ポケモン小説wiki
名無しの4Vクリムガン あくタイプの当然

/名無しの4Vクリムガン あくタイプの当然

 
名無しの4∨クリムガン プロローグ】 
名無しの4∨クリムガン ヤグルマの森で】  
名無しの4∨クリムガン シッポウシティのムーランド
名無しの4∨クリムガン 人間とポケモンの非構成的証明の法則
名無しの4∨クリムガン 夕陽の色の生存戦略テロル
名無しの4Vクリムガン おれがシキジカを殺した理由
名無しの4Vクリムガン ほらあなポケモンの貴重な食事風景
名無しの4Vクリムガン ruddish dragon crush
名無しの4Vクリムガン Utility Umbrella
名無しの4Vクリムガン どけタブンネ! そいつ殺せない!
名無しの4Vクリムガン Id
【[[名無しの4Vクリムガン Actio libera in causa ]]】
名無しの4Vクリムガン Beg for your life
 



 おや、久しぶりにお会いしましたね。
 なにか面白いことはないかと、お顔がそうおっしゃってますよ。
 そうですね、せっかくお会いしたので久しぶりにお話ししましょうか。私の、ゴチルゼルとしての唯一の能力といえば、サイコパワーで知り得たことを話すという、幻術ならぬ言述で他者を翻弄することですからね。
 いえ、別に不埒なことは考えておりませんよ。
 ただ欲を言うならば、あなたのなかに「悪」に対する正しい認識を子種のように植えつけたいと、そういうわけなのです。大仰な話ではありません。私の話など、ポケウッドの壮大な物語に比べればまったくたいしたことのないものですが――しかし、人間はどうも心が脆弱なせいか、悪徳的なジョークや物語を、好む好まざるにかかわらず、顔をしかめてしまいがちです。わかりますよ。悪徳は倫理や道徳よりも計算に重きを置いていますからね。人間は倫理や道徳という魔法に重心を置きがちですから、悪徳や害意に対する評価も低くなるのです。
 ただ誤解されているのは、「悪」という概念ですね。人間の使う悪という言葉は薄っぺらいものです。
 悪は、それ自体を目的とするものでなければなりません。ゆえに、あくタイプのポケモンなどが為す悪は、誰かを害することを目的とするものではなく、純粋な悪の果実なのです。魅惑的で蠱惑的な、人間の手には余る代物。すなわち、悪とは芸術なのですよ。
 たとえば、ヒウンシティのゾロア。あのポケモンもよくいたずらをして人間を害していますが、あのゾロアの場合、いたずらすること自体が目的ではなく、おそらくは誰かに甘えるのが目的なのではないでしょうか。だから客観的に害を為しているといっても、それは我々が言うところの悪ではないのですよ。
 ゾロアに化かされて驚いたところで、命を落とすわけでもないですし、落とし穴の上からクシシと笑ういやらしい声が聞こえたところで、悪としてのポイントはほとんどゼロに等しい価値しかないわけです。厳密にいえば、悪と呼ぶことすら躊躇してしまいますね。客観的な事実としての害があるゆえに、薄いながらも悪はあり、またそのことを成し遂げた因果的な意思もありますから、まったくゼロというわけではないのですが、まだまだ悪の華々しさに書けると、私はそう思います。
 かように、悪とは為し遂げることすら難しいものなのです。
 今回の趣旨は、あなたに「悪」をお見せすることです。真実、どこに出してもおかしくない、誇るべきポケモンの悪をお見せしようという趣旨なのですよ。
 残念ながら、私はただのゴチルゼルに過ぎず、言述使いとしてもさほど優秀ではないので心許ない限りですが、それでも、あなたのような野生のクリムガンを翻弄することぐらいは可能でしょう。
 おや。そのお顔はどうしましたか。ずいぶんと不敵な笑いですね。
 なに? 自分はいろいろな人間の本能を覗き見ているから、楽しみだと。
 素晴らしいですね。自我を無意識へ埋没させたあなたの顔が歪むのを見られるかどうか、私も楽しみです。




 枕詞に、現代の人間における言葉遣いの話でもしてみましょうか。
 それは「()()()()()」という言葉です。
 この言葉、ものすごく変ですよね。
 いちおう説明しますと、たとえば物事の好き嫌いを言う前に、この「個人的には」という言葉をつけ加えるわけです。個人的に好きだが、個人的に嫌いだが、というふうに逆説の文脈をなすことが多いですね。
 この言葉の用途と大意としては、およそ以下のようになります。
 ――わかっています。わかっていますとも。この作品が好きな人は多いようですし、たぶん高い評価がつくでしょう。ほのぼのは今の旬ですし、流行りですし、それに流行のキャラクターを使っていますし、作者は有名人ですからね。失礼ながら文章はあまりよろしくないですが、いちおう読める程度の作文には達しているわけですし、どうやらご人脈も豊かなようですし、レビューは高いようですし、つまり、一般受けはいいです。わかってはいるのです。わかってはいるのですが、しかし承服しかねるのです。私はこの作品についてよりよく検討しましたし、よく鑑賞しましたし、あなたがたよりもずいぶん時間をかけて味わい尽くしたのです。ですから、この作品を客観的に見れば、よい評価が得られるのだろうなというのはわかっているのです。けれど、こんな情動疾患のような、ただほのぼのしているだけの作品のどこがよいのか、もう一度お考えになったほうがよろしいのではないでしょうか。わかっています。あなたがたのような馬鹿な読み手にそんなことを言ったところで、おそらく理解はされませんし、誰かの心の中身をそっくり変えることはできませんし、説得するだけ時間の無駄かもしれません。けれど、馬鹿が伝染するような気分がして気持ち悪いのです。だから、「個人的には」という枕詞をつけることにします。私が個人的にどう思おうが自由ですし、あなたがたが自由なように私も自由なのですから、文句を言われる筋合いではありませんよね。もし、あなたがたが文句を言うのなら、あなたがたが文句を言う自由もなくなるわけですからね。それくらいのことを理解する頭はお持ちでいらっしゃいますよね。私は謙虚にも自分を抑えて、あなたがたがこの作品を好きだという主張は、認めているわけです。だから、私のほうが勝手に、わたくしごととして、このクソ作品をけなすのは全然まったく問題ありませんよね?
 だいたいこんな感じでしょうか。
 ここにあるのは、他者に対する甘えと自己防衛です。「個人的には」という言葉を使うことで、実は公のなかに自己を埋没させて責任を回避しようというような気持ちがあります。考えの違う他人にわかってもらおうという気持ちが本当にあるのかないのかも曖昧な、ひどい言葉です。これを[[rb:謙抑 > けんよく]]の精神と考えるのも間違ってはいないのですが、しかしすべての意見は究極的には主観的なものなのです。私心を完全に消したとしても、その人の地位や立場がありますから、たとえば編集者が私心を排して「この作品はよいと思うのでプッシュする」と言えば、それは一般人の言葉とは重みがまったく異なります。
 要するに、あらゆる言葉は厳密な意味で「個人的には」という枕詞をつけるまでもなく、個人的な発言なのですよ。そうすると、わざわざそのことをひけらかす必要はありません。人間などわかりあえないほうが当たり前なのですから、わかりあえたらラッキー程度に思っておけばよいのです。他人などその程度の存在なのです。
 私は、個人的には、そう思いますね。




 ところで、わざわざこんな話をした理由についてですが、私は、悪としては実にまずいことをしてしまったという失敗談を話そうと思いまして、そんな話をしたのです。
 この話をするのは、私にとっては自己の評価を下げることになりかねない。しかし個人的には、まあそこそこよい悪を為したと思っているわけです。あくタイプではない私にも、悪の芸術は為し得るのだと。あなたがどう考えるかは自由ですが、あくまで個人的には悪なのです。そのことを十分に承知していただきたい。
 つまり――他言無用と、かいつまんで言えばそれだけのことがいいたかったわけですよ。
 その少女の名前は、仮にハナちゃんとしましょうか。
 ヒウンシティのハナちゃんと出会ったのは偶然でした。ハナちゃんは親とも早く死に別れて、施設で暮らしている少女です。しかも、その少女は生まれつき目が見えませんでした。
 おや、心当たりがおありですか? しかしなにやら怪訝な表情をしていますね。さすが、イッシュじゅうを旅しているポケモンは、そこらの野生とは違いますね。まあ、ここでハナちゃんの本当の名前は重要ではありませんし、あなたは他言無用を約束してくださいましたから、誰のことかわかったとしても、別にいいでしょう。ただ、私の作り話ではなく、ハナちゃんが実際にいるということを認識していただければ、臨場感もいや増すというものです。
 話を続けましょう。
 幸福にも、というべきでしょうか。目が見えないという障害ゆえにいじめるほど、ヒウンシティの住人たちは情が薄いわけではありませんでした。施設の方々はハナちゃんをたいへん大切に育てておりますし、ハナちゃんが暮らしてゆけるだけの生活の面倒を見てくれています。ハナちゃんはそこそこに幸せな人生を歩んでいったのです。少なくとも、ハナちゃん自身は、個人的にはそう思っていたのですよ。
 私がハナちゃんと出会ったのは、施設が業務の一部を委託されている花屋でした。
 ハナちゃんは目が不自由ではありましたが、障害者を福祉によって守る制度が充実しているイッシュとはいっても、生きる道は他者の善意と自らの裁量で探さねばなりません。
 ハナちゃんは目が見えませんが、花の微妙なかおりでどんな花なのかピタリと言い当てることができました。それはもう、魔法のようでした。野生のヨーテリーよりも脆弱で、なんの力もない少女が魔法のような力を振るい、名前だけでなく、効用、花言葉、まじない的な要素もすべて網羅的に知っているのです。シッポウシティのジムリーダー、アロエさまは考古学者ですが、花の知識だけならハナちゃんには負けてしまうかもしれません。私はそのとき、部屋になにかしら色を添えるつもりの主人と花屋に寄ったのですが、偶然見かけた彼女がそっと花びらに花を寄せる動作の、なんと美しいこと!
 まるで地上に天使が舞い降りたかのような光景。恐るべき宗教的な情景です。
 それで興味が湧き、私はテレパシーで彼女に接触してみたのです。
「目が見えるようになりたくありませんか?」
「目が、ですか?」
「ええ。私はエスパータイプのポケモンですので、多少の()()なら使えます」
「でも、お金を持ってないんです。わたし、大人になったらひとり暮らしをしなきゃいけないし、今から少しでも蓄えておかないと」
「私の魔法にはいっさい費用はかかりませんよ。ただし、効果は一度きりですし、効用もごく短期間になるでしょう。おそらく一週間程度。ですが、あなたは花がどのような形をしているか知りたくありませんか。いつも可憐なかおりをただよわせている花たちが、どのような色をしているのか、言葉以上の意味を知りたいと思いませんか?」
 そういうふうに話をもちかけました。
 ここで、魔法についてのごく単純な説明をしておくましょう。
 ある概念が思い描ければ、その概念は存在する。これが魔法の基質です。そして概念が重なれば魔法が生まれるわけです。魔法とはすなわち妄想であり、妄想が具現化することだといえます。なんでもできるわけではないのは、魔法というのが妄想する主体によって支えられているからで、反魔法として、魔法を否定する妄想があれば、これも魔法的な力を生むわけです。魔法とは自己言及的ですからね。そして魔法の存在を魔法によって証明することは絶対にできません。公理系の無矛盾の証明は、同一の公理系でできないように、魔法の存在を魔法という体系のなかで説明することは不可能なのですよ。
 わかりにくいと思いますから、具体例で話します。
 たとえば、イッシュでもポピュラーな魔法といえば、そうです「お金」です。お金は魔法としてはそうとう強固ですから、これを誰かが否定したところで、もはや存在は盤石です。しかし、もしも仮にお金という概念など存在しないポケモンの国があったとしましょう。そのポケモンたちにお金という概念を伝達したところで、けっして理解はできないのですよ。いえ――いずれは理解できるかもしれませんが、それはポケモンの国のポケモンたちが有する魔法と、人間が持つ「お金」という魔法が接触しなければならないでしょう。たとえば、物々交換という概念ができて、等価性という概念ができて、それから公平性という概念が正義や法律と結びついて、強制力、取り立てる力と結びつき、ようやっとお金がお金らしく存在できることになります。そこに至るまでは、お金はただの紙切れや金属の塊にすぎないわけです。つまり、お金の概念をそれら紙切れやら硬貨やらを見せたところで絶対に証明できないのですよ。
 これが、魔法の成り立ちです。
 長々と説明してしまいましたが、ひと言でいえば、魔法を知らない者に魔法を伝達するのは、ペンドラーに二足歩行しろというようなもので、どだい無理な話なのですよね。だから、そういうものだと理解してください。
 あなたがたがご存知の魔法については、まあ説明するまでもなく理解できるでしょう。
 先に述べたお金もそうです。お金は魔法としてはそうとう原始的ではありますが、そうであるがゆえにこの魔法は究極に近いところにあるともいえますね。だから、ハナちゃんがお金のことを心配したのは当然ですし、それに対しては、私が違う魔法を用いるのだと言って聞かせるのは合理的だと思います。理由はどうあれ、おそらくハナちゃんのまわりの人間は、お金を用意することができなかったわけです。もしもお金があるのなら、医者に行き、目の治療薬を買うなり、手術するなりがいちばん合理的ですし、確実です。けれど彼らはそうしなかったのです。施設のひとびとも、ハナちゃんのご親戚も、ハナちゃんの目を治そうとはしなかった。それは罪ではありません。抗弁として、目を治す費用というのはとても高価なのです。治癒力の高いポケモンをジョーイが治療するようには、脆弱な人間の体というものは容易に治せないのです。
 私も調べてみました。
 あまり薬のことは詳しくないのですが、私が調べた限りでは、このイッシュで全盲を完治させるためには、満月の花を百年浴びたある種の香草を薬の材料にするらしいです。この材料がものすごく貴重品でして、とても一般人が買えるような品物ではありませんでした。ヒウンタウンの住人でいえば、中小企業の社員たちとその家族が一ヶ月は食べてゆける程度の価格といったら、少しは想像できますかね。
 ですから――ハナちゃんが目の治療を拒んだか、あるいは周囲の人間がそうなるように仕向けたのかは知りませんが、経済的な意味でもはや不可能としかいいようがなかったわけですよ。
 さて、一方、魔法についてですが、これは言ってみれば妄想力がものを言うわけですから、物理的に満月の光を浴びた香草なんて高級品は必要ありません。願えば叶う。それが魔法の力のよいところです。
 ええ、そもそもエスパータイプの能力というのは力学による物理的な作用です。その意味では、私のわざなど魔法でもなんでもありません。そしてもちろん、魔法にもダメなところ、不可能なことはあります。それは、いつだって現実原則の前に敗北するということです。「痛くないもん!」と強がってみたところで、脛を強打したらやっぱり涙が出るほど痛い。これが現実。そして、「痛いの痛いの飛んでゆけ」と何度唱えたところで、やはりほとんどの場合は無力です。
 その点、ハナちゃんの場合は幸福だといえました。視神経が断裂しているだけで、脳に障害があるわけではなかったのです。私のつたないサイコパワーでも、少しのあいだなら視覚をとり戻すことができそうでした。そしてハナちゃんは、視覚を一時的にとり戻すことを選んだのです。




 それは――
 私にも想像できません。どういう光景に見えたでしょうね。
 目が見えない人間が急に見えるようになり、世界の全容を知り、色を知り、形を知り、そして光が溢れる世界を目の当たりにしたのです。
 客観的に観察できた事情を言いますと、ハナちゃんは最初、絶句し、ああ、ああと呻いて、それから目を塞ぎ、まぶしさのあまりに両の手で覆ったのです。
 ああ、なんと世界の美しきこと。
 ふだん慣れ親しんでいる美しい光景も、実はずいぶんと感動を薄れさせているのかもしれませんね。
 まるでまばゆい光線が身を貫いてくるような感覚だったでしょう。ハナちゃんは生まれたての赤ん坊のように、自分を突き刺す光線に怯え、そして恐怖していました。
 でも一時間もすれば、徐々に冷静さをとり戻してゆきました。ハナちゃんは幼いころに両親を亡くし、家族のいない施設で全盲で生きてきた強い女の子でしたから、光の痛みに耐えて、涙をぼろぼろ流しながら、それでも前を向いて、窓の外に広がる光景を目のなかに入れたのです。
 まばたきに慣れておらず、どうやってまばたきするのかも始めはわからず、やはり涙で視界はほとんど無残なほど歪んでいたでしょうが――彼女はこれ以上ない感謝で、私を抱き寄せて……まあ、感極まることは人間にはあることですからね。私もまんざら悪くない気分でしたよ。
 一週間。日にすれば七日。
 ハナちゃんに残された時間はあまりにも少ないものでした。そのあいだ、彼女にはなにもかもが新しい刺激の連続だったでしょう。
 これが赤い色。これが黄色。これが青。空といっしょだと思っていたけどぜんぜん違うと、ハナちゃんは私に教えてくれました。
 彼女はずっと視覚を封印されてきたのですから、私たちよりもずっと率直に物事を見ることができたのでしょう。すべては輝いて、物の形がどんなだか、物の色がどんなだか、ずっとずっと知りたがっていたいたことなのですからね。
 かわいらしいエピソードに、こんなことがあります。
 当然ですが、ハナちゃんは自分の顔を見たことがありませんでした。彼女が鏡を覗きこんだときの表情はとても面白いものでした。あれは、自分の子どもを覗きこむような表情に似ていると思います。少女らしい、ほんのりとした期待と、それとともに一抹の恐怖もあったのです。自分の顔が平均的であるかどうかすら、彼女には判別がつかないのです。
 じっと鏡を見つめていて、私を見て、それで「わたしって変じゃないよね」と訊いてきたハナちゃんの怯えた顔は、非常にそそるものがありました。ここで、あなたはどうしようもない醜女ですよと言えれば、悪的にはけっこうなポイントがついたと思いますが、まあ思うところがあって、ここではきちんと答えておきました。ハナちゃんは美人というには無理があるにせよ、愛嬌のあるかわいらしい少女でしたから、かわいらしい顔をしていると答えたまでのことです。
 ハナちゃんは花屋の手伝いが終わったあとに、画用紙に色鉛筆を使って花の絵を描いていました。
 これが、恐ろしく巧いのです。もちろん芸術家の描く絵には技巧的には遠く及ばないところでしょうけれど、本当についさっきまで目が見えていなかった者が描いたものだとは信じられないほどの出来のボタニカルアートだったのです。おそらく、脳裏に刻みつけようとする必死さが、彼女にそこまでの絵を描かせたのだと思います。いえ、それだけではないのでしょうね。彼女には天稟(てんぴん)があったのでしょう。天の采配は残酷ですからどうしようもないことですが、もしももう少しだけ時間があれば、あるいはよく見える目さえあれば、ハナちゃんは大芸術家になれる才能を秘めていたのですよ。
 花のことをもっと知っておきたいの。
 花の形をもっと知っておきたいの。
 どんな色をしているのか、言葉の意味じゃなくて、わたしの感覚で知りたいの。
 彼女は寂しそうに、そう言うのでした。
 七日目になると、彼女は花屋の仕事もそこそこに一枚の大きな絵を描き始めました。そこには、彼女が手伝いをしている花屋の花が所狭しと描かれてあって、一本一本の茎、一枚一枚の花びらまで詳細に模写したものでした。そんな絵をたった一日で描きあげたのは、たいへん驚くべきことですし、称賛に値することでしょう。その絵は今も花屋に飾られてあって、恐ろしいまでの精緻さに、客のひとりが絵とわからずに手を伸ばしたこともあったとか。そして、そこに描かれた花たちには、たしかな生気が感じられ、かおりさえ漂ってくるようだと もっぱらの評判です。戦慄すべき魔法といえるでしょう。ひとりの少女が生みだしたにしては、あまりに比類なき、全的存在を賭した絵だったのです。
 そして、それこそが彼女と彼女の周囲の人間たちにとっての最も深い絶望になったのです。
 つまり、簡単なことでした。
 人間は、与えることをよいことだとばかり思っていますが、実際にはそういうわけでもないのです。与えたあとに奪われれば、どうでしょう。人間の心はバチュルよりも潰れやすいものです。
 見えない人間が、見えないままであれば、そのことを我慢できます。しかし、見えない人間が七日間の栄光と賛美を受け、世界の素晴らしき情景に触れたあと、ひとえにすべてを失ったとしたら?
 ハナちゃんは、私がはじめて会ったときのように、あの崇高な宗教画のような趣で花のかおりを嗅ぐことはできなくなってしまいました。それどころか、花のかおりを嗅ぐたびに、悲しく切ない顔になるのです。かつての、鮮烈な色が脳裏に蘇ってくるのでしょう。
 さらに、悲惨なのはハナちゃんだけにとどまりません。
 憂鬱なハナちゃんのようすは見るに堪えないものでした。とくに花屋の店長さんや、施設の人間たちはとても心配していました。絶望は伝播するのです。
 そして、あの絵。
 あの絵を見た人間たちは、けっこうな確率で絵の作者が誰なのか訊くのです。そして全盲の少女が描いたのだと知り、もはや描けないことを知って、肩を落として帰ってゆきます。もはやこれ以外の素晴らしい絵はみられないのですからね。人の心を暖かくさせる絵。しかし同時に絶望のドン底に叩き落とす絵でもありました。絵が店内に飾られなくなったのは、ハナちゃんの目が見えなくなって、すぐのことでした。
 え? 私の失敗ですか。
 そうですね。もし彼女があんな絵を描けると知っていたなら――それでより多くの人間たちに絶望を与えることができるとわかっていれば――私はもう少し長く彼女の目を見えるようにしていたということですよ。なにしろ、魔法は一度しかかけられないと言ってしまった手前、もう二度と魔法を使うことはできませんからね。
 なにより、私は嘘をあまりつかないことにしているんですよ。嘘は一度だけでたくさんでしょう。
 これで私の話は終わりです。
 どうでしたか。あくタイプでなくとも、なかなかたいした美しい「悪」をはたらくものでしょう。おや、震えていらっしゃる?
 ふふ、風邪にはお気をつけて。あなたは寒さに弱いのですから。
 それでは、ごきげんよう。




 まあ、待ってほしい。
 おれが震えてるのは、ゴチルゼルに恐怖したせいでもなければ、風邪を引いたせいでもない。イッシュの冬は、クリムガンという種族にはたしかに厳しいが、野生で生きるからには乗り越えねばならない。今はまだもう少しもつし、もたせる。
 震えたのは、ゴチルゼルのしたことに感動を覚えたからだ。悪に対する感動。悪ってこんなにすごかったのかと、感動しきりだ。おれはあくタイプの為す悪が、どういう言語を有しているのか興味があった。切実に知りたかったんだ。なるほど、悪か。すごいものだ。
 さて。
 おれの記憶が正しければ、おまえが言ったハナちゃんなる仮の少女だが、実は今、目が見えているよな。おれは記憶力はいいんだ。ネットワークから生のデータを集積し、計算する能力において、おれはランクルスにだって負けはしない。この記憶は絶対だ。もしおまえが否定するなら、その子の前まで連れていってもいい。
 冗談だ。そんなに目を伏せるな。
 それにしても、見えないはずの少女の目が見えている。これってどういうことなんだろう。ゴチルゼルの前提では目が見えない少女で、一旦は()()()目が見えたが、また魔法の力を失い、全盲になったのではなかったか。
 そういう話だったな。
 だとすると、おれの記憶違いか。最初から目が見えていたとか?
 いや、それも違う。なぜって、おれはかつてハナちゃんが全盲だったことも覚えてる。あまりにデータが膨大で、検索には時間がかかるが――そうか、あの子だったか。
 自己弁護するわけじゃないが、人間の論理を使うことを許されるなら、ハナちゃんの周囲はなにもしなかったわけではなかった。基金を立ちあげたり、個人的に資金援助をしてもよいとハナちゃんに申し出る人間もいたらしい。でも、ハナちゃんは目が見えないままで生きてゆこうと決意を固めていた。そこらの事情はたぶん、薬や手術の値段を知る人間の、なにかしらの発言に起因したんだと思う。配慮は足りなかったかもしれない。それは希釈化されていて、とうてい悪なんて呼べないものだ。悲しい因果があっただけといえる。最終的に決めたのはハナちゃんなのだし。
 それはともかく、いったいどうしてハナちゃんの目が今のところ見えているんだろう。
 言うまでもない。彼女がそう望んだからだ。
 望めば叶う。それが魔法の力だったな。
 彼女はか弱い少女にすぎなかったが、おまえに魔法を教えられて、そして魔法を使えるようになった、というのはどうだ。少しメルヘンが過ぎるか。
 簡単なことだ。
 彼女は、金がいくらかかってもいいから、借金してでも、目が見えるようになりたいと切望したはずだ。ハナちゃんは目が見えないという絶望に冒されることによって、真の闇を知覚することができた。だから、闇のなかで輝く希望の存在に気づけたわけだ。
 それが、悪、ということだろうな。ハハ、どうしてそんなに睨むんだ、ゴチルゼル。
 おまえばかり喋って、ずるいだろう。おれにも喋らせてくれ。どうせポケモン同士の会話。他言無用を約束した以上、おれは絶対に事実を秘匿する。それは心配しなくていい。
 ハナちゃんの決意は固まった。薬でまた目が見えるようになりたかったんだ。
 当然ながら、医者への打診が必要になるだろう。
 ここからは想像になるんだが、元々のゴチルゼルの計画では、ターゲットはハナちゃんではなかった。ゾロアだろう? おまえは最初、ゾロアに化かされたことを話したな。それとも穴に落とされたか? その点、おまえはゾロアに対する復讐の動機があるんだ。
 ゾロアの棲む迷いの森に、例の香草があるからだ。
 しかし、おまえの悪の美学によれば、単に暴力で復讐するのは美しくない。悪のために悪を為すという、とてもロマンティックな制限がかかってるらしいじゃないか。ここに、細いながらおまえとゾロアを結ぶ線があるんだよな。
 ハナちゃんは、一度は()()()――ゴチルゼル、うるさいぞ――ゴチルゼルに目が見えるようにしてもらった。当然、おまえがもし、ハナちゃんが全盲になったあとも会っていたとすれば、ハナちゃんに向かって、「私は薬の材料を手に入れるつてがあるから、もしかすると安くで治療できるかもしれない」とかなんとか言うことは、外形的には友情や信頼関係の顕れと捉えられるし、嘘でもないことになる。ハナちゃんはゴチルゼルを信頼しているだろうし、目を治すためならおまえを頼るだろう。
 それで、おまえは、たぶん、ゾロアに事情を話したんだろう。
 ひとりの不幸な少女がいる。お金もない。しかし救ってほしい。そんなふうに、言ったんじゃないか?
 穴に落とされた損賠賠償代わりに請求した? 言い訳にしてはちょっと苦しすぎるな、それは。それに理由なんかどうでもいいんだ。
 ここでポイントとなるのは、香草の値段だ。嘘は一度しかついていないというのなら、たぶん材料が高価なのは本当なんだろう。ゾロアを通じて、ハナちゃんが救われることが決まったのだとしたら、少なくともゾロアは香草を採りに迷いの森へ出かけていったはずだ。人間には見つけられない、ポケモンたちだけが知っている奥深くへ。もちろん、ゾロアは断ることもできた。その場合、少なくともゾロアの良心を傷つけることはできるだろう。そのあたりの手腕は本当に舌を巻くほどだと思う。ゴチルゼルの悪徳的手法だな。
 あるいは――ゾロアなら、きっとハナちゃんを助けることを選ぶと踏んだか。うん? どうした、そんなに震えて。おれはゴチルゼルと違って、だれかに意地悪をして楽しむ趣味なんかないんだがな。ちょっと楽しくなってきた。
 いずれにしろ、ゾロアの持ってきた香草を含め、ハナちゃんは無事に目の治療を受け、治療費は一時的にどこかの誰かが肩代わりすることになったんだろう。で、勝手にヒウンシティを離れて迷いの森まではるばる出かけていったゾロアは、戻ってきたとき、こっぴどくトレーナーに叱られたのかもしれないな。
 ゴチルゼル、結果を見て、現実を見ろ。
 おまえのかわいらしい小さな復讐心は、大きな善行になってしまった。おまえがいった失敗とは、たぶんそのことなんだろう。個人的には、なんてあれほど長い前置きをした意味も、今なら納得できる。おまえの為し遂げた復讐は、客観的に言えば見るも無残な善行だ。悪のポイントでいえばとてつもないマイナス。もし、あくタイプの友達なんかいたら、おまえは怒られるんじゃないか。ああ、だからそんなに叫ばないでくれ。すごくうるさい。
 わかった、わかった。個人的には悪だったんだな。悪の美学を追求しつくした、世にも珍しい悪だったんだろう。あくまで個人的には。
 わかった、そういうことにしておこう。そんなにサイコパワーをだだ漏れにさせるな。まだ昼なのに、この街だけ夜になってしまうぞ。
 それにしても、本当に楽しい話だった。おまえからはもっと面白い話を聞かせてもらいたいもんだ。今度こそ、心の底から震えるような、戦慄すべき悪の美学に満ちた話を頼む。おれに恐怖を教えてくれ。なあ、悪の芸術家さん。
「この、悪魔め」
 ふむ――
 それは、おまえのほうなんだろう?




【名無しのクリムガン】

じょうたい:Lv.46 HP100% 4V
とくせい :?
せいかく :?
もちもの :なし
わざをみる:げきりん かえんほうしゃ ふいうち へびにらみ 

基本行動方針:???
第一行動方針:旅を続ける
第二行動方針:他者と共感してみたい
現在位置  :ヒウンシティ・ゲームフリーク
 

 大昔に、とあるところで書き下ろしたもののリメイクです。そろそろ時効だと思うので。

 



 

 


トップページ   編集 凍結 差分 バックアップ ファイル添付 複製 名前変更 再読み込み   新規作成 ページ一覧 ページ検索 最近更新されたページ   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2022-02-15 (火) 23:50:55
This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.