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漆黒の双頭第6話:蒼い片割れの転機

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※このお話には少々残酷な表現が含まれますので、閲覧にはご注意ください

作者……リング


第1節 

ひとしきり夕陽を見ていた僕は、空が赤から紫に変わるころに、部屋に入ってランプをつける。そして、今日見た夢のことを書き記そうと日記を開いた。
 その時僕は、ふと夢の続きをまだまだ見たいなぁと感じて、本棚にしまってある埃のかぶった古い日記を探り当てる。

「ああ、これこれ……」
日記は毎日欠かさずつけられている。だが、その中に一か所だけかなりの長い期間泣いている場所がある。それは、僕の忌まわしい記憶だ。
 ただ、今はもう思い出しても混乱するほど怖くはない。いまでも怖いことには変わりないけれども……それでもエレオスがいてくれたから今の僕があるわけだしね。

「怖かった、けれど君がいたから大丈夫だった……ずっと僕の大親友だよ、エレオス♪」
僕は、布切れを濡らして埃を拭き取り日記を開いた。蘇ってくるのは、忌わしい記憶と親友の記憶。だけど、それを補って余りある君との思い出を作るきっかけでもあるんだ。長い寿命も持つ僕らが……ずっと大好きと言い続けられる人との関わりは何物にも代えがたい。

「うん……いい思い出だよ」
夢の続きを見ているように意識は溶けて、僕は再び過去へと思いを馳せる。


パルキアに空間のゆがみを矯正してもらい、一度家に帰ってから二人は早速進化した。その際、シデンはライチュウに、アグニはモウカザルに進化する。アグニはすでにゴウカザルへと進化できるだけの実力はあったのだが、それをしなかったのは……ゴウカザルに進化すると身長差が深刻になるから、このままの方が夫婦の営みもしやすいということである。
 理由が理由なのであまり声を大にして言えることではないため、尋ねられたら夫婦同じ目線がいい……と言うことになっている。そうして、進化してから数週間たった頃のことだ。シデンとアグニは、依頼に出かけるわけでもないのに荷物をまとめてどこかへと旅立つ準備をしている。

「どうしたの? 二人とも」
不思議に思ってレアスがたずねると、金属製のケースに入れられて、ひときわ大切そうに保管されている何かを見せてくれた。

「自分が描いたの……下手だけどね」
自嘲気味に笑ってレアスに見せたのは、モウカザルとライチュウの肖像画。つまり、進化したての二人を描いた絵である。

「これはね……コリンに、コリン=ジュプトルの御墓に送ろうと思っているの。明後日が命日だから……」
レアスは、シデンやアグニからさんざん聞かされた、コリンについて思い起こす。世界の時の流れが止まってしまう『星の停止』と呼ばれる現象を、二人とともに命がけで食い止めた英雄といわれている。
 その後、シデンだけはディアルガの力により時空の狭間から掬い上げられたのだが、コリンは蘇るこたは無かったと聞いている。シデン曰く、未来で蘇っているかもしれないが、逆に永遠によみがえらないのかもしれないと、どちらの可能性も考えている。
 だから、お墓と言っている墓標が、タイムカプセルになるのかもしくは本当に墓標となるのかは、神のみぞ知る……いや、ディアルガのみぞ知るところであるが、どちらだとしても意味はあるものだと、シデンは言う。

「コリン……絵を描くのが好きだったから、自分が代わりに書いているんだけど……足もとにも及ばないや」
そう言ってさびしそうに笑うシデンの笑顔は例え様もなく儚い。

「ん、でも……オイラ達がこうやって、いろいろ残すことで……少しでも嬉しいと思ってくれればって思うんだ。確かに、本当に心ごと消滅してしまったんなら無駄かもしれないけどね。
 シデンが蘇る時、トキ*1の声が聞こえた。『そして、シデンもそれを望むならば』ってね。シデンは消えていたはずだからどこにも存在しないはず。なのに何かを望むはずなんてない。
 もし、コリンとシデンが同じ状況に立たされているのなら……どこかで生きているはずなんだ」
いつものやんちゃな顔とは違う。どこか憂いを秘めた目でアグニが力説する。

「じゃあさ、それについて……トキに聞いたりとかしないの?」
アグニとシデンは困り顔で笑った。

「『未来のことは秘密』の一点張り……あれでも、自分を蘇らせた(かど)で自分が何らかの罰を受けないかと相当ビクビクしていたらしいよ。あんなんに罰を与えられるごっつい奴が存在するんだね」

「オイラも……そんな奴一度見てみたいよ。しかも女性って言うんだから驚きだよ。
 とにかく……オイラ達が準備している間は少し邪魔だから……外で遊んでいてもらえるかな?」

「ええ~~? 僕も幻の大地行ってみたかったなぁ……」

「多分、無理ね。お墓まいりに行けるのは幻の大地に足を踏み入れることを許された限られた人物だけなのよ。全く、困ったものよね……
 でも……レアスだったら、もしかしたら行けるかもね。さぁ、作業の邪魔だから……ちょっとだけでいいの。外に行っててくれるかしら?」
優しく微笑んだシデンだが、有無を言わせずレアスを寄せ付けない雰囲気を纏っている。コリンに関する積もる話を二人で語り合うには、レアスがいては何かと邪魔なところがあるのだろう。

「仕方ないな……じゃ、行ってきます」
それを察してか、しぶしぶ外に出たレアスは、これと言ってやることがないためにみんなの憩いの場である広場へと向かう。


現在レアスには悩みがあった。幸せ岬から霧の湖まで向かう同中にエレオスに自分の能力について話したら、『体の痛みはわかっても心の痛みはわからないだろう?』という旨の指摘を受けたことだ。
 どういった話の流れでそうなったのかは覚えていないが酷く印象に残った言葉だ。
 その表情にはまだ何か言いたげな顔をしていたが、それ以上は何も言わなかったのも印象的である。
 きっと、それがエレオスが心を痛め、負の心を結晶化してまで状況を改善しようとした原因なのだろう。だが、エレオスが語る言葉だけでは、レアスには痛みが届かなかった。それが原因でエレオスに『冷たい』とか『無神経だ』などと辛らつなことを言われたわけでもないのだが、無言の圧力とでも言うべきものが心にずっしりと圧し掛かった。
 思えばレアスは、伝説のポケモンということで、普通のポケモンと比べて突出した力を持っているために苦労というものを知らないように思われている。彼にとって『流石マナフィ』とか『さすがディスカバーの弟子』いわれることは苦痛だった。
 自分自身を見て欲しいとか、『レアスは流石だね』と言ってもらいたいとか思っていたものだが、エレオスの言葉でふと、その逆も考えるようになった。
 それが原因で当たり前の苦労や苦悩というものを知らないのであることが、自分が他人と違うことに恐怖を覚えるようになったのだ。
 それは、『知らず知らずのうちに自分が他人を傷つけているのではないか?』 という恐怖である。それがエレオスの言葉でレアスに芽生え始めたのだ。それは、精神的な面で健全に生育している証拠なのだが、レアスはそんなことを考えてしまう時間がどうしても気が滅入るために気に入らなかった。

「ふぅ……」
レアスは、先ほど話に出てきたコリンについての思案をする。

――それにしても、消えていった英雄か……今この場にいたらどんな風に生活して何をもっていたんだろうね。
 僕には想像がつかない……自分が消えてでもこの世界を守りたかったという情熱が……時間が止まっていて、その影響により人口は激減。コリンは……色のない世界でひたすら絵を描いていた。ポケモンたちの血肉には色が宿っているからってそれらから抽出した色を使って……
 本物を見るために時渡りをしてこの世界に戻り、未来へ戻ってからは……無駄であることも知らずに時の歯車を集めた。そして……過去を変えてでも世界を元に戻すか否かで対立……
 想像がつかない……世界に時を取り戻すということはかつての仲間を宿敵に変えてしまってでもやるべきことなのだろうか? その情熱はどこから来たのだろう? 絵を描きたいから? それとも……この世界にいるみんなの笑顔を守りたいから?
 僕は……人の気持ちを理解するためなどという大義名分で、何度も何度もハートスワップを行ってきた。でも……ハートスワップで体験できるのは現在の痛みだけ。子供を叱るのにはちょうどいいかもしれないけど、過去の痛みはわからない……
 コリンは……痛かったのかな? 時間が止まった世界がどうしようもなく嫌だった理由があったんだろうな。でなければ、傷を塞ぐのに立って痛みを伴うのに……あんなことはできないよ。
 ハートスワップしてもわからない痛みが……この世界にはある。エレオスもそうだ。アルセウス教の惨状に心を痛めていたんだ……僕は見たことがないから全く分からないけどさ。
 心を痛めて、自分が無理をしてでもその惨状を改善しようと、人々の負の心を結晶に閉じ込めた。その結果過労がたたってやってはいけないミスで世界征服に走るきっかけになったけど……その意気は買うべきだよね。
 
 結局答えが出ないまま、ふと騒がしくなってきた前方を見てみれば、泣いているのにも構わずに弱い者いじめをしている複数の子供たちが見て取れた。レアスは軽くため息をついて、その子供たちのそばによる。

「こら、そこの子たち……何やっているの?」

「なんだよ? ガキが口出すなよ」
ガキといわれて、レアスは内心むっとする。実際のところ、子供といわれるのは好きなのだが、見下す意を込めたガキという言葉は気に食わない。

――そうだよ……あいつらよりはるかに年上なのにガキなんて言われる辛さ、どれだけ説明したってわかるものじゃない。

「君たちは他人の痛みがわからないのかい? 誰だって、砂なんか掛けられたら嫌だし、」
ふと、レアスの脳裏に先ほどの思案が浮かぶ。わかっていないのは自分ではないかと……

――痛みだけじゃない……幸福だって何も分かっていない。僕のハートスワップは……他人の体を弄んで戦闘時に至っては相手を効果的に死に至らしめるための能力でしかないのかな? 心を入れ替えられても、感情だけを入れ替えることはできない……だなんて言われたら気にしちゃうよ。
 だがなんにせよ、いじめを止めることに倫理的な間違いはないはずだ。いじめられている側は喜んでいる様子はないから……。砂をかけられて喜ぶなんて砂隠れの特性でもなければありえないもんね。
 言ってもわからないようなら……ハートスワップで痛みを教えてやればいい。例え、本当に痛みが伝わるかどうかわからなくとも。例え、心の痛みまでは伝わらなくとも。

「偉そうにしてんじゃね~よ、ガ・キィ」
バルキーが襲いかかってきた。そんなバルキーの蹴りを、レアスは片手で止めて、そのまま押し倒す。

「まったく……ガキはどっちなんだか?」
ため息をついて、わざと聞こえるような声の大きさで独り言を言う。

「てめ、やりやがったなこの!! おい、お前ら。無敵のフォーメーションでこいつぶっ殺そうぜ」
どちらが原因であるかも忘れて、子供たちはレアスに一斉に襲い掛かる。なんとも子供らしい安易なネーミングと安易なセリフを吐きつつ襲いかかった子供たちに、レアスは大人の力を見せつけるようにサイコキネシスで空中に静止させる。

「人の痛みが理解できないならさぁ……僕が教えてげてもいいんだよ?」
表面的には普通に可愛らしく笑っただけだが、内面にすさまじい殺気を秘めた状態でレアスは言う。本能的にそれを感じ取った子供たちは肝をつぶしたように身を縮こまらせる。

「ま、冗談だけどね♪」
殺気を解いてほほえみながら言う姿は普通の子供そのものだが、取り繕いようのない恐怖の余韻を残していた。殺気に当てられた子供たちは恐れをなした目でレアスを見ていた。

――僕は生きていてこの方……死の恐怖を感じたことがない。もちろん、僕より長生きしていてもそれを感じたことのない奴はたくさんいると思うけど……あの子供たちの気持ちは、わからない。
 確か……心の一部分だけをハートスワップすることでみんなの気持ちを一つにする技があったはずだけど……それは、共通の目的に向かっている特異な状況でなければ使えない。結局……共有できる痛みは体の痛みだけかぁ

「それじゃあもう、寄って集って一人を虐めるのはやめなよ? でないと、僕が痛みを教えてあげちゃうから」
少し大人げなかっただろうか、と考えながらレアスは場所を変えて思案にふけることにする。


「レアスさん、おはようございます……でしょうか? すでにこんにちはの時間帯かもしれませんけど。
 あなたのことがこの広場で騒ぎになっていましたので、どこかにいるんじゃないかと探してみたら案の定……いったい何をされたのでしょうか?」
不意に後ろから語りかける声に、レアスは振り返る。

「あれ? ニュクス……いや、ちょっといじめっ子たちを注意しただけだよ。
 しかし、もう帰ってくるとは早いね。もうエレオスの心に(くす)ぶる負の感情の人格とやらは取り除けたの?」

「いいえ、その作業はまだまだ時間がかかりそうです。というか、私はテレスにその作業に必要ないといわれましてね……ですから、すぐに帰ってくることも出来たのですが、知識ポケモンの住処だけに、面白そうな医学書がたくさんありまして……それを必死で写していたのです」
そういった彼女の背には、最後に分かれたときと比べるとあまりにも大量な荷物が積まれている。それが、かなりの収穫であったのだろう、ホクホク顔のニュクスは、エレオスと道中をともにした時の笑顔とはまた異質だが子供のように無邪気な笑顔が綺麗だった。

「あらら……すごいね。この短期間でこの量を写せるものなの?」

「いえ、テレスさん……タイプライターとかいうものを自作していまして……あと、そのほかにも『カズサ掘りの井戸掘り器』とか、ミシンだとか、いろいろ作っていましたねぇ……知識ポケモンって本当に偉大です。
 で、そのタイプライター貰ってきちゃいました。分解して複製するためのものと実際に使用するものとで二つ……それは後で見せてあげますね」
ニュクスはレアスの隣にふわりと腹を下ろす

「と、それはいいとして……貴方はここで何を?」

「考えごと……僕、エレオスにハートスワップの能力を話したときに……『体の痛みはわかっても心の痛みはわからないだろう?』て言われてさ……心の痛みって何なのか考えていたんだ。
 僕が……知らず知らずのうちに自分が、他人を傷つけているんじゃないかって。体の痛みなら僕はわかるけど……心の痛みは……わからないから」
ニュクスは優しく微笑んだ。

「なるほど……心が大人になろうとしている証拠ですね」
わが子の成長を感じるような母性の混じる口調でニュクスは非常に満足そうに言う。

「今までの僕は子供だったって言いたいの?」
嬉しそうにも不機嫌そうにも見える口調でレアスは尋ねる。そういうときのレアスは、決まって嬉しい気分を隠そうとしているのだということを、ニュクスは何となく感じている。

「ええ、子供は……日常生活において感じることが多すぎて、考える暇がないんです。新しく体験することが少なくなってこそ考える時間が出来る……そういうものですよ。
 貴方は今、考える時期に入ったのだと、私は思います」

「ん……なるほど」
レアスは小さく頷いた。

「それでですね……心の痛みというのは、無理に知る必要はないと思われますよ」

「どうして?」
ニュクスの投げやりとも言えるような一つの答えを聞いて、レアスは首をかしげる。そんなレアスに対しニュクスは彼の足をそっと撫でた。

「私には足がありません」
次は、レアスの触角をなでる。

「触覚もありません」
くるりと首を後ろに向けて、背中に付いたヴェールを揺らす。

「貴方には、ヴェールがありません」
レアスは、その様子をただ不思議そうに見ている。

「わかりますか? 医者というのは……人の傷や病気を治したりするのが仕事です。でも、足が痛いと言われても……触覚が痛いと言われても、翅が痛い、尻尾が痛い……そういう感覚は私にはわからないんです。
 だからと言って、痛みがわからないから『クレセリアの医者になんか掛からない』という人は全体の何%くらいでしょうか? まぁ、私の腕が悪ければあるいはそれもあるでしょうけれどね……要は、『どんな風に痛いのか』よりも、『どうすれば痛いか、どうすれば痛くないか』が分かればよい……と。
 確かに、他人の痛みがわからないのは、医者として不安になることもあります。ですが、わからない・想像できないからこそそれを何とかしてあげたい……そういう気概が重要なんだと思います」

「そういう、ものかな……?」

「簡単そうに言ってしまいましたが、案外難しいことですよ。なぜなら、体の痛みは結構誰でも打ち明けますけれど、心の痛みはそういうわけにいかないことも多いですから。
 ですから、心の内をすべて話せて、心の傷を癒し合える人が必要でしょう。……けれど、無理にすべての人の『それ』になる必要はないんです。本当に心を許し合える人なんて極僅かですから。なんなら私でもいいですよ? 貴方の事は非常に近しい存在に思いますので……今みたいに悩みがあればいつでも相談に乗りますよ」
レアスは無性に気恥ずかしい思いになり、顔を伏せた。少し浮かんできた涙はきっと目にゴミが入ってきたせいだと決め込み、レアスはニュクスと目を合わせる。

「うん、ありがとう……また、考えがちょっと纏まるか、ばらばらになったら相談させてもらうよ」

「ええ、よろこんで。いつか貴方とは……エレオスを助けてもらった恩だとか、そういう掛け値無しで付き合っていきたいですね」
レアスは三日月の化身と呼ばれるクレセリアの笑顔を見る。

――太陽の出ない時間帯は、ニュクスが照らしてくれる……本当に月みたいな人だなぁ……

レアスはため息をつき、ニュクスのセリフを皮切りに始まった沈黙で重くなりつつある空気を変える。

「そういえば、ニュクスはさ……エレオスを探すために探検隊の仕事をやっていたんだよね。これからどうするの?」
ニュクスは空を見上げ遠い眼をする。

「確かに、エレオスを探すために探検隊の仕事に就きましたが……エレオスが見つかってしまった以上、本当にやることがなくなってしまいまして……ですから、これを機に医者として、ギルドの横に診療所を作りたいと思っているんです」
レアスの方へ視線を戻して、ニュクスはにっこりとほほ笑んだ。

「お金は?」
レアスが不思議そうに尋ねる。

「ええ、まだ足りませんよ。……でも、ヨマワル銀行やシデンさんたち、出来ることならば親方たちから借りてでも、開業にこぎつけたいと思っています」

「お金……か。じゃあ僕、ちょっとしか持っていないけど僕もお金を貸すよ。これでも、2年間は楽に暮らせる貯金はあるんだ!!
 絶対に役に立つからさ……」

「おや……あなたがあと3人いれば開業できますね。ふふ……ですがそこまでしてもらうのはいくらなんでも悪いので……半分だけ貸してもらうことにします。
 ……それにしても、あなたいつの間にそんな大金を?」

「え? 4万5千ポケってそんなに驚くべき大金? そりゃ、普通の職業についていればたかだか2カ月そこいらで稼ぐ金じゃないけど、トップクラスの探検隊なら結構無駄遣いしている方かと思うよ?」

「ふふ、なるほど……食費の差というやつですか。」
ニュクスは苦笑いを浮かべた。

第2節 

月日は流れ、コリンの墓参りから数か月の時が過ぎた。
その間に、レアスの『自分が他人の痛みを感じられているかどうか』という疑問は解決できていない。
 その数カ月の間には、悩みの答えについては変化が乏しかったものの周りの状況には大きな変化があった。どこからかレアスのハートスワップの能力を聞いた地主の家族が依頼を持ちかけてきたのだ。
 その仕事内容は、なんとも純粋なことで『泳いでみたい』というものだ。なんでも……自分はブーバーンであり、種族がら泳げないから水タイプのポケモンとハートスワップをして泳いでみたいという……飛べないポケモンが子供のころ飛びたいという夢を持つ例はあるが、それと似た(たぐい)のものだろう。
 報酬も破格だし、仕事自体はとても楽だ。何より……

「こりゃぁいいや……こんなに楽しいもんなんだなぁ、水中ってな!!」
フローゼルとハートスワップさせたブーバーンが、それはもう楽しそうに泳いでいる。

「おおう、慣れてみると火炎放射もいいもんだな!!」
ついでに言うと、ブーバーンの体に入ったフローゼルも楽しんでいる。レアスは、このような光景を見ていると、なんとなくよかったなぁという気分になるのだ。

―― 人の気持ちが完全にわからなくても……いいのかな? 相手が幸福か不幸かが分かれば。 幸福なんて言うのは、もともと相対的なものでしかないし自分の気持ちは理解できても、他人の気持ちを理解することなんて、エムリットかキルリアでもなければ難しい。
 だとして……本当に理解できなきゃいけないのかな? ニュクスも言っていたけれど一度も病気と怪我をしたことのない医者はいてはいけないのかな? 痛い事と痛くないことが分かれば医者としてやっていける……どうだろう?

依頼人が楽しむ光景を見るたびに思っているこのレアスの思案には、答えが出るはずもない。レアスはただただ漠然と考えていた。


レアスはこの後も、依頼人が飛びたいとか地面に潜ってみたいとか訳のわからないことを口走っては、ハートスワップでそれを実現させている。お金は、今までの3倍ほどのスピードで貯まっていく上に、この仕事をやっているとなんだか楽しいとさえ思える。
 そういった理由でレアスは、探検隊としての仕事の合間に行うこの仕事が気に入っていた。

そんな折、同様の依頼で、新たな依頼主がつく。
 どこからうわさを聞いたのかは不明だが、レアスの能力を使って自由に歩きたい……らしい。これまでの依頼(といってもこれまでの依頼人は一つの家族だったわけだが)とは違い、入れ代わりの対象としてレアスの体を使わせてくれという依頼が来たのだ。
 今回の依頼人は心臓に難病を患って、まともに歩くことが出来なくなったザングースで、レアスの体を借りて、もう一度自由に動いてみたいとのことだ。
 依頼を受けた時点ではレアスは警戒をしておらず、特に危険な予感がするとは思っていなかったのだ。とはいえ、どうしてワザワザ自分の体なのか? 泳ぐにしたって走るにしたって、そんな行為ならば、もっとふさわしい体形のポケモンなどいくらでもいるだろうと……疑問に思いはしたものだ。だが、それを特に気に留めはせず易々とその依頼を受けてしまった。
 それが甘かった。自分が選ばれたその意味がわかるのは、この依頼を受けてから数日後のことである。

ザングースの体の中に入ったレアスが本を読みながら与えられた部屋で休んでいると、部屋に心に関する呪い(まじない)の刻まれた変わった布を身にまとったカイリキーが数人が入ってくる。

「な……何?」
レアスの質問は、その一切を答えてもらえず、レアスはその集団になすすべなく拘束される。どんな体を使ってもそれなりの動きが出来るレアスといえど、操っている体が心臓病では、到底抵抗は不可能だった。そして、頼りのハートスワップもまじないの刻まれた布の前に無効化される。

「ちょ、ちょっと待ってよ。離して! 僕をどうする気?」
そう叫ぶレアスの言葉を無視して、ザングースと入れ替わったレアスを乱暴に牢屋へ押し込める。レアスにはわけがわからなかった。この状況に置かれた理由も、この状況そのものもまったく以て理解できない。
 そのまま牢屋に放置されると、レアスの中に徐々に恐ろしい記憶が脳裏に浮かぶ。

――昔話にこんなお話があったぞ……とある国に傲慢な王様がいて、それにそっくりなパン屋の平民がいて、一日だけ平民として暮らしたいとか王様が言って……そしたら臣下は王を小麦粉の粉じん爆発で死んだことにして、平民を王にした……そして国は平和になったってお話が。
 今度は逆に……僕が殺されるってこと? 病気で動けなくなった体を捨てて僕に……レアスに、僕になりすまそうとして……ずっとおとぎ話だと思ってバカにしていたけど……まさか、僕に……?

レアスは周りを見渡してみる。真意は不明だが……自分の命の危機を疑う要素はないことだけはわかる。そんなレアスに、もうひとつ恐ろしい記憶が蘇る。

この国では朝方に人を殺すと、魂は霊界への道が探しにくく、その結果夜になる前に暴れまわって悪さをするという話がある。
 また、夜にいきなり殺すこともいけないとされ、昼のうちに一度どこかに閉じ込めておくのが習わしである。閉じ込められた時間帯は昼ごろ。その二つの事実は、レアスを恐怖させるのに十分すぎた。

――と、言うことは夜になったら僕は……ころされる? 僕はこれから殺されるの? 怖い……嫌だ……どうすればいいの? 死にたくない……死ぬのは嫌だ……とりあえず逃げなきゃ……どうやって? まだまだ生きたい……繋がれているから逃げられない……縄を解かなきゃ……鎖はどうすれば? 死にたくない……嫌だ、嫌だ、嫌だ、死ぬのは嫌だ……

密室の中で死への恐怖が湧き上がる。腕は縄で縛られ、脚は鎖でつながれ、口は猿ぐつわをされている。普通なら死ぬしかなかったかも知れない。
だが、死への恐怖に駆られたレアスは……生きようと足掻くことを決める。

――縄はサングースの口なら噛み切れるはず……でも猿ぐつわがあるから噛めない……いや、頬の肉ごと噛み切れば……でも、痛いのは嫌だ……でも死ぬのはもっと嫌だ……死にたくない……やるしかない……やらなきゃ。

死への恐怖は痛みへの恐怖をマヒさせた。対して動いてもいないのに数里の道のりを全力疾走したように心臓が高鳴り、瞳孔が開いて視界も明るくなる。いわゆる闘争状態となったザングースの体で、猿ぐつわを頬の肉や唇ごと噛みちぎった。肉球からは水に浸したかのように汗が滲む。

――痛い……痛いよ……このまま死にたくないよ……誰か助けて……何でもするから助けてよ……怖いよ……僕を一人にしないでよ……誰か……

あふれ出る鮮血と、闘争状態にあっても耐えがたい激痛から、流れおちる涙が床を濡らす。それでもまだやるべきことは終わっていなかった。次は縛られていた腕の縄を噛みちぎり、鎖でつながれた腕の肉を鋭い爪で削いで、むき出しになった骨も噛み砕いて、ようやく枷を外した。

――何で僕はこんな事を……誰のせいでこうなったの? 何でこんな目に遭わなきゃならないの? 酷いよ……酷いよ……死にたくなるくらい痛い……憎い……痛い……早く誰かと体を交換してこの痛みから解放されたい……痛い……痛い

痛みのせいで、秋ごろの涼しい日和だというのに体がどうしようもなく震えた。血の気がひいて冷え切った体を、文字通り引きずりながら歩く。
 なんせ、足の一本は今の脱出で失ったのだ。這って行くしか方法はない。拘束されているから安心しきっていたのだろう。
 牢屋には鍵がかかってはいたものの、鎖による拘束以外には力を入れていない模様で、扉にはハートスワップをはじめとする精神攻撃や念力避けの呪いがしてあるわけでもなくハートスワップが牢屋越しに可能な状態だった。
 レアスの脱出を確認してから誰かに、なんらかの報告をして戻ってきた牢屋の番が、今すぐに殺せとでも命じられたのか、扉を乱暴に開ける。
 先程、ここに押し込められた時は不意打ちの上にすぐさま押さえつけられていたせいで、レアスも不覚を取った。だが、今回は痛みの感覚すら殆んど意識の外に追いやるほどの激しい怒気に取り憑かれ、心臓の病気による苦痛も同様に意識の外に追いやられていた。
 レアスは、マニューラが纏った布を引き裂く。その際、レアスが入っていたザングースの首は正確に切り裂かれていたが、首を切られてから命を失うまでに与えられた数秒という時間は、レアスがマニューラの体を奪うのに十分すぎた。
 ようやく激痛から解放されたレアスはマニューラの体を使って、後続を切り刻む。一人を残して爪と冷気を駆使し、自分が傷つくことも厭わない捨て身の攻撃で瞬殺していった。
 ハートスワップの能力を有する者との戦いに慣れていなければ、その突然の攻撃に対処するすべはない。だが、当然マナフィと戦ったことのある者などいるはずもなく、最後に残った無傷なライボルトも体を強制的に交換させられ、傷ついたマニューラの体で心が息絶えていった。

――自分の体……その中に入っているのが僕をこんな目に合わせた……憎い……殺したい……同じぐらい痛い目にも怖い目にも遭わせたい。とにかく……早く自分の体に戻らないと、そのうちハートスワップの能力が失われて、完全に体が奪われる……その前に、見つけて殺す。絶対に殺す……

 狂気が彼の思考を支配していた。今のレアスは逃げることよりも、体を取り戻すことよりも、ただ憎しみを晴らすことだけを求めて、歩き出した。
 レアスがライボルトを残したのには理由がある。鼻が利くからだこういうときには役に立つ。レアスは、自分の匂いの残っていたソファから、自分の体に入っている依頼主を探す。匂いを大ざっぱにたどって駆け出すと、慌てふためいて荷物をまとめている依頼主が見て取れた。

――何を逃げようと……? 僕は辛かったのに……痛かったのに……不公平だ、殺さなきゃ不公平だ。こんな奴は殺さなきゃダメだ。

レアスは自分の腕に牙を突き立ててから、自分の体を問答無用でハートスワップして奪い返す。
今回のように、いきなり腕を噛み砕かれた体に入れ替えられた心境はいかなるものか察しがたい。察しがたいことではあるが、驚く事と耐えがたい激痛である事は間違いないだろう。
 元の体に戻れたレアスは襲い掛かる。その顔には涙とともに……強烈な殺意を成就させた悦に染まる、不毛な笑みが浮かんでいる。

――殺さなきゃ……この依頼人に協力した奴らなんて生きている価値はない……殺さなきゃ……

 レアスは、ライボルトの体に強制的に交換させられた依頼人の腹を噛み千切り、傷口に腕を突っ込んで生きたまま肉をかき分ける。ライボルトの体に入れられた依頼人が激痛でうめきながら、反射的に漏れ出た電撃に対しても、レアスはひるむ様子も見せない。ただただ、傷口の中で手を左右にこねくり回し続けた。
 死の恐怖からの解放。湧き上がる憎しみを思うがままに振るう快感そうさせたのだろうか、幼くて可愛らしい見た目のレアスが、その容姿に到底似合わない恐ろしい笑い声をあげる。
 そのまま死んでしまうのではないかと思えるほど激しく『狂った』笑い声はいつまでも続いた。

そのうち、足の力が抜けてフラリと前のめりに倒れる。レアスは笑い声を止め、抑える術を知らない大量の涙を、唾液を、鼻水をあふれさせている。それらが水タイプのポケモンならではの、とんでもない量で床を濡らしていた。

どれほどの時間がたっただろう。ぴたりと笑いを止めて、どうにかしてふらふらと立ちあがったレアスは、依頼人の館を後にして、徒歩でギルドへと帰って行く。

その時どのようにギルドまで帰ったのか覚えておらず。ただトレジャータウンに帰ってから、プクリンのギルドの新しいメンバーのデルビルの女性を確認すると同時に

「ライラ……」
その名前を囁き、そのままその場に死んだように倒れたことが意識のある内での最後の記憶だった。

第3節 

わけもわからぬままにギルドまで運ばれたレアスは、シデンとアグニが留守中であったが為、ニュクスの家に送られた。その後、レアスが目覚めないうちにアグニとシデンが帰ってくると、シデンはレアスの容体を確認した後、すぐに今回の件に関する情報収集に向かい、アグニはレアス、ニュクスとともにサメ肌岩に帰って行った。

「おいら……訳がわからないよ。いったいレアスに何があったって言うの?」
ようやく足を落ち着けたアグニが、ニュクスに問い詰める。

「貴方達が帰るまでの間にいろいろ調べてきたのですが……レアスが仕事を受けた家はですね……付近では神隠しのうわさが絶えませんでした。それで、今回の件で調査が入ったら案の定です。あそこでは連日惨殺が行われていたそうです」
ニュクスはため息をついて、まるで自分が体験したかのように(まこと)しやかにそれを語る。

「しかも、そこの主人は難病に侵されていまして……おそらく、レアスはその主人に体を奪われそうになった……のだと思われます。惨殺が日常化している者がレアスの長い寿命……マナフィのいつまでも若い体……それに目をつけての凶行。あり得ない話ではないと思います。

 彼は相当怖い目に会ったのでしょう、悪夢を見ていました……現在、悪夢だけはなんとか押さえていますが……」

「ふざけるな!!」
アグニが張り上げた大声に、ニュクスは体を硬直させる。傍らでは、レアスがゆっくりと目を開けていた。

「どうして、何も悪いことをしていないレアスがそんな目に会わなきゃならないんだ!」

「私にかみつかれても……困ります」
ぶつけようのない怒りに、アグニは地面を殴りニュクスは歯ぎしりをする光景をレアスは見ていた。ただそれだけのはずなのだが……それが不意に恐ろしいものに見えたレアスは、自分でも気がつかないうちに二人を攻撃していた。

「なっ……!!」
 不意打ちを食らって、ニュクスは吹き飛びアグニは直前で避けようとしたものの、受け流すのが精いっぱいであった。
 レアスには、目の前でふらふらと立ちあがっているのがニュクスとアグニであることが分かるまでにはしばらくの時間を必要とした。少しばかり冷静になって、ふと自身の足元を見てみれば、藁で作られた寝床にニュクスが毟って作ったと思われる三日月の羽が大量に散らばっている。

「レアスさん……落ち着いてください。何があったのでしょうか?」
丈夫さでは定評のあるクレセリアだが、さすがに不意打ちを食らってはどうしようもないらしい。ニュクスは水圧に吹っ飛ばされた時に頭を打ったようで、血が滴っている頭を痛そうに押さえている。

「あ、ぅ……ご、ごめん……」
ニュクスが何か脅すような口調や、殺気を振りまいたわけではないのに、わけもわからずレアスは後ずさった。

「いたたたた……ニュクス、いったいどういうことなの? 三日月の羽があれば悪夢は見ないんじゃなかったの? これじゃ、まるで……おいら達を襲ったソリッド……というかソリッドより性質が悪いよ」
アグニもまともに食らえばニュクス以上の深手を負ったはずだが、こちらはニュクスよりもはるか手前で攻撃に気が付いていたせいもあってか傷は思いのほか浅かった。

「ごめん……」
レアスはその場に座り込み縮こまる。恐怖に塗れたその瞳からは大粒の涙が流れおちていた。

「大丈夫ですよ……ここは安全ですから」
ニュクスはレアスが眠っていた間に知りえた事実を話しながら、近づく。

「やめて……」
レアスは怯え、丸める……といっても差支えないほどに体を縮こまらせた

「しばらくすればシデンも帰ってきます。ですから、安心してく……」

「聞きたくない!!」
ニュクスに向かって破壊光線が放たれた。とっさに身をよじって避けたため、ニュクスは無傷であったがサメ肌岩の天井は広範囲が崩れ、地面に砕け落ちていく。

「すみません……無神経でした」
ニュクスは頬に伝わってきた攻撃の風圧に全身の羽毛を逆立て、背中のヴェールを強張らせる。殺意すら感じさせる攻撃がかすめる感覚に身震いするしかなかった。

「ごめん……一人にして」
破壊光線を放った自分の口を押さえながらレアスは顔を伏せる。

「ですが……」

「お願い……」
震えて涙ぐむレアスに何とか手を差し伸べたいと思いながらも、何もできない自分に二人は歯噛みする。

「わかりました」
「わかったよ」
二人は一度だけ頷くとそれっきり黙って外に出た。


外に出ると、日は沈みかけて西の海原に半分顔をのぞかせているだけであった。はなはだ不謹慎ではあるが美しい夕陽である。

「起きていてもあの状態では……どうすればよいのか」
ニュクスはため息をつく。

「とりあえず……今日はレアスさんに家を占拠されていますので、狭いですが私の家に泊ってください。アグニさんは……情報収集にあたっているシデンさんに、その旨を伝えてください。もし、遅くなるようでしたら、私がこちらに食事を運びますので……」

「そんな、悪いよ」
ニュクスは首を横に振る。

「どうせレアスさんに届ける必要がありそうですしね……」

「そうだね……わかったよ」
ニュクスの言葉に納得してアグニは頷く。家の前に座り込みながら、立ち去って行くニュクスを見えなくなるまで眺めていた。


二人は結局、その日の夜ニュクスの家に泊まることになった、その際シデンから、時空の叫び*2で感じたレアスの様子を聞くことが出来た。
「相当……怖かったんだと思う。自分も見るのがつらかったし、何より……地下室の方は見れなかった。ひど過ぎて……怖くて見る勇気が持てなかった」

「そうですか……とりあえず、私は食事を届けに行こうと思いますが、シデンさんたちはどうしましょうか? あまり大人数で行くと怖がってしまいそうですし……」

「とりあえず、オイラはさっき顔を見せたからいいよ……。シデンならもしかしたら大丈夫かもしれないから……行ってあげて」
全員が伏し目がちだった。突然レアスの身に降りかかった不幸は、あまりも重かった。


その後も、レアスは様はサメ肌岩に一人でひきこもり、誰とも話そうとはしなかった。ニュクスが与える食事もその大半を嘔吐してしまい、十日と経たないうちににレアスは元の面影がないくらいに痩せていた。
 そのような状況に陥っても、最も信頼における三人ですら近寄らせない状況になり、自身の腕に噛みついたり、地面を掻きむしったりしてはしては痛々しい血痕を床に刻んでいる。
 もはや手の打ちようがなく、三人は途方に暮れていた。

「レアス……このままじゃいつか死んじゃうよ。ねぇ、ニュクス。君は医者なんでしょ。どうにかならないの?」
シデンが泣きそうな顔で尋ねるが、ニュクスは首を横に振る。

「心の病は専門外です……悪夢を見ることは私の羽で防いでますけど……起きている時まで幻覚に悩まされているようでは、私には手の打ちようがないんです……」

「幻覚……ねぇ、エレオスならどうかな?」
ニュクスの幻覚という言葉に、アグニがひらめいた。

「エレオスの……幻覚を見せる能力だったっけ? それだよニュクス!! エレオスって今どこにいるんだっけ?」
シデンが、アグニの代弁をするようにニュクスを捲くし立てる。

「確かにエレオスの力で、何らかの幻覚を見せる手は有効かもしれませんが……何度も言うように心の病はそんな簡単なことではないと思います。その何らかの幻覚の『何らか』はエレオスにだってわかりません……ん?」
ニュクスは自分の中に羽毛が逆立つくらいの妙案が思い浮かんだ。

「待ってください…………………………
そうだ、滞在する期間が霧の湖*3の時と同じならば、今エレオスは地底の湖*4にいるはずです。そこならばエムリットもいますし……おそらくはこういうことの専門家です。都合がいいかもしれません」
全員の顔付きが変わる。

「すぐに準備しよう……アグニ、睡眠の種をありったけ買いに行こう!! レアスを眠らせるから」
そこからの二人の行動は早かった。宣言通りありったけの睡眠の種を店から購入し、シデンがレアスに電磁波を浴びせかけて強引に種を嚥下させる。
 そうしたら、三人の中で最も直線距離を進むスピードの速いニュクスが、眠らせたレアスを背負って地底の湖へと向かった。


 息切れをしながら、ものすごい形相で現れた突然の訪問者に、エムリットのアンナは驚いていた。

「ニュクスさん……よね? どうしたの?」

「どうしたんだニュクス?」
「あ、本当にニュクスさんだ」
続いて出てきたエレオスとクリスタルも、疑問と驚きを呈している。その全員が、ニュクスに背負われているレアスを見るや否や、表情を変えてすり寄った。

「これは……レアスに何があった? どうやったらこんな変わり果てた姿になるんだ!!」
怒りとも驚きとも取れる口調でエレオスが問い詰める。

「今から話します……その前にちょっと水を……」


地底湖の水を一掬い飲みほし、ニュクスは腰を落ち着け、今までの経緯を話す。
 一通りの話が終わると、ニュクスは涙を落した。

「お願いです……レアスを助けてあげてください。この子は起きていても悪夢を見るような状況になってしまって、私にはもうどうしようもできません」
頬を伝う涙をエレオスが指で拭う。

「ここに、都合よく感情の神と幻術使いがそろっている。こんな機会はそうそうあるものじゃない……。アンナ、この子は私にとっても大切な者、命の恩人だ。
 この子を救うために私が出来ることを……なんでも言ってくれ。なんでもだ……この子を救いたい」
静かに、力強くエレオスは言う。

「私の夢映しでも何でも、出来ることがあれば……」
いつもの強気な口調ではなく、少し控え目な口調でクリスタルも付け加える。

「お前達が言うまでもないよ……この子は恐怖の感情にとらわれている。何とか救ってあげたいって私も思っていたところさ。
ニュクスさん。私たちを頼ってくれてありがとう……エムリットの誇りにかけてあなたの頼みを引き受けるわ」
ニュクスの顔に希望の光が灯る。

「すまないねエレオス……お前の悪い人格を消す作業は少しお預けだ」
アンナが申し訳なさそうな顔をするが、

「構わないさ」
エレオスは、レアスを見ながらそう言った。クリスタルも口には出さないが同じ気分であった。

「この子は私が衝動的に自殺しようとしていたところを止めてくれた。今度は私が応える番だ……なるべく早い方がいいだろう。アンナ、どうすればいい?」

「とりあえずこの子の不安を取り除くにはまず、何があっても安心できる場所が必要ね……出来れば絶対に誰も手のふれられない場所がいいわ。例えば卵、それも深海に産み落とされたばかりの……そういう夢も出来るかしら?」
役不足だと言わんばかりに、エレオスは鼻で笑う。

「出来るさ。ライネス程ではないが、私とて夢を見せるのであればお手の物だ」
エレオスは微かな寝息を立てているレアスにくくりつけられた三日月の羽を取り外す。

「さあ、ニュクス……心配なのはわかるが、お前が見ていても何が変わるわけでもない。ちょうど食事の時間だから、少し休んだら久しぶりにお前の上手い飯を食わせてくれ。クリスタルも一緒に……頼む」
エレオスは深呼吸をした後そっと胸に抱く。

「あ、はい」
「うん、」
呆然とエレオスの様子を見ていた二人は我に返った様子で体を浮かべる。レアスを抱くエレオスの周りは黒いオーラのようなものが漂っている。それが周りの者にとって禍々しいものに見えない程、エレオスの表情があまりにも穏やかだった。

第4節 

一日、一日がただ過ぎて行った。その日を境にレアスは毎日エレオスに抱かれて眠っている。クリスタルも、自分を『抱いてほしい』などと愚痴をこぼすものの、決して文句は言わなかったレアスが時折のぞかせる穏やかな表情は普通の少年そのものといった様子で、エレオスとアンナの献身的な心のケアというものの効果が日々、目に見えて感じられる。
やがて、レアスはエレオスを必要とせずとも、普通に食事をとれるようになりクリスタルやニュクスとも普通に会話できるようになった。そのころには、名残惜しそうにしながらもニュクスはトレジャータウンに帰って行った。

そんな折、レアスは二人で話したいことがあるから……と、エレオスを湖のほとりで水浴びに誘う。

「クリスタルが覗いていたりしないよね? この湖ただでさえ暗いから迷彩纏われたら絶対に発見できなそうだよ」
などと言いつつも、レアスは周りを見渡してクリスタルを探すような真似はしなかった。二人で話したいのは、聞かれたくないからではなく口をはさまれたくないから……というのが理由だからである。

「まぁ、覗かれていたらいたら困る話か?」

「いいや、口を挟まれたくないだけだから問題ないよ」
尋ねられたレアスは悪戯っぽく笑う。

「そうか……それで、話とは?」
エレオスはスカートの中に収納された足を出して、水に先端をつける。水の流れの関係で水が冷たすぎないことを確認してから、ゆっくりと足を入れた。

「これからのこと……」

「ほう」
エレオスは胸まで水の中に体を沈めた。

「僕ね……ここに来る前に、『心の痛み』についていろいろ考えていたんだ。君に『ハートスワップは体の痛みは理解させられても心の痛みは理解できない』みたいなことを言われてから……」

「ふむ」

「ニュクスには、尻尾の痛みや足の痛みがわからなくても、治療法さえわかっていて実行できれば医者にはなれるって言われたし、僕もそう思う。
 けれど、あの時の僕は何をやっても、シデンにも、アグニにも、ニュクスにも心を開けなかった……本当のところ、人がどうすれば喜ぶかわからない場合はどうしようもないんだよ。
 それに、人を不幸にすることで喜ぶ者すらいる……今まで理解できなかった感情だけど、あの時の僕は確かに理解できていた。わざわざ苦しむように殺していたから……
 自分の中には、誰かの幸福を喜んだりする心も逆に不幸を喜んだりする心もどちらも混在している。本当の僕なんて誰もわかるはずがないんだ。それは君だって同じこと……僕のことは君が完全に理解することは出来ないし、君の事は僕が完全に理解することはできない。
 君だって、少し前までの僕の気持はわからなかったでしょ?」

「正直……わからなかったな。お前も、初めて会った時の私の気持ちはわからなかっただろうが……」

「うん、だからね……」
レアスは一瞬目をつむり、エレオスを見て微笑んだ。

「それでいいと思った。僕は、人の気持ちがわからないことに悩むのはやめたんだ……。わからなくったって、誰かに喜んでもらえればうれしいことに変わりはないから。傷が治るとうれしいと思える医者と同じでしょう?」
エレオスも応えるように微笑むと、湖の少し深い場所に行き体を楽に浮かべる。

「そうか……お前がそう言うやつで安心した。誰かの幸福を自分の幸福に感じられる奴でな」
エレオスの言葉がよほどうれしかったのか、レアスは口もをが緩むのが抑えきれなかった。

「ふふ、ありがとう。でもね、それじゃあきちんと喜んでもらえるかどうかはわからないでしょう? だから僕は、正直に言うことに決めた。聞くことに決めた……何をしてほしいか、何を望んでいるかを。そうすれば、間違う可能性はぐっと減らせるよね?
 僕は『君に恩を返したい』。僕に生きる力を取り戻させてくれたお礼にだ。だから、君は僕に……何を望むのか……教えて、お願い」
レアスは水面に顔をつけて頭を下げる。ゆっくりと顔をあげたレアスの真剣な眼差しに、エレオスは息を呑む。

「ひとつ、お前に頼みたいことが……あるにはある」

「本当!? もったいぶらないで僕に教えてよ」
エレオスは躊躇した。

「茨の道になるだろうが……いいか?」
少し前まで死への恐怖のあまりまともな生活すらできなかった、物に頼むべきではない気もしたがエレオスは重い口を開く。

「構わないよ。君がいなければ僕は今頃底なし沼の道さ……茨なんて、僕の小さな体ならどんだけだって抜けてやるさ」
エレオスを見る目は、只管(ひたすら)まっすぐだった。

「わかった……以前お前にも話した通りアルセウスを神と信仰する国々が大陸の東側にあるのは知っているな?」

「うん……知っている。昔、こちら側の探検隊が皆殺しにされたのを受けて探検隊連盟がダンジョン伝いに移動することを命じたあそこだよね? あっちではダンジョンが禁忌地とされていて近づくことを禁じられているから……」

「そうだ……要はあそこの惨状をどうにかするために力を貸してもらいたい。途方もなく長い目で見ることになるかもしれないから、お前やクリスタルくらいにしか頼めないが……」
エレオスは一度深呼吸をすると、そこから先は穏やかな口調で言う。

「出来そうにないと思うなら辞めてもいい。まだ、私のためにやってほしいことはいくらでもある」
エレオスの言葉にレアス首を横に振る。

「出来るかどうかなんてまずは……やるべきことを知らないことにはどうにもならないから……そこへ行って、ちょっと見に行こうかな……って。だから、どこかにお勧めの場所はある?」

「そうだな……」
エレオスは、しばらく考えるとレアスの頭の中に直接イメージを伝える。

こんなものでどうだ?

「うわ……すごい……こんなこともできるんだ」
非常にわかりやすく浮かんできたイメージに、レアスは舌を巻いた。

「起きている時に見せる幻覚ならば、クリスタルはもっとすごいさ。
 さて、そんなことはさておき……そうだな……大陸を二部する山脈の南端から行けるエーフィ領のこことか……ギラティナが住む『世界の大穴』を隔てていけるグレイシア領のこことか……そこら辺が、最も刺激の強い場所だろう。私がなぜ心を痛めたかもわかるはずだ」

「…………ここからだと、エーフィ領が近いね。……わかった。まずはそこに行ってみる」

「死ぬ危険性もある……それにお前はいくらなんでも見た目が見た目だから目立ち過ぎるからな……それでも行くのか?」

「万全の準備を整えていけば問題ないさ。今度こそ、殺されないようにさ……君のアドバイスもじっくり聞かなきゃね」
そう言ったレアスは、ぬいぐるみのように小さい体でありながらエレオスにとって頼もしく思えた。強い恐怖を体験して、それを克服したからこそなのだろう。何があっても耐えてくれる。レアスを見ているとそんな予感がした。

「わかった、もう止めるようなことは何も言わない。それで、だ……後でその計画についてはじっくり話すにしても、ひとまずは水浴びを終えてからということにしよう。メモの必要もありそうだし、ここだと少しふやけてしまいそうだ」
そこでエレオスは何かを思い出したように、自身の髪に触れる。

「そうだ……もう一つ頼みたいことがあったんだ」

「何?」

「髪の毛に水をかけてくれ……いつもはクリスタルにやってもらっているんだが、今日はお前だけしかいないものでな」
そう言ったエレオスの顔は、確かにほほ笑んでいた。

「お安いご用さ」
レアスはふっと笑い、水遊びの要領でエレオスの靡く髪に水をかけた。


一気に一話をアップするのはあまりないことですね……ギャグを入れよう入れようと思って書いていたら、いつの間にかギャグが入らないまま書き終えてしまったのです……

とりあえず、某喫茶店のようにエレオスとレアスが仲良くしている理由は今回の事があったからなんです。実際にPTSD(心的外傷後ストレス障害)になったら、こんな風に回復できるのかどうかはわかりません。
 感情の神と幻術使いがそろえば、よしんば心の傷は癒せたとしても脳の障害は残る可能性があるみたいですからね……そこは医者じゃないので詳しくわかりませんし、間違いがあっても伝ポケ補正で何とか……長い寿命な訳ですし、たぶん脳細胞もキチンと分裂するのでしょう。

ああ、ギャグがない展開がこの先も続きそうだ。


次回へ


コメント・感想 

コメント、感想は大歓迎です。

お名前:
  • >漫画家様&br:>>脳の障害は治らない
    やはりそうですか……脳が委縮とか書いてありましたし、治らないのでしょうね……。しかし、マナフィは再生力が高いという事で脳細胞も分裂するとか、そういうイメージで何とか見逃してもらえると幸いです。
    >>クリスタルの発言
    「私の夢映しでも何でも、出来ることがあれば……」エ・ロ・く・な・い・で・す・よ・ね?なぜ鼻血を吹いたのかはわかりませんが……まぁ、光栄です。
    しかし、口調変わったことには見事に誰も突っ込んでくれませんねぇ -- リング 2009-01-07 (水) 23:10:44
  • 脳の障害は治りません。しかしながら精神的な病気、脳や神経の病気でもCTやMRIを撮ってみると異常が見つからないという場合もあります。
    と、検査で全く異常が無いのにてんかん持ちな俺が言ってみる。
    脳細胞が分裂…なぜかあかんべーしてるアインシュタインが脳裏に浮かぶ
    クリスタルの発言に鼻血吹いたwww -- 漫画家 ? 2009-01-06 (火) 08:17:36

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*1 ディアルガの名前
*2 物に触れることで過去や未来を見れる能力
*3 時の歯車が安置されている湖の一つ。ユクシーの住処
*4 時の歯車が安置されている湖の一つ。エムリットの住処

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Last-modified: 2009-12-01 (火) 00:00:00
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