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時渡りの英雄第23:最後の冒険・前編

/時渡りの英雄第23:最後の冒険・前編

時渡りの英雄
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346:超克 


「コ……リン」
 シデンは、肉球の色が赤に変わるほど拳を握り締めて、大粒の涙を流す。その横で、無表情に虹の石舟の起動音が大きくなる。
「虹の石舟……もう、今にも動き出せそうな……」
 アグニがふらりと一歩踏み出す。
「時の歯車を……時の歯車を……集めなくちゃ」
 熱に浮かされたように、アグニはコリンが落とした荷物を拾う。歯車。甘いお菓子。ピーピーマックスと呼ばれる活力をよみがえらせる薬の原料となるヒメリの実。
 今度はシデンも一緒になって、肉を切るためのナイフや、リアラから譲り受けた闇の結晶のナイフ。治療用の針や糸。強い酒。マゴの実とゴスの実。そして時を刻む懐中時計。その一つ一つの重みをかみしめて、最後にシデンはアグニに当てたコリンの手紙を、アグニにだけは絶対に見られないようにバッグのなるべく深いところへ入れる。
 バッグに入りきらない分の食糧はシデンと半分に分けて食べる。
 味なんて分からなかった。しばらく、噛み砕いた食べ物を飲み込みもせず味わいもせず、呆然と口の中に溜めたままアグニはコリンの最後の言葉を思い出す。口の中の物は徐々に唾液が溜まり、水分でゆるゆるになる。
 不意に、その食べ物が口の端から漏れそうになって、アグニはようやく我に返った。口の中の物を一気に飲み下して、一度床面を思いきり殴りつける。
 血がにじむほどの拳の痛みは、頭を急速に鮮明にさせた。

「もう腹ごしらえも済んだ……こうしちゃいられない……未来で待っててよ、コリン!! オイラ、必ず時の破壊を食い止めて……未来を良い世界に変えるから……シデンを支える仕事は……今から、必ず」
 涙をぬぐいながら言い放ったその言葉は、コリンから一方的に交わされた約束を果たそうと、太陽をも焦がさんばかりの燃え上がる想いが込められていた。
「コリンも、シャロットも、ドゥーンだって幸せに住める世界に……きっと」
 そんな気分の移り変わりを分かりやすく表現するように最初は弱々しく、言葉の終りに近づくにつれて声に力がこもるアグニの背中はどこまでも頼もしい。
 普段ならシデンもその横で、つられて盛り上がっていたことは疑うべくもない。しかし、それを憚らせる気がかりはシデンにあった。あの時、ドゥーンが言っていた言葉が、鉛のように重くのしかかる。
(私も……消える……のか)
「別れるのが辛いって言っていたコリンの言葉……オイラ、その気持ちが痛いほど分かるよ。親の死に目は辛かったし、それに……コリンはシデンを親のように慕っていたわけだし……ずっとコンビを組んできたんだもん。
 コリンは……きっと、シデンよりもオイラよりも、ずっと辛かったんだと思う……二人と、別れるんだもんね」
 シデンはアグニの言葉に呆然としながら頷いた。
(それもあるだろうけれど、違う)
 シデンがそう言いたくても、口に出せない事が歯がゆ過ぎて嫌になる。
「ねぇ、シデン。まだ休んでいたいし、悲しんでいたい。けれど今は進もう……シデン」
(最後のコリンの言葉は、自分達とコリン自身のことを言ったんじゃない)
 言いたいけれど言えなくて、何度も何度も心の中でその言葉が反響する。
「悲しむ事はいつだって出来るはずだ。だからシデン……もう、元気出して? 辛さを押して、帰って行ったコリンのためにも……」
(自分と、アグニのことを言ったんだ。コリンはいずれ来るであろう、その別れを案じて言ってくれたんだ。歴史を変えたその時……自分は消滅する。そのことを案じて……コリンは自分に声をかけたんだ……)
「キャッ!!」
 感傷に浸っているシデンの天地が突然ひっくり返る。シデンは生娘のような情けない叫び声を上げてから遅れて痛みを感じた頃に、アグニに平手打ちをされたのだと理解した。
 平手打ちが乾いた音を立てて頬に熱を帯びさせる。思わず放電した頬の影響で、アグニは腕のしびれに顔をしかめていた。
「シデン。いつまでメソメソしてるの? コリンのためにも、早く行くんだ。悲しむのは……虹の石舟に乗ってからだよ」
(あぁ、そうだ……アグニも言っていたじゃないか。私が死ぬとしても、覚悟の内なんだよ……アグニは)
 頬の痛みがシデンを目覚めさせた。
「ごめん、アグニ。悲しんでばかりもいられないよね……」
(悲しむのは歴史を変えた後でもきっと出来るはずよね? だから……ごめん)
 シデンは立ち上がり、風が吹けば折れるような頼りない笑顔をちらりと覗かせた。二人で無言のまま階段を駆け上った先、虹の石舟の起動音はさらにその激しさを増す。

「シデン。起動音がさらに大きくなっているよ……」
 今にでも飛び立とうと力を溜める様はまるで間欠泉のよう。
「もう、動き出しそうだよ……早く乗り込もう」
「うん、行こう」
 二人がそう言って虹の石舟に乗り込むと、それはまるで綿埃であるかのようにふわりと浮かび上がる。
 一度動き出してしまえば先ほどまでの起動音は嘘のように消え、ゆっくりとした動きで時限の塔を目指す箱舟は空気の幕が風を防いでいるのか、彼らの頬を風が靡くことはない。
 静かで眠るにはちょうどいいが、決戦に挑む彼らにはむしろ静か過ぎるこの空気は時の止まった世界を連想させ、心をざわつかせる。
「シデン……」
 『今は休もう、寝よう』とシデンが言うから、強引に目を閉じて横になってみたものの、無音と言う刺激のない空間では逆に息遣いや心音が五月蝿く感じられる。
 ただでさえ、目を瞑れば視覚以外の感覚が鋭敏になっているのだ。心のざわつきまで聞こえては、とても眠れるものでは無い。
「何、アグニ?」
 耐えきれず、アグニが口を開いたら、シデンも同様に眠れなかったらしい。
「やっぱり起きてたんだね」
「眠れないよ」
「そう……だね」
 アグニは瞼を半開きにして空を見る。まだ空には雲が流れていてこのまま放っておけば時間が止まるという運命も知らずに、暢気な空である。
「いろんなことがあったよね」
 二人の呼吸がゆっくりだ。戦いへの昂ぶりもなく、疲れているはずなのにコリンの顔ばかりが浮かんで、眠りにつくことを許してはくれない。
 『だから……シデンのことを頼んだぞ!』『いいや、やるんだ。そしてお前なら出来る』『世界にただ一人……アグニ、お前だけだ』『この光ある世界を頼んだぞ、アグニ!!』その言葉が数珠繋ぎに再生されて、思い出浸りが止まらない。
 目を閉じても涙腺に蓋をすることはかなわず。僅かな隙間を見つけては、涙は目の下のくぼみを濡らしていた。
「うん……」
 あくまで、シデンは多くを喋ろうとしなかった。心の底で燻っている気がかりはまだ、心の内で出口を探して暴れまわっている。今真実を言ってしまえればどんなに楽だろうとも思うが、もしもアグニの決心を鈍らせることになるのならば、真実を伝えるようなことは出来ない。

347:誘惑 


「その、今までいろんなことがあったけれど……もう、この世界で出来ることは。コリンの手からは離れてしまった……あとはもう、オイラ達がやるしかない」
 大の字のまま、目を開けることすらせずにアグニは続ける。
「コリンはきっと、もう二度とこっちに戻ることはない……でも、超越者になったコリンは、歴史が変わってもオイラ達の活躍を感じてくれるはずだ……
 オイラ、コリンに色々よくしてもらったけれど、まだ何も恩返しできていない……。シデンは、昔のことがあるから恩を返さなくてもいいにしても……さ」
 アグニは起き上がって胡坐をかく。深海のように恐ろしいまでに澄んだ茶色い瞳は涙に濡れて潤んでいる。
 顔はシデンを向いていながら、視線はシデンを透過しているように、何を見るでもなく空中を漂っている。
 寝転がりながら、ちらりと横目で見ているだけだったシデンは、最初こそめんどくさそうにしていたが、そのまま静止して動こうとしないアグニを見て目を閉じた。

「親が死ぬ前に、いつかおんぶしてあげたいと思ってた。それが出来ないままに両親が死んでしまったのがすごくつらかった。でも、今なら……まだコリンに恩返しができるはず。だからシデン……オイラを手伝って。これが終わったら、シデンのしてほしい事……なんでも付き合うから」
「何それ……」
 シデンは笑う。
「そんなこと、言わないでも……いつだってアグニに付き合うよ。自分は」
 笑いながら、シデンは涙した。
「ありがとう……」
 アグニの言葉を聞いて、シデンはなおも静かに涙を流し、瞼を閉じて涙を絞り出した。アグニはそんなシデンをおぼろげにとらえながら、ゆっくり目を閉じる。
 静かな空間で吐息の音がいやに耳につき、疲れているはずなのに目を閉じても眠れない。しばらくの間意識を手放そうと努力していると、突然アグニの口に熱く目元に冷たい感覚。驚いて目を見開くと、シデンの涙がアグニの顔に滴っていた。
 押し倒されて、キスをされた。それを頭ではなく心がずっと理解してくれない。
「シデン……突然何?」
 アグニがシデンに尋ねるが、シデンは涙を浮かべたまま首を横に振るだけで、理由を話すことはしない。
「ごめんね、ロマンも糞もないキスで」
 口を離して、シデンは寂しげに笑う。咲いていた花が散るようにシデンの涙は止め処ない。
「コリンの代わり……頼まれたよね。アグニは……」
「う、うん」
 唐突に話を振られ、アグニはつばを飲み込んでシデンの問答に答える。
「代わりって言っても、コリンはかけがえのないモノだから出来ないの」
「いやいやいや……それを言っちゃあ、どんな話も終わりじゃない」
「いいの、それで大丈夫。コリンにだって、アグニの代わりは出来ない。アグニがなるべきなのはね……コリンの代わりじゃなくって、もう一つのかけがえのない者になればいいの。コリンですら、その代わりを務められない者に。
 コリンもあの状況じゃあ、そこまで言いきれなかったと思うけれど……きっとね、そういう事を言いたかったんだと思う」
「かけがえのないモノ……か」
「うん、だから、ね……」
 頷いたアグニが、未だシデンの肩を掴んで離さない手を、シデンは掴む。

「アグニの、いろんなことを知りたいな。アグニには、私の事を……コリンの知らないことまで知っていて欲しいし、覚えて欲しい。お互い、すべてをさらけ出したい……」
 そっと、添えるだけのように軽く掴んだ手に、そのまま力を込めることなくシデンは仰向けになる。アグニは大きく前屈みになり、シデンを下に臨む形。
「自分達は……卵グループだって同じなんだ。ピカチュウになってからはコリンにすら許さなかった自分の処女……今ここで受け取ってもらえるかな? チームを組んで当初は受け入れてもらえなかったけれど……どうしても、今アグニにささげておきたいの」
 アグニの眼が泳ぐ、と言うよりは暴れている。眼球が神経で体と繋がっていなかったら飛び出してしまいそうな激しさで目のやり場に困っている。
 シデンがアグニの手を掴みながら、アグニの左手を腹にある乳房へと寄せた。
 アグニの手は、シデンに全く体重をかけないようにしており、軽い。片手で体重を支える右手は確かに震えている。
「あ、あの……シデン。どうして、こんな時に?」
 シデンがアグニの手首を強く握り、アグニの手を胸に押さえつけさせる。肋骨を通じて感じる病的なまでに激しいシデンの鼓動に、心底驚いたアグニは思わず手を振り払う。アグニは激しく息をついて、自分の掌を見詰めつつ残った毛皮越しに感じたシデンの胸の感触の余韻に浸っていた。
 シデンは、掴んだ腕を乱暴に振り払われておいても、不快な顔はしていない。むしろ笑顔で、アグニを見ている。当のアグニは興奮のためか息も荒く、心臓の苦しさゆえか胸を抑えて肩で息をする。
「アグニに出来て、コリンに出来ないことなんて……もう、これくらいしかないから。そうでしょ……? コリンは、最後までソーダちゃんを裏切れなかったから、私と関係を持つこともなかったし……だからもう、アグニ以外が私を抱くことなんてっ……」
 コリンから告げられた、あまりにも短く迫ったアグニとの別れ。
(消えるのはいい……けれどこのまま消えるのは嫌だ……アグニに……私が与えられるものを全部与えないと……)
 焦燥に駆られたシデンは、最も確実にアグニに印象付けようという想いに突き動かされ、それが出来るタイミングが今しかないことを感じて、彼を誘惑する。
 普段、彼女が戦闘中に相手の戦力を削ぐため使用するメロメロの香りがアグニの鼻孔に届いていた。嗅ぎ慣れたパートナーの匂いに混じって、むせ返るような雌の匂い。無意識に発せられたその匂いは、混じり気も雑味も少ない、純粋な雌の香りであった。
 鼻腔に慣れないそれをアグニが吸い込むと、あまりに強い刺激に軽く咳き込んでしまうが、それなのにもっと嗅ぎたい、肺の中に満たしたと思える不思議な香り。

348:お願い 


「で、でも……今からこんなことしたら、体力が」
 まだ覚悟が出来ていないアグニは、シデンとの行為にいたってしまう事を避けようと言い訳を口にした。だけれどアグニは、匂いの発信源であるシデンから目を離せない。
「あら、これからやろうとしている事が疲れるって知っているんだ? 誰に教えてもらったの?」
 アグニの顔がカァッと熱くなり、しまいには顔から発火した。
「う……うぅ……ハンスとか、唐美月父さん……から、自慰のやり方とか教えてもらったから……」
 なんて、先輩のヘイガニや育ての親の名前を上げて、アグニは濡れたヘルガーのように顔を勢いよく振って炎を消す。
「そう……ちゃんと教えてくれるのね。というか、唐美月さんって同性愛者らしいけれど、どんな指導されたの?」
「いや、言葉だけ……なんだかんだで父さん、そういうところはきちんとしてるから……オイラに手を出したりはしないよ。色々教えてはくれたけれど……オイラが求めない限りはきっと、ね」
「そっか……それでも、行為の意味はきちんと分かっているよね?」
 安心したのか、つまらない回答だったのか、シデンの感情は妖艶な笑みに隠されて見えない。
「子供が出来る……から。だから、いろいろ無茶が出来なくなる」
「うん、その通り……でも、言い訳しちゃ駄目」
 シデンは炎が収まったアグニの顔を引き寄せ、そっとアグニの耳を食んだ。

「だって、アグニは……コリンの代わり。いや……もう一つの『かけがえのない者』なんでしょ?」
 アグニが今まで親以外に触らせたことすらなかった場所を掴まれて全身に熱を巡らせる。逃げ場を探そうとも思ったが、虹の石舟は落ちたら地上までまっさかさまなために、牢獄のように脱出不可能の密室なのだ。
 逃げ場などどこにもないその場所で、コリンに出来ないことを望まれたアグニは、逸らしてしまいそうになる目を必死でシデンに合わせて言う。
「オイラで……いいんだね? とは聞かないよ。いつかは、こうなるだろうって思ってたから……だけど、今でいいの?」
 そうして見つめあう中で、アグニはシデンが本気であることを理解して、受け入れた。
「うん、今しかない……から」
「わかった。行くよ」
 アグニが腕の力を抜いてシデンに覆いかぶさり、囁いた。密着して体温の高い場所に鼻をつけると、敏感なアグニの鼻は様々な匂いを見つける。体を洗うための灰の匂い、土くれの匂い、血の匂い、消毒用の酒の匂い、皮膚からにじみ出た肉と木の実の匂い、雌が雄を誘う匂い。
「オイラはいつだって……君を愛してるよ、シデン」
 その匂いを溶した唾を飲んで意を決したアグニの目に、迷いはなかった。

 体温で生暖かくなった空気を肺に含み、アグニはシデンに口付ける。ぽっかりと空いて、塞ぐものを求めていたシデンの口は、吸いこむようにアグニを求めて合わさった。直後、蔓が絡みつくようにシデンの舌がアグニの舌に触れ合い、互いにそれを味わう。
 重力に従ってアグニの口から伝う唾液がシデンの口を満たして喉を濡らす。とろりとしたアグニの唾液、アグニの匂い、そして舌使い。アグニの舌使いは固く、非常に下手な物ではあったが、大好きなアグニの舌というだけであまりにも甘美に感じ、シデンは何も考えられない。体と心が求めるままにアグニをむさぼっている最中は、もう時間が止まってしまえばいいのにと思うくらいに夢見心地の中にいた。
 アグニがそっと口を離しても、シデンの口はまだ物欲しげに開いている。アグニが下手なせいだろうか、まだまだキスの味がシデンには足りていない。
 息を整えたアグニは、シデンが求めるままにもう一度。瞼を閉じ、視覚をシャットダウンすることで他の感覚を鋭敏にしたシデンはアグニからの愛撫を身に受ける。
 床に手をついて両手がふさがれているアグニの頬を撫で、首筋を撫で、鎖骨を撫で。敏感な場所に触れるたびに、芯が抜き取られたようにアグニの身体から力が抜け、危うげに四肢がガクリと揺れる。極度の緊張で、体ががっちがちに固まっているのだろう、舌使いの拙さがアグニの初心な反応をうかがわせる。
 やがてじれったくなって、シデンはアグニの頬を軽く持ち上げて口を離させる。
「下手糞……」
「ご、めん……」
 弱々しい声でシデンが囁いた。アグニは否定できずに、ただ謝るしか出来ない。
「コリンはもっと上手かったのに……しょうがないなぁ」
 子供をめでるように微笑んで、シデンはアグニの首筋を撫でながら、アグニを横に転がし、今度は自分が上からアグニを見下ろす体制をとる。
「アグニ。ちんちん立ってないね……緊張してるの?」
 シデンはからかうようにアグニを笑い、続ける。
「その……緊張しちゃって……」
 情けないと思って、アグニはシデンの顔をまともに見られなかった。
「初めてなんでしょ?」
 当たり前だと、アグニは心の中で言う。シデンも、当たり前だけれどね、と心の中で付け加えながら続ける。
「上手くやろうなんて考えないで……自分はアグニならばどんなに下手でも受け入れられるから……だから、まずはキスの仕方から」
「うん、お願い」
 萎れた花のように元気の無い声で言って、アグニはシデンの口付けを受け入れる。

349:愛撫 


 シデンは最初に口を塞ぐことはせず、まずはアグニの鎖骨あたり。綺麗な桜色の舌を湿らせ、這わせ、アグニの毛皮を仄かに濡らして毛づくろい。くすぐったさ、こそばゆさと、こみ上げてくる快感と恍惚感にアグニの身体がピクリと反応する。
 触れられているのは鎖骨ぐらいだというのに、ゾクゾクとした心地よい寒気は首筋を通って脳髄まで犯すようで、抑えようと思っても震えが走る。こんな行為の最中だというのにシデンは覇気がない。しかし、覇気のないシデンのゆったりとした動きは不覚にも幻想的で、アグニが彼女の舌使いに翻弄されていると、気が付かないうちにシデンの口が触れていた。アグニは少し視線を落としてみる。
 近すぎて表情なんてまともに見えない。気づけばシデンはアグニの口に舌を突っ込んでいて、アグニも無意識のうちに求められるがままに舌を絡め返してしまう。思えば、少し緊張がほぐれたことで、ようやくアグニは互いの唾液の味の違いを感じる余裕が出来た。
 シデンも先程から感じていたそれは、形容しがたいけれど味の違いはある。だが、アグニとシデンの共通認識として、味というよりは温度の違いが最も大きかった気がする。当然、炎タイプであるアグニのそれは暖かい。シデンのそれはひんやりとまではいかないが生ぬるくて、体温が混ざって平行するうちに体まで溶け合い混ざって行くような気さえしてくる。
 半ば押しつけるような舌の応酬にアグニの緊張は徐々に解され、硬くない舌でシデンの来訪を歓迎する。ただこの体勢、辛いのは上に乗っているシデンばかりではなく、アグニもである。アグニは仰向けになっているのだから、大半の唾液はシデンから流れ込み、口での呼吸はとてもできない。
 ただ、緊張でキスすらできない腑抜けな自分のまいた種だからとアグニは甘んじてそれを受け入れたが、アグニは結局先に根を上げた。

 彼は普段から鼻が詰まり気味で、普段は口が開きっぱなしだ。今も、鼻で呼吸するには少々鼻づまりが厳しく、匂いを嗅ぐには問題ない程度だが、鼻呼吸でしのぎ続けるのは難しい。シデンの額を親指で押して持ち上げ口を離した時は、シデンの唇に後ろ髪を引かれるように、強引に抜け出してから粗い息をついていた。
 ハァハァと、十数回のゆったりとした呼吸。その間シデンは何も語ろうとせず、泣きそうなほど潤んだ瞳でアグニを見つめ続ける。
 無言の要求に答えなさいと言わんばかりのシデンが見せる不安げな瞳で、まるで魔法のようにアグニは再び口付けに吸い寄せられる。今度のキスでは、シデンがは積極的に舌を絡めるような事はせず、舌先を軽く触れ合わせるだけ。
 落ち着いて、腰を据えるようなキスでアグニは鼻をすするように呼吸する。鼻がつまっているために不快な音が流れるのが何だか可笑しくて、雰囲気も台無しじゃないと、苦笑してアグニの額を押す。

 額を押しのけられ、アグニはようやくまともに呼吸が出来ると内心ほっとしながら口を離し、大きく吸って大きく吐く。
「シデン、どうだった?」
「まだちょっとぎこちないけれど、少しは緊張もほぐれたかな……」
「そっか、ありがとう」
 アグニは、はにかみながらシデンは面と向かって言う。顔を赤らめる代わりに、彼女の頬は放電していた。
「ア、アグニってば……そ、そんなこと改めて言わなくっても……」
「いいじゃん……実際に、ありがたくって仕方が無いんだから……」
 アグニはシデンのマウントポジションから這い出ようと、シデンの僅かに膨らんだ胸を押す。それでアグニがどうしたいのか悟ったシデンは馬乗りの体勢を崩してアグニから退く。
 シデンの馬乗りが解除されたアグニは、ちょこんと地面に座りこんでシデンを見る。
「男の子の体って……調子が激しいんだねぇ。いつもならもう準備完了してるのに」
 アグニは自分の下半身にはいまだ萎えたままの彼の逸物。まだ緊張してどうにも準備が出来ないアグニをみて、シデンは肩をすくめて苦笑する。
「いや、それは……本当にごめん」
 肝心なところで醜態をさらす自分の情けなさに、アグニは思わずため息をつく。
「いいよ、ゆっくりやってあげる」
 そんな彼を慰めるようにシデンが耳たぶを舐める。アグニは思わず体をこわばらせ、息を吸い込む。
「体を楽にして、アグニ……体から力を抜いて」
 言いながら、シデンはアグニの耳に息を吹きかける。やっぱりアグニは体を震わせ、込み上げるむず痒さと快感のせめぎ合いの中、まだむずがゆさが勝っている様子。
 シデンはアグニの身体のこわばりを無くすべく、ゆったりとした愛撫を繰り返す。顔を撫で、首筋に甘噛みし、鎖骨を舐め、胸に頬をこすり付け、高鳴っているアグニの鼓動を感じる。極上の絨毯を味わうように数回、アグニの胸の上で頬ずりをした後、シデンはアグニの胸を枕にして彼の乳首を弄る。
 女じゃあるまいし、恥ずかしいからそんなところを弄るのはよしてくれと言いたいアグニだが、恥ずかしすぎて声に出せない。というより、ここで何か反論してしまえばより一層シデンに言葉尻を取られるとか墓穴を掘りそうだ。

350:本音を隠す 


「シデン……」
「なに?」
 体の力を抜いてシデンの愛撫を身に受けながら、アグニはシデンに問いかける。
「今しかないって、どういう意味?」
 アグニに尋ねられ、シデンは舌を一筆書きに、乳首の下から首筋まで描いて、耳元で甘く囁く。
「あぁ、それね……」
 『自分が消えてしまう前に』と、本当のことを言ってしまいたくなるが、シデンは口を噤んでアグニの耳を甘噛みする。
「コリンを失って悲しくて、寂しくて……だから、癒してほしかったの」
 口を離したシデンは耳元で甘く囁いた。シデンの指はアグニの口の中へと突っ込まれ、彼の口を塞いでいる。アグニはシデンから押し付けられたその指を赤ん坊のようにしゃぶらせられ、シデンの言葉を聞く。
「今は、それでも星の停止を止めなきゃいけないけれど……それが終わったら、時間をかけて立ち直ればいいでしょ? だから、立ち直らなきゃいけないタイミングは今しかないの……時限の塔にたどり着くまでの、今しか」
 シデンはアグニの口に突っ込んでいた指を引き抜き、自分の口でその唾を拭う。
「だから、自分を慰めてよ……アグニ」
 言って、シデンは口付けした。唇と舌先が軽く触れあうくらいの軽いキスで、それを終えるとシデンは話しかける前までの行為に戻る。
「というか、慰めるも何もオイラ何もしていない気がするけれど……」
「いいの」
 シデンは顔を上げて微笑む。
「それでいいの。アグニが楽しんでさえくれれば……私も楽しまなきゃだめとか、ありきたりな問答はよしてよ? きちんと楽しんでいるからそこは安心して」
 シデンは一度アグニの腹に頬ずりし、へその近くを弄っていた手を徐々に下の方へと移動させる。シデンはアグニの内股をさすりながら、尻尾でバランスを取ってアグニの逸物を食む。普段、アグニが自慰の際に手で触れるのとは全く違った感覚が久しぶりに襲ってきて、アグニは心身共に歓喜する。
「ん……」
 体温が比較的低いシデンの口が触れ、ぬめる唾液と指よりもやわらかに踊るシデンの舌がアグニの逸物を捉えた。アグニが甘い声を上げる。上唇とで軽く押さえ、力なく萎えているアグニの逸物を吸いつくように舐める。上唇はそのままに舌を前後に動かして、そのまま下に力をこめたり、かと思えば緩めたり。自分の意思で指を操る自慰と違ってすべてが不意打ちなシデンの愛撫に、アグニは身構えることすらできやしない。
 時折聞こえてくるのは、下品な水音ではなく、恍惚としたシデンの心情を感じさせる甘い吐息ばかり。何がそんなに楽しいのか、アグニもなんとなくわかるが、少し演技がかっているんじゃないかと心のどこかで思う。ただ、楽しませようと努力しているシデンの事が愛おしく感じてようやく緊張もそれにかき消されていった。
 そうこうしているうちに生理的な反応も始まって、しなびた雑草のようだったアグニの逸物もピンと反り返り、固さを得る。
「あ、シデン……ちょっと、まって……」
 緊張で張りつめているそれは、立ったばかりだというのにすでに堰が切れそうなほど絶頂に近い。アグニはこのままシデンが調子に乗って射精まで導かれてしまう前に、シデンの額を押しのけた。
「ごめん……もうダメそう」
「もう? アグニってば情けないなぁ……」
 クスクスとからかうように笑って、シデンはアグニにのしかかる。
「まだ始まったばっかりだよ?」
「そんなこと言ったって……緊張しちゃって」
「仕方ないなぁ……」
 妖艶な笑みを浮かべ、シデンはアグニの上唇を捲って甘噛みする。
「すこしだけ、こうして落ちつこうか?」
「う、うん」
 シデンの提案に応じて、アグニは再び口付けを交わす。すっかり緊張がほぐれたアグニは積極的に舌を絡め合わせる。今度はシデンも変化をつけて、歯茎をなぞったり、上顎をつついてみたり、アグニに同じことをさせてみたり。溶けてしまいそうな甘いキスはそう長くはかからず、シデンは十数秒でそれを終える。
 キスを終えたシデンは、アグニに覆いかぶさり頬ずりをする。ゆっくりゆっくりと首を動かし、気持ちよさそうに目を瞑っている姿は、まるで母親に甘える子供のよう。
「ずっとこうしていたいな……」
 頬をくっ付けながらシデンが呟く。ふとアグニがちらりと目をやれば、時限の塔はもう目の前。結局、虹の石舟がたどりつく前に行為は終わらせられなかったようだ。

351:本懐 


「オイラもシデンと同じ……ずっとこうしていたいけれど……でも、今はそれを許せる状況じゃないし……」
 時限の塔との距離を気にして、アグニは言う。
「わかってるよ、アグニ……それに、アグニは男の子だもんね。ずっとこうしているよりも、もっとしたいことがあるでしょ?」
「そりゃ、ね」
 アグニは下半身に意識をやって苦笑した。シデンは四つん這いになって後ずさりすると、アグニの逸物を指でさすって笑う。
「もう、情けないとか自分が優位を握りたいとか、そんなことは考えなくてもいいから……アグニ。思いっきり私の体を楽しんでよ……すぐに終わっちゃっても、罵倒はするけれど怒ったりしないから」
 そして、指の中で転がすようにつまみ、先端まで覆っている皮を軽く引っ張ったりして弄ぶ。数秒そうして満足したシデンは、今までの行為ですっかり湿り気を帯びた雌の象徴をアグニにさらけ出す。
 明るい屋外で晒されたそれをまじまじと見つめ、アグニは一瞬呼吸を忘れた。一旦生唾を飲み込んで、アグニは深呼吸。虹の石舟はもう、時限の塔に到着していた。
「シデン、行くよ……」
「いいけれど、ゆっくりね」
 はやる気持ちを抑えきれないアグニを、シデンは笑って受け入れる。ゆっくりお願いとだけ言えば、アグニは決して無茶なんてしないだろう。そう思いながら四肢のすべてから力を抜いた。
 めちゃくちゃにしてくださいと体で示され、今度こそアグニは生唾を飲み込んだ。
「じゃ、お言葉に甘えて」
 力なく出されたアグニの声。震える腰はへっぴり腰という言葉がよく似合う。アグニはまず、赤裸々に晒された女陰にピタリと逸物を乗せる。割れ目に沿って、熱を帯びたそれが乗せられシデンはピクリと身をすくめた。
 拒絶じゃない、緊張によるものだと信じ、アグニは自身の逸物を掴んでその先端を慎重にシデンの中へと突っ込む。先端はずぶりと抵抗なく入って行った。というか、アグニのは小さい。体の構造上、そこまで大きくする必要が無いというのもそうだし、シデンは生まれながらにして第二進化形だから、そもそもの前提条件が違うようだ。
 だからなのか、アグニの逸物がそのまま全てすっぽり入るまで、大した抵抗もなかった。処女膜すら、シデンにはなかったのか到達できなかったのは定かでなはない。
 男としては小さいというのは何とも情けない話だけれど、しかしシデンは不満かと言えばそうでもなく。体よりも気持ちが満たされるのを感じてシデンは嬉しかった。
「あれ、女性は痛がるものだって聞いたけれど……大丈夫なの?」
「うん、生憎……ちょっとピリピリするけれど耐えられないほどじゃないし……」
「えーっと……『生憎』ってのは具体的にどういう……」
「小さいってことかな? まぁ、気にしないで。女は男が思っている程大きさなんて気にしていないから」
「……はぁ」
 面と向かってサイズを指摘され、アグニはがっくりと肩を落とす。
「あぁ、もう……気にしちゃダメだって。アグニはアグニ、その小ささも含めて……私は貴方を好きで居るんだから……」
「……そう。でも、以外と傷つくよ?」
「ごめんね……ところでもう、じれったくって仕方が無いんじゃない? いつでも来ていいから……アグニの好きにして」
 ふっと口元を緩ませアグニは笑う。
「そうこなくっちゃ」
 アグニは仰向けのシデンにそっと口付けを交わし、地面に両手両足をついてぎこちない腰つきで、アグニは体を前後させる。本能に身を任せた動きだけにつつがなく出来るかと言えばそうでもない。今でシデンを気遣うあまり情けなく力の入らないへっぴり腰は、ただ前後に動かすだけという単純な作業すら時折失敗させてしまう。震える脚がガクンと下がり、転びそうとまではいかなくとも体勢を崩したり。
「下手糞」
 あまりに面白いから、シデンは笑顔で罵った。ぐぅの根も出ないシデンの言葉に、アグニはただただ笑ってごまかすばかり。
「でも、下手糞なりに頑張ってくれるのが嬉しいから……ご褒美あげる」
 シデンにとっては、この提案の結果がどうなろうとどうでもよかった。
「中に出して、アグニ」
 もう自分は消えるのだと思うと、子供が出来て探検隊を続けられなくなろうと、なんだろうと関係ない。
「そ、そんなことしたら……オイラ達……」
 アグニの腰が止まる。
「卵グループが同じだから卵が出来る? そんなの関係ない……自分は、アグニのならどんな事があっても受け入れられるつもりだから……」
 そうしてくれないと、死んでも死にきれない。と、シデンは哀しい目で訴える。その眼に籠る懇願の色、どういてそこまで強く懇願出来るのか、この戦いが終われば消えてしまうというシデンの運命を知らないアグニには、見当もつかなかった。
 見当もつかないけれど、応じないとシデンを失望させる気がして、コリンとの約束を守るためにもアグニは応じなければいけないと察知する。
「分かった……」
 シデンがどうしてもそうしたい理由は聞かなかった。とにかく無言で、アグニは目の前の女性に奉仕する。哀しげな表情を億尾にも出さないシデンの表情は、普通に性交を楽しんでいる女性の幸せそうな顔。
 ここで性交を中断すればシデンはきっとまたあの表情をする。そう思うと、アグニはもうシデンに応えるしかなかった。
「シデン……」
 アグニは早々に果てる前、最後に彼女の名を呼んだ。シデンは微かに頷き笑う。

 射精の快感に包まれながら、アグニはふと考える。行為の前には確かに言えた『愛している』という言葉を、何故か今のシデンにいえる自信が無い、と。あんなに望んでいた行為をしたのに。ようやく本懐を遂げられたのに。なぜかシデンが楽しそうではなく、そのせいで自信を持てない。
 しかし、シデンが楽しそうに見えないのは気のせいだとアグニは断じて、改めて彼女に向かいその言葉を言ってみる。
「愛してるよ、シデン」
 口にしてみると、何だか大丈夫な気がしてきた。

352:試練 


「しかし……本当に下手糞だったなぁ……まぁ、痛くされなかっただけましだけれど」
「シデン、そういうこと言うと傷つくからやめて……」
 二人は仰向けになりながら手を握り合い、青い空を仰いでいた。体が雲に浮かんでいるように軽くて、心もうわついている。
 雲の上に寝転がっているかのような不思議な高揚感の中、アグニは寝返りをうつと、傍にあった石ころを拾って『オイラは未来を取り戻す』と、書き記した。
 それに満足して、アグニは再び空を仰ぐ。いつまでこうしていられるかはわからないが、焦ってミスするわけにもいかない。今は休まなければと、アグニは目を閉じた。
 コリンの事はまだ気がかりであったが、さっきの行為の疲れもあって、目を閉じれば自然と眠りが訪れた。
 そうして、夢すらも見ないような深い眠りに、不意に終わりが来る。漠然とした胸騒ぎを覚えて目を開けると、塔の頂上に真紅と漆黒の雲が浮かんでゆくではないか。地獄の業火を描いたようなドス黒い佇まいのソレに、先に目覚めたアグニはシデンの手を取って空を指差した。
 そろって空を見ると、二人の天にも昇る気分は逆に地の底に叩き落とされたかのように不安を煽る。
「あれは……なんだろう? って考えている場合じゃないよね……やばいってことだけはきっと……確かだよシデン」
 少し涙声を混じらせながらアグニは言って、不安に駆られるままに立ち上がる。
「うん……急ごう、アグニ」
 寝転がっていたシデンも、体を震わせて背中の土埃を払って立ち上がる。
「こっちの準備は大丈夫……シデンは?」
 ちらりとシデンを見てアグニが尋ねる。
「問題ないよ」
「よし、行こう」
 二人はそれで会話を終えると、一度だけ深呼吸して時限の塔へ駆けだした。内部はこれまでの歯車のありかと同じく、ダンジョンが形成されている。

 しかしそのダンジョンの内容は、自然に出来た防壁というには余りに豪華すぎる顔ぶれがそろっている。ダンジョンの難易度は今までの比ではなく、遺跡の欠片を得た者へ課されるの最後の試練のように、そこはただ侵入者の突破を拒んでいた。

「シデン、オイラにまかせて」
 円盤状の金属に顔が付いたと言うだけで説明できるような見た目。ドーミラーと呼ばれるポケモンがふよふよと馬鹿でかい埃のように浮かび上がっては、サイコキネシスで二人を翻弄する。
 シデンが飛ばされた時に、アグニは弾けるように言って燃え盛る拳で叩き伏せる。
「ポリゴンだ!! アグニ放電が来るから伏せて」
 矢継ぎ早にピンクとスカイブルーを基調とした、岩を鳥の形にくっつけたような意匠の角ばったポケモン。ドーミラーwp叩き伏せたままアグニは、何の波導も纏っていない拳でドーミラーをひたすら起こしては地面に叩きつけて殴りつけてとどめを刺す。
 シデンはその横で体を張って放電を受け止めると、おかえしとばかりにをゼロ距離で電気ショックを仕掛ける。バチンッと、如何にも痛そうな音が爆ぜたところで、アグニの手により投げられたとみられるドーミラーがポリゴンに突き刺さる。
 十倍近い体重差のあるポケモンを投げるために、アグニは石畳の地面に足刀で穴を開けて踏ん張っていたようだ。
「まだだ……くそ、こんなのありなのぉ? シデン、岩タイプだよ……オイラ苦手」
 アグニが地面から脚を抜いて、三日月に顔を描いてそれを浮かべただけのようなポケモン――ルナトーンが、浮かばせてはおとしてくる岩の塊を避ける。急所に当たるのは避けたものの、頭を庇った腕には手傷を負った。
「わかってる……アグニは下がってて」
 ポリゴンを尻目に走りだしたシデンは、自身の尻尾に鋼の波導を纏わせて叩きつける。ひるんだ隙にアグニが砕いた石畳に悪タイプの波導を纏わせて投げつけ、その顔面しかない顔に叩きつけた。
 二人はこの調子で、次第に手傷を増やしていった。

 このダンジョンに入り込んだときから、世界中が破壊されそうなほど強い振動とともに、空気が少しずつ淀んでいく。二人はそれを肌で感じていた。
 いよいよもって時の破壊は加速しているという事が嫌でも分かる様相を呈している。
 急がなきゃと、その思いは二人で一致した。申し合わせるでもなく急ぎ足になり、そうしてスタミナの危うい時に強敵の攻撃。いつまでもこれの繰り返しともなれば長く耐えきれるものでは無い。
「モンスター……ハウス」
 『階段』と呼ばれる、空間の歪みの激しい場所にたどりつけば別の階層まで逃げることが出来、そこから先はヤセイも追ってこないのだが。よりにもよってその階段のある場所が『ヤセイ』の巣窟となっているモンスターハウスと呼ばれる状態が形成されている。
 不用意にそこへ入り込んでしまった二人は、即座に身構える。
「く……このまま駆け抜けるよ。アグニ……怪我しないで」
 シデンが張り裂けんばかりの怒号を繰り出し、二人は駆け抜けた。
 ポリゴンの破壊光線が飛ぶ。二人とも四足歩行の体勢になり、姿勢を低くした猛ダッシュでそれをよける。敵の股下や合間を縫う事で同士撃ちさせたり間合いを掴ませずにいることで、攻撃を避ける。
 アグニとシデンは自分よりも体重の重いポケモンを蹴り飛ばし、それを足掛かりに空中で方向転換するなどして、変幻自在に敵の攻撃を避ける。すべての動作の所々で石や光線が飛んできては二人の傷は増えて行ったが、全部無視して駈け抜けた。
 体を捕らえて地面や柱にぶつける技であるサイコキネシスを使えるだけの強さを持ったポケモンがいないのは幸いだった。それによって集団で押さえつけられでもすれば、如何に二人でも命はない。
 それでも、攻撃が苛烈であることには変わりがなく、不覚を取ったシデンが横から岩をぶつけられて転がった。アグニは困極まって、自身の波導に依存した攻撃の強さを犠牲に放つ炎技、オーバーヒートで牽制してシデンが転がっている場所までの道を開き、それによりわずかに出来た隙間を掻き分けるようにしてシデン助ける。
 肝心なところでオーバーヒートを使ってしまったから、もう炎の技は役に立たない。どうすればいいのかと考えている間にシデンが動き出していた。彼女は痛む右半身を推して、とにかく走る。もはや強行突破しかないと割り切って、周囲に電気を振りまいて威嚇しながらのボルテッカー。自身の体すら焼き尽くすような強烈な電気で自身の体を動かす技で、威力は折り紙つきであるが走っているだけで強烈な負荷が体に蓄積されていく。
 文字通りの破れかぶれの策であった。アグニも無茶はいけないとシデンに諭したかったが、もはやそれに従うしか道はないと踏んでシデンの援護に回りつつ追手を振り切る。
 階段を乗り越えれば、『ヤセイ』達は追ってこない。敵とおさらばする一線を踏み越えると、視界は灰色一色に包まれ、二人は無事逃げ遂せた。

353:休息 


 それで、ダンジョンの切れ目となる場所にたどり着けたのは、本当にギリギリだったと言ってもよいだろう。全身の擦り傷や火傷を消毒することすら億劫になるほどの疲弊をこうむり、二人は泥のようにへたり込んでいる。しかし、ここできちんとした応急処置をやっておかなければ後々化膿や感染症が起こりかねず、時間の壊れたダンジョンでは傷の治りも菌の繁殖も早くなるから尚更だ。
 二人はゆっくりと起き上がってその身を動かした。
「塔がたまに揺れてるね……しかも、だんだん大きくなっている」
 シデンに背中の消毒をしてもらいながら、アグニぽつりと言う。
「けれど、この建物はまだまだ丈夫そうだよ。焦って死ぬわけにはいかない……ここで自分達が死んだら……世界はもう時が停止したままになっちゃうんだから」
 シデンは今すぐにでも目を閉じて眠りたいのか目は半開きで、標準の呼吸がため息のように深くなっている。
「ふぅ~ぃ……」
 下品ともいえるようなため息を吐きながら、アグニの治療を終えたシデンは寝転がる。
「消毒……お願いできるかな?」
「うん……」
 アグニは、霞がかった思考でシデンの申し入れを受ける。
 消毒の時に傷口に走る痛みのせいで眠気はその本領を発揮出来やしなかったが、消毒が終わりシデンが願い事を掛け終わると、まだ湿ったままのガーゼを片づけることもなく、二人は萎れた花のように倒れこむ。
 どれほど時間がたったのか、窓もなく閉鎖された広大な塔の内部では時間の感覚が消えうせる。コリンの形見の懐中時計を見てみれば短い針が四分の三周している。つまりは、一日の四分の一以上を消費してしまったことになる。

「寝過ぎた……」
 口の中はカラカラに乾き果て、蒸発して煮詰まった唾液の味がなんとも気持ち悪い。アグニは、周りが燃えない様にお尻の炎を消していることからまだ寝ているのだろう。
 だが、いつもの呑気で可愛らしい寝顔は見る影もなく、険しい寝顔。未来世界から帰ってから時折見せる、心が疲れた時の寝顔だ。
「いつか自分は……子供に子守歌を歌ってみたり、母乳を与えたりしてみたかった……」
 シデンは声に出して言いたいけれど、絶対にアグニには聞かれてはならない独り言を紡いでいく。眠るアグニの頬を、起きないようにそっと撫でてシデンは微笑む。
「アグニとなら、いつかそれが出来ると思っていた……虹の石舟でのセックスも、もっといい雰囲気でしたかったし、生まれてきた子供にどんな名前をつけるかも一緒に悩みたかった。
 でも、それは全部……夢物語でしかないんだね。報われないなぁ……」
 こみ上げる涙を押さえつけるように、シデンは瞬きというにはゆっくりすぎるくらいにのろい瞼の開閉を挟む。
「それで、自分がいなくなったアグニは……いったいどんな未来を描くのかな? 結婚するとしたら、どちらかって言うと振り回すくらい世話を焼くタイプの方がアグニの性には合っているよね?
 卵グループは違うけれどキマワリのサニーとか……卵グループさえ一致すればくっ付いてもおかしくない気がするし……うん、結局誰とくっついても驚かなそうだね。
 愛しているって……本当に尊い言葉だけど……でも、アグニ以外の誰かにも言ってみたかった。コリンには言えずじまい……子供もダメ……貴方はこれから先、誰にそのセリフを言うの?
 それを言われる人は羨ましいな……そして、有り難い。アグニがコリンと同じくかけがえのない存在になったように、私と同じかけがえのない存在になってくれたその人は……私の、それとコリンの願いを叶えてくれる人。
 幸せに生きてね、アグニ。私の分も……それが私とコリンの願いだから……絶対だよ」
(これと同じ内容を起きている時に話せるのは、戦いが終わった後になるだろう。その時にうまく言えるだろうか? 絶対に言いたいことが溢れて言葉になりそうにないなぁ……)
 シデンは半ばあきらめ気味に苦笑する。
 そして、今アグニに真実を言えない自分を、言ってしまえばアグニが歴史を変えることを躊躇するんじゃないかと疑う自分を、パートナー失格だとシデンは涙する。
(パートナーを信じられないなんてね……言ってしまえば、キミが戦えなくなるんじゃないかと疑うだなんてね……アグニは、自分を失っても戦うって言ってくれたのに……それなのに信じられないなんて……でも、結局は勝たないと何もかも終わり。勝つために最善を尽くすのは間違っていないはず……)

「とにかく、そのためにも戦いを終わらせなきゃね……そもそも時の歯車を収めることが出来なければそんな心配する必要もないんだ……残念ながら」
 残念ながらと言いつつ、そう口にしたシデンは少し嬉しそうな表情も混ざっていた。無論、シデンが生きている未来というのは時間が止まった世界である。アグニと一緒に居られる事こそ嬉しくとも、そんな不毛な世界で生きるのはごめんだ
(もう、自嘲していたって良いことはない。体は十分休めているのだから、妄想にふけるよりも上を目指さなきゃ……)
「でも、私の事情が事情だから……お嫁さん気分を味わってみるくらいのこと……こんな非常時でも許してくれるよね?」
(だから、この一瞬くらいはおままごとのように夫婦で居よう)
 シデンは仰向けに眠るアグニの唇に、そっと自分の唇を這わせる。
「ブハァッ」
 鼻が詰まっていたためとても苦しかったのか、アグニは口から唾を噴き出すので、シデンの顔面はアグニの唾にまみれる。
「おはよう、寝ぼすけさん」
 キスをして起こしてみると、いきなり唾吐きでの歓迎。もちろんアグニの唾だから嫌なんて事は全くなく、むしろその匂いが落ち着く。
 アグニは心臓をバクバクと波打たせながら驚いているのに対し、シデンはしれっと言いのけて、落ちついた呼吸をしている。
「なんで、そんな起こし方するのさ……」
「いまさら恥ずかしがることでもないでしょ。自分達……お互い全部さらけ出して、私は自分でさえ触ったことのない場所を……自分はアグニに渡したんだよ?
 今だけでもいいから、お嫁さん気分にならせてくれたって良いじゃない?」
 シデンの言葉に呆れて、やれやれとアグニは苦笑する

354:最後の出陣 


「じゃ、オイラからもお返し……」
 言葉通りのお返しのキスをして、アグニははにかむ。まだ恥の残る顔は湯浴みしたように赤く火照り、手を当てれば炎タイプ以外は火傷しそうなほど熱い。
「な~んか……おままごとしてるみたい。『子供が背伸びしちゃって』って自分のことなのに思っちゃうあなぁ……」
 自嘲気味に笑って、シデンは続ける。
「やっぱり進化したいね……モウカザルとかゴウカザルに」
 そうは言っても、シデンはそのおままごとみたいな行為を存分に楽しんでいるようで、上気させた頬からは小さく放電している。
「時が歪んでいるから、進化出来ないのなら……きっとそう、この戦いで時が元に戻れば……進化出来るはずだよ。そうだ、もう久しく行われていないけれどさ……オイラ達、進化したらね……進化祝いを近所の皆と祝うんだ。その時は必ず出世魚や変態する虫を食卓に出すのが風習になっていて……
 あぁ、もう。とにかく楽しいんだよ。進化したらね、進化する場所の周りに皆が技をぶつける場所があって、その戦争でも起こったかのような惨状に『惨劇の広場』って呼ばれているところがどこに行っても必ずあるんだよ。
 そこでシデンとオイラでガチバトルするのもいいかもだし……ギルドの皆は仲間が進化したらお祝いをするんだって。花形になる進化した張本人はお酒をふるまわれて……二人で皆からちやほやされてさ……うん、やろうよシデン。
 お酒飲んで、皆で騒いで、モウカザルとライチュウ……そしたらその時は、おままごとなんて言わせないよ。
 キスはコリンと比べてずっと下手だって言われたけれど、その時こそ大人のキスだってできるようにイメトレするし。こ、セックスだって……その……絶対に満足させてやるから。絶対だよ!!」
(アグニが描く未来のイメージの中には、常に自分がいるのね……もう、自分と離れることなんて思いつかないと言われているようで……そんなのってないよ……)
 無邪気なアグニの未来予想図が、シデンには何よりも辛かった。けれど、涙は流せない。

「アグニってば……なんだか、私の居ない日常は想像できないって感じだね?」
 アグニは喜々として頷く。
「あったり前じゃない。コリンの分も……オイラがシデンを幸せにしてやらなきゃいけないんだから。一生守るよ……絶対に。ドゥーンにはシデンが死ぬことも覚悟の上だとか、あんなこと言っちゃったけれど……シデンを死なせるつもりはない。これだけは……間違いないから」
 アグニはパンチを繰り出したのかと思うほどシデンの鼻面へと拳を近づけ親指を立てて見せた。
 ずい、と押し付けるような拳にシデンは苦笑いする。
「嬉しいよ……でも、その告白は……こんな気分じゃ受け取れないかな」
 頬からの放電はさらに強くなる。その仕草が嬉しいのだとアグニは解釈し、シデンは悲しいのだと自身を理解した。
「うん、この冒険が終わったら帰ろう。帰ったら皆が皆祝福するはずだよ……あぁ、もう何もかもが楽しみだ。ねぇ、シデン? オイラ達の未来は楽しそうだよ……コリンが願うのはこうやって楽しむことじゃないか……きっとコリンだって未来で……未来に残してきたシャロットと一緒に楽しんでくれるといいな」
 そのアグニの無邪気な言葉が、今はすべてナイフのように鋭く心に突き刺さって、抉られる気分だった。もし言ってしまえば、士気が落ちるから――そんな単純な理由が、アグニに覚悟を決める時間を与えることを拒む。

「そうだね」
 笑顔で肯定してから、シデンは携行食を並べてアグニとその食卓を囲む。ダンジョンの『ヤセイ』を狩る暇もなかったために乾き物ばかりの寂しい食卓ではあるが、心の温かさは何よりも上質な調味料代わりだ。
 食事を並べる時も、食べる時も、片づける時も取り留めのない会話をして、シデンは心が穏やかになるのを感じながら、心に様々な感情が去来する。
(涙は見せられないな……戦いが終わったらアグニに謝ろう。そしてアグニに『馬鹿』とでも、なんとでも言われよう。アグニから罵られようと、甘んじて受けよう。
 全てを告白した上で、それでも、アグニが自分のことを愛すると言ってくれるのならば、自分はアグニに一生守ってもらおう。それも悪くない。
 その一生がどれだけ短かろうと、私が生きている限りは……愛してもらいたい)
 携行食を食べ終えて、シデンの瞼から涙が一滴零れ落ちる。シデンはそれを欠伸のせいにしてごまかし、アグニと手をつなぐ。
(アグニ……自分の心を支えてくれるアグニの存在が、今の自分には君が必要不可欠だよ。心にぽっかりと開いた穴から入り込む隙間風を防げるのは、アグニしかいないよ……。
 例えその穴を開けたのがアグニだとしても……咎めはしない。アグニは加害者だけれど何も悪い事はしていないし、加害者だけれど被害者だもんね……私も、貴方の心に穴を開けるから……)
「さぁ、行きましょうか、アグニ」
(ごめんね、アグニ)
「うん、行こうシデン」
 アグニは意気揚々と。シデンは、表面だけは意気揚々と取り繕った。二人は、ディアルガの御前に望むべく、最後のダンジョンに挑む。
















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コメント 

お名前:
  • >2013-11-03 (日) 02:46:36
    大体はお察しの通りなのです。ダークライの件がなかったら、アグニを成長させるためにも消えたままにするのが神としての役割だったかと思います。
    シデンを復活させたのも、おそらくは苦渋の決断だったのでしょう。ソーダは……私ももうすこし救ってあげたい気持ちですw

    テオナナカトルは、その通りコリンたちの世界の未来ですね。すでにコリンたちの戦いは神話になっているようです
    ――リング 2013-11-22 (金) 00:37:02
  • ふむふむ、こうして読むともし原作のストーリーにダークライの話が無かったら、リングさんバージョンはシデンが復活しないまま終わってたのかなって思いますね。

    ソーダがちょっと可哀想でした。

    テオナナカトルって多分、コリンたちの世界の未来の話ですよね?
    ―― 2013-11-03 (日) 02:46:36
  • >狼さん
    どうも、お読みいただきありがとうございました。
    『共に歩む未来』のお話では、もう一つの結末というか、私としてはこちらのほうがよかったという結末を書いて見ました。
    ディアルガのセリフから察するに、本当の未来はシデンが生き返らない方であったという推測が自分の中でありましたので……。
    こんな長い話ですが、読んでいただきありがとうございました
    ――リング 2013-06-26 (水) 09:49:35
  • 時渡りの英雄読ませていただきました。私は探検隊(時)をプレイしたのでだいたいのことはわかるのですが時渡りの英雄ではゲームとは違ったおもしろさがありゲームではいまいちでていないところまで実際そんなストーリーがありそうな気がしたり(当たり前か)してとてもおもしろかったです。
    『ともに歩む未来』では[シデン]が蘇らないのかと思ったら[アグニ]の夢というおち、少しほっとしたり…。
    これからも頑張ってください。
    ―― ? 2013-06-17 (月) 21:31:32
  • 時渡りの英雄これから読んでいきたいと思っています。
    時渡りの英雄は10日ぐらいかかると思われます。
    読むのが楽しみです
    ―― ? 2013-05-25 (土) 02:02:01

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Last-modified: 2012-04-04 (水) 00:00:00
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