ポケモン小説wiki
時渡りの英雄第11話:遠征へ、君と一緒に

/時渡りの英雄第11話:遠征へ、君と一緒に

時渡りの英雄
作者ページへ
前回へジャンプ

147:メンバー発表 

一月三日

「えーー……それでは、これよりメンバーの発表を行う」
 ついに、朝礼の最後に行うと明言された遠征メンバーの発表の時が来た。シデンとアグニは祈るように手を合わせ、じっとチャットを見据える。
「親方様、メモを……」
 一応、チャットとソレイスは相談自体はしたものの最終的な判断は親方任せということで、誰が選ばれたのか、その結果は今現在チャットですら知らないとのお話。しかしながら、チャットはディスカベラーだけはドクローズとのいさかいの件もあって危険だと親方に何度も警告しており、そのせいもあって、彼らが選ばれる事は無いと確信していた。
 本当にかわいそうなことだがこれも仕方のないことだと、チャットは溜め息をつく。
「さて、このメモには遠征メンバーが記されている。先程も言ったように私も全て把握しているわけではないので……呼ばれた者は確認のために前へ出てくれ……まずは、ラウド=ドゴーム、前に出てくれ」
「いよっしゃぁ!! まぁ、ワシが選ばれるのは当然と言えば当然だがな!!」
 喜び、ガッツポーズを浮かべ得意げな顔。しかしラウドの表情の中には確実に安堵の表情も混ざっており、当然という言葉とは裏腹に内心穏やかでないのは誰が見ても一目瞭然であった。そんな事をみんながひそひそと話している
「次、ハンス=ヘイガニ」
「ヘイヘイヘーイ!! やったぜ、選ばれたぜ!! ヘイヘーイ」
 相変わらずのテンションでハンスは喜びをアピール。こっちまで嬉しくなってくるような、気持ちの良い喜び方だ。最後にほっと息をついたのも、なんだかそれが可愛らしい。

「そして……お? なんと、トラスティ=ビッパ!! 新人に経験を積ませようってことかねぇ」
「え、……えぇぇ!? アッシが遠征でゲスか?」
 驚いた事に、すでにしてシデンやアグニに実力で追い抜かれているトラスティが遠征に選ばれた。ギルドの全員が驚いて目を見開いている。
「ん? どうしたトラスティ……早く前に来い」
 チャットはメモから目を離して頬笑みながらそれを促すが――
「うう……そっちに行きたいのは山々なんでゲスが……感動のあまり足が震えて動かないでゲス」
 周りから失笑が漏れた。
「仕方がない……放って置くぞ」
 チャットもまたクスクスと笑って、メモに目を戻す。
「次は……えっと、レナ=チリーンとサニー=キマワリ。まぁ、納得の実力の持ち主だしな」
「え? 私達も!?」
「きゃーですわー!!」
 女性二人は歓喜に声を上げて葉っぱと短冊でハイタッチ。初々しい仕草で前に出た。
「女性二人は居残り無しだね。むさ苦しい男たちだけじゃ寂しいもんな」
 軽いジョークを言ってチャットはメモに目を戻す。
「えー……以上で遠征メンバーは……」
「う……」
 自分達が選ばれないまま発表が終わりそうな気配を感じ、思わずアグニは喉をつまらせる。シデンも平静を装ってこそいたが、内心ではかなりショックであった。哀れな二人の様子を見て、ドクローズはほくそ笑む。結局、シデンをめちゃくちゃに凌辱してやる計画はおジャンだが、彼女が悔しがっている姿を想像すればそれも十分に楽しい。
「あれ、メモの端っこにもなんか書いてある……」
 チャットの言葉に、俯いていたアグニは顔を上げる。全く、文字が汚いんだからとブツブツ文句を言いながらチャットが口を開くのを心待ちに、アグニは祈る。
「えーと……遠征メンバーだけれど、まだ続きが。他には、ジェイク=ディグダ、トリニア=ダグトリオ、トーマ=グレッグル、紫電=光矢院=ピカチュウ、アグニ=ヒコザル……以上……ってえぇぇぇぇぇ!?」
 笑顔で読み上げ、驚きに終わる。くるくると表情を変えるチャットを見て、ソレイスは何を思うのか。表情を毛ほども変えない彼からそれを読み取ることは難しい。
「親方様!! これってもしかして……ギルドのメンバー全員じゃないですか!?」
「うん、そうだよ」
「そ、そんなぁ……何のために長い時間をかけて選んだと言うのですか!? 大体、そんなことしたらギルドには誰もいなくなっちゃうじゃないですかぁ」
「大丈夫だよ、ちゃんと戸締りしていくから」
「そういう問題じゃないでしょー!! 受注発注の仕事に掃除に会計、一体だれがやるんですかッ!!」
「それなら、一ヶ月分きちんと手配済みだよ。きちんと給料も前払いでね」
「うぅ……」
 なんだかんだ言って、ソレイス親方はやる時はやる。その仕事の速さを見せつけられてぐうの音も出ない。
「あのー親方様……しかし、遠征に行くには少しメンバーが多すぎでは?」
 インドールは親方に意見を出す。いくら毒ガススペシャルコンボが強かろうが、不意打ちで仕留めようが、これだけの量をやるとなると骨が折れる。
「う~ん……友達にそう言われると困るけれど、うーん……」
 きっと悩んでいないのだろうとチャットは確信している。親方様は悩むふりをしているだけなのだ。
「そもそも、なんで全員で行くのです? みんなで行く意味なんかあるのですか?」
 首を傾げるインドールに、歯を見せてプクリンが笑う。
「だってー、全員で行った方が楽しいでしょ?」
「ふぇ?」
 インドールの間の抜けた声。チャットは溜め息をついた。
「みんなでワイワイ行くんだよ!? そう考えたらさ、僕わくわくして眠れなかったよ」
「えぇぇぇぇ……」
 あんまりにも分かりやす過ぎる理由を聞いて、インドールは開いた口もふさがらないほどの呆然自失。
「それに、この遠征はただ楽しむだけのものじゃない。先輩や、自分で言うのもなんだけれどベテランの僕達の姿をみせて成長させるため、行うものだ。今年は、才能のある新人が三人も入ったものでね……確かに例年と違って全員というのは大盤振る舞いが過ぎるかもしれない。
 けれど、これにはきちんと意味がある事なんだ……楽しいだけじゃなく、弟子たちの成長を祈ってやる以上、妥協はできない」
 口調が変わる。普段のソレイスを見ていると誰だかわからないくらいに真面目な口調だ。ソレイスがこう言う口調をすると、空気が張り詰め誰も反論できなくなる。おとぼけ口調の時とは別の方向に気押されて、インドールも言葉を失っていた。
「と、言うわけでみんな!! これから楽しい遠征だよ!! 頑張ろうね」
 笑顔を皆に向けて、ソレイスは高らかに宣言して右手を掲げる。追従してギルドメンバーも手を掲げる。全員で遠征に行けると言う事実に喚起したギルドの盛り上がりは、今まで最高の熱気であった。
「う……仕方がないですね」
 溜め息深く、チャットは翼で頭を掻く。
「じゃあ、今後の予定を言うよ。今夜、遠征についての説明会を行う。天候や文化、注意するべき虫やスポットなど、説明させてもらう。その後は、遠征出発当日までに準備をしてもらう事になるが……その準備は、説明会の内容をきちんと理解してから行うこと。
 メモの準備は忘れずにね……以上だ、解散!!」
「よかった~! みんなで遠征に行けますわー」
 解散して開口一番はサニーが務める。皆で顔を見合わせた後、眩しい笑顔で皆の顔を照らす彼女は、本当に太陽のような存在だ。
「流石親方様ですね。器が大きくって包容力があって……本当にびっくり」
 二番目がレナ。みんなで遠征に行ける喜びを手放しで口にする。
「オイラも……オイラ達選ばれないと思っていたから、本当に親方って懐が深いんだねぇ。諦めないで本当によかったぁ」
 そう言ったアグニの目は少しうるんでいた。なにも泣くことないのに、おおげさな……と、周囲の者は笑う。
「ヘイヘイ!! 最初はなんだそりゃって思ったけれど、騒がしくなるのも良いもんだな、ヘイ!!」
 ハンスも高いテンションをそのまま維持して笑う。
「うう……アッシは遠征に連れて行ってもらえるだけでも嬉しいんでゲスが……それがまさか全員でいけるなんて……夢のようで本当に感動でゲス」
「だが、夢じゃない。こういう現実があると言うのはいいことじゃないか。とにかく、皆で行く以上は私たち全員の力が試されると言うことだ。親方の顔に泥を塗らないためにも……我々全員が一丸となってこの遠征を成功させようではないか」
 こう言う時ばかりは年長者の貫録を出してトリニアがトラスティ達を奮い立たせる。
「その通りですわ!!」
「よおし!! ワシも燃えて来たぜぇ!!」
「頑張りましょう」
 サニー、ラウド、レナと全員が感化されるように奮い立つ。
「もちろんでゲス!!」
「みんなで力を合わせて……頑張ろうね!!」
 最後に、ぐっと拳を握りしめてアグニが腕を振り上げる。彼のふやけた顔を遠目で見て、チャットは複雑な顔をして溜め息をついた。

148:石鹸 


 遠征出発前日――
「あとですね……マリアおばさん、これ……預かってほしいんです……」
 遠征の準備中のシデンは、三十路を迎えた暖かな笑顔が魅力のマリア=ガルーラが経営する貸倉庫屋にて、小分けされ油紙に包まれた直方体の物体を差し出し照れたような顔をする。
「あら、これはなんだい? 油紙で包んでいるからバターか何かかしら? 悪いけれど、ウチでは腐りやすい物は預かれないのよねぇ……」
「バターは……使っていますが、それはバターでもないし食べ物でもないのです……石鹸って言って……自分が作ったものなんですが……」
「はぁ、石鹸?」
「え、なにそれミツヤ?」
 マリアとアグニが同時に首を傾げる。
「ほら、先日の休みに、バターとオリーブオイルと……海水で作った肉を溶かす液体を混ぜて……ひたすらかき混ぜて作ったの。服とか、体毛とか、お皿の汚れを落とすのに使えるんだ」
「へ、へえ……油なのに汚れを落とせるの?」
「うん……バターのほうはもううまく固まったから、遠征の間おばさんに使ってもらって、使用感を確かめてもらおうかと思って……預かってって言うよりは、使って欲しい……って行った方が適切かなぁ」
「へぇ、汚れが落ちるねぇ……」
 油紙の中身の硬い感触を確かめながら、ピンとこないマリアが独り言を口にした。
「水に馴染ませて擦ると泡が立ちますよ……もし、お皿洗いをする事があったら使ってみてください。一つ差し上げます」
「……えぇ、いいのかい? よくわからないけれど、おばちゃんもらえる物はもらっちゃうわよ?」
「いいんです。作った物が役に立つのは、とても嬉しい事ですから。それに、おばさんにはいつもお世話になってしますから……」
 笑顔でシデンが頷いた。
「ふぅん……しかし、汚れが落ちるとか泡が立つとか……こんな塊の物がそんな風になるなんて……不思議なもんだねぇ」
「試してみます? そのために……水も持って来たんです」
「え、ちょ……ミツヤ……いきなり貸し倉庫に来たいとか言いだして何かと思ったら、もしかして自慢しに来たの?」
「そうかも。自慢したかったのかも」
 シデンは笑う。
「そうかもって……あのねぇ……」
 アグニが苦笑していると、シデンはそれに構わずアグニの体に石鹸をバターのように一塗り。
「アグニ、動かないで」
「あのねぇ……どうしてオイラの体でやるわけ?」
「いいじゃない、世界初の石鹸を自分の体で試せるんだよ」
「っていうか、世界初なのに『石鹸』なんて名前が付いているのはおかしくない?」
「いいから良いから」
 シデンは楽しそうにアグニの腕を擦る。みるみる茶色い泡が立ち昇り、アグニ腕の泥汚れが落ちてゆく。
「どう、三日間お風呂に入っていないから汚れもたっくさん落ちるよ……ほら」
「まぁ……」
 水筒に入っていた水をアグニの腕に注ぐと、彼の土埃でくすんだ腕は光沢を取り戻していた。
「綺麗になっているわねー……石鹸、中々面白いじゃない」
「ふぇぇ……ミツヤすごい」
「それだけじゃない……この麦わら(ストロー)をこの石鹸液につけて息を吹きかけるとね……ほら、シャボン玉!!」
 シデンは小さな素焼きの皿に入れられた石鹸水に麦わらを浸し、言葉通りの動作で泡を吐きだす。
「うわぁ……」
 思わずアグニが感嘆の声を上げる。マリアの娘のエレナもまた、目を一杯に見開いて感嘆の声を上げる。
「すごい……クラブの泡吐きにも負けていないや……」

「どう、アグニ? 自分が……君に出会った時に言ったあの言葉、信じてくれる?」
 前置きをして、シデンはアグニに耳打ちをする。
「自分は、ポケモンじゃなく人間だったって」
「あ……」
 シデンが耳から口を離す。アグニは、シデンが人間だった頃の記憶を頼りに石鹸を作ったのだと言う事をようやく理解した。だから、世界で初めて作ったシデンの商品にきっちりと名前が付いているのだと。
 アグニが色々な事を理解して頷くと、シデンは笑う。その表情に安心してアグニも笑顔になった。
「それにしてもあれだね、ミツヤ。君は錬金術師としても大成できるんじゃないかな?」
「無理だよ、金は絶対に作れないから……無理だからね」
 金は元素だから出来ない、なんて今自分の口から言ってもきっとりか一は出来ないのだろうと考え、シデンはそこで口を噤む。
「んもぅ、探検隊やっているんだから、無理とか不可能とか言う言葉は使っちゃダメよ、ミツヤちゃん」
 マリアはそう言ってシデンにアドバイスをするが、出来ない物は出来ないのだから仕方がない。
「そうだよミツヤ。やるだけやってみたらいいじゃん、錬金術。きっと出来るよ」
 何だか、アグニたちの言っていることがもっともなことなのに、シデンはそれを絶対に無理だと知っている。そんなおかしな具合になってしまって、シデンは苦笑する。あんまりに怒りに燃えた勢いで武器を作った時、連鎖するように色んな記憶も掘り起こされたが、正直な話原子やら分子やらの話は確かに夢がなかったとシデンは反省する。
「自分は、探検隊の方があっているもん。錬金術師なんて、探検隊以上に根気がなきゃ出来ないよ」
 そう言って誤魔化して、説明がしにくい歯がゆい思いの話題を終える。
「遠征に行くんだって言うからね……もっとうきうきしているかと思ったけれど、二人とも何だかしんみりしちゃって……もしかして、喜びは静かに味わうタイプ?」
「いろいろあって、喜び疲れました」
 アグニは肩をすくめて笑う。
「あら、そ」
 営業スマイルとは違う、満面の笑みを浮かべてマリアは納得した。
「持って帰って来たお宝に、街にいる行商人や古物商が湧きたつ光景が毎回楽しみでねぇ……その中心に貴方達がいると思うと、本当に嬉しいことだわ。おばちゃんも応援しているから、がっばって行って来てね」
「はい!!」
「えぇ!」
 マリアの激励に、アグニとシデンのは大きく頷いた。シデンはストローと素焼きの皿をマリアの子供に渡して、

149:諸注意 


「……よし、みんな時間前に集まって感心だ。それでは、今回の遠征について説明するぞ。まず、今回の目的、それは霧の湖の探索だ……ここよりはるか東にあるとされている湖なのだが……『されている』という伝説の通り、今までだれもその姿をはっきりと確認したこともなく噂だけが活きているという場所なのだ」
 そう言って微笑みながらチャットはアグニとシデンを見る。
「アグニ、ミツヤ。こういうシチュエーションに見覚えは無いかい?」
「えっと……滝つぼの洞窟!」
「そうだ。噂や伝説の真偽を確かめることもまた、探検隊のお仕事。そこに宝物があろうとなかろうと、我々探検隊が赴く価値はいくらでもある物だ。時に、前人未到の地はそこ自体が宝物ということもままある物だ。開拓というのは、土地を宝物としてそれを発掘するものだからね……
 例え、湖を見つけたとして、そこに何があるかは分からないけれど……行ってみる価値はあると思っての場所選びだ」
「すごい……噂の証人になれるだなんて……すごくワクワクする」
「うん、楽しみだね」
 胸の高鳴りを抑えきれずに声を上げるアグニに追従するのはソレイス。真ん丸な目を生き生きと輝かせる二人は、年齢差が20以上もあるというのに同じような表情をしているのが、チャットには何とも複雑な気分である。
 そんな微笑ましい二人の姿を酷く下品な笑みを浮かべて見つめるのは、ドクローズのインドール=スカタンク。こいつから匂うのは悪臭だけにとどまらない、何かのたくらみの匂いがぷんぷんと漂っている。
「さて、霧の湖への行き方だが……まずは船着き場の街までダンジョンを乗り越え近道しながら行こうと思う。そして南の山越えルートを越えた大きな渓流のある高原には、常に深い霧の立ちこめる件の森がある。我々プクリンのギルド一同は、そこにベースキャンプを張る事にする。
 また、ベースキャンプまで全員揃って進むには機動性がかけるし、何より身体の特徴によっても得手不得手が変わるはず。
 タイプ兼ね合いもあるだろう。なので、このベースキャンプまではいくつかのグループを分けて行動しようではないか」
 弟子たちのざわめきが広がる。
「では、今からそのグループ分けを言う。まずは最初のグループ。サニ=キマワリ、ラウド=ドゴーム、ジェイク=ディグダ、トーマ=グレッグル」
「おっし、お前らワシの足を引っ張るんじゃないぞ!!」
「私の足を引っ張りまくった貴方には言われたくないですわ」
 サニーは勝ち誇ったように笑って、ラウドは立場が無くなった。
「次のグループは、トリニア=ダグトリオ、レナ=チリーン、ハンス=ヘイガニ。頑張るんだよ」
「うむ、バランスの取れたいいメンバーだ」
「よろしくお願いしますね、お二人さん」
「ヘイ!! よろしくな!」
 顔を見合わせた三人は、三者三様に笑顔を向けて挨拶し合う。

「えー……そして、次のグループだが。私と親方様が二人で行くと……それでよろしいですね?」
「えぇ~……チャットと一緒!? そんなのつまんなーい!」
「我がまま言わんで下さいな親方様。この遠征は大事な作戦なんですから!!」
「……ケチ」
 駄々をこねるソレイスを、チャットは問答無用とばかりに諌めて軌道修正。手のかかる親方の言動に溜め息付きつつ、次へ。
「ドクローズの方々は、そのまま三人でお願いします」
「承知しました」
 ドクローズを代表して、リーダーのインドールが答えた、
「そして、最後のグループのアグニ=ヒコザル、紫電=光矢院=ピカチュウ、トラスティ=ビッパ。新人たちで一緒にチームを組む機会もなかったからね、ここらでより一層仲良くなってくれ」
 親方の独断を受けて開き直り、インドール達からは絶対に弟子を守ってやると心に決めたチャットは、柔らかな笑みを三人に向けて頑張ってと祈っておいた
「一緒のチームでゲスね。よろしくお願いしますでゲス」
「こちらこそよろしくね、トラスティ」
「自分も、よろしくお願いします」
 始めてチームを組まされることになってもよそよそしさは全くなく、軽く挨拶を交わした三人は仲互いの心配もなさそうだ。
「それでは、みんな……出発は明後日。頑張っていこー!!」
 翼を振り上げるチャット。眼前まで迫る遠征という響きが、弟子全員の活力を煮えたぎらせる触媒となって、ギルドを熱気で包みこんだ。

 かくして、ギルドの遠征隊は霧の湖を目指し、いくつものグループに分かれて出発した。シデン達のグループは、行商人がよく使う比較的安全なルートを推奨された。一応、商人には越えるのがきつい不思議のダンジョンを通ることで近道のできる道のりで、というかそうでもしないと先輩たちに大きくおくれをとってしまう。
 初心者にちょうどいいと言われたこのルート、今の実力に見合っていると判断した三人は特に反論するでもなく、船着き場の街から海沿いの道のそってベースキャンプを目指すのであった。

150:ガルーラ像 


 断崖絶壁の崖下から吹き上げて来る潮風。暖かい暖流が行き止まりで立ち往生するこの内海は、常に生温かい空気がそよ吹いて、夏にはちょっと蒸し暑い。雨天が飛びぬけて多いこのルート、雨を嫌う商品を扱う商人や、雨嫌いの探検隊にはお勧めできない道であるが、道中の険しさやダンジョンの難易度は比較的簡単であり、最も利用する者が多いのがここである。
「おや、これはガルーラ像……」
 海沿いの道を越える際、道端におかれたガルーラの石像。滑らかに削られ整った造形のそれに目を向けて、アグニは黙祷する。
「アグニ……何やっているの? って、トラスティまで?」
「あ、あぁ……ごめんごめん」
 シデンがぽかんと口を開けているのを見て、アグニは笑いながら目の前に置かれた像の説明を始める。
「これはね……まぁ、見ての通りのガルーラの石像なんだけれど……ホウオウ信仰においては、道祖神として祭られている神の一種なんだ。だから、この像を見つけた時は、道祖神に感謝をささげることで……オイラ達も神に見守られるんだよ」
「ホウオウ信仰の者が長い旅に出る時は、こうやって石像を作る習わしがあるでゲス……旅先で、お祈りの効果が薄れたと気付いた時に、また祈れるようにって事で各地に置いてあり……旅先では重宝されているんでゲスよ。
 祈っておけば、旅の安全は保証付きでゲスよー」
「うんうん」
 説明を引き継いだトラスティの模範解答にアグニは頷く。
「でも、ミツヤは神様信じていないかな?」
「アッシらは一応ホウオウ信仰でゲスから祈ったけれど……無理に祈る必要はないでゲスよー」
「いや、祈るよ……」
 シデンはなんだか照れた風に、二人に出遅れて道祖神に感謝の祈りをささげる。四ヶ月近くアグニと一緒にいて、アグニの事を結構知って来たつもりだが、アグニの知っている知識はかなりの量で、自分はまだまだ遠く及ばない。シデンの方が勝っている知識は多いが、やはり社会的な事に関してはアグニが一枚も二枚も上手である。
 アグニが何を考え何を思って生きているのか、分からないことだらけで、シデンはそれが歯がゆかった。アグニと同じだけの知識を吸収すれば、アグニと同じ行動をすれば、アグニの事がもっと分かるのかなんて。
 だからシデンは、形だけでもアグニと同じように行動する。神を信じていない彼女は、どうやって神に祈ればいいのかもわからなかったが、さしあたり重要なこと。とりあえず、この旅を無事に終わらせて下さい。
 そう願いを込めた。

 どんなに真似しようとしても。感情を共有しようとしても、互いに違う性別、違う種族。完全に分かりあう事はどんな者ともできる事は無いと、シデンはそれくらい知っている。けれど、あの時サニーから言われた言葉がシデンは気になるのだ。
 二人とも信頼し合っているとか、恋の形だとか。思えばアグニといつも一緒にいるが、珠にレナやサニーと女同士で出かけたり、逆にアグニがハンスやラウドに連れまわされたりすると、彼の顔を思わず見たら走り寄ってしまいたくなる。会えない日の後会えると思うと心が弾む。
 そんな感情が恋であることなんて、客観的に見れば明らかなはずなのに、今更意識してしまう自分は少々鈍感なのかもしれない。
「ミツヤ、いつまで祈ってるの?」
 その思考が中断されるまで、シデンは祈っていた。
「きっと、何時おしっこしたいって言おうか考えていたんでゲスよー」
「ち、違うよトラスティ!! 自分はそういう時は普通に言います―!!」
 予想だにしなかった冗談を飛ばされ、シデンは咄嗟にムキになり、そして次の一瞬馬鹿な失言をしたと後悔する。
「えー……オイラと一緒の時はそうだけれど……この前かまいたちとご一緒した時は、結構恥ずかしそうにもじもじしていたよね?」
 案の定、失言をした者はこうやっていじられるしかないのだ。
「エッジさんは気配り上手で、結構シデンやサニーの様子を気遣ってくれて助かったけれどさ。他の二人は女性と一緒に旅した事がないせいかデリカシーゼロだからねー」
 数日前の出来事を思い出してアグニは愉快な気分に浸る。しかし、対称的にシデンの怒りのボルテージが上がっている事を、彼は気づいていないのか。
「アーグーニー? そう言う事を乙女の前で言うとかどういう神経しているんだコンチクショー!!」
「あー、ちょ、ごめん!!」
「デリカシーがゼロなのはお前だー!!」
 シデンは怒りの言葉を電撃に乗せて、燃え盛るアグニの尻に向かって放つ。尻に当たった電撃はバチリ爆ぜて、アグニは痛みで飛び上がった。
「いったー!!」
 大声を上げて、アグニは痛みをこらえようと括約筋を締める。炎に阻まれ見えないが、彼の尻がぐっと縮こまるその様は如何にも痛そうな仕草だ。
「ふん、自分のプライドもそれくらい傷ついたからね」
 鼻息を鳴らしてシデンは得意げな顔。怒りの矛先を突き付けた快感以上に、この雰囲気に便乗して悪ノリ出来た事に彼女はご満悦のご様子。
「お二人さん、仲がいいでやんすねー」
 そんな二人を囃し立てる、トラスティの余計なひと言。言わなければいいのに、こう言う一言が身を滅ぼすのだから、口は災いの元とはよく言ったものである。
「元はと言えばあんたのせいだ!!」
 シデンはもう一度軽く電気を飛ばす。当然、この至近距離を不意打ちではよけきれないので、まともに尻を打たれたトラスティもやはり飛び上がって顔をしかめた。
「いたたたた……酷いでゲスよぉ」

「さて、無事にお祈りも出来たところで、そろそろいこっか」
 シデンはさっきのことなど何事もなかったかのように二人に微笑みかける。無事じゃない二人は、心の中で『無事じゃない』と思うことで心を通じ合わせていた。
 尻を撫でながらアグニは苦笑してシデンの後をついて行き、トラスティもそれに倣う。

 ともあれ、出だしからこんなに楽しい調子。この調子で遠征が進めばきっといい旅になるだろうと確信し。シデンは意気揚々とした気分で、山越えの坂道を踏みしめる。
 目指す場所は、雲の上を越え、山の向こうへ進み、ダンジョンをくぐりぬけ、また山間の道を行く。遠い遠い場所である。

151:親の心子知らず 


「さて、ここから先がダンジョンなわけだけれど……」
 山道をある程度登った先にある、一寸先も見えない空間の歪みのカーテンに覆われた場所。森か洞窟か蜃気楼か、形は様々だが、外界との隔たりとなるその場所に手を触れたが最後。手を触れた者は入るたびに形を変えるダンジョンへと引き込まれてしまう。
 そこでは、心を失ったポケモンが、本能的に心を求めて『ナカマ』の心を喰らわんと気絶させにかかってくる。気絶したまま誰も助けてもらえずに心を失ってしまえば、用済みになった抜け殻の人形は活け造りとなって胃袋に収まる。
 そんな危険な場所のはずのここなのだが、アグニはすでにすっかり慣れ切っていたのか、ダンジョンの眼前に立ってもあまり表情を変えることをしなくなった。油断しなくなったわけではなく、探検家として、戦士として、ともかく成長した証と言う事だろう。
「このダンジョンは広さも階層もそんなに深くないらしい。行商人の足で約二日……だから、オイラ達は身軽なわけだし一日でぱっぱと越えちゃおう」
「う~ん……となると、地図上ではどこら辺まで目標にするでゲスか?」
「そうだね……ここの部分、丁度清水が湧いている場所があるらしいんだ。ここ三日間歩きどおしで、まともに水浴びもしていないし……久しぶりに水浴びでもしないかな? 特に、トラスティはビッパなんだから泳げるのが魅力的だと思うし……」
「そうでゲスねー……そうなるとダンジョンを抜けてもしばらく歩くことになるでゲスが……」
「大丈夫、オイラが先頭を歩くからダンジョンを早めに越えちゃおうよ。オイラ、おしりの炎があるからどんな暗闇だって躓かないよ」
 頼もしさをアピールしようとアグニは胸を平手で叩いて自身を誇示する。得意げなその顔は、迷宮の洞窟などでしっかり明かり役の責務を果たした自信に由来するものか。

 そうやって会話する男二人を見ながら、いつの間にかアグニがリーダーシップをとっている事にシデンは感心していた。遠征で胸がはずむ気持ちを抑えきれないのは十分に分かるのだが、出会ったばかりの臆病なアグニを思い出すとああまで頑張っているアグニの姿は目から鱗が落ちたように新鮮だ。
 真珠探しの成功、サライへの抵抗、滝つぼの洞窟での冒険、そして伝説の探検隊への勝利。それらすべてが今のアグニを形作っているのだと思うと感慨深い。その探検隊を始めるきっかけに自分が一番の理由であることを考えると、シデンは何とも誇らしい気分だ。
 少しずつ逞しくなっているアグニは、今や出会ったころの影も形もない。保護者気分もお開きに近いのが少しさびしいけれど、子供だと思っていた存在がパートナーに成長していくのはやっぱり嬉しいもので。
(何度やってもこの感じ……いいものだなぁ)
 無意識にシデンはそう思って、自分の思考を疑った。
(何度やっても?)
 自分の中に成長を見守ったような記憶はないのに、無性に懐かしいこの感覚。自分が、もしかしたら子供を育てた事があるんじゃないかと言う強い既視感(デジャヴ)。また記憶が戻りそうな気がしたが、今はどうしても思い出せない。
「よーし、それじゃあアッシにしんがりは任せるでゲスよ!!」
「それって一番楽なポジションなんじゃ……」
「いや、それは真ん中のミツヤさんの方が……」
「え、自分?」
 話の流れで名前を呼ばれてシデンは我に帰る。
「え、えっと……じゃあ、自分は横を守るか、前後のどっちもサポートするって事で……ダメかな?」
「あ、それだとミツヤが結局一番頑張る事になっちゃわない?」
「そうでゲスねぇ……でも、悔しい事にミツヤさんが一番強いでゲスから……」
 アグニとトラスティは一緒に肩をすくめて苦笑する。
「まぁ、危なくなったらでお願い、ミツヤ」
「アッシも、それでお願いするでゲス」
「『そして、結局危なっかしくて見て居られない自分は何度も二人の戦いにでしゃばることになるのでした』……っていう、自伝を書かなくても良いように頑張ってね」
「ちょ……ミツヤがもう自伝書く気……」
「気が早いでゲスねー」
 なんだか的外れな事を突っ込まれ、シデンの体から力が抜ける。
「あらら、そこを気にする?」
「いや、良いと思うよ。そのためにサニーからいろんな文章の書き方を教わっているわけだし……ま、ミツヤに迷惑かけないように頑張るよ。だからミツヤは安心して見て居てよね、ミツヤ。オイラ……新しい技を披露するんだから」
「お、そりゃなんて技でゲスか―?」
 興味を示したトラスティの方を見て、アグニは舌を出す。
「秘密。お楽しみにね」
「あ、なにそれアグニ。自分に黙って技を覚えるだなんてつれないなぁ」
「オイラ、親方と組み手をするときは攻めの方法を多彩にしたいものでね……少しでもミツヤに近づくためにも……さ」
 アグニが恥ずかしげに目標を口にすると、シデンはアグニの背中を叩く。
「頑張ろう」
 背中を叩いて微笑むと、アグニは黙って頷いた。
「あ、アッシも頑張るでゲスよー!!」
 遅れてトラスティが答えたのを見て、アグニはダンジョンの方へ振り向く。
「行こう!!」
 
 ◇

 その三人の姿を、チャットはまじまじと見つめていた。メンバーを決めるにあたり、最も苦労したのはどうすれば狙われないチームが作れるかであった。
 サニーとラウドのチームは、かなりの強敵だ。まずドクローズの襲撃的な物は有り得ないであろう。そして、もう一つのチームには、毒を浄化する癒しの鈴使いにして、毒をほふり去る念力の使い手であるレナ=チリーンを入れている。
 手を出すには少々リスクの高いチーム構成ゆえ、こちらも手出しはしにくいはず。そして、一番心配なトラスティは、シデン達のチームに入れた。万が一ドクローズ云々の襲撃があったとしてもミツヤとアグニならばある程度は抵抗できるだろうし、いざとなったら自分達が出て行くだけだ。
 チャットが自慢の視力でシデン達を追跡、すぐに助けに入れるように待機している間、ソレイスはドクローズの動向をゆったりと追う事に。
 そんなわけで、チャットがシデン達を追う道中、彼女らの活躍は予想以上に目を見張る。

 海沿いと言うこともあって、水タイプの多いこの岩場。アグニは、苦手な水タイプ前にしても、ひるむことなく草タイプの目覚めるパワーで対応している。体当たり技の火炎車もそれなりに様になっており、使いどころは難しいが連撃に上手く混ぜ込む事で攻撃の幅を広げている。
 遠くて聞こえない彼らの会話も、どうやらアグニを褒め称えている様子で、キャモメが襲って来た時くらいしかシデンは前に出ない。
 そんなシデンはと言えば、終始笑顔でアグニを見守りつつ、褒めるだけでなく幾つかの改善点も口にしている。それが何を語っているのか、チャットは情報屋を名乗る過程で身につけた読唇術である程度分かる。
 どうやら、相手から眼を離してしまっているとか、アグニが視線の方向を諌められているなどシデンは立派な師匠気取りだ。しかしながら、アグニの欠点もトラスティの欠点もシデンの指摘は正しいことばかりだ。思わず、本来の目的を忘れて見入ってしまうほどに、シデンのご教授は上手く、ダンジョンを越えるころにはトラスティの動きも一層良くなっていた。
 アグニの方は、強さの方はある程度天井に頭をぶつけかけといったところだろう。ダンジョンを抜ける前と後で特に変化はないのだが、これまでの経験でアグニが強くなったのだと思えば、彼の急激な成長も納得だ。
 ギルドに弟子入りしてから二人には色々あったからなぁ……

 そうして監視してみたはいいものの、彼らにドクローズの魔の手が襲いかかる様子はまるでなかった。ギルドのツートップである親方と自分が新人と同じ時間に到着しては示しがつかないから……と、一日目にドクローズが何のそぶりも見せなければ所定の場所で落ち合うことになっているが、親方様はきちんと約束を守ってくれているだろうか?
 もしも待ちぼうけを食らってしまったら、非常にバツが悪いなどと思いながら、名残惜しい気分を押してチャットはシデン達の姿を見守ることを静かにやめるのであった。

152:チャットも大変なんです 


 チャットの尾行は完璧であった。飛行タイプ特有の視力の良さ故に、かなり遠くからの監視が可能で、その上僅かな踏み跡も彼の鋭い目は見逃すことなく発見し、物影に入りこんだりされても難なく尾行が可能である。
 伊達に親方の一番弟子を名乗っているわけではないのだ。

 だから、シデン達はチャットの頑張りなどつゆとも知らず、捉えた『ヤセイ』のキャモメを捌いて三人は夕食で会話に華を咲かせていた。
「歩き疲れたねー」
「もう、足がぱんぱん。アグニ……ちょっとマッサージしてくれない?」
「え―……オイラだって足が痛いのにぃ」
「いいじゃん、私腕が短いから自分の足のマッサージ出来ないんだよ」
「その理由だとトラスティもやらなきゃいけないじゃん。オイラ、男の子だよー男にマッサージだなんて、むさ苦しいじゃん」
 意味ありげに言うと、シデンが口を押さえて笑う。
「やだ、なにそれいやらしい。女の子の体なら喜んで触るんだ」
「男はみんな肉食でゲスよー」
「何回も襲うチャンスがあるのに襲われていないからそれは無いんじゃない? アグニは、口だけ達者な意気地無しだよ。いいもん、トラスティ、マッサージお願い」
 アグニからそっぽを向いて、シデンはトラスティを見つめる。
「え、アッシ?」
「そうだよ、結局自分の方がトラスティより働いているし」
「それ言われるとグゥの音も出ないでゲスね……よし、アッシがやってやるでゲスよ!!」
「アグニ―!! 自分の純潔奪われちゃうよー。いいのー?」
 シデンは至極楽しそうにおどけて笑う。
「そうでゲスねー。女の子の体だから喜んで触るでゲスよー」
 トラスティも悪ノリしたのか、シデンの調子に合わせて笑う。
「えぇい、やればいいんでしょ!! まったく、オイラの指が一番器用だからって毎回オイラがやらされるんだもん」
「お返しに自分もアグニのマッサージの一つや二つ、やるわよ」
「頼むよミツヤ」
「うん、アグニのためだもん」
「ありゃー……アッシ何だかのけもの?」
 トラスティは苦笑して、いきなり仲の良い雰囲気を醸し出す二人を見守りながら肉を食む。
「そだ、みんな起きているうちに明日のことを言っちゃうけれどさぁ……明日は、この先にある角山を越えるよ」
 シデンの足をマッサージしながら、アグニは顔を上げる。
「行商の足で六日かぁ……大丈夫でゲスかねぇ」
「オイラ達は荷物もそれほど多くないし、ダンジョンを通って近道すれば距離は半分だ。まぁ、明日って言うのは大げさにしても……二日間かけずに通り抜けるくらいの気概は最低限必要だと思うな」
「まぁ、余裕ってわけにはいかないだろうからね……一応、体力の温存を考えてダンジョン内で休む事も視野に入れなきゃ」
 アグニの言葉にシデンが意見する。
「そうなると寝ずの番が必要でゲスよ?」
「それは自分がやるよ。もちろん交代で二人にもやってもらうけれど……でも、メインは自分がやる。今日は、二人とも頼りになるから怠けどおしだったわけだし」
「うん、じゃあその次はトラスティでお願いするよ……オイラは……」
「先頭を歩くアグニはそんなに頑張らなくても良いでゲスよー」
「自分もそう思う。あまりアグニにだけに負担をかけたくないし……なんだかんだで一番疲れているもんね」
「ありがと……でも、そう言いながらマッサージさせるのはどういうことなのさ……」
「後で自分がやるってば。マッサージしている最中に寝ちゃっても良いんだよ?」
「じゃ、その時はお言葉に甘えちゃおうかな」
 はにかみながらアグニは礼を言って、シデンのマッサージに意識を集中する。最初こそ色ものを見る目で見届けていたトラスティの視線も、そのうち気にならなくなっていった。

 ◇

 霧が立ち込めている。一息で走れる距離を離れれば恐らく何者の姿も見えないであろう。分厚い雲が覆うように重苦しくなったその空気は、太陽の光さえさえぎって、ホウオウお写し身たるそのご尊顔を拝ませてはくれない。
 じめじめとした空気は体温を悪戯にあげ、まつ毛に水滴がこびりつくのが不快でしょうがない。なるほど、こんな場所に住みたがるポケモンが居ないのも、探索が進まないのもこの環境なら仕方がないのかもしれない。
「はぁぁぁぁ……やーっとついたー!!」
 計四日間の三人チームによる山越えの道のりの果て、思いっきり溜め息をついてトラスティは崩れ落ちるように喜びをあらわにする。
「まだテントも立てていないのに休むなんて、甘いよトラスティ」
 シデンは笑って、爪先で彼の尻を蹴る。痛くはないだろうが屈辱的な行為である、このままでは何度同じような蠅も殺せない蹴りを受けるか分からないので、トラスティは仕方なくのそりのそりと立ち上がる。
「みんな、お待たせ!!」
「遅いぞ。お前ら!! もうみんなとっくに到着しているぞ!?」
 アグニの元気の良い挨拶に対し、チャットは得意げに三人へ激励を交わす。
「親方様はリンゴいつ食べたの?」
 もっとお前らも先輩を見習えとばかりのチャットの言葉に、シデンは全く関係のない質問をする。
「え……ここにきてすぐに腹ごしらえで食べたけれど……」
「そう、それはあのリンゴ? テントの周りに散らばっているけれど、全部喰いカスが真っ白だよ」
 シデンはしたり顔でチャットへ問いかけながら首を傾げる。
「あ……」
 少し茶色がかってこそいるが、まだ白さの残るリンゴの喰いカス。そのリンゴの喰いカスを指さされて、チャットは気まずそうに眼を逸らした。
「いくら霧のなかと言えど、とっくにたどり着いていたならその色は無いんじゃない?」
 見事な返しにチャットは閉口。確かに、とっくにと言うほど時間は経っていない。
「あっはっはっは……すまん、嘘ついてた」
「ちょ、チャットさん。オイラとっくに着いているって言われて結構ショックだったんですよ? 紛らわしいこと言わんで下さいな」
 アグニは口をとがらせて不平を漏らす。見栄を張っていたチャットは、いたたまれない気分で小さくなっていた。
「はは、面目ない……」
「嘘を付くならもう少し上手い方がいいよ、チャットさん」
 シデンは笑顔で言ってから、強張った肩を下ろして付け加える。
「でも、皆がテントを張っているくらいだし……遅かったことは確かみたい」
 シデンは苦笑する。
「だね……やっぱり、初心者向けのルートを乗り越えてきた分、みんなより速くっていうのは無理みたいね」
「ふぅ……いや、親方とその一番弟子と言う事でメンツを保ちたかったんだけれどねー。道の一つに崖崩れがあって、親方がそれに立ち往生しちゃったもんでさ……それで、肝心の順番は三番乗り。四番目はドクローズで、君達が最後って感じかな」
「それなら仕方ないね」
 と、アグニは笑う。
「まぁ、今からテントを張って休みたいところだろうけれど……先輩方はお待ちかねだ。悪いけれど、これからの作戦会議を優先させてもらうよ」
「えー……腹ごしらえだってしたいでゲスよぉ……」
「そんなのあとあと」
 不平を漏らすトラスティに構わず、チャットは話を進める。チャットが皆に呼びかけを行う間、それまで笑っていたシデンはふと謎のなつかしい気分に浸る。アグニの成長を感じた時と同じ、覚えていないのに懐かしい。正体不明の既視感(デジャヴ)に浸りながら、シデンは胸に手を当てる。
 自分はこの場所に来た事がある。記憶を失う前の自分と関係があるのか? 自分は何者?

153:霧の湖の伝説 


 アグニと出会った当初ほどの気味の悪さは感じなかったものの、まだ少し気分が悪い。
「どしたのミツヤ? 早い所集合しようよ……」
 ちょんちょんと指で突っつかれて、シデンはようやっと正気を取り戻す。
「あぁ、ごめんごめん……湿気が強い所だなぁ……って思っていてね」
「そだねー……オイラの炎もこれじゃちょっと威力が陰っちゃうかもなぁ……」
「その時は、自分が頑張るから安心してよね。大丈夫、自分の電撃は濡れていてくれた方がむしろ強いから」
「そうする」
 二人はやっと合流できたことにはずんだ気持ちを前面に出しながら楽しげに会話している。
 そうして霧の中から先輩達が姿を見せるのを待っていると、先輩と一緒に飛んでくるのは激励の言葉と安心の言葉。特に、レナはシデン達三人を心配してくれていたのが嬉しかった。ラウドも、口調は悪いが心配していたという一言を口にしており、そう言った言葉が素直に嬉しく、トラスティに至っては鼻をすするほど。
 涙もろすぎやしないかと、みんなに笑われていた。

 そうして弟子たちと話し合っている間に、シデンの疑問はしばらくの間うやむやになって行く。やがて、チャットの話が始まるころには綺麗に忘れ去っていた。
「えー……と、言うわけで……皆無事にベースキャンプにこれたようだし、これよりしばらくの間、霧の湖の探索を行う」
 そう言って、チャットは翼を広げてアピールを始める。
「見ての通り、ここは深い霧と深い森におおわれている。そして、ここら辺のどこかに霧の湖があるらしいのだが……今の所、それは全て噂でしかない……と、言うのも、探検隊が霧の湖の夢を見た後は、いきなり見知らぬ場所で倒れていた……と言う事が多々あるそうなのだ。
 これまで、色んな探検隊が挑戦してきたが、オチはすべて前述した通り。変な夢を見て、見知らぬ場所に倒れている……」
「ヘイヘイヘイ! ヘイ!! 本当にあるのかい? その霧の湖ってのはさ!?」
「まぁ、ハンスったら……それを言ったらあまりにもロマンがないですわ」
「今更そんな事言ってどうするよ!?」
 口を挟むハンスに、サニーとラウドが畳みかけるように反論する。
「ヘイヘーイ……そう言う意味じゃなくって、霧の湖よりももっと大事なもんを誰かがどうにかして守っているんじゃないかって言いたかったんだよ……別に、ここに何も無いとは言っていないぜ、ヘーイ」
「あのう……その事ですがね」
 チリーンは微笑んでヘイガニをフォローするように皆へ語りかける。
「ここに来る途中で御一緒した行商から途中でこんな伝説も聞いたのですが……」
「ヘーイ……そんなのいつの間に聞いていたんだ?」
「夜、みなさんが寝静まった後ですよ」
 そう微笑みかけて、レナは全員に顔を向ける。
「伝説?」
 オウム返しにチャットが首を傾げるのを見て、レナは微笑んだ。
「はい、霧の湖にまつわる伝説です」
 レナはもったいぶって微笑んだ。

「なんでも、霧の湖にはユクシーとポケモンが住んでおられますそうで……そして、そのユクシーには、目を合わせた者の記憶を消し去ってしまう力があるそうなのです」
 シデンの背筋に悪寒が走った。シデンはもしかしてそのポケモンに記憶を消されたのではないかと。そう疑いたくなるようなレナの情報を聞いて彼女の呼吸は少し荒くなる。
「なので、もし霧の湖に訪れた者が居ても……ユクシーによって記憶を消されてしまうので、何も発見できなかったのでは? ……と、その行商人は言っていました。ユクシーはそうやって湖を守っているのではないですかね……ハンスの言う通り。
 湖よりも重要な者があるのかもしれないと考えるとワクワクものですよ、みなさん」
「ヘイヘーイ!! そういう事が言いたかったんだ、レナ。ナイスだぜ、ヘーイ!! そうだろ、皆わくわくするだろ、ヘーイ!?」
「うぅ……ちょっとおっかない話でゲスね……」
 記憶を消されると言うフレーズは確かに怖いと、みんなが納得したように肯定する。
「ワシ、記憶を消されたらどうしよう……」
 そんな中、こうやってラウドがいらない心配をすれば、すかさずサニーが反応する。
「あら! 貴方は心配ないですわ。だって、そうでなくとも貴方は物忘れが激しいじゃない」
 サニーが鬼の首を取ったように言えば皆から失笑が漏れる。
「コホンッ……」
 大分逸れた話を軌道修正するべく、チャットは咳払いをする。ようやく静けさを取り戻した所で、チャットは話を続行した。
「まあ、こういった場所には言い伝えや伝説の類はつきものだ……それが、ふたを開ければ大したことがないと言うのも常だが……例外などいくらでもある。
 親方様の創設為された我らがギルドは、これまでもそうした困難を乗り越えて探検してきたのだ」
「その通りですわ。こんなギルドだからこそ、今から本を書くのが楽しみですわ」
「これこそ、親方様のギルドが一流とされる所以だからな」
 俄然やる気を出したサニーとトリニアがはしゃぐように声を上げる。
「よし、みんな。やる気は十分出てきたようだね」
 今まで人形のように静止していたプクリンが皆に問いかけると、全員が力強く頷いた。
「みんなはこれから、探索を始めるわけだけれど……最初は上手くいかずにいらいらすることもあるだろう。でも、心配はいらない、きっと大丈夫。仲間がいるし、これまでの実績だってある……だから、今回の冒険も成功を信じて、みんな頑張ろう」
 チャットの言葉を受けて、おう!! と弟子たちが声を上げた

154:チャットはいつだって弟子想い 


「それで、今回の作戦だが……まず、交代でかわるがわるこのベースキャンプに待機し、その他の者は各自出かけてくれ……集めた情報は、留守番役が逐一記入してくれ。みんながみんなでその情報を共有することで、推理やすい量……また、点と点を繋いで線にする事をしたい。
 ただし、この森は奥へ進めば進むほど深い霧がかかっている……ここでさえ十分深い霧だと言うのに、奥地ともなればそれはもう酷いものだ……
 もしかしたら、霧の湖はこの霧のせいで発見しにくいのだとも考えたが……しかしながら、霧払いの技を使っても、この霧は簡単に晴れていはくれない。こういう霧はなにぶん初めてでね……世界には天候を変えるポケモンと言うのもいるくらいだし、人為的に切りを発生させている何かがあるのかもしれない……でも自然現象ではないのなら、それを破る方法も必ずあるはずだ。
 なので、もし探索中に霧の湖を見つけるか……霧を破る方法を見つけたら……ベースキャンプに戻ってる留守番役に伝言をお願いしたい。作戦なんて呼べるかどうかもわからない単純なものだが、こう言うシラミつぶしの行為は単純な人海戦術が必要だ。
 だから、手がらはみんなで共有するつもりでね」
 最後にチャットは子供を相手にするような優しい笑みを浮かべた。
「それではみんな、頑張っていこー!!」
 その掛け声とともに、仲の良い者同士でチームを組む相談をしたりしながらその場が沸き立つ中で、チャットは小刻みにジャンプしながらディスカベラーとトラスティの三人に歩み寄る。
「さて、その留守番なんだが……君達は今すぐ出発できるコンディションかい?」
「え……オイラは今すぐはちょっと無理かなぁ……」
「だよね」
 肩をすくめてチャットは苦笑する。
「で、ちょっとばかし恐縮なんだが……最初の留守番は君たちとトラスティに頼もうと思うんだけれど……いいかな?」
「あー……」
 間の抜けた声を上げてアグニは顔を曇らせる。
「心はうずうずしてますけれど……こればっかりは仕方ないですね。新人の通過儀礼ということで」
 ふーっ、と溜め息をついてアグニはシデンに振り返る。
「ミツヤ……君もそれでいいよね?」
「うん、休もう」
「それと、何かあった時のためにこれを渡しておくよ……まぁ、高級品だから出来ればあげたくないのだけれど……餞別だよ」
 ちょっぴり悪態をついて言いながら、翼で器用にバッグから何物かを取りだした。ナモの実を腐らないように燻して乾燥させた何とも言えない妙な装飾を施されたリボンだ。
「これは?」
「腹ペコリボンだ……これを付けていると、数秒の内に飢餓状態と似たような感覚に陥り……動けなくなる。水に濡れたポケモンには上手く貼りつくし、体毛や羽毛のあるポケモンならばナモの実がくっついて取れなくなる……まぁ、何かあった時、これをブン投げて助かるかもしれないから……持っておきなよ」
 チャットは相変わらずドクローズのことを心配していた。シデン達は強いので、なんとかなりそうな気もするが。しかして、ドクローズのリーダー、インドールもまた強い。奴に泣かされている探検隊も多いわけだし、この場でシデン達に何かがあってしまえば自責の念も半端ではないのが目に見えている。
 こうして留守番をさせる時以外も持ってもらえるように、返す期限は設定しないでおいた。いつ何時で、何があっても良いようにと、リンゴの森の件での可哀想な行いを詫びる意味も込め、チャットはそれをアグニへ握らせる。
 貴重な道具だが、お詫びにはちょうどいいだろう。
「いいかい、二人とも。いきなり留守番を押しつけちゃったのは悪かったけれど、これも君達を危険にさらさないため……君達は若いから無理をしてしまうこともあると思うけれど、疲れた時はきちんと休む。これは基本中の基本……『まだいける』は『もう危ない』ってね」
「大丈夫ですよ、チャットさん」
 アグニは肩をすくめて笑う。
「眠っていれば、時間は早く過ぎます。だから疲れたら眠る……基本ですよ」
「はっは、アグニも言うようになったねぇ」
「でも、二人で眠ったらみんなに迷惑かかるかもだし……アグニ、どっちが先に眠る?」
「後で決めよ」
 アグニはそれだけ言って、チャットと向き合う。
「それじゃあ、チャットさんも頑張ってください。オイラ達も全力で眠りますので」
「うん、しっかり休んでしっかり探索するんだよ!!」
 遠征に行けた喜びからか、アグニとシデンはチャットに対する怒りも何処かへ吹っ飛んでしまったらしい。許してもらえているのかと解釈したチャットは安堵の息をつくとともに、残った荷物について考える。
 ドクローズ。親方がこの遠征中になんとかすると言っていたが、果たしてどうなる事やら。頼りになるソレイス親方ならば、ドクローズ全員を相手にしても眉一つ動かさずに勝てるだろう。しかして、親方様の折檻は、ときどき洒落にならないことも少なくない。
 それを弟子たちに見られずにうまくやれるだろうか? チャンスを伺っている間にシデン達がやられやしないか? なんて考えると、気が重かった。

(ええい、案ずるより産むが易しだ!! この抜け目ない二人がやられるわけ無いじゃないか……)
 そう思ってチャットが見ている二人は、毒を使う『ヤセイ』が近くにいるわけでもないのに、二人ともモモンスカーフを首に付けている。ドクローズを意識しているのは明らかであった。これならば油断しているドクローズくらい、なんてことないさ。
 この二人ならばきっと大丈夫だと思い直して、チャットかぶりを振る。
「じゃあ、私は荷物をまとめたら行って来るかな!! 休憩が終わって探索を始めてからも、疲れたらきちんと休んでおきなさいよ」
 言うなり、チャットは自分の木の上に作った巣にもどる。彼はテントよりも木の枝のほうが落ち着くのだろうか、雨よけの油紙が貼られた巣は、すでに彼の荷物が満載してあった。

155:不安が爆発 


 二人はテントを張って、一応の密室。まず最初にシデンが起きている役を請け負うことに決まったため、トラスティはすでに眠ってしまっている。
「……みんな行っちゃったね」
 シデンは前脚の片方を床につけ、胡坐をかいているアグニの手を取る。ピカチュウである彼女の短い手でそれを行えば、アグニに密着するくらいの距離にいなければいけない。
「トラスティが残ってるし、奴らものことも油断できない……」
 ドクローズが何をたくらんでいるか分からないため、念のために匂いを嗅いでみるが、アグニはもちろんシデンの華でも彼らの独特の悪臭は薄い。まず、問題なく二人きりだ。
「いいんだよ? アグニなら……君なら、どんな事だって受け入れられる。私の体を探検してみたって、罰は当たらないさ……男の子だもの」
「いや、その……あのね」
 アグニは苦笑する。シデンはハレの日であるこの遠征と言う状況に加え、前回の服を着る日からあと少しで一ヶ月と言った所。それはすなわち、いちばん子作りをしたくなる時期と言う事で。さらに、この見知らぬ土地で恋しあう男女が二人きり。雰囲気作りとしてはなかなかなものである。
 贅沢を言えば、素晴らしい湖の景色で見た後に、夢心地の余韻を残したまままったりとした状況で――と言うのがベストだが、その時は二人きりと言うのは無理がある。一応、遠く離れた茂みかどこかでと言う手もなくは無いが、やっぱり無茶だ。
 だから、今この時が一番のチャンス……なのだが。
「これから本を書こうと思うから、サニーさんに色々見てもらいたいって言っちゃったんだよね……だから、サニーさんはそこまで鼻良くないけれど……」
 鼻はよくなくとも、性交の匂いと言うのは結構分かる。いや、そもそもサニー以外だってこのテントに入る可能性は低くない。先輩たちがテントの中に入ってくるのを断固として拒否するなんて怪しい真似はあまり好ましくない。
「ア~グ~ニ~!?」
 だと言うのにシデンは不機嫌な様子。
「ご、ごめん……」
 アグニの顔に鼻面を押しつけて、シデンはアグニへ凄む。しかし、凄んだかと思いきや溜め息をつく。
「アグニは、私大切にするから、したくないの? それとも、アグニは男じゃないの?」
「……ごめん。ミツヤとはずっと探検隊を続けて行きたいから……ミツヤが身籠ったりなんかしたら、中断しなきゃならないじゃない……オイラはまだ半人前、シデンと一緒に胸を張って一人前になれるまでは……我慢してくれないかな―……なんて」
「まぁ、そうだよね。アグニは探検隊として大成するために自分をパートナーにしたんだし……」
 しばし沈黙。
「チャットはもう、子供もいるらしいね」
 シデンが呟いたその真意は、私も子供の一人や二人欲しいということなのだろうか。未来世界の遠い記憶の中で、卵グループが同じ雌と子供をこさえたコリンと違って、シデンには誰とも番えなかった自分に対する劣等感がいまだに続いているのかもしれない。
「シデンは……探検隊、楽しくないの?」
「ううん、そうは思わない。ただ、少し……自分がこの世界に何を残せるか、考えていたんだ。アグニのように……雲を掴むようなお話じゃなくって……。
 まぁ、身近な事を目標にしちゃうのは仕方ないかもだけれど……変だよね。同居して居る異性がいたら結婚とか夫婦生活とか考えちゃうのは仕方ないにしてもさ……アグニが嫌がっているのに……それを強要するなんておかしいよね、自分」
「嫌がっているわけじゃ……ないけれど。オイラ、まだミツヤが居なくなったら一人で三人分稼げる自信がないから……」
「そっか……」
 シデンは納得する。

 しかし納得しても、それで気が済んだ訳ではない。シデンは座っているアグニの耳を舐める。
「ちょ、ミツヤ?」
 そして顎の線をなぞるようにシデンは舌を這わせる。つつ……つつ……ゆったりと、ゆっくりと、カタツムリの歩みのように。アグニはそのくすったい舌使いに思わず体を強張らせるが、小さい時に親にやられたくすぐり攻撃とは明らかに感覚が違う気がする事に気づく。
 くすぐったいけれど、ぞくぞくして気持ち悪い感覚の他に、もっとやってほしいような、癖になる感覚があるような。気がつけば、触れられてすらいない下半身に感じる違和感。こんな時だと言うのに交尾の準備が出来てしまっているらしい。シデンの角度からは見えないとはいえ、一度意識してしまうと、それだけでむくむくと肥大し立ち上がる雄の証。
 それだけではない。シデンの匂いが近くて、近すぎて、鼻の悪いヒコザルの鼻でも感知できる雌の香りがアグニの本能をかきむしっている。自分は今、エッチなことをしているんだ、その準備をしているのだと否が応無く理解させる生理現象。アグニの年齢にありがちな少年特有の性欲の強さも相まってアグニの性欲はどうしようもない空腹を訴えていた。
 アグニが誘惑に翻弄されている間に、シデンの舌はアグニの唇にたどり着くと、今度はシデンの唇がアグニの唇をそっと挟みこむ。滑るように挟んだ唇を引き抜いたシデンは、ずらした唇同士を重ね合わせて口付けした。
 二人は鼻で息をする。どちらともなく歯の隙間から出した舌の先端同士を絡め合わせ、その官能的な味わいに双方酔いしれた。唾液が乾く時に醸し出される特有の悪臭が鼻につく、しかし『アグニのだから』、『ミツヤのだから』と二人は気にせずその口付けを続けた。
 終わりの見えない口付けであった。二人とも鼻で呼吸しているものだから、飽きるまで、舌が疲れるまでは続けられる。アグニは最初こそ抑えるのに必死だった性欲だけれど、もう波は過ぎ去ったような気がする。
「ふぅ……これでも、ダメ?」
 シデンが強引なキスを終え、潤んだ目でアグニを見つめる。
「あ、いや……」
「子供が出来て、自分と一緒に探検出来なくなるのが不安?」
「平たく言えば……」
「もし、私が……いや、もういいや」
 言葉で説明するのを諦めて、シデンはアグニを押し倒した。
「じっとしていて。きっと、嬉しいことを出来る……」
 もういいや、と言われてアグニはシデンを傷付けてしまったのだろうかと、内心激しく後悔した。諦めたシデンが何をしでかすのかは分からなかったが、ここまで悲しそうな声と表情をされてはこれ以上追い詰めたくは無い。
「じっとしていればいいんだね?」
「うん、ごめん。私のわがまま……聞いて」
 不安が湧き上がってくる。ひたすら不安が湧きあがってくる。不安が抑えきれない。そのせいなのだろうか、シデンは必要以上に生殖本能を刺激されている。ただの単純な吊り橋効果なのかもしれない。
 けれど、それは単純であるが故に逆らいようのない本能だ。子孫を残す行為がダメならばと、シデンは今では遠い記憶となってしまった人間の時と同じように、性的に未熟な子供を犯してしまおうと考える。疑似性交でもいいから、犯して印象に刻みこもうと。
 誰かが自分を覚えてくれるのならば、それは死ではないと。誰からも忘れられてしまうのが本当の意味での死なのだと、安っぽい決まり文句だけれど、そんな気持ちがシデンの根底にもあるのかもしれない。
 子供を作らせてくれないならば、せめてアグニの中に強烈な印象を与えたかった。アグニのそそり立つペニスを見る。なんだか、神聖なものに見える。汚しちゃいけないとか、そんな風に思えるような無垢なピンク色。
 これを、初めて咥えるのが自分ならば、きっとアグニに対して強烈な印象を与えられる。
 そうだ、印象を与えてやれる……そうしないと、どうしても耐えられない。そんな気がしてならないのだ。

156:転生しても変わらない 


 どれだけアグニが嫌がっても、これだけは譲れない。かつて、人間だった時も強烈な不安に駆られたシデンはコリンに対して同じ事をしており、今回もその繰り返しだ。
 性の知識が今のアグニ以上に無いコリンは、激しく嫌がって、気持ちよくなって来てからは身を任せたがアグニはどうなのだろう? 押し倒したアグニを前に、考える。アグニが男連中と仲良く下ネタ交じりに話している所は何度も見ている。性への知識は、それなりにあるはずだ。だからきっと、アグニはこれから自分がする事も当然理解しただろう。
 それでいてなお、受け入れると言ってくれるんだ。
 譲歩した、お互い譲歩した。アグニの言い分は当然の感情だから、わがままでも何でもないのに、自分は譲歩させてしまった。一方的にアグニへ譲歩させたシデンは、ちょっぴりどころではない罪悪感と自己嫌悪。
 アグニは自身のためではなく、わたし(自分)のために色々言ってくれている雰囲気は痛いほど伝わってくる。
 だからこそ、アグニは自身を大事にしない自分を、心配しているかもしれない。
 シデンの脳裏にはマイナス思考が渦巻く。それが新たな不安を呼び、不安から逃避するために発生したシデンの性欲はより強く高まる。
 唇で、アグニのペニスを挟みこんだ。アグニのペニスは反射的に一度ビクンと跳ね上がる。その反応に気をよくしたシデンは唇を滑らせるようにして、アグニのペニスを飲み込む。
 アグニのそれは口の中の奥深くまで入り込み、根元はシデンの唇によって愛撫されている、舌と上あごに挟まれ包まれる感覚。粘膜の滑りに温かみ、自慰の時には感じられない感覚だ。
 力加減自体は、自分の手で扱いた時の加減に勝るものは無いのだけれど、高揚感とこの粘り気は手では再現が難しい。ヌオーやラグラージの手ならともかくとして、少なくともアグニの乾いた手では出来ないこと。
 シデンが咥えた時から感じていた、アグニの高揚が確かなものになって行く。シデンは、アグニに印象を刻みこめるとか、自分がアグニの初めてになれるとか、そう思うだけで心が踊る。
 しかし、上目遣いで見上げたアグニは不安そうな面持ちをしていた。気持ち良くて快感に身を委ねたいけれど、どう行動していいか分からないのだろう。
 このまま、頭を掴んで前後にガシガシとやられても、アグニにされるのならば辛くは無い。わがままを聞いてもらったんだから、恩返しと思ってその辛い状況だって甘んじて受け入れたい。
 いや、むしろ心配する代わりにそんな事をして楽しんでくれればどれだけ嬉しい事か。

 けれど、アグニの表情は不安なまま。やめて、そんな目で見ないで欲しい。アグニは、楽しんでいてくれればいいのに。コリンは、途中から楽しんでくれたのだから。アグニも途中から楽しんでよ!!
 シデンは、アグニに対して何も話しかけなかった。話しかけると、自分の強引な思い込みが剥がれてしまいそうな気がする。不安で不安で、どうしようもなくアグニと仲直りをしたい。アグニに嫌われたくない一心なのに、アグニに嫌われるような事をしているような気がしてならないのが言いようもなく怖い。
 アグニは優しいからきっと許してくれるだろうとは思う。思うのだけれど……でも、心に溝を作ってしまうのは変わらないんじゃ?
 やりたい事でもあり、絶対にやりたくない事でもある成功を続けているうちに、自分のしたい事が分からなくって、シデンは涙を流した。言葉がまとまらない、感情がまとまらない。
 それが涙となってあふれだした。少ししょっぱくてぬるぬるする味、これは涙じゃなくってアグニの先走りの味。
 アグニは、私の攻めに感じている。
 シデンは口の動きを激しくする。アグニを昇天させて、こんな不毛なことはさっさと終わらせようと。アグニは何も語らず、前触れの無い爆発でシデンの口の中にはアグニの精液がまき散らされた。
 じっと身を任せているアグニにとっては、どう頑張っても止められない生理現象だ。ドクドクと脈打つそれから放たれる白濁液を口の中にため込み、全て飲み込む。
 味とか、そんなモノはもう何も感じなかった。
「ミツヤ……あの、ミツヤ?」
 シデンはボロボロと大粒の涙を零して泣く。
「ごめん……自分、突然不安になって……その不安を何も言葉に言い表せなくって……それで、こんなこと……最低だよね、淫乱で、変態で、見損なったよね……ごめん、アグニ、ホントにごめん……」
 シデンは土下座して、テントの床を濡らす。泣いたまま土下座の姿勢を崩さないシデンの体を手繰り寄せるようにアグニは彼女の背中を撫でた。
「ミツヤ……オイラには、君の何が不安なのか、全然わからない。分かってあげられない……それは、オイラだってとっても悔しいんだ。シデンにの苦しみを……抱きしめてあげられないのが」
 アグニがシデンの背中をぎゅっと抱きしめる。爪の先端が、少しだけ食い込んだ。
「……でも、その不安が現実になったとして、オイラだけじゃなんとか出来ない問題なの?」
「記憶が戻ったら、自分が自分じゃなくなってしまう気がする……だから、アグニを嫌いになっちゃうことだってあるかもしれない。それだけでも嫌なのに……記憶が戻ったらアグニと二度と会えないような……そんな気さえしてくるんだ。
 そんな不安を感じた時……自分、なにもわからなくなっちゃったんだ。セックスすれば救われるような気がしたんだ……わからないけれど、なんでかわからないけれど……
 自分は、誰にも忘れて欲しくない。何も残さないまま消えたくない……だから、アグニに強烈な印象を植え付けてやりたかったし、あわよくば子供でも何でも残してみたかった……そんな勝手な欲求で、自分は何を……」
 震える視線を明後日の方向へ向けてシデンは声を絞り出す。頼りない声が、シデンの不安をそのままアグニへ伝えていた。
「シデン」
 震える体をアグニが抱き抱える。
「不安なのは、オイラも一緒。突然手に入った君だから、逆に突然離れて行っちゃうこともあるかもしれない」
 アグニも、目じりを濡らして涙を流している。
「けれど、どんな事があっても一緒に乗り越えていこうとか、気休めにもならない言葉かもしれないけれど……ねえ、ミツヤ。オイラと……一緒に乗り越えようよ。
 正直、ミツヤが泣いているから楽しめなかったけれど、その……なんだかんだで気持ち良かったしさ」
 アグニは顔を熱した調理器具のように熱くしてその台詞を告げる
「今度は、二人とも泣いたりしないで出来るかな? 不安だからああいうことをするとか、そういうんじゃなくって……純粋に愛し合ってさ」
 鼻を啜り、アグニがかろうじて笑う。
「不安から逃げるためじゃなくって、今度は楽しむためにやろう? 二人とも泣くなんて……二人同時に泣きながらこんなのは……絶対おかしいしさ」
 アグニの励ましに、シデンは泣きやまない。
「最低でも、淫乱でも……きっとオイラはミツヤを受け入れるからさ」
 シデンの泣き声が止んだ。
「アグニは、本当に優しいね……」
「ま、まぁ……そう言ってもらえると嬉しいよ」
「だから甘えたくなっちゃうし、アグニと会えなくなるって思うと不安になるし悲しいし……全部アグニのせいだ」
 シデンは目を合わせずにアグニへ告げる。恨み節のように告げて、確かな感謝が顔をのぞかせていた。
「こんなに私を惚れさせた責任取れる?」
 涙を流しながらシデンは微笑んだ。
「責任……とるけれど、さっき取らされたばっかりだから、今すぐは勘弁してよね?」
 アグニは苦笑した。苦笑して、シデンが落ち着いた事に安堵をおぼえた。シデンは長く細くため息をつく。
「自分は……アグニが好き。好き、依存しているって言っても間違いじゃない……それでも、自分の不安に押しつぶされそうな時は、アグニをめちゃくちゃにしてでも自分の欲求を叶えたくなっちゃう……最低だって、自分自身で思う。
 アグニは、自分にはもったいないくらいだよ……それでもいいの?」
「まぁ、シデンが言った欠点だけを見れば最低で釣り合わないかもしれないけれど……オイラにだって欠点はあるし、ミツヤの良い所なんて星の数じゃない。何が不釣り合いなものか……ミツヤはいい女じゃない」
「こんな私を抱きしめてくれて……ありがとう」
「何回も聞いた台詞だけれどさ……何回言われてもいいもんだね」
 アグニはシデンの手を自身の両手で包みこむ。
「何があったのかは知らないけれど……オイラはもったいないなんて思っていない。オイラを引っ張って、探検隊になる勇気をくれたのはミツヤなんだ。だから、釣り合うとかそういうのなんて考えないで良いじゃない……相思相愛、等価交換。ね、ミツヤ?」
「うん……」
 シデンは相変わらず目を背けていたが、やがてアグニと目を合わせて口にする。
「アグニ、大好き」
 シデンはアグニに抱きつき押し倒す。今度の押し倒しには何の抵抗も不安も感じず、恋の高揚感をともないながらアグニはシデンの抱擁に身を任せた。

「そう言えば……」
 抱きしめられながら、シデンはふと思う。
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
 行為の最中に、一瞬だけ誰かの名前を思い出したような気がするが、シデンはもう何も覚えていなかった。

157:さぁ、探索だ 


 子供を欲しがると言うのは、生物としてあって然るべき感情だし、前回の月経の日時から考えれば今が最も性欲の高まる時期。遠征という特殊な状況も相まって、シデンが今日を特別な日にしようと思うのはある意味当然なことなのかもしれないけれど、正直あんな方法で特別な日を演出するのは何かが間違っていると言わざるを得ない。
 シデンとて、自分がどこかおかしいことも理解していた。無くした記憶に不安の原因があり、不安が自分を突き動かした事は分かるのだが。不安の出所は、記憶が元に戻りそう、記憶を取り戻したら自分が自分で無くなりそうという事なのだが、そう無意識に感じてしまう自分の記憶はいったいどういう内容なのだろうか?
 知りたいけれど、知りたくない。いっそのこと、全てを忘れてしまっていたら楽なのに……と、シデンは考えざるを得なかった。

 自分は何故かこの場所を知っている気がする。そして、記憶を消す力があると言うユクシーというポケモンの伝説。この二つが偶然とはどうしても思えない。記憶をなくす前の自分はここに来た事があり、そしてユクシーに出会い記憶を消された。そうは考えられないだろうか?
 それが、記憶を取り戻すチャンスと言えば心は躍るのだが、もしそれがアグニとの今生の別れの切っ掛けなのだとしたら? 根拠は無いけれど、そんな気がする。猛烈にする。その前に、アグニを愛した証を残したかったのかもしれない。……あーあ、今考えても残念だ。
 アグニに対してはあんな風に言ったし、自分がただ淫乱なだけなのかもしれない、とはどうしても思えなかった。
「ミツヤ、なにボーっとしているの? 眠いならオイラが起きて留守番して居よっか?」
「いや、大丈夫……」
 シデンは強がってアグニに笑いかける。
「っ……そう」
 アグニは何かを感じ取ったものの、それが何かはわからずそっけない返事を返す。さっきの事もあるし、そっとしておいた方が今は良いだろうと。
「眠くなったら言ってよね。オイラはいつでも代わるからさ……」
 そう言ったアグニは少々不安そうな面持ちで、いらぬ心配をかけてしまったことを申し訳なく思いながら、シデンはお休みとアグニに声をかけた。
 アグニが寝息を立て始めると、シデンはアグニの顔を撫でてため息交じりに口付けを交わす。
「私の分も……素敵な夢を見てね、アグニ」
 そのまま手を一点に伸ばしてしまいたくなる衝動を押さえて、シデンはベースキャンプでただ一人起きていた。

 ◇

「よっしゃあ!! たっぷり眠って元気百倍!! ミツヤ、頑張っていこー!!」
 二番目に留守番を任されていたジェイク=ディグダとトリニア=ダグトリオ親子が戻って来た。地底から探索してみようと言う彼らの試みは、何の成果もなかったらしく落胆した様子で彼らは帰って来て、シデン達と交代する。
 そんなに簡単に見つかるものでもないさと、作業をしながら待っていた三人に励まされつつ、二人は次の留守番に回る。さて、探索はどのようになるかと言うと、トラスティは水辺に暮らすビッパである事を活かし、水の匂いのする場所を重点的に探すのだと言う。
 ヘイガニであるハンスと同じ発想だが、やはり適材適所という基本は押さえておくにこしたことは無い。
 ついに出かけることとなって、アグニは活気に満ちあふれているが、反面ミツヤはと言えば芳しくない状況だ。

 心に溢れ出て来るのは、ただひたすらに不安一色。この霧の湖に何かがあり、そしてそれが自分の記憶に関わっているかもしれない。そして、記憶を取り戻したら自分が自分ではなくなる気がして――
「ミツヤ……まだボーっとしてる? オイラがおぶって行こうか?」
 元気が有り余ってしょうがないアグニは、ミツヤの背中を叩いてご機嫌な表情を振りまく。
「いや、大丈夫……」
「無理しないでよミツヤ? 大事な体なんだから……無理しちゃダメだよ。辛いならもう少し休んでおいたほうが……」
「考え事をしているだけ。ほら、みんなが皆探しつくしているわけだから、普通に探したって見つかるわけないと思うんだ……だから、普通じゃない方法って何なのかをね……」
「なるほど……チャットの霧払いや、サニーの日本ばれもダメとなると……何かそれ以上の力をもった何かが存在しているってことだよね」
「今までの出来事が普通じゃない時は、普通に考えてもきっと見つからないと思うんだ……だから、なんて言うの? 普通じゃない方法をね……考えてたって……同じ事言っているなぁ自分」
「あはは、それだけ考えに集中しているって事でいいじゃない」
 本当の所、シデンは違う事を考えている。しかし、それを言ってしまうことでアグニに余計な心配をかけることもなかろうと、シデンは嘘をついた。

 そうして、考え事をしながら周囲にも一応目を配りつつ、シデン達は探索を続ける。そして、やっぱり見つからずにベースキャンプに戻ることを二回ほど。その二回の探索はアグニが先頭に立っていたため、今度は今度はシデンが探してみなよという事に。
 先頭を任されたシデンは、懐かしい感覚の赴くままに探索を始める。どこかで、自分が体験したことをなぞるような独特の浮遊感に導かれながら森を抜けてたどり着いたその先、木々の隙間から青空を覗けるギャップ。
 残念ながら霧が覆っているために、青空を仰ぐことは叶わないが、森の中で木に登らずとも空を見られる場所は貴重である。
 真っ白な空を見上げながら、二人はどちらともなくここで休憩しようかと、コケとカビが覆う木の根っこに腰掛ける。じめっとした水滴が木の肌から体毛に吸収され、毛皮が濡れ重くなる感触。しかし、ほてった体を冷やしてくれるその感覚に、二人は快感を覚え溜め息をついた。
 休みながらそのギャップの中心付近に目をやると、落ち葉の影に隠れるようにして、何か違和感のある物体が。
「あれ、なにかな……」
 興味を示したアグニが真っ先に立ちあがり落ち葉の中からそれを拾い上げる。
「なんだろこれ、リンゴのように赤い綺麗な石……カーネリアンとも違うし……まるで宝石みたい。それにすごく暖かい……」
「暖かい……ってどういうこと?」
 その言葉の意味がいまいちつかめないシデンは
「言葉の通りなんだけれど……」
「ふぅん……それって気のせいじゃ……」
 言いながら、シデンが触れる。
「ないみたいだね。本当だ、暖かい……」
 それは、太陽光で温められた石が夕方になってもまだ熱を帯びているような。夏の浜辺で拾う石のようなぬくもりだ。
「でしょ、不思議な石だよね……溶岩でもなさそうだし、なんなんだろ?」
「……っそうだね」
 こんな不思議な物を触れたのだから、あの眩暈の一つや二つ起こればいいのに、とシデンは歯を食いしばる。シデンのこめかみには力が入っていたが、石を凝視していたアグニは気づかなかった。

158:探索って難しい 


 そうして、ちょっと不思議な石を発見した後は、目ぼしい発見も無いまま時間が過ぎる。
「おかえり!」
「ただいま、チャットさん」
「ただいま」
 丸一日歩きまわって、結局ベースキャンプに戻って来た時には、チャットが出迎えてくれた。
 疲れている時には、はきはきとしつつも労わりのあるチャットの声はなんだか癒される。疲れたからだから気力を振り絞って元気よくただいまと返すのも苦ではなく、戻ってきたことを実感すると二人は満足げに溜め息をついた。
「どうだい、二人とも? 何かわかったかい? 大変だろ、探検ってさ」
 初めての探検はチャット自身も大変だったのだろう、若い頃の自分に目の前の二人を重ね合わせて、チャットは尋ねる。
「そりゃもう……はしゃぎ過ぎたって感じはありますね。若いってのにこんなにも疲れちゃうんじゃちょっと情けないかもとは思っているんですけれど……どうにもこうにも難しいものです」
 苦笑いを浮かべてアグニは質問に答えた。
「自分も、アグニと一緒に楽しめればそれでいいやって思っていたけれどね。とても楽しむ余裕がなかったよ……夜が開けるくらいの頃には会話すら億劫になっちゃって……はは、っていうかもう休ませてくれません?」
「あぁ、ごめんごめん、二人とも。そりゃまあ疲れるよね……で、何かわかったかい?」
「探検が大変ってことは分かりました!!」
 元気よく。否、空元気でアグニは答える。
「はっは、そりゃよかったなアグニ!! いいぞ、一流の探検隊に一歩近づいたじゃないか。探検は大変、大発見だぞ!!」
「はーい!! うーれしーいなー……」
 溜息と混ざった言葉だけの嬉しいという感情表現をして、アグニはフラフラと自分達のテントへと向かって行く。
「ごめんなさいね、チャット。アグニも自分も疲れちゃってて……」
「いいのいいの、報告は後で聞かせてくれればいいからさ。それじゃ、ゆっくりお休みね」
「はい、チャットさん。留守番ごくろうさまです!!」
 結局、なにも見つけることは出来なかったけれど、こうしてひたすら不毛な作業を続けているこの疲れた時間も含めて探検隊なのだなぁと強く感じられる。
 その疲れを噛みしめているうちにアグニは、ふと『苦しむのも、疲れるのも、苦労するのも幸福へのスパイスだ』と、かまいたちが語っていた事を思い出す。開拓は苦しいし辛いし疲れるけれど、香辛料があるからやっていけるのだという彼らの言葉、今のアグニにはなんとなく理解できる。スイカに塩を振って食べるのが美味しいように、こんな経験もまた充実した生活への糧であり先行投資なのだ。
 アグニは、みんなで宝物を眺める光景を瞼の裏でイメージする。その風景が現実になることをひたすら夢見ていると、なんだかそれだけで幸福な気分になれた。やがて夢の世界へ堕ちていっても、彼の笑顔はそのまま夢の世界でも継続していた。



 翌日
 前回の探索では、ダンジョンを通らずに探索した二人だが、今回は思い切ってダンジョンを突っ切って探索へ向かう

 だめだ……頭にまで霧がかかったみたいだ。自分はここを知っている……ここに来たことがある気がする。レナが言っていた……ここには記憶を消す能力を持つポケモン……ユクシーがいるって。
 じゃあ……これは以前ここに来た私がユクシーに記憶を消されたって言う事? ありえなくはない。
 でも、何故こんなところに来たの? 自分が人間であったこととの関連性は? 分からない……けれど分かるかもしれない。鍵が……ユクシーにあるかもしれない。

「シデン……? 何ぼーっとしてるの? ほら、あっちから微かに音がするんだ……行ってみない?」
 なるほど、シデンが耳を澄ましてみれば確かにそちらから音がする。それだけではない。近づくごとに濃くなった湿気。霧は重みを増して、毛皮にまとわりつく水滴の量は今までの比ではない。大きな滝がある、と実感させるには、聴覚も視覚も必要ない。触角と味覚だけでも十分な、濃い霧。
 口笛の音さえもかき消してしまいそうなその轟音に加え、一っ跳びの距離でさえ影が怪しくなる視界の悪さ。更に、コンパスも利かないし太陽光はさえぎられている。二人は、その条件の悪さに思わず唾を飲み込み、絶対にはぐれないように手繋ぎ祭りの時のように手を繋ぐ。

 その音に導かれるように行ってみると、見えて来たのは柱。柱のような滝だ。普通、空気抵抗でばらばらに砕けてしまう滝が、まるで筒の中を通り過ぎるように柱のような形を保って落ちている。もちろん、空気抵抗で砕けて霧になる水もあるにはあるのだが、その量は少ない。否、滝が太すぎると言った方が正しいか。
 滝が太すぎて、砕けた水滴が気にならないほどの滝。勢いなんて、初めての冒険で訪れたあの滝つぼの洞窟の比ではない。触れた瞬間バラバラになるどころか、近づいただけでバラバラになりそうだ。
 どこから流れているのか、途方もないくらい高い所から。見上げても、距離の答えは出ない。
「すごい! 水がところどころから滝の様に流れ出してる」
「ホントに……もう、言葉に出来ないくらいすごい滝だけれど……でも、コンパスも利かないここで……こんな状態。どうしよっか」
 シデンが自信を現実に戻すような一言を発する。ようやく、アグニも危機感を感じ始めた。
「そっか……コンパスも利かないから……迷っちゃったり……してる? ここ……どこらへんなんだろう? ここが一番森の奥地だとして……どうやって戻ればいいかもわからないし」
「ここは台風の目でも無い、完全にダンジョンの外だし……そうなると本当にどうやって帰ればいいのやら? ダンジョンを出てから音を頼りに進んできたけど……自分たち迷っちゃったかねぇ」
 二人揃って途方に暮れて、これまでの疲れを癒すようにどちらともなく腰を落ち着けた。寝ることこそしなかったので、アグニの炎はまだ灯っている。それを見たのかそれとも偶然か、仲間が自分達の事を見つけて近寄って来た。
「ヘイヘ~イ」
 姿を現したのはハンスだ。
「あっハンス……君も来ていたんだ」
「ヘイヘ~イ。何か手掛かりとかあったかよ? オイラ意気込んで来たものの結構みつからねぇもんだなぁ」
 ハンスはふう、とため息をつく。ただいま迷子を自覚しているアグニとシデンにとってはこっちも溜め息をつきたい気分だ。
「そんなに簡単に見つかるんだったら、今頃地図を売っている店が潰れるってば。新しい地図を次々描くことが出来なくなるんだからね。もちろん僕たちはまだ何にも見つけていないよ」
「ヘイヘ~イ……ま、仕方ないわなぁ。とはいえ、手がかりって言えるかどうかは分からないんだけどよ、怪しいものなら見つけちまったんだぜ」
 と、それまで浮かない顔をしていたのは、ハンスのフリであったらしい。
「こいつはオイラの手柄かもしれないと思うと、心が踊るぜヘイヘーイ!!」
 得意げな顔をうかばせたハンスは、自信満々に二人に威張っている。

159:グラードンの心臓 


「へぇ、なにそれ? オイラたちにも教えてよ」
 その威張り方が鼻につくよりも先に、アグニには嫉妬心がわき上がった。もしそれがハンスの手柄ならば、その手がらオイラが欲しかったのにぃ、と。子供のような、そして実際に子供なアグニの可愛らしい嫉妬である。羨む事はあっても、敵対心のような攻撃的な思考は生まれない、本当に無邪気な嫉妬心だ。
 だから、意地になることもしないでアグニは好奇心を優先させる。ちょっとした、細かい感情の動きだったが、アグニがハンスに嫉妬していることが分かると、シデンは彼が可愛く思えて微笑んだ。恋人同士だったり親と子のような関係だったり、自分にいろんな顔を見せてくれるアグニが、シデンは好きだった。
「ヘイ! それじゃあこっちに来いよ」
 そう言ってハンスは手招きする。霧に隠れて見えなかったその先にあった物は、がっしりとした体格に小さい手足が付いた、直立が可能なポケモン。見た目としては、怪獣グループのポケモンに近く、ガルーラのような極端に太くもなく、ガバイトのように細身でもない、中間くらいのふとましさといったところか。
 体のところどころに模様が入っており、溝のように刻まれたその模様は普通のポケモンにはあまり見られない。地面タイプや鋼タイプの、とりわけ卵グループが鉱物であるポケモンにはこういうポケモンは多いが、どちらかと言えば怪獣と陸上の複合に近いように見える。
「な、なんなのさこれは?」
 見れば見るほど不思議なポケモンを見て、アグニは首を傾げる。
「俺も良くわかんねぇんだけどよぉ、なんかのポケモンなんじゃねぇのか?」
「自分はこんなの見たことないけど……」
「オイラも……それにしてもかっこいいポケモンだなぁ」
 アグニはそう言って像に近寄る。
「俺もみたことねぇ。想像上のポケモンって事かね?」
 そんなハンスの言葉を尻目に、アグニは自身の毛皮と爪で像の表面についた汚れやコケを削ぎ落す。
「あれ……ここに何か書いてあるよ」
 アグニが像にびっしりと生えた苔を腕で拭いとると、姿を現したのは何かの碑文。

「よかった……アルセウス信仰の文字だ。これなら読めるよ……」
 意外に勉強家なアグニは、外国の言語もまるで当たり前のように読めると言い放つ。神は全ての者に対して平等に言葉を与えたがために、多くの言語は国を挟んでも日常会話くらいならある程度通じるが、アンノーン文字を除いた数多の文字は神ではない者が作りあげたために、その形や言葉の表し方は千差万別だ。
 そのため、意外にも異国の文字を読めない者が多いので、アグニのこれは結構なステイタスと言っていい。
「でかしたアグニ!」
 その頼もしさに、シデンのテンションも上がって、囃し立てる。
「ヘイヘーイ! さっそく読んでみてくれよ」
 しかしながら、そこに刻まれた文字は相当風化しているらしく、また言葉も時代を経たせいか変化が激しいようで、アグニは読むのに苦労している様子だ。やがて、頭の中で文章を整理し終えて、ようやくアグニは喋り始める。

「『グラードンの命燈しき時 空は日照り 宝の道開くなり』……宝の道だってぇ!?
 ミツヤ! 宝ってまさかこの霧の湖にあるお宝の事かなぁ。宝の道が開くって事は……もしかして霧の湖に行くカギがここに隠されているって事かも!! っていうか、これがグラードン!? グラードン信仰に描かれている絵と全然違うから分からなかったし……っていうか、なんでこんなアルセウス信仰のある所にグラードンの彫像が? ……あぁ、気になることが多すぎるよ!!」
「ヘイヘイヘ~イ! そいつはすげえな? とにかく、一つ一つ頑張って疑問に答えを出そうぜ、ヘイヘ~イ」
 言われるまでもなくアグニは考え事をし始める。そして一言ぽつりとつぶやいた
「じゃあ、まずは宝のありかについて考えよう……この『グラードンの命』って言うのは何を指しているんだろうかね? グラードンって言うのはこの像の事だと考えると……」
「じゃあ、この石像に命をともせばいいってこったなぁ。ヘイヘ~イ……で、その命って何だ_」
 お宝発見に光明が見えたせいかハンスは興奮する。アグニは内心穏やかではないだろうが、しっかりと思考を張り巡らせている。
「具体的にどうするんだろうね?」
アグニがまたつぶやく。もっともな意見だが……本当にどうしたものやら。
しばらく考えた結果、ある考えが浮かんだようで、ポンと右手で左手を叩く。

「そうだ、シデン。この石像に触って見てよ。シデンなら……何か見えるかも知れないよ」
 シデンもちょうどそう思っていた。霧の湖へ行く道が、そして自分の過去をひも解くためのカギがこの石像にあるのならばやらない選択肢はない。
「やる、あの眩暈はちょっと嫌だけど……それ以上にずっと嬉しいことがいつでも待っていたから……」
 だから、今回も嬉しい事が待っていてくれるだろうと信じて、シデンは石像に手を伸ばす。
「やってくれるんだね」
 アグニがシデンに声をかけると、シデンはアグニの方を振り向かずに頷いた。眩暈というのが何のことかわからないハンスは首を傾げてその様子を見守っている。
 シデンが息を飲む。自分の手が像に触れるその瞬間、周囲の景色が黒に溶けて、暗闇の中から一人の声が聞こえる。

【「そうか……ここに、ここに洞窟の入口があるのか」】
 今のは? 今のは誰の声だったんだ? それを考える間もなく……連続でめまいが襲ってくる。
(ま、また来るの?)

【「なるほど、グラードンの心臓に日照り石をはめる……それで霧は晴れるのか! 流石だな……やっぱり俺のパートナーだ」】
 今まで見えたものとは少し違う。今回、シデンは映像を見ることは叶わず声しか聞こえなかった。そして、その声の主が誰の声なのかさえ全く分からない。
 あの声……あの声は一体誰だったんだろうと、シデンは考える。どんな声なのかすらも印象に残らなかったが、シデンは何故か溢れ出る涙を抑えきれない。
「シデン……大丈夫? 泣いているの? 何を見たの?」
 アグニの声で自分は現実に引き戻される。シデンは声が何を言っていたのか思い出す。鼻孔にたまり始めた鼻水を音を立ててすすり、シデンは涙を拭いて口を開ける。
「えっと……確か日照り石をグラードンの心臓にはめるとか……。でさ、日照り石ってさっきの……赤い石じゃないかな? なんだか、曰くありげな石だったし……」
 シデンに言われて、アグニは自分のバッグをゴソゴソとまさぐり赤い石を取り出した。
「これを心臓にはめるって事? ……分かった。やってみるよ」
 グラードンと思しき石像の胸には、くぼみがあった。心臓のあるべき場所にぽっかりと空いたくぼみが。アグニは背伸びしても届かないその場所へ、グラードンの体中に刻まれた模様の溝を手掛かりに登り、グラードンの首にロープをかけると脚でロープにつかまって逆さづりになりながら石をはめる。
 流石というべきか、アグニの身のこなしの軽さはギルドの中でも並ぶ者はいないほどで、手際もいい。先輩であるハンスも嫉妬するほどの鮮やかな作業だったなんてアグ二は知る由もなかった。
 随分と危なっかしい体勢だがしかし、しっかりとバランスをとっているアグニは危なげない。ロープを足で掴んでいた状態からアグニは腕に掴み変え、そのままロープを上ってグラードンの首から結びをほどく。
 アグニは全く安全そのもので、それなのにシデンは自身の中に感じる圧倒的な違和感と恐怖。自分が、自分じゃなくなるような、
 アグニと、友達じゃ、無くなるような。

160:殺し合いの時 


 思考が停止する寸前に、石像が激しい光を放つのを見てシデンは我に返って目をつぶり、顔を伏せる。それでも瞼の裏を赤く染める程の強い光はすぐに収まった。恐る恐る目を開けてみれば、あるのは――
「太陽だ……」
 アグニがまず最初に感嘆の声を上げる。
「靄が……消えたな……ヘイ……」
「あぁぁぁぁ……お日様が眩しい!! やっと太陽が見れたぁぁぁ!!」
 内心、アグニはこの霧にかなりウンザリしていたのかもしれない。諸手を挙げて太陽を仰ぐ姿は、まるで太陽を信仰しているかのよう。いや、ホウオウが太陽の擬人化なのだからその通りなのだが、いつもの雨の翌日よりも随分と盛大な喜び方である。
「すごいね……この石像……」
 シデンも、久々の太陽を喜びながらグラードンの石像に触れる。炎タイプのアグニも大概だが、草タイプのサニーともなればアグニ以上に太陽が恋しかろう。今頃どんなふうに喜んでいるんだろうと考えると、シデンは自然と笑顔になった。
「う、あ……」
 しかし、狙いすましたようにあの眩暈だ。
【「『今日は死ぬかと思いましたわ……実際、チャットさんも死んだ。私が光合成さえ使えていればあの時守られる必要もなかったし、チャットも死なずに済んだのに……太陽が、太陽さえあれば……レナ、チャット、みんな。私も、遠くないうちにそちらへ行きますわ。その日までは、とにかく弱きを守るために戦うだけ戦いますわ。
 私を生かすために犠牲になってしまった貴方達に寂しい思いはさせません……
 時間が停止して68回目の食事後』」】
 女性の声であった。何かを朗読していた様子だが、喋り口調はどう考えてもサニー。そしてチャットやレナという単語は、明らかにこのギルドのメンバー。死んだ? なんで?
「シデン、太陽に見とれるのもいいけれどさ……」
 西日を見ながら硬直していたシデンの肩を叩いてアグニは上空を指さす。

「靄が晴れてやっとわかったんだけれどさ……」
 見上げた先にあるものは、ワイングラス状の形をした摩訶不思議な地形だ。支えている柱状の部分も、その太さだけで一周を全力疾走しきれる気がしない。見上げる広大な湾曲部分は天を覆い隠しており、空中庭園と称して何ら違和感がない。
「霧の湖が誰にも見つからなかった理由ってさ……あれじゃないのかな?」
 抑えきれないワクワクが沸騰した熱湯のように沸き立っている。アグニの顔は、冷静な探検隊を演じたくて仕方がないのに、どうしても笑顔が、笑顔が、笑顔が抑えきれない。
「ヘイ……つまりアグニが言いたいのは……まさか、霧の湖はあの上にあるって事かよ、ヘイヘーイ!?」
「オイラはそう思う……よ。いや、そうじゃないとしてもいいじゃない。あれ、オイラ達探検隊の知的好奇心をくすぐる……最高の場所じゃない。例えあれが霧の湖じゃなかろうと霧の湖だろうと……っ大発見だよ!!」
 アグニの顔が太陽よりも眩しい。爛々と眼を輝かせるこの表情は、三歳児でもあまり見られまい光を伴っている。
「ヘイヘイ、アグニ。お前お手柄だぜ……よし、その手がらに免じて……オイラに一番乗りに探索させろとはいわねぇ。オイラ、ギルドの皆に知らせてくるからよ、おめえ達は頑張って先を行ってくれ!!
 いよっしゃぁぁぁぁ、いい後輩を持ったもんだぜ!! 報告の帰還にも気合が入らぁ!! 俺等、伝説になれるぜ、ディスカベラーたちよう!!」
 ハンスは小躍りしながら、自身のハサミで頬を叩いて気合いを入れる。駆けだす足も軽やかに、彼は颯爽とした足取りでベースキャンプへと戻って行った。
「行こうか、ミツヤ!!」
「そうだね、アグニ……行こう。行って、世紀の大発見でも何でもしてみようじゃない!!」
 そう言って微笑みながら、シデンはアグニの手を握ってそのぬくもりを味わう。
「そうだね、頑張ろうミツヤ!!」
 そうして、応えるようにアグニが握り返してくれるのを感じて、シデンは誰にともなく頷いた。
 この温もり……絶対に離してなるものか!! そう、そのためにも……私たちの障害は一つ一つ排除していかなければならないんだ。

「ありがとう……アグニ。でも、その前に!!」
 シデンは溢れ出んばかりの殺気を地面に向ける。
「覗きは趣味が悪いよ、ドクローズ!!」
 堅く封を為された瓶をバッグの中から取り出して、冷たい声でシデンは威圧した。






次回へ


コメント 

お名前:
  • >2013-11-03 (日) 02:46:36
    大体はお察しの通りなのです。ダークライの件がなかったら、アグニを成長させるためにも消えたままにするのが神としての役割だったかと思います。
    シデンを復活させたのも、おそらくは苦渋の決断だったのでしょう。ソーダは……私ももうすこし救ってあげたい気持ちですw

    テオナナカトルは、その通りコリンたちの世界の未来ですね。すでにコリンたちの戦いは神話になっているようです
    ――リング 2013-11-22 (金) 00:37:02
  • ふむふむ、こうして読むともし原作のストーリーにダークライの話が無かったら、リングさんバージョンはシデンが復活しないまま終わってたのかなって思いますね。

    ソーダがちょっと可哀想でした。

    テオナナカトルって多分、コリンたちの世界の未来の話ですよね?
    ―― 2013-11-03 (日) 02:46:36
  • >狼さん
    どうも、お読みいただきありがとうございました。
    『共に歩む未来』のお話では、もう一つの結末というか、私としてはこちらのほうがよかったという結末を書いて見ました。
    ディアルガのセリフから察するに、本当の未来はシデンが生き返らない方であったという推測が自分の中でありましたので……。
    こんな長い話ですが、読んでいただきありがとうございました
    ――リング 2013-06-26 (水) 09:49:35
  • 時渡りの英雄読ませていただきました。私は探検隊(時)をプレイしたのでだいたいのことはわかるのですが時渡りの英雄ではゲームとは違ったおもしろさがありゲームではいまいちでていないところまで実際そんなストーリーがありそうな気がしたり(当たり前か)してとてもおもしろかったです。
    『ともに歩む未来』では[シデン]が蘇らないのかと思ったら[アグニ]の夢というおち、少しほっとしたり…。
    これからも頑張ってください。
    ―― ? 2013-06-17 (月) 21:31:32
  • 時渡りの英雄これから読んでいきたいと思っています。
    時渡りの英雄は10日ぐらいかかると思われます。
    読むのが楽しみです
    ―― ? 2013-05-25 (土) 02:02:01

最新の5件を表示しています。 コメントページを参照


トップページ   編集 凍結 差分 バックアップ ファイル添付 複製 名前変更 再読み込み   新規作成 ページ一覧 ページ検索 最近更新されたページ   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2011-09-24 (土) 00:00:00
This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.