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時渡りの英雄第16話:五つ目の歯車・後編

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時渡りの英雄
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233:意志は変わらず 


 覚悟を決めたコリンには、このダンジョンは障害と言うには脆過ぎるくらいに簡単に突破できた。幾多の戦いを経験し、それを勝利で乗り越えて来たコリンには、死の覚悟も、死なないための方法もしっかりと身についている。それに加えて、チャームズとの戦いや、今回の意志を試される水晶の前で『どんなに辛くても生きる覚悟』を再認識したおかげだろう。
 意志の精霊が住んでいる湖だけに、そういった覚悟が身につくご利益でもあるのかと思うと、少々不思議な気分である。

 ともかく、強い意志や覚悟が強く身についたおかげなのか、コリンは今まで以上に、痛みや傷を覚悟の上で敵の攻撃を迎え撃つことを覚えた。そうすると今までよりも敵の動きが良く見えるようになり、結果的に冷静に攻撃を受け流したり、避けて当てるという単純な行為が高い精度で行えるようになっていた。
 攻撃を見て、かわして、逆に攻撃を叩き込む。その単純な動作が今までとは比べ物にならないくらいそつがなくなった。そうしてコリンは防御能力を落とすことなく攻撃能力を底上げする形になったのである。
 チャームズのセセリとまともに戦ったのはたった一度きりであったが、彼女と出会うことによって今までで最も強く死を覚悟したコリンは、まさしく一皮むけたというべきか。

 戦いを終えて台風の目にたどり着いた。流石にため息をつく程度には疲れたものの、それは長旅の疲れによるもの。痛みや恐怖は今までより穏やかに、単純な疲れだけしか感じていないことで、自分の確かな成長を感じつつも、最近は別の疲れも増えている気がする。
 別の疲れというのは、チャームズの動向や、フレイムの動向といったリアルタイムではわからない味方の動向だ。仲間がいない頃はドゥーンの事だけを気にしていればよかったが、今となってはフレイム達も下手を討って死んでやいないかなどと、心配する毎日である。
(特にソーダの奴は……告白までされたんだから、訃報なんて聞きたくないし……)
 仲間が増えたことは嬉しいのだが、こうして気苦労が増えるとは思わなかった。思えば、シデンやシャロットはどうしているのだろうか? 最近はジュプトルと人間の強盗殺人の話も聞かないし、おそらくはもうそんな自作自演の必要がないと判断されたのかもしれない。
(ジュプトルは世界に顔が知れ渡り、おそらく……シデンはすでにとらえられて死亡したというところだろう。どうせ覚悟はしていたのだから、それについてはもう言うまい。もう失うものなんて何もなかったんだ。どうせシデンとは子供も作れないから結ばれないし、たとえ恋仲になったとして待っているのは歴史の改ざんによる消滅だ。死ぬのが少し早くなっただけ……それだけの話なのだ)
 
 ここの番人であるアグノムには、ばれているのかいないのか、コリンは時の歯車があると思しき場所の手前にある巨大な水晶の影でふっと息をついた。
「シデン……俺、新しい仲間ができたぞ……」
 フレイムやチャームズの事を思い起こしているうちにこみ上げてきたコリンの口から独り言が漏れる。
「お前以上に頼れるやつらだ……だから、安心してくれよ、シデン……」
 涙を流しながら見上げると、自分の背中にそびえたつ水晶がきれいだった。シデンも昔は宝石に興味を持っていたが、未来世界で時を過ごすうちにキラキラとしたものへ構うことがなくなったことを思い出して、コリンは小さな水晶のかけらを拾う。
 過去の世界へ行くことが決まってからは、過去の世界では価値があるものだからと、廃墟となった町や村でそれをいくつも拾ったものだ。そんなときは、どこか感慨深そうに胸に宝石を押し当てていたり、見たことの無い仕草をしていたことは今でも記憶に残っている。
「この世界の女も、お前と同じものを好きな奴がたくさんいるよ、シデン……それを救おう。綺麗なものを綺麗と思える心を、この過去の世界と一緒に……いつまでも、保ち続けようじゃないか」
 そう言って、コリンは涙をぬぐい眠りにつく。いつ敵が襲ってきてもいいように、浅い眠りではあったけれど体も心も十分に休まった。

234:最後の番人 


 もう休息は十分だからと、ふらりと立ち上がって進んだその水晶の洞窟の最深部――水晶の湖の美しさは、予想通り格別であった。
 床は分厚く澄んだ氷を張った池のように水晶が一枚の板となっている。いかなる原理か、その水晶は六角形の柱を形成することなく、一流の職人が仕立て上げたような、歪み一つ無い平坦な床。一枚の水晶の下には岩が顔を覗かせているが、その岩もまたぴったりと隙間なく水晶を受け止めている。
 滑って転ぶことはあっても、すりむいて怪我をするなんてありえない床。自然の産物ではありえないその光景は、意志の神の強靭な根気が作り上げた作品なのであろうか。
 そして、遠方から覗いただけでもわかるのが、恐ろしく静かで恐ろしく澄んだ、恐ろしく深い水。地底の湖の水深にも似た事情のここは、高所恐怖症の者が見れば卒倒してしまいそうな、それほどの高さ。しかもその深さは、この洞窟が地底の湖よりもはるかに明るいおかげでより深くまで見渡せる。
 水の深さに息を飲んでから改めて室内を見渡すと、光源はどうやら青緑色に輝く時の歯車だけでは無いようだが、ソレを踏まえた上でも地底の湖など比べ物にならないほど明るい。
 流石に屋内に湖を構える霧の湖には明るさの座を譲らざるを得ないものの、これだけ広い室内にあってこの明るさは奇跡としか言いようが無い。

 知識の神と意志の神の住処が美しすぎて、感情の神の住処が可哀相なほどに思えてくる。そんなことを考えているコリンは暢気だとか、危機感が足りないとか、注意や突っ込みは一つや二つでは聞かないであろう。
 それでも、コリンは気を抜いていないつもりだ。チャームズの件があってからは、特に神経が張り詰めているのを自分でも感じるし、その反面夜に深く眠れなくなってしまったのが最近の悩みでもあるくらい。
 そうして、周囲の気配に気を配りながら歩いているうちに、コリンは不意に殺気を感じた。右手に見える湖から、突如顔を出しての火炎放射。直前まで気配を感じさせなかった不意打ちにしかし、コリンは冷静に前方へ転がって避ける。
 不意打ちをしてきた相手はまだ戦闘経験も浅いのだろう、この静かな場所で気配を消せていたのはさすがであるし攻撃能力は高そうだが、最後まで殺気を消せないあたりは落第点だ。コリンは大きな道具が入っている袋を投げ捨て、戦闘に備える。
「……お前が、ここの番人か」
「一応聞いておく……お前がテレスやアンナから歯車を奪ったやつだな?」
 殺気に満ちた形相でアグノムはコリンを睨みつける。
「……ユクシーとエムリットのことなら、それで正解だ。二人は生きているか?」
 済ました顔で、嘘偽り無くコリンは問いに答え、質問を返した。アグノムの殺気が増した。
「生きている……」
「そうか、よかったな……」
「なにが『よかった』だ!! そんな言葉で惑わそうとしたって無駄だ!! お前は僕の敵だってことに変わりはない!!」
 アグノムはサイコキネシスで砕け散った水晶を湖から引き上げ、大量の礫となったそれをコリンへと投げつける。
 大量に投げられた破片は回避が不可能で、コリンは急所をかばうが、体のいたるところに擦過傷と裂傷が刻まれる。もちろん、その間コリンはただ怯んでいたわけでは無い。
 腕についた葉で顔面を守りつつ、水晶の暴風雨がやむと同時に、チャージしたエナジーボールを撃つ。しかし、アグノムは木の葉のようにひらりとかわして、反撃とばかりに、追加で水晶の欠片を大量にばらまいた。
 敵は見た目通りというべきか、やはりどんな攻撃も簡単にかわしてしまうだけの身軽さと小ささを併せ持ってる。直接攻撃じゃないとまともに当らないと判断したコリンは走って接近し、虫の波導を纏った腕の葉で、アグノムを十字に切り裂いた。
 アグノムは硬質化させた尻尾で受け止め、ダメージを最小限にとどめるものの、相性の悪い虫の波導を喰らって如何にも痛そうな顔をしている。
 ふわり、コリンの体にサイコキネシスの力が及んでいることを示す青い光が纏わりつく。コリンはユクシーから湖へ溺れさせられ、エムリットもあのヒコザルに同じことをした恐怖を思い出し、素早く湖とは反対の方向へ飛びのいた。
 例え攻撃力のきわめて高いポケモンであろうと、これだけ距離も離れていれば、いかなサイコキネシスと言えど、湖まで運ばれる前に振り払ってやれるさ――と、タカを括っていたが、コリンは忘れていた。
 まだ、床に散らばった水晶のカケラはそのままなのだ。サイコキネシスでコリンは鋭くとがった欠片へ叩きつけられる。冷たい、の後に熱い。二つの感覚が同時に背中へと奔った。
(なるほど……そのための破片だったというわけだ。だが、サイコキネシスは一度振り払われれば、連続使用が出来るものではない。今のうちに、勝負を……決めてやればいい……)
 今度はシザークロスなどという柔な技では済まさないつもりで、跳ね起きたコリンは、次にサイコキネシスを使われる前にアグノムに距離を詰める。アグノムが苦し紛れに放つ火炎放射を前方に受身を取りながら飛び込み頭の葉を焦がしながら紙一重で避ける。
 転がりながら体を捻り、右前方へ移動し、勢いを殺さないようにジグザグ移動。下は磨き上げられた水晶の床だけに、もしも足の裏に棘がなければ滑って転ぶことは避けられなかったであろう。本当に、この体の構造には感謝である。
 アグノムは、湖の上にさえいれば直接攻撃もできないであろうと、水上まで避難していた。しかし、コリンは止まらない。すさまじい脚力でもって水面を走り、アグノムの尻尾を掴みそのポテッと膨らんだわき腹に牙を突きたて、噛み砕く。コリンはアグノムを抱えたまま走って、水面に浮かぶ水晶までたどり着くと、口からアグノムを放し、鋭い六角柱の水晶に後頭部を叩き付ける。コリンは勢いを殺さず自身の足で水晶を蹴って反転、湖畔まで跳ね戻る。
 アグノムを自身が仕掛けた砕けた水晶に突っ込ませ、かつ自分の被害をなるべく最小限にとどめるべく、その上で効率よくダメージを与えられるように――コリンは空中でアグノムの頭にしっかりと爪を食い込ませ、その後頭部を下にして着地。砕けた水晶が小さな体に余すところなく食い込んだ。

 濡れた水晶の上では、叩きつけられた後も体がスリップして、水晶には血の路線図が描かれる。その滑りが止まる前にコリンは再び噛みつきを再開し、顎に力を込める内に、グチャリという血肉の爆ぜるような音。歯が食い込ませた肉の一部が胴体から粘土のように千切られ、アグノムは子供が泣き叫ぶような甲高い声を上げる。鼓膜に直接引っ掻き傷をつけるというか、絹を裂くというか、そんな表現がよく似合う嬌声を上げながら、痛みに耐えかねてコリンを突き飛ばし、のたうった。

235:『何としてでも』合戦 


 普段何を食べているかも知れないような伝説のポケモン達の血肉。味など想像だにしなかったが、コリンは咀嚼してみると存外に美味い事に気がついた。肉の臭みが、ゼロと言ってもいい。癖があまりにも無いから、肉が苦手な者でも美味しく食べられそうだ。
 アグノムの生き血を啜るなど、ご利益があるのかそれともバチが当たるのか、そのどちらでもないのかは分からない。
 ただ、バチを当てるにしても、アグノムの『意志が消えうせ、何も出来なくなる』ようなバチを与えることは不可能だろう。コリン自身がどこかに姿を消してしまえば、コリンが意志のない人形になったまま野垂れ死に、時の歯車は永遠に行方不明と言うこともありうる。
 だから、相手も下手に呪いをかけることは出来ないはずだ。
(じゃあ、少なくとも七日間は姿を消しておかねばな……)
 明らかに戦いを続行できないような傷を負ったアグノムはたとえ不屈の心をもってしても、あの痛みでは精神を集中して波導を練ることは不可能である。勝負はすでについており、勝者であるコリンは少し余裕のできた心持で、これからの事を漠然と考える。

(夜のヒートスノウ沙漠でまた何か絵でも書くかな……と、それよりも、戦いを続行できない傷というのも一般的なポケモンに限ったお話。意志ポケモンと呼ばれるアグノムの奴なら起き上がりかねないからな……)
 コリンは最悪の事態も考えられると、ちらちら様子アグノムのを伺ってみるが……
「うぐぐっ……うおっ……」
 アグノムはうめき声をあげるだけ。どうやら再起も無いようである。
「そのまま動かずにいれば、事が終わった後に手当てしてやる。だから、無理はするなよ……」
 コリンはため息一つ、アグノムに一瞥して歯車を回収しに、洞窟の光源へ体を向ける。
「何はともあれ、もらっていくぞ。時の歯車を」
「駄目だ……あれを取っては……絶対に……」
「ほう、あっちにある青緑の光がそうなのだな」
 アグノムは『あれ』と言って時の歯車を見る。コリンもそっちの方へ視線を合わせた。
「あそこに沈むのが……時の歯車だな。では、アグノムとやら……時の歯車はもらっていくぞ」
 コリンはアグノムに踵を返し、湖の方へと向かっていった。
「……ううっ……ま、待て。待つんだコリン」
 コリンは歩みを止めて、首と上半身の動きだけでアグノムの方へ振り返り、睨みつける。
「俺は本名をこの世界で名乗った覚えはないはずだが……何故知っている?」
「盗賊コリン=ジュプトル……。お前がここに来ることは……テレスとアンナから聞いていた」
 ほう、あのエムリットはアンナと言う名前なのかと、コリンは時の歯車の番人二人の名前を覚える。
「ともかく……僕が負ける事も考えて……ある仕掛けをしておいたんだ」
 アグノムがパチンッ、と指を鳴らす。
「むっ!!」
 アグノムは額の珠を輝かせ、コリンの目を眩ませた。光が網膜を焼くよりも先に目を覆ったコリンは何とか目がくらむことを防ぎ、反撃に移ろうとするが、どうにも敵がこちらに仕掛けてくる様子はないようだ。
「なんだ……何をした!?」
 目を覆う腕を下げて、コリンは問う。
「見れば分かるよ……もう何をしても遅い、僕の勝ちだ」
 自嘲気味にアグノムが笑うと、突如地響きが足元より唸りを上げる。コリンが何が起こるのかとあたりを警戒していると、瞬きの間に水晶が湖より突き出され、サンドパンの背中のような針山状態となり、湖はまるで永久凍土のように水晶が並び立つ。
「湖が……水晶に覆われて……」
(恐ろしく硬い水晶だぞ……これでは時の歯車を取ることが出来ないじゃないか……)
 まさしく、コリンの考える通りの状態となった湖を見て、彼は茫然としていた。
「コリン……時の歯車は絶対に渡さない……僕の命に変えても、絶対に」

 痛みで目に涙を浮かべながら、アグノムは唾を吐き捨てる。わざわざサイコキネシスで飛距離を伸ばして、唾をコリンの顔に強引に届かせるほどの念の入りようだ。
「貴様……」
 コリンはアグノムの唾をぬぐってから喉を掴み、爪を立てて流血させる。
「俺は何としてでも手に入れる! 時の歯車をな……アグノム、貴様を拷問にかけようともだ!!」
 コリンは顎の下から押し付け、傷の道を刻む爪を徐々に眼球近くまで移動させる。命に換えてもと言った手前であるため気丈に振舞ってこそいるが、どう取り繕ろうと恐怖はぬぐい去ることなんてできやしない。アグノムは、目を見開きながら滝のように涙を流している。
「まずは、眼を抉る。さぞや痛かろうなぁ!! だが、分かっているとは思うが、仕掛けを解除すれば……抉ったりなどしない……大切な眼球だぞ。良く考えてから身の振り方を決めろ!!」
 コリンは、音を立てて歯を食いしばる。アグノムの湖や水晶よりも深く澄んだ眼球に爪を立てることがこの上なく恐ろしくて、戦闘中よりもはるかに強く心臓が脈打っている。
 コリンはその上に深呼吸をして……と、なかなか決心が付かず、いつ痛みが襲うかもしれない恐怖に叫びたい気分を必死に抑えるアグノム。
 その状況に終止符を打ったのは突然の火炎放射だった。距離が盾になってくれたものの、予想外の一撃をまともに食らい、コリンは砕けた水晶に叩きつけられて傷を負ったばかりの背中を焼かれてしまう。
 殺気すら感じさせない完璧な不意打ち。振り返った先には、杭のように尖った水晶を逆手に持ち、こちらを再起不能にしようと躍りかかる、ピカチュウの姿がそこにある。

236:脱落 


(なんだこのピカチュウ……翼が生えるのかよ)
 空中を走るだけでは足りないと、空中で加速するために生やした翼。驚くよりも先にコリンの手が動いていたのが救いであった。
「糞野郎!!」
 コリンがとっさに腕の葉を振り抜いた結果、そのピカチュウは翼を前に振り抜いて減速。コリンのリーフブレードをかわす。続けてメロメロ臭がしたので、コリンは慌てて口を閉じてその場から離れる。
「ちぇ……外れちゃった」
 そう言ってピカチュウは翼を霧散させ、尖った水晶を投げ捨てる。尖った水晶は、身に着けているバッグから、ナイフのような武器を取り出す間すら惜しいと拾っただけのようである。

「待て!! ジュプトル……お前に時の歯車は渡さない」
 その火炎放射の主は、ヒコザル――アグニであった。
「やっぱりお前たちか……不意打ちとは心得たものだな。お前達に用はない。痛い目に逢わないうちに、素直に退()け!!」
「嫌だ!! 絶対に退くもんか!」
「アグニ……自分たちで、絶対にアグノムを助けようね」
 コリンはため息をついて、二人をきつく睨む。
「本気で言っているんだな? どうしても退かぬというのなら仕方がない。 お前達から始末してやる……行くぞ!!」
 コリンはエムリットの時と同じようにアグノムを拾って、エムリットのように振りまわしてやろうと足元を見たが、すでにアグノムは這って逃げている。
 目を離さないようにしながらアグノムの尻尾を踏んで押さえつけようとした瞬間シデンが背中から翼をはやして、風を起こす。
 セセリとの戦いを思い出す濃厚なメスの香り。距離はかなり離れているというのに、先ほどとは比べ物にならない、ものすごいメロメロ臭だ。呼吸をしなくっても体に染みついた匂いだけで昇天してしまいそうなその匂いに、コリンはすんでのところでまずいと判断して息を止め、大仰な動作で水晶が散らばっていない水たまりにその身を投げて体を洗う。
 ゴロゴロと転がってから立ち上がったその瞬間、アグニのほうから飛んできた火炎放射を横に飛びのいて避ける。これでは立ち上がり損である。
 アグニの炎を避けたところで一安心と行きたいところだがしかし、左下からも炎が届く。
「あっく……」
 コリンは炎を振り払いながら呻いた。どうやらアグノムが左手で這いまわりながら、最後の力を振り絞って火炎放射を放ったらしく、ちらりと様子を窺えばそれっきり力尽きて完全に横たわっている。

「お前ら二人、少しはましになったようだな……」
 本当にどんな王道でも通ったのか、連携攻撃を大きく成長させた二人を相手にしては、多少のダメージなど気にしている余裕はなかった。
 コリンはゴスの実が数個入った巾着袋を袋ごとつかみ、すべての木の実を岩の波導に変えてアグニのほうへと接近する。どうやらこの二人、ミツヤとかいう名前のピカチュウが前衛でヒコザルは後衛らしい。女を前衛においておけば、男相手のメロメロを戸惑いなく使える強みもあるし、悪くない編成だ。
 だが、いかにヒコザルを後衛に置いていると言っても、あのヒコザルが接近戦に弱いというわけでもあるまい。ヒコザルが両刀である可能性も考えれば、迂闊に潰しにかかることは危険であった。

 コリンがどう攻めるか悩んでいる間も敵は攻撃の手を休めない。シデンが放っていた電磁波を、コリンは腰に下げていた道具袋で受け止め、そのままシデンへ接近。
 ジャンプして跳び越すと、コリンはアグニの顔面をひも付きの袋を掴んで殴りかかる。右腕から放たれたその自然の恵みはアグニに上手くいなされガードされた。
「それならっ……!!」
 と、コリンはブラックジャック*1を振るうようにして、アグニがガードしていた腕を狙う。それと同時に飛んできた電撃波は、突き出した左腕にわざと通電させて、体幹まで回る電気を最小限にとどめることで防御した。
 コリンの自然の恵みによるガードを崩す一撃でアグニの腕が下がる。その隙を彼はここぞとばかりに攻めたて、とどめの一撃としてアグニの顔面に前蹴りを叩きつける。
 その一撃で体中から力が抜けたアグニは、コリンがさきほどそうされたように水晶の欠片の中に背中から落とされた。

「ましになったとしても……思いがけない攻撃には弱いみたいだな。自然の恵みという技だ……よーく覚えておけ、アグニ」
 コリンはアグニの顔面を踏みつけながら荒い息をついてありがた迷惑なアドバイスをする。その間、シデンが手を出さなかったのは紳士的だからではない。コリンがアグニを人質にとりでもしたら困るので、じっと様子をうかがっているだけである。
「さて……ミツヤとか言うピカチュウ。仲間はやられたが、どうする?」
 コリンは左半身の喉から下の大部分に、軽度から重度を含めて大きな火傷を負いつつ、ピカチュウ――シデンを睨む。
「もちろん……自分はお前の火傷に唐辛子塗ってでも勝ってやるさ……」
「この子を人質に取ったら……?」
「諦めるよ」
 紫色の電気を放つピカチュウは、可愛いくらいに聞き分けの良い女であった。
「わかった、人質はとらないよ……」
 だけれど、逆にこいつは人質を常に抱いていないとすぐにでも殺されそうな殺意を感じる。穏便に解決して無駄な戦いを避けたいところだが、どうにもさせてもらえそうにない。コリンは人質を取らないと宣言したが、それは正々堂々戦うためではなく、人質を取ったことで出来る心の隙を突かれないようにするため。
「そのかわり、叩き潰してやるから覚悟しろ」
 歯車を手に入れるよりも先に潰しておいた方が得策。いや、潰しておかないとこっちがやられる可能性も否定できないと、コリンは判断してシデンに襲い掛かった。

237:シデンとコリン 


 シデン会話の最中から高速移動の呼吸法で自身の素早さを高めており、コリンが襲いかかると同時に彼女はコリンの左側に回り込む。胴体と左腕にやけどを負っている左半身から攻めれば確かにシデン有利……ではある。
 シデンはまず小さな翼を背中から生やし、メロメロの香りを相手に送り込む。コリンが場所を変えるたびに、シデンは腰を据えたまま疲れることもなくコリンを攻め立てる。シデンのメロメロは広範囲に広がり、コリンの技はエナジーボールも草結びも範囲が狭い。
 その結果シデンはほとんど動かずに、逆にコリンは動かされてばかりでスタミナを削られるし、地面は水晶だから穴を掘ることも出来やしないし。その上、尻尾を巻いて水上を走って逃げて体制を整えようにも、長射程の上に必中とすら称される電撃波を相手は持っている。
 光合成も出来ないこの場所でまともに呼吸すらできない。そろそろメロメロを覚えたほうがいいのかと、反省しつつコリンは勝つ方法を探す。
(こんな後手後手じゃダメだというなら、いっそ様子見なんてやめて突撃したほうが……)
 結局、そんな結論に達したコリンは、シデンの元に駆け寄って攻撃を仕掛けるが、それに合わせてカウンターのように翼を振るい、効果抜群の飛行タイプの攻撃を受ける。体を切り裂かれつつもそれにひるむことなくコリンは歩み、路傍の石ころを蹴り飛ばすようにシデンに蹴りを加える。
 バックステップで威力を殺しつつ、腹筋に力を込めてささやかな防御。一発を耐え抜いたシデンだが、コリンはさらなる追撃として無事な右手でエナジーボール。
 シデンは前に飛びのき、コリンの脳天にアイアンテール。叩き返すように頭の葉っぱでリーフブレード。二つははじきあい、互いに有効なダメージを与えないままに一旦膠着。
 さすがにこの攻防の間にメロメロを使う暇がなかったのか、ようやく呼吸が出来たコリンはこの膠着状態の間に存分に空気を味わう。
 と、そこに突然混ざりこむメロメロ臭。棒立ちしているように見えてきっちり発情期の雌の香りを放っていたシデンにしてやられ、コリンはクラリと頭をやられ、酒に酔ったような浮遊感。
 そこを、シデンは見逃さずにコリンの股間に抜き手を放った。急所である股間のスリットに、シデンの電気を纏った爪が叩き込まれるが、コリンがわずかに動いたため、スリットの中にまで達しなかったのは幸い。幸いだが、それでも耐え難い激痛は隠せない。
 コリンは思わず膝を折り、股間を押さえてうずくまってしまう。そして、そのまま休ませるシデンではない。まず最初に、爆裂の種を使って唐辛子の粉をばらまく唐辛子爆弾をポーチから取り出し、それをコリンの足元にぶつける。
 思わずコリンが目を瞑り、息も止めてしまったその隙に、シデンは静かに右側面に移動して、無事な右腕にシグナルビーム。心を惑わすそのビーム、しかも効果抜群の虫タイプのそれを食らい、コリンは前のめりに倒れ、うつぶせになりながら笑い出した。
 ちょうど電磁波をかけて麻痺させたところでおぞましい笑い声。混乱したことが原因かと思えばそうでもない。気味が悪いからさっさと終わりにしてしまおうかと、十万ボルトでトドメを指そうとしたその瞬間。
 シデンの足元からは信じられない量と速度の蔦草が絡みつく。
「草結び……!?」
 シデンが驚いている間に、瞳孔を細く狭めたコリンが縦に割れた瞳でシデンを見据え、ぎらぎらと光らせた目が輝いたと思った瞬間、コリンはシデンを抱きかかえるようにして口付ける。しかしそれは熱い抱擁でも接吻でもなく、爪はシデンの首筋に食い込み、抱きしめる力は殺意すら感じるほど苦しい。
 草結びで動けなくなったシデンはその電力の大半を蔦草に奪い取られ、電気の守りがないままにコリンのギガドレインをまともに受けてしまう。瞳孔が狭まるという明らかに新緑の症状が出ているコリンの強化されたギガドレインだから、その威力はすさまじい。ピカチュウ程度の大きさの相手であれば、一回の口付けでそのすべてを吸い尽くすことも可能だろう。
 結局、シデンはコリンを突き放すことすらできずに、動く力を奪い取られてその場に横たわった。

「やったか……」
 アグニは鋭く尖った水晶のカケラが散りばめられた床に叩きつけられ、背中を血まみれにさせながら。シデンはギガドレインで生気を吸い尽くされてうつろな目をしながら。二人はそれぞれ横たわる。
 コリンは痺れた体をまずクラボの実で癒し、股間の痛みに顔をしかめながら湖をどうにかしてもらおうとアグノムの方に歩む。しかし、コリンがアグノムのほうへ近寄ろうとすれば、二人は気力のみで立ち上がり、仁王立ちをして立ちはだかった。
「そこをどくんだ……」
 諭すような優しい。しかし、有無を言わさない威圧的な口調で、二人を見下ろしコリンは呟く。しかし、二人は動かない体でアグノムを庇う形で立ちふさがる。言葉を出すのも億劫なほど消耗しているようではあったが、コリンを睨みつけるその目は死んでいない。
「誰がどいてやるものかって言うのよ……コリン」
「退かぬと言うのかミツヤ……ならば、仕方ない。全ては時の歯車を取るためだ! 数週間で治るように綺麗に折ってやる……許せ!!」
 コリンの折るという言葉に、二人は骨を折り取られる激痛を覚悟して目を瞑った。
「まてっ!!」
 その二人の前に、頼れるものの――コリンにとっては最悪の敵の影が立ちふさがる。強烈な張り手打ちがコリンの顔面をはたきつけ、コリンの眼前に星が散る。
 コリンはたまらず後ずさり、距離をとった。
「くっ……何が……」
「あ……」
「グレイル……さん」
 シデンがドゥーンの偽名を呼び、二人の目に希望が宿った。一方のコリンは、ドゥーンの偽名を聞いていかにも焦っていると言った表情で目を泳がせつつ、早くも逃げ道を模索している。
「大丈夫ですか!? アグニさん、ミツヤさん。ここは私に任せてください……」
「貴様は……」
(くそっ、ヒーロー気取りか……狙ったようなタイミングで……)

「久しぶりだな……探したぞ、コリン」
 コリンの――二人にとってはただの盗賊ジュプトルであるコリンの名前を呼んだことで困惑する。
 なぜ、知り合いなのか――と。それよりも大事な違和感には気付けないまま、コリンの話は続く。
「クッ……! わかっていたさドゥーン。お前がここまで追ってきたと言うのはな。だが、ずいぶんと執念深いんだな。俺が火山帯の歯車を取れないとタカを括ってここで待ち構えたというわけか。……まるでヒーロー気取りだな」
 コリンは虚勢を張って、時間を稼ぐ。
「コリン……もう逃がさんぞ」
 ドゥーンは、準備運動のつもりなのか、掌の開閉を繰り返し指に力を込める。
「ドゥーン……貴様がこの世界に来たのは驚いたが……しかし、今度は見違えるほど強くなった俺の強さに驚いてもらおうか!! 新緑状態も合わせて、今のお前には負ける気がしない」
 コリンはまだ火傷や傷の痛む腕を構え、戦闘態勢を取る。ドゥーンはにやりと笑って腕を前に構え、コリンの戦闘態勢に応える。

238:逃げるが勝ち 


「戦うのか……いいだろう。しかし、勝てるかな、この私に?」
 ドゥーンは殺気も十分に、拳に力を込める。いかにギガドレインでスタミナを回復したとはいえ、もう新緑の特性も機能していない状態のコリンなどに負けるとは思わなかった。
 骨を折るなりして叩き潰せば捉えるのも容易だし、思い上がった敵の鼻っ柱を折るのは愉快だろうなどと軽く考えていたが、どうもコリンは不敵に笑うばかり。先ほど深緑が発動した際も笑っていたこともあるし、まだ何かあるのだろうかとドゥーンは警戒することにした。
 膠着状態に陥っていると、コリンの不敵な笑みは澄ました顔に変わり、コリンは口を開く。

「紹介するよ……今後ろにいるのが俺の新しい仲間だ」
 コリンは前傾姿勢をとってとびかかる体制を見せつつ、ドゥーンの後ろを眺めて口にする。ドゥーンは馬鹿正直によそ見をしてしまう。
 それが何のこともない、子供だましの策であったことに気付いたころには、すでにコリンが身を翻していた。一目散に逃げるコリンはアグニとシデン、そしてアグノムを飛び越え、足の先端が(かすみ)掛かった様に素早く動かしながら一目散に逃げていた。
 ダンジョンから脱出できる、ダンジョンの中心、台風の目にある、ダンジョンの外へと通じるワープゾーンを目指して走り去る間際、
「逃げるが勝ちっていうだろ?」
 そんな捨て台詞を吐きつつ、コリンはダンジョン水晶の洞窟を後にした。

 ドゥーンはその光景を唖然としながら見送り、歯噛みした。
「コリンめ……! 始めから戦うつもりなどなかったな!! あんな大仰なふりまでしておいて、なんというやつだ」
 子供だましのような手でいいようにあしらわれたことに腹を立て、ドゥーンは拳を握り固め、怒りをあらわにする。あんな馬鹿みたいな手に騙されてしまった自分も悪いので、自己嫌悪と合わせて憤りは果てしなく膨れ上がる。
「逃がすものか!!」
 居てもたってもいられずにドゥーンはふっと本体を消すと影だけとなって、影のままの身軽な姿でコリンを追いかける。この状態、あまり長く続けられるものではないが、こうでもしないとコリンに追いつくことは不可能であるために、こうするしかないともいえる。
「あの……何コレ? なんでドゥーンさん、あのジュプトルの名前を知っているの……?」
 嵐が一気に過ぎたような展開に、アグニは首を傾げる。
「グレイルさんも消えた……? ってか、コリン……グレイルさんの事をドゥーンって言っていたけれど……なに? 自分には何がなんだかさっぱり分からないんだけれど……アグニはどうぉ?」
 シデンの問いにアグニは首を横に振る。 シデンがコリンの名前を誰に教えられるよりも先に叫んでいたことには、本人を含め気付いていないし、誰も違和感を感じていなかった。
「そう……。ところでアグニ、動ける……? ちょっと自分は動けない……」
「オイラも……無理っぽい。でも、危険は去っているみたいだし……ちょっと休もうよ。あんな風に逃げて……オイラ達を人質に取るとも考えづらいし……」
「うん……そうだね。御休み……」
「あーあ、フレアドライブもオーバーヒートも使えるようになったのに、結局どっちも使えなかったや……」
 アグニがそうつぶやいたのを最後に、疲れ果てた二人はほどなくして眠りについた。
 その後、逃げ去ったコリンは背中の傷で本人を特定されないように身を隠し、光合成を繰り返してようやく傷が目立たなるまで待ち続けることになる。
 その間に、ドゥーンは自身の本名と未来から来た人間であるという身分を明かし、『星の停止を引き起こそうとしているコリンを捕まえに来た』と、民衆に伝えていた。
 様々な事件を解決してきたカリスマとなっているドゥーンを信じてやまない民衆たちは、ドゥーンの言葉を疑うこともなく信じてしまう。もちろん、MADのマニューラのように本当の話の端々に混ぜている嘘に違和感を感じた者も少なくはないが、それを打ち明けても一笑に付されるばかり。
 真実は闇に葬り去られ、ドゥーンの評判はさらにうなぎ登りとなって行った。未来で知り得た情報で新発見をしてきただけだというのに、それがまるでドゥーンの功績であるかのようにまことしやかに語られたその経緯も考えられもせず。
 トレジャータウンでは、コリンを捕まえる算段も着々と進んでいた。

 ◇

「……フレイムは、どうしているかな」
 シエルタウン出会うと約束したフレイムは、無事だろうか。
 水晶の洞窟の件が片付いたら会いに行くとは言ったが、まだ水晶の洞窟は攻略していない。それでも、待っていてくれると信じて、コリンはシエルタウンに足を踏み入れる。
 そろそろ情報収集もしなければいけない。そのためにも、勝手知ったるこの街に行かないことにはどうしようもないのだ。











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コメント 

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  • >2013-11-03 (日) 02:46:36
    大体はお察しの通りなのです。ダークライの件がなかったら、アグニを成長させるためにも消えたままにするのが神としての役割だったかと思います。
    シデンを復活させたのも、おそらくは苦渋の決断だったのでしょう。ソーダは……私ももうすこし救ってあげたい気持ちですw

    テオナナカトルは、その通りコリンたちの世界の未来ですね。すでにコリンたちの戦いは神話になっているようです
    ――リング 2013-11-22 (金) 00:37:02
  • ふむふむ、こうして読むともし原作のストーリーにダークライの話が無かったら、リングさんバージョンはシデンが復活しないまま終わってたのかなって思いますね。

    ソーダがちょっと可哀想でした。

    テオナナカトルって多分、コリンたちの世界の未来の話ですよね?
    ―― 2013-11-03 (日) 02:46:36
  • >狼さん
    どうも、お読みいただきありがとうございました。
    『共に歩む未来』のお話では、もう一つの結末というか、私としてはこちらのほうがよかったという結末を書いて見ました。
    ディアルガのセリフから察するに、本当の未来はシデンが生き返らない方であったという推測が自分の中でありましたので……。
    こんな長い話ですが、読んでいただきありがとうございました
    ――リング 2013-06-26 (水) 09:49:35
  • 時渡りの英雄読ませていただきました。私は探検隊(時)をプレイしたのでだいたいのことはわかるのですが時渡りの英雄ではゲームとは違ったおもしろさがありゲームではいまいちでていないところまで実際そんなストーリーがありそうな気がしたり(当たり前か)してとてもおもしろかったです。
    『ともに歩む未来』では[シデン]が蘇らないのかと思ったら[アグニ]の夢というおち、少しほっとしたり…。
    これからも頑張ってください。
    ―― ? 2013-06-17 (月) 21:31:32
  • 時渡りの英雄これから読んでいきたいと思っています。
    時渡りの英雄は10日ぐらいかかると思われます。
    読むのが楽しみです
    ―― ? 2013-05-25 (土) 02:02:01

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*1 袋の中に砂や石を詰めて振り回す殴打用の武器

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Last-modified: 2011-12-10 (土) 00:00:00
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