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悪夢の刻印

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悪夢の刻印 


【Ⅰ】 

「スノウ、起きなさい」
 こんこんと、部屋の扉をノックする。ノックした人間は腕を下げて、しばらくの間反応を待つ。しかし、部屋の中からは何の反応も返ってこない。いつもなら、中の人はとっくに起きている時間なのに。
「起きなさい、スノウ。いつまで寝てるの」
 再び、彼女は部屋をノックする。しかし、先と変わらず反応は無い。時計を見ると、もう十時を回っている。疲れていたと考えても、いくらなんでも遅すぎだろう。
「入るわよ」
 彼女は扉を開け、部屋の中へと入っていく。部屋の奥にあるベッドでは、一人の少女が眠っていた。
「スノウ、いつまで寝てるの」
「…………」
 肩をゆすっても、起きる気配は無い。声の一つも聞こえない。事ここにいたって、彼女の脳裏に嫌な予感が走った。
「ちょっと、スノウ!」
 その予感を振り払うように、布団ごと捲り上げるように呼びかける。しかし、相変わらず反応は無い。ただ魔法にかけられたように眠り続ける少女からは、規則正しく上下する胸と吐息以外には何のアクションも感じられない。
「スノ――」
 もう一度名前を呼ぼうとして。彼女はふと、それに気付いた。
 がばっと布団を跳ね上げて、彼女はまじまじとそれを見る。
「ひっ――」
それを目にして、彼女は思わず、声と顔を引きつらせる。次の瞬間、上げかけた悲鳴を抑えられたのは、僥倖といってもいいかもしれない。その場所に刻まれていたものは、そう評してもいいものなのかもしれなかった。
少女の左足から、這い上がるように刻まれている、呪縛のような刻印は。

【Ⅱ】 

“ドアが閉まります。無理なご乗車は、ご遠慮くださ――”
「どわあああああーーーーーっ!」
「っぱあああああーーーーーっ!」
 電車の閉まり始めたドアに体を滑らせ、無理なご乗車をしまくった俺は、なんとか乗車に間に合ったことにほっと胸をなでおろしていた。
「危ねぇ危ねぇ……遅刻でもしたらシャレにならんからな……」
 朝、寝坊して遅刻……したわけではない。大学が終わり、仕事に向かう最中に、電車が人身事故で運転見合わせ。三十分以上止まってしまい、俺は大遅刻の憂き目にあっていた。普段は乗り換えに五分かかる場所を全力疾走して二分で乗り込み、飛び込んだのとは反対側のドアに寄りかかって息を切らす。
「くっそー……携帯は忘れるしトラブルには巻き込まれるし、今日は厄日なんじゃねえかな……」
「っぱー……」
 隣で俺と一緒にぜーはーやるのは、俺の相棒・グレイシアのクレアだ。だからボールに戻れと言ったのに、なんでこいつまで俺と一緒に全力疾走してるかな。苦笑いしながら、俺は動き出した電車の空き席を見つけて座り込む。乱れた息を整えながら、俺は一冊のノートを取り出した。
「ええっと、今日の授業は、小学生クラスの国語、中学生サードクラスの社会、セカンドクラスの社会ね……」
 このノートは、俺が仕事先で行う授業の板書案が書かれている。俺が授業をする側で、仕事先は学習塾。まあ、要するに塾講師だ。アルバイトといえばアルバイトだが、未来溢れる生徒たちの将来に、多少なりとも手助けをして関わっていく仕事である。生徒たちの人生にも影響していく以上、アルバイトという簡単な言葉で片づけたくはなかった。
 そんな俺の心意気が伝わってくれているのか、それとも入る日数がそれなりに多いからか、幸いにも多くの生徒たちからは好意的に迎えてもらっている。常に無言で分かりにくい生徒もいるし、俺のことが苦手な生徒も正直な話いるだろう。逆にぐいぐい来る生徒も何人かいて、総じて俺が担当しているクラスの受けはなかなかのもの。塾長も(入る日が多いからというのもあるのだろうが)俺を重用してくれているし、働きやすい職場である。
唯一の欠点は、夜が遅くなるせいで、晩飯が外食だらけになってしまうことか。でもまあ、教えるのとか子供が好きな俺にとっては、真剣ながらも楽しみながら稼げるし、楽しい職場ではあるんだけどな。
 ぱらぱらとノートを見返しながら、授業の内容を頭の中でシミュレート。職場への最寄り駅が近づいてくると席を立ち、ドア近くまで移動する。ドアのガラスを鏡にしながら、先ほどの全力疾走で乱れたスーツを整えた。塾講師の服装規定で、服装はスーツで固定である。入っている曜日が多いせいで、俺は常日頃から大学にスーツで通う男になっていた。私服の多い大学構内で、常にスーツは若干浮く。大分慣れたからいいのだが。
「さて、降りるか」
「グレイ」
 ドアが開く。今日も生徒たちに国語と社会を教えるべく、俺たちは校舎へと早足に向かっていくのであった。



「おはようございます……って、どうしたんですか?」
 いつもより大分遅れたものの、それでも授業には間に合っての出勤である。既に何名かの生徒は到着してしまっており、目撃した女子生徒×2から「先生おそーい」の声が飛ぶ。「わりぃわりぃ、ちょっと電車が遅れちまってさ」と片手を挙げて返しながら、鞄を置いてタイムカードをガチャンと押した。授業用ノートを片手に持つと、深刻な顔をしている塾長と、同じく深刻な顔をしている母娘に声をかけた。母親は俺の顔を見ると、小さく会釈して言葉をかける。
「ええ、実はうちの娘が、社会の宿題から逃げてましてね……」
「……なんですって?」
 隣に立っている女の子は、中学生のセカンドクラスに所属する生徒・スノウだった。かなり好意的な生徒の一人で、男子生徒のゼットと共に、俺によく社会の質問をしてくれる。元々社会が嫌いな生徒だとは聞いていたが、俺にとっては勉強から逃げているようには見えなかった。
「申し遅れました。私、スノウさんの社会を担当しております、セツと申します。塾では特に社会から逃げている様子はないのですが……何かあったのですか?」
「はい。娘はご存知の通り、数学と理科、外国語はよくやるのですが、国語はまだしも、社会は大の苦手なんです。この塾に来るまでは、学校の模試でも底辺でして。それで、この塾に入ってからは少しずつ社会をやるようになったと思ったんですが……」
「ええ」
「最近ずっと、社会の宿題やったのって聞いたら、やったって答えるんですよ。もちろん、いつも宿題が全て終わるわけではありませんよね? 英語や数学、国語の宿題はたまに終わっていないときもありまして、それは別に構わないのですが、いつも社会だけは全部終っているんですよ。変だなって思って見てみたら、全然やってなかったんです」
「なんと……」
 顔を上げると、スノウの目が泳いだ。眉をハの字にして落ち込む様子は、いつも俺に積極的に質問をぶつけてくれる様子とは全く違う。疑問気な声で、塾長が俺に聞いてきた。
「セツ先生、スノウさんの宿題はチェックしてたの?」
「していました。特に問題なく提出されているようでしたが……お母様、その宿題って、塾のものですか?」
「いえ、学校のものです。塾の宿題は五科目全て終わらせているのですが、本来は学校が優先ですよね」
「そうですね」
塾の先生の前で言っていいのかどうかはともかくとして、学校優先は事実だろう。俺はとりあえず、スノウに何があったのかを聞いてみた。
「塾ではいつもちゃんとやってるじゃないか。一体、どうしたんだ?」
「…………」
 頭ごなしに怒るのはよくないというのもあるのだが、それ以前に、いつもの積極的な様子と、宿題から逃げていた様子が全く結びつかない。なんだ、中学生の女の子って、概ねこういうものなのか? 顔を伏せてしまったスノウの横で、お母様が小さく笑って続けてきた。
「それでこの子を、家では嘘つきスノウって呼んでるんですよ」
「う、嘘つきスノウって……」
 地味に傷つく攻撃だなそれ。どう反応していいか迷った俺であったが、お母様は呆れたように続けていく。
「そんなことをやっても、どうせ来週の確認考査で全部バレるのに。それとも、中間考査の勉強をしていたから、今回は違うんだって言うつもりだったのかしらね」
 スノウは顔を伏せたままだ。塾長も言葉を探している様子で、俺もどう返していいか迷ってしまう。塾では真剣にやっていると、もう一回伝えてみるか? いや、それを信じてくれるかどうかも怪しいし、信じたくはないが、俺自身に見る目がなかったのかもしれない。考える俺だったが、お母様は小さくため息をついた。
「そんなわけで、今回の確認考査も中間考査も、社会は失敗するって思ってるんです」
「……お母様」
 ――反射的に、カチンと来た。
「……それは、私に対する挑戦と受け取ってよろしいですか?」
「はい?」
「よしてください、セツ先生」
 お母様の言葉を受け、塾長が俺を止めようとする。しかし、俺は塾で真面目に勉強していて、質問もしてくるスノウのことを信じたかった。
「分かりました。お母様がそうおっしゃるというなら、おそらくスノウさんはやっていなかったのでしょう。それなら、スノウさんが今から勉強して、来週の確認考査で良い点を取ったら、お母様はもう一度、スノウさんを信じてくれますか」
「…………」
 お母様の目を正面から見据え、俺は真剣に問いかける。彼女の社会を担当しているのは俺なんだ。自業自得の面もあるかもしれないが、安心できるはずの家で嘘つき呼ばわりされてしまい、親からの信用を失ったのなら、俺が信じるしかないじゃないか。
「っぱあ」
 クレアが俺を見上げてくる。その横で、俺はスノウに何をしてやれるか、高速で思考を組み上げる。一人ひとりの生徒にこんなことやってたら身が持たないけど、やれるだけはやってやりたい。お母様は小さく笑うと、俺に言葉を投げてくる。
「でも、そうやってサボってきたんだから、実際のテストで点数なんか取れないと思いますよ?」
「だったら、私が取らせます」
 俺の目と、お母様の目が、正面から交差する。数秒の沈黙の後、お母様がそうねと相好を崩した。今度は違う意味での笑みを漏らし、俺に小さく頭を下げる。
「分かりました。では、娘をお願いします」
「承知いたしました」
 頭を下げ、俺はノートを握り締めた。その横で、クレアはじっと、俺のことを見上げていた。



「セツ先生、言いすぎだよ。これで成績取れなかったら、一体どうするつもりなの?」
「……申し訳ありません」
 お母様が帰った後、塾長が俺に問いかける。つい熱くなってしまった俺は、塾長に頭を下げて謝罪していた。塾長は「はぁ~っ」と大きなため息を――ついたと思うと、スノウのほうに目線をやった。
「スノウ。今回はセツ先生が庇ってくれたんだ。お前、今回頑張らなければ、お前だけじゃなく、セツ先生の信頼まで傷つくんだからな。ちゃんとやれよ」
「……はい」
「よし。そうしたらスノウは教室へ入れ。セツ先生は授業の準備をして、30分から小学生クラスに入りなさい」
「……分かりました」
「……すみませんでした」
 スノウの返事に合わせるように、俺ももう一度頭を下げる。スノウが教室へ向かうのを見送ると、塾長は再び俺に目線をよこした。
「セツ先生」
「……はい?」
「やってみろ。俺も君と同じように、そうやって燃えていた時代があった」
「――はい。やれる限り、やらせていただきます」
「ああ」
 注意はされど、応援してくれた塾長に頭を下げる。しかし、そうやって燃えていた「時代があった」って、今はそうじゃないって事か? うーむ、分からん。塾長にもいろいろあるってことか。
 それはそうと、ああ言った以上、俺もやるべきことをやらないとな。確か、来週に確認考査って言ってたな。確認考査は、学年が上がった四月の末に行う、前学年の復習試験だ。全範囲が出てくるもんだからかなりきついが、公民分野がないからどうにかなる。地理分野と歴史分野に分かれるから、まずは地理から片付けよう。確か、カントー・ジョウト・ホウエン・シンオウの気候や特色の話がメインだったような気がする。
 よっしゃ、それじゃあ行動開始と行きますか!



 小学生クラスの国語を盛り上げながら終わらせて、二番目の授業はサードクラスの社会科だ。スノウの通う学校は、ここの塾では大多数の生徒が占めている、近くの公立の中学校。生徒の名簿を参照し、同じ学校に通うサードクラスの生徒を一人ひとり捕まえて、昨年の確認考査の問題を持っていないかを聞いていく。幸いにも一人の生徒が、問題を家のバインダーに挟んでいるとのことだった。
「マジか、助かる! 次回の授業のとき、持ってくることって出来ないか?」
「あ、さてはセカンドクラスにテスト対策を打つんですね?」
「う、ばれたか……そりゃそうだよな、お前らもお前らで、確認考査の時期だもんな……」
「ですね。俺たちにも対策をちゃんと打ってくれるなら、お渡しいたしましょう」
「あーっ、お前大人相手に交渉するなよ!!」
「いやー、俺はいいんですよ? セカンドクラスがどうなったって、俺は別にかまいませんからねぇ?」
「ぐっ……」
「でも多分、俺以外に持っている人は居ないと思いますけど、いいんですかー?」
「……くっそー、分かったよ! 交渉成立だ、お前らのぶんもバッチリ対策してやるから、次回の授業のときに持ってきてくれ!」
「承知いたしましたぁ~」
 いつもよりやや高い、若干ムカつく声を残し、生徒は教室へと入っていく。リアルに「ぐぬぬ」とか言いそうになった俺の後ろで、話を聞いていた同僚のジェットが苦笑しながら近づいてきた。
「中学生と交渉して、しかも負けるなよ」
「うるせえな、お前はどうなんだよ?」
「俺はアンナに頼んだら喜んで貸してくれたぜ」
「ちくしょう、ずるいぞお前!!」
 イケメンのジェットは女子生徒からもファンが多く、クラスの女子の、およそ三分の一くらいがジェット目当てと言われるほどだ。ジェットはそれを分かっていて、好意的に接してくる生徒の一人から問題をいただいたのだろう。こういう時には、どうにも言いがたい格差を感じる。もっとも、ジェットも顔だけではなく、そうやって得たプリントなどから的確な内容の分析をし、生徒の成績向上に着実に結び付けていっていることもあるからこそ、生徒たちの人気は高いのだろうが……
 ……俺も社会の面白さを教えるため、そして社会科科嫌いの生徒を治すために、明るく楽しく授業をしながら成績も向上させていっているはずなのに、どうしてか寄ってくる生徒は男子の比率が高いんだよなぁ。別に人気取りに走っているわけじゃないし、中学生の女の子に囲まれたい欲求があるわけでもないからいいのだが。
 なお、ジェットは女の子ばかりに囲まれているのかといえばそうでもなく、サッカー好きな男子たちとも仲がいい。持っているポケモンがエースバーン(♂)なのも大きいのだろうが、彼自身もサッカーは好きで、男女問わず、ジェットはかなりの人気者だ。「好きな先生ランキング」でもやろうものなら、確実に俺より上の結果になるだろう。
 え、俺? まあ、残りのアルバイト講師二人よりはマシだけど、塾長やジェットには勝てないんですわ、ハッハッハ……



「問八・カイナシティにおいて、常にバザーが開催されている理由を答えなさい、と……」
 その夜、俺は自宅のノートパソコンに向き合い、自分のノートのコピーから、チェックをつけた内容を打ち込んでいた。ノートのコピーは、昨年ファーストクラスで行っていた俺の授業ノート。チェックをつけた部分は、スノウが答えられなかった部分だ。
 授業合間の休み時間、俺は塾長に許可を取り、スノウの母親へと電話をかけていた。そこで、いつもよりさらに三十分の追加の居残り許可を貰うと、いつもの通り質問に来たスノウを捕まえ、ファーストクラスで取り扱った授業内容から、重要と思われる部分を片っ端から聞いたのだ。その中の重要語句や記述問題等、答えられなかった部分にチェックをつけ、そこ専用の復習プリントを作ろうという寸法だ。
 スノウが間違えたところを専用に作り上げるため、その効果は極めて高い。確認考査の範囲は、前年度の単元一年分。それを五十分の試験に凝縮するのだから、あまり深い内容は聞かれないはずだ。いわゆる、勉強の出来る生徒を集めた私立のエリート学校でもなんでもなく、ごく普通の公立中学校なので、そこまで突っ込んだ内容は出てこないはず。もちろん、こんなことを生徒全員分やろうと思ったらとてもではないが俺の手が回らないので、本来はそうそうやらないのだが……今回は意地がかかっているので別物だ。
「クレア、セイル。先に寝てていいぞ、俺はとてもじゃないが、今日は寝れそうにねえ」
「っぱあ」
「キュキュッ」
 後ろのベッドに腰掛けていたクレアと、ベッド下の物陰にいるミミッキュのセイルに声をかける。残された時間は一週間。ちんたらしている時間はない。できれば明日までにこれを仕上げ、職場まで持って行きたいところだ。明日は小学校高学年クラスの社会科と、ファーストクラスの社会科がある。スノウは明日、塾に自習に来るらしい。そのときにこれを渡してやり、速攻で勉強に移して欲しい。
「っぱあ」
 と、クレアがベッドから飛び降り、台所のほうへ向かっていく。と、台所から食器入れをがちゃがちゃやっている音がした。水でも飲もうとしているのだろうか。よくあることなので無視していたが、クレアは戻ってきたかと思ったら、ベッドの下に声をかける。
「っぱあ」
「キュキュッキュ」
「レイ、レイ」
「ミミッキュ」
「グレイ」
 なんだ、一体? 内心で首を傾げる俺の横で、クレアとセイルは二匹揃って台所のほうへと向かっていく。冷蔵庫を開ける音がして、さらにいつもなら絶対にしないであろう電子レンジを動かす音が聞こえ始め、俺は思わず顔を上げた。
「お前ら、一体何やってんだ?」
「ぱあ、ぱあ」
 右の前足でパソコンを指差す仕草をする。いいからやってろってことなのか。まあ、こいつらのことだから、変なことはしないと思うが……とりあえずクレアの言う通り、俺はパソコン作業を続ける。「チーン」という、電子レンジが終わった音がすると、またがちゃがちゃと物音が。物音が止まって数分後、俺の横に、黒い影が伸びてきた。
「うおっ!?」
「ミミッキュ」
「グレイ」
「お前ら……」
 ことり、と、黒い腕が俺の机に置いたのは、マグカップに入ったコーヒーだった。インスタントの安物だが、俺は缶コーヒーと共に愛飲している。粉と砂糖をマグカップに入れ、水を入れる。それを電子レンジにかけた後、箸などでかき混ぜて粉を溶く。その後に冷蔵庫に入れていた牛乳で割って飲むのが、俺がよく飲む飲み方だった。ホットの場合は直接粉と砂糖に牛乳をかけ、それごと電子レンジにかけている。湯気がないから、今回はアイスか。体が温まると眠くなってしまうから、二匹はそこまで考えて、このコーヒーを作って来てくれたのだろう。
「ありがとうな、二匹とも。疑うようなことをしてごめんよ」
「ミミッキュ」
 セイルが返事をして、俺はマグカップを手に取り一口……
「くぅぅっ、冷たくてうめぇっ……! クレア、これ、まさか……」
「グレイ!」
 笑顔で頷くクレアに、俺はじーんと感動する。途中で電子レンジにかける以上、冷蔵庫の牛乳を入れてもあまり冷たくはなりきらない。クレアはこの数分間、おそらく氷タイプならではの冷たい息を吹きかけながら、ぎりぎりまでコーヒーを冷やしていてくれたのだ。高いところにある電子レンジに入れたり、それを持ってきたりするのは、普段から両手が自由に使えるセイルしかいない。コーヒーを冷やすのは、こおりタイプであるクレアにしかできない。仕事している俺のために、クレアたちは頑張ってコーヒーを作ってくれたのだ。そのありがたさに、頭が下がる思いだった。
「ありがとうな、クレア、セイル! 頑張って早めに終わらせるからな!」
「グレイ!」
「ミミッキュ!」
 右手でクレアの頭を、左手でセイルの頭(上の顔の部分はかぶりものらしいので、覗き穴のある腹部の部分)を何度も撫でる。長い間相棒であるクレアはもちろん、この前仲間になってくれたセイルも、心優しいポケモンだった。普段はボールにいるヌマクローのジェフリーもいい奴だし、俺は本当に手持ちのポケモンには恵まれている。
「よぉし、一気に終わらすぞー!」
「っぱあ!」
「ミミッキュー!」
 元気の源を差し入れられた俺が、その後すさまじい勢いでプリントを仕上げたのは言うまでもない。大学でレポート仕上げるよりもよっぽど集中していたような気がするが、それを言うのは野暮だろう。



 そして、翌日。
「スノウ、これ」
「あ、ありがとうございます!」
 次の日、俺は自習にやってきたスノウに声をかけた。手渡したのは、昨日怒涛の勢いで作り上げたスノウ専用の社会科プリント。ワードファイルに書き起こしたら若干スペースが余ったので「こいつを全部解いて、いい点取って、親御さんの信頼を取り戻そうぜ!」という、俺の激励メッセージ付き。ついでにポケモンショップで買って来たグレイシアスタンプをクレアのイメージで捺してある。
「十セット印刷してきた。一日二回、ちゃんと解いて復習するんだ。今日も時間あるな? 俺も休み時間とか生徒の演習時間とかに来るから、昨日やりきれなかったところを全部やっちゃおう」
「はい、お願いします」
「ああ」
 生徒の演習時間は、カンニング防止のために机間巡視などをしなければならない。だから、あまり長い間席は外せないが、今回は意地もかかっている。スノウに付き合える時間は、ここから最初の授業が始まるまでの二十五分。今日の授業は二コマとはいえ、高学年で演習時間も長いから、教室にいる時間を差っ引いても二コマ合計二十分は来れる。とはいえ、スノウの手前ああは言ったが、休み時間中はさすがに授業学年の質問対応とかなんとかをしなくちゃならないから、こればっかりは無理だろう。今日は授業終了後までスノウは自習を続けるらしい。もちろん、確認考査は社会科だけではないので、今日の自習は他の科目もバランスよく勉強してもらい、社会科は俺のフォローと共に集中的に行うことにする。
「よし、早速始めようぜ!」
「はい!」
 昨日は取り急ぎ、去年の時点からスノウが一番苦手としていたホウエン地方と、ちょっとだけカントー地方を取り扱った。今日一日でカントーの残りとジョウト・シンオウまでやらなければならない。無駄話はそこそこにして、俺は早速スノウに口頭試問を仕掛け、彼女の苦手を洗い出すことにした。
 授業前・演習中・そして授業後も少しだけ。スノウの集中力は素晴らしく、一年分の当該範囲を超速で駆け抜けることに成功する。昨日同様、ノートのコピーにスノウが外したチェックも付けた。結構な量だが、これさえ完璧に復習できれば来週の確認考査は大体なんとかなるだろう。
「よし、そしたら、明日の授業までには作ってくるから」
「……あの、先生」
 と、荷物をまとめて立ち上がった俺に、スノウがためらいがちに声をかける。
「どうした?」
「私、頑張ります。絶対、いい点取ります」
「……ああ」
 真っ直ぐな目に、俺は思わず口元を緩めた。質問対応で来たことはあっても、ここまで社会について正面から挑もうとしてくれたことはなかった。だが俺も、無責任な「頑張れ」は言わないことにしているから。
「一緒に、頑張ろうな」
「はい!」
 笑顔で頷いてくれたスノウが、嬉しかった。
 もちろんその日の夜も、俺は半徹夜でプリントを作り上げることになるのであった。


【Ⅲ】 

 事件は、翌日に起こった。
 奇跡的な集中力でカントー・ジョウト・ホウエン・シンオウのすべてを片付け、プリントの完全版を作り上げた俺は(移動中の電車の中で爆睡はしてたが)、大学でこれも十セット印刷し、校舎のドアをくぐっていた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう、セツ君。……ちょうどいい、先ほどスノウのお母様から電話があった」
「スノウのお母様から?」
 塾長の険しい顔に、俺は思わず眉根を寄せる。その顔ってことは、決していい話ではないだろう。なんだ、クレームか? いや、いくらなんでもそれはないか。それとも、周りの生徒からなんか文句でも言われたのか? あれこれ考える俺だったが、塾長の話は違っていた。
「スノウが、朝から目を覚まさないらしい。ゆすっても反応がない。学校も欠席したそうだ」
「なんですって?」
 時計を見ると、十七時。疲れて眠っていた? いくらなんでも眠りすぎだ。さらに塾長の話を聞いてみると、その眠りも安心できるものではないらしく……
「かなりうなされているそうだ。医者に往診に来てもらったが、何らかの存在によって、夢の中に捕らわれ続けているらしい」
「夢の中に……って、まさか!」
 昨日スノウと共にシンオウ地方をやっていた俺は、ある存在に背筋を凍らせる。夢から覚めず、しかもうなされ続けている……こんな状況でなかったら、ある意味不謹慎にも喜んだかもしれない。だが、あれは――ダークライは、幻のポケモンでしかなかったはずだ。
「そんな奴が、なんで……」
「それは分からない。だが、スノウの足には、闇に潜むダークライでもなければ説明がつかないような、禍々しい刻印が浮かび上がっているそうだ」
「嘘、だろ……!」
 なんてことだ。せっかく次の確認考査で高得点を取る道筋が見えてきたというのに、保護者の信頼を取り戻すチャンスだっていうのに。よりにもよって伝説クラスのポケモンが出てきて邪魔をするとか、文字通り悪い夢なんじゃないか。
 歯を食いしばった俺だったが、そこに塾長が「だが……」と小さく首を振る。
「本当にダークライだというなら、本来なら、警察や国家レベルの事件だ。だが彼女は、昨日までセツ君と勉強していたからなんだろうね。セツ君の名と、社会のことを、時折呻くように寝言として呟いているというんだ」
「俺の?」
「ああ」
 そこまで続けたとき、電話が鳴った。塾長は電話を取ると「ええ」「ええ」と相槌を打ち始める。「かしこまりました、少々お待ちください」。そんな事務的な相槌と共に保留ボタンを押すと、塾長は俺の方へと向き直る。
「お母様の、たっての願いだ。君が行けば、何か状況が変わるかもしれない。授業が終わったらで構わないから、是非君に家まで来てほしいとのことだ」
「え……私は構いませんけど、生徒の家に行ってしまうのはまずいのでは?」
「ああ。だから、上長に報告の上、私も行こう」
「ありがとうございます」
 って、お礼を言ったはいいが、上長から許可なんて降りるのだろうか? 首を傾げた俺だったが、とにかく授業が先だった。



「こんばんはー。夜分に恐れ入りますがー」
 そして、夜。問題となっているスノウの家に、俺は塾長と共に訪れていた。塾長がチャイムを鳴らし、しばらくの後、中からお母様がドアを開けてくれる。
「ああ、塾長先生、セツ先生。それにジェット先生まで、本当にありがとうございます」
「いえいえ、私はあくまで付き添いですから」
 塾長と共にかしこまっているのは、なぜかジェット。なんでこいつがと思っていたら、なんとこいつ、医療従事者の息子らしい。たまたま今回スノウを診察したお医者さんの所属している学会の繋がりがあるらしく、それ関連で我が社の上に強引に掛け合い、許可をもぎ取ったのだとか。すげえ。つーか、聞いてねえ。
「持てる権力は使わないとね」
「いやいや、濫用してんじゃねーよ」
 ニヤニヤしながら言うジェットに、俺は思わず突っ込みを入れる。とはいえ、ある意味こいつのおかげでここに来れたようなものなので、あまり深くは突っ込めない。一瞬ジェットがあんなに女子生徒にモテるのは医療従事者の息子だからかとも思ったが、少なくとも俺はそんなこと知らなかったし、こいつ自身もそれは隠していたようなので(塾長すら知らなかった)、それはジェットの純粋な人柄なのだろう。
 案内されて二階へ行くと、スノウは確かに、そこにいた。眉根を寄せ、苦しそうな顔で眠り続けるスノウの姿は、思わずこちらの眉根も寄るほど痛々しい。見ると、お母様もこの一日でげっそりとやつれてしまっていた。俺らが入ってきたのが分かるのか、スノウの口から弱々しく声が漏れる。
「……ツ……せん……せ……」
「!? 聞こえるか、スノウ! スノウ!!」
 俺の名前を呼んだスノウに、俺は大声で呼びかける。しかし、スノウの反応はないままだ。
「くっそ……! 塾長、ジェット先生、なんとかなりませんか?」
「ううむ、試してはみるが……」
 俺の声に、塾長は腰のモンスターボールからポケモンを出す。ほっそりとした、二本の足。切れ長の瞳は、同時に威厳も感じさせる。アマージョだ。
「アマージョ、アロマセラピー」
「マー、ジョー……」
 アマージョは目を閉じ、体から安らかな香りを放つ。安らぐ心地よい香りによって、味方全員の状態異常を回復する技だが――やはり、スノウは目覚めないままだ。
「駄目か……」
「ポケモン用のねむけざましやなんでもなおしは?」
「試してみましたが、無理でした……」
「うーん……ホウエン地方からビードロでも取り寄せてみますか?」
「お医者様にやってもらったのですが、それでも……」
「マジですか……」
 綺麗な音色で目を覚ますビードロの効果もないとなると、ポケモンのふえを使ったところで同じだろう。塾長が「何か方法とか、思い当たる節とかないですか?」と聞いてはくれたが、お母様は黙るばかり。だが、少しの沈黙の後「もしかしたら……」と切り出した。
「昔、祖母に聞いたことがあります。悪夢からどうしても覚めないとき、直接悪夢の中に飛び込んで呪縛を解き放つ手があると」
「まさかそれ、夢の中にサイコダイブするってことですか?」
「ええ……」
サイコダイブ。聞いたことはあるが、あれはオカルトの世界の話ではないか? 確かにこの世の中には、科学で解明できない様々な出来事が起こりうるのは知っている。だが、人の夢の中に飛び込むなんて、そんなことはできるのだろうか? ジェットがスマホで調べてくれたが、やはりそんな手は一部のオカルトサイトにしか載ってなかった。
――だが。
「分かりました、やらないよりはやるほうがマシです。サイコダイブのやり方を教えてください」
「セツ先生!?」
「俺、約束したんです。スノウさんに絶対いい点を取らせるって、一緒に頑張るって約束したんです」
 驚くスノウの母親に、俺はなんとか関わりを続けさせてくれと頼みこむ。オカルトに手は染めたくないが、このまま何もできずに目が覚めるのを待っているよりはずっといい。頭を下げる俺の横で、なんとジェットも一緒に頭を下げてきた。
「俺からもお願いします。セツ先生とスノウさんは、次の模試に向けて二人で勉強していました。セツ先生に、サイコダイブする方法を教えてください」
「ジェット先生……」
「……私からもお願いします」
「塾長先生。分かりました。私もうろ覚えですが、お伝えいたします」
「ありがとうございます」



 さらに、次の日。午前十時。
「塾長、申し訳ございません。お忙しい中お時間をお借りしてしまって」
「何を言っているんだ、俺らの生徒のことだからな。本来なら俺が最前線で対応しなくちゃならないのに、こちらの方こそ申し訳ない」
「そう言っていただけると助かります。ジェットもすまないな、巻き込んでしまって」
「いやいや、気にするな。権力ってのはこういう時に使わないとな」
 スノウの家から一キロ弱、公園の一角に集まった俺らのやり取りである。どうやら夢の中に飛び込むには、どうしても必要な道具があるらしく、俺らは先ほどまで材料集めに駆け回っていた。材料は神聖な木の枝と綺麗な宝石、油に火薬、ナイフに聖水。神聖な木の枝と宝石と聖水は分かるが、油と火薬なんて一体何に使うんだ。つーか火薬なんて危険物、一体どうやって手に入れればいいんだ。
 ……とか不安に思っていたが、ジェットがどこからともなく手に入れてしまった。「コネだよコネ」とか言っていたが、昨日の医療従事者関連の件といい、こいつはいったいなんなんだ。さすがに口に出しては聞けないが。
 その他、宝石はごく普通の宝石店から購入すた。三人でお金を出し合って、一万円くらいのものを買う。神聖な木の枝は近くの神社の参道から拝借。聖水もどこに売っているのかが分からなかったので、神社の神主さんに事情を話して分けてもらった。といっても手水(参拝前にひしゃくで水を汲んで、手と口を洗うアレ)なのだが……まあ、一応聖水の扱いでいいだろう。ちなみに「女の人のアレでいいんじゃね?」とかほざいていたジェットはクレアによりふぶきの刑に処してやった。
「それじゃあ、材料は全部そろっているな?」
「ええ」
 塾長の確認に、俺は枝と宝石(ルビー)を見てから頷いた。ジェットがスノウの母親から教えてもらったメモを開き、作り方を朗読する。
「まず、木の枝・ナイフ・宝石の三つを聖水で清め、ゆっくりと冷やす」
「聖水で清めて、と。クレア、頼めるか?」
「っぱあ」
 神社の手水を紙コップへ入れ、クレアに頼んで冷たい息をかけてもらう。雑談でもしながら三、四分ほど時間を潰すと、ジェットが次の読み方を朗読した。
「そしたら枝の先端に、宝石がちょうど填まるようにナイフを入れる」
「……自信ないな」
「俺がやろう」
 と、ここで手先の器用な塾長が加工役をバトンタッチ。宝石の形を見ながら慎重に慎重を重ねて加工し、当てはまる形にナイフを入れて切り取った。今日は俺もジェットも大学は休みだし(俺は自主休講だ)、塾長も出勤時間まで間がある。時間はたっぷりあるし、腰を据えて作業が出来る。時間をかけてうまく填まる形に枝の先端を掘り取った塾長は、腕で汗をぬぐって息をついた。
「終わったぞ」
「終わったら、宝石を填める」
「まあ、そうだな」
 至極最もな加工手順に、塾長も納得して宝石を填める。と、そこへジェットがメモの続きを朗読した。
「ただしこの時、手を使って填めてはいけない」
「――は?」
「『アイシャルリターン!』と叫びながら足の指で填める」
「ホントにやんの!?」
 そこはスノウの母親も若干頬を引きつらせながら語ったところだ。怪しげな呪文でもなんでもなく、なんで「アイシャルリターン!」なんだよ。とはいえ、娘の危機に冗談は言えないと思うので、塾長が突っ込みを入れる横で、やけくそになった俺は本当に叫びながら足の指で宝石を填める。ジェットは若干顔を引きつらせながらも、そのまま話を続ける他にはないと判断したらしい。説明を続ける。
「そしたら枝に満遍なく油を塗って、火薬の粉を思いっきりぶっかける」
「……それも親御さん言ってたけど、何のためにさっき聖水で清めたんだ?」
「さあ……」
 ジェットがふざけているわけではないことは、一緒にスノウの親御さんから話を聞いていた俺らなら分かる。スノウの母親は、いろんな意味で如何とも言い難い顔で、それらの手順を語っていたのだ。
「油と残った火薬は枝の隣に置くらしいぞ」
「――置いたぞ」
 そしてジェットは、意味なくテンションを上げて最後の加工手順を叫んだ。
「ほんでもって点火っ! クロッサー、思いっ切りかえんボール!!」
「エバース!!」
「ちょっ、ちょっと待てーーーーーーっ!」
 さすがに止めようとした塾長だったが、それより早くジェットのエースバーン・クロッサーが炎のボールを発射して――

 ――公園の一角が、吹っ飛んだ。

【Ⅳ】 

「それでどうして道具が完成してるんだよ」
「俺が知るか」
 頭を抱えてぼやく俺に、同じような体勢でジェットが返した。あの後思いっきり吹っ飛んだ俺らだったが、戻ってみれば爆心地には赤く美しい光を放つ例の道具が輝いていたのだ。一体原理はどうなっているんだと大自然だかなんだかの胸倉を引っつかんで小一時間ほど原理を問いただしたいところであるが、とりあえず完成したものは完成したので、今回も仕事終了と共に俺らはスノウの家を訪ねていた。
 眠るスノウの両足からは、びっしりと禍々しい刻印が刻まれている。昨日はよく見ていなかったが、吐き気が出そうだ。俺らはスノウの母親に教えてもらいながら、夢の中に飛び込むための儀式じみた行動をする。獏とも蛇ともポケモンともつかない怪しい生物が描かれた紙を五芒星状に配備し、飛び込みたい相手の額に先ほどの道具を軽く当て、香を焚いて呪文を唱える。唱える呪文なんぞ「エルバオル・マイ・マイ・タターネ・ドララキチキチコロヒーア」である。本当に効果なんてあるのかどうか、ぶっちゃけ眉唾物だったが……
「…………!!」
 気が付けば、俺らの体は光っていて。なんだこれはと叫ぶ間もなく、周囲の景色が反転した。女の子っぽいファンシーな部屋から、急に周囲が真っ黒な砦のような場所へと変わる。おいおい、マジで夢の中に来ちまったのか? 周囲を見渡すと、俺・クレア・ジェット・クロッサー・そして塾長も揃っている。娘のすぐ傍で様子を見ていた、スノウの母親まで巻き込まれていた。
「俺、ちょっとはオカルト信じていいわ……」
「俺も、霊とかその辺は信じてたけど、間近で体験するといろいろ思うところがあるな……」
「っぱあ……」
「バース……」
 ジェットと塾長が口々に言い、クレア達も驚きの声を漏らすが、全くもって同感だった。これが、スノウの夢の中だというのだろうか? 答えてくれる声はないが、ところどころに風景が欠落していたり変なものがあったりする。周囲をぐるりと見渡す俺だったが、やはり大人か、いち早く平静を取り戻した塾長が、冷静な感想を述べてきた。
「夢の中という場所から考えてみれば、非常に典型的で分かりやすい。きっと、この中のどこかに、スノウがいるのだろうな」
「そうだと、いいのですが……」
 震えるお母様だが、言われてみればその通りだ。果たして内部構造であるが、前方には巨大なつり橋がかけられており、その奥には大きな扉があった。スノウは、あの奥にいるのだろうか?
「お母様、大丈夫です。絶対、スノウさんは無事ですよ」
「ええ……」
 なぜか、お母様でもなく塾長でもなく、俺が先頭に立っていたが。俺らはつり橋を渡り切ると、目の前の大きな扉を開けた。



 結論から言うと、いた。
 スノウは、すぐ目の前の部屋に。
 塾長やスノウの母親と一緒に開けて入った扉の奥は、あの禍々しい刻印が一面に刻まれる、見るだけで不快感を催すような内装だった。そしてその先には、大きな鎌を持った死神のような姿の男と、禍々しいオーラを纏う巨大なポケモン。そして、鎖で縛られた少女がいる。
 男の服装は、闇のように真っ黒な外套。隣に立っている巨大なポケモンと共に、何かの儀式のようなものを行っていた。
「スノウ!!」
 俺の声と、スノウの母親の声が同時に響く。その声が耳に届いたのか、伏せられていた少女の顔がゆっくりと上がる。きっと幾度も運命を呪い、泣きはらしたであろう真っ赤な目。不安と恐怖に彩られた表情は、間違いなくスノウのものだった。俺らの姿を目に入れて、スノウの口から声が漏れる。
「お……母、さん……、先生……!」
「スノウ、大丈夫!? すぐ助けてあげるからね!!」
 真っ黒な鎖で縛り上げられ、空中に吊るされたスノウの姿。もちろん誰がやったかなんて、一目で分かる。俺らのやり取りに、男とポケモンがゆっくりとこちらを振り返った。
「……どうやら、この娘で実験したのは、間違いだったようだな」
 低いしゃがれ声。戦闘体勢を取る俺と、低く構えるクレアの前で、男は忌々しそうに告げる。
「小娘の癖に、やたらと精神力が強い。社会の勉強をしなくてはならないとか、母親や先生を悲しませたくないとか……そんなことばかり言っていて、実験と侵食もなかなか進まず。ようやく墜とせると思った矢先にお前らか。……つくづく、鬱陶しいものだな」
「何を言ってるんだか全然分かんねえが……その子は俺の大事な生徒だ。さっさと返してもらおうか」
「待て」
 と、息巻く俺を止めたのは、まさかの塾長。塾長は俺を制すると、あの男に見覚えはありませんかとスノウの母親に問いかける。母親はしばらく考えていた風だったが、やがて何かに思い至ったのか、言葉を発した。
「あ……」
「御存じなのですか?」
「ええ……道路向かいの家に住む、プラウドさんです……」
「プラウド?」
 塾長の声に、スノウの母親は深く頷く。そして、黒い外套を羽織った男――プラウドに、金切り声で問いかけた。
「どうして!? どうして、うちの娘を!?」
「どうして? ふっふっふっ、お前たちは、ダークライというポケモンを知らないのか?」
「ダークライ……」
 ダークライ。当初スノウが目覚めない原因だと思っていた、人の悪夢を食らうと言われる、幻のポケモン。覚めない悪夢に呪い殺される人もいたとまことしやかに語られながら、目撃情報も少ない、そんなポケモンだ。
 だが、男の隣に立っていたのは、ダークライなどではなかった。肌色の皮膚に白い襟巻状の体毛、そして、右手に持った振り子――スリーパーだ。
「そのダークライが、どうしたっていうの!?」
「簡単な話だ。ダークライは、人の悪夢を食らうと言われる幻のポケモン。そこで、お前の娘に儀式をかけて、覚めない悪夢に落とし込めば、ダークライは必ずやってくるというわけさ。そのためにオカルトに手を出して、暗い魔術じみたことをやっているのだからな!!」
「暗い魔術じみたことをすれば、同じく闇に生きるポケモンであるダークライは引き寄せられてくるはずだ……そう言いたいのか?」
「それ以外に何がある? 私はそこでダークライを捕まえ、幻のポケモンを手にした男として賞賛されるのだ!!」
 スノウの母親とジェットの追及に、男は高笑いで答えてみせた。頭が痛くなるのを感じるが、それならどうしてスノウなんだ。問いかけた俺たちだったが、男はなんてこともないように笑ってみせる。
「たまたま近くの家に入っていった姿を見たのが、こいつだっただけだ。スリーパーで実験をするならば、子供の方が都合がよくてな。誰でもよかった。たまたまこいつだった。それだけだ」
「こっの……!」
 言うに事欠いて、誰でもよかったってどういうことだ。凶悪犯罪者もびっくりなことをほざく男に、母親の拳が怒りに震える。怒鳴りつけてやろうかと思った俺だったが、その前にスノウの救出が先だ。
「セイル、シャドークローで鎖を斬るんだ!」
「キュー!」
目の前にボールを投擲し、飛び出してきたミミッキュのセイルにシャドークローの指示を出す。セイルはその布の下から黒く長い爪を伸ばすと、器用なコントロールでスノウの鎖を粉々に斬り裂いた。落ちてきたスノウをその両腕で抱き留めると、セイルはスノウをこちらの方へと返してくれる。セイルからスノウを受け取ると、なるべく穏やかな笑みを浮かべて、俺はスノウへ言葉をかけた。
「よく頑張ったな、スノウ。助けに来たよ」
「…………!!」
 先の曇った瞳は、彼女の状態を非常によく表していた。こんな見るだけで気が狂いそうな刻印の中で、たったひとり、男とポケモンの侵食と戦い続ける……終わりの見えないその中で、永遠とも思える長い時間戦い続けていたその辛さは、俺らの想像にも余りある。
 だから。
「行くぞ、クレア」
「っぱあ」
 もう、終わらせる。
「……スノウ」
 狂気と夢の侵食が満たす、この呪縛など。
「――今すぐ、助け出してあげるから。もう少しだけ、待っててくれな?」
 ――少女の瞳に、涙が溢れた。






「お母様、スノウさんを……」
「スリーパー、ダイバーン!!」
「――――ッ!?」
 だが、スノウを保護者にお返しする前に、プラウドのしわがれた指示が飛ぶ。完全に不意を打たれた俺の前で、スリーパーの持った振り子が動き、轟音と共に生み出された炎がクレアめがけて襲い掛かった。

「れいとうビーム!!」
 対するこっちは、スノウを保護者の方へと下げながら、れいとうビームで迎え撃つ。技の威力では向こうが上だが、グレイシアの特殊攻撃力は数あるこおりタイプのポケモンの中でも最強と目されるレベルである。炎と氷が激突し、爆音とともに相殺された。だが、不意打ちを食らったせいで、相殺こそできたものの、クレアのかなり近くで相殺・爆発が起こってしまい、その余波を受けたクレアが吹き飛ばされる。ギリギリ相殺は間に合ったので、大したダメージにはなっていないが、少し休んだ方がいいだろう。
「クレア、下がれ!」
「っぱあ!」
「バース!!」
 立ち上がって俺の隣まで引いてきたクレアの前に、ジェットのクロッサーが飛び出した。俺と入れ替わるように前に出たジェットは、拳を握りしめて迎え撃つ。
「お前がダイマックスしてるんだったら、こっちはレイドバトルだ!」
「邪魔だ、小僧ども! スリーパー、きあいだま!!」
「クロッサー、かえんボール!!」
 スリーパーのきあいだまと、クロッサーのかえんボール。両者高密度の弾丸が真っ向から激突し、これも爆音と共に相殺される。
「おっと、俺を忘れるなよ。アマージョ、トロピカルキックだ!」
「クロッサー、もう一発かえんボール!!」
 塾長のアマージョが跳躍し、南国風の蹴りをスリーパーに見舞う。その横から、エースバーンのクロッサーが手近な何かの破片を燃やして作り上った炎のボールを鋭く蹴り込み、大きく弧を描いた火炎のシュートをスリーパーに叩き込んだ。
「スリーパー、ダイウォールからのほのおのパンチ」
 トロピカルキックが炸裂する直前に、プラウドは巨大なスリーパーに指示を出す。スリーパーは振り子を数度振ることによって、眼前に巨大な壁を作り出した。アマージョの突撃とクロッサーのかえんボールを防御すると、右手で灼熱のパンチをアマージョめがけて叩き込んだ。悲鳴と共に地面に撃墜されるアマージョに、塾長が思わず声を上げる。
「アマージョ!」
「今度は俺の番だ! 行け、セイル! シャドークロー!!」
 その横で、下げたクレアと入れ替えるように、俺はミミッキュのセイルを戦いに出した。ボロ布の下から鋭いシャドークローが解き放たれ、スリーパーを撃ち据える。横っ面を殴り上げられるように入った有効打を見て、俺は立て続けに指示を出した。
「かげうち!!」
「キュ……!」
「クロッサー、ローキック!!」
「エバース!!」
 低い声でセイルの影が伸ばされて、二発目の攻撃。さらに懐に飛び込んだクロッサーが、スリーパーの足にローキックによる痛打を与える。対するスリーパーはダイサイコを発射して、セイルでもクロッサーでもなく、手負いのアマージョに強烈な念動力を叩き込む。アマージョは大きく吹き飛ばされ……地面にサイコフィールドが広がる中、目を回して倒れてしまう。
「アマージョ……! くっ、よくやった、戻ってくれ!!」
「嘘だろ……? 塾長のアマージョを、こんな簡単に……?」
「隙だらけだ、小僧! スリーパー、さいみんじゅつ!」
「くっ、かわせクロッサー!!」
「セイル、目を逸らせ!!」
 驚愕のあまり動きが鈍った俺とジェットに、プラウドはスリーパーにさいみんじゅつの指示を出す。セイルは振り子から目を逸らして、クロッサーは思いっきり伏せて躱したが、そこに追い打ちのダイサイコがセイルめがけて襲いかかった。
「セイル! 思いっきり、シャドークロー!!」
「キュ……!!」
「なんだと!?」
 攻撃に対して避けもせず、反撃に集中するその指示に、プラウドは思わず怯んでしまう。手負いのアマージョに放った一発目のダイサイコで、地面にはサイコフィールドが広がっている。その状況での二発目は、サイコフィールドによる威力の上昇も相まって、まともに食らったら一撃で戦闘不能になりかねない。
 ――だが。
「キューッ!!」
「スリィィッ……!」
「っ、なんだとっ!?」
「クロッサー、ずつき!!」
爆音と共にダイサイコが炸裂すると同時、セイルの全力のシャドークローが突き刺さり、スリーパーは思わずたたらを踏んだ。続けざまに先ほどローキックでゼロ距離まで突貫していたクロッサーが、必殺の頭突きを真下から思い切り食らわせた。アッパーカットの要領で直撃を食らい、顎をかち上げられたスリーパーはたまらず後ずさる。勇猛果敢な二連撃に、プラウドはうめくような言葉を発した。
「捨て身で攻めるか、小僧どもが……」
「捨て身? よく見てから言いやがれ!!」
「なんだと!?」
 捨て身とはおそらく、先のダイサイコを甘んじて受けさせたことだろう。こっちは食らってすらいないのに、頭の痛くなりそうなほどの念力の波。だが、セイルなら。特性「ばけのかわ」を持つ、ミミッキュのセイルなら。一発だけなら、ほぼ全ての攻撃を無効化できる。
 この前俺がセイルをゲットしたばかりの時、野良バトルをやった際に他ならぬクレアが食らったからこそ、よく分かる。
「ミミッキュのばけのかわか……貴様、楽に死ねると思うなよ!」
「上等だ、来いよ! 俺はスノウと約束したんだ、社会の点数でいい点取らせるって! そのためには、こんなとこで遊んでる暇なんかねえんだよ!!」
 プラウドの怒鳴り声に、俺も正面から怒鳴り返す。アマージョをボールに戻した塾長が、今度はレントラーを繰り出した。かみなりのキバで攻撃するレントラーと、再びかえんボールを撃ち込もうとしたクロッサーに、貴様は寝ていろとプラウドは叫ぶ。
「さいみんじゅつ!」
「しまっ――」
 狙いは、クロッサーの方。先ほど単発で放たれた時と異なり、今度はかえんボールの生成中を狙われる。スリーパーの振り子が振られると同時、クロッサーは瞬く間に眠りへと落ちた。しかし次の瞬間、かみなりのキバに腕を噛みつかれたスリーパーは悲鳴を上げる。
「振りほどけ!!」
「チャンス――セイル、じゃれつく攻撃!」
「一気に決めるぞレントラー! 振り払われたところから、はかいこうせん!!」
「ダイウォール!!」
 スリーパーが右腕を振るうと同時、レントラーは無理なく口を離した。しかしそこはさすがの塾長、特殊系統の技の中では最強クラスの威力を誇るはかいこうせんで、一気に勝負を決めにかかる。続く俺もじゃれつくをかますが、スリーパーはそれをダイウォールで防いでみせた。
「サイコキネシスでミミッキュを捉えろ!」
「しまっ――!」
 いくら素早いセイルと言えど、空中では自在に動けない。スリーパーのサイコキネシスに絡めとられ、攻撃の反動で動けないレントラーに思いっきり叩きつけられる。もつれあうように墜落した二匹に、スリーパーはダイサイコを発射した。至近距離にいた二匹は避ける間もなくダイサイコに巻き込まれ、爆音と共にミミッキュとレントラーの悲鳴が上がる。
「セイルーーー!!」
「続いてエースバーンにサイコキネシス」
「クロッサー、起きろ!!」
 ジェットの声も虚しく、超強烈なサイコキネシスが突き刺さる。壁と床に、連続で叩きつけられて――クロッサーは眠ったまま、戦闘不能に落とされてしまう。サイコフィールドが消えると同時、戦いの結果が映し出された。

ミミッキュ・戦闘不能。
レントラー・戦闘不能。
エースバーン・戦闘不能。

 その途轍もない結果に、ジェットが絞り出すような声を出す。
「そんな、馬鹿な……」
「ふん、当たり前だろうが。ダークライは幻ともいえるポケモン、そんなものを捕まえるためにやり合うことを考えれば、ポケモンはどれほど鍛えておいても足りないくらいだ」
「…………!!」
 歯噛みした塾長が、レントラーをボールに戻す。そしてそのまま、がっくりと地面に片膝をついた。おそらく、アマージョもレントラーも倒された今、手元に戦えるポケモンがいないのだろう。そして、それはエースバーン以外のポケモンを育てていなかったジェットも同じで。
「くっそぉっ……!」
 床に拳を叩きつけて悔しがるジェットに、プラウドは地獄の底から響くような声を発する。
「勝てるとでも思ったのか? 大人の力を舐めるなよ……!」
「くそが……!」
「ジェフリー、頼む!」
「なにっ!?」
 だが、俺にはまだ戦えるポケモンが二匹もいる。一度はクレアをほぼノーダメージで打ち破ったセイルを倒されたものの、こっちだって色んなもんがかかってるんだ。退くわけにはいかない。
「ハイドロポンプ!!」
「――マー、クローッ!!」
 俺の二番手は、ヌマクローのジェフリー。飛び出したジェフリーは早々にハイドロポンプをしかけ、いきなりの大技は見事命中。
「れいとうパンチ!!」
「ほのおのパンチ!!」
 距離を詰めてのれいとうパンチに、相手が放つはほのおのパンチ。しかし、通常時のぶつかり合いならともかく、ダイマックスしている相手が放ってくるものとは質量が違う。れいとうパンチはほのおのパンチに飲み込まれ、ジェフリーはそのまま灼熱のパンチに殴り飛ばされ吹っ飛んでしまう。
「マクローッ!」
「スリーパー、きあいだまだ!」
「リィー、パァー!!」
「ジェフリー、避けろ!」
「サイコキネシス」
「まも――」
 叩きつけられた姿勢から四肢をフルに使って後方に跳び、きあいだまをなんとかかわしたジェフリーだったが、立て続けに飛んできたサイコキネシスに捕らわれてしまい、ジェットのクロッサーが食らったのと同じように、床と地面に連続で叩きつけられる。まもるを放つ間もないままに連続して飛んでくる指示と、それを立て続けにこなしていくスリーパーは、そして、何度こっちの技を受けても、何度食らっても全く倒れない防御力と体力と、一方で俺たちのポケモンを一撃か二撃でぶちのめしてくる攻撃力も、認めざるを得ないが、別次元のパワーだった。幻のポケモンを捕まえると言うだけあり、本来なら三手で終わるはずのダイマックスが何故こうまで保っているのかは知らないが、そのダイマックスを抜きにしても、今まで俺が戦ってきた相手の中で、間違いなく最強の敵だった。
「とどめのほのおのパンチだ」
「ジェフリー!!」
 相手の速さに、こっちの頭が追い付かない。まもればいい? 避ければいい? いや、そもそも戦闘続行が可能なのか? そんな迷った隙を突かれ、ほのおのパンチを拳骨のように撃ち込まれる。凄まじい熱波に、ジェフリーの名前を呼ぶことしかできなくて。爆音とともにジェフリーの体が炎に包まれ、その炎が消えた先には、気絶しているジェフリーの姿。オーバーキルに近いダメージを叩き込まれたジェフリーは、とても戦うことなどできなかった。
「ジェフリー、ありがとう。戻ってくれ」
 これで、俺の手持ちはクレアだけ。だが、勝てるのか? いくらダイマックスしたポケモンと言えど、あのスリーパーにはセイルのシャドークロー二発にかげうち一発、クロッサーのローキックとずつき、レントラーのかみなりのキバに、ジェフリー最強の大技であるハイドロポンプも食らわせたのだ。それだけの攻撃を食らっているのに、まだ余裕を見せる姿は、思わず背中が戦慄する。一方、こちらのポケモンはほぼたったの一撃か二撃で倒されている。クレアだって、あの戦闘力でダイバーンなど食らおうものなら一撃で倒されてしまうだろう。
 だが、後には引けない。それでも、俺らはこいつを倒すしかない。
「……クレア、行ってくれるか?」
「っぱあ」
 俺の隣で、次々と仲間が戦闘不能に落とされている姿を見ながらも、クレアは強く頷いてくれる。その姿に頼もしさを覚えながら、俺は最後に残ったグレイシアのクレアをバトル場に出した。
「行くぜ、クレア! れいとうビーム!!」
「レイ、アー!」
 相棒にれいとうビームをぶっ放させ、対するスリーパーはダイウォール。れいとうビームを防御すると、今度はダイバーンを発射した。
「みずのはどう!!」
「構わず行けぇ!!」
 ダイバーンをはじめとしたダイマックス技は、文字通り普通の技とは質量が違う。回避することは不可能と言ってよく、防ぐにはこちらもダイマックスしてのダイウォールを放つか、迎撃して相殺するか撃ち破るしか方法はない。クレアが全身から放ったみずのはどうが、ダイバーンの熱波と激突した。だが、ダイバーンの追加効果で周囲にかなりの熱が残る。日差しが強くなったと錯覚する熱気を持ったホールの中で、プラウドは叫ぶ。
「終わりだ、セツ! ダイバーン!!」
「くっ、クレア! れいとうビームで迎え撃て!!」
 レイドバトルだったとはいえ、ジェットも塾長も倒され、ダイマックスポケモンと一騎打ち。そもそもこの戦いは、元々ダイマックス技をぶっ放せる相手の方が有利なのだ。最初のれいとうビームや先ほどのみずのはどうでは、ダイバーンを相殺して撃滅できたが……今回のダイバーンは二度目だった。周囲の熱気の力を借り、より威力が膨れ上がった炎獄の波が襲い掛かる。
「クレア、頑張――!」
「……燃やせ」
 言葉は、最後まで続かなかった。

 破られたれいとうビーム。

 唸る熱波。

 ――爆炎。

「クレアーーーーーーーーーーっ!!」

 威力は多少減衰してはいるだろうが、それでも氷タイプのグレイシアにとっては残酷なほどの爆炎が、フィールドを包む。

「嫌ああぁぁぁーーーーーーーっ!!」

 俺の絶叫と、スノウの悲鳴が、悪夢のホールに木霊した。



 熱波が去り、俺はホールの中心部へ駆け寄ろうとする。炎が消えた先には、床に倒れたクレアの姿。彼女の体からは何本もの煙が上がっており、傍目から見ても重傷と分かる。だが、駆け寄ろうとした俺の足を止めたのは、プラウドの含み笑いだった。
「だから言っただろう? 勝てると思ったのか、と」
「うる、せえ……!!」
 ムカつくが、今はそれどころじゃない。プラウドの声を無視して駆け出した俺だったが――なんと、俺とクレアを隔てるように、スリーパーきあいだまが降ってきた。眼前に爆裂したきあいだまの衝撃に、俺は思わず足を止める。晴れてゆく煙の奥で、プラウドは笑った。
「それに……先ほどの話からすると、お前がセツという男だな?」
「……それが、どうした……!」
「先ほど言っただろう? この小娘は、お前と社会の勉強をするとか、親が待ってるとか、そんなことばかり言って、反抗的だったと」
 そういえば、そんなことを言っていた。だが、それがどうしたというんだ。聞き返す俺に、プラウドの笑みが狂気に歪む。
「簡単な話だ、小僧! お前とスノウ自身の母親を始末してしまえば、この娘の絶望度は大幅に増すということだ!!」
「なっ――!?」
 殺気と狂気を正面からぶつけられ、俺の足は一気にすくみそうになる。駄目だ駄目だ、俺がびびったら、スノウは絶対に目覚めない。スリーパーの目が、俺を捉える。ポケモンバトルにおいてトレーナーを攻撃するのはご法度だが、そもそもご法度を犯しているこいつに、そんな話は通じないだろう。
「今のこの娘の絶望は、きっと相当のものだろうなあ! 折角助けに来てくれたのに、貴様らが弱かったせいで、倒すことも出来ずに負けてしまったのだから!!」
「…………!!」
「挙句の果てに――大好きな先生と母親は、目の前で殺されてしまうのだからな!!」
「くそがっ……! クレア、頼む! 立ってくれぇ!!」
「っ……ぱ……ぁ……」
 嫌あぁぁ! と、泣きながら耳を塞ぐスノウの前で、プラウドはスリーパーを差し向ける。クレアたちだけでも、逃がさないと……正直本当は自分が真っ先に逃げたいが、そんなこと、カッコ悪くてできるはずもなかった。
 そして、男は、狂気に満ちた眼差しで――
「――死ね、セツ!! 地獄でダークライがお前を待っているぞ!!」
「ク、クレア、もういい!! 見るなぁっ!!」
「っ……ぱ、あ……!!」
 スリーパーに、指示を出した。俺はクレアに見られることだけは避けるよう、せめてクレアに見ないでくれと指示を出す。目を閉じて耳を塞ぐくらいなら、きっとできるはずだから。立ち上がろうとするクレアの耳には、せめて入ってくれたかどうか――それを確認する暇は、もう俺には残されてはいなかった。
「スリーパー! あのトレーナーに、サイコキネシス!!」
「パー……」
「っが……!」
 スリーパーの振り子が動き、俺をとらえる。空中に引っ張り上げられ、そのまま地面に叩きつけられ――意識が飛びそうなほどの激痛が走り、俺は激しくせき込んだ。スノウの悲鳴が上がり、塾長やジェットが辞めろと叫ぶが、プラウドは今度はきあいだまの指示を出す。空中に浮かんだ球が、こちらの方へと襲い掛かる。せめて顔と頭は守ろうと、俺は咄嗟に――

 ――爆音が、した。

【Ⅴ】 

「なん……だと……?」
 言葉を発したのは、俺達でもなければスノウでもなく、もちろんスノウの母親でもなかった。呆然としたような声で、声を発した男……プラウドは、横合いから飛んできた“何か”の出先に目線を向ける。俺も思わず、そちらを見ると……
「っ……ぱ……あぁ……ぱあぁ……っ!!」
「クレア!?」
 クレアが、片足ずつ踏ん張って立つところだった。どうやられいとうビームかなにかで、きあいだまを撃墜したらしいが……クレアの様子が、何かおかしい。
 ミラーコートとは少し違う、雪のように白いオーラ。凛々しくも可愛らしい茶色い瞳は、いつもの茶色と、白銀の雪色に脈動するように動いている。その姿に、プラウドは訝しむような声を上げた。
「なんだ……? グレイシアはメガシンカもしなければ、キョダイマックスもしないはず……」
「っぱあぁぁっ……!!」
「…………!!」
 と。
 クレアの白銀に脈動する目が、俺を捉えたその瞬間――クレアの心境が、クレアが何を訴えたいかが、何が起こっているのかが、全て流れ込むように分かってくる。そして、それと同時に……
「……っぱああぁぁぁーーーーーーーーっ!!」
 天を向いて咆哮したクレアの体から、雪色のオーラが爆発した。薄く脈打つ氷のオーラがクレアの体を取り巻いて、茶色と白銀に揺れる瞳がスリーパーを睨みつける。プラウドは歯を食いしばると、スリーパーに最初の指示を出した。
「何が起こっているのか知らんが、最後の悪あがきとこけおどしよ! スリーパー、もう手加減はいらん! 地獄送りにしてやれ、ダイバーン!!」
「頼むぞクレア! れいとうビーム!!」
「リィー、バァーッ!」
「っ、ぱあぁーーーっ!!」
 相変わらず、目をそらしたくなるほどの質量を誇る炎熱の波。それを迎え撃つクレアのれいとうビームも、先ほどとは比べ物にならないほどの密度で放たれた。爆音と共に、周囲の熱気の力を借りて膨れ上がったはずのダイバーンが、れいとうビームに相殺され――
「……え?」
 ダイバーンを撃ち破った冷凍光線が、スリーパーに突き刺さった。ダイマックス技とぶつかり合ったせいで、威力はかなり落ちているはずだが、それでもスリーパーを数歩後ずさらせるだけの威力を持つ。その結果は想定外だったようで、プラウドは怒鳴りつけるように声を発した。
「っ、舐めんな! ほのおのパンチで潰してしまえ!!」
「かわして蹴り飛ばせ!!」
 スリーパーの燃える拳がクレアに襲い掛かったかと思うと、クレアはそれを鮮やかな跳躍でスリーパーごと飛び越えて回避する。着地したかと思うとクレアは超強烈な後ろ蹴りを叩き込み、自分の体格の何倍も大きなダイマックスしたスリーパーが、物理攻撃力はさほどでもないはずのグレイシアの足蹴りで吹っ飛ばされる。
「っ、スリーパー! ダイサイコで吹き飛ばせ!!」
「ふぶき!!」
 振り子の力も借りた強力な念力の波が、クレアを捻り潰そうと襲い掛かる。それに対して、クレアは必殺のふぶきで迎え撃った。念力の波とぶつかり合った猛吹雪は、唸りを上げてダイサイコを飲み込むと、返す刀でスリーパーの顔面に牙を剥く。
「行けえぇ、クレアーーーーー!!」
 白銀の光が脈動し、それと同時に俺はクレアを突っ込ませる。プラウドはグレイシアの突撃を止めようと、スリーパーにサイコキネシスを放たせ、クレアを絡めとろうとした。
 ――が。
「うぉああぁぁぁーーーーーーっ!!」
「っぱああぁぁぁーーーーーーっ!!」
 周囲から襲い掛かる念力の波に、俺とクレアが同時に吼える。次の瞬間、クレアの周囲に発生したダイヤモンドダストが、サイコキネシスを木っ端微塵に粉砕した。
「ば、馬鹿な……! こうなれば、トレーナーからやってしまえ! ダイバーン!!」
「!!」
 やばい、クレアが復活したから、完全に俺自身はノーガードだった! 戦慄する俺だったが、そこに入ってきたのは、まさかのスノウだった。
「フレス、お願い!!」
「ターッ!」
 身を守ろうとする俺の横を、赤い影が駆け抜ける。迫りくるダイバーンを、その身で全て受けたのは……
「あれは……」
 スノウのブースター・フレスだった。ブースターの特性は「もらいび」。ほのおタイプの技を受けると、ダメージを無効化すると同時に、自分の炎の威力も上げるものだ。赤く揺らめくブースターに、スノウは恐怖を押さえながら指示を下した。
「かえんほうしゃ!!」
「ブース、ターッ!!」
「ちっ……貴様らあぁぁっ!!」
 思わぬ横槍に、プラウドは怒りの声を上げる。だがその時点ではもう、クレアはスリーパーに対しゼロ距離まで踏み込んでいた。
「行け、クレア! 思いっきり、ふぶき!!」
「ダ、ダイウォールッ!!」
 雪色纏うクレアのふぶきと、もらいびの力を得たフレスのかえんほうしゃ。大慌てでダイウォールの壁を展開するスリーパーに、かえんほうしゃが炸裂する。一瞬遅れて猛吹雪が決まり、激しい勢いに押されたスリーパーは、壁を何とか維持しながら後ずさる。ダイマックス技さえ無効化するダイウォールの壁に、ぴしりぴしりと音を立ててヒビが入った。その信じられない結果に、プラウドは叫ぶ。
「ダ、ダイウォールが破られかけるなんて、そんなことがあってたまるか……! 悪夢を見せるのはこの私だ、その私に悪夢が牙を剥くなど、あってはならんのだぁっ!!」
「いつまでもガタガタ抜かしてんじゃねえ! 俺はスノウと約束したんだ! とっとと俺らを、この腐れた悪夢から解放しやがれ!!」
「ほざけ、小僧ッ!! スリーパー、ダイサイコ!!」
「リー、パー!」
「先生、クレアちゃん、危ない!!」
 ダイウォールの壁を解除して、スリーパーは強引にクレアを捻り潰そうとする。それを見たスノウの、悲鳴のような声が上がるが――
「この先悪夢を見続けるのは、てめえだプラウド……!!」
「グレエエェェェーーーーイ…………」
 雪色のクレアの眼差しが、一際明るく脈動する。それと同時に、クレアの周りに猛吹雪が渦巻いた。彼女自身の姿が見えなくなるほどの猛吹雪の中、それでもクレアと目が合ったのが感覚で分かる。
「行くぜ、クレア――」
 どくんと心臓が激しく鼓動し、俺は彼女に、決着の指示を繰り出した。
「――ヒプノブリザード!!」
「アアアアアァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーッ!!」
「ス、スリーパー!!」
 唸り吼える猛吹雪が、クレアの両前足の間から解き放たれ――自分の何倍もの質量を持つスリーパーの巨体が、思いっきり吹っ飛んだ。ホールの壁に叩きつけられ、びきびきという音と共に壁ごと氷漬けになっていく。
 着地したクレアの目の前で、雪煙が晴れていき――
「うがあぁぁっ! 夢だ、これは悪夢だあぁぁっ!!」
 ――氷像になったスリーパーは、壁に縫い付けられて気絶していた。同時にクレアの体のオーラが、それこそ雪のように掻き消えて……
「グレイィ……」
「く、クレア!? 大丈夫か!?」
「レー……」
 へたり込むように倒れてしまった。べちっと倒れた姿勢から、それでも振り向いてくれる姿に、安心したのと面白かったのでふと笑みがこぼれてしまう。俺はクレアの頭を撫でると、彼女の労をねぎらった。
「ありがとうな、クレア。よく頑張ってくれたな」
「っぱあ……」
 力のない笑みを浮かべる、疲れ果ててしまったクレアを、俺はボールの中へと戻す。頭を抱えて絶叫しているプラウドの姿はひとまず無視して、俺はスノウへと笑いかけた。
「お疲れ様、スノウ。助かったぜ」
「ううん、ありがとうございました」
「どってことねえよ。さて――」
 少しずつ、周囲が歪み始める。壊れたビデオテープのように、視界がじりじりと歪んでは戻る。そうか、元凶を倒したから、もう悪夢は終わるんだ。
「それじゃあな、スノウ。現実世界で、すぐ会おうな」
「はい! 先生、とってもカッコよかったです!!」
 俺だけじゃねえよ。んじゃ、またな。そう言いたかった俺だったが、もう、言葉は返せなかった。


「っ、う……」
 呻き声を一つ上げて、俺はゆっくりと目を覚ました。目が覚めたとき独特のぼーっとした感覚があり、ぐるりと周囲を見渡していく。
「あ、塾長。それに、ジェットも」
「おう、セツ先生。お手柄だったな」
「あ、ああ、あはは……」
 何のことだか一瞬分からなかったが、すぐに思い至って笑みをこぼす。そういえば、クレアは? あちこち辺りを見回してみるが、一緒にいたはずのクレアがいない。が、腰のボールを放ってみると、中から元気に飛び出してきた。「っぱあ!」と笑顔で鳴く姿は、先ほどの出し切った戦いの後など、欠片ほども見受けられない。
 もしかして、全部夢の中の出来事だったのか? そう思えるほど、ボールの中から出てきたクレアは、先のダメージが見られなかった。だが、全部が夢の中のことだとすると、なぜクレアがボールの中に戻っているのか、理由の説明がつかなかった。スノウの夢に飛び込む前、確かにクレアは俺の隣にいたはずなのだ。
「……って、そうだ! スノウは!?」
「ああ、まだ……」
 だが、それよりもはるかに大事なことに思い至り、俺はスノウの寝ていたベッドに目線を飛ばす。するとそこには、まだベッドで眠り続けるスノウの姿と、そんなスノウを見守っている母親の姿。瞬間的に顔が引きつるが、母親は穏やかな笑みを浮かべると、大丈夫ですと微笑んだ。
「刻印は、全て消えていました。ですから――」
「……ん……ぅ……」
 と、言葉を続ける母親の横で、スノウの眉がぴくっと動く。やがて、その目がぽぅっと見開かれ、捉えた者のことを呼んだ。
「……お母、さん……?」
「スノウ……!」
 母親の表情が、崩れる。起き上がったスノウの体を抱き締めると、母親は泣いた。
「スノウ、よかった……! ごめんね、ごめんね、駄目な親で……!」
「ひゃぁ、やめてよ、そんなことないよー」
 喜び合う母と娘を、俺たちは笑みを浮かべながら見つめていた。


【Ⅵ】 

 ――俺たちの塾は、今日も生徒たちで大賑わいだった。先週とは打って変わって、俺は余裕をもって出勤する。
「おはようございます」
「ああ、おはよう。今日は小学生クラスの国語、中学校サードクラスの社会、セカンドクラスの社会だね」
「ええ」
 四月も終わろうとしている今日は、確認考査の返却日だ。やれるかぎりやって挑んだスノウの結果は、俺もまだ見ていない。と、授業の準備を進めていた俺の前に、一組の親子がやってきた。
「スノウ。それに、お母様」
「こんにちは、先生! これ、結果です!!」
「お、どれどれ……」
 息を切らすようにやってきた彼女から、確認考査の成績表を受け取った。果たして、彼女の社会は――
「すごいじゃないか、スノウ! よく頑張ったな!!」
「はい!!」
 さすがにトップとはいかないまでも、上位三分の一に食い込む結果だった。他の成績もなかなかのもので、全体でいえば上位二割に入ってくる好成績。ひとしきり喜びを分かち合うと、俺は塾長と共に、お母様に向き直った。
「お母様。これでスノウさんのこと、また信じてくれますね」
「はい、ありがとうございました。本当に、いろいろとお世話になりまして……」
「いえいえ、俺はあくまできっかけを作っただけです。実際はスノウさんの努力ですよ」
「とんでもない。私は、家でスノウがあれだけ勉強するのを、はじめて見まして……」
 これ、受け取ってください。大きな紙袋を渡され、塾長と共に恐縮しながら受け取った。中身はお菓子か何かだろうか? 気を遣ってくれてありがたい限りだ。
「レン先生、セツ先生。それにジェット先生も、本当にありがとうございました」
「私は何もしていませんよ。プラウドも、隔離されたみたいでよかったですね」
「はい。これで私も娘も、やっと安心して寝ることができます」
 遠くから呪いをかけてきた男・プラウドは、あの後無事につかまった。あんなオカルトじみた事件、どうやって調査するんだと思ったが、ジェットが裏から手を回して、なにやら捜査にこぎつけたらしい。どういう手段を使ったのかは怖いので聞いていないが、捜査を始めたところ、プラウドの家には怪しい儀式の痕跡と、どうしてか眠り続けるプラウドの姿。目を覚ます気配はないらしく、昼となく夜となくうなされているらしい。儀式の反動か、それとも本当にダークライにでも取りつかれたのか。今は病院に運び込まれているらしいが、人を呪わば穴二つということだろう。
 と、スノウが「あの」と小さく言って、俺のことを見上げてくる。
「どうした?」
「あ、その……」
 聞き返す俺に、何かを言いかけてくるスノウ。いつも積極的に絡んできて、何でも話してくれるスノウにしては珍しい。と、母親は何かを察したのか、穏やかな笑みを彼女に向けた。
「……ほら、スノウ。先生にお渡ししなくていいの?」
「え、あ、うん……」
「…………?」
「先生、これ、よかったら使ってください」
 ためらったスノウは、小さな包みを取り出した。
「これは?」
「開けてみてください」
「あ、ああ」
 開けてみると、入っていたのは一枚のカード。一本の紐が通っていて、首にかけられるようになっていた。
「じゃくてんほけんです。グレイシアはこおりタイプで、弱点も多いから役に立つと思いまして……」
「マジか……」
 これ、もらっていいのだろうか。というか、生徒から個人的にものをもらうのは、さすがにまずいのではないだろうか。そう思った俺だったが、塾長はいたずらっぽく笑って済ませてくれた。どうやら、見逃してくれるらしい。
「ありがとう、遠慮なくいただくよ。クレア、よかったな」
「っぱあ」
 早速、じゃくてんほけんをクレアに持たせてやる。首にかけられたクレアが元気に一鳴きするのを見て、スノウははち切れんばかりの笑みを浮かべた。
「はい、ありがとうございます! ……でも先生、本当にこの前のバトル、凄かったですよね。私、先生とクレアちゃんなら、どんな相手にも勝てると思いましたもん」
「ははは、それはどうも」
 あれが現実なのか、それとも夢なのかは分からない。みんなで同じ夢を見るというのも、非常に確率は低いだろうが絶対にないとは言い切れないし、それにあの戦いで見せたクレアの姿は、あれから一度もなれなかった。どうやってなったのかも覚えておらず、しばらく再現しようと格闘していた俺らだったが、全くもって手掛かりがないので諦めた。きっとそれこそ、夢の中の話だったのだろう。
「先生」
「うん?」
「中間試験近くなったら、また社会教えてください」
「ああ、いいぜ」
 これは、テストが近くなったら大変そうだ。苦笑する俺らだったが、そこへスノウが、続く質問をかましてきた。
「……そういえば先生って、本当に彼女いないんですか?」
「なんだよ、いきなり突拍子もなく。いねえよ、つーか欲しいよ畜生」
「そうですか」
「ちょっとスノウ、失礼よ」
 こくりと頷いたスノウは、なぜか上機嫌で教室へと向かっていく。母親が止めるが、スノウの耳には入っていないらしく。本当に申し訳ありませんと頭を下げるスノウの母親に、俺はいやいやと手を振った。
「俺がモテないネタは、校舎の風物詩みたいなものですから」
「すみません、先生。家に帰ったら、よくお説教しておきますから」
「いやいや、大丈夫ですよ」
「本当に申し訳ありません。ありがとうございました。どうか、今日もあの子をお願いします」
「ええ、お任せください」
 何度も何度も頭を下げながら、教室を出ていくスノウの母。塾長・ジェットと共にその姿を見送って、俺は再び授業の準備へと取り掛かる。それが終わると、時間はちょうど最初の授業が始まるところ。
「さて、そしたら今日も行きますか――って、お前何しみじみ頷いてんの?」
「ぱー、ぱー」
 スノウの消えた教室と俺の方を見比べて、何やらしみじみ頷いているクレアに、小さく首をかしげながら。
 俺は今日も、生徒たちが待っている教室へと入るのだった。





Fin

後書き 

 お久しぶりでございます。夏氷でございます。
 セツとクレアの物語、四幕目でございます。
 今回のテーマは「夢」。目標に向かって挑むセツたちと、それを邪魔する悪夢の閃光の構図から、いまだかつてない強敵との戦いを描きました。セツたちのレベルが40台なのに対し、敵のレベルは68。しかもダイマックスが延々と続き、努力値も510メラメラに振り切っているという超強敵に仕上げました。
 敵のダイマックスがずっと続いているのは、某ワイルドエリアのポケモンの巣がモチーフなのですが……あれはダイマックスエネルギーが溢れかえっていたことを書き上げるまで忘れていました。まあ、ポケモンの巣からエネルギーがあふれていなくても、ヨロイじまでビークインが巨大化してたし、別にいいのか?
 後はメガシンカというかキズナ現象というか、そんな感じのパワーアップも書きたくて、戦闘場所が夢の中というある意味なんでもありな場所なのを免罪符にして、好き勝手やってしまいました。とはいえ流石に加減はわきまえているつもり(いや、本当に「つもり」……)なので、某スーパーマサラ人のゲッコウガみたいに合計種族値+110なんていう鬼のような強化はできませんでしたが。それどころか、内部設定上は普通のメガシンカ(合計種族値+100)も下回っています。もっとも、第一幕「氷動クライシス」で腕を凍らせて固着させたり今回もスリーパー(Lv68)のサイコキネシスをまともに食らって無事だったり、本来何も進化もしないはずのグレイシアを超強化したりしているので、奴も多分マサラ人と化している。
 なお、決着をつけるためにぶっ放した必殺技「ヒプノブリザード」は、「サン&ムーン プロモカードパック第10弾」に入っているグレイシア(ポケモンカードのグレイシア)が使う技で、90ダメージ+確定ねむり+相手のベンチポケモン全員にも20ダメージという強力な技です。今回はZ技よろしく全力でぶっ放したため、ダイサイコとぶつかり合って威力が減衰していることも考慮して、威力130+タイプ一致+急所ダメージで計算しています。
そして相変わらず「セツ」と「クレア」は、ソードシールドのフリー対戦によく潜っておりますので、もしマッチングすることがあったら、対戦相手としても味方としても、楽しく戦っていきましょう! バトルの申し込み鋭意受付中でございます(当たり前ですがあんな強化はできません。せいぜいダイマックスぐらいです)。
 何かございましたら、なんなりとお寄せくださいませ。いただいているコメントが、執筆の励みになっております。
 それでは、今回もお目汚し、失礼いたしました。


【バトルデータ】

セツのグレイシア
名前・クレア Lv.47 性格・ひかえめ
技・れいとうビーム/ふぶき/みずのはどう/ミラーコート
HP・127(15) 攻撃・58(8) 防御・122(31) 特攻・170(31) 特防・107(28) 素早さ・81(31)
努力値・HP24、特攻116、素早さ4

≪スリーパーとの戦闘時に食らった技≫
◎通常時/決着時
○スリーパーのダイバーン ダメージ・115~136 90.6%~107.0%
(晴れ。れいとうビームとぶつかり合って威力が減衰しているため、ダメージを半分にして計算)



セツのグレイシア(雪色グレイシア)
名前・クレア Lv.47 性格・ひかえめ
技・れいとうビーム/ふぶき/みずのはどう/ヒプノブリザード
HP・127(15) 攻撃・74(8) 防御・127(31) 特攻・201(31) 特防・112(28) 素早さ・114(31)
努力値・HP24、特攻116、素早さ4



セツのミミッキュ
名前・セイル Lv.47 性格・さみしがり
技・シャドークロー/じゃれつく/かげうち/つめとぎ
HP・118(20) 攻撃・115(31) 防御・84(31) 特攻・53(3) 特防・107(9) 素早さ・110(31)
努力値・攻撃10、素早さ10

≪スリーパーとの戦闘時に食らった技≫
◎通常時
○スリーパーのダイサイコ ダメージ・14(ばけのかわが身代わりになった) 11.8%
○スリーパーのサイコキネシス ダメージ・94~111 79.7%~94.1%
(サイコフィールド。床ではなくレントラーにぶつけられたため、威力を8割にして計算)

◎決着時
○スリーパーのダイサイコ ダメージ・135~160 114.4%~135.6%
(床ではなくレントラーにぶつけられたため、威力を8割にして計算)



セツのヌマクロー
名前・ジェフリー Lv.41 性格・ゆうかん
技・ハイドロポンプ/マッドショット/れいとうパンチ/まもる
HP・122(31) 攻撃・100(31) 防御・68(14) 特攻・70(31) 特防・68(14) 素早さ・48(19)
努力値・HP16、攻撃36、特攻36

≪スリーパーとの戦闘時に食らった技≫
◎通常時
○スリーパーのほのおのパンチ ダメージ・47~56 38.5%~45.9%
(れいとうパンチとぶつかり合って威力が減衰しているため、威力を8割にして計算)

◎決着時
○スリーパーのサイコキネシス ダメージ・144~169 118.0%~138.5%
○スリーパーのほのおのパンチ ダメージ・59~70 48.4%~57.4%



ジェットのエースバーン
名前・クロッサー Lv.46 性格・ようき
技・かえんボール/ローキック/ずつき/フェイント
HP・137(31) 攻撃・116(21) 防御・75(14) 特攻・58(10) 特防・81(28) 素早さ・138(31)
努力値・HP24、攻撃24、素早さ52

≪スリーパーとの戦闘時に食らった技≫
◎決着時
○スリーパーのサイコキネシス ダメージ・156~184 113.9%~134.3%
(サイコフィールド)



塾長のアマージョ
名前・アマージョ Lv.43 性格・なまいき
技・トロピカルキック/アロマセラピー/ふみつけ/しっぺがえし
HP・127(16) 攻撃・125(15) 防御・100(12) 特攻・59(21) 特防・114(25) 素早さ・72(25)
努力値・攻撃52、防御20

≪スリーパーとの戦闘時に食らった技≫
◎通常時
○スリーパーのほのおのパンチ ダメージ・110~130 86.6%~102.4%
戦闘続行が可能だったため、実際に食らったダメージは126以下

◎決着時
○スリーパーのダイサイコ ダメージ・106~126 81.5%~96.9%



塾長のレントラー
名前・レントラー Lv.45 性格・やんちゃ
技・かみなりのキバ/はかいこうせん/じゅうでん/いばる
HP・142(20) 攻撃・141(16) 防御・83(9) 特攻・101(7) 特防・75(12) 素早さ・76(13)
努力値・HP8、攻撃36、特攻36

≪スリーパーとの戦闘時に食らった技≫
◎通常時
○スリーパーのサイコキネシス ダメージ・43~51 30.2%~35.9%
(実際はセイルを叩きつけられただけだったため、ダメージを3分の1にして計算)

◎決着時
○スリーパーのダイサイコ ダメージ・194~228 136.6%~160.6%
(セイルと共に食らったため、ダメージは8割にして計算)



スノウのブースター
名前・フレス Lv.21 性格・がんばりや
技・ひのこ/かえんほうしゃ/でんこうせっか/どろかけ
HP・63(21) 攻撃・65(29) 防御・35(24) 特攻・51(31) 特防・55(19) 素早さ・36(21)
努力値・HP17



プラウドのスリーパー
名前・スリーパー Lv.68 性格・のうてんき
技・サイコキネシス/ほのおのパンチ/きあいだま/さいみんじゅつ
ダイマックス技・ダイサイコ/ダイバーン
HP・255/510(28) 攻撃・145(31) 防御・135(31) 特攻・145(31) 特防・160(25) 素早さ・115(28)
努力値・HP252、攻撃120、防御12、特攻120、特防0、素早さ6

≪クレアたちとの戦闘時に食らった技≫
◎通常時
○セイルのシャドークロー ダメージ・62~74 12.2%~14.5%
○セイルのかげうち ダメージ・36~44 7.1%~8.6%
○クロッサーのローキック ダメージ・9~11 1.8%~2.2%
○セイルのシャドークロー ダメージ・92~110 18.0%~21.6%
(クロスカウンター気味に直撃を食らわせたため、急所ダメージで計算)
○クロッサーのずつき ダメージ・30~36 11.8%~14.1%
○レントラーのかみなりのキバ ダメージ・45~53 8.8%~10.3%
○ジェフリーのハイドロポンプ ダメージ・24~28 4.7%~5.5%
○クレアのれいとうビーム ダメージ・29~35 5.7%~6.9%
(ダイバーンとぶつかり合って威力が減少しているため、ダメージを半分にして計算)
○クレアの蹴り ダメージ・6~8 1.2%~1.6%
(吹っ飛ばしたとはいえ技でもなんでもないただの蹴りなので、にどげりの威力を1発分で計算。ただしタイプ相性は無視して計算)
○クレアのふぶき ダメージ・57~68 11.2%~13.3%
(ダイサイコとぶつかり合って威力が減少しているため、ダメージを8割にして計算)
合計・390~467

◎決着時
○クレアのヒプノブリザード ダメージ・127~150 24.9%~29.4%
(ダイサイコとぶつかり合って威力が減衰している反面、全力でぶっ放しているため、威力130+タイプ一致+急所ダメージで計算)

ダメージ・517~617

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Last-modified: 2024-04-08 (月) 10:10:45
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