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エブルモン・アルカンシェルprism-R

/エブルモン・アルカンシェルprism-R

※注意
・本作品は官能小説であり、特殊な性描写を含むページへとリンクしています。
・作品の性質上、非常に廃人、厨向けの要素が含まれます。そう言う世界観なのだとご理解ください。
・本作品は多分フィクションです。実在する人物、団体、イベントなどとは関係がない可能性があるかも知れませんのであしからず。


~4月16日・水曜日~ 


「しまったぁっ!? やっちまったあぁぁぁぁっ!!」
 (プランタン)も半ばを過ぎた暖かな風の中、引きつった絶叫が力ロスの空に響き渡る。
「ど、どうしたのオーナー!?」
「何? また凄い大ボケでもやらかした?」
 白いパンプスと黄色いスニーカーが足音を鳴らして、先に上がった悲鳴の主に駆け寄った。
「うぅ……まさにその、凄い大ボケをやらかしてしまったのだ…………」
 オーナーと呼ばれた40歳程度の男は、かなり前髪の後退した丸い頭をうなだれた。
「実はその、物凄~く言い辛いんだが……君たちをエントリーさせていた、明後日からのダブルバトル大会のことなんだけど…………」
「えっ……?」
 自分たちに関わる件だと知って顔を強張らせた少女と少年に、オーナーはおどけた作り笑いを途方に暮れた顔に貼り付けながら、手にしたスマートフォンの画面を指し示す。
「出場レギュエーション、間違えちゃってた。てへ」
 指された画面の一角を、2対のエメラルド色をした視線が凝視する。
 果たしてそこには、このように書かれていたのだった。

 ・使用できるポケモン
 カロス図鑑(セントラル・コースト・マウンテン)のポケモン。
 ただし、ミュウツー・ゼルネアス・イベルタル・ジガルデは除く

 数瞬、間を置いて。
 ふぅ…………、と少年が漏らした、安堵とも呆れとも付かない溜め息に、
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
 この世の終わりを迎えたかのような、少女の悲鳴が重なった。

 ▽

 オーナーファミ通チャレンジ参加作品第七回仮面小説大会参加作品
 『からたち島の恋のうた・豊穣編』
  ~エブルモン・アルカンシェル

 ▽

「まったく、オーナーにも困ったもんだよ、カロス図鑑限定戦だってことに気付いてもいなかったなんてさ。僕の方は起点を含めた主力4頭が問題なく出場できるからまだ何とかなりそうだけど……」
「こっちは最悪よ最悪! 晴間(ハレマ)六花(リッカ)……先発の2頭が両方とも使えないなんて!!」
 卓上に肘を突いて短い黒髪を掻き毟りながら、少女は絶望的に吐き捨てる。
「特に晴間の方は、エブルモン・アルカンシェルの中核なのよ。彼がいないと、他の仔たちだって戦力を充分に発揮できないわ! せっかく鍋鶴(ナベヅル)が仕上がってこれからって時なのに!! 他の戦法でパーティーを組み直そうにも、試合組の頭数が全然足りないし……」
 ここで少女は、一縷の望みに縋るような眼差しで傍らの少年を見やるが、しかし少年はこちらもベリーショートに刈り揃えた頭を横に振った。
「こっちも駄目だよ。空いてるポケモンはいるけど、みんな力ロス図鑑に入っていない仔ばかりだもの。カポエラーの角六(カクロク)も、デスカーンの死渡寝(シトネ)も出られない。頭数を揃えるだけで精いっぱいなのは僕も同様さ。力ロス図鑑のポケモンで残っているのは虚狼(ウツロ)ぐらいだね。角六たちの抜けた穴埋めに朧狼(オボロ)を使う予定だから、虚狼は使えないんだ。貸そうか?」
「意味ないでしょこっちにはその双仔たちのお兄さんである影狼(カゲロウ)がいるんだから! 分かってて言わないの!!」
 通常、ひとつのチームに同じ種族のポケモンは、出場はもちろんエントリーもできない。数合わせにすらならないのである。
「あぁ、もう……! 新たにポケモンを仕入れたとしても、大会が明後日からじゃ仕上げが間に合いっこないし、完全に八方塞がりじゃないの!! せめて今回は出場を辞退させてくれればよさそうなのに、あのバカオーナーときたら何が何でも不戦敗だけは嫌だとかっ!?」
「あの人、大会とかお祭りの類いが大好きだからねぇ」
「ったくっ! 誰の失態でこんなことになったと思っているのよ!? 責任を取って自分が私の手持ちになって戦えばいいのにっ!!」
「戦わせたって役に立たなきゃ解決しないよ」
「分ぁかってるわよっ! っていうかツッコむところソコじゃないでしょ~がっ!!」
 ヒステリックに叫び、八つ当たり気味に腕を振り回して、それで少しは気が晴れたのか、ひと息を吐いて少女はパソコンの画面に向かい合った。
「まぁ、愚痴ってばかりいても始まらないわね。この際背に腹は代えられないわ。やれることをやりましょう」
 画面上に表示されるポケモンたちのデータを、少女はひとつひとつ綿密に探っていく。
「どうするの?」
「とりあえず、引退させるつもりだった悟理(サトリ)に引き続き出場をお願いするわ。晴間が担っていた役割のうち、猫騙し役は彼女に担ってもらいましょう。エブルモン・アルカンシェルの方は……」
 数瞬躊躇して少女は、開いていたものとは違う名簿を別枠で表示し、その一番上にある名前にカーソルを合わせた。
魔月(マツキ)で、無理矢理何とかやってみるしかない、かぁ……」
「旅組リーダーの魔月さんを、大会に出すつもりなの?」
 少年の問いに、少女は頷いた。
 人生色々、ポケモントレーナーにも様々なスタイルがある。
 彼らはオーナーに委託されたポケモンを鍛えて指揮し、大会などで活躍させる、という方式を取っていた。
 その性質上、オーナーから預かっている試合組のポケモンと、彼ら自身の本来の持ちポケである旅組とは明確に分けられていた。当然、バトル専門に選出され鍛えられた試合組と汎用の旅組とでは、資質には大きな隔たりがあるのだが。
「肉体の資質では試合組に及ぶべくもないけれど、あの娘も性格は割とバトル向きなところもあるし、何より私との旅で培った経験があるから調整には一日とかからないわ。むしろ問題は、技構成をどうしたものかってことなのよねぇ……」
 少女の指が、そのポケモンが修得可能な技を検索していく。
 肉体記憶に刻まれた技も、技マシンによって教え込める技も。
「ひとつ……いえ、防御(まもる)も加えてふたつは確定だけど……あの娘、この戦術の先発に向いた技はあんまり覚えられないのよね。特殊攻撃力は高いけれど、不意打ち(あくわざ)への対策に鬼火を覚えさせたら技が足りなくなっちゃうし、やっぱり晴間ほど向いているとは…………」
 呟きかけた諦めを、少女は別の諦めで噛み潰す。
「と言ってもどうしようもないんだったわね。力ロス図鑑のポケモンであの技を使える種族が他にいない、という事実がある以上、今回ばかりは魔月に頼むしか……」
「…………違う」
 はっ、と少年が否定の声を上げた。
「……え?」
「違うよ、ティユ姉さん。選択肢は他にもある」
 断言する弟に、少女――ティユは怪訝な顔を向ける。
「何を……言っているの、ロン。まさか、ドーブルを使えとか言うんじゃ…………あっ!?」
 指摘された勘違いに気付き、ティユの指がデータベースの中を疾った。
「そっか……忘れてた! 生垣(イケガキ)が出られるのなら当然…………!!」
 セントラル力ロス図鑑の中ほどまで辿りつくと、そこに表示されたポケモンの詳細データを一気に展開していく。 
「ふむ……火力やスピードでは若干見劣りするけど、不足というほどでもないわ。それに技を豊富に覚えられるのね。この技があれば先発の役目も担えるし、それに…………」
 マシン技の項から肉体修得技の項へと画面を切り替え、上の方までスクロールさせてティユは叫んだ。
「この技! この技を活用すれば、もしかしたら晴間以上の活躍が見込めるかも……!? 試してみる価値は充分にあるわ!!」
「うん、それに何よりこいつなら、すぐにでも間に合わせることができるし、ね」
 少年――ロンの手が隣から伸びて、更に別のフォルダを開く。ティユのものではなく、ロンの個人フォルダを。
 そこに収められていた名簿ファイルの上からふたつ目に、求めていたポケモンの種族名が記されていた。
「……お願いできる?」
 ティユの問いに、先刻より明確な希望が込められる。
 ロンは無言のまま、ゴロンダの頭を模した帽子で短い黒髪を覆い、小さく肩を竦めて頷いた。

 ▽

「うわあぁっ!?」
「ぐえぇっ!?」
 叩き飛ばされた白い羽根がキリキリと舞い、下にいた黄色い細身の影と激突して互いに呻く。
「悪ぃ悪ぃ、ちっとやり過ぎちまったかな」
 紺碧の青空を覆って、茜色の翼が広がる。
 長い尾の先に、赤々と炎をたなびかせながら。
「まだやれるかい? 坊主ども」
 鋭角な面立ちから、荒々しさの割りに穏やかな柔らかみを帯びた声が、眼下の2頭に向けられた。
「は、はい! 大丈夫です!」
「お願いします、火蛇(カジャ)さん!!」
「よしよし、それでこそ次期試合組だ」
 ロン隊旅組サブリーダー、リザードンの火蛇は満足そうに微笑んで、再び弟弟子たちを迎え撃つべく身構えた。試合組の育成や鍛錬も、旅組の重要な仕事なのだ。
 緊迫に周囲の熱が高まろうとした瞬間、その熱を吹き冷ますように一陣の旋風が巻き、彼らの間を遮った。
「!?」
 風の中から現れたのは、蒼い細身のシルエット。首の周りにクルリと巻いたピンク色の舌が宙にうねる。
「どうした舵歌(カジカ)?訓練中に割り込んでくるなんて、何かあったのか?」
 怪訝な顔で尋ねた火蛇に、ロン隊旅組リーダー、ゲッコウガの舵歌は眼を細めて頷いた。
「えぇ。ロンさんが貴方をお呼びよ。相談したいことがあるから、至急くるようにですって」
「何だろうな? 大会が間近なのに旅のお供でもあるまいが……分かった。代わりに卵丸(ランマル)(ジャ)()の世話を頼むわ。……運が悪かったな、坊主ども。リーダーのシゴキは俺より厳しいぞ」
 指を鳴らしてトゲチックの卵丸とエリキテルの蛇ノ目ににじり寄っていく舵歌と、怯え震える哀れな弟弟子たちを尻目に、火蛇はロンの待つ場所へと翼を羽ばたかせた。

 ▽

「何だってぇ……!? 出場レギュエーションの把握ミスで、角六と死渡寝が大会に出られねぇだと!?」
 問題の発端となった出来事をロンから聞かされて、火蛇はまず他の何よりも、除外となってしまった試合組メンバーのことを気にかけた。彼に取って試合組は皆、手塩にかけて仕上げた可愛い弟妹弟子だったのだ。
「そんな……あいつら、大会をあんなに楽しみにしていたのに…………くそっ、何て酷いドジをしやがるんだよあのおっさん!?」
「僕たちの大会デビューになった前回が、『同じ種族のポケモンを複数出場可能』って変則ルールだったからね。今回は通常のダブルバトルルールに戻るだけだって思い込んでいたみたい。……ごめん。オーナーに任せっきりにして自分で確かめなかった僕にも責任はある」
 ゴロンダ帽子を着けた頭が、静かに下げられた。
 大きく膨らんだ頭部のシルエットを、モンスターボール柄のフードが付いたオリーブグリーンのパーカーに、ギラギラと黒光りするコーティングパンツという厚めの装いが支えている、ロンのいつもの勝負服姿だ。ゴロンダ帽子の左側面には、右側に伸びた咥え笹と対になるように緑色の羽根飾りが刺されていた。
「角六たちは残念だったけど、パヒュームを含めた4頭は出られるから試合に関しては心配いらない。抜けた2頭の代わりには朧狼と菩提(ボダイ)を考えているよ」
「チャーレムの菩提ちゃんか。彼女、またオーナーの大ボケに振り回される羽目になっちまったんだな。つくづく気の毒に……で、俺への用事ってのは、そのろくでもない話を試合組の連中に伝える役目か? そういうことならお安いご用だが」
「いや、それは僕が自分でやるよ。角六たちへのケアについては舵歌に頼もうと思う。お前には他に、やってもらいたいことがあるんだ」
「……?」
 含みありげなロンの様子に、火蛇は長い首を傾げた。
「時に火蛇、お前、クノエシティで教えてもらった技、確かまだ使えたよな?」
「え? ……あ、あぁ。一緒に習った舵歌はあの後あっさりと忘れたようだったけど、俺はせっかく覚えたもんを忘れるのが忍びなくてな。……それが?」
 何で唐突にそんな話題を振ってきたのかさっぱり理解できず問い返す火蛇に、ロンは言葉を続ける。
「実はティユ姉さんの隊の試合組が、前の大会で使っていたのがその技を使ったコンボ攻撃だったんだ」
「へぇ、知らなかった。珍しいんじゃねぇか? トレーナーのサポート*1がない公式戦で、あんな隙が大きくて難しい技を使うなんて」
「うん、僕も姉さん以外のトレーナーが公式戦で採用したのは見たことがないよ。色々試行錯誤して、成功率を上げられるように頑張っているみたい。今回の大会も同じ戦法で行こうとしていたそうなんだけど……コンボの一角を務めていたゴウカザルが、ルールで出られないってことが今日になって判明したんだ」
「あちゃ、そりゃまた災難だな。そっか、シンオウ御三家のゴウカザルじゃ力ロス図鑑には載ってやしないわけか」
「あぁ。だから今回の件では僕より姉さんの方がダメージが大きい。僕は戦力は減らされてもパヒュームさえいれば何とか戦えるけど、姉さんは根幹となる戦法自体が使えなくなっちゃったんだからね」
「〝あの技〟を使えるのは俺たち御三家だけ……力ロスの炎御三家てっとマフォクシーだな。ティユさんの試合組にマフォクシーはいないのか?」
「いない。姉さんは、一度は魔月さんを調整し直して使おうかと考えていたぐらいだ」
「はぁ!? おいおい、いくら非常事態だからってそりゃねぇだろう。旅組を試合に出すなんて、魔月の姐さんがいらん恥を掻くだけだぞ」
 と火蛇が笑った途端、ロンの表情に何とも言い難い苦みが浮かんだ。
 どうしたんだろう、と火蛇は思う。自分としては、至って常識的なことを口にしただけなのだが。
「火蛇……まずお前、大事なことを忘れてるぞ」
「?」
「お前、力ロス図鑑を出しているプラターヌ研究所生まれだろうが」
 あ、と火蛇は間の抜けた声を漏らした。
「姉さんも忘れていたんだけどな。確かにカロスの御三家といったら、ハリマロン・フォッコ・ケロマツの3種とその進化系のことだけど、プラターヌ博士はカントーのオーキド研究所と提携を結んでいるから、お前たちカントー御三家も力ロス図鑑に載っている。現に姉さんの試合パーティーの1頭はフシギバナで、彼は問題なく出場できるからな。そして、ここからが本題なんだが」
 ロンの表情が引き締まり、話題が核心に進むことを告げる。
「色々調べた結果、リザードンならゴウカザルやマフォクシー以上に、姉さんの戦法を使いこなせる可能性が出てきたんだ。だから姉さんは、お前にきて欲しがっている」
「なるほど……そういう話だったのか。ようやく理解したぜ」
 ポンッ、と鉤爪を打ち鳴らして納得する火蛇、ほっと安堵の息を吐いたロンに向かって、ニッコリと火蛇は頷いた。
「つまり、ティユ隊試合組に新しく参加するヒトカゲを、俺に育てて欲しいんだな。リザードンの先輩として。……ありゃ、どうした? いきなり突っ伏したりして」
 まったく何にも解っていなかった火蛇の答えに、折れそうになる姿勢をロンは必死で立て直す。
「いやいや……まだ候補のヒトカゲは仕入れられていないよ。第一、大会は明後日からだぞ。今から新しい仔を育ててももう間に合わないんだ」
「?……んじゃどうしようもねぇじゃんかよ。いったいティユさんは、俺に何をして欲しがっているってんだ?」
「だ~か~らぁ!」
 鈍過ぎる反応に苛立ち、ロンは語気を強めてズバリ言いきった。
「姉さんは、お前に! 今ここにいるリザードンの火蛇に! 試合組に加わって大会に出て欲しい、って言っているんだよ!!」
 ハァハァ……とロンが肩で息をする前で、火蛇はしばらくの間ポカ~ンと眼と口を力なく開けたまま固まっていた。
 が、おもむろに宙を見上げて考え込んだ後、至極真面目な顔で問いを返す。
「えぇっと……すまん。なんか勘違いをしていたみたいなんだが、つまりその大会っていうのは、トレーナープロモのコンテスト大会か何かだったのか?」
「いやいやいや、いつそんな話題をしたんだよ!?」
「んじゃ、ポケモン官能小説大会に投稿する作品の、主人公のモデルをやれって話だったか?」
「そっちはオーナーからの依頼だろ! 姉さんからの依頼は、明後日からのダブルバトル大会のことに決まっているじゃないか!?」
「あ~、そうかそうか、そうだったな。数合わせのため登録だけして、試合はトレーナーエリアの特等席から観戦しろ、っていう」
「現実逃避したくなる気持ちは解るが、そろそろ立ち直ってここまでの話を総合してくれよ!? レギュラーで! しかも先発で! 戦法の要となる重要な役目を! お前に任せたいって言・っ・て・い・る・ん・だっ!!」
 ひと言ひと言、刻みつけるようなロンの説明を受けて、それでもなおまだどこかに他の解釈の余地があるはずだ、と悪足掻き気味に周囲を見渡していた火蛇だったが、やがてとうとう諦めて、深く静かに息を吐いて吸った後、腹の底から力一杯絶叫を轟かせた。
「無っ茶言うなあぁぁぁぁっ!? 旅組の俺を試合に出したって、勝ち目があるわけねぇだろうがぁぁっ!?」
「そのまともなツッコみに辿り着くまで、どれだけ手間取っているんだよお前は……」
 ドッと疲れて呆れ声を漏らすロンだったが、火蛇の当惑は無理からぬことなのである。
 先刻火蛇が次期試合組の若者たちを1対2で圧倒していたのは、あくまで未成熟な彼らに対し、豊富な経験が上回った故に他ならない。仕上がった試合組を相手にしては、相性的に有利な角六や菩提にすら、自分ではもう敵わないだろうと火蛇は考えていた。それは謙遜でもなければ卑下でもない。むしろその逆で、彼らの育成に関わった者として、それだけ強く仕上げたのだと自信を持って言えるからなのだ。だからこそ自分が同じ舞台に上がるなど、火蛇には想像も付かない話だった。
「無茶は承知の上で頼んでいる――とはいえ、まるっきり無茶ってわけでもないだろう。お前、キナンシティのジャッジさんに、『特殊攻撃力は最高の力を持っている』って誉められていたじゃないか」
「特攻〝だけ〟はな。総合評価は『まずまず』で、物理防御に至っては『全然ダメ』とか言われてんだぞ。少なくとも俺は、俺程度の実力で出番が持てるような試合組を世話した覚えはねぇ。大会に出るようなポケモンは、皆そういう奴らじゃねぇのか!? それに、旅組には旅のための、試合組には試合のための鍛え方ってもんがあるだろうが」
「それについては、魔月さんの名前を出した時に言った通り、調整をし直せばいい。ポケモントレーナーとしての姉さんを甘く見るなよ。お前ぐらい経験と技が揃っているポケモンなら、一日あれば再調整して使い物にできるぐらいには仕上げられるさ」
「うそだろ……まだ信じられねぇ。俺が試合組に加わる!? しかも明後日からいきなり大会で試合って何だそりゃ。全然ピンとこねぇ…………」
 状況が意識に浸透すればするほど、困惑が度合いを強めていく。
 ガクガクと腕が振動しているのを感じていなければ、間違いなく夢だということで納得しているところだ。
「加わるって言ったって臨時だからな。明日までに準備を整えて、金曜日から日曜日までの三日間大会に参加した後、姉さんは今度こそコンボ専用のリザードンを仕入れる準備にかかる予定だから、そこでお前はお役御免だ。すぐにでも戻ってこれるよ。こんな晴れ舞台に立つ機会なんて、もう二度とないかもしれないぞ? 断る手はないだろう」
 緊張に張り詰めた火蛇の心を解きほぐすように、ロンの巧みな説得が続く。
「それに、さっき『勝ち目があるわけない』って言っていたけど、そもそも今大会では勝敗は問題外だ。コンボ達成のためにリザードンをどう指揮すればいいのか、周囲はどう動けばいいのか……お前に求められているのは、その実戦データなんだからな。姉さんと試合組のみんなに、しっかり教えてやってくれよ」
「つまり言ってみりゃ、これも旅組でやっている教導戦のうちってわけか……!?」
「そうそう。そう思えば、少しは気楽になれるんじゃないか?」
 立ち位置を示されて、確かに緊張はやや収まりを見せてきた。
 ここぞとばかりに、ロンは別方面から切り崩しにかかる。
「バトルとは別に、ティユ姉さん自身もお前と会いたがっていたぞ。姉さんのところに行くの久しぶりだろ? 」
「それについてはまぁ、魅力に思わんでもないが、しかしなぁ……」
 ティユ隊の旅組になら、火蛇が臨時で編入されたことはこれまでにも何度かあったことだった。
 記憶の中で女トレーナーの繊細な指先に愛撫されて、強張っていた朱い頬がわずかに綻ぶ。
「再調整は向こうの旅組でやることになるから、魔月さんにも会えるぞ。彼女、なかなかの別嬪じゃないか?」
「別嬪なのは認めるけどよ、舵歌の同期だけあって性格がキツいんだよあの姐さん。正直苦手だぜ」
「ちなみに、言ってなかったがコンボの相方も雌だぞ」
「おー、そうなのか……」
 やはり種族を問わず、異性のこととなると弱いらしい。立て続けにロンが並べた雌の話題に、いつの間にか火蛇は拒絶を忘れてのめり込んでいた。
「ん? そのコンボの相方って、さっき言ってたフシギバナのことじゃないのか? 『彼』って言われた気がするんだが」
「いや、フシギバナはサポート役の1頭だよ。問題のコンボ攻撃――姉さんが〝エブルモン・アルカンシェル〟って名付けたその攻撃は、ゲッコウガとの組み合わせで行う技だ」
「えぶ……何だって?」
「エブルモン・アルカンシェル」
 長く言い難い呼称を辿々しく綴って、ロンは苦笑いする。
「戦法に格好付けて命名するなんて、子供っぽいだろ? 姉さんって基本的にロマンに生きる人だから」
「まぁ、あの人らしいっちゃあらしいわな。アルカンシェル……アルカンシェル、ね。なるほど、それでゲッコウガと……」
 思い当たる節に納得しかけて、ようやく火蛇は我に返った。
「って、意味もなく名前で印象付けて興味を引こうったってその手にゃ乗らねぇよ。ゲッコウガの雌なんて、舵歌で見慣れてるしな」
「そうか? 舵歌より若くて、スタイルと性格のいい、めっちゃ可愛い娘なんだけどなぁ」
「それこそあんた、そんないい雌の隣にノコノコ出てって醜態を曝せっていうのかよ? カッコ悪ぃ」
 瞬間、エメラルドの瞳が鋭く光る。
 火蛇の言い分はごく正当なものだが、同時に『いい雌』に対する意識を明白に認めてしまったことでもあるのだ。
 ロンの仕掛けに、火蛇は完全に食い付いた。後はただ、引き上げられるのみ。
「そうか。確かにまぁ、『負けてもいいからやられてこい』って頼んでいるようなものだもんな。分かった。そこまで嫌がるのなら無理強いはしない。姉さんには、今回は泣いて諦めてくれって言っておこう」
「あ、待て、結論を急ぐな。俺はただ、もう少し心の準備をだな……」
 突然話を引き下げられ、ティユの涙までちらつかされてグラリと動揺した火蛇の心に、ロンは更に突き放すような揺さぶりを仕掛ける。
「大急ぎで身体の準備をしなきゃいけないのに、心の準備なんか待っている時間はないよ。渋るぐらいならすっぱり行かない方がいい。姉さんがどんなに辛い思いをしたって、そもそも悪いのはルールを間違えていたオーナーなんだから、火蛇が恨まれる筋はないしね」
「うわ、こらてめぇ……!」
「いいよいいよ。大会に向けて毎日一所懸命準備してきた向こうのゲッコウガさんが、自身は出られるのにメンバーが集まらなかったせいで、来れる誰かが行かなかったせいで断念することになっちゃっても、あの切れ上がった美しい顔立ちを涙の海に沈めることになっちゃっても、火蛇にはもちろん何の責任もないんだから……」
「だあぁぁっ、分かった分かった! 降参だ、俺の負けだ!!」
 忌々しげに、火蛇は白旗を上げた。
 雌に話題を振られたのは、色香で釣るための餌ではなく、涙で釣るための針だった、と気付いたところで後の祭り。見事に火蛇は釣り上げられた。愛ポケの性格を知り尽くした、ロンの完全勝利である。
「行ってくれるね?」
「ったく、あそこまで言われて行かなかったら完璧に俺が悪者じゃねぇか!? しゃあねぇ。ちょっくら対戦フィールドまで、お使いに行ってきてやらぁ! 任しとけ!!」
 景気付けに、火蛇は尻尾の炎をボッと吹き上げる。
 眩い閃光に眼を細めつつ、ロンはどうにか姉との約束を果たせたことに、今度こそ胸を撫で下ろしていた。

 ▽

 話が決まると、さっそく火蛇のモンスターボールはパソコンにかけられた。
 ボールの管理権限が書き換えられ、中身ごとティユの部屋のパソコンへと転送される。
 カチリ、とスイッチを押されて茜色の巨躯を室内に投げ出した火蛇の前に、見知った浅黒い顔がニコニコと微笑んでいた。
 ロンに比べて色素の濃い肌をしているが、癖のある短い黒髪とエメラルド色の瞳、整った目鼻立ちに彼との血縁が感じられる。若葉色の中折れハットには、ロンの帽子に刺さっていたものとお揃いの緑羽根。薄紫のシャツにライム色のネクタイを結んだ上から、深緑地にエメラルドグリーンのボールドラインが入ったジャケットを羽織り、ボトムスもジャケットとお揃いのロングパンツという、ボーイッシュながらもお洒落な装いがティユの勝負服だ。白いパンプスから覗くソックスもグリーンで、全体的に緑基調なのも弟との共通点だった。
 そんな彼女が、
「火っ蛇くんひっさしぶりぃ! 会いたかったぞぉ~っ!!」
 と、唐突に喜声を弾ませて火蛇の首元に抱き付いてきた。
 彼の知るティユの性格とはかけ離れた挙動に一瞬だけギョッと眼を見開いた火蛇だったが、すぐにその眼を冷ややかに細めて、
「……腕の感触が毛深いんだよ。影狼だろ、お前」
 と、帽子の上から軽く小突く。
 たちまち、緑の色彩が赤黒く変じて解け落ちた。
「いや~、さすが火蛇さん。あっさりと見抜かれましたか」
 更に黒さを増した細長い顔の後方にフサフサとなびく緋色のタテガミを、火蛇は鉤爪で掴んでワシワシと撫でる。
「お前ら兄弟どもには散々悪さされたからなぁ。もうそう簡単には化かされねぇぞ。はは、しかしそういや、ゾロアークに進化したお前と会うのはこれが始めてか!」
 前回のダブルバトル大会、同じ種族の同時出場が認められた特別ルールでロンが採ったのが、ゾロアークの双仔、朧狼&虚狼姉弟によるダブル・イリュージョンで相手を撹乱する戦法だった。その双仔たちの兄に当たるのがこの影狼で、ゾロアだった頃は弟妹らとともにロン隊で修行していたため、火蛇とも知った仲だったのである。
「ふふ、影狼の言う通り、こうして私の手持ちに入るのは、本当に久しぶりだね、火蛇」
 声に振り返ると、影狼が化けていたのと同じ姿がそこにいた。
「きてくれてありがとう。ようこそ、私の試合組へ」
 黒く繊細な指先が、火蛇の首元を爪弾くように愛撫する。
 あぁ、と恍惚の呻きが音を奏でた。
 今度は間違いない。本物のティユさんの指だ。やっぱりティユさんののポケパルレは格別だなぁ……
 快感に身を委ねて虚空を泳ぐ火蛇の視線が、ふとそこにもう1頭、既知の姿がいるのを捉えた。
「おや……悟理さんじゃねぇか!? そっか、こっちにいたんだっけ」
「お久しぶりです、火蛇さん。その節はお世話になりました」
 生白く痩せた人型が、房を結った桃髪の頭を丁寧な仕草で下げる。彼女、チャーレムの悟理もまた、ロン隊を経てティユ隊試合組に配属された過去を持つポケモンだった。
「いやぁ、あん時はうちのバカオーナーのせいで、あんたら母娘にはとんでもない迷惑をかけちまって……本当にすんませんでした」
 と、火蛇も悟理に長い首を下げ返す。
 悟理は、元々ロン隊試合組のレギュラーになるはずだったポケモンである。前大会のダブル・イリュージョンでゾロアーク姉弟に化けさせる姿として、ロンがオーナーに招集してもらったメンバーの1頭が彼女だったのだ。
 ところが、調整訓練を終えて身体を仕上げ終え、いざ技の調整に入ろうとしたところで、試合で採用を予定していた技がチャーレムには先天的素養がなければ習得できず、悟理には使えないことが分かったのである。オーナーの調査漏れが原因だった。
 問題発覚当初、ロンは他の技を代用にして採用しようと考えていたが、悟理の証言により、故郷に残してきた娘がその技を使えると判明。ただちに彼女――アサナンの菩提を招集し、ロン隊としてはお役御免となった悟理は、その頃まだメンバーの固まっていなかったティユ隊に編入されたのだった。
 大会の期日が迫る中、ロンも火蛇や舵歌たちも死に物狂いで菩提をチャーレムとして鍛え上げ、どうにかギリギリで間に合わせたものである。かのオーナーの失敗にロンたちが振り回されるのは、今大会に始まった話ではなかったのだ。叶うなら今回で終わりにして欲しいものではあるのだが……。
「まぁ、それでは娘も、今回の件で急に大会に?」
「んじゃあ、悟理さんも俺と同じく、穴埋めで出場するってことかよ!?」
 何はともあれ、今回の話。
 互いの近況を語り合った結果、またしてもこの母娘が揃ってオーナーの失態に巻き込まれたことを火蛇は知ったのだった。
 げんなりとなった火蛇に、ティユも顔をしかめて補足を入れる。
「前回悟理が務めた抑え役には新しい仔を入れたから、本当は悟理には引退してもらう予定だったのよ。だけど今回のトラブルで、先発を任せられる仔がいなくなっちゃってね。悟理には今回、先発して相手の出方をうかがいつつ、火蛇を守って後続へと繋ぐ役目を果たしてもらうわ。ただ……」
 暗い面持ちのまま、ティユは左腕を持ち上げて、薄紫の袖にはめられた漆黒の腕輪に眼を落とす。
「交代を確実に行うため、悟理には脱出ボタンを持ってもらうことになる。つまり、メガストーンが使えないのよ」
「何だって!? 確か、悟理さんの特性はテレパシーで、ヨガパワーはメガシンカしないと発揮できなかったんじゃ……!?」
 チャーレムは、身体能力そのものはさして高いポケモンではない。ヨガパワーで精神を高め、技の威力を倍増させることで初めて一線級の実力を発揮できるのだ。
 だが、悟理は技巧よりも知覚能力に精神を使うタイプのチャーレム。前大会にはあくまでも、ヨガパワーを発動可能となるメガシンカ前提で選出されたのである。メガシンカを行わない素の状態では、苦しい戦いになるのは明白だった。
「ごめんね。こんな無茶をお願いしなければいけないぐらい、今は手駒が足りないの。いずれ仕入れる予定の新しい先発要員のためにも、実戦データの収集に力を貸してちょうだい」
「分かりました。私の微力でよろしければ、喜んで務めさせていただきます」
 恐れも迷いも見せず、悟理は柔らかに微笑んで一礼した。
「何かもう俺ら、悟理さんには無理のかけっぱなしになっちまうなぁ」
「いえいえ、私も娘も、みなさんのお役に立てることが何よりの幸福ですので。それより火蛇さんこそ、旅組からの大会挑戦は大変でしょう」
「――まったくだな」
 と、火蛇の知らない凛とした声が、悟理に相槌を打つ。
「まして火蛇さんが携わられるのは、私と共にエブルモン・アルカンシェルを実行する役目。大任への果敢な挑戦、心底痛み入る……!」
 傍らの卓上に置かれた、房飾り付き(フリンジタッセル)の黄緑色をしたショルダーバッグから、その声は聞こえていた。
「その勇気に敬意を表したいのだが……ティユ、そろそろ彼に、私を紹介してもらえないだろうか?」
「そうね。ごめん、待たせちゃったか」
 ティユの手がバッグに差し込まれ、モンスターボールをひとつ掴み出す。
「火蛇、この仔が私の試合組ダブルパーティリーダー。あなたとコンビを組むことになる――」
 黒い指がボタンに沈み込み、ボールの蓋が弾けて開く。 
「ゲッコウガの、夕太刀(ユウダチ)よ」
 蒼く流麗な姿が、音もなく降りたった。
「ほ、う……!」
 期待通りの美しさに火蛇が漏らしかけた溜め息は、想像を越えた美しさへの呻きに取って代わる。
 なるほどロンが言っていた通りに若く、そして美しい。切れ上がった顔立ちというのも、なるほどまさしく触れれば血が出そうなほどの鋭角さだ。
 同じゲッコウガの雌である舵歌も、やはり刃物を思わせる容貌ではあるが、受ける印象は大きく異なる。舵歌が利便性に富んだ山刀なら、夕太刀はその名が示す通り戦場の剣。目的のために極限まで洗練され尽くした肉体美には、種を問わず雄の心を揺さぶられる。首に巻かれた舌の艶やかな光沢と彩りが、その魅惑に華を添えていた。
「歓迎する、火蛇さん。もし失礼でなければ、呼び捨てで呼んでも構わないだろうか?」
 差し出された吸盤つきの手を、火蛇は鉤爪でしっかりと握って頷く。
「おぅ。よろしく頼むぜ、夕太刀」
「こちらこそ、火蛇」
 スパッと割れた細い眼で朗らかに微笑む夕太刀。わずかに言葉を交わしただけでも察せられる、サラリとした快活な性格にも好感が持てる。ボーイッシュな体育会系の口調を『可愛い』と評せるかどうかは微妙だが、トレーナーの視点で見たらそう思えるものなのかもしれない。少なくとも、雌らしい口調をしていても雌らしい可愛げは欠片もない雌ポケなら、火蛇は嫌と言うほど知っていた。舵歌とか魔月とか、あるいはロン隊試合組ダブルパーティリーダー、フレフワンのパヒュームとか。……真っ先に思いついた3頭が彼女と同じリーダー格なのが少し引っかかるが、何も雌リーダーだから極悪非道な性格などという絶対的な法則があるわけじゃなし、4頭に1頭ぐらい可愛げのある雌リーダーと出会えてもおかしなことは何もないだろう。
「さて、と。そろそろ詳しい説明を願いたいぜ。今し方夕太刀も口にした、何とか・アルカンシェルって戦法について、だ」
Eboulement(エブルモン)arcenciel(アルカンシェル)ね」
 流暢な発音で、ティユが補足した。
「それよ、アルカンシェルの方は分かるんだわ。古代カロス語だろ? クノエシティで教わった技を使うコンボだってのは聞いてるし、(リザードン)とゲッコウガの組み合わせなら当然それになるわな。だけど……」
 首を捻り、眉間に皺を寄せて火蛇は問いかける。
「〝エブルモン〟ってのは一体何のことなんだ? 何となくこう、不吉な身震いを感じる響きに聞こえるんだが……?」
 一瞬、キョトンと瞬いた後、クスクスと笑ってティユは答えた。
「危険予知能力者ってわけでもないのによく分かるわね。お察しの通りよ。〝エブルモン〟っていうのは、古代カロス語で――――」

 ▽

「……えげつねぇな!!」
 眼下に咲き乱れる極彩色の花園を眺め、喩え抜きで身震いしながら火蛇は率直な感想を述べた。
 巻き起こった粉塵の合間から、演習用の身代わり人形だったズタズタの残骸が見える。
 あの身代わり人形の位置に自分がいたらと想像すると、それだけで身が竦む思いがした。
「火蛇、これが私たちの必殺戦法〝エブルモン・アルカンシェル〟だ」
 たった今、鮮やかな連携技で身代わり人形を粉砕してのけた夕太刀が、誇らしげに胸を張って呼びかける。
 その隣に立つコンボの片割れも、夕太刀に続けて上空の火蛇に声をかけた。 
「参考にしていただけましたか!?」
 褐色の体に純白の胴衣をまとったような柄の痩身。ひょろりと長い腕の先と肩、胸元や膝には金色の体毛が渦を巻く。太いM字型の眉に囲まれた精悍な顔立ちの上には、タテガミが紅蓮の炎となって紅々と燃えていた。
 ゴウカザルの晴間。今回オーナーの失態を切っ掛けにレギュラーから外れざるを得なくなった被害者で、火蛇が今回担うパートの前任者である。ちなみに彼と悟理は遠いながら血が繋がっており、どちらも修得している猫騙しは源流を同じくするらしい。
 一旦羽を休め、興奮醒めやらぬ顔で火蛇はふたりに応えを返した。
「いやぁ……もうとんでもねぇとしか。こんなもん相手はタマったもんじゃねぇだろ。ひと度発動すれば、ほとんど一方的な制圧になっちまうんじゃねぇか?」
「発動すれば、のぅ」
 すぐ近くで演習を見物していた、巨大な朱い花が語りかける、
 花の下に広がる羊歯のような葉に埋もれた、緑色の厳めしい顔が。
 ティユ隊ダブルパーティの主戦力が苦手とする水や電気、フェアリー技などへの対策として選ばれたフシギバナ。名前は生垣。これまたその名が示す通りに、パーティを守る防壁を担うポケモンである。
「発動まで漕ぎ着けるのが大変なんじゃ。解っとると思うが、前段階のコンボで大きな隙が生じてしまうし、相手に先んじて動きを封じ込める戦法故に、向こうに先手を打たれては何の意味もない。それらの弱点をカバーするために、お前さんや悟理さんが担う先発としての場作りや、儂や影狼が担うサポートが重要になってくるんじゃよ」
「もっとも、コンボの隙を突かれて片方が墜とされたとしても、今のアッシたちには〝抑えのエース〟鍋鶴がいるんですけどね」
 生垣の後ろで胡座を掻いていた影狼が解説を継いだ。その隣には悟理も腰を下ろしている。
「鍋鶴ってのは、ティユさんの後ろにいるアイツかい。なるほど、エブルモン・アルカンシェルがどんな攻撃なのか知った後にあれに出てこられたら、それだけで相手トレーナーがパニクりそうだぜ……」
 夕太刀たちの近くで指揮を執っていたティユの、背後にいる影を火蛇は鉤爪で指した。目を逸らし気味になったのは、その鍋鶴がリザードンである火蛇にとっては非常に苦手なタイプであるため、見ているだけでプレッシャーがかかりそうだったからである。
「えぇ。あの仔がティユさんの言っていた、本来引退するはずだった私と入れ替わりに今大会から入隊した仔ですのよ。ジャッジさんからすべての能力に最高のお墨付きをいただいた、ティユさんの秘蔵っ仔。私たちのような臨時のメンバーとは違う、この戦法(エブルモン・アルカンシェル)のために選りすぐられた、正真正銘の切り札(エース)ですわ……」
 悟理の返した応えを聞いて火蛇は俯き、掠れるほどの声で呟いた。
「全能力最高個体……いわゆる〝6V〟って奴か。羨ましいこったな…………」
 鍋鶴の顔をまともに見れないのは、タイプ相性のせいだけではない。
 生まれついて恵まれた彼の身体が、火蛇には眩し過ぎたからだ。
 鍋鶴だけではない。
 ゲッコウガの夕太刀。
 フシギバナの生垣。
 ゾロアークの影狼。
 チャーレムの悟理。
 みな、珠玉の肉体を丹念に磨き上げた素晴らしい出来映えのポケモンばかりだ。多くの弟妹弟子たちをロン隊の試合組に送り込んできた火蛇だからこそ、貧相な我が身とのあまりの差を痛感せざるを得ない。勢いで参加を了承したものの、本当に彼らの隣を飛んで、彼らと同様に逞しく生まれ育ったポケモンと戦うなんて仕事が自分に務まるのか。圧し潰されそうなほどの不安が、火蛇を苛んでいた。
「火蛇さん」
 呼びかけられて、重苦しい思考からひとまず覚醒する。
 いつの間にか側にきていた晴間が、手の先に細長い帯を持って差し出していた。
「忘れないうちに渡しておこうと思って。これ、僕がいつも使っている、練習用の気合いのタスキです。コンボを完全に決めるまで生き残るのが僕たちの仕事ですからね。頼みましたよ」
 気合いのタスキは、試合中に深刻なダメージを受けても、ギリギリで意識を保つためのアイテムである。発動には充分な体力が必要ではあるが、これがあれば一撃ではどんなダメージでも墜とされることはない。ただでさえ岩技という大きな弱点を抱えるリザードンであり、しかも耐久面の個体能力が平均を大きく下回る火蛇にとっては、是非とも必要な防具であった。
「お、おぅ。ありがとう」
 伸ばした鉤爪で、差し出されたタスキを掴み取る。
 晴間から火蛇へと、役目を引き継ぐタスキが渡される。
 と。唐突に晴間の手が翻った。
「……な!?」
 あっと言う間もなく手首にタスキが絡み付き、グイッと引っ張られる。
 突然の仕打ちに対応できずつんのめった火蛇の耳元に、晴間の顔が寄せられて、圧し殺された言葉の羅列が放り込まれた。
「くれぐれも…………」

 ――!?

「……ですから」
 困惑の窮みに立ち尽くしたまま、火蛇は晴間の顔を伺う。
 M字模様の眉の下に、眼光が静かに燃えていた。
 何かを訴えかける視線に、しかし何も読み解けず、問い返そうと口を開きかけて、
「ちょっと晴間!? 何をやっているの!?」
 横から割り込んできた知らない雌の声に、遮られた。
「……っ!」
 一瞬だけ聞こえた歯軋りの音が遠ざかり、踵を返した晴間の背中が逃げるように走り去っていく。
 鉤爪に絡んだタスキを解きながら、火蛇はたった今耳に刻まれた囁きを、頭の中で再構成して確かめていた。

 ……くれぐれも、夕太刀に惚れたりしないように。
 傷付くことになるのは、貴方ですから。

 なんじゃ、そりゃ。
『くれぐれも……』ときた時は、てっきり『ヘマをするな』と焚き付けにくるか、もしくは『いい気になるな』と水を注しにくるかのどっちかだろうと思ったのに、どうしてそこでいきなり、惚れた腫れたの方向に話がブッ飛ぶんだ!? まったくわけが分かんね――
 ……ぇってわけでもねぇか。夕太刀ほどの美貌を持つ雌にかかわることなら、失って血迷うこともあるわな。だけど、たかだか5~6日っきりの臨時雇いを捕まえて、わざわざ脅しみてぇな態度を取る必要があんのかよ?
「あ、あの、火蛇さん初めまして。ご挨拶が遅れました」
 先ほど晴間を呼び止めたのと同じ声が、またも火蛇の思考を中断させた。
 振り向いたそこで頭を下げていたのは、純白の表皮に包まれた濃紫の顔。その顔の両端から下がった薄っぺらな腕が、和服の袖のように揺れている。鈴蘭の花を思わせる釣り鐘型の胴体は、半ば辺りで深紅の帯によって結ばれていた。
 知った顔ではなかったが、ここまで聞いた話から彼女の素性は火蛇にも容易に推察できる。
「六花さん、かい? 元先発要員の」
「はい。あたしが今回晴間と一緒に除外されちゃった、ユキメノコの六花です」
 そのために、本来鍋鶴と入れ替わりに引退するはずだった悟理が再び出場することになったのだと、ティユたちから聞かされてはいた。見るからに無理をして明るく振る舞おうとしている、健気な仕草が何とも痛ましい。
「すみません、晴間が変なことを言っちゃったみたいで……ただ、彼の気持ちも解ってあげてください」
 ヒラヒラの手を腹帯の前で重ねて、悲しげな眼差しで六花は訴えた。
「ティユさんはもう、夕太刀のパートナーを正式にリザードンにする方針を固めちゃってます。つまり、晴間は次大会からも、もうレギュラーに戻れる望みはありません。彼の場合は特に、ティユ隊に加わる前から夕太刀と一緒にこの戦法の完成を目指してきた仔ですから……みんなの前では平気な顔をしていますけど、やっぱり色々考えちゃうんだろうなって思うんです」
「やっぱなぁ……そういうことか」
 事情を知れば尚更のこと、晴間があんな囁きをした理由は、夕太刀とコンビを組む者への妬みからであると考えざるを得ない。
 何しろ、彼の名前は〝晴間〟なのだ。
 即ち、夕太刀=〝夕立〟に対する、〝晴れ間〟。
 彼らの戦法(アルカンシェル)を知った上でその名前を見直せば、ひと揃えの組み合わせで名付けられたことは明白だった。
 言わば晴間は、今回の件でいきなり存在のすべてを奪われてしまったようなものなのだ。例え一時的にせよ、入れ替わりで彼の居場所に収まっている火蛇に対して、どんな負の感情を抱いていたとしても不思議ではないだろう。
「俺からして見りゃ、理不尽極まりねぇって話なんだがなぁ……」
 原因となったルール見落としをやらかしたのはオーナーであり、リザードンへの変更方針を決定して晴間の戻る場所をなくしたのはティユである。どこを探しても、火蛇が恨まれる筋合いはない。
「ごめんなさい。あたしたちのためにきてくれてる火蛇さんに、こんな不快な想いをさせちゃって……」
「いや、晴間にとっちゃ仕方ねぇことだってのは理解してる。できれば一度、腹を割って話し合いたいところなんだが……」
「それは……難しいと思います。さっきの態度も見ちゃうと、内心では相当荒んでいたみたいですし。せめて今回の大会が終われば、あの仔も少しは落ち着くと思いますから、それからにした方がいいんじゃないでしょうか」
「そうだな。じゃあそれまでの間、君はなるべくあいつの側にいてやってくれないか。独りにしとくのが一番ヤバそうだからな」
「はい。火蛇さんも、あたしや晴間の分まで大会頑張ってくださいね!」
 ペコリ、とお辞儀をして、白雪の袖が翻る。
 自分だって除外されて悔しい思いをしてるんだろうに、何よりも晴間のことを気にかけている。本当に健気ないい娘だ。彼女がついてりゃ晴間も大丈夫だろう……。
 晴間の向かった先へ追いかけていく六花を見送りながら爽やかな想いに浸っていると、ピシャッ!! という刺々しい打撃音と共に、灼熱の殺気が火蛇の背後から照りつけてきた。
「ひっ!?」
 実際の温度変化とは裏腹に、先刻までの六花との心暖まる会合を吹き飛ばす悪寒に襲われて火蛇が振り向くと、そこに鬼が立っていた。
「や、やあっ! 魔月の姐さん、お久しぶりで……」
 彼女こそティユ隊旅組リーダー、マフォクシーの魔月。大きな両耳の中に燃え盛る真紅の耳毛が天を向いて沸き立っており、まるっきり大角を振りかざした鬼のようにしか見えない。まさに怒髪天を突く状態。機嫌が斜めを通り越してほぼ垂直に傾いていることが火を見る明らかさである。右手に携えた小枝の杖の先端から炎が紐状にダラリと伸びており、先刻の打撃音はこの火炎鞭が大地を穿った音だった。
「火蛇、試合組への顔通しと、戦法の確認は終わりまして?」
 発言と同時に、またしても火炎鞭がピシャリ! と唸る。終わったかどうかの確認ではなく、『打ち切れ』という恫喝。拒否した場合に自分に下される仕打ちを想像して震え上がり、火蛇はコクコクと小刻みに頷いた。
「よろしい。時間が押し迫っておりますわ。今から早急に貴方の努力値を振り直して、明後日からの大会に備えますことよ!!」
 普段でさえ吊り上がっている眼に、ますます凶悪な光を宿して魔月は言い放った。
「ちょ、あの、姐さん? 今ドリョクチがどうとかって、そういうことは表現に気を使うよう、いつもオーナーから頼まれてグワアアアアッ!?」
 ブオンッ! と空気を灼いて、火炎鞭が火蛇の胴体に巻き付く。
「お黙り! そんな些事に気を配っている時間をこそ惜しんでくださいな。さっさとついてきてくださいませ!!」
 強引に火蛇を引っ張って、魔月はノシノシと歩き出した。ちなみに火炎鞭の正体は炎の渦である。火蛇はもう逃げられない。
 っていうか恐怖に竦み上がって、抵抗もツッコみもする余地がない。今の魔月に逆らうものは、主人公だろうが地の文だろうが死あるのみ。
 あれ、こんな状況、つい最近どこかで客観的に見た記憶が……?
 あぁ、そうか。舵歌に押し付けてきた蛇ノ目と卵丸が、こんな風に怯え上がっていたんだった。
 我が身に降りかかって見れば、随分と酷いことをしちまってたんだなぁ……などと彼らしく弟弟子たちを想いながら、火蛇は処刑場に連れられるかの如く引き摺られていった。

 ▽

「ちょっと姐さん、少しでいいから緩めてくれって! 痛い痛い痛い!!」
 逆さバトルをしているみたいに、炎の渦がリザードンである火蛇をやたらに攻め上げている。猛火特性でも発動しているのだろうか。
「頼むから落ち着いてくれよ!? 一体さっきから、何をそんなに怒っているんだ!?」
「……何を、ですって!?」
 長い体毛に覆われた足を大股に繰り出しながら、魔月は振り向きもせずに吐き捨てる。
「貴方は……腹を立てていませんの!? 今回のこの、おふざけも甚だしいお話を!!」
 はっ、と火蛇は顔を上げた。
 魔月も、想いは同じだったのだ。考えてみれば当然だった。オーナーの失態が明らかになったのは、まだほんの数時間前。魔月にとっても寝耳にハイドロポンプを浴びるような出来事だったことだろう。
「そっか……ハラワタが煮えくり返ってるに決まってるわな。俺だって角六や死渡寝のことを想えばよ……」
 それっきり続けられず、文句の一つも言えなくなり、痛みを耐えながら火蛇は黙って付いていく。
 ややあって、魔月は歩みを止めないまま、何事か呟き始めた。
「H11、A15、Bゼロ……」
「!? おい……!」
 3番目のゼロを聞いて、何を言われているのか気付いた火蛇が制止するも、魔月は構わず数字を読み上げ続ける。
「C31、D9、S21……!」
「やめてくれって! それ、俺がジャッジさんに受けた、個体能力値の32段階評価じゃねぇか!? こっ恥ずかしい!!」
 攻撃関連の数値はまだしも、耐久関連のHBD、特に物理防御力を示すBの最低数値には、火蛇は何度聞かされても赤面を禁じ得ない。先刻まで一緒にいた試合組の面々は皆、ロン隊の試合組もそうであるように、ほとんどの数値が30以上、鍋鶴に至っては全数値評価が31だというのに――
「『恥ずかしい』ですって!? 何がですの!? 羨望に値するって言おうとしていましたのに!!」
 唐突に立ち止まった魔月の、背を向けたままの肩が震えている。
「あ、姐さん……!?」
「C31……ひとつでも取り柄があることは、素晴らしいことなんですのよ。あたくしの特攻(C)素早さ(S)がどのような評価でしたのか、教えて差し上げましょうか……?」
 血が滲むほど固く拳を握りしめて、魔月は悔しさにまみれた声を絞り出した。
「この身に……この身体にもっと力がありましたなら! あたくし自身の手で、晴間や六花の無念を晴らしてあげられたかもしれませんでしたのに…………!!」
 切なく響く悲鳴のような激情が、火炎鞭にも勝る強さで火蛇の心を打ち据えた。

 ――俺は。
 自分の身に起こった状況と、除外された試合組の弟妹弟子たちへの心痛で頭を一杯にするあまり、この事態の中で試合組のために奔走している旅組の仲間たちのことを、考えてもいなかった。
 もし立場が逆で、角六や死渡寝たちの代役に選ばれた旅組のポケモンを俺が迎えることになったら、やっぱり選ばれた者への羨望と、何よりも手前の無力感に苛まれてるはずじゃねぇのか!?
 叶うなら、自分の手で。
 誰よりも姐さんの願いを理解できるはずの俺が、今、現実にその願いを叶えられる位置にいるんだぞ。
 今更生まれ持った力の差に怯んでる場合かよ。身体の脆さなんかより、怖じ気づいている心の弱さの方がよっぽど恥ずかしいじゃねぇか。唯一の取り柄である特功31を活かす以外に、今考えるべきことなんかあってたまるか。
 晴間のことにしたってだ。奴がどんな眼で俺を見ているんだとしても、その気持ちを全部受け止めて、奴が出られない大会に抱えて行くために俺がここにきたんだろうが。それを理不尽だなどと、腑抜けたことをほざいたのはどこのヘタレだ!!

 己への怒りと羞恥が、猛火となって吹き上がる。
 加熱した鉤爪が、胴体を取り巻く炎の渦を、力任せに引きちぎった。
「腹ァ括ったぜ、姐さん」
 開いた鉤爪でバシィッ! と自分の頬を張り付け、気合いを込めて火蛇は宣言した。
「やってくれ。姐さん自慢の弟妹弟子たちに肩を並べられるまで、完璧に仕上がってやる!!」
 その言葉に、やっと魔月は振り向き、耳の向こうに隠れていた瞳を見せた。
「当然、ですわ……!」
 相変わらず高飛車な語り口ながら、その視線からは感謝の光がこぼれ落ちていた。

~4月17日・木曜日~ 


 ザロクにネコブ、タポルにウブ、旅組として身に付いた不要な筋肉を落とす効果のある木の実をたらふく食い、能力増強に効果のあるリゾチウムとインドメタシンも適量服用。
 食事の後はティユに連れられ、寒風吹き荒ぶフウジョタウンへと移動して、満天の星明かりに映えるフロストケイブを登り、雪穴に籠もって魔月たちティユ隊旅組と夜を徹しての壮絶な鍛錬を開始した。パワーアンクルを足に巻き、パワーレンズを眼に架けて、自身の長所であり戦法に必要な要素でもある特殊攻撃力と素早さをひたすら高めるための猛特訓。火蛇の場合、既にロンと各地を回る間に、肉体を活性化させる細菌(ポケルス)に感染した経験があったため、修練は即座に力に変わりメキメキと強さを増していった。
 一夜明けてフロストケイブを後にし、仕上げに『スーパートレーニング』という機械に入ってのパルーンロボ相手の特訓で細かな部分の調整を施し終えた頃には、もう火蛇の身体は自在な活動を求められる旅組のものから、求められた役割に特化した試合組のそれへと完全に変貌していた。
 肉体に続いては技の調整である。フウジョタウンの専門家たちに旅用の空を飛ぶ秘伝技を忘れさせてもらい、代わりに体内に眠っていた技をひとつ覚醒させる。続いて休憩と兼ねての技マシンを使った睡眠修得。使用するのは№17――ダブルバトルではほぼ必須とされる防御技〝守る〟と、そしてもうひとつ、先発要員として使う技、№39。
 これで3つ。1匹のポケモンが同時に使いこなせる技は4つまでとされるが、残る1つは旅組時代にクノエシティで教わっていた、戦法の前提となる技だと既に決まっていた。
「本当は『追い風』を覚えさせることができたらベストだったんだけどね……」
 №39の技マシンをスロットに入れながら、ティユは残念そうにぼやく。
 パーティ全員の進行速度を一時的に倍増する技、追い風は、速攻を要する戦法であるエブルモン・アルカンシェルにとって是非とも欲しい補助技である。一応リザードンが使える技ではあるのだが、肉体記憶にもなければ遺伝でも引き継げず、対応する技マシンもいまだ開発されてはいない。専門の教え人でなければリザードンには覚えさせることができず、その教え人は現在カロス地方近辺には住んでいないのだ。ホウエン地方との間にポケモン転送ネットワークが開設され、バトルリゾートにいる技教え人の所へとリザードンを連れていけるようになるのは、もう半年以上先の話である。
「でも今のところはこれに頼るしかないし、この技だって場面によっては強力な武器にすることもできるはずよ。使ってみてね」
 任せろ、と鉤爪を掲げて応え、火蛇は眼を閉じてマシンの電波に身を委ねた。

 ▽

 眼を覚ませば、既に西空は茜色。
 残された時間で覚えた技を完璧に身に付けるため、夕太刀たちと合流して実演での慣らし運転を行った。
「さすがだな。もうここまでコンボを使いこなすとは。いよいよ大会で披露する時が楽しみとなったな!」
「〝アルカンシェル〟に関しては、うちの旅組リーダーとも練習したことが昔あったからな。まるっきりの付け焼き刃ってわけでもねぇんだ。ただ、練習では巧くいっても、本気の相手と向き合う本番でこれだけの働きができるとは限らねぇが……」
 夕太刀に慎重な態度を示しながらも、火蛇自身変貌した己の力に昂揚を抑えきれない。
 なけなしの物理防御を守ってきた贅肉を残らず削ぎ落とした今、火蛇の身体はむしろ昨日までより柔く、脆くなっており、ともすれば頼りなさすら感じるほどだ。
 だがしかし、同時に恐ろしいまでに身体が軽く、そして鋭くなった。感覚の増した肌は周囲の風の流れまでをも鋭敏に感じ取り、その流れを裂いて羽を一閃させれば、衝撃波が鮮やかな色彩を帯び、豪快な音をけたてて飛んでいく。この力はもう、旅組のものではあり得ない。自分は既に試合組の一員なのだという実感が、火蛇を激しく燃え立たせていた。
 ふと、何かの感触が火蛇の二の腕を撫で上げた。
 すっかり敏感になっていた肌をくすぐられて、思わず「ひゃぅっ!?」と上擦った声で悶えてしまう火蛇だった。
「ふむ、技能的にはこれ以上ないほど仕上がっとるが、心身共に随分と緊張しているようじゃな」
 伸ばしていた触手を火蛇から火蛇から離して、生垣が澄ました顔で分析を述べた。
「いきなり何しやがる!? ビックリするじゃねぇか!?」
 憤然と火蛇が生垣に抗議しているうちに、フッと隣にいた夕太刀の気配が跳ね飛んだ。
「ティユ、もう大会の準備は万全と言っていい。これ以上は無理をせず、英気を養うことに専念するべき頃合だと思うのだが」
 聞こえてきた声を追うと、演習場の入り口に立てられた看板の上に蒼い影が腰掛けていた。さすがはゲッコウガ、見事な身のこなしである。
「そうね。もうすぐ7時だし丁度いいわ。後は各自羽を伸ばしてちょうだい。間違っても羽目を外し過ぎて、試合に差し障ることのないように……はいはい、鍋鶴は私のお部屋で一緒に遊びましょうね」
 首ったけで甘える鍋鶴の頭を撫でてボールにしまい、ティユは夕太刀の脇を通って自室へと引き上げていった。強面をしている鍋鶴だが、ああいうところを見るとまだ子供っぽさを残す気性のようだ。
「さぁて、火蛇はこっちじゃ」
 と生垣が火蛇の背を叩いて誘ったのは、宿舎とは逆方向の、鬱蒼と茂る森へと続く道だった。
「え、休憩室に行くんじゃないのか? いつものドラマ、今週はエラい別嬪なアマルルガとアマルスの母仔が出てくる話らしいんだけど」
 木曜夜7時と言えばもちろん、誰もが見たがるドラマが放映される時間だ。*2休憩室のテレビには、毎週この時間にチャンネルを合わせて起動するようにオートタイマーが設定されており、ポケモンでも気軽に視聴できるようになっている。
「んなもんティユさんやロンさんが録画しているはずじゃで、後で頼んで見せてもらえばよかろう。新入りの歓迎会に主賓が出んでどうするんじゃい。まぁ、歓迎会っちゅうても儂と夕太刀しか参加せんがのう」
「……ん、俺も入れて3頭だけ? 鍋鶴はティユさんと行っちまったから分かるけど、影狼や悟理さんは呼ばねぇのか?」
 何気なく問いかけると、生垣は甘い香りを妖しく漂わせながら声を潜める。
「……故郷に旦那さんを残して来とる、身持ちの固いひと妻を呼んでいいような〝歓迎会〟なんぞするつもりはないわい」
「やっぱりそっち方面の歓迎かよ!?」
 火蛇自身、そういう交流なら旅の間に誘われたこともあれば迎える側だったこともある。ロン隊の試合組でも盛んな様子であり、それ自体は驚くに値しない。
「そりゃ悟理さんは呼べねぇわ。んじゃ、影狼はどうして……あれ?」
 演習場を振り返って見渡すと、古馴染みの姿が消えていることに気付いた。
「影狼はどこに行ったんだ? 演習の時にはいただろ?」
 首を傾げていると、夕太刀が看板の上でケロケロと笑い声を上げた。
「気付かなかったのだな。さっきの鍋鶴が影狼だ。本物の鍋鶴は、生垣に触れられた貴方の声にみなが振り返った隙に、いち早くボールに潜り込んでいたぞ」
「なぬ!?」
 つい昨日『もうそう簡単には化かされないぞ』と宣言したばかりなのに、と口惜し気に舌を巻く火蛇だったが、苦手な鍋鶴から目を逸らしていたのでは見抜く術もない。
「いや、だってティユさん、しまう時にちゃんと鍋鶴のボールを出してたんじゃ……」
「イリュージョンはボールごと化けるからな。使うトレーナーも気をつけていないと化かされる。今頃ティユも、部屋でボールを開いてさぞかし驚いていることであろう! ハハハハ……」
「……何をやっているのですか貴方たち!?」
 背後から呆れ混じりの叱責がかけられる。
 悟理だった。大会直前の乱チキ騒ぎなど、貞淑な彼女としては認められないのだろう。ロン隊にいる菩提も、母親である彼女の教育が行き届いているらしくこの手の誘いには加わらない。
「まぁまぁ悟理さん、そう固いこと言わんと。ただ火蛇さんと大会前のスキンシップを交わしたいだけじゃて」
「いえ、そういう問題ではなくて!」
「心配せんでも、あまり度を越えた真似まではせんよ。宵の口のうちに済ませておけば、大会にも差し障らんじゃろ」
 詰め寄る悟理をガッチリと遮る生垣。身体が揺れる度に甘い香りが漏れて散る。その香りを後ろで嗅ぎながら、今なら悟理さんに乗じれば、歓迎会を断ってドラマを見にいけるかな、などという考えが火蛇の頭によぎった。今週の話は以前から楽しみにしていたので、できれば生で視聴したいのだ。
 迷うように泳いだ視線が、看板の上にしどけなく座る夕太刀を捕らえた。
 っていうか捕らわれた。暮れかかった夕映えの中、しなやかに曲げた背筋から投げ出された足先までの滑らかな曲線が浮かび上がる。もう片方の脚は折り曲げて看板に足裏を乗せた姿勢で、両の太股が作り出した翳りに、短い尾の付け根が悩ましく盛り上がりを魅せている。刃のように尖った顎の上では、細められた瞳がこちらを向いていた。そのままウインクでもされたら、甘い香りの沁みた心は回避の術もなく撃ち落とされそうだ。
 このまま誘いを受ければ、当然彼女からの素敵なサービスが待っているだろう。
 しかし彼女はゲッコウガ。リザードンである火蛇とはタマゴグループが違う。一方ドラマのヒロインであるアマルルガは同じ怪獣タマゴグループ。ここで秤にかけたくなるレベルの美女であることは予告編で確認済みである。これの生視聴をパスしてグループ不一致との肉欲に走るのはポケモンの雄としてどうなのか。
 タイプ的に相性が悪いのはどちらも同じ。むしろ異性なら刺激がある方が燃えるもの。実物の別種か、映像の中の同種か。とても他者には見せられない天秤が、火蛇の心の中で揺れ動く。

 目の前にいる美女の魅惑に、録画で済むドラマ俳優のそれが敵うわけなし!prism-Gへ!!


なかがき 

概要 

 本作が僕の作品であることは姉妹作トリックルームなどで既に明かしていましたが、諸事情あって本文ページの更新が著しく遅れてしまいご迷惑をおかけしてしまいました。
 官能小説大会投稿作にして空気も読まずに本格ポケモンバトルものとなったこの作品は、僕がポケモンXのプレイヤー(=オーナー)として、ポケモングローバルリンクのWifi大会〝ファミ通カップ〟でやらかした実話を元にして描いたものです。火蛇に官能小説の主役を依頼したりとか、キャラにメタ発言をしないよう注意していたりとか、カロス図鑑限定大会に自ら〝ポケモンとして〟参加できるけど役に立たないなど*3、正体のヒント出しまくりですみません。次の章ではもっと露骨なヒントを出しちゃってますけどw
 ティユはXの主人公トレーナーにサナたちが呼ぶ愛称として付けた名前で本名は〝オートゥイユ〟。弟という設定のロンはYの主人公トレーナー〝ロンシャン〟の愛称です。作中で描かれた服装の描写も、実際にゲームで着せている衣装に基づいています。その他、NN付きで登場したポケモンたちも、全員が僕のROMに実在しています
 アニポケは無印から毎週見ている僕ですが、ゲームを始めたのはWikiで小説を描き出した後のBWから。これまでにも『血脈の赤い糸』など、プレイ中のエピソードから物語を描いたことはありましたが、いつかフルパーティでの本格バトル話を描いてみたいと常々思っていました。戦法に厨二臭い名前を付けていたのも、小説で必殺技として使うことを狙ってのもので、〝エブルモン・アルカンシェル〟も必殺技の候補として研究していた戦法のひとつだったのです。
 しかし、想定していたのは〝必殺コンボを軸にしたポケモン話〟までだったのですが、まさかのまさかでやらかしてしまった失敗により、Yでプラターヌ博士から貰ったリザードンである火蛇をXに移籍してのファミ通チャレンジ参加という事態に。突然場違いな舞台に放り込まれた火蛇の奮闘ぶりを見て、火蛇にとってはちょっとした異世界冒険譚なんだろうな、とか妄想したのが運の尽き。だったらこの失敗談、そのまんま小説にしてしまえと思い至ったのでした。
 その後改めて火蛇の個体値を確認し、防御がぜんぜんダメだったと知った時は笑うしかありませんでしたw 攻撃減性格、特効Vまでは厳選した仔だったんですが、まさかここまでネタにしてくれと言わんばかりの極端な仔だったとはw 火蛇が強すぎたらネタになりませんので、これは本当に嬉しい誤算でしたwww

ダブル・イリュージョン 

 エブルモン・アルカンシェルについての解説は最終章に回すとして、ここではひとつ前のインターネットテスト大会でロンが使った〝ダブル・イリュージョン〟について解説します。
 ポケモンA・ゾロアーク1・ゾロアーク2・ポケモンBの順で選出した場合、先発にはポケモンAと、ポケモンBに化けたゾロアークが出ることになります。ここからポケモンAをBと入れ替え。ポケモンBが2体並ぶことになるため先に出ていた方がゾロアークなのはこれで確定ですが、この後ゾロアーク2が場に出ると、その時点で最後尾にいるポケモンAに化けて出てくることになるわけです。もしゾロアーク1の幻影がまだ破られていなければ、それぞれ別のポケモンに化けたゾロアーク2体を並べるなんて芸当も可能です。
 相手はゾロアーク1を見破った時点で油断してしまうことが多いですし、一度下がったポケモンがまた出てきたようにしか見えませんから混乱必至。ポケモンAが猫騙し使いだと警戒して守る確率は非情に高いので、その隙に身代わりを張ったり悪巧みを積んだりと好き勝手し放題でしたw
 ちなみに、そのポケモンAを務める予定だったメガチャーレムの悟理に遺伝させ忘れたタマゴ技とはサイコカッターです。静電気持ちなどに触れて状態異常になるとゾロアーク2の幻影が台無しになってしまうので、非接触技がどうしても欲しかったのでした。

章間 [#9wLpfQl] 

 本作の各章は場面の半ばで切れていますが、これはアドベンチャーゲームの選択肢を意識したものです。
〝突然異質な環境に短期間送り込まれる〟というのは、ギャルゲーとかでもありがちな話ですので。
 章のタイトルにあるprismは、もちろんコンボの正体をイメージした分光器(プリズム)からで、光の三原色RGBは、それぞれの章で火蛇が誓いを交わしたヒロインである、魔月、ティユ、夕太刀をイメージするカラーでもあったりします。
・火蛇「……ん? それだとGのヒロインは悟理さんでも良さそうな気がするんだが……?」
 それについてはまぁ、色々と企んでいる予定の中にあるのですが……いずれ明かせる時をお楽しみに!?


コメント帳 

潮騒(シオサイ)「私、ダブル・イリュージョンで参加していたドククラゲなんですけど、カロス図鑑に載ってるのにどうして名前が挙がらなかったんですか?」
・狸吉「ファミ通チャレンジに出さなかったのは有効な使い道がなかったからですが、小説では出さない理由を考えるのが面倒だったためにいないことにしちゃったんですw」

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歪んでいます……おかしい……何かが……物語のっ……


*1 主に傷薬や能力向上薬などの使用。野試合では試合中に施されることもあるが、公式戦では認められない。
*2 実際に2014年4月17日に放映された、アニメポケットモンスターXY『オーロラの絆! アマルスとアマルルガ』が元ネタ。
*3 セントラルカロス図鑑№012。

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Last-modified: 2016-02-26 (金) 00:11:56
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