コリンがフレイムと再会する数日前の事である。
リアラは盗賊コリン=ジュプトルが時の歯車の奪取に失敗したという情報を聞いた時点で、コリンを待つべく待機していたシエルタウンを発ち、その足でトレジャータウンへと舞い戻る。彼女の目的は、ドゥーン=ヨノワール。なんでも、ジュプトルの本名を知っていたことを問い詰められた過程で、トレジャータウンの住民に自分が未来世界から来たことを明かしたようで――それによって、チャームズや自分達MADといった名だたる探検隊の狙っていた獲物が横取り気味に発見されていった理由は理解できた。
自分の名声を高めさせるため。過去の人間に絶対の信頼を寄せさせるために、わざわざ未来で得た自分たちの情報を利用したのだというから、性質が悪い。
「で、私たちの宝を横取りにしたで文句を言いに来たってのもあるけれどねぇ……」
フレイムから『記憶を消される可能性がある』、と注意を受けたリアラはそこらじゅうにメモを持たせている。なじみのある宿や酒場、パッチールのカフェの店主にも強引にメモを渡しておいた。そして、万が一の時に備えてジャダとスコールを別の場所に待機させ、ドゥーンに会いに行っての第一声は、まずは喧嘩を売るような口調から。
「それよりも、ねぇ。私なりにいろいろ時の歯車について調べてみたんだ……色々ね。だから、今日はそのことについていろいろ話してみたいんだけれど、いいかな……ドゥーンさん? もちろん、食事代は私がおごるから、何でも好きなものを頼んでくれよな」
リアラがドゥーンを誘った酒場は人目も多く、うかつにリアラの記憶を消したりなどということは出来ない。それに、今回はテレス=ユクシーもつれていないがために、そもそも記憶を消すことそのものが出来ないという条件下だ。それでも、リアラは一切気を抜かないように周囲に目を配る。
「勉強熱心ですね。それで、何かわかりましたか?」
「いや、まず時の歯車の成りたちから調べてみたんだが……太古の昔に、心を病んだジラーチが、絶対に望まない方法で願いをかなえるようなことを行っていたという。そのジラーチが、最後に叶えた願いは、荒廃した世界の死人を生き返すこと……
しかし、その願いをかなえた瞬間に世界中の時空間がゆがんでしまうことで、死人が生き返るような事態にすらなってしまったそうだ。食料も十分じゃないままに生き返ったのが原因で、餓死者と疫病が大量発生した上に、世界のいたるところに不思議のダンジョンが出現した。世界のすべてが不思議のダンジョン化するのを防ぐために、ディアルガは時空が歪んだ場所の時を止めて応急処置。
それでもどうにもならないくらい歪みの酷い場所があり、ほとほと困り果てたディアルガが苦肉の策として作り上げたのが、時の歯車という代物なのだと……
その当時は、時空が歪んでかなり多くのダンジョンが出現したそうだねぇ……キザキの森、巨大火山、水晶の洞窟、地底の洞窟、鍾乳洞の洞窟、熱水の洞窟と……それが最古のダンジョンだなんて、私は今まで知らなかったよ。
でも、その本曰く……時の歯車は特に時間の乱れの酷い場所にのみあればよくって、無きゃ無いで問題ないそうだ。確かに、キザキの森の時間が永遠に止まっていたらそれはそれで問題だが……問題だが、キザキの森の時間が停止していようと、他の場所の時間が止まるようなことはないそうだ。
つまり……その文献によれば、キザキの森などにある歯車を奪っても、その場所の時間が止まるだけで、世界全体に星の停止が起こることはないそうだが?」
「未来では、色々な研究が盛んなのですよ。当然、星の停止の危機の事例も多くあるわけでして……貴方の、というかこの時代で分かっている限りではそうだったのでしょう」
当たり障りのない言い訳をするドゥーンを見て、リアラはふぅんと頷く。
「そういえば、ゼロの島だか、ゼロの領域だっけか? あれって、何の探検隊が書いた記述だったっけか?」
「たしか、フルバーニアンという超火力の探検隊ですが……確か著者も同じくフルバーニアンのリーダー、キュウコンのシマー……ですが」
「あぁ、そうだったね」
リアラはにっこりと笑ってから質問を付け加える。
「じゃあ、盗賊ジュプトルのコリン君が、時の歯車を使って愛しい人を生き返らせようとしているんだって説明を聞いたけれど、『時の歯車を使って人を生き返すことが出来るのを発見した奴』の名前は誰だい? もしくは、その論文の編集者でもいいから教えてくれよ。別に、知ったからってその先祖を殺しておこうだなんて乱暴な考えかたはしないからさ」
「……えっと」
「どうした、編集者の名前を答えられないのか? 著者の名前は?」
「えっと、その……あれです。ジェノ=カモネギさんです……」
「ほう、ジェノ=カモネギさんか。わかった、覚えておくよ……それで、もう一つ調べてみたことがあってね……まずは、時間が停止する範囲だ。歯車が奪われたことは太古の歴史にいくつかあったようだが……今はもう口伝ではあまり伝えられていないのが残念だ。キザキの森は、アルセウス信仰の奴らに年寄り連中が殺されて、その伝説を伝える者もいなくなったらしくって……本当にアルセウス教のヴァンダリズムは迷惑千万だと思わないか?」
「確かに、歴史を刻んだ物を破壊されるのは気分の良いものではありませんね……」
「だろ? むやみにものを破壊して、しかもそれが正義だと思い込んでやがる。自分たちは悪だって開き直ってくれていた方がよっぽど潔くって気持ちいいってのになぁ」
「えぇ、私も気分が悪いものですよ」
ドゥーンが憤りを露わにしたところで、リアラは神妙な表情をする。
「アルセウス教は、これからも大陸中に迷惑をかけ続けるのかい」
「そうですね。多くの迷惑をかけるでしょう……」
「でしょう?」
リアラがわざとらしく首を傾げる。
「ドゥーンさん。あんた、嘘が下手だって言われないかい?」
「う、嘘ではありませんよ……この時代の者が……未来を知りすぎてはいけないということですよ。戦争が起こる未来を回避されると、酷なようですがいろいろ困りますし……ですからあいまいな言い方をするのです」
「そうかい。あんた、自分自身で戦争を勝利に導いておいてよく言うねぇ。私達が簡単に勝っちまって、未来の人が困っちまう」
冗談めいた口調で、リアラはおどけて笑って見せるが、それも一瞬の事。
「……なぁ、ドゥーンさん。本当のことを言ってくれよ」
急に神妙な顔になり、リアラはドゥーンを睨みつけた。
「あんたの世界、本当は時間が止まっているんじゃないのかい? 本当は、コリンとやらが時間を復活させようとしているんじゃないのかい?」
ついにリアラは核心をついた出来事を口にして、酒を一杯煽る。
「……貴方は、鋭いのですね」
ドゥーンが力なく微笑んだ。
「鋭いも何も……すまんね、最初っからお前が、過去の世界……私達にとっての敵であることはわかっていたんだ。又聞きだけれどさ、コリンとかいうジュプトルがそう言っていたそうなんだ。一応それなりに信用における奴からの情報でね……なるほど、お前は嘘をつくときだけ返答が遅くなるんだな。十分わかったよ……
なぁ、ドゥーン。私は盗賊である前に、この世界の住人だから、あんたが世界に仇為す存在だっていうのなら、私はあんたを放っておけはしないんだ。どういう意味か分かるかい?」
「では、どうします? 私を殺しますか?」
「殺すねー……やろうと思えばできたんだけれどなー。私だって牢獄で一生を終えたくねーのよ……今回はパスしておく」
「貴方は、賢い方だ……どうやって、私が敵で、ジュプトルが味方であることを……見破りましたか?」
ドゥーンに尋ねられて、リアラはグラスを冷気の籠る指でつついて霜を下す。
「信用における奴から聞かされたっていうのもあるけれど……古い文献を調べるとな……過去にも星の停止が起きかけたようなことは書いてあった。しかし、それは自然な原因であり、誰かが時の歯車を盗んでしまったからじゃない。もちろん、お前が言うとおり、研究次第では盗むことでも星の停止が起こってしまうようなこともあるのかもしれない、だが、そんな畏れ多い実験は出来ないから何とも言えないだけでな。でも、おかしいんだ。
過去に星の停止が
範囲が広がるっていうことは、それはすなわち『時空の歪みが悪化している』ってことだろう? そもそも、最近不思議のダンジョンが増えているのは時間の歪みが酷くなっているからなのだろう? それも、かつてない規模で。
少なくとも、前回星の停止があった際はミステリージャングルを覆うほど広くなかったその範囲が、ミステリージャングルを覆うレベルまで時間が歪んでいるってことだ。なんせ、ジュプトルが盗んだ次の日にはミステリージャングルの時間が止まったわけだからな。
そこで、私は考えたんだ……お前が言うように、『誰かが歯車を盗むと星の停止が起きる』とは考えづらい。それどころか逆に、『星の停止が起こる時に、誰かが歯車を盗む』……というか持ち出せるようになっているんじゃないかとな。しかし、文献は星の停止が起きかけたことを伝えるのみで、星の停止が起きかけたときに何をどうすればいいのかは書いていないんだ……だから、いまいち確証が持てないのが、つらいところだよ」
「そこまで分かっておられるんですか……」
「それと、もう一つは勘さ……例のコリンとやらが書いたこの世界の絵はね……美しい風景画なんだ、これが。あんなもの、この世界を愛していなきゃそうそう描けるもんでもないだろうからな……そんな奴が、世界を混乱に陥れるために歯車を盗もうとするだなんて信じられないし、信じたくなかっただけだ」
「なるほど……良い勘をしております」
そう言って、今の自分の感情をごまかすようにドゥーンは酒をあおる、
「だが、お前を攻撃しようにも、今は『お前の言葉が絶対だ』と誰もが信じて疑わない……今、お前が私にだけその罪を告白したとしても……私がお前を攻撃しようとすれば、この店の誰かが私を取り押さえて、人生お先真っ暗だろうよ。毒を混ぜようにも、お前は自分の食事から目を離さない」
「でしょうね。誰も、盗賊であるあなたの言うことは信用しませんし、ジュプトルの行動を邪魔している私を無視して単独行動をしようとしても、貴方は星の停止が起きたときに何をどうすればいいのかもわからないというわけです」
ドゥーンはにやりと笑って、勝ち誇る。
「お前は、すごい奴さ。私達の最大の戦力である民衆を手玉に取っているんだからな。それに、湖の三精霊もお前の味方に堕ちている……今のところは完敗だよ、完敗。だがな、このまま負けてやるつもりはないからさ……だから、この奢りは宣戦布告だと思ってくれ。
互いに、あまり表だって手を出せる立場でもないようだし、次に会いまみえるときは……街中だといいな。その時ならば互いに仲良く挨拶の一つでも交わせるし」
ため息をつきながらリアラはグラスを鷲掴みにする。そうして手に込めた冷気の力は、彼女が口にしていた酒を一瞬にして凍らせる。
「でも、人気の少ない場所では要注意だからね、こうなっちゃうからね」
逆さにしても、グラスに入った中身はこぼれることはない。氷漬けにしてやるという意気込みで、リアラは笑う。
「できれば、平和な時にあなたと出会いたかったものですね。おいしい酒が飲めたでしょうに……」
残念そうにため息をついたドゥーンの顔に、豆粒ほどの氷の礫をぶつけてリアラは笑う。
「そんな顔すんな。次会うときは敵でも、今くらいは楽しく飲もうじゃないか……」
リアラはそう言って彼を酒盛りに付き合わせて、睡眠薬の効果で彼が眠りこけるまで互いに飲み合った。
「……眠るように死んでくれる毒があれば毒殺も出来るけれど、この店には悪酔いしてもいいように癒しの鈴が使えるポケモンがいやがる」
(だから、やろうと思えばできる毒殺も出来ない……まったく、難儀なものだね)
ドゥーンが眠ってから、リアラは周囲の目に触れないようにドゥーンの財布の中身を盗み、念を押すように『次に会うときは敵だ』と書いた紙を財布に仕舞い込む。そうして彼女は、支払いに必要な分の金だけを置いて店を出て行った。
(さて、どうするべきか……ソレイスの奴はドゥーンについて何をどう考えているのか、微妙なところがあるし……いや、ソレイスをドゥーンと敵対させるのはあまり得策じゃないかもしれないな。
奴め、湖の三精霊をすでに懐柔しているようだから、ソレイスでさえドゥーンと敵対してしまえば何をされるか予想がしにくい……ドゥーンがこれから何をどう行動するかわからないが、味方は水面下で作るのが望ましいだろうな……
そうなると、あんまり気は進まないがチャームズの野郎どもか、もしくはコリンのことを知っているっぽいフレイムか……ともかく、やれるべきことは出来るだけやっておかなきゃな)
コリンとソーダが熱い一夜を共にした翌日。ソーダをフレイムの元に返した時は、どうせソルトあたりがいろいろ言ってくるかと思っていたが、意外なことに彼女は無用の詮索をしなかった。ただ、『楽しんできたかしら?』と一度だけ聞いて、二人は楽しんできたと笑顔で答える。
何をどう楽しんできたかなんてきっと全部理解しているのだろうが、ソルトは持ち前の包容力でそんなことは気にしない。どういう風に仲間の反応が変わるのか、それが怖くて怯えていたソーダもそのソルトの反応を見て安心したようで、安心してフレイムの輪の中へと帰って行った。
彼女らはチャームズに同行しておけというコリンの提案を無視し、何かあったときに対処できるようにとヒートスノウタウンまで同行する。
「それでは……私たちは街に待機しております。何かがあったら、いつでも言ってくださいな」
「わかっている。フレイム達は無理をしないで、自分の安全を第一に考えてくれよな」
しかし、今回湖の三精霊へ会いに行く要件はあくまで交渉である。シエルタウン近くに隠しておいた時の歯車を四つ全部持って行って、それを餌に交渉するために来たわけだから、正直なところ戦力としてフレイムを数えるわけにもいかない。
時の歯車の永久封印とやらがどれほどの時間がかかるのかはわからないが、数日前に湖の三精霊が街を横切ったというのだから、とにもかくにも封印が終わる前に行動しなければどうしようもなく、急ぐ必要があった。
出来れば、MADを味方に引き入れ、チャームズと合流し、万全の備えで以って敵を突破するくらいの暴挙を使いたかったが、それをやっている時間はなさそうでコリンは準備もそこそこに水晶の湖へ向かっていく。
「まさか、二回もここを訪れることになるとはな……どうせなら絵にしたかった光景だよ」
火山の洞窟へ行ってドゥーンと戦って、勝算がないわけでは無かった。溶岩に叩きこめば勝つことも不可能では無かろうし、フレイムがいれば溶岩を越えた先の歯車もとれるかもしれない。
だが、溶岩に叩きこめるのは相手も一緒なことであり……何より、ドゥーンはサイコキネシスを使う事の出来る種族。
湖の三神の戦い方――まず溺れさせようとするえげつない戦法を何度も見たコリンには、同じようなことを溶岩であっても表情一つ変えずに行うドゥーンが目に浮かぶ。そこで、環境を味方にできるソーダとソルトを連れて挑むことも考えたが、あそこにはドゥーンだけでなくヒードランもいると聞く。その二つを相手にしては、勝算も糞もない。
(いっそのこと、火山で兵糧攻めにしてやればドゥーンもそのうち死ぬだろうかな。いや、何を馬鹿なことを考えているんだ……)
説得するべき湖の精霊たちはまだ心が闇に囚われているだろうから、説得するのは不可能に近い。だが、それならそれでいくつか手もある。いかに奴らの関心が時の歯車に向いていようと、奴らとて穏便に済ませたいことには変わりないのだ。
そのために、メタモンも戦わずに済むように守っていたのだ。だから、こちらが甘い言葉をちらつかせればいい。最初はエムリットにどうやって感情を見透かされないようにするかを考えていたが、ピカチュウとヒコザルの二人組が襲われているのを見て、コリンはその必要もないと判断した。
奴は他人の感情なんて覗いていないのだ。
「さぁ……裸一貫でやってやればいい。小細工は無し……俺が説得できるか否か。賭けてやるしかないさ……」
難しいことだとは分かっていた。ただ、相手は自分の強さを分かっているから俺一人に負けるとは思ってはいないだろう。あの三人が合わされば、ディアルガやパルキアの力に匹敵するとも言われているのだから。
だが、こちらが何も道具を持たず、抵抗もせず、座りこんで話そうと持ちかければどうなのか。相手がそれで何もかもを受け入れてくれれば。そうでなくとも油断して隙を見せてくれれば――何とか光明もあるはずだ。
後は時間が出来れば、カリスマの強いチャームズを経由していくらか仲間を集めればいい。それだけですべての形勢が逆転し、ドゥーンを負けに追い込むことが出来るはずだ。
もしも三精霊が問答無用で手を出したならその時はその時だ。歴史の修正作用が働いたのだと思って諦めるしかない。
「さぁ、交渉だ」
意気込みよく水晶の湖に足を踏み入れたコリンの目には、確かに封印らしき行為を行っている三人が見えた。
(さて、行かねば……な。気は進まないが……)
一歩一歩を息が詰まる思いで歩みを進めながら、コリンはごくりと唾を呑む。その刹那、上空から網が降り注ぎコリンをとらえた。
「な、な……くそ、聞いてくれ三人とも。今回は奪いに来たんじゃない……交渉をしに……あ……」
その縄を操っていた者を見て、コリンは言葉を失った。
「ドゥーン……それに、ヤミラミ」
「ヒートスノウタウンを横切った湖の三神は……ユクシーにアンノーンで作らせた幻だ。まぁ、本物のユクシーが操作する場所が遠隔すぎて戦闘能力は皆無だが……な。あぁ、このヤミラミ二人は星の調査団の残党狩りが、ほぼ終了したから、来てもらったんだ」
その網には油が滴っていた。床は油で滑り、火を付ければ燃える。その火種は、ドゥーンの拳――炎のパンチ。
コリンは逃げようとしたが、網の重さと油のせいで滑って転び、死なない程度に焼き尽くされた。
目覚めたら、コリンはがんじがらめに縛られていた。
目覚めてみると、喋れない……口が縛られている。腕はぐるぐる巻きの本縄縛り。脱出は不可能そうだ。
ヒートスノウタウンを通るとき、ソーダが今にも突っ込んできそうな様子であったが、コリンはそれを首を振って『必要ない』と意思表示をする。
そして、瞼の開閉を口笛言語代わりに使い、意志を伝える。『とれじゃあたうん かえれ なかまあつめ たすけて』と。ドゥーンが自分をトレジャータウンに連れて帰るという話を聞いて、そこで助けてもらうことに最後の望みをかけるのである。
しかし、その役目を負うにはフレイムはどう考えても力不足。ともかく、チャームズでも何でもいいから仲間を集めないとフレイムだけでは話にならないだろう。こうなってしまえばもう、なりふり構わずに信用できるものを集めてどうにかしてもらうしかない。
街を歩く間は、コリンがいくら転んで膝をすりむこうともお構いなしにドゥーンは引っ張った。市中引き回しのような辱めこそ受けなかったが、ドゥーンを運べるような大型の飛行ポケモンをチャーターした後は、ろくな防寒対策もなしに、凍え死ぬような思いをさせられつつの空の旅。
光合成で体力を回復していてもいつ凍え死んでもおかしくないような状態に置かれたコリンは精も根も尽き果てた状態でトレジャータウンにたどり着くのであった。
六月二十五日
そして、コリンにとっては見知らぬ街――トレジャータウンへとたどり着く。
ドゥーンの到着には、トレジャータウンのすべての住民が湧き上がり、彼を称賛した。肝心のジュプトルは町外れの樹木に縛り付けられたまま、石やら腐った木の実やら汚物やらを投げつけられるがままに任せている。
外は凍えるような寒さだというのに、水分を伴ったものを投げられ濡れる体。ただでさえ寒さに弱いコリンは冬眠を通り越して凍死寸前にまで追い詰められていた。
(流石は犯罪者と言ったところか……くそ。だが、なぜ俺をこんな風に晒しものにする? 一刻も早く未来に連れていかなければ、それだけ俺に何か策を打たれる可能性が増えるというのに……まさかただの見せしめなのか……趣味の悪い)
見上げれば、空には高く太陽が見守る真昼。昼行性のポケモンがコリンを的にして石を投げている。
周囲に立ちこめる悪臭は耐えがたいものとなっており、しかしコリンはもう匂いなんてどうでもよかった。ただただ寒くて、もうろうとした意識の中で自分を温めてくれそうなソーダの幻覚まで見る始末。
「おい、今すぐ物を投げるの止めな!!」
恐ろしく低い、ドスのこもった女性の声。体毛のあるポケモンなら全身の毛が逆立ってしまいそうな殺気が、この匂いに負けないくらいに強く肌に届く。
何者なのかはわからなかったが、天からの救いに見えるくらいにコリンの消耗も激しい。
「な、なんだってんだよお前……あんな奴に情けを掛けるのか?」
コリンのぼやけた視界の中でパチリスの男がその女に食ってかかったが、次の瞬間にはパチリスの額に、葉巻の切れっぱしを刻んだ葉に紙を巻いただけの、安値な両切り紙巻きタバコ*1が押し付けられる。
突然のことに熱いと感じるまでの時間はとても長く思えた。一拍遅れてギャッと声をあげてパチリスは体を丸めながら額を抑えた。
「そういう勇ましいセリフは、こういう事をやられる覚悟がある上でやるといい。『何故やめるのか?』かと聞かれればそうだな……私の顔にあんな腐った果実が付いたら嫌だろう? そう、人の嫌がることは他人にやるなってママから教わったろ? だから、やめる……当然じゃないか? な、おチビちゃん。
ママのおっぱいでも吸いながら赤ん坊からやり直せるように、このまま記憶消えるくらいぶん殴ってやってもいいんだぜ?」
加虐的嗜好の垣間見える笑顔を見せて笑いかける女の顔に恐怖し逃げ出そうとしても、パチリスの胸の皮は女に掴まれていて、逃げられない。
「お前ら、あのヨノワールの言葉を鵜呑みにしすぎなんだ……このジュプトルが時の歯車を集めて人を生き返す儀式だ? このジュプトルがそんな狂った言葉を吐くような奴だったら殺すのも仕方がないがな……こいつの口まで縛られていることに違和感一つ感じねえのか、お前らは?」
リアラは凄みながらパチリスの頬に爪を立て、風穴を開けた先から凍らせて止血する。
「あれは、こいつの口封じだ。喋ってほしくない情報があるからああしているってことにどうして気づかないんだ、てめえは? 少しは喋らせて話を聞いてやろうとは思わねえのか? この世界で犯罪者をあんな風にする文化もないのに、唯々諾々と余所者の未来人に従うなんて馬鹿なことやっているんじゃねぇ!!」
恐怖で失禁するありさまのパチリスに対して、なおもリアラの言葉攻めは止まない。
「憎しみは、目ん玉曇らせるだけだ。ちっとは精進しやがれ!!」
そう言って地面に叩きつけると、パチリスは頬の痛みに涙を流しながら一目散に逃げていく。周りの者は遠巻きに見ていたが、逃げるようなことはしなかった。
「リアラ様……相変わらず強引ですね」
濃い紫色で腕が逞しい外骨格のポケモン、ドラピオンが静かに歩み寄る。
そしてもう一人、顔面付近の腹にあたる部分がそこから先の胴体より肥大化し、顔のような模様が描かれた紫色の細長いポケモン、アーボック。
名前はそれぞれ、
「スコール、ジャダ」
で、ある。その二人をまとめるチームMADの女性リーダーのマニューラが、リアラである。
「リアラさん……あまり目立つような行動は……」
ジャダが彼女を諌めるが、リアラはにやけるばかり。
「目立つから、さ。目立っておけば、私たちの会話を誰かが聞いてくれる。私は、ドゥーンとの問答を聞いてもらうでも、コリンとの問答を聞いてもらうでも一向に構わないもんでねぇ……私は、あの草野郎が言っていたことを確認したいな……ってさ」
草野郎、とはフレイムのシオネの事である。個人名を出しては迷惑になると考えて彼を適当な名前で呼び、ふぅとため息をついた。そうしているうちにすっかり静かになった後ろにリアラは目を向ける。気付けば、聴衆たちは退散している。
「でも、その聞かせたい聴衆が……避難誘導に従って逃げているようだねぇ。ヤミラミのお兄さん、避難誘導ご苦労なこって……逃げている奴らも、とって食ったりするわけじゃあねえよ!! お前ら、私から逃げてどうするんだ……おい!!」
後ろからは、『こっちへ逃げろ』と避難を誘導するヤミラミの声。それに一も二もなく従う聴衆。
(何かがおかしい……いや、パチリスが逃げるところまでは何となくわかるのだが、他の者があそこまでヤミラミに付き従うものなのかどうか? って、まさか……)
「あいつは……エムリット……」
言いながらリアラが睨みつけた視線のその先には、感情ポケモンのエムリット。アグノムもユクシーもいる。
「お前が、皆の恐怖の感情かなんかを刺激したのか……? ユクシーが探検隊の記憶を消して、エムリットが変な感情を埋め込んで。それが神のすることなのか? お前ら……」
リアラはユクシーを睨みつけてやりたかったが、目を見てしまえばまた記憶を消されるような気がして、目をそらしながら怒りをあらわにする。
「貴方達こそ……時の歯車を奪う者の味方をするとは救えないではありませんか?」
いつもは閉じた目を開き、テレス=ユクシーが言う。
「そうだ!! 僕らが守っている歯車を盗むなんて、殺してやりたいくらいだよ」
アドルフ=アグノムが勇ましく吠える様を見てリアラは笑う。
「味方? 寝ぼけたことを言うな……私は、コリン君……このジュプトルから話を聞きたくなっただけさ。どうにもドゥーンやあんたらが話にならないからな」
「そうそう、私たちは別にこのジュプトルを解放しようなんて思っておりません。ですからどうにかひいちゃもらえませんかねぇ……湖の皆さん」
リアラの言葉に追従してジャダが頼むが、相手は瞬き一つせずにこちらをじろりと睨むばかり。話になりそうな状況ではない。
「言っても無駄だだな、ジャダ。こうなったらもう話なんて聞く必要もないさ……こういう手合いは……ぶっ潰すのが一番さぁ!!」
と、勇ましく飛び出そうとしたところで、リアラは突如吹き荒れた上昇気流によって空中で体勢を崩して転んでしまう。気付けば周囲にはすさまじい上昇気流が吹き荒れ、身軽なリアラはそれに浮足立ち無様につんのめった。
「トリックルーム……だと!?」
トリックルームとは、周囲の重力を弱くすることで、そこに強烈な上昇気流を発生させる技。身軽なポケモンは地面に踏み込むこともままならず、特に身軽なリアラも大きくその影響を受ける。
「畜生……良いゴーストはまだ寝ている時間帯だよ。ドゥーン!!」
リアラと同じく浮足立ってこそいるものの、決して雑魚ではないヤミラミまでいる。湖の三精霊と、ドゥーンとヤミラミ。人数の上では互角だが、サイコパワーで体を支えている精霊たちはトリックルームを全く苦にせず、ドゥーンは重さゆえの安定感。勝てる道理が感じられない。
「だんまりかい……なら、こいつに聞いてやろうか」
リアラはコリンの口に結ばれた縄を切り裂いて、臨戦態勢をとる。
「むはぁっ……」
今までの息苦しさから解放されて、コリンは一瞬息切れをした。すぐさま、呼吸を取り直して一言。
「聞いてくれ、星の停止は時の歯ぐるグワァッ」
その先を言おうとして、コリンの喉に攻撃がぶつかる。無防備な喉への一撃は、衰弱したコリンをたやすく気絶させた。
「ウィィィィィィ……」
コリンの喉を殴りつけたのはヤミラミだった。どうやら、コリンを縛り付けていた木の枝葉の中に気配を殺して潜んでいたらしい。
「チィッ……気配を消すのが……ずいぶんうまいじゃないかい」
周りを見回してみて、気が付けばリアラ達は湖の精霊以外の者にも囲まれている。舌打ちしたリアラは、悪タイプの波導を鉤爪に纏わせ始める。
「おい、お前ら……こうなったらコリンの縄を全部切ってギルドに逃げるんだ……もうやけっぱちだ……この際コリンに洗いざらい喋らせろ。サニー=キマワリかソレイス=プクリンがいれば、そいつらは話の分かるやつだから、それでもしかしたら何とかなるかもしれない」
「私がそんなことを許すと思いますか?」
余裕ぶったドゥーンがあざけるようにリアラへ訪ねる。
「ふぅ……そうだね、許さないかもね……じゃ、こっちも少しばかり反則技を使おうか」
リアラは懐からクラボの実を取り出して、それを握りつぶす。
「お前ら、頼んだよ? その間、私がドゥーンを食い止める」
じりじりと距離を詰めて攻めるタイミングを伺うヤミラミを横目で見て、リアラは笑う。
「さて、一ついいことを考えたんだが……盗賊団MADと探検家ドゥーン=ヨノワール……そして湖の精霊との対戦なんて、試合場でやれば金がとれるほどの名勝負だ……観客がいないのはもったいないだろ?」
握りつぶしたクラボの実で自然の恵みを発動させたリアラは、燃える拳から周囲の落ち葉に火をつけた。次いで、胸を膨らませて酸素を確保。
「火事だーーーーーー!!!」
情けない手段ではあったが、それなりに人目があった方がドゥーンも手出しは出来ないはず。ドゥーンが『リアラ達がコリンを逃がそうとした』などと言ったとしても、『それは誤解で、火事から逃がそうとしたんだ』とでも言ってやればいい。
大事になれば保安官だけでなくお人よしなギルドのメンバーも出てくるだろうし、その時にだけでもコリンの話を誰かに聞いてもらえるのならば、何とか望みはあるはずだ。
この声を聞きつけて、ソレイス親方が来てくれれば万々歳。そうでなくとも、何事かとギルドメンバーの一人でも来てくれればそれも幸運だ。大丈夫、ギルドの奴らとは顔見知りもいる。サニーとソレイス、そしてディスカベラーとかいうチームの奴らはなかなか話が分かりそうなやつだ。
「こうして、見物客でも集めようじゃないかい? こんな戦い見物客の一人もいなくっちゃ罰が当たる」
「貴様……」
ヤミラミが驚いて戸惑っている間にも、リアラは笑っていた。
「何をやっている、ヤミラミ達、早く攻撃だ」
その時間すら惜しいと、少し早いタイミングでドゥーンはそう命令を下した。リアラは投擲用のナイフを投げつける。
悪タイプの力が込められたナイフに腕を切り裂かれ、ドゥーンの体は一瞬の硬直。その上で木の根っこを蹴って迫るリアラの鉤爪。鋭い影の軌跡が走り、ドゥーンが手をかざし防御するが、その腕は無残に切り裂かれる。
「トリックルームに対しての対策の一つとして……体重が軽くなるならば木の幹や根っこ、岩など重い何かを蹴りだせばいい。電光石火のように一歩で加速する技ならば、トリックルームも意味はない。形無しなのさ」
滴るドゥーンの血をぺろりと舐めてリアラは少しでも会話で時間を稼ぐ。
「ふん、そうか……お前にはサイコキネシスも通じないから、厄介だ……とは思うが」
そうして時間を稼ぐリアラを、ドゥーンは顔色一つ変えずにリアラを見る。明らかに雰囲気が変わったドゥーンを見ながらリアラは攻めあぐねているが、そうしている間にもすでに味方がヤミラミから攻撃を受けている。
何が来るのかと恐怖心に苛まれながらも、攻めなければ負けると判断してリアラが木の幹を蹴ってドゥーンへ突撃するが、ここでさらなる異常事態。
テレス=ユクシーが自身の手首を切り裂き、その血液を利用して『置き土産』を発動する。周囲に飛び散った血は、周囲の敵に脱力の
手首をくじいて痛そうな顔をしながらリアラは転んで地面にへばった。そうして体勢が完全に崩れて無防備なリアラの体を瓦に見立て、ドゥーンは自身に闘気の波導を纏わせて右拳を叩きつける。
ゴフッ――と、肺がつぶれたような吐息を洩らして、リアラは意識を手放してしまった。
「噂に違わぬ恐ろしい俊足……まともに戦えばコリン以上かもな……今のコリンはどうかはわからんが」
血にまみれた左腕に顔をしかめながら、ドゥーンはつぶやいた。
「さて……」
残りの二人へ向き直ってみると、リアラがやられた時点では二人はまだヤミラミ達と戦っていたが、戦闘不能となったテレスとリアラを除いた戦力は五対二。しかも、二人もまた置き土産の効果が残っているのだから、この状態で戦えと言われても不可能である。
その上にドゥーンの実力がリアラ以上ともなれば、最早勝負はついていた。逃げようとしたジャダとスコール、二人は精霊たちに追撃され、続くヤミラミとドゥーンの攻撃で意識を失った。
ヤミラミ殺して始末させようとも考えたが、さすがにMADが永久に行方をくらませてしまえばまずいだろう――と、ドゥーンは考え、MADを病院へと運ばせる。
火事の炎を消そうと、いつもは郵便配達に従事しているペリッパーが駆けつけてきたときには、ドゥーンは喉に痣を作ったコリンの口に縄を縛りなおしている最中であった。
コリンが捕えられてからというもの、ここオースランド大陸では矢のように情報が飛び交った。その情報はもちろんの事、チャームズが滞在しているグリーンレイクシティにも届くのだが。運悪くチャームズ自身が偶然図書館に入り浸っていたせいか情報が入るのも遅れてしまい、しかもコリンを捕縛したことが原因なのか、飛行タイプの高速便が軒並み出払ってしまっているという事態に遭遇。
トレジャータウンに一足先にフレイムがMADに助けを求めたときに、もしも彼女らが一緒に居ればコリンを救うチャンスもあったであろうが、ついにそれは叶わなかった。
また、コリン捕縛の情報を聞いて動き出したのは、どうやらコリンだけではなかったようだ。
「助けてくれ―っ!!」
森の小道を抜ける際に響いたその声は、絹を裂くような切羽詰まった男性の声だった。喉が切れて血でも出そうなその叫びは、偶然近くにいた探検隊、かまいたちとヴァッツノージの耳に届く。
「俺が行く。リーダー達は後からついてきて来れ!! ヴァッツさんもお願いします」
「わかった、俺たちも走って行くから気をつけろ、エッジ。叔父さんも……まぁ、心配ないか」
「おいおい、もうちょっと年寄りをいたわってくれ、マリオット」
その探検隊の中で、飛行タイプを持つが故に最も高い機動力を持つエッジ=ストライクが一番槍として駆けだし、次に伝説の探検隊の一角であるヴァッツノージ=ガバイトが続いた。リーダーのマリオット=ザングースも部下に声を掛けつつ走りだし、それに続くはペドロ=サンドパン。
エッジの視線の先に居たのは、ジュプトルに襲われ逃げ惑うドンファン。荷物を捨てて逃げ出すドンファンの叫び声を聞いて駆けつけたエッジがドンファンの正面から奥のジュプトルに飛び掛かる
「危ないぞ、兄さん!!」
ストライクは軽く跳躍してドンファンを飛び越え、その固い足でジュプトルに飛び蹴りを喰らわせた
「ぐぁっ」
ジュプトルのうめき声が森の交易路に響いた
「大丈夫かい……兄さん?」
ジュプトルに襲われていたドンファンの行商にストライクが駆け寄る。
「きょ、兄弟が殺され……俺も殺される……」
「大丈夫、安心して逃げろ。死ぬんじゃないぞ!!」
いい加減な励ましだけして、ドンファンを逃げるがままに任せ、そのストライクはジュプトルの前で構えをとる。
「さっきの一撃は手ごたえありだ……だがやられちゃいないはず……まだやるかい?」
余裕ぶった態度でストライクが軽口をたたいた。
「くそ……何者だ!?」
それに答えるジュプトルの表情は苦々しく、蹴られた個所を押さえる顔は苦痛に染まっている。
「かまいたち……の、エッジ=ストライクだ。お前こそ……強盗殺人ジュプトルとは懐かしい……今さらどうして現れた?」
チーム『かまいたち』のエッジはそれだけ名乗ってから質問する間もカマの構えを崩さない。ジュプトルの姿をしているクシャナは、鼻血を流して顔をゆがめる。
「若いもんだけで頑張るってのは水臭いぜ……参加させろよ」
遅れてやってきたガバイトはそう言って鉤爪を構える。そのガバイトの顔を見て、苦痛の中にあるジュプトルの表情が微かに笑む。
(やっと、自分が最期を飾るのにふさわしい探検隊に出会えたな……かまいたちと、伝説の探検家……ヴァッツノージ=ガバイト。この辺にいると聞いてきたが、きちんと釣れるものだ……)
「行くぞ若造、援護しろ!!」
「わかっています。ヴァッツさん」
強靭な前足が跳ね、ヴァッツは恐ろしい速さで間合いを詰める。ヴァッツが構えた爪を弾き返そうと腕の葉を構えたジュプトルだが、突然ヴァッツの体は沈み込み、ジュプトルの足に肩口から体当たり。
思わぬ攻撃によって派手にすっ転んだジュプトルを、エッジが急降下しながら踏みつぶす。背中を強かに踏みつけられたジュプトルはグハァッと息を吐き、一瞬の行動不能。その隙を見逃すはずもなく。ヴァッツは膝の裏を踏み、綺麗にジュプトルの足を叩き折った。
汚らしい叫び声が響いたと思うと、ジュプトルはみるみる姿を変え、メタモンに変わってしまう。言うまでもなく、このジュプトルの正体はクシャナである。
「メタモン……? 」
エッジとヴァッツが戸惑うが、それでも決して敵から目を離すようなバカな真似はしない。二人は片足で踏みつけたまま、凝視を続ける。
「ヴァッツさん……こいつ、盗賊ジュプトルが台頭してきてから姿を消した強盗殺人のジュプトルじゃ……メタモンだったのか?」
「だろうな……強盗殺人ジュプトルと盗賊ジュプトルの良くわからない関係……あれについては妙だと思っていたが……どういうことだ、おい?」
ヴァッツとエッジが首を傾げている間に、クシャナの表情が変わる。
「それについては知る必要もないさ」
こんな状況だというのに、クシャナは穏やかな表情を浮かべてつぶやく。
「何をするつもりだ……?」
「エッジ、お前は下がってろ。このメタモンが自爆やらなんやら、何をして来ても一人は生き残れるように」
「わ、わかりました」
ヴァッツの言葉に従ってエッジが下がる。
「まぁ心配するな、お前らには何も起こりやしないさ……」
追い詰められているというのに、クシャナは淡々とヴァッツ達に語る。それを聞くヴァッツはいぶかしげな表情で目の前のメタモンを見守るばかりである。
「ただ、俺は盗賊ジュプトルとは無関係だと、みんなに伝えてもらえば……それで構わない。あの強盗殺人はすべて俺が一人でやったものです、とな」
驚くほど穏やかな表情のままクシャナは言う。そのままヴァッツがずっと目の前のメタモンを見下ろしていたが、徐々に足の裏から伝わってくる脈動が恐ろしく速く、大きくなっていくのを肌で感じる。
「お前、何をやっている?」
これまで生きてきた経験上の勘で、ヴァッツは自分に危害のない形での嫌な予感を感じた。
「さぁ、な……」
尋ねるヴァッツに対してクシャナは不敵に笑う。
「おい、叔父さん……大丈夫なのかよ?」
機動力の高いエッジとヴァッツにようやく追いついたマリオット=ザングースがヴァッツに尋ねるが、ヴァッツは首を振るばかり。
「わからん。わからんからこそ、何かが起きるまでそこで待っていろ」
などと、言いつつもヴァッツはもうこいつが何をしようとしているか、大体わかっていた。目の前の紫色は、体温も呼吸も何もかも異常。
色まで紫からどす黒くなってしまったかと思うと、そのまま顔を苦痛に歪めて溶けて消える。叫び声すらあげないのは形が保てなくなったからで、決して安らかな死にざまではない。
おそらくは地獄のような苦しみだったとは思うのだが、その感覚の証人が死んでしまった以上、真相はまったくわからなくなった。
「おい、お前ら……もう大丈夫だ。こいつは死んだ」
どうしてこのメタモンが自殺したのか。真意も何もわけがわからないヴァッツは茫然自失のまま宣言する。
「叔父さん……本当にこいつ死んでるのか?」
「あぁ……自殺しやがった。なんの薬を飲んだのかは知らないけれど……溶けて死んだ……なんだか、盗賊ジュプトルと強盗殺人ジュプトルは無関係だとかわけのわからないことを言っていたな」
そう答えるしか答えようがなかった。
「じゃあ、ヴァッツさんが睨んだ通り、強盗殺人と盗賊は別人だったっていうわけか―……」
「それはまぁ、こいつ自身が言っていたし、言葉通りなんじゃないのか?」
ペドロの言葉にエッジが気の無い肯定をする。
「で、重要なのはどうしてこのタイミングでいまさら強盗殺人ジュプトルが正体を現したかなんだが……本人が自殺しちまったんじゃあ、もう調べようもないわなぁ……盗賊ジュプトルと関係あるのは間違いないんだろうけれど。何の関係があるのか……少しばかり見当はつくが、確証もないし……」
苦虫をかみつぶしたような表情でヴァッツは頭を掻く。盗賊ジュプトルを探しまわって訪れた山道で、いきなりおこった強盗事件に巻き込まれ、その結果は何とも後味の悪い相手の自殺。しかも、その理由は全くわからないと来ている。
「とりあえず、この溶けちまった死体のメタモンを保安官に届けに行こう。懸賞金を貰えるかどうか微妙だが……まぁ、何もしないよりはいいんじゃないか?」
結局、溶けてしまったクシャナの死体は、本当に強盗殺人ジュプトルなのかどうかすらわからないため、参考程度に新聞記事が作られるのみとなった。ヴァッツの証言ということである程度の信憑性を伴ってまことしやかに噂になるこのお話も、盗賊ジュプトルが捕まったという記事にかき消されて大した噂にはならなかった。
しかし、盗賊ジュプトルと強盗殺人ジュプトルの逮捕がほぼ同時期に行われたこと。盗賊ジュプトルが台頭してきたときに強盗殺人の方の噂を聞かなくなったこと。どう考えてもタイミングがおかしいということに気付いたものはかまいたちを含めたくさんいたのだが、それについて調べるにはもう遅すぎた。
ドゥーンはこの世界とのお別れの準備をもう済ませている。
ドゥーンはディスカベラーが仕事から帰るのを待っており、コリンはディスカベラーが帰ってくるまでの二日間、磔の状態で放置された。冬も始まりとはいえ、リングマやスカタンクはすでに冬眠の体勢に入っている。腐った果実の水分に体温を奪われ、寒さに打ち震えながら過ごしたコリンの意識は次第に朦朧としていった。
ようやく解放されたのは、二回にわたってコリンの邪魔をした探検隊、『ディスカベラー』がこの街に戻ってきてからだった。
コリンが縛られながら連行される間、流石にドゥーンが近くに居る状態で石などを投げる者はいないものの、非難轟々の嵐は止むことはない。道行く間は罵詈雑言の嵐の中でコリンは気を病みそうで、いっそのこと耳を潰したいほどだ。
そうして、住人の視線に気が狂いそうになりながらコリンが連れてこられた先には、空間をゆがませているような塊があり、恐らくそれは時空移動の穴だ。
「あ……あれがジュプトルでゲスか……」
「如何にも悪そうな奴だな」
「へっ捕まってよかったな。あいつのせいでこの世界が停止されるところだったんだ」
「テメェのせいで沙漠の集落での行商が出来なくなっちまったじゃないか!! どうしてくれるんだ!?」
「自殺者まで出たんだぞ? テメェのせいだ」
その非難轟々の嵐の大音量に打ち負けることのないよく通る声で、ドゥーンは笑顔で皆の方を向いた。
「今日は皆さんにお礼を言わせてもらいます。このたび、ようやくこのジュプトルを捕まえることが出来ました……それもひとえに皆さんのおかげです」
(くそ……反吐が出る)
「みなさんが協力してくれたおかげ……皆さんが噂をきちんと流してくれたおかげです。ありがとうございました」
ドゥーンは恭しく礼をして、皆を見まわす。
「皆さんの世界の平和もこれで守られることでしょう」
『違う!!』と言おうとして、コリンは口をふさがれているのを忘れて唸る。その眼には悲しみを凝縮したように涙を湛えていたが、彼の本心を知る者は誰もいない。
「ジュプトル……口を縛られて……何か言いたそうにしているけれど、何も言えないでいるみたい……」
「コリン……なんだかかわいそう。なんだか……これじゃどっちが悪者か分からないよ……」
違和感を感じているのは、仕事も終わってスカーフやバンダナをはずした身軽なディスカベラーの二人と、ギルドメンバーの一部だけである。
「でも……なんだか、様子が変ですわ。とても悲しそうだけど……あれは捕まったことに対する悲しみだけなのでしょうか……? なんだか……心の中で『キャーッ』て叫んでいる気がしますわ……」
具体的には、サニー=キマワリ。
「……本当に悪いポケモンなのかなぁ? 僕には……そうは見えないよ……ドゥーン」
ソレイス=プクリンのギルドの親方だけであった。妙なことに、そんなことを思っていても誰も口には出さない。口に出してはいけないという雰囲気が蔓延しているのも確かだが、何か見えない力でも働いているかのように、違和感を感じた者たちがちらほらいるのに、誰も素直な気持ちを吐露しない。
それは、ドゥーンのカリスマがそうさせるのか、それとも歴史の修正作用なのか。
「しかし……悲しいお知らせもあります。それは、私も未来に帰らねばならないことです。皆さんとは、ここでお別れです」
町の住人全員。特にギルドのメンバーが悲しそうな顔をした。もっと教わりたいことがあったとか、まだ犯罪者を捕まえてほしかったとか。
「テレスさん、アンナさん、アドルフさん……後のことはお任せしました」
「うん」
アドルフと言う名前らしいアグノムが頷く。
「わかってるわ」
恐らく、ドゥーンがあらかじめ言い聞かせておいたのであろう、コリンの感情を感じないように努力しているのか――ルカリオのように頭の4つ房を立てて、感情を感じるのを我慢しながらアンナははかなげに微笑んだ。
「取り返した時の歯車は私達三人で手分けして……必ず元の場所に戻します」
「よろしく、お願いします」
テレスの言葉を聞き終えてドゥーンはもう一度深く礼をした。
「いろいろ有難うございました。おかげで助かりました」
ジバコイル保安官――と、親しみを込めて呼ばれているガウス保安官が、礼というか、身体を傾けてお辞儀らしきことをする。
「いやいや……こちらこそ、本当にお世話になりました。ガウス様は、これからも平和のために尽くしてください。私も、未来から応援しますよ……
と言っても、未来世界では悲しいことに、恐らくすでに寿命で死んでいるのですがね……はは、縁起でもありませんか、すみません」
「誰だっていつかは死にます。ですので構いませんよ……それと、こっちの平和は任せてください。ドゥーンさんのような頼りがいは持ち合わせていませんが……それでも、平和を望む者がいる限り、悪は栄えさせませんので」
保安官の言葉に、ドゥーンは満足そうに頷いた。
「えぇ、お願いします」
言い終えると同時に、ドゥーンは片手をあげてヤミラミに指示を飛ばす。指示を受けたヤミラミはコリンを蹴り飛ばすように時空ホールの中に叩きこみ、そして自身も時空ホールの中に入って消えていった。
それを見送り、ドゥーンは振りかえる。
「では、それでは皆さん、名残惜しいですが……」
彼に最も深くかかわったギルドメンバーたちが、涙ぐむ。ドゥーンは困り顔で苦笑し、大きく息をついた。
◇
(これで、過去の世界のしがらみから解放される……苦しかった。この世界を愛してしまわないようにするには骨が折れた……しかし、まだ一つ仕事が残っている。
まず一つは
アグニのシデンに対する依存ともいえる信頼や絆は半端なものではない。始末しておかなければ、その執念が怖いばかりでない。
(アグニが持っている、遺跡の欠片……砂漠へ旅立つ前に見せてもらったあの遺跡の欠片、間違いない。過去の世界のトキ様の住む時限の塔……そして、幻の大地への通行証のようなもの……持ち物は人を選ぶというが、あれは本当に持ち主を選ぶ。
清い心、そして将来性のある精神がなければあれは手に入らない……と、なればアグニ自身が誰よりも厄介な危険因子であるということ。だから、アグニを始末することは、必要なこと。決して、無益な殺生ではない……断じて)
そう思おうとしても、ドゥーンの心は良心の呵責に苛まれるばかり。こんな無垢な子供を殺すなんて、まともな精神でいる方がまともな神経をしていない。
「そうそう。最後に……最後にぜひ挨拶したい方が……ディスカベラーのお二人さん。こちらへ……」
ドゥーンは二人を手招きする。まるで、進化前のサマヨールのように。
「ミツヤ……オイラたちだよ。行こう……」
アグニは別れがつらいのか少し涙ぐんでドゥーンを見ていた。しかしシデンは、ドゥーンとの別れではなくコリンの方を見て無性に涙がわき出すのをこらえきれない。
傍から見れば、シデンの涙はドゥーンとの別れを惜しんでいるように見えたが、そんなものは全く関係なしに、シデンは心ここに非ずと言った状態だ。
「これで、お別れだね……ドゥーンさん。今まで本当に……本当にありがとうございました」
深く頭を下げて、アグニは別れの挨拶を告げる。
「ドゥーンさん……コリンが……罪を償ったら……また、彼に元気な姿を見せて欲しいけれど……無理だよね? 未来だし……」
「残念ながら……」
ドゥーンが首を振るのを見て、シデンは残念そうにため息をつく。
「時の歯車を盗むのは悪いことだけれど……アンナを治療したりとか、相手を気遣うような行動も出来るような人だからだって……自分は信じているから。だから、ドゥーンさん……どうか、コリンをよろしくお願いします。それと……今までありがとう……」
コリンを擁護するという誰もが予想だにしないシデンの言動に、ざわめきが起こる。笑っている者が誰一人いない状況でドゥーンだけが笑っていた。
シデンがドゥーンに近寄り礼をした。
「アグニさんは、本当に純粋な目をしていらっしゃる……他人の事を良く気遣うし、好奇心も旺盛だけれど好奇心に振り回される事の無い分別をわきまえている。このまま鍛え続けて行けば、きっと良い探検隊になるでしょう……」
「うん、ありがとうございます……」
優しい言葉をかけるドゥーンに。アグニは大きく頭を下げて礼をする。
「そして、シデンさん……貴方は、とても良いパートナーをお持ちです。いつでも、貴方を気遣ってくれるアグニさんと、それに応えられるシデンさん……うらやましいくらいに素敵な関係だと思います。
しかし、時と場合によってはそれが足を引っ張り合うことに転ずる可能性が無きにしも非ず……どうか、気遣いあうこととお節介しあうことをお間違えの無いよう」
「はい、ありがとうございます、ドゥーンさん」
シデンはアグニとは打って変って、大きな声で元気よくドゥーンへとお礼を申し上げる。
「それでは、ミツヤさん、アグニさん。最後に握手を」
アグニは喜んで、シデンは微笑みながらも、何故か不安を感じながらドゥーンの手を掴む。
(捕らえた……全てを始末するのには……これで事足りる)
「これでお別れだね……さようなら」
アグニが無理やり笑顔を作って、ドゥーンに笑い掛ける。ドゥーンも笑い返したが、それは気持ちのいい笑顔ではなく、もっとどす黒い……
「これで……お別れですか……それはどうかな?」
「えっ!?」
二人の顔が、素っ頓狂な表情に変わる。
「別れるのはまだ早い! お前達も一緒に来るんだ!!」
渾身の力を込めてドゥーンがヨノワールの真価を発揮する。大きな手に込められた、手が音を立てて砕けそうな握力により激痛を抱えながら、シデンとアグニは痛みに呻く。
「うわぁぁぁ、誰か……助け」
「やめて、ドゥーンさんっあぁっ」
三人全員が、時空移動用の穴に入り込み、そして消える。状況が飲み込めない残されたトレジャータウンの住人は、ただ呆然と立ち尽くした。
数分ほどして何も変化が起こらないことを確認すると、諦めの悪い者――ディスカベラーを最も可愛がって止まなかったトラスティや親方を残し、心配を胸に抱えつつも、仕事へと戻って行った。
ドゥーンに怪我を負わされたMADは街の病院に入院していた。
「おやおや、ジャダさん。もう歩ける……というか、這えるのですか?」
「あ、はい……お陰さまで。メノウさんはこれで昼の検診は終わりですかね?」
「えぇ、食事はお付きのオオスバメの方がやってくれると申し出てくれましたので、任せる事に致しました。しかし、ジャダさん……怪我は軽かったとは思いましたが、いくらなんでも治るのが早いですね……探検隊と言うのはすごいですね」
実の所ジャダは、メノウが丁度最後の患者さんであるケムッソの検診を終えたところを見計らい彼女の前を通ったのだが、上手く偶然を装って話を始める事が出来たようで、彼はほくそ笑んだ。
「いやいや、それはメノウさんのアクアリングのおかげですよ」
MADの三人の中で、リーダーであるリアラは特に手酷くやられたが、部下の二人。とりわけジャダは比較的軽症で、病院内を動き回れる程度には回復している。しかしながら、動きまわるにはまだ肋骨のヒビが少々痛むはず。それを押して歩きまわりたい気分にさせるのが、看護師を務めるミロカロスの女性、メノウであった。
彼女はその名の通り、メノウの如き美しい波紋状の模様が鱗の一枚一枚に付いており、光の当たる角度によって様々な色を照り返すので、非常に美しい。それだけでなく、慈しみポケモンの名にふさわしい患者想いな能力を持っており、彼女はアクアリングを他人にかけることで怪我の治りを急速に早める事が出来る。
と、性格も見た目も良いともなれば、男としては放っておけないモノであり、陸上とドラゴンの卵グループを持つジャダは、同じく陸上持ちのリアラよりも性格のきつくないこの女性で息抜きの最中である。
「あらあら、私のアクアリングなんて補助と言うか気休め程度ですので、そんなに褒めることはありませんよ」
「そんな謙遜なさらず。というか、アクアリングなんて無くっても、メノウさんの美しさにはいやされちゃいますけれどね」
「ふふ、褒めても怪我の治りまで早くする事は出来ませんよ」
メノウは鎌首をもたげてにこやかに笑う。釣られてジャダも笑っていると、例のケムッソの病室から謎の声が聞こえるのであった。
「なぁ、サツキ。お前も早く怪我を治せよ……お前が居ないと、喰うもんも喰えなくなっちまう」
「ひ、ひえぇぇぇぇ……」
「お前が居ないと食欲も無くなっちまうし、何より金が稼げないからメシ代も節約しなきゃならないからな……」
「へぇ、パクさん。最近は何食べているのですか?」
相方の見舞いに訪れたパク=オオスバメに、フレイムのメンバーを代表して見舞いに訪れたシオネが尋ねる。
「ん、いつも通りに虫を主に食べているよ。エンブオーの食材屋さんで買った虫はクリーム質の味が美味しくってねぇ……しかも、丸々と太っているから最高なんだよ。ちょっと値が張るのが欠点だがな。
まぁ、なんだサツキ。お前も喰って眠って早い所元気出せよな……」
「ひ……ひぇぇぇぇぶるぶる」
妙に大きなサツキ=ケムッソの叫び声に反応して、扉の向こうに耳を傾けてみれば、どうやらチーム『タベラレル』の二人組が会話をしているようである。
「あ、あのね……パクさん。サツキ君が困っているじゃないですか」
「ん、なぜだ?」
「と、とにかくあれです……」
怖がっているサツキのためにシオネは話題を変えようと努力する。
そんな会話が聞こえてきて、廊下にいる二人は笑っていた。
「ははは。部屋の外まで丸聴こえ。あのケムッソも何を怖がっているんですかね」
「本人は必死なんですよ。あの程度、この時間帯なら迷惑にならない騒音ですし、気にしちゃだめですよ」
「そうですね」
そう言ってジャダが笑った矢先、MADの病室よりリアラの大声が響き渡る。
「お前な……そんなに貧乳がいいなら、男とでも愛し合っていればいいだろうがぁぁぁぁ!!」
この時間帯でも迷惑な騒音を聞いて、ジャダは酷く赤面した。
◇
「まったく……治療中は胸が息苦しくってありゃしないねぇ……包帯なんて巻く物じゃねぇな……」
ぶつくさと言いながら、リアラはベッドに横になる。
「いやでもリアラ様……きつく縛っておけば、リアラ様の美しい胸板がさらに美しくなるかも知れまギョベラッ!!」
リアラの裏拳がスコールの胴体に軽く突き刺さる。
「だから……卵グループ陸上のポケモンは、胸が大きい方が好かれる傾向があると何度言えば……ったく、これだから母乳を飲まないポケモンは……」
ドラピオンのスコールは母親から母乳をもらいうけたりしないポケモンであり、そのせいか胸に対して全く興味がないどころか、むしろ胸が大きいポケモンは忌避する傾向にある。
そのため、貧乳であるリアラについては満更でもないようなのだが、そのたびにこういう不用意な発言をしてリアラに攻撃されている。
「いや、でも俺も巨乳は邪道だと思うなぁ……やっぱり女はゲブアァッ!!」
それでも懲りないスコールは、さらなる不用意な発言で殴られる。
「あんたら……そんなに貧乳がいいなら、男同士とでも愛し合っていればいいだろうがぁぁぁぁ!!」
病院内では静かにするべきなのだが、チームMADは静かさとは無縁のチームであったとさ。
そんな病院生活を数日。リアラは病室にて、ヒビの入った肋骨の痛みに顔をしかめつつ、探検隊の面々と顔見知りの看護師の噂話を聞いて。舌打ちした。
看護士が立ち去った後は、胸糞悪い気分を解消するためなのか彼女の右手には紙巻きたばこがつままれ、左手には本。たばこからは煙がなびいているが、もちろん病院は禁煙である。
地下にある喫茶店では、料理の香りを楽しむ関係や煙がこもる関係などで流石に自重していたたばこだが、三人部屋のこの病室にはMADの貸し切りであるせいか、例え禁煙の場所でも自重するつもりがないようだ。
「あの野郎、やっぱり尻尾出しやがったか……遠くから見ていた者には、ミツヤ達は勝手に時空ホールとやらに入って行ったように見えたらしいが、すぐ近くで見ていた奴はミツヤとアグニを引きずりこんだように見えたって話だそうだ」
大手の探検隊ギルドのある街故か、物の流れもよく手に入る薬は多いこの病院。治療に使う薬草や痛み止めの質はいいことで知られている。
「いいから、早くたばこの火を消しましょうぜ……リアラ様」
そのため、痛みはこれでもずいぶんましになっているので、完治するまで追い出されたくない部下たちには、リアラの態度は切実な問題である。
二人の部下には『追い出されたら辛いから、たばこは外で吸いましょうぜ』と再三言われている。聞くつもりはさらさらないようだが。
「五月蠅いね、スコール。くっちゃべっている暇があったら勉強でもしたらどうだい? 体が鍛えられない時は頭鍛えるんだよ!! ゼロの島のダンジョンは心の強さと知識が試される場所もあるんだからな」
そんなリアラが開いているのは『ポケモンごとの拳闘術――決定版』という格闘タイプのポケモンが好みそうな内容の本である。ポケモンの種に影響されにくい汎用性の高い二足歩行用の基本の型から、耳のミミロップ、4本腕のカイリキー、尻尾のエテボース、足でもモノを掴めるゴウカザルなどなど……
格闘タイプの攻撃が苦手なだけに、その対策に余念がないあたり、リアラのまじめな一面が伺える。特に、因縁があるミミロップのページだけは穴があくほど見つめている。
だが、本当に穴があく事の無いように、わざわざ体の横に灰皿を用意しているあたりは何だか愛嬌が感じられた。
ちなみに、ジャダは日に何回か、怪我で入院する患者にアクアリングを掛けて回るミロカロスの追っかけをしていてそれどころでは無い。閉鎖空間でリアラと二人きりでは、スコールも気まずい雰囲気である
「ところで……俺ら、治療が終わったらどこ行きましょうか? やっぱりゼロの島がいいんですかね……」
「いや、まず行くべきは大鍾乳洞だ……さっき看護婦からフレイムの伝言を預かったが、奴らも承認してくれたようだし、問題ない……わざわざタベラレルとかいうチームの見舞いの振りして文章を届けるあたり、慎重になっていやがる……」
「フレイム……一回記憶を消されたみたいですからねー……警戒しているんでしょう。それで、鍾乳洞に行くってことは歯車関係ですか……?」
「あぁ、そうだ。時の歯車についてはどんだけ秘密があるかわからない……番人ならばある程度は知っているはずだろうからな、痛めつけて吐かせればいい。ともかくコリンとやらの行動の意味……きちんと、考えてやろうってね……大鍾乳洞のメタモンとあたいらは顔見知りだろ? 地底の湖も霧の湖も、アタイら謎の解き方分かってねーわけだし、唯一フリーパスで行ける場所なんだからそこから攻めていかないとな」
溜め息をついて、リアラは読書に戻る。
「わかりました……どこまでも付いていきますよ……リアラ様」
そんなリーダーを見て、スコールはいつも通りの頼もしさを覚えるのであった。
有名人だという理由で呼び止められる時間も惜しいと、外套に身を包み目立たない格好で空路と陸路を乗り継いで、長い時間をかけてトレジャータウンまでたどり着いたチャームズは、すでにドゥーンが去って一日たったトレジャータウンでの情報収集の結果を語り合う。
「どうやら遅かったようね……」
セセリは俯き気味に首を振る。
「みんな結果は同じようね」
少なくとも角で感じる限りはそうである。そして、エヴァッカが角で感じたとおりアキの情報収集の結果も芳しくない。ギルドの方も、特に動きがないとのこと。
「で、これからどうするんだい、リーダー?」
「……ギルドには、ドゥーンの監視がついている可能性があるわ。妙な動きをしてもらっても困るし、私たちのように普段出入りしていない探検隊が来ただけでも何か怪しむかもしれない。
それに、私達は……あのボーマンダ……エッサ。あいつも、色々おかしかったでしょう? あいつも何か、ドゥーンの息がかかった奴であることは想像に難くないし、私達がギルドメンバーに接触することは今、無用のトラブルを生み出す可能性もあるわ……それを考えると、私達は私達で独自に行動をした方がいいと思うの」
「エッサ……ね。あいつは、色々計算づくで私達に近づいてきたのかしらね……もしくは、利用されていたのかどうかは知らないけれど……強盗殺人ジュプトルの事もあるし、ドゥーンは色々と陰で息のかかった奴を操っているのかもね……わかったわ。確かに正体がばれていないほうが都合がいい」
セセリの提案にエヴァッカは賛成し、引き続き単独行動をとることに。
「そうなると……アタイらはどこを拠点に動けばいいのかね……」
アキが首を傾げたところで、セセリが口を開く。
「シエルタウンの村長の家がよくってよ。フレイムはまだ目をつけられていないと思うし……ペリッパー便に文章をしたためて、いろいろ呼びかけるしかないわね……グリーンレイクシティのなじみの宿屋にも手紙を送っておいて…………あぁんもう!! テレパシーを共有できる
「湖の三精霊は街をまたいでも通意他を使えるそうですけれどね……そんなにうまく行けるもんじゃないですし、文句言っても仕方ないですよ、リーダ。文句を言うよりも、アタイらは行動しましょう……どうです? 原点に戻ってあそこ……鍾乳洞の洞窟にでも行ってみませんか?」
アキが提案する。
「なるほど……あのメタモンから情報収集ね……生きているといいけれど……。とりあえず何をすればいいのかもわからない状態だし、振り出しから始めましょう」
そうして、チャームズもまた鍾乳洞の洞窟へ向かうことを決める。三つのチームが鍾乳洞へ向かうことを決め、コリンの居ないところでもきちんと世界は動きを止めずに星の停止へと抗うのである。
◇
「こうなったら……私一人でもあのピンクの悪魔をやってやる!!」
シャロットに攻撃を加えようと意を決したのは、黒光りする体に節のある間接。背中の口角に収納された翅をもち、頭部には先が二股に割れた角を持つポケモン、ヘラクロスである。彼女は、ほとんどの味方を殺し終えて死体の整理をしているシャロットに一矢報いるべく背後から近づくのだが。
「1・2の3で、首が飛ぶ♪」
シャロットが歌うように死を宣言した。かわいらしい顔によく似合う弾んだ声で口ずさみながら指を鳴らし、それと同時に罠が呼応するように起動、ヘラクロスの首がスッパリともげる。
真っ二つになった死体は綺麗に泣き別れし、開放血管系の体からあふれる緑色の血は噴水のような派手な物ではなく、あくまで果実から果汁が染み出るような穏やかな出血。
滴った血液は地面に跡を残しつつ、体が転がり終えた終着点で小さな水たまりのようなものを作る。
横たわった死体の傷口は恐ろしいほどに真っ直ぐで、よほど素早く鋭利なもので切られたのであろうことを予想させる。シャロットは、喜々としてそれを眺めて念力によって拾い上げた。
「さて、首から下はゴーレムの中に組み込んでおきませんと……」
未来に一人取り残されたシャロットは星の調査団の残党狩りをおこなわれる立場でありながら、『時の守り人』に対して戦意を削ぐように何度も返り討ちにしては、そのたび死体の山を作り上げていった。自分の庭同然である東の森林地帯の中にひっそりと身を隠しながらも、わざとその居場所を簡単に知らせるように、生首を飾るという方法で跡を残し、さらされた首は時が停止して彫像となり腐ることもしない。
瀕死で捕えられた者たちも、魂が弱まった挙句に生きたまま時間を止め、セレビィゴーレムの中に組み込まれては決戦のための道具として扱われていた。
シャロットに総攻撃の命令が下されれば、アリアドスの巣のように張り巡らされた膨大な罠の中に誘い込み、『時の守り人』の生き残りを一人一人駆除していく。親のエリックは、これまで星の調査団に忍び寄る偵察や斥候という者をことごとく暗殺してきたが、親が暗殺の達人ならば、シャロットはゲリラ戦の達人である。
そうして敵を殺したら、その死体をセレビィゴーレムの素体に飾ることで、その死体の仲間達をPTSDまで追い込むような恐怖を与え、一人以上は生き残りを見逃しつつ、残りは駆除していた。
一人残すのは、恐怖を伝えてもらうためだ。恐怖を伝えてもらえば、私シャロットはまた誰かに自分を嫌ってもらえる……嫌われれば嫌われるほど、誰もが皆この世界が消滅してしまう事も容認してくれると考えたのだ。
そんな恐ろしいまでの孤軍奮闘の果てに、シャロットはある気配を感じた。
(あら、これは過去から未来へ誰かが時空移動をしたようね……一体誰かしら? コリンさんだったらいいなぁ。もしもコリンさんだったら……『時の守り人』をほぼ全壊に追い込んだ私のことは……きっと認めてくれますわよね?
最近は生き残った時の守り人は再び戦いに参加しようとしないんです。私が怖すぎて、恐れを為しているのでしょうね。そうすれば、殺す人数も少なくて済みますし、随分平和的じゃないですか……でも、平和だとこんな世界でもいいかもしれないなんて思っちゃう人がいますからね……もっともっと殺した方がいい気がするんですけれどね……そうしたほうが、よりこの世界を嫌ってもらえますもんね)
全身に返り血を浴び、赤い血の真っ赤と青い血の真っ青に染まるシャロットの表情は、過去からの来客を感じて嬉しそうに咲っていた。
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