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LH10

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てるてる
ルイス・ホーカー .10


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 なだらかに折り重なる稜線と、その頂上から(ふもと)へと続くかろうじて舗装された山道。
横たわったそれらは無数の光点を穿った夜の青ざめた闇を、ただの漆黒に切り抜いている。
ひとけのない道には虫の()が絶えてしまった人の気配に代わって辺りを染めていた。
そんな大合唱に一石を投じたのは、彼方より轟きだした車の音だった。
だんだんと大きくなるそれに、虫たちは次々と閉口していく。
それでもなお演奏を続けていた者たちは、頂上に差し掛かった車の放つ眩い光芒に闇ごと追いやられてしまった。
 ほとんど全開していたアクセルを戻したサンダースのルイスは、車を下り坂にゆだねると、バックミラー越しに後部座席のふたりを見やった。
月明かりは雲の薄いカーテンを貫き、車内に色彩を欠いて青味を帯びた幽光を募らせていた。

「暑くて茹だっちまいそうだ。窓、開けるからうしろの頼む」

 返答を待たずにルイスはフロントガラスを外側に押し開けた*1
赤土で曇ったガラスの下から覗く澄んだ空気にルイスは目を細めていると、無言のまま後部座席からリアガラスの開く音がして、さらに吹き込む風が強くなった。
 町を覆う赤土はすべて山からの吹き下ろしに乗ってやってくる。
町の四方を包囲する山から吹き下ろす赤土を含んだ風、それはつまり一旦山を越えてしまえば赤土の圧力を受けることはなくなるということだ。
 久しぶりに嗅いだ草木から滴る夜露のにおいが車内にわだかまる熱気を追い払っていく。
入り込む砂を防ぐために窓を締め切られた車内に熱が籠もるのは当たり前のことで、そこに体温の高いマグマラシがいればなおのことだ。
 胸元のネックレスをむく毛ごと掻き乱す夜風を浴びながら、ルイスはうしろのふたりに声をかけた。

「どうだ、うしろまで風は行ってるか?」

 風の音に遮られないよう明朗が心がけられた声に、ゾルタンとリリアンは無言のままわずかに顔を見合わせる。
 不意に訪れた気まずい雰囲気に、ルイスは後味の悪さを覚えて唇を噛んだ。

「さっきは悪かった、いろいろあって腹が立ってたんだ。あんなこと言って、すまんな」

 ミラー越しに恥じ入り顔で目を伏せたのに、シャワーズのリリアンは、いいのよ、と白い歯を見せて微笑んだ。

「いいのよ、それよりそんな改まってどうしたの? あなたがそんな改まるなんて、そっちのほうが心配だわ」

「ひどいこと言うなあ」

「あら、傷ついた?」

 リリアンが言うと、ルイスは笑い、口先を尖らせる。

「さあ、どうだろうな」

 ふざけた物言いを返して、それきりバックミラーから視線を外したルイスを見届けてからリリアンは考え込むように視線をうつむかせた。
横目にマグマラシのゾルタンを見ながら、ふとリリアンは思った。
リリアンはルイスを助けるためのちゃんとした手だてを持っているわけではない。
なんとかしたいという思いは単なる願望でしかなく、実際に実行に移せるかどうか――そもそもなにを実行したら良いのか、リリアンにはわからなかった。
 そう思うと、なにも知らないままでいるゾルタンがうらやましい。

「ゾルタン、ねえ――」

 特に話題を考えていたわけではなかったため、リリアンの呼びかけに慌ててゾルタンが身を起こしたきり、会話が止まってしまった。

「……あなた輝石についてなんか知ってる?」

 接ぎ穂を、と咄嗟に浮かんだことを口にする。

「輝石ですか……」

 呟きながら首をひねるゾルタン、しばらく喉の奥でうなって努力していたが結局は首を振った。

「いいえまったく。教えていただけますか」

「わたしに?」

 ええ、と返事したゾルタンは片手を恥ずかしげに首筋に持って行っている。
気後れがちな様子にリリアンは微笑した。

「良いけど、わたしなんかで良いの?」

 確認すると、これにはゾルタンはなにも言わずに頷いて返す。
改まった態度に口端をゆるめたリリアンは、念のためにとルイスを窺い見てから説明を始めた。

「はっきりした出所は良くわかってないんだけど、実際に輝石が明言され出したのはここ一〇〇年以内」

「以外と最近なんですね」

 ゾルタンが言うと、リリアンは小さく笑んだ。

「まあモデルは地方民話だから、一〇〇年よりまえからもその手の話はあったんだけどね。透明板、っていう呼び名はおとぎ話としての輝石と区別するために出来た呼び名よ」

 はあ、と得心して声を上げたゾルタンに、リリアンはわずかに得意げに鼻を鳴らす。

「実際に輝石を世に知らしめたのは民話じゃなくて、民話をモデルにした小説のほう。だから輝石のほうが呼ばれなれてるけど、その名前で言うと冒険小説のほうを思い浮かべるひとが多いんじゃないかしら――絵本にもなってるからあなたも小さいころに読んだ覚えがあると思うんだけど」

 リリアンの言葉につかの間ゾルタンの表情に忌避がよぎった。
引かれた顎、眇められた目は迷うように揺れる。
 滅多に感情的になることのないゾルタンの見せた起伏は、リリアンが何故と問うまえに消え失せていた。

「わたしは知りません」

 どこか他人行儀な平板な口調はいつものものだ。
もの悲しげに聞こえるのは、リリアンの脳裏に先のゾルタンの面影の残滓(ざんし)あるからだろう。
そう、と返したものの次に繋げる会話を見失ってしまったリリアンは、唐突に会話に入ってきたルイスに感謝した。

「おれは知ってるぜ。むかし絵本を読んでくれた」

「館長が読んでくれたの?」

「アルだよ、アルが読んでくれた。おれが聞き飽きたの知ってて何度も読み返すもんだから、しっかり覚えてるよ」

 バックミラーに苦く笑うルイスが映る。

「いつも同じ絵本しか読んでくれないアルがすごく嫌でな。アルが訪ねてきて、おれが逃げ回ってるとトニーはなにかと理由をつけてはいつもおれを外に連れ出してくれたんだ……」

 前照灯に濡れたような光沢を放つ道路とその周りに追いやられた闇を見つめたまま言うルイスの口調は、まるで遠い友人の思い出を語るように寂しげだった――実際ルイスにとってトニーはそうなのであろう、とリリアンは思う。
綺麗なまま劣化しない記憶の中のトニー。昔は良かったという言葉は、いまを覚えていない者の台詞ではなく、いまを悲嘆している者の台詞なのだ。
 車はすでに平坦な平野を走っていた。
道のすぐそばに伸びる線路が道路と同様に緑を切り裂いている。
うしろに控えた黒山が那辺(なへん)にあるのかを判断するのは、山なりに切り抜かれた星空意外にはなにもない。
ふたつの稜線に挟まれた平野の遠く地平線にすら見えない街の灯明は、それだけ自分たちの住んでいる町が隔絶されていることを暗に示していた。
昼間の強い日差しに炙られた草の残り香がリリアンたちを叩く。
 不意に軽い睡魔を感じてあくびをしたリリアンを振り返ったゾルタンに、リリアンは肩をすくめて体裁悪く含羞んだ。

「あんまり寝てないから、ちょっと眠くなってきたかな」

 リリアンは昨日の晩からあまり寝ていない。

「あの、お休みになったほうが」

 遠慮がちに言ってきたゾルタンに、リリアンは小さく首を振る。

「あなたたちが起きてるのに申し訳ないわ」

「おれたちは構わんぞ、寝てろよ」

 前触れなしに飛び込んできたルイスの声に、リリアンは背筋にひやりとした感覚を覚えた。
慌てて仰ぎ見たバックミラーに映った顔つきがいつものルイスだったことに安堵すると、ミラーの中のルイスと目があった。

「それともなにか、男ふたりのまえで無防備な姿を晒したくないってか」

 にやりと笑って言われたのに、リリアンはふんとおどけて鼻を鳴らす。

「お馬鹿。変なことしたら叩くからね」

 片手を振り上げて軽く殴るような仕草をすると、おやすみ、とそれぞれに声を掛けてから座席の上で身体を丸くした。
横になった途端、どっと重く感じられた身体にリリアンは自身の抱えた疲労を自覚する。
下がろうとする(まぶた)に目を細めた。
 眠っている暇などない、そう訴える意志は大儀としての信頼性を欠いている。
リリアンの思う、ルイスを救いたいという願いは一方的なものであり、ルイスがそれを望んでいるわけではない。
望まぬ慈愛は手向けた者と手向けられた者との亀裂を増やすだけなのだ。
しかし、自覚してもなおリリアンはルイスを救いたかった。
理由のない希望、開けてみれば望ましくないものばかりが目立つそれを抱きつつ、リリアンは目を閉じた。
 自分が救いたがっているのだから相手もきっと救われたがっている、遠慮なくそう思えるほどリリアンは考えなしではない。









 寝息を立て始めたリリアンを横目にちらちらと窺うのはゾルタンだった。
ゾルタンのほうへ頭を向けているため、否応なしその寝顔が気になって仕方がなかったからだ。
長い尻尾と後肢を顔のまえに転がし、手首から先を内側に折りたたんだ両腕を枕代わりに顎の下に置いている姿はこの上なく愛らしく見える。
ガラス窓を開けたおかげで風は入ってくるようになったが、夏の夜だけに涼しいということはない。
それでも腹を上にしたりしてだらしい格好を晒さないあたり、器量のある大人びた印象を受けたし、それが寝姿の愛らしさを相まってゾルタンの頬を紅潮させる。
 リリアンの尻尾の先が揺れた。
びくりとして後ずさったゾルタンだったが、相変わらずの寝息にすぐに取り越し苦労だと気づきやれやれと首を振る。
 その様子をにやつきながら見ていたルイスは、バックミラーをいじってゾルタンの全身を捉える。

「仰向けで寝てほしかったとか思ってるだろ」

 小声でささやかれたにも関わらず、みるみるうちにゾルタンの背中が逆立っていく。
勢いよく振り向いたその表情は耳まで赤くなっている。

「そんなこと、思ってなんか」

 運転席の背もたれにかぶりつくようにして言ってきたのを、ルイスは片手を自身の口元にやってやめさせる。

「大きな声出すなよ。良いのか、起きちまうぜ」

 はっと気がついて慌ててリリアンのほうを窺ったゾルタンは、先と変わらず規則正しく胸が上下しているのを見て息をついた。

「静かにしゃべれよ――好きなんだろ」

 声を潜めてルイスは言う、誰と特定して言わなかったが、ゾルタンは誰のことを言っているのかわかっていた。
答えようか答えまいか逡巡するように視線を泳がせたあと、

「……ビアスさんには黙っていてください」

とルイスに念を押す。
にやりとルイスは口元を歪めて見せた。
 ゾルタンには、その笑みが言質をとったと言っているように見えてならない。

「やっぱり好きなんだな。水くさいじゃないか、どうして教えてくれなかったんだよ」

 快活な声に、ゾルタンはしかしルイスになにも言えなかったのは、一抹の後ろめたさがあったからだ。
むかしリリアンと交際していたルイスに、自身がリリアンのことが好きだと言えば、もしかするとルイスは顔を顰めるかもしれない、そう思っていたところがあった。
割れ鏡は決してもとの姿を映すわけではない、しかしもとの姿を映さないだけで、鏡としての体裁は残っている。
もしルイスがリリアンに未練を残していたしたら、またはリリアンがルイスとよりを戻したいと願っていたとしたら、という不安を見ないためにゾルタンはいまのいままで心奥に収めていたのだ。

「そうかリリアンか。なるほどねえ」

 いつまでも答えよる気配の見えないゾルタンに、ルイスは改めて実感したように呟いた。
少しも苛立ったふうではないそれに、ゾルタンはやや首を傾げる。

「あの……怒らないんですか?」

 ゾルタンがリリアンのことが好きだと知っても、渋った態度を取らないのが不思議だった。
たとえ日頃抱いていた懸念が杞憂だとしても、少しは嫌な顔をされると思っていたからだ。
 ゾルタンの言葉に軽く驚いたように笑みを止めたルイスは、打って変わってまじめな顔つきをつくる。

「おれはおれ、リリアンはリリアン。むかし付き合ってたからってなんだ、いまのおれとリリアンは同じ職場仲間でしかない、おまえがリリアンのことが好きだからっておれがとやかく言う権利はねえよ」

「そうですか……」

 言って、俯くゾルタン。
口もとをまごつかせながら居住まいを正すと、寂しげにリリアンを見た。

「……ですが、時々ビアスさんはわたしのことをなんとも思っていないように感じるときがあるんです」

「そんなことないだろ」

「ですが今日――」

――ビアスさんはあなたのほうばかり意識しているようでした。
言おうと顔を上げたとき、道路の向こうに明かりを見つけてつい言葉を切ってしまった。
 車の放つ光芒に浮かぶ道路を除いていっかな動かない景色は、カンバスに割拠された風景画を思わせる。
いっかな黒く(あまね)くばかりの遠景の裾に窺える、横に伸びるかすかな白い光線は、一度気づいてしまえば意識にこびり付く。
それが着々と長く、大きくなっていけばなおのことだ。

「なんでしょうか。こっちに向かってくるようですが」

「列車じゃないのか」

 視線を辿ったルイスは、目を細めながら言う。 

「たぶん列車だろう。しかし相当長いな、貨物列車か?」

 言う間に近づいてくる光の帯は段々と車輪の音を伴いだす。
それが貨物列車だと認識できる辺りにまでくると、光はコンテナを積載した台車の作業灯のものであることがわかった。
二両にわたる機関車を先頭とした長城の城壁のように延々と続く台車の上に、上下二段に重ねて配置されたコンテナの立てる轟音は軋みを伴ってすさまじく、ルイスとゾルタンが急いで窓ガラスを締め切っても車内には石炭の独特なにおいを伴って低い騒音が入り込んでくる。
 音に付属した光が顔を横切るのに、リリアンは眩しそうにまぶたにしわを寄せた。
ぎょっとする思いでゾルタンは息を飲んだが、姿勢を変えただけで別に起きる様子はなかった。
丸まった姿勢を崩すとうしろ足をややつっぱり、横様に倒れ込んでいるような姿勢になって眩しげに前足を目元に重ねている。
仰向け加減な体勢は、腹を無防備にさらけ出す。
ゾルタンの位置からはちょうどそれがよく見える。
無駄のない体躯は清らかな肌に際立つ、思わず見入ってしまったゾルタンは、ルイスの咳払いを聞いて慌ててかぶりを振ると視線をあさってに背けた。

「こんなこと、いましか出来ないんだ。我慢するなよ」

 意地悪く笑うルイスに、ゾルタンはもう一度首を振ってみせる。

「しかし、勝手に見られたなんて知ったらビアスさんもいい気はしないはずです」

「本人は寝てるんだ。大丈夫、リリアンには黙っておくから。変なことしなけりゃ良いんだ」

「変なこととは……」

 問いかけて、それがなにを意味するのか気づいたゾルタンは口ごもってしまう。
自然と座席の下の鞄に目がいってしまうのが情けない。

「そんなことしたら、責任取ってリリアンをお嫁にもらわなくっちゃな。リリアン・ロイター、良い響きじゃないか」

 ルイスはゾルタンのしたことを知らない。
荷物の詰め込み作業に携わっていなければ、荷物の確認もしていないルイスに、ゾルタンがリリアンのにおいに耽溺していたなんて知るよしもない。
当人にしてみれば、そのことを言われているとしか思えなかった。
 面伏せて短い手で必死に顔を押さえているのにルイスは訝しげに首をひねると、いまだ横を塞ぐ貨物の列に見やった。

「にしても長いな。二〇〇両以上は引っ張ってそうだな」

 生返事を返しながら相変わらずの轟音に耳が慣れてきたらしく、どこか間遠になったそれにゾルタンはあくびをする余裕が出来た。
目元に浮かんだ涙を拭い、首から提げた時計を見てから顔を上げると、ちょうどルイスと目があった。

「おまえも寝てろよ」

 ちらちらとまえを向きながら片手をハンドルに乗せる。
しかし、と渋ったふうに声を落とすゾルタンにルイスは首を振ってみせる。

「いいから。大丈夫、どうしてもってときになったら叩き起こしてでも代わってもらうさ」

 モヘガンまでの道のりは遠い、たとえ交代でハンドルを握っても四日以上はかかる算段で、それは逆に休みなく車を走らせなければアルの言った時間に間に合わなくなってしまうということだった。
三人のなかで車を運転できるのはふたり、交代で運転するのだから一方がハンドルを握っているとき、もう片方は眠っておくのが効率的であるが、リリアンがさきに眠ってしまったことで、ゾルタンはルイスをひとりで起こしておくのに気兼ねしていた。

「いえ、悪いです。わたしが運転しますからホーカーさんは休んでてください。ですから車を」

「止めてくれってか。やなこった」

 意地悪く笑うと、これ見よがしにルイスはアクセルを撫でてみせる。
ゾルタンが表情を曇らせたのを見つけて、ルイスはわざとらしくため息をついた。

「せっかく添い寝するチャンスをおれがやろうってのに」

 ぼそりと呟かれた言葉に、えっ、と聞き返すゾルタン、ルイスはさも意味ありげな笑みを浮かべただけだった。
 ちらりとリリアンのほうを振り返ったゾルタンは、わずかに開いた彼女の口に白い歯が覗いているのを見つけて口先を尖らせる。

「……お言葉に甘えさせていただきます」

 やや(ねじ)けた物言いを残して座席の上にうつぶせに寝転がった。

「ゾルタン、おまえはもう少し建設的になるべきだ。そのキャベツ頭は飾りじゃないんだろ、ちゃんとリリアンに自分の気持ちを伝えるんだ、好きだ、って」

 ルイスが言うと、ゾルタンは目を閉じたまま耳だけを動かして返事をした。
 それきり車内に降りた無言のとばり、終わりの見えない列車のひた走る音だけが木霊する。
バックミラーをもとの位置に戻したルイスは、驟雨(しゅうう)のように横殴りする光芒に目を細めた。
先ほどまで目立っていた自車のヘッドライトの明かりは、その他の光に紛れ霞んでしまっている。
 それは自身の置かれた境遇を思わせた。
たとえその中に自らが照らし出した境界があったとしても、他のさらに強い存在がすべてを塗りつぶしてしまう。
そうして映し出されたアスファルトは、塗りつぶされた以上、まるで最初から強者の後光しか受けていないように振る舞うのだ。
ちょうどそれはルイスの得ようとした名誉がすべてトニーという名の下に塗りつぶされ、あとに残ったルイスを老人たちが役立たずだと揶揄するのに似ていた。
いつまでも変化のない構図、それはルイスがこの町に連れてこられたとき以来、当たり前の事実として町に組み込まれていた。
 結局、老人たちはルイスが疎ましいのだ、と無意識に掴んだ胸元に垂れる十字架を握る。
自分たちと同じ立場にいるトニーが、異なる異質な立場の人間と関係を保っていて、ましてトニーは英雄という町にとって重要な部分に配置されている。
その彼が浮浪児であるルイスという異端と関わるのを、老人たちは許せないのだ。
しかもルイスは町に地縁を持たない、まったく別の秩序をルイスは基礎としている。
炭坑のためだけに成り立った町の、町全体にこびり付いた強固な仲間意識から見たら、繋がりを持たないルイスの姿は絶好の排斥対象だろう。
 都会から隔離され、遠方という内実に隔絶され、周囲にそびえ立つ稜線に幽閉された町。
ルイスにしてみれば、その憂さ晴らしを自身でされているようにしか思えなかった。
 自然と手に力が籠もる。
伴って、だんだんと自分の心が逆立つのがわかった。
ペンダントトップが手の平に食い込む鈍痛にすら、腹が立つ。
(あんただけは別だって信じてたのに)
 脳裏に浮かんだそれはトニーに対してだった。
トニーの両親はその町に住んでいた、博物館を譲り受けたトニーの血縁はしっかりとその地に結びついている。
にも関わらずトニーは決して他の者のようにルイスを揶揄することはなかった。
揶揄される発端を作ったのはトニーに他ならなかったが、それでも自分のことを庇ってくれる者の存在は心強かった。
 くそったれ、とルイスは声にならない声をこぼす。
今日のことで結局それはまがい物であることがわかった。
施された加護はルイスを言いなりとして(もてあそ)ぶための口実で、ルイスを弄ぶことでトニーは自信が過去に得た栄光を現在に生かそうとしたのだ。
すでに過去の物となった栄誉を他人の功績に手を伸ばしてまでしがみつこうとする姿は、さもしいことこの上ない。
 しかしそれらは、もう関係ないことだった。
 煙草の吸い殻を押しつけるように、胸元にペンダントトップを押しつけるルイス。
トニーと別れたあと、部屋に籠もったルイスは気晴らしに煙草を吸っては頭の中で行き来するそれらを払拭するため、そのたびに灰皿に吸い切れていない煙草が増えていった。
 トニーの手綱はもうルイスを捕らえてはいない、最悪の形であるにしろルイスは自身が切望していた自由を手にしたのだ。
だが、それはあくまで孤独の中に見いだした自由であり、ルイスの望む本当の意味での自由ではない。
 いまだルイスの周囲には老人たちからの疎外が漂っている、マジョリティに帰属する社会を持たない者はマイノリティであり、弱者であるマイノリティは強者であるマジョリティの影があるからこそ、そこに居られる。
そしてルイスの持つ繋がりの中で唯一のマジョリティであったトニーはすでにいない。
ゾルタンもリリアンも、町に根付いていると言うにはどこか難がある。
町の出身である酒場のドクロッグも、好意的だとはいえ、やはり他人であり、完全に気を許せるわけではない。
 ふとイヴのことが頭に浮かんだ。
初対面にもかかわらず、イヴは最初から自分に興味を持ってくれた。
好意的な眼差しや、快活な微笑み、ルイスに向けられたそれらはすべて偽りのないものだった。
加えて彼女は町の出身だ、もしかするとイヴはトニーの代わりになってくれるかもしれない、と甘い期待を抱きかけている自分に気付いて、ルイスは自分に対して嘲笑を漏らした。
 今日会ったばかりのイヴが、ルイスをマジョリティに繋ぎ止めてくれる保証はない。
たとえ親密な関係になれたとしても、ルイスの内面を知ったイヴがどういう態度を取るか、ルイスには判断しようがない。
 他の町の住人のようにルイスを責め立てるかもしれない、ルイスの過去を軽蔑して離れていってしまう可能性だってある。
結局は赤の他人なのだ、とルイスは無理矢理に自身を納得させるように首を振る。
 表面的にも、内面的にもルイスは孤立していた。
自身を庇ってくれる存在が欲しいというのが本心だったが、拒絶を恐れてそれができない。
町からの表面的な孤立に浸されたルイスは、いつの間にかルイス自身の内面からも救済を乞うことを拒んでしまっていた。
 そこまで思って、目の前に横たわる隔絶の深さを実感してルイスは寒気のようなものを感じた。
 孤立した――。
 背筋を走る感覚に思わず声を出しかけ、慌てて口をつぐむ。
首をまえに向け、ひたすらに運転に集中しようとしても、一度臓腑(ぞうふ)をかすめた恐怖感は一向に収まろうとしない。
落ち着け、と意識すればするほど早鐘を打ち出し、鼓動に合わせて指先が痺れるような、不自然な緊張がルイスを覆う。
 ここまでルイスが孤立を忌避するのは、幼いころの経験が原因だった。
イーブイだったころ、ルイスは生きるために浮浪児たちの集まって出来た集団の中にその身を置いた。
成長しきっていない未熟な性格は、そこに晒されるうちにある掟を刷り込まれ、それは今日までルイスの中で確固たる戒律として存在し続けていた。
 力の有無がそのまま明日へ生き延びられるかの選別材料となる社会では、力を合わせるということが友情とは別の部分で作用する秩序では、孤立することはすなわち死だ。
 怪我にしろ病気にしろ、弱り切ってどうしようなくなった仲間は全体にとって不利益でしかない。
路地に伏し、呻きながら這いずってこようとする仲間に背を向けたことは何度もある。
最初のうちは我慢できず、倒れた者のもとに駆け戻ろうとしたが、振り返ったときに感じた仲間の刺すような視線に、結局他の仲間のあとを後ろめたさを堪えてついていった。
 自身の生のため、他者を死に置き去りにする、“孤立”とはその途中経過地点だ。
救いようのないそれを頭では否定できても、心奥に焼き付いた経験則は否応なしにルイスの意識に汲み取られ、ことあるごとにそれを基準に物事を振るいにかけてしまう。
 そして、ルイスは孤立している。
連想されるのは、孤立と直線的に結ばれた死だけ。
自身を匿ってくれる者はすでにいない、自分自身で拒絶してしまった。
この時になってルイスはやっと、トニーさえいなければ、という欲求が、老人たちからの揶揄を受けたことで起こった衝動的なものであることを理解した。
先ほどまであんなに望んでいた孤立が、こんなにも恐ろしく耐え難いものであることを知っていれば、少なくとも自分は世界との繋がりを曲がりなりにも保てたのだ。
 愚かなことをした、どうしてそうなると気づけなかった、他に手段はあったのではないのか。
 空回りしそうになる思考を、落ち着け、と必死に押さえつけながら、手の平に吹き出した冷や汗を擦り付けるようにハンドルを握り直す。
それでもこびり付いて離れない後悔を、かぶりを振って振り落とそうとしたルイスは、思わず視線を釘付けにしてしまった。
 奥行きに闇を忍ばせる夜の深淵、空のかすかな光点は辺りに青く色彩を欠いた微光を降り注いでいる。
ルイスの目の前、いつのまにか通り過ぎていた貨物列車は、延々と続くアスファルトに周囲と同様にまたもとの暗闇を投げかけている。
その中心にぽっかりと浮かび上がるのは車のヘッドライトだ。
四方の闇を払拭するそれは、明かりの分だけ浮島のように浮かび上がるアスファルトを浮かび上がらせている。
魅入られたように見つめるルイスの表情に、わずかに笑みが浮かぶ。
 そうだ、ルイスは思う。
意には関係なく口の端が歪むのは、切り離してしまった世界へ帰還する方法を見つけ出したことへの安堵感か、それをすることでもう誰も自分を馬鹿に出来なくなるということへの期待感か。
 妙な興奮が背筋に走るのを感じた。
もといた秩序から切り離されたのであれば、自分が新しい秩序を見いだせば良いのだ、それもルイスを差し置いて完結することのできないものを。
(かつてトニーがやったように……)
 誰もが口を揃えて、トニーは英雄だと言う。
幾度となく危険な目に遭いながらも、生きながらえてきた老齢のジュカインを英雄視しない者はいない。
英雄という形で、町に組み込むことの出来たトニー、ならばルイスにも同じことは出来ないだろうか。
英雄という席に座りさえすれば、ルイスを(ないがし)ろにする目をはなくなる。

「……ヒーローか」

 なんとなく呟いた言葉は、呟いたルイス自身に大きく木霊した。
 ヒーローとはひとつのシンボルのようなものだ。
周囲から絶大な信頼を受け、見まがうことのない秩序の中に存在する、孤独であっても帰る場所があるヒーローとはちょうどルイスの求める立場にある存在だった。
 英雄になるのだ、とルイスは決意を新たに頷く。
ルイスは幼いころ、トニーによって帰り着ける世界を奪われた。
ならば今度は、ルイスが世界を取り戻す番だ
いまの町に暗黒という形で存在する秩序に、目の前の光景のように光として浮かび上がるのだ。
 そして、すべてを夢として葬り去るのだ。
周囲からの孤立も、トニーとの不和も。
自身に起こったことすべてを悪夢というカテゴリーの中に片付けてしまえば、全部夢であったということにできる。
そうにちがいない。
すべての発端であるルイスの孤独を、ルイスが英雄になるという形で払拭すれば、――初めから問題などなかったことにできる。
そうであって欲しかった。
 ルイスの思考はほとんど纏まりというものを見失っていた。
事実ルイスもこれが正しいと言い切れるだけの保証を持っていない。
しかし、それはどうでも良いことに思われた。
正しい正しくないは関係ない、そうすることで自分は帰着することの出来る世界を作ることが出来る、――またトニーのもとに戻れる、それだけが望みだった。
もう誰からも馬鹿にされず、蔑ろにされず、本当のルイスを見てくれる秩序と、それを迎えてくれる価値観が欲しかった。
 そのためにも、輝石を悪党の手から奪うのだ。
たとえ、どんな手を使ってでも。
 微笑はいつのまにか頬をつり上げるほどの笑みに移行していた。
それが冷たく不気味な笑みに見えるのは、声を上げてもおかしくないくらいに歪んだ口元と相反して目元がまったく笑んでいないからだ。
 薄ら寒い気配を感じてリリアンはふと眠りから覚めた。
視覚か、嗅覚か、聴覚か、空気の流れか、何らかの変化を感じて目を開けたリリアンの意識は奇妙なほど覚醒していた。
横でうつぶせのまま寝息を立てているゾルタンを見やるも、取り立てて自身の目が覚めた原因になるものはなは見つけられず、続いてルイスを見たが、車内に射し込む明かりが乏しいため、表情は起伏のない闇に覆われてしまっている。
それからしばらくリリアンは交互にふたりを見ていたが、結局は首を捻ってまた目を閉じた。
 しかし眠気はなかなか訪れてくれなかった、それは先ほど感じた不審な気配を、気のせい、ということで自身が片付けてしまったことに疑問を感じていたからだ。
気のせいでは済まない、見落としてはならない大切なものを見落とした、という気がしてならなかった。
それがルイスから感じられたもののような、そんな気がした。

「……ルイス」

 リリアンが声をかけると、ルイスは、はっとしたように首を振る。

「どうした、起きたのか」

 やや早口にルイスは言った。
寝ぼけた調子を装ったリリアンに気付いた様子はない。
 うん、とぎこちないあくび混じりな返事を返してからリリアンは首だけを持ち上げる。

「ずっと運転してたんじゃ大変でしょ。気分は大丈夫?」

 出来るだけ自身の真意を悟られないよう注意しながら言うと、ルイスは含み笑いを漏らした。
それがいかにも冷笑的なものだったのに、リリアンは無意識に顎を引いてしまう。

「ああ、大丈夫だ。むしろ――」

 無感情な雰囲気を携えたままルイスはバックミラーを弄る。
不自然に思えるほど快活な様子が、一層リリアンを不安にさせた。

「――むしろ最高の気分さ」

 鏡面越しにルイスと目があった。
幽光のみが降りた車内、僅かに光るルイスの双眸(そうぼう)になにかしらの感情を読み取ることは、出来なかった。



次へ


なかがき

 展開の関係で、当初の予定よりも恐ろしく長くなってしまった貨物列車……。
ここまで話を引き延ばすだけ引き延ばして、やっとわたしの意図する価値観を主人公に持たすことができました。
今となっては個性を持たせるためだとはいえ、さすがにやりすぎたような……と反省しております。
 まず、途中出てきた車の描写について。
しつこいまでに古めかしさをアピールしていたのは、単にルイスがクラシックカー好きという設定を追加したからではなく、年代設定が1900年代の初期から中期の限られた期間であることを仄めかしたかったからです。
理由はインターネットや携帯電話などの便利な技術を出来るだけ減らしたかったからなのと、そうしなければ今後の展開において描写できない部分が出てくるからです。
ややこしいことこの上ない要素を増やしてしまい、誠に申し訳ありません。
どうかご了承下さい。
 さて、前回の更新で「地の文」を減らすと大々的にほざきましたが、結局また地の文だらけになってしまいました……orz
減らそう減らそうとは思っていたのですが、いかんせん、わたしのチンケな実力では、そんなの夢のまた夢と言うことですかね……。
もっと精進しなければっ。

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*1 1930年代ころの車にはフロントガラスもしくはリアガラスの開くタイプの車両があった。老朽化から来る水漏れや、ガラスの広域化の妨げとなるため現在では廃れてしまった。個人的には、ちょっぴり残念w

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Last-modified: 2010-09-12 (日) 00:00:00
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