「初めまして、ヘルガーのおじさま。今日はよろしくお願いしますねっ」
バトルフィールドで向かい合ったロズレイドの少女は、そう言って白い花弁に覆われた頭を恭しく下げた。
足下まで届く葉っぱのマントを風になびかせ、両の手に携えた紅と青の花束を優雅に揺らしながら、深緑色をした仮面の奥で艶やかな視線を光らせる。そんな彼女の仕草を見て、ヘルガーはキョトン、とした顔で目を瞬かせた。
ふと相手のトレーナーに目をやると、何故か逃げるように視線を避けられた。
背後に気配を向ければ、自分のトレーナーがニヤツいた笑いを噛み殺しているのが感じ取れる。
何やら揃って含み有りげな周囲の様子に、ヘルガーは小さく、
「…………へぇ」
と感想を述べた。
☆
長雨が続く、初夏の日曜日のこと。
「急な話で悪いんだけど、今日対戦することになったんだ。先発を頼みたいんだけど」
炎ポケモンとして晴れぬ空に憂鬱な想いを燻ぶらせていたヘルガーは、トレーナーから突然そう申し出られたのだった。
「対戦って……こんなしみったれた日にかよ。かったるいなぁ。しかも俺が先発って、うちには他にも先発向きの奴なんていくらでもいるだろうに」
気怠げに抵抗を試みたが、トレーナーはなおも頼み込んできた。
「雨っていっても、対戦場所はポケモンセンターの屋内だよ。問題はないだろう?」
「相手に雨乞い使われるかもしんねーじゃん」
「それは晴れでも雨でも霰でも同じでしょーが! 愚図ってないで聞いてくれよ。実は今回の相手っていうのは――」
出された名前に、ヘルガーは思わず顔を上げた。
相手はトレーナーの古馴染みで、ヘルガーとも深い親交のある人物だったのだ。
基本的にこの町に定住している彼らに対し、そのトレーナーはあちこちを常に旅して巡るタイプで、ヘルガーも以前一時期預けてもらい、各地を冒険したり色々世話してもらったりしていたのである。
「……そうか、久しぶりにこっちに来たんだな」
「うん。でも明日にはまた旅立たなきゃいけないから、バトルできるのは今日だけなんだよ。滅多に会える相手じゃないし、お前の顔も見せたいしさ。そんなわけで、どうか頼まれてくれないか?」
頭を下げたトレーナーに、ヘルガーは身体全体をんっ、と伸ばして、
「ま、あの人とのバトルなら、顔馴染みの俺が先発で妥当だわな。俺も挨拶しておきたいし。気晴らしがてらに身体動かすのも悪くはねぇか」
と、モンスターボールを開くよう促したのだった。
☆
という経緯で、バトルの場に出てきたヘルガーだったのだが。
やれやれ、計りやがったなこいつら…………。
「……あの、おじさま?」
内心でぼやいていたところに話しかけられて、ヘルガーは苦笑いしながら礼を返す。
「あ、いや失礼。どうも初めまして……なんだな。そちらさんには以前、預かってもらってたこともあったんだが……会うのは初めてかい?」
「はい。でも、ご活躍の噂はかねがね。とても鮮やかな大文字を描かれるそうですね。楽しみです」
「おいおい、楽しみにしてていいのかい? 綺麗なその姿が真っ黒になっても知らないぜ」
穏やかに談笑を交わし合いながら、視線で、言葉で、相手の精神を燻り出すように鎬合う。攪乱こそ先発のセオリー。先の自己評とは裏腹に、このヘルガーはしっかり先発の資質を持っていた。
そして、目の前の相手もまた、この上なく先発を得意とするポケモンであることを、ヘルガーは既に見抜いていた。
彼にはもう、全てが解っていたのだ。
「ところで、だ。一緒に旅していた頃、そっちで育て屋の相手もかれこれ5回ほど紹介してもらってたんだが……みんな元気かい?」
「えぇ。みんなも凄く会いたがって…………」
言いかけて、何故かロズレイドは慌てて言葉を繕った。
「……会いたがっていましたよ。うちの仲間は、みんな。私は新入りなので、どなたがそのお相手だったのかまでは知りませんけど?」
「くくっ、あぁ、そう言う話だったね」
ニヤリ、と不敵に笑い、ヘルガーは一歩踏み込む。
「例えば、君と同じ種族の娘、とかもいたんだけどな」
「……えっ!?」
仮面でも隠しきれない程に動揺して、白い花弁は自らのトレーナーを振り返る。
視線で問われたトレーナーは、手で表情を隠しながら、小さく首を横に振っていた。
「もう……おじさまったら冗談がお好きなのね。有るわけないじゃないですか。ヘルガーとロズレイドがそんなこと……」
余裕の仮面を被り直してきたロズレイドを、しかしヘルガーは軽い声で一蹴する。
「別に有り得なくはないだろう? 育て屋の相手をしたからって、どうこうする関係だったとは限らんし」
「あ……あはは、そう言えばそうですね。やだ私ったら、何言ってるんだろ…………」
と笑って煙に巻こうとしたところに、ヘルガーは顔をスッ、と寄せた。
「それに、タマゴを作れる相手じゃないからといって、どうこうしなかったとも限らんのだぜ」
「ちょ、あの……おじさま?」
首を傾げて戸惑うロズレイドに、ヘルガーは頬を緩ませて、甘い言葉で囁きかける。
「現にお嬢ちゃんだって、対面した最初っから俺に誘惑を仕掛けてたじゃねぇか。それはどういうつもりだったんだい?」
魅惑に酔った雄の嬌態に、仮面の下の瞳が妖しく輝いた。
「なぁんだ、効いてたの。おじさまも案外他愛のないこと。そんな様では自慢の大文字を放っても、私を黒焦げにすることなんてできそうにもないわね。いいわ。可愛がってあげるから大人しくしてらっしゃい」
得意げに咲いた声と共に、ロズレイドの雌特有の長いマントの裾が翻る。
と、ヘルガーの緩んでいた頬が、不意にニッ、と釣り上がった。
「ほら、効かねぇだろう? 俺の誘惑」
「!?」
「誘惑ってのはそういうもんさ。殻越しに教えたじゃねぇか」
色の変わったその声を聞いて、ロズレイドの仮面に戦慄が疾る。
咄嗟に体制を立て直そうとするも、しかしその暇すら与えず。
大きく反り返った角が懐を裂いて突き上がり、深緑の仮面を撃ち抜いた。
瞬間、白い花弁が、真っ赤に染まって舞い散った。
☆
「……まいったなぁもう、ひと目で分かっちゃった?」
「へへっ、まぁね。あの誘惑で大体察しは付けられたぜ」
倒れた対戦相手を組み伏せた後、ヘルガーは相手のトレーナーに白い牙を見せて笑った。
「悪いがこいつの誘惑も、妙に雄の匂いがするもんで全然効いてなかったのさ。まぁ、それだけなら俺のインポテンツも疑えるところだが、こちとら〝こいつと同じ種族〟と育て屋でどうこうしたっていう心当たりが有るもんでね。どこから見たって雌のロズレイドが、雄の匂いのする誘惑を放ってて、しかもその誘惑の仕草に俺と同じ癖が混じってるとくりゃ、こいつが何者なのか疑う余地はねぇよ」
とヘルガーは、宣言通りの真っ黒な姿にして押さえ付けた相手を顎で示す。
「更に加えて、〝ロズレイドを使った〟ことと、そして……今日の日付も考えりゃ、あんたらの目論見も丸分かりだ。要するに……そういう趣向だったんだろ?」
ズバリ、と追求されて。
堪えきれず、二人のトレーナーは、揃って吹き出した。
「あぁくっそぉ! サプライズのつもりだったってのに、まさかそこまで見抜かれちゃうなんて!!」
「しかも誘惑されたフリして化かし返すとか、いいようにしてやられたよまったく!!」
悔しげに笑う黒幕たちを尻目に、ヘルガーはまだ茫然と倒れ伏していた相手を覗き込む。
「今度こそ本当の『初めまして』だな。前に会った時は、まだ孵化前だったからな……おら、ちゃんと顔見せろや」
不意打ちを食らった衝撃でボサボサに乱れた真っ赤な鬣を掻き分け、細長い顔を探り出したヘルガーは、朱の隈取りの入った黒い頬に、自らの頬を擦り寄せた。
「わはは、あのちっぽけなタマゴに入っていた倅が、よくもまぁこんなにでかくなっちまったもんだ! 」
ヘルガーから激しい愛撫を受けた彼の息子――ゾロアークは、くすぐったそうな笑みを浮かべながら、上に跨がる父親を、両の腕で抱き締めた。
「あぁ、父さん! 本当に母さんたちの言ってた通りだ! やっぱり父さんには、全然敵わないや……!!」
☆
暖かな抱擁を一頻り交わし合った後、身を離したゾロアークはヘルガーに言った。
「父さん、さっきも言ったけど、他のみんなも父さんに会いたがってるんだよ」
「ん? あぁ、他の兄弟たち、か」
頷いたゾロアークの後ろで、トレーナーが両手に4つのモンスターボールを掲げて見せた。
ヘルガーがこのトレーナーに娶せてもらった雌は5頭。今回の手持ち6頭のうち、イリュージョンのために殿に控えていたロズレイドを除く全員が、腹違いの兄弟だったのだ。
「どの仔も孵化したのは、君を帰した後だったからね、今日この町に寄った機会に、全員まとめて父親に会わせてやろうと思ってバトルを持ちかけたのさ」
「へへへ、なるほどね。お楽しみはまだまだこれからってわけか」
ヘルガーは一瞬だけ感慨深げな表情を浮かべた後、ギン、と炎の双眸を熱く滾らせた。
「面白ぇ! だったら全員まとめて出してこいよ! 順番に相手してたんじゃ面倒だし、後回しにされる奴にも悪いからな!!」
堂々と胸を張って構え直したヘルガーは、ゾロアークにも声をかける。
「お前も一緒にかかってきな。悪タイプが不意打ち食らったぐらい、大したダメージにはなってねぇだろ? 見たがってた俺の大文字、今度はバッチリ描いてやるぜ!!」
「は……はい!!」
声を弾ませたゾロアークが立ち上がると共に、4つのモンスターボールが宙に舞った。
開かれた中から、真紅の閃光が次々に咲く。
「初めまして、俺の子供たち! さぁ、父さんに思いっきりぶつかってこい!!」
迎える声が、梅雨の澱みを吹き飛ばさんばかりに爽快に響いた。
熱く激しく賑やかな、それは父の日の宴だった。
イリュージョン大好きの第四回短編小説大会参加作品
『からたち島の恋のうた豊穣編・不意打ちに薔薇の花束を』
~2013年6月16日・第三日曜日に~
【原稿用紙(20×20行)】 13.3(枚)
【総文字数】 4034(字)
【行数】 114(行)
【台詞:地の文】 51:48(%)|2061:1973(字)
【漢字:かな:カナ:他】 31:55:8:5(%)|1262:2222:329:221(字)
Wikiに来た頃には既に、薔薇もカーネーションも白かった狸吉です。
以前は水ポケばかり描いていた時期もありましたが、ここ数年は渓谷のフラストレーションのアブソルたち、青大将とパンツ泥棒のバルチャイ、僕らのレンジャー ~新たなる切り札~のブラッキーブラック、そして吐き出す心の紫影螺さんと、何故かすっかり悪ポケばかり描くようになってしまいましたw
瞼の父にゾロアークが正体を隠して挑むが、父さんにはひと目でバレバレだった、という話は元々ストックしていましたが、今回のお題『挨拶』に父子の「初めまして」を合わせ、投稿初日となった『父の日』のネタも加えて完成させました。
父の日はお父さんに薔薇を捧げる日なので、ゾロアークが化けるのはロズレイドに。父親の方は、ゾロアークに有用なタマゴ技を覚えられるポケモンの中から、梅雨時の季節感を鬱っぽく描ける炎ポケモンということでヘルガーを選びました。
ちなみにヘルガーにとって不意打ちはタマゴ技orプラチナの教え技、誘惑は第4世代までの技マシン、ゾロアークには両方ともタマゴ技です。イリュージョンと不意打ちは相性が良く、更にBW2の教え技である蹴手繰りをサブウエポンにすることによって、ゾロアークの不意打ちは非常に強力なメインウエポンになります。ロズレイドに化けたゾロアークが、マントの裾を翻してヘルガーに食らわそうとしていたのも蹴手繰りです。
タイトルは少し悩みましたが、不意打ち使いのお父さんに子供たちからの父の日の薔薇を、という意味と、トレーナーたちのヘルガーへの父の日サプライズという意味を合わせてこうなりました。
>>2013/06/23(日) 02:01さん
>>すっかり忘れていたこの日のもう一つの意味。罠のようなお人や……。
仮面の下はバレバレでしたかねw
見出し文で『大会初日目』に『1ターン目』とルビを振ったのも、事実を語りつつ真実をぼかすためでした。毎回トリックめいた話ばかり描いている僕ですが、実はポケモンバトルの対戦でも、仮面名の通りゾロアークのイリュージョンで化かすのが得意技だったりします狸だけにw どこかで当たったときはよろしくお願いします。
投票ありがとうございました!
>>2013/06/26(水) 09:26さん
>>面白かったです!
楽しんでいただいてありがとうございます。今後もご期待ください!
>>2013/06/29(土) 22:47さん
>>父の日に合わせた投稿が上手いと思ったのでこちらに一票。
あとがきの通り、元々お父さんの話を書く予定があったので、大会のお題と日程を見た瞬間に「これはここでこの話を描けという天啓だ!!」と確信しましたw
貴重な1票をありがとうございます!
皆様に応援をいただいたおかげで、今回も3位(同点)という好成績となりました。これからも頑張ります!
・相手トレーナー「ついでに、この仔たちの母親もまとめて呼んであげようか」
・ヘルガー「やめてマジ修羅場必至www」
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