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時渡りの英雄第23:最後の冒険・後編

/時渡りの英雄第23:最後の冒険・後編

時渡りの英雄
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355:到着 


 そのダンジョンは恐ろしく静かだった。時が止まった世界と同じような静けさというのは虹の石舟と同じだが、それ以上に景色のない閉鎖空間というのが辛い。自身が発する音だけが反響して妙に響き、気味が悪いことこの上ない。
 ゆっくりと歩いていると、規則正しい足音が、ただひたすら時を刻み続ける懐中時計のようだ。心臓の音まで聞こえてきそうで、ドクンドクンと、その音がやけに五月蠅い。
 ふとシデンは荷物の中が気になって開けてみる。時の歯車が脈動している。中心から外側に向かって光が広がるのだ。ゆっくり、ゆっくりと。水の波紋と比べるとあまりにも遅く、あまりにも整っている。
 時を刻む時限の塔に呼応しているのか、その規則正しい歯車の鼓動は心臓を握っているかのように得体のしれない力があふれているような気がした。
「よし……と」
 激しい戦いの合間。経験によって研ぎ澄まされた勘により、旅の終わりが近づいていることを二人を感じていた。
 そんな中でアグニは倒したボーマンダの脂肪を胃袋で作った水筒に大量に詰めていた。もともと水筒に入っていた水はシデンの方に入るだけ入れ、入りきらない分は飲んで、それでも飲みきれず余ってしまった分は捨てる。
「その脂肪……どうするの? 煮詰めて……松明にでもするつもり?」
 アグニの奇妙な行動にシデンが尋ねる。
「燃やすの……もしディアルガと戦いになったとき……コリンの助けがない今きっと必要になる。そして、闇のディアルガとはきっと戦いになる……ミカルゲの時と同じように」
 これから先、戦いになるであろう。それは、探検隊の勘が告げていた。そして、ディアルガとの戦いはきっと厳しいものになるであろうことをアグニは十分に理解し、そのために万全の準備を行うのだ。
「手伝うよ……」
 シデンは自分バッグから、エアームドの羽で作られたナイフを取り出し、ボーマンダの脂肪を掻きとり、二人とも手を脂でべたべたにしながら水筒に脂肪を入れる。その脂肪を見ているうちに、シデンは何を思いだしたのか石鹸の作り方の話を唐突に話し出す。特に、海水から肉を溶かす水を作る方法を教えられたアグニは、興味深げにうんうんと頷いていた。
 なんでそんな話をしたのか、アグニにはいまいちわからないが、シデンにとっては伝えられることを出来るだけ伝えたかっただけ。石鹸の作り方が何の役に立つでもないが、何かがあった時にお金を稼ぐ手段にはなるだろうと。

「ありがとう、シデン」
 終わってから、アグニは肉を一切れ取り出して炎を灯す。肉から汁が滴り、見るからに美味しそうな音と香りが二人の食欲を刺激した。
 手で引き裂き分けて食べる間、二人は無言で、やがて訪れるであろう戦いに向けて牙を研ぎ澄ましている。もう、二人は慣れ合いをしている余裕はなかった。
 精をつけるため、そして水分補給のために二人はボーマンダの血を飲み、ボロ布で口元や手を拭う。
 そうして気持ち程度の食休みをすると、やがてどちらともなく立ち上がり、次の階層への入り口となる階段を探す。次は、普通の何の変哲もない階層だった。拍子抜けしつつも、襲い掛かる『ヤセイ』を倒してまた上を目指す。
 そうしたことの繰り返しの後、ついに開けた場所に出ると、そこは頂上だった。敵をひたすら蹴散らして、蹴散らして、そしてたどり着いた先。禍々しい気配は今までの比では無い。
 空は地獄の空でも見ているかのように、血よりも赤い紅色に埋まっている。その空からは雷のようなものが鳴り響き、今まであまりに静かであった無音の場所とのギャップの激しさに思わず二人は身をすくめてしまう。
 ディアルガが待ち構えているのが雰囲気で分かる。物陰に身を隠しつつ、二人は休む。禍々しい気配や強い殺気は、いつこちらに向けられてもおかしくはない。気は休まらなくても、それでも体を休めることに意義はあるはずだ――と、二人の意見は一致していた。
 体中の傷にオレンの軟膏を塗って、願い事の呪術を使い、傷をいやす。その状態で幾分か時間がたったろう。体のすり傷切り傷はまだ完全には治りきってはいないが、体は十分動きそうだ。
 のっそりとした動作でシデンが立ち上がる。
「……行こう」
 ドゥーンすら霞んで見えるほど(ほとばし)る威圧感に揉まれ、先導するシデンの脚は震えていた。視線の先には禍々しく歪み屈折する空間と、その先にあるどこか神秘的な祭壇。五つの窪みが視認出来るその祭壇は、時の歯車を嵌めるものだと言う事が理解出来た。
 しかし、その前に待ち構える屈折した空間。ディアルガの姿こそないものの、陽炎のような歪みがなんの意味もなくそこに浮かんでいるとは考えにくい。
 それは、時間が進む速さの緩急により、生じていた蜃気楼だ。極端な温度差で光の進む速さが変わることで発生する蜃気楼と同じ原理で、時間の歪みによる蜃気楼だ。
 その蜃気楼が発生する場所に何かがあるのは間違いなく、そこに殺意を感じるのは、研ぎ澄まされた二人の勘と経験からして間違いない。一筋縄でいく相手でないことが肌で分かる相手であった。

356:ディアルガ 


 祭壇へと向かう短い道のりは、ボロボロに風化した吊り橋を歩くような心細さを連想させた。歩くのが怖い、戻れなくなるのが怖い、一歩進むごとに底なし沼にはまっていくような言い知れない恐怖感。すぐにでも振り返って逃げたくなる。でも、進むっきゃないと思うと、シデン達は止まらない。
 はたして、その心配は杞憂ではなかった。耳を劈く轟音と共に、空気を切り裂き網膜を焼き払う紫電。視界に星が散り、それが晴れると打って変わって暗く染まる周囲の景色が二人を包む。
 突如鳴り響いた低い唸り声は、大型のポケモンから発せられるものだと嫌でも理解させる、地震の様に周囲を振動させる声で、それだけで二人は毛が逆立つのを感じる。
「お前達か、この時限の塔を荒らす者は!?」
 唸り声が意味を成す声になって二人を脅しに掛かる。声の主は、火の馬ポケモンギャロップにもよく似ている体型だが、その大きさは比較にならない。長い首と、視野が広く取れる四足歩行と細長い顔。胸には真赤な光を放つ巨大な金剛石。胸のそれを引き立てるように銀色の装飾が金剛石をはめ込む台座となっており、冷たい輝きで赤い光を彩っている。四肢には一つ一つに三つの爪が生えており、そのすべてが刀剣のように鋭く、煌びやかな金属光沢が眩しい。
 一振りで大木すらなぎ倒しそうな太い尻尾の付け根には扇状に広がる鋼の飾り毛。首にほぼ直角の角度で出っ張った後頭部。
 全身には時を象徴する蒼を基調として首筋から後頭部の先端にかけて、肩から前足、腰から後足、尻尾の左右、それぞれに禍々しい朱がラインを敷いている。後頭部に沿うようにして生える、稲妻のように曲がりくねる一対の角。出っ張った額の下にある目は真紅に光り、あふれ出る殺気を漏らしている。
「違うよ……オイラ達は時の破壊を防ぎに来たんだ。全く逆だよ」
 アグニは相手のからにじみ出る巨体ゆえの気迫に気圧されそうになりながらも、きちんと反論はする。
「時の……破壊……時の……」
 ディアルガの目は最早、開いてこそいても何を見ているのかも定かでは無い様子で、アグニの言葉を鸚鵡返しにしたディアルガは、わけも分からず咆哮する。
 技としての力を持たないはずのただの大声が、頭を割らんばかりに周囲を揺らした。
「ディ、ディアルガ……」
 再度の咆哮。今度は先ほどの五月蝿さはなかったが、纏う殺気はついにピンポイントで二人へ向けられた。
「お前達、どうしてもこの塔を破壊するのか!?」
 二人をはるか下に見下ろすディアルガからの威圧は並大抵の恐怖ではない。霧の湖で見たような紛い物のグラードンとは似て非なる、桁違いの殺気に、二人は心臓が握りつぶされそうな感覚を覚える。
「違う、そうじゃない! 自分達はこの塔が崩れるのを防ぐために、時の歯車を持ってきたんだ」
 それでも、何とかシデンは口にした。
「黙れ!! この時限の塔を破壊する者は……我が許さん」
 それだけ言ってディアルガは膝を折り、苦しそうに唸りだした。胸の金剛石も不規則に点滅している。
 その正面で二人は、時が壊れた影響で暴走したディアルガは聞き入れる様子が微塵もなく、未来世界で見たミカルゲ以上に聞き分けのないそれには、もう何を言っても無駄だということを感じられる。
「ダメだシデン……全然聞いてくれないよ」
 アグニの言葉にしかし、シデンは肌で感じていた感想を述べる。
「でも、未来世界で見たディアルガに比べれば……まだ闇に染まりきっていない。正気に戻すチャンスはあると思う。
 希望がないわけじゃない……今みたいに勝手に弱ってくれている最中に……一気に畳み掛けるよ」
 シデンは戦うつもりになって構えをとる。そうでなくとも、二人の高鳴る心臓は張り裂けそうだ。今ならどんなウォーミングアップも必要ないとばかりに心臓は準備万端だ。

「分かってる……来るよ、シデン!!」
 ようやく体調が安定したのかディアルガは立ち上がり、目を見開いて駆け出す。二人にとって十倍以上の身長差のある強大すぎる圧力の前に、二人は目を瞑ることも身を丸めることもせず、構えた。弾けるように戦闘が始まった。

357:開戦 


 四肢についた岩盤すら切り裂いてしまいそうな鋭く硬い爪に龍の波導を這わせ、トキは薪割りのごとく無造作に叩きつける。狙われたアグニはその攻撃自体は避けられたものの、塔の石畳が砕け散りその礫に皮膚を切られる。
 前脚の間をすり抜けたシデンは、ディアルガの腹の下で雷を呼び込む。ディアルガが持つドラゴンタイプと鋼タイプのうち、ドラゴンの体は電気を通しにくい。それゆえに効果は今ひとつ。
 足の下に潜り込まれたシデンの存在を感じたのか、ディアルガは駆け抜けて移動する。炎を纏った脚で左前足を蹴りつけていたアグニは、その移動と言う行為にダメージを食らう。

 突き出された脚は、濁流に押し流される流木のように太く、それでいてその樹が岩で出来ているような膨大な質量の塊。それがある程度の勢いと爪の鋭さを持ってアグニにぶつかる。
 なんの波導も持っていない上に、攻撃でさえないその行為がアグニの右肩を切り裂いた。
 ディアルガの脚の間に逃げたアグニは自分の怪我を確認する。傷は一応浅く、皮一枚切れたくらいで縫う必要もないだろう。痛いし、血も出るが構っていられない。
 ディアルガが振り向く前に、アグニは振り向いて炎を繰り出す。そこに左前足が来ることを見越して一発。
 その辺のポケモンが全力で行う以上の攻撃力を伴った移動を終えたディアルガが正対する。左前脚の未来位置を予想して放った火炎放射は外れたが、狙いを修正してアグニは炎を吐き続ける。そうして火炎放射が左前脚にあたった矢先に、カタカタと地面が震えた。
(ディアルガはオイラを見てる……という事はオイラに攻撃が来る)
 アグニは、すぐさま炎を中断して腕を振り上げるようにして一目散に左へ逃げる。ディアルガが繰り出した技は、岩を落として攻撃する原始の力と呼ばれる技。通常ならばそこまで強い技ではないのだが、トキの巨体から放たれるその技は、あまりにも他とかけ離れすぎている。
 アグニ以上の体積と、アグニを遥かに上回る質量を持っていると一目で分かる岩が宙を舞い、空を跳ねた。先ほどまでアグニのいた場所から、アグニが逃げていた左方向の少し先に岩が放たれる。砕け散った礫を避けるために、アグニはヘッドスライディングで伏せながら地面に滑り込んだ。所々ひび割れた石畳によって、体の前面に擦り傷が刻まれ、さらにアグニは痛みに呻く。
 すぐさま立ち上がろうとしたアグニに、再度龍の波導を纏った爪が振り下ろされる。弾かれるようにアグニは極端な前傾姿勢から走り出す。
 それを追うディアルガの足を、シデンが麻痺させる事に特化した電撃で止める。流石に敵が大きすぎて効果が薄い。だが、僅かに鈍った攻撃は狙われている最中のアグニにとってずいぶんと避けやすくなった。
 アグニは小回りの利かないディアルガから向かって左に避けて、左前足を狙う。ディアルガに振り向かれる前に、左前足を燃える両脚で蹴り飛ばし、その反動で一撃離脱。
 ディアルガはさらにアグニを睨みつける。

「またオイラ……」
 ディアルガの口に蒼い光く輝く。闘気の波導を限りなく純粋に込めた必中と称される追尾の一撃、波導弾。
 だが、いくら必中の一撃とは言え、脚下に潜り込まれてはその追尾も形無しだ。
「アグニばっかり狙って……自分も狙え、この」
 アグニは股下に潜り込んでしまい、仕方なくディアルガが対象をシデンに変えようと思ったら、そのシデンは右足の爪の間にナイフを突き立てていた。
「ショタコンサディストめが!!」
 突き刺さったナイフを抜かずに、シデンはディアルガの左側に駆ける。
「よそ見するな、ディアルガ!!」
 アグニの炎を纏った渾身のミドルキックがディアルガの踵を弾く。膝を折りかけたディアルガは何もすることなく、苦しそうに首を折る。胸の金剛石の点滅がひどく乱れた。
 その隙に、二人は脚へ存分に攻撃を叩き込んでいたが、数秒後にディアルガが行動に出た。周囲の大気を思い切り吸い込み、尻尾に付いた扇状の飾り毛が発光しながら広がり、肥大化する。胸の金剛石が輝いて空気が張り詰める。
 何が来るかは分からなくても、それが強力な攻撃である事は嫌でも分かる。途端に体毛が逆立つこの雰囲気は、未来で見た時の咆哮と呼ばれる技に一致した。

 渾身の威力を込めたディアルガの殺意が爆ぜる。未来で見た直線的な型とは違い、周囲にまんべんなく広がる、まさしく咆哮といった様相の必殺技。全身が耳になったような状態で耳元で声を張り上げられたような感覚。耐えがたい痛みが全身に駆け抜けた。
 二人の体は原形をとどめているが、床の石畳はところどころに小さなヒビが入っており、それが技の威力をうかがわせる。
 体がバラバラになったんじゃないかと、そんな考えがアグニの脳裏に掠め、技の衝撃で地面に投げ出されたシデンはあの目眩を感じて、こんな時だというのに時空の叫びが意識を塗りつぶしていく。

358:祈り 


 意識が混濁するほどの激痛の中、シデンはこんな時に時空の叫びを見た。もう、幻の大地の外はすでに星の停止が起こっているらしい。
 時間が止まった沙漠の街では砂嵐が止まっていた。砂嵐が太陽を覆い隠した時は空が赤くなり、そして赤い空は不吉の象徴と言われて一般人は頭を上げることは許されない。それがいつの間にか、砂起こしの特性を持つバンギラスとカバルドンを畏れ敬うことに変形され、上の身分としてひれ伏すことにつながったのだが。
 沙漠の街では、砂嵐が止まったことにより、混乱が起きていた。沙漠を治める神官を務めているバンギラスやカバルドン達が砂を起こすことは出来ても、自然に発生した砂はどうにもならない。誰のせいだ、奴のせいだという罪の押し付け合いで少しでも怪しいもの達が何人も生贄とか粛清という言葉で殺され、その矛先が向けられる前にMADのジャダ=アーボックとスコール=ドラピオンとその兄弟はダンジョンに逃げ込んでいる。
 出来る限り暴動を止めろとリアラに言われたが、結局それが出来ないことに情けなさを覚えつつも、ダンジョンまで逃げきれたことにスコールは安堵する。盗賊生活で身に着けた引き際の勘は幸か不幸か、ギリギリを見極められたという感じだ。大人達に追いかけられたスコールの兄妹はひどく怯えているあたり、不幸だったのかもしれない。
「ディスカベラー……コリン……リアラ様。頼みますよ……」
 泣いている弟達を必死でなだめているスコールを見ながら、ジャダは英雄となるべき者達の名を呼び、静かに勝利を祈る。

 既に周囲が完全に時間を止めてしまった水晶の街で徒党を組んで暴れている者達を遠く離れたところで見守るのは、かまいたちのメンバーであるエッジ=ストライクと、リーダーであるマリオット=ザングースの叔父、ヴァッツノージ=ガバイト。
 残る二人、ペドロとマリオットはペドロたっての希望で、親とはぐれた子供達の避難の誘導をしている。
「ヴァッツさん……歯がゆいですね」
「そうだな。見ているだけしか出来ないというのも……」
 残った二人は、争いの動向を確認するのが仕事であり、避難誘導した方向に飛び火しそうであれば、すぐさま知らせてくれと言われていた。しかし、暴動じみた大混乱は収まる様子もなく、金の奪い合い、火事場泥棒。それを止めるべき立場にある軍部警察も、民間人を虐殺に回る始末だ。
 もう何の意味も無くなってしまった正義という言葉を盾に、家に隠れていたがあぶりだされてしまった無力な人々が焼かれ、家から飛び出した子供が嬲られる。女性が犯され、放っておけないが、だからと言って飛び出せば自分が殺される可能性がある。
「こっちに、何人か逃げてきますね」
「追ってくるのは、三人だな」
「ですね……それくらいなら行きますか、ヴァッツさん」
 三人ならば勝てると判断したのか、エッジは屋根に伏せていた体勢から腰を上げる。
「命は一人一つ。それをどう捨てるかはそいつ次第だ……だが、今のお前じゃ捨てるにはもったいない。危なくなったら最低限一人で逃げろよ?」
 これは探検とは違うんだと、念を入れるようにヴァッツは言った。
「貴方が来るなら十人いたって問題ないですよ」
 言われなくてもわかっていると、態度に出しつつも冗談めかしてエッジは言葉を返す
「じゃあ、十一人来たらお前は逃げろ」
「ええ、そうさせてもらいます」
 苦笑しながらエッジは言って、翅を広げて跳ねて飛んで、逃げ惑う一般市民の元に向かう。後ろには伝説の探検隊が一人、ヴァッツノージ。
「ディスカベラー……俺達が助けられる数なんて僅かなんだ……だから早く、頼むぞ……」
 そんな二人の頑張りも、いつかは無駄になる。根本的な解決が出来なければだめなのだと、エッジはディスカベラー達の無事を祈った。


 だだっ広いトレジャータウンでは、ギルドメンバー総出で暴動の鎮圧に当たっている。不安がる子供達とにらめっこをして遊んでいるソレイス親方、癒しの鈴で皆の心をなだめるレナ。
 そう言った方法で暴力よりも平和的に物事を収めようとしているメンバーもいれば、大声で動きを停止させようとするラウド。一人暴れていたものを徹底的に破壊しつくして恐怖を植え付け従わせるリアラのように、思い思いの方法を用いている。
 それらの行為を行う者達の気持ちには、争いが嫌だからという単純な気持ちももちろんあったが、シデンやアグニ達が帰って来られる場所を確保したいと、強い願いが込められていた。
「頑張るんだよ、コリン」
 リアラが祈る。同様に、ギルドメンバーも、トレジャータウンの住人も、ディスカベラーをよく知る者は彼女らのために祈った。

 ◇

 ここまでの光景は、全部時空の叫びの幻影だ。
(これは時空の叫び……今のは過去の光景なのか……未来の光景なのか、わからないけれど……)
 その思いを受け止め、時の咆哮のダメージを受けてなおシデンは立ち上がる。
「アグニ……みんな、私達のために命懸けで戦ってくれている……私達も頑張らなくっちゃ」
「シデン、でもオイラ……もう体が……」
 言いかけて自分の手を見ると、アグニの視界は驚くほどに鮮明だった。時の咆哮を受けた内臓やら筋肉のダメージは半端なものではないと言うのに、何がどうなってこういうことになったのか、アグニはすぐに理解した。
 今のアグニはいわゆる猛火状態というやつだ。

359:猛火 


「シデン、脂の準備を」
 未来世界で見た時の咆哮の後には長い硬直があり、その隙を突いてやるとアグニはディアルガの前へと駆け出す。走り出す彼の手には、リアラがコリンへと渡しコリンが放り捨てた闇の結晶製のナイフ。アグニは走っているうちに、両手を自由にするため、その闇の結晶のナイフを口に咥える。
 両手を自由にしたアグニは、ロッククライムの要領でディアルガの足爪から胸の飾り、胸の飾りから稲妻形の角へと駆け上がる。
 シデンは、バッグから乾燥させたボーマンダの獣脂を取り出し、ダメージの影響で足をふらつかせながらもアイアンテールを水筒にぶつけて中身をぶちまける。その大半はディアルガの体にこびりつくことなく滴り落ちてしまったが、それでも火をつければ盛大に燃えることは間違いなさそうだ。

 アグニはナイフを右手に逆手で持ち、右角をつかみながら横薙ぎ一閃。傷の治りが遅くなるといわれた闇の結晶ナイフで右目を潰した。背の高いポケモン故であろうか、高い血圧に押し出された強烈なまでの鮮血がアグニの顔に降りかかった。
 目を潰されると同時にディアルガが叫び声を上げる。鼓膜をつんざく叫び声からアグニは耳を塞ぐ。重力に従って手を離して落ちようとしたとき、アグニの目にはすべてが拳法の基本動作練習のようにスローモーションに見えた。このスローモーションも猛火の影響だ。
 その状態でアグニは、驚くほど短い時間で、正確に狙いを定める。アグニは大きく開けられたディアルガの口に出の速い炎技、火の粉を直接吹きこんで喉を焼く。ディアルガの叫び声が金切り声へと変わる。

 ディアルガがゆっくりと膝を折る間に、アグニは落ちながらも、器用に曲がる左足でディアルガの胸の飾りを掴む。図らずも尻の炎が獣脂に引火、ディアルガの体中を炎が這う。その際にアグニは装飾をつかんでいた左足を離し、左手に持ち替える。
「必殺」
 アグニがその宣言をせずとも、シデンは今の彼へ近寄るほど馬鹿ではない。猛火状態であり、ボーマンダから掻き取った獣脂の炎を味方につけている今の状況は、近寄ることは味方でさえあまりに危険だった。
「メガ・ブラボー」
 無色透明の炎は陽炎のみでしか視認出来ない。全てを焼きつくす業火がアグニの拳に纏わされ、強かにディアルガの胸へと打ちつけられる。ディアルガの胸の金剛石がアグニの小指の爪程度崩れる。
 膝を折っていたディアルガは、足を崩してこうべを垂れた。ディアルガの胸に引火していた炎が足元の脂にも引火して、辺りは炎に包まれる。すべての炎の力を使い切るメガブラボーではあるが、アグニにはもうひとつだけ使える炎の技の準備を始める。
 先ほどのメガブラボーでディアルガの全身が燃え、シデンが電気を流し続けて足止めしているうちに、コリンの荷物に残されたヒメリの実の加工品、ピーピーマックスを一口飲む。
 そうして最低限の活力を確保すると、その瓶は放り投げ、アグニは最後の必殺技を発動する。獣脂に燃え移って躍る炎はその舞踏のクライマックスを飾るかのようにアグニの周りに集まりだす。ディアルガがもがいている間に轟々と燃えていた炎が、アグニのくるぶしほどの高さになるまで小さくなったとき、アグニは常識外れの高温で足元の石畳を融解、そして沸騰させていた。

「これで終わりだ」
 アグニは跳躍して胸の装飾を掴んで張り付く。
「大・炎・上!!」
 宣言とともに、死の宣告ともとれるような眩い閃光。網膜を焼きかねない光量は、とても直視出来るようなものではない。あまりの眩しさにシデンが目を掌で覆ったまま数秒。終わってみれば、おそらくは大切な部分であろうディアルガの金剛石は黒く焼け焦げて見る影もない。
 微動だにせず倒れているディアルガの横で同じように倒れるアグニを見て、シデンは安心すると同時に力が抜けた。
「アグニは……ただの酸欠と疲労かな? 大丈夫、死にはしないはず……ディアルガが倒れている今のうちに時の歯車を収めなきゃ」
 時の咆哮のダメージは、当然まだ残っている。しかし、もう戦いが終わるんだと言う安堵が、痛みを押してそれをするだけの力をシデンに与えた。
 ゆっくりと、今までの旅の思い出を噛み締めながら歯車を嵌める。二つ嵌めたあたりで、大きな異変が起こった。
 地面の振動が、強い。今までも振動はあるにはあったのだが、それにしたってこの振動は強すぎる。今までよりはるかに大きな振動に、ぐったりしていたアグニまで飛び起きて周りを見渡す。
「何これ!? すごい揺れ……今までの揺れなんて比べ物に……シデン!!」
「時限の塔が崩れようと……まずい、世界は星の停止に向かって一気に加速しているんだ」
 物思いに浸っている間は無い。シデンが急いで一つを嵌めると、横から現れたアグニがもう一つを掻っ攫い嵌める。最後の一つをシデンが嵌める。
「揺れが止まらない……どうして? もう、手遅れなの? あんな無駄なことしていなければ……」
 現実は無情だった。タッチの差で遅れたのは、虹の石舟での性行為のせいでは無いかとシデンは歯噛みした。その状況にシデンすら絶望した中、アグニは冷静に記憶の糸を引きずり出していた。
「曲がりなりにもディアルガは時の神……確か、ディアルガは心臓を動かすたびに時を安定させるって……いう伝説があるけれど……
 そうだ、戦闘中に苦しんでいたのは、心臓が悪かったからなんだよ。苦しんでいるときは決まって胸の点滅が……今は点滅すらしてない。
 サイモンが言っていた……ディアルガの心臓も貴方達なら動かせるって。シデン、電気ショックで心臓を!! 多分、時の歯車の点滅に合わせてリズムを取ればいいと思うんだ……」
 シデンは迷うことなく走り出し、ディアルガの胸にある巨大金剛石に頬を当てる。心臓は止まっていた。

360:歓喜 


「リズムは時の歯車と同じ……なんだね?」
 トキの胸に手を当てつつ、シデンが尋ねる。
「わからないけれど……多分」
「わかった、君の勘を信じるよ、アグニ。だから、時の歯車の光にあわせて合図して!!」
「分かった……………ハイッ!!」
 アグニの合図を頼りに、シデンは電気を流す。バチンッと電気の弾ける音と共にディアルガの体が跳ねる。
「ハイッ!!」
 ディアルガの体が跳ねる。跳ねる、跳ねる、跳ねる――その間にも、揺れは勢いを増していた。
 あまりにじれったくて、もっと速いリズムで電気ショックを打ち込みたくなる。だが、それは出来ない。
 やがて揺れは、その轟音でアグニの声さえ掻き消すほどになり、突如白光が辺りを包む。
 それを、シデンは絶望と見ていたのか、アグニと一緒にいられると思い希望と見たのか、時の停止が防がれたと思い歓喜したのか。

 しばしの暗転から二人が意識を取り戻した時、ディアルガは四つの脚で大地を踏みしめていた。
 その体に以前のような禍々しい朱は存在せず、時を象徴する蒼を纏った神々しい姿になっている。アグニによって傷付けられた目は流石にまだ潰れていたものの、胸の焦げ付きは癒えている。
「ディアルガ……」
 仰向けに倒れ伏していたシデンが、その巨躯を見上げて呆然と呟く。

「そんな不安げな表情をせずともよい。正気は……取り戻した」
 膝を折り、完全に休むような体勢になって、それでも合わない視点の高さを無理やり合わせるように、ディアルガは首を折ってシデンを覗き込む。
「お前もだ……ヒコザルよ」
 そして、アグニの方へも首を曲げてそう言った。脚にも眼にも大怪我を負っていながら見せる表情は存外に穏やかだ。わずかにひきつっているところを見ると痛いことには変わりないようだが。
「時限の塔も大分崩れ……私の心臓も永きに渡り不整脈を患っていたようだが……何とか持ちこたえた。お前達のお陰だ。世界は無事だ……」
「本当? それ、本当なの?」
 アグニが駆け寄り、首を立てたディアルガを見上げる。
「あぁ、これを見てくれ」
 刹那、胸の金剛石が煌いた。その光を直視すると、二人は不思議な幻影に包まれる。鳥ポケモンに乗って空中を散歩しているときに似た、俯瞰(ふかん)。やたら広い範囲を遠くから見ている割にはムクホークやヨルノズクすら凌駕するんじゃないかと思えるほど全てが鮮明に見える。
 遠くから見ているのに毛の一本一本まで認識出来そうな鮮明な風景は、それだけでも感動を受けるほど衝撃的だ。そしてそれ以上の嬉しい出来事が目に映る。
「こ、これは……」
 アグニは、口から何の意識もせずにその言葉が漏れる。
「キザキの森……綺麗」
 シデンが掛け値なしにその光景を褒め称える。
「そうだ。キザキの森は時が止まっていたはずなのに……時間が、時間がまた動き出している」
「あぁ、そうだ」
 アグニの言葉を適当に肯定して、ディアルガは映像を映し変える。
 次に見えたのは、活気に満ちたトレジャータウンの光景。こちらでは知り得ないことだが、恐らくは時限の塔の揺れが激しくなっていた時か、あるいはもっと前か時間が停止する現象がついに起こったのであろう。それによってひと悶着あったようだが、時が正常に流れ出したのを見て、多くの者が天を仰いでいる。
 誰もが世界の終わりを予感していたのに、また世界がよみがえったと言う事実が人々に大きな安堵を呼んでいるようだ。
「皆……元気そうにしている」
 アグニはそこから先、もう言葉にならなかった。
 そして最後の映像。所々壊れながらも、崩壊が食い止められた時限の塔が映し出された。
「時限の塔は……何とか崩れ落ちずに残ったんだね。自分達がした事は無駄じゃなかった」
 感慨深くシデンが呟き、そこで映像が終わる。

「時限の塔は残り、時が戻った事により……止まっていた各地の時間もまた動き始めた。星の停止は免れ……世界の平和は保たれたのだ」
「ほ、本当? 嘘じゃないよね!? 夢じゃないよね!?」
 アグニがディアルガに擦り寄って、期待の眼差しを向ける。
「夢かどうかを私が証明する手段は無い……だが、嘘じゃない」
「やったぁ!!」
 二人の声が重なった。手を繋ぎながら、度の過ぎた社交ダンスのようにくるくる回り、跳ね回りながらはしゃぐ二人に、ディアルガは穏やかに微笑む。
「礼を言わせてくれ……よくぞ幻の大地まで到達し……暴走する私を恐れず、時限の塔の破壊を食い止めてくれた。
 確かに、ラプラスを含む、複数の者達の力を借りたとは言え……並大抵の決意や意志で出来るのもではない。ありがとう、お前達のお陰だ」
 神でありながら後ろ足を伸ばしたまま前足を曲げて鼻先を地面にこすりつける。四足式のポケモンがする謝礼の中でも、最上級の所作である。
「ディ……ディアルガ。神様がそんな……」
 流石に、それにはアグニも戸惑った。
「気にするな。神とて、感謝の気持ちの表し方はお前達と変わらないのだ。だが、まだ全てが終わったわけでは無い……私はこれからすぐに時限の塔を修復し、この心臓も治さなくてはならない。不作法かもしれないが、もてなす暇もないことを、どうか容赦してくれ……
 幻の大地は大分荒れてしまったが、それでも虹の石舟は動くだろう。サイモンも、故郷で待つ者もお前達を待っているはずだ。
 胸を張って帰るといい……お前達は、英雄を名乗る資格がある」
 ディアルガが、力強い言葉で二人を激励する。胸にこみ上げた思いが、アグニの体を震わせた。

361:兆候 


「はい」
 アグニはひとしきり喜びをかみしめた後、笑顔でしっかりと頷く。育ての親や親方に褒められたときよりも嬉しい、ただただ光栄としか言いようのない高揚感を感じる。
「シデン……帰ろう。トレジャータウンに」
 アグニはシデンと顔を見合わせて、手をつなごうと差し出す。これまで、普通の人生ではありえないようなことを何度も何度も体験したこの旅の中、今見せたアグニの笑顔が何よりも美しかった。
 疲れを全身に帯びている憔悴しきった顔。思わず気弱になってしまいそうなほどの疲労でありながらも、もうすぐ休める、全部終わった、やり遂げたんだと、達成感のおかげでアグニの疲れもどこかに行ってしまったらしい。
 それを見て、それだけでシデンは思ってしまう。
(来て、よかったな……)
 自分も疲れているのを忘れて、シデンは笑顔になった。
「さぁ、またダンジョンを通って塔を降りるのは辛かろう。一方通行ではあるが、塔の下まで一飛びでいける場所へ案内しよう」
 先導するディアルガに、二人はついていく。シデンに、ディアルガの心の声が届く。
【お前は、それでいいのか? 私ほどの超越者であれば、この大規模な歴史の改変にも耐えられるが……お前は大丈夫なのか?】
 気がつけば、隣を歩いているアグニの目が虚ろだった。ディアルガの力なのだろう、心だけ時間を止められているような高度な技でも使っているのであろうか、足取りが危なくないのが妙に気味が悪い。
【うん、良くないし、大丈夫じゃない。でも……】
 シデンは、ディアルガに笑みを見せた。
【それを補って余りある嬉しさがあるから。そりゃ、出来れば自分の子供を育ててみたかったりとかしたかったけれどさ……でも、アグニ達が作ってゆく世界を想像する……それだけで、嬉しいの】
 シデンが見せたのは偽りのない笑顔だが、同時に零れ落ちた涙はそれ以上に切実であった。
【分かった。もう、何も言うまい。もし体が重くなって来たら、その時は……】
【消えるんだ?】
 ディアルガは頷いて、それっきり、ディアルガは何も言うことはなかった。

「さぁ、ここだ」
「うん、ありがとうディアルガ」
 ディアルガの声を聞いて、アグニは正気に戻ったように声を掛けた。
「そうだ……全員自己紹介をしていなかったな。私はトキ……お前達は?」
 ディアルガは大きく振り向いて、二人を見た。
「オイラがアグニで……」
「自分がシデン」
「永遠に……その名を刻ませてもらおう。本当にご苦労だった」
 トキは最後にもう一度頭を下げて二人を見送る。
「うん……それじゃあ、バイバイ」
 手を振り、アグニは金属のようなもので幾何学模様が刻まれた特異な床、ワープゾーンへ一歩踏み出しトキの前から姿を消す。
「アグニは行っちゃったか……私も貴方と同じ……高次の超越者になりたかったな。歴史を変えたところで、その影響を受けない……」
 最後に、悲しげなシデンが触れれば折れる枯れ草のように弱々しい言葉を聞いて、ディアルガも折れそうになった。

 ◇

「アグニ……何をやっているの?」
「コリンに……オイラ達の成功を伝えるんだ。オイラ達はやったよって……」
「そう……私もやっていいかしら?」
「もちろんだよ」
 シデンの提案に一も二も無くアグニは快諾する。
「未来に、光あれ……」
 時限の塔の壁をガリガリと削り、シデンは溜め息をついた。心なしか、体が重くなってきたような気がする。自分が消えてしまう兆候なのだろう。
(まだ、もってよ……私の体)
「そう言えばさ、アグニ……」
 気を紛らわせようと、シデンはアグニに声をかける。
「どしたの、シデン?」
「いや、アグニは電気ショックで止まった心臓を動かせることがあるなんてどこで知ったのかなって……」
「あぁ、それは母さんがね……母さんがデンリュウで、海で溺れてたりして心臓が止まっている人がいたらそうすることで助かることもあるって言っていたから……オイラも、実戦じゃ使えないけれど、雷パンチくらいは使えるんだよ」
「そうなんだ。芸が多いのはいいことだね」
「うん。母さんには感謝しなきゃね……帰ったら、枝の手入れでもしてあげるかな」
「やることが、一杯だね」
「そりゃもう、沢山だよ。でも、忙しくなることはないと思うし、いいんじゃないかな? ゆっくり、やろうよ。時間はたくさんあるんだ」
「時間はたくさん、か……」
(私には、もうそんな時間ないのにね……)
 こうして、文字を刻み付けている間にも体がどんどん重くなっていく。もう長くはなさそうだ。
「どしたのシデン?」
「なんでもないよ。私はもう文字を刻み終わったけれど、アグニは?」
「待って、もうちょっと……」
 シデンに急かされて、アグニは急いで文字を刻む。
「よし、OK」
 そうして、自分が書いた文字がきちんと読めることを確認し、アグニは満足そうに一人うなずく。
「終わったら早く行こう、皆待っている」
 シデンは立ち上がった。どうせ消えるなら皆にもお別れを言いたい。だから、急かすように自分が立ち上がることで、アグニが立ち上がらざるを得ない状況を作る。

362:時間切れ 


「そうだね。帰ろう……まずは、いっぱい寝よう。そしたら、いっぱい食べていっぱい話そう……みんな、質問攻めにしてくるだろうからさ、今から受け答え考えておかなきゃ」
 意気揚々としたアグニは、これから起こる事を夢にも思っていないのだろう。それが辛くて、また涙を流そうとした時に違和感が体の中に走った。シデンの足取りは急速に重く呼吸も苦しくなる。眼も霞ん出来た。
「どうしたのシデン? 眩暈でも起こした? おぶってあげよっか?」
(足に重りが付いているように体が重い。尻尾も支えきれる気力がない。私、死ぬのか)
「わ、揺れだ……」
 また、時限の塔に地震が起こる。

「まだ完全には収まっていないのかもしれないね……。でも、これ以上はオイラ達にどうにか出来るわけでもないだろうし……行こう」
 そう言ってアグニはシデンを置いて六歩ほど歩いた。そこでようやくもってシデンが付いてこないことに気がつく。振り返ってみればシデンは、うつ伏せに倒れて尻尾と耳をへたらせていた。
 その様はさながら萎れた青菜のようで、いつも元気溌剌なシデンを見慣れていれば、一目見て異常以外の何物でもない。
「あれ……シデン?」
 そして、トドメは光。シデンの周りにぽつぽつと、蛍のような光が浮かんでは消えていく。山吹色のその光は美しいと言えばそうだが、シデンの体から噴き出される様子が、まるで命を吸い取っているような印象を受けた。
 ゴクリと唾を飲んで、アグニは尋ねてみる。
「シデン、どうしたのその体……?」
 シデンは、何も言えなかった。
「どうしたのさ、何か言ってよ!!」
 アグニがシデンの肩に掴み掛って、ようやくシデンは重い口を開く。口が重いのは、きっと消滅が近付いているせいだけではない。
「ゴメン……アグニ」
 大粒の涙が、光を伴って瞼に溜まり、あふれ出ては黄色い体毛をぬらす。突然の謝罪を受けて、アグニが肩を掴む力は卵も持てないほどに弱くなっていた。
「ゴメン、アグニ……ずっと話さなくって」
 グスッと、シデンは鼻水をすする。
「どうやら、ここでお別れみたい」
「お別れ……って何? どういうこと!?」
 シデンの告白へオウム返しに聞き返し、アグニは再びシデンを力強く掴み揺さぶった。
「超越者……確かに時渡りの経験をすれば超越者になれる。多少の歴史の変動が起こってもその存在を保てる……けれど……星の停止を防ぐほどの変動は、『多少の』ではないんだ。だから、ディアルガはともかくとして……自分も、未来世界と共に消える運命にある」
 シデンの肩に、アグニの爪が食いこんだ。

「どうして!? わけがわからないよ」
 思えば虹の石舟では明らかにシデンの様子がおかしかった。いくらなんでもあんなところで性交を望むなんて、普通に考えればありえない。その事実と、コリンが話した内容と照らし合わせれば、馬鹿ではないアグニならば大体の事は理解出来た。それでも、理解したくなくって、シデンへとさらに説明を求めた。
 肩に食い込んだアグニの爪が痛い。けれど、その痛みはこの世界へ確かに存在しているという証のようで、むしろ嬉しい。
「よく、聞いて。今まで、本当にありがとう。自分はここで消えてしまうけれど……でも、アグニのことは一生忘れない」
 いつもは、こういうときは言いたいことが多すぎて言葉にならないと思っていたのに、不思議とシデンはすらすらと言葉を紡ぎだせた。
「ちょっと待って……オイラ、シデンがいたからここまで頑張れたんだよ? シデンがいたから、強くなれたんだよ? シデンがいなくなったら……オイラは何をどうすればいいっていうのさ?」
 アグニの顔が近い。目と鼻の先とは言うが正にそれほどの距離だった。息遣いどころか、瞼をしばたくの音まで聞こえてきそうだ。
(これなら掠れた声でも聞こえるね……)
「駄目だよ、アグニ。いつかコリンが言ったけれど自分は、君の保護者じゃないって……コリンにも、自分にも何度も言われたんじゃない? だから、一人でも強く生きるんだ。
 そして、生きて帰って……ここであったことをみんなに話すんだ。こんなことは、もう二度と起こさないためにも……」
「生きて……帰る……」
 アグニの中で、コリンとの夜の会話が頭をよぎる。
『シデンが望むことをしてやれ』とコリンが言ったが、それはこういうことだったのだと、涙で暈された視界を眺めながらアグニは歯を食いしばる。
「本当はね……虹の石舟に乗った時点で言うはずだった」
 シデンの口から洩れる言葉は、懺悔するような声だった。

「けれど、それを言ってしまえばアグニは歴史を変えられなくなるんじゃないかって……自分は君を疑った。アグニは私の死が恐ろしくなってディアルガを倒せなくなるんじゃないかと疑ってしまったんだ……最悪だね、自分……パートナー……失格だね」
 シデンが泣いて懺悔する。
「アグニ、そんな自分でも愛してくれるかな? 本当は、アグニの愛しているって言葉、ずっと苦しかったの……自分が、君を騙しているようで……」
 シデンの肩に食い込ませたアグニの爪から力が抜けた。アグニの目から流れ落ちる涙は、鼻水まで総動員しても足りないくらいに激しく、前もまともに見えなくなっている。

363:約束する 


「馬鹿……オイラを疑ったのも、わかりきった答えを聞くのも……馬鹿だ。一人で悩んで、抱え込んで……どうして!? オイラに相談すればよかったのに……結果は何も変わらなくっても、すっきりすることが出来たでしょ?」
「本当だね……否定なんて出来ないよ……」
 引け目を感じた目でシデンは頷いて、鼻水をすする。そろりとシデンの肩からアグニの手は離れ、腕が胴に回された。
「でも、赦して、くれる?」
「わかってる……オイラは」
 腕に力がこもり黄色の体毛が茶色の体毛の中に埋まった。
「シデン……オイラは、君を一生離したりしない。約束する」
 シデンを包む光が強くなる。

「シデン、君からもらった愛も、温もりも、その姿も、やり遂げたことも、全部……忘れない。
 だから、安心して……強く生きて見せるから。シデンを最後まで支えてあげることを、コリンと約束したから」
「うん」
 悲しみと喜びをないまぜにした顔でシデンは頷いた。
「そう、じゃあ……もうひとつお願いしちゃっていいかな?」
「うん、なんでも」
 アグニは頷く。さっき拭ったばかりなのに、もう涙で前が見えない。
「どうか、幸せに生きて。私の分も」
 シデンは穏やかにアグニへ笑い掛ける。アグニはもう何も考えられなくなって、ただ、シデンの体を引き寄せ抱きしめる。それが、今やるべきことなのだろうと確信してシデンに自身の温もりを刻みつけた。
「一緒にギルドで修行して……一緒に冒険出来て……一緒に語り合って、一緒に危機を乗り越えて、戦って、立ち向かって、世界まで救って……石舟では処女もささげられた。すこし、焦りすぎたけれどね……アグニと出会えて本当によかった……」
 毛皮に埋もれたシデンの口から、そんな声が漏れだす。アグニの腹は、すでに体毛だけでなく皮膚まで涙に濡れた感覚が届いている。
「でも、ゴメン……せっかく友達になれたのに」
 シデンの口からしゃっくりが漏れる。声を押し殺して、シデンは目をつむった。
「そうだよ、シデン……君はオイラにとって……何よりも大切な」
 シデンを見下ろすアグニの目から、涙が滴ってシデンの顔を濡らす。
「うん、自分もだよ」
 シデンは、アグニの体を突き放すようにして仰向けの姿勢をとる。
「アグニ……最後に顔をよく見せて」
 黙ってうなずいて、アグニは涙をぬぐう。アグニは、山吹色に輝くシデンの笑顔を見た。
 涙をぬぐって、シデンは見上げる。ぐちゃぐちゃに泣き腫らしているアグニの顔を見た。
「ひどい顔、最後なのにもっといい顔見せられないの?」
 どこまで本気なのか穏やかな表情を見せて、シデンはそう言った。
「今は無理かもしれないけれど、いつかは笑ってよ……」
 シデンがアグニの顔を撫でる。その手は今にも枯れ落ちそうなほど何の力も入っていない。
「君は……自分を絶対に離さないって言ってくれたから、私からもお礼に……一生離さない。一生愛してる……だから」
 最後の言葉を言おうとしたその時、シデンの全身から激しく光が漏れる。シデンの姿が見えなくなるほどに包み込んだその光は、彼女の最後の言葉も、表情も、全て覆い隠した。
 シデンが消え去ったそこに、彼女がつけていたスカーフとバッグが地面にパサリと落ちる。
 最後の最後でシデンが破られることのなかった宣言を有言実行した後に残るのは、先程まで何かを強く握りしめていた白く色が変わった指先。そして、それが徐々に赤味を取り戻して余韻すらも消え去っていく様子を、黙って見守るアグニの姿だけであった。








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コメント 

お名前:
  • >2013-11-03 (日) 02:46:36
    大体はお察しの通りなのです。ダークライの件がなかったら、アグニを成長させるためにも消えたままにするのが神としての役割だったかと思います。
    シデンを復活させたのも、おそらくは苦渋の決断だったのでしょう。ソーダは……私ももうすこし救ってあげたい気持ちですw

    テオナナカトルは、その通りコリンたちの世界の未来ですね。すでにコリンたちの戦いは神話になっているようです
    ――リング 2013-11-22 (金) 00:37:02
  • ふむふむ、こうして読むともし原作のストーリーにダークライの話が無かったら、リングさんバージョンはシデンが復活しないまま終わってたのかなって思いますね。

    ソーダがちょっと可哀想でした。

    テオナナカトルって多分、コリンたちの世界の未来の話ですよね?
    ―― 2013-11-03 (日) 02:46:36
  • >狼さん
    どうも、お読みいただきありがとうございました。
    『共に歩む未来』のお話では、もう一つの結末というか、私としてはこちらのほうがよかったという結末を書いて見ました。
    ディアルガのセリフから察するに、本当の未来はシデンが生き返らない方であったという推測が自分の中でありましたので……。
    こんな長い話ですが、読んでいただきありがとうございました
    ――リング 2013-06-26 (水) 09:49:35
  • 時渡りの英雄読ませていただきました。私は探検隊(時)をプレイしたのでだいたいのことはわかるのですが時渡りの英雄ではゲームとは違ったおもしろさがありゲームではいまいちでていないところまで実際そんなストーリーがありそうな気がしたり(当たり前か)してとてもおもしろかったです。
    『ともに歩む未来』では[シデン]が蘇らないのかと思ったら[アグニ]の夢というおち、少しほっとしたり…。
    これからも頑張ってください。
    ―― ? 2013-06-17 (月) 21:31:32
  • 時渡りの英雄これから読んでいきたいと思っています。
    時渡りの英雄は10日ぐらいかかると思われます。
    読むのが楽しみです
    ―― ? 2013-05-25 (土) 02:02:01

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Last-modified: 2012-04-13 (金) 00:00:00
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