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首領偉大なる、偉大なれ首領

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※BL要素・暴力、流血描写に注意

首領(ドン)偉大なる、偉大なれ首領 作:群々


1 


 こんなところへ放り出されたのは悪辣なマフォクシーの悪意ある魔法のせいだと、後に不本意にも「グゥ」と呼ばれることになる小鳥は信じ込んでいた。
 かつていた場所は、こんな薄暗くも湿っぽくもなかったし、グゥにはまだ名前はなく、ただ種族名の「ペラップ」とだけ呼ばれていたが、その方がずっと幸せだった。ぺラップが、かつてマスターと呼んでいたヒトの肩に乗って旅をしたのは、華やかな街や、色とりどりの花々の咲いたのどかな道であり、そこでは可愛らしいヤヤコマがファイヤーの代わりに春を運び、大小のバケッチャが月明かりのもとロンドを踊り、パッチールほどの模様のあるビビヨンたちが舞う空を、フラべべたちが舞い降りて色とりどりの花びらを降らせたものった。街角のディスプレイに映し出された正装したサーナイトが、こちらを見つめるとつかつかと歩み寄ってきて、優雅な挨拶の身振りをしながら、その華奢な手を差し出してくると、ぺラップは流麗な言葉でそれに応じたものだったし、その人間にも劣らぬ甘美な言葉遣いは、サーナイトのみならず、多くのメスたちを魅了したものだった。
 そんな楽園のような世界は、生まれてから死ぬまで変わることのないある一夜の平凡な眠りによって掻き消された。モンスターボールから放たれた感覚で目が覚めると、どことも知れない鬱蒼とした森の中に取り残されていたので、夢を見ているものだとぺラップは勘違いした。しかし、森に陰が差すのにしたがって聡明なぺラップは、自分が見捨てられたことを理解し、日が沈んで森が闇に包まれるのと同時に絶望のために、生まれて初めて涙を流した。顎を撫でられながら夜の挨拶を交わして、ぺラップがモンスターボールの中で魂の蕩けるような眠りに浸かっている中で、マスターは平然と自分をパソコン内へと送り込み、書き損じたデータを消去するように逃したに違いなかった。そうしたものによくあるように、理由は決して明かされることはなかったが、それゆえにぺラップは都合よく、何かの間違いだと思い込もうとして、狡猾なマフォクシーの魔術や、陰湿なゲッコウガの計略だと思い込もうとしたが、見知らぬ森の夜は深まっていくばかりで、助けに来てくれるマスターの代わりに、夜更かしなツチニンたちが寄ってたかってぺラップのことを小突き回した。毎晩丁寧にパルレして()かされるはずの毛並みは、土煙と共に乱れた。手荒い洗礼によって、瞬く間に野生にさせられたぺラップは、ふらふらと暗闇の森を彷徨った。枝の上に留まったホーホーたちが訝しげに場違いな鳥を見つめていた。ムウマが気まぐれに自分の周りをぐるぐると巡って、すぐに興味を失くして遠ざかっていった。物陰からコロボーシが奏でるヴィオロンの啜り泣きは、寧ろぺラップを嘲っているように悲惨な響きだった。
 弱々しい脚で一歩先へと歩くたびに、ペラップは少しずつ色彩を失っていくかのようだった。怒りも湧かず、悲しみも込み上げてこなかった。腹も減らず、喉も乾かなかった。生も望まず、だからといって死の誘惑も感じなかった。楽園を追われた無垢なぺラップにとって、虚無だけが弱い小鳥の身を守る衣だった。街という街の街路樹の落ち葉を食い尽くしたドクケイルたちの群れが、悪霊のようにぺラップにまとわりついたのも気にならずにさせるがままにさせると、グゥという名を与えられることになる小鳥はふわりと浮き上がり、まるで肉体から魂が浮き上がったかのようになり、上下も左右もないままにもみくちゃにされた。ドクケイルたちのささめきと羽ばたきに溺れながらぺラップは、自分がコイキングになったように錯覚し、そうであることを願った。聡明な目は間の抜けた三白眼になって、尖った嘴は扁平状に広がって丸くなり、頬からは黄色いヒゲが伸びて、色鮮やかな羽根は橙色のみすぼらしい鱗となって、そこから出来の悪い帆のような(ひれ)が、方々から生えてきているものだと信じた。
 しかし、貪欲なドクケイルたちが次の街の街路樹を襲いに飛び去った時、置き去りにされたぺラップは相変わらずぺラップのままだった。首元のフリルのような羽根も、透き通った水色の翼も、黄色い胸元も、緑色の腹部も、土埃に塗れて乱れているということを除けば、ぺラップのものであることは少しも変わらなかったが、そんなことに失望していると、木の枝にぶら下がっている何かをまじまじと直視し、うっかり自分の排泄物を間近に見てしまったかのように、慌てて目を逸らしたが、恐る恐る、焦点を合わせないように少しずつ視線をずらした。
 そのまま、見て見ぬふりをして通り過ぎた方が、どれだけ良かったことだろうと、グゥと呼び習わされることになるぺラップは後に後悔することになるのだったが、思わず息を飲んで、枝から吊り下げられたそれを見つめてしまった。それは黒いボロ切れであるように見えたし、案山子のようにも見え、目を凝らしてかすかにわかる程度に弱々しく揺れていたが、その輪郭は森を包む闇と混じり合って不明瞭だったせいでもあったし、ふらふらと彷徨ってきた体が萎えそうだったせいで、ぺラップは脚を止めて、それを見てしまったのである。
「ねえ」
 黒いボロ切れに声をかけられた時、ぺラップは闇に語りかけられたと思って気が動転し、身をすくめたが、元の形も留めぬ何かだと思っていたそこから三日月のようなものが現れると、それが自分にとって運の尽きとなることにも気づかずに、目を(みは)った。
「いるんだろ」
「あっ……」
「いたな」
 黄金色の嘴の隣から、ゆっくりと何かが開き、影を帯びた白と、不気味に赤くくすぶるものが浮かんできた。ボロ切れだと思っていたものが、まるで死にかけたテッカニンのように、突然魂を吹き込まれたとでも言いたげに動き始めた。それを、長いことグゥは自分がそれを見てしまったせいだと思っていた。
「お前」
 と、闇に溶けるボロ切れはぺラップに言った。
「助けろ」
 それが、グゥという束縛する名前を与えられることになるぺラップに下された最初の命令だった。命令を下すボロ切れが何なのかわからないのに、それがゼルネアスからの言葉ででもあるかのようにぺラップは圧倒されていた。意思よりも先に小鳥は羽ばたき、木の枝とボロ切れを結びつける縄を必死に突っつき、筋のように縄が細くなると、嘴で噛んで、ありったけの力を込めて切り落とした。
 鈍い物音を立てながら、吊り下げられたボロ切れが森の地面に墜落すると、哀れなぺラップは心配そうに側に近寄った。蒼空のような翼で、慎重にボロ切れを抱き起こすと、ボロ切れだと思っていたものが、俄に細胞のより集まったジガルデのように明確な形をとって、一羽のヤミカラスになるのを、驚きながら見つめていた。宙吊りにされていると、まるで原型を留めていないように見えたはずの形が、少しずつ了解されてきた。三日月のような嘴を見た。鍔の広い帽子に耳の生えたような形をした頭を見た。緋色の瞳を湛える目が、驚くほどに冷徹な視線を今や孤独の身となったぺラップに浴びせてくるのを見た。助けられたくせに、自分が助けてやったとでも言いたげな傲慢さがあった。
「ぺラップか」
 感謝の言葉を述べることもなく、ヤミカラスはつぶやいた。ヤミカラスだと認識した上でその体を眺めると、いかにもボロ切れ同然の瀕死の姿をぺラップの前に晒していたにもかかわらず、乱雑にされた黒い羽根には、至るところ凝固した血が(にかわ)のようにまとわりついて、供えられて日数の経ったご飯のようになっていたにもかかわらず、ぺラップを見つめるでもなく、見惚れているでも、睨むでもなく、ただ絶対的な視線を送り続けていた。
「そう強がるなよ、死にかけてるだろう」
 ぺラップが諌めても、ヤミカラスの恐るべき瞳の放つ力は弱まるどころかいっそう強まり、断じて弱みを見せようとはしなかったし、この期に及んでも介抱する自分を飲み込もうとしたので閉口せざるをえなかった。ヤミカラスという種族が持つある種の億劫さについて、ぺラップは楽園にいた頃にも知らないことはなかった。首領(ドン)のもとに寄り集まるこの小柄な烏どもは、その低い一声でたちまちにして集合し、命令を受ければ然るべく従うが、しくじったり、裏切ったりしたものは首領の怒りによって容赦なく、残忍に粛清される。恐らくはこいつもそうしたヤミカラスの一羽に過ぎないのだろうと、ぺラップは陰湿に捨てられた身の上を棚にあげて見くびっていた。
「とにかく、少し横にならないことには」
「お前」
 ぺラップの心配に対して、感謝することも侮蔑することもなく、ただ透徹としながら「お前」とヤミカラスは言った。心を見透かされるどころか、心臓を握られているかのような圧力を感じて、まもなくグゥという名を授けられることになる色鮮やかな小鳥は呆気に取られた。
「孤独だな」
「えっ」
「天涯孤独だ」
「どうしてそう思う」
「僕は過たないから」
 あたかも自分が全知全能の神であるかのような言い方はぺラップを困惑させたが、粛清されて死に瀕して、より縋る相手が誰一匹いないにもかかわらず、そんなハッタリを平然と(くち)にすることのできるヤミカラスに、初めての、致命的な畏怖を感じた。
「僕は決して過たない」
「馬鹿な」
 ぺラップは平静を装いながら言い返した。
「過ったから、君はこんなところに吊るし上げられたんじゃないのか」
 それは、全く間違えようのないことであるとぺラップには思えたので、何ら躊躇いの混じることのない自信に満ちた口調で皮肉を言い放ったつもりだが、この死にかけたヤミカラスは、自嘲するどころか、ぺラップの浅はかさを哀れんでさえいるかのようだった。
「僕は決して過たない」
「でも」
「僕は、決して、過たない」
 その平然とした口調と、威厳をまとった瞳は、ボロ切れさながらに傷ついた体と相まって、神々しさを帯びていた。なぜ、そんなことをネイティオのようにつぶやけるのか、その理由がなんなのかがまったくわからないことが、所詮は井の中のケロマツでしかなかった高慢な小鳥をますます恐れさせ、かげふみをされたように身動きを取れなくさせた。
「お前は、天涯孤独だ」
「……」
「ゆえに、僕を助けた」
「意味がわからない!」
 ペラップはムキになって言い返したが、妖美に舞うサーナイトの前ではあれだけ回っていた舌が、痺れたように動かず、息も絶え絶えのはずのヤミカラスの語調に、勝ち誇ったような響きが込もった。
「事実だ」
「黙れ!」
「だから、真実だ」
「黙れって!」
「お前は、天涯孤独だ。そして僕は『助けろ』と言い、お前は従った」
 ペラップは翼で丸っこい頭を抱えて、安易なことに、夢なら醒めてほしいと願い、この計略の首謀者に違いないにっくきマフォクシーに天誅を下してほしいと願ったが、執拗に繰り返される「天涯孤独」という四字熟語のために、ギルガルドの剣でじっくりと内臓を抉られているかのように、少しずつ絶望へと引き摺り込まれていくのを感じた。
「違う!」
 ペラップがそう振り絞るように言ったのとは裏腹に、傷だらけのヤミカラスはその言葉が肯定を意味すると見抜いていた。
「お前は、ここから戻ることはできないし、進むこともできない」
「勝手なことを言わないでくれ!』
 そう叫んで、憤慨の任せるままにこのボロ切れを見捨てようして、それがグゥとして身に受けるあらゆる不幸を回避する最後のチャンスであったはずなのに、甘ったるい世界しか見てこなかったペラップは、森を覆う闇のあまりの深さに尻込みして、ヤミカラスの言う通り、戻ることも、進むこともできなくなっていた。
「私は、私はっ……」
「運命は定められた」
 なおも強情なペラップの瞳から撒き散らされる涙が血塗れの羽根を濡らしても、ヤミカラスは何の感情も抱かず、過去も未来も全てを見てきたネイティオのように淡々と、堂々としていた。
「僕の右翼(みぎうで)になれ」
「な、何をっ」
「お前」
 全てを見透かしたヤミカラスは、無知蒙昧なペラップの言うことになど耳を貸さなかったし、自分の言うことはまさに正しく、むしろ自分が言うことで正しくなるのだと確信しているかのように言った。
「僕の上に、重なれ」
「君は何を言っているんだ……」
「重なれ」
「そんなこと言われても」
「重なれ」
 重なれ。有無を言わさぬ口調でヤミカラスが命令すると、ペラップは身が竦む思いがした。そこには無能な上司のような傲慢さや、経験のない部下のようなハッタリもなかった。移ろいやすい気分や感情に左右されることのない、ただ言葉そのものによって立ち上がる力だけで、ペラップを圧倒させたので、精神も肉体も操られているわけではなく、何者からも独立しているはずなのに、その小鳥の体はおずおずと、横たえられた生傷だらけの烏の体にぴったりと重なり合うと、ヤミカラスは唐突に嘴から伸ばした舌を、ペラップへと差し出した。
 マスターにすげなく見捨てられ、美しき楽園からも追放された身の上が受け入れざるをえない境遇だということを薄々察していたペラップは、ヤミカラスの舌を受け入れて、かつて一目惚れをした麗しいヤヤコマに捧げるつもりだった接吻を交わし、もはや救いようのない深い絶望に苛まれながらも、甘やかな舌の絡み合いに絆される、矛盾した感情に嫌悪感を抱いていたが、一方でこの得体のしれないヤミカラスの言葉の下で動かされていることに、ある種の憧憬を覚えて戸惑っていた。
「わ、私は、何でっ、こんなっ、どうしてっ……」
「何も不思議なことはないだろ」
 たっぷりと舌を絡ませたことで唾液まみれになった嘴にも頓着せず、むしろヤミカラスの体自体が、単なる交換可能な器にすぎないかのように、視線をピクリとも動かさなかった。やがて世界中のヤミカラスを従えることになり、今はその時をただ待つだけで良かったボロ切れは、白い紙に線を引くように言葉(ロゴス)を口にした。
「僕がお前に、僕の右翼(みぎうで)になれ、と言ったからだ」
「そんなおかしなこと」
「ある」
「あるわけがない」
「ある」
「なぜ、君は」
 真下で力なく横たわりながらも言葉だけは強靭なヤミカラスを、ペラップは咎めた。
「死にかけているくせに、そんなおかしなことを言えるんだ」
「簡単なことだ」
 語ることも面倒であるかのように、ヤミカラスは言った。
「僕こそが『言葉』だからだよ」
「意味がわからない、意味がわからない!」
 感情的に叫ぶ錯乱したペラップを、赤子の気まぐれなぐずりごとといなすように、本気とも冗談ともつかない文句をヤミカラスは吐き、頭を抱え、目を瞠り充血させながら、混乱する思考を抑えつけようとしている未来の従者を、ルビーのような瞳で一瞥すると、心まで見透かされているような寒気と、まるで自慢だった色とりどりの羽根がことごとく千切られて、文字通り鶏肉となった裸の姿を晒しているかのように恥ずかしくなった。
「当然のことだ」
 自分の強運と悪運を信じて疑わないヤミカラスは、容赦のない宣告をか弱い小鳥へ下した。ちょうど影のように自分に重なるペラップが、トレーナーに捨てられたという、世界にはありふれている事実すら受け入れることをしないことは、ただ単に非合理的だとしか考えていないかのようだった。
「お前は部分でしかないが、僕は全体だ」
「うるさい! うるさい!」
「僕は一本の巨大な木だ。そしてお前はその枝のうちの一本に過ぎない」
「決めつけを言わないでくれ、私はっ、まだ……」
「まだ、わかろうとしないんだな」
「!」
「僕に無駄な言葉を費やさせないでほしい。言葉は神聖なものであって、決して理性の奴隷なんかじゃない。饒舌は、言葉を利用するのではなく、言葉に利用され、裏切られることだ。君のその舌は、さっきから嘘ばかり吐いているんじゃないのか」
「…………」
「要約しよう。君はあるトレーナーに甘やかされて育ったゆえに、何も知らないし、自分のことが全能で有能で、世界を覆う汚濁とは一切無縁であると信じ込んでいた、愚かなペラップでしかなかった」
「……!」
「君はただ、トレーナーに捨てられた。理由など問題にならない。ペラップの原産地はシンオウだから、この場所へ野生に返されたまでだ」
「で、でも、私はっ」
「君はただ、トレーナーに捨てられた」
 これ以上は繰り返すつもりがないとでも言うように、ヤミカラスはそれから一言も発さず、あまつさえ動揺するペラップにのしかかられていることを微塵も気にせず、呼吸する空気と同質であるかのように扱って、大きなあくびをかいてみせた。
「お前は、僕がそうであると思うもの、それ以上でもそれ以下でもない」
 違うと思うのならば、僕を見捨ててどこへなりとも行けばいい、とそうなることは決してないことを確信していたヤミカラスは、ペラップと抱き合った姿勢のまま、平然と瞳を閉じて健やかな息を立てながら眠りについた。余裕綽々で眠るヤミカラスを見下ろしながら一羽きりになってしまったペラップは、改めて己が身の上のことを考えざるをえなくなり、跋扈し始めたゴースやゴーストに揶揄いの視線を送られながら、自分がいるこの場所がシンオウ、という名前は知っていたが神話の地名のように曖昧模糊とした地方のどことも知れぬ森の中であり、もはやマスターのいた楽園へ戻る希望は永久に断ち切られたことが、羽根に水が染み渡るように実感され、生きるために食べるのではなく、食べるために生きなければならない境遇に陥ったことを静かに受け入れ、何を恨めばいいのかもわからず、木々に覆い隠されて見えない天を見上げて慟哭し、それまでの一生分に等しいだけの涙を流した。
 悲鳴にも近しい哀嘆にも目を覚まさず、覚ます必要もないかのように眠り続けるヤミカラスに腹が立って、きっと虚しく睨みつけても、眠れるヤミカラスは何ものをも寄せ付けなかったので、狂ったように哄笑したが、すぐさまその浅はかさに気がついて愕然とし、余所者の狂気など見まいとする森の暗闇の中で、まんじりとすることもなく、眠り続ける未来の首領を見据え続けることしかできなかった。この気の狂ったヤミカラスは、なぜこうも傷つきながら自信満々に語ることができるのだろうと考えた。その間も、ペラップの涙はヤミカラスへと溢れ落ち続けていたが、驚くべきことに、そのひんやりとした涙が、膠でくっついたような羽根の傷口へと落ちると、炎が氷を溶かすようにみるみるうちに傷口が癒えて、薄汚れた羽根は美しく、つやつやとした漆黒の質感を取り戻していった。絶句して仰け反ったペラップが、ボロ切れと見紛うほどだったヤミカラスを眺めると、無防備に寝息を立てる姿は何にもまして美しかった。捨てられたという屈辱感や、さっきから自分を取り巻く意味不明な状況よりも先に、審美的な態度が働いてしまった自分をペラップは嘲ったが、心はコイキングが跳ねた後の静けさのように落ち着き、おもむろに再びヤミカラスの体の上に重なって嘴を震わせながら、その首元の毛を不器用に繕い始めた時、記憶にもないたまごに宿っていた頃や、抱かれたこともない母の温もりに近いものがそこにあると感じたし、マスターの手のひらで揉みくちゃにされている心地良さを思い出した。
 朝になり、ケムッソたちがあちこちで餌を求め彷徨い始める頃、ヤミカラスが目を開くとペラップはなおも忠実に毛繕いを続けていたが、特に驚くことはなく、撫でられて当然とばかりに顔を背けるトリミアンのように首を横にもたげて、木漏れ日の中で挨拶を交わし合うムックルたちの姿を眺めるともなく眺めていたが、忠実という言葉が鳥の形をしているペラップは夜を明かした高揚感と恍惚感のために、そんなことにも気づきはしなかった。
「あっ」
 ペラップを跳ね除けると、ヤミカラスは平然とその場に立ち上がったが、その羽根の潤いはフリーザーのようで、その硬質さはエアームドを思わせた。帽子のような頭部の羽根も乱れひとつなく整い、ヌメルゴンの粘液のようにまとわりついていたあの血の塊も見る影すらなかったので、それが一晩かけた奉仕のおかげだとペラップは思い込んだが、ヤミカラスは仰向けにひっくり返ったままの孤独な鳥を無言で見下ろすばかりだった。
「ええと……」
「言っただろ」
 何一つ表情を変えることのないまま、この先語られること、話される言葉を全て見通しているかのように、確かな言葉を嘴にした。
「お前は、僕がそうであると思うもの、それ以上でもそれ以下でもない、って」
「それは」
 草地にぐったりと体を横たえたまま、ペラップはぼんやりとした自分の行く末を見やりながらも、自分の色とりどりの羽根をくすぐる草がゼルネアスの一部だと考えると、一抹ながら勇気を与えられたような気もした。
「やはり私が、君の右翼(みぎうで)になってほしいということか」
 ヤミカラスの嘴がほんの少し、初めて歪んだ。
「言うまでもないさ」
「もう、受け入れたよ」
 穏やかな朝の日差しが自分たちへと降り注ぐことすらも、運命のようなものだと観念してペラップは起き上がると、石像のように堅固として立っているヤミカラスの黄色く華奢な脚元に縋るように崩れ落ちて、接吻するように嘴の先端を当てた。
「これでいいんだろう」
「その通り」
 ヤミカラスの無味乾燥な顔つきが和らいだように見えたが、それはただ日差しの加減でそう見えただけなのかもしれなかった。
「こんなところで、君みたいな奴に出会ったのも何かの縁だからな」
「縁ではない」
 未来を未来とも思わない豪胆なヤミカラスは言い放った。
「確定事項だ」
「君がそう思うなら、それでもいい……」
 生き延びるためには、時には用心深さを捨てなければならないということを、ペラップはこの時初めて学んだ。命を危険に晒して助かる命もあるのだということを、この時初めて学んだ。そうしてもなお死ぬ時は死ぬのだという運命を受け入れなければ生き延びることはできないのだということを、これからはグゥともっぱら呼ばれることになるペラップは、この時初めて学んだのだった。
「あっ」
 ヤミカラスは漆黒の羽根でペラップを抱き起こすと、諦念のおかげで強い意志を宿した瞳をしばらく眺めると、満足して頷く代わりに、嘴を重ね合わせた。互いの唾液が混じり合って溢れたところで顔を離すと、ゆっくりとそのかよわい体を草地に横たえさせ、その上に重なった。
「ああっ……!」
 箒のような尾羽を振って、ペラップの緑色の下腹に擦り付けると、想像でしか感じたことのないものを体と心に感じて、背後からオーロットに脅かされた時よりも大きな叫び声を、見慣れない森に響かせた。
「仮初ながら、契約を結ぼうか」
 淡々と尾の振りを強めてペラップを喘がせながらヤミカラスは言葉を継いだ。
「お前は、僕のものだ」
「ああっ!……はあっ!……」
「お前は、僕から逃れられない」
「はあっ……はあっ……あっ……」
「お前は、僕と共にある。あらざるを得ない」
「うぅっ……うんんっ」
「受け取れ」
「あああっん!……」
 塵を掃くように振られた尾羽の付け根から、唾のような精液をペラップの緑色の腹の羽毛へと吐き捨てると、初めて犯されたために気もそぞろになっている右翼(みぎうで)を見やりながら、息を切らすこともなくヤミカラスは立ち上がって、その名前から発される音を初めて空気中に響かせた。
「んっ……ふむぅ……」
「グゥ」
「ふあっ……はあ、あんっ……」
「お前の名前は『グゥ』だよ」
「!……グゥ……」
「お前は『(グゥ)(アイ)(スゥ)』だからだ、『(グゥ)』」
「グゥ……アイ……スゥ……」
「見捨てられた哀れな小鳥には似つかわしい名前だ」
「……そうかもしれないな」
 考えることも、拒むことも一旦やめて、ただありのままにグゥは初めて与えられた特定の個人を定義する名前の一つを、自分のものとして受け入れると、それだけで生まれ変わったように感じ、昨日まで安逸に暮らしていたはずの楽園の記憶や印象が、膨張する銀河のように遠ざかっていくのを感じていた。
「僕の名前は『スゥ』だ」
「……スゥ」
「『(スゥ)』。『死』は僕に近しいから」
「そうか、スゥ」
 一晩スゥの毛繕いをし続けた混濁としたグゥの意識の中で、スゥの得体の知れない確信はいかにも神がかっていて、如何ともしがたい威容を放っていた。白く淀んだ精液で濡れた羽根にシンオウの冷たい風が吹き、じんわりと小柄な体が冷えていくのを、寧ろ穏やかな気分で受け止めていた。
「お前は僕の右翼(みぎうで)になり、僕と一緒に全てをするし、全てを見ることになるんだ」
「仕方がない」
 見下ろすスゥの緋色の瞳を見ているというよりは、深淵のように覗き込まれながら、グゥはサイコロの出た目通りに未来を作る決心をした。
「なんでもしてやろう。君と一緒に全てを見てやるよ、スゥ」
「僕たちにはもはや過去はなくなった」
 スゥは木漏れ日の差し込んでくる木々の茂みの裂け目を見やった。何かと語らい合うかのように沈黙を続けているその姿はコータスやジーランスを思わせるように鈍重で、思わず時が止まってしまったものだとグゥは思ってしまうほどだった。
「僕は首領(ドン)だ」
「首領」
「お前は、世界中のヤミカラスを従える首領の右翼(みぎうで)なんだ」
「わかったよ」
 その言葉の意味をわかりもせずに、ただこの神がかりなヤミカラスに抱いた信仰のような信頼と、自尊心は高くとも一羽ではろくに木の実を食うこともできない哀れな状態から一時的でも逃れ去るためだけに、取り返しのつかないことに、グゥは頷いた。
「これからよろしくお願いするよ、スゥ、そして、未来の首領」
「未来の首領ではない、首領だ」
「それが事実であり、真実だからか、首領」
「そうだ」
「そうですか、首領」
 現在と未来に何の違いも見出さず、ディアルガを冒涜するかのように混同さえしてみせたスゥのことを、グゥという今さっき生まれたばかりのペラップは心から崇敬するようになったが、良くも悪くもそれが錯覚でしかなかったことに気付くのは、大概の悲劇がそれに起因するように、長い時が経ってとうに時宜を失した局面においてだったが、哀しいことにそれを悔いて否定し去り、決別するためにはあまりにもグゥは弱い、儚い存在だった。

2 


 その日、ハクタイシティには落ち葉の雪が降った。突然、黒い雲が街全体を覆ったかと思うと、トレーナーをうんざりさせるビッパの群れのような黒焦げた葉っぱが、地上を、家々を、剽軽な娘が経営するポケモンジムを、シンオウ地方の伝説のポケモンを象った古代の石像を、整然と並べられた自転車の群れを、街の外れから孤立したようにあるけばけばしい装飾のビルにまで平等に降り注ぎ、街全体が木の葉に下に埋もれた。
 落ち葉が降りやんでまもなく、求婚したアゲハントにことごとく袖に振られて自暴自棄になったドクケイルの憂鬱な大群が襲来して、我先にと砂粒と同じだけの落ち葉を貪り食い始めたかと思うと、葉に混じったミツハニーの蜜の匂いに勘づいた狡猾なガーメイルどもが群れを成して、街全体を舞台にした乱戦となった。一枚の葉を十匹で食い合うような有様で、しかも豪雪のような落ち葉をとっておきの寝床と勘違いしたケムッソたちも押し寄せてきたのも加えて、瞬く間に、街全体が大混乱に陥った。
 その滑稽な様を遠目の枝から眺めながら、スゥは息を吸い、大きく膨らませた胸から鬨の声を上げると、先ほど落ち葉の雪を降らせた黒い雲が再び、ハクタイの街に現れ、雪を降らす代わりに今度は、無数のヤミカラスとなって、ゾンビのようなドクケイルたちや、盗人猛々しいガーメイルたちを尻目に、決して帰ることのない一人の男をゴドーのように待ち続ける珍妙な服装をした人間たちが抵抗する、あの街外れのビルへと突入した。人間どもをしつこく嘴で突っついて、最後の一人まで路頭に追いやってしまうと、街で一番高い色鮮やかなビルは、たちまちにしてヤミカラスの黒で覆われ、傍目から見れば、このグロテスクな建築物が巨大なゲンガーに取り憑かれたように見えるほどで、とある頓珍漢な者は、それを場違いなキョダイマックスのせいだと言い張った。
 アゲハントに求愛するか落ち葉を食うことしか能のないドクケイルや、蜜を奪うことにしか存在理由を見出そうとしないガーメイルに街の人間たちが手間取っている間に、首領であるスゥは悠々とグゥを脇に引き連れながら、堂々とハクタイシティで最も巨大な建造物へと凱旋した。首領が現れると、無数のヤミカラスたちは一斉に歓呼の鳴き声を上げ、偉大なる首領を讃えた。偉大なり、首領、偉大なれ、首領。この瞬間、グゥは首領と共に、間違いなく幸福の絶頂にあった。
 グゥを永遠の右翼(みぎうで)として引き連れたヤミカラスのスゥは、近しいと言ったはずの「死」をものともせずに、あらかじめ決められたものをただ辿っていくだけのように、偉大なる首領へとのし上がっていった。手始めに、弱小の勢力に目をつけたスゥは、敵対的なヤミカラスたちを、翼から湧き出るほどの宝石であっさりと懐柔したが、それはグゥが命懸けでまよいのどうくつに住み着いたガバイトの巣穴に忍び込んで奪ってきたものであった。グゥがペラップ自慢の舌を操って必死にガバイトの気を引いている間に、暗闇に紛れたスゥがめぼしい宝石を攫っていったのだ。種族の性質通り、飢えていた宝石に目が眩んだヤミカラスたちを、求心力を欠いたドンカラスに対してあっさりと寝返らせたことで一集団をあっという間に乗っ取ったスゥは、それを元手にしてまるでイカサマの賭け事のように、倍に、さらに倍に集団を増やしていった。ヤミカラスながら既に後光を湛えているほどの威厳を放っていたスゥは、増えていくばかりの同士たちを巧みに操って、シンオウ中のドンカラスたちに宣戦を布告し、その尽くに勝利した。
 自らの嘴で止めを刺したドンカラスたちの血を飲みながら、スゥがいっそう強大な存在になっていくのを側にいたグゥは、この神秘的なヤミカラスが、その確信に満ちすぎているために自信がないようにすら聞こえる言葉の通りに力を手にしていくのを、空恐ろしい気持ちで見つめていた。
 首領としての才覚と、それと不可分な類まれな悪運によって晴れてドンカラスとなったスゥは、シンオウ中のドンカラスたちの息の根を止めたことによって、確定した未来通りに、ヤミカラスたちを易々とたった一羽のもとに従えることに成功したし、その多すぎてもはや雷雲にしか見えないヤミカラスの群れをたった一声でどうとでも操ることができるようになっていた。拠点としていたハクタイの森の屋敷から嘴を開いて鳴くだけで、リゾートエリアに白い糞の雨を降らすことができたし、ミオ図書館から本という本を轢き殺されたビッパの内蔵のように引き摺り出すことができた。子分どもを自由自在に操って、思いつく限りの嫌がらせを各地に施した後で、天を味方につけたと信じるスゥは大胆にも自分たちの拠点をヒトの住む街に堂々と作ることを思い立った。ヒトを敵に回しかねないスゥの発案にグゥは及び腰ではあったが、勝利を確信するスゥの得体の知れない自信の虜となっていたおかげで、最後は結局その計画に()を貸したのだった。
 かつて自分を運命的にもスゥのもとへ運ぶことになった、あの呑気なドクケイルたちのことを思い出したグゥは、スゥの威厳にふさわしい場所を設るために、シンオウ中の枯葉をヤミカラスたちに集めさせるように取り計らった。ドクケイルだけでは物足りないと考えたグゥは、機転を利かせてその枯葉にミツハニーの甘い蜜を塗りたくらせて、ガーメイルまでも呼び寄せようとしたのだった。枯葉は、シンオウの恋人たちの切ない思い出の分だけ集まり、スゥの命令の下で、一晩のうちにばら撒かれ、単純な虫どものおかげでまさに想定した通りに事が進んで、混乱のどさくさに紛れてハクタイで一番悪目立ちする建造物をその翼に収めることを成し遂げたのであった。
「今日は、素晴らしい日だな、首領(ドン)
 グゥはおもねるでもなく、ただ共に過去を蹴散らし、運命を共にする同士として、シンオウに冠たるスゥを祝福した。
「うん」
「私にとっても、こんなに痛快だった時はない」
「どうして」
「なぜって……ヒトに従属せずとも、ポケモンである私たちにこんなことができるなんて、素晴らしいことじゃないか」
「そうか」
 スゥはそれだけ言ったきり黙り込んで、淡々とビルの中に入っていった。ヒトのように脚で堂々と階段を上りながら、室内にも密集した子分のヤミカラスどもが、首領の勝利と、我らが種族の勝利を祝って翼を打ち鳴らし、嘴を呆けたように開きながら叫んでいる中を、端っこの方では、歓喜のあまり失神し、押しつぶされて息絶えている者までいる中を、無言で進んでいった。最上階の、おそらくは永遠に帰ってこないゴドーのために作られた個室に入ると、子分どもの声はいささか小さくなった。スゥと二羽きりになったグゥは、ヒトのために設られた革製のソファーに飛び乗ると、それまでの緊張を一息に抜いて、ぐったりと横になった。自分たちのしでかしたことの巨大さを思って、不安などよりも遥かに興奮が勝っていた。
「よくやった」
 寝そべるグゥのそばにスゥが近づいて、今やシンオウを統べる烏となった自らの黒塗りの翼で、その形によって音符が生み出されたと言われるペラップの頭を掻き撫でると、連れ添ってきて初めてスゥの嘴から労いの言葉をもらった嬉しさから、コリンクのような猫撫で声をしてみせた。スゥは頷くような素振りをすると、グゥの額に羽根を当てながら嘴を重ね合わせて時の止まるような接吻をした。
「ああ……スゥ」
 グゥは恍惚とした表情でスゥの微かに歪んだように見える濡羽色の顔を見つめた。
「お前のために尽くせて、嬉しいよ……嬉しいんだ」
「ああ」
「なあ、スゥ」
 息を荒くして、今度はニャルマーのようにその小鳥の体を柔軟にくねらせながら、グゥは褒美をねだって、両脚を大きく広げた。
「とても愛されたい気分なんだ。いいか?」
「そうだな」
 スゥは笑ったかのように息を漏らすと、そのままソファに飛び乗った。緑色の毛並みを掻き分けると、男性器であり、女性器でもある鳥の穴が、ヒクヒクと待ち遠しげに脈を打っていた。秘部を晒されたグゥは恥ずかしがるどころか、心酔する首領のために、いっそうと大股開きして、あまつさえ尾羽をペニスのように揺り動かした。
「んんっ!」
 スゥがその端麗な嘴から伸ばした燃えるような舌で、その恥知らずの秘部を労わるように舐めると、それだけでグゥは幸福のあまりに死にそうになったし、そんな間抜けな死に方をしても一向に構わないとまで思った。
「ああああっ!……スゥ! スゥ! くれっ、くれっ」
 首領の舌は水のようにグゥの中に入っていった。少しずつ奥へと偉大な舌が体を侵していくに従って、グゥは愛される悦びを、支配される快感を、蹂躙される愉楽を、そうした自分を抑制することなく曝け出して、再確認できることへの倒錯した歓喜で胸が一杯になっていた。
「私はっ、愛してるっ、首領! 心からっ、あなたをっ!」
 スゥの舌が小鳥の体を刺し貫いて、グゥはそのヒトのような分厚い舌をピンと虚空へと突き出しながら艶やかに絶叫した。
「あなたの愛でっ、私を、メチャクチャにしてくれ! あなたの前なら、私はっ、どんな醜態を晒してもいいっ!」
 そのために私は、あなたのために尽くしてきたし、これからも尽くすことになるんだ、スゥ、違う、いや、首領(ドン)偉大なる、偉大なれ首領(ドン)、と自らもまた未来は全て見通せるものだと思い違いをしたグゥは、自分の股から立ち上がる淫靡な水音にさえ興奮しながら、熱っぽく叫び続けた。スゥは荒い息を上げながら、グゥの中で舌を捻り、捩らせ、内壁という内壁をむらなく舐め上げた。グゥの細胞の一つ一つが歓喜のあまりに、痙攣しているようで、全身が気弱なガメノデスのように暴れ出しそうだった。
「ああああああああああっ!」
 あっけらかんな忘我の嬌声に合わせて、グゥの中で丹念にこみ上げてきた精液が股から潮のように噴き出して、スゥの帽子の鍔のような頭の羽根に降りかかってもグゥの情欲は収まらず、興奮したニャルマーのように儚げな身をくねらせて、なおも首領にせがんだ。
「スゥ……スゥ……んんん、うぅっ」
「お前は、僕に愛されている」
「んんんんんんんんんんうぅっ!」
 血飛沫を飛ばすような射精をしたにもかかわらず、まだ欲を吐き出したがっているグゥの股を揶揄うように一舐めすると、シビルドンに頭から噛みつかれたかのように、全身を硬直させながらのたうち回る姿を見下ろしながらスゥは、自らもソファの上に横たわりながら互いの尾羽の付け根をくっつけ合わせた。
「うううううっ!」
「僕に好かれている、お前は」
「ううんんっ!……あああああああっ!」
 鮮烈な紅白で彩られた尾羽を振り乱しながら翼を広げると内側から血塗られたような羽根が垣間見えたが、それを間近で目にすることができる嬉しさと、特権への優越感でグゥはとち狂い、スゥへの愛と忠誠と感謝と崇敬とを一心に表そうと、小柄な全身を一生懸命に揺さぶり、愛される興奮をいや増しに高めて善がっていた。
「スゥ! 私は……私はああっ」
 首領は答える代わりに、激しく尾羽を振った。片脚でグゥの緑色のお腹を掴み、その柔らかさと弱さを確かめるように揉みしだくと、グゥの全身が燃えるように熱くなった。ただ休む間もなく押し寄せてくる疾風怒濤の心地の良い刺激を受け止めるだけで精一杯になってグゥは、その決して大きくない脳味噌までスゥのことでたっぷりと満たされているかのようで、マンタインに同化するテッポウオや、キノコに意識を支配されるパラセクトに似た悦びを感じて、絶頂寸前の勢いの余りに、これで全て良かったのだと、もはや別世界の異種族か何かのようにしか思えないマスターに捨てられて良かったのだと、スゥという首領と巡り会えて本当に良かったのだと、過呼吸のために激しく凹凸する腹の底から思い込んだのだった。
「ああああああああああああっ……!」
「……」
 忠実が行きすぎて淫乱になった一羽のペラップのことを、スゥはいきなり抱きかかえて、既に放たれた精液で汚れたソファの上に突っ伏させると、そのメトロノームの由来となった形をしたグゥの尻尾を垂直に突き立たせるようにして、再び互いの鳥の秘部を重ね合わせた。
「スゥ……気持ちいいっ……もっと、もっと、私は君の奴隷になりたいっ……!」
「心配するな」
「んんううぅ」
「お前はもう、すっかり僕のものだ」
「ふああああああっ……!」
 レントラーやギャロップがするような後背位で、スゥが他の誰にも見せないような乱暴な腰の振り方をすると、本当にペニスを鳥の穴へと挿入されているように感じて、グゥは思わず翼で嘴に手をやった。尾を突き出して、後ろから犯されている気配だけを感じながら、快楽を受け続けるのは従者たるグゥにはたまらないことだった。自分が偉大な首領に愛されており、支配されていながら深い絆で結ばれていることを、何よりも火照る体によって実感できた。全力で飛び回っているかのように息が苦しかったが、それもまたグゥにとっての幸福の証拠であるものだと信じていた。
「ああっ! スゥ!」
 首領の腹が尻とぶつかるたびに、鳥の穴の最奥がキュンと疼くような感覚に身悶えしながら、もはや自分たちの楽園がここにあり、かつて楽園だと思っていた場所は、陰険なマフォクシーが見せた幻影に過ぎないのだと確信した。もはやノロノロと歩き回るサイホーンも、雪山の奥で呆けているユキノオーも、塔に佇むルカリオも、何もかもが幻であり、嘘だった、そうだ、ただ私と首領の世界こそが現実なのだと決めつけた。
「私はもう孤独なんかじゃない! (グゥ)(アイ)(スゥ)なんかじゃ! だってスゥ、偉大なる首領、あなたがいるんだから……! あなたが!」
 犯される側なのに先に射精をしてしまっても、グゥは幸福だった。かつてはもう二度と帰ってくることのないリーダーが座っていたのかもしれない革製のソファーを鳥の精液で何度も汚してしまっても、グゥは幸福だった。ある時までは性のことなど何も知らなかったのに、交尾のための交尾の快さに全身が染まってしまっても、グゥは幸福だった。たとえ、スゥ以外の者に淫乱な鳥などと嘲られようとも、グゥは幸福だった。もしも突然スゥが、自分の首元をその恐るべき嘴で劈いて血塗れにしたとしても、グゥは幸福だった。幸福であるということに対して、グゥは何らの疑問も感じず、グゥは確かに幸福だった。
 記念すべき出来事があった日には、二羽はこうして尾を交えるようになっていたが、大概は興奮の余りに発情したグゥが淫らな姿態でスゥを求愛した。障害となるシンオウ各地のドンカラスたちを知恵と策略によって殺していくうちに、生臭い血の臭いが掻き立てる興奮のおかげで、二羽の睦み合いは激しくなっていった。毛繕いから接吻になり、接吻のための舌が性器へと伸び、やがて性器を擦り付け合うようになり、スゥがヤミカラスからドンカラスになると、なおさら情熱を帯びた。愛によって立ち上がってくる快感と、射精した精液がもたらす共謀の意識はとりわけグゥを虜にし、スゥのために健気に全身をバネのように揺り動かし、声を大にして悦びを口にさせた。愛というものがどういうものなのかを深く知る前に無慈悲にも捨てられたグゥにとっては、それが愛であり、そうでしかあり得なくなっていたし、もう他に知りようもなくなっていた。
 ドクケイルの喪男たちがハクタイの街を襲った日以来、おかしなおかっぱ頭の連中が奪われたビルを取り返しに、何度もスカタンクやブニャットの軍勢を引き連れてやってきたが、その度にスゥはグゥの首元のフリルのような羽毛を甘く啄みながらヤミカラスたちをけしかけて事もなげに撃退したし、奴らを黙らせるためにトバリシティにある残党どもの最後の砦を、ハクタイを襲ったのと全く同じやり方で容易に陥落させてしまった時も、スゥはその場ではなくグゥの柔らかく温かい股の上で命令を下していた。
 ポケモンと人間は愛し合うことができると信じるシンオウの人々は、ハクタイの一角を占拠する得体の知れないドンカラスのことを神々しいものと畏怖していたし、何よりあの鬱陶しいギンガ団を駆逐してくれたスゥに感謝し、かつてはギンガハクタイビルと呼ばれていたスゥのアジトには、いつしか供え物が並べられるようになった。木の実や、ポフィン、デリバードが拾ってきたようなガラクタから、グゥの命がいくらあっても盗みきれないほどの色とりどりの宝石などが、一回射精するだけで山のように手に入った。
 今やヒトすらも恐れさせるようになったスゥのもとで生きることは何にも増して誇らしいことでしかありえないと、スゥの翼や舌で何度も絶頂させられながらグゥは感じるのだったが、ハクタイシティを沈没させるほどの落ち葉ですら、ビークインに見向きもされないドクケイルたちが貪り尽くし食い尽くしてしまうように、命にも盛りにも尽きがあるということに、都合よくグゥは目を瞑っていた。

3 


 私はまったくどうしようもない屑なんだ、と、長い時が経って再びハクタイの森を嘆き彷徨うように飛びながらグゥは、誰かの下に従属しなければまともに生きていくことができない、ひ弱の小鳥の身の上を呪った。そのくせ、支配されることに本能的に我慢のならない鼻持ちならぬ自愛心があり、何にも束縛されずに自由に飛び回りたいという衝動がある。所詮、餌付けされねば食えぬ身だとわかっていながら。
 もはや世界が生み出されるよりずっと前のことと思えるマスターの裏切りからすっかり決別し、立ち直ったものとばかり思っていたのは、単なる無知蒙昧ゆえの思い上がりであることをグゥは悟らざるを得なくなったのは、自分が逃れ得ていたのはただの影に過ぎず、その本体からは以前として束縛されたままであり、逃れ去ることは永久にできやしないということに気がついてしまったからだった。それは、ペラップほどの理性の持ち主であれば、気づかないことはなかったはずなのに、種族の遺伝子に刻まれた自虐的な根性のせいか、ただ単にスゥへの崇拝に等しい愛情のためか、見て見ぬふりをしていたことだった。
 その真実を悟ったのは、スゥのアジトの外れの森で、粛清されたヤミカラスたちが吊り下げられた場所に佇んでいた時だった。ドンカラスが子分のしくじりや裏切りを決して許さない種族であり、スゥ自身もその掟のために死にかけたし、それを忘れぬために自ら『(スゥ)』と名乗っていたはずだったが、あくまでもスゥはその呪われたとしか言えない種族の掟を破ることはせず、むしろ好んで部下を見せしめにしたものだった。
 グゥは一度だけその様子に立ち会ったことがあった。むしろ、立ち会わなければならなかった。とある一羽の生意気なヤミカラスが、スゥの面前で堂々とグゥのことを侮辱したからだった。
「あんたは」
 とその命知らずのヤミカラスは言った。
「偽物の首領だ。どれだけ俺たちヤミカラスを従えていようとも。だって、あんたは、俺たちよりもそこにいる素性も良くわからないペラップの方が大事なんだから」
 あまつさえどこで盗み聞きをしていたのか、グゥとスゥの交わりの様子を、極めて汚らしい言葉で言い放ち、何度もグゥが上げた善がり声を真似して見せた。スゥはもちろんのこと、周囲にいた他のヤミカラスたちも誰一羽として笑いもせず、冷ややかな視線をそのヤミカラスに送ったが、ただグゥだけはその臆することのない嘴に、かつて出会ったばかりのスゥの姿を見出してゾッとしていた。そんなあからさまな侮辱の言葉にも首領は、いつものように一切表情を変えず、相手に喋らせるだけ喋らせた後、ただ一言、あのポコペンを連れて行け、と部下たちに命じた。あっという間に、冒涜的なヤミカラスは取り押さえられ、アジトの近場の処刑場代わりの木へと引き立てられていったが、死に唾するかのように、平然としてグゥを一瞥しながら、嘲るような目つきを送った。
 小物じみたしくじりによって命を落とすことになったものたちが見せしめに吊り下げられている場所で、かつてのスゥのように縄を脚に結えつけられて、枝から逆さまに吊り下げられたヤミカラスを盲目な子分たちが突いたり啄んだりして痛めつけると、さすがに生意気な嘴は利けなくなったものの、依然として首領であるスゥと脇に控えるスゥのことを小馬鹿にする瞳で見つめながら、夕飯を心待ちにするように死を待っていた。
「はははっ」
 傷口から血を垂れながしながら、ありったけの力を振り絞って、不届き者なヤミカラスは叫んだ。
「あんたはやっぱり偽物だな!」
 何一つ心を窺い知ることのできないスゥは、挑発的な子分から目を逸らさず、睨み返すこともせずに、静かに宙吊りにされた罪人へと歩み寄ると、いきなり嘴をその小さな胸に突き立ててその体を刺し貫くと、そのまま鍵をかけるように内蔵ごと抉った。鮮血に染まった嘴を引き抜くと、噴きかかる血飛沫を顔に受けながら、絶命した子分の宙吊りの死体をじっと見据えたその後ろ姿を、グゥは震え上がりながら見つめているしかなかった。スゥは何一つ(くち)にしなかったが、その唐突な動作はあからさまな激情を仄めかすものだった。
 何日もの間放置されて、まさしくボロ切れ同然となったヤミカラスだったものの前に立ったグゥは、童貞をかこつドクケイルたちの群れによって、まだスゥという名前を持たないヤミカラスの前へと導かれたあの決定的な夜のことを思い出さないわけにはいかなかった。木々の隙間を吹く風に揺らめくヤミカラスの死骸は、それがヤミカラスだったとわかっていても、どこが頭で翼で脚なのか、まるで抽象画であるかのように識別ができなくなっていた。グゥは密かにあの時のような奇跡が起こるのではないかと恐れながらも期待したのだが、いくらそのボロ切れを見つめていても、ボロ切れはいつまでもボロ切れだった。しかし、スゥにトドメをさされた哀れなヤミカラスの死骸は、あの時のように崇高に見えた。だからこそ見るにつれてグゥはその死骸がいたたまれなくなり、込み上げてきた悍ましいものを、木の根本へともたれかかって全て吐き出してしまった。そんなボロ切れは、スゥとともに生きることを決意してからいくらでも見てきたし、これより酷い腐敗臭を放つものや、八つ裂きにされたものだって山のように見てきたにもかかわらず、それはあの時のスゥのように美しいというそれだけの理由で、吐き気を催させた。
 ようやくグゥは、自分が生きるために選んだ道の悍ましさを実感し、スゥの比類のない容赦のなさを初めて酷いと思った。既にこの一帯は、金のように魂が取れるという噂を聞きつけ、上司のヨノワールや、存在は知っているがお目にかかったことのないギラティナを喜ばせることができるかもしれないと考えて出稼ぎに来たヨマワルやサマヨールたちで溢れ返っていた。今や、ヤミカラスの魂は、四季の巡りで無常にも生き絶えていくテッカニンよりも多く、スゥという巨大なドンカラスの翼となり脚となった末に、不条理な理由によって最期は木に吊るされることになっても、愛しています首領、偉大なり首領と叫びながら殺されたヤミカラスたちの魂が、みな彼らの手中に収まって、しかるべき場所へと運ばれていくのであろう有様を、苦々しい思いで見つめないわけにはいかなかった。
 グゥは、建物の最上階の専用の部屋で一羽佇むスゥに対して、自分の混濁した思いを率直に伝えた。スゥ、あなたは偉大な首領ですが、あまりにも部下を手荒に扱いすぎる。この間も、コトブキシティを飛び回る黒い隊列からほんの少し外れた程度で50羽もの部下を吊るしたし、首領を噛んで「ジョン」と発音したものの羽根を毟り取ってアジトの入り口に晒したし、あなたを出迎える歓呼の声が乱れているからといって、ひときわ声の高いものを選び出して次々と心臓を抉り取った。あなたが秩序を重んじることはわかりますが、さすがにこれは度が過ぎているのでは。
「なるほど」
 スゥは次々と上がる不条理なヤミカラスたちの死の経緯に対して、特に何の感想も思い浮かばないかのように話を静止した。
「お前はよく小さな嘘をつくな、グゥ」
「どういうことだ」 
「あいつのことが気がかりだと、そうはっきり僕に言えばいいだろ」
「……」
「グゥ」
 そう呼びかけるスゥの言葉には、挑みかかるような、面白がっているような口調が混じっていた。
「……なぜ、あなたは、あの大胆なヤミカラスを殺したんだ」
「それは、勿論、彼が僕たちを侮辱し、群れの秩序を乱そうとしたから……」
「この期に及んで、そんな馬鹿げたことを言うつもりか!」
 スゥは感心したように首を横に振ったが、深い鍔のように迫り出した頭に隠れて、表情を窺い知ることはできなかった。
「さすが、長らく僕の右翼(みぎうで)なだけはある」
「私は、あなたになおも忠実でありたいだけだ」
 グゥはかろうじて丁寧に言葉を選んで言った。制御しえない感情のために、全身の羽毛が逆立っていた。
「それなら、極めて単純なことだ」
 スゥは首を大袈裟なまでに横に振った。
「彼は、僕だったからだ」
首領(ドン)!」
 グゥは自分よりも一回りは大きいドンカラスを、強い憎しみのこもった目で睨みつけた。巧言令色の極みであり、何かを言いながらそのくせ何一つとして語っていないようなスゥの言葉が、この時ばかりは腹立たしく、情けなく思われたが、その感情はそのまま、この傲岸不遜なドンカラスに心も体も心酔してきた自分自身へとぶつけられて、グゥは絶望的な気持ちに追いやられていた。
「そうやって、あなたはずっと私のことをはぐらかしてきたんだな! 全てを意味し、全てを意味しないような言葉で! でも、生きている私たちに、そんな言葉、一体何の意味があるというんだ? あのヤミカラスたちの死骸の前で、一体何の慰みになると言うんだ?」
「お前と出会った時に言ったじゃないか」
 グゥの慨嘆すら、織り込み済みであるかのように、スゥはなおも超然としていた。
「お前は、僕とともに全てをするし、全てを見ることになるのだ、って」
「だが、あなたはあの時のあなたじゃない。今やあなたは、ただの野蛮な」
「もう一度言う。お前は、僕とともに全てをするし」
「黙れ! 野蛮なドンカラスが!」
「全てを見ることになるのだ」
「うるさい! うるさい! うるさい!」
 スゥの重みのある言葉を断ち切り、そこから逃れ出ようとするかのように、グゥは咄嗟に部屋の窓から飛び出した。アジトのビルは、相変わらずヤミカラスたちの群れで埋め尽くされていた。ただ、首領に忠誠を尽くすことでしか生きていけない悲しき(さが)を抱えた有象無象の群れを直視できずに、グゥはその弱々しい体でフラフラとその場をできる限り離れようと必死に羽根を羽ばたかせたのだが、結局は近所のハクタイの森を彷徨い飛ぶことが関の山であることに気付かされ、ペラップという愛玩される種族に生まれたことをどうしようもなく恨めしいと思った。
 闇が森の木々も、チリーンのように揺れるヤミカラスの死骸も覆い隠してしまう頃に、一羽であてもなく飛び回っていると、甘美な眠りの後に突然このような森の中へ取り残された時の、あの強烈な存在への不安にグゥは再び直面し、木の実すらあの別の惑星の住人のようなマスターに切り分けてもらわなければ食えもしないような自分が一羽で生きていこうなどということは、飢えたムクホークの餌にすすんでなることに他ならなかったし、そもそもスゥの前であのような不満を(くち)にすることができるということ自体、スゥの右翼(みぎうで)として生きることを受け入れ、享受していること以外のなにものでもあり得ないことを、グゥは認めざるを得なくなった。
 ああ、私はまさしく鳥籠の鳥なのだ、外に恋焦がれ、悶え苦しみながらも、飼い主から与えられる餌を喜んで食べているような浅ましさを感じながら、だが、哀しいかな、たとえ自由になったとしても、夜になるとまた戻りたがって、いじらしく鳥籠の檻を翼で打つのだ。かつてもそうだったし、きっとこれからもそうであることだろう。力なく草地に降りると、グゥは青く美しい羽根で顔を覆って、涙を流したが、スゥに心ゆくまで愛されて噴く潮に比べれば、しけた量だった。
 木漏れ日がさして、出稼ぎのヨマワルやサマヨールたちが引き上げていった朝方に、色鮮やかな羽根をくたびれさせてやつれ果てた姿のグゥが、まるで一睡もしなかったかのように、ネイティオのように世界を観想しているスゥの元へと戻ってくると、偉大なる首領は大きく息を吸い、胸の豊かな白い羽毛をドクロッグの喉のように膨らませると、辺り一帯にその恐るべき低音を響き渡らせてから、呟くように言った。
「知っていただろうに。僕は、決して、過たない、と」
「……」
「お前は僕の右翼(みぎうで)である以前に、一羽の部下なのだ」
たちまちにして集まってきたヤミカラスたちが四方八方から翼を伸ばしてグゥの体を押さえつけて、一様に首領を見つめ、次の命令を待った。
「スゥ、スゥ」
「羽根を詰めろ」
 スゥがそう宣告すると、オスのミツハニーたちよりも従順なヤミカラスたちが寄ってたかって、グゥのペラップとしての清々しい空のような青い羽根を、花占いでもするかのように尽く毟り取った。グゥが悲鳴をあげている間に、透き通った翼はビーダルのすきっ歯のようにみすぼらしくなり、首領からの命令を律儀にこなしたヤミカラスどもは、メガヤンマの華麗なとんぼがえりのように飛び去っていった。ちぎり取られた青い羽根が、床に散らばっていた。グゥは呆然としながら、もう風を掴むことができなくなってしまった自分の無残な翼を眺めた。
「どうして」
 空虚になった理性から何とか言葉を絞り出すように、グゥは嘴にした。
「どうして私を殺さなかった」
 恨めしげに尋ねるグゥを横目に見ながら、スゥは白い羽毛をやたら丁寧に毛繕いして、ドダイトスの甲羅干しのように瞑想した。相変わらず、自分自身がディアルガであるかのような振る舞いだった。
「単純なことだ」
 スゥは言った。
「お前は、僕とともに全てをし、全てを見なければいけないからだ」
「結局、それなのか」
 グゥは呆れた。だが、そこにはある種の約束された安心感があることも否めなかった。このヒトを喰ったようなグゥの言い回しに依存している心根は、どうしても断ち切ることができないほどに巣食っていて、翼のつけようがなくなってしまっていた。
「私は、お前のことをうまく信じられなくなった。それでも、いいのか」
「構わない」
 グゥの微妙な心理の綾など、自分の見据えているものに対してはさほどの影響を与えないのだと十分に理解していたスゥは、事もなげに断言した。
「何があろうとも、お前はもう先へ進むことも、元へ戻ることもできないからだ」
「私はもう何もわからないよ。この、私自身も含めて、全てが」
「仕方のないことだ」
 首領は翼を失った哀れな小鳥に背を向けて、窓から見える夜空をじっと見つめたが、そこには月も星空も何もなく、夜に遊ぶ子分たちの影しか見えなかった。
「それが、お前なのだから」
 首領の部屋を出たグゥは飛ぶことも叶わなかったので、アジトのビルの中を、子分のヤミカラスたちの好奇の視線に晒されながらふらふらと歩き回った。深く同情しつつも、一方ではそのために軽蔑もしている彼らに一瞥を送ると、その意味を察したヤミカラスたちはグゥを避けるようにその場を離れた。
 一羽きりになった部屋の片隅で、壁にもたれかかって崩れ落ちるように座り込んだグゥは、かつておかっぱ頭の連中がその身だしなみを入念に確かめたであろう姿見に映る自分の姿をつくづくと見つめた。傷ついて、哀れで、いたいけな小鳥の姿が映っていたが、それは紛れもなくグゥ自身であることを、ゆっくりと心に受け入れていった。
 わけもわからず、欲情していた。羽根を毟り取られて、今まで支えとなっていたはずのものが尽く振り払われた後で残ったのが全身を火照らせるこの性欲だけだということに、グゥは苦笑するしかなかったが、飼育されることも、捨てられることも拒むどっちつかずの身の上には似つかわしい滑稽さだと思って、広げた股から微かに覗いた縦筋をまじまじと見つめた。夢だったかもしれないマスターとの日々では決して見ることがなく、スゥと出会ったことによって徐々に自分の羽毛から浮き上がって、くっきりと開いて、温かみを帯びるようにさえなった捌け口をヒクヒクと動かすのに夢中になって、ピンプクが親の真似をして何でもない白い石を大事に抱きかかえるような子供じみた遊びに耽っていた。
「ああ……」
 グゥは脚を開いて、おもむろに自らの秘部を広げて見せると、かろうじて残された黄色い翼の先端でそこを軽くくすぐると、跳ね上がりそうなほどに気持ちがよかった。グゥは翼をねっとりとした唾液で濡らして固め、それをゆっくりと中へ挿し込むと、臆病なパチリスがさっと引っこんでは恐る恐る顔を出すように、自分の奥の奥が収縮して、言葉にならない快楽が弾けた。
「ああ……スゥ……私はっ……私はっ……」
 何度も膣のようなところを翼で触れて収縮させ続けながらグゥは泣きそうになりながら、オナニー以外の何ものでもない行為に耽り続けた。ペラップという生き物の羽根を毟り、皮も肉も剥いで、内臓も切り裂いて、骨も粉々にしてしまった後で、最後に残る単細胞へと還っていくような気分だった。この本能的な疼きこそが、結局は自分の最小単位であるところの本性であると、アルセウスの実在を信じるように信じた。
「何もっ、わから、ないっ……気持ちいいっ……何故だっ、何故だっ」
 その高揚感が、所詮は精液を鳥の体から愛液のように撒き散らす時までだということは、わかりすぎるほどわかっているのに、何度も繰り返してしまう獣のような浅はかさを、スゥに仕える自分が持ち合わせていることは、それだけでスゥの威光を汚すようにも思えた。それは、忌々しいことに違いなかったが、痛快でもあった。崇めながら唾を吐く対象であるスゥに対して、グゥができるせめてもの表現、従属でも抵抗でもない表現は、それしか考えられなかった。でもそれもまた、ただ性欲に従ってオナニーをしたいというあからさまな欲望を隠蔽するための手段に過ぎないのかもしれなかった。
「こんなことをして、私は一体、何、なの、だ、ろ……」
「言ったではないか」
「うっ……」
 姿見の後ろから恐るべき、偉大なるスゥが現れて、グゥはオナニーの姿勢のまま、怯んだように目を瞠った。薄暗い一室に、緋色の二つの眼光が星座のようにきらめていた。
「それが、お前なんだ」
「はあっ……ああっ、スゥ」
「続けろ」
 首領は、冷酷に、慈悲深く言った。
「私にお前を見せろ」
「ううっんんんぅ……」
 姿見の自分を見ながらグゥは、もぞもぞと下半身を蠢かして、腰を思い切り前へと突き出すようにして、はしたなくも自分の翼で弄っている陰部をスゥに見せつけるようにした。
「これでいいか、スゥ」
「続けろ」
「ふううんっ、はあっ……ははっはははは」
 全身の力を抜いて、翼だけに意識を込めて、ひたすらに鳥の性器を刺激しながらグゥは喘ぎ笑いした。姿見に写る自分自身の視線と、その後ろからあられのない行為を見つめるスゥの視線を共に感じながら、恥ずかしさと悍ましさと誇らしさと忝さに浮かれて恍惚とし、ぼんやりと宙を見上げた。
「どうだっ……どうですかっ……スゥ……首領……これが、私だ、私ですっ……ああっ!」
 オスどもを誘惑するミミロップのように腰を前後にくねらせながら、グゥはもはや自分がその一部分であるスゥの言葉を求めた。その言葉がなければ自分自身を保証することさえできないスゥの言葉をねだった。絶対的であるが故に、崇めようが貶そうが同じことであるスゥの言葉を待望した。
「頼みますっ!……頼むっ、スゥ、こんな私に何か、『言葉』をっ、おをううんんっ!」
「お前は、『(グゥ)』だ」
 目も嘴も少しも動かさずに、鑑賞するでも審査するでもなく小鳥のオナニーを眺め続けたスゥは、文脈を超越したように呟いた。
「僕がそうであると思うもの、それ以上でもそれ以下でもない、まさにそのものだ」
「ううううううんんうううううぬぅうううう!」
 アンノーンの石板のような謎めいたスゥの言葉とともに、グゥは絶頂に達し、テンガン山に降る雪のように止めどもない精液を床一面にぶちまけた。意味などわからなくともよかった。ただグゥと名付けられたこの一介のペラップが、スゥというそれ自体が矛盾を孕んだ惑星の一員であるということを、辛くとも生きていることに感謝することができるように、ありがたいと思うばかりなのだった。

4 


 長い時が経って、相も変わらずドクケイルたちは、アルセウスの気まぐれでマユルドに進化させられた己の境遇を黒人霊歌のように嘆き合っていたが、それにも増して翼を奪われたグゥの嘆きは凄まじかった。ただそう思考するだけでシンオウ中のヤミカラスどもを操ることができたスゥが、儚いテッカニンの生涯を思わせるような恐るべき速さで年老いていったことに気づいてしまったからだった。
 兆候は突然現れた。かつては、「見よ」という一言をまさしく創世神アルセウスが地平を生み出したが如くに告げることができたのだったが、その単純で絶対的な言葉にすら舌が回らなくなっていたのにグゥは気づいてしまった。頭を垂れて、その鍔のような鶏冠で表情に影差すだけで、ディアルガのように時間を止めることができたのに、今やその身振りに道化のような滑稽さが漂っていることに、グゥはいち早く気づいてしまった。パルキアのように偏在していたかのように思えた偉大なる首領が、いまここにある存在の一点を維持することにさえ汲々していることに、グゥは気づいてしまった。レジギガスのように怠惰に惚けていく首領に、グゥは気づきたくなくても気づいてしまった。
 その予感が忌々しくも実感されたのは、もはやスゥの愛でしか満たされることのないこの小鳥の性が、カバルドンの欠伸のように疼き出した時だった。狂おしいほどの渇望は、愛を交える前ではなく、その後から不満のようにやって来てグゥを悶絶させた。あれだけ股を濡らして善がったにもかかわらず、グゥの肉体は、心からスゥの愛撫や交尾に満足できなかった。初めはそれを自らの淫乱のためだと自責したグゥは、懲罰という名の自己満足のために自慰をしたものだったが、それはただ単にスゥが衰えたということから目を背けているだけに過ぎないとやがて認めざるをえなかった。
 スゥはほとんど首領のための一室から外へ出ることが無くなっていた。おそらくは今もなお世界の裏側を彷徨い歩いているに違いないかつての部屋の主が座っていたであろう高級なソファーに陣取ったまま、腹を空かせたマスキッパのように佇んでいた。その嘴が、力なく開いて、下側から唾液がゆっくりと糸を引きながら落ちていくのを見て、グゥは戦慄し、考えたくもなかった恐るべきことを、必死にその黒点のような頭から振り払った。
 詰められた青い羽根は、それでもなおスゥのありがたき言葉を忠実に守るかのように生えてくることはなく、不具同然となった小鳥であるグゥは、ふらふらともう二度と「ギンガハクタイビル」と呼ばれることはないであろう施設をフラフラと歩き回ったものだったが、その姿をかつてマスターの肩の上から見た映画の一場面、脊髄を撃たれて致命傷を負った男が、素晴らしいミアレの路地をジグザグと進み、ブールヴァールに合流する地点で事切れる様と重ね合わせて、白けた気分になった。
「首領、あなたは」
 風に吹かれるチリーンの尻尾のように首を揺らすスゥに対して、グゥは意を決して進言した。
「思うに、体の調子が芳しくないとお見受けされますが」
「……」
「もし、悪いところがあれば、私に言ってくれれば、なんでも……」
「……」
「スゥ!」
 スゥは沈黙したまま首を縦に振り、横に振った。嘴の隙間から、口笛の吹き損ないのような掠れた音が漏れていた。
「頼む、頼むよ」
 哀れなぺラップは、主上の腿に縋った。美しい藍と黒の羽毛が白く霞んでいるのが見るに堪えなかった。首領が色褪せていくなど、世界の誰よりも信じたくなかった。
「できるものなら、私の命だって分けてやるんだから、そんな簡単に死なないでくれよ、スゥ」
「……」
「やめてくれよ。あなたがいなくなったら、私は、私は」
「グゥ」
「!」
 スゥは閉じかかっていた目を、にほんばれで花開くチェリムのように見開いていた。その眼光は、シンオウに冠たるドンカラスそのものの威厳を放ち、グゥを恍惚とさせた。
「お前、今、なんと言った」
「あ、あなたが死んだら、私は生きていけないと言ったのです、首領」
「お前は過った」
 ソファの上に立ち上がって、腿に縋りついたままのグゥを乱暴に振り解いてカーペットの上に叩きつけると、憐れむように羽根を失くした小鳥の姿を見下ろした。
「お前は、僕とともに全てをし、全てを見なければいけないと僕は言った」
 スゥが送る、侮蔑とも哀惜ともつかない、詰まるところ神のような眼差しは、仰向けにひっくり返ったグゥの心を忽ちにして掴んで、すっかり陶酔させた。
「そうでした、首領」
「僕の死が、お前の下にあると思うか」
「いいえ、微塵も思いません、首領……」
「お前が僕の死を恐れている限り、僕が死ぬことはない。なぜなら、僕はお前の哀れみを受けて死ぬほど愚かな存在ではないから」
 その言葉を、ベロベルトほどに器用な舌で丁寧に捲し立てて見せるスゥの口調は奇跡のようだった。グゥを震えさせたあの死の予感は、今は見る影もなく、単なるお節介なグゥの見間違いかと思えるほどだった。
「その通りです! まさしくです、首領!」
「自慰をしろ。許しを乞え」
 と後光を放つ首領がそう言ったので、はい、わかりました、勿論ですよ首領、と呟くまでもなく、グゥはもう自分の濡れそぼった股を片端の羽根で弄って、深く息を吐きながら体いっぱいに性を感じ始めた。黒く繊細な羽根の先端を、羽毛から曝け出された膣であり肛門でもある鳥の神秘の奥深くへと挿し込むと、犯されたように嬉しかった。
「ああんんっ!」
 楽園を追われ、天涯孤独となり、スゥに見出され、首領と共に全てをし、全てを見てきたグゥのたったそれだけで要約できる哀しみの生涯さえも興奮を煽る悦びに変えて、グゥは自分の体内の至るところを羽根で擽り、歓喜の歌を歌った。首領は言った、私はあなたがそうであると思うもの、それ以上でもそれ以下でもないのだと、その言葉をドータクンの中に閉じ込められたような頭の中で、何度も反響し反芻し反復し、確信をいっそう高めて、首領のためにオナニーをした。
「申し訳ありませんでした! スゥ! いや、永遠なるうっ、首領っ! お許しっ、下さいっっっ!」
 叫びながらグゥは渾身の射精をしたが、スゥは既に眠っていた。嘴から垂れる涎を首輪のような首の毛並へとしどけなく垂らしながら、えずくような股からなおも漏れ出す精液にうっとりし、グゥは喜びと悲しみと、血と涙の混じり合ったものを閉じかけた瞳から流し、笑って夜を明かした。
 スゥの力は目に見えて衰えて行った。苦労鳥(くろうにん)なぺラップ特有の目配りがなくとも、首領が枯れていこうとしているのは明らかだった。殴られてもいないのに、その慧眼の周りにはアザが浮かび、鼻からは常に汁が垂れるようになり、死にかけのルカリオのようだった。グゥは首領の名の下に命じて、手下のヤミカラスたちにミオ図書館からくすねさせた本すべてに目を通したが、首領の肉体を蝕んでいる症状が何なのかを掴むことすらできなかった。あらゆる木の実を食わせ、あらゆる薬を飲ませたが、何一つとして効果はなかった。首領は自らの重みに耐えきれなくなって、飛ぶことができなくなった。首領はグゥの支えなしにはまともに歩くことすらできなくなった。首領は一日の大半を革張りのソファの一角で、何も命じることなく、ただじっとしていた。それでもある時には、まるで時が巻き戻ったかのような若々しさと凛々しさと勇ましさを取り戻した首領が、翼のある言葉を思い出したように放つことがあったが、それも残酷な時の流れと共に少なくなっていく有様を、グゥはどうすることもできず、ただ運命的なあの夜にスゥと名乗る前の一羽のヤミカラスに告げられた通り、全てを共に見ているしかなかった。
 首領の黄昏と共に、建物を黒い波のように覆っていたヤミカラスたちから秩序が失われていった。かつてハクタイの街に落ち葉の雪を降らした黒い雲はまとまりを欠いて、傍目にもただ野放図なヤミカラスたちの度を過ぎた不良の集まりにしか見えなくなっていた。粗雑なゴンベのものひろいのように、首領の命令をしばしば無視し、ナギサシティへ飛ばした群れどもは目的地を通りすぎ、リゾートエリアで自分勝手なバカンスを過ごした後で、街路を染めるほどに大量の白い糞を残して悠々と帰ってきたし、シンジ、リッシ、エイチの湖も同様に汚すという禁忌をも犯し、首領の顔に泥を塗り、更に糞を上塗りする真似をした。
 シンオウの全てのヤミカラスを統べたドンカラスはもはや民衆の敵となっていた。スゥとグゥの拠点であり愛の巣であるハクタイ外れの建物には、日につれて様々な敵対者が押し寄せて来ていた。この場所の占有権を主張し、自分たちの勝利を信仰のように確信するおかっぱ頭の人間どもは相変わらずだったが、この土地からヤミカラスたちを駆除すべく派遣されたポケモントレーナーたちが、続々とハクタイに押しかけてきていた。彼らはもはや貧弱なプニャットやドクロッグやドラピオンではなく、冷血なガブリアスや狡猾なルカリオや壁を這いずり回るヒードランを繰り出しては、ヤミカラスの軍勢を八つ裂きにしていった。
 とある常軌を逸したトレーナーに至っては、四天王の部屋で波乗りをして手に入れたというダークライを引き連れて、群れ全体に恐るべき悪夢を見せた。グゥは忘れかけていたかつての主のことを夢見て、決して聞きたくはなかった言葉にするも悍ましいような罵声を浴びせ続けられて狂いそうになり、冷や汗でぐっしょりと濡れた羽根を引きずりながらスゥの胸元へ飛び込んだが、首領は夢を見ているのか、何かに夢見られているのかもわからない顔で佇み、何も言わなかった。
 耐えられなくなったヤミカラスたちの中には、自ずからレギオンのような群れとなって、首領の指示もないままにシンオウ中を狂ったように飛び回って、最後は一斉におくりの泉へと飛び込んでことごとく溺れ死んでいくものまでいた。ヨノワールが今日もせかせかと主人たるギラティナのために立ち働いていると噂される洞窟の前の泉は、深淵のように黒く染まったが、首領はそれでも翼ある言葉をかけようとはしなかった。眠れもせず、逃げることもできなかったグゥは、ズイの小道をマグカルゴと共に疾走する自転車のように、同じ廊下を何度も往復しながら、何も考えることができず、ただ病気に見舞われた時のようにこの苦しみの時間が早く過ぎ去るようにと譫言のように祈っていたし、首領が覚醒して、この文字通りの悪夢を振り払ってくれることを願っていたが、スゥはただ下々のヤミカラスたちと共にあるだけで、悪夢は200日続いた。
 ダークライの気配を感じ取ってまんげつじまから現れたクレセリアが、偉大なる首領の領域に、256日もの間、終わりのない淫夢をもたらした。その夢があまりに至福だったために、初心なヤミカラスどもの多くは現実へ帰ることを拒否してそのまま永遠の眠りについた。グゥは母なる星のように偉大なスゥに愛される夢を見たが、そこでは従順な奴隷たるグゥはモジャンボの都合のいい蔓にその身を拘束され、くすぐられていて、しかも不可能なことなどない首領の黒く豊かな毛並から生えた恐るべきペニスでずっと責められていた。モジャンボの蔓が嘴の奥深くへえずくほどに突っ込まれて、首領の崇敬しないわけにはいかないペニスで何度となく股を刺し抜かれて止めどなく精を放ち、恥も外聞もなかったが、ふとした目覚めの時にそれが夢であるということに気付くと、あまりにも敬虔だったグゥは親愛なるスゥを裏切ったような気がして、申し訳の立たなさに咽び泣き、気の狂った預言者のように建物中をドードーのように狂乱して駆け回っては、いずれは訪れる眠りをひどく恐れた。グゥは、惚けるスゥの周りをよろめきながら歩いて、頭を抱え、少なくなった羽根を掻きむしり、絶望のあまりに叫び、慟哭し、卒倒したが、首領は俯いたまま、何一つ言葉を放つことはなかった。奔流のように溢れ出た精液と愛液と肉の腐敗した臭いが充満したこの風前の楼閣にあって、ただ首領だけが、異世界のものであるかのように超然と佇んでいるのは、恐るべくも尊いことに思われた。
 アゲハントと懇ろになれるという淫夢の噂を聞きつけた敗残したドクケイルの群れが、ハクタイの街に押しかけて来る頃には、ダークライもクレセリアの姿も無かった。ハクタイ外れの珍奇な建物には、腐敗した黒くブヨブヨとしたヤミカラスだったものの山と、かつての栄華と比べるとまばらになってたむろすヤミカラスたちと、茫然自失としたグゥと、相変わらず沈黙する首領だけが残されていたが、それから63日後に悍ましい腐臭が物言わぬ首領から漂ってきた。スゥの復活を信じてひたすらに身の回りを世話してきたグゥはその得も言われぬ臭いに言葉を失った。そっと胸元に顔を埋めると弱々しい鼓動が聞き取れたが、それは何の慰めにもならなかった。
「スゥ」
 耐え難い臭いを堪えながら、グゥは語りかけた。
「私は、あなたを信じています。決して、決して朽ち果てることはないだろうと、信じています」
 首領は鹿威しのように俄かに首を前に倒した。おもむろに色褪せてきた麗しの両翼を広げて、寄りすがるグゥの小さな体を包み込むようにした。もはやスゥに残された力はそれだけであったにもかかわらず、グゥは希望を抱くことにしたが、その希望がサイホーンの頭のように空っぽであるという事実からは目を逸らした。スゥの終わりは世界の終わりであると、グゥは本気で信じていた。心から敬愛したスゥの死は星の死に等しいから、そんなことは決して、自分がしがない一羽のペラップとして生を享受している限りあり得ないと、本気で信じていた来るべき復活の時であれば、幾度輪廻しようとも待つことができると、本気で信じていたし、信じることしかできなくなっていた。
 神聖なるスゥに悪霊のような腐臭が纏わりついた信じ難い出来事と時を同じくして、首領に従っていたヤミカラスたちの中から、聞き覚えのある声を聞いたが、それは鏡越しに自らの醜態を見せつけたあの日、首領の嘴によって殺されたあの不遜なヤミカラスの声に違いなかったために、グゥは背中から刺されたような衝撃を受けた。
「あいつは、偽物の首領だ」
 と、おどけた口調でそのとんでもないヤミカラスは言った。
「お前みたいなぺラップと交わったのだから」
 絶句したグゥは、その嘲笑する烏の姿をまじまじと見つめていた。挑みかかるような表情は、あの日首領によって処刑された時そのままだったし、何より初めて出会った時の超越的なスゥそのものであった。
「首領の名の下に命じる」
 震え声で、グゥは言い切った。
「この『ポコペン』を連れて行け」
 そのヤミカラスはすぐにあの処刑の森へと連れて行かれ、薄闇の羽根を毟り取られ、元の形を留めぬほどに肉体を八つ裂きにされたが、それにもかかわらず世界の全てを下に見るかのような高笑いが、首領の部屋に閉じこもったグゥの聴覚を犯し、眠りにつく時も、ずっと血糊のように脳裏に貼り付いて離れることはなかったが、ディアルガの健全な鼓動が再びの朝をもたらすと、殺したはずのヤミカラスが二匹になっていた。
「あいつは」
 片割れのヤミカラスが言った。
「偽物の首領だ」
 もう一方のヤミカラスが言った。
 グゥは再び、首領の名の下に二匹揃って木に吊るしたが、翌日には彼らは四匹になって、同じことを言った。あいつは、偽物の、首領、だ。グゥの血眼の命令によって、彼らは仲良く枝に吊るされたが、その誰もが、殺されることが可笑しくてならないように死ぬまで笑い続けていた。そして翌日には八匹になって、再び首領を侮辱した。粛清する度に、不可侵なる首領のことを貶めるヤミカラスの数はウイルスのように増殖していった。アンノーンたちの姦しいささめきのように、彼らは声を大にしてスゥとグゥの関係を悪し様に言い立てた。知るはずのないことさえ、全てを見てきたとでも言いたげに話して見せた。首領と初めて出会った時のこと、勝利の日に体を重ね合わせたこと、失意に暮れながら急かす首領の前でオナニーをしてみせた時のことさえ、彼らはその場に立ち合わせてでもいたかのように、生々しく話して見せたので、グゥは怖気だち、首周りの縁飾りのような羽毛を刃物のように感じて、寒気がした。
 傲岸なヤミカラスたちを吊るしきれなくなると、グゥはその横柄な輩どもをまとめて袋の中に詰め込んで、まとめて火を放ったが、嘴と脚を縛られて袋詰めにされる彼らは怯えることもなく、許しを乞うこともなく、我らの罪が赦されるようにとアルセウスに祈ることさえせず、まるで奇術の被験者であるかのような振る舞いをして袋もろとも灰になったが、その不敵な目つきの通り、彼らは倍になって帰ってきて、グゥの周りを取り囲み、首領の恥部たる事柄を姦しく叫んで止まなかった。首領に叛く烏たちの詰まった袋は土嚢のようにハクタイの街外れに積み重なり、あまつさえ小癪なヤミカラスたちは聖者の行進のように自ら袋の中へと入って行った。燃え上がる炎が、テンガン山の槍の柱のように立ち上っていくのを、グゥは息を切らしながら見つめていたが、スゥを侮辱するヤミカラスたちは今もなおズイの育て屋で発見されるリオルの卵のように増えていくだけだった。
 もはや彼らを封じ込めるには、この世にありとあるヤミカラスたちをことごとく燃やさなければならないかと思われる程だったが、首領の皮を被っただけのぺラップの翼に負えるようなものではとっくのとうになくなっていた。それにもかかわらずグゥを突き動かしたのは、神話であり、寓話であり、物語であり、陰謀であった。千年の時を経て目を覚まし、世界に生気を吹き込むというかの楽園のゼルネアスのように、首領もまた力を充溢させて映えある嘴を動かすに違いないという想像だけで、グゥは生き永らえていた。不届きなヤミカラスたちを焼き尽くした後、疲れきったグゥは、ヨタヨタと聖なる首領の佇む部屋へと戻ってきて、ますます異臭を放つこの唯ならぬドンカラスにその小さく哀れな身を寄せつつ、精一杯の愛を告白した。
「あなたは決して過ちません、首領」
 死の沼に肩まで浸かったも同然のスゥの耐え難い臭いすら、ミツハニーが親愛なる女王のために運ぶあまいミツであるかのように深く吸いながら、グゥは繰り返した。
「私はあなたと共に全てをし、全てを見ます。あなたが力を取り戻すその時まで、私があなたの目となり、翼となります」
 あなたは決して過たない、とグゥは言った。スゥは何も言わず、ほんの微かに羽根をそびやかしたが、それは不用意にも開け放しになった窓から吹く隙間風で羽毛が揺れたのをそう思い込んだだけかもしれなかった。老いてなお豊かな白い毛に落ちてきた水滴が、涎だったのか涙だったのかも、グゥには判断できなかった。ディアルガが冷血にも心臓を鳴らし、パルキアが健やかに息をするにつれて、万物が流転していくというあの絶対的な法則によって、首領が消え去ろうとしていることは、哀れなぺラップがどう思おうとも、断じて捻じ曲がることはなかったし、ビッパがビーダルに進化するように誰にとっても明らかなことだった。
 首領の放つ異臭はやがて、ヤミカラスたちの根城だけでなく、ハクタイの街全体へと充満した。スカタンクの放つ液体よりも遥かに耐え難い臭いが街中を包み込み、あたかも大波に揺られる船のような惨状を呈し、人々やポケモンたちの嘔吐がポケトレカウンターのように連鎖していった。のこのこと街の灯に誘われて街路樹を貪りに来た無知なドクケイルの群れは、余りのことに悶絶して泡を吹き、猛毒の粉を花粉のように撒き散らした。飛散した毒の粉はハクタイの外れのグゥとスゥの元へと及び、毒に犯された部下たちが次々と倒れていく姿と、相変わらず眠りともつかぬ眠りを眠っているスゥを交互に見遣りながらグゥは、近くのハクタイの森からモモンの実を取って来なければと考えた。
「大丈夫です、首領」
 毛高きスゥのもとで、すっかり逞しい精神を身につけたと思っていたグゥは、必ずやこの危機から偉大なる首領を守り抜いてみせると誓った。
「こんなことは、長い歴史の上では、単なる一つの挿話に過ぎません。終わったら、みんな綺麗さっぱり忘れてしまうのです、あなたの偉大さの前では、どんな上っ面の悲劇だって霞むんです、首領」
 そう呟きながら、悲壮な覚悟を抱いたぺラップは飛べぬ体を引きずりながら、ハクタイの森へと踏み入った。草地を踏みしめていると、今となっては懐かしく、運命的な、スゥと名がつく前のヤミカラスと出会うまでのあの道のりのことを思い出さないわけにはいかず、その一致だけでこれは希望への道程であると、恋する者にありがちなように考えていたが、そんな空想は徐々に数を増す無礼なヤミカラスたちの冷やかしに掻き消された。焼き尽くしても、消し去ろうとしても、悍ましい暴力の記憶のように消えることはない彼らは、グゥを取り囲みながら陽気に首領とその右翼(みぎうで)を嘲罵したが、グゥは肯定も否定もせず、ただ無視して進んだ。
 聞くに堪えない言辞を弄するヤミカラスどもは、いじめっ子のようにグゥのことを取り囲んで、やがてはありし日の木に吊るされたスゥのもとへと自分を運んで行ったドクケイルたちのように傷ついた小鳥を黒い羽根の中へと包み込んで、その軽い身を持ち上げ、揉みくちゃにした。その無重力の空間の中で、あの時コイキングになりたいなどと思ったかつての自分のことをグゥは思い出し、もうそんなことはないのだ、アグノムのもたらしたという気高さと、エムリットが恵んでくれたという感情の麗しさと、ユクシーによって施されたという知恵と知識、そうしたものを交感によって首領は私に伝えてくれた、おかげで、この宇宙の果てのような世界に放り出された天涯孤独の私は生きることができたのだと考え、全ては首領と私のための恩寵なのだと、諦念のような楽観を抱きながら、黒い雲の中でうずくまっていた。
 まもなくその名が何も意味しなくなることとなるグゥが、戯けたヤミカラスたちの織りなすヨノワールの口のような黒雲から吐き出されたのは、ハクタイの森の奥深くにある、今となってはゴーストやムウマの遊び場となっているだけの洋館の、テレビの置かれた一室だった。その広くはない部屋の中に、仰向けに転がされたグゥと、みっしりと空間を埋め尽くしたヤミカラスたちが相対していた。
反逆烏(はんぎゃくしゃ)どもが」
 吐き捨てるように、グゥは言った。首領を言葉によって汚して平然としている連中は、一様にニタニタとした表情を浮かべながら、寝転ぶグゥを見ていた。
「危機に乗じて、下克上か。部下の屑め」
「お前は」
 ヤミカラスたちの群れの中から、ゆっくりと前に進み出た一羽が言ったが、その凛とした風貌は、初めて首領を侮辱したあの大胆なヤミカラスそのままのように思えたし、スゥとして生まれ変わる前のヤミカラスそのものとしか思えなかったので、グゥは首を絞められたような恐怖を覚えた。
「過った」
「殺してもいないというのに、もう首領気取りか。笑わせる……」
「お前は、過った」
「何をだ、言ってみろ」
 グゥは残された力を振り絞って、相手を睨みつけた。
「言えるものなら」
「僕は過たないから」
 得体の知れないヤミカラスは、首領そのままの口振りで言い切った。そんなことを言うために、自信などというものは鼻から必要がないかのようだった。
「僕は決して過たない」
「首領を僭称するのはやめろ……」
「僕は、決して、過たない」
「やめろ! やめろ!」
「なぜなら、首領は僕だからだ」
「やめろってば!」
「僕は、首領だ」
 身の毛もよだつ僭称烏(せんしょうしゃ)は、グゥの制止する声を無視し、予言書の一節を読み上げるように嘴にした。
「僕は『(スゥ)』だ。死は僕に近しいから」
「違う、貴様は『スゥ』なんかじゃないっ」
「お前は、僕がそうであると思うもの、それ以上でもそれ以下でもない」
「黙れ、偽物!……化け物、化け物があっ!」
「お前は、ただの塵芥に過ぎない」
 首領の簒奪烏(さんだつしゃ)は古代像のような微笑みを浮かべた。
「うるさい!」
「お前は」
 突然、グゥの腹の上に飛び乗った偽物のスゥは、その濁った水のような羽根をキツく掴みながら、ガーネットのような瞳を狂気のように歪ませた。
「もうただの塵芥に過ぎないんだよ、バーカ」
 鍵爪のような嘴で黄色い胸の羽根を抉る代わりに、反逆者はグゥと無理やり嘴を重ね合わせ、尾羽同士を乱暴に擦り合わせた。殺されることを覚悟していたために、首領以外から犯されることなど、ダークライの悪夢ですら見ることのなかったグゥは、唐突に走った快楽に耐えることができなかった。
「あああああっ、あああっん……!」
「はははっ」
 夕飯を心待ちにするように死を待っていたあの豪胆なヤミカラスそのままに笑いながら、首を激しく横に振るグゥを見下ろして反逆烏は、ラムパルド同士が頑丈な頭をぶつけ合うように、面白がって自らの割れ目をいっそう激しくグゥに押し付けた。
「こんなに感じちゃうんだな。お前の言う、『首領』以外のヤツとでも」
「違うっ……理不尽だっ、こんなことはっ……」
「僕たちは新しい」
「やああああっ!……ががああああああっ!」
「古いお前らなんて、フィオネのようなものだ」
「うあああっ、ううううっ……!」
「ヒトに捨てられたお前みたいなぺラップなんて、なおさら要らない」
「やあっだっ……んんっ、んんっ!」
「お前は、ぺラップでもグゥでもない、肉便器だ」
 お前は肉便器になるんだ、そう言いながらヤミカラスは射精し、グゥも射精させられて、夥しい精液が洋館の一室に撒き散らされた。揺れるグゥの視界には、ニッコリと曖昧な笑みを浮かべる「首領」たるヤミカラスの顔と、それを見つめる高揚したヤミカラスたちの群れと、いつの間にか賑やかに点滅し始めたテレビの画面がちらついていた。グゥは乱暴に腹這いに組み伏せられて、今度は背後から犯された。パチリスが頬を擦り寄せるような仕方で、鳥の性器を蹂躙されるグゥの視線は、古びた洋館には場違いとしか思えないブラウン管のテレビに向けられていたが、そこをねぐらにするロトムが面白がってこの世の地獄とも思える映像を画面に写した。遠いイッシュのポケモン愛護団体が隠し撮りした、規格外のイーブイたちがまとめてプレス機にかけられたり、闘技場に駆り出されるガブリアスが湯水のようにタウリンを飲まされたり、ヒコザルが性奴隷にされる映像を大音量で流し続け、あまりの悍ましさにヤミカラスの群れにも卒倒するものが出るほどだったが、グゥはそれから目を背けることも、失神することもできず、ただ無作法なヤミカラスに犯され続けているしかなかった。
「お前は天涯孤独だ、永遠のユダヤ人、彷徨えるオランダ人だ」
「ああっ! ああっ! あああああっ! ああああああああっ! あああああっ!……」
 不気味な弑逆烏(しいぎゃくしゃ)はそう言って、唾液と鼻汁と精液を垂れ流すグゥから離れると、好色なトレーナーの前でヒコザルとコリンクが互いの性器を舐め合う映像を無関心に眺めながら、このロートルを好きにしろと、日和みなヤミカラスたちに命じた。新生した首領のうっとりするような言葉に沸き立った彼らは、一匹ずつグゥを貶める名辞を吐きながら、輪姦した。お前は、ともはや個も多もないヤミカラスどもは言った、バカだ、クズだ、恥さらしだ、悍ましい、クソみたいだ、ビッパの歯だ、コイキングにも満たない、デタラメだ、偽りだ、詐欺師、ペテン師、呪われたもの、どこにも居場所がない、ガラルに拒絶された、声を封じられた、難解だ、難渋だ、愛鳥だ、淫乱だ、ホモだ、ゲイだ、傾城だ、詩的でない、美しくない、雑魚、レントラーの衣を借りるコロボーシ、ドクケイル、ラムパルドの脳味噌、スカタンクの最後っ屁、モジャンボのニタニタ笑い、ムクホークの餌、羽根なし、不具鳥、片翼、堕天使、楽園追放鳥、首領のすねかじり、お邪魔虫、疫病神、汚らわしい、視界に収めたくない、消えるべきだ、死ぬべきだ、斬首されるべきだ、不味そう、唾棄すべき、虫唾が走る、心肝を寒からしめる、身が震える、邪神、封印されるべきだ、二度とこの世に生まれるべきではない、最初から生まれてこなければよかった、存在自体が間違いだった。
 そのようにしてグゥだったものは、ミカルゲがその身に孕む煩悩と同じ回数、様々な姿勢で犯され続け、最後にはユキノオーの体のように全身を夥しい精液で真っ白に染められていたが、殉教者のように屈辱を耐え忍ぶ間、黒い羽根が木の葉のように狭い部屋の中を舞い散っていくのを美しいと思った。強姦烏(ごうかんしゃ)たちの群れは、グゥをもはや死んだものとみなして、全てが為された後、後始末もせずにその場を立ち去っていったが、それがいつのことだったのかもグゥにはもはやわからなかったし、今が昼なのか夜なのか、あるいはディアルガの鼓動が早まった果ての暗黒の未来なのかどうかもわからなかった。
 グゥはヤミカラスたちが残した濡羽色の美しさを見て、それでもやはりなお偉大なる首領のことを思い、スゥのためにモモンの実を持って来なければならないという使命を思い出した。ロトムと、老人と少女の亡霊に見送られながらグゥが森の洋館から命からがら出てくると、何をどう聞きつけたのかわからないが、一匹のドクケイルが気を利かしてモモンの実を抱えて待っていたのを、いつもならするはずの舌打ちをすることもせず、素直に感謝をしながらその実を受け取って、言葉にし難い臭いの放たれる方へと進んでいった。
「首領」
 誰一羽としていなくなったハクタイの朽ちた建物の、最上階の一室へと辿り着いたグゥは、まだその革張りのソファーの一角で夢見る人のようにうつらうつらとしている首領の輪郭を認めて、傷つき、汚された体のままその黄ばんだ鳩胸へと駆け寄った。首領がイベルタルのように力を溜め込んでいるはずの場所へと続く長い道のりの間に、カイオーガを従えたマナフィが天恵のような雨を降らした。ハクタイの街中に澱んでいた腐臭も、撒き散らされた吐瀉物も、ものぐさなドクケイルの羽根から降り注いだ毒の粉も、あらゆる理由で死に、あるいは殺されたヤミカラスたちの跡も、変態が妄想するミミロップのように精液塗れになったグゥの体の汚れをも、洗い流していき、それこそが覚醒した首領が命じた言葉の力に違いないと、哀しい物語ももうすぐ終わるというのに、グゥは信じた。
「謀反です。謀反が起きました。首領」
 そんな許し難い蛮行を鎮めることができるのはあなたの言葉だけです、首領、お願いです首領、スゥ、とグゥが切実な瞳で言い放った時、それがもはや首領でもスゥでもドンカラスですらないことに、グゥはようやく気付いた。それは、グゥが捨てられたハクタイの森で初めてその姿を見た時そのままの、黒いボロ切れに他ならなかった。腐臭を放つ、ドンカラスでありヤミカラスであったところのボロ切れでしかなかった。首領がもはや首領でないことを認めていなかったのは、ただ忠実で哀れなペラップただ一羽だったことに、グゥは初めて気が付いた。偉大なる首領は腐り果てて、溶解し、居た堪れない臭いを放ちながら、ただ消滅しようとしていた。グゥが心から崇め、数え切れないほどに愛を交わし、そのためにオナニーをしてみせたそれは、ただの物質でしかなかった。
「ああっ……」
 絶句したグゥは、傍目から見れば大袈裟とも思えるほどに、短くみすぼらしい黄色い翼で顔を覆って泣き叫んだが、その叫びは窓の外に野次馬のように集まったドクケイルどものささめきにかき消された。
「ああ! 天は私を殺した! 天は私を殺したんだ!」
 二度と言葉を交えることの叶わない銀髪の痩せっぽちな男の帰りを不毛にも待ち続けていた、あのへんてこなおかっぱ頭の集団と同じ過ちを犯していたグゥは、嘆きながら、首領だったものの周りを駆け回り、もはやスゥもなくしたがってグゥもないこの世界を心の底から痛罵した。誰もグゥと呼ぶことのない一羽のペラップは、お前は天涯孤独だというあのヤミカラスの言葉が成就されたことをその時悟り、噴き出した血のように流れ出る涙を堰き止めることもできなかった。そして同時に、親愛なる、偉大なる首領がペラップより先に消え去ることによって、お前は僕と全てをし、全てを見るというあの定言的とも言えるヤミカラスの予言が成就されたことも悟った。僕は決して過たないという、首領の言葉は成就されたのだったということを、名付けえぬものとなった小鳥は悟り、涙ながらに、首領、あなたは偉大です、私はあなたと全てをし、全てを見たのですからと思い、腫らした瞳と、渇き切った喉と、苦しくなった胸と、擦り切れたようになった股と、萎えそうな脚からなる全身で、黒いボロ切れに敬意を表した。
 にわかに、首領の体からソノオの花畑のような芳しい匂いが香った。涙で潤んだ視界が少しずつ明らかになると、首領だったものの黒いボロ切れが、もはやボロ切れではなく、文字通りの「言葉」であるということを、かつてグゥと呼ばれていたペラップは目の当たりにした。首領の体から、アンノーンが湧き出る泉のように噴き出してきていたからである。首領は、言葉であった。咲き誇るシェイミのような香りを放つ蛹のような首領の体を破り、種々様々なアンノーンたちが新たに生まれ出てくるのを見て、僕こそが言葉だという運命的な夜にスゥが漏らしたあの謎めいた断言の意味を知り、その言葉が今まさに成就されるのを目にしたのだった。
 スゥだったものがアンノーンの群れと化して、首領も、首領と共にあった麗しい日々も消え去っていくのを見送りながら、愛したスゥから与えられた「孤」という名前でもあり宿命でもある言葉を引き受けて生きることになる一羽のペラップは、引き裂かれるような悲しみと、奇跡を目撃した高揚感のあわいで感情を麻痺させていた。グラデシアの花のような首領の香りが、全てを癒し、慰め、労るように、ギンガハクタイビルの廃墟から、ハクタイの街へと穏やかに広がっていく中で、ペラップだけが感動に打ち震え、悲しみに打ちひしがれていたが、そんなことは世界の趨勢には何一つ関係がないとでも言うかのように、スゥの原子であったアンノーンたちはお互いに語りえぬ言葉を語らいながら、黒い渦となってくるくると輪を作りながら窓を飛び出して行った。興味本位で建物の外側にたむろしていたドクケイルたちもつられてアンノーンたちに付いていき、ソノオとハクタイの谷間を漂っていたフワライドたちがそれに続いた。ただ名も意味もなくした一羽のペラップだけを残して、彼らはどこへ向かうとも知れないところへ飛んでいき、マナフィが齎した雨上がりの虹の向こうに消えていった。

後書き(2021/02/07) 


作品自体は大会後にもコメントしているので割愛……
仮面大会時、想定していた部分を起承転結の「結」としてやっと書き終え、大会から1ヶ月近くになりましたが、完全版としてアップしました。
頭の中にあったイメージは書き切れたとは思いますが、実際書いてみると、思っていたより凄惨な展開になったような気がします。
首領と、それに付き従うペラップの物語であるからには、やはり終止符まで書かなければ、と思いつつも随分とエグかったな……
これに関しては読んだ方の感想を仰ぐしかないと思うので、ここでも、ツイ垢でも、イシツブテは受け付けます!
とはいえ最後にこれだけは。
「この物語のもう一匹の主役は、ドクケイルくんです」、以上。

大会を終えての感想(2021/01/17) 


まずは管理人様、本来ルール違反である投稿後の修正を行ってしまいまして、大変ご迷惑をおかけしました。
冒頭の注意書きのみの修正だったということで、今回は有情にもお咎めなしにはなりましたが、次回以降規則は遵守するよう注意致します。

気を取り直しまして、仮面外しをしましょうか。どうも、群々です。知っている方は知っているでしょうが、今回wikiでの小説大会には初参加ということなので、改めてご挨拶をば。
読みは「グングン」ですが、時に応じて「ムラムラ」でも「ムレムレ」でもOKです。
結果としては、上記の管理人様の有情采配もあり、3票獲得の3位入賞と相成りました。堂々の銅。投票いただいた方たち、そして大会期間中に今作をお読みいただいた全てのポケ小説好きの皆様に、まずは感謝!

今作について。ペラップ×ヤミカラス→ドンカラスの組み合わせということになりますが、先に浮かんできたのはペラップでした。知能も高く個人としての自尊心も持ち合わせているけれども、本能的に何かに従属せざるを得ない、といったキャラを表現するにあたって、ペラップが格好のポケモンだったのはひとえにポケダンの影響が一つあるでしょう。無論、プクリンおやかたですね。あの関係性を二次創作脳で煮詰めていけば、こういう作品が出来上がるわけです。そんなペラップが服従する相手、これは各人の解釈次第にもよりますが、ここではヤミカラスを取りました。やがて群れを率いるドンカラスの「右翼(みぎうで)」として仕えることになるペラップの、首領への官能的な心酔と、逃れたくても逃れられない、むしろそんな宙吊りの状態を欲している倒錯。ペラップというポケモンに対する、一つのキャラ解釈としてお納めください……

コメント返しをしながら、補足。

物凄い引力で息もつかせずラストまで読ませられて数日間取り憑かれたようになりました。エロさが極まって体に直にキます……! 偉大かつ残酷な者に見初められて寵愛されるエロシチュがめちゃ好きなんです。グゥが従属の快楽に耽溺する様がエロすぎます。スゥの苛烈な独占欲が耽溺に冷水を浴びせ(「彼は、僕だったからだ」この上なく素直な曝け出しが胸にキます)、一転して批判の眼で見て翼を奪われ無惨な姿にされて信頼できなくなってからの、醜態を肯定され服従の悦楽に溺れる様が、「すべて」としか言いようの無いお互いに深く依存し合った関係が、たいへんエロいです。怒涛の如く語られる情の奔流にただ押し流されました。大好きです。


「Birds Love」は体にキます。それこそ、取り返しがつかなくなるくらいに。
「グゥ」ことペラップと「スゥ」ことヤミカラス(ドンカラス)との絡みで書きたかった官能はなんとかまとめられまして、まさにそれが刺さっていただけたようで何よりです。スゥは謎の確信を持っているキャラですから、グゥが自分を崇拝する(せざるをえない)ことを、聖書のように知っているわけです。

隠微で淫靡な、とても素晴らしいBLとお見受けしました。背徳的で倒錯的な性描写や、名家の商業小説と比べても遜色ない修辞など、とても読み応えがある作品でした。「羽根を詰めろ」の下りがとても好きです。


「羽根を詰めろ」というセリフ、今作では絶対に使おうと思っていたものでした。風を掴み空を飛ぶために必要な風切羽を失うことは、鳥にとって最大の恥辱だろう、という自己解釈に則ったくだりです。ただ今作においては、それもまた主への従順と裏返しなわけなのです。実を言うとこのモチーフ、別の作品でもこっそり使っておりました。よもや、それで作者バレしたなんて思いたくはないですが……(

ヤミカラスを統べる才覚に振り回されるペラップの運命が、出会いから孤独を突きつけられそれを完全に受け入れるまで、冷酷な筆致で描かれておりました。wikiでは珍しく1文が長く、しかし読みやすいリズムもあり、それでいて全文を通して言い回しがオシャレなのよなあああ。それでいて表現に登場するポケモンたちがシンオウメインだったり、嘴や右翼のルビだったり細やかな気配りが随所に見られます。『物陰からコロボーシが奏でるヴィオロンの啜り泣き』『決して帰ることのない一人の男をゴドーのように待ち続ける』『現在と未来に何の違いも見出さず、ディアルガを冒涜するかのように混同さえしてみせたスゥのことを、グゥという今さっき生まれたばかりのペラップは心から崇敬するようになったが、良くも悪くもそれが錯覚でしかなかったことに気付くのは、大概の悲劇がそれに起因するように、長い時が経ってとうに時宜を失した局面においてだったが、哀しいことにそれを悔いて否定し去り、決別するためにはあまりにもグゥは弱い、儚い存在だった。』とかお気に入り。濡れ場も終始退廃的で、首領へ心酔したグゥが認められるため、孤独を紛らわせるために――彼が捨てられる前にトレーナーに撫でてもらっていた頃のように――盲目になってゆくさまが魅力的。命知らずの部下の処刑に立ち合い、ようやっと己の過ちに気付かされるも離れることなど到底不可能で、スゥへと擦り寄ってしまう。行為の間じゅうも冷淡なスゥと愛されることでしか己を満たせないスゥのめちゃくちゃな喘ぎが、もう戻れなくなってしまった彼の運命を物語っていました。ドクケイルくんはどの世界線でも非モテ隠キャ童貞なのか……かわいいね。


ミドリさんありがとうございます。はい、ドクケイルへの修飾は意識的に書いていました。書きながら、こんな内容の話を書いているのに、笑っていました。
ざっと拾い上げて見ても
「求婚したアゲハントにことごとく袖に振られて自暴自棄になった」
「ゾンビのような」
「アゲハントに求愛するか落ち葉を食うことしか能のない」
「喪男」
「童貞をかこつ」
酷すぎですね!
とはいえ、ドクケイルくんのこういう扱いについてはK山氏の解釈を踏襲しているので……クリムガンみたいなもんですね、可哀想なのが可愛いってやつです。可哀想だけれど。
問題は、どうして自分たちがそういう存在に心惹かれるかということなんです(?)、そこにポケ字書きの本質があるでしょう(??)


最後に言いますと、実は今作、完結してません! 投稿期間に間に合うように取り急ぎ形になるようにまとめてはいたのですが、この後にももう少し続きがある予定なのです。
なぜこんなことになったかと言えば、それは勿論、大会に向けて執筆計画が杜撰過ぎたせいですね!
「はいけい」ではじまる長いお手紙完結(12月22日)→『首領』書こう→書けない→なぜかDELI HELL BIRDを書いてしまう(12月24〜25日)→『首領』執筆開始(12月27日)
→大晦日か元旦には完成するだろ→しない→とりあえず、読むに堪える形にはしておこう→締め切りギリギリでアップ(1月2日)、というガバぶり、こんな窮屈なスケジュールで満足に完結まで書き通せるわけがない!(しかも、無茶はこれだけには尽きず、それはまた別のページで
というわけで、近日中に完成形となった作品を更新する予定でいます。この物語に興奮していただけたことを励みにして、書き上げるつもりでいるので、楽しみな向きはしばしお待ちを……


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Last-modified: 2021-02-07 (日) 02:38:01
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