯物を取り込み、居間へと運んでいた俺は、綺麗な水色の塊がカレンダーを見上げていたのに気が付いた。
「……どうした、クレア?」
「っぱあ」
 聞いてみると、水色というか、群青色というか――の、塊。グレイシアのクレアは一鳴き。カレンダーには、特に変わったところはない。
「今日? 三月二十三日、金曜日だけど……」
「っぱあ」
 鳴き声。うーん。俺とクレアが出会った日でもないし、どっちかの誕生日でもないし、俺が家を借りた日でもないし……
「っぱあ」
「うん」
「レイ、レイ」
「ふむふむ」
「っぱあ、ぱあ」
「ほう」
「レイ」
「うーむ……」
 駄目だ。何が言いたいのかさっぱり分からん。腕を組んだ俺の前で、クレアがカレンダーを指さして何やらレイレイ訴えているが、生憎とポケモンの言葉は通じない。以前より官僚に使われていた翻訳機が今度大衆向けに発売されるらしいのだが、それが出るまでは会話は無理か。
 仕方がないので、紙とペンを持ってくる。話して分からないので、描かせてみよう。
「すまん。ちょっと、描いてみてくれ」
「グレイ」
 通じないのは分かっていたのか、クレアは一鳴きして紙を広げ、ペンを口にくわえて描いていく。
 まあ一応、判読はできるレベルのイラスト。普通に考えてペンで何かを描くなんて動作は野生ではやらないんだから仕方がない。描きあがったイラストを、俺はどれどれと首を伸ばして覗き込む。
「えーっと? イーブイが二匹、木の下にいるな」
「っぱあ」
「ふんふん、これがクレア」
「レイ」
「で、このもう一匹は?」
「っぱあ、ぱあ」
「んー?」
 その後の、クレアのレイレイぱあぱあ言っている話をまとめると、大体こうなる。
 ここから電車で一時間ほど行った先にあるホークタウンにある公園で、二匹のイーブイ――うち片方は、俺のクレア――は、よく桜が散る頃に集まって遊んでいた。次に会うときには、二匹目のイーブイと俺のイーブイ(つまりクレア)で、バトルをする約束をしていたのだそうだ。集まるタイミングは「格好をつけた人が大勢現れた日の、次の日の夕方、人が少なくなった時(これが一番わかりにくかった。多分、小学校の卒業式の翌日に当たる、平日の夕方のことを言っているのだろう)」らしいので、ちょうど明日の夕方とのことだった。
「明日の夕方ねえ。特に急ぎの予定もないから、折角だしホークタウンに行くか」
「レイ!」
「それにしても、珍しいな。基本控え目なクレアが、バトルの約束をするなんて」
「ぱー?」
「ま、いっか」
 バトルの約束をどちらが仕掛けたのかは分からんが、どっちかというと控え目な、俺のイーブイが仕掛けたとは思いにくい。ということは、相手のイーブイが仕掛けたんだろう。
ま、俺もバトルは大好きだし、いいけどな。


 というわけで、翌日。
 電車で揺られること、一時間。たんパンこぞうから勝負を挑まれ、ヌマクローのジェフリーで撃退し、賞金をぶん取ること二回。ある程度早めに出発したからか、ポケモンセンターに立ち寄っても十分な時間の余裕をもって、俺たちはホークタウンの公園にたどり着いていた。
「もうちょい迷うかと思ったが、大分早く着いちまったなあ。どっかで時間潰すか?」
 近くの露店で売っていたホットドッグ(賞金で買った。実際にバトルしたジェフリーはちょっといいヤツ)を食べながら、今後の動きを考える。あまり大きいものではないが、開けた場所が少しあったり、ジャングルジムや滑り台、鉄棒やブランコがある、普通の公園だ。子供連れも何人かおり、卒業式の帰りなのだろう、着飾った親子も何人か通っている。その他には、それぞれウソッキーとマッスグマを連れた老人が二人と、サンダースを連れた高校生くらいの少女がおり、この規模の公園にしてはなかなかに賑わっていた。
「レイ……?」
「ん?」
 と、少女が連れているサンダースを目に留めたクレアが、少女の方へと向かっていく。おいおい、これは追いかけるべきなのか? でも相手は女性だぞ。とはいえ、自分のポケモンから目を離すわけにもいかないし……若干迷いながら少女とサンダースのところへ追いかけて行った俺の前で、クレアとサンダースの二匹は何やら話し込んでいた。楽しそうにしているあたり、もしかしてこの子が、もう片方のイーブイだったのだろうか。
「こんにちは。いいお天気ですね」
「あ、ええ、こんにちは。……そうですね、いいお天気ですね」
 とりあえず、大変空気が微妙になっているが話しかけてみる。少女は少し困ったような顔で、俺たちに答えた。相手側からすれば、見知らぬ男がいきなり話しかけてきたという、怪しい状況。不審者だと間違われてジュンサーさんあたりに通報されないことを祈るばかりだ。
「レイ」
 と、そのタイミングで、クレアから足を引っ張られる。二匹が並んで、もの言いたそうな顔をしていた。久しぶりに再会したのだろう、たぶん二匹が望んでいるのは、バトルの前に……
「ああ、いいよ。遊んできな」
「グレイ!」
 クレアが元気よく答え、続いて少女に目線をやる。少女も少し迷っていた素振りだったが、「遊ぶだけならね」と引っかかる言い方をして許可を出した。二匹が遊ぶのを見ながら、俺が少女に話しかける。
「あのサンダースのトレーナーですか?」
「ええ。私、コレットと申します。あそこにいるサンダースは、私のポケモンなんです」
「あ、やっぱりそうだったんですね。俺はセツ、あそこにいるグレイシアのトレーナーです。突然話しかけて、すみませんでした」
「いえいえ、いいんですよ」
 何度か挨拶を交わして、はしゃぐ二匹を見守る。多分、間違いなく、あのサンダースがもう片方のイーブイだ。うちの控え目グレイシアがあっという間に仲良くしているのだから、元々知り合いだったんだろう。
「この公園には、よく来るんですか?」
「ええ、たまに。サンダースが、この場所を好きみたいで。今日は特に、サンダースが来たがったんです」
「そうだったんですか。実は俺も、グレイシアが来たがったから、今日はここに来たんですよ」
「そうなんですか……」
 ということは、目的は一つか。サンダースがどうしてここに来たがったかは、知っているのだろうか。首をかしげる俺だったが、その答えはポケモンたちが教えてくれた。サンダースの体毛が少しずつ逆立ち、ぴりぴりと電気を宿し始める。それを見て、クレアも静かに動きを止め、こくりと小さく頷いた。
 ――だが。
「駄目だよ、サンダース! バトルは駄目って、約束したでしょ!」
「え!?」
 コレットの声に、俺は思わず反応した。声を上げた俺の前で、コレットは困ったように笑みを漏らす。
「セツさんたちも、多分そのために来たんですよね。今日、二匹でバトルをするって、去年約束していたって」
 やっぱり、コレットも知っていたのか。だけどコレットは、小さく笑うと、ごめんねと続ける。
「でも、うちは駄目なんだ。ママが、ポケモンバトルはずっと禁止って」
「バトルは禁止って……ポケモンが可哀想ってこと?」
「うん。本当は、ポケモンを持つ必要すらないって言われてたんだ。だけど、私がどうしてもサンダースが欲しくて、バトルしないって条件で、捕まえてもらったんだ」
「…………」
 バトルを好まない人は、それなりにいる。俺は逆にバトル大好き人間なのだが、そもそもこの世界、ポケモンバトルは結構文化としても広まっている。絶対に禁止って、できるんだろうか。ちょっと考える俺の横で、コレットは言葉をかけてくる。
「多分、サンダースがバトルを約束したのは、セツさんのグレイシアなんだよね。でも、ごめん。ママとの約束で、私はバトルはできないんだ」
「そう、か……サンダースは、それで納得しているのか?」
「…………」
 その言葉に、コレットは答えず。
「我慢して、サンダース。折角グレイシアが来てくれたんだから、今日は仲良く遊ぼうよ」
「ダー……」
 しゅん、と、サンダースは顔を伏せてしまう。それを見たクレアも、何と言っていいのか分からない状態らしく。「ぱー……」と、小さく鳴き声を上げた。
 そんな、サンダースたちの顔を見て――
「……コレットさんよ。それでいいのか?」
 ――思わず、声をかけていた。
「今の動き、見てただろ? さっき、サンダースの方から電気を纏っていたじゃないか。多分、サンダースは戦いたいんじゃないのか?」
「……それは」
「ポケモンの願いをなるべくかなえてやるのも、トレーナーとしての責務だと思うぞ」
「でも、そしたらママとの約束を破ることになるし……」
「それを言うなら、今はサンダースの約束を引き裂きかけているじゃないか」
「…………」
「サンダース、君はどうなんだ? バトルしてみたいんじゃないのか?」
「ダーッ!」
「っ、駄目だって!」
 力強く鳴いたサンダースだったが、コレットが止めた。
「サンダース、駄目だって言ったでしょう? その約束で、連れてきたんだよ!? セツさんも、余計なことを言わないでください!!」
「余計って……」
「ほら行くよ、サンダース!」
「ダー……?」
「行くよ!!」
 何かを無理矢理断ち切るように。コレットはサンダースを抱き上げて、公園から走り去っていってしまった。
 サンダースが一度だけ振り返り……その目が、何かを言いたそうに訴えていた。


「すまんクレア、楽しく遊んでいたところを、めっちゃぶち壊してしまった」
「っぱあ」
 俺の気持ちをぶつけたのはいいものの(いや、よくないが)、思いっきり空気をぶち壊してしまったことに気付き。
 ポフレショップでクレアの好きな味のおやつを購入し、お詫び代わりにあげながら、俺はクレアに謝罪していた。対するクレアは、一鳴きしてそれに返してくる。都合のいい解釈かもしれないが、遊んでいたのを邪魔されたというかぶち壊されたというのに、あまり気にしていないみたいだ。コレットやサンダースとの間に漂った、微妙な空気のほうが気になっているのかもしれない。ポフレを食べ終わるのを待ってから、俺はクレアに、ポケモンの目線からどう思ったかを聞いてみる。
「あの目とか、電撃纏ってたところからすると、絶対あのサンダース戦いたがっていたよなあ?」
「っぱあ」
 俺の問いには、クレアも頷く。なるほど。となると、やっぱりあのサンダースの方からバトルの約束は申し出たのか。妙なところを納得する俺だったが、ひとまず、次の問い。
「ちなみにクレア、あのまま話が進んでいたら、やっぱりサンダースと戦った?」
「っぱあ!」
「だよな」
 元気よく答えたクレアに、俺はちょっとだけ苦笑い。そもそも、控え目なクレア相手に戦いを挑むのもどうかと思うが、クレア自身の性格から考えれば、断り切れなかった可能性もある。しかし、先ほどの「戦う?」という問いに元気に答えているあたり、実はバトルは好きだったのか、それともトレーナーに似てきたのか。
 ……ん? でも、その割には、あまりコレットとサンダースは似てないよな。コレットに似るなら、サンダースはあまり戦いを好まないはずなのだが。
 まあ、いいか。そう思いながら、俺はゆっくりと立ち上がるのだった。


 ポフレショップでクレアにおやつをあげた後。あちこちで時間を潰した俺は、日が傾いた夕方、のんびりと家路へとついていた。
 高速道路のガード下をくぐり、いくつかの横断歩道を渡り、駅の方へと向かっていく。その帰路には、公園があって――
「――やっぱりいたね、コレットさん」
「あ……」
 ――ある意味、予想通りと言えば予想通りか。そこには、昼間別れたばかりの、サンダースを連れた少女・コレットがいる。
「バトルしてくれる気になったんかい?」
「ううん、違うよ。ただ、家に帰る途中から、サンダースがずっと公園の方を向いて鳴いているんだ。可哀想だから、バトルはしないって約束で連れてきたんだよ」
「そっか。元々、クレアたちが再会とバトルを約束したのは、夕方だったからな」
「バトルはできないけどね」
 頑なにバトルを拒むコレットに、俺は声音を落として続ける。
「そうか? でも、来たんだろ? サンダースが望むから」
「……うん」
「じゃあ、サンダースの願い、分かってるじゃねえか。そこまでやったんだったら、中途半端なことしないでやれよ。な、クレア」
「っぱあ」
 足元のクレアに話しかけると、クレアは頷いて一鳴きする。そんな俺たちの姿を見て、コレットはしばらく沈黙すると、しゃがみこんでクレアに聞いた。
「……クレアさんだよね。クレアさんは、バトルしたい?」
「っぱあ!」
 元気に返したクレアは、低く構えて周囲に冷気を走らせる。クレアの言葉と、何度も遊んだことのある友達の力の高まりに、サンダースもすぐに反応した。好戦的な笑みを浮かべて、ぴりぴりと電気を走らせる。
「な。やってやれって。コレットさんがバトルに自信がなければ、こいつらに任せっきりでもいいしさ。元々、野生の時に交わした約束みたいだし。そんなんだったら、俺の方から勝負かけるぞ」
「勝手な人……」
「ま、ポケモントレーナーだからな。俺からすれば、コレットさんの母親がバトル禁止令を出す方が理解できねーよ。いや、それでいて今、コレットさんがここにいなかったら諦めるつもりだったけど。いたってことは、少なからずサンダースの願いは分かってたんだろ? つーか、叶えるつもりが全くないのにこのタイミングでここに来てたら、そりゃあポケモンに対して失礼過ぎるよ」
「…………」
「そのうち、サンダースも言うこと聞いてくれなくなるぞ」
「…………!!」
 サンダースが言うことを聞かなくなる。その言葉に、揺れていたコレットの心は動いたようだ。サンダースを見下ろして、俺たちの方に顔を上げる。
「……私のママが、バトルを駄目って言ったのは、負けた時がみじめだからって言ってたんだ。ママも昔、バトルで負けて笑われて、それですごく辛い思いをしたんだって。だけど、私の周りでも、バトルしても勝ち負けにこだわらない人もいたし、負けたのに楽しそうに笑っている人もいたんだ。何回もバトルして、勝ったり負けたりしている人もいたって、聞いたんだ」
「うん」
「セツさん、クレアさん。もしバトルして私が負けても、笑わないでくれるかな」
「そりゃ、もちろんだ」
「っぱあ!」
 コレットの問いかけに、俺たちは口々に頷いた。俺だってよくバトルをするんだ、そのあたりのことくらいは分かってる。バトルを通じて、分かりあえる人もいる。勝っても負けても、相手を凄いと思えるのはマナーだろう。
 運動会でも、エールの交換をやっているくらいだ。相手に敬意を払うのは、ポケモンバトルでも同じだろう。負けた人を笑うなんて、最低だ。今までさんざん見下されていただとか、そういう場合は違うけど。
「……うん、分かった」
「お」
 そして、揺れた心は、答えを出したみたいだ。
「私、明後日ノーエイタウンに引っ越すんだ。もう、来れなくなるかもしれないから、サンダースのお気に入りの場所に、連れて来れるだけ連れてきてきたんだ」
「ああ」
「今日はもう、帰る時間だからさ。よかったら、明日の昼、来てくれないかな。それで、この公園で、サンダースとバトルしてほしい。いいかな?」
「もちろん。じゃあ、明日の昼間だな」
「うん、ありがとう。また、明日ね」
 再度の約束を交わし、俺たちは今度こそ帰路についた。

【Ⅱ】 

 ……そして、翌日。
「おっせえな、コレットのやつ。もう、すっかり夕方だぞ」
「ぱー……?」
 時計を見ながら、俺はでっかいため息を苛立ちと共に吐き捨てる。コレットは確かに、バトルを「お昼」と言っていた。昼間というのが何時を指すかは人によって異なるが、十二時頃から待っていて、五時になってなお来ていないというのは、どう見ても「お昼」の範疇じゃない。首を傾げる俺の前で、クレアが足をぺしぺし叩く。
「いて、いてて。分かってるって、そこは俺が悪かったって」
 叩かれている理由は一つ。「明日の昼」とか言っておきながら、バトルする時間を具体的に決めていなかったからだ。サンダースの嬉しそうな顔についつい和んでしまった俺は、その辺の具体的なところが頭から飛んでいたらしい。こりゃあ、もしかしてドタキャンされたか? おいおい、勘弁してくれよ。連絡先ぐらい聞いときゃよかった。
 と、そこで、公園の入り口に一台のトラックが停車した。ずいぶん大きいなあ、なんてなんとなく思っていると、トラックのドアがばたんと開く。そこから降りてきたのは……
「コレットさん!?」
 サンダースを抱いた少女、コレットだった。だけど、様子がどこかおかしい。一緒に降りてきたのは、でっぷり太った中年女性と、黒いスーツを着たサングラスの、なんというか「SP」みたいな感じの人だった。
 コレットさんはあわただしくやってくると、俺たちの前で頭を下げる。
「ごめん、遅くなって。本当に、待たせちゃったね」
「いやいや、時間を決めていなかった俺も悪い。引っ越し前であわただしいだろうし、それについては問題ないよ」
 思わず苛立ちをぶつけそうになった俺だったが、格好悪いことは出来ない。要は、バトルが出来ればいいのだ。
 と、いうわけで。
「ま、俺としては約束を果たしてくれれば問題ないぞ」
「それなんだけど……ごめん。実は、急に引っ越しが今日になっちゃって。それで、公園にも来れなくなっちゃったんだ。もう、出発するところなんだよ」
「…………」
 ……ほう。そうか。ってことは、後ろにいる女性とサングラスの人は、ご両親か。何が言いたいのか、ある程度察しがついてしまったが、俺としても引くに引けない。
「それなら確かに、来るのが遅くなっても仕方ないよな。でもまあさっきも言った通り、俺は約束だけ果たしてくれれば問題ないぞ。さすがに、バトル出来ないってことはないだろ?」
「……それは」
「なんだ?」
 誰だ、今さっき『格好悪いことはできない』とか思った奴は。自らに突っ込みを入れたくなった俺だったが、一部自分に原因があるとはいえ五時間も待たされておいてドタキャンされ、はいそうですかと笑って引き下がれるほど、俺は人間できていない。
 そしてコレットさんも、直感的には分かっているのだろう。顔を伏せて、小さくつぶやく。
「……ごめんなさい。バトルは、できない」
「たかだか十分もかからないだろ? どうにかできないのか? サンダースが可哀想だって伝えただろ」
「ごめんなさい」
「お前それ、本気で言っているのか?」
「――ちょっと、待ってくださる?」
 と。口調が鋭くなった俺の前に、ずかずかと歩み寄ってきた人がいた。コレットさんと一緒に降りてきた、太った女性だ。
「貴方まさか、コレットちゃんとポケモン勝負をするつもりじゃないでしょうね?」
「正確に言えば、コレットさんのサンダースが望んだからですね」
「あのね。私のコレットちゃんは、バトルなんて野蛮なことはしないのよ。なんて脅したのか知らないけど、やめてくださるかしら?」
「脅してませんよ」
「脅しでしょ」
「脅しじゃないですって。サンダースが望んだからだって言ったじゃないですか」
「それとあなたに何の関係があるわけ?」
「そのサンダースが野生だったころ、一緒に遊んでてバトルの約束を交わしたのが俺のイーブイなんですよ」
「関係ないわ。ポケモンはトレーナーに従うもの、違う?」
「それとこれとは話が別です」
「同じよ」
 まくしたてるように続ける女性に、俺も怒りに任せてどんどん仕掛けていく。
「俺は、自分のポケモンの友達が交わした約束を守りたくて、このサンダースのバトルしたいって願いを叶えたくて――」
「余計なお世話って言ってんのよ。何、一緒に遊んでて、バトルの約束を交わしたから? その約束を守ってやりたい? 馬鹿馬鹿しいにも程があるわ」
「なんですって? 貴方だって約束の重要性は分かっているでしょう。人であれポケモンであれ――」
「重要だったら守れってこと? 違うでしょ? いくら重要でも、方針と反することっていうのはあるのよ」
「じゃあ方針に反するからって、あんたは子供に約束を反故にしても構わないって教えるつもりですか?」
「子供のわがままね。じゃあ私が『構わない』って答えたらどうするの? 自分の主観を、さも絶対的なものとして他人へ強制するのは、子供のやり口よ」
「なんだと……!」
「まあ、貴方がコレットとサンダースを悪く思っていないのは分かったわ。それに、約束に対してさぞ高潔な考えをお持ちなんでしょうね。でも、それをは善意とは言わないの。赤の他人にプライベートを引っ掻き回されるのは、誰だって良い気はしないでしょう? あなたのやっていることは、ただの自己満足――」
 そこで一つ、言葉を切り。
「――余計なお世話というのよ」
「…………!!」
 ぎりっ、と。歯を食いしばった音が、嫌に耳に入り込んだ。
「よく言うぜ。さっきから微妙に話題ちまちまずらしやがってよ」
「は? なに?」
「実際はあんたが昔バトルに負けて悲しかったから、バトルをさせたくないだけだろ? この、ポケモンバトルが一般的な文化にもなっている世の中で、あんたは怖いだけなんだろうが」
「子供には分からないわよ」
「おいコレットさんよ、いいのかよ! あんたはサンダースの願いを汲んで、バトルするって言ったじゃねえか! そうやってあんたは、サンダースを悲しませるつもりかよ!」
「……それは」
「うるさいわね。自分のやりたいことをポケモンに転嫁して、ホント無様」
「あんたは黙ってろ!」
「黙らないわ。子供のやることを正しくするのは親の義務だもの」
「だったらサンダースとグレイシアとで、俺たちトレーナーは無視して自由にバトルさせりゃあいいだろうが、子供にバトルが禁止でも、勝手にやらせれば――」
「……気持ちの悪い思考。コレット、ハンド、行くわよ」
「あ、ママ……」
「は、かしこまりました。さ、コレットお嬢様……」
 発言に見切りをつけたのか、太った女性は向きを変えてトラックの方へと歩いていく。それに対して、コレットは何かを言いたそうにするが、後ろで承諾の返事をしたのは、スーツにサングラスの男だった。移動するよう、コレットを促す。
「でも、ママ……」
「行くわよ! コレット、引っ越したら、付き合う相手は選びなさい! バトルなんかを好まない、平和な人とね! こんな野蛮な人と付き合うと、ロクなことにならないわよ!!」
 ずかずかと歩いて、おばさんはトラックの方へと向かっていった。スーツにサングラスの男は、こちらを向くと、軽く頭を下げてくる。
「すまないね。奥様は、バトルを毛嫌いしているんだ。お嬢様のサンダースがバトルを望んでいるのも知っているが……」
「そこまで合わないなら、バトルを認めるかサンダースを逃がしてやるかすればいいじゃないですか」
「そうもいかないんだ。子供には分からないだろうがな」
「おい、コレット……」
「――行くわよ!!」
 呼びかけた俺だったが、それに対して、遠くからおばさんの怒鳴り声が聞こえてきた。
「ご、ごめん、本当にごめんっ!!」
 それだけを言い残し――コレットは逃げるように、トラックへと駆け込んでいってしまった。


「…………」
 トラックが走り去った後、俺はぎりぎりと拳を握りしめていた。
「……クレア」
「っぱー?」
「俺、間違ってたか?」
「ぱあぁ」
 違う、と、クレアは首を振った。クレアの方も、自分の友達がああいった扱いを受けていることに、腹を立てているらしい。
 正直、相手方の気持ちも分かる。相手には相手の考えがあるし、コレットが迷っていたのも仕方がない。だけど、サンダース自身が望んでいたから、そしてコレットも、最終的にはサンダースのことを考えていたから、バトルの約束を交わしたのだ。だというのに、あの母親は、こっちの話を聞こうともしなかった上に、全部有難迷惑だ子供の考えだとぶっ潰してきやがった。
「クレア」
「っぱー?」
「正直、こっちの話もコレットの話も何も聞かずに、子供だって、有難迷惑だってぶっ潰されたの、気に入らねえ」
「……っぱあ」
「それにな。俺はお前の友達が、大人のエゴで約束を反故にされるのを黙って見ちゃあいられないんだ」
「……レイ」
 ぐるり、と。俺は大きく公園を見渡す。と、目線の先には――
「さすが。神様はどっちの味方でもねーってことか」
 ――放置されている、自転車があった。
「クレア。お前は、あのサンダースとバトルしたいか? あのサンダースとの約束を、ちゃんと果たしてやりたいか?」
「っぱあ」
「少なくとも……クレアの友達のサンダースと、そのトレーナーに『勝手な大人のエゴで、約束を直前でドタキャンしてもいい』なんて教え込んでしまっていいか?」
「っぱあ! ぱあ!」
 叫んだクレアは、ぶんぶんと大きく首を振る。俺の足元まで駆け寄ると、両方の前足で俺の足を掴みながら、レイレイぱあぱあ訴える。
 ――へっ、さすがじゃねーか。
「んじゃあ……いっちょ『約束は果たすことが大切だ』って、親失格のクソバハアに代わって、お前のサンダースのご主人サマに教え込みに行きますか」
「っぱあっ!」
 放置自転車に歩み寄り、ぐいぐいとタイヤを押してみる。幸運なことに、最低限の空気は入っていた。
 ――すまんな。できる限り返す努力はする。
「大体俺は、あいつの答えを、まだ聞いてねえ。あいつは俺と戦ってくれるって、サンダースの想いを汲み取ってくれたんだ。サンダースだって、戦う約束を楽しみにしてたんだ。コレットだって、自分で一度サンダースの想いを汲み取る発言をしたからには、果たす義務があんだろうが」
 そんな俺らの約束は、一言たりとも聞いてはもらえず、子供の妄言だとこき下ろされた。
 話を聞いてもらえるどころか、子供の言い様だと、野蛮だと、さんざんにコケにされて斬り捨てられた。
 自分の子供に約束をドタキャンさせておいて、眉の一本も動かさずに、俺らが悪いとほざかれた上、俺のクレアの友達が望んでいたことを目の前で取り上げられて……こっちだって、黙っているわけには行かなかった。
「行くぞ――クレア!!」
「っぱあ!!」
 背中に飛び乗ってきたクレアを受け止めると、俺は自転車のペダルを思い切り踏み込んだ。思いっきり窃盗チャリをやらかしたが、ジュンサーさんに見つからんことを祈るばかりだ。横断歩道を突っ走り、見込みを付けた高速道路のインターチェンジに向かう道路へ……踏み込む俺の背中から、独特の重低音が響いてくる。
 振り返ると、いた。コレットとオバハンを乗せたトラックが、後ろから凄まじい勢いで迫ってくる。自転車の小さいボディと小回りを生かした先回りは、ギリギリのところで成功か。
 それにしても、想定はしていたがかなり速い。俺の自転車の速度を時速十五キロとすると――三倍弱、四十キロ程度か。
 ……いけない距離と速度じゃない。振り向いた俺と、トラックの運転手の目が合った。
「止まれえ、コレット、サンダースー! 俺の、俺のクレアと、勝負しろーーーーーっ!!」
「――――っ!!」
 トラックの助手席から、コレットとサンダースが身を乗り出す。後ろを向いた俺は一旦視線を前に戻し、歩行者がいないかをささっと確認。もう一回振り返った俺だったが、その時にはもう、トラックは俺と横並びの位置にまで追いついていた。横を向いた俺の横で、ヒステリックな声が漏れ聞こえる。
「いけません! ハンド、追い抜きなさい!!」
「チ――!」
 微かに聞こえた怒鳴り声は、あのオバハンのものか。しかし、そのオバハンの声とは逆に、目の前の信号は赤になる。停車したトラックの中で、コレットと会話を交わしていたようだったが……コレットは、何かを振り払うように、顔を伏せてしまう。その腕から、サンダースが物言いたげにコレットと俺たちを交互に見た。
「コレット、聞こえてんだろーっ! 最後の最後で、サンダースを裏切ってんじゃねえぇーーーー!!」
 ――目の前の信号が、青になった。運転手のハンドは、俺に向かって頭を下げると、視線を前へと戻してしまう。そのまま、トラックは音を立てて発進していく。俺だって全力でペダルを踏み込みはするものの、相手がトラックではかなわなかった。無情にも、トラックはインターチェンジへ向かう道路に入っていき……
「っ、てめえらだけで完結してんじゃねえ! クレア、左下に向かって、思いっきり、ふぶき!!」
 叫ぶと同時、自転車を左に跳ねのけて、体を思いっきり右斜め前へと振り抜いた。運転手を失った自転車が左の塀に激突すると同時、宙に浮いた俺の体を、反作用の法則とグレイシアの吹雪が斜め上へと吹き上げる。
「ぐっ!?」
「っぱあ!?」
 さすがに、こんな経験はない。バランスを崩し、クレアの体が俺から落ちる。一秒の後に、ふぶきという推進力を失った俺の体も、放物線を描いて落下。しかし、落ちるまでに稼いだ距離で十分だった。鈍い音と共に、俺たちの体がトラックの荷台の上へと落とされる。打ち付けられた体が悲鳴を上げ、トラックの走る勢いで振り落とされそうになるが、大急ぎで荷台の縁を掴み、なんとかトラックにしがみつく。クレアは――無事だ。
「クレア、大丈夫か?」
「っぱあ!」
クレアも俺と同じように、何とかトラックにしがみついている。両の前足はしっかりとトラックの縁を掴んでおり、その姿にクレアも必死なんだということが伝わってきた。
「済まねえな、クレア。こんな無茶までさせちまってよ」
「レイ、レイ」
 クレアは、ふるふると首を振る。凄まじい風に目を細めながらも、小さく笑ってくれる姿に、俺は本当にいいポケモンを持ったもんだとしみじみ思う。
「よし……ぜってぇ、コレットとサンダースを引きずり下ろすぞ! とことん、付き合い抜いてやろうぜ!!」
「っぱあぁぁーーーーー!!」
 やり取りの間に、車は坂道を上っていく。自動料金ゲートを通り抜け、大きくカーブを描く坂道を上がっていく。高速道路か――登り切ると同時、エンジンの加速音が腹の下から大きく響き、振動と共に体に吹き付ける風の勢いが強くなる。ぐんぐん速度が上がっていくトラックに全力でしがみつき、超強烈な向かい風の勢いに持っていかれそうになる体を全力で荷台にへばりつける。
「うおああぁぁぁーーーーーーーーーーーっ!!」
「っぱああぁぁぁーーーーーーーーーーーっ!!」
 咆哮。
「聞けえ、コレットーッ! お前は自分のサンダースに、約束を反故にしても仕方ないって教えるつもりかぁーーー! お前の約束だろうが、トレーナーとしてきっちり果たしやがれーっ!!」


「…………!!」
 上から降ってきた声に、私は思わず身を縮めた。
 なぜ? どうして?
 トラックを自転車で追いかけてくるなんて、この人は何を考えているんだろうと思ったけど。
 高速道路に乗ってしまえば、今度こそ終わりにできるはずだった。
 ノーエイタウンは車で三時間はかかる場所だし、さすがにそこまで追いかけては来れないだろうし、細かい住所までは言ってない。
 だから、これで終わりにできるはずだと思ったけど……
「ダー、ダーッ」
「駄目だよ、駄目だよ、サンダース……!」
 ――どうして?
 どうして、そこまでして、私たちを追ってくるの……?
 自分のため?
 約束のため?
 それとも、サンダースと、グレイシアのため?
 トラックに自転車で追いつけるわけ、普通は、ないのに。
 どうして、貴方たちは、そこまでして……

【Ⅲ】 

「く……っそー、結構、やばいかもな……っ……!!」
 トラックに自転車で追いついたのはいいものの、高速道路を突っ走るトラックの荷台の上にしがみついているという、とてつもなく不安定な状況の中で、俺たちは吹き荒れる風に全身を殴られ続けていた。これが例えば土方工事用のトラックのような、荷台の部分にフレームがついており、安定しているタイプのものなら座ることさえできそうなだが、生憎と今回載っているのは後ろがコンテナ状になった、引っ越し用の荷物を積んだ巨大トラック。タンクローリーとかじゃないだけまだマシだが、気を抜いたら腕が離れ、後ろに吹っ飛ばされていくのは確定だろうし、そこに後続の車でも来ようものなら死が見える。
 隣のクレアも、歯を食いしばって自分の体を支えている。バトルの体力も考慮しなくちゃいけないから、場合によってはモンスターボールに戻さなければいけないだろう。しかし、この状態で、たとえ片手でも離そうものなら、トラックの上にへばりついていられる自信はさすがになかった。
「クレア、大丈夫か!?」
「っ、ぱあぁ!」
 問いかけた俺に、クレアはまだ、渾身の声で返事をくれる。まだ返事ができるのなら、ギリギリなんとかなるだろう。目を細めて、俺は声を張り上げる。
「クレア、しっかり捕まってろよ! 風どんどん強くなるから、全力でしがみついていねえと振り落とされるぞ!!」
 走る車の空気抵抗は、一秒間の走行速度の二乗に比例して大きくなる。走行速度が上がれば上がるほど、二次関数的に打ち付ける力は強くなるのだ。トラックはその巨大さゆえにあまり激しい速度は出さないはずだが、それでも八十キロ程度は出してくる。さっきの一般道が四十キロと仮定すると、ここで出ているのはその二倍。空気抵抗と風の強さは四倍である。これではまるでジェットコースターだ。もちろん、安全バーなんてそんなもんはついていない。ほぼ直線か、緩やかなカーブなのは幸いである。これが本物のジェットコースターみたいに一回転機能やら急降下機能やらでもついていたら確実に落下してあの世行きだ。
 ちっくしょう、ここまでやったんだったら――
「――絶対降りてきてもらうぞ、約束果たしやがれ、臆病者ーーーーーーーっ!!」


 どうして。
 どうして、そんなについてくるの?
 上から降ってきた怒鳴り声に、私は思わず身をすくめた。“約束したんだろ”“サンダースを裏切るつもりか”“臆病者”……ぶつけられた言葉の数々が、私の心を打ち付ける。
 震えるだけで、瞳を閉じたままじゃ、前に進むことなんて、もう難しいと分かってて。なのに。なのに――
「今は、君の真っ直ぐな想いは、眩しすぎるんだよぉっ……!」
「ダー……?」
 サンダースをぎゅっと抱きしめて、私は目をきつく閉じて下を向く。その横で穏やかに声をかけたのは、私を幼いころから支えてくれた、使用人のハンドだった。
「コレットお嬢様。いいのですか?」
「私は……私は……っ……!」
 私は、なんて言えばいいの? どうするのが、正解なの? すがるようにハンドさんを見た私の顔は、きっと情けないものだっただろう。だけど、その後ろで怒鳴ったのは、私のママだった。
「くぅっ、なんてしつこい男なの! ハンド! 振り落としなさい!!」
「…………」
 ハンドさんは、一度だけ、私の方に目線を向けて――
「――かしこまりました、奥様」


 高速道路の橋の下にある、金属製の小さなくぼみを通るたび、俺たちの体に振動が来る。一発一発は大したことはないけれど、精神的に結構怖い。しかもこのトラック、追い越し車線に入ったり走行車線に入ったり、角度を変えやがるのが鬱陶しい。
「くーっ!」
 ぶおーん、というエンジン音を立て、トラックの速度が上がっていく。目を細めて先を見ると、次の瞬間、トラックの速度が一気に落ちた。ブレーキでもかけられたのか、危うく前方に投げ出されそうになったところをすんでのところで踏みとどまる。
 高速道路だからか、急カーブや急ブレーキがないことだけはありがたい。ほっとしたのもつかの間で、今度は前方の道路に細長い物体が落ちていた。消防車のホースか? 疑問を抱いた次の瞬間、顔がこわばるのが自分でも分かった。このトラック、避けることなく突っ込むつもりだ。おそらく、俺たちを振り落とすために。
「クレア、歯ぁ食い縛れぇっ!」
「っあぁーっ!」
 クレアに指示を出すと同時、俺も全力でトラックにしがみつく力を強くする。次の瞬間、トラックが跳ねた。がくんと落ちる衝撃と同時、突き上げられた俺たちの体が宙に浮く。一瞬の浮遊感の後に、前から迫りくる暴風が、生物が出せる速度の限界を超えてしまった人とグレイシアを撃ち落とそうと叩きつける。
 さすがに、今のは危なかった。肝が冷えると同時、トラックを掴んでいる手が汗でぬめっているのに気づく。そりゃそうだ。こんな無茶をかけ続けているのだ、肉球があるグレイシアだってきついだろうに、細かい手先の器用さを追求して進化してきた俺たちヒトに、滑り止めなんてついてはいない。掴んでいる手がずるりと滑り、張り続けている腕も少しずつ限界を訴え始める。
「くっ……そーっ!!」
 また、トラックの速度が上がっていく。このままじゃ、コレットとサンダースを引き下ろす前に、俺の腕が離れてしまう。なんとか、なんとか腕をトラックに固定できないか。そうなったら、翌日の筋肉痛ぐらいで済むはずだが……
 ……待てよ。最後のとはいえ、手段はある。
「クレア、れいとうビームだ! 俺の両腕ごと、トラックの荷台を凍らせてくれ!!」
「っぱあ!?」
 これをやっても、腕が固定されてくれるとは限らない。とはいえ、それ以外の方法を考えている時間はない……!
「早くしてくれぇーっ! そろそろ、限界だーっ!」
「っ、レイ、アーッ!!」
 何かを感じ取ったのか、グレイシアは俺の両手めがけて、れいとうビームをぶっ放した。直撃を受けた右腕に一瞬凄まじい激痛が走り、一刹那の後に、俺の腕が肘近くまで凍らされる。張った氷はしっかりとトラックの荷台にくっついており、これならそう簡単にははがれないだろう。続けてクレアは、左腕にもれいとうビームを発射する。トラックの荷台ごと両腕が凍り、荷台を掴んでいた両手も、掴んだまま凍らされていた。
「サンキュー、クレア!」
 痛みと冷たさで鼻水が出そうになるのを全力で抑えつつ、俺はクレアにお礼を言う。と、クレアは自分の両腕にふぶきを放ち、俺と同じように腕とトラックを凍らせた。
「クレア……」
「っぱあ」
 呟いた俺に、クレアは笑顔で答えてくれる。いくら肉球があるとはいえ、クレアも走り続けるトラックに生身でしがみついているのは堪えたのだろうか。だけど、クレアが腕を凍らせたのは、何か、それだけじゃない気がするのは、俺の考えすぎなのだろうか。
「……ありがとな、クレア」
「っぱあ」
 かたかたと震えている体は、さっきのれいとうビームと折からの風で奪われた体温のせいだろう。だけど、まだまだ俺は食らいつける。コレットとサンダースを引きずり下ろすか、俺の二の腕が引きちぎれるか、弾き飛ばされ打ち砕かれるか、そうしなければ終わらねえ!
 ……とかなんとかカッコつけてはみたけれど、寒いもんは寒い。ってゆーか、なんでれいとうビームを二発も自分に打ち込んでるんだ、俺もふぶきにすればよかった。若干そう思ったが時やすでに遅く、とりあえず俺の両腕に大穴が開かなかっただけめっけもんか。しかも、自分かられいとうビーム撃たせているとか、アホか俺は。
だが、アホだろうとなんだろうと、自分のポケモンとその友達で交わさせた約束を果たさなければ、俺はクレアのトレーナーだって、胸を張って語れない。別の人が見れば、思いやりがないって言うかもしれない。約束を果たせないこともあるのに、相手の立場に立ってやれないって、思いやりがないって言うかもしれない。でも、俺から言わせりゃ、約束は相手との契約行為だ。自分だけじゃなく、相手の時間をある程度縛る“約束”は、それを履行することこそ、相手に対する思いやりだと考えている。そりゃもちろん、毎回毎回約束を完全に果たせるなんて、そんな保証はどこにもない。いつでもいつもうまくいくなんて、そんな保証はどこにもない。けど、時間を遅らせるとか全部は無理だけどある程度プランを削るとか、あるいはその日は守れないけど後日必ず埋め合わせをするとか、どんな手段であったとしても、交わした約束を少しでも守ろうとすることこそが、相手に対する思いやりだと、俺は固く信じている。それが誠意ってものだろう。
 だから。
 だから――
「――わりぃな、ババア。俺はお前の話なんざ、分からねえし分かりたくもねえんだよ……!」
 何が正しいか、その答えは知らない。
 だけど、俺は俺の答えのために、一歩たりとも引きたくない。
 大きく、息を吸い込んで。顔も性根もブサイクなババアと、クレアの友達を自分のポケモンとしたがゆえに、絶対に腐らせたくない少女めがけて、想いよ届けと、生き様を賭けて怒鳴りつける。
「舐めんじゃねえぞ、クソババアーッ! 約束の重みってもんを、ちったあ理解しろってんだよーーーーーーっ!!」


 怒鳴り声が、降ってくる。
 真っ直ぐな想いを乗せた、不器用な生き様を乗せた咆哮が、トラックの上から降ってくる。
 さっき、れいとうビームって声が聞こえた。その後、上から冷気が降ってきた。かすかに聞こえた声からすると、セツさんは自分の腕を凍らせて、トラックの荷台ごと凍り固めてしまったのだろう。
 きっと私は、さっきからずっと、人に見せられない顔をしているだろう。怯えるように、汚れた素顔を隠し続けて。
「お嬢様」
 そこへ、優しい声で、たった一言、名前を呼んだのは。幼いころから、私の家に仕えてくれた、運転手のハンドさんだった。
「……コレットお嬢様」
「私は……私は……っ……!」
 揺れる心が、痛む。信頼と裏切りの中、それでも約束を果たさせようと咆える声が、上から降ってくる。横からの優しい声と、上からの荒々しい声と……下を向いた私の目と、見上げてきたサンダースの目が、合った。
「ダー」
「サンダース……」
「いけません!」
 何かを訴えるサンダースの目に、答えは決まった。一瞬遅れて、後ろからママが叫んでくる。
「コレット、変なことを考えちゃいけません! ハンド、何を考えてるの、さっさと振り落とし――」
「――ハンド、車を停めて!!」
「――――っ!?」
 息を呑む、って、こういうことを言うんだろうな、と、この前勉強したばかりのことを、なんとなく頭に思い浮かべる。ママの言葉が止まった瞬間、私はハンドにお願いする。
「やっぱり駄目だ、これ以上、サンダースを裏切るなんてできない! 停めて、ハンド、私は昨日、セツさんのグレイシアとバトルする約束を交わしたんだ!」
「お嬢様……」
「いけません! 貴方まで、何バトルなんて野蛮なことを考えているの!? あれはポケモンを傷つけるだけの、最低の行為でしょう!?」
「そうかもしれないよ! でも、私がこの子を捕まえる前に、この子は上のセツさんのグレイシアと、バトルする約束をしてたんだ! 私はこの子のトレーナーとして、この子を応援しなくちゃならないんだ!」
「いけません! ハンド、早く――」
「――そこまでだと思いますよ、奥様」
「なんですって!?」
 ゆっくり言葉を選ぶように、ハンドさんはママに伝えていく。
「バトルはポケモンを傷つけるだけと仰っておりますが、今のままでは、きっとコレットお嬢様もサンダースも、バトルをしないほうが傷つけると思いますよ」
「それはこの子がまだ子供だからよ!」
「では、大人であれば、バトルをしないほうが正しいことに気付くと? 失礼ですが、私の友人でも、ポケモンバトルをして楽しんでいる方は、大勢いらっしゃいますよ。もちろん、ポケモンとの同意の上で、ですがね」
 トラックのスピードメーターを見て、ハンドさんは続ける。
「今、このトラックは時速100キロ近くを出している。上にしがみついている、あのセツという命知らずの子供は、自分のポケモンと、そのポケモンの友達――つまり、コレットお嬢様のサンダースのために、命を懸けています。確かに我々は、上の子供を振り落としても、何の問題もありません」
「じゃあ振り落としなさい! うちのコレットちゃんとバトルなんてさせて傷つけるなんて、親として認められません!!」
「いいのですか? 今はお嬢様もサンダースも、上のセツさんとグレイシアと、ポケモンバトルをしたがっている。これを振り落としたら、それこそコレットお嬢様もサンダースも傷つけることになりますよ」
「構わないわ! 今は傷ついたとしても、大人になればバトルをしなかったほうが正しかったと気づくはず!!」
「奥様。バトルは必ずしも、ポケモンや人を傷つけるばかりではございません。私の友人も、あのセツという少年も、彼に従うグレイシアも。そして、コレットお嬢様もサンダースも――」
「黙りなさい! 私は、私は――」
「――黙りません! 奥様が先ほど言われたのでしょう!!」

「自分の主観を、さも絶対的なものとして他人へ強制するのは、子供のやり口だと!!」
「…………!!」

 トラックの速度が、少しだけ落ちる。ハンドさんは小さく微笑を漏らして、失礼いたしました、と謝罪した。

「奥様、奥様も分かっておられるのでしょう? でなければ、友達を欲しがったお嬢様に対して、イーブイを捕まえるはずもなく、ましてやサンダースへ進化させるはずも、なかったではないですか」
「それとこれとは、話が……!」
「……奥様」

 静かだが、大人の男性というものを感じさせる、響く声で。ハンドさんは先ほど、私にそうしたように、一言だけ、ママを呼ぶ。

「奥様」
「……ハンド!」
「はい。如何なさいました、奥様」
「こんな不愉快な会話を続けて、気分が悪いわ。私は一時間ほど寝ます。その間に、どんな手段を使ってもいいから、上のセツとかいう気持ち悪い子供を振り落としなさい」
「……かしこまりました」
「あと、私が起きた時に、コレットちゃんの気分が悪くなっていたら許さないわよ。車酔いやお腹を空かせたりなんてのもしないように、しっかり配慮してあげなさい。いいわね」
「……はい。承知いたしました」
 え、それって――
 後部座席を振り向いた私とサンダースに目も合わせず、ママは腕を組んで横を向いて寝てしまう。しばらく、ママを見つめていた私たちの耳を打ったのは、少しだけ明るくなった、ハンドさんの声だった。
「お嬢様。先ほどのお嬢様の言いつけ通り、次のパーキングエリアで車を停めます。そこで、お嬢様についてきてくれるサンダースに失礼のないよう、コレットお嬢様の信じる通りの行動をしてください」
「ハンドさん……」
「ダー」
 走っていたトラックの速度が落ち、ハンドさんは車を左に寄せる。パーキングエリアまで、二キロ、一キロ――ウィンカーを出してパーキングエリアの坂道に入っていくのに合わせ、私たちの心臓は高鳴っていく。
「ハンドさん、ありがとう」
「ダー!」
「礼には及びませんよ。お嬢様が最初、堂々と奥様にご自分の意見を述べたからこそ、私も少々、出過ぎた言動をしたまでです。それに、最後にご許可を出されたのは、奥様ですから。お礼なら奥様に言ってください」
「……うん。ママ、ありがとう」
「ダー!」
「…………」
 ママは、横を向いたまま、答えなかった。
 私も将来、ハンドさんみたいな男の人と結婚したいな。全く関係のないことを思った私の前で、車がゆっくりと停車する。はやる心を押さえながら、トラックを降りて、上を向くと――いた。トラックの荷台の上を両腕ごと凍らせて、へばりついていたセツさんと、同じように両腕を凍らせてへばりついているクレアさん。もちろん目線は、私たちの方を向いている。
 ハンドさんもセツさんも、本当にすごいな……ハンドさんだって、雇い主のママに逆らうなんて、そう簡単にできることじゃない。セツさんだって、死にかけるほどの真似をしてここまでするのに、どれほどの覚悟が必要だろう。
 だから、私は。ありったけの想いを込めて、上でへばりついている人に、声をかける。
「……お待たせ、セツさん。ここまで来てくれて、本当にありがとう」
「待たせすぎだ、バカ野郎。さすがに、死ぬかと思ったぜ」
 締まりのない笑顔を浮かべたまま、セツさんは軽口を投げてきた。

【Ⅳ】 


 トラックの速度が、下がる。左の方へと、寄っていく。この状況でまた速度を上げられたり、さっきみたいにホースか何かに乗り上げてがくんとやられたりしたら、今度こそやばいかもしれない。アタマに来てクレアと一緒にトラックに飛びついたのはいいものの、腕は完全に限界だった。ただでさえ限界を迎えたところを、さらに無理矢理腕ごと凍らせてついてきたんだ、とっくに感覚なんてなくなっていた。
 とはいえ、そこまでやった甲斐はあったらしい。トラックはさらに左へ寄って、パーキングエリアへと登っていく。やれやれ、あの腐れオバサン、やっとバトルする許可を出したか。これで駄目なら、諦めよう。
 開いている場所見つけて、トラックがゆっくりと停車する。助手席のドアを開けて降りてきたのは、数時間前にはフ抜けた表情をしていたコレットだった。
「……お待たせ、セツさん。ここまで来てくれて、本当にありがとう」
「待たせすぎだ、バカ野郎。さすがに、死ぬかと思ったぜ」
 割とマジで。いや、死ねるよ。普通に死ねるよ。トラックに飛び乗ったっつーか飛びついたとき、ここまでなるなんて思ってねーし、なんの覚悟もしてなかった。だけどそのくせ、コレットを引きずり下ろすのを諦めるのも嫌なわけで。まあ要するに、単なるアホだ。
「で、ここまでしたからには、いーかげんバトルしてくれる気になったんだろうな」
「うん。ごめんね、本当に」
「いや、バトルしてくれるんだったら、その程度のことは別にいーよ。あと、できればこの氷、何とかしてくれ。ちべたい」
 俺、鼻水でてねーだろーな。ほっとした瞬間、すんげえ冷たいのと寒いので、鼻がやばくなってるんだが。そんなカッコ悪い俺たちの姿を見て、コレットがクスッと笑みを漏らす。おいこら待ちやがれ、誰のせいでこうなったと思ってるんだ。いや、半分俺か。コレットは笑いながら、隣のサンダースに指示を下す。
「サンダース、あの二人の氷に、ミサイルばり」
「ダダダダダーッ」
 体中の体毛をそれこそ針のように尖らせて、針というにはあまりにも長くて太い物体がいくつも飛んでくる。ガリガリと音を立てて俺たちの氷が掘削され、三~四発当たったら大分脆くなってきた。
「ふんっ!」
 力を振り絞って氷を砕くと、横のクレアも砕き終わって「おすわり」の態勢で俺を見ている。くそう、異種族とはいえ女の子に先を越されて、まさに涼しい顔で見られているとなんかムカつく。そりゃ、こおりタイプなんだから俺より簡単に氷を砕けるのは仕方ないかもしれないけどさあ。
 おっかなびっくりトラックから降りると、両腕をさすりながらコレットに伝える。
「よーし、そしたら……」
「うん。私と、バトルしようよ」
「おう……と言いたいが、五分待ってくれ」
 コレットやサンダースはともかく、俺とクレアはトラックの上で大分風に打たれてきたんだ。物理的に殴られ蹴られのダメージは受けていないにせよ、それなりに体力を消耗している。リュックを探すと……お、あったあった。スプレー式の傷薬は役には立たないだろうが、ポケモンも大好きな、シュワッとはじけるサイコソーダ。おあつらえ向きに、二本ある。人間が飲んでもめちゃ美味しいし、人間にもポケモンにも、心を落ち着かせる効果もある。一本三百円と普通のジュースに比べたらかなり高いが、それでも同等の効果を持つ傷薬よりは若干安い。売り場が限定されているのと、売っているのは自動販売機がメインなので、まとめ買いがしにくいのが玉に瑕だ。とはいえ傷薬の類ではないから、こういう時には役に立つ。吹き出さないようにそーっとプルタブを開けて、まずは「ほい」とクレアに一本。おいしそうに飲んでいくクレアの前で、俺はもう一本のサイコソーダを、今度はコレットに差し出した。
「ほれ」
「え?」
「サンダースに飲ませてあげなよ。コレットさん、最後はサンダースとバトルさせたがってあげてたろ。コレットさんもサンダースも、トラックに乗ってから降りてくるまで、いろいろ心労とかあったんじゃねーのか。これ飲んで落ち着かせて、最高の状態でバトルしようぜ」
「あ……うん! ありがとう!」
「で、俺はちょっとトイレ」
 いや、寒かったよ、普通に。おかげさまで、トイレ行きたい。ついでに、いつもは冷たいものが好きだが、今回はあったかいコーヒーを飲みたい。トイレに行って用を足し、缶コーヒー「ダイヤマウンテンブレンド」の温かいのを買って、ちびちびと飲みながら帰っていく。あー、生き返る。
「おりょ」
 戻ってみると、クレアとサンダースが仲良くサイコソーダを飲んでいた。随分ゆっくり飲んでるな。ま、いっか。
 二匹がサイコソーダを飲み終わるまで、ベンチに座ってのんびり待つ。腕をほぐしながら、コーヒーで温まりながら待つこと二分、クレアとサンダースは、それぞれソーダを飲み終わったようだ。
「っぱあ」
「ダー」
 って、捨てるのも俺かい。まあ、いいけどさ。
「さて……それじゃあ、始めますか」
 ゴミ入れに空き缶二本を捨てて、俺はコレットに声をかける。コレットは大きく頷くと、サンダースをボールに戻してしまった。
「……何やってんの?」
「ううん、バトルを始めた時にボールを投げて、『ゆけっ、サンダース!』ってやってみたかったの」
「……あっ、そ」
 まあ、バトルしたことがないっていうなら、別にそれでも構わんが。トイレから帰ってくる途中に見つけた、小さなスタジアムみたいな場所に、コレットとサンダースを案内する。高速道路のパーキングエリアには、どこでもバトルができるように、基本的にはこういった場所が用意されているのだ。もう夜でバトルする人はあまりいないけれど、照明を入れると、やはり五、六人の観客がちらほらやってくる。立っている場所上、俺が青コーナー、コレットが赤コーナーに立った。


「じゃあ、セツさん。行くよ!」
 笑みを漏らすと、一つ一つの動作をかみしめるように。コレットはモンスターボールを放り投げた。
「ゆけっ! サンダース!!」
 ぱぁん、という小気味良い音と共に、サンダースがボールから飛び出してくる。元気よくスタジアムの地面に降り立つと、ぴりぴりと周囲に電気を走らせた。
「よっしゃあ! さあ、やろうぜ、クレア!」
「っぱあ!」
 バトル直前のわくわく感を覚えながら、俺はクレアに指示を出す。クレアも元気よく返事をすると、スタジアムへと飛び出していった。低く構えたクレアの周囲に、冷気が走る。それを見たサンダースが、力強く鳴いた。サンダースの声に触発されるように、コレットは最初の指示を下す。
「サンダース、でんきショック!」
「クレア、れいとうビーム!」
 サンダースの口から一本の電気が走り、対するクレアは、束ねた冷気を一直線に打ち出して迎え撃つ。元々の能力の差に加え、打ち出した技の威力が違う。れいとうビームはでんきショックを打ち破り、サンダースの首筋に直撃した。
「でんこうせっか!」
「ふぶき!」
 正面からの打ち合いでは不利と察したか、コレットはサンダースにでんこうせっかの指示を下す。威力こそ弱いが、そのスピードは並のポケモンの素早さの差を跳ね返す。対する俺は広範囲を攻撃できるふぶきを撃たせるが、サンダースは右に左に吹雪をかわし、猛スピードで突っ込んできた。勢いの乗ったタックルを入れられ、クレアの体がサンダースごと吹っ飛んでいく。
「サンダース、グレイシアを真上に投げて!」
「ダーッ!」
「――――ッ!」
 なんの指示を出すべきか、一瞬迷った俺の隙を見事について、サンダースはクレアを空中へと吹っ飛ばす。ポケモンバトルは、単なる技の打ち合いではない。目まぐるしく変わる戦況をいかに利用し、自分の得意とする状況を作り出すか。あるいは、逆境を跳ね返すか。そういった、高度な読み合いも要求される。鍛えれば、コレットのバトルセンスはなかなかいいところに行くだろう。空中に打ち上げられ、自在に動けなくなったクレアめがけて、コレットは勢い込んで指示を下す。
「いっけぇ、サンダース! もう一発、でんきショック!」
「――へっ、甘いな。“ミラーコート”」
「えっ!?」
 空中から鋭い眼光を向け、クレアはサンダースのでんきショックを受け止める。歯を食いしばる彼女の姿は、さすがにちょっとだけ可哀想だが……
「っ、ぱあぁーっ!」
「ダアァーッ!!」
 クレアが咆えると同時、サンダースのでんきショックがベクトルを変えて襲い掛かる。逃げることも防御することもかなわずに、サンダースの体に白色の雷撃が炸裂した。悲鳴を上げたサンダースめがけて、俺は続けざまの指示を下す。
「クレア、もう一発れいとうビーム!」
「でんこうせっかでかわすんだ!」
「ダーッ!」
 待ちに待ったバトルの楽しさが、痛みとダメージを打ち消すのか。手負いとは思えない速度で地を蹴ったサンダースは、斜め上へと跳躍する。スタジアムの端、壁の部分まで向かっていき――そこから、急激な軌道修正。
 足を伸ばし、その裏がスタジアムの壁についたのと同時に、サンダースは壁を蹴り上げる。真上へと、軽やかに跳躍。夜のスタジアムを照らすライトの部分にまで飛び上がると、そこから見事な前転を決めての宙返り。姿勢を瞬時に立て直し、スタジアムのライトを蹴り飛ばす。変則的な三角跳びだ。全身の体毛を尖らせて、超上空の高角度からクレアめがけて襲い掛かった。クレアはこの時、サンダースに吹っ飛ばされ、でんきショックを跳ね返したりれいとうビームをぶっ放したりした状態で浮いていた宙から、地面に着地を決めたところ。体勢を変えての反撃は無理だ。
「突っ込めえぇぇ!」
「クレア、走れ!」
 全力で前方に走ったクレアは、ある程度サンダースの着地予想地点から離れると、踵を返して低く構える。空中からの強襲に失敗したサンダースは、地面を踏みしめる反発力を生かして、クレアめがけて飛び込んだ。
「でんこうせっかぁ!」
「みずのはどうで迎え撃てぇ!」
「サンダース、飛んで上からミサイルばり!」
「思いっきり、ふぶき!」
 ますます勢いの増すサンダースに、クレアは水の波動で迎撃する。空中に飛んだサンダースは、上空から一気にミサイルばりを雨あられとぶつけるものの、こおりタイプ最強に近い特殊攻撃力を誇るグレイシアのふぶきが唸りを上げてミサイルばりを飲み込んで、返す刀でサンダースにも牙をむく。右の前足を凍らされたサンダースは、着地の際にずるりと右足を滑らせた。
「サンダース!」
「チャンスだ、クレア! みずのはどう!」
 体勢を崩したサンダースめがけて、追撃でみずのはどうを一発。サンダースは転がるように回避したが、先ほどまでの、それこそ稲光のような機動力は殺されていた。
 立ち上がったサンダースは、さすがに息を切らせている。それを見たコレットは、笑顔で俺に言葉をかけた。
「強いね、セツさん!」
「いやいや、コレットのサンダースも強いよ! あんだけクレアの技を食らって、立っていられるだけで大したもんだよ!」
 バトルが始まってから、れいとうビーム一発に、ミラーコートで自分のでんきショックを倍の威力で跳ね返され、さらにふぶきの余波まで食らっているのだ。むしろ、この状態で倒れていないのが不思議なくらいである。とはいえ、さすがにそろそろ厳しいのだろう。大きく肩で息を切らせ、眼だけはまだバトルを楽しもうと苛烈な眼光を放っているが、気迫だけではサンダースも限界だ。バトルの経験もそれなりに積んでるクレア相手に、よくやりあったというべきだろう。
 なんて言っては見るものの、こっちもこっちで、コレットに追いつくまでに大技のふぶきを二発使い、この戦いでも二発使った。撃てる吹雪は、後一発。れいとうビームやみずのはどうはまだ余裕を残しているが、後先考えずに思いっきり戦える時間は、そろそろ閉幕に近づいていた。クレアが再び構えると同時、コレットがサンダースに声を上げる。
「サンダース、まだ行ける!?」
「ダーッ!」
 戦いの意思、なお雄々しく。咆えたサンダースの体から、再び電撃が立ち上った。
 すげえ。いや、すげえよ。やりたくてやりたくて仕方のなかった友達との戦いって、ここまでやることができるんだよな。
「よし、私たちの最大パワーを、セツさんとグレイシアにぶつけよう!」
「ダーッ!」
「行くよ、サンダース!」

 でんきショック、ミサイルばり、でんこうせっか――彼が持つ技のいずれも、決定打を与えられるほどの威力ではなくて。
 積み重ねたダメージでの勝利を狙う戦法かと思いきや、最後にサンダースは、高威力を誇る大技を隠し持っていた。

「ほうでん!!」
「ダアアァァァーーーーーーーッ!!」

 体中の電撃を四方八方に打ち出し、周囲にいる者すべてを攻撃する、でんきタイプの必殺技。正直、クレアの体力なら、急所にでも当たらない限り、全力で耐えてミラーコートで跳ね返せば、確実に勝つこともできただろう。
 だが。
 どうせなら、ポケモンバトルらしく。正面からぶつかり合って、ねじ伏せる!
「こっちも最大パワーで行くぜ! クレア、思いっきり、れいとうビーム!」
「レイ、アアァァァーーーーーッ!!」
 爆裂する稲光に対し、鋭く絞った一本の冷線。広がり暴れ狂う力を、収束した力で貫き捩じ伏せる。ありとあらゆるものを凍らせて疾った冷撃の一閃が、サンダースの纏う放電の稲光に直撃し――
 ――炸裂。
 吹っ飛ばされたサンダースが壁に叩きつけられて、ずるずると地面に滑り落ちた。

 決着を、見た。


「お疲れ様! クレア、大丈夫か?」
 クレアを労いながら、スプレー式の「いいキズぐすり」でクレアに即席の手当てをする。攻撃の直撃を受けたところを中心に、丹念に吹きかけて手当てする。近くにポケモンセンターがあればそこに運び込むのだが、そうでない場合のトレーナーのお供だ。もっとも、俺はこれ以上誰かにバトルをふっかける気はないし、挑まれても他のポケモンでバトルするからいいのだが、そもそも手当をしなければクレアが痛いだろうし、折角戦ってくれたのに手当もなしじゃあ可哀想だ。
 だが、今回はクレアの他にも、もう一人ケアをしなければならない人物がいた。そう、親がかつて、バトルに負けて笑われたせいで、バトル禁止令を言い渡された女の子、コレット。最初のバトルの相手になった俺が、コレットに敬意をもって接さなければ、またコレットは母親と同じ思いをして、子供に同じようなことを強制してしまいかねない。なまじ、説得してバトルさせただけになおさらである。
「コレット、サンキュー。いい勝負だった」
「あ……うん。セツさん、ありがとう」
 握手をするために手を差し出すと、コレットはその手を握り返してくれる。クレアもサンダースの元へ歩み寄ると、一声元気に挨拶をした。激戦の後だが、二匹の顔に暗くよどんだ空気はなかった。二匹とも陰りのない笑みを浮かべ、何やら楽しそうに話している。
「キズぐすりとか、持ってるか? 俺、こればっかりは自分の分しかないから、サンダースのものまでやれないけど」
「うん、大丈夫だよ。持ってないけど、多分パーキングエリアに売ってるし」
「そうか。せっかくだし、付き合うよ」
 パーキングエリアのポケモン用品店に向かい、俺たちはいいキズぐすりを購入する。なかなか高いが、ポケモンを大事にするのは俺たちの義務だ。コレットもいくつか購入し、さっそくサンダースに使っていた。嬉しそうにするサンダースに、俺たちも自然と笑みが漏れる。
「お嬢様。終わりましたか」
「あ、ハンドさん」
 お店から外へ出ると、待っていたのは運転手のハンドさんだった。何と声掛けしていいか分からなくなった俺の前で、ハンドさんも綺麗な笑みを浮かべる。
「セツさんと言いましたね。この度は、コレットお嬢様とバトルをしてくださいまして、ありがとうございました」
「ええ。まあ、めちゃくちゃ余計なことをしたような気しかしてないですけど」
「とんでもない。お嬢様のサンダースと、セツさんのグレイシアの戦いは私も見ていましたが、本当に楽しそうでした。お嬢様も、バトルができて楽しかったのではないですか?」
「うん、とっても楽しかった!」
「そうですか」
 笑顔のまま頷いたハンドさんは、ところで、と俺の方に問いかけてくる。
「これから、どうなされるおつもりで?」
「どうなされるって……用は済んだから帰りますけど、そういや、こっからどうやって帰ればいいんだ?」
「御無茶をなさいますね。もっとも、私も昔は相当の無茶をしましたから、あまり他の方のことを言えないのですが、ね」
「え」
「セツさん、トラックの上にしがみついてでもついてきたあの叫び、失礼ながら、私も少し、心が躍ってしまいましたよ」
「…………」
 心が躍ったって……こっち、死にかけてたんですが。反応に困った俺たちの前で、ハンドさんは「では」とポケットから千円札を二枚取り出した。
「セツさん、これをお持ちください」
「これは?」
「このパーキングエリアの裏手から降りて、東に二十分ほど歩けば、リームイの駅に到着します。そこから電車を乗り継げば、コレットお嬢様と出会った、あの公園の駅まで戻れますよ」
「本当ですか!? ありがとうございます! でも、お金は結構ですよ。俺が勝手にやったことですし」
「いえいえ、単なる私の気持ちです。お嬢様を変えてくれて、私の心も躍らせてくれて、ありがとうございました」
「…………」
「交通費には、六百円もあれば十分でしょう。残りは折角ですし、そのグレイシアを上等なポケモンフーズで労りながら、こちらでご夕食でもお取りになってはいかがですか?」
「……ええ」
 やれやれ、この運転手さんには、こっちが迷惑をかけただけだってのに、気にかけてもらって申し訳ねえな。
 とはいえ、俺はともかく、クレアは労ってやりたいところだ。サイコソーダ二本と、いいキズぐすりも使っちまったし、そいつは補充したいところだ。
「では、お言葉に甘えまして。クレア、お前にも上等なポケモンフーズと、余ったらおやつも買ってやるからな」
「っぱあぁ!」
 元気に鳴いたクレアの前で、ハンドさんはコレットに声をかける。
「さ、お嬢様。そろそろ、約束の一時間が経ってしまいます。出発のお時間ですよ」
「え、あ――うん」
 大柄な運転手を、一度見上げて。コレットは、こちらに視線を返して。
「セツさん、クレアさん。本当にありがとう。サンダースもきっと、喜んでる」
「ダーッ!」
「はは、きっとじゃなくて、喜んでいるのは見れば分かるよ。コレット、サンダースを、大事にな」
「うん」
「レイ、レイ」
「ダーッ!」
 最後に、クレアとサンダースも、挨拶を交わして。
「それじゃあ、セツさん、クレアさん! ……ありがとう、さよなら!!」
「ダーッ!」
 今回のどたばた騒ぎを生んだ、お嬢様とサンダースは、お抱えの運転手と共に、自分の車に戻っていく。
 俺とクレアは、二人の後姿を見送り、その姿が見えなくなると、駐車場全体が見える位置まで走っていく。目測を付けたあたりを見渡すと――いた。引っ越し用の荷物を積んだトラックが、パーキングエリアを後にする。
 彼らの姿が見えなくなるまで、俺は大きく、クレアは小さく、手を振って……
「……行っちまったな」
「っぱあ」
「折角お小遣いまでもらっちまったし、いいモン食って帰るか!」
「っぱあ!!」
 元気に返事をしたクレアを見て、俺も小さく笑みをこぼす。
「さっき軽く見たんだけどな、ここの定食屋、いいのあるんだ。カレー、ラーメン、ギョーザ、ハンバーグ、メンチカツ……もちろんクレアにも、いいものをご馳走するからな」
「レイ、レイ」
 にこにこと笑うクレアに向けて、俺は最後に、今更ながらの言葉をかける。
「クレア」
「レイ?」
「お前、いい友達持ったんだな」
「グレイ!!」
 その通りだと言わんばかりに。
 クレアは、大きく頷いた。

後書き 

はじめまして、こちらで投稿するのは初となります、夏氷と申します。
投稿して早々、優勝という結果を賜り、大変光栄に思います。
グレイシアは全ポケモンの中でもトップクラスに好きなポケモンで、ソード・シールドでも4番道路でイーブイ(♀・ひかえめ)を捕まえるや否や、こおりのいしを掘り出して、ワットかき集めてゴースとウパーを200匹以上打ち倒して努力値をきっちり揃えてました。
まだまだ未熟な作者ではありますが、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます!
ちなみに、「セツ」と「クレア」は、ソードシールドのフリー対戦によく潜っておりますので、もしマッチングすることがあったら、対戦相手としても味方としても、楽しく戦っていきましょう!
バトルのお申し出、鋭意受付中です! 日時とパスワードを教えていただければ、喜んで!!


以下、コメントへの返信です!

クレアとの友情がいい! (2019/12/09(月) 23:54)

コメントありがとうございます。
セツとクレアは、お互い信頼しあっている間柄です。
恋愛感情なのか友情なのかは、ご想像にお任せします。


王道展開だけど、気持ちがすっきりしました。 (2019/12/11(水) 21:50)

コメントありがとうございます。
きっとコレットの母親も、そしてコレット自身も、少しずつ変わっていくでしょう。
変わりすぎてミツル君みたいになっていたらどうしましょう(笑)


親のエゴと戦うというお話は、自分の経歴のお陰もありだいぶ好きですね。仲間に約束を守らせるために重ねたセツの行動には圧巻でした。腕を凍らせ固着させるって、これ凍傷で逝ってしまうやつじゃないですか白目。セツもマサラ人種なのではないかと戦々恐々。グレイシアのクレアのしぐさが一つ一つ可愛らしくて愛が伝わってきました。 (2019/12/14(土) 23:50)

コメントありがとうございます。
割とポケモン界の人間、頑丈なのではないかなあと、アニメを観ていたり実際のゲームをやったりしながら思っております。
ポケモンとレスリングするやつはいるし、最近でもアニメでワンパチの電撃食らって無事なやつもいるし……
ま、まあ、ぶっちゃけセツはマサラ人種かもしれないです!
クレアのしぐさが気に入っていただけたとの事、ありがとうございます!
私もグレイシアは好きなので、喜ばしく思います!!


wikiでは見たことのない作風ということで (2019/12/14(土) 23:50)

コメントありがとうございます。
真正面からのバトル系はたしかにあまり見かけないですね。
個人的には好きなジャンルなので、これからも書いて行きたいと思っております。


価値観の押しつけにも困ったものですが、しっかりと意見を通した結果お母さんも折れてくれてよかったです。 (2019/12/14(土) 23:53)

コメントありがとうございます。
お母さんももしかしたら、車の中からバトルを見ていたかもしれませんね。
ま、お母さんのみぞ知る、ですね!


【バトルデータ】

セツのグレイシア
名前・クレア Lv.37 性格・ひかえめ
技・れいとうビーム/ふぶき/みずのはどう/ミラーコート
HP・100(15) 攻撃・46(8) 防御・97(31) 特攻・130(31) 特防・85(28) 素早さ・64(31)
努力値・特攻75

≪サンダースとの戦闘時に食らった技≫
○でんこうせっか ダメージ・5~7 5.0%~7.0%
○でんきショック ダメージ・10~13 10.0%~13.0%
合計ダメージ 15~20


コレットのサンダース Lv.28
名前・なし(サンダース) Lv.28 性格・わんぱく
技・でんきショック/ミサイルばり/でんこうせっか/ほうでん
HP・80(22) 攻撃・48(24) 防御・49(25) 特攻・63(17) 特防・65(25) 素早さ・80(10)
努力値・0

≪クレアとの戦闘時に食らった技≫
◎通常時
○れいとうビーム ダメージ・30~36 37.5%~45.0%
(でんきショックとぶつかり合って多少威力が減衰しているため、威力55のこごえるかぜが命中した時のダメージを3分の2にして算出。もちろん計算のためなので、すばやさは下がっていないものとする)
○ミラーコート ダメージ・20~26 25.0%~32.5%
○ふぶき ダメージ・21~26 20.0%~32.5%
(ミサイルばりとぶつかり合って多少威力が減衰している上、ほとんど回避しているため、威力40のこなゆきが命中した時のダメージを半分にして算出)
合計ダメージ 71~88 中乱数耐え

◎決着時
○れいとうビーム ダメージ・22~27 27.5%~33.8%
(全力でぶっ放したものを、ほうでんとぶつかり合って威力が減衰しているため、威力55のこごえるかぜが命中した時のダメージを半分にして算出)
合計ダメージ 93~115 戦闘不能

※この物語はフィクションです。
実際のサンダースはLv28でほうでんは覚えません。


おまけ
セツが食らった技
○れいとうビーム 1発
ちょうどコレットのサンダースがまともに食らって中乱数1発の破壊力

なんでもお気軽にお寄せください! 

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Last-modified: 2024-04-08 (月) 00:03:23
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