イェンガルドでは、旅に出た一行の様子を想像しながらテオナナカトルのメンバーは日々の雑務をこなしていた。人の不幸と幸福に触れ、他人の気持ちを理解する事で世界との一体化を図る。そんなシャーマンとしての力を高める仕事の方も、もちろん怠ってはいない。
現在ナナは、教会にて依頼人のチルタリスの事情に頷いている最中だ。
「なるほど、恋人と引き裂かれて……」
「はい……教会で愚痴をもらしたら貴方を紹介されまして……」
親の監視が厳しく、ボディーガード兼お目付け役の目から逃れられてナナに会える場所は教会の一室しかありえない。やはり、フリージアの言った通り、懺悔や悩み相談を行うこの一室を依頼人との打ち合わせに使うというのは良いアイデアのようで、依頼人も人目を気遣う事がないだけに会える確率は増大している。
「彼とは愛し合っていたのですが……私が庶民の男性と付き合うことを親は許さず引き剥がされ、私は親に彼の住む地区へ立ち入ることすら禁じられました。彼も、私の住む地区で見かけてしまえば罰というか……手切れ金の返還を割り増しで要求されるという誓約書を無理やり書かされまして……しかも、港町のケルアントまで引越しを強要されていましたし」
「ふむ……ケルアント自体は歩いて3時間ほどだから、会おうと思えばいつでも会えるわよね。貴方達のように飛べるポケモンなら30分も掛からないだろうし……でも、その距離も今は……決して埋められない、か」
「はい。私のスピードではお目付け役を振り切ることはで来ませんし……」
先ほどナナがちらりと見たお目付け役は、ピジョットとカイリュー。たしかに、チルタリスの彼女ではとても振り切れるようなポケモンでないことは確かだ。
「ま、そんなことはどうでもいいわ。重要なのは……それをどのように打破したいかよ。睡眠薬で護衛を眠らせ、ひたすら遠くに逃げるかしら? それとも、親と殴り合って意見を交し合うなんてのも漢らしくていいかもしれないわ。女の子だけれど」
「あの……そういうノリで励ましてくれるつもりなのかもしれませんが、それが出来れば苦労しないので……」
「あらら、すみませんね」
と、ナナは舌を出し笑ってごまかす。
「親からは、産んでもらった恩がありますし、育ててもらった恩もあります。その恩を返す方法は……私は政略結婚なんて方法ではなく、幸福に生きることでその恩返しとしたいんです。
そう言って、反発した私の意見も
そのためにはなるべく負い目を作りたくありませんし、誰にとっても必要以上の不幸は避けたいのです……ですので、出来れば誰も死なず大きな傷を負ったりすることは内容にお願いします。」
「ふむ……では」
ナナは、頬杖を付いて微笑む。
「改めて聞きますが、貴方は睡眠薬を盛るチャンスはありますか?」
「たまに護衛の二人に私が淹れた紅茶を振舞いますので……その時に」
「わかりました。それでは……大雨をおこ……あ」
何かを言いかけて、ナナは口を止める。
「どうしました?」
「今大雨を起こせる仲間が一人も居ないことに気が付いちゃった……どうしよ」
今は嵐を起こせるリムファクシも、紅青翠の珠を持ったジャネットも居ない。全く、都合の悪いときに焼却の平原とやらに出かけているものである。
「氾濫した川に飛び込んで自殺した風を装って姿をくらませようと思ったんだけれどなー……無理か」
「そ、それよりもこんな冬に氾濫した川にでも沈める気だったんですか? アンタ鬼ですか!?」
「まぁ、そんなところよ。逆に言えば、それくらいの根性もなしに甘ったれたことを言うのはいい加減にしなさいってことよ。これからも貴方にはきっと多くの苦難が待ち受けている。それに耐えるのであれば……冬の川に飛び込むことくらい……涼しい顔でこなさなきゃ。あ……寒い顔でこなすのか」
「一理ありますけれど……その、上手い事言わなくたっていいです」
ボケを交えるナナに対して、依頼人のチルタリスは冷静にツッコミを入れる。
「そうね、漫才をしているわけでもあるまいし……さて、氾濫どうやってさせようかな? それともそれ以外のプランを組んだほうがいいか……」
「大体、私一人のために水没する家が出るのはかわいそうですよ……9番街の家はすぐ水没するんですから……」
「それもそうね」
ナナは肩をすくめて苦笑する。
「ねぇ、貴方は毎日とは行かないまでもここに来れる日は結構あるかしら?」
「一応……最近は何かと理由を付けて教会にいっておりますので。一週間に一回くらいは……」
「うん、わかったわ。なら、その時にでも意見交換をいたしましょう。都合が付かないときは色々と書いた紙をフリージアさんに渡すよう言いつけておきますので……すみませんね、いつもはプランをすぐに考えられるのですが……ちょうど都合が悪くって」
「いえ、まだ前金も払っておりませんし……タダで愚痴を言えたと思えば悪くはないですよ……」
「あ、そういえばだけれど……彼はまだ元気にしているのかしら? その、ジュカインさんは……いや、元気かどうかはともかくとして、もう新しい恋人を作っているなんてことは……」
依頼人のチルタリスは自嘲気味に肩をすくめる。
「ありえますね。風の噂もあっちには伝わっているかもしれませんが、こっちにはあまり伝わってこない一方通行状況ですし。新しい相手を見つけてしまったなら。、そればっかりは最早どうしようもないかもしれません。
あの方には恋もしましたが、愛しても居るんです。愛するってことは互いの幸福を望むってことでしょうし……人を愛するっていうのは、そういうことですから。いつまでも手に届かない高嶺の花を眺め続け、崖崩れを待つのは首が疲れます……身近にある花を愛でることを悪いこととは言えないでしょう。
そんなときは……潔くあきらめて新天地で新しい恋人でも見つけようかと」
「ふむ……簡単に言うけれど、貴方に庶民の生活が出来るのかしら?」
チルタリスは力強く頷いた。
「えぇ、読み書きできるだけの知識もありますし、庶民と一緒に働いて生きているわけですから……それに、愛する人が居ればどうにかこうにか生きていけるでしょう。確かに……愛する人が新しい恋人を見つけていたら辛いですが……親から解放されるだけでも、やっていけると思います」
「うん、いい答えね……あなたの人生応援してあげたくなっちゃった……けれど、また元の生活に戻りたいと言っても、何もしてあげられない可能性があるから、それは覚悟してね」
「元より……そのつもりです」
満面の笑みを浮かべるナナに気おされ気味にチルタリスは頷いた。
「じゃ、早速プランを練らせてもらうわ。また教会に来てくださいね」
数時間後――
「と、いうわけなのよ……なんというか恋に恋するって言うのかしら……あんな感じの若い子は可愛いわよね。なんだか昔の自分みたい」
元酒場にして警察の詰め所。今は殆ど役目が変わってしまった食卓のあるその一室で、ナナは葡萄酒を飲みながら今回の仕事の概要を話す。
「しっかし、その人の言葉じゃないですが真冬の川に飛び込むとか考えたくないですね……だいたい、その人の言うとおり家が水没したら迷惑でしょうし」
「んもぅ、そんなのどうだっていいじゃない」
過ぎた話に突っ込むローラを、ナナは小突く。頭の表層に鈍い痛みを覚える程度の小突きにローラは顔をしかめて溜め息をついた。
「良くないでしょ……」
呆れるローラを無視して、ナナは語りに入った。
「私ね……そんな初々しい子を見て初恋のときのことを思い出しちゃったわ」
「へぇ、やっぱり32歳ともなれば色恋沙汰の一つもあるんだな」
ローラの憎々しげな視線を気にしながらも、ロイが茶化して笑う。
「そりゃあるわよ。私が恋をしたのはそう……踊り子を目指すきっかけにもなった人なのよ。こういう風なんだけれどね」
ナナは髪を掻きげると瞬時に姿を変える。
「その薄紫は曙の空のように美しく、鼻先に灯るオレンジ色は空に舞う一輪の花のよう。くすみの無い艶やかな毛皮上質な絹織物のよう。腕の先の柔らかな袖幕には官能的な香水を吹きかけられ、踊るたびに匂いを振りまく様子は花畑のよう。左右で違う香水を使っているのもポイントね。
すらりと伸びた肢体は均整がとれ、一切の無駄を感じさせない体つき。ひげはピンと張り、舐めるような視線を振りまく眼は燃えるような深紅の色なのに氷のように濡れ、透き通っている。
彼が踊る時に音楽はいらないの……袖膜が風を切り、叩き、そうして奏でる音がどんな楽器よりも美しすぎるから。誰もが振り向かずには居られない……そんな方が初恋の人なのよ」
「いや、その……女でやんすか?」
と、ユミルが首をかしげ、他のみんなも納得する程、そのコジョンドの姿は中性的。
「うふふふふ……」
ナナが口元を隠して笑う様も女性にしか見えない。ユミルは変身する対象の性別を特定することなど容易だが、ナナの作り出す幻影については性別を特定できないために、なおさら混乱しているようである。
「男よ……でも、香水のせいもあって良く間違えられていたらしいわ……。ティオルを誘惑して睡眠薬を飲ませようとした時もこの姿を利用したの」
「それで男……とても……そうは見えないですね」
ローラが感心したように驚いている。
「そりゃね、そのコジョンドは女性になりたがっていたから」
と、ナナが笑っていえば、その場の空気の流れが悪くなる。
「つまるところ……同性愛者って訳ですか?」
歌姫が尋ねて、ナナはコジョンドの袖膜で口元を隠して笑う。
「まぁね。オコジョなのにネコ*1な気質で……男性として男性を愛しているんじゃなくって女性として男性を愛したいって感じ。だから、女性から好かれると困っている風だったけれど……まぁ、私はほら、その時子供だったからなんだかんだで大丈夫だったみたい。
私も幻影を駆使して一緒に踊ったりなんかもして本当に楽しかったんだけれどね。でも、彼は風……風のように勝手気ままな旅人は、私を残して去ってしまったの」
どこか演技の入った様子でナナは独り言のように言う。
「やっぱり初恋って叶わないものなんですかねー……私も街の男の子に初恋しちゃいましたが、今はなし崩し的にワンダさんと付き合い始めてしまった感じだしなぁ」
と、ローラは貴族時代の昔を懐かしむ
「アッシは初恋が成就する形だったんでやんすがね。色々あるもんでやんすねー」
「俺の初恋は……」
ロイはちらりとナナを見る。各々の色濃い事情を聞きながら、ナナは嬉しそうに笑った。
「子供ってのは大胆でねー。私がそのコジョンドのお兄さんに思いを告げたら、その時に同姓愛者だって告げられちゃってさ。そしたら、私ってば『私が幻影で貴方を女の子にしてあげるし、私も男の子になる』なんて言っちゃってさ。馬鹿か私は。
今思えばかなりの問題発言よね、本当に……そのコジョンドは「セイスちゃんには期待してるよ」って言って頭を撫でてくれたけれど……今頃どうしているんだろ。どんな形でもいいから幸せに生きていて欲しいんだけれどなー……
昔を懐かしんで、ナナが微笑んだ。
「想像すると面白い光景だな。性別交換だなんて……いや、ナナにそれをやられたら怖すぎるか」
ロイがおどけて苦笑する。
「んもぅ、その言い方だとまるで私が野獣みたいじゃないのっ。ロイ相手にはそんなことをする必要もないでしょ? 貴方は異性愛者なんだからぁ」
「あー、はい。すまんね」
ロイは肩をすくめて苦笑する。
「さてさて、話題が大幅にずれちゃったわけだけれど、みんな何かプランはあるかしらね?」
ナナが話を戻すと、途端にみんなが黙ってしまう。
「ま、そうなるわよね……アイデアはまぁ、ゆっくり出しましょう」
と、ナナが椅子に深く腰を掛けたその時、ユミルがおずおずと形態を変えて手を上げた風な形をとる。
「あのー……アッシ一つだけいい事考えたんでやんすが、良いでやんすかねぇ」
「うん、何でも言っちゃいなさいよ」
「よく考えればでやんすね……なんだかんだ言ってアッシは海の歌謡祭の時にルギアの姿を幾つか覚えたんでやんすよ。大人の男女とリムファクシの三つでやんすね」
皆の口が開いたまま、ふさがる様子がない。
「で、やんすから……そのチルタリスがルギアと駆け落ちすれば流石に諦めてくれやせんかねぇ? 嵐とか起こせやせんし、エアロブラストも一発撃てば疲れて変身が解けるでやんすが……飛ぶくらいなら長い時間できやすよ」
「だ、大胆なこと考えるわねぇ……まぁ、それもひとつの案として保留しておくけれど……他には何かないかしらねぇ?」
ユミルの突飛なアイデアに呆れつつも、そんなのもありかなとナナは納得する。アイデアというのは予想外な方向から出来るのもある。色んな案を出しておくことに損はないはずだ。
(ただし、ユミルのアイデアにとらわれ過ぎないようにクリアな心で……)
僅かな酒を添えられて行われたその話し合いは夜遅くまで続けられ、そして一応のアイデアが出そろうこととなる。
その後の教会で行われた依頼人とのやり取りでプランは決定した。さぁ、あとは実行するだけだ
話し合いから4日後。依頼人のチルタリスが街路を歩いているところを、待ち伏せながら、歌姫は不安そうな面持ちをしていた。
「……しかし、本当にやるのですか? なんというか、身も蓋も無い作戦というかなんというか……バレません?」
歌姫は肩をすくめる。
「うふ、昔ね……」
「その話は……何度も聞きました」
ナナのお話と言うのは、昔ヴィンセントからの依頼で
その時ナナは、あらかじめ傷をつけた腕を幻影で覆い隠して、必要な時に幻影を解いてあたかも傷が一瞬で現れたように見せかける。ネタをばらしてしまえば非常に簡単なタネである。ただし、幻影が働く部分が極端に小さいだけに、見破るやミラクルアイを使えるポケモンですら容易にはばれにくいという利点も併せ持っていた。
今回もそれと似たような事だとナナは言うのだが、そのやり方と言うのもまた、スティグマとは対照的に悪魔的な所業であった。
人体発火現象。オカルトチックなその現象は、ポケモンが突然発火しそしてそれ以外は殆ど何も燃えずに残るという不可解な現象である。
例えば炎タイプであれば、精神の昂ぶりに応じて自ら焼き尽くしてしまうなどと言う事は珍しい話ではあるものの、取りざたするほど不可解な現象ではない。例えばそう、ヒコザルやヒトカゲなど猛火の特性を持った幼いポケモンがそうなりやすいと言われている。
しかし、炎タイプでない者が
それでシャンデラやヘルガ―など見た目が恐ろしげなポケモンが魔女狩りにあった歴史などもあったなど、決して起こって欲しくない現象ではあるが、死亡を偽装するにはもってこいだ。
後者である悪魔の所業という説は、特に物盗りに見られる痕跡がない時に良く囁かれる説であり、教会内での資料もたった5件と極めて少ない事例だ。だが、前例が存在しているのならば、たとえ眉唾ものでも利用しないのはもったいない。
それを再現しようとした言いだしっぺは、またもやユミルである。『「街中で死んじゃえば死んだことに出来る」のならば、神懸かり的な力で消え去っちゃえばいいでやんす』――とか何とか言って。自身の姉の夫のであるシャンデラの顔を思い浮かべながら、アイデアを出したそうな。
もちろんのこと、ナナは幻影でその光景を作りだす役。歌姫はガヤとなって、燃える幻影を見て騒ぎ立てる役。ユミルはケンタロスに変身し、積み荷に依頼人を隠して街の外まで運ぶ役。ローラは追従して周囲に気を配る役だ。
ロイは今回の作戦には特に必要なく、あまりガヤの人数を多くし過ぎても不自然なので見学である。そもそもロイは有名人なので、あまり表に出る役は引き受けないのだ。
全体的に見れば、今回は本当に単純で突飛すぎるほどの作戦だ。しかして、突飛だからこそ纏える信憑性と言う者もある。難しいことではない。神龍信仰における天使の位を与えられたグラードンやラティアスは、炎を扱う力を秘めている*2。教会内では、「それに焼かれたい旨をよく呟いていた」――と、フリージア達教会の者に証言させる。
「恋仲と引き裂かれた哀れな女性は、自ら天に召されることを望みそうなったのでしょう」なんてお涙頂戴を演出させるだけでも、フリージアがやれば信憑性を帯びる。
フリージアの言葉であれば悪魔の仕業でも神の仕業でも構わない。神龍信仰に対する信頼が失われた今でもこの街の住民にとってはフリージアのネーミングだけは一種のブランドだから、効果てきめんであろう。
「来たわよ……。歌姫ちゃん、しっかり騒ぎなさい」
ボディーガード兼、お目付け役のカイリューとピジョットの目の前でそれは行われる。
(前金を受け取った以上、仕事はお互いが全力を尽くすよう教会で神と司祭の前で誓いあったわけだし……神龍信仰を捨てたとはいえ、レックウザへの義理立てはきちんと行わなければね)
ナナは深呼吸をして心を落ち着かせる。
タイミングもへったくれもない。超常現象は突然に起して然るべきだ。ただし、ミラクルアイや見破るを持ったポケモンがこの場に居てはならないが、そういった技を持っていそうなポケモンがいないタイミングを見計らえばあとは幻影を張るだけ。
「ぐあぁっ!!」
依頼人であるチルタリスの口から突然炎が踊り始める。通り魔的なチルタリスの行動に叫び声が上がった。が、どうも様子が違う。チルタリスは苦しそうに前のめりに倒れ伏し、七転八倒している。いつしか体内を焼きつくされたチルタリスは声すらも焼かれて動かなくなってしまった。
そして、それでも炎は止まらない。叫び声を上げる女性。腰が引けながらもきちんと水を掛けてあげる優しい男性。冗談じゃないとばかりに逃げる者。護衛兼お目付け役のピジョットとカイリューもなんとか消そうと尽力するが、それも焼け石に水にすらならない。
全く勢いの衰えない炎は、チルタリスの全身を全て焼き尽くして灰すら残しはしない。まさしく超常現象と言うにふさわしい現象が起こって、しかし誰もそれを幻と気付く事はなかった。
戸惑うギャラリーをよそに、周りが予想通りの反応を見せた事に小躍りしそうな気持ちを抑えてナナが笑っていた。
(成功……ね。後は、貴方次第よ)
「さて、もう十分でやんすね」
一方、ユミルとローラはというと。歩いて3時間ほどの距離にあるケルアントへ向けて出発したまま、順調に街の外まで依頼人を運んでいた。ここまで離れればよもや発見されることも無いだろうという、イェンガルドの街が地平線の向こうに隠れる距離でようやく彼女は解放された。
「テオナナカトルのみなさん……お仕事、ありがとうございます」
「いえいえ、報酬に見合った仕事をしたまででやんすよ」
「金では買えない物を手に入れたので……って、詩人でもないのに気取った事を言うと恥ずかしいものですね」
はにかみながら、依頼人のチルタリスは笑った。
「……はぁ、何だかデジャブというかなんというか。昔の私と似ているけれど、行動に移した所が偉いわね」
貴族時代の自分を思い起こして、ローラが溜め息をついた。
「私は……神の導きがあったから……」
「そう。私なんて神に家を解体されちゃったからこんなところにいるんだけれどね。まったく、神様ってのは気まぐれだわ。導く事で救ったり、強引に救ったり……」
力なく笑い、羨ましいわ、とローラは付け加えた。
「どうします? 会いに行きますか? 一応、前もって調査した限りでは……今も貴方の事を思っている風なことをほのめかしていましたし、まだ独身貫いているわけですから……」
「え、あ……」
ローラの問いかけにチルタリスは口ごもる。
「ま、それが普通の反応でやんすよね。でも、心の準備をしないと死ぬってわけでもありやせんし……」
「言葉が出なくなってしまいますよ……」
苦笑するユミルの言葉を、依頼人のチルタリスは否定する。飽くまで心の準備をしないと言い張りたいようだ。
「それは分かりますけれど……相手はもっと不意打ちなんですから、どうせ相手の方が言葉が出ないですよぉ」
チルタリスの言葉を、ローラは優しく否定する。
「ちょっと……心の整理をしなきゃ」
なんて事を言いながら、依頼人のチルタリスはひたすらまごついていた。それでも、なんとか決心してから、意を決して依頼人は昔の恋人へ会いに行く。
昔の恋人が住んでいる家まで案内すると、後はもう一人で大丈夫だからとチルタリスは二人のこれ以上の介入を拒む。その際、ユミルとローラは残りの報酬代わりに貴金属や宝石の類を受け取った。互いにお礼を言いあった後は、依頼人とテオナナカトルの面々は別れ、恐らく二度と会うことも無いだろう。
ロイやローラにとっては、貴族を止めて心底良かったと思える依頼でもあったこの依頼を終えて、ロイはナナと一緒にいられるこの贅沢な時間を噛みしめる気分にさせた。
その仕事を終えた翌日、ロイはナナの家を訪ねて、ナナを外に誘う。
「あら、貴方からデートに誘うだなんて珍しいわね。私を何処に連れて行こうって言うの?」
「リーバーが、一度踊りに来てくれってナナを誘いたがっているんだ。お前も、踊りたがっていただろ? だから……その」
「なんだ、デートじゃなくってお仕事の依頼なわけね」
「す、すまん……」
「いいわよ、別に。私もたまには人前で踊って見たかったところだし……」
屈託の無い笑顔を見せて、ナナはロイを抱き寄せる。不意打ちの抱擁に、ロイは体を強張らせた。その硬直は一瞬で解かれたが、今度は子供が甘えるようにナナに頬をすりよせた。
「ふふ、何よその可愛らしい反応は?」
「いや、ただ……神龍信仰のお偉いさんが起こした神権革命で家が没落した時、本当に恨んだりもしたけれど……ナナ、お前と一緒にいられて本当に良かったなぁって……今回はほとんど仕事に参加できなかったけれど……今回の仕事を終えたら何だか急にありがたくなってね」
「まぁ、確かに依頼人さんは何処となく貴方と立場が似ていたものね。籠の鳥って辺りが。でも、今更私と同じ世界で暮らせることに対するありがたみを覚えたわけ?」
困り顔で、しかし笑顔でロイは唸る。
「うーん……まぁ、そんな所。っていうかそれしかないだろう?」
「まあね……」
真面目な顔で見つめられて、ナナは少々はにかんだ。
「ナナ……寒い……んだよな」
ふとナナを見上げると、彼女は左腕を庇うような変わった腕組みをしている。
「ああ、うん。火傷しちゃって毛が生えていないものでね。普段は幻影に包まれているから見えないけれど……」
「そう」
ソファの右側に座っていたロイは、これ幸いとばかりにナナの左隣を陣取る。普段は身長差があるのでナナの腕を温められるとまではいかないものの、ソファに座っている今ならそれも可能だ。
「あったかい……けれどやっぱり、二足歩行が彼氏の方がよかったなぁ……私って贅沢かな?」
「ま、まだ言ってるよこいつ……」
呆れてロイは苦笑する。
「でも、貴方が好きなことには変わらない。それで十分じゃない? 今でも、ずっとずっとあなたと一緒にいたいもの……二足歩行じゃなくっても……貴方と一緒ならいい。これは妥協じゃない、心の底からの……私の願い」
「……早ければ来年の春分に祭りが出来るんだろう? そうすれば、処女を卒業しても構わないのか」
「えぇ、シャーマンの頭数が揃った旨を連絡したし、後は返事待ちだけ。祭りが行えたら私……処女解禁よね。……お祭り終わったら、結婚しましょう」
意外なところでその一言が来たが、何故か驚く事も突っ込みを入れることもせずに、ロイはすんなりとその言葉を受け入れる。
「ふぅ……お前に合う指輪用意しておかなきゃね。ナナは首輪を頼むよ」
嬉しそうに頷いたロイが愛おしくて、ナナは息が苦しくない程度にロイを抱きしめる胸に顔を埋めさせられたロイは、高鳴るナナの鼓動に耳を澄ませて微笑んだ。
◇
リムファクシはセフィリアに無理に足並みをそろえる必要はないといわれて以降、吹雪や霧で視界が悪い所でもなければ休み休み飛んで追いつくように移動した。そもそもそのような事態に遭遇する前に、セフィリアはそれを感知して上手く休憩を挟むので、リムファクシは常に足並みそろわない移動をすることになるのだが。。
セフィリアが心配したように、あまり皆と話が出来ないことを少しばかり不満に持っていた節はあるが、基本的にいくつもの山を越える道中は特に会話を必要とするでもなく、また殺風景ではなくとも同じ景色が続けばそれなりに話題も尽きてくる。会話をするのも、食事の時と就寝前でほとんど十分である。
たまに宿屋も無い小さな集落に立ち寄っては、唐突に押しかけた家の主人のつまらない冗談と暖かい料理に心身を休め、そして目的地へと徐々に歩みを進めていく。
東南へとひたすら突き進み、十数日経ってはクレーターへとたどり着く。斜めに形成されたクレーターは、丁度円形の皿を斜めに建てかけたような形をしており、焦点は南の方を向いている。これが冬至の日に丁度太陽と軸が平行になるのだと言う。
それなりに高地であるここは雪がうっすらと積もっている。ここまで南に行けば、平地であれば温暖な気候であり、高地であっても降り積もる雪は少ない。隕石によってもたらされた大寒波は、ここに雪を厚く積もらせたのだが、今となっては所々地面の肌が覗かせるここに自分達の力で雪で覆わなければならない。今はもうこの場所には雪など殆ど無いのだから。
そして、厄介なのが草木である。焼き畑の民が総出で行う回収作業でも、集めきれなかった灰がこの地にばら撒かれ、それが植物を旺盛に成長させているのだ。それは。特に雪が降り積もる東側に集中して草刈りがなされているし滅びの歌での草の死滅も行われているものの、完全ではない。
「これがその……クレーターですか……大きい。ここに雪を降らせればよいのでしょうか?」
これは骨が折れそうな作業だな、とジャネットは唾を飲む。
「あぁ、だが……それも、茫々に生えている草をなんとかしてからだな。それについては私の出番だな」
「焼くのですか?」
「いや、焼くのであれば、それにふさわしい奴がいるだろ? ほら、あのギャロップとか、クイタランとか……最終的にはそうするが、まずは俺が違う作業をするんだ」
ジャネットの問いに、セフィリアは頭を下げ鎌で指し示して答える。
「私がするのは……滅びの歌で死滅させることだ。メロエッタの加護を受けた私は……声の届く範囲にいる者を問答無用で死滅させる力を持つのでな……まぁ、クレーターの外で耳を塞いでいれば恐らくは大丈夫だ。
もしも気分が悪くなったら、一応復活の種を用意してあるだろうからそれを食べて回復するんだ」
「復活の種……ですか?」
ジャネットに尋ねられ、セフィリアは喋り過ぎだとばかりにクララが説明に入る。
「ああ、それはなぁ。ホウオウ様の命令によってな、ウチら一度焼いた森は20年間使用しちゃいかんことになっているんや……そのため、一度使用した森というか畑というか、とにかくその場所には、プッカツノキという木を植えるんや。もちろん、聖なる灰の肥料付きでな……それはちょうど20年で実を付ける木……ウチらは、それを目印に再び焼き畑を行うんや。
聖なる灰によって出来たプッカツノキはフッカツノキと呼ばれ、滅びの歌による死亡や体調不良を極限まで防ぐのや。兄さんはガンを治療する際にこれと滅びの歌を合わせて使うんやで。かっこええやろ、ウチの兄さん」
クララは鼻先でセフィリアを指し示し、得意げに言う。
「なるほど……貴方にしか出来ない治療法というわけですか……」
ジャネットはセフィリアの方に流し眼を配り、微笑む。
「ああ、そうだな。だが、その滅びの歌云々も……まずはただいまを言ってからだな」
「せやなー。久しぶりに家族に会える事やしなー」
姿の見えている同胞を指して、クララは笑顔を露わにする。
「……ただいま、かぁ」
喜ぶ二人を、リムファクシは憂いげな表情で見つめていた。
「ホームシックか?」
クララが尋ねると、リムファクシは頷く。
「……海を離れた事、後悔しておるんか?」
クララはそっと、リムファクシに肩を寄せて、慰めるように語りかける。
「ううん」
リムファクシはかぶりを振って否定する。
「後悔しているのと、懐かしむのは……別の感情だよ」
「そっか。ならええんや……」
肩をすくめながらクララは笑いかける。そんな会話をしている間に、こちらに気づいていた焼き畑の民の一員がこちらを目指して飛行してきた。
小さな骨で体を装飾しているそのバルジーナはクララたちとは違って集落に常駐するシャーマンのようで、体を飾る骨は一族の死者のもの。弔いと慰霊の意味を込めているのだと。三つの部族に分かれている焼畑を行う民の内、クララやセフィリアと同じ出身らしいそのバルジーナは、名をミトラ。
もう何人もの子供を生んでいそうな、肝っ玉の強さが顔に表れてるような同道とした表情の彼女は、余所者を連れてきたクララたちに文句を言おうとしていたらしく、嘴でリムファクシたちの額を貫かんばかりの勢いで向かってきた。
しかし、飛行の最中に持ち前の視力でリムファクシの種族に気が付いてからは、スピードを緩める。その素性を神龍信仰の見張り役からもたらされた噂で聞いた、
そうしてミトラは左の翼をたたみ、右の翼を伸ばすという翼のあるポケモンにとって標準的な跪き方での挨拶をし、ベースキャンプを張っている自分達のテントへと案内を買って出る。
もてなしは豪華であった。クララとセフィリアは、普段焼畑によって生産された食べ物を口に出来ない戒律だが、里帰りというべきか、こうしてベースキャンプに腰を落ち着けたときばかりは目一杯の料理を振舞われている。食料を生み出してくれたホウオウへの御祈りをすませた後は、リムファクシとジャネットがそのおこぼれに預かる形になったが、それでも食べきれないほどの量には苦笑するばかりであった。
塩を得るのが難しいのか、味の薄い料理であったが、聖なる灰によって性質を改良されたその野菜や穀物はどれも甘くみずみずしく、味付けの必要もないほどだ。
もてなしの最中、リムファクシとジャネットはここに訪れた目的を事細かに話し、リムファクシの病気を治したい旨を説明する。雪を撒くことで聖なる灰の収量の上昇を約束し、頼み込んだ。
「つまるところ、ただ見学に来たわけではなく下心があってきたということか……」
クララ達とは別の部族のをまとめる長らしきゼブライカの男性は、リムファクシとジャネットに対し良い顔をしていない。
「その言い方はないのではありませんか? 族長」
クララは旅に出ている時からは想像できないほどまじめな顔つきで反論する。
「畏れながら申し上げさせていただきます。我々の不始末の尻拭いを行ってくれただけでも歓迎と恩返しに値しましょう。しかも、貴方の部族出身のティオルが我々の正体を明かしておきながらも、この者たちは我らをかばいホウオウ信仰の民、焼畑を行う民の名を出さずにいました。
つまるところ、神龍信仰との全面戦争を避けつつ、ティオルの凶行を止めることが出来たのはこの者たちのおかげでございます。余所者を嫌いたい気持ちは理解致しますが、この者達が略奪や搾取のために動いてきたわけではないということを理解していただきたく願います。
分かりますでしょう? 一人は皆のために。皆は一人のためにと、それがホウオウ信仰の基本思想ではありませんか」
クララに言われて、族長は反論できなかった。
「あたいもそう思うよ。氷タイプだってのにこんな暖かい地方までくんだり着てくれるなんて嬉しいことじゃないかい。この人ががんばってくれるだけで灰の収量も増えて質も良くなるってんならやらせてみるべきだよ。
下心がどうのこうの言うんだったら、まずはその腕前を見てから決めようじゃないのさ。こいつも、この小さな神様もあたいと同じシャーマンだよ。強い力を持っているはずさね」
ミトラはジャネットとリムファクシを指して恐れる様子もなく整然といってみせる。どうやら、年齢の関係もあってか立場はそれほど変わらないか、むしろ長よりも上の立場を持っているような印象さえ感じる口調だ。恐らく、明確な格付けはなくとも発言力は上なのだろう。
「私も、ミトラの意見に賛成だ。彼らには今年の祭り一回くらい下心を許してやるくらいあって然るべき恩義があるはずだ。それに、雪を降らせてかつての姿を再現するというのなら是非やるべきだ」
別の部族の族長らしき、サンドパンが同様に意見を言う。
結果的には、『やらせるだけやらせてみて出来高で渡す灰の量を決めよう』というのが結論になり、今年一年くらいは成果がなくとも多少なら譲って構わないだろうというのが総意のようだ。ゼブライカ以外にも反対派の者はいたが、恩人であるという事や聖なる灰をたくさん採集できるかもしれないという魅力が優先する結果となった。
「では、お前の仕事は明日からだな」
そのクレーターに雪を降らせる前に、まずやることがあって、セフィリアはそれを行うためにクレーターの中心へと歩いて行き、そこで滅びの歌を歌い続けた。如何にメロエッタの力を借りて強化された滅びの歌であっても、アブソルとの距離が離れすぎてあまり強い効果は現れないらしい。
そもそも草木すら死滅させるという時点で異常な滅びの歌であるため、どちにせよひたすら苦笑いするべき力の持ち主といってよいわけだが。彼の歌は、非常に低く、渋い歌声であり、テノールやバリトンあたりの歌を歌えばそれなりに賞賛されるレベルまでは達したであろう。
しかし、その歌は直に頭の中を蟲に引っ掻き回されるような強烈な不快感を孕んでおり、数秒も聞いていれば吐き気がしてたまらない。呑気にセフィリアの歌声を聴こうとしていたジャネットとリムファクシは、その不快感に驚きすぐさま耳を塞いだ。
強烈な不快感から逃れようと、二人はふらふらとベースキャンプへと向かう。明日に備えてゆっくり眠らなければいけないというのに、さわりだけ聞いた滅びの歌のせいで頭の置くが鈍痛に悩まされ続け、二人はなかなか寝付けなかった
「気が重くなりますね……」
改めてみると大きな雪原である。クレーターに生えていた植物は、夜通し歌い続けたセフィリアの頑張りのよって全て枯れているが、それで広さが狭まるわけでもなく、むしろ解放感が増したおかげで広くなったようにすら感じる。
「ほな、ウチらは待機しとるから何かあったらいつでも呼ぶんやでー」
「頑張りなよ。あたいらの中には氷系の技を使える奴はいないから、皆期待してっからね。腹減ったらいくらでも言いなさいよ」
クララの部族が代表して激励に来たのだが、セフィリアは天幕の中で泥のように眠っているらしい。激励してくれた二人も、寝床を貸してくれたレントラーのおばさんも、完全に投げっぱなしである。上手く風を起こすことのできるポケモンと雪を降らせるポケモンが必要という事で、必然的にリムファクシとジャネットという組み合わせが最高ということになる。
それでも応援がたった二人というのは寂しい物だが……
「なー、ねみーよ。何もこんな夜からやんなくたっていいじゃねーかよー」
時間帯が深夜だから仕方ないというのもある。
「この時間帯にやれとの指示ですので……諦めましょう。しかし、見送りが寂しいですね……」
「やれって言うんならやるけれどよー……夜なんて面倒くせーなー」
「面倒くさいといいますが、貴方の命がかかっているのですよ?」
何だか目的を半分ほど忘れていそうなリムファクシに微笑んで、ジャネットはやる気を促す。
「……そーだった忘れてた。やろう、今すぐやろーぜ」
「うふふふ、張り切り過ぎてばてちゃダメですよ?」
ジャネットはリムファクシの背に乗り、その長い首を優しく抱きしめる。抱きしめられた感触に、リムファクシは顔をほころばせる。その表情を見られないように、リムファクシは前を向いたまま振り向かなかった。
ジャネットはテオナナカトルを口にしていた。酷くまずくて不格好なそのキノコは神の肉とも神のキノコとも呼ばれ、幻覚を見ている間シャーマンの瞑想の効果を数倍にも数十倍にも高めるという。その状態で神器と呼ばれる物を通して自然と一体化すれば、普段とは比べるべくもないほど強化された力を振るう事が出来る。
「まずは……とにもかくにも雪を敷き詰めませんと話になりませんし……。リムファクシさん……風を」
「うん……」
リムファクシが頷く。まだジャネットにテオナナカトルの効果は現われていない平衡感覚を失っていない状態だが、 念のため落さないようにと気を付けて上空に飛び立つ。重力が増した感覚と、地面が遠のく感覚。二つの感覚に心臓を握りつぶされる思いでジャネットは息を飲む。
これを楽しめるロイはすごいな、とジャネットは心の中で思いながら、まともに掴まる事が出来ない
クレーターを見下ろせる位置にくると、流石に高度ゆえの寒さが身を包むらしい。肩の筋肉が酷く強張っている。動いているうちに熱くなるだろうからと、ジャネットは見守ることにした。
(私が気をつけるべきは、リムファクシを冷気に巻き添えにさせないこと。粉雪を注意して放たなければならない)
ジャネットが力を解放する。溶けない氷と共に、自身に出来得る全力を以って、柔らかな粉雪を周囲に舞わせた。リムファクシは、周囲に風を回し続ける。成長したルギアであれば無意識のうちに出来る嵐を精いっぱい発生させる様子は、いつものリムファクシとは違い、人の子から神の子になっている。
突如唸るような強風が周囲を薙ぎ始める。嵐が起こり始めたがしかし、台風の目となるリムファクシとジャネットの周りは驚くほどに無風。
「流石ルギア……」
子供であってもルギアはルギア。小さいながら伝説と呼ばれたその力を目の当たりにして。ジャネットは息を飲む。しかし、自分の作業は疎かにならないように粉雪は振りまき続ける。クレーター全体を覆うほどの激しい粉雪は、リムファクシの起こした鋭い風と合わさって吹雪の様相を呈している。
黒い地面が見る間に白い雪に塗れて、陶器のような美しい純白の肌を形成している。だが、それを全ての場所に行うのは先は一筋縄ではいかない。ようやくテオナナカトルの効果が効いてきたころには、まだ100分の1も終わっていないのだ。
「大丈夫か? ジャネット」
「問題無しじゃ。次行くぞ」
やがて夜が開けると、ちらちらと見物客が混じりだす。ただ見ているだけではなく、真っ先に動き出したのはバルジーナのシャーマン、ミトラだった。雪が厚く積もっている場所に赴いては、風起こしで雪を伸ばしている。こまごまとした作業ではあるが、足跡を付けたりしないための配慮なのだろう。作業を始めるのは飛行タイプのポケモンばかりであったが、それでも絶妙に気が楽になっていくのが嬉しかった。
また、逆に大きく削られ凹んでいる部分には、枯れ草で埋め立て少しでも平坦にしようとしている者もいる。まぁ、この灰を作る儀式が焼き畑を行う民一丸でやるべき儀式であるという事がよくわかった。
残念ながら、大きく変形している場所は補修も簡単なのだが、正確な放物線を描くのはメタグロスの神憑きの子がいなければ不可能である。光の焦点がバラバラになってしまえば、如何に雪を積もうとも意味はない。ホウオウは殆ど太陽光の力を借りず、自分の炎のみで羽根を焼き払う事になり、それではいい灰はとれない。
雪を均すのは、焼き畑を行う民。ホウオウ信仰の民にとっても重要なのだとひしひしと伝わってくる。
頑張っているのが自分だけだと感じた時は何とも乗り気のしない仕事であったが、こうして多くの者が作業につくと嬉しい気分だ。二人が共に疲れ果てて地上に降り立った時には、暖かい料理が迎えてくれたりなど、待遇は悪くない様子。
頑張っているのがやはり自分達に集中しているきらいがあったが、今度はジャネットが休んでいる時でも代わる代わるの作業が行われている。雪をまぶす作業は雪ありきであるため、先に雪ふらしをジャネットにやらせたと言ったところであろう。
◇
見る見るうちに雪は延されていったが、冬至の日の当日となっても全ての場所が雪で被覆される事はなかった。それでも、例年の数倍の雪が覆うそのクレーター ――焼却の平原は夜でも眩しいくらいに月明かりを照り返していた。
冬至の日、昼を迎えて一行は空を見上げる。3つの部族が参加するこの儀式は、祭りのようにどんちゃん騒ぎはしないというが、盛り上がるというのはいかなる状態なのか。現在、空はすみ渡るほど雲ひとつない晴天。太陽を見上げればそれは白く輝き、その光を照り返す真っ白な雪原でさえも直視しようとすれば眩しさで眼が眩む。
その雪原の状態はまさしくジャネットとリムファクシのおかげなのだが、当の二人は疲れ果ててバテバテである。リムファクシは羽毛に隠れて見えないが、陶器のようにきめ細かく白い肌を持ったジャネットの顔には5日の内に深いクマが縁どられている。
だらしないねぇとばかりにミトラに叱咤激励されたが、その際の受け答えも半分眠っているかのような疲労ぶり。結局、二人はクララ達と同じ集落に属するドダイトスに背負われたまま、こんこんと眠りについてホウオウの到来を待つこととなった。
罰あたりというか不謹慎というか、この儀式に参加する者としては前代未聞の態度で臨むことになったが、雪に覆われた広いクレーターを見れば誰も文句をつけられない働きをしてくれた事は理解できた。
しかし、ホウオウの光臨を寝顔で迎えるわけにはいかない。
「そろそろだな……バテているのも良いが、きちんと目を見開くといい」
セフィリアが呟いた。災害を予知するポケモンというが、きちんと災害以外なにかも予知するのか、その体毛の所々を逆立てている。リムファクシが中々起きないので、ジャネットは揺さぶってリムファクシを起こし、儀式が始まると伝える。
起きあがったリムファクシは静かに頷いて太陽の方向を見る。まだ、影も形も見えないホウオウを待ちわびていると、不意にすさまじい感覚。
クララやセフィリア、もちろんジャネットやミトラなど、シャーマンの役職についている物が軒なみ顔を上げ、体を強張らせるその神威。リムファクシだけはすさまじい気配に気付きはしたものの、体を震わせることなど無かったが、それでもすさまじい気配には胸をざわつかせている。
突如空に白光が煌めき、二つ目の太陽と錯覚するほどの強烈な光が目を焼いた。
眩んだ眼が慣れた頃にようやくその姿を拝めたホウオウは、今のリムファクシとは比べることすら無礼と思わせる雅やかな雰囲気を纏っており、その姿を見ただけで胸の高鳴りが抑えられない。体中を覆う深紅の羽根も、翼の裏に並ぶ極彩色の羽根も、冠のような頭頂部の飾り羽も、菊の花のような鮮やかな尾羽も全てがメロメロボディ以上に人を惹きつけるオーラを纏っているようだ。
「あれが……ホウオウか……」
リムファクシが感嘆の声を上げる。対して、声すら上げられないジャネットは、ふらふらと前に出ようとする。もっと近くで見たいと無意識のうちに思っての衝動的な行動は、セフィリアの鎌で制されて阻止される。リムファクシも思わず前へ出ようとしていたようだが、ミトラに尻尾を踏まれて阻止されていた。
何故とめる? と、恨めしい視線で睨みたくもなったが、ジャネットも自分が悪いことを素直に認めて小さくだが頭を下げる。再び振り向いてホウオウを見れば、ホウオウは羽ばたくたびに光の粉のようなものを散らし、太陽光が粉に反射する様子は砂金をまき散らしながら飛びまわっているようにすら見える。
ホウオウは三つの部族が総動員して囲むクレーターの周りを高空から見下ろすように一周し、それを終えてクレーターの焦点と思しき場所に位置を定めると、そこから山吹色の光を放つ。
遠く離れたジャネット達のいる場所でさえ直視に堪えない強烈な光のようで、周囲の景色が全く見えない。不思議なことに、周囲の景色が消失するほどのその光では凝視していても眼が眩まない。それを「不思議だ」と感じる前にクレーターには異変が始まっていた。
雪原が青白く燃えている。あそこに踏み込んでいたらジャネットは大火傷どころではすまなかったかもしれない。
「ありゃ、低温の炎やから、死ぬっちゅうことはないやろうがな……ま、怪我はしたやろうなぁ」
クララがジャネットにそう言った。ジャネットは何も言わなかったし、そもそも聞こえていたかすら疑問だが。
その青白い炎は空の青とも海の蒼とも違う。心が安らぐような美しさを内包している。高鳴った心臓が静かになった所で、炎が消えた。低温の炎に晒された雪は、ただ降り積もらせただけの雪よりもずっと滑らかで、さながら鏡面であり、そのクレーターを雪解け水が絹糸のように伝っている。
クレーターに集中していると、不意打ちのようにホウオウが
甲高い鳴き声と共に口から吐き出した光の珠がクレーターの中心に落ち、さざ波が海岸を這うように広がって行く。光が這いあがった場所は、クレーターを伝う水が水銀のように輝き始め、今までで十分に眩しかった雪原を雪以上に眩しく光を照り返す。
「よく見ときな。これが焼却の平原の由来さね。毎年見ているけれど飽きないものさ」
ミトラが言い終えた瞬間、太陽に勝る光がホウオウを包み込む。クレーターに集まる光を全て一点に集めたホウオウは、その反射光ですら思わず目がくらみ誰もホウオウの御姿を捉える事が出来なくなる。
その眼が正常に物を捉えられるようになる頃には、古い羽根の焼却は終了していた。灰が太陽光を反射して星のような光を放ちながら落ちていき、意識を見守る者達はその美しさに息を飲んだ。
そうして、儀式を済ませたホウオウは滑空しながらまた何処かへと飛び立っていく。
――のが、いつもの儀式であったが、今日は違うようだ。
「こっち来よるで……」
まるで狩りの獲物を見定めたかのように真っ直ぐジャネット達が見守る場所へ。ホウオウは物凄い風圧で雪を砕きながら接近した。ホウオウはそのまま、空気を殴るように翼を広げ急停止。
「きゃっ!!」
ジャネットを始めとする周りの物をふき飛ばしながらゆったりと地面に降り立った。軽い上に、地面に踏ん張っていないジャネットは為すすべなく吹っ飛ばされたが、空中で何とか体制を整えて地面に激突する前に静止する。だが、その時見た光景があまりに異様過ぎて、結局その場にへたり込んでしまうことになる。
「おー……でかいなぁ、お前」
例えホウオウ相手でもひるむことなくリムファクシは言う。口調もいつものままで、他の人が卒倒するような鋭いプレッシャーもリムファクシ相手には全く意味を為さないようだ。
「あの、リムファクシ殿……ため口はまずいんじゃ?」
情けなく尻もちをついたまま、震える声でジャネットは注意する。
「ルーダ様にタメ口聞ける者がいるなんてねぇ……あたいには真似できないよ」
体に巻いた骨をカラカラと鳴らしてミトラが苦笑し、ホウオウの御前に跪いた。ホウオウは皆の顔色を伺うようにゆったりと巨大な翼を畳み、リムファクシを見据える。リムファクシの近くにいたジャネットも慌てて跪く中、やっぱり空気を読まないリムファクシはただ突っ立っている。
「よそ者がこの儀式に参加するとは珍しい。何者だ?」
穏やかな口調、穏やかな目つきでホウオウが尋ねる。
「おいおい……人に名前を訪ねる時は自分からってクララが言っていたぞー」
「ちょ……確かに言ったけど……私に責任を押し付けないでよ……」
確かにクララはロイに名前を訪ねられた時にそのような事を言ったが、リムファクシが神相手に引用することまで見越したつもりはない。
あまりの気まずさに、クララは跪いたままホウオウの顔を見るのが恐ろしくなってしまった。
「これはとんだ無礼を」
ホウオウが苦笑してリムファクシを見る。
「私の名前はルーダ。種族は見ての通りホウオウだ。して、君の名前は?」
「おう、俺の名前はリムファクシ。ルギアって種族なんだけれど……お前すごいなー。毎年あんな風に羽根を燃やしてるのかー?」
「まあ、な。ところで……二人のよそ者がいるようだが、こ奴らは何者だ?」
今度はリムファクシから眼を離し、ミトラの方を見てルーダは尋ねる。
「それは私から語らせていただきます」
名乗り出たのはセフィリア。
「ひょんなことより発生した我らの不祥事の方を、我らに代わって解決してくれた恩人にございます。この度、ルーダ様に無礼な発言をいたしましたが、大切な客人故にどうかご容赦をお願いしたい」
「構わん。無作法など瑣末な問題だ」
ルーダは鼻で笑う。
「それよりも興味深いのは……海の神、ルギア。リムファクシよ……なにゆえに地上に舞い降り、恩返しという名目でここに参った?」
「……聖なる灰は、万能薬だって聞いたから。俺、病気を治したくって」
ぶっきらぼうにリムファクシは答える。
「リムファクシ殿に助力するため、より良い灰が採集できるよう、ワシがこの地に雪を降らせました……」
「ふむ……」
どうしたものかと、ルーダは首をかしげる。
「ユキメノコとルギア……二人とも、強い力を秘めているようだな。シャーマンか?」
「え、えぇ……ゼクロムとレシラムを主神と崇める信仰の出身ではありますが……そちらのリムファクシもまた、神でありながら同じ信仰に属しております」
ルーダのプレッシャーに気圧されながらも、
「なるほど、理解した。さて、そちらのルギアはその体臭……徐々に体が麻痺してしまう死病だな」
「あ、うん……物知りだなお前……誰が病気かすら言ってないのに分かるなんて、お前いい医者になるぞー」
「ふふ、海の神に褒められるとはまた光栄だな」
ルーダは笑いながら再びリムファクシを見据えた。
「結論から言えばお前の病気は今回の灰程度では治らない……」
一瞬、リムファクシがこの世の終わりのような表情をする。その様子を見て、ルーダは思わず笑ってしまった。
「話は最後まで聞くといい。今まで生きていた中で決して燃える事がなかった羽根……抜け落ちて朽ちるばかりだった、私の頭についた冠羽根を灰にすることが出来れば、治すことも可能だ」
「マジでか?」
リムファクシが嬉しそうに顔を上げる。
「マジでだ」
その無邪気な仕草に、ルーダは微笑みながらリムファクシを見た。
「だが、まだ話は終わっていない。繰り返すようだが、最後まで話を聞いた方がいい」
「う……」
ルーダに思いっきり睨まれて、リムファクシは肩をすくめる。
「先程のように太陽光を集めても私の羽根を燃やすのには及ばなかったのだぞ? どうやって燃やす?」
尋ねられてもリムファクシは答えられず、思わず仲間の方を振り向いた。
「ジャネットー……」
「わ、私に聞かれても分かりません」
当然の答えが返ってきたので、リムファクシは再びルーダを見る。
「ターボブレイズ。レシラムの、全てを焼きつくす炎が真の力を解放するならば、恐らくそれも可能だ」
その場で跪いていたクララとセフィリア、そしてジャネットが一斉に顔を上げる。
「レシラムの炎……ですか。一体何をするおつもりですか、ルーダ様?」
クララが普段の取り繕った訛り口調を排して尋ねる。
「最近な。妙な噂を聞いたのさ」
勿体ぶりながらルーダは語り始める。
「と、言いますと?」
「サーズダイン……私の親友のゼクロムの名前なのだがな。そいつが言うには……どうも最近、ゾロアークの女が行われなくなって久しい祭りの復活だか復興だかを目論んでいるとかどうとか」
クツクツと、ルーダはくぐもった笑い声を上げる。
「そして、その中にはユキメノコのお前……名前は何だ?」
「ジャネットです」
「ジャネット。そう……祭りの復活の言いだしっぺがお前だというのもそれとなく聞いた。最後にその噂を聞いた時は確か、ハピナスが仲間になっていたと聞いたが……」
「よく、ご存じで……そのとおりですよ……件のハピナスが仲間に入った際……報告しに行ったこと、今でも覚えております」
肩身の狭い思いで肩をすくめ、ジャネットは頷く。
「さて、何をする気かというそっちのライボルトの質問だが……」
ルーダは得意げにもったいつける。
「レシラムは親友の親友だ。羽根を灰にすることくらい、自身を崇めてくれる者のためなら首は振らないだろう。だが、私がただサーズダイン越しにレシラムへ頼んで、お前に完成した灰を渡すだけでは非常に味気がないしつまらない。そこでだ……私もゼクロムの祭りに参加させて楽しませろ。それが交換条件だ」
有無は言わせないと言った口調でルーダがリムファクシを見下ろす。
「おー、ホントかー!? 俺なら大歓迎だぞー」
手放しで喜ぶのはリムファクシだけ。ジャネットを始めとする他の者たちは言葉を失っている。特にジャネットは馬鹿を見る目でリムファクシを睨んでいる、
「あぁ、ちなみにサーズダインの奴は是非来てくれと言っている」
見せつけるような表情でルーダはそう宣言した。
「えぇ!?」
当然、ジャネットは表情を崩すほど驚いた。
「伝統的に一人の神が参加し、二人の勇者が戦うあの祭りに、本当の本当にゼクロム……サーズダイン様が許可されたのですか?」
「うむ、後はお前らの許可が取れれば私を招待するような旨を、あの女は漏らしていたな。それに、伝統的な祭りも何も……その伝統はもう壊されたからこそ、『復活』させるのだろう?
伝統などすでにあってないようなモノならば、それに拘る必要もあるまい。新たな祭りを作ってゆくというのもまた、悪くないことだと私は思うぞ……変化の中から真実は見出されてゆくのだと、サーズダインも言っておる」
「ごもっともです……」
反論できずに、ジャネットは頭を下げる。
「……まあいい」
ルーダは周りを見渡した。
「祭りに参加したいというのは確かに私のわがままだ。こうして、跪き傅かれることに不満があるわけではないが……たまに子供が喧嘩をしているのを見ると羨ましくなる。だから、私も子供のような喧嘩をするために参加したいなんて幼稚なわがままを言うかもしれない。だが、所詮この世は我がままの押し付け合い。人間も神も変わりはしない」
強調するようにルーダは付け加える。
「ようするに……お前の愛するルギアを助ける交換条件として、私のわがままを聞いてくれるか? なにも、神とは慈悲に溢れた性格のものばかりではないのだ。」
再度尋ねると、ジャネットの体はプレッシャーに負けて硬直した。
「……ジャネット」
懇願するようにリムファクシがジャネットを見る。
「私の一存では決められませんが……善処いたします。祭りのコンセプトは……結局盛り上がればいいと思っている方も多いですし……」
そう答えてもいいものかどうか、ジャネットには判断しづらかったが、とりあえずジャネットはそう答える。
「その祭りを開催できるのはいつになる?」
「恐らく……来年には」
ほう、とルーダは感心したように息をついた。
「期待しているぞ」
笑みを抑えることなくルーダは言って、おもむろに翼を広げる。
「さて、それではそろそろ失礼するとしよう」
「お、お気をつけて……」
セフィリアが言葉を噛みながら、去ってゆくルーダへと声を掛けた。
「お前らこそ、達者でな」
最後にそれだけ声を掛けて、ホウオウは振り向くことなく飛び去っていった。ルーダが光に包まれて消えると、息がつまりそうな雰囲気を取り払うように、皆が大きなため息をついた。
「おージャネット―。俺本当に病気治るかもなー」
ここでも無邪気に喜ぶのはリムファクシだけ。他の皆は精神的に疲れ果てて、ホウオウと会話出来た事を喜ぶ余裕もない。リムファクシが持つ神であるが故の鈍感さに、人間達は恨めしい気分を抱えていた。
◇
神権歴3年。1月9日
「ふうん……そんな事があったの」
「祭りを台無しにしてしまって……本当に申し訳ない……リーダー」
祭りの内容を覆しかねない約束をしてしまった事を、ジャネットは平謝り。
「その場合は仕方なかったんじゃないのかしら? タダで聖なる灰をくれって言うのも虫のいい話だし……それに私は、祭りそのものよりも神に会う事を目的としている。なら、貴方達について行ってホウオウに会ってしまえば手っ取り早くて良かったのかもしれないけれど」
溜め息をつきながら、しかし力なく笑ってナナはジャネットをフォローする。
「それに、リムファクシを助けようとする心。きっとヴィオシーズ盆地の住人ならば分かってくれるわ。黒白神教は白も黒も受け入れる、柔軟な思考の宗教。いかなる土地の神であろうと、それを頭ごなしに否定することはあり得ないわ……ルーダ様だって。
でも、まって。その、ルーダ様とか言うホウオウは何て言ったんだっけ?」
「『子供が喧嘩するのが羨ましくなる』……と。つまるところ、今年はゼクロム……サーズダイン様とではなく、ルーダ様と戦う可能性があるという事じゃ……喧嘩祭りはどうなるんじゃろうか?」
「またハードな相手が来たものね。まぁ、それも面白そうだけれど……仕方がない。祭り目前、わくわくするべき事が増えたって考えましょう」
ふぅ、と溜め息をついて、ナナはどこを見るでもなく中空を眺める。ニヤつくのが抑えきれないというような、堪えるような笑顔は至極ご機嫌そうな表情であった。
「どうしたのじゃ? 何だか嬉しそうじゃが?」
「……ねぇ、ジャネット。シャーマンの準備が揃ったって連絡を盆地に送ったら、今年祭りをやることを決定した旨の手紙が届いたわ」
ジャネットの思考が一瞬止まり、そして遅れて理解する。
「そうですか……ワシのわがままも、ついに現実になるのじゃな」
8歳という幼いころから願い続けた夢である。飛び上がって喜びたい気分だが、それをせずにあくまでジャネットは冷静に受け止めた。
「うん、私の……神に愛されているという言葉を聞きたいっていうわがままも現実になる……でもね、それ以上に嬉しい事があるの」
ナナは、もじもじと似合わない表情を見せて切り出した。
「ほら、お祭りで神子として参加する場合は、処女であることが求められるでしょう?」
遠回りにナナは言うが、これでナナの言いたい事が分からないのはテオナナカトルにおいてはリムファクシくらいであろう。言葉の通り、この祭りを期にナナは処女を卒業できる。ロイとナナの仲は公認であるとくれば、産婆であるジャネットにしたい話なんて話題は限られる。単なるおのろけ話か、もしくは産婆であることならではのお話だ。
「それを期に子供を作るのであれば、ワシに任せておけ。産婆として、不妊治療も精力増進も、出産の立ち会いも全部OKじゃ。じゃが、その前に結婚する時はパーティーの一つや二つ開こうぞ」
と、こう言うことだ。
「うん、ありがとう」
満面の笑みで、ナナはジャネットに笑いかける。
「ところで、聞いて。貴方がいない間にあった仕事の事なんだけれどね……」
そうしてナナは、ロイがプロポーズをするきっかけの一つとなった仕事の話をとりとめもなく語り始める。大切な仲間であり友でもあるナナの朗報を、ジャネットは自分のことのように共感しながら聞いていた。
次回へ
何かありましたらこちらにどうぞ
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