狸吉作『からたち島の恋のうた・豊穣編』
~秘めし感情~
※本作は第二回変態選手権大会参加作品『くろいまなざし』の後日談です。
永く、重い沈黙だった。
やがて、深い溜息が、その沈黙を押し流した。
「そう、か…………」
もつれがちになる舌を整えるように、言葉が紡がれる。
「月日が経つのなんて早いもんだ。まだお前が生まれたのが昨日のことのように思えるのに、もうそんなことを言ってくる年頃になったか……」
そしてまた、深い溜息が続いて。
「いいだろう。明日になったら一緒に清掃局の担当者さんに会いに行こう。育てや行きの日取りを決めないといけないからな。幸せにおなり、
その言葉を聞いたジェナ姉さんの白い頬が薔薇色に染まる。
返そうとしたのであろう礼の言葉が嗚咽に擦れて。
口元を押さえたまま、瞳に嬉し涙を滲ませて頭を下げ、ジェナ姉さんは踵を返して部屋の外に飛び出して行った。
きっと今日も町のどこかで清掃作業に精を出しているのであろうベトベトンのオプチコンさんの元へと駆けて行ったのだろう。ふたりの仲が許されたという、最高の吉報を伝えるために。
ギシリ。音を立てて軋んだ椅子の上で、天を仰いだ顔を片手で覆いながら、ふぅ……っと一際深い溜息を先生は吐いた。
その先生の横から、僕は用意していたものを差し出した。
「飲みますか? 先生」
指の透き間から先生の視線が、僕の差し出したシャンパンの瓶とグラスに止まる。
「いたのか、
他の人は僕のことをアレックスと呼ぶが、名付け親の先生だけは僕や姉さんの名前を略す事なく本名で呼ぶ。カクレオンである僕は光の加減で色が変わるアレキサンドライトで、サーナイトである姉さんは語感が似ていて神秘的に輝く
「お前、知ってたのか?
変色を解いて姿を現しながら、僕は頷いた。
「はい。偶然ふたりが付き合っているところを覗いちゃったもんで」
「嘘つけ。お前のことだ、どうせ
「いや、本当にたまたま偶然、覗いた相手がジェナ姉さんだっただけで」
「成程、覗きに行ったのは当たりな訳か」
ゲラゲラと笑う先生の言葉に、僕も笑ってごまかした。
「ま、そんなわけで一杯やりましょうや。ジェナ姉さんとオプチコンさんの恋の成就祝いと……僕と先生の失恋記念に」
ピタリ、と先生の笑いが止まる。
「好きだったんでしょ? 姉さんのこと」
「どうしてそう思うんだ?」
「さっきジェナ姉さんがオプチコンさんとのことを打ち明けた時の先生の顔を見て、なんとなく。あの表情を見るまでは、祝いの名目で独りで管を巻くつもりだったんですけどね」
むっつりとした顔のまま、先生は僕の手から引ったくり気味にグラスを取った。
ポンッ! 小気味よい音を弾かせて栓が飛ぶ。
泡立つ液体を注いであげると、先生は一気に杯を傾けて咥内へと流し込み、言葉を吐き捨てた。
「バカ言うなよ! 俺は人間で、ポケモンじゃないんだぞ!? それに野生だったお前と違って、あいつはタマゴからずっと俺が育てたポケモンなんだ。俺に取っちゃ、そりゃ可愛い娘みたいなもんではあるにしても、だ! どうして俺の今の感情が、娘に恋人のできた親のそれじゃなく、片思いの相手に恋人の出来た振られ男のそれだって分かる、いや、思うんだよ!?」
今、口が滑りましたね先生。そりゃ同じ雌に惚れていた雄の勘ってもんです。
「僕だってジェナ姉さんのこと、ずっと本当のお姉さんみたいに想っていましたよ。それに、ポケモン同士と言ったって姉さんは不定形型、僕はケモノ型で種族が違います。それでも」
まだ微かに痛みの残る胸に手を当てて、僕は言った。
「それでもやっぱり僕の姉さんへの想いは確かに恋で、そしてこれは失恋だって……想うんです。僕だってそうなんですから、いくら先生が人間でも、ジェナ姉さんの育ての親でも、姉さんへ想いが恋だったって言うことを否定する理由にはならないでしょ?」
「なるよ」
「…………へ?」
予想外の返答に、僕は眼を飛び出させた。
てっきり「そりゃそうだな」と白状するか、「理由がないからって勝手に決めつけるな!」ととぼけられるかのどちらかだと思っていたのだ。
今の会話の流れで「理由になる」と言うのは、つまり。
先生は本当に姉さんに恋をしていて、だけどでもその事を、失恋が確定した今になっても尚、過去のこととしてすら認めるわけにいかない明確な理由が……
「理由は、あるんだ」
苦々しい表情で、先生はグラスを差し出した。
そのグラスに瓶の口を傾けて、僕は先生の言葉を待った。
■
もう一度深々とグラスをあおり、一息ついて先生は語り出した。
「俺は彼女たちの魅力に取り付かれた揚句、道を踏み外した馬鹿を一人知っている。そのせいでそのポケモンも、そいつ自身も余りにも深く傷ついた。だから……だから、そいつと同じ轍を踏むわけにはどうしてもいかなかったんだ…………」
瞬間、顔に深く刻まれた苦痛を振り払い、何かを思い出すように懐かしげな様子を浮かべながら、先生は机の一角を眺めた。
そこにあったのは、一枚の写真立て。
若い、まだ子供だったころの先生と、仲良さげに寄り添う1匹のポケモン。
はっと気が付いた。確か、このポケモンは……
「それじゃ、そのサーナイトって言うのは、もしかして……」
「キルリアだ。彼女は……
やっぱり……そういうことか。
写真の中で先生の傍らにいるゲンガー。
そして、ジェナ姉さんの実のお父さんだ。
「その事件以降、こいつも俺以外の人間に酷い警戒心を抱くようになってしまった。それでも俺だけは、俺のことだけは信じて何よりも大切な娘を預けてくれたんだ。そんな相棒の信頼に応えるためにも、俺は彼女をそんな眼で見ることは許されなかった。例え…………」
机に肘を突き、顔を覆う先生。
指の間から溢れたものが、机の上で弾けた。
「例えどんなに、歳月を経るほど魅力的な雌になっていこうと、堪え難い感情を隠し続けるしか、なかったじゃ、ないか…………」
「先生…………」
声を殺して咽び泣き続ける先生。
ここまで重い事情を隠していたとは、思わなかった。
触れてはいけない事に触れて、先生の傷を抉ってしまったんだろうか……?
と不安になっていると、唐突に先生は顔を上げ、空を振り仰いだ。
「あぁ、でも、これで良かったんだな……ちゃんとあいつもいい雄と恋をしてくれて、俺はその恋を叶えてやれて。これで俺も人間としての
薄暗い部屋の中で、涙に濡れたその顔は、しかし鮮明に晴れやかだった。
「吐き出せて、そのことをここではっきりさせられて良かった。独りで抱え込んだままだったら、彼と寄り添ったあいつの姿を見て耐えられなくなっていたかもしれん。ありがとな、
ふっ切れた様子の先生に、僕もほっと胸を撫で下ろした。
■
ポン! ポン! ポン!
並べられたグラスに、シャンパンが次々
「まったく、あの容姿でどうしてタマゴグループが不定形型なんだろうなぁ……?」
「それもよりにもよって相手がベトベトンですよぉ? いくら雄は顔じゃないって言ってもねぇ……」
「父親がゲンガーだからな。毒ポケに面影でも感じたんだろうか……?」
とめどなく姉さんのことを語り合いながら。
僕と
~完~
■後書き
ということで、この場が初発表!
第二回仮面小説大会官能部門同点10位『悪夢のダンジョン』は僕の作品で、ラストで生まれたラルトスは『くろいまなざし』のジェナ姉さんです。
実は予告していた『くろいまなざし』の後日談は全然こんな話ではなくて、全エピソードのその後について語るはずだったのですが、『悪夢』を書きながらナスカとジェナの関係を思いついたので『包容の神秘』だけ掘り下げて見ました。
あ、タイトルの『感情』はキルリアの分類名からです。
ノベルチェッカー結果
【作品名】 秘めし感情
【原稿用紙(20×20行)】 10.3(枚)
【総文字数】 3178(字)
【行数】 87(行)
【台詞:地の文】 51:48(%)|1637:1541(字)
【漢字:かな:カナ:他】 32:54:7:5(%)|1028:1726:252:172(字)
アレックス「この後、先生は二日酔いに悩まされながらも清掃局へ行って、無事姉さんたちの育てや行きを決めてきましたのでご心配なく。アイタタ……」
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