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時渡りの英雄第12話:霧の湖にて

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時渡りの英雄
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161:先手必勝 

「ばれているなら仕方ねぇ……ご苦労だったな」
 インドールが、クククッと笑いながら紫と白のよく目立つ警戒色を携えて地上に出る。
「ケッ、謎さえ解いてもらえばもうお前たちに用はねぇ!!」
 ガランが毒ガスを拭きだしながら穴から現れる。
「へへ、お宝は俺達が頂きだぜ」
 最後に、翼をはためかせながらコーダが現れたところで、シデンの10万ボルトが火を噴いた!!
「ひわっ!!」
 穴から出たばかりの上に、ズバットは盲目。彼らの超音波では電気がバチバチと言っていることなど感知出来ようはずもなく、電気がはじける音も未だ流れる続ける滝の轟音の前には聞こえない。結果、直撃。濡れた体に直撃したとあっては、普段以上に効果は抜群だ。
「せいぜい好きなだけほざけばいい。それがそのままお前らの遺言になる」
 キュイ、キュイ、とシデンは瓶を開ける。
「あんたらさ、そんだけの強さがあればまっとうに働いたってそれなりの暮らしも出来るだろうに……残念だ、本当に残念だ。みんながみんな、笑いあえる世界に共感できないなんてさ」
「ククククッ……調子に乗るなよ。お前ら俺の毒ガススペシャルコンボに負けたのを覚えていないのか?」
「ケッ、不意打ちでコーダを倒したくらいで良い気になってんじゃねーっての」
 二人が毒ガスを放つポーズ、アグニは身構えるが、シデンは棒立ちだ。モモンスカーフは確かに毒を防げるが、毒タイプの攻撃を丸ごと防げるほどの効果はない。
 それなのに何故棒立ち? というのは野暮な質問だ。毒ガススペシャルコンボが放たれた一瞬、シデンは背中から龍やコーダのそれを思わせる骨ばった漆黒の翼を三対ほど生やしていた。
 シデンはどうやら飛行タイプの目覚めるパワーを全開にしているらしく、シデンの中に籠った殺気が以前のスワンナのような純白の翼ではなく、悪魔のような見た目を形作っているらしい。
 彼らのお得意毒ガススペシャルコンボとやらも、この翼で風を起こしてしまえば型無しだ。押し返される毒ガスと、運ばれる土埃。更には、鼻をくすぐるような雌の芳香、メロメロの香りも含まれている。後衛を任せているアグニに対しては、追い風となるように風を起こしているのでシデンのメロメロの香りは運ばれない。一方的に敵を弱らせたというわけだ。
 そうして、土埃で相手が目を瞑ったその瞬間を見計らい、シデンは液体をぶっかける。

「な、なんだこの液体は?」
「なんだろね? 気になるなら背中の水を地面で拭ってみたらどう? ひっくり返って、無様に腹を見せてさぁ……」
 シデンが拳に高圧電流を溜める。
「そうだよ、地面に這いつくばって洗い流せばいいじゃん。その時には……オイラ達が仕留めるけれど」
 アグニもまた、高熱の拳に炎を灯していた。腹を見せたりなどすれば、間違いなくその隙に攻撃される事は目に見えている。しかし、会話しているうちにもドクローズの肌には違和感が。肌は熱を帯びてじりじりと熱い。毒ガススペシャルコンボも通じない、時間が経てば経つほど悪化しそうなこの状況。メロメロの香りは未だにシデンの翼で送られてきており、まずい。このままではまず過ぎる。
 たまらず、インドールはシデン達に背を向けいったん退くことを選んだ。その時、シデンはナイフを握りしめて、とりあえず倒れ伏している哀れなズバット、コーダの息の根を止めようと走り出す……が。
「あ~ん!! 待ってぇぇぇぇぇ」
 間の抜けた声。それ以外に表現のしようがない程に間の抜けた声だった。

162:とりあえず誤魔化そう 


「セカイイチ!! セカイイチ!! あぁーん!!」
 捕まえようと追いかけても、声の主が誤って蹴り飛ばしてしまうために、なかなか追いつけない。急がば回れとはよく言うが、慌てなければもっと早いところソレイスもリンゴを捕まえられたろうに。
 そんなことを思いながらソレイスの様子を見ているうちに、、インドールとガランは水浸しの地面で毛皮を拭う。シデンが持ち出した液体をかけられた部分はしっかりと剥げ上がり、痛々しい赤い肉が僅かながら露出している箇所もある。
 泥が染み込むその痛みに、歯を食いしばりながらインドールはシデンを睨む。
「あらぁ……せっかくの武器が拭われちゃった……ちぇ」
「そんな事よりもシデン……親方が見ている前で殺しは出来ないよ」
「……なら、適当にいい繕ってお茶を濁そう。奴らには相応の屈辱を与えたことだし。すっきりした事にしておく」
「分かった……今回はシデンに従うよ」
 小声で喋っているうちに、ソレイスが五人の間に割って入る。
「あぁ。やっと追い付けた……僕の大事なセカイイチ……うぅ、セカイイチが無くなったら僕は生きていけなくなるところだった……うぅ」
 そんなに嬉しいのか、まるで迷子の娘を見つけた父親の取る態度だ。もう、先程まで戦闘していたことも忘れて、五人は(ただしコーダは気絶しているが)絶句している。
「あれ、君達はディスカベラー……そして、僕の友達、ドクローズの皆も!!」
 今更ソレイスはこちらに気づいた。
「みんな一緒だぁ!! うわーい、にぎやかにぎやか!!」
 子供でもこんな喜び方はしない。感情表現豊かというよりはあざといくらいの喜び方で、ソレイスは笑顔をほころばせる。

「お、親方様……ここで一体何をしているのです?」
 あっけに取られながら、インドールがいの一番に質問する。
「ん……何って、森を散歩していたらね、セカイイチがころころ転がって僕から逃げ出しちゃったの。それで、バーンっと追い掛けてピュンッて捕まえようと思ったわけだけれど、ここまで全然捕まえられなかったんだよ」
 言いながら、ソレイスはセカイイチに頬擦りをしながら陶酔していた。やっぱり、娘を溺愛する父親のような間の抜けた顔だが、我に帰ると顔はいたって普通のプクリンらしいプクリンの表情。
「そうだ!! 君たちこんなところでサボってちゃいけないよ?」
「え……」
 サボっていたわけではないのだけれど、とアグニが間抜けな声を上げる。
「君達のお仕事は探索でしょ? ほらほら、先へ行った行った!!」
「で、でも……」
 この状況を見て何も思って欲しくは無いが、なにも思わないのかとアグニは問いたい気持ちでいっぱいだ。しかし、ソレイスはアグニの意を汲みとらない。
「親方の言う事がきけないのかい? 早く、たんさーくたんさーく!!」
「アグニ……親方には何か考えがあるんだ……多分」
「……うん、行こうミツヤ」
 どう反応すればいいのかまるで見当もつかないので、二人はとりあえず本来の目的である探索へ意識を集中することにした。殺すつもりだったが、剥げ上がったあの毛皮を見れば相手に与えた屈辱の大きさも推し量れるというものだ。
 こちらが与えられた屈辱を考えると、まだ気はすまないがそれもいずれ時間の経過で収まるだろう。二度と姿を現さなければそれも良し、姿を現すのなら完膚なきまでに叩きのめせばいいだけだ。
「頑張ってねー!!」
 ソレイスはそそくさと立ち去るシデン達に手を振った。親方こそ頑張ってよ、と心の中で返して二人はワイングラス状の山の根元、首の部分にある小さな穴へと向かって行く。きっとあそこから登られる場所がある、その先に霧の湖があるのだと信じて。

 さて、二人はこれからダンジョンを進む事になるのだが、彼らがたどり着くまでの時間、インドールは後を追いたくてうずうずしていた。しかし、問題がある。
「るーるーるーるーるーるーるー」
 ソレイスは舌を巻きながら鼻歌のようなものを呑気に歌っている。話しかけようと思っても、これでは話しかけるのもはばかれる。
「親方様……」
 勇気を振り絞って話しかけたインドールは偉大かもしれない。
「ん、どうしたの? 友達のみんな?」
「我々も探索に出かけようと思うのですが……あ、いやほら、昼寝をしていたコーダも目覚めたことですしね」
 見てみれば、シデンにやられたコーダもフラフラと起きあがり、こちら側に飛んできた。どんな状況か分からないコーダはきょとんとして顔を曇らせている。
「よう、寝ぼすけだなコーダ!!」
 妙に堅い声になってしまったその言葉でインドールは話を合わせようとウインクする。視覚の無いコーダにそれは無駄なのだが、ご苦労なことである。
「あはは……お、おはようございます」
 しかしながら、以外とコーダは要領よくインドールの意を汲んでくれた。
「おはよう、コーダ。今、インドールが自分達も探索に行こうと言うことになったのだけれど……友達を危ない目に合わせるわけにはいかないからね。ディスカベラーはともかくとして、他のみんながここに集合するまでは休んでもらおうと思うんだ」
「は、はぁ……では、謹んで休ませてもらいます」
 他人を気遣っているように見せて、ソレイスの口調はどこか有無を言わせない。インドールはその口調を嫌ってついつい言う通りに休んでしまい、これからどうしようかと思考を巡らせた。
「るんるんるんるんらーん」
 わざとらしく歌いながら、ソレイスはドクローズの周りで円を書くように踊っているから、呑気なものだ。

「兄貴……なんだか妙な展開になってきやしたね」
 コーダが顔をしかめてヒソヒソ話を始める。
「ですよ、このままじゃディスカベラーの奴らに先を越されますぜ……どうするんです?」
 続けてガランが尋ねれば、気を取り直したインドールは小さく舌打ちして。口を開く。
「どうもこうもねえだろ。仕方がないから、ソレイスはここで俺様達が倒す……そしてディスカベラーを追い掛けよう」
 自信を露わにして、インドールは勇ましく言い放つ。
「でも、大丈夫ですかね?」
 しかし、コーダは不安げだ。目が無いので表情は掴みにくいが、声色だけでもそうとわかる。
「ソレイスってなんだか不気味ですぜ……」
 ガランもその意見に追従する。
「心配するな、大したことは無いだろうし、プクリンはとても貴重なお宝を幾つも持っているっていう噂だぜ? ここで始末して遺言を受け取ったとか言って、貸金庫のお宝がっぽりっていうのもありじゃねえか?」
 と、根拠のない噂話を釣りさげてインドールは部下のやる気を煽る。
「ええっお宝!?」
 これでやる気を出してしまうのだから、コーダも馬鹿なものである。昔から馬鹿とハサミは使いようとはよく言ったものだ。
「そうだ、前から奪おうと考えていたところさ……よし、ガラン。毒ガススペシャルコンボの用意だ」
「合点承知」
 そして、ガランも俄然やる気が出たようだ。こんなんだから、シデンにもアグニにもクズ呼ばわりされるのだ。
「ソレイスはここで俺様達が倒す……悪いが、探検家として有名なソレイスも……ここで終わりだ」

163:探検の醍醐味 


「さて、裂け目にやってきたぁーーっと」
 ワクワクがはちきれんばかりのアグニは、空を飛びかねない意気揚々の気分でダンジョンへと潜り込む。一応、ダンジョンは危険な場所であるはずなのだが、アグニにはそんなこと関係ないようだ。
 先程のドクローズの件もまるでなかったことのよう。まったく、現金なものである。
「ここ、蒸し暑いねー……なんていうの、やっぱりマグマの神にして太陽の神、グラードンの神の力なのかなー……すごい、水蒸気も出てる、間欠泉って奴かな? サニーの本を見てずっと憧れてたんだよなー間欠泉。
 ねえ、ミツヤ。ワクワクするね、上には何があるんだろうって思わない?」
「あはは……思うけれどさ、アグニ。もうちょっと落ち着きなさいな。熱いよ?」
 あまりのテンションの高さにシデンは苦笑い。アグニには暑くとも問題ないだろうが、シデンは暑い環境にアグニほど適応できるわけもない。水蒸気の立ち上る、湿度も温度も馬鹿みたいに高い、暑いを通り越して熱いこの洞窟で、シデンは憂鬱になっている最中だと言うのに、正直アグニはうっとおしくて暑苦しい。
 でも、愛おしいなぁ……。
「だってぇ、この中に何が待ち受けるのか、そしてこの上にある未知の領域……そこに何があるのか、考えるだけでもワクワクが止まらないよ。さぁ、行こう行こうミツヤ!! 休んでいる暇なんで無いんだからね」
「はいはい、自分はどこまでもアグニについて行きますよーって。これでいい?」
 このテンションでどこまでばてずにいる事が出来るだろうかと苦笑しながら、シデンは誰の目にも適当と分かる返事をする。
「上出来上出来!! ミツヤ、頑張ろう」
 適当だとはアグニも分かり切っていたが、付き合ってくれたという事実だけを喜んで、アグニは早速行く先を先導した、

 ◇

「アニキィ……どうしたんですか?」
 ずっと睨めっとしたまま、インドールは動けない。肉球に流れる汗を感じながら、彼は攻めあぐねていた。コーダがそれを怪訝に思って問いかけるが、インドールはまだ一歩踏み出せない。
「こうしてにらめっこして、もうかなりたちますよ? 早いとこ毒ガスコンボで片付けないと仲間が来ますよ?」
「う、五月蠅い!!」 
 ガランがけしかけるも、やっぱりインドールは動けない。
「どうしたの、友達。さっきから怖い顔して?」
 ソレイスから伝わってくる覇気。それは、風船ポケモンなんて可愛らしい二つ名では失礼に値する。動作の一つ一つに隙の一かけらさえ感じず、緩んでいる全身の筋肉はリラックスしているものの、心一つで瞬時に鉄のように固くなることを容易に予想させるような。
 覇者のオーラとでもいうべきものが漂っている気がしてならないのだ。
「あ、分かった!! 僕と睨めっこをしたいんだね。それなら僕も負けないよ」
 何をどう解釈すればそうなるのか、ソレイスは一人納得して瞼を引っ張り頬を引っ張り、変な顔を作る。
「ベロベロ ンドゥバー!! ドロドロー ンバァー」
 インドールが深刻なほど引いているのも意に介さずにソレイスはひたすら変顔を続ける。
「うぅ……アニキー……ダメだ、俺もうこの状況に耐えられねぇ」
「くそ、仕方がない」
 ついにガランの泣き言がさく裂した。倒すべき相手に悪ふざけされている状況、確かに気持ちの良いものではない。
「くそ、仕方がない……おい、ソレイス!!」
「なあに?」
「悪いが貴様には……ここでくたばってもらう!! くらえ、俺様とガランの毒ガススペシャルコンボを!!」
「本性を現したね」
 にらめっこは笑った方が負けと言うのなら、勝者はインドールである。
「これでこっちが反撃する理由が出来たわけだ」
 それは、とっても素敵なソレイスの笑顔でした。
 まず、ソレイスが肩に下げていたバッグを放り捨てざまに腕を振り抜くと、星が煌めいた。白く輝く鉤付きの棒手裏剣が三人の体に刺さる。
「さあ、プクリンのギルドに牙を剥いたことを後悔させてあげる。さて、それには毒が塗ってあるけれど、どんな毒なんだろうねー?」
「ひ、ひぃぃぃぃ」
 恐れをなしてコーダが真っ先に逃げようとするが、棒手裏剣が翼に当たったおかげでバランスが取れない。しかし、それでも機動力はドクローズの中では一番上なのだ。
 その機動力ならばプクリンであるソレイスから逃げるのも可能かと思われたその時、姿を消していた岩が地中からせり上がり、コーダを囲んで上下左右前後、全ての方向から岩塊に叩きのめされたコーダはあえなく落ちて行った。
「言い忘れていたけれど、さっき踊っている間にステルスロックを20個ほど仕掛けさせてもらったんだ。僕から逃げたいなら……死ぬしかないよ」
「て、て、て……てめぇ!! どうして毒ガスコンボを受けて平然としていられるんだよ!?」
 インドールが後ずさりをしながら、質問などしている場合じゃないのに問答を始める。
「タンタカターン」
 ソレイスはまるで道化のようにおどけながら、効果音をわざわざ口にする。わざとらしく耳に手を当てると、耳からはするするとモモンスカーフが。毒を無効化するモモンスカーフ、探検隊にとってはポピュラーな道具の一つだが、まさか本当に耳に隠していたとでもいうのだろうか。
 無論、毒々の様な純粋に毒をぶっかけるような技には強いモモンスカーフにも、ダストシュートやヘドロ爆弾のような衝撃を伴う技は防げない。毒ガススペシャルコンボも同じく、一応まともに食らえばそれなりのダメージを受けるのだが、ソレイスはそんな様子すら見せずに平然と立っている。
「どぅお? 僕の手品、すごいでしょ」
 得意げな顔でモモンスカーフ取りだしたソレイスの表情からは、彼の感情推し量ることは出来ない。
「さて、ネタばらしもした所で……君達には覚悟をしてもらわないとね。ディスカベラーがリンゴの森に行った時、君らは僕の友達に手を出したろう……あの時は、君達の機嫌を取るために騙されたふりをしていたけれど……」
 ソレイスの笑顔が目を閉じる動作で消える。
「僕には子供はいないけれど、弟子のみんな、友達のみんなは、実の子供のように大事にしているつもりだ。それが傷付けられ、虐げられた痛みを知れ!!」
 大量に空気を吸い込んだソレイスが、ため込んだ空気を無尽蔵に震わせ叫ぶ。音速で伝播する殺意がソレイスの口から放たれた。物理的な衝撃と見まがうばかりの波が、体を前後に振るう。その音波の一つ一つがまるで、全身を体内まで小人に蹴り飛ばされるような痛みと熱をともなって対象にダメージを与える。
 伏せても無駄、防御しても無駄。指向性を持たせたその声の範囲外に逃げるか、声を出す前に敵を黙らせる何らかの方法をとるでもしなければ、正面に立ち塞ぐ者はすべからく地を這うべし。それが、ソレイスのハイパーボイスの威力である。
 頭はクラクラ、足腰は立たない。直接的なダメージは乏しいが、平衡感覚を奪うとことで得られるアドバンテージは絶大だ。
 そうこうしているうちに、ソレイスは悠々と、バッグから取り出した刷毛(はけ)で先程と同じ棒手裏剣に髑髏マークのついた瓶に入っている液体を塗り込む。清潔な瓶に封入された新鮮な毒を塗り込むにしては、少々笑顔が穏やか過ぎて、食器を磨いているようなものかと勘違いしてしまいそうだ。
 それを這いながら逃げるインドールとガランに打ち込む。二本同時なんて投げ方で、普通ならばどちらも明後日の方向に飛んでしまいそうな投法だが、期待を裏切ることも無く二人へ正確にヒットする。

164:胸中をさらけ出す 


「アーボックの毒を利用して作った麻痺毒だ。体から痛みが消える。それは君たちへの慈悲だ……」
 神経の麻痺毒であるアーボックの毒で痛みが消える、のはいいのだが。刺さった場所から徐々に感覚が無くなり四肢が動かなくなっているのは恐怖でしかない。
「な、なにが慈悲だ……てめぇ」
「子供が悪いことをした時、顔を殴っちゃダメってよく言うでしょ?」
「知ったこっちゃねぇ!!」
 インドールの質問に、ソレイスは要領を得ない答えを返してインドールに不平を含む反論を返される。
「……ラッタの女性を強姦したろう?」
 怒気を含んだ声が震えていた。
「加えて、シデンが君達を殺したい程憎んでいる……それぐらい、あの子たちを追い詰めたろう? 公私混同しちゃいけないけれど、内心僕はムカついていたんだ……」
 溜め息をついてソレイスは続ける。
「知っているかい? 子供が、手で悪いことをした時は、『悪い手だ』って言って子供の手を叩くのが良い母親なんだ。むかついたからって、腹や顔を殴っちゃいけない……これは基本でね。
 僕も基本に忠実に、罪を憎んで人を憎まず。」
 そう言って、ソレイスは放り捨てたバッグに手を突っ込み、粉末の入った袋を取り出し投げる。飛散した粉は倒れ伏したドクローズ達に余すことなく吸入され、体を徐々に侵すのだ。
「お休み」
 溜め息をつきつつ、ソレイスは死刑宣告をした。子供が手で悪事を働いた場合は『悪い手だ』と言って叱る。じゃあ、強姦なんて悪事を働いたら、それはすなわち叱る場所なんて決まっている。

 ◇

 シデンが本格的に辛いせいか、二人は特に会話らしい会話もなく黙々と歩いてきた。たまにアグニは振り返りながらシデンの様子を心配するが、やっぱりシデンは体力を物凄く奪われている。
 このダンジョンではシデンはお荷物といった所。アグニばっかりが前に出て、シデンはちっとも仕事をしなかった。
 ダンジョンの台風の目までたどり着いたアグニは、道中で狩ってきた『ヤセイ』のポケモンの肉の調理を始める。シデンは疲れているから、今日は自分が全部やるから――といっておいてなんだが、本当にシデンが一切手伝ってくれないというのは少々さびしい物がある。
「後ろのみんなもこんな感じなのかなー……いや、でも炎タイプはいないか」
 などとぶつくさ独り言を喋って見るが、シデンからの反応はない。振り返って見ると、シデンは意識こそあるようだが独り言に反応してあげられるほどの余裕はないらしい。
 アグニは苦笑して、食事ができるまで放っておくかと心に決めた。

 ヤンヤンマの肉とネギをカモネギの腹の中に詰め、染み出た肉汁が混ざり合い。虫肉と鶏肉の旨味を両方楽しめるそれに岩塩をたっぷり振りかけた料理を出すと、シデンは腹が減っていたのか喜んでかぶりついた。

「大分登って来たよねー……ミツヤ、水は大丈夫?」
「まだ十分ある……滝の水を汲んどいてよかったね……」
 アグニは熱水ですら涼しい顔で飲み干すが、シデンはそうもいかない。シデンは汗をかけないので、すっかりぬるくなってしまった清水を頭からかぶることによって熱を逃がす。
 シデンの小さな舌からの放熱だけではどうにもならない全身の熱が、シデンをひたすら苛んでいる。体毛からの蒸発で熱を奪ってもらっても熱いものは熱い。僅かながらに外の空気が入り込んでくるこの場所――熱水の洞窟の台風の目は、外と比べれば相当熱いと言うのにまるで天国のように感じられるほど涼しい。

「頂上までは、それほど時間もかからないだろうし……オイラ達は一番乗り目指して頑張ろう。どうしても辛かったら、オイラがおぶってあげるからさ」
 シデンの体が小さい事はこう言う時には幸いである。軽いから、アグニの脚力ならば余裕で背負っていける。
「いや、大丈夫。アグニの手を煩わせる必要は無いから……自分はまだいけるよ」
 少し虚勢も入っていたが、意外にしっかりとした声でシデンは告げる。
「そう、でも無理しないでよ……本当に」
「分かってる。アグニを悲しませるような事はさせないから」
「そうしてよ。オイラ、シデンと一緒に喜びたいし……」
 アグニがシデンの手の甲を(さす)る。応えるように握り返したシデンの手が嬉しくて、アグニは彼女の手をぐっと握りしめた。痛くない程度に握られて手の温もりは、残念ながら今の状況では鬱陶しいものでしかないけれど、大切にされていると言う事だけは互いに伝わって来る。
 暖かいを通り越して暑くて、暑さを通り越して熱いくらいの握手をやんわりと振り払い、シデンはゆっくり立ち上がる。
「行こう……」
「うん、いこっか。でも、絶対に無理はしないでよ?」
「了解了解、私はいつだってアグニについて行くからさ」
 熱で体力を奪われた体に鞭を打ってシデンは小走りで進む。その時――
 グォォォ……

 何かの、唸り声だった。大地の底から響いてくるような、巨大な雄叫び。
「今、何か聞こえた? ミツヤ……」
「そんな気はするけれど……火山活動かなんかじゃない?」
 グオオオオオオオオォォォ!!
 今度ははっきり聞こえた。大地が鳴動するほど強烈な叫び声のような、何かだった
「ミツヤ、今の聞こえた?」
「はっきりと……」
「気のせいじゃなかったみたいね……何の音だかわからないけれど……用心するには越したこと無いし……ミツヤ?」
「え、あ……ごめん」
 アグニが考えている横で、シデンはボーッと虚空を見つめている。
「どうしたのさ」
 心ここにあらずなシデンの様子を怪訝に思い、アグニはシデンに話しかける。案の定アグニの話を全く聞いていなかったシデンは、素っ頓狂な顔で肩をすくめた。
「……実は、アグニには話していない事があるんだ」
「ぇ……何それ?」
「べースキャンプについた時から……自分は、何故かここを知っているような気がしたんだ。もしかしたら、自分は……記憶を失ったんじゃなくって記憶を消されたんじゃないだろうかって……なんとなく、そう思ったんだ。
 ユクシーの手によって……記憶を、さ。ここに来るまでもね、ずっとそんな事を考えていてね……それで、怖かったんだ。もしもこれ以上ユクシーに関わることで生活に必要な言語とかの記憶まで奪われたらどうしようとか……
 そして、一番最初に思ったのはね、もしも記憶を取り戻したとして……自分は、アグニを好きで居られるのかとか。そりゃ記憶は戻したいけれど……この生活が好きだから……記憶を戻すことでアグニのことを無碍にしたくないし……怖くて、不安でさ。
 だから、ごめん……記憶をなくすことが、私達の今生の別れの様な気すらしてさ。だから、別れたとしてもアグニに忘れて欲しくないとか、なんだかそんな事を思っているうちに、アグニを犯そうとしちゃったの。
 童貞を奪えば、アグニを私のモノに出来る気がして……子供が生まれれば、死んでも悔いはないとか思えるような気がして……」
「ミツヤは……そんなことを 考えていたの」
「うん、最低だって思う。ごめんね、言い訳なんてしちゃって」
 アグニにしてしまった事は笑って誤魔化せるようなことではなかったが、シデンはかろうじて自嘲気味に笑い、謝罪する。
「いや、いいってミツヤ……そう、そんな心配をしていたから……あんなことを」
 実の無い独り言をして、ハッと気づいたようにアグニは顔を上げた。
「というかごめん、オイラミツヤの苦しみを理解してあげられなくって……こっちがむしろ謝るべきだよ」
「それはいいんだ、アグニ。言わなければ伝わらないことだってあるし……言わない自分が悪いから。大丈夫、アグニは悪くないから」
 肩をすくめてシデンは笑ってごまかす。
「分かった、そういう事にしておく」
 シデンの笑顔が辛くて、アグニは目を背けながら歯がみした。

「ほら、アグニはエスパーじゃないもの。仕方ないってば……だから顔をあげて」
「分かった……」
 言われるがままアグニは顔を上げる。
「とにかく……確かに怖い気持ちは分かるよミツヤ。でも、それなら尚更この上に行かなくっちゃ!! 行って、ユクシーに会って真実を聞くんだ。そうすれば、記憶を失う前のミツヤは一体どんなだったのか……何か分かるかもしれないしさ」
「だよね……怖いけれど、それでも……アグニなら、どんな自分になっても背中を押してくれるって信じているから。だから、記憶を戻すことになる時は……君との記憶をなくさないように、ずっと自分手を握っていて欲しいんだ。」
「うん……痛いくらい強く握る。だから、ミツヤ……行こう、この上へ。ミツヤはオイラが守る」
 シデンの言う『怖い』という感情はまぎれもない本音だった。それでも、どんな時でもアグニは抱きしめて守ってくれる。逆強姦をしても、自分を受け入れてくれたアグニなんだ、君がいるなら何があっても大丈夫だ。そう信じれば、シデンは力がわき上がった。

165:グラードン 


 その後もダンジョンを突き進み、洞窟の階段を上り続けた結果、シデン達一行はようやく日の目を見る。
「外に出たね……」
「うん……暑くない。それだけでもうお腹いっぱいな気分だよ……あー、涼しい」
「それに、乾燥していて鬱陶しくないや……ミツヤも快適だね」
 外に出ると、空気は爽やかに二人を迎え入れる。高原の空気は薄く、おまけに乾燥している。その上風が吹きすさぶため、先程まで湿気を帯びていた毛皮も日差しに当てられすぐに乾く。
「大分上まで登って来たけれど……ここは何か妙な感じがしない? ミツヤ……」
「うん、自分も感じている」
 久しぶりの風に、アグニも体を広げてそれを満喫する。なんだかんだで暑い上にじめじめした洞窟内の空気は炎タイプでも耐えがたかったようだ。
「張り詰めた感じというか……体中の体毛が逆立つような……自分には分かる。これは、結構危険だ……」
「うん、ミツヤと同じ……とてつもない危険な気配を感じてる……ひっ!!」
 大地が鳴く様な、低い振動が周囲を覆ってアグニが体を強張らせる。肩肘を張って体を緊張させた原因を落ち着いて思いかしてみると。それは確かに獣の咆哮であった。獣というよりは、怪獣というべきか、もしくは魔獣と行った方がいいか、とにもかくにも地の底が唸り声を上げるような巨大で重厚な叫び声。聞いたこともないような低さ、すなわち巨体を持っているのだろう。
「ミツヤ……さっき聞いた声だ。やっぱりあれは何かの鳴き声ったんだよ……」
「気を付けて行こう。それしかない……でも、今は休もう」
 臆病になっても仕方がない。シデンはアドバイスになっていない事を口にして、気を引き締める。頂上まではあと少しだ、ここで足を止めてなるものかとは思うが、急がば回れとも言う。
 この先に何があるのかわからないからこそ、なにがあってもいいように体力を回復しておこう。水浴びをし、カモネギの肉を生のまま食み、二人は見張りをしながら交代で眠りについた。

 ◇

「ヘイヘイヘーイ!! みんな、オイラが発見した石像はこっちだぜヘイヘーイ!!」
 ギルドの仲間を連れて来たハンスは、テンションも最高潮に達した様子で積層へ案内する。とっくのとうにグラードンの石像の存在に気づいていると言うのにわざわざ最後まで案内するのを止めないハンスは、皆に生温かい眼で見られているのだがそんなことは気にしちゃいけない。
 これの第一発見者であると言う事が相当に誇らしいのであろう、シデンとアグニの手がらもさることながら、自身もそれなりの手がらを上げられたハンスはそれで有頂天になっているようだ。
「これか、グラードンの石像というのは……なるほど、見事ないでたちをしている……」
 溜め息をつきつつ、チャットは飛行して一番乗り。正面から石像を見て感嘆の息を漏らした。
「しかし、誰もいないですわねー……」
 葉緑素の効果で元気いっぱいなサニーはラストスパートだけ頑張って走り、二番乗りでその石像を見る。
「おい、ハンス。お前本当に親方様も見たんだろうな?」
 親方の姿が見えないので、チャットは怪訝な顔でハンスを睨む。
「ヘイ! 確かに。オイラがベースキャンプに報告しに戻る途中……親方様ってば、セカイイチと追いかけっこをしていて、オイラ声をかけたんだけれど親方はそれどころじゃなかったみたいでさあ。
 ディスカベラーの二人は先に探索するって息巻いてたし……多分、親方もその後を追っているんじゃないかと思うぜ」
 ふむ、とチャットは考える。親方は何を考えているのかわからない所が多い。しかしながら、いつだって失敗は無かったし、今回もきっと大丈夫だろうと、チャットは考えるのを止めた。
 その時――
「あれ、地面が……」
 トーマが足元の微細な揺れを感じる。ディグダである彼ならではの感覚の鋭さと言ったところだろう。
 トーマの言葉を皮切りに、地面に意識を向けた一行は確かに揺れを感じる。そして、ここまでとどろく獣の咆哮。
「今のは……なんでしょう?」
「鳴き声……じゃねえかな?」
 レナが真っ先に疑問に思ったことを口にし、ラウドが答える。
「ヘイ、こんな滝の音にも負けない叫び声なんてやばいかもだぜ!! この上で何が起こっているのかしらねぇが、みんな急ごうぜ!!」
 そう言ってハンスは急かす。急かされるままにギルドの一因は向かって行くが、その中で歩みを止める物が一人。
「血の匂いが……するような……」
 トーマがポツリと口にするが、それは気のせいだと父親のトリニアに諭される。ディグダとダグトリオの二人が去ったその周辺では、局部を血まみれにしたドクローズが人目に触れない茂みの奥で、薬によってこんこんと眠り続けていた。


 そんな事はつゆ知らず、弟子達一行はダンジョンを駆け抜ける。向う見ずな『ヤセイ』達を軽く蹴散らしながらひた走る道のり。ハンスはチャットの方を向いて疑問を口にする。
「ヘイ!! チャット。走りながら聴きたい事があるんだがよ!! チャットはグラードンとか言うポケモンの事、どれくらい知っているんだい?」
「宗教的な事か? それとも強さや能力の事か?」
「……宗教の事なら、ここが北の砂漠だったら聞いたけれどよう。ここは、グラードン信仰とは離れ過ぎていてちょっと意味がねえなぁ」
「うむ、確かに……それなら、強さや能力の事だが……グラードンの能力は、溶岩を操ることで島、ひいては大陸すら作りあげるとも言う。
 また、天地に語りかけることで雲を退け、快晴を作り出すとも言われているな。()の者が吐き出す唾や(たん)は蒸発しても雲にならずに太陽のように光を放つと言われ、夜を昼に変えるとさえ語られる。
 周囲を晴らす能力は、我らポケモンの日本ばれと威力自体はそう変わらないが……自然に語りかける彼の者の声は百里の距離を駆け抜け、雲を恐れ(おのの)かせるとすら言われている。つまり、その気になれば声の届く全ての範囲が晴れ渡るのさ」
「うへぇ……とんでもない奴だなぁ……ヘーイ」
「きゃー!! 私、そんなすごいポケモンがいるのなら会ってみたいですわー!!」
 突然サニーが割り込んで騒ぐ。露骨に嫌な顔をしながらチャットは続けた。
「そんな風に十万のポケモンが束になっても叶わない晴れの能力だが、まぁ……白兵戦はそんなに強くない。せいぜい百人束がになれば勝てるだろう」
「いや、それ十分とんでもねーから」
 ラウドが横やりを入れる。
「ヘイ、もしグラードンなんかと戦う事になっちまったら……」
「私たち全員で挑むのならば問題も無いだろう。こっちにはソーラービームが強力なサニーがいるからな。だが、一人や二人で挑むなんて事になれば……まぁ、親方と私でも多分死ぬな。私は翼があるから逃げられるけれど、親方様は逃げられるかどうか」
「ヘイヘイ、随分薄情者だなチャット……」
「はっは、ならばなるべく親方様と一緒にいる時に出会わないように気をつけさせてもらうよ。私一人ならたぶん逃げられる」
 チャットは冗談を言って高らかに笑う。空を飛べる彼にとっては、みんなの歩みは遅いくらいのようらしく、みんなが息を切らさないよう呼吸に気遣う中、彼一人が全く息を切らしていなかった。

 ◇

「あの石像の……ポケモン」
 耳をつんざく巨大な咆哮を上げながら、風車小屋と見まがうような巨大が二人の前に現れる。
「本当に……いたんだ……」
「アグニ、怖くない?」
 シデンが尋ねる。
「怖い……」
「そう……自分もだよ」
 素直に恐怖を吐露するアグニに同意してシデンは息をのむ。今までに体験したことのない巨体との戦いに、二人の心臓は縮みあがる。

166:恐怖に打ち勝て 


 否が応にも強張る二人の体。すさまじい巨体から放たれる威圧感は相当な物で、気を抜けばその圧力に飲まれて腰が引けてしまうだろう。
 一瞬でも気を抜けば、その瞬間足を掬われ殺されかねない。
「お前達……ここを荒らしに来たのか? 帰れ……」
 厳かな、押し潰されそうなほどの威圧感をともなった声がシデン達に充てられる。
「そ、そんな……荒らすつもりなんて無いよ。オイラ達はただ、霧の湖に行きたくって……」
「それなら、尚更に通すわけにはいかない。我が名は、シグソル……霧の湖の番人、シグソル=グラードンなり。霧の湖に侵入を試みた者は生かしては返さぬ」
「ええ!? そんなぁ。せめて生かして返してよ!!」
「問答無用だ!! 覚悟しろ!!」
 巨大な双眸で二人を睨みつけながら、グラードンは咆哮を放つ。空が晴れ、グラードンの口から飛び散った唾が星よりも、月よりも明るく煌めいた。
 夜が昼に変わったかと思えば、グラードンの強靭な前腕に炎が灯る。炎タイプのアグニでも出せないような、膨大な熱量だ。
「アグニ……いつ襲いかかられてもいいように集中するんだ!!」
 言っている間に、燃え盛る炎の拳が二人の間へ割って入る。素早く飛びのいて二人は避ける。まともに食らっいたならば、その恐ろしいまでの威力に消し炭の肉塊へ変えられてしまう所であった。
「うぅ……怖いよ……ミツヤ」
「大丈夫、私も怖い!! 怖くてもいい……やるしかない時はやるんだ」
「分かった……とにかく頑張るよ」
 シグソルがその巨体を持ち上げ、跳躍する。ヴァッツの時と同じ、地震だ。
 シグソルの着地の瞬間、二人は跳躍することでそれを避けると同時に、シグソルの周囲に、蜘蛛の巣状のヒビが発生し地面から膨大なエネルギー波が立ち昇る。
 二人はその威力に息を肝を潰した。

「何あれ、無茶苦茶な強さだよ……」
 曲げた膝を。強かに叩きつけた尻尾を。ゆっくりとニュートラルな体勢に戻してシグソルは咆哮を上げる。彼の周囲から岩が出現し、それは馬車や牛車を彷彿させる巨大な岩塊に成長するまで集まり続ける。
「私が使える技は草結びくらいだ……アグニ、ソーラービームとか使える?」
「無理……それより来るよ」
 シグソルはそれを上空に向かって撃ち出すことで周囲は岩の雨霰の様相を呈する。
「岩落しなんてレベルじゃ……」
 隙間なく打ち出されたそれを回避することは不可能。流石にシグゾルの脚元は岩が降らないという点では安全地帯だろうが、近づけば彼の直接攻撃が来ると思えばこれ以上の危険地帯は無い。
 シデンは咄嗟に目覚めるパワーを発動して翼を生やし、その岩を風圧で押しのける。日照り状態で強化されたアグニの炎も一緒に岩を押しのけようと頑張ることで、漸く二人の頭上が安全地帯となるが、そこに五方向に拡散する強烈な炎による波状攻撃。
 シデンは翼をはためかせて後ろに飛びのき、炎を煽って押しのけようとしたが、機動力に劣るアグニは炎を喰らって顔面をかばった腕に火傷を負う。
「く……攻めに転じなきゃ。アグニ、自分が前に出る!!」
「ミツヤ、それ危険……っ!?」
 会話が終わる前にシグソルが地面に爪を突き立てる。周囲の地面には亀裂が入り、割れる。シデン達が足を取られるには十分すぎるが、グラードンであるシグソルはあったとして足爪を引っ掛けて転ぶようなことぐらい失敗しかないだろうし、そんな間抜けなことはしそうにない。
 足を取られぬよう、小さく跳躍したシデン達に、襲いかかるのはグラードンの必殺技。大口を開けて、まさしく火口となったそこから放つ噴火の炎。まだ地割れが続いている状態で、溶岩の濁流――噴火がシデン達へ襲いかかる。
 とてもよけきれないそれを、アグニはシデンを庇いつつ背中でその噴火を受け止める。
「くうぅぅぅぅぅ……」
 歯を食いしばりながらアグニはうめき声を上げる。もう、シデンは『大丈夫?』と聞く暇も惜しくて、すぐさまグラードンの方へと向かう。近づいたシデンを迎撃するべく、グラードンは再度の噴火。
 シデンは予備動作が始まった辺りで地割れに向かって走り、放たれた瞬間には口を開けたクレヴァスの中に自ら飛び込みやり過ごす。

「助かった後ではなく……助かる光景から過去にさかのぼる……」
 シグソルがシデンに目を向けている間に、アグニはうわごとのように言葉を口にしながら、苦し紛れにバッグの中から二つの物を取り出し片方ずつ連続でそれを投げ付けた。
 一つは、唐辛子爆弾。グラードンの顔面に当たったそれは、目を瞑る暇すらなくグラードンの視界を潰す。そして、もう一つは投擲用の鉄の棘に括りつけた腹ペコリボン。
 リボンは、細い鋼鉄の針の軌道を安定させながら風を切って飛ぶ。それがぐさりと体に突き刺さると、鉄の棘は返しがあるために簡単には抜けない。
 たかがリボン付きの棘、取るに足らないとシグソルが目を瞑りながらも前方に意識を集中するが、上半身ばかりに集中していたから、シデンの接近を許してしまう。地割れの中で壁を蹴りながら忍者のようにアクロバティックに接近していたシデンが、気合いを込めた必殺の拳を相手の股間すなわち生殖器へと叩きこむ。
 敏感な粘膜を、乱暴にえぐられる痛みに男女の差なんて関係ない。激痛によってシグソルの膝は折れ曲がり、上体が前に逸れる。
 前のめりになったシグソルの顔に、シデンは眼球めがけてアイアンテール。アグニはシデンがジャンプすることで射線から外れたシグソルの下半身を、晴れ状態と猛火状態で強化された凶悪な炎で焼き払った。
 シデンはアイアンテールの反動で飛びのいて距離を取り、アグニの炎がシグソルの上半身を焼き払うをの伏せてやり過ごす。
 シグソルは下半身を丸焼きにされ、上半身も酷い火傷。おまけに左目もつぶされた番人は、残った右目を開けようにも唐辛子爆弾のせいで睨むことすらできやしない。さらに、腹ペコリボンの効果なのだろう、全身が脱力して、立つことすらできなくなったようだ。
 そのまま、アグニが草の目覚めるパワーを放てば、シグソルは更に前のめりに倒れて、うつ伏せとなりピクリとも動かなくなった。

167:一難去ってまた一難 


「やった……なんとか、倒した……」
 アグニはその場にへたり込む。戦闘が終わったかと思うと急に背中の火傷が疼きだして、痛みで涙が出そうになるのをぐっとこらえる。シデンは腹ペコスカーフを回収してアグニの元に戻り、背中の火傷を見やる。
「酷い怪我……あのグラードンを倒したからって安全というわけでもないだろうし……へたり込むよりも先に、一度ここから離脱しよう……」
「うん、分かった」
 アグニは痛みのせいでこめかみに青筋を立てながら立ち上がり、グラードンに背を向け歩きだす。と、そこでグラードンの体に異変が起こった。
 真っ白な光を放ち、あまりの眩しさに二人は目を手で覆う。音も無く行われた謎の発光現象が収まると、そこには何も無い。
「あれ、消えた? グラードンって……瞬間移動能力も持っているのかな?」
「み、見た目には合わない能力だね……それって」
 二人が呑気に話していると、二人の脳内に謎の声が直接響く。
『あれは、本物のグラードンではありませんので。あのグラードンは私が趣味で作りだした幻です』
 それは酷く抑揚に欠けた声であった。
「い、今の声は? ミツヤは聞こえたよね?」
「ばっちり聞こえたよ……テレパシー……なのかな」
 なのだが、ここまで混じり気も何も無く鮮明に聞こえるテレパシーというのも珍しい。
『私はここを守る者……まぁ先程のグラードンと同様の存在でしょうか。この先を通すわけにはいきませんので……満身創痍な所を申し訳ありませんが……前座ではなく私直々に始末いたしましょう……覚悟』
「ちょ、ちょ……ちょっと待ってよ!! オイラ達は別に悪いことをしに来たわけじゃないし……オイラ達だって襲いかかられなければ反抗はしなかったかもしれないんだよ? 話しあいもせずに問答無用で襲いかかってくるとか……そんな不作法さえしなければあそこまでやらなかったよ。
 そっちが乱暴なことをするから反撃せざるを得なかったけれど、普通に考えてまずは話し合いでしょうが? 馬鹿なの? そっちこそ死にたいの?」
『変わった命乞いをいたしますね』
「命乞いじゃなくって……そこまで言うなら、やればいいさ。まだ太陽は物凄い日差しを差しているから、今のオイラの火炎放射は……物凄く強いんだからね。ミツヤだって、お前相手なら電気を使える。
 手加減は出来ない……殺されたって文句を言うんじゃないよ!?」
 アグニの威勢の良い言葉を聞いて、声の主は悩んだのか押し黙る。
「オイラ達は、確かめたい事があって来たんだ!! 誓って荒らすためじゃないと断言できるけれど……そっちがその態度なら、こっちだって……徹底的に歯向かうだけだ」
『確かめたい事?』
 怪訝な声色で声の主は聞き返す。
「うん……最低限それだけでも確かめられたらって思っている……そりゃ、オイラ達は探検隊だから、来たからにはそれ以外の事も色々探ってはみたいけれどさ。それが迷惑になるのならば、やらないよ……それに、オイラここまで来れただけでも嬉しいし……偽物とはいえグラードンと戦えて満足だし……えーと……とにかく。信じてよ!!」
『何を探るつもりなのですか?』
「オイラ達は、このピカチュウ……ミツヤの事について探っているだけなんだ。ミツヤは……その、記憶喪失なんだけれど……ここに来たら何か思い出せそうな気がするって……ね?」
「う、うん……」
 アグニが説得に入っている間、黙っていたシデンも話しかけられ頷いた。

『分かりました。貴方達を信じましょう』
 言うなり、グラードンが消えた時と同じような発光。光が収まると、そこには小さなポケモンがいた。紅い色の珠が埋め込まれた山吹色の小さな頭部は丸っこい。ぬいぐるみのように小さな体は二頭身で、四肢は申し訳程度についているだけ。
「はじめまして、私の名前はテレス=ユクシー」
 そう言って語りかけるテレスの、固く閉じられた瞼はどこを見ているのかを悟らせてはくれない。
「霧の湖の番人をやっております……以後お見知りおきを」
 尻から伸びる尻尾は一双、自分の身長と同じくらいの長さを持つそれの先端には頭のそれと同じ赤い珠。先端は三又に別れ、カエデの葉のような形となっている尻尾を伸ばして、テレスは握手を求めた。
 その握手に対して、何かしかけてくるのではないかと恐怖感が無いわけではなかったが、二人は意を決してその尻尾を握る。
「番人って……言ったけれどそれってつまり……いや、待って、その前にユクシーって言ったよね。あの伝説のポケモンの……」
「はい……どの、かは分かりませんが……ユクシーです」
 やる気のない声で答えるテレスの目は開いていない。開いていないというのに、視線を向けられるだけで息がつまるような感覚が全身を支配する。まだ、完全に殺気を解かれてはいないようだ。
「ふぅ……どうやら、あなた方の言うことは本当のようですね。もし、私を騙す気ならば……目障りな私の尻尾を掴んだ時点で、攻撃を加えている」
 気がつけばユクシーは二人になっていた。もう一人が突如虚空から現れ、今現在握手していたもう一人は消えてしまった。握るものを失った手はするりと下ろされた。
「握手していたユクシーも幻影……」
「えぇ、そうです。念には念をと思いましてね……それでは今度こそ、貴方達を信用いたしましょう。自己紹介は先程のまま。幻による自己紹介の御無礼……申し訳ありません」
「へぇ、流石……知識ポケモンというだけあって賢いのね。あんな幻聞いたことも無いし、幻を使って私達を騙すのも巧みだったわ」
「まぁ、そうですね」
 シデンが感嘆の声を漏らすが、テレスはあくまで抑揚をつけない生返事。シデンの事なんて正直どうでもいいとでも言いたげに。

「私は、霧の湖にて、とある物を守っています故……色々手段を駆使しなければならないのでそれなりに、知識はあります」
 気だるそうに溜め息をついて、テレスは続ける。
「貴方達がここを暴きに来たのではない、荒らしに来たのではないという言葉を信じて、私はそこへと案内します……しかし、約束を守る事だけは夢々忘れませぬよう、お願い致します。どうぞこちらへ……」
「ねぇ、ミツヤ。オイラ達やったみたいだよ!! 霧の湖にまで連れて行ってもらえるみたい……ミツヤ?」
 ミツヤは息がつまる思いでユクシーを見つめる。何故だろうか、霧の湖は見た事があるような気がしても、ユクシーを見たことがあるような既視感は全くない。ユクシーは関係がないのか、それとも、ユクシーは自分自身の姿の記憶を最も跡形なく消すことに腐心しているのか。
 ユクシーは上下に揺れることなく、本当に滑るように宙に浮いて移動する。シデンは本当にただただ黙ってそれに付いて行き、辺りは沈黙の気まずい雰囲気。
「そ、そう言えばさー……なんというかアレだね。もうすっかり真っ暗になっちゃったね。さっきグラードンと戦っていた頃は月も低かったけれど、今はもうあんなに高く……時間が経つのは速いというかさぁ……」
「うん」
「えぇ……」
 ここまで時間が経ったのは、途中アグニが猛火でハイになっている状態を過ぎたころに、痛みがぶり返して丁寧な治療を行ったのが原因であった。消毒したチーゴの実を噛み砕いて、水と混ぜたそれを背中全体に塗る。更に、治癒効果と消毒効果を併せ持ったオレンの実を背中に塗って、その上から粘性の高い脂と包帯を巻く。
 胴回りがすっかり純白の包帯で覆われたアグニは、痛みに顔をしかめながら何か話でもしようと時間帯の話題を始めたのだが、シデンの反応もテレスの反応も酷く味気ない。シデンはシデンで思う所があるのだから仕方ないし、テレスにとって自分達は招かれざる客。
 反応が冷ややかになるのは仕方がないけれど、もどかしくってアグニは溜め息をついた。

168:絶景 


 そうして、みんなが皆黙りこくったままの、つまらない道のりも終盤を迎えるころ、妙に湿気の強い空気と水辺に生える草の目立つ場所に出る。あぁ、湖があるんだなと思えるような水辺の草の生い茂る場所。自分たちよりも遥かに背の高い草の間をくぐりぬけ、蜘蛛の巣やぬかるみを突き進んだ先、待っていたのは美しい黒。
「ご覧ください。ここが霧の湖、私が守る場所です」
 静かな、波風の一切立たない湖であった。円形に広がる湖は、中心の一点に不思議な青緑糸の光を除いて、ひたすら黒く静かで何もない。その、恐ろしく澄んだ、そして地味な湖を彩るのは地上の星、イルミーゼとバルビートだ。紳士淑女の社交場ともいえるこの場所は、日夜交流を深めつがいを見つけようとする男女にあふれ、湖を鉾星(ほこぼし)のように飛び交っている。
「うわぁ……こんな高台にこんな巨大な湖があるだなんて……それに、バルビートやイルミーゼたちもものすごく綺麗で……あぁ、すごいとしか言いようがないよ。宝石みたいだよ、ミツヤ!!」
「うん……来て、よかったね……アグニ、この景色一番乗りだよ」
 アグニに褒められて、ユクシーが初めて口を緩めて笑顔になる。
「ここは地下から水が絶えず湧き出ることで……大きな湖になっているのです」
「へぇ……すごいね……あのイルミーゼ達は、『ナカマ』なの?」
「ナカマです……しかし、なんというのでしょうか。私は、神として皆に扱われるのが嫌で……あの者達には言葉すら教えていないのです。
 だから赤ん坊のように……無垢で『ヤセイ』と似たような生活をしております。知識ポケモンとして情けない事ですが、私は……知識の無い状態の方がいいのか、あった方がいいのか未だに悩んでおりまして……
 なまじ知識があると、酷い戦争を引き起こす事がありますからね。あの者達は下界に降りた時に拾った戦災孤児を……拾って繁殖させたのです」
「はぁ……確かに、戦争が無いのはいいことですが……」
 シデンは同意するが、釈然としない思いを抱えて難色を示す。戦争は確かに無い方がいい。だからと言って、『ヤセイ』に近いとまで言うのは少し極端な気もしたが、知識だけでは解決できない思う所があるのだろう。
 壮大な実験場となっているこの場所を見て、シデンもアグニも言いようのないもどかしさを感じた。

「湖の中央に、光っている物が見えるでしょうか……?」
 テレスは尻尾で湖を指し示す。
「うん、見えるよ……湖の底から伸びている、青緑色の光の事でしょ? 綺麗だねー……オイラあんな光は初めてみたけれど……あれは?」
「岸まで行ってよく見てください……」
 ユクシーはそう言って、岸まで手招きする。手招きされるがままに歩く間、シデンは言いようのない違和感を胸にする。光を見ていると落ち着かない。なぜか、あれを知っているような気がしてならない。
 どこかで聞いた、何か。なんなのか思い出せなくて気持ちが悪い。
「なんだか不思議な感じがする光……見ていると時間を忘れてしまいそうな……」
 アグニが嘆息すると、テレスが笑う。
「あれは時の歯車です」
「時の歯車……て、それ物凄く大事なものじゃない!! オイラ達に見せちゃっていいの!?」
「ダメですよ……ですから、私がここを守っているのです……これまでもここに侵入してきた物が居ても、グラードンの幻影で追い払ってきたのもそのためです。特別なんですよ、貴方達は……」
「そっか……そのためのグラードンだったのか……ところであれ、趣味で作りだしたって言っていたけれど……」
「えぇ、逞しい人に甘えるのが好きなのですよ……私は。アンノーンというポケモンを集めて作った幻ですが、きちんと物理的なダメージも与えられる優れ物で……このように」
 パチンッと、指を鳴らしてみると、突如グラードンが現れる。
「わ!!」
「大丈夫ですよ。これはもう戦闘能力のない抜け殻みたいなものですから……。貴方がさんざん痛めつけてしまいましたからね……貴方達のように幻影に打ち勝ち、ここに到達した者もいましたが……そういったもの達には、今度は私が叩きのめして記憶を消すことによってここを守り続けてきました……」
「記憶を消す……」
 テレスの言葉をオウム返しでアグニは呟く。
「そうだ、思い出した!! テレスに聞きたい事があったんだ!!」
「あ、うん……」
 アグニの言葉を受けて、シデンは反応する。知りたいのは山々だけれど、怖いのだ。不安なのだ。何回も繰り返すようだが、それだけは変わらない。
 それでも、一歩踏み出さなければいけないこともある。シデンは平静を保とうと、深呼吸。
「このピカチュウ……光矢院 紫電って言うんだけれどね」
 シデンは頷く。
「うん、私はね……元々は人間だった気がするんだ」
「に、人間……ですか?」
 テレスが怪訝な顔で首を傾げる。
「だった、気がするんだ……嘘の記憶なのかもしれないし……本当の事なのかもしれない。自分は人間だった時の記憶が無くなっているから、全く分からないんだ……だから、もしかしたらユクシーに記憶を消されたのかと思って……どうかな?
 そんな人間でも、ピカチュウでも、ピチューでもいいから……訪れたことは無いかな?」
「いえ」
 シデンの問いかけにテレスは即答する。
「ここに人間が来たことも無いですし……ピチューもピカチュウも、ライチュウすら見たことはありません。それに、私が記憶を消すことを許可されているのは……この湖に来た者や、時の歯車の記憶を有する者だけです。
 全ての記憶を消すことは、誰にというわけではないですが……許されてはいないと思うのです」
「そう……」
 安心したような気もするし、がっかりしたような気もする。シデンは複雑な思いで、気のない返事をした。
「貴方がポケモンになったとして……それは別の所に有るのだと思います。マナフィのハートスワップか、もしくはホウオウによる転生……」
「そっかぁ……残念だったね、ミツヤ」
 アグニがシデンのうなじに手を添える。
「いいさ……残酷な事実を突きつけられるよりかはずっと。自分は、自分のまま……それで良いじゃん、アグニ?」
 そう言って、シデンはアグニの手を掴んで、抱き寄せる。
「……それよりもさ!! 気が気でなかったから落ち着いて見られなかったけれど綺麗だよアグニ!! 見ようよ……この景色を独占しようよ」
 そのまま、ドキドキしているんだと言う事をアピールするように、手の甲で心臓を触らせ、シデンは大きな声を張り上げる。
 無理して元気を出そうとしている事は誰にでもわかる、不自然な大声であった。
(ミツヤが言ったことは、ある程度本音も混ざっていると思う。不安が現実にならなかった事だけは良かったと思っている……
 でも、それ以外はきっと……ダメなんだろうなぁ)
 アグニは手の甲を胸に押しつけているシデンの手をぎゅっと握り返した。
(今はそっとしておいてあげよう……恋人気分でいさせてあげて、悪いことを忘れさせてあげよう)
 アグニの行動が嬉しくて、シデンはアグニに肩を寄せる。共に、しばらく水浴びをしていない状態だ。互いの匂いを強く感じ合い、鼻で呼吸するたび、耳で、鼻で、胸や腹の上下で相手の存在を感じる。
「生きてて良かった……」
 景色と温もり。それを同時に感じられるなんて、どれほど幸福なことなんだろう? 景色の素晴らしさと互いのぬくもりに興奮して、息が苦しくて何が何だかわからないけれど、とにかく嬉しかった。
「そうだね、アグニ……そして、自分は君に出会えてよかったよ。君はもう自分のモノ……もう絶対に離さないんだから」
 手繋ぎ祭りで誓った、大切な者を絶対に離さないという決意。その決意をここでより強固なものにするように、シデンはアグにの手を更に強く胸に押しつけた。
「うん、離さないでね……ミツヤ。そうしてもらえるとオイラも嬉しい」
 ミツヤが自分を好きでいてくれるのは嬉しいのだが、なんだか少し強迫観念も入っているんじゃないかと考えると、ちょっと尻込みしてしまう。それでも、シデンがそれで満足ならいいかもと、彼女の抱擁を一切拒否しなかった。

169:阻止 


 まるで、自分がいることなど忘れているかのようなひどい仕打ちを受けて、テレスはつまらなそうにぷかぷか浮かんで空を見る。本を見ているサーナイトの模様をした月は、明るく湖を照らしていて、上下から放たれる光はまさに幻想的。
 アグニの尻で燃え盛る炎も相まって二人の無防備な姿は闇夜にもくっきりと浮かんでいて、その光景は一枚の絵のようにすっきりとまとまっている。
「ねぇ、ミツヤ……たまにはオイラから良いかな? 目を瞑って……くれるかな?」
「いいよ、アグニ」
 久しぶりの来客が自分を無視しているのは少し辛かったが、言葉を覚えてそれを操っているのはやっぱり良いものだとテレスは感化される。イ言葉を意図的に持たせなかったイルミーゼやバルビートたちは、それはそれで退屈な日々であったから、こうして会話を聞いているだけでもある程度は暇つぶしになりそうだ。
 しかし、それと歯車とは話が別。歯車を見た以上、生かしておくことは好ましくなかった。恐らく、接吻をしている今この時が彼らの気が最も緩む瞬間だろう。
 テレスは手始めに瞑想して攻撃力を極限まで高め、そして二人に向けてサイコキネシスで湖に仲良く浮かべてやろう。口づけしあうという最も幸福な瞬間を(はなむけ)に、互いに目を瞑っている二人を手に掛けようと極上のサイコキネシスを――
「わぁー、すっごーい!!」
 放とうとしたところで、何者かの間の抜けた声で集中が途切れてしまった。せっかくのアグニとシデンのキスも中断だが、とりあえずテレスの攻撃は阻止できた。狙ったようなタイミングで、現れたのはプクリン。プクリンとユクシーは互いに見つめあって、まずはテレスが一言。
「この方は?」
「オイラ達のギルドの親方なんだけれど……親方ぁ……良い雰囲気なのに邪魔しないでよぉ」
 そんな、空気を読まないソレイスに対してアグニは不平を漏らすが、本当の所は誰よりも空気を読んでいた事なんて、テレスと親方本人以外が知ることは無い。
「この景色の一人占めも終わりだね。アグニ、残念」
「ちぇ。勇気振り絞ったのに……」
 残念そうに吐き捨てて、アグニは地面に座りこむ。体が軋んで傷が痛み、顔をしかめつつ湖を眺め続ける。がっかりとした気分は変わらないが、やっぱり綺麗だ。
「始めまして!! 君が噂のユクシーだね。ともだちともだちー!!」
「は、はぁ……ともだち……」
 この二人だけでも相手にするのはつらそうだというのに、元気いっぱいのソレイスが乱入してきたとあっては、不意打ちですら勝つのも難しそうだ。悟らせないように歯を食いしばりながら、テレスは体の内にため込んだ力を拡散させる。
「それにしても、素晴らしい景色だよねー……来てよかったよ~」
 なおもソレイスは空気を読まない発言を続ける。いちゃつく気力も萎え果ててしまった二人は、顔を見合わせて溜め息をついていた。

 結局、そのあと二人は湖の近くで不貞寝をしてしまった。ソレイスは目を開けたまま寝ているのだか寝ていないのだか、月の傾きが時間を教えてくれる空の元で目を開けたまま鎮座している。
 テレスは、手を出せなかった。例え今からグラードンを出して襲いかからせようとも負けてしまう気しかしない。これでは、どこかから時の歯車の情報が漏れてしまうかもしれないと、テレスは歯を食いしばって尻尾に爪を立てた。
 そうして、いつの間にか月が傾く。すっかり深夜となってしまった時間帯に。
 再び来客は訪れた。

「ふう……やっと着きましたわ」
 大人数でつつがなく熱気の立ち込める洞窟を越えて来たサニーは、寒いくらいに涼しい空気を感じて満足そうに溜め息をつく。
「一息なんてついていられないぞ!! 急ぐのだ。私も足が棒のようだが、仲間のためならば……」
 トリニアが勇ましい言葉を吐く。ダクトリオの何処に足があるのかと、息子のトーマ以外の全員が首を傾げていた。そのまま一行は足跡や痕跡を頼りに突き進み、水辺の草が生える地帯まで歩みを進める。

「ヘイヘイ!! あっちに誰かいるぜ!!」
 そこで、先を歩いていたハンスが前方を指さした
「行ってみよう!!」
 ハンスの指差す方向をチャットも確認する。確かに何かがいる、と思ってチャットは飛び上がり――
「ひうわぁっ!!」
空中で腰を抜かして翼が凍りついた。
「ど、どうしました?」
 すかさずレナがサイコキネシスで安全にキャッチする。
「グ、グラ……グラグラ……グラードン……」
「おいおい、それってやばいんじゃねえのか?」
 そして、ラウドの大声。レナが飛び上がってその御姿を確認したグラードンは、声に気づいてこちらを振り向く。これだからドゴームは。
「キャーーーーーー!! に、睨まれてます!! こっちへ来ますよ皆さん……戦いに備えてください!!」
「へ、ヘイ!! そんなこと言われても……すっげぇ地響き……オイラは食べてもまずいぞ、ヘイ!! オイラは食わないでくれ―!!」
「みんな、こうなったらもう仕方がない!! 覚悟を決めて戦いを挑むよ。フェザーダンスで力を弱めるから私に続けー!!」
「ひ、ひえー……アッシは無理でゲスよぉ」
 トラスティがそんな叫び声をあげている最中に、影が縫うように割り込んだ。
「やあ、みんな。どうかしたの?」
 ソレイス、その人であった。プクリンにはあるまじき俊敏さで現れたソレイスは涼しい顔。
「お、親方様ー!! あのグラードンは……」
「あぁ、大丈夫だから、そんなことよりみんな!! こっちへ来てみてごらんよ」
 何が大丈夫なものかと、全員首を傾げる気すら起きない。親方が自信満々に案内をするのだから安全なのだろうと、何の根拠もない期待を信じるしかない。
「いま、丁度噴き出して来たんだ……間欠泉が!! すっごく綺麗だよ、見なきゃ損!!」
 そうして連れてこられた湖のほとりでは、吹きあがった間欠泉が巨大な噴水のように水面を盛り上げていた。歯車の光と、夜通し行われるバルビートとイルミーゼの鉾星のようなダンスパーティー。
 その光が間欠泉の柱に屈折して、ぼやけて、煌めいて、湖はまるで宝石箱のよう。叩き起こされたアグニとシデンも、一瞬で目が覚めるような美しい光景に、その場の誰もが息を飲んでいた。

「この湖は、時間に行って間欠泉が噴き出すのです……潮の満ち引きのように、引き上げられた熱水が間欠泉として……」
 これでは、もはや侵入者を殺す事なんて不可能だ。時の歯車を守ることを最優先に生きて生きたテレスは、一人歯がみをして悔しがる。
「どうです? 水中と空中の光の競演。とても幻想的な光景だとは思いませんか? 二つの光と星々に照らされて、水飛沫はr流星群以上に輝いて……虹色の光を生み出しています」
 テレスの話を聞きながら、ソレイスは水の匂いがする澄んだ空気を目一杯肺に溜め込む。
「きっと、霧の湖のお宝って言うのはこの景色のことだったんだね……。宝を持って帰れないは残念だけれど、分け前でもめなくってよかったね」
「ミツヤ……見てる? 本当に……綺麗だよね」
「うん……今まで、この世界で見たどこよりも……自分の過去が分からなかったのは残念だけれど……でも、アグニとここにこれてよかった。思い出も何にもない自分だけれど、また一つ思い出が増えた」
「そうだね、ミツヤ。みんなと一緒にこんなに綺麗なものを見れて……オイラ本当に嬉しいよ」
「思い返せば……自分はみんなとずっと違う場所にいたような気がする。けれど、今はずっと近くに感じる……想いが一つって感じで。嬉しい」
(きっと、それが愛なんだろうな)
 胸に去来した暖かい感情を、シデンは愛と解釈する。いつの間にか肩を寄せていたアグニの肌触りを楽しみながら、ミツヤはゆったりとした時間に身を任せる。
(確かに、自分は自身の正体を分からずじまいでこの旅を終えることになりそうだ。テレスは、自分の事を知らないって言っていたけれど……でも、それなら自分はどうしてここの事を知っていたのだろう?
  そして、あのときの歯車を見たときに、何で自分は胸騒ぎを覚えたのだろう? この焦燥や恐怖の正体は一体なんなのだろう?)
 アグニに肩を抱かれながら、シデンはずっと考える。間欠泉が収まるまで、二人はずっと寄り添いあいながら。シデンは考え事を。アグニはシデンのぬくもりを楽しんで時を過ごした。

 空が白んできた。夜の時間は終わりを告げて、いつの間にかイルミーゼとバルビートの社交場も閑散としている。弟子達も全員疲れて短い草の生える場所で横たわっている。無論、親方とチャットは目を開けたまま眠っていて、そのおかげで起きているのか眠っているのかすら分からないので、テレスは攻撃を仕掛けることが出来ない。
 結局、全員が置き始めるまでチャンスを伺ってみたが、ソレイスは一分のの隙も見せず太陽が高く上るまで弟子達を守った。

「色々とお騒がせしました」
 舌打ちしたい気分をこらえて、いえいえとばかりにテレスは首を振る。
「そして、本当によいものを見せてもらって、楽しかったよー。ともだちともだちぃ!!」
 止むをえまいと、テレスは穏便に済ます方向で、ソレイスが差し出した手を握る。
「私も、貴方達を信頼することに決めました。記憶を消すようなことはしませんので、どうか……ここで見たこと、分かったことは内密にしていただけないでしょうか?」
「ありがとう。大丈夫、分かっているよ……最近は時の歯車を盗まれる事件もあって物騒だしね。ここのことは絶対に誰のも言わないよ。
 プクリンのギルドの名に懸けてね……みんなも、そのつもりでよろしく頼むからね」
 ソレイスが弟子達に振り返ると、皆声を上げて頷いた。歯切れのよい答えを聞いて満足したソレイスは、再びテレスに顔を向けて微笑んだ。
「それじゃ、僕達はそろそろお暇するね。チャット!!」
「はい、親方様!!」
「そしてみんなも……今回の冒険は何の成果もなかった!! 残念だけれど、胸を張って帰ろう!!」
 皆が腕やらハサミやら前脚やら短冊やらを振り上げて気合のこもった歓声を上げる。失敗なんて言葉が、本当に言葉だけ。成功と同等の熱気を帯びた掛け声と共に、一行は山を降り、帰路を急いだ。
 途中、ドクローズの事を気にしてその行方をチャットやソレイスに尋ねるものがチラホラいたが、二人とも知らないの一辺倒の答え。
 ディスカベラーの二人だけには、チャットが土下座して真実を話した。その時に、チャットはディスカベラーの二人に色々と文句を言われはしたが、それだけ。チャットの気苦労と、真っ先に土下座をするくらい謝りたかった気持ちを察して、シデンもアグニも殴ったり蹴ったりという暴力は働かなかった。
 そうして、長かったギルドの遠征も終わり、ソレイスとその弟子達は無事ギルドへと帰っていった。そして、シデンたちもまた、翌日から修行と、探検のための資金稼ぎに追われる毎日に戻っていく。

170:甘い夜 


 そして、街にたどり着いた当日の夜。

「みなさーん!! 晩御飯の時間ですよー!!」
 久しぶりのトレジャータウン。海の魚をはじめとする魚介類から漂う磯の香りとオリーブオイルの合わせ技の料理が、遠征で久しくこの料理を味わっていなかった舌を歓喜させる。
『闇の恵みに感謝し、光の守護に感謝します』
 夏とは違う作物が彩る食卓の前で、ホウオウ信仰の御祈りをしてから早速かぶりつこうと言う所で――

「みんな、ちょっと待った!!」
 ピタリと、その場の空気が凍りつく。
「えー……今日は夕飯を食べる前に、ちょっとだけ話しておかなければならない事がある」
「へいへいへーい……」
 明らかに不平を含んだ口調でハンスが急かす。
「なんだよ!! 早く食わせろよな!? こっちは腹減っているんだ」
「静粛に!! 静粛に!!」
 声を張り上げながらチャットは言って、翼を広げる。
「えー……これは、先程久しぶりに情報屋仲間に顔を合わせた際に仕入れられた情報なのだが……時の歯車がまた盗まれたらしい。キザキの森の時のような、宗教家同士が争い合うような混乱は無いが……これによって開拓を断念せざるを得なくなったらしい」
「開拓を断念……? もしかして、チャットさん……それって、暗夜の森と南のジャングルの……?」
 誰よりも深刻な顔をしてサニーが首を傾げた。
「あぁ、そうだ……かまいたちと言う名の探検隊が開拓を行っていた場所だが……ユクシーの所じゃないのは良かったとはいえ……」
「エッジさん……あんなに熱心に開拓をしていたのに」
 悔しそうに、サニーが歯がみする。かまいたちとは浅からぬ仲となっているシデンとアグニもまた、悔しそうに歯を食いしばった。

 ◇

 食事が終わると、二人は溜めておいた水で体を拭いて、早々にベッドに上がる。
「さっきご飯のとき……また時の歯車が盗まれたってチャットが言っていたね……これで二つ目か……」
 天井を見ながらアグニはとりとめも無く思ったことを口にする。
「誰が盗んでいるかは分からないけれどさ、時の歯車を集めて、物凄い被害を出して……いったいどうするつもりなんだろうね? はぁ……わからないなぁ」
 溜め息をつくアグニを横目で見ながら、シデンもまた溜め息をつく。
「確かにわからないけれど……それ、もしかしたらコバルオンの方程式なんじゃないかな?」
「なんだっけそれ……」
「ほら、グラエナズのセージさんから教えて貰った……自分がしたことが正義なのかエゴなのかを知る方程式」
「あ、思いだした……でも、コバルオンの方程式ってのはどういうこと?」
「時の歯車が世界を救うのに必要なのだとしたら……盗むのも仕方がないんじゃないかなってこと」
「世界を救う?」
 アグニがオウム返しに尋ねる。
「なんで、そんな発想が出てくるの……?」
「例え……話だ、から……気にしないで、アグニ」
「そっか……まぁ、確かに世界を救うためなら仕方がないけれど、それならなんで事情を説明しないんだろ?」
「その説明した事情を皆が皆信じてくれると思う?」
 アグニは少し考える。
「そうだね。信じないかも」
 そして、納得した。
「……ねぇ、ミツヤ」
 そのまま沈黙した空気を打破するようにアグニが再び口を開く。
「今思うとさぁ……霧の湖まで遠征に行ったのが……もうずいぶん昔のことのように感じるんだ。あそこの綺麗な景色も……まるで夢だったような……いま、テレスはどうしているかなぁ……」
「元気にしているといいけれどね……もしかしたら、その強盗にやられちゃっているかもしれないと思うと……」
 シデンが率直な言葉を吐いてから、再びの沈黙。

「でも、さ……夢のように感じる遠征だけれど、確かな成長って言うのかな? そう言うの、オイラ感じているんだ……ほら、今回さ。強敵に対して君に言われるまでも無く、道具を使って対処することが出来たよ。自分で言うのもなんだけれど、オイラって成長したってシデンは思ってくれる?」
「あ、そう言えば……サライの時も、ヴァッツの時も道具を使うのは自分が指示してたっけか……でも、今回の君は自主的に道具を使って戦った。確かに、それは進歩しているよね」
「うん、そうそう……シデンにはほら、サライの時は卑怯じゃないかなって口答えしちゃったし……ヴァッツの時も、あまりに卑怯過ぎて気が引けていたけれど……」
 アグニはそこで言葉を切って満足そうに微笑む。
「そうだね、アグニ。君は今回のグラードンの時は、きちんと成長していたと思うよ」
「えへへ……勝つ道筋を思い浮かべろって言われたとおりにしたんだ……」
「そのために、卑怯なこともお構いなし?」
 意地悪な口調でシデンが尋ねる。
「うん、オイラも考えが変わって来た。あんな状況なら卑怯なことだって構わないよ」
「へぇ」
 きっぱりと言い放ったアグニに対してシデンが感嘆の声を上げる。
「いや、正直に言うとね……やっぱりヴァッツさんに対してのアレは無かったと思うよ。無かったと思うけれど、サライの時も、シグソルの時も、シデンの言うことは正しかったと思うんだ。
 勝つために、卑怯なことを出し惜しみしちゃいけないってさ……」
「当然、卑怯と卑劣って言うのは似て非なるものだし。人質を取る事さえしなければ……まぁ、敵が3人いてそのうち一人を人質に取るのは卑劣じゃなくって卑怯の範疇だと私は思うけれどね」
「ふふ、そうだね。シデンは子供を人質に取る事は出来なそうな性格しているよね」
 アグニは微笑んだまま話を続ける。
「ゴールから道筋を立てたわけじゃないけれどさ。でも、勝つための光景を思い浮かべた……普通にやっても無理だろうなって思って、搦め手から考えたら……あぁ言う結果になった。
 チャットには、結果的に命を救われちゃったよね……本当はドクローズに使うためのものだったけれど……」
「うん……良いじゃない。どんな形であれ命を救ってくれたことは確かなんだし。役に立ったことなら素直にお礼を言わないと……」
 二人の間を沈黙が包む。ともに、語りたい事があるのにまとまらず、長引いて明日の仕事に響かせるのもよろしくない。そうして、言葉を選んでいるうちに時間が過ぎてしまい、明日眠くて後悔するのももっと嫌。しかし、何を話せばいいのやらという悪循環。時間が無限にあればいいのに。
「ねぇ、アグニ。結局、遠征に行く前にもしギルドで二人きりだったらやりたい事ってなんだったの?」
 アグニは一瞬考えて答える。
「デート」
 そこで言葉を切ってから深呼吸。
「リンゴの森でさ……あの時はドクローズのせいで最悪な目にあっちゃったけれどさ。ダンジョンの中の植物なら成長が速いから、リンゴはもうすでに実がなっているだろうし……二人で、また気を取り直して行きたかったんだ。そんなの、二人っきりじゃなきゃ出来ないじゃない?
 でも、ミツヤの突っ込みと言うかなんというか……アレがあまりにもあんまりだったもので……言い出せなくなっちゃったじゃん」
「はは、ごめんごめん。そうだよね、アグニはそういうのはきちんと分別つけるタイプだから……」
「シデンみたいに誰彼かまわずやっちゃうタイプじゃないの、オイラは……そりゃ、シデンの言うような事に興味がなかったわけじゃないけれどさ……誤解と言うよりわざと曲解しているんだもん」
 きっぱりと言って、アグニは寝がえりをうってそっぽを向いた。

171:馬鹿 


「自分だって……」
 先ほどのアグニの言葉を否定するようにシデンはむきになって口にする。
「アグニが相手じゃなきゃ、あんなに積極的になれないもん」
「そっか……」
 シデンの言葉を噛みしめ、味わうようにアグニは深呼吸。
「そういわれると嬉しいね……ミツヤ」
「君に嬉しいって言われると……うん、自分までつられて嬉しいと言うかなんというか……自分たち、嬉しいって感情を共有しているだなぁ……まるで夫婦みたい」
 そこまで言って、シデンは悔しげに言葉を切る。
「でもアグニが、意気地なしなんだもん」
「……まぁ、そう言われても仕方が居ないと思うよ」
 煮え切らないアグニの事を悲しむのか、悔しがっているのか、僅かに涙の混ざった声を出すシデンに、アグニはただ納得する。
「でも、ミツヤ。まだオイラ、君を一人で支えていけるほど強くない……けれどね……でも、シデンがオイラを必要とするなら、いつだって抱きしめてあげる自信はある」
「じゃあ、なんで自分に愛しているって言えないの?」
 シデンは意地悪な質問でアグニを困らせた。
「言ったことなかったね……そう言えば。それに、今のオイラじゃ言えない……正確に言えば、『愛している』と『愛していた』は言える……けれど、『これからも愛し続ける』って言えないんだ」
「……そう。それはどうして?」
「ミツヤが記憶を取り戻すか、取り戻さないかに関わらず……きっといつかは、昔おの自分よりも今を生きようって気になってくるはずだ。その時、ミツヤは……オイラなんて必要なくなるんじゃないかって。そう思ってしまうんだ……
 だって、ミツヤは何でもできるでしょ? 料理も、洗濯も、裁縫も、戦いも……その時に、オイラがミツヤの足かせになるくらいなら、オイラが束縛しない方がいいかなって……」

「アグニは……馬鹿なことを言っているな」
 シデンはゆったりと首を振る。
「自分は、アグニの事が好きで好きでたまらないのに、足かせだなんて言っている。こんな素敵な足かせなら出かけていくときにいつだってつけたい気分なのに」
「だから、こそだよミツヤ。だからこそ、お互いがどうすれば幸せになるのかを考えたいの。ミツヤに相応しい男になるまで付き合えないのも、それが原因……君のことをずっと、支えられる自信さえあれば……オイラだってさ」
「どうすれば、その自信がわくの? 探検隊ランクをマスターランクにでもする?」
「分からない……」
「じゃあね、一ついいことを教えてあげる。アグニ、自分は支えて欲しいわけじゃないし、支えたいわけじゃない……」
 シデンはベッドから這うようにして立ち上がり、アグニのベッドの上に倒れ込む。
「アグニ……君は、自分の孤独を受け取ってくれた。抱きしめただけでは決して埋まらない孤独を何度も救ってくれた……」
 シデンに手を握られて、アグニは黙りこむ。
「それって、私を支えてくれているんだよ? 君が教えてくれたことは、何度だって役に立ったんだよ? この場所で、暮らす事が出来たのは全部アグニのおかげなんだよ? 支えるとか言わないで、支え合ったっていいじゃない。支えるとか支えられるとか一方的じゃない……支えあいたいの」
「だから、支え合えないんだ……もしもミツヤが、過去のことを気にしなくなった暁には……オイラじゃ支える力が弱すぎると思うの。今のオイラじゃ釣り合わないよ」
 シデンは即座に首を振る。
「自分が弱いだなんて気にしないでよ……自分の身は自分が守るからそれでいい。どうしようもない時だけ自分を守ってくれれば、アグニと一緒にいる価値はそれだけでも満たされるんだよ……震える私を抱きしめてくれる。その行動で、自分は救われるんだ……アグニがやったことは簡単なものじゃない。
 アグニにとっては簡単かもしれないけれど、難しい事を当然のように簡単にやってのけているだけかもしれないけれど……ならば、尚更。難しい事を難なくやってくれるって事は、自分とアグニの相性がいいって事に他ならないじゃん」
 シデンはアグニの手を先程よりも強く――ぎゅっと握る。
「今更、アグニが自分の手を離すなんて、許したくないんだから……自分より、君の手を上手く握れる人がいるなら潔く身を引いてもいいけれど……今は、自分が一番アグニに相応しい女だって、自信があるつもりだからね」
「……オイラってさ、もしかして罪な男?」
 沈黙がその場を支配した時、アグニはぬけぬけとそんな事を口にする。だが、ふざけているような様子は無く、むしろ反省するような気さえ読み取れる。
「間違いなくね」
「ミツヤ……オイラは、なにがあっても君を信じるし、君が辛い時は、その孤独を分けて欲しい。出来れば離したくない……でも、ね。気味が言ったことは、オイラにとっても同じなんだ。
 君の手を上手く握れる人がいるのなら、オイラだって潔くその人にミツヤを渡す……」
「いるわけないじゃない。自分は、その自信を持っているよ……自分以上にアグニに相応しい人はいないと思っているよ。その自信はね、どこからくると思う……アグニ?」
 大きな目でじっと見つめられて、アグニは答えられない。
「なんてね……根拠なんて全くないよ」
 シデンはおどけて笑う。
「でも、私にとって、アグニ以上の男性がきっと見つからない予感がするのは本当。アグニが自分を譲ってもいいなんて思う男性が現れなければ、自分はいつまでもアグニを見ている事になるんでしょ?」
「そりゃ、そうだけれど……」
「なら……自分はきっとね、ずっとアグニの事を見ている……だから、アグニもきっと自分のことだけを見ていられるはずだよ。その予感だけじゃ……私をめとるのはだめ?」
「……オイラにも、君に対してそう思える予感が芽生えるまでは」
 若干物おじしながらアグニは応える。シデンは自嘲気味に微笑んだ。
「君が懸念しているとおりね……『愛している』って言葉はね……気軽にいえるものじゃない。でも、アグニは慎重すぎる」
「探検隊は、悪魔のように大胆に、天使のように繊細に……って事で。だめ?」
「ばーか」
 思いっきり、言葉通りの意味しか持たせない声色でシデンはアグニをあざけった。アグニの額にデコピンを加えて、シデンはアグニを見下ろして笑う。
「ばか」
 痛くない程度にアグニの顔を足蹴にして、シデンはベッドに戻る。
「そんな馬鹿相手に惚れた私は大馬鹿だよ」
 無言でシデンを見守っていたアグニに対して、シデンはそう言った。
「だからアグニも……もっと、馬鹿になりなよ。ね、アグニ……? 大馬鹿になってよ……自分のためにも、自身のためにも」
 それは、シデンの心からの言葉だ。
「……オイラだって、きちんと考えているさ。だから待っててよ、ミツヤ」
 そんな台詞がいえるなら、今すぐ愛を告白してくれたっていいのにと、シデンは心の中で愚痴をこぼす。そして、いつかその日が来ますようにと。その日が来るまでアグニを守って行こうと、シデンは窓から覗く見上げた星に誓った。









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コメント 

お名前:
  • >2013-11-03 (日) 02:46:36
    大体はお察しの通りなのです。ダークライの件がなかったら、アグニを成長させるためにも消えたままにするのが神としての役割だったかと思います。
    シデンを復活させたのも、おそらくは苦渋の決断だったのでしょう。ソーダは……私ももうすこし救ってあげたい気持ちですw

    テオナナカトルは、その通りコリンたちの世界の未来ですね。すでにコリンたちの戦いは神話になっているようです
    ――リング 2013-11-22 (金) 00:37:02
  • ふむふむ、こうして読むともし原作のストーリーにダークライの話が無かったら、リングさんバージョンはシデンが復活しないまま終わってたのかなって思いますね。

    ソーダがちょっと可哀想でした。

    テオナナカトルって多分、コリンたちの世界の未来の話ですよね?
    ―― 2013-11-03 (日) 02:46:36
  • >狼さん
    どうも、お読みいただきありがとうございました。
    『共に歩む未来』のお話では、もう一つの結末というか、私としてはこちらのほうがよかったという結末を書いて見ました。
    ディアルガのセリフから察するに、本当の未来はシデンが生き返らない方であったという推測が自分の中でありましたので……。
    こんな長い話ですが、読んでいただきありがとうございました
    ――リング 2013-06-26 (水) 09:49:35
  • 時渡りの英雄読ませていただきました。私は探検隊(時)をプレイしたのでだいたいのことはわかるのですが時渡りの英雄ではゲームとは違ったおもしろさがありゲームではいまいちでていないところまで実際そんなストーリーがありそうな気がしたり(当たり前か)してとてもおもしろかったです。
    『ともに歩む未来』では[シデン]が蘇らないのかと思ったら[アグニ]の夢というおち、少しほっとしたり…。
    これからも頑張ってください。
    ―― ? 2013-06-17 (月) 21:31:32
  • 時渡りの英雄これから読んでいきたいと思っています。
    時渡りの英雄は10日ぐらいかかると思われます。
    読むのが楽しみです
    ―― ? 2013-05-25 (土) 02:02:01

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Last-modified: 2011-10-04 (火) 00:00:00
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