今日の午前中、ナナは森で野草摘み。テオナナカトルにおいて薬の調達を任されているナナはロイの汗やリーバーの処女蜜のような変わった方法で薬の材料を得ることもあるが、こうして地味な方法で材料を調達することだって少なくない。
とはいっても、今日はそんなことをする予定はなかったのだが、
セレビィの力が込められたフリージンガメンは、着用者の成長を遅らせたり、また進める能力を持つ。ナナは自身に成長を遅らせ若さを保つように使っているのだが、その分の埋め合わせに何かを成長させなければならない。つまりは誰かを老いさせるということだが、それは損なことではない。大体は成長させる対象を植物にする事で、薬になる木の実などを成長させ薬が手に入り、自分はいつまでも若く美しく。まさしく一石二鳥である。
ナナほどのシャーマンならば能動的にそれを発動させることもできるのだが、気まぐれで悪戯っ子なフリージンガメンは時折その能力を勝手に発動し、ナナはそれをフリージンガメンの導きや神託と称している。
ロイの酒場を決戦の舞台に指定したのも、テオナナカトルに勧誘したのもフリージンガメンの導きによるもので、ロイの酒場に季節外れの雑草が生えていたのはそういうことだったのだ。
今日もフリージンガメンは雑草を成長させてナナをこの森までナビゲートしてきた。トラブルメーカーな一面があるフリージンガメンの導きには多少不安があるが従わないわけにもいかず、ナナは森に来たついでに薬草を摘んでいる。
最初こそ面倒だったとはいえ、来てよかったとも思っている。最近は寒さも和らいできたので、左腕の肌寒さを気にする必要もなくなる麗らかな陽気。鼻歌でも歌いながらのどかな雰囲気と木漏れ日を感じての薬草摘みは、普段に酒や料理、もしくは乾燥した薬の匂いばかり嗅いでいるナナにとっては嬉しい変化である。
腐葉土の香り、木々の香り、春風が運ぶ草の香り。鼻腔を通り肺を満たすこの感触はまさに夢心地だ。
「待てぇぇぇぇぇぇ!!」
「嫌ぁ!!」
男性の声と女性の声、二つの声が同時に聞こえて、ナナは『待て』と叫んだ方を見る。黄色い影が通り過ぎた!!
(フリージンガメンに導かれたと思えば案の定か……所で、あの叫び声を上げたポケモンの女性はなんだったっけ……?)
敵はトロピウス。相性は悪くない。ナナは脚に力を込めて、低空飛行をしているトロピウスに飛びかかった。木の陰から身を翻し、いきなり目の前に躍り出たナナ。なんの修行も積んでいない者に、それをかわせるわけもない。
トロピウスの進行方向に並走するように走りだしたナナは、トロピウスの首に抱きつき、首に実る果実にかぶりつく。いきなり重みが増したトロピウスはバランスを崩し空中で横に傾く。迫りくる立木を避けられないと判断したトロピウスは地面に落ちてブレーキを掛けた。トロピウスにナナは押しつぶされる前にひらりと体から離れて、豊かな髪の毛から着地して安全に受け身をとる。
衝撃を受け流すように転がりながら受け身を取ったナナと、もろに衝撃を受けながら体を痛めつけたトロピウス。もはや勝負は決したと言ってもよい状況でナナは手を抜かない。駆ける、跳ぶ、首を踏みつける。グハッと、大きく空気を吐きだしたトロピウスがぐったと頭を垂れるのを見て、ナナは勝ちを確信する。
本能的にトロピウスの首にぶら下がる果実に歯形をつけてしまったのは失敗だったかと、噛み跡の付いた実を全て髪の毛の中に収納して証拠を隠滅した。
芳醇な香りのその果実をしまい終えたところで、ようやくナナは女性の存在について気にし始めた。この匂いは蜜……そして、通り過ぎた時に聞こえたのは羽音……そして、転がっているのはトロピウス。
「逃げていたのは多分ビークイン。
このトロピウスの男性は、恐らく果樹園で働いている職員もしくは経営者。先程逃げて言ったポケモンは蜜集めと花粉運びをやらせていた奴隷と言うところだろう。トロピウスがさっきの女性を追いまわすのは当然の権利(法律の上では、の話だが)だったのだ。それを殴って止めてしまうとは少々まずい気がした。
(とはいえ、黒白神教では奴隷は禁止。これでよかったのかしらね……どうせ私の事なんてだれも見ていなかったでしょうし。ま、だからと言ってこのまま逃げさせるに任せてもロクなことにはならないわよね。また捕まって別の所へ売られるのがオチ……ならば)
ビークインの放つ甘い匂いは非常に濃厚で、鼻の利くナナにとっては追ってくれと言っているようなものである。空を飛ぶポケモンに本気で逃げられてしまえば追うことは困難だが、奴隷階級と言うことならば逃げられないように翅の一部が切り取られたりもしているだろう。追いつくのは容易なはずだ。
匂い、そして翅音が徐々に近づいている。森の土は柔らかい。踏む場所を選ばなければ足を取られて転ぶこともあり得ない話ではない。踏む場所は選び、どうしても跳びにくい場合は枝につかまり体を振ってナナは加速する。
「とらえた!!」
ナナが跳びかかる。抱きついて翅を押さえこめばもう飛べない。抱き付く時に薄い羽根に胸を切り付けられたが薄皮一枚だ。ジャネットから薬をもらえば一晩で治ると思って、ナナは痛みを無視して抱きつき続けた。ナナの重さが加わった状態でビークインは落ちる、滑る、転がる。
「くっ……」
仰向けになってナナを視認したビークインが呻いた。
「逃げるな。そして抵抗するな……無意味に傷つきたくはないでしょう?」
「攻撃しろ!!」
抑えられてなお、ビークインは諦めない。このまま寝技を極めて疲労させようと思ったナナは、舌打ちして戦闘に備える。攻撃性を高める効果のある、香辛料のように鼻を刺激する匂いが立ち上る。
(コレが噂の攻撃指令か……待てよ、この匂いは
ナナがビークインを押さえているうちに腹にある六つの穴から、一匹ずつのミツハニーが躍り出る。ナナは爪にゴーストの力を纏わせ、神速の突きを放つ。研ぎ澄まされた爪から繰り出される神速の突きは、よけるのが困難だ。
狙いを誤ることなく貫くナナの爪がまず一匹を落とす。噛みつこうと突進してくるミツハニーの突進を身を伏せて避け、立ち上がる勢いでカエルパンチ*1。カエルパンチを喰らったミツハニーがゴムマリのように跳ね跳んだ所で髪を鋼のように硬質化させて振り抜き、後ろから迫っていた二匹をはたき落とす。残るは二匹、ナナは赤く輝く左腕の爪と、緑色の血液に濡れ光る右手の爪をこれ見よがしに構えて威嚇する。左脚はさりげなくビークインの腕を踏んでおり、咄嗟の反撃を封じていた。
「降参しなさい。『嫌』って言えるならば、降参しますとも言えるわね?」
「……ごめんなさい」
「全く、相手を見て抵抗すればいいものを……」
面倒なことに巻き込まれたな、とナナは溜め息をつく。
「やっぱりこの子はじゃじゃ馬だわ」
ナナはフリージンガメンを指ではじいて叱りつけた。
「全く、放っておいたらフリージンガメンに怒られそうだし……」
(いつも通り、ジャネットの家に集合するか)
ナナはふと気になってビークインの翅を見る。やはりというべきか、彼女の翅は遠くまで行けないように切られていた。
(全く……奴隷商は酷い事をする)
「その翅……遠くに飛べないように切られたのね? 酷いことするわね。進化した時に切られたの?」
「え、あ……はい」
優しい声を掛けられて、ビークインは動揺を隠せなかった。
「仕方ないわね、私の背中につかまって。おぶって行くから」
「おぶる……?」
ナナは苦笑して困り顔をする。
「そっか、小さい頃は腹の穴に入って移動するからおぶる必要はないのね……だからって、そんな言葉も教えてもらっていないなんて、可哀想に。私の首につかまって」
ナナは腰を落とし、ビークインの腕を受け入れる。恐る恐るナナの首に手を絡めるビークインの手を、ナナは笑って撫でてあげた。
「人目につきたくないけれど、あんまり幻影は長持ちしない……から、早めに行くわよ。しっかりつかまっていなさい、それと子供達もしっかり抱えていなさい」
幻影だとか人目だとか、それらの単語の意味するところがわからないビークインだが、ナナの命令にはしっかりと頷いた。肩の後ろで顎が動くのを感じて、ナナは風のように走りだした。
後ろへと流れる木々。景色が耳を通り過ぎていく速さで走るナナに揺られて、ビークインは早くも腕の力が怪しくなってくる。それでも落ちないように必死で掴まった。
街にたどり着いても、これほどの速さで走るナナを誰も気にしない。
「……どうしてみんな、私達を見ないのか?」
まるで自分達が存在していないかのような周りのそぶりが気持ち悪いのか、ビークインは不思議な顔をしている。
「それが私の能力の一つ……あんまり長い時間は使えないし、注意深い人には気が付かれるけれどさ……大丈夫、怖がらないで。私はあなたを悪いようにはしない……」
なんて笑顔で言っても説得力は無いようだった。収支怯えきった表情のビークインは、自分が酷い罰を受ける光景でも想像しているのだろう。それでも、ナナの強さを見た以上は抵抗する気も無くなってしまったようだが。
ジャネットの家に着いたナナは、ごめん下さいとお伺いを立てて家に入ろうとする……が。鍵がかかっている。
留守ならそれで合い鍵があるから良いのだが、扉に耳を当てると、
『ユミル……もっと激しく……あぁん!!』
『もう、蔓が疲れるでやんすよ~。ジャネットさんは仕方がないでやんすねぇ……この甘えんぼさん』
どうやら夫婦の営みの真っ最中のようだ。しかも、ユミルは草タイプの何かに変身しているらしい。卵グループを考えればロズレイドか何かだろう。
ナナは奴隷階級であるビークインと一緒にいる所を見られたくないというのに、外で待っていろとでも言うのか。しかし、ナナとて透明人間のように振る舞う幻影を維持するのは疲れる。少し考えたナナは、結局髪の中に手を突っ込んで鍵束を取り出し、夫婦の営みを邪魔しないようにそっと中へと入り込んだ。
「静かにね……声を立てたりして邪魔しないように」
ナナはそう言ってビークインを連れたままそっと居間に入る。
「さて、と……疲れたでしょう? そこのソファで眠っていなさい」
「あの……私は……」
「なにもしなくていいわよ。私はあなたを悪いようにはしない……分かる? 分からないならばそれでもいいわ……今は寝なさい。腹の子供たちと一緒にね」
柔和な眼差しでナナが笑っても、警戒はいまだに解けない。仕方がないか、とナナは笑顔を解かずにビークインを見守る。ビークインが特に動く様子もないので、ナナは首飾りを手にとって
「で、これいいのかしら? フリージンガメン」
フリージンガメンは応えない。このビークインを助けるように未だに、フリージンガメンに宿るセレビィの意志の目的は定かではないが、今のところお咎めもないので間違った事をしていないのだろう。
「まったくもー……本当に気まぐれなんだから、この子は」
『好きにしなさい』
琥珀から声が聞こえた。驚き、目を剥いたナナはフリージンガメンを強く握って問いかける。
「今なんて言った? もう一度繰り返せ」
フリージンガメンは応えない。
「くそっ……こいつだけはいつまでたってもじゃじゃ馬ね」
吐き捨てるようにナナが言うと、ビークインが怯えていた。雇い主の機嫌が少しでも悪ければ暴行を受けるなどされていたとでも言うのか、ナナの気分悪そうな表情がどうにも苦手なようだ。
(先程フリージンガメンはこの子を好きにしろと言った。フリージンガメンに宿るはセレビィの意志。平和な時代にしか姿を現さないセレビィの……私達の思うようにやれば、貴方の望む世界が作られるというの?)
怯えたままのビークインを監視しつつ、ナナはフリージンガメンの真意をはかるが、そんなことをいくら問答しても分かるはずがない。やがてビークインはナナに言われたとおり眠ってしまったので、ナナも考える事を止め、物音に気を配りながらの非常に浅い眠りについた。
◇
「なんか、甘い匂いがするでやんすね……あれ、このオイルの匂いはナナ?」
「一体どうしたのじゃ?」
仕事がないからという理由で朝っぱらから夫婦の営みに勤しんでいたユミルとジャネット夫妻。くんずほぐれつの後、ひと段落付いたところでようやくもってユミルがナナの存在に気が付く。
「どうしたもこうしたもこの気配……ナナが家に居るでやんすよ。お茶やその他甘い匂いまでするでやんすね」
「ま、まさかぁ……いくらナナとて、夫婦がこういうことしているのに入ってお茶とかそこまで野暮なことはしないはずじゃ……」
「わからないでやんすよ~」
言いながらユミルは、サーナイトに変身して眠っているシーラを抱っこする。サーナイトの状態では鼻があまり利かなくなるが、別の感覚が鋭くなる。間違いない。紅茶の他にも甘い匂いはかすかに漂っているし、感情の数は明らかに一つではない。
(強い警戒心と戸惑いを感じる感情が……かなり強い? いや、複数……一匹や二匹じゃないようでやんすね)
「やっぱり、アッシらの喘ぎ声聞こえていたかも知れやせんねぇ……確かに居るみたいでやんすよ」
ユミルはとりあえずそれ以外の診断よりもまずナナがこの家に居るということを先にジャネットへ教える。
「あの、悪狐!!」
「しかし、緊急事た……」
『緊急事態のようなので仕方なさそうでやんす』と言う前に、ジャネットは駆け出し乱暴に今のドアを開ける。
「リーダー!! お主、どういうことじゃ。あまりにも趣味が悪いのではないか!?」
「あ、お邪魔しています。先ほどまではお楽しみだったわね」
羞恥で激昂するジャネットに、ナナは動じることなく笑顔で答えた。彼女の体からは蜜と乳の匂いが立ち上っている……『
「お主のぅ……」
「しっ……」
ナナは口元に指を当てて黙るように促す。余った指で指示した方向には、無防備な体勢で眠るビークインの姿。
「……どういうこと?」
「ジャネット。私にそんなこと尋ねられてもわからないわよ……フリージンガメンのお導きなんだから」
困ったように笑って、ナナはフリージンガメンを手に取る。
「
でも、そんな所が気まぐれなセレビィみたいで可愛らしいのよね……フリージンガメンは。ムカつくこともあるけれどね」
ビークインの無防備な寝顔を見ているうちに気分が良くなったのだろうか、ナナの笑顔はシーラをあやす時のそれに似ていた。
「で、フリージンガメンには好きにしろって言われたけれどどうしようかしら? セレビィの期待を裏切って見る?」
「冗談ではない。そんなことしてフリージンガメンが拗ねたらテオナナカトルに何が起こるか分かったものではない……そうじゃな。どういうわけでここまで連れてくることになったのか知らぬが、お主はこのビークインに恩の一つや二つ売ったのじゃろう?」
まぁね、とナナは笑う。ジャネットはどうしたもんかと、顎に手を当てて考える。
「ふぅん……アッシらの子供は、二つの進化形があるでやんすし……一応大事を取っておくのもいいんじゃなないでやんすか? ローラさんのような例もあるでやんすし」
「そうね、貴方達子供を愛してあげているもんね……って、オニゴーリの場合は進化の条件に愛され方は関係ない、か。でも、あれを作るの?」
ジャネットは眠るビークインを見る。
「許可を取れれば……じゃな。そこは交渉する……というか、リーダーがしてもらえるかのう?」
「分かったわ。私に任せて……でも、その前にあれ。特殊な事情を持った新規のお客さんを迎える恒例の全員集合をしましょう。歌姫とローラもこの家に連れてきて……って、流石に女ばっかりね」
「ロイでも連れてくるでやんすか?」
「それだと遅くなっちゃうし……私もほら、お仕事のために酒場に行かないといけないし……呪術道具の材料採集を朝の内に終わらせるためにも、やっぱり女だけでいいわ。ユミル、行って来て」
「かしこまり!!」
ナナがビシッと指さすと、ユミルはムクホークに変身して外へと飛び出していった。
「それにしても、私が神子として大成するために日々禁欲生活を送っているというのに、ジャネットはお盛んねぇ」
まだまだ笑顔は崩さず、しかし皮肉たっぷりにナナが笑う。
「う……よいではないか。ワシはヴィオシーズ盆地に行けば陽性のエルレイドがいるのじゃから、神子にはなれるのじゃ……そんなこと言うならあんたも陽性のルカリオでも見つけて二人で神子になればよいではないか」
「男のルカリオなんて結構見つけたつもりだけれど、どれも役に立たないわ。貴方はいいわね、対になる有能なポケモンがいらっしゃって」
顔も声も笑っているが、心は全く笑っていない。嫉妬と嫌みたっぷりなこの言葉にジャネットは、
「羨ましいじゃろう、まったく!!」
拗ねてしまった。その時放った電磁波による攻撃で、ナナは軽く麻痺をさせられ、しばらく起きあがる事が出来なかった。
◇
「連れてきたでやんす~……って、何しているでやんすか?」
「次は私の番ね、頑張っちゃうぞ」
子供用のおもちゃであるヨーヨーやゼンマイのおもちゃなど、見るもの全てが物珍しそうなビークインは何気に人気を得ていた。現在、3人はゴチルゼル落としと呼ばれる、ゴチルゼルを模した絵の描かれた輪切りの積み木をハンマーで素早く落とす遊具*2による遊びに興じていた。元はシーラのために買った玩具なのだが、崩してしまった者が負けと言う単純なルールで始めると思いのほか盛り上がってしまう。
彼女の子供のミツハニーも楽しそうに見守っているその様は、見ていて微笑ましい。
「ほんとに……ビークインなんですね」
「ふむ……ナナさんも物好きですね。しかしまぁ……貴方達らしいというか」
おどおどした口調で歌姫は言い、ローラは呆れと好感を混ぜ込んだ口調でそう言った。
「ところで、名前は聞き出せたでやんすか?」
ユミルに尋ねられて、ナナは首を振る。
「いや、どうやら名前で呼ばれたことが無いみたいなの。困ったわね……私達が考えてあげても結局、呼ぶ人はいないわけだし……ま、いっか。みんな、座って」
ナナは皆に床に座った所で、至極真面目な顔をする。突然雰囲気が変わったことに不安そうな面持ちをするビークイン。ナナは無理にそれをなだめすかす真似はせず、終始笑顔でいることで安心しろと意志表示をする。
「さて、こんな話をするのはちょっとかわいそうだけれど……あまり長い間夢をみせるのも悪いから、言ってしまうわ。貴方は、明日の夜までには元の場所に返すわ」
ナナは希望を与えないように冷たく言い放つ。
「え……私、帰りたくない。ここの皆、皆優しいから……もう帰りたくない」
「皆って言っても、まだ私とジャネットとしか話していないじゃない」
言われて、ビークインは辺りを見回す。確かに、二人の名前しかビークインは知らなかった。
「いいわ、順番に自己紹介して……時計回りに、まずはユミルからお願いね」
さぁ、とナナは手で促す。
「ア……アッシはユミル。まぁ、見ての通り……と言いたい所でやんすが知らないでやんしょうし、種族名を教えときやす。種族名はメタモン。まぁ、いつまでこの名前を呼べるか分からないでやんすがよろしくでやんす」
「私はローラです。種族はエーフィ……以後、お見知りおきを」
二股に分かれた尻尾をふよふよと揺らして、ローラは会釈する。
「えと……私は、歌姫です。よろしくお願いします」
全員が名乗り終わると、ビークインは物足りなそうな顔をする。
「名前……」
「そうね、貴方の名前はないわね」
ナナはそう言って話を皮切る。ナナからは微かに花蜜と乳の匂いがした。
「それも含めてお話させてもらうわ……私達は貴方の元の仕事場所がどこなのかは分からない。けれど、私達のように優しい人がいないっていう事は……貴方が働いている場所って、相当酷い場所なのねぇ?」
「えぇ……もう二度と戻りたくない」
「でも、戻らなきゃいけないわけだけれど……あそこの雇い主が優しくなればそれで問題ないわけよね?」
「貴方達のように……優しくなるのですか?」
ビークインの問いに、ナナはうんと頷く。
「ちょっと、リーダーは何か良いプランでもあるのか?」
自信満々なナナにジャネットが問いかける。
「もちろん、無いわけないじゃない。でも……何の見返りなしにやってもらえるほど、世の中甘くは無いわ」
ビークインはゴクリ、と唾を飲む。
「貴方の体を、ちょっとだけ弄らせてもらいます。ちょっと痛かったり苦しいかもしれないけれど……それと引き換えに、貴方の待遇を改善させると約束するわ。だから、貴方の体を弄る事、それを許可してもらいたいの……貴方の子供たちも、心配しないで貰いたいしね。
どうするの? そのまま帰れば、貴方は酷いお仕置きを受けるでしょうね。でも、私達に従えば……そう、全てが上手くいく。私達に任せてみない?」
ナナに脅されて恐ろしい想像ばかりが駆け巡るビークインはおどおどしていた。
「お願いします」
しかし、このビークインはこの国で生まれ育った奴隷のようだ。少なくとも2世以上は世代を重ねた奴隷。虫の楽園と呼ばれる故郷の匂いも風景も知らないのは悲しいことだが、世間知らずこの上ない生活環境が幸いした。
このビークインは優しい奴ほど悪い奴が多いという法則も知らずに、労働ばかり強いられていたのだろう、酷く御しやすかった。
初めて触れた肉親以外の優しさに、このビークインは簡単に頼ってくれたのだ。無論、フリージンガメンの監視がある以上は酷い事は出来ないし、するつもりも元々ないが、話が以外にも早く済んだのは楽でいい。
「だ、そうよ。ユミルは準備して。歌姫とジャネットは小さなお客さんのお相手をして」
「かしこまり」
ユミル達が頷くのを見て、ナナはローラに視線を向ける。
「そして、ローラ。沢山の人の不幸と幸福に触れること、それが黒白神教流のシャーマンとしての強さを高める方法。だからね、私達のやること、ビークイン達の姿をよく見聞きしなさい」
「見聞き……ですか。そんなことでよろしいのでしょうか?」
不思議そうに見上げるローラの頭を撫で、ナナは笑う。
「そうよ。シャーマンとして力を高めると言うのは、世界とより強く一体化することに他ならないの。断食や瞑想によって自身を極限状態に置くことで一体化することもあれば、薬を使うこともある。テオナナカトル……私達の組織名の由来となったキノコを食べて一時的にシャーマンとしての能力を上げることもその手段の一つにすぎないの。
日常の何気ない事、さりげない心遣い。何を思い何を触れるか……それがを突き詰めることで他社と心を通じ合わせ、不幸も幸福も理解する……それは世界との一体化に他ならないわ。でも、そういう風に誰かの事を慈しむ気になるのは練習が必要よ。いざ誰かを慈しまなければいけない状況になった時には経験がものを言うの……だから、私達はこんな仕事を生業にしているの。
だからね、こういうものはつぶさに観察しておきなさい」
「観察っていうけれど……兄さまにやったことを考えると、なんか変態的ですね……」
「そういうイメージとはちょっと違うんだけれどなぁ……。苦しんでいる人を救おうと思う気持ち、他人の笑顔を素直に喜べる気持ち……そういう事がシャーマンとしての力を育てるんだから」
ナナは苦笑した。
「ま、変態的だと思うのが嫌ならば、アフターケアまでするのが私達の役割ってことで良いんじゃないかしら?」
「ん、そうですね。そういうことにさせていただきます……ところで、兄さんは?」
「ロイは仕事でしょう? 大丈夫よ、夜にはロイにもきちんと仕事はやってもらうし、貴方にも仕事はしてもらう。今はもう定職についていないんだし、どうせ暇なんでしょう? 薬の材料採集が終わったら昼寝でもしておきなさい」
言いながらナナは薬棚から何らかの薬を取り出す。薬の名前を見ただけでは何に使うのか分からないローラだが、とりあえずそれを目に刻みつけようと注意深く観察することにした。
「ところで、今から作るのはなんなんですか?」
ユミルがビークインを横にして、何かの薬を飲ませている。それを横目で見ながらローラが尋ねる。
「ん~……今から作るのはね、Bキャンセルって道具というか……変わらずの石って知っているかしら?」
「え、えぇ……変わらずの石さえもっと幼い頃に見に身に着けていれば、私もリーフィアに進化していたんでしょうがね。親兄弟に愛されすぎるというのも考え物ですよ。でも、Bキャンセルって言うのはあれでしょう? 進化をキャンセルする方法の総称で、お薬の名前では……」
「違うわ。Bキャンセルの語源とは『Bee』つまるところミツバチ、ビークインのことなのよ*3。ビークインはね、虫の楽園と呼ばれる大陸では数百の群れを作るけれど、その中に雄と雌は役7対1。もしも400の群れならば350対50……ただし、それだけの雌がいても、女王つまりビークインは一匹……って言い方は差別用語ね、一人なの。
それはどのような原理によるかというと、ビークインは女王物質と呼ばれる匂い成分によって他のミツハニーが進化するのを防いでいるのよ。私たちは今からそれを取り出そうとしているの。それを特殊な加工をした木材に振り掛ければ、十数年は匂いが消えない香木を作られるのよ。虫の楽園にて何らかの理由でビークインが他のポケモンと同居するときは、数日間ビークインから離れた場所で生活しないと進化が起こらないというわ」
ふと見れば、ユミルがルカリオに変身してビークインのマッサージをしている。どうやら発経によって体の内部から刺激しているらしい。
「そうなんですか……初めて知りました」
「もともと、黒白神教の道具であるBキャンセルは、確かに進化を止める方法の代名詞として黒白神教内外に広まった……けれど、その材料が何から出来ているかを知られてしまえば、奴隷階級であるビークインにどんな仕打ちが待っているかわからない。
だから、黒白神教の者たちはBキャンセルの材料を曖昧にした……そして、廃れさせた。そして今でもその名残として言葉だけが残されている……そういうことなのよ。本当なら輸入に金も時間もかかる変わらずの石よりも安価で手に入る道具なんだけれどね。もったいないこと……こうして役に立つものがすたれていくのね」
「ビークインが奴隷階級である以上は……」
「そう、材料の公開は無理ね。そんな事したらビークインが何されるか分かったものじゃないわ」
残念そうにナナはつぶやいた。
「で、その女王物質とやらはどうやって採集するんですか?」
ローラの素朴な質問に、ナナは笑顔になって答える。
「この女王物質は、進化した瞬間及び女王の役割を果たしているときに分泌される。女王の役割とは即ち、交尾と出産。だから、性的な刺激を与えることである程度能動的に体中から分泌させられるんだけれど……今回はあの女王様にフェロモンその他をたくさん分泌させるためのお薬と、理性を破壊するためのテオナナカトルを飲んでもらい、ついでにそういう食材も料理に混ぜさせてもらったわ。体力を回復させて元気になる食材もね。
そうして、性的な刺激で体中から発したフェロモンを、木彫りのペンダントに擦り付ければBキャンセルの完成……と」
「つまるところそれって……体を」
「うん、弄るの」
語尾に音符マークでも付きそうなほど楽しそうな声色でナナは笑う。
「大丈夫、あなたのお兄さんも似たような方法で汗や精液の中の毒を採取されたんだから」
「貴方たち……なにやっているのよ。付き合ってられないけれど……いや、でも私も似たようなもんだしなぁ」
苦い思い出を思い起こしてローラは重い溜息をついて意気消沈。
「っていうか、ユミルさんは子供もいるんじゃないんですかぁ? こんなことやっていていいの?」
「だから、本番は無しなのよ。それだけは鉄則……まぁ、長い黒白神教の歴史の中で破る人もそりゃいたでしょうけれど。さぁさ、ともかく私たちのやり方をきちんと見ていなさい。興奮してもいいのよ」
「私はそういう趣味なんてなーい!! やっぱり変態じゃないですかぁ!!」
「見るの。趣味があろうと無かろうとやる。報酬を得るために、日々の糧を得るためには大事なことよ。それに、テオナナカトルに入ったからには仕事を覚えてもらわないと」
大声で叫ぶローラに、あくまで笑顔のナナは有無を言わさない威圧感でローラに言った。
「ごめんなさい……」
あまりの威圧感に萎縮したローラは反射的に頭を下げる。
「あら、謝らなくたっていいのに。可愛らしい子ね」
しかし、そこにいるのはいつものようにローラの頭を撫でるナナ。ナナは横たわるビークインの元へと向かっていった。ユミルのマッサージによってすっかり息を荒げたビークインの目は、どこを見ているのかも定かではない。すでにして漂い始めた匂いは雄を興奮させるための役割を持つ香りで、女王物質とは異質なもの。しかし、通常よりも何倍も強くなったそれは、興奮を通り越して
現在別所に避難しているミツハニーたちがその誘惑に耐えられないであろうこの匂いは、まさしく天然の媚薬だ。自分が女であるにもかかわらず、その魅惑の香りにあてられ理性が曖昧になる中で、ローラはこのフェロモンも売ればそれなりの金になるんじゃないかと関係の無いことを思っていた。
ルカリオに変身したユミルは、時折蒼い炎のようなものを手の平から漂わせている。あれが波導というものなのだろうとローラは理解する。体の奥深くまで響く愛撫をしているユミルのそれの前には、虫ポケモン特有の硬い外皮も形無しだ。鈍感な外皮を貫いて届いた慣れない感触に、fビークインは酷くうろたえている。
しかしそれも、無理やりに快感を起こしている感じではなく自然に揺り起こすような、そういう愛撫の仕方だ。苦しそうでもなければ疲れていそうでもないのに、快感だけは一人前に感じているような。
そのユミルの孤軍奮闘にナナも加わる。しなやかでつややかな髪を床に下ろし、正座の姿勢をとってはビークインを膝枕。
「んあぁぁ……」
ナナが自身の手を唾液で濡らしてビークインの触覚を握る。どうやらそこは性感帯の一種らしくて触れた瞬間糸が切れたように漏れた吐息は蜜のように甘い。ハァハァと、こちらまで荒い息遣いが伝わってきて、ローラの敏感な体毛は湿気ともフェロモンとも付かない心地よい淀みを感じた。
ローラは自分も快感に呑まれたかのように体を震わせる。良く利く鼻も、大きな耳も、敏感な体毛も、周囲の情報を取り入れずにはいられないエーフィの体がローラの想像力を無駄に掻き立て、思わずどんな快感なんだろうとビークインの体に走る感触に思いを馳せた。
(なんて、気持ちよさそう……)
見ていれば、ビークインは触れられるたびに体をよじっている。湧き上がる快感に自分から飛び込まずにはいられないのだろう、自ら快感を得やすいように姿勢を変え、ナナたちの愛撫を受け入れようとする動きにはある種の羨ましさすら覚えた。
「どうかしら、働き蜂でもない私たちに奉仕されるその気分は?」
「いぃ、です……」
意地悪な質問でナナが戸惑わせようとするが、奴隷として生まれ育った彼女には羞恥心なんて無縁らしい。あそこまでやられたら恥ずかしくて相手の顔も見れなそうだが、そんなナナの思惑はどこ吹く風と、ビークインは潤んだ目をして笑顔で答えた。
(そんな反応されてナナさん困らないかしら?)
ビークインの言葉に対する反応はともかく、体に対するが徐々に良くなって来た所で、ユミルのマッサージのような手つきは相変わらずだが、ナナは触覚を綺麗な舌で舐め始める。
なるべくその鋭い歯に触れないようにではなく、歯による刺激と舌による刺激という緩急の応酬。一時も気を休めることなく、なおかつ手を変え品を変える千変万化の愛撫には、ビークインが気を逸らすことも快感を拒絶することも出来ない。
「はうぅぅぅぅ……」
搾り出すように弱弱しいビークインの声。どうやら達してしまったらしい。
「よし、と……この匂いは確かにBキャンセルね。ユミルのほうも確認して」
「間違いないでやんすよ。ルカリオの体は匂いを嗅ぎ分けるのは得意でやんすから、信頼しても良いでやんす」
先ほどまで、ビークインに怒涛の攻めを展開していた二人はというと、冷静に。なんだか見ていてむかつくほど冷静に装飾の彫られた木をビークインの体にこすり付けている。あれを首飾りにでもして商品として売り出すのだろう。
(あそこまで無味乾燥に作業されると無意味に興奮していた私が馬鹿みたいじゃないのよ……)
結局、なんだかんだ言って興奮し最後まで食い入るように見つめていたローラの気分もそこで急激に冷めていった。
***
『大きな仕事を請けるとき(どういう基準で「大きい」と決めるのかは不明だが)私たちはよく集められる。レシラムの逆鱗のときも、私は何度かあの夫婦の様子を見に行かされたっけ。あの時も復讐によって心が癒されたわけでもなかったようだが、少し心が楽になったような……そんな表情をしていたことを覚えている……けれど、これは何!?
なによあれ、私はレズの気はないって言うのに、ナナとユミルはビークインのことを……ちょっと羨ましいと思ってしまった私が情けない。しかもむかつくことにあの二人、手馴れすぎていて女性を悦ばせる事に何の感情も抱いていないかのようだったしぃ!!
あれは、ビークインに余計な感情を持たせないための一種の気遣いなのかしらね? ともかく、今回のは非常に良い経験になりました。えぇ、なりましたとも。だからもう勘弁してって感じなのに、ナナさんは自分でも薬の材料を調達出来るようにね♪ とか言ってくるしぃ……私も慣れて来ると二人みたいになんでもなくなってくるのかと思うと怖いよ……』
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