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名無しの4Vクリムガン Utility Umbrella

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 おれは目の前の風景をじっと眺めながら、頭の中で別のことを計算していた。
 思考が現実から解き放たれているときのおれにしても、今回の遊離はかなりの距離があった。距離、という比喩表現は、一般の基準でいえば、ぼーっと空想している度合いがひどいといった具合である。地上が現実とすれば、おれの自我未満の心は空中をふわふわ散歩している。今回は、地上からの距離が遠いといった次第だった。月まで行ってしまいそうなほどに。
 今、おれがそういう空想を飛ばしているのは、それぐらいしかすることがなかったからだ。
 雨であり、砂漠であった。
 なにやら遺跡らしき建物の入り口で雨宿りをしている。豪雨というほどではなかった。かといって小雨というほど弱くもない。ポケモンセンターに戻るまでには必ず全身びしょぬれになるだろうし、砂漠の雨だというのに体温を奪われそうな冷たい雨だったのだ。
 クリムガンという種族の体質は、体温の低下にきわめて弱い。したがって、雨にも非常に弱く、ほとんど本能のレベルで、おれは雨が降る前にふらっと砂漠の遺跡に入りこみ、なんとか濡れずに済んでいる。
 気づいたら、雨の牢獄に囚われていた――というようなものだった。
 見渡せば、薄橙色の砂が濡れた灰色の中、雨音が少し遠くにあるような、広がりのある空間。空は似たような濁った色に覆われていて、遠くにあるはずのスカイアローブリッジは塗りつぶされたかのように視界に映らない。
 雨音が、遺跡に反響して、ぴちょんぴちょんと鳴っている。
 現実から、どこか遠い場所。雨でなにもかもがシールドされたような世界。
 おれは、小さな雨傘を握りしめながら、ぼんやりまなこで雨宿りをしている。




 突然だが、おれは武器が欲しくなったのだ。
 当たり前の前提ではあるが、おれは武器を持たない。というのも、ポケモンにとってはおおよそ武器よりも殴るなり噛むなりしたほうがてっとりばやかったりするし、人間の道具は似合わない。
 それでももし、武器をひとつだけ持てといわれれば、おれに似合う武器はなんだろう。
 おれの武器候補としては、いくつかある。
 まず、包丁なんてどうだろう。あの、生活の残留思念がこびりついた冷たい凶器は、おれにとって割と美的感覚に合致している。おれの体格にじゅうぶん釣りあう重さでもあり、なにより相手に気づかれないうちに臓腑にズブリと刺し入れるのは、なかなかに面白そうな感覚が期待できそうだ。
 殺傷性は、あまり考えない。どうせ貫手(ぬきて)でも同じことができる。あえて包丁の利点を挙げるなら、手が汚れないことくらい。それだって、高速で手を振りぬけば、おそらくにおいすら残さないだろう。
 結局、包丁の面白さは刃物を突き刺すときの「プツ」という突破の感覚ぐらいのものだ。それと、丸っこい形。包丁はかわいい。丸くて、小さくて、ふんわりした曲線を描いている。それでいてだれかを傷つけることができる。だから、少しだけ共感できるのかもしれない。
 次の候補は、言わずと知れたバールのようなもの。でもこれは、あまりにも無骨すぎるかもしれない。おれの腕力ならブンブン振り回せるが、かわいさには欠ける。あれは脱出のモチーフではあるが、一種の力技――こちら側から、無理やりこじ開けて侵奪してゆく方法だ。今回は雨に囚われてはいるものの、バールでは力及ばずといったところか。なにしろ、雨はそこらに遍在している。遍在しているものをこじ開けることは、バールにはできない。
 次に考えたのは、はさみ。これは、割といいかもしれない。はさみ程度なら触ったこともあるし、なによりあの形が完璧に近い。
 はさみの閉じた状態は、ハートの形に似ている。殺傷能力も、意外と侮れない。刃の部分を極限まで研いだことがあるが、そのはさみをちょっとポケモンの腕力で回転させながら投げつけると、木がすぱっと切れた。生き物でも同じようになるかもしれない。ただ、そこまで研ぐには相当の集中力と時間を要するところであるし、元来ふらふらしっぱなしのおれは集中力がもたないので、そこまでのはさみを創りあげるには長い時を待たなければならないかもしれない。無意識のうちに気が乗れば、ほんの三日ほどで完成したこともあったのだが、その無意識に気が乗るかどうかが運次第なので、あてにならない。
 あとは、傘なんてどうだろう?
 折りたたみ傘というのでなければ、先端に金属の芯が通ったやつがあるし、あれを高速で突きだせば、ポケモンくらい殺せるかもしれない。殺傷力は無に等しいが、開けばそれなりにかわいらしい。
 ふわふわしたものは、割と好きなおれである。
 やっぱり、好きなものを武器にするのがいちばんだよな――
 と、おれは計算する。好きこそものの上手なれ、とかいう言葉もあるらしいし……
 だとすれば、とりあえず今回はバールは一段落ちて、包丁とはさみと傘の中から武器を選ぼう。
 栄えある一位はなんだろう?




 雨の音がずっと続いていると、そのノイズが、あたかもいつもそこにある音に感じられて、安心感のようなものが生まれる。大きな音ではなく、小さな音が絶えず降り注ぐことによる、一種のマヒ状態のようなものか。その感覚が、おれを強烈に現実へと押し戻す。
 この感覚は、おれだけのものなのだろうか。雨音をじっと聞いていると、空想と現実が入れ替わりたちかわり訪れて、自分という存在がよくわからなくなってくる。それはアイデンティティの崩壊とかいった重さとは無縁の、心地よい浮遊感。
 消えてなくなってしまいそうだ。存在の、耐えられない軽さ。
 単に空想を続けることも疲れるという、他愛のない理由なのかもしれない。
 だから、今のおれは考えることを一旦やめて、遺跡からまた代わり映えのしない風景を眺めている。あいかわらず雨は降っているし、砂漠や空の色もまったくいっしょだ。
 違う点を探す。
 無意識の中に流れを見て、わずかな違いを探る。思考的な視野狭窄は、おれにはありえない。
 たとえば、雨の中をわざわざ出歩くやつはいないだろう、といった思いこみはおれには無縁なのだ。
「メグロコ」
 ずっと向こう側に、小さなポケモンが群れていた。雨で視界が悪いせいもあり、豆粒くらいにしか見えない。
 ポケモンにもいろいろいて、泳ぐのを好まないみずタイプ、雨を嫌わないじめんタイプ、さまざまである。あのメグロコたちは、おそらく雨が好きな性格なんだろう。和やかにじゃれあっていて、楽しいからそうしているという雰囲気が、この距離からでも伝わってくる。
 おれも駆け出していって、いっしょに雨と泥の中でダンスしようかと思った。
 別に、雨に濡れることくらい、おれにとっては本当にどうとでもないことなのだ。いくら冷たい雨だからといって、火を吹いて乾かせば体を弱らせることはない。ただ、なんとなくの気分で決めたことだ。自分で決めたことをひっくり返しても、だれも迷惑なんかしない。
 だから――
 だから、自分で決めたことをそのまま貫徹しても、やはりだれも迷惑なんかしない。
 おれは雨宿りを続けることにした。




 おれはポケモンだから、料理なんかしない。
 と、断定的に言われればさすがにおれも物言いをつけなくなるかもしれない。
 しかし、人間のメスにとっては料理ができないこと、すなわち無能の烙印を押されてもしかたない。それほど、人間のメスというカテゴリーにとって、料理は重い。もちろん、それもおれの気ままな価値判断に過ぎないが。
 実を言うと、タブンネに料理を作ってやろうとしたことがあった。
 料理のような、ひとつの結果に向けて意思をコントロールすることは、おれにとっては至難に近い。でも、だからこそ面白くもある。みんな、なぜやりたいことが分裂しないのだろう?
 トレーナーがよく使う、ポケモンセンターの調理場で包丁を持ち、よく研いで、湯を沸かして、まな板を置き、その上にきのみを置いた。さあ、切るぞと、おれが意思を統合した――
 そのあたりが限界だった。
 なんの偶然か、窓の外でクルマユが集めていた葉っぱがあまりにもきれいだったから、そのまま外に出ていってしまったのだ。もはや、料理が苦手というレベルですらなかった。
 タブンネは呆れたけど、怒りはしなかった。おれらしさに溢れたプレイとみてもらったのかもしれないし、諦めていたのかもしれない。
 おれも、タブンネに対して料理を作る約束だったことを、三日後くらいには思い出して、とりあえず経験則にしたがって、謝った。こういうときは謝ると、ほとんどの場合は引いてくれることを知っていたから。それは計算とはほど遠い。どうしようもなく他者の気持ちがわからないから、そうするしかないのだ。
 おれはポケモンセンターに戻ってきたときも、包丁を握りしめたままだった。なにか、テラテラしている粘液で覆われていた。ちょうど、窓の外のクルマユの色に似ていた。
 ――やっぱり、包丁は武器に最適なんだろうか?
 場所によっても違うのだろうが、ポケモンセンターでは野生のポケモンに、ジョーイが料理を作る場合があった。怪我や病気で弱ったポケモンに合わせた食事を用意するのだ。
 料理は――「 」で溢れている。
「 」は最高のエッセンスなんて言い方もあるが、本当のところは知らない。
 その言葉を前提にするなら、ジョーイはいつだって「 」をポケモンに与え続けたことになる。そのままでは、心がパンパンに膨らんで、風船みたく破裂してしまう!
 だから、おれはタブンネに料理を作ってやりたかったのかもしれない。
 これは……あてこすりなのだろうか?
 違う。
 復讐?
 違う。
 単に、「 」という武器で攻撃してくるジョーイに対する正当防衛なのだ。




「なにをしてるんだ?」
 気づいたら話しかけられていた、なんて経験は珍しくもない。
 二本の後ろ足で直立したメグロコみたいなポケモンだった。進化系だろうと、容易に察しがつく。しかし、この砂漠では珍しいポケモンだ。体が濡れていなかったので、どうやら遺跡の奥からやってきたらしい。
 少し所有欲求が湧いたが、今は雨宿りに専念すべきという想いが強い。だから普通に答えることにした。
「雨宿りをしているんだ」
「ふうん」と、そのポケモンは言った。「訊くけど、じゃあ、なんでその傘を使わないんだ?」
「傘は武器候補だから」
「武器?」と、そのポケモンは首を傾げる。「傘は、差して使う物ものだろ?」
「そう。傘は刺して使うものだ。斬撃はさすがに無理だ。撲殺も無理そうだな」
「意味不明なことを言って、からかっているのか?」
「からかってなんかない」と、おれは言った。「なぜって、ほら、この傘、こんなに小さいんだ。こんなんじゃ、ちょっと強く叩きつけただけで骨組みが折れてしまう」
「そうじゃない。なんで雨避けに使わないんだ?」
「なんでって、そりゃあ傘は武器だから」
「それは普通の使い方じゃない」と、そのポケモンは言った。
「普通ってなんだ?」と、おれは言った。「道具の使い方を決めるのは持ち主の意思だ。おれが武器だと言っているんだから、この傘は武器だよ。断じて雨避けの道具じゃない」
「変なヤツだな」
「おまえから見ておれが変だというなら、相対的におれから見たおまえも変ということになるな」
「やっぱりバカにしてるのか」
 意味がわからないからバカにされているように感じたのだろうか。そのポケモンはいきなりマッドショットを飛ばしてきた。本気のわざではない。おれは尻尾で相殺する。
「やる気だな」
 そのポケモンは威勢のいい声をだした。
「なにを?」と、おれは尋ねた。
「ポケモンバトルに決まってるだろう」
「やらないし、やる気もない」
「これだけ俺を挑発しておいて」
「挑発」と、おれは繰り返した。「なんだか気に障ったのなら、謝る。ごめん」
 頭を下げて、丁寧に一礼する。
 例によって、経験則に裏づけられた単なる儀式的行為だ。内心や主観においてはまったく謝意など存在しない。ただナットレイへのかえんほうしゃのように、こうかはばつぐんだった。目の前のポケモンは、明らかに威勢を削がれたようだった。
「まったく。なんなんだよ」
 ぼて、と音をたてて、おれの隣に尻を下ろした。
「おまえも雨宿りするのか?」
「フン」
 よくわからない行動だった。
 それ以上話しかけてくるようすもなければ、腕を組んでむすっとした表情で前を向いている。
 なかなかに面白い。どうして嫌いなのに近づこうとするのだろう。
 おれ以外の多くの存在がもっている機能、障害耐性(フォールト・トレランス)なのだろうか。異常なものを切り捨てるのではなく、既知の存在として取りこもうとする。そうすることで、社会、セクト、集団といった全体を保持しようとする。
 ありきたりな言い方になおせば、共感しようとする性質。寄り集まろうとする性質。他者を許容している気分になれるという、素敵機能だ。本当に……殺したいくらい素敵。
 おれは自分の右手に握られている傘を見る。ピンク色の小さな傘。
 この、殺傷力極小の傘でも、隣にいるポケモンくらいなら、一突きでひんしにさせることができるかもしれない。




 はさみの話に移ろう。
 はさみといえば、言わずもがなの機能は切断である。切る、というより、切り取る、といった言葉がぴったりとあてはまる。おれがはさみを使用するのはさしてないところであるが、タブンネは割とよく使っているようだ。
 主に、ガーゼやテープを適度にカットするために。毛の長いポケモンが大きな怪我をしたときなども、はさみを使ってカットすることがある。
 ふわふわした毛をカットするのは、かなり熟達した腕がないと難しいところではあるが、タブンネの場合は年季が違った。ポケモン専用の美容師にだってなれるかもしれない。すぐにでもどこかに行きそうになるおれの集中を、適度な会話で喚起し、ガーゼなどをすばやく必要な量だけカットするところも、見たことがあった。それはもう、タブンネにしかできない完成された技といってもよい。
 おれもやりたいと思った。
 単純に、タブンネの毛を切ってみたかったのだ。なんとなく、切るときのしゅわしゅわいう音が気持ちよくもあるし、タブンネを切断することに対して、なにかしら悦びめいたものを感じなくもない。
 タブンネは顔を引きつらせた。
 なにをするかわからないところのあるおれに毛を切られるのは、やはりタブンネとしても怖かったのだろう。故意に害されることはないにしても、無意識にやってしまうなんてありえることだし、タブンネの憂慮はまずまず正当といえた。おれも自分のフラフラしているところは否定できないし、表面上は諦めた。
 でも、タブンネを切り刻みたいという欲求は、やけどのようにくすぶり続けた。
 このままでは本気でやりかねないかも、と自己判断して、おれはとりあえず毛の代わりに紙を切り刻むことにした。
 面積いっぱいに描かれたのは、おれがクレヨンで描いたタブンネの絵である。その絵を、チョキチョキ切り刻む。
 チョキチョキ、チョキチョキ切り刻む。
 毛の部分だけにとどまらず、四肢分裂は当たり前だった。
 だから――はさみは割と優秀な武器なんだ。
 なにしろ、タブンネの身代わりをこれだけやすやすと切り裂いて、それなりの満足感を与えてくれるのだ。




「おまえ、家出でもしてきたのか?」と、そのポケモンは言った。
「どうしてそう思うんだ?」
「野生のポケモンが傘を持ってるなんておかしい。でも、傘があるのに帰らないなんて、それもおかしいだろう。最初はここでだれかを待ってるのかとも思ったけど、こんなところでそれはないだろうし……消去法だよ」
「消去法を使うには可能性の提示が少なすぎる」と、おれは言った。「雨を眺めるのが好きなだけかもしれない」
「憂鬱そうな顔をしていたから、その線は消せる」
「時間を潰しているだけなのかもしれない」
「傘を差して歩き回って時間を潰せばいいだろう」
「歩きたくない、面倒くさいってだけかもしれない」
「で、本当のところはどうなんだ」
「だから最初に言ったとおりだ。この傘は武器だから雨避けには使わない。そして濡れるのは嫌だ。だからここで雨宿りしているだけだよ」
「おまえ」と、そのポケモンは言った。「傘に恨みでもあるのか?」
「恨み?」
「傘は傘らしく使ってこそ本望なんじゃないか? 武器として使われるなんて、だれも望んじゃいない」
「そうなのか?」
「というか、その無頓着さ。その傘、おまえの傘じゃないんだろう」
「それは当たってる。この傘はポケモンセンターでタブンネに貸してもらったんだ」
「やっぱり」にわかに優越そうな顔をする。
「でも、今日は雨が降りそうだから持っていけとしか言われてない。だから、どう使うかまでタブンネに指定されているわけじゃない」
「はあ。それはどう考えても、雨が降りそうだから、降ったら傘を差せってことだろう」
「おれがこの傘を武器として使ってはいけないと、タブンネは禁止していると思うか?」
「それは……よくわからないが」
 隣のポケモンは、目に見えてうろたえているようだった。出会って一時間も経っていないのだ。おれのことも、タブンネのこともわかるはずがない。
「いや、おおよその場合でいいから教えてほしい。一般的に、雨が降りそうな条件下で傘を渡すとき、それはなにを期待しているんだ?」
「やっぱり濡れないでほしいってことじゃないか?」
「つまり傘を差してほしい?」
「傘を差して、早く帰ってこいってことだろう」
「ふうん。ありがとう、ためになった」
「なんか、変なやつだな。でも、まあ……」
 ごにょごにょと、なにかしら小さくつぶやいた。それから言った。
「俺はワルビルだ。メグロコの進化系。おまえは?」
「怪奇雨宿りお化け」
「おまえね」と、()()()()が言った。「こっちが名乗ってるのに、ごまかすなよ」
「人間からは、クリムガンと呼ばれてる」
「クリムガンか。しかたないから、覚えておいてやる」
 名乗りあった以上、もはや関係の修復は絶望的と思われた。この場合の関係の修復というのは、無関係という名の関係であるが。
 しかたがないので、今さらポケモンバトルに返答してみよう。
 1……2の……ポカン!
「ちょ、クリムガン、いきな……」
 きゅうしょに あたった!
 不意打ちめいたこともあり、ワルビルはあっさりノックアウトされた。まあポケモンは人間と違って頑丈なので、このくらいで死ぬことはないし、放っておいてもすぐに復活するだろう。復活がどのくらい先になるかはわからないが、できれば雨が止むころまでは復活しないでほしい。
 急に静かになった。雨は止まない。
「傘……差そうかな?」




 今日、出かける前のこと。
 タブンネはおれのようすを観察して、外に行きたそうにそわそわしていることを看破したのか、小さな傘を手渡した。全体としてはピンク色を基調としている。タブンネの趣味か、それともジョーイの趣味か。一見すると、日傘に見えるくらい鮮やかでかわいさ溢れる傘だった。
「手がふさがるし、いいよ」
 おれは突っぱねた。
「でも、濡れるでしょう?」
 タブンネも引かない。
「持っていくという意思が統合されないと、どこかに捨ててきてしまう恐れがある。タブンネに借りた傘をどこかに置いてきてしまうのも悪い。だから、いい。それに、ポケモンは傘なんか差さないだろう」
「ダメ。あなたは体が冷えたら大変なんだから」
「今まで帰ってこなかったときに雨に降られたことなんかいくらでもあるし、大丈夫だ」
「今日の天気予報では雨だったのよ」
「タブンネは結局、そうやっておれを『 』してるって態度をとることで、自分の信念を貫こうとしているだけじゃないのか? おれのためじゃないだろう、それは」
「友達のことを考えてるだけじゃない」
「考えてるなら、おれが嫌だって言ってるのをもっと考慮してほしい」
「わたしは……さすがに傷ついたわ」と、タブンネは言った。
「タブンネだけが、傷ついたのか?」と、おれは言った。




 ――といったようないざこざは一切起こらず、実際にはふらふらっと外に出ようとしているときに、傘を持っていったらといわれて、はーいと軽く受け取っただけである。そうでなければ、傘が今、手元にあるという現実を説明しようがない。
 空想に傾きがちなおれでも、記憶力と識別能力は高く、空想を現実と取り違えたりすることはありえないといってよい。
 だから、空想はどこまでいっても、おれの内部的な挿話に過ぎない。
 でも――「 」であるから……正しく「 」を根拠にしているから……絶対的に許されるとは考えてほしくない。絶対的多数派が共有しているその幻想だけは、おれは受けいれることができない。
 だから、武器がほしい。
 武器がほしいんだ。身を守るための武器が。
 思えば、タブンネに渡された傘は自決用の武器だったのかもしれない。これを使って死になさいと、タブンネは暗に指し示しているのかもしれない。それこが、()()()()()()()()の正体。
 汝死すべしという呪いこそが、愛がおれに強要する言葉なのだった。
 意味がわからないか?
 それはそうだろう。多数派にとっては、すでに経過済みのことだから。つまり、おれ以外のみんなは死体に過ぎないのだから、今さら生前のことを思い出そうとしてもゴーストタイプのように頭が回らなくて当然なのだ。
 でも、これだけは知っておいてほしかった。
 せめて、タブンネにだけは知っておいてもらいたかった。
 おれにとって、この傘を差して帰ることは、自殺にも等しい苦痛を感じる行為なのだ。
 傘の柄に手をかける。
 おれのなかのほとんど全員が、全力でその行為を押しとどめようとする。ワルビルの言葉をトリガーにした「愛は普遍である」という幻想はすさまじい力をほこっており、おれが体験したどんな魔法よりも強力だった。もはや逆らうことはできない。アポトーシスが作動した細胞のように……川に飛びこむミネズミの群れのように……戦争する人間のように……そうしては死ぬとわかっているのに、止めることができない。
 もう片方の手で、少しずつ傘を上へと……天に向かうように上へと……押し上げてゆく。
 開く。開く。開いてゆく。
 開き、開き、開いていった。
 今までずっと閉じられていた傘が、ゆっくりと開かれてゆく。
 ふわりと――
 最期は断末魔の悲鳴にしては弱々しく、シンプルに――
 傘は、完全に開かれた。




 雨が降っている。
 おれは傘に護られるようにして砂漠を歩いた――十五分ほどのあいだは。
 それから、おれは一瞬タブンネの顔を想起しつつも、傘を投げ捨てて風に飛ばされるがままにした。さすがに罪悪感や後悔も生じたが、傘を開いてしまったのだから、しょうがないのかもしれない。いずれ風に吹き飛ばされて、そういった感情もどこかに飛んでしまうだろう。
 伸びたワルビルを背負って、ポケモンセンターに帰ると、タブンネは傘はどうしたのかとは訊かずに、ずぶ濡れのおれをすぐさまタオルで包みこみ、ワルビルの手当てを始めた。
 ひと段落ついたところで、おれは計算する。
 結局、あの傘は小さかったから風に飛ばすことができた。
 では、タブンネという名の巨大な傘はどうだろう?
 そもそも、おれは傘を差したくないのだろうか。それとも、少しは差してもいいと思ってるのだろうか。
 考えても……わからなかった。
 しかたがないので、おれはしばらくのあいだ、ポケモンセンターの中で傘を差して歩いた。




【名無しのクリムガン】

じょうたい:Lv.27 HP100% 4V
とくせい :?
せいかく :?
もちもの :ばんのうがさ
わざをみる:げきりん かえんほうしゃ ふいうち へびにらみ 

基本行動方針:???
第一行動方針:傘を差す
第二行動方針:武器がほしい
現在位置  :ライモンシティ・ポケモンセンター
 

 もたせた ポケモンは あめと ひざしがつよいときの えいきょうを うけなくなる。

 



 

 


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Last-modified: 2022-02-15 (火) 23:01:13
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