ポケモン小説wiki
テオナナカトル(3):パルキアはレシラムになる・下

/テオナナカトル(3):パルキアはレシラムになる・下

小説まとめページへ
前半へ戻る
前回へ戻る

 連日形成される市場には、一日たりとて同じ顔触れは無い。今日見つけた懐かしい顔は、夫婦で旅する薬草商人。この街に立ち寄っていた時に妊娠していた奥さんの子供を、ジャネットが取り出した仲である。そのキリンリキとゴウカザルの二人組を見つけて、意気揚々とジャネットは赴く。
「こんにちは」
 振袖状の腕を躍らせながら、ジャネットは笑顔で駆け寄った。まぶしいくらいに純白な胴体を風になびかせながら迫ってくる姿は、彼女の上機嫌を表しているかのようだ。

「こんにち……は?」
 荷物の重みでわずかに遅れをとったユミルもまた夫婦に挨拶した。
「カラクさんにタークスさん。お子さんはどうされたのじゃ?」
 ユミルはすでに感じ取っていた雰囲気。鈍感なジャネットでもここに来てようやく二人の様子が尋常ではないと言うことに気がついた。キリンリキのカラクは尻尾まで気分が落ち込んで垂れ下がり、ゴウカザルのタークスの頭髪の炎は弱い。
「どうしたのじゃ? ララールは? いったい何があったのじゃ?」
 嫌な予感のせいでユミルは尋ねることが出来ず、尋ねたジャネットとて嫌な予感はしていた。この市場に店を出す者の全体の百分の一にも満たないが、そこかしこに見受けられるこの夫婦と同じような表情をしているのも気になる。
「ここへくる途中、盗賊に殺された」
 子供を殺された、とそのうちの一人、タークスは語った。
「一体どうして? 荷物のために命を粗末にしたんじゃなかろうな?」
「そんなことするわけないだろう!!」
 タークスが激昂した。声を張り上げられ、頭の炎が陽炎すら発生するほどに熱く燃え滾っている。
「ご……ごめんなさい」
 ジャネットとてここまで怒られるいわれはないつもりだが、タークスの事情を考えれば無神経なのは自分だと、素直にジャネットは反省した。それにしても、いつもは陽気に喋る奥さんが全く喋らないなんて、どうしてこうなったのか。
「でも、どうしたんでやんすか? 盗賊だって、素直に物や金を差し出せば命までとることはめったなことじゃ無いでやんしょ?」
 萎縮して黙ったジャネットに変わり、ケンタロスの体には不釣合いな間の抜けた声でユミルが尋ねる。

「やつら、気が立ってやがったんだ。凄腕だか伝説だか知らないが、たった一人の用心棒に味方の一部隊をやられちまったらしくって」
(まさか、それって先日ヌオーの主人が言っていたガブリアスとリザードンの用心棒のことじゃ。それは原因だなんて……用心棒の二人が悪いわけじゃないけれど、なんてことじゃ)
 ジャネットが唇を噛み締める。
「そりゃ……渡したさ。俺たちの路銀をすべて……でも満足せず、俺たちの荷物にまで手を出した。けれど、『薬草とかは取り扱いが難しいからいらない』って言って、俺達がほっとしたのもつかの間さ。やつら、たまにはたっぷり肉が食いたいとか言い出して……俺たちの子を捕まえて食っちまった」
ポケモン食(キャニバリズム)? 今こうして。あらゆるポケモンが手を取り合うようになった(と言っても、国によって差別や鎖国などは行われているが)時代ではタブーとされている行為ではないか。
 思想によっては供養や罪の浄化のために行う部族もあるし、黒白神教でもたまにやる。他にも戦争中や遭難中に食料が尽きれば――というのはありえないことではないが、そんな形でのポケモン食(キャニバリズム)なんてあってはならないことじゃないか)
 ジャネットは背筋を強張らせた。
「なんて……酷い」
 ジャネットは唇をさらに強く噛みしめ、口の中に血の味と怒りをにじませる。ユミルは言葉にしなかったが、怒りで変身したケンタロスの顔が不自然に歪んでいる。シーラは母親(ジャネット)の怒りを敏感に感じ取ったのか、おんぶされた背中の上で身を縮めた。
「……すまねぇ。家内も辛いんだ……今日は早い所買い物を済ませて帰ってくれねぇか? お前さんを見ていると、子供が生まれた時のことを思い出しちまって辛い」
 ジャネットが慌ててシーラをあやしている最中、か細い声でタークスは言った。
 あまりに無作法な態度だが、子供を殺された気持ちを思えば腹を立てることすらできない。妻が一言もしゃべらないので、ジャネットは見ているだけで辛い気分になってくる。
(許せぬ……子供の命を遊びで奪うなんて)

 テオナナカトルのメンバーはこれでお人よしなところがある。親しい者がこんな風に意気消沈しているのを見て黙っていられるほど、ジャネットは非情な性格はしていないし、第一殺された子供ララールには思い入れがある。ただでさえ悪タイプに弱いジャネットが母親であるカラクの尻尾に噛みつかれながら、自身も血まみれになって取り出した子供だ。
 その傷が元で高熱を出して二日間寝込むほどの苦労を味わった分だけ思い出も深く、それだけにその子を面白半分で殺されたとあれば許せるものじゃない。
 ユミルも、ジャネットほどではないがどうやらちょっとした知り合い程度の間柄に降りかかった不幸に怒りを燃やしているようだった。
「のぅ、タークスさん」
 シーラにキスをして落ち着かせたジャネットは、タークスへと話を振る。
「何だ?」
「復讐は意味のあるものだと思うか?」
 ジャネットがそう聞けば、タークスは歯から音がしそうなほど強く噛みしめ、怒りをあらわにする。
「例え復讐自体に意味がなくとも、また誰かが同じパターンが繰り返されないだけでも意味があるだろう。奴らが二度と盗賊稼業なんて出来ないようになるのなら、そうした方がいい」
 こめかみをピクピクと怒らせたタークスは吐き捨てるようにそう告げた。
「かしこまり……もし、その気があるのならば、少し泥をかぶることになるかもしれんが、今日の夜……日が完全に落ちる前に『暮れ風』と言う酒場に来てくだされ。美人の踊り子さんと可愛い歌姫が居る酒場と聞けば、きっと見つかる。
 もし復讐する気がないのであれば……今のお話は忘れてくれ。……またいつか子供を産むことになったら色々と支援いたす。体調を整えるお薬も、出産の立ち会いも……じゃから、平穏に生きたいのならそうすればいい」
「アッシも……また平穏な暮らしに戻るか、復讐の道を選ぶか。どちらを選んでも応援いたすでやんす」
「それは……どういうことですか?」
 訪ねるキリンリキの妻の質問には答えず、影を落とした表情をしながらジャネットとユミルは夫婦に頭を下げてその場を後にする。
「美しき神……レシラムがため」
「猛々しき神、ゼクロムがため」
 二人は夫婦に背を向けると同時に憎々しげにつぶやき、買い物を続けに雑踏の中へ消えていった。


 その日の日暮れ前。ジャネットとユミルは暮れ風に客として赴き、愚痴を流す相手にロイを選んで今日聞いたタークスとララールの不幸についてを話した。
 ジャネットとユミルは所属している組織が組織なだけに、あまり人の多い場所で話すべきではない話題も含まれているのだが、酒場の喧騒が声をかき消すのでその実は内緒話にはもってこいな環境でもある。まだ開店直後のこの店にはまだナナも歌姫もおらず(たまにいるが)、閑散としている。
 仕事がクソ忙しい時期だというのに話を聞くことになるのは少々辛いものがあったが、『人が少ない時間帯だけなら』という約束でロイは二人の愚痴に付き合うことにした。なんせ、この二人もこの店に多大な恩恵を与えてくれるナナと歌姫の客人だから無碍に扱うことは出来なかった。
 声を荒げては子供を怖がらせてしまいそうだからと、シーラはリーバーにあやしてもらっている。赤い目が嫌なのか、それともタイプ相性の関係で悪タイプを生理的に受け付けないのか、シーラはロイになついてはくれないが、リーバーは花弁から漏れるあのフシギバナ特有の落ち着く香りでがっちりと子供の心をつかめるらしい。

「……ワシは強盗自体はそこまで怒っていないし、きっとあの二人もそうじゃろう」
「まぁね。全てのポケモンに仕事が回るわけじゃないからな。俺だって、強盗の一つや二つしたくなった事はあるから強盗はある程度仕方ないと思えるさ。……けれど、疑問だな。盗賊達が交渉をしなかったのは何故だ? そんなことありえるのか? しかし、商会共は何をやっているのやら……そんな弱小の商人何ぞいなくなった所でなんの問題も無いと言いたいのだろうけれど……俺が貴族やっていた頃はもっと手厚く商人を保護したもんだっての。ったく、商人すら保護できないとは教会の怠慢は酷過ぎるな。この前まで聖職者やっていただけの馬鹿が出来る仕事じゃないってんだよな。
 南東の防衛線も、見事に破られて交易街は他国からの兵隊さんと言う名の盗賊が溢れているし。まったく、やだやだ。神権革命なんてやったばかりにこの体たらくなんて馬鹿としか言いようがない」
 毒づいてロイは溜め息をつく。
 ロイが口にした『交渉』と言うものは実際にはほとんど言葉は交わされない。商人達が『金目のものはやるから攻撃するな。攻撃したら用心棒によって痛い目見せるぞ』と言い『痛い目見ようと、金目の物を落とさない事には引けないな。何かを置いていけ』これを仕草だけで語り合うのが一般的な交渉と呼ばれるもの。
 盗賊はプライドと部下を。商人たちは生命線たる金や商品を出来うる限り守る手段なのだ。交渉すれば、少なくとも双方に余計な被害が出る事は無い。ロイが何処からそんな商人の間にある文化を知ったのか不明だが、そんな事を気にする事もなく、ジャネットはその問いに答えた。
「その盗賊は結構な大所帯じゃ。いくつかのグループに分かれて獲物を探していた際……先に、ガブリアスとリザードンの用心棒がもう一方を交渉無しで撃退したのじゃ。用心棒はその後そいつらを縄で縛って、神龍軍に差し出してらしいのじゃ。神龍軍に突き出されたら良くて奴隷、悪くて処刑じゃからな。それにアジトも引き払わなければならん。そんなことになったら当然怒るはずじゃ。例え自業自得だとしても……
 怒る所までは良いが……その逆恨みを、無関係のタークスさん達はぶつけられたのじゃ。こんな理不尽なことあっていいはずがない」
 説明し終えてジャネットは大きくため息をついた。

「ジャネットがさっき言った通り、強盗に対してはアッシもそこまで怒っていないでやんす。アッシら黒白神教には『盗まれたり奪われたりして不快を感じるならば、そうなる前に与えなさい。与えられた者は感謝し、与えた者は心が温かくなるでしょう。こうすれば誰もが幸せになります』って教えがあるでやんすから、それくらい寛容な気持ちになるべきだと思っているでやんす。あくまで、切羽詰まって強盗する時は、でやんすが……」
「神龍信仰にも似たような教えがあったな。『自分のために地上に宝を蓄えるのをやめろ。そこでは蛾やさびが発生するし、泥棒が盗む。むしろ自分のために天に宝を蓄えろ。虫も寂も発生しないし、泥棒が入ってくることも無い。お前の宝のある所に心もあるのです』って。聖職者ってな辛いな……黒白神教でも神龍信仰でも」
 同情するように。なだめるようにロイが言うと、二人は『そうだ』と頷いた。
「でも、差し出してなお、より多くを求め、挙句の果てに命まで奪ったやつらを生かす意味はあるでやんすかね? 必要以上に奪う奴らを……」
「今日びそこまで信心深いやつなんていないだろうけれどね。『あなたの敵すら愛しなさい』という教えを持った神龍信仰の信者なら生かす意味はあると考えるんじゃないかな。
 もちろん俺にはそんな殊勝な心がけはない。だから生かしてやる義理は無いと思うけれどね。ま、大体の人が俺と同じ意見じゃないのかな? もちろん、殺すよりも奴隷にしたほうが有意義だとは思うけれどね……社会的な意味では死んでいるのと変わらんか。奴隷に対する仕打ちは生き物に対する仕打ちじゃないもんな」
「えぇ、アッシもそう思うでやんす。あれを社会的な意味で生かす意味は無い……と。だからと言って、奴隷はお勧めしないでやんす。アッシら黒白神教は奴隷禁止なので……すいやせんね、こう言う所はやっぱり教義に従わざるを得ないでやんす」
「そうか……奴隷はダメか」
「そうでやんすよ……奴隷は心を腐敗させるでやんす」
 だな、とロイは頷いて、語り始める。
「とはいえ、俺個人には『奴隷以外の用途で生かす意味』がなくっても『人によっては生かす意味はある』と考えているよ……あそこに、盗賊が出没することで得をする者がいる限りは。いやね、昔そういうことをするやつが居たんだ。押し込み強盗がたった3ヶ月で刑期を終えて出所して盗賊に成り上がってたりとか。
 本当、世の中が複雑になればなるほどこんがらがってしまう。みんな仲良く出来ればいいのにな」
「……そうでやんすね」
 ユミルはのっぺりと椅子の上で広がり、二足歩行のポケモンで言う肩を落としたような状態になる。他人のこととはいえ相当ショックだったであろうことがロイにも伺えた。

「ところで、何故お前の家ではなくこの店を待ち合わせに選んだんだ? なんと言うか、手を貸してやりたいとは思うけれど……俺が出来ることなんて愚痴を聞くくらいだぞ? まさか盗賊たちを殺すのを手伝ってくれとか言わないよな? いくらなんだって流石に危険だぞ……ろくな訓練受けていない雑魚だって、まともに相手に出来るのは5人が限界だぞ……喧嘩なら20人いけても殺し合いそこまでの数を捌くのは無理だ。まさかお前たちもナナと同じかそれ以上の強さとか?」
「大丈夫じゃ。お主に戦いの要請をする事もないし、喧嘩の強さならきっとお主よりも遥かに下じゃ。ワシらがここに参ったのは愚痴を聞いてもらうことも重要じゃが、それよりも大事な事があるのじゃ。このお店、客にミリュー貝*1の酒蒸しを出しているじゃろう? もしかしたらその貝殻が必要になるかもしれないのじゃ」
 ロイの質問に答えたのはジャネットであった。
「あれ、そういうことだったでやんすか? てっきり、酒で嫌なことを忘れさせようって事かと思ってやんしたが……」
「違うぞユミル。ま、その目的も無い訳じゃないのじゃが……全く、ユミルは変な所で抜けているんじゃから」
「貝殻で……また新しい変な薬を作るのか? 貝殻がそんな風に役に立つなんて知らなかったな……」
「あぁ。じゃが、何かを作るのは正解じゃけれど……じゃが、今日作るのは薬じゃないくって制裁の道具。いえ、兵器じゃ。その名を……レシラムの逆鱗(げきりん)というのじゃ」
「レシラムの逆鱗?」
「シャーマンの本分は薬を作るだけではないのじゃ。呪術道具にて雨を呼ぶこともあれば敵を呪い殺すこともある」
 鸚鵡返しにロイが言うと、ジャネットはそんなわかるような分からないような説明をした。
「その薬を作るためにどうして貝殻が必要なのかはわからんが。赤の他人のために資産や暇を投げ打ってどうするんだ? いや、それが悪いこととは言わないけれどさ……どうしてお前ら報酬のない仕事を一生懸命になってやるんだ?」
「報酬が無い……でやんすか?」
「ん……?」
 ユミルに質問を質問で返され、ロイは少々眉をひそめる。
「報酬なら、例えばあんさんの依頼を受けた時に。あんさんの汗を貰ったことを忘れたでやんすか?」
「今回も妻から……キリンリキの角でも報酬に貰う……とか?」
「それをしてもいいでやんすが、今回はそんなことはしやせん。例えば、あんさんの妹にはエーフィがいるでやんしょ? エーフィの額の珠は、腹痛、吐き気、頭痛に良く効く薬になる他、集中力の向上や記憶力の向上に役立つでやんす。
 ……なので、『額の珠を砕いてアッシらテオナナカトルに譲ってもらえないでやんすかねぇ……』と、言われてロイさんは譲ってくれやすか?」
「いや、飢え死に寸前だってならともかくとして、そんなのは……今は妹にそんなことさせられないよ」
「そうでやんすよねぇ。リーダーがあんさんとあった日に言った事、覚えているでやんすか?」
「ちょっと待って」

 ユミルに言われてロイが記憶の中を探ると、すぐに恐ろしい発言の記憶がよみがえり、一人納得したロイはユミルの言葉に頷いた。
「目玉や心臓も……薬の材料、ということか」
 ユミルが頷くと、今度はジャネットが口を開く。
「人の価値は何を残したかで決まるのじゃ……それは、財産や子供、芸術品といった形の残るものじゃなくても構わない。気持ちや、心意気、魂とでも言うべきモノ……そういった形の無いものでも構わないのじゃ。黒白神教におけるその思想が、他の宗教では冒涜とされている死体をこねくり回す行為を正当化しているのじゃ。願わくば、私の体を後世のために役立ててくれ――とな。
 ポケモン食(キャニバリズム)とは本来黒白神教においては、そうして供養するために行うもの。それを、憂さ晴らしのためにやるような盗賊どもは、黒白神教に喧嘩を売ったのじゃ……そういう意味でも許せるものではない。これも飢え死に寸前じゃったと言うなら別じゃがな……
 神龍信仰ならば死して地獄の業火で焼かれて罪を浄化するのじゃろうが……黒白神教式の方法で罪を浄化させてもらうまでじゃ。軍やらなんやらが奴らを殺したら薬の材料は手に入らん」
「それってつまり……その、誰かに手を出される前に命や今後の生活に大きくかかわる部分を切り取るってこと?」
「あぁ、『後世のために何かを起こそう』という気が無い奴からは、強制的に残させるのじゃ。それが黒白神教のシャーマンとしてのやり方じゃ。そして、それがワシらにとっての報酬じゃ。盗賊の中にエーフィがいたら、額の珠を砕いて薬にするっていう具合にじゃ」
 生々しい言い方に、ロイは自分がブラッキーであるにもかかわらず、額に意識を集中して肩をすくめる。
「勘弁して欲しいなそりゃ。俺は平和に暮らしていてよかったよ……」
「大丈夫じゃよ。お主がたとえ不老不死の薬の材料の持ち主でも、お主がこうして平穏に暮らしている限りは、ワシらは何もせんわ」
 ジャネットはまだ怒りや悲しみを抱えたままのようだが、精一杯自然な笑顔を見せてロイに言う。
「それに、依頼人の幸福と恨みもまた、シャーマンの力を高められるという報酬でやんす……芝居がかった言い方でやんすが、みんなの笑顔も……。ここら辺はナナから聞いたはずでやんすよね? あ」
「どうした?」
 と尋ねながら、ロイがユミルの視線の先を追っていくと、ユミルの視線の先にはゴウカザルがいて、ロイにとってタークスは顔も知らない相手だが、ゴウカザルということはあいつがタークスなのだろうということはわかった。
「噂をすれば影、じゃな。ロイ、愚痴を聞いてくれてありがとう……」
「アッシからも。ありがとうでやんす」
「あぁ、お客さんとしてくるならまたいつでも愚痴を聞いてやるよ。だからまぁ、また来てくれ」
 二人がタークスをこの席に手招きするので、ロイは席を立つ。ちらりとタークスの顔を見てみると、なるほどその顔は憤怒に燃えていると理解した。

 ◇

 復讐する際、どのように奴らを始末するかと言うプランは、ジャネットのアイデアがほぼ全て通る形となったようだ。そのために、大量の生ゴミと共に埋められた貝殻を掘り返す作業を行い、いつも汚れ一つない綺麗な体をしているジャネットが珍しく泥まみれになって酒場を後にした。
 その後、交易の始まる時期特有の大賑わいな酒場の仕事を全て終わらせ、営業終了後ロイはナナとともに葡萄酒を飲んでいた。最近のリーバーは文字を読めるようになったことが相当嬉しいらしく、いつも夢中で本を読んでいて、同時に勉強をねだられる事がなくなって少しばかり寂しい。
 ローラはすでに歌姫のところに居候する形になってしまったため、夜の人恋しさは募るばかりだ。そんな時、ナナがどうせ暇だからとタダ酒を飲む代わりに話し相手になってくれている。
 今日話すのはいつものようにはじめは他愛のない世間話。ネタも尽きてきたところでロイはジャネットとユミルのことを話し始めた。

「ジャネットはどんな物を作ろうとしているんだ?」
「名前は……レシラムの逆鱗ね? 逆鱗って言うと今はドラゴンタイプの技の名前として定着しているけれど、どういう意味かわかるかしら?」
「すまん、わからないね。そう言う事は親父からは教わらなかったものでさ」
「神龍の顎には、一枚だけ他の鱗とは違う方向。逆の向きに生えている鱗があると言われているの。その鱗が逆鱗……逆鱗に触れられると、龍は怒り狂うと言われているわ。それゆえ、我を忘れて攻撃する龍の技が逆鱗と称されるようになったの。
 レシラムの逆鱗と言うのは、つまるところレシラムの怒りそのもの。水に触れることで高熱を発し、取り扱いを間違えれば火事を引き起こす危険な物質よ」
「水……で、火が発生する……?」
 ロイは首をかしげる。
「なんだか常識が覆された気分だな」
「そんなこと言ったら、貴方が火傷を負ったときに流す汗。あの汗に含まれる強酸は水に触れることで物を焦がすことが出来るわ。大量に集めれば水と混ぜるだけで爆発じみた沸騰するし」
「そ、そうか……確かに」
「その水と言うのも、皮膚に含まれるほんのわずかな水でさえ……あれ、色々便利だから採取したいくらいなんだけれど、さすがに私たちのために火傷してくれるなんてことは無いわよね?」
「いくらチーゴの実があれば相当酷い火傷でなければ一日で治るからってそれは勘弁してくれ……。で、そのレシラムの逆鱗とやらを作るためになぜ貝殻が必要なんだ?」
「貝殻を……臨戦態勢のブースターの体温ほどの高温*2にさらす事で、草タイプのポケモンが栄養を作るために必要な空気*3がガンガン貝殻から出て行くの。それで半分以上は完成。
 とはいえ、それだけだとただの水に触れると熱を発生させる粉*4でしかないわ。そこに貝殻とよく似た成分*5の宝石……即ち、パルキアの力を宿す龍珠こと真珠を砕いて貝殻に混ぜるの。そうすることで、貝殻はパルキアの龍鱗となり、熱の力によってパルキアの龍鱗はレシラムの逆鱗となる。
 発生する熱量はほとんど変わりないんだけれど……鍛え抜かれたシャーマンが使えば神の力が垣間見れるわ。具体的に言うと……レシラムの幻影が生み出される。それは、神々しくも残酷な処刑劇になるでしょうね」
 言い終えて、ナナはクイッと葡萄酒の注がれたグラスを傾ける。

「すげぇなぁ。やつらそんなものを作っていたのか」
 ナナの説明を聞いて感心したロイは、感嘆の声を上げた。
「えぇ……ほら、ジャネットって産婆さんでしょ? 子供の命の重みを誰よりも知っているの……知っているからこそ、それを気分というか面白半分で奪われたりするのが許せない。相当怒っているっていうことね。
 貴方も、シャーマンとしての力を鍛えれば使えるようになるでしょうし、今回のように何かのきっかけで憤慨することもあるでしょうね。そう言う時に、使いたくなったらレシラムの逆鱗や他の何かを使ってもいいけれど……使う時は一つだけ注意」
「何をだ?」
 首をかしげるロイに強く印象付けるよう、ナナはロイの前脚を握る。
「信用できない目撃者は、皆殺しにする事。あと、これらの力を私利私欲のために悪用する者は問答無用で殺すこと。この力が世間に触れれば、犯罪に使おうとする者、戦争に使おうとする者が必ず現れる。お薬の技術は後世に伝え広く知られていくべきだとは思っている……けれど、そういう殺傷能力のあるものは、信用できる者達の中でとどめておくべきなの。
 貴方に譲った三日月の羽根は無害だし、あまり他人に使用する類の道具ではないから……こういう使用上の注意はしなかったけれど、いつか外部に影響するものを渡された時は肝に銘じてね? 私は貴方を始末することになるなんて嫌だからね」
「まぁ、ね。そりゃ気をつけるさ。俺がこれから手にする力の威力がどんなものかは知らないけれど、確かに戦争で使われたらいい気分じゃないかもしれないし……」
「うんうん。理解してくれたようで感心感心、あと、やってもいい条件はもう一つあるわ」
 と、ナナはロイの頭を撫でながら切り出す。
「どうするんだ?」
「風のように現れ、名も告げずに去っていく。自分のしでかした事をミュウかラティアスか、そういった伝説のポケモンの仕業と思わせるの。実際、各地にはシャーマンがそうしたと思われる資料が残っているわ……私達の見立てでは、神龍信仰の救世主であるハイ=救世主(キリスト)のしでかした数々の偉業も、海を割ったといわれる賢者の十戒もシャーマンの仕業だったと睨んでいるのよ。
 それについて詳しく知りたかったら私達の使っている倉庫にも資料はあるから、見たかったらいつでも言って頂戴ね」
「はは、どちらにしても人知れずの行動で、感謝を受け取っちゃダメなんだな。どちらも厳しい条件だが、世界の平穏も守るため……親父のように立派になるためなら通過儀礼だろう」
「そういうこと。よしよし、ロイはお利口さんね」
 ナナはロイの頭をそっと撫でて笑う。

「なんにせよ、来週あたりの新聞に載る記事は決まったわ。『変死体がアジトの付近で発見』ね」
「目撃者は死ぬのか。盗賊達を薬にした方が有益だっていうのは賛成だけれど……犯罪者は、奴隷階級に落とし込んだ方が有益だと思うんだけれどな。人が嫌う仕事をバンバン押し付けてさ」
 ナナは苦笑した
「私達の間では奴隷は禁止よ」
「あぁ、それはユミルから聞いている。でも奴隷は……神龍信仰の間でも禁止なんだがな。だから、なんだかんだ言って黒白神教でもやっているんじゃないかと思ったんだ」
「ないわよ。黒白神教の神話では、炎の軍勢が革命を起こした軍勢に負けた際、炎タイプのポケモンは奴隷化されたのよね。でも、革命を起こした軍勢にも炎タイプはいた……レシラムよ。レシラムはもちろん奴隷化されることはなかったけれど、でも……奴隷という存在を哀しんでいた。
 だから彼は、自身も奴隷と同じように働くことで、奴隷はいけないと訴えることにしたの。土に塗れて汚れやせ細っていくレシラムを見て、もちろん『そのような事はおやめ下さい』と民衆は言ったわ。けれど、レシラムは止めなかった……私達民衆が奴隷制度を終わらせるまではね。
 だから黒白神教では奴隷は禁止なの……貴方が言いたい事はちゃんと分かるんだけれどね、でもレシラム様の事を考えると奴隷は禁止という言葉を無視できないわ。千里眼で以って戦況を把握し、自由に意思を伝え千里の彼方まで届く角笛を吹いて、民衆を率い戦った偉大な神様ですもの」
 ナナはきっぱり否定し、苦笑する。
「そうかい……いや、神龍信仰の経典に奴隷は禁止ってはっきり書いてあるわけではないけれど『汝の隣人を愛しなさい。汝の敵も愛しなさい』ってね。それとも、奴隷っていうのも一つの愛の形なのかね?」
 冗談めかして言うロイのセリフに、ナナは堪え切れずにくすくすと吹き出した。
「やだもぅ。フリージアに聞かせたら怒るわよ……ま、貴方に喰ってかかる事はしないでしょうけれど、機嫌は悪くなるでしょうね。奴隷というのはね……神龍信仰の創世記に記された文面を根拠に行われているのよ。……ここにフリージアがいてくれると楽なんだけれどなぁ。
 確か、そう。『ポケモンは、海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動く生き物の全てを服従させよ』だったかな? 虫タイプのポケモンがポケモンでないとすれば、神龍信仰の者達は虫タイプのポケモンを服従させてもいい事になるのよ。でも実際は……イルミーゼやバルビートは卵グループ人型を持っている。ポケモンであるはずなのに、教会の(クズ)どもがそれを認めようとしないだけなんだけれどね。傲慢な腐れミミロップはバルビートに強姦されてその子供を身ごもってしまえばいいのに」
 物騒な事をナナは言う。ただし、それを面白いなと納得して笑うロイもいた。互いにミミロップが嫌いなわけではなく、傲慢な聖職者が嫌いなのだが、傍から見れば物騒な会話だ。

「聖職者たちのお手本みたいなフリージアはともかく、たいていの聖職者は『神龍に祈り、神の愛を謳いながら、奴隷によって掘られた金銀を身につける事』が神様の務めなんですもの。
 銀は穢れを祓うからって理由で身につけるのを推奨されているのよ……その銀を取るために苦しんでいる人がいなければ笑っちゃう話よね。
 フリージアさんとその父親はそういうのを誰よりも嫌っているからこそ、私達に協力しているの。あの人ミミロップだし、イルミーゼと……なんて無理よね。ともかく、フリージア……あの子たちはそっとしておいてあげて。貶したりからかったりするのはやめてあげて。教会で何度もその質問をされて、他の信者の耳を気にしながら『異教徒はポケモンではない』って答えるのが嫌だから、あぁやって酒場に出向いているの。教会にいない時しか本音を言えないような子なんだから……」
(そういえば、俺と始めた会った時も、信仰心の薄い俺を見ても咎めもしなければ蔑みもしなかったな……信仰は強制するものではないなんて言って……今の世の中じゃ危ない発言だよな、あれ)
「なんだかんだ言ってフリージアはいい子よ。一生独身にしておくのがもったいないわ……あぁいう子こそ子供を産んで育て教育するべきよ。クズの遺伝子を残すよりかはよっぽど有用でしょ」
 フリージアを褒めた所で、ナナは力ない笑顔を浮かべて溜め息をつく。

「話が脱線したけれど、奴隷は禁止。殺して薬の材料にするのがテオナナカトル……いえ、黒白神教のやり方よ」
「うわぁ……そこまでストレートに言われるときついなぁ」
 ナナの言葉を聞いたロイは明らかに引いていた。
「黒白神教においては、『何を残すことが出来るか?』で人生の価値が変わるの。子供でも、思想でも、建物でもお金でもいい……大義名分は、どんな罪人にも生きた価値を与えようってこと。自分の死体が薬になれば……死ぬ価値もあるでしょう?」
「そりゃまぁ、そうだけれど……」
 あいまいな返事を返して、ロイは口ごもる。

「殺しは……そりゃ、悪いことよね。どんなに理由をつけても、普通は殺したほうが恨まれる。そして、普通は誰かに恨まれる事はとても怖い……私も、そういう意味では普通だった。誰もが居なくなって欲しいと思うクズを殺したときでさえ、命乞いの声が耳から離れなくなって悪夢を見たこともあるわ。今では悪夢こそ見なくなったけれど、たまにふっと自分が怖くなる。
 けれど、ね……都市は人口が多いから人口を支えきれないんだもの。人口が支えきれない時の対処法は何かしら? その一、奴隷を抱える。その二、移住や開拓やその他何らかの方法によってその場所の人口を減らす。その三、食料をより多く生み出す技術の開発。
 最も確実性が高いのは、その二の……人口を減らす事。だって、農耕なんてせずに狩猟採集で暮らしていた頃は多少の争いや(いさか)いはあっても奴隷は無かったもの。なら、住人の数を減らせば良いの……殺しが正義とは言わないけれど、トカゲの尻尾きりの対象は、あぁいう奴に対してこそ相応しいと思うの。

 神龍信仰では、死んだら大抵が無になる。そして、地上に神の王国(パラダイス)が作られるまでは意識も無く消滅したまま……その間は天国も地獄も無く先祖の霊とかそういう概念は無い。ま、悪霊の概念や14万4千人のみがいけるという天の世界での復活という考えはあるけれど。大体のポケモンは死んだらしばらくは終わりって言う事だから死は正当化出来ない。
 黒白神教には明確なあの世の概念は無いけれど、先祖の霊がその辺を漂っているような考え方がある。自分の死後、社会がどうなっているか……死者はそこかしこで見守っているの。だけれど、死者はこちら側の世界に干渉出来ないから、大切な人が病気になろうと戦争が起ころうともどかしい思いをしてずっと見ている事になる。だからこそ、黒白神教では死の救いをあの世でなくこの世界に求めるのよ」
「と、言うと?」
 ロイが首をかしげてナナに尋ねる。
「罪人として死んでも……死体さえ残れば良い死に様と言われるわ。だって、死体が残れば薬にしてもらえるもの……。他にも、毛皮、砥石、ナイフ、装飾品、お守り……食料のために殺すのは、遭難した時や相当の罪人相手でもなければタブーだけれど、場合によっては食料にするってこともある。
 例えば貴方が親ならば、自分の子供に財産を残したいと思うでしょう? 私達はね……後世に何かを残せる死を、誇り高き死と捉えるの。死者は、自分の遺した物が後世に役立つことで、満足しながら風に溶けていくのだと伝えられている。自身の体を薬という形で残すのは、その思想の表れなのよ……そうすることで死者が満足して空気に溶けていくのを早められるって言われているの。
 ほんとは神龍信仰もそうすべきなんだろうけれどね……神龍信仰では、『死んだら何も残らない』とか『無になってしまう』とか言っちゃってる癖に、未来での復活を信じているからとか、死体に触れるのは穢れるからとか、そんな理由で同じ事が出来ないって言うのが解せないわ。
 だからこそ、悪を討ちそれを薬にするというのは黒白神教においては合理的な考えとされているの。黒白神教ではね……殺したという事実が後世に役立つ。殺して得た薬が後世に役立つ。と、言う風に……考えるから。だから自分は、悪いことじゃなく良いことをしている……」
 誰にともなくナナは頷く。
「だから、私や……今回のジャネットは悪い事はしていない」
 自分のしている事は正しいとでも言わんばかりにナナは言い、そして気が滅入った表情で首を振った。
「なんて、自信満々で言えたらいいのだけれどね。これを自信満々で言えるだけのふてぶてしさは私にはないわ」
 ナナは自嘲気味に笑う。
「……よかった、安心したよ」
「なにが……かしら?」
「自分が正しいと思い込んでなくって。なんだか、自分が常に正しいと思ってずんずん進んでいるような印象だったけれど……俺と同じだ。誰かを殺したときに罪の意識を感じたり、悪夢を見たりするのは。怖がったりするんだな……お前でも。ずんずんずんずん平気な顔して敵を殺しているイメージがあったよ。
 でもお前も、迷ったり考えたりしているんだよな……こんな時代に異教徒を信仰している蛮勇でもさ」
「だって、私も元は神龍信仰だったわけだし……色々嫌気がさして、色々迷って、今の私はここにいるのよ。迷いすぎは体に毒だけれど、迷うことは人生を豊かにするお薬よ。毒も少量で薬、薬も多量で毒ってね。貴方も覚えておくと良いわ……迷って、そうして出した答えを出すことは人生を豊かにしてくれるって。
 だから私は、まだ少し迷っている……神話の中のダークライにならないように、悩んでいる」
「悩む事は毒にも薬にもなる、ねぇ。どこの神話のダークライなのか、それが何なのかは知らんが、お前が言うと色々説得力あるよな。肝に銘じておく……っておい」
 ロイがそんなことをいっているうちに、自分のコップの中身が空になったナナはロイの皿の中に注いである葡萄酒を奪って飲む。
「お酒も薬であって毒よ。飲みすぎは禁物よ」
「ミロカロスが水を飲むように酒を飲むお前がなにを言うか……お前の飲み方は確実に毒だろう毒。まったく、酒が飲みたいんだったら自分で注げばいいだろうに……」
「だってぇ、まだ飲み足りないのにワインボトルが空なんだもの」
「おいおい……いつの間にお前そんなに飲んだのか……そういうわけなら今日はもう水以外飲むな」
「悔しいわぁ。色仕掛けでもう一杯くらいどうにかならないかしら?」
「神子のお前じゃ一線は越えられないからお断りさ。セックスする事も出来ないなら色仕掛けなんてただの生殺しじゃないか」
 ナナは意外そうな顔でロイの言葉を聞いた。

「別に、純潔を守るべき神子だって本番さえしなければ貴方を気持ちよくさせてあげることだって出来るのよ? あ~あ……あなたに夢のような瞬間を与えてあげようと思ったのに……」
「なんかその言い方は怖い、勘弁してくれ。昨日の夢で、『夢のような瞬間』はこりごりになってる」
 ロイが言うと、『なにがあったの?』という視線でナナはロイを見る。ロイが酔った勢いが手伝って見てしまった夢の内容をかいつまんで説明すると、ナナは大笑いした。
「月光ポケモンの貴方には三日月ポケモンの力は受容体が多すぎたようね。大丈夫よ、相性が言いポケモンは暴走することが多いってだけだから。貴方がもっと神の力を強く鍛えれば、もうちょっと普通の夢を見られるようになるから。早いところ中途半端なイモムシレベルを脱却しなさい。
 でも、良かったわ。イモムシレベルで相性の良過ぎる神器に触れるのは危険だけれど、三日月の羽なら相性が良すぎても変な夢を見せられるだけだから特に実害もないし。これが逆にダークライの髪の毛とか湿った岩(サファイア)だともう大変。どちらも死者が出るかと思ったわ。妹さんは太陽ポケモンだから……そうね、イモムシレベルを脱却出来たらヒードランの加護がこもった神器なんてどうかしらね。
 その昔、空が巨大なドームだと思われていたころ、太陽は空を這うヒードランであるという伝説もある太陽の化身よ。太陽ポケモンの二つ名を持つエーフィにピッタリ」
ヒードラン(あのゴキブリみたいなの)がローラにピッタリ……ねぇ。ローラが怒らなければいいけれど」
 ロイが心配するが、
「適当に言いくるめてなんとかするわよ」
 ナナはそう言って笑う。
「そうかい。それはいいけれどさ……俺が変な夢見てしまうことに対する解決方法は?」
「無いって言いたいところだけれど……根気良くクレセリアと会話しなさい。歌姫もそうやって変な夢を見なくなって芋虫レベルを脱却したんだから」
「歌姫も同じわだちを踏んだのか……解決法、ナナのアドバイスじゃ当てにならないから、明日歌姫にでも聞いてくる。というか、もう寝ようかな。明日も仕事だし」
「うふふ……がんばってね、ロ・イ。今日は妹じゃなくって私の夢でも見て欲しいわ。夢なら私の事をどれだけ犯しても構わないから、よ・ろ・し・く・ね」
「勘弁してくれ。喘いでいる声を聞かれたり夢精している姿でも見られたらどうするんだ」
 ロイはナナは帰って行くのを見送り、自分の部屋に帰って目を瞑る。ローラは、旅人が多く訪れる今の時期ゆえ宿屋で雇ってもらうことも出来たらしいが、あと一ヶ月もすれば街はローラの仕事を必要としなくなるであろう。
 そのことが不安だとローラが漏らしていたことをロイは気にしていたが、三日月の羽の効果なのか毎日穏やかに眠っていると歌姫は言っていた。安定した収入を得るためにテオナナカトルのメンバーに入るというのはいささか危険な気もするが、ナナ達が危険な奴らだとはどうしても思えなかった。


(あいつが俺たちを神子やシャーマンにしたがる理由も、祭りを行いたいっていう無邪気で打算の無い子供のような理由で……それでいて、共感する出来るものだった)
 ロイは考えるほどにナナに心を許して行くのを感じて、自嘲気味の笑顔を浮かべた。
「異教徒に染まるなんて、どうかしている」
 ロイが考えるのをやめて眠りにつくと、その日はナナに(性的な意味で)襲われる夢を見た。ロイはまだまだじゃじゃ馬な三日月の羽に苦労させられそうだ。

 ◇

 ジャネットが案内したのは、彼女の住む安アパートではなく、昼間は鍛冶屋で賑わう通りの一角にある寂れた炉がある家であった。調度品が少なく整理された室内は、しかして僅かに埃が舞っている。掃除の行き届いていない様子といい、調度品が極端に少ないことといい、生活感とは無縁の家だ。
 この家の所有者は鍛冶屋のかの字も知らないジャネットで、引退した鍛冶屋の作業場を特別な薬の製作のために買い取ったものである。燃料となる木々や炭には布がかぶっており、その布には埃がうっすら積もっているが、いつでも使える状態になっている。
 と、言っても長い事放置をしていたせいか少々湿り気を帯びており、火をつけるのには苦労するかもしれない。金物屋、兼鍛冶屋を営むユミルの姉の家なら質の良い薪もあるのだが、姉のはともかく夫にはシャーマンの正体を知られていないので迂闊に使わせてもらう事は出来ない。
「見ての通り、この薪と……貴方の炎でレシラムの逆鱗を作る。昼の内にもっとたくさんの薪を買ってきてもよかったのじゃが、お主の無念が強ければ……これくらいの作業、薪が少なくても簡単にこなせるはずじゃ。
 むしろ、自身の炎でやったほうが憎しみは多く込められる……こっちのほうが好都合じゃな」
「これを熱すればいいんだな」
 ハンマーで砕き、石で挽かれた粉にされた貝殻を眺めて、憎しみにぎらつく目をしたタークスは言う。
「えぇ、先ほど言った通りでやんすよ。完成した暁にはアッシらが有効に使わせてもらいやすから、全力でやってくれでやんす」 
「それじゃあ、ワシは熱に弱いからそっちをお願いする」
「あぁ、ジャネットも貝殻を粉にする作業、がんばってくれでやんす」
 貰い火の特性を使い、炎の力を増させる算段でユミルはギャロップへと変身していた。こんな組み合わせの二人が居る作業場の熱気は、氷タイプでなくとも耐え切れないものになるだろう。だからジャネットは避難し、涼しい部屋でまだまだ余っている貝殻を砕く作業を続行する。

 大量の貝殻のを粉にして行く最中、ジャネットはパルキアの力がこもる白珠を掴み取る。
『さぁ、神の力を扱う者よ。待っていたぞ……俺の力を使いこなして見せよ』
「わかっておる、パルキア殿。その空間をつかさどる力は炎により空間を歪める力へと生まれ変わろう。生み出すは陽炎……レシラムの力。
 そなたの力が宿るこの珠は生まれ変わり……敵を打ち滅ぼす力になる」
『ほう、力を作り変えるとはまた趣のある。良いだろう、神の力を扱う者よ。その力を振るう瞬間、楽しみにさせてもらうぞ』
 ガキンッ!!
 珠が砕けても声はやまない。小さな叫び声が集まって、全体的には虫の羽音のように唸りを上げている。粉になって、ようやく声はやんだ。

「……美しき神、レシラムがため!! 異国に生きる雄々しき神、パルキアがため!!」
 ジャネットがつぶやきながら白珠を含んだ貝殻の粉を容器に入れ、なるべく熱い空気に触れないように念力で隣の部屋に追加した。白珠が灼熱の空気に触れた瞬間、その場にいた全員がパルキアの幻影がレシラムの幻影へ変わる様を見ることになる。
 驚いて炎を止めるタークスに対し、気にするな――とばかりにユミルは促し、作業を続けさせる。やがて、薪と業火によって生み出された炎の力は貝殻を処刑道具へと変えていった。
 『子供の無念を晴らしたい』、『奴らに制裁を与えたい』。そんな思いを代弁するかのように、水に触れただけで灼熱の炎を噴出す力を得ていった。

 ◇

 翌日、歌姫の家でシーラを預けに来たジャネットとユミルの前に、非常に丈夫に編みこまれたポケモンの毛や毛皮で出来た服を着込んだロイが現れる。普段の真っ黒い体毛や月輪の模様をすっぽりと覆う形で、服の隙間から僅かに見える体毛や目の色でかろうじてブラッキーとわかる程度にしか肌は露出していない。
「お、おはようでやんす……」
 ユミルはその姿を見て苦笑しながら挨拶を交わす。
「あら、兄さま。随分と温かそうな格好してどこへ行くのかしら? って、聞くまでもないか……二人についていくのね。というか……歌姫さんの家、よく知っていたわね……」
 シーラを背中に背負い、あやしている最中のローラは呆れて苦笑する。
「あぁ、それはその……ロイさんは冬に私が風邪ひいたときにここまで付き添ってくれたので……私の家、覚えていてくれたんですね」
 ローラの問いに歌姫が答えると、ロイは「そういうこと」と言って、ユミルとジャネットを見る。
「でも、それ以上に疑問な点があるんだけれど、兄さまはどうしてユミルさんやジャネットさん達がここにいるってわかったの?」
 ローラの素朴な問いに、ロイは笑って答える。
「ユミルとジャネットの家からこっちの方に匂いが伸びていたんでね。歌姫の家に向かったんだろうと思ったら案の定だ。ま、いなかったら諦めようって思っていたよ」
 さて、とロイはユミルとジャネットを見る。
「ユミル、ジャネット……本当に二人で盗賊団の残党に挑む気かよ?」
 ジャネットが頷く。
「ロイ。危険だと言いたいのはとてもよくわかる。じゃが、お主を巻き込むつもりは……そもそも無関係なんじゃしな」
 ロイは首を横に振る。
「ナナも大丈夫って言っていたけれど、俺はどうにもユミルとジャネットが心配でね。どっちにしろ、『困っている者を助けられる者になれ』って親父に言われているんだ。親父のように立派になるにはこれくらい通過儀礼さ」
 まっすぐにジャネットを視線を合わせ、ロイはそう反論した。
「アッシらそんなに頼りないでやんすかねぇ?」
「うん」
 ロイが迷い無く頷く。
「頼りないでやんすか……」
「ナナは俺より集団に対して強い面はあるけれど、それにしたって一対一なら俺より弱い。俺がお前らを心配するのもわかってくれよ」
 ユミルとジャネットは互いに顔を見合わせて溜め息をつく。
「ふぅ、仕方ないでやんすね。口で言っても伝わりにくいでやんすし、かといってここでその威力のほどを伝えるわけにもいかないでやんす。喧嘩と殺し合いの強さは違うと言うこと、後で教えるでやんすよ。そうでやんすね……ロイさんが喧嘩でも殺し合いでも強くなれるように、見せるのも良いかもしれないでやんす」
「そうじゃな、神の力が意外に強いところ……ロイに理解してもらえば、それもシャーマンとしてのやる気につながるかもしれないしな」
「はぁ……」
 『ついてくるな』とかたくなに断られることも覚悟していたが、結局大した説得もせずに動向を許可されて、ロイは拍子抜けした生返事。

「なんだか聞いているうちに兄さんばっかりずるいって思えてきましたね。私は一応おとなしくシーラの面倒を見ていますが、しかし兄さま。お店はどうします? 今ものすごい忙しい時期では?」
「それはまぁ……仕入れの方は、リーバーに任せている。接客の方は歌姫とナナにもがんばってもらうよ。って、ナナに伝えておいて……歌姫」
 ロイに言われて、歌姫は一瞬嫌そうな表情をしたが、
「かしこまり……」
 すぐに取り繕ってそう言った。ナナに労働を押し付けるのは気が引けると言うことなのだろうか。
「ま、話もまとまったみたいでやんすし、いきやしょう……アッシらは荷物運び、ロイさんは護衛と言う設定で、例の街道へ行きやす……しかし、街道自体はすぐにつきやすが、盗賊のほうがそう何度も来てくれるかどうか……見つかるまで店の仕事休むでやんすか?」
「あ~……今日見つからなかったらあきらめることにするよ」
「兄さま、行き当たりばったりすぎです」
 素っ頓狂な答えを返すロイに、ローラが呆れて肩を落とす。
「ロイ殿は仕方ない奴じゃな。それではローラさん、シーラをお願いいたす」
 ジャネットは溜め息をついてローラへ会釈する。
「かしこまりました。私もたまには小さな子供を抱いてみたかったところですので、お構いなく」
 さわやかな笑みで以ってローラが言い、一行は旅立った。

 雪解けの季節。暖かくなってきたとはいえ、やはり肌寒いこの季節。ジャネットはユキメノコという種族柄問題なさそうだが、ユミルはまだまだ寒いはず。その寒さをしのぐためなのかは知らないが、気温の低い季節は氷タイプに変身していることが多かった。とはいっても、荷物を運ぶと言う重労働は嫌でも体温が上がるので、今日はケンタロスの格好でも寒くはないようだ。
 そもそも、重い荷物を運ぶときはこの姿が気に入っているようである。荷牛車(にぎっしゃ)に乗せられて運ぶ荷物は見るからに重苦しいレシラムの逆鱗で、ロイの身長ほどに積み上げられたそれ(と言っても、一番上以外は小麦粉が入っているだけのダミーだが)は圧巻だ。これほどの量を昨日のうちに作ったのだと言うのだから、そのタークスという名のゴウカザルとやらに相当の復讐心があったことをうかがわせた。
 ユミルがひぃひぃふうふうと荷物運びに喘いでいるとき、ジャネットはというと時折涼しい風を運んでユミルの火照った体をいたわっている。ユミルとジャネットが夫婦なのだと聞いたときは少々驚きもしたが、なるほどよい夫婦である。
 ふと、ロイは物思いにふける。きっと二人は夫婦として男女の営みを行い、そして愛の上で子を授かったのだろう。それだけでなく、ジャネットは産婆だ。命の重みと言うものを誰よりも知っていておかしくない立場である。それについてはナナも言及していたからきっとそうなのだろう。
 それが、復讐のために一肌脱ぐと言うのはいかがなものか。二人は奴隷を生み出さないため、黒白神教のやり方で片をつけるつもりのようだが、果たしてそれは許されることなのだろうか? 自分とて、そんな盗賊どもは殺してしまえと思ったのは事実。しかして、それでいいのかと問いかける声はやまない。
 結局は、どれだけ考えてもロイの考えは変わらず『殺してしまった方が世のためだ』なのだが。

「なぁ……」
 たまらず、ロイは問いかけてみる。昨日ナナにも同じようなことを聞いたが、この二人はどんな答えが返ってくるのか知りたくもあった。
「命の大切さでやんすか? 気持ちの上ではロイさんもアッシらに同意なんでやんしょ? こんな言い方はいけないのかも知れやせんが……危険な芽を摘み取るだけでやんす。少数の犠牲のために多数を見殺しにするなんて出来ないでやんすよ。もちろん、少数も救えるものなら救いたいでやんすよ……神の愛で。
 しかし、アッシらは神にはなれないでやんす。神のようにはなれないから、全ての人を救うなんて出来ないでやんす。ならば、やっぱりアッシらが出来るのは早めに元を断ち切ってしまうこと。シーラに健やかに育ってもらうためにも……その障害は取り除くでやんす」
「そういうことじゃ。むしろじゃな、命が大切だからこそ殺すのじゃ。ワシらが神の愛とまでは行かなくとも、深い愛情を持って接することで奴らを更正させたとして、その努力を他のことに回せばもっともっとよい世界が築けたかもしれない……なんてことにならないとも限らんじゃろう。そうは思わないか?」
 ロイは答えられなかった。
「ポケモンは一度滅んで、世界は風も吹かず、日も昇らず……もしくは沈まず、春夏秋冬の巡りも、雨季と乾季の巡りもない世界が生み出された、という神話は形を変えて各地に残っておる。ラグナロクや星の停止といったようにじゃな。同じ滅びを別々に解釈・擬人化したのか、もしくはただの偶然なのか……ただの偶然だとしたら」
 ジャネットはそこまで言って口をつぐむ。あまり声を大にして言えることではないらしい。

「したら?」
「滅びこそ救済。と、全ての世界が暗に認めていると言うことじゃ……極端な話じゃがのう。偶然ではないとワシは思っているがの……しかし、滅びこそ救済と言うのはある意味的を射た言葉とも言えるのじゃ。縄張り争いは広い場所なら起こりにくいように、じゃな……」
「ナナが昨日言っていた。数が多すぎるから奴隷が生まれるんだって……それともつながるのかもな」
「そういうことでやんすよ。トカゲの尻尾きりはトカゲの尻尾が重要でないから出来るでやんす。そう、奴らはトカゲの尻尾……しかも膿んでいて、切らなければ病気になる傷ついた尻尾。アッシだって、殺すのは悪いことだと思いやすが……理屈じゃないでやんすよ」

「理屈じゃ、ないか」
 ロイが口にすると二人は頷く。
「でも、どうしてお前達二人がやらなきゃならないんだ? そりゃ、ムカつくのはわかるよ……でも、そんなのは軍隊の役目*6じゃないか。こう言っちゃなんだけれど、たいした関わりもないのによくやるよな」
「傍目にはたいした関わりはないかもしれないのう……じゃが、私はあの二人の赤ん坊を誰よりも早く抱いたのじゃ。強い酒で消毒した手も胸も血まみれになって、ぬるま湯で子供を洗い……『おめでとうございます、元気な男の子ですよ』と言ったのはワシじゃ。その時、キリンリキの尻尾に噛まれた傷は今も残っておるぞ、ホレ」
 といって、ジャネットは見せなくても十分目立つ傷を見せる。戦争に巻き込まれたわけでもない限りこんな傷は付かないと思っていたが、産婆という職業でこうなるとはロイも驚いた。初対面の時のイメージは何だったのか。

「子供を最初に抱き上げるのはワシ。元気な赤ちゃんであると言うことを最初に確認するのもワシ。夫婦の幸せを横取りじゃよ。
 助産師をこなした数が多いせいで、たいした関わりじゃないとロイが言う気持ちもわかる。じゃが、ワシは夫婦の幸せを横取りする権利を持った数少ない職業の産婆さんなんじゃ。
 幸せを横取りなんて関わりを持っておいてたいした関わりもないなんて言ったら罰が当たる。……ワシが腹を立てる理由は、それだけで十分じゃ……と思って欲しい。取り上げるのに最も苦労した子供の一人でもあるしのう。
 要するに、殺す理由が理屈じゃないなら怒る理由も理屈じゃない……そういうことなのじゃ」
「それはでやんすね、恋も同じでやんすよ。アッシ、何でジャネットが好きか正直わからないでやんすが……いつの間にか惹かれていたでやんすし。アッシがテオナナカトルに入ったのも、ジャネットのおかげでやんすからねぇ」
 そこから先、ユミルとジャネットのお惚気話が延々と続く。真剣な話をしていたつもりなのに、そんな話にシフトしてしまったことを呆れながら、ロイは苦笑した。


 休憩を挟みつつ、数時間ほど盗賊の出没地点をうろうろしていると、不意にロイが耳をピクピクと動かす。
「ところでさ……戦士の勘みたいなものが俺にはあってね」
「はい?」
「何でやんすか?」

「ロニ……あ、俺の弟ね。まだ生きているか分からないけれど。ロニや親父ならばエーフィだし、もうちょっと早く気が付くんだけれど……すぐ気がつけなくってごめん。後30秒もすれば、俺達は囲まれるから、準備は大丈夫かって言う話だ」
 ロイが小声で話すと、ジャネットは目を丸くする。
「ロニってお主の弟さんでローラの兄じゃったかな? ブラッキーの探知能力はエーフィに比べると低いはずじゃが、それだけ鋭いとなると……ロイ殿は戦争での地位は高かったのではないか?」
 ジャネットが尋ねれば、ロイは少々自嘲気味に笑う。
「親の七光りのおかげで、最初の戦で百人長を任されたよ。その時、殺したのは3人だけれど10人以上を毒に侵した経験もあるよ……といっても、まともに戦ったのもその戦一回きりだけれどね。後はまぁ……神権革命でね」
「そうでやんすかぁ……ロイさんは結構強いんでやんすね。それじゃ、その勘を信じて見るでやんすかね。逃げようとする奴がいたら黒い眼差しだけお願いしやす。この人数だと、通せん坊するのも疲れるでやんしょうし……この数どうやら、盗賊達は全員集合しているようでやんすね」
 ユミルはそこまで小声で言って、
「皆さん、休憩にしようでやんす。あんさんも休んで」
 そうして一行を休ませる。ユミルはムクホークに変身しなおし、荷物を積んだ牛車の上で休みに入り敵が囲みを狭めるのを待った。
 ジャネットは腕飾りを取り、そこに祈りを掛ける。紅蒼翠の宝玉がおしげも無くあしらわれたその装飾品は明らかな値打ちもので、周りを囲んでいる盗賊たちもそれを目にしてよだれが出そうなほど興奮している。しかし、ナナのフリージンガメンやロイの三日月の羽(ユミルは何を装備しているのだろう?)のように、それが普通の装飾品であるはずも無い。
 ジャネットが持つ宝玉の蒼の宝石は、雨でもないのに常に湿っている。それが突然蒼い光を帯びたと思えば、周囲はたちまち広範囲が水桶をひっくりかえしたような大雨に見舞われる。あまりに不自然な天気の移り変わりに、すでに獲物となるロイ達に気付かれいると判断したらしい。気配を隠すことも無く3人を囲む。

「雨を降らせるとか、粋な真似してくれるねぇちゃんだが……この数に勝てると思っているのか?」
「雨に乗じて逃げようってんじゃなかろうなぁ?」
 下品な口から下品な声が口々に響き渡る。
 3人は答えない。ユミルだけが動き、ムクホークの姿に変身する。足爪でレシラムの逆鱗が詰まった袋をやぶって中身を露出させた。不思議なことにレシラムの逆鱗がある場所は雨が降っていない。ジャネットがシャーマンの力でカイオーガの力を利用した結果と言うことなのだろうが、そんな事まで可能なのかとロイは舌を巻く。
「逃げ惑うのはそっちじないかと思うでやんすねぇ」
 土砂降りの雨が降り注ぐ中、ユミルが風を起こした。ロイやジャネットのいる場所を気持ち悪いくらいに的確に避けてレシラムの逆鱗が飛散する。
(目潰しなんてしたら、奴ら怒って殺しにかかるんじゃ……流石の俺でもこの数は無理だ……?)
 と、ロイが思っているうちに先走った盗賊が『このやろう』とばかりに攻撃を飛ばすが、その際に雪のように白い粉が龍の幻影となって、攻撃を包み込む。
 そして、喰らい殺すように攻撃を掻き消した。
「なっ!?」
 周りの盗賊、ロイまでもがそう言って驚く中、当然のような顔をしてユミルとジャネットは力を行使し続ける。ジャネットは逆鱗を濡らすのに雨に任せるだけでなく、カゴの実を握り締めて自然の恵みを発動している。
 そのジャネットの水の力と風の力によって、舞い上げられた粉塵は純白の龍の頭部の群れをなして襲い掛かる。
 逃げ惑おうとする彼奴らを、ロイは慌てて黒い眼差しで押さえつけた。すでにして遠くへ行こうとしていた機動力の高そうなオオスバメは、中空にて握りつぶされるような心臓の痛みを覚えて逃走を中断せざるを得なかった。
 逃げることを封じられたとわかるや否や、敵はこちらを先に倒すべきと攻撃を繰り出すが、やはりその全てが例外なく掻き消された。そこから先は、全てが地獄絵図。
 真っ白い炎。白陽に包まれて熱い熱いと泣き叫ぶのはわかるのだが、炎タイプのポケモンまでもが痛いと喚き始めた。どういうことだとロイが聞こうにも、その叫び声が五月蝿すぎて質問も出来ない。
 レシラムの逆鱗はうまくロイたちを避けただけでなく、不思議と火事も起こすことなく敵だけを徹底的に焼き尽くした。時には体内にまで入り込んで内側から焼き尽くすなど、想像したくない苦痛を伴うであろう殺害方法を以ってして。

「これはなぜ……炎ポケモンにまでダメージが? 確かにあのレシラムの逆鱗は強力だけれど……だからと言って炎タイプのポケモンにダメージを与えるほどでは……」
 全てが終わった後に。ロイが尋ねた。
「それはその……レシラムの逆鱗はドラゴンタイプの攻撃もかねているからでやんすよ。アッシが知っている限りでは炎とドラゴン……二つのタイプどちらにも有利なポケモンはいやせんので、おそらくはほとんどのポケモンがあぁなるかと……
 レシラムの逆鱗は強力なんでやんすが時間が経つと使い物にならなくなるのが難点でやんすがね……一週間もすれば、レシラムの加護はなくなるでやんす」
「もったいないな……まだ半分くらい残っているぞ?」
「もともとパルキアの力を強引にレシラムの力へと変換いたしましたものじゃからな、そういうものなんじゃ。神に頼りすぎるのも考え物と言うことにしておけばよい。それに、これは使用者が怒っていないと使えないのじゃ……逆鱗は怒りの象徴じゃからな。じゃから、レシラムの逆鱗という名前なんじゃからな。
 怒っていない状態でこれを作ろうと使おうと……ただの水に触れると熱を出す粉でしかないのじゃ」
 ロイの言葉に、ジャネットはそう答えた。
 その言葉の後、二人はしばらく散らばった死体を見つめていた。悲しんでいるような、哀れんでいるような瞳ではあったが、手を合わせて冥福を祈るようなことはしない。あるいは、黒白神教では死者を弔う時の作法に手を合わせる必要がないだけなのかもしれないが。
 飽きるほど死体を見つめて、二人は申し合わせたように刃物を手にする。
「ロイ、お主は死体を眺めるのは好きか? 苦手なら、きっと解体の役にも立たない。帰ったほうが精神的にも良いじゃろう」
 泣きそうなのか、潤んだ瞳でジャネットは言った。ロイが何の反論もせずに身を引く旨を伝えると、ユミルは『気をつけるでやんすよ』と言って手を振ってくれた。

***

『なんだかんだ言って、二人も結局誰かを殺すことへの抵抗は消えていないようだ。殺意や怒りは理屈じゃないとユミル言った。同様に好意も理屈じゃないとも言ったが、悲しみもまた理屈じゃないのだ。
 ジャネットにとって、殺されたキリンリキの子供と言うのは、自分が子供を取り上げたというくらいの繋がりしかない(とはいっても、それが重要なことなのかもしれないが)。
 知り合いの子供がむごい方法で殺されたからって、繋がりが薄ければそれだけで殺したいほど憎んでみたりはしないはず。そして、憎んだと思えばその殺す対象の死を見て悲しんでみたり……本当、理屈じゃないんだよな。俺もリーバーの事は……弟や妹と離れ離れで、サラさんに雇われてと言う時に知り合った子だから、あんなに愛してしまったのか。
 だから、俺はリーバーを虐待したシドに対して殺意を……理屈じゃない。そうなんだろうな……俺にも心当たりがあることだし。

 出来ることなら俺の母さんも理屈ぬきで俺を愛して欲しかったものだ。ジャネットは産婆を幸せを横取りする権利を持つ数少ない職業だと言っていたが……俺の母さんは、子供を育てる喜びまでも誰かに横取りされてしまったのか。
 いや、横取りされることに慣れきっていて、横取りを横取りとも思わずに俺を乳母に任せたのか。切ない……それと、本当に父さんが居てくれてよかった。
 なんと言うか、ジャネットやユミルのような母親の下に生まれてきたシーラは幸福だな。

 黒白神教において、何かを残すことが生きた価値だと言う。どんな罪人にもその生きる価値を残してやると言うその心がけ、言葉の聞こえはとてもよいものだ。そのために、テオナナカトルはあらゆるポケモンを薬にする方法を知っているのだから。
 けれど、それが言い訳でしかないことをユミルもジャネットも知っているのだろう。きちんと殺すのは悪いことだと自覚もあることから、それは確実だ……
 あぁ、もう!! 何を考えたいのかわからなくなってきた!! 二人が人殺しを悪いと思っているから何なんだ!? それで、ジャネットやユミルを好きになりたいとでも言うのか!?
 それにしても、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。←(恥ずかしいので消しました。解読しようとしないでね byロイ)
 血なまぐさい事を多くやっているテオナナカトルだって、世界を良くするためにはどうするべきかきちんと考えているんだもんな。勝手な正義を振りかざしているような気もするけれど……それでも、あいつらがやろうとしている祭りとやらがこの世界に恵みをもたらすというのなら……やってみたい。
 失敗したら確かにがっかりするけれど、誰も傷つかないし誰も死なないし……

 馬鹿みたいな話だけれど、本当に神が現れるのか確かめてみたい気がする。それに、ガラじゃないけれど俺達の次の世代のために……平和を残したいなって。

 なんだか、書きたい事ばかり書いていたら取り留めのない文章になってしまった。反省しなきゃ』

テオナナカトルの構成員、ロイの手記より。神権歴2年、3月29日
***

 翌日、また翌日と彼女らにロイが会うことはなかった。ただ、ナナと歌姫伝いに話を聞いてみると、かなりの薬の材料を持って帰り、家に篭りきりで薬の製作をしているらしいことをを耳にする。
 それでも一部の材料が腐るまでに間に合いそうに無いからと、大がかりな冷凍ビームを駆使するために果物商から買い取ったヒメリの実を届けてあげたのだと歌姫は笑っていた。
 その週末に刊行された新聞には、本当にナナの言うとおり変死体のニュースが取り上げられていた。炎タイプの者以外は大火傷。炎タイプの者はドラゴンタイプの技により殺害され、その亡骸はほとんど例外なく死体の一部が切り取られていたと言う。
 どのポケモンのどこが切り取られていたのかは定かではない。ただ『それは酷い変死体』とだけ書かれた簡潔な記事が街に売られているのみであった。


 その記事を見せても、ローラは決心を変えなかった。
「ローラ……お前がテオナナカトルに入ると決めたのなら文句は言わない。俺もシャーマンとして協力するよ。だが、テオナナカトルとつるんでいるのは構わないけれど……のめり込み過ぎるなよ?」
「分かってる。きちんと考えて行動するから……安心して、兄さん。それに、一番のめりこんでいる気がするナナさんだって、話してみればきちんと黒白神教の教えに疑いを持っているところもあるみたいだし……ま、一部だそうだけれど。
 こんな言葉があるのよ。『私はこの国とその象徴を誰よりも愛している。だからこそ私は、それらにいつでも抗議する権利を持つのだ』ってね。愛していればいるほど、よりよい方向を模索する……それが出来る黒白神教は、神龍信仰の保守派みたいな杓子定規ではないわ。父さんも、『伝統もたまには疑ってみろ』って言っていたし……父さんみたいに立派になるためには、テオナナカトルへの入信もいい経験だと思うわ。
 神龍信仰は伝統を重んじるから……いや、それは別にいいのだけれどね。でも、戦争の道具や陣形は100年でどれだけ変わる? 農民の農具や農法はどれだけ変わる? 周囲がどれだけ変わっても……神龍信仰の教えは何も変わらない。何かを変えるべきなのに、そうできない神龍信仰は……だから胡散臭くて信仰出来なかった。
 だからこそ私には……黒白神教が、テオナナカトルが肌にあっているんだと思う」
 ウインクを交えて兄に言って、ローラはご機嫌そうに尻尾を揺らす。
「ま、婚約者にしつこくダメだしする貴族の令嬢なんてお前くらいだもんな。そういうお前なら大丈夫だな」
「うん、大丈夫」
 元気よく言って、ローラは笑う。こうして、歌姫の家に居候してからしばらく考えたローラは、テオナナカトルの一員として働くことに決めた。

 この会話以降、レシラムの逆鱗の話題がロイの周りで上がることもなく、忙しい雪解け人の季節に起こった事件がひと段落した。



次回へ


何かありましたらこちらにどうぞ

お名前:
  • やっと全部読み終わった・・・
    作品が凄く長いのに読み手に飽きさせない書き方を出来るのが凄いと思います!!
    ロイ・・・真っ白になればよかったのn(殴
    ―― 2014-10-18 (土) 22:55:13
  • >狼さん
    読破お疲れ様です! 他の作品も見て行ってくださいね。

    >2014-03-27 (木) 16:27:23の名無しさん
    気合を入れて書いた長編ですので、ものすごく長くなってしまいましたね。それを苦にならないくらい楽しんでいただけたようで何よりです。
    ――リング 2014-03-28 (金) 00:43:56
  • 長編かぁ面白いだろうなと思い読むことを決意したのち読み更けること既に3日目…読み終えて50万字もあったのかと後書きを見て知る私 面白いと苦にならず得した気分です(眼は痛いのですが)まさかの番外編もあり喜びましたよ この年になっても\(^∀^)/ワーイ と
    番外編にて  ナナの期待どうりロイ…真っ白にならなかったですねw
    ―― 2014-03-27 (木) 16:27:23
  • テオナナカトル 読破しました
    ↓のコメント(?)から今までかかってしまいました。 やっぱり私は読むの遅いです。(悲
    ―― ? 2013-05-25 (土) 01:53:17
  • テオナナカトル これは強敵です
    張り切って読むぞー(燃
    しばらくここから離れることが出来ないです
    ―― ? 2013-05-21 (火) 21:14:12
  • >Mr余計な一言さん
    見逃していて、ものすごく変身が遅れてしまってすみません……今日直しました。ご指摘ありがとうございます

    >2012-11-19 (月) 20:19:00の名無しさん
    こんなところにも誤字が……たびたびすみません。お世話になります
    ――リング 2012-11-27 (火) 22:54:11
  • 今更めいた誤字報告です。

    「神龍の顎には、一枚だけ他の鱗とは違う方向。逆の向きに生えている鱗があると言われているの。その鱗が逆鱗……逆鱗に触れられると、龍は怒り狂うと言われているわ。それゆえ、我を忘れて攻撃する龍の技を逆鱗と称されるようになったの。

    技を逆鱗と称される
    は間違いで、正しくは
    技が逆鱗と称される
    技を逆鱗と称する
    のどちらかです。
    ―― 2012-11-19 (月) 20:19:00
  • 番外編で、誤字がありました。

    最後のシーンで
    [ナナの神の中にいるロリエの方を見て]
    になっております。

    失礼致しました。
    ――Mr余計な一言 ? 2012-03-17 (土) 21:46:28
  • >イカサマさん
    あんな言葉遊びで衝撃を受けてもらわれると、どうにも反応に困ってしまいます><
    今はこの作品が自分の中で一番だと思っていますが、いつかこれを超える作品を作られるように頑張りますね!
    ――リング 2012-03-16 (金) 22:46:09
  • 全体を通してみてBeeキャンセルの衝撃が忘れられませんでした!
    すばらしい作品をありがとうございます!
    ――イカサマ ? 2012-03-11 (日) 22:15:45
  • >チャボさん
    まずは、誤字の報告ありがとうございます。直させていただきました。
    そうですねぇ……作者としては主人公とヒロインに人気があって欲しいところなのですが、リムファクシの謎の人気に嫉妬せざるを得ません。
    今年中にテオナナカトルのお話をもう一度上げられるかどうかはわかりませんが、また皆さんの目に触れられるように頑張りたいと思います。
    コメントありがとうございました。

    >2012-01-09 (月) 02:14:10の名無しさん
    来年のことを言うと鬼が笑い……はい、どう見ても私の方が先に来年のことを言いましたすみません。
    見ての通りのスピードで執筆しておりますが、やはり更新量にも限界があるため、来年になってしまうことは避けられないと思います。それでも、待ってくれる人がいる限り、頑張らせてもらいますとも!!
    コメントありがとうございました。
    ――リング 2012-01-15 (日) 19:05:39
  • ふぅ…リム君最高ぉーっス…
    来年も期待しております!(早
    ―― 2012-01-09 (月) 02:14:10

最新の12件を表示しています。 コメントページを参照


*1 ミリュー湖名物の巻貝。たくさんのハーブとオリーブオイル、酒と合わせて蒸されたそれは、現在でもミリュー湖周辺では誰もが知る名産品である
*2 約900℃
*3 二酸化炭素
*4 生石灰⇒(CaO)
*5 炭酸カルシウム⇒(CaCO3)
*6 当時は、警察=軍である。そのため、軍が詰めていない大きな街は治安が悪い傾向があった

トップページ   編集 凍結 差分 バックアップ ファイル添付 複製 名前変更 再読み込み   新規作成 ページ一覧 ページ検索 最近更新されたページ   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2011-07-30 (土) 00:00:00
This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.