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時渡りの英雄第18話:未来世界へ・前編

/時渡りの英雄第18話:未来世界へ・前編

時渡りの英雄
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260:帰還報告 

 崩れ去り、廃墟も同然となった建造物。建物の残骸が虚空に浮かび、それはまるで絵画が崩れ去る建造物を捉えた絵のようだ。
 予備知識がない者が見れば、それは何かの力が働いているとしか思えない光景。だが、その逆である。
 その実、こうして浮かんでいる岩には何の力も働いていない。時間すら、重力すら働いていないからこそ、残骸が浮かぶ。
 ここは、時間が停止した未来世界だった。
「お待たせしました、トキ様……少し苦労は致しましたが、ようやく捕まえる事ができました」
 そこにいたのはドゥーン。彼の色合いは建造物の色とそう変わらない、いわば保護色でありながら彼だけ纏う空気がまったく違う。恐らく、同じ大きさで派手な色合いのポケモンがいたとしても、ドゥーンへ真っ先に目が行ってしまうくらいには強い威圧感を携えてその場にいる。
 威風堂々と言えば聞こえがよいが、禍々しさと毒気を含んだ空気は、それとは少し似て非なるものを感じる。そしてそのドゥーンですら小さく見える禍々しさを纏う巨大な陰。四足の奇蹄目*1体型。色は時を象徴する紺色を基調として、体の所々に朱色のラインが走る。
 全身の所々に鋼の装甲を纏い、扇形の尻尾は見事な光沢を持っている。巨大な金剛石のはめ込まれた胸は、その巨体の力の源として雄々しく、誇らしげに鈍い光を照り返す。
 彼の者の名は、ディアルガ。名はドゥーンが言ったとおりトキである。
 トキが唸る。傍目には何を言っているのか理解し難いが、テレパシーによる会話であるため、二人以外にその会話の内容を図り知ることはできない。
「心得ております。歴史を変えようとするものは……消すのみ。準備が出来次第すぐに排除します」

 ◇

 トキへの謁見を終えて、ドゥーンは星の守り人の詰め所にある自室へと向かう。
(これで、コリンとシデン……面倒な奴をほぼ一掃出来る。そして……アグニも。そうなれば、あとはシャロットのみが私たちの反抗勢力。いや、既にシャロットは捕らえられているのかもしれんな……後で部下の報告を聞かねば……)
「お、ピート」
 そんな事を考えながら歩いていると、ドゥーンは自分の直属の部下であるヤミラミと顔を合わせる。未来世界への居残り組みであった彼ならば、シャロットの行方も知っているはずだ。
「は、ドゥーン様!!」
 ヤミラミのピートはドゥーンに敬礼を交わして畏まった。
「シャロットの首尾はどうなった? 星の調査団はもうあいつだけのはずだが、あいつは捕まえたか?」
「……申し訳ございません」
 ピートは非常に気まずそうな顔をして、嫌な事は早く済ましてしまおうとばかりに、全力で謝った。
「何があった?」
「は、はぃぃぃ……私達の手では軽くあしらわれてしまいそうなので……『時の守り人』の生き残ったメンバーを集結させて、最初は最高幹部を含む五人組で行かせたのですが……惨敗しました。
 しかも、殺した相手の死体にフェイスペインティングをしたものやひき肉にしたものを箱詰めにして調味料と名札付きでここの近くに送ってきて……次に向かわせるべきメンバーも恐れをなして大半の刺客は逃げていったんです……」
 ドゥーンは苛立たしげに腹にある口を歯軋りする。
「それで……?」
「は、はい……その後、幹部と雑兵合わせて、今度こそ失敗しないように……と、二十九人で向かわせたのですが、惨敗。次はもう自棄になって新しく入った戦力も合わせてすべての戦力を一気に投入して六十八人の大編成で向かったのですが全滅しました。
 ……とにかく、生き残りは二度とシャロットには関わりたくないと言っております。残った部下もほぼ全員、『時の守り人』を離脱しました。
 今回も死体を人柱にして飾って、なんだかよくわからない草の鎧の中に組み込んで……もう滅茶苦茶ですよ……あいつは同じ『ナカマ』である事が信じられません!!」
 ヤミラミの言葉が終るとともに、ドゥーン壁を殴りつけて、砕き割った。

「ヒィッ!!」
「……コリン達を始末したら、トキ様とともにシャロットを始末しに行く。お前らも参加しろ……良いな?」
「は、はいぃぃ!! 了解です」
 ここは大人しく従うしかなかったためにそうしたものの、ヤミラミはシャロットと戦う事が心底嫌すぎて、その後しばらくは食べ物が一切口を通ることなく、体調を崩す事となるのだが、それはまた後の話。
「え、えとそれとなんですが……悪い知らせです」
「これ以上、どんな悪い知らせがあるというのだ!?」
「クシャナ=メタモンが、死にました。伝令役のフレッド=ピジョットに宛てて遺書を残して、自殺したそうです……」
 数秒の沈黙。
「遺書の内容は?」
「要約しますと……『自分がしたことは未来世界のためだとわかっていても、罪の意識に耐えきれません』だとか、わけのわからないことを……」
 『わけのわからない』と、言われてドゥーンは一瞬訳が分からなかった。しかし、数秒後に理解する。
(そうか……未来世界では罪の意識なんて感じている暇もない世界だったな……こいつは、過去へは行っていないから……わけがわからんのも無理は無いか)
「わかった……遺書の原文はあるか?」
「ありますが……今ここには……」
「そうか、あとで見せろ」
 それだけ言い終えると、ドゥーンは自室へと戻る。一人になると、言いようのない悲しさや悔しさが押し寄せて少し涙した。
「私だって自殺したいくらいだよ……くそっ……アグニもシデンも、本当だったら……」
 部下や上司の前では冷静に振舞っているが罪の意識がないわけじゃないんだと、誰かに愚痴りたい気分だが、それが出来る相手はいない。

261:脱出の手立て 


(さて、どうしたものか……荷物は全て奪われてしまったようだが、幸運な事に(はなむけ)の食事に木の実を出してもらえたからな。  クラボの実……これで自然の恵みを利用して日を起こせる。炎を出せば何とかなるようなロープだといいが、ならなかったその時は……もう一つくらいの策を考えておこう。
 とは言え、処刑する時は体をぐるぐる巻きにされてしまう。縛られているせいで体も動かず、大切なその部位にまで手が届かないなんてことになったら目も当てられないし……処刑される時までに縛り方を変えてもらえるといいが……いや、やはりもう少し方法を考えよう。
 あぁ、腐った果実の匂いで俺の体が無茶苦茶臭いな。早く体を洗いたい……いや、寝るか、今起きたばかりだけれど……これからしばらく眠れないかもしれないし、無理矢理にでも)
 コリンは捕らえられてからというもの、ずっと眠ることすら出来ずに変な思考が頭の中をぐるぐる空回り。コリンはひたすら目を閉じ、眠ろうとするのだが眠れない。いい加減悪臭にも慣れてしまって、匂いもどうでもよくなりうとうとし始めたのはいつごろの事であっただろうか。

「眠っているとは余裕だな、コリン?」
 寝入り端を起こされて目を覚ますと、仰向けに眠っていたコリンの顔の上にヤミラミの顔があった。
「あぁ、焦って疲れる事に何か意味があるなら別だが……焦って意味のあることなど……無いだろう?」
 自嘲気味にコリンが言うなり、彼の頬に三本の線が走る。コリンは鋭く、冷たくて熱い感覚を感じて、引っ掻かれたのだと分かった。
「減らず口はためにならんぞ?」
「フンッ、縛っていなければ攻撃一つ出来ない臆病者がよく言うな?」
 ヤミラミはコリンの台詞に舌打ちする。だが、すぐに処刑に入ることが出来るからだろうか、その際に苦しみ、死を請う光景を思い浮かべてほくそえんだ。
「さぁコリン。ついて来い……こっちだ」
 乱暴に導かれるままに、コリンは処刑場へと案内される。不気味なほどに落ち着いた態度で。
 予想通りといったところか、コリンがエリックの最期と同じように柱へ縛り付けられる。その縛り方は乱雑なものではあるが、これでもかというほどぐるぐる巻きにされたそのロープを外すのは苦労しそうだ。
 しかし、少なくとも股間に手を伸ばすくらいならば事足りる。
「ぬわぁ!! なんだ……冷たいな」
 コリンは目隠しをはずされ、水をかけられる。
(エリックが処刑された時はこんな事をされた覚えはなかったが……)
 辺りを見回してみると、猿轡を取り付けられたピカチュウとヒコザル。
(そういえば、見張りの話だとあいつらも捕まっていたな……と、言うことはなるほど……この水はヒコザル対策と言うわけか。これじゃ、ロープを燃やすことも不可能……ということか?
 だが、この程度の水じゃあまりにお粗末だな。ロープの下の部分が濡れていない。これなら手元が燃やせるじゃないか)
 コリンは、腕をのばして股間に触れる。ここ数日間縛られたまま洗っていないため少々匂いが付いてしまいそうなのが気になるが、そんなことに構ってはいられない。

 手の中にしなびているクラボの実を隠して二人を見てみると、彼らは恐怖でおびえているようで、すっかり目隠しを濡らし身を縮めている。
 そこに、コリンと同様に水が掛けられた。アグニだけはコリンやシデンとは違い、炎タイプであるせいか特に念入りにロープを濡らされている。
 最早涙で濡れているのか、かけられた水で濡れているのかどうかも分からなくなった目隠しを取り外され、ヒコザルとピカチュウは辺りを見回した。
「……こ、ここは!?」
 しかし、まだ目が正常に働いていないのか、もしくは状況が理解しきれていないのか、ヒコザルのアグニは縄を抜けようともがく。
 縄は傾ぐ様子も無く、ただ疲れただけと言う全くの無駄ではあったが。
「うぅ……縛られて動けないよ……どうして、どうしてこんな事に……」
「アグニ……まずはとりあえず、落ち着いて状況を整理してみようよ?」
 アグニから見て、コリンを挟んで向こう側にいた、パートナーであるピカチュウの言葉を聞いて、一気に顔を明るくさせる。
「ミツヤ……あぁ……よかったぁ……無事だったんだね!」
 やれやれと、呆れ気味にコリンはため息をつく。
「ふんっ。これからどうなるかも知らないでずいぶんと暢気なものだな?」
 二人は真ん中の柱に縛り付けられた人物をコリンだと認識し、真ん中の柱を凝視した
「え? その声その口調……お前、ジュプトルか!?」
「コリン……よね? 何でここに……?」
「お前達、ここが何処だか知っているのか?」
 冷めた口調でコリンは二人に問いかける。
「し、知ったことか!!」
 アグニはコリンを突っぱねる。
「そうか。ここは処刑場だ……ようこそ死に場所へ」
 溜め息をつきつつ、町の名前を案内するように平然とコリンは言う。
「えぇ……?」
 しれっとした口調には危機感を感じられず、二人はしばらくの時間、その言葉を理解できなかった。
「え、ちょ、処刑場だって!? ちょ、ちょっと待ってよ……お前が処刑されるのならオイラにだって分かるよ? でも、何でオイラ達が! オイラ達何も悪い事していないよ?」
「ふんっ! そんな事俺の知ったことでは無いな。ドゥーンのセカイイチでも盗み食いしたか、それともそっちのピカチュウのお別れの言葉が気に触ったか……なんにせよロクでもないことをやらかしたんじゃないのか?」
 口喧嘩をしながら、コリンは処刑場を見回す。どうやら処刑場の柱は老朽化しているらしく、所々にヒビが走っていた。

262:口喧嘩 


「なんだって!? オイラ達、ホウオウに誓ってやましいことの一つだってあるものか! お前と一緒にしないで欲しいね」
「どっちでもいい……そんな事言っている間に、ほら……お出ましだよ」
 暗幕が取り外され周囲が明るくなる。ようやく全体が見渡せるようになった二人の目に映ったのは、先ほど自分たちを連れてきたヤミラミと、そのほかのヤミラミ、計六人。
「あいつらは……?」
「どう見ても穏やかな雰囲気じゃないのは確かだね……処刑場って事は……」
 震える声で、目には涙を浮かべながらアグニが尋ねた。シデンの方は、理解しているが、何もアグニとて理解していないわけでは無い。
 ただ、現実を認めたくなかったのだ。
「そっちのピカチュウは大体理解しているようだな。やつらは処刑場の執行人であり……そして、ドゥーンの手下だ」
 二人の頭上に疑問符と感嘆符が同時に上がる。
「えぇ……!? ドゥーンさんの……? あ、ドゥーンさん、オイラだよ、アグニだよ……ねぇ、このロープを解いてくださいよ……オイラ何も悪い事していないよ?」
 ドゥーンは何も答えず、何事かをヤミラミと話している。
「ドゥーン様。三匹を柱に縛り上げました」
(くく……俺たちは『ヤセイ』と同じ扱いか。『匹』と呼称するなんて『ナカマ』としての最低限の尊厳すら与えていないというわけだ……流石だよ。そこまで豹変するかい、お前は)
「……なんで、何でオイラ達が『匹』なの? オイラ達『ナカマ』だよ?」
 アグニはあくまでドゥーンのことを信じようとして、悲痛な叫び声で訴える。ドゥーンは答えない。
「よろしい」
「ドゥーンさん! オイラだよ、アグニだよ!!」
 答えない。
「では、ヤミラミ達よ。これから三匹の処刑を始める」
「ウィィィィィィィィ」
 ヤミラミ達が、歓喜に震えるように声を上げる。少なくともアグニにはそうとしか見えない。
 そのヤミラミ達は、(これもアグニの私見ではあるが)喜々として死体を処理するための箱やら掃除用具やらを準備する。
「い、嫌だ……ドゥーンさん。オイラ達だよ? あ、た、助けて……親方、サニー、チャット……誰か、誰か助けてよ!!」
 アグニは恐怖のあまり心が壊れ出した。居もしない幻影に助けを求めて取り乱す姿は見苦しさを感じざるを得ない。

「ふんっ今ここに居ない存在に助けを求めてどうしようと言うんだ? 心を強く保って自分で何とかしろ……石畳に咲く花なんてすごいぞ? 草の癖に石畳を割って生えてくるんだからな」
 二人の口喧嘩に呆れていたピカチュウの顔が上がる、どうやらコリンの言葉に活路を見出したようである。
「アグニ、叫ぶよりも、せめて火炎放射で燃やすくらいの努力をしたらどう? ロープは濡れているけれど案外何とかなるかもよ?」
 コリンの厳しい一言とシデンの冷静な一言は、アグニの耳に入っている様子はない。ギャーギャーと喚きたてることを、アグニはやめようとしなかった。
「な、あ……オイラ達どうしてこんなことに……誰か助けてよ……ミツヤ……ミツヤ。ガウス保安官、だ、誰かぁ!!」
 ふん……まぁ、まだ未熟な子供だ。取り乱すのも無理ないか……だが、むしろ注意があちらに向くから好都合だ。
「あいつに何を言っても無駄だ、アグニとやら……それより、奴らの処刑方法は乱れ引っ掻きだ……多分、かなり痛いから歯を食い縛っておけ?」
「ひぃ……な、何でジュプトルはそんなに落ち着いているのさ!? 何か勝算でもあるの」
「……そうだよ、コリン。何か策があるなら聞かせなさいよ」
「策など……ない。自分で考えろ。ただ、俺が死んでも何とかしてくれる信用できる人物がいる……それだけの話だ。だから安心して死ねる……そう言う事だ。はは、死ぬのには変わらんがな。
 痛みを感じないように、なるべく早い所死んでしまおう」
 コリンは自嘲気味に笑う。
「とにかく俺は……死んでも悔いはない。だから笑っていられる」
「そ、そんな……オイラ嫌だよ。まだやりたいこといっぱいあるのに……まだ女も知らないのに……」
「女……教えて欲しかったの? だったら、なんであの時……」
「おや、まだ女を知らなかったのか?」
 こんな非常時に下心丸出しのアグニに、シデンは呆れ気味に呟き返し、コリンは童貞を見下すような口調で笑う。
「そう言うジュプトルは知っているのかよ!! どうせ童貞だろ!?」
「知っているわ! 未来世界で何個卵産ませたと思っているんだ、それに過去世界での旅の途中に何回も経験しているっ!」
「どうせ、金で買ったんだろ!!」
「この世界では違うが……過去の世界でのことは言うな!! 相手は出稼ぎだなんだで……金を求めているとか色々あったんだ……それにきちんと恋人だって出来てたんだぞ……」
「だったら、体の関係を持たずに金だけ渡してやればよかったじゃないか!! 結局は体目当ての癖に」
「いいだろ!! 道連れも無しに旅をしていると色々溜まってしまうんだよ!! それに、普通に恋仲になった奴だっている!! 結構モテるんだぞ俺!!」
 こんな非常時だというのに二人は痴話喧嘩に盛り上がりを見せ、シデンは呆れてため息をついている。
 いつしか、大声を出しすぎてお互いに息切れをしていた頃のこと。

「ドゥーン様。処刑の準備が出来ました」
 と、言ってもヤミラミ達は、掃除用具の用意と爪を研ぐくらいしか準備らしい準備はなく、馬鹿が喚いているとばかりにアグニとコリンの口喧嘩を笑っていた。

263:脱出 


「よろしい。しかし、最後まで油断するんじゃないぞ。特にコリンにはな? では、始めろ」
「ウィィィィィ!!」
「嫌だ……嫌だ……オイラ死にたくない……嫌だ」
「ふん……なら足掻けばいい!! 足掻きもせずに泣き言をいうな。その点、石畳に咲く花は凄いぞ? なんてったって、土の上に落ちられなかったのに、あきらめずに石畳を割って花を咲かすんだからな」
「どうでもいいよ、そんなこと!!」
 アグニが大声でコリンに突っ込んだところで、ヤミラミがいっせいに踊りかかる。
 シデンとコリンは草が成長する力を柱のわずかな隙間に及ぼし、柱に亀裂を入れる。
(ほう……草結びを使えというヒントに気付いたか……あのピカチュウ、大したもんだ)
 シデンが褒められる行動をしている横で、アグニは尋常じゃない恐怖によって小便を漏らしていた。一人だけ脱出に何ら役立っていないが、許容量を超えた恐怖は身体的な外傷を何ら与えられていないはずの状態でも猛火を使うことを可能にした。

 シデンとコリンが『草結び』。アグニが猛火状態の『オーバーヒート』。
「ウィ……!? 柱が砕けて……」
 二人を縛り付けていた柱には急速に亀裂が入り、瞬く間に音を立てて一部が崩れ、シデンとコリンはその隙間から器用に這いだした。
 アグニはその桁違いの火力のせいで、ヤミラミが手出しできずに戸惑っているうちに、ロープに含まれた水分すらも蒸発させて焼き切り、縛り付けられた状態から抜け出した。
「貴様……柱にヒビを入れて脱出などと……」
 予想外の方法で脱出されて、ドゥーンが歯軋りする。
「ほう、驚いたか? 草結びは俺の得意技でねぇ……過去の世界に居た頃は石畳に咲く花に感動したものだから」
 コリンはわざとらしく語ることで自身を注目させると、これ見よがしに頭の葉から閃光を放つ。その閃光は放った本人とシデンを除き、アグニも含め一人残さずまともに閃光を見てしまった。
 つまり、間抜けな事にアグニは閃光を見てしまった。

「うわあああぁぁ!」
「ま、眩しい!!」
「何も見えない!!」
 口々に、ヤミラミがうろたえる中、コリンが燃え尽きたアグニを縛るロープを全て叩き切る音、アグニを小脇に抱えてシデンと共に走り去る足音は叫び声の中にかき消される。
「うろたえるな! ただの光だ。それよりも足音をきちんと聞け!!」
 破れかぶれになったドゥーンは、せめて一太刀とばかりに岩タイプの目覚めるパワーでアグニだけでも倒しにかかるが、アグニがいたはずの場所にはもう手ごたえがなかった。
「は、はいぃぃ!! かしこまりましたぁぁ」
 ヤミラミ達はドゥーンの怒号と、ドゥーンの目覚めるパワーの衝撃音を聞いて竦み上がり、押し黙る。そうして静かになったところで、ドゥーンは耳に手を当て周囲の音に耳を研ぎ澄ませた。
「……くそ、すでに遠くへ行ったか」
 音がするほど歯を食いしばり、ドゥーンは吐き捨てる。

 ◇

「ふぅ……生き返った……」
 コリンは言い終えて、数日間縛られたまま飲まず喰わずで体力も精神力も限界近くまで張りつめていた糸が切れたように、ひざまずく。
 実は、コリン達は処刑場から真っ先に逃げるのではなく処刑場の床に穴を掘って隠れ、ドゥーン達が出払ったところで悠々と処刑場を後にしていた。その後コリン達は、自分たちの奪われた荷物を取り返すために別室を探り、その過程で見張りのヤミラミとすれ違う事になり肝を冷やしたコリンがとった行動は、殺して食べること。
 食べると言ってもまずは経口では無く、今回はコリンのギガドレインで栄養を直接吸収し、それによってパフォーマンスの低下した体に活力を取り戻す行為のことを指している。
 そうして逃げ去る際、あわやというところでドゥーンとすれ違いそうになったのだが、再び穴を掘って隠れることで何とか凌いだのである。だが、いろいろ問題があったようで……
「ちょっとコリン……さっきといい、今回といいどこ触っていたのよ? まだアグニにも親方にも触らせてなかったのに……自分の純潔が……」
 口の中に入った土を唾とともに吐き捨てて、シデンはコリンに詰め寄った。女性として大切なところと言えば下腹部もしくは胸だがそれを触らせる対象にアグニはまだしも親方が入っている時点で何かがおかしい。
 恐らく、ソレイス=プクリン親方は異性を惑わす香りを放つメロメロボディの特性を持っていること、そして修行のためにそれをあきるほど嗅いだ経験が原因と思われるが、もちろんそんなことはコリンの知る由もない。
「触ったからと言ってどうとも思っていないから……それと狭かったんだから文句を言うな」
 反応に困りながら、コリンは呟くように反論した。
「そうは言われても……自分の女の部分を触られるとかないわよ……このロリコン!」
 シデンの中で自分はロリータであるつもりらしいことに、コリンは何とも複雑な気分になる。
「オイラのも触られて……って言うかコリンの口に当たってた……このショタコン!! というか、コリンの股間真っ白じゃないか……何かいやらしいことでも考えていたんじゃないの?」
「知るか!! というか無駄口を叩くな……見つかるぞ?」
 コリンは頭を押さえて、うな垂れるように反応に困りながら、ため息をつく。シデンはアグニにコリンの股間の事を言われてコリンの股間を凝視してしまい、目を逸らし……そうになったが、もう開き直って凝視した。
「仕方ないだろ? 俺が……何かあった時のために仕込んでおいたクラボの実の隠し場所がスリットの中なんだよ。そこまでは流石にヤミラミ達だって調べないだろうからな……結局、縄を燃やそうと思ったが、燃やす必要もなかったからそんなことする必要もなかったんだがな。
 ともかく、数日間縛られたままで小便も出来なかったからこんなことになっちまったんだ。この白いのは小便の色だ。腕が動かせないからかなり苦労して指だけでまさぐっていたら……というかすまん、詳しく言わせないでくれ……恥ずかしいから!!
 っていうか、そっちのピカチュウ、凝視するな……」
 コリンは両の手を駆使し、顔を赤らめながら股間を隠した。
「大じゃないって……まさか精えkモゴモゴ」
 アグニはその先を言おうとしてコリンに汚れていないほうの指で口を塞がれる。
「覚えておけ……俺達の小は、真っ白で量は少な目なんだ。断じて精え……すまん、女性の前で言わせないでくれ」
「どちらにせよ公衆の面前でスリットの中に手を突っ込んだのか……変態」
「俺、そう言う種類の悪者か? というかヒコザル、お前ちゃんと体洗っているのか!? 臭いぞ」
「失礼な!! オイラは毎回きちんと仕事の後に入っ……ていないや。そういえば仕事から帰ってきて早々、体を洗う前にオイラ達ドゥーンさんに呼ばれたんだっけ……かれこれ三日以上洗っていないことになるね……」
「うぇ……そんなものが俺の頬に……後で顔洗わなきゃ」
 コリンは左頬を指でそっと撫で、舌を出しながら眉間に縦ジワを寄せる。
「悪かったね……」
 アグニも負けじとすねるような表情で、コリンを睨む。
「というかお前ら、今は緊急事態という自覚はあるのか!? とりあえずは凌いだが、まだ危険が去ったわけでは無い。
 早く脱出するぞ。ほら、こっちだ!!」
 コリンはここに一度来たことがあるせいか、ここの地形をある程度知っていた。コリンに手招きされるままに、シデンとアグニは走り出し、後を追う。

264:逃走 


「おい、もっと全力で走れ!!」
「コレでも全力なんだよ……いちいちオイラに命令しないでよ……」
 コリンの圧倒的な持久力の前にアグニは疲労困憊といった様子で返答する。シデンにいたっては返答する気力すらないように見える。
「それより、ジュプトル……」
「なんだアグニ?」
「ドゥーンさんに連れられて、お前と一緒にここにいるってことは……ここは、未来なの?」
 目が覚める前まで自分が居た場所とは明らかに違う雰囲気に、アグニは不安を抱えた表情で訪ねた。
「そうだ、よく分かっているじゃないか」
「うぅ……やっぱりそうなのか。オイラ達、元の時代帰れるのかなぁ……」
 アグニは不安なのか、反射的に身を縮こまらせる。
「さぁな。それより今は逃げること……ここから一刻も早く離れることだ。つかまったら元の世界も何もない。ドゥーンは親切なヨノワールだから霊界までご丁寧に案内してくれるかもな。そうなりたくなかったら、もっと速く走れ!!」
「無理だよ! オイラもう疲れたよ……」
 アグニはコリンの腕についた葉をつまんで休みを懇願する。
「なら、無駄口を叩くな。ミツヤを見習ってもう少し優先順位を考えるといい。ここが未来であることを一刻も早く知ってから死ぬか、未来である事は後で分かるが生き残れるか……それくらい探検家じゃなくとも分かるだろう!?
 まったく、縛られていた時に無駄にあがこうとするから疲れてそうなるんだ。お前は後先をもう少し考えろ」
 コリンが戒めると、アグニは答えなかった。
「そうだ、それでいい!! そら、もう少しだ! 出口が見えてきたぞ」
 眩しい……とまでは行かなかったが、少し明るくなっていて初見の二人であっても、確かにそこが出口だと分かった。
「やった……やっと……外だぁ」
 だが、アグニが立ち止まり、そうして喜んだのもつかの間。建物の内部以上に異様な光景がそこには広がっていた。

「コレは……ここが、未来の世界なの? 岩とか浮いていて……ずいぶん不思議なところだけれど……風も吹いていない。
 ま、まるで……全ての動きが止まっているような……」
 アグニやシデンが見た光景は、異常だった。それこそオブジェのように当たり前に岩が空中に浮かんだまま静止しており、身動き一つしない。
 そして、道端に生える木は葉をつけることなく、草は一本も生えていない。
「その通りだ」
 二人にどんな顔をして話すか決めあぐね、コリンは少し間をおいて考えてから口を開いた。
「え……?」
「え……?」
 シデンとアグニ、二人の声が重なった。
「ウィィィィィ!!」
 呆然とコリンの返答を待っていた二人は、突然どこからともなく聞こえた声に背筋を凍らせる。
「わわっ!! ヤミラミの声が……」
「アグニ、行かなきゃ」
 シデンがアグニの肩を叩き、奮い立つように促した。
「そうだ、早く逃げるぞ!!」


 一行はさらに、処刑場から離れた小高い丘までたどり着く。普段ならなんてことの無い距離のように思える距離だったが、コリンの持久力に付き合いながらの走破に、二人の疲れは限界に達していた。
「……無理。ねぇ、ジュプトル……オイラもう疲れたよ」
「休んでいる暇は無い! つかまったら御仕舞いだぞ? ミツヤみたいに根性で走れ」
 上半身だけをアグニの方へ向けて、コリンは喝を入れる。
「そんな事言っても……」
 だが、それも無駄だった。アグニはついに膝をついて四つんばいの体制になる。
「ダメだ……オイラ休むよ……」
 アグニはゼニガメやナエトルのようにへたばり、尻の炎も極めて弱々しい。
「仕方がないな……こっちだ」
 コリンは舌打ちをしながら、アグニを後ろから抱き上げ、岩陰へと運ぶ。シデンは何とか自分の足でそこまでたどり着くと、泥のようにぐったりと横になった。
「ここは岩陰になっている……ここだと奴らも発見しづらいだろう。少し休んだら出発するぞ。尻の炎は消しておけ。居場所を教えているようなものだからな」
「ちょ、ちょっと待ってよ。処刑場から脱出する時は仕方なく協力したけれど……でも、オイラ達はその後もお前と一緒に行くって約束したわけじゃない!! お前みたいな悪い奴信用できないよ!!」
 急かすコリンの提案にしかし、アグニは納得しなかった。

265:先に行く 


「アグニ……本当にそう思うの? 今は何を信じるべき?」
 毅然とした態度でアグニはコリンを拒絶したが、シデンは拒絶する事に乗り気な感じではなかった。
「フン! パートナーもあぁ言っているように……俺が悪者であのドゥーンがいい奴なのか? じゃあ、さっきの行動はなんだ? 俺と一緒にお前達まで消そうとしたじゃないか!?」
「だ、だって……あの優しかったドゥーンさんが……オイラ達を消そうとするなんてありえないよ……水浴びを邪魔するなんて……ありえないよ。
 あれは、柱に縛り付けたアレは未来で流行っている新しい風呂の方法なんでしょ!? 砂風呂や岩風呂みたいに爪風呂って言う……ほら、垢だってよく落ちそうだし……」
「違う!! それは垢が落ちるどころか皮膚が抉れているんだ。大体、垢どころか血の色の赤まで滴り落ちているじゃないか!!」
「だ、誰がうまいことを言えと……」
 シデンは呆れてアグニとコリンに突っ込んだ。
「それに、何故俺までお前たちと一緒の風呂にいれるんだ!! 殺すつもりでなければ、俺とお前らが同じことをされた理由はなんだ?」

「あの、アグニ……コリン。二人とも何か会話がずれていない?」
 少しばかりおかしな会話をする二人に、シデンは冷静につっこんだ。
「うぅ……でも、かと言って……オイラはあの時、頭を下にされて穴に突っ込まれたから、お前の酷い匂いがしたけれど……そっちも……ジュプトルもすごい匂いだったよ? ドゥーンさんは、殺す時は死体であっても敬意を払うために体を洗ったほうがいいって思ったんじゃないの?
 だってジュプトル……水浴び、しばらくしていないんでしょ!?」
「あぁ……確かに、俺は水晶の湖で奴に捕まる二日前から一度も水浴びはしていないし、腐った果実を投げられても体を洗えなかった……かれこれ一週間以上体を洗っていない事になる。
 だが、それがどうした? 俺は体を洗えばそんなにきつい体臭ではないんだ!! さらに言うならば、お前らと違って極端に新陳代謝が遅いから老廃物もたまりにくい。お前のように汗をかくポケモンとは違ってな」
 コリンの言葉にアグニは認める事はできないと言う意思表示でもするように、目を瞑り首を振った。
「でも、今お前が体臭がきついことに変わりはないじゃないか……そうでしょ!?」
 アグニは地団駄を踏みながら、溢れる涙を地面に落とした。

「いや、あの……二人とも? 何かおかしいよ」
 二人が感情的になっている中、シデンだけは落ち着いていて、その温度差はいつになく激しい。
「チィッ……どうも信用してもらうのは難しそうだな。仲間は少しでも多い方がいいと思ったが……信用がなければ一緒にいても仕方がない。
 ここで別れるしかないだろう。俺は先を急ぐ。お前達も、奴らが嗅ぎ付けないうちになるべく早くここを出ることだな」
 コリンは一歩前に出て、アグニ達のほうを振り向く。
「じゃあな」
「ちょっと待ってよ」
 踵を返して走り出そうとしたコリンを、アグニが呼び止め、コリンは足を止めた。下半身は動かさず、上半身だけをねじって振り返り、コリンは問い返す。
「早くここを出ろって言ってもさ……今は辺りが暗くて見通しも悪いよ? それに体も臭いし……これじゃ奴らに嗅ぎつけられちゃうかもよ?
 だから今すぐ動くよりかは、朝になるのを待ってから……せめて体を洗ってからここを出発する方がいいんじゃない? それとも、ヤミラミって鼻はよくなかったっけ?」
「アグニってばまだ体臭の事気にしてる……ま、尾行される時は匂い消しといた方がいいのはその通りだけれどさ」
 シデンはいつまでも、先ほど指摘された体臭のことを気にしているアグニを見て、自分にだけ聞こえる声で呟いた。
「朝……か。それは無理だな」
 コリンは下半身の向きを整え、アグニへ正対した。
「残念ながら朝は……朝は来ない……来ないんだ」
 コリンは、きわめて重い口調で死刑宣告をするようにその事実を告げる。
「えっ!?」
「嘘……!?」
「この未来は暗黒の世界……日が昇ることもなく、したがって朝も来ることもない。世界の東の方では常に太陽が照っているが、それで明るいかといえばそうでもないし……な。
 この世界はどこへ行ってもずっと暗いままだ」
 コリンは事も無げにさらりと言い放つ。彼にとっては、それが当たり前だからこそ、深刻な顔をすることもなく語ることが出来た。
「……ど、どうして?」
「アグニ……お前の疑問ももっともだろうが、あいつから教わっていないのか? ドゥーンから……星の停止と言う現象をな。
 それのせいで俺は指名手配されたはずだ……ドゥーンが言っていた星の停止。それが実際に起こっているんだよ、この世界では!」
「星が……停止? 星の停止って……そうだ、思い出した! 星の停止って確かにドゥーンさんが言っていた……」
【星の停止とは、星自体の動きが止まってしまうことです。時の歯車を取ると、その地域の時間も止まりますね?
 徐々に、別の――色々な地域の時が止まっていき……ついには星自体の動きも止まってしまう。
 その、成れの果てが星の停止なのです。盗賊ジュプトル……コリンは、愛する恋人を手ひどい方法で失ってしまい……
 その死体を生きた体に戻すための儀式として……時の歯車を利用し……そして、世界の全てのポケモンへの復讐も兼ねて星の停止を目論んでいるのです。
 シャロット……セレビィの女性なのですがね。彼女は私の眼から見ても容姿端麗で聡明な女性でした。
 あの方を失うまでは、コリンも探検隊として私を追いかける純粋な青年だったのですが……いや、どうでも良いことでしたね。
 兎に角……星が停止した世界は、風も吹かず……昼も来ないし春も夏も来ない。
 葉についた水滴すら落ちる事は無く……雨も雪も降りません。まさに暗黒の世界なのです。
 世界の破滅といっても過言ではありません】

「うん……星の停止って言うのはそういう感じだったよ。そしてジュプトルは……ロリコンで男色で盗賊でショタコン……」
「いや、俺はそう言うのじゃないって言っているだろう!!」
「あの、アグニ……それは流石にコリンが可哀相じゃない?」
 シデンはアグニの台詞に冷静なツッコミを加えるが、アグニは気にする様子も、むしろ気がつく様子も無く続ける。
「確かに世界のこの感じも、ドゥーンさんの説明とおんなじ感じだけれど……」
「いまさらだな。今ある現実を受けとめてみろ」
 呆れて、コリンは首を振る。
「しかし、それにしても……未来では星が停止してたなんて……水も流れないって事は……水浴びも出来ないなんて……」
「俺の話を信用するかどうかはお前達の自由だ……が、コレだけは信用してくれ。俺は男色でもロリコンでもショタコンでも無い!! 大体、それらの言葉はどこで覚えたんだ!?」
「サニーさん……だよね? あ、ジュプトルは知らないと思うから教えるけれど、ギルドに所属しているキマワリのことね」
「いや、知っている。未来世界では彼女の書いた本でいろんなことを知ったもんだからな……」
「そ、そうなの……サニーさん、色々なことを教えてくれるいい人だったんだけれどな……それに、色んなお話も聞かせてくれたのに……」
 アグニがため息をつく。
「そういえばそうだよ……このままここから帰れなかったら……もう、皆には会えなくなっちゃうのかな? うぅっ……皆に……皆に会いたいよ……」
 アグニの悲しみにくれる表情を見て、コリンはかける言葉も見つからない。
(流石に、信用していたドゥーンにいきなり連れてかれたこの状況に、幼い精神で耐えられるものでは無い……か。二人をただ取り残しては、押しつぶされるだろうな。
 だが、俺はこの二人にかまっている場合でもないし……先を急がなければいけないし、ここで別れた方が正解だろうか……いや、しかし……ドゥーンが狙うからには何かこいつらにもドゥーンの敵になる要素があるということじゃ……)
 考えては見たが、結局機動力を確保するためにコリンは一人で行くことにする。しかし、完全に放っておいて野垂死でもしたら夢見も悪いし、ドゥーンがこの二人をさらった真意も気になる所。それを考えると生きる道の一つや二つを与えておいた方がドゥーンの目をそらすことも出来るかもしれない。
「兎に角、ここからは早く出ることだ。じゃあな……ヤミラミたちに捕まるんじゃないぞ? せっかく生きているんだ……その命、大事にしろよ。過去の世界の皆に会うのは、まず生き抜いてからだ」
 コリンは一度深呼吸をする。
「それと、これだけは言って置く。気を強く持て。パートナーが冷静で居る時はそれに従え……どちらも冷静で居られなくなったら……その時がお前らの最後だ。俺は南南東……月のある場所から見てこっちの方向にある黒の森という場所に行く。そこにいるシャロットって女に、『ヴァイス』と『クレア』っていう俺たちの偽名と……このメモを出せば協力してくれるはずだ……あとは好きにしろ」
 コリンは今度こそ振り返ることなく、二人を尻目に走り出した。
(二人は……生き残れるだろうか? 俺の注意なんて、覚えているかどうかも怪しいし……だが、生き残れなければそれまでの話だ。何のつもりでドゥーンがあいつらをこの世界に連れてきたのかは知らんが……あいつらに構って俺が失敗するわけには行かないんだ)

266:不安 


 コリンが思い悩みながら先を急いでいたころ、休憩していたシデン達はというと……
「オイラなんだかよく分かんなくなって来たよ……星の停止は時の歯車がなくなることで起きるんだったよね?」
「うん……」
 シデンのうなずきで、自分の記憶が正しいことを確認するように、アグニは続けた。
「だからオイラ達は、コリンが時の歯車を盗むのを防ごうとした……」
「うん……」
「そして、それは成功した筈だよね?」
「うん……」
「取り返した時の歯車はテレスたちが元の場所に戻すって言っていたし……星の停止は防いだはずだよね?」
「うん……」
「でも、それなのに……どうして未来では星が停止しているのかなぁ……」
 そこまで言い終えたアグニは、突然頭の毛を掻き毟り始めた。
「ああ、もう!! オイラなにを信用すればいいのか分からなくなって来たよ!! どうしてこんな……あの優しかったドゥーンさんが……どうして?
 何……? ジュプトルは悪人では無いの? そういえば、ジュプトルはオイラと同じで体臭がきつかったし……シデンはいい匂いだったけれどさぁ」
「いや、アグニ……落ち着いて。いつまで体臭のこと気にしているのよ? コリンは腐った木の実だからともかく……男同士では男の体臭なんて悪く見えるものよ。兎に角、お願いだよアグニ……落ち着いて?
 コリンだって言っていたじゃない……二人とも冷静になれなくなったら、そのときが最後だって……だから落ち着こうよ」
「で、でも……」
 アグニが何かを言いかけ、しかしそこで言葉に詰まる。その時、
「ウィィィィィ!!」
 アグニがシデンの言葉に何も言い返せずに居ると、再び聞こえたヤミラミの声に肝を冷やす。
「ひぃ!! ヤミラミ達だ!!」
 アグニは肩を竦め、身を縮めて怯えた動作を見せる。今まで見た、どんなアグニよりも怯えて小さく見える彼の姿にシデンは言葉を失う。
「ごめん、シデン。オイラさっきから頭が混乱していたけれど……もう、大丈夫」
 しかし、ヤミラミの声は難しいことを考えて混乱した精神を、より単純な生きようとする本能の前に正常に戻すために、良い刺激となったようだ。
「よく分からない事だらけだけれど……確かにコリンの言うとおりだよね。早く準備してここから逃げよう……」
 アグニは立ち上がり、弱気だが覚悟を決めた表情でシデンを見る。
「うん……絶対に生きて帰ろうね。さっきコリンが渡してくれたメモによれば……黒の森は空間の洞窟とかいうのを通れば楽なルートで行けるみたい……とりあえず、コリンは足跡を残すような間抜けなルートをとっていないし、逸れないようについてきて」
 そう言って、シデンはアグニを先導する。
「あ、うん……」
 と、答えてアグニはついてゆく。そうしてついてゆく間に、岩場ということでコリンの足跡が一切残らないというのにシデンの足取りは迷いない。このままついて行って本当に目的地にたどり着けるのか心配になって、アグニはふと思ったことは尋ねる。
「しかし、おおざっぱな地図の割にはやけに迷いないね……これもあれ? 湖の時と同じ理由?」
 アグニに言われて、シデンは首を傾げて言う。
「それは、その……そうかもね。なんか懐かしい……それも、いつも以上に」
 曖昧に答え、二人はダンジョンを越える。
 その間シデンは霧の湖や地底の湖で感じたような既視感を常に抱き続けるのであった。途中で時空の叫びが発動しないかを試す時も、言いしれない感覚が。
 そのおかげで上の空になる事の多いシデンであったが、戦闘となれば木の葉のように敵の攻撃をかわし、自分は鋭く敵を突き刺し、打ち倒した。精神的に参っているアグニを労わるように、絶望した友を労わるように。


 しかして、アグニとシデンがダンジョンやそれ以外の小道を通る間、アグニの精神は相当恐怖に支配されていたようである。
「ねぇ、ミツヤ? さっきから後ろから何か音がしない?」
 アグニはカメールのように肩をすぼめ、シデンの肩に抱きつくようにして恐れを露わにし、無音の空間で物音を気にしている。
「しないよ」
 シデンは冷静にアグニの言葉を否定するが、それは逆効果のようだ。
「でも、だって……してるよ!!」
「足音が反響しているだけじゃないの?」
「そんなことないよ。どうして聞こえないの!? ミツヤなら聞こえるはずだよ、ひたひたって、はっきりと!!」
 ありもしない幻聴に驚き、振り向いては何もないことに安堵していたが、先ほどからそれがあまりにも多すぎて、自分の耳が信用出来なくなっていた。そのためシデンに音がしないかどうかを尋ねてみるも、帰ってきた答えに安堵するわけでもなく、余計心配した上に大声を張り上げる始末。
「聞こえないものは聞こえないよ。落ち付いてよアグニ……それは幻覚。精神状態が不安定過ぎているの……起きたまま悪夢を見ているようなものなんだよ、アグニは」
「違う!! こんなの、絶対に幻覚じゃない……なんで聞こえないのさミツヤ!! 耳がおかしくなっちゃったんじゃないの!?」
 シデンは眉を顰め、歯を食いしばる。
「アグニは、どれだけ恐怖を……」
 そこまで言って、アグニの耳を塞ぐ。今度こそ無音、のはず。
「耳……」
 がたがたとアグニが震えだす。
(まさか、逆効果……?)
「耳を塞いでも、音がする……ウィィィ……って、奇声を上げて……やめてよ!!」
 アグニはそのまま地に伏し激しい動悸に胸を押さえる。
「殺さないで!! オイラ、死にたくない……嫌だ!!」
 アグニが嗚咽する。胃の中に何もないというのに何を吐き出そうというのか、嗚咽を漏らしながら立ち上がり、焦点も合わずに震える瞳で前を見る。後ろを見る。もちろん何もない。
「ミツヤ、今のうちに逃げなきゃ!!」
 それでも、濁流に急き立てられているかのようにアグニは走り出す。
「アグニ、急ぎすぎても疲れるだけ……くっそ!!」
 シデンの説明も聞かず、アグニはひたすら逃げた。しかし、もうまともに前も見られないのか、それとも別の要因か。アグニは足をもつれさせて盛大に転ぶ。シデンがあわてて駆け寄ってみれば、アグニは過呼吸を起こして苦しそうに激しく息をしていた。
 目は虚ろで、瞼こそ開いていてもそれはどこも見ていない。
(……くっそ、どうして自分だけこんなに冷静なんだ。気持ち悪い)
 シデンはすぐさま口づけをして呼吸を正常に戻そうと、死んだ空気をアグニへ供給する。やがてアグニは呼吸が落ち着いたが、恐怖は消えるはずもなく、先ほどよりもより一層怯えながらシデンの後ろを歩く。
 結果的にシデンはアグニが怖がらないように常に話しかける羽目になり、意味がない問答を延々と続ける。しりとりでも出来れば落ち着くが、どう考えてもそんな雰囲気ではなさそうなので、シデンはアグニのプロフィールを延々と尋ねる。

「君の名前は?」
「アグニ……」
「君の年齢は?」
「十五歳……」
「職業は何?」
「探検隊」
「好きな食べ物は?」
「海の魚の塩焼き……」
 名前、年齢、誕生日、職業。恐怖から目をそらすための催眠術替わりのそれはひたすら不毛で面倒だが、アグニが潰れてしまわないようにするにはシデンがこうして尽力するしかないのである。シデンの策も、怯えるアグニの挙動も、馬鹿げた行動に見えなくもないがそれも仕方がないのかもしれない。
 この闇の世界は、無音過ぎるのだ。普通ならば、ダンジョンであろうとなかろうと、多少なりとも音がする。静かな場所でさえも、何らかの音がしてしかるべきなのだ。それは、川のせせらぎの音であったり、風の音、風によって引き起こされる木の葉擦れの音、そして虫の声や足音。
 しかし、この世界は足音すらほとんどせず、あるのは自身の毛皮が擦れて立てる音ばかり。息が詰まりそうな無音の中で、アグニは神経をとがらせるあまり非常に神経質になってしまったのだろう。
「君の初恋の相手は?」
「近所のエネコ……ごめん、ミツヤ……おしっこ」
「また?」
「ごめん……」
 極度の神経質に陥ったアグニは、いつもは物陰に入って用を足すのに、この時ばかりはシデンから片時も離れることが出来ずに、彼女の見ているすぐそこで用を足す。まるで、夜眠れなくなって母親をトイレに付き添わせる子供のよう。違うのは、幽霊と言うわけのわからないものを怖がっていたあの時とは違い、この得体のしれない世界そのものに彼が恐怖しているということ。
 しかも、恐怖で尿道が緩んでいるのか回数が多いというところが性質が悪い。
 シデンが用を足す時でさえ、アグニはシデンが花を摘みに行くことを許さず、排せつの音が聞こえる距離にないと安心できない。シデンは恥ずかしがっている場合じゃないとわかっていても、恥ずかしくて仕方がない。逆にアグニは、恥ずかしさとか、もうそんなことどうでもいいようだ。とにかく不安で不安で仕方がなくて、いつ心が折れてしまうかもわからない。
 本当に、小さな子供のように手を繋ぎたがるし、小動物のように震えてばかりだ。シデンはなるべくアグニが怯えないように気遣い、手を繋ぎ、体を寄せ合って、質問攻めのまま進む。
 そうしてシデンたちがコリンのメモに記された空間の洞窟を越え、暗闇の丘を登り終えるまでは、アグニもシデンも過去の世界と全く勝手の違う冒険の道中で心身共に疲弊していた。

267:生き残る術 


「高いところに来たけれど……未来世界って、やっぱり真っ暗なんだね」
 丘の上。こういう高いところは強い風が吹きすさぶのが普通だというのに、ディスカベラーを迎える強風は居ない。
「アグニ……やっぱり、コリンの言うとおり……」
「そう、みたいだね……」
 無音であった。風の音も、水の音も、虫の声も、何一つ聞こえない無音。
「ここから見下ろすと……なんだか光が集まっているけれど……なんだか……綺麗なのに、死者の魂が寄り集まっているみたいで気味が悪いや……」
 アグニの声が震えている。そしてその声の震えは次第に涙と混じり、アグニは座り込んで、地面にへたり込んで泣き始めた。
「ねぇ……ミツヤ……ドゥーンさんは今までオイラ達を助けてくれたし、色んなことを教えてくれた……だからオイラも、ドゥーンさんの事をすごく尊敬していたけれど……でも、でも……」
 アグニは鼻水を啜ってぐずる。嗚咽を漏らすばかりでなかなか言葉にならず、呼吸を整える事さえ時間がかかる。シデンがアグニの背中を撫でて落ち着かせることで、ようやくアグニは喋られるようになる。
「でも、ドゥーンさん、オイラ達の事騙していたのかなぁ……こうなった今も……まるで信じられないよ……頭の中がぐちゃぐちゃだよ……」
「そうかもしれないけれど……でも、私たちは襲われたわけだし……」
 だから、騙していたんだと認めなければいけない。そう諭したかったが、シデンも言葉が出なかった。
「ねぇ、オイラ達……これからどうすればいいの?」
 アグニがシデンの肩を掴む。シデンは棒立ちのままそれを受け入れる。
「どこまで逃げ続ければいいの?」
 涙ながらに語るアグニの爪がシデンの肩に食い込む。アグニの額がシデンの胸に押し付けられ、熱い涙がシデンの胸を濡らした。
「元の世界に帰れるの? 帰りたいよ……ギルドの皆も心配しているだろうし、皆、皆元気にしているか心配だし……」
 アグニが肩にかけている握力が弱まる。アグニはそのまま地に伏した。
「みんなに……会いたいよ……どうしてこんな……どうしてオイラ達がこんなことになっているのさ……」
(アグニも……だいぶ参ってきているみたいだ……無理もない。これまでに起きたことはとても信じられないようなことばっかりだし……それに、自分だって不安でいっぱいだし……)
「ミツヤ……ミツヤ……ふ、ふ」
「な、何?」
 切れ切れに呟くアグニの口調が、肩が笑っている。どう聞いても尋常ではない。少し気圧されながらシデンは応答する。
「このままじゃ、いつ死ぬかわからない……ふふ」
「そうだね」
 ぽつぽつと、ところどころ舌足らずで不明瞭になりながらアグニは言う。シデンは目をそらしながら答えた。
「オイラとセックスしてよ……」
 シデンが立ち上がったアグニに肩を押され、地面に倒される。
「ちょ、ま……」
 アグニの目が信じられないくらいに血走っている。いつ死ぬかもわからない状況だからか、種を残しておけとばかりに本能が命じるらしい。涙を流し、歪んだ笑顔を浮かべるアグニの顔は狂気に染まっていて、今後一生見たくもないその表情にはシデンでさえも恐怖を覚えた。
(アグニに迫られるというのはとても嬉しいことだけれど……これじゃあ、あまりにも……)
 戸惑っているうちにも、シデンはアグニに乱暴な口付けをされる。唇も顎もこじ開けられ、無理矢理に舌をねじ込まれて、シデンは驚愕した。
(これが……本当にアグニなの? ……いや、嬉しいけれど、この衝動に身を任せたらだめだ。ここでくじけたら……逃げる間もなくヤミラミに見つかって全部終わっちゃう……)
 シデンはアグニの強引なフレンチキスに応えながらも、どこか冷静に、他人事のように思考を働かせる。
(何とかしてアグニを生きる方向へ向かせなきゃならないけれど……でも、ただの月並みな言葉じゃ何の意味もない。まずは……簡潔で具体的な目標を決めて……突破口を……道を指し示すんだ)
 アグニに強姦されそうになりながら、シデンは一切動揺せずに真顔のままアグニを見上げる。その表情に何を感じ取ったのか、アグニは次の行動を起こせなかった。
「ごめん、アグニ……本当に、本当にダメな時だけ、それをしよう……でも……」
「でも? でも、なんだっていうのさ……こんな状況で何が出来るっていうのさ!! ヤミラミが追ってくるんだよ? 殺されるんだよ? こんな状況でどうしろっていうのさ!!」
「しっかりして!! 思い出してよ……ジュプトルは……コリンはこんな時でも冷静だったじゃない……それはどうして? コリンが過去の世界に来れたのはなぜ?」
「わかるわけ……」
「わからないから確かめるんでしょ!? コリンはきちんと道を示してくれたでしょ!! シャロットって女性に会えって……だったら、その女が何者なのか、調べるべきでしょ!! そのためにも、コリンに追いつかないと……絶望するのはそれから!!
 それまで、死ぬとかなんだとか軽々しく言うんじゃない、アグニ!! 立派な探検隊になるんでしょ?」
 気づけば、声を荒げたシデンは呼吸まで激しくして、息切れしていた。たった数秒大声を出して肩で息をするシデンを見て、アグニはようやく正気を取り戻す。
「……ごめん」
 瞬きすることもなく涙の雫を落とし、嘔吐(えず)く。
「わかればいいの……」
「そっか、そうだよね……もともと、ジュプトルはこの世界からオイラ達の世界に行ったわけだし……なら、過去に戻る方法も……そんな当たり前のことも……本当にごめん」
「いいんだよ。自分は許すから」
 シデンは精一杯微笑み、アグニを見上げて彼の涙を指で拭う。アグニはようやく押し倒していた状態から退いて、シデンも立ち上がった。
「でも、ジュプトルを探すにしても……あいつは悪い奴じゃ……」
「誰が決めたの?」
 シデンはアグニの意見に、脅しかけるように尋ね返す。
「だ、だって、時の歯車を盗むためにオイラ達の世界に来たんだよ?」
「時の歯車を盗むのが悪いことだって……いや、悪いことかもしれないけれど、コリンのすることが悪事を目的としているなんて誰が決めたの?」
「誰がって……」
 シデンの真意がつかめず、アグニは口ごもる。
「ミツヤが何を言いたいのか……オイラわからないよ……オイラは、あんなジュプトルのような奴は信用できないよ……ミツヤはどうなのさ? ジュプトルの事、信用しているの?」
「今は信用するかしないかっていう段階ですらない……けれど、疑問があるんだ……なんで、湖の存在自体はすごく見つけにくい場所にあるのに、ああやって手に取れる位置に安置してあるのかが。
 だってそうでしょ? 盗まれたくないんなら地面にでも埋めておけばいいのに……わざわざあんな目立つところに……それを、『盗まれる方が悪い』という暴論でコリンの免罪符にしてやるつもりはない……
 でも、時と場合によっては歯車を安置された場所から取り出さなければいけない理由があって、そしてコリンはその『取り出さなければいけない理由』が満たされたことを知っていた。だから、取り出そうと思ったけれど、説得できなかったから盗んだ……そういう風には考えられない?
 コリンを信用するべきかどうかはわからない……わからないけれど、話を聞く価値はあると思う。それに、コリンが本当に外道なら……きっと私達を囮にして一人で逃げている。私達に、僅かなりとも生きる道を与えてくれたコリンが、アグニの言うように信用に値しない奴だなんて……私はむしろそっちの方が信じられないよ」
 シデンはあくまでコリンを信じるべきだと諭す。しかし、アグニはまだ納得いかない。
「オイラは嫌だよ……あんな奴を信用するだなんて」
「アンナを生かしていたのに?」
「あんな奴、信用するなんて……」
 さらに苦言を呈すアグニの肩を掴み、唾が飛ぶ距離でシデンが吠える。
「二度も邪魔した私達を生かしておいてくれたのに? アグノムに拷問を加えるのを躊躇していたのに? わざわざメモ帳まで書いて生きる道を用意してくれたのに?
 処刑される時に、君を抱いて逃げたのはコリンだよ? 君も入れるだけの穴を掘ってくれたのもコリンだよ? アグニ……貴方にとって悪人って何? みんなが悪人だって口をそろえて言う人が悪人なの?」
 つかんだ手をアグニの背中に回して、シデンはアグニを抱きしめた。
「違うでしょ……? ドクローズの二人を甚振って殺そうとして、財布を奪った私でも……あの日、サメ肌岩で私を抱きしめてくれたのはアグニじゃない……?」
 泣いたシデンの嗚咽が、抱きしめられてすぐ近くにあるアグニの鼓膜を通じて心を揺さぶった。
「お願いだよ……貴方もコリンを抱きしめてあげてよ。こんな風に抱きしめて、信じてあげてよ……」
 アグニのそれは、ただの感情論だが、アグニも馬鹿ではない。感情よりも大事なことがあり、今は感情論を振りかざすような場面でないことも重々承知している。その決心を踏み出せるようにと始めたシデンの必死の説得は、最後に泣き落としの段階に入る。
 少し考えればシデンの言動がおかしいことにも気付けただろうが、アグニはそこに気付く余裕もなかった。
「信用するなんて……嫌だけど、でも……今は、そうするしかないのかな……ドゥーンさんはなぜかオイラたちを狙っているし。そうなると、今のところ頼れそうな人も……ジュプトルくらいしかいないもんね……」
 アグニは俯いたまま深呼吸。霞を吐いて食べるようにゆったりとした呼吸で、震える肺を必死で抑え、シデンは抱きしめながらそれを補助するように背中をさする。
「うん、わかったよ……ミツヤ。ジュプトルを追いかけよう。会って、元の世界に帰る方法を……聞き出そう」
 アグニは涙を呑みこむようにもう一度深呼吸。シデンの抱擁を解いて、ため息をついた。
「ねぇ、アグニ。もう大丈夫?」
「うん……ありがとう、ミツヤ。オイラが元気がないから心配してくれたんだね……ミツヤだって不安なはずなのに……その、強姦までしそうになっちゃってごめんね」
「いいんだよ……あんな強引なアグニも悪くなかったし。過去の世界に戻っても、あれくらい積極的だといいな」
「たぶん、無理だよ」
 アグニは溢れ出る恐怖を推し殺し、強がって笑う。
「そっか……こんな風に、オイラのことを思ってくれる……一番大切なパートナーが近くにいるっていうのに……一人で悩んで、一人でくじけそうになって……ジュプトルに、仲間を大事にしろって言われたばっかりなのに……本当は一人じゃないのに、情けない……」
 アグニは、自虐することで自分の気持ちを整理する。シデンは黙ってそのさまを見守り、アグニの完全復活を待った。
「でももう、オイラは諦めないよ……ミツヤがそばにいてくれるから、勇気が湧いてくる。だから、一緒に頑張ろう……ミツヤ。必ず一緒に帰ろう」
「うん」
 その、たった二文字の返答に、シデンは込められるだけの嬉しさを込めて口づけを交わす。
「行こう、アグニ」
 いつも通り答えてくれたシデンの言葉に。シデンが不意打ちでやり直した優しい口付けに、アグニの心は幾分かささくれも消えた。
 こんな世界でも心に光がさしたアグニは、先程までのように怯えることもなく、シデンと並んで前を目指した。













(でも、なぜだろう……私はアグニに……迫られたあの時、懐かしいと感じてしまった……アグニに、霧の湖でしたことはあったけれど……なにか、それとは違う……)



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コメント 

お名前:
  • >2013-11-03 (日) 02:46:36
    大体はお察しの通りなのです。ダークライの件がなかったら、アグニを成長させるためにも消えたままにするのが神としての役割だったかと思います。
    シデンを復活させたのも、おそらくは苦渋の決断だったのでしょう。ソーダは……私ももうすこし救ってあげたい気持ちですw

    テオナナカトルは、その通りコリンたちの世界の未来ですね。すでにコリンたちの戦いは神話になっているようです
    ――リング 2013-11-22 (金) 00:37:02
  • ふむふむ、こうして読むともし原作のストーリーにダークライの話が無かったら、リングさんバージョンはシデンが復活しないまま終わってたのかなって思いますね。

    ソーダがちょっと可哀想でした。

    テオナナカトルって多分、コリンたちの世界の未来の話ですよね?
    ―― 2013-11-03 (日) 02:46:36
  • >狼さん
    どうも、お読みいただきありがとうございました。
    『共に歩む未来』のお話では、もう一つの結末というか、私としてはこちらのほうがよかったという結末を書いて見ました。
    ディアルガのセリフから察するに、本当の未来はシデンが生き返らない方であったという推測が自分の中でありましたので……。
    こんな長い話ですが、読んでいただきありがとうございました
    ――リング 2013-06-26 (水) 09:49:35
  • 時渡りの英雄読ませていただきました。私は探検隊(時)をプレイしたのでだいたいのことはわかるのですが時渡りの英雄ではゲームとは違ったおもしろさがありゲームではいまいちでていないところまで実際そんなストーリーがありそうな気がしたり(当たり前か)してとてもおもしろかったです。
    『ともに歩む未来』では[シデン]が蘇らないのかと思ったら[アグニ]の夢というおち、少しほっとしたり…。
    これからも頑張ってください。
    ―― ? 2013-06-17 (月) 21:31:32
  • 時渡りの英雄これから読んでいきたいと思っています。
    時渡りの英雄は10日ぐらいかかると思われます。
    読むのが楽しみです
    ―― ? 2013-05-25 (土) 02:02:01

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*1 馬目。ようは馬に近い体型と言うこと

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Last-modified: 2012-01-08 (日) 00:00:00
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