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時渡りの英雄第24話:残された者

/時渡りの英雄第24話:残された者

時渡りの英雄
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364:英雄の帰還 

「ここはどこなの……? 私はいったい……」
 シデンは目覚めてまず、自分の体に違和感を覚え、視覚や触覚が回復すると数秒の内に自身の体の異変に気付く。
「人間に……なってる?」
 シデンは、人間となって復活していた。しかし、彼女が今いる場所は、未来世界ともアグニ達がいた世界とも違う雰囲気の場所だ。
「空が……赤い……夕焼けとかそんな状態でもない……ここはどこなの? 何時の時代なの? コリンは? アグニは?」



「シデン……」
 最後にぽつりとだけ彼は言い残す。
 魂が抜けたようにそのまま立ち尽くして、気付けば夜になっていた。いつの間にか空腹を覚えたことにアグニは気付くと、うつろな目の色をしたまま、シデンの形見のバッグを拾い、ふらりと立ち上がる。
「生きて……生きて、帰らなきゃ……」
 言葉を紡いでいるうちに涙がこみ上げて目の前がかすむ。それでも、止まってなどいられない。突き動かされるように足を動かして、とにかくアグニは進んだ。
「帰って、このことを話さなきゃ……みんなに……」
 ついに前が見えなくなるくらいに涙があふれる。それでも、涙を拭って彼は歩く。
「それがシデンの願いだから……幸せに生きてって……」
 そして、歩んだ道のりの先で、アグニは石の石舟までたどり着く。アグニを待っていたかのように起動音を鳴らすそれは、数日前の情事の痕跡も消え去ってしまったかのように綺麗さっぱりだ。
 アグニはうずくまる様に、石舟にたどり着くと、そのままうつぶせに倒れこんで涙を流した。泣いて泣いて、泣いているのが馬鹿らしくなって、涙が枯れたあたりでアグニは寝返りを打つ。月夜に浮かぶ時限の塔を見て、アグニは枯れたと思った涙をまた流す。
「時限の塔が……遠くなっていく……シデンが……離れていく……」
 掠れた声、しゃくりあげた悲痛な叫びを漏らし、アグニは言う。
「やだよ……いやだよ……」
 そんな言葉をどれだけ並べ立てても、誰も何もしてはくれないことを理解していても、溜めこんだ感情はいつまでもいつまでも、アグニの口から絶えず漏れていた。

 ◇

 ディスカベラーの二人が世界の時間を守った時、世界のいたるところで起こっていた争いもすぐに止まったとは言えないが、少しずつ緩やかになって行った。信頼していたものが牙を剝いたり、意外な人に助けられたりで、人間関係には大きな変化が起こり、酷い場所ではこれを機に権力構造がひっくりかえってしまったような場所もある。
 トレジャータウンでも、死者こそ少ないが逮捕者は非常に多かった。ジバコイル保安官の仕事は当分の間増えそうである。
 死体の処理や、壊された街の修繕、逮捕者の整理や粛清、怪我人の治療。そんな後始末は、アグニが戻ってくるずいぶん前になりを潜めていた。今でも、あの時の恐怖が尾を引いて、日常生活で「正気を保てない者達に対するケアなどは行われているが、それはそこかしこで行われるようなものではなく、街の一角、街のどこかでひっそりと行われるもの。
 サイモンに慰められながら、磯の洞窟を経ずにトレジャータウンに戻ったときは早朝の時間帯で。整然とした街はもう、いつも通りの日常に戻っているようにすら見えた。

 早朝という事で見張り番もおらず、乱暴にギルドの鉄格子を叩いてギルドメンバーを起こそうとしたアグニは、まずはじめにチャットと出会う。新人が脱走しないようにと、常に入り口付近で眠っているチャットは、たたき起こされた時は最初こそ不機嫌そうだったものの、格子越しに姿を覗かせた来客がアグニだとわかった時の反応は、飛び上がらんばかりのものだった。
 彼は、アグニの顔を格子越しに大声でギルドのメンバーを呼び、改めてアグニを見る。まだ明け方、アグニの顔がよく見えなかったから仕方がないとはいえ、彼はようやくアグニの様子が明らかにおかしいことに気付く。
「どうしたんだい……アグニ? というか、シデンは……?」
 尋ねてしまって、チャットは後悔した。アグニは下へ俯いて、大粒の涙を落としている。アグニはこんな演技が出来るほど器用じゃないから、それはとどのつまり。
「シデンは……シデンは……」
 肺が痙攣したようにアグニは呼吸を震わせる。
「わかった、もういい……もういいんだ、アグニ……」
 どうあれ、シデンがいなくなってしまったことだけは把握したチャットは、泣き崩れるアグニの頭を翼で包み込み、優しい言葉をかける。もういいと、何度も何度も反復してそう言っても、アグニはいつまでも言葉を紡ぐことすら出来ず、ギルドメンバーの前にひれ伏すように咽び泣いていた。

 一人で泣いて、サイモンの上で泣いて、ギルドメンバーに抱かれて泣いて。泣いてばかりのアグニは、ギルドに帰って数日して悲しみの感情が粗方流れ出たところで、ポツリポツリと幻の大地であったことを語り始めた。ゆっくり語って、時折また激しく泣いて、グズグズに泣き崩れながらまた語って。
 コリンやシデンの事、トキの事、そして今度こそ世界が平和になったこと。未来から来た者達の事実を知ったギルドメンバー達は、同情の言葉をかけることしか出来ず、彼を立ち直らせるために、何をどうこうすることも出来なかった。
 シデンの願いどおり、幻の大地で何があったのかを街の皆に話さないといけないというのに、それをする気も起きず、ただただ怠惰な日々で時間を消費する。
 食事を出されてもほとんど残してしまうほど食欲のない状態で数日間過ごしていると、さすがの冬でも、アグニの体温で温められ続けたバッグの中身の物が腐りはじめてきてしまったようだ。
 気づけばシデンのバッグからは僅かながらに刺激臭が立ち上っている。

365:手紙 

(私は……シデン。光矢院=シデン。私は、この世界の外からやって来た存在だから……アグニ達がいる過去の世界がどうなろうと、私はこの世界に迷い込む……その運命は変わらないのね。ピカチュウの姿になるという結末は違っても、この世界に迷い込むことだけは……確定、なのね。)
 落胆したシデンは、歯を食いしばり、拳を握りしめて悔しさを噛みしめる。
(でも、なまじ超越者としての資質を残して消えてしまったがために……私は、覚えている……コリンの事、ドゥーンの事、アグニの事……。
 酷いよ、こんなの……こんな風に中途半端に記憶が残っているくらいならば、いっそすべての記憶が消え去っていれば……まだ幸せだったのに……。記憶が残っていても、広がっている世界が青空に満ちた平和な世界ならまだよかったのに、この世界はまるで違う……よくわからないけれど、私が知っている普通ではないことは確かだ。
 どうして? 一体、どうしてこんなことに? アグニは、結局世界を守れなかったの? それとも、アグニの後の世代でこうなったの? 何か、何か情報を集めなきゃ。)



「……これは?」
 シデンの形見であるバッグがカビか何かにやられてしまうのは御免こうむるとシデンのバッグの整理を始めたアグニは、一番奥に仕舞い込まれていたコリンから自分に当てられた手紙を探し当てる。
「コリンの……」
 差出人の名前を見て、思わず声が裏返った。丈夫に封をされたそれは、ペーパーナイフなどで切り取るべきのような代物だが、アグニはそれを探す時間すら惜しく、爪で引っ掻いて乱暴に封筒を開封する。案の定切り口がぐちゃぐちゃになってしまったが中身は無傷の状態で取り出したそれを、アグニは早速広げる。

『アグニ。結局俺は最後まで、お前に真実を伝えることを恐れている。だから、俺がお前に突然真実を伝えて別れてしまった時のために、この手紙を残しておく。
 さて、もしかしたらお前に真実を伝えることすら出来ずに、死んでしまったという事もあるかもしれないから、一応説明しておく』
 ここから先は、超越者に関する説明と、その後のコリンとシデンの運命が載っていた。
『あるいはこの話を、事前にしておけば、お前を苦しめずに済んだのかもしれない。だが、お前の決心が鈍ってしまうことが怖くて、俺はお前に真実を伝えることがついに出来なかった。
 この手紙は、きちんと伝えることが出来たら捨てるつもりだから、お前が読んでいるという事はきっとそういうことなのだろう。本当に、済まない』
 よく見ると、この手紙には微かに涙の跡が残っている。
(コリン……泣いていたんだ)

『消えるという事は、そりゃ辛い……俺自身はもちろん、残された人達の悲しみを思うと、余計にな。でも、俺はそれでもかまわないと思っている。なぜだかわかるか? それは、精一杯生きられたからだ。
 やり残したことも、後悔もない。そりゃ、もっと生きてやりたいことはあったけれど、お前達に逢えた。愛する人も出来た、大切な仲間も出来た。そして、俺の事を覚えてくれる誰かがいる。それは、本当に貴重なことだと俺は思うし、俺はそれで充分なんだ。
 だから、残されたお前がやることは、悲しむことじゃない。そりゃ、多少は悲しんでもらえると嬉しいけれど、それだけじゃないことはわかって貰いたい。俺がやったことを、意味のあるものにしてほしいんだ。
 お前の住んでいるトレジャータウンは平和ないい街だったけれど、この世界はどこへ行っても大抵は問題を抱えている。そして、放っておけばトレジャータウンにだって、問題の一つや二つが出てくるはずだ。
 そんな問題が出てきたときに、それに絶望しないで欲しい。それに立ち向かって、解決してほしい。その問題というものが、小さなものか大きなものかはわからないけれど、生きていてよかったと。ここへきて幸せだったと、伝えてゆけるように生きて欲しい。
 俺は、それが出来るように生きたつもりだ。幸せだったと自信を持って言える。だから、お前にもそうあって欲しい。シデンが居なくなったお前に、すぐに気持ちを切り替えることは難しいと思うが、いつかはそうやって生きなきゃいけないと、頭の中ではわかっていると思うから。
 だから、心の整理をつけた後でいい。いつかお前は立ち直って、また新しい生活の中で幸福を見つけて欲しい。

 もう一度言うけれど、俺は幸せだった。誰かに自慢したいくらいに幸せだった。この手紙を読んでいるころには勝ち逃げみたいになってて悪いけれどだ。勝ち逃げだからこそ、俺の死を気に病む必要はないと思ってくれ。俺が幸せだったこと、それだけは絶対に保証するから。
 きっと、シデンも、幸せだったと思う。お前と一緒に戦うのだと思う。それは何より、お前や、他の者のためにこの世界を美しいまま残すためにさ。そうして残されたお前という命なんだから、どうして自分だけ生きているんだとか、難しいことを考える必要はない。
 明日はどうなるかはわからないが、ずっと、これからもずっと明日はやってくる。それはお前のためにある未来だ。だから生きろ。
 お前が誇れる人生を生きて、笑って死んで見せろ。それが、俺達に出来る最高の弔いだって、俺は思うよ』
「うう……」
 読んでいるうちに、涙も鼻水も止まらず、結局アグニは涙に濡れる。もう涙は枯れ果てたと思っても、悲しみはいつまでも無くならない。
 そうして、込み上げた悲しみを消費したアグニは、ようやく立ち上がって外に出る。
 誰にどんなふうに話せばいいのかよくわからなかったけれど、なじみの店に、よく知った知り合いに、人の集まる広場で。やつれた体で目を引くアグニは、誰かに話しかけるでもなく、人の生活風景を覗いて観察する。
 目が合うと目を伏せ、話しかけられても聞こえないふり。近くまでこられたら目を逸らして立ち上がり、黙ってその場を後にする。アグニはまだ、誰かと会話するのは難しい気分だが、無言で差し出されたリンゴや干し魚の差し入れは、その場でありがたく食べさせてもらった。
 自分は日常を失っていたが、トレジャータウンでは自分以外の誰もが、もう遠い日の出来事のように感じるいつも通りの日常を過ごしていた。

366:時渡りの英雄 


 結局、その日は一言も会話を交わすことなくアグニはギルドに帰る。チャットの前で大泣きして以来全く喋った覚えがないアグニは、そろそろ挨拶ぐらいは返した方がいいんじゃないかとふと思い、声を出す練習をする。
 かつては普通に会話していたはずの誰とも言葉を交わせなくなって、それを恥ずべきことだとは思いながらもアグニはどうやって話すきっかけを作ろうかと考える。
 考えた結果、ギルドに帰るまでに考え付いた答えは『でたとこ勝負』という案しか浮かばなかった。
 ギルドの門をくぐり中に入る時、否が応にもアグニの中に緊張が走る。気を使っているのか、それとももう呆れられているのか、アグニがトイレなどで部屋の外に出る時は皆無理に話しかけてこなかった。
 今回も、ギルドに帰った時にハンスとすれ違ったのだが、ハンスはヘイガニの特徴である大きなハサミをあいさつ代わりに持ち上げるのだが、アグニがしゃべらないので、話しかけることも出来ずに意気消沈してため息をつく。
 今までは、皆の様子を見る気さえ起らなかったが、無言で差し入れを送られたり話しかけようとはしてくれたり、こうしてみると意外と自分は心配されているらしいのだとアグニは思う。
「あの、待って……」
 勇気を出してアグニはハンスに話しかける。
「ヘイ? ど、どうしたアグニ?」
「……ただいま」
 照れくさくて、恥ずかしくて、声もまともに出ていない。声を掛けられたハンスは、空飛ぶホエルオーでも見るかのようにぽかんと口をあけ、驚いていた。
「お帰り、アグニ。ヘイヘーイ、というか、家に帰ったらまず『ただいま』だぜアグニ」
「ごめん、その……色々あって……」
 驚きから立ち直ったハンスは花が咲いたような嬉しい顔で笑い、アグニの肩にそっとハサミを添える。
「ヘイ、みなまで言うことないぜ。みんなお前を心配してるんだから、元気になったならその姿を見せてやれ」
「うん、ありがとう……ハンス」
「ヘイヘーイ……っ! アグニ……」
「な、なぁに……?」
「何かあったら、頼っていいんだからな……ヘイ!」
 鳴く姿なんて想像できないハンスの声が震え、泣いていた。嬉しそうに泣いていた。自分は、一人じゃなかった。
「うん……」
 最初にすれ違ったハンスが温かく迎え入れてくれたので、アグニは心配する必要なんてなかったのだと理解する。まだ自分から話しかけるのは恥ずかしく、簡単なことだったはずなのにぎこちなくなってしまう。
 だが、ギルドのメンバーもそれ以外の人達も、誰一人としてアグニを邪険にすることはなく、アグニはその日から積極的に話かけるように心がけた。


 そうして数日。立ち直ったアグニはようやく聴衆を集めて今回の出来事について語る。
 旅の吟遊詩人もその中にいて、いつかは自分も歌にされてしまうのかとなんとなく思いながらアグニは語る。『二度とこんなことが起きないように』というシデンの願いをかなえてあげるべく、アグニは一歩ずつ、少しずつ歩み始めた。
 世界の平和を願うように、未来の平和を祈るように。そして、自分の幸福を目指すべく。

 また、色んな人に語って聞かせる日々の中で、彼はサニーに見守られながら手記を書く。今まで、こうと思っても結局書けなかった活字本を書くために、サニーから文章の書き方の基本を学び、わかりにくい表現や回りくどい言い回しをそれとなく修正してもらっている。
 自分達がやったことを、きっと自分勝手な吟遊詩人は良くも悪くも面白おかしく語ってしまう事だろう。むしろ、アグニはすでにして自分達が『時渡りの英雄』というタイトルで、どこかで誰かが英雄譚として語っているようなことも風の噂で聞いた。それを聞いたアグニは恥ずかしいと思ったし、なぜだか憂鬱な気分にもなった。
(英雄と呼ばれることが、憧れでしかなかった子供の頃と比べると、その呼び名が素直に喜べなくなったオイラは大人になったのかな?
 誰かを虐げ、誰かを犠牲にすることで英雄となるのであれば、英雄なんて呼び名も正義なんて言葉も欲しくなかったと思ってしまうオイラは、成長したってことなのかな?
 それとも、オイラは英雄という言葉の重さを知らなかっただけなのかな……?)
 アグニはわからなかった。だけれど、アグニが一連の出来事語る時は、これだけは絶対に胸に留めて語ろうという心構えが一つある。

 それは、ドゥーンを悪役にしないこと。あの人はいい人だとは言えなかったが、『悪人ではない』と語ることにした。コリンがそうしたように、誰かがドゥーンの事を悪く言ったら『悪人じゃない』と、きっぱりと言い切った。
 アグニはドゥーンの事を突っ込まれれば、『あの人は、自分の暮らす世界を守りたかっただけなのです』と彼を擁護した。そんなことをしても、ドゥーンが消滅したという結末が変わるわけではなかったが、ドゥーンと最後に交わした会話を聞く限りでは、彼は悪名で語られることが無いようにと望んでいるように見えた。
 『アグニさん』とドゥーンが言い、アグニが『グレイルさん』と呼んだ際に、彼は微笑んでくれた。偽名を名乗っていた頃の自分に戻りたいと、そう願うような彼の精一杯の思いがひしひしと伝わってきたような。たった二言のやり取りだったけれど、それが本音だと信じて。そして信じたくて、アグニは聴衆に『ドゥーンは悪い人じゃない』と語る。むしろ、二つの世界を救う手段があるのならば手を取り合うこともあっただろうと、そう信じてまことしやかにアグニは語る。

 書き途中の本にも、その一文を含めることはすでに決定済みだ。まだまだ本の完成は遠かったが、人々の記憶が流れゆく時間に呑まれ色褪せ風化しないようにと。アグニはそれを願ってひたすら書き綴る。

367:ソーダとアグニ 


 どうにかこうにか、歩いて集落を見つけたシデンは、すぐに怪しい人物として衛兵に囚われそうになったところを、拳一つで返り討ちにした。人間からピカチュウになる前に培った技術と、全盛期の体。その二つを併せ持つシデンを取り押さえようなどと、少人数の兵隊では夢物語でしかなく、あくまで正当防衛程度の範囲内でボコオコにしたシデンは、現在この世界の空間が歪んでいることを知らされる。
 そして、この空間が歪んだ世界では、心の中にある空間、いわゆる夢の世界と現実世界の境界があいまいとなり、夢の世界の支配者であるエレオス=ダークライが夢の世界の悪夢を現実世界にも影響させることでこの世界を意のままに操っているらしい。そして今や、現実世界と夢の世界、双方の支配者として君臨しているのだという。
 この時代でのアグニは、すでに神話の存在となっていた。


十一月十八日

 筆を握って過ごす日々の中で、彼の元に意外な訪問者が訪れる。
「こんにちは、アグニさん。お久しぶりですね」
「ソーダさん……」
 少し痩せたように見えるソーダである。彼女はアグニが部屋にこもって執筆している最中、仲間を宿に置いて一人で訪ねに来たようだ。
「えーと……その、アグニさんは、最近……」
「いや、その……とりあえず、座りなよ。保存食くらいしかないけど、何か出すからさ」
「あ、はい……わかりました」
 戸惑いながらも、アグニはそう言って塩漬けのオリーブを数個皿に盛って差し出した。
「これはお母さんのオリーブ……。まぁ、結構おいしく出来ているから、食べてよ」
 母親の灰を養分に育ったオリーブを差し出して、アグニは笑う。
「アグニさんのお母さんはオリーブになったのですか……私の母さんは死んだらマンゴーになりたいって言っていましたが、アグニさんもそんな感じですか?」
 オリーブの実を見て、ソーダも一緒になって笑う。
「うん、オイラの母さんの希望でオリーブ。そっか、マンゴーかぁ……オイラは好きだよ」
「私も好きですけれど、いっつも縁起でもないって注意しているんですけれどね」
 当たり障りのない会話をしているつもりだが、アグニは少々緊張していた。シデンがいるときは、何も思わなかったけれど、思えばシデン以外の女性とこうして二人きりになったことは、今までサニーくらいとしかなかった。そんなことを考えてしまったおかげでアグニは若干緊張気味だ。相手が何かをしてくるようなことは考えにくいとはいえ、特別なシチュエーションというのは少なからず緊張するもの。
 あまりに親しすぎて意識する必要もなかったサニーともシデンとも勝手が違うためにどんな反応をすれば良いのか分からず、アグニはじっと相手から言葉が出るのを待つ。
「アグニさんは、最近どうしておられますか? 大切な人を失って……色々悲しかったりもしたでしょうが……」
 ソーダからの問いに、アグニはやんわりと首を振る。
「それについては大丈夫。まだ泣きたくなることもあるけれど、最近は生活に支障をきたすほどは泣いていないから……」
「そうですか……それは何よりです」
 安心したようにソーダがため息を漏らす。
「私もですね、沢山泣きました……」
「そりゃ泣くよね、コリンが居なくなったら……オイラも、泣いたし。戦いが終わったら泣こうと思ったら、おまけにシデンまで居なくなっちゃってさ……泣いている姿を見られたくないとか、そんな風に考えることも出来なくて、本当に泣きわめいていたよ。
 恥ずかしいとか、そんなことも考えられないくらいに泣いたよ……」
「やることは、一緒みたいですね」
 ソーダも同じくらい泣いたのだろうか、そう言って彼女は力なく微笑んだ。
「泣きますよね……そりゃ」
「そりゃ、ねぇ」
 お互いにため息をついて、二人は沈黙する。
「コリンさんにですね」
「うん」
 一息ついて話し始めたソーダの話を、アグニは頷いて聞き入る。
「貴方の事を頼むって言われたんです……貴方がショックで打ちひしがれていたら……支えてやれって」
「そんなこと……コリンは心配性だなぁ」
「でも、なんとなくわかりますよ。貴方の事、心配にもなっちゃいますよ……コリンさん、あなたの事をすごく誇らしそうに話す一方で、ものすごく仲が良くなっていたことも漏らしていました……その反面、自分がいなくなったらどうなるのかをしきりに心配していましてねぇ……まぁ、私自身の事も心配していましたけれど……」
 ソーダは一拍置いて息をつく。
「私は、皆のおかげで意外と早く立ち直っちゃいました」
 微笑んで、そう言った。
「でも、それはアグニさんも同じだったみたいですね……コリンさんの当てが外れて、良かったというかなんと言いますか」
「あぁ、立ち直れたきっかけなんだけれどさ……手紙にはさ、ちょっとは泣いてくれると嬉しいとか書かれててさ……」
「なんですか、それ?」
「いや、もう本当に言葉の通り……『悲しんでくれると嬉しいけれど』って……笑っちゃうよね。コリンてば、なんだかんだで悲しんでほしかったみたいでさ……」
 アグニは腰を上げ、棚の中に大切に封じ込めていた手紙を取り出す。
「うん、これ『だから、残されたお前がやることは、悲しむことじゃない。そりゃ、多少は悲しんでもらえると嬉しいけれど、それだけじゃないことはわかって貰いたい。俺がやったことを、意味のあるものにしてほしいんだ』だってさ……オイラなりにその言葉の意味を考えてみたけれど……まぁ、そのまんま。ずっと悲しんでばっかりいたら、生きている意味がないし……外の景色を一生見ないならば、時間が止まっていようが関係ないもの。
 外の景色を見て、外にいる人達と話して、そして……世界がどうなったのかを見てみた」
「そしたら、どうなってました?」
 語り始めたアグニの話を聞いて、ソーダは尋ねる。

「何にも変わってなかったよ。昔と同じ……ただ、シデンがいないだけで」
 アグニは天井を見つめてそんなことを漏らした。
「そんな……今となってはすっかり大切になってしまった人がいない時でも、オイラは幸せを感じる手段なんていくらでもあったんだよね……シデンが一番幸せを与えてくれたけれど。父さんと話す時も、先輩と飲みに行くときも、お店の人と世間話をするときも。
 シデンが大きすぎて忘れてしまいがちだけれど……幸福なんてものはどこにでも転がっているんだって思い出してさ……シデンやコリンと一緒に居た時の事、絶対に忘れたくはないけれど……それでも、うん。いろんなことを思い出すべきだって、そう感じたから……だから、少しずつやれることをやってみている最中だね、今は」
「そうなんですか……元気そうで何よりです」
 ソーダはそう言って笑った。

368:勧誘 


「そう……アグニは、最後まで戦ったんだ……」
 アグニは、手繋ぎ祭りの後、しばらくの間ソーダと共に各地を回り、その後はソーダと共にフレイムを卒業。二人で探検隊を続けていたそうだ。そして、その過程で出会った幻のポケモンマナフィの育児なんかも体験したそうだ。一度は都合によりその子と離ればなれになってしまった。エレオスという存在が明るみに出てからは、ニュクスという名前のクレセリアと共に協力してエレオスへ挑んだ。だが、その際、返り討ちに逢い、落ち延びたのはアグニ一人だけであった。
 そうして、アグニは北半球に逃れた際に、離ればなれになっていたアクエリア=マナフィと合流。
 マナフィが持つハートスワップや、皆の心を一つにする力で以ってエレオスを討とうと反旗を翻したのである。

「私は、ずっと泣いている最中でも色んな所に連れまわされましたからね……仲間達はいつもより荷物は少なめにしてくれましたが、泣いたまま何もしないでいると置いて行ってしまうくらいの酷いお仲間さんでして……でも、一人で置いて行かれた時に、すれ違った旅の人が優しくしてくれたり、なんだかんだで仲間が理由を作って待っていてくれたり……
 楽しい事とはちょっと違いますけれど、世の中捨てたもんじゃないなって……おかげで、今年のホウオウ感謝祭の舞い姫も問題なくつとめられました」
「へぇ、舞い姫かぁ……可愛いソーダさんが踊るんなら、さぞや会場も盛り上がるだろうね」
「えぇ。意外なことに、いつもより演技がさえていたとすら言われましたよ……悲しみのおかげで、踊りが洗練されたとかそんな感じなんですかね? お世辞かもしれないけれど……ともかく、仲間が叱咤激励してくれたからこそ、舞台に立てたんだと思います。
 仲間には、感謝せずにはいられませんよ……」
「そうだよね。オイラも、シデンが消えちゃったときは、世界の終りのように悲しんだけれど……いろんな人に励まされたよ」
 アグニの眼に涙が浮かび始める。
「大切な人を失うのも、三度目だったんだ……父さんが死んで、後を追うように母さんが死んで……ていうか、ごめん。オイラの家族の事なんて興味ないよね……」
 いきなり思い出して、いきなり涙したアグニの謝罪をソーダは気にするなと首を振った。
「話してください。私も、まだ……見ないふりをしている自分の気持ちと向き合うきっかけになれるかもしれません」
「ありがとう……その、さ。両親が死んだときも、すっごく……泣いた。そんな時オイラは養父に引き取られ、そうして幸福を手に入れられたんだ……世界が終わったように悲しかった気持ちも、何年も経つうちにどんどん薄れていったし、育ててくれた人には本当に……感謝しか出来ないよ……」
 言葉にしていくうちに、涙があふれて止まらなくなったアグニは、涙を拭って鼻を啜る。
「さすがに涙も出ないと思ったけれど……シデンとセットで思い出しちゃうと、やっぱり……涙が出ちゃうもんだね」
 アグニは自嘲気味に笑って目を逸らした。
「オイラがどうなったって、世界は何も変わることなく幸福を振りまいてくれる。変ってしまったのは自分で、世界は終わってなんていなかった……まだ思い出して泣きそうになるし、泣いちゃうけれど、泣いちゃいけないわけじゃないし……だから、不格好でもいいから、少しずつ自分を元に戻そうとしているんだ。そんなことを、ギルドの仲間達や、なじみの店や、オイラの養父にも話したし、樹になった父さんにも話した。
 そうやって話しているうちに、有言実行しなきゃいけないっていうプレッシャーが生まれたりもしたけれど、話しておくだけでも、ずいぶんと心が楽になったと思うよ」
「元に戻す、ですか……」
「うん。とは言っても、シデンがいなくなっちゃった以上、今まで通りの探検も仕事も難しいし、自分を元に戻すって言うのはそれなりに難しいけれどね……でも、今はとりあえず何か出来ることをしたいから、こうやって文章を書いている。シデンが、幻の大地で起きたことを伝えてくれって頼んだから……その願いを果たすためにもね」
「なるほど……自分は無理してでも立ち直って、アグニさんを慰めるつもりでしたが、もうその必要もないのかもしれませんね」
 ソーダの言葉に、アグニは『うん』と頷いた。
「でも、それならそれで、一つお話があるんです。その……アグニさんの今後なんですが、フレイムに……入ってみませんか?」
「え……?」
 ソーダの唐突な提案に、アグニは肩を竦める。

「最近、アグニさんはあまり仕事を受けたりしていないと聞きますし……もしかしたら、冒険に飢えているんじゃないかなぁって」
「はぁ……確かに、最近ずっとお仕事は受けていなかったから、たまにはどこかに出かけるのもいいなと思ったけれどさ……でも、なぁ……」
「伝説の探検隊が仲間になったとかそういうふれこみで、売名することが目的ではないのは、とりあえず言っておきます。とりあえずは、もしもあなたが仲間が欲しいと思ったのであれば……私達がその候補であると、伝えたかったのです。
 私も、まだまだ封じ込めている悲しみとか、目をそむけている辛さとか、いくらでもありますので……。そんな時、ギルドの皆に頼るでもいいですし、貴方の言う育ての親御さんに頼ることもありですけれど。でも、常に一緒に居て絆をはぐくめる誰かと一緒の方がいいんじゃないかなって、そう思うんです。
 その、誰かに私達がなれれば、なんて思ったのですが……アグニさんは、すでにその『誰か』を見つけたりしているのでしょうか?」
「いや、生憎見つけていないよ……見つけたいとは思っているんだけれどね……シデンが安心出来ないと思うし」
「そうですよね。だからといって、私達を選べなんて傲慢なことは言いませんが……参考までに」
「参考までに、か」
 アグニは天井を見上げる。
「仲間と……か」
 どうもピンとこない。シデン以外の誰かと行動したことはあるけれど、その時にシデンを含まなかったことは思えば一度もなかった。シデン以外の誰かと仲間になり、そこにシデンはいない。今までシデンと常に一緒にいた身としてはどういうことになるのだろうか、想像もつかない。
 想像を巡らせようと考えるアグニはずっと沈黙している。やがてじれったくなったのか、ソーダは口を開く。
「……私達以外の人と組むことも、誰とも組まないこともまた選択肢の一つです。だから、私達の提案が気に食わなければ、ただのアドバイスの一つだと思って聞き流しちゃってくださいな。
 アグニさんほどの探検隊ならば、仲間なんて引く手あまたでしょうし、何もこんな中堅探検隊なんて、相手にする必要もないんです……」
「そういうこと言っちゃいけないよ。君達のおかげで流通がはかどっている場所もあるんだし、自分達の働きを卑下するようなことは言っちゃいけない……と、オイラは思うな」
「あ、いや……はい、すみません」
 アグニに説教をされて、ソーダは伏し目がちに反省の言葉を述べる。

369:思い出 

 しかし、アグニの頑張りはすべて無駄だった。結局彼は討ち死に。そして、世界中に散らばる神と呼ばれるポケモン達も軒並み蹂躙され、彼の徹底的な罠によってただの一柱もエレオスに手傷を負わせることは不可能であった。
 それが、アグニや、エレオスと戦った神々の伝説の概要である。

「あー……ちょっと、厳しいことを言ってしまったかもだけれど、その、なんていうのかな。自分に自信を持ってくれってこと……フレイムにだって感謝している人はたくさんいると思うしさ。コリンだってオイラだって……感謝してるから、だから、自分が相手にされないとかそんなこと考えちゃだめだよ」
「あ、はい。ありがとう、ございます……これからは気を付けます……」
 少しだけ頭を傾けて、ソーダはお礼を述べる。
「オイラとしては、相手にしなくていいどころか……フレイムの皆はつくづくいい人だなぁって思うよ。こうしてソーダと話している時も感じるけれどさ。君達もなんだかんだで歯車を守ってくれていたわけだし。中堅探検隊だとかって、なんだか弱いみたいに言っているけれど……トキの歯車を守ってくれたりとか、なんだかんだでみんな勇気があるじゃないか。
 それに、コリンが惚れた女の子だもの。ソーダさんが相手にするに値しない女だなんて言ったら、それはコリンへの侮辱だよ」
「そそ、そんな……なんというか私、本当になぜコリンさんと付き合えたのか謎なくらいのラッキーでコリンさんと付き合えたわけですし……」
「ラッキーってどんな?」
「コリンさんを、信じたことです。あの時のコリンさん、色んな人から敵視されて……ジュプトルだってだけで自分を拒否するお店なんかもあったそうで、精神的にもまいっていたそうなんです。なので、その……弱みに付け込んで落とす形になっちゃったんだなぁと思います。思い返してみると、ですが……」
 ソーダの答えを聞いて、アグニは安心したように微笑む。
「そっか……」
 満足そうにそう言ってため息を一つつくので、ソーダは褒められたのか、それとも呆れられたのか気が気ではない。
「突っ込んだ話はあまりしてくれなかったけれど、旅の途中に歩いて言葉を交わしあう時に、時々君の事を語っていた……君を語るコリンは、君の事を一途だって評価していたよ。コリンは、そういう一途なところに心打たれたんじゃないかな。
 好きになってくれる、必要としてくれる。それだけで嬉しいもんなんだなって言ってた。君は、弱みに付け込んだって言っているけれど……誰もが疎んでいる中でコリンを必要としてくれた、庇ってくれた。誰よりも早く信用出来るだけの、良心や賢さ、話を聞く心構えが出来るって言うのも魅力なんじゃないかな? ……そりゃ、偶然の要素も少なからずあったと思うよ? たしか、シエルタウンでホウオウ感謝祭の時に出会ったって話だけれど……その偶然で出会ったピースの中から、自分の本質を見抜いてくれたのだとしたら、コリンが好きになったっておかしくないよ」
「そんな……私はただ、色恋に狂っていただけですよぉ」
「時には狂ったくらいに馬鹿になることも必要だよ。そうやって、オイラもシデンも探検を成功させたことがあるから」
「馬鹿に……ですか」
 動揺しっぱなしのソーダは、アグニの言葉をオウム返しに聞き返す。

「そうなんだよ。シデンと一緒に激しく流れる滝壺の中に突っ込んだり、シデンと一緒に沙漠の流砂の中に潜り込んだり」
「あ、それって流砂の洞窟でしたっけ? MADのリアラさんって人と一緒に大鍾乳洞って場所に殴り込みに行った時ですね、聞きましたよ。そこにエムリットがいるって」
「そうそう、それ。流砂の中に入るとか、正気で出来るもんじゃないけれど……たまには、馬鹿になってみないと出来ないこと、見えないことだってある。それが、コリンの目的……この星を、星の停止から救うという使命だったり……なんて、似合わない上にヘタなロマンチストになっちゃうな。
 ともかくさぁ、皆が勧めるような眺めのいい場所で物を見ていても、見えるのは同じもの。場所を変えて物を見ないと、正しい物の形は理解出来ない……そういうことだと思うな。そして、それが出来た君達はコリンの心の支えにもなったし……それについてはオイラからも感謝だよ。君達がコリンを支えてくれたと思うとさ」
「です、か……確かに、同じようなことをコリンさんも言っていました。好いてくれたこと、信じてくれたことが嬉しかったって……それが、価値かぁ」
「そうだよ。オイラも、シデンに惚れて貰えたのは、シデンが一人で心細かったおかげだしね……今ではシデンに相応しい男になれたと思うけれど、昔は不釣り合いな男だったよ……あの時シデンに記憶があったなら……多分、オイラ見向きもされなかったんじゃないかな」
「弱いアグニさんなんて、想像が出来ませんね……世界を救った英雄なんて呼ばれているあなたが……」
「そういうもんだよ。コリンが世界共通の敵だなんて、今の姿を見て居たらだれも想像出来ないさ……みんな変わっていく。子供は成長するし、元気な人も死ぬ……シデンも、コリンも」
 取り留めのない話が続く。時折涙を流しそうになりながら失った者達の思い出を語る二人は、それを話し続けることで少しずつ悲しみを吐き出していく。
 誰かに覚えておいてほしいというコリンの願い、シデンの願い。その想いと共に託された数々の思い出を、二人は共有した。そうすることで、二人の願いがかなうようと祈って夢中で話していると、気が付けばあたりが夜だった。

「もうこんな時間ですね……そろそろ、仲間が待っている宿に帰らなきゃ」
「うん……オイラが送って行こうか?」
「大丈夫ですよ。これでも探検隊なので、腕にも逃げ足にも自信があります……」
 親切心を前に押し出すアグニの好意だが、ソーダはそれを必要ないと笑う。
「あ、でも心配でしたら……私に炎を飛ばしてはくれませんか? 私、貰い火の特性なので……炎をくれれば、私強くなれるんです」
「うん。夜道を照らすためにも、炎を強くするのはいいかもね……行くよ」
 アグニは口をすぼめて、ソーダの顔に炎を吹きつける。高温の炎に身を焼かれれば、普通のポケモンならば肌が焼けて痛みを伴うものであるが、貰い火の特性を持ったソーダは涼しい顔で、むしろ恍惚とした顔でそれを受け取る。
「貴方の炎は、優しくて暖かい……こんなに美味しい炎は初めてです」
「お、美味しい……の?」
「たぶん、貰い火の特性の人にしかわからない感覚ですけれどね……この炎で温めて貰ったらきっと、暖かいんだろうなぁって……」
「炎なんて、匂いと大きさと温度くらいしか気にしていなかったけれどなぁ……」
「まぁ、普通の人は味わう余裕なんてないですからね。でも、本当にいい炎です。これで、誰かを温めてあげてください……あなたならきっと良い女性を見つけられるはずですから」
「うん、ソーダちゃんも頑張ってね。コリンよりもいい男を見つけるのは大変そうだけれど、きっと見つかるから」
「えぇ、頑張ります。それでは、さようなら!」
「さよなら!」
 激しくゆらめく炎を抱えて、ソーダが仲間の元へと帰ってゆく。改めていい子だなぁと思うと、もっと長く話していたかったと感じてしまう。ここ最近、語り部を行わなくなって久しく、ほとんどしゃべっていないで執筆に打ち込んでいたためか、喉が疲れるくらい喋ったのは久しぶりだ。
 今日はミルクと蜂蜜でも飲んで喉を労わろうかなんて思いながら、アグニは寝ころんだ。
 シデンもコリンもいなくなったけれど、自分にもまだどこかに誰か、仲間になる人がいる。それがソーダというのも悪くないが、自分はどうするべきだろうかと、寝転んで天井を見上げながらアグニは考える。
 やがて、寝転んだ体勢で考えていたからか、アグニはうとうととして半分夢の世界に足を踏み入れてしまい、その時アグニは断片的に思い出す。
『石鹸の作り方だけれどね……まず、肉を溶かす水を作らなきゃいけないわけだけれど……』
「あ……石鹸……」

370:決心 

 この世界にも、星の調査団と同じように戦いに身を投じる者がいた。打倒エレオスを掲げ、この悪夢のような世界を終わらせて青空を取り戻さんとする者達が。一人で街の住民を脅かすゴロツキを何人も倒し、民衆を味方につけてエレオスの支配から一人街を救ったシデンは、『三日月の爪』と名乗る集団にスカウトされた。
 コリンもアグニも失い、しかもせっかく救った世界はまたこんな有様。死にたいくらい辛かったが、シデンはその集団に身を寄せ三度目の戦いに身を投じる。

 そういえば、石鹸は父親である唐美月に沢山預けてあったはずだと思いだして、アグニはうとうとして眠りに入りかけた体を跳ねるように起き上がらせる。
(マリアおばさんはものすごく喜んでくれていたし、あれならどこの街でも高く売れるはずだ……フレイムは行商人だし、売りに行ってもらえれば、きっとシデンも喜ぶはず……)
「そうと決まれば……明日、フレイムの皆に売ってもらえるように頼もう……そうすれば、きっとシデンも喜ぶはずだし……」
 何より、歴史的な発明をした者は、後世までその名前が知れ渡るはずだ。そうすれば、シデンの名前は石鹸関連も含めてで未来永劫覚えてもらえるかもしれない。石鹸は物を綺麗にするのに役立つから、何かの神事を行う時に体を清める必要があったらこれで洗うとかも悪くなさそうだし……むしろ、何年かたって、世界が救われた日を記念する祭りが開催されるようになったならば、この石鹸で体を洗ったりなんかしてシデンを思い出してもらうのもいいかもしれない。
 石鹸一つで脈絡のない妄想ばかり広がって、アグニはなんだか楽しくなってきた。明日の朝一で、父さんから預かっていた分を貰い受けよう。そう計画しただけでアグニはなんだか嬉しい気分にもなり、さっきまでうとうとしていたのが嘘のように目がさえてしまった。とはいえ、もうすぐ夕食の時間だと呼ばれる頃なので、アグニは起き上がってわずかな時間を執筆に費やす。
 今日は、特に何もしていないけれど大きな収穫があった。それを噛みしめて、アグニの心は満足であった。

 ◇

 翌日。
「ふぅ……」
 石鹸を渡して、手繋祭りまでの準備を始めたフレイムを見送ったアグニは、一人自室で天井を見上げていた。
 シデン曰く、あの石鹸という代物は使いすぎると海を汚してしまうとの事。だからこそ、値段を高く吊り上げて売る相手は少人数にしろと言った。
 そうして得た金を、どう使うかはフレイムに指定していなかったが、アグニはどう使っても良かった。あの子達フレイムが使うならば、間違った使い方はするまいと。そう思いながらソーダの顔を思い返してみる。
 唐美月と一緒に実演して汚れを落としてみると、最初こそ石鹸の価値を疑っていたフレイムの面々も目の色を変えて食いついていた。その時のソーダの顔は、無邪気で愛らしくて……女性とあんなふうに話したのは久しぶりだというのもあるが、彼女を思い出すだけで少しでも心がざわついてしまう自分は、惚れっぽいのか単純なのか、ともかく少し節操が無いように思えた。
 彼女の故郷のシエルタウンも、トレジャータウンも、今回の件でいろいろあった。混乱の中で食料庫が荒らされたりもしたし、親を亡くすような暴力沙汰もたくさんあったことだろう。フレイムは儲けたお金をその孤児を養うために使うのだろうか。それとも他の事に使うのだろうか。
 フレイムは、定期的に塩を仕入れにこの海辺の町に来ることがあるから、その時にでも得た金をどうしたかを尋ねよう。そんなことを考えながら、アグニは文字を綴る。


 気づけば夕暮れになっていることに、アグニは橙色の空を見て気付く。
「すごく綺麗な形の雲だなぁ……」
 コリンのように絵心さえあれば、あの雲も書きとめることが出来るのだろうかと、アグニはなんとなしにそう思う。
「ずっと、あんな綺麗な雲が浮かんでいてほしいけれど……あの雲もいつか、夜空に呑まれて消えていくんだよなぁ」
 いくら名残惜しくとも、形あるものはいつかは消える。そうして悲しみはいつだって、どこからともなくやってくるものだ。ソーダに一瞬だけ埋めてもらった心の穴も、今はぽっかりと空いて隙間風が入り込んでいる。
 でも、終わりは新たな始まりだと、アグニは知っている。ホウオウ信仰に於いて、炎による終焉は、同時に始まりでもあると何度も何度も教えられてきたから、前向きに生きようと頭ではわかっている。
 古い命を犠牲に新たな命を芽吹かせる焼き畑のように、また美しいな花が咲くこともあるさと、種をまいておくべきなのだ。むしろ自分が新しい種として、畑に茂る草とならねばならない。
 シデンに出会えて強くなれた自分がそうであったように、自分が誰かを支え、強くしてあげられるように。その相手は誰にするか? そう考えた時に浮かんでくるのはやっぱりソーダ。あの子と一緒に生きてみたいとアグニは思う。

「本当に、ありがたいなぁ……」
 誰にでもなく、アグニは口にする。
 突然シデンがいなくなってから、戸惑い続けたこの日常だけれど、それでもこうして生きて居られるという事はとても貴重なことなのだ。だから、悲しんで日々を無駄にするという贅沢は続けるべきではない。ギルドの門を踏めずに足踏みした自分を、それでも見捨てなかったこの世界に、自分の境遇に、アグニは感謝してその分恩を返したくなる。
 今太陽がある方向に窓はなかったが、日々移り変わる時間の象徴である太陽があると思しき方角に向けて、アグニは感謝の気持ちを想った。
 しばらく太陽の方向へ向かって頭を下げてから、アグニは決心する。
「もう一度、泣いてこよう……」
 今朝、ソーダとの別れ際に、『仲間の件を考えておきます』とアグニは返した、今度フレイムがトレジャータウンを訪ねて来る時には答えを聞かせられるようにとも思ったが、明後日には手繋ぎ祭りが始まる。その時、フレイムに頼み込んで正式に仲間にしてもらおうとアグニは決心する。
 しかしそのためには、シデンの事をきっちりと割り切っておかなくてはならない。自分の気持ちにケリをつけなければならないと、アグニは勝手に思いこんだ。
 シデンやコリンの事を忘れるのではないけれど、二人と一緒に居て楽しかったことにばかり執着してはいけない。二人以外の誰かと居ても楽しかったことも思い出さなきゃならない。
 加えて、ソーダと一緒に居て楽しいであろうことも見据えておかなきゃならない。ソーダと一緒に居て充実した毎日を過ごせば、コリンとシデンを忘れる事ではないにしても、二人の事を考える時間は確実に減ってしまうだろう。それを申し訳ないと思う必要はないし、辛いと思ってはいけないことだと、頭の中ではわかっている。
 けれど、割り切るのは難しいことをアグニは経験で知っている。父親が死んだ時、母親が死んだ時、そんな時は経験上割り切るためには泣かなければだめなんだとわかっていた。今までは、大人ぶるのに必死で、涙をこらえることが正しいと思っていたが、今は違う。
 大人だからこそ、泣いてもいい場面があることをアグニはコリンに教えてもらった。感情を抑えるよりも大事なことがあるのだ。
「そんなことも、君は教えてくれたんだよね……お兄ちゃん」
 独りごちて、アグニは泣ける場所を探しに、外へ出た。

371:追憶 

 シデンの強さとカリスマ性を得て、三日月の爪は勢いを増した。今までの倍ほどに団員も膨れ上がり、街を解放する速度も上がる。いつしか、その存在を無視出来なくなった敵は大規模な襲撃を行い三日月の爪を殲滅しようとする。何とか退けたものの、どちらも酷い痛手を伴う消耗戦であった。
 このまま消耗が続けば、数で勝るエレオス達に押し負けると踏んだ三日月の爪は、生き残ったメンバーを集めてエレオスの居城を直接叩くことを提案する。

「あれ、アグニ。お出かけでゲスか?」
 ギルドを出ようとしたアグニを、トラスティ=ビッパが呼び止める。すでにして涙ぐんでいたアグニは、逆光を利用してその涙が見えないように工夫する立ち位置を取る。
「うん、ちょっと散歩にね……」
「そうでゲスかー。でも、もうちょっとで夕飯だから、早く帰ってくるでゲスよ? 手繋ぎ祭り前に大目玉喰らいたくないでゲスし」
「うん、わかったよ」
 アグニは普段よりもずっとゆっくりと歩き、自身の足取りを確かめる。
 あの時、シデンと出会ったあの日は、職場であるガラガラ道場が経営不振で倒産してしまったために、暇を貰った自分はどんな職に就こうかを考えたところだ。そのまま探検隊に就こうか、それとも普通の職業に就こうか、自分に自信がなかったアグニはどうすればいいのかわからず、途方に暮れていた。
 もしもあの時に唐美月と二人暮らしをしていたのであれば、唐美月は自信を持って探検隊に入れと勧めたであろうが、だれにも頼りたくなかったアグニは唐美月の元を離れていたため、アドバイスを受ける機会を失っていた。
 そして、普通の職に就くでもなく、探検隊に就くでもなく、どっちつかずのまま過ごしていた無為な時間のある日。
「オイラは、君に出会った……」
 あの日も、こんな風にゆっくりと歩いていた。あの日は下を向いて、今日は上を向いての違いはあるが。あの時は、砂浜を見ていて、影が歪んでいることに気付いてようやく空を見て、クラブの泡吐きが行われていることに気付いたものだ。
「そして、商売繁盛祈願に定評のあるクラブの泡吐きに見とれながら歩いているうちに、オイラはシデンを見つけた……久しぶりに見たけれど、やっぱり綺麗だなぁ。今まで、向き合えなくって見に来れなかったけれど……やっぱりいいよね、この光景は。
 前に見たのは、オイラ達がはじめての冒険に繰り出す前……去年の手繋ぎ祭りの日だったっけか。今年は参加する気になれないけれど……その前は、シデンと初めて出会った時。懐かしいなぁ……」
 祭り前の予行練習のために泡を吐くクラブの舞台装置を見上げて、アグニは物思いにふけって独り言を口ずさむ。
「シデンが倒れていて……オイラが手際よく介抱して……ドクローズをブッ飛ばして……。あの時も、こんな風景だった……そして、そこからオイラとシデンの冒険が始まったんだ……」
 アグニは胸に手を当て、懐かしむ。
「最初にシデンと出会った時は、その変人ぶりにドン引きだったけれど……互いに必要としあっていたから、コリンが言うように時空の叫びをすぐに使えるくらいには信頼し合ってた……
 初めてのお仕事でバネブーの真珠を探す時は、文句も言ってしまったけれどなんだかんだで成功して嬉しい思いをしたし。ソウロを変態の……なんだっけ、スリープの……そう、サライをブッ飛ばした時は、オイラ不意打ちすることを覚えたっけ。
 そして、手繋ぎ祭りの後の探検では……滝壺に飛び込むなんて無謀な真似もした……遠征に行ったときは、偽物とはいえグラードン相手にオイラも無茶したよね。その後のイルミーゼとバルビートが躍る夜景の素晴らしさで疲れも吹っ飛んじゃったけれど……
 そして、ドゥーンさんに助けられたり、コリンと二回も戦って……その間に一杯トレーニングもした。結局、未来世界に連れてかれて……そこでたくさん迷惑もかけちゃったし……それでも、君はオイラを助けてくれた。
 そして、時限の塔で君は……辛さを押し殺して、オイラ達の世界を守ろうとしてくれた。オイラのっ……た、めに……」
 アグニの声が震える。発作のような悲しみがこみあげて、たまらず跪いた。
「今でも、感じるよ……君と一緒に過ごした思い出を。その、面影も……いつだって一緒だ……だから、寂しく……ないって……言いたいけれど、さ。シデン、君がいないと……オイラ、やっぱり寂しいよ。
 手繋ぎ祭りで、もう君の手を掴めないなんて嫌だよ……君の手を……ずっと離したくなかった……明日の祭り……オイラは誰と手を繋げばいいの?」
 乾いた砂浜に水滴が落ちる。湿り気を帯びた色合いとなった砂は、夕焼けに照らされて僅かに橙に染まっている。

「わ、アグニ!? 帰りが遅いんで心配していたんでゲスが……ど、どうしたんでゲスか?」
「あぁ……トラスティ……」
 涙を流していることを隠す様子もなく、アグニが顔を上げる。ボロボロに泣き崩れた顔は逆光が黒く埋めつくし、その顔に驚く前にアグニはトラスティに縋り付いた。
 誰かにこの悲しみをわかって欲しくて、迷惑だとわかっていても自分の気持ちを受け止めて欲しかった。
「ど、どうしたんでゲスか!?」
「トラスティ……やっぱり、ダメみたい……悲しくて、寂しくて、オイラダメだよ……どうにも出来ないよ」
「わわ……本当にどうしたんでゲスか?」
 戸惑うトラスティをよそに、アグニは彼に抱きついたまま首を振る。
「わからない、わかんない……シデンの事、一つ一つ思い出して……もうこれから先思い出を作ることが出来ないんだって……そう思ったら……涙が、止まんないよ。どうしても止まんない……オイラ、どうすればいいのさ……こんな風に、突然泣き出して、突然誰かにすがって……
 こんな状態で、オイラどうやってこれから探検隊を続ければいいのさ? 何もわかんないよ、トラスティ……何も……わからない」
 声が上ずり、声が裏返り、なんで泣いているのかさえあいまいになりながらアグニは延々と自分の想いを吐露した。トラスティもかける言葉が見つからず、終始相槌以外は無言で応じるしかなく、優しくアグニに触れている。夕凪の空気は風すら吹かず、吐き出された泡は割れることもなく、今もアグニを見守っている。









その最後の戦いで、三日月の爪は壊滅。シデンは見せしめとして、投獄された


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コメント 

お名前:
  • >2013-11-03 (日) 02:46:36
    大体はお察しの通りなのです。ダークライの件がなかったら、アグニを成長させるためにも消えたままにするのが神としての役割だったかと思います。
    シデンを復活させたのも、おそらくは苦渋の決断だったのでしょう。ソーダは……私ももうすこし救ってあげたい気持ちですw

    テオナナカトルは、その通りコリンたちの世界の未来ですね。すでにコリンたちの戦いは神話になっているようです
    ――リング 2013-11-22 (金) 00:37:02
  • ふむふむ、こうして読むともし原作のストーリーにダークライの話が無かったら、リングさんバージョンはシデンが復活しないまま終わってたのかなって思いますね。

    ソーダがちょっと可哀想でした。

    テオナナカトルって多分、コリンたちの世界の未来の話ですよね?
    ―― 2013-11-03 (日) 02:46:36
  • >狼さん
    どうも、お読みいただきありがとうございました。
    『共に歩む未来』のお話では、もう一つの結末というか、私としてはこちらのほうがよかったという結末を書いて見ました。
    ディアルガのセリフから察するに、本当の未来はシデンが生き返らない方であったという推測が自分の中でありましたので……。
    こんな長い話ですが、読んでいただきありがとうございました
    ――リング 2013-06-26 (水) 09:49:35
  • 時渡りの英雄読ませていただきました。私は探検隊(時)をプレイしたのでだいたいのことはわかるのですが時渡りの英雄ではゲームとは違ったおもしろさがありゲームではいまいちでていないところまで実際そんなストーリーがありそうな気がしたり(当たり前か)してとてもおもしろかったです。
    『ともに歩む未来』では[シデン]が蘇らないのかと思ったら[アグニ]の夢というおち、少しほっとしたり…。
    これからも頑張ってください。
    ―― ? 2013-06-17 (月) 21:31:32
  • 時渡りの英雄これから読んでいきたいと思っています。
    時渡りの英雄は10日ぐらいかかると思われます。
    読むのが楽しみです
    ―― ? 2013-05-25 (土) 02:02:01

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Last-modified: 2012-04-21 (土) 00:00:00
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