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時渡りの英雄第19話:星の停止の真実・前編

/時渡りの英雄第19話:星の停止の真実・前編

時渡りの英雄
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274:公開 


「よし、ここがいい。ここならヤミラミ達も見つけにくいだろう」
 コリンは森の樹幹で、座りやすそうな形をした物を選び、そこに腰掛させけた。
「教えてよ、ジュプトル。未来では、何故星の停止が起こったの?」
「星の停止が起こった原因、それは……お前達が住んでいた過去の世界で……ディアルガが司る時限の塔が壊れたからだ」
「ディ、ディアルガ……? それは、確かアルセウス信仰のポケモンだよね?」
 アグニが身を乗り出してコリンに訪ね、コリンはため息をついた。
「そう、時間を操る伝説のポケモンだ……ディアルガは時限の塔で時の流れを守っていた。しかし、時限の塔が壊れたのを切っ掛けに、少しずつ時が壊れ始め……
 完全に修復不能となる寸前で緊急処置として、世界は星の停止という方法をとった。時間が停止すれば時間はこれ以上壊れない……それは、単純だが確実な考えだろう? 正確に言えば、俺達がこうして動いている以上、完全に時が止まっている訳では無いんだが……そこらへんはよくわからない。魂を持った者は時間を止めないらしく……魂を持っている生き物はこうして動き回るが、弱った生き物は……瀕死になった時点で動きを止める。
 俺達みたいな生きている者が触り続けていれば、氷が解けるように時間が復活するし、セレビィは、魂が弱まったものを一瞬で止めることも出来れば時間を一瞬で戻すことも出来るらしい……しかし、その力を世界全体に及ぼすことが出来ないから、こうして世界の時間が止まっている。
 まぁ、つまりは何もかもが上手くはいかなかったってことだ……」
 コリンは大きくため息をつくと、はらわたが煮えくりかえるよ――と付け加える。最後に付け加えた言葉の、力ない絶望感に圧倒され二人は思わず沈黙を挟む。
「ディアルガはどうなっちゃったの? 時間を司っていたんでしょう? どうして仕事しないの?」
 恐る恐るアグニが尋ねる。
「ディアルガは時が壊れた影響で暴走した」
 しれっと、こともなげな口調でジュプトルはただ事実を提示する。
「そして星の停止を迎えたこの時間軸でのディアルガに至ってはほとんど意識もなく、今は暗黒に支配されている。
 最早あれをディアルガと呼ぶのは少々憚られる……全く別の存在でな、そうだな。闇のディアルガとでも呼ばせてもらおうか」
「そうなんだ……うぅ……じゃあ、もう時間を直すどうのこうのは期待できないってこと?」
 アグニは、ディアルガに期待でも抱いていたのか、落胆するような口調だった。
「あぁ、この時代では少なくともな」
 対して、最早わかりきった事実を語るコリンは嫌に冷静だった。

「闇のディアルガは感情を失ったまま……ただ、歴史が変わるのを防ごうと働く。だから俺はディアルガやその他の奴らに狙われているのだ」
 コリンは自嘲気味にふっと笑うと首を出来るだけ後ろに倒して、動かない空を仰ぐ。
「俺は歴史を変えるため……つまり……星の停止を防ぐ為にここから過去の世界へタイムスリップしたのだからな」
 ふぅ――と、大きくため息をつき、コリンは動揺して心臓が高なっているのか、胸に手を当てるアグニをみる。
「ジュプトルが……星の停止を防ぐため!? なにそれ、それはオイラ達が聞いてた話と全く逆だよ?」
 シデンは冷静に成る程――と頷いていたが、アグニはコリンのことをいまだに悪人と思っていたようで、それらしく驚いている。
「へぇ……だからコリンは……敵にも優しかったんだね」
 シデンがしみじみとコリンを評価する声など、意に介さずアグニの怒号のような声は続く。
「ジュプトルは、星の停止を起こすために未来から来たんじゃないの? だって、ジュプトルは時の歯車を盗んでいたじゃないか……」
 コリンは嘲るように、見下すように鼻で笑い、唾を吐き捨てる。
「冗談じゃない。俺が時の歯車を集めていたのは、星の停止を防ぐために必要だったからだ。時限の塔に時の歯車を収めれば……壊れかけた時限の塔も元に戻る。
 また、時の歯車を取ると、確かにその地域は時間が停止するが……だがそれも一時的なもので、時限の塔に時の歯車を収めた後に返せばまた戻るのだ。その一時的がどれほど現地住民を混乱させるかについては言わずもがなだがな……キザキの森の連中には悪いことしたよ……だから、罪悪感は無いわけじゃないよ」
「だってさ、アグニ」
 シデンは当たり前のように、アグニの言葉を否定する。それでもアグニは引かなかった。
「じゃあ、ドゥーンさんが言っていたことは? ジュプトルは未来で指名手配中の悪者だったとか……ジュプトルが未来から逃げるために過去の世界へやってきたとかの話は……全部出鱈目だって言うの?」
「当たり前だ……強盗殺人ジュプトルの事、知っているか? アレだって、俺を陥れるためにドゥーンがやらせた事だよ……多分、と言うか絶対。そのせいで賞金稼ぎやら探検隊やらに狙われて散々だったよ。とんでもない女にも殺されかけたことがあるし……実際あれは賢い手段だったさ。
 そりゃ、ドゥーンは良い奴だったろうさ……でも、演技なんていくらでも出来るだろう?」
 息をするように平然と言って、コリンはため息をつく。二人は、黙って頷いた。

「なんせ、ドゥーンはこの俺を捕えるべく……闇のディアルガがこっちから送り込んだ刺客だからな」
「ドゥーンさんが刺客だって!?」
 大げさすぎるくらいのオーバーリアクションで、アグニは驚嘆する。シデンは落ち着いて聞いているせいか、先ほどから五月蠅そうに顔をしかめるばかりである。
「あぁ、そうだ」
 だんだんコリンも鬱陶しくなってきたのか、少々語気が荒くなる。
「そうだ。さっきも言ったように闇のディアルガは歴史を変えようとする者がいるとそれを防ごうと働く……心が闇に呑まれてしまったせいで、本能やそれに準じる慣れ親しんだ感情に囚われているんだ。
 だから俺がタイムスリップしたことを知ると……あいつを刺客として俺の後を追わせたのだ」
「ドゥーンさんが……そんな」
 呆然と口にしたアグニの瞳は、思考に手一杯でなにも映していない。
「お前達には信じられないだろうが……」
 突き放す様にコリンは語気を強める。
「全然信じられないよ!! だって、あのドゥーンさんだよ!? 確かに今のドゥーンさんはよく分からないけれども……
 でも、オイラが尊敬していたあのドゥーンさんが……そんなこと……やっぱり信じられないよ」
「ねぇ、アグニ……」
 アグニの言葉が終るとシデンの頬にバチバチと電流が走る。

275:愛の鞭 


「確かに信じられないことは多いね……けれど、この未来世界でこれまで起こったことを振り返ると……それに、コリンが見せた気遣いを考えると、コリンが悪者だってどうしても思えないし、筋が通って納得がいく」
 そこまでは自分達が囲む地面だけを見て言っていた。それは自分に言い聞かせるように。
 そしてそこから先はアグニに言い聞かせるように、彼の両手を掴んで、目を合わせる。
「そしてそれはアグニも……本当は心のどこかで分かっているはずでしょ? わかっているからこそ受け入れたくないのは分かるよ……でもね……受け入れなきゃ」
 アグニは目を逸らし、シデンに掴まれた手を振りほどいて、すくっと立ち上がる。まるで、操られているかのように目は虚ろだった。
 シデンとコリン、二人は呆然とそのゆっくりとした動作を見送り、そして止めなければいけないと気が付くまで時間がかかった。
「おい、どこへ行くんだ?」
 コリンが、腰をかがめた体勢でアグニの両肩を掴む。
「オイラ……ドゥーンさんに会いに行く」
「なんだと?」
 頭で理解するのに時間がかかる言葉だった。
「ドゥーンさんに会って、コリンが言ったことが本当かどうか確かめてくる……」
「そんなことしてどうする!? 捕まって、また処刑されるのがオチだ。抵抗したところでお前が敵う相手じゃない。爪で腹を引き裂かれて、臓物垂れ流して死にたいか?」
 コリンは掴まれる肩に痛みが走りそうなほど、肩を掴む手に力を込める。掴まれるアグニは、痛そうに顔をしかめていた。
「じゃあ、オイラはどうすればいいの?」
 アグニは感情的になって、乱暴な男に襲われた生娘のような金切り声を上げた。
「いい加減に……」
 震えながら泣きじゃくるアグニの顔を見てコリンは右手を肩から離す。
「しろ!!」
 次いで左腕を伸ばし、右腕を弓のように後ろへ引いたかと思えば、肩を引き寄せ、右手はアグニの左頬へ叩きつけた。
 同時に、アグニの右頬にシデンのアイアンテールが当たる。あまりに完璧なタイミングに、シデンとコリンの二人は顔を見合せて、倒れ伏したアグニをそっちのけ。素っ頓狂な顔を見せながら、『済まない』と謝りあった。
「うぐっ……」
 口の中は恐らく盛大に切れていることであろう。アグニは、口から血を流しながら涙に濡れていた。

「ミツヤと同時にお前を殴るなんて予想外の出来事が起こったが、どうやら……今の状態でも話は聞けそうだな。それだけ痛ければ、一字一句覚えてくれるだろうよ……どうすればいいか……とお前は聞いたな?」
 コリンは、ため息をついて呼吸を整えと、アグニの胸の毛皮を掴みとって体を起こす。
「どうすればいいだと? 甘えるんじゃない!!」
 コリンが再びアグニを平手打ちで打ち据える。
「さっきお前は自分の口で言っただろう!? 自分で判断すると。何を信じていいか分からないからこそ、『話を鵜呑みにせずに自分で考える』と。それを、こんな状況で反故にする口ならいらない。永遠に口から血を流していればいい!! ミツヤも、俺も、お前の保護者じゃないんだぞ!!」
 立ったまま見降ろすコリンに対し、シデンは伏せながらアグニを見た。
「悔しいだろうけれどね……今回はコリンが正しいよ。自分では何も考えられないようで……アグニは自分がいなくなったらどうするの? 自分は……母親代わりじゃないんだよ? 私は、パートーナーであって母親じゃないんだよ?」
「うぅっ……」
 涙を流すアグニのソレは、恐らく痛みによるものだけでは無い。ただ、言葉にできない思いだけが言葉の代わりに流れている。少なくともシデンにはそう見えた。
「苦しい時だからこそ、気持ちを強く持つんだ……後は、自分達で考えて行動してみろ。アグニ……お前は、俺を二度も邪魔した優秀な探検隊だろ……出来るだろ?」
 その時、アグニにはコリンとシデンがダブって見えた。シデンに諭されているのと同じ感覚でコリンを見上げて、呆然と涙を流す。
「コリンは……これからどうするの?」
 アグニの問いかけに、コリンは糸を吐くように長く細く息を吐く。
「俺はまた、星の停止を食い止めるために過去へ行く。そしてそのために、俺の協力者……シャロット=セレビィを探す」
「セレビィ?」
 アグニが問いかける。
「そうだ。俺についてきてもいいし。ついてこなくてもいい……」
 コリンは、もう話すネタはないとばかりに振り返り、すたすたと歩みを進め始めた
「お前達はお前達で自分の道を決めろ……じゃあな。あと、アグニ……俺の名前はコリンだ。いい加減、俺を名前で呼んでくれ……」
 待ってくれとコリンへ向かって手を伸ばしたアグニの肩に、シデンは手を置いた。

「アグニ。自分もね……何を信じていいのかはわからないよ。でも、一つはっきり言えるのは……この暗黒の未来世界では星が停止しているってことだ。そして、この星の停止は……自分達の時代で起こったことなんだ。だから、それを食い止めるためには……どうあっても過去に戻らなくちゃならないってこと」
 シデンは、振り向いたアグニの顔を両手でつかみ、強引に自分の目を見つめさせる。そしてシデンは、アグニを見つめる。
「だからね……絶対に帰ろう。自分達の時代へ……ね、アグニ? それまではコリンと行動して損は無いはずだよ」
 自分だって辛いはずなのに、あくまで気丈に振る舞って元気づけるシデンの顔を見て、アグニはシデンにしがみつくようにしてその胸の中で泣いた。
 ドゥーンが裏切り、味方が全くいないこの世界の中で、いつも傍に居たシデンのことを忘れるほどに、アグニの心は消耗していたが、一人では無いという事実を噛みしめると、それがこんなにも頼もしく有り難いことなのだと改めてわかる。
 この気持を二度と手放したくないアグニは、シデンをつかむ力を強くして、掴まれる肩は痛いくらいに軋んでいる。
「ミツヤ……うん、わかってる。ミツヤの言う事もジュプトルの……いや、コリンの言う事も正しいよ。こんな時だからこそ、気持ちを強く持たなきゃ……」
 アグニは立ち上がり、血の混じった唾液を吐き捨てて涙の痕が残る顔を笑顔にして見せた。
「オイラもう、大丈夫だから……行こう。コリンの後を追いかけよう……ミツヤ、絶対に帰ろうね。オイラ達の世界に……」
 うん、と静かにシデンは頷いた。
「ついてきて、アグニ」
 走りだすアグニ、それを先導するシデンの背中は、コリンとシデンがこの世界で初めて会った時のような位置取りで。
(ほぅ、やはりいいコンビだな……特にあのピカチュウ、いい女だ)
 足音に気付いて振り返るコリンが見たものは、キモリの頃の自分を彷彿とさせるアグニと、人間だった頃のシデンとダブる、ピカチュウのシデンだった。
 二人を見て、コリンは自分が仮眠をとるつもりであったのに、結局仮眠をとれていないことを思いだす。
「おい、お前ら……」
 険しい表情で言ってから、コリンは表情を和らげた。
「少し休もう」

276:黒の森へ 


 交代で見張りをしての休憩を終え、コリンが先導した森を進むにつれて、シデンは徐々に違和感を強めていた。例によって例の如く前にもここへ来たようなという既視感を感じて、彼女の思考は徐々に上の空になって行く。
「ねぇ、ここはどこなの?」
 そんなシデンのことなど露知らず、アグニは呑気に周りの状況について尋ねる。
「ここは、絶えず黒い霧がかかっている所でな……まぁ、ごく単純に黒の森と呼ばれている。仲間と少しでも離れると暗いことも相まって、油断するとすぐにはぐれるからな……その時はミツヤ……威力は低めでもいいから、電気を放って目印になって欲しい……」
 しかし、シデンは答えることなく呆けていた。
「おい、ミツヤ!?」
 語気を強めたコリンの声に、シデンはビクッと体を震わせて恐る恐る反応した。
「な、何?」
「はぐれたら……遠くからでも分かるように強烈な光を放ってほしい。と、頼んだんだが……いいか?」
「う、うん……」
 どこか心あらずといった様子でコリンに応答した。コリンは、まぁいいかと前へ向きなおり、この場所についての説明を続ける。
「それでな……はぐれやすい森なんだが、ここの奥深くにはシャロットがいるはずだ」
 シャロットという言葉に、アグニは首をかしげた。
「ねぇ、コリン……さっきも言っていたけれど、そのシャロットっていう子はセレビィって種族なんだよね……セレビィってなんなの?」
「セレビィは伝説の時渡りポケモンであり……時間を越える力を使えるんだ。だから過去にも行ける。見りゃわかるから、さっさと行くぞ」
 そう言って、コリンは跳躍して木の枝につかまる。アグニやシデンも後に続いた。
「ここから先、しばらくは足跡で探られないように、木の上を伝って行くが、付いてこれるな?」
 アグニが脇腹の怪我を気にしながらも頷いたのを確認して、コリンは枝をしならせながら飛び移る。
「まぁ、そのセレビィはちょっと変わった奴ではあるんだけれど……とにかく、俺が過去に行けたのもセレビィの力を借りたからなのだ」
「じゃあ、そのセレビィに会えばオイラ達も元の世界に帰れるってこと?」
 アグニが後ろからコリンに語りかける。振りむいては上手く枝から枝に飛び移れないため、コリンは終始前を向いたまま受け答えをする。
「あぁ、帰れる……ただし、シャロットは俺を過去に送ったんだ。つまりあいつもまた歴史を変えることに協力したことになる……という事は、だ。あいつも闇のディアルガに狙われている訳だからな……捕まっていなければ良いが……」
 シデン達は、押し黙ってしまった。この世界で何度も死ぬような目にあったからこそ、生きている保証などどこにもないことは身をもって知っている。
 だから、どこか諦めを含んだようなコリンの言葉には、何も言葉を返すことが出来なかった。

「ねぇ、コリン……」
 そんな沈黙をたまらず打破しようと、アグニは話を切り出した。
「どうした?」
「もし、オイラ達三人が元の世界に戻れたら……コリンはやっぱり時の歯車を盗むの?」
 コリンは、アグニの悲しげな声色に言葉を詰まらせ、しかし絞り出す。
「あぁ、当然だ……そうしないと星の停止は止められないのだからな。というか、お前らも過去の世界を救いたいのであれば協力の一つや二つしてもらうぞ?」
「お、オイラはまだ、コリンのことを完全に信用している訳じゃないからね。元の世界に帰りたいから一緒に行動しているし、元の世界に帰る方法を知っているところまでは信じるけれど……
 オイラ達が元の世界に帰れた時……時の歯車の事が出鱈目だったなら……コリンのやることが間違っていると判断すれば……オイラは、コリンを止めるからね」
 力強く言って、それはコリンに鼻で笑われる。
「好きにするがいいさ。ただし……お前も分かっているように、今大切なのはお互い過去の世界に戻ることだ。だったら今は、それだけに集中しろ……できるな?」
「コリンに言われるまでもないさ!!」
「一端な口を聞くようになったじゃないか。それなら大丈夫そうだな……」
 二人の会話をよそに、シデンの既視感は強くなってきた。
「どうしたのミツヤ? さっきから、何か考え事しているようだけれど?」
 シデンがアグニに問いかける。
「なんでもない……ただ、なんだか無性に懐かしいなぁって思っただけ」
 それだけ言って、シデンは俯いた。
「ふぅん……」
 コリンはその言葉を気に止める様子もなく一蹴する。
「さぁ、ここから先はダンジョンだ!! 気を引き締めていくぞ!」
 正面に立ちはだかる、壁のように密集した木々。ダンジョンへの入り口と一目で分かる異様な形をしたそこを、睨みつけるように三人は見やる。

 ◇

「ふぅ……やはりダンジョンの中では水が波打っていて水浴びに困らない……」
 ダンジョンの外では水飛沫でさえ凍ったように制止するが、ダンジョンの中ではそうでは無い。幸い深い傷も負っていなかったので、オレンの実と光合成で傷もすぐに癒えたため、塗りたくられたオレンの実や血のカスを拭うためにまずは水浴びを楽しんだ。
「しかし、なんというのかな……コリンは鱗だから水が早く乾いていいねぇ」
 シデンは、どうせ掌くらいにしか汗はかかないし、体毛があると乾くのが遅いからパスとコリンが水浴びするのを見ながらそういった。アグニも特に汗を掻いている訳でもなく、治りかけの傷に沁みるので入ろうとしない。
「俺の保護者も似たようなことを言っていたな」
 コリンは笑う。
「へぇ……どんな人だったの?」
 興味津々と言った様子でシデンが尋ねる。彼女はジュプトルの声がよく聞こえるように耳をぴくりと動かし、ゴクリと唾を飲んだ。
「汗をかけるから、塩を舐めないとやっていられないとか……髪の毛を短くするのは不格好だから嫌だとか言って、いつも油っ気のない髪をポニーテールに結んで、唯一のおしゃれが黄金の鳥、ホウオウの羽飾りだったな。
 そいつ、強い女でな……頼もしい奴だったよ」
「頼りになる人だったんだね」
「まぁな」
 在りし日のシデンを懐かしみながら、コリンはシデンの言葉に頷く。まだ彼らは気付いていない。
「他にも、色んなことに詳しい奴だった。俺に過去の世界の美しさを教えてくれたのも奴だったし、戦い方も奴が教えてくれた。傷の治療の方法も、何もかも……あいつ以上の女はそうそういないよ……ってどうした、ミツヤ?」
 コリンが過去を語っているうちに、シデンは上の空になる。心配していぶかしげに尋ねられたことで、ようやくシデンは我を取り戻した。

「いや、仲が……よかったのねって。そうでもなきゃそこまでいい顔では紹介出来ないだろうし……コリン、生き生きしてるから……それだけ……」
 シデンに、かつてのシデンとの関係を褒められてコリンは気分良く笑う。
「それを言うなら、お前らだって仲がいいじゃないか? 時間差ではあるが、お前らの体には自分や味方を回復できる『願い事』の呪術……を使っているんだろう? いくらダンジョンの中では傷が治りやすいからと言って、アグニの脇腹の糸をもう少しで抜くことが出来そうなのはお前の願う想いが強い証拠だ。
 大体、その願い事って技はピカチュウで覚えている者は稀だし、覚えることが出来るのは先天的に才能があるも者だけと聞いたぞ。一体親は誰だったんだ?」
 コリンに尋ねられて、シデンは口ごもる。
「言いたくない、もしくは分からないか……すまんなミツヤ。詮索する気はなかったんだ」
「う、うん……申し訳ないけれど分からない。それよりコリン……呑気に水浴びしている場合じゃないよ。この気配……」
 シデンが言うなり、大きな水音と水飛沫を立てながらコリンが池から躍り出る。
「あぁ、ミツヤ、アグニ……俺達ならあれくらいの敵は問題ないとは思うが……一応は気を付けないとな……あぁ、ガブリアスか」
 コリンが腕の葉を構えて先陣を切った。コリンはふらりとよろめくようにして体を斜めにして、地面を蹴り進む。
「懐かしいな……あいつの最後に見た戦いは確かガブリアスだったな……」
「ガブリ……アス……?」
 何かを思い出しそうになってシデンはオウム返しにつぶやく。
「ガバイトと戦ったことはあるけれど……」
 ガブリアスが突き出してきた鉤爪を、コリンは体を捩ってかわし、脛あたりへ向かって出力控えめの龍の息吹を一発放って牽制。
「でも、ガブリアス……? なぜか、どこか、懐かしいような……」
 シデンが独り言を漏らす。何かを思い出せそうで思い出せないのがもどかしく、シデンは再び上の空の、自分だけの世界に入って行った。

277:シャロットとの再会 


 咄嗟にガブリアスが足を引いたところを、刈り込むようにタックルで転ばせる。尻尾を投げ出し仰向けになるように転ばせて浮かんだガブリアスの脚は投げるように持ち上げて、コリン自身は地面へ滑り込むようにしながら相手の右太ももを自分の両足に挟み込む。そうしてガブリアスの下半身を固定したコリンは、相手の足を抱いて腕を組みながら自身の上半身を全力で右側にひねり、ガブリアスの右脚を内側にひねり壊す。
 鈍い音は断末魔にかき消されて、聞こえない。
「ヒールホールド……」
 シデンが呆然とその技名を呟いた。ほう、とコリンは感嘆の声を上げる。
「よく知っているじゃないかミツヤ。これは、さっき言った件の女が使っていた技でな……こういう技が好きな変な奴だったんだ。そうだ、四肢の短いピカチュウには向いていない技が多いけれど……なんならそっちのアグニ……ヒコザルなら教えてやってもいい」
「えー……でも、普通に殴ったり炎や草で攻撃したほうが強くない?」
「そんなことはない。技は活力(PP)を消耗する……それらを出来るだけ節約するためにも地力をつけるのは大事なことだし、それに関節技なら厄介なメタルバーストなんかも出来ないんだ。今後のために覚えておくといいんじゃないのか?」
「え、そう言われると……どうしよっかな……」
 アグニは迷い、シデンをちらりと見る。
「習ってみなよ。いつかきっと役に立つさ」
「わかった……」
 シデンに促され、アグニは頷く。
「よし、それじゃよく見てろよ?」
 そんな二人の初々しい反応を、こんな時だというのにコリンは微笑む。彼を先頭に一行はダンジョン内を突き進んだ。

「アレはクロックネックロック……」
 コリンが太くたくましい太ももの筋肉をパンパンに膨らませながら、横向きに寝かせたムウマージの頭を挟みこみ、肩を掴んで自身の体をひねる。
 そのひねりに連動して、太ももに挟み込まれたムウマージの首は可動限界を超えてひねり壊される。その際、呆然とシデンが呟いた。

「尻尾式逆シザリガー固め……」
 今度はガバイトを相手にするコリンが、転ばされてうつ伏せになったガバイトの背にまたがり、尻尾を抱え込むようにして逆シザリガー固めを仕掛けている。
 圧倒的な力で締め上げられたガバイトは白目を剥いて失禁し、気絶した。その際、呆然とシデンが呟いた。

「ギロチンチョークスリーパーホールド……」
 ガーメイルがエアスラッシュを仕掛けるために、翅を横に薙いだところをコリンは半身になりながらかわして接近。覆いかぶさるように首に腕をまわし、頭頂部が下を向くように首を締めあげる。その際、呆然とシデンが呟いた。シデンはコリンが関節技や絞め技を使うたびにこの調子である。

「ミツヤ……お前やけに詳しいな。大体、俺ですら技名なんて聞いたこともなかったぞ」
 名前なんてついていないはずの技の名前まで、シデンは口にしていた。
「分かんないけれど……どこで覚えたのだか分かんないけれど……知ってる。うん、知ってる……」
 シデンの目は、最早目の前すら見ておらず、その歩みはいつ小石につまづくかもしれないような危うさを孕んでいる。
「そうか……」
(ホウオウは死と再生の象徴……か。あの時、シデンが髪飾りに付けていたのは……確かホウオウの羽だったな……羽程度でそこまでご利益があるのならば、神として信仰されるのもうなずける)
 この時、コリンの中にミツヤがシデンと同一人物であり、何らかの理由で光矢院という姓を名前と勘違いされたのだという、確信に近い予感が生まれる。果たしてそれは正しく、それを想うと少し涙が出たが、それを二人には見せないようにひたすら前を向いた。

 ◇

 協力してダンジョンを越える道のりは、頼もしい仲間同士という事もあってか精神的な負担も少なめで、むしろコリンは久々の仲間が出来て楽しさすら覚えたくらいだ。
 アグニの方も、まだ漠然とした恐怖こそ消えていないものの、ダンジョンを抜けるころにはシデンの冗談に対して笑顔すら見せるようになっていた。
「ここに……セレビィがいるの?」
 目的地としていた黒の森を抜けた場所についたと、コリンが宣言して、しばらく間をおいてアグニが尋ねる。
「そうだ。前に出会ったのもここらへんだった。闇のディアルガにこの場所を知られていたらシャロットはここからもう逃げているだろうが……
 まだ知られていないようであれば……シャロットはまだ、ここに居るに違いない」
 コリンは胸を大きくふくらませて、肺に空気をためる。
「おーい!! シャロット!! 俺だ、コリンだ!! いるなら姿を現してくれ!」
 コリンはその一回の叫びで息切れを引き起こすほど、全力で叫んでいた。しかし、それだけ叫んでしばらく経ってもシャロットは現れなかった。
「出て、来ないね……やっぱり、闇のディアルガに追われて逃げちゃったのかな? ま、まさかとは思うけれど捕まったりとかしていないよね?」
「捕まるですって?」
 虚空より声がして、アグニはひっくり返るほど驚いた。アグニが思わずコリンに抱きついているあたり、すでにコリンに対してシデンと同じくらいに心を許していることが伺える。
「どこからか声がしたけれど……何も聞こえないね……さっきのは気のせいだったのかなぁ?」
 アグニはキョロキョロと辺りを見回すが、声の主と思しき姿も形も存在しない。だが、アグニが地面の方に目をやったとき、隙ありとばかりにピンク色の物体が、虚空から光を伴いながら現れてアグニの頭の上に乗っていた。
 そのピンク色の物体の目にはくま取りのような黒い模様があり、触角や翅が付いている虫のような体の構造。
 しかし、頭部は百合の球根のような形をしていて、こう言っては何だが可愛らしいポケモンだ。見た目からすると虫・草タイプに見える。
「ひゃ!?」
「ウフフッ! 気のせいでも木の精でもないわ。私はここよ、おチビちゃん」
 アグニよりも一回り小さいシャロットがアグニの事をおチビと呼ぶのに違和感はあるが、それを感じさせない、アグニと比べて大人びた声が暗黒の世界に美しく響いた。
「私が捕まるですって? 失礼ね! 私が捕まるなんて……絶対にありえないわ、ウフフッ」
「ミツヤ~~コリ~ン……これとってよぉ」
 アグニが鬱陶しげに言うと、シデンやコリンが何かするまでもなくピンク色の物体は飛び立った。ブーンという羽音が鳴っていて、どうして気配に気付けなかったのか首を捻る気分だ。
「お久しぶりです、コリンさん」
 ピンク色の物体は恭しく礼をする。
「あぁ、久しぶりだなシャロット」
「えぇっ!? シャロットってことは……これがセレビィ!? って……わわわ」
 言い終えたところでアグニは、冷たく微笑んだシャロットにより、身長分ほど空中に浮かされてしまう。

「ちょっとー君ねー。私、貴方にコレ呼ばわりされる筋合いはないんだけれど……しかも二回も」
 アグニはさらに高度を上げられた挙句、天地をひっくり返された。
「あ……あぁゴメン。時間を越える力を使うって聞いたから……なんかものすごいポケモンを想像していたんだけど……っていうか、降ろして……怖いんだけどこれ」
 アグニの言葉はものの見事に無視され、さらに高度はあがっていく。
「失礼ね。見た目で判断するのはよくないわよ」
 アグニがコリンの身長と同じくらいの高さまで高度を上げさせたところで、シャロットはぴたりと上昇を止める。
「でも……許してあげる」
 意地悪な微笑みを浮かべたシャロットは、滑らかな動作でアグニを地面に下ろす。
「だって、それって……私が思いのほか。可愛くて特別ってことでしょう? ウフフ」
 シャロットはアグニと目の高さを合わせてから、世間知らずのお嬢様のように無邪気に笑う。わざとらしさはあまりにも見え透いているが、それでも可愛いと思わずにはいられない魅了があった。
「ま、まぁ……確かに見た目は可愛いよね……」
 よく分からないシャロットのテンションに気圧されて、アグニは戸惑いながら生返事を返すしかなかった。
「シャロット……」
 変わらないなと微笑みつつ、気をとりなおして真顔となってコリンは言う。
「また、力を貸してほしいんだ」
 コリンは膝をかがめることでシャロットと自分と目の高さを合わせて頼む。
「わかってます。こうやって、コリンさんがまたやってきたってことは……過去の世界で失敗したから戻ってきたんでしょう?」
 図星をつかれなんともいたたまれない気分になったのか、無意識の内にコリンが後ずさる。
「うっ……まぁ、そうだが……」
 圧倒されるコリンを見てシデンとアグニの両方がその余波で圧倒されている。
「しっかりして下さいよね。私もう嫌ですから……こんな暗い世界で生きていくのは。もう星の調査団は、コリンさんが抜けた後大規模な掃討が行われましてもう壊滅状態で……後はもう私だけしかいないのですよ? 私を頼ろうとした時に、私がいなくなってしまうことだって無きにしも非ずなんですから」
「やはりか……」
 コリンは俯いて、苦虫をかみつぶした表情を見せた。

278:狂気 


「でも、安心して下さいよコリンさん。見てください……私、あの『時の守り人』達を……こんなにたくさん殺してきましたから」
 縦線四本に横線一本。*1五を意味する数棒が、シャロットの指差した木に赤や緑で刻まれている。そのマークが三十近く。要は百五十かそれ以上の数が刻まれている。
「ほら、戦利品もたくさん。ヤミラミの目や背中の宝石に、ギャロップやドンファンの角、毛皮……みんな奴らから取ってあげたの」
 と、言ってシャロットはヤミラミの目の宝石や角、象牙を差し出す。それだけならばよかったのだが、これ見よがしに飛び上がったシャロットを目で追うと、彼女は周囲に光を振りまいて黒の森をライトアップ。製作途中のセレビィゴーレムの中に内蔵された、拘束されたまま時間を停止している瀕死の怪我人、死体の数々。
「たっくさん罠を仕掛けて七十対一でも勝ったことがあるんだから……死体置き場……見る? 皆例外なく草の鎧の中で磔にして、セレビィゴーレムっていう技を使うための肥やしになってもらうの。
 こうして、この時間の止まった世界が生きていくには辛すぎると思わせれば……この世界を無かったことにしようというコリンさんの思想に、みんなが賛同するはずですしね……ですから、ものすごい苦痛を与えて、殺してくれと懇願されるまでやりました。褒めてください」
 猟奇的な笑みを浮かべてシャロットは咲う。
「どうですか、コリンさん? 私の事どう思います?」
 褒め言葉を待ちわびるように、首をかしげて笑顔で尋ねる。ウフフと、漏れる鼻息はいかにも上機嫌だ。しかし、流石のシデンもコメントしづらく、アグニに至っては――
「お、おい……アグニ!!」
 コリンがあわてて倒れるアグニを支えようとするが、伸ばした手も空しくアグニはその場に卒倒した。白目をむいたアグニを見て、シデンは大急ぎでアグニの顔を覗きこむ。
「……良かった。たぶんただの貧血だ。死にはしないと思う……けれど」
「そうか……」
 コリンも一緒になって真面目に心配している傍で、シャロットは不思議そうに二人を眺める。
「ミツヤ……アグニを頼む」
「あ、うん……休憩もしたかったし構わないよ」
 シデンはわりと平然とコリンの頼みを受け入れる。シャロットと二人きりで何をどうするか詮索しようとしない二人の態度に感謝しながら、コリンはシャロットを連れて茂みの影に消えた。

 ◇

「シャロット……お前は何をやっているんだ」
 と、コリンは首根っこを掴んで樹木に後頭部を叩きつけて、さらにその上から十発ほどぶん殴ってから言う。闇に心を囚われると少しくらい命の危機を感じさせないと話を聞いてもらう気になってくれないので、女性が相手だろうとこれくらいは仕方ない。
「し、仕方ないじゃない……ですか。これが、敵の恐怖を煽るのに最も効果的な方法だったのです。私が、どれだけ死にかけたと思っているんですか? それを思えば……敵の戦意を折って士気を下げない事にはどうしようもないでしょう?」
 そう言い訳するシャロットは、それまでコリンの言葉にすら耳を貸さず、悪びれることなく笑っているのみであったことを考えると、言い訳できる分ましになったというべきか。
「……まぁ、それはそれとして、アグニの前でそういうものを見せるな。過去の世界じゃそんなに刺激の強い物を見せたらそれだけで卒倒する奴だっているぞ? あいつ、過去の世界からこの未来世界に連れてこられて心がまいっているんだからそんな刺激の強い映像を見せるのは……あいつら、探検隊だけに色んな事に慣れているからいい物を……アグニは特に未来世界には初めてくるんだ。あまり刺激の強いものを見せるのはよくない」
「探検隊……あぁ、あれですか。お金と引き換えに色々やったりお宝を見つけたりと」
「まぁ、そんな所だ」
 詳しく説明するのも面倒なので。そんな所だと説明してコリンは話を続ける。
「でも、済まなかった。今回も殴ったりしてごめん……ていうかさ、一人で怖かっただろ、シャロット?」
「そんなこと、無いです……」
「いいや、俺は過去の世界でも一人では心細かったぞ……今もだが、いつも一緒にいた奴が居ないってのは辛いもんだ……シデンが居なくて、心細くって、折れちまいそうになった事も何回もあった。
 この世界なんて、敵しかいないだろう……置いて行くなんて馬鹿なことをした。本当にごめん」
 謝りながらコリンはシャロットを抱きしめる。
「だから無理すんな。泣いていいし、弱音を吐いても良いんだぞ……?」
 シャロットは床に尻もちをつきながら目を白黒させて、体を震わせる。
「俺も、過去の世界で知り合った奴にそうした、弱音を吐いた……お前も、俺になら甘えられるだろ?」
「えーと……その、すみません……強がってました……本当は、怖くって……でも、怖いのは殺される恐怖じゃなくて……」
「殺されることじゃなかった? 殺されること以外に何の恐怖があるっていうんだ?」
 震えた声で話すシャロットに、コリンはオウム返しで尋ね返す。
「むしろ……私は死にたいくらいなのに……でも、生きなきゃいけない理由があるから……無理して生きて……ああでも、もう一度会えるなら……生きててよかった……コリンさん……死にたかったんだよ、私? 生きることが怖かったの……私……痛いのが怖い、恨まれるのが怖い、怖い夢を見るのが怖い、貴方の訃報を聞くのが怖い……もう全部投げ出してしまいたかった」
 シャロットはボロボロと涙をこぼしながら、コリンの胸に額を擦りつける。
「生きててよかっただなんて、今更思わせないでくださいよ、コリンさん……死にたいと思うことで……こんな世界消え去ってしまえばいいと思うことで、今まで生きてこれたんですから。
 生きててよかったなんて思ってしまったら……この世界を消して、光ある世界を救うなんて出来ないじゃないですか」
 そのまましばらく、シャロットは涙を流し続ける。コリンは何が何だか分からないが、その苦しみを受け止めてやろうとシャロットの後頭部に手を添え、胸に押し付けた。
 いつまでそうしていただろうか、シャロットは震えが収まったところで胸から離れて顔を上げる。

「そして……生きていてよかったと、そう思ってもなお、私は……貴方とは一緒に居られないのですよ? だから、帰ってきてほしくなかった……」
「何故? そんなことを言うんだ……不本意とはいえ、こっちはお前に会えたのは嬉しかったんだぞ?」
「生きててよかったと思うと、消えたくなくなるじゃないですか。この世界を消したくなくなるじゃないですか……全部が全部消え去って欲しいくらい、この世界が嫌いになれば……嫌いになれば嫌いになれば嫌いになれば……この世界を粉々を通り越して磨り潰して原型もなくしてしまいたいほど嫌いになったのに。それなのに、貴方はまた優しい言葉で、嬉しい言葉で私を喜ばせる」
 だんだん病的になってきた繰り返しの言葉の中には狂気が宿る。妖精のようなかわいらしい外見から出たとは信じられないほど低い声で、地獄の深淵まで連れてゆかれるそうな恐怖を誘う声は次第に悪化し、しまいには目も虚ろになる。
「嫌いになれば、この世界に未練なんてない。全部ぶっ壊してなかったことにしてきれいさっぱりに出来るのにまだ世界を嫌いきれない貴方のせいでこの世界を嫌いになれないならばいっそのこと貴方がいなくなってくれればいいとすら思ったから貴方と一緒に居ることを拒んだのに」
 思わず背筋の凍る声でシャロットは宣言する。そしてこの上なく不自然なタイミングで、シャロットはごく自然な笑顔を作る。
「初志貫徹って言葉を知っておりますか? 初志貫徹という意思が弊害となる可能性は否定いたしませんが、でも私は……まだ自分の中の問題を解決していないのです。それを解決するまで……私には、コリンさんと一緒にいる資格が無いのです……大丈夫、私は一人でやっていけます」
 シャロットの不自然なほど眩しい笑顔を見て、コリンは何も言えない圧力を感じる。しかし、ここでシャロットが自分の手を払うことを許してしまえば、シャロットは今度こそ壊れてしまう気がする。
「シャロット。今度は俺と一緒に過去の世界にいこう。絶対にそのほうがいい」
「ごめんなさい……」
 弱々しいシャロットの声が漏れる。
「あっちにはいくらでも素晴らしいものがあるし、それらに触れていれば絶対に気が変わるはずだ……俺だって、シデンじゃない、新しい恋人も出来た。あっちはすぐにいろんな人と友達になれるぞ」
「ごめんなさい……」
「新しい仲間も出来たし、友達も出来た……過去の世界は素晴らしいところだから……意地張ってないで……」
「ごめんなさい!!」
 喉が張り裂け攣るような大声の直後、コリンの首筋に冷たい感触。
「ごめんなさい」
 剃刀のように研ぎ澄まされた木の葉が、コリンの首に当てられている。
「ごめんなさい……」
「いや、済まなかったシャロット。お前がそう言うのなら、仕方ないな」
「ごめんなさい……でも、そんな事は無い、です。私の問題なんて、ただの……無い物ねだり、ですから」
 言葉を所々で詰まらせながら、シャロットは申し訳なさそうに答える。
「でも、本当に良いのか? 過去はいい所だ……ドゥーン達に追われている状況じゃなかったら、心が休まる天国のような場所だよ。そのおかげで、俺もだいぶ価値観も変わってしまったが……過去がいいところなのは変わらないよ」
「もう、言わないで……行きたくなっちゃうから。とても嬉しい申し出ですが、申し訳ありませんが……それでも私は、貴方とは過去に行けない理由があるんです……ごめんなさい」
「分かった、そういう事にする」
「こめんなさい」
 コリンはもう一度抱擁をして、シャロットには見えない位置で微笑む。不意打ちの抱擁にシャロットは何も言えずにコリンの胸に顔をうずめてしばし甘えることにした。
「ずっと寂しかったのに……なんで、今更……糞野郎!!」
 いつもはおしとやかな物言いのシャロットが感情をむき出しにして毒づいた。
「中途半端に期待させないでよ……なんなのよ、なんなのよ……この世界も、貴方も……死にたい私に中途半端に優しくして……傷ついて傷ついて、飢えて苦しんで泣いて壊れて狂って病んで殺して泣いて悲しんで呻いて憎んで恨んで……その挙句、涼風が吹いたら蘇る。そんなの、ただの等活地獄じゃない……
 どんな苦痛の最中に居ようとも……また苦しむために貴方という涼風が吹くなら私に涼風なんてものいらなかった。いっそ、身を焦がす炎が全てを焼き尽くしてくれるならば、私は苦しまずに済んだのに……あぁぁぁぁぁ……なんでこの世界に感情なんてものがあるの?
 そんなものがあるから私苦しくて悲しくて、異々転処(いいてんしょ)の中から抜け出せないのに……」
 そして、独り言を聞いているうちに、シャロットの様子が明らかに正常ではなくなってゆく。
(ダメだこいつ……だが、何とかする時間もないな)
 どうしたものかとコリンは戸惑ったが、それも一瞬の事であった。急に口をぽっかりと空けて、廃人のような表情を晒したかと思えば、急に真面目な顔に戻って一言。
「もう大丈夫です」
 これほどの感情の起伏の激しさは、過去の世界ならば明らかに何かの病気じゃないかと疑うレベルだが、未来世界では気にするのも野暮な程度である。無論、コリンはシャロットが大丈夫ではない気がしたが、シャロットの決意を無駄にしないためにもシャロットのしたいようにさせてやろうと考え、シャロットの言葉を信じた。
「それじゃあ……もう大丈夫ならあれだ。あんまり休んだ気もしないが、そろそろ案内してもらえるか?」
「かしこまりました……では、戻りましょう」
 本当に、先程までの病んだ表情はどこに行ったのか。表面上は大丈夫そうなシャロットにこれ以上ボロを出さないでほしいと願いながら、コリンは二人の元へ歩み戻る。

279:光明 


「すまないな、待たせちゃって」
 シャロットを抱きながら、コリンはシデンの方を見る。はにかんで見せて、少しでも二人を安心させようと努めた。
「あの、殴った跡があるけれど……」
 シャロットの顔を見て、アグニがあっけにとられてそう言った。
「こいつ、あの時のミカルゲと同じで……少し正気を失っていたんだ。だから殴っておかないとどうしようもなくってな……まぁ、他にも色々要因はあると思うけれど……色々あったんだからそりゃ、しょうが無いよな……いつ殺されるかも分からない状況で、一人じゃ怖いだろ?
 加えて、この世界じゃ油断していると心が摩耗してしまう。だから……シャロットのことを誤解しないでやってくれ。本当は、すごく気のいい奴なんだ……な、アグニ」
 シャロットは俯きながら、ぶつぶつと呟いていた。次にどんな言葉が来るのだろうと不安混じりに全員が眺めていたのを感じたのか、無理して作った笑顔を見せてシャロットはコリンを突き放した。
「そんなこと……ウフフ、ヤミラミが来たってどうってことないのに、コリンさんてば心配性ですね」
 強がりのように嘯いたシャロットが寂しげに、そしてはかなげに微笑む。
「シャロット……君、変わったね……いや、変わった子だね……」
「ウフフ……まぁ、否定はしません」
 不機嫌になるでもなく、シデンの言葉にシャロットはさらりと返す。
「なんにせよ……オイラは星の停止を食い止めるために頑張ったんだって解釈しておくよ……さっきの死体見たけれど、吐きそうだったし……うん、あんなの見せつけられたらシャロットに何かする気も薄れるけれど……でも……よくまぁ、あんなことが出来るね」
 アグニが少しぎくしゃくと遠慮がちにシャロットに言う。
「アグニ。未来世界じゃこういうのが当たり前なんだ。奴らは手段を選ばないから……こっちも手段を選ばざるを得なくなるんだ。
 ドゥーン達は俺を強盗殺人犯に見せかけようとして、俺の偽物を仕立て上げたりもしているくらいだ……こっちも、な?」
 そんな態度をとるアグニを納得させようと、諭すような口調でコリンはそう言った。
「オイラは……そんな風に割り切るなんて……」
 と、アグニは言うが、シデンはコリンの言葉にうなずき納得している。
「アグニ。仕方ないさ……どちらも絶対に譲れないわけだしさ……」
「はい、そうですね、ミツヤさん。もし星の停止を食い止めることが出来て、この暗黒の世界が変わるなら……私も、命をかけてそれに取り組むと誓いましたので。そのための命に、私の命も他人の命も関係ありませんよ」
「そ、それはどうなのかと……」
 アグニがきちんと突っ込みを入れるが、シャロットは全く意に介さない。
「ですから、私達が後手に回る前に一刻も早く……ですね」
 シャロットの瞼に一滴の涙がたまるが、シャロットはすぐにそれを拭い、笑顔に戻る。
「それで、時の回廊は?」
「はい、今は運よく近くにあります。現在はこの森を越えた高台の上に時の回廊はあります」
 コリンは頷く。
「よかった……早く案内してくれ」
「はい! 今回時の回廊を渡るのはこのアグニさんとミツヤさんを加えた三人ですか?」
 シャロットはアグニとシデンを軽く一瞥するように見て確認した
「ああ、そうだ。行きずりで仲間になってな……」
 その時シャロットは強烈な違和感を感じて、シデンを凝視する。
「な、何かなシャロット? 私の顔に何か付いている?」
 不安気にシデンが尋ねると、シャロットは首を横に振り、真剣な表情からいつもの笑顔に戻す。
「いえ、なんでもありません」
 深呼吸で呼吸を整え、少し後ろへと飛んで全員を見渡せる位置につくと、シャロットは高らかに宣言する。

「では、皆さん。行きましょう、時の回廊へ」
 当然の如く、アグニとシデンには頭の上に疑問符が浮かんでいる。
「ねぇ、コリン……その、時の回廊ってなんなの?」
 たまらずアグニはコリンへ聞く。シャロットの方が当然詳しいと思われるのだが、同じ質問をシャロットに聞かないところを見るとアグニはシャロットが苦手なようである。
「時の回廊はセレビィの時渡りに使われる回廊で……時空を越えることが出来る秘密の道だ」
 コリンがそこで言葉を切ってしまったので、シャロットが補足するように続ける。
「小さな時渡りだったら、私の体一つで行けるんだけれど……時代を大きく超えるような時渡りは、回廊を使わないといけないの」
「じゃ、じゃあオイラ達もその回廊を通れば……」
「あぁ、過去へ戻ることが出来る」
「……ッ」
 コリンの言葉によって、アグニは嗚咽を漏らし目には涙を浮かべ、膝から力が抜けた。
「よかった……」
 彼の表情に希望の色が宿っていく。震える呼吸で笑いながら、故郷のトレジャータウンがより鮮明に思い浮かぶのを感じて、アグニは胸から込み上げるものを押さえられずに吐いた。
「なんとまぁ……まぁこんな状況に初めて遭遇したら仕方がないか」
 コリンはシデンと一緒に、四つん這いになるアグニの背中をさすり、吐くのを手伝って笑う。遠巻きに見守るシャロットは、手に届く距離にいるのにどうにもできないコリンを見つめて悔しそうに歯を食い結んだ。

「ごめん、色々と迷惑かけて」
「まったく……アグニは結局まだ怖いんだね」
「そりゃ、隠しちゃいるけれど……怖いものは怖いよ。でも、コリンやシデンと一緒なら……過去の世界に帰られるなら。大丈夫……きっと大丈夫だから」
 そう言って強がってはみたものの、恐怖を隠せない恥ずかしさと、無様な姿をさらした恥ずかしさでアグニは顔をそむける。
「アグニ……怖いって感情は大事だ」
 コリンは腰をかがめ、気丈に振舞おうとするアグニの頭を手繰り寄せ、耳打ちするようにささやいた。
「だから大切にしろ……でも、恐怖に支配されるんじゃなく、友達のように上手く付き合っていけ」
 その様子を一通り見守ったところでシャロットが笑う。

「ふふ、仲のよろしいことで。でも、そんな声の掛け合いもよろしいですが、時の回廊が移動してしまう前にお急ぎになった方がよろしいですよ? 回廊は気まぐれですからね」
「うん、ごめん……シャロット。みんなもごめん……行こう」
 アグニがかけた声に一行は頷き、再び森の高台のダンジョンを目指した。















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コメント 

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  • >2013-11-03 (日) 02:46:36
    大体はお察しの通りなのです。ダークライの件がなかったら、アグニを成長させるためにも消えたままにするのが神としての役割だったかと思います。
    シデンを復活させたのも、おそらくは苦渋の決断だったのでしょう。ソーダは……私ももうすこし救ってあげたい気持ちですw

    テオナナカトルは、その通りコリンたちの世界の未来ですね。すでにコリンたちの戦いは神話になっているようです
    ――リング 2013-11-22 (金) 00:37:02
  • ふむふむ、こうして読むともし原作のストーリーにダークライの話が無かったら、リングさんバージョンはシデンが復活しないまま終わってたのかなって思いますね。

    ソーダがちょっと可哀想でした。

    テオナナカトルって多分、コリンたちの世界の未来の話ですよね?
    ―― 2013-11-03 (日) 02:46:36
  • >狼さん
    どうも、お読みいただきありがとうございました。
    『共に歩む未来』のお話では、もう一つの結末というか、私としてはこちらのほうがよかったという結末を書いて見ました。
    ディアルガのセリフから察するに、本当の未来はシデンが生き返らない方であったという推測が自分の中でありましたので……。
    こんな長い話ですが、読んでいただきありがとうございました
    ――リング 2013-06-26 (水) 09:49:35
  • 時渡りの英雄読ませていただきました。私は探検隊(時)をプレイしたのでだいたいのことはわかるのですが時渡りの英雄ではゲームとは違ったおもしろさがありゲームではいまいちでていないところまで実際そんなストーリーがありそうな気がしたり(当たり前か)してとてもおもしろかったです。
    『ともに歩む未来』では[シデン]が蘇らないのかと思ったら[アグニ]の夢というおち、少しほっとしたり…。
    これからも頑張ってください。
    ―― ? 2013-06-17 (月) 21:31:32
  • 時渡りの英雄これから読んでいきたいと思っています。
    時渡りの英雄は10日ぐらいかかると思われます。
    読むのが楽しみです
    ―― ? 2013-05-25 (土) 02:02:01

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*1 日本風にすれば正の字と同じ意味を持つ

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Last-modified: 2012-01-20 (金) 00:00:00
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