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漆黒の双頭第5話:蒼と黒の出会い

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作者……リング
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第一節 

「うぅ……わしも空の裂け目から出ることになるとはのう……ちぃと緊張するのう」
いままで、空の裂け目でソリッドの下に守られていたアズレウスは幾許かの恐怖心を胸に、空の裂け目を抜けるダンジョンを歩いていた。

「だ~いじょうぶだって。オイラもシデンも、み~んな外で生きているんだから」
アグニが不安げなアズレウスに、アグニは笑いかけて背中を後押しする。

「誰だって最初は恐い……けれどね、恐怖に勝る"何かいい事"があると信じて、一歩踏み出そうよ……アズレウス」
明るく語りかけるシデンの口調に、アズレウスの緊張は僅かに和らいで見せた。レアスはここまでの道のりで疲れたのか、心が月の世界に行ってしまうほど寝心地がよさそうなニュクスの背中ですやすやと眠っており、背負っているニュクスは物思いにふけっている。

 恐らくエレオスのことを考えているのだろう。昔は兄妹愛を育んだ仲だったが、ふとしたこと道を(たが)え殺し合いにまで発展した。
 今ここで再会出来たとして、一体何を話しかければいいのかと、考えれば尽きることは無いのだろう。記憶を失っているからこそ、一からやり直すことが出来るのかとも考えられる。
 実際に記憶を失って未来から現代の世界に流れ着いたシデンが、コリンという名のジュプトルのことを全く思い出すことが出来なかったように。
 しかしそれはあくまで楽観的な考えであり、可能性はゼロに等しい。証拠として、エレオスはニュクスの名前を覚えているらしいことも確認されている。もし出会ってしまえば、自分を避けられてしまいそうで恐かった。

「ニュクスさん……これまでがどれだけ大変じゃったか分からんけど、貴方とエレオス義兄さんならきっと仲直りできるよ。貴方も、義兄さんもぶち子供好きじゃったけぇ」
自分より不安そうにしているニュクスを見て、アズレウスは自分の方が冷静にならなければと思い直す。自分の恐怖など取るに足りはしないものだと、決め込んだ。

「優しかった頃と変わっていない……だとしても私は恐い」

「大丈夫だよニュクス。誰だってきっと分かり合えるんだから。自分達だって……エレオスと仲良くなりたい。その気持ちがお互いにあれば、きっと……」
シデンの励ましにアズレウスが続く。

「もし貴方がダメならわしが間を取り持つんじゃ。ニュクスさん……わしゃぁ貴方が元客人じゃけぇとかもう関係は無いんじゃ。義兄さんにも、姉さんにも、貴方にも幸せになって欲しいのじゃ。じゃけぇ、支えてくれる味方がいる……恐がるより先に、皆を信用してつかぁさい」

「オイラ達、ニュクスとはもう友達でしょ? きっといけるってば」
アグニの声掛けにニュクスは天井を見上げた。

「ありがとうございます……ですが、少し考える時間をください。貴方たちの心遣いは本当に嬉しい……」
ニュクスは儚げな笑顔を浮かべる。

「嬉しいのですけど……今は何故か拒否してしまう。すみません……私は今、何が何だか分からないのです」
憂いを秘めた目を細めながら、ニュクスはため息をついた。皆の心遣いを受け取ったニュクスは本当に嬉しそうだったが、今は頭が回らない。


空の裂け目。空間を裂いて出来た虚空に浮かぶクレバスから出入りするその門の内は、殺風景な岸壁であった。そこを笑顔で通り抜けるアグニとシデン。早くアズレウスに美しい景色を見せたくてしかたがないようである。

「アズレウス。自分たちみたいに探検隊をやっているとね……美しい景色や美しい草花。見たことのない虫やポケモン、例えば君みたいなポケモンに出会える。そうやって出会えた見たことないモノが必ずしもいいモノだとは限らないけれど……どうぉ? この場所……」
アグニがアズレウスの手を引くと……広がる草花。ラティスガーデンでは地平線の先は虚無だった。空の裂け目の地面は、崖のように削り取られた空間が空に浮かんでいるような場所だったが、ここは地平線が地平線だった。初めて見たその光景に、アズレウスは目を見開く。

「ラティスガーデンとおんなじように草花は生えている……けれど、その地面の振る舞いはぜんぜん違う。どうぉ? オイラ達は逆に空の裂け目の景色で驚いたものなんだ」

「自分もね、ソリッドに追われたときは本当に恐かったけれど、空の裂け目の不思議な光景には息を飲んだわ。それと同じ……空に裂け目に見慣れたアズレウスには不思議な光景でしょ?」

「フォ……」
 そんなはずは無い。地平線が遠くにあるだけで"何処かで途切れるはずだ"と思ったアズレウスは、"崖となって終わる世界の果てを見よう"と目の瞬膜*1を閉じ、高速で遥か高くに浮かんで地上を見渡した。
 アズレウスを除く4人が豆粒より小さく見えるくらいに高く飛び上がり、地上を見下ろす。この場所は島であり、朝日の指す方向には海が広がっている……が、それしかわからない。世界の果ては見えなかった。

「すごい……普通のひとらぁこがぁな世界で生きとったんか。空間が守られとるソリッドのお膝元……あがぁに狭い世界じゃったんじゃのぉ」
目を輝かせてアズレウスは、独り言とは思えないほど大きな声を上げた。

「わしは世界を知らな過ぎたんじゃ。姉さんより早い段階でここにこれたわしは幸せじゃな」
風景を存分に堪能したアズレウスは、重力に任せて地上に降りると、興奮した面持ちでシデンとアグニに話しかける。

「ふふ、そうでしょ? 自分たちもこれが楽しくって探検隊をやめられないんだ。今回は成り行きで付いてきてもらったけど、もしよかったらいつでも自分たちの街を訪ねてきてよ。歓迎するからさ」
こんなときでも新人の勧誘を忘れないシデンは、強か(したたか)な女性の見本のようである。

「考えてみるよ。あがぁなところでくすぶっとるより面白そうだ」
始めてみる光景に、心奪われながらアズレウスは応えた。

「やったぁ!! もし本当にそうなったら、オイラ感激しちゃうよ。ニュクスが入ったときも、レアス入ったときも、すっごく嬉しくって……アズレウスかぁ。君は強いよね……だからって訳じゃないけど皆が共感してくれるっていい事だなぁ。
 さっきのような感動が皆に伝わるってこと。それがオイラ達探検隊の2番目に嬉しいことだよ」

「探検隊……かぁ」
ニュクスに続き、考え事をするものが一人増えた。


先ほどに引き続き、ニュクスはレアスを背負い、アズレウスはシデンとアグニを背負って飛び、5人は海を高速で渡る。

「う~ん……夕闇に暮れる西の空には、黄昏に染まりて果てる陸を望み。暗黒に身を(やつ)す東の空には次第に混ざり行く海と空の境界に、今まで姿を潜めていた星々が浮かび出でて、光の宴に興じる時間。
 月は新月、天よりの光明は指さず。故に、星の光を頼りにこの海越えて会いに行く旅路を行くは三日月の化身。闇夜に浮かぶ一粒の光明となりて、ああ、美しきかな美しきかな。その優しき光の衣に包まれ眠れば、月夜に浮かぶ夢も見れるって物だね。
 ああ、寝過ぎたかな寝過ぎたかな。僕は今日夜に眠れないかもしれない……」

「レアスさん……誰に言っとるんか?」
こういったレアスの変な癖に慣れている三人は特に突っ込む様子もないが、初めて見たレアスの謎の実況には誰もが疑問を持たざるを得ない。

「あはは……僕って気分がよくなるとその風景を実況したくなるんだ。それはもう、このニュクスの背中の寝心地のよさにすっごく上機嫌になってたいした風景でもないのに興奮しちゃった」

「私の背中……そんなに寝心地よいのでしょうか?」
ニュクスは首を限界まで曲げてヴェールの伸びる背中を見る。ふかふかの羽毛に頬擦りをしているレアスが見て取れた。

「もう、最高!! 今までピカチュウにヒコザルにトドゼルガにラプラスにルギアにカイオーガに色々乗ったけどニュクスが最高だよ」

「はぁ、それよいのですが頬擦りするのはやめてもらえないでしょうか?」
ニュクスは頬擦りされる感触に少し困ったものを覚えていた。ヴェールの周りがむず痒い。

「ふふ~ん。だったら、アズレウスの背中にも乗ってみたいな~♪」
ちらりと目配せをしたその視線は、狙い違わずアズレウスを捉える。

「わしじゃったら構わんよ。その代わり、シデンかアグニのどっちかにニュクスさんのほうへ移ってもらえるかん?」

「んじゃぁ、オイラが行くよ」
そういって飛び出したアグニは……空気抵抗で後に押し出され海に落ちた。

「あちゃ~……一昨日もソリッドに沈められたって言うのに、レアスならともかくアグニは辛いよね……炎タイプだし」

「いいから助けて~~。オイラ水嫌いなんだからぁ」
アグニは尻尾の炎を消して立ち泳ぎをする。

「しょうがないですね」
クスリと微笑んだニュクスはアグニをヒョイとサイコキネシスで拾い上げる。特異な形の指を一本だけ立ててアグニをめがけて振るうと、水滴があらかた吹き飛んだ。

「器用じゃぁのぉ。わしも姉さんもあがぁに器用な真似は出来ないけぇ」
初めて見たサイコキネシスの技術にアズレウスは舌を巻く。

「練習に時間を費やしましたから」
言いながらアグニを背中に乗せて、レアスを同じ要領でサイコキネシスでアズレウスの背中に移し返す。

「さて、これでよろしいですか、レアスさん?」
ニュクスがそう言って見ておれば、レアスはラティオスの羽毛を値踏みや堪能するように掻き回す。

「よろしいどころか、もう最高。ラティオスとルギアとクレセリア……どれも甲乙付けがたい一級品だね。ただし、ラティオスはちょっと体温が低いのが難点……と」

「レアス……まずはお礼を言わなきゃダメって自分は教えたはずだけど?」
シデンとレアスの間柄は実の親子では無いものの、シデンはいかにも母親らしい台詞でレアスに諭す。

「あ、そうだったね。ありがとうございます、ニュクス、アズレウス」

「ええ、どういたしまして」
「どういたしまして」
あわててお礼を言うレアスにニュクスは横目で、アズレウスは上目遣いでそれぞれ応えた。


それから一週間後……

太陽が東から顔を出し数時間

「幸せ岬のダンジョン地区をこえ……内部の居住区まで入り込めました……が、エレオスはどこにいるのでしょうか?」
美しい花畑と、そこで戯れるシデン、アグニ、、レアスをそっちのけで、ニュクスは辺りをきょろきょろと見回す。


「そりゃぁ姉さんが知っとるゆぅて思う……ちぃと探してみる」
目を見開いたアズレウスは双眸(そうぼう)に白い光を浮かべ、強烈な思念波を周囲に送る。

「強い……のに、この思念波は私では全然捉えられませんね。これは特定のものだけに呼びかける……」
同じエスパータイプとしてテレパシーに敏感なニュクスは、何とか捉えようと頑張るものの、それは無駄だった。

「そりゃそうじゃ。姉さんばっかしに伝わるような特別な思念だけぇのぉ。とくに今使っとるこりゃぁラティアスとラティオスが協力して出来る能力、今のこの映像をそのまま見せて、エレオス義兄さんに中継してもらうための夢映し*2って能力なんじゃ。
まさか、こがぁな形で使うことになるたぁね……ともかく、これを使やぁ義兄さんにもこの映像を送れるはずじゃ」

第二節 

アズレウス達5人の思惑など露知らず、エレオスとクリスタルの二人は仲むつまじい。

二人の新居は粗末なものだった。空の裂け目で使われていた通貨は勿論使えない。故に、ソリッドからもらった大粒の真珠を(かね)の代わりに浪費して、もしくはここで使える金に代えて色々なものを手に入れた。

 これまで色々なことがあった。空き家を購入したり、挨拶に回ったり、唐突に訪れたソリッドから身を隠したり。その間の住民とのふれあいは。、エレオスがラティスガーデンに来たときと同じく、暖かく向かえいれてもらった。

 次第に生活も落ち着き、ここの暮らしにも慣れてきた今日この頃。クリスは花を刻んで料理していた。香り付け、色づけ、凍らせて粉にしたものを隠し味に……この幸せ岬では花が生活の一部どころか二~三部くらいだがだが、その理由は作物にある。
 花の中には花弁だけでなく地下茎が食用になるものや、花から実がなるものなど様々な食材も美しい花を咲かせて景観に華を添えているものばかりだ。そう言った作物が愛されてきたからこそ、花が食事にも深く関わる文化が出来たのだ。

 そんな花が生い茂っているという事は食料が豊かということである。そのせいもあってか、ここの住人たちは心も豊かだ。花の色と香りが心を和ませるのに一役買っていたとしても、どこの馬の骨とも知れない二人を受け入れ、ホームパーティーなども幾度となく開いてもらった事は二人とも驚いた。
 暖かい歓迎も暖かい空気も、ここでの新生活はその全てが嬉しかった。唯一不満があるとすれば、夫であるエレオスが普段は不感症であると言う事だ。彼曰く、月食の日以外はどうにもならないらしい。

「今日の献立は芋虫とジャガイモをチーズとホワイトソースで包み込んでじっくり焼き上げたもんよ。
 ほいで、こちらの新作ジュースは……甘酸っぱいカムラの実をベースに、シェイミが暮らすこの地方ばっかしに生えるミクルの実を混ぜ込み、ノメルの実と合わせて甘さを感じさせつつ強いけどきつすぎない渋みを持たせた果実ジュースなん。それにビークインの甘い蜜を少量混ぜ込んだ自信作なんよ。
 さあ、召し上がれ♪」

「……いい具合に渋いな」
口に含んだ瞬間、好きな味とは言え顔をしかめたくなるような強烈な渋みだったが、ミクルの実の効果なのだろう、他の果実の酸味や苦味を甘みに変えてくれると言う嘘のような効果が舌で実感できる。その面白い感覚が癖になり、ついつい飲みすぎてしまった。

 ラティスガーデンに暮らしていた頃は料理の一切をアズレウスに任せていたことから、エレオスはクリスが料理を作るのは苦手なのかと思っていたが、クリスは意外にも味付けの天才で、特にジュースを作ることには目を見張るほどに長けている。

「ここに来て2週間半……ここの者たちは気のいいもの達ばかりだな。困っていたら助けてくれるし、歓迎パーティーに招待してくれたり……」

「物が豊かになりゃぁ心も豊かになるってことじゃない? 空の裂け目もかなり豊かな方じゃったけど……ここはそれ以上に豊かみたいのぉ。
 ふふ、ここに来てげにえかったの。わしらの住んどった町じゃぁ花を使った料理なんて考えもせんかったし……何よりほぼ常夏じゃけぇ、家の彩りも庭の彩りも絶対に困ったりせんし。ここなら一生住んでもいいかもしれん」

「満足してくれたようで何よりだ」
そう微笑んで、コップを傾けて僅かに残る液体を下の上で遊ばせてコップを置く。
――それにしてもこうして話しているうちに体が熱くなってきたのだが……まさかな

「う~ん……あんたの顔がちぃとあこぉなっとるようじゃが……早速効果は出たんかん?」

――当たりだったか……はぁ。
ため息は深く重く、エレオスの口から漏れた。

「まさかとは思うが、媚薬を盛ったわけではあるまいな?」

「そのまさかよ。グラシデアの花から作った甘い蜜に含まれとるグラシデアの花粉にゃぁ、フォルムチェンジに使うエネルギーを生み出すための力があるんよ。
 ただし、シェイミの体液と混ざらんとエネルギーは生まれんから、シェイミ以外はその力を利用でけんけど、シェイミ以外でもシェイミの生き血をコップ一杯に対し、一滴分入れりゃぁ他のポケモン十分な効果が出るんよのぉ。いやぁ……血を手に入れるんに苦労したわよ」

――ど、どうやって……?

「でもチェリムとかならともかく、フォルムチェンジが出来ないポケモンはそのエネルギーの行き場がなぁで。じゃけぇそのエネルギーは性の方へ……ってゆぅこと」
クリスが浮かべる満面の笑顔を、"憎いから殴りたい"気持ちと、"可愛いことや普段の彼女のことを思うと愛でたい"気持ちが相反する。結論としては何もしないことにする。

「ふう……以前も言った様に、月食が来なければ私にはいかなる媚薬も通用しないのだが……」
シュンと顔を下げ短い耳をたれ下げながら、クリスはため息をつく。

「ええ!? 何でよ? 今度なぁここの人のお墨付きな媚薬を混ぜ込んで、味を調節した自信作じゃったのに。途中で力尽きて眠らんようにカゴの実やヒメリの実まで混ぜた自信作じゃったのに……どうしてそう厄介な生態しとるんよ」
子供のような疑問をぶつけ、理不尽にもクリスは怒りを露にする。

「そもそも、そんな風にやたらめったら行為を行っていたら、ただでさえ寿命が長くて強力無比な力を持ったダークライが大繁殖したままいつまでも地上に居座ってこの地上がダークライだらけになるだろうに!
 それを防ぐためのこの生態だ!! 文句を言うな!! 大体……お前は何故にそうまでして私の体を求めるか? イランイラン*3の香りでも嗅ぎすぎて淫乱淫乱(いんらんいんらん)になったとでも言うのかお前は?」

「女が男を求めて何か悪いんか?」

「そうは言っていないだろうに!」
聞いているこっちが恥ずかしくなるような言動に、エレオスが薬の効果で赤黒い顔を、さらに赤らめて反論する。

「全く……月食はあと一月半で来るといっているだろうに……こらえ性の無いやつだ。というか、当日はお前が進める飲み物は絶対に飲まんからな! 何を飲ませられるか分かったものじゃない」

「なら食事に混ぜるか吹き矢に託すまでじゃ!」

「そういうことをする奴には、眠らせた挙句にこっちで勝手に処理するぞ?」
1~2秒の間、何も言い返せなくなったクリスは一度深呼吸をして、纏う雰囲気を変え始める。なんだか、こうやって馬鹿なことを話しているうちにクリスの呼吸が深くなった気がする。

「ハァ…ハァ…ねぇねぇ……そがぁな寂し事ゆわんでわしを満足させてよぉ。ねぇったらぁ……」
クリスはエレオスの首に付いた赤い牙飾り掴みつつ、まるで駄々をこね地団駄を踏む子供のようにエレオスにおねだりを始める。

「甘えても無駄だ」
言われてからクリスは一度深呼吸して息を整える。

「わしと……し・な・い?」
今度は妖艶な雰囲気をまとい、潤んだ瞳で上目遣いをしつつ、赤い牙飾りに小さな吐息が触れるくらいの距離まで口を寄せる。

「誘惑しても無駄だ」
言われてからクリスは一度深呼吸して息を整える。

「それなら……雌の香りを存分に振りまいてメロメロにしちゃるわよ。ハァ…ハァ…室内じゃけぇ効くわよ!」
だんだん媚薬の効果が高まってきたせいか、息を荒げながらの台詞回しになってくる。媚薬と室内と言う好条件が揃っている。こういうときのメロメロ攻撃は非常に強力だ……が、

「だから無駄だと言っておろうに!! 私は月食がこない限り、女の誘惑に応じることなど断じてない」
何度言っても分からないクリスに対し、エレオスはとうとう声を荒げるにいたる。

「ハァ…ハァ…もういいよ。あんたが薬の効果が無いかどうかなんて気にせずあんたがやってくれんか」


「それは以前も断ると言ったろ……あっ……」
エレオスが言うと同時に、クリスの頭を掴もうと伸ばした腕が、クリスに力強く掴まれる。

「観念してのぉ。単純な腕力じゃったらわしのほうが上なんだけぇね」
いままで何回か同じような攻撃を見て攻撃パターンを把握されているエレオスは、クリスに力が入らないよう上手くに掴まれて振り払えない。

「うっ……」
エレオスは捻り込むように腕をつかまれ、鈍い痛みに思わず苦悶の声が漏れた。

「あんたの神秘の守りすら破る究極の眠り攻撃も頭を掴む手が封じられりゃぁ形無しね」
掴んでいるうちにクリスは神秘の守りを完成させ淡い光に体が包まれる。これでは他の手段で眠らせることが出来ない。

「く……やられたか。ならば……」
ならば……と髪の毛を操ってクリスの首を絞めにかかる。

「させるか!」
とたん、握られた腕が折れそうなほどに下にねじ曲げられ、浮遊していた体を地面につけなければ腕の痛みに耐えることが出来なかった。

「ぐぅ……」
悪の波導を使えば簡単に(ほふ)りさることも出来ようが、エレオスもクリス相手にそうすることは流石に躊躇われた。しかし、この状況を抜け出すにはそれしかないのも事実だ。一体どうすれば……そう考えている最中であった。

「ハァ…ハァ…さぁ、覚悟してのぉ。あんたがその気になるまでわしの手で犯しちゃるけぇのう……んん?」
何かを感じて突如目を見開いたクリスは双眸(そうぼう)に白い光を浮かべ、強烈な思念波を受け取る。

「こりゃぁ……アズレウスの夢映し? 何でここにいるん……いや、とにかく夢を返さんにゃぁ……」
クリスはエレオスを掴んでいた手を離し、アズレウスのほうへ意識を集中する。


「おや……姉さんから夢映しが届いたわ……あれ?」
クリスからの夢映しを受け取ったアズレウスは突然息を荒げ、ニュクスのほうをくるりと向き直った。

「あの、アズレウスさん……なんでしょうか?」
眼を異様にぎらつかせたアズレウスは飢えたポケモンが食料を見るような目でニュクスを見る。

「ニュクスさん……わしと(ねや)*4の相手を……」
ニュクスの常に胸に添えられた手を奪うように取り、強く握る。呼吸が相手に伝わりそうなくらいグッと顔を近づけてアズレウスが迫ってくる様子に、ニュクスは怖気(おぞけ)と危機感から全身の羽毛をゾワリと逆立てる。

「近寄らないでください!」

ニュクスの冷凍ビーム
効果は抜群だ!!


「ギャァァァァァァ!!」
アズレウスは体表を凍りつかせながら浮遊していた体を地面に落とした。


「キャァァァァァァ!!」
クリスは何もされていないのに浮遊していた体を床の上に落とした。

「ど、どうした?」
エレオスが何事かと手を伸ばす。

「アバババゥゥゥ……」
クリスはガタガタと震えて歯をカチカチと鳴らしている。どうやらこの熱帯多雨な幸せ岬で吹雪にでも見舞われたように凍えているようだ。しかし、双眸の白い光が収まり夢映しを終えるとその震えは一気にナリを潜める。

「ハァ…ハァ…アズレウスに夢映ししたら媚薬の効果による体の疼きまで映してしもぉたみたいで、それでアズレウスはちこぉにおった女性に猛烈アタックをしたら……冷凍ビームを喰ろぉたみたい。
 その冷凍ビームの感覚がわしの方まで届いたんじゃ……」

「なんだか迷惑な能力だな……しかしアズレウスが暴走するとは、その媚薬は思ったより強力なのだな」

「ハァ……冷凍ビームのおかげで女性が誰じゃったんかやら、色々記憶が吹っ飛んだわ……」
エレオスは頭を押さえながらため息をついてうな垂れる。

「アズレウスは何をやっておるのやら……しかし、女性とは一体。もしかして、結婚の報告に訪ねてきたわけでは……いや、速過ぎるか」

「とにかく……時間を置いてわしからまた呼びかけることにするわ。それまでの間、エレオスが私の相手を頼むけぇの♪」

「だから断るといっておろうに!!」
エレオスはクリスの頭を掴んで眠らせた。

「時間を置いて……か」

第三節 

「それにしても……アズレウスは一体何故私に迫ってきたのでしょうか?」
凍り付いて地面に落ちたアズレウスを見て、いくら何でもやりすぎだったかと少し後悔しながらニュクスは言う。

「ケダモノだったよねぇ……さっきのアズレウス」
そのやり取りを見ていた3人の代表としてシデンが口を挟んだ。

「のんきな事言ってないで、手伝ってよぉ。ってオイラ以外炎使えないんだね……全く、ニュクスは乱暴なんだから」
アグニは口から弱い炎を吐きアズレウスの氷を溶かしにかかっている。氷結した体表に降りた霜が徐々に引いていくと、ようやくアズレウスは活動を取り戻した。

「あうぅぅ……ア・アグニ、ありがとうのぉ。それと、ニュクスさんは失礼したんじゃ」
カチカチと歯をならしながらアズレウスは言った。

「アズレウスさん……さっきは一体どうされました?」
怪訝そうに、なおかついくらなんでも様子がおかしかったと申し訳なさそうな顔をして訪ねるニュクスに、アズレウスは恥ずかしげな顔を浮かべる。

「夢映しで……姉さんの感覚を受け取ったら、なんだか知らんが体がもんすごく体が疼いて……その、異性なら誰でもいいかろぉて気分になってしもぉたんじゃ。姉さん……何やっとったんじゃろう?」

「あはははは……災難だったね。でも、僕みたいに性に興味がないというか性別がまだない場合はどうなるんだろ? やってみたいなぁ……」
レアスがからかい混じりに笑ってみせる。

「さ、さぁ? やってみろゆわれて出来るもんでもないから分からんなぁ……とりあえず、また姉さんに呼びかけてみるよ。時間を置いて……」

「時間を置いて……ですか? それよりも……聞き込みをしてこちらから訪ねてみるのはどうでしょうか? あちらはもう、こっちが来るのは分かっているのでしょうし」

「オイラもそれがいいと思うよ」

「探検隊は受身じゃダメだからね。自分で探さなきゃっと」
アグニとシデンはすでに少しはなれたところいて、手招きしている。

「伝説の探検隊もああいっていることですし、行きましょうか」


蓋を開けてみれば、実に簡単に情報は得られた。アズレウスの姿を見たここの住人のペルシアンが、自分から話しかけてきたのだ。
 クリスタルがなんだかんだで良妻の鑑であること、美人であることで注目されていたこと。そして何度か招待したホームパーティでアズレウスのことを何度か話していたことがよく知られている理由である。

「じゃあ、姉さんはあっちの方にいるんじゃのぉ? ありがとう、助かったよ」
アズレウスは手をしまって首を下げるラティス式の礼をする。

「ああ、やっぱり姉弟そっくりなのさ。君の事はずいぶん心配していたみたいだから早く行ってやりなさいな」
ペルシアンの男性が急かすように首を振る。

「私からも、親切に教えてくださってありがとうございます」
ニュクスは微笑んで礼をする。

「いやいや、困った時はお互い様なのさ。それじゃあ」
言いながら尻尾を振って別れた男を見送るなり、ニュクスは皆のほうを向き直る。

「さぁ、皆さん行きましょうか」
皆に見せた笑顔は、不安を隠している。小さく男が指し示した方向に向き直った時、小さく吐いたため息が彼女の本心だった。

やがて、男が指し示した場所と思しき地域にたどり着く。家が集まるその場所にはご丁寧にも戸外で談笑中のエネコロロとキマワリの女性がいた。
 アズレウスは早速以ってクリスタルとエレオスが暮らしている場所の詳しい所在を尋ねる。

「ああ、それはアレ……クリスちゃんなら、あっちの方にある家で。ここら辺には見かけないサンの実って言う木の実を育てている家なのさ。って、同じ場所から来たなら知ってるよね?」

「ああ、知っとるよ。ありゃぁ疲れたときに食べると一時的にじゃが凄く力が沸く最高の木の実だけぇのぉ。もし木の実が出来たら種を分けてもらえたらええの」
手を振るなり、アズレウスはニュクスの肩に手を添える。

「さぁ、深呼吸して心を落ち着かせて。でないと、感動の再会もね……台無しになっちゃうよ」
ニュクスを引っ張るようにして肩を手繰り寄せて、そして優しく押し出した。

「きっと上手くいく。そう信じちゃってみなよ」

その様子を、実際の距離としては僅かなのだが、心の距離としては大したものを覚える場所から3人は見ている。
「あ~あ……オイラ達空気みたいな存在になってるじゃん……」

「まぁ、実際いい雰囲気だよねぇ……もしかしたらニュクスとアズレウスもくっ付いちゃったりして♪」
レアスはこれほど面白いことは無いと言いたげな口調で当の二人にも聞こえるように言う。

「レアス……シッ!!」
シデンが口に指を当てる。そんなシデンの仕草もレアスの言葉も、アズレウスとニュクスの顔を熱くさせた。


まだまだ暑い盛りの昼下がり。黙っていても汗がでる文句なしに暑い気候である。しかしその反面美しく彩る花畑は、見ているだけで幸せな気分になるような色と、香りをしている。

 そんな場所に寄り添うように集まる家の群れの中に、なんら変哲もなく建つ家。そこにクリスタルトエレオスが住んでいる。まず、アズレウスが一番最初に尋ね、ニュクスやシデン、アグニなどは事情を説明した上で顔をあわせる手はずになっている。

「この花畑……姉さんが気に入るわけじゃな……」
目的の家の前にたどり着いて、ふと思ったことが口から漏れた。

「ごめんくださ~い」
門の外から声を掛け、そして中を覗き込む。中からはエレオスが現れる。

「なるほど、人に家の場所を尋ねてここまで来たと言うわけか。ふっ……久しぶりだな、アズレウス。なにをしに来たのかは知らないが……詳しい話は中でしようか」
家の前には太陽熱を放物線上にへこんだ鏡で集めてお湯を沸かす装置があった。日中であれば常にお湯が沸かせる便利なものであり、この地域の暮らしの知恵のようだ。
 エレオスは下が黒く染まったそのやかんを手にとって家へと入り、アズレウスを招き入れる。
 案内された家は簡素なもので、今まで自分が暮らしていた家を思うと、アズレウスは貧相だと感じる。

「なんかすっきりした家ですね……」
だが、不快では無い。掃除は行き届いていて、僅かな家具が整いを見せているお陰だ。

「まぁ、金が有り余っているわけではなくってな。以前暮らしていた家のようにはいかないが、ゆっくりしていってくれ」

そういって先ほど沸かしておいた熱湯でお茶を入れる。その間アズレウスは、そういえばクリスがいないと思ってふと周りを見渡す。

「クリスならあっちの部屋だ」
その様子に気がついたエレオスは、右の方を指差しお茶を注ぐ作業を続ける。

「あらら……」
アズレウスが覘きに行って見ると布で区切られたすやすやと無防備に眠っている姉の姿が見て取れる。その寝顔はとても幸せそうだった。アズレウスはその様子に苦笑しながら、どうしてそうなったのかの経緯を問う。
 エレオス曰く、媚薬の効果で興奮しながら迫ってきたので鬱陶しいから眠らせた……らしい。そして逆に、エレオスも問う。

「それで、お前は誰かに氷タイプの攻撃を喰らっていたようだが、一体誰に喰らったんだ?」
本題に入ると、アズレウスは首の後ろの羽毛が逆立つ気分だった。

「それのことなんじゃがな……義兄さんの妹を名乗るニュクスという女性たちが私の家を訪ねてきたんじゃ」

「な……」
エレオスは目を見開き赤い牙飾りに隠れて見えない口を大きく開かせた気がした。

「最初は胡散臭く思うとったが、話を聞いとるうちに信じとぉなってきた。記憶を失う前の義兄さんは今と変わらずいい人じゃったこと。ほぃじゃが、そがぁなぁらに発見される前は一時的に我を失い悪に傾いとったこと。
 その際、ソリッド様に酷い目に合わされたこと……その時ここにたどり着いた理由は、ソリッド様が直前に使った道と繋がってここに来たじゃないかと、ニュクスさんは言っとったんじゃ。
 ほいで、貴方が負っとった傷は明らかにニュクスさんたちが付けた傷……ほいで、ソリッド様専用の技、パールブラスト……あんたがソリッド様を恐がる理由。全てが繋がるんじゃ」
アズレウスが大分落ち着きを取り戻してきたのと逆に、エレオスは酷く動揺していた。特に『一時的に我を失い悪に傾いていた』という台詞が、彼の心を動揺させる。

「いるのか? こっちにニュクスとやらは来ているのか」
 自分が何者であるかを常に気にしていたエレオスは、期待よりも不安で満ちている。平静を装おうと表情は取り繕えているものの、瞳には涙が僅かにたまり始めている。

「心の準備が出来とるなら20秒で呼べる。今から呼ぼうか?」
 エレオスが無言で顔を背ける。三回深呼吸をすると、不安を絵に描いたような表情でアズレウスを見る。

「頼む……」
 と、力なく呟いた。アズレウスは目を白く光らせて、ニュクスにテレパシーで呼びかける。

「呼んだよ……」
アズレウスが言うと浮遊している彼女は足音も立てずに戸口へたどり着き、扉を開ける。シデンたちは水を注さない様に外で待機をしている。

「……エレオス。えっと、何から話せばいいのやら……」
ニュクスは顔をそむけながらそこまで言ってみたが、その場にいたアズレウスとニュクスの二人はエレオスの様子が明らかにおかしい事に気がつく。
 頭を押さえながら何事か呟いている。どうしたのかと近寄ってみると、彼が呟いていたのは『私を殺してくれ』という台詞だった。
 ニュクスには聞き覚えがある。かつて、彼が結晶に閉じ込めた負の感情が自分に逆流した際に正気を保って言った最後の言葉。

「いけない……フラッシュバック*5している」
突然目の前に起こった出来事を理解してニュクスは叫ぶ。

「何だそれ?」

「とにかく、記憶が戻ったせいで思い出した記憶そのままの行動をとろうとしているんです! このままじゃ、彼は自殺してしまいます」
当時、その直後に自殺しようとした彼を止めようとニュクスは足掻いた。そうして自殺は何とか止められたが、結果は彼の暴走だった。
 その末に、道を違え離れ離れになり、やっと会えたかと思えばこの有様だ。もし、記憶そのままの行動を無意識にとるのであれば、彼女の言葉は現実のものとなる。

「止めなきゃ……」
 それだけ言うと、ニュクスは神秘の守りを高速で張り出してエレオスのほうへ向かっていった。それを見ていたアズレウスはものすごい密度と分厚さを持った神秘の守りだという事は一目で理解できる。
 耐久に重きを置いたクレセリアならではのそれも、エレオスは「来るなぁ!」の一言とともに頭を掴みかかって破ろうとする。
 ニュクスは研ぎ澄まされた腕でエレオスの掌を切り裂きつつ押しのけ、全力でエレオスの体を抱きかかえる。同じような状況になっても、正気ならクリスにそうしたように無抵抗だっただろう。
 しかし、今のエレオスにはニュクスのことを振り払い、これ以上の犠牲を出さないように勤めることしか頭に無い。意識できなかった。ニュクスは抱きしめられたまま悪の波導に倒れる。

 何をすればよいのか、アズレウスは戸惑っていた。自殺しようとしていると聞いた以上、命がけで止めるしかないと心に決める。

――義兄さんをまともな手段で止める術は無い。ならば、私も命がけで止める必要がある。

「シデン、アグニ……エレオスが自殺しようとしとる。止めてくれ」
 先ほどのエレオスの『来るなぁ!』の一言で跳ね起きたクリスタルやシデンに後を託すようにそれだけ言って、アズレウスは自らの生命力を極限まで削ってエレオスの攻撃能力をそぎ落とす。
 自らの敗北と引き換えに相手を弱らせることから、皮肉るように『置き土産』と呼称される技の効果でエレオスの自身の首をえぐろうとする手は握力を失う。
 状況が全く理解できなかったクリスタルも、とにかくエレオスを止めなければと、腕を押さえつけた。 アズレウスの置き土産のお陰でその手は赤子のように力が入っていない。苦し紛れに放った悪の波導も彼女をひるませるには至らなかった。

 ようやく押さえられた、と安心する間もない。エレオスは地面に落ちている自らの影を広げ、そこにクリスタルごと引きずり込む。クリスタルは影の内部に閉じ込められると不意にエレオスを掴んでいた腕が消える。

「迷惑は掛けられないんだ……」
今にも泣きそうと言うより、現在進行形で泣いているような声で、エレオスが囁いた。
 その刹那、エレオスの景色が変わる。訳が分からずバランスを失い倒れながら辺りを見回してみると、前方に自分がいた。そして、叫んでいた。

「シデン、僕の体……レアスの体に電磁波をかけて縛り上げて。早く!!」
多彩すぎる能力で以って、いかなる状況にも対応できたエレオスだがレアスの能力、マナフィに宿った心だけが使えるハートスワップにだけは対応する策がなかった。
 理由はマナフィにそれ以外の能力らしい能力は皆無であること。そして、マナフィ以外は突然交換した体を上手く扱う術が無いこと。最後に、ただ単純に戸惑ったことが原因である。
 わけも分からないままエレオスは電磁波をかけられた。レアスはエレオスの影に入れられていたクリスタルを救出する。

「あんた、誰じゃ?」
レアスの心が入り込んだ、雰囲気の明らかに違うエレオスに当然クリスタルは戸惑った。

「今は説明するよりも先に……縄と猿轡をとってきて。多分エレオスも僕の体で自殺したりはしないと思うから……もう安心だろうけど、念のため早めに」
エレオスの中に入り込んだレアスはクリスタルにそう話しかけた。

「いや、じゃから誰……?」
クリスタルは引き下がらなかった。

「いいから……」
それでも、エレオスの中に入りこんだレアスが突き放すように言うと、クリスタルはしぶしぶ頷いた。

「エレオス……で、いいんだよね? 少しは落ち着いた?」
エレオスの中に入り込んだレアスは語りかけるが、レアスの体に入れられたエレオスは首を傾げるばかりであった。無理も無い、マナフィとダークライでは耳の構造が違い過ぎる。ハートスワップに慣れきったレアスはともかくとして、初めてマナフィの耳で声を聞いたエレオスが音としてしか認識出来ないとしても無理は無い。

「布と縄をどうぞ……。それで、貴方一体誰なん? どう見てもエレオスじゃないわよの? 一体この状況は何? こいつらはアズレウスがつれて来たん?」
クリスタルが酷く不機嫌な様子で縄と二枚の手ぬぐいを持ってきた。

「後で話すからそれ……僕に着けて。言っておくけど、僕にそういう趣味があるわけじゃないからね」

「何でそがぁなことをわしがせんにゃぁ……」

「いいから!!」
レアス急き立てる。エレオスの体には、猿轡が取り付けられ縄が巻かれる。その状態で、エレオスの体は本人に返された。これで逃げることも舌を噛み切って死ぬことも出来ないだろう。

 その後、カゴの実を使って起きたニュクスを交え、今回何が起こったのかを説明する。エレオスが記憶を失うまでの経緯。ニュクスたちがここまでたどり着く経緯。そして、エレオスが正気を失った理由。

「記憶が戻った時……無意識的に失った記憶と同じ行動をとることがあるのです。今回は、それがタチの悪いことに自殺しようとした記憶だった……すみません、私のせいで」
ニュクスは全員に深く頭を下げる。縮こまり小刻みに震えている全身が、その心情を表すようだった。

「あんたのせいで、エレオスは死ぬところじゃったんよ! もしそうなりょぉったらどうする気じゃったんよ?」
激昂したクリスタルがニュクスの首を掴みかかって大声で捲くし立てる。

「姉さん、やめるんじゃ。もう義兄さんは落ち着いとる……それにニュクスさんに怒るよりもレアスさんにお礼をゆぅ方が先じゃろうに?」

「ん……ありがとう」
まだ不満の残る声色でクリスはレアスに向かって頭を下げる。
難しそうな顔をして成り行きを黙って見守っているレアスは、アズレウスとクリスタルのほうを見てにこりと微笑みかけた。

「ねぇ……エレオスさんが落ち着いたなら、猿轡を取ってあげてもいいんじゃないかな? 呼吸も苦しいだろうし」
クリスタルはうつむいたまま何も喋らないエレオスを見た。

「もう、流石に落ち着いたよね」
エレオスはうつむいたまま微かに頷いた。クリスタルが唾液に濡れた布を取ると、エレオスは顎を上下させる。

「済まない」
誰に向けるでもなく、大粒の涙を流しながらそう呟いた。顔はずっと皆からそむけたままだ。

「ねぇ、そんな風にそっぽ向いてないで、目を見て話したら?」
レアスが言うが、エレオスは首を横に振る。

「私は……ニュクスにもシデンとアグニにもとても顔向けが出来ないようなことをした。それだけじゃない……私は、自分の中に眠っている闇がいつ目覚めるかも分からない危険な状態でこの二人の世話になっていたんだぞ?
 私は……結果的には全員を危険に晒していた。どれだけ謝っても謝りきれるものではな」
その先を言おうとして、エレオスはレアスに顔を蹴り飛ばされる。ヒットアンドアウェイの見本とも言える技、とんぼ返りに顔面がくぼみ、首がねじれ背中はのけぞり半回転して、後頭部を強かに床面に打ちつけられた。

「……それでもまず最初に目を見て謝るべきだね。顔も見ずに謝っている気になってるの? 冗談じゃないよ。謝る時は顔を見て……子供でも知ってるよ?」
 恐らく、今のエレオスにはニュクスやクリスタル、シデンたちが何を言っても聞かなかっただろう。それを、蹴り飛ばすという鮮やかな手段を用いて、レアスは言うことを聞かせる。エレオスは顔の痛みにはっと目を覚ましたような顔になり、ようやくレアスと目を合わせた。

「ねぇ、そんなにも顔向けできないならさ、せめて僕とだけでも友達にならない? 君が僕に、何か顔向け出来ないような事をしたわけじゃないでしょ?
 僕には……君を恨む要素は無い。憎む要素も怒る要素も無い。何の(しがらみ)も無い僕になら、顔向けできるでしょ?」
神妙な表情をしながらも、レアス首の赤い牙飾りを手掛かりにエレオスの顔を撫でる。

「…………」
エレオスはレアスの愛撫を拒まない。大粒の涙を目から垂らして、エレオスはその場に崩れる。

「ごめん……皆。少し、二人で話をしてていいかなぁ? なんていうかさ……エレオスって僕よりも子供みたいで……他にも色々ありそうだし、とりあえず……ね?」
この場を収めることが出来たレアスに異論を挟む者はいなかった。それぞれが個性のこもる返答で了承して家を出る。


二人きりになったレアスはエレオスの涙を猿轡に使っていた布で拭く。

「……辛かったんだろうね。ニュクスが話していたよ……。結晶に負の心を閉じ込めて、人々の平和の意識を高める……それが自分だけしか持っていない能力だからって、一人で頑張って、そして事故で閉じ込めた負の感情に支配されたってさ。
 僕はそれがどんな感覚なのか分からない……けれど、その後に君がしたことを思えば、君が周りの人のみを案じて自殺しようとしたのも頷ける。アグニやシデンを精神的に追い詰めて殺そうとしたり、時間や空間をゆがめたり……さ。
 でさ……君が皆に冷たくした理由ってさ、君にはまだ不安があるからなんでしょ? それを解決するためには死ぬしかないと思っている……違う?」
レアスは飽くまで笑顔を貫き通すようにエレオスに語りかける。

「……正解だ。今まで……私はたまに感じていた。私の中に眠る闇を……今ではそれがよりはっきりと……近くに感じる。恐らく私の記憶と一緒に目覚めてしまったのだろう。これが目覚めてしまえば結局また、同じことの繰り返しだ」
レアスは目を瞑ってため息を吐く。

「ニュクスから聞いた話なんだけどね。二重伝聞だから、語弊や間違いはあるかもしれないけど、とりあえず……治せるらしいよ。ニュクスから聞いたんだ……クレセリアとヒードランとルカリオの力を込めた宝玉に、それぞれの頭の色に対応した湖に住む心の神たちの力と合わせれば……治せる。消せるらしいんだ」
エレオスは唖然とする。レアスは笑い掛ける。

「ねぇ、正直に君の口から聞かせてくれないかい? 君は正気に戻った後何を考えていたの?」

「もう一度、死のうと考えていた……]
エレオスは申し訳ない気持ちを余すことなく乗せたような沈んだ口調で答える。

「やっぱり……それくらい責任に感じていたんだね」

「なぁ、聞かせてくれ……本当なのか? 本当に私の中の闇を消せるのか?」
エレオスはレアスの小さな肩を掴み、希望の沸く答えを懇願する。

「……君の妹が、人に期待させて、後で絶望させる趣味がなければね。勿論、僕にも無いことが前提だけど……。僕のこと、信用してくれる?」

「お前は……私が衝動的に自殺しようとしたところを助けてくれた。私は、お前の行動を信じてみたい……だから、信じる」
レアスは頷いた。

「そう、よかった……。
 さて、と……どれだけ地に頭を擦って謝っても、その後死んだら意味が無いよ。死ぬだけじゃ、責任は取れない……そして君は生きてもいいことが分かった。もし、君の中に眠る闇だかなんだか知らないけれど、それを拭い去ることが出来るなら……それを前提として、その後のお話……その後どうするかをさ、皆と話さないかな?」
レアスは一度瞬きをする。

「皆とさ……」
エレオスをしっかりと見据える。

「皆に顔向けできないかもしれないけど、だとして……それでも。決めよう……君にも味方はいるんだから」

「……分かった」
さっきの涙を惜しみなく晒した無様な表情はさらに激しさを増す。

「その前に涙を拭いたほうがよさそうだね」


再び全員を部屋に呼び集め、レアスの提案した"その後の話"が始まる。

「私は……取り返しのつかないことを何度もした。それを償うために……私は何をすれば良い。教えてくれ……」
結局エレオスは危険を避けるためとい名目で縛られたままなので、地に頭をこすり付けるような謝り方は出来ない。それでも、出来る限り頭を下げてエレオスは謝った。

「……生きてください」
シデンが静かに口を開く。

「コリンの分もシャロットの分も、ドゥーンの分*6も。それだけじゃない。誰かを生かして、救って下さい。君の力なら出来るでしょう?」

「オイラもそうして欲しい。今度は同じ間違いを犯さないように何か違う方法を頼みたい……けど」
二人にはエレオスに対する怒りも有っただろう。それを押し殺すようにして、目の前のダークライを許す。意外そうな顔をしたエレオスは縛られたまま二人に寄った。

「お前達は……私を許してくれるのか? こんな私でも」
シデンは座っていたクッションから立ち上がる。

「君は……そう、あの国の惨状をどうにか治めようとして、頑張って頑張ってそれでもダメだった。だからと言って、許されることでは無い……けれど、君には誠意があった。自分たちは無視を決め込んだあの国をどうにか変えようと意気込んだ。
 上手くいえないけどさ……君のせいだけじゃない。誰も手を貸さなかった。誰も君のしていることに気が付いてくれなかった。自分たちだって悪い……強引にでもそう思って許すことにする。今はまだ無理かもしれない……けれどね。
 親方がいったんだ*7『ここにいる皆や……世界中にいる全てのポケモンたちが、皆一様に生きる意味がある。持っていると思うよ。だからもう、自分がこの世界に必要の無い存在、邪魔ものだなんて思わないで。元気を出して。ねっ♪』ってさ。
 君を退けた後、その言葉について自分も考えてみた。あれだけ悪事を働いた君だって何か生まれた意味があるかもしれないって、それを考えたの」
シデンはニュクスを見る。ニュクスはシデンが何を話そうとしているかの意を汲み取って軽く頷いた。

「君をよく知っているニュクスに質問したら、『あのまま正気でいられたら、今でも心の闇を結晶にして閉じ込め続けていたのでは無いでしょうか?』って言ってくれた。残念ながらまた正気を失ったら困るから、それはやめて欲しいけど……私たちをあれだけ苦しめた君ならば、出来るでしょ?
 いくらでも、別の方法を考えてさ」
長い台詞に疲れて、シデンはフウッとため息をついてクッションに座った。

「分かった……私の中に眠っている闇を取り除けたら、その時は全身全霊をかけてやらせてくれ……今度こそ、あの国の馬鹿げた惨状を終わらせたい」

「ちぃと待ってよ……そうなるとわしとの結婚生活はどうなるんじゃ?」
エレオスの宣言にクリスタルが苛立たしげにエレオスを睨む。

「分かっているさクリスタル。無論の事、今回は一人で抱え込む気は無い。賛同してくれるものを集めて、力をあわせてやっていきたい。だから、その……クリスやニュクスにも……出来れば手伝ってもらえると嬉しい……」
クリスタルが安心したように、力を入れていた顔を緩めて息をつく。

「なんじゃ、それなら安心じゃ。わしこのまんま離れ離れになっちゃうかゆぅて思うたわよ」
いきなり長い別れになるとでも思っていたのか、クリスタルはそうでないことが分かるとホッと息をつく。

「無論のこと、私は協力いたしますよ兄さん。もとより私は……貴方に一人で抱え込まないで欲しかったから」
ニュクスはアズレウスの回復の手を止めずに、涙を流してエレオスの決意を喜んだ。

「シデン、アグニ……お前らが生きているうちに平和な世界を見せられるかどうかは分からない。
 だが……だが、だ。私の命が続く限りやってみたいと思う」
 そう言ったエレオスの目は強かった……今までで最も目を輝かせていた。揺るぎ無い決意に彩られたターコイズブルーの瞳は、償いのため、かつて志した目的を果たすため、二つの目的を以って未来を見据えている。

「オイラ……ずっと君に対して嫌なイメージしか持っていなかった。でも、違うね……本物はこんな人だったんだ。
 ああ、ダメだ。ぜんぜん言いたいことがまとまらないや。ええと、もう……とにかく頑張ってよ。かっこいい事の一つも言えなくってごめん」

「そんなこと……どうだっていいさ。応援してくれるものがいるのならな……私は頑張らせてもらう」
エレオスの顔に何処か嬉しさが混ざり始める。

「じゃあ、僕も応援するよ。何か手伝えることがあったらなんでも頼んじゃってね」
レアスが微笑みかけて、エレオスはそれに頷く。誰もが今日という日を満足に思う顔をしていた。それに出遅れるように気絶しているアズレウスは、災難というほか無い。

その日の夜、ニュクスとアズレウスが最高の料理を作った。花をふんだんに使った色鮮やかな料理は彼らの気分を表しているように明るい。


 霧が立ち込める森の懐に、轟音を響かせる滝の音がひたすら耳を劈く(つんざ)。体毛に結実した水滴を誰もがうっとおしそうに振り払った。雨具で雨を防げても霧は容赦なく降りかかり、視界を塞ぎ体を濡らすから性質が悪い。

 霧深き場所を手探りに近い感覚で、記憶をたどり歩くその先に、巨大な体躯を持つポケモンの石像が朽ち果てる様子もなく悠久の時を見守っていた。
 石造の台座に足型文字で刻まれた文には足型文字で『グラードンの命燈しき時 空は日照り 宝の道は開くなり』と刻まれている。かつてここを訪れた探検隊はこの場所が多数の心無き者に見つかることを恐れて、心臓にはめ込んだ『命』たる(ひでり)石を取り去ってしまった。
 ニュクスはここに来たのがずいぶん前なので残念ながら忘れてしまったものの。シデンとアグニは場所を覚えている。その入り口を記憶を頼りに目指して進み、水蒸気に満ちてむっとした空気が支配するダンジョンの前へとたどり付く。
 この洞窟は、炎タイプの温床となっており苛酷な環境ゆえに炎タイプ以外は入るのを躊躇したくなる。その入り口の前、エレオス、ニュクス、アズレウスの三人が立って、ここまで見送りに来てくれた四人に手を振った。

「それじゃあ、今度こそさいならじゃのぉ。わしも頑張って嫁探しでもするから、姉さんたちゃぁ心の闇を消すんを……頑張っちゃってくれ」

「どうせなら、わしよりいい女を見つけんさいよ。あんたに暴力を振らん女をね」
クリスタルは自分がいい女では無いことを自覚していたのかと、アズレウスは声を立てて笑う。一方横ではエレオスとレアスがお別れを繰り広げている。

「レアス……これをもっていってくれ」
エレオスが荷物の中から紫水晶(アメシスト)そっと取り出し、体を最大限下まで沈ませてレアスの手に握らせる。

「私とお前が友達であることを忘れないように、受け取って欲しい。石言葉は『誠実・心の平和・高貴』で、隠された能力や魅力を引き出して高度なものへ導いてくれると伝えられている。お前の中にある無限の可能性を引き出してくれるやもしれん。
 私の命の恩人である……お前に受け取って欲しいんだ」
レアスはエレオスから差し出されたそれを受け取り、バッグの中にしまいこんだ。

「ありがとう。僕は何もあげられるものを持っていないから、今度会う時には用意しておくよ」

「楽しみにしてるぞ」
ふっと笑い掛けながらエレオスはレアスを抱きかかえる。自然と笑みがこぼれた。レアスは赤い牙飾りに顔を埋めるようにしてエレオスからの抱擁に応える。レアスの頭頂部に付いた触角は気分がよさそうに揺れていた。

「皆さん。しばらくの間お別れですが、貴方たちが生きているうちには戻ってこようと思います。ですから、探検隊『ディスカバー』は解散せずに残していてくださいね。きっと戻りますから」
 ニュクスは、しばしの別れに涙する。

「絶対元気でいてよね……自分たちはいつでも帰りを待っているから」

「オイラ達の大切な仲間なんだから、絶対だよ」
シデンやアグニもかなり涙もろいのか、鼻水を流しながら泣いていた。エレオスとの挨拶を終えたレアスがその様子を面白そうに見ている。

 全員が簡単なお別れを終えると道は三つに分かれる。アズレウスは空の裂け目に戻り、エレオスとニュクスとクリスタルの三人は霧の湖の頂上にいるユクシーに会いに行き、シデンとアグニとレアスはトレジャータウンへと戻るのだ。

――レアス……か。私の命の恩人で、記憶を取り戻してから最初の友……いつか再会する時、今度は何を話そうか? 

 興味本位でソリッドに会いについてきて、成り行きで旅に同行したレアス。それに衝動的な自殺をしようとしていたところを救われた。とんぼ返りという乱暴な方法で自分を話を聞く気分にさせ、事情を知っていてなお友達になろうと持ちかけた子。
 運命すら感じさせるその出会いに、ふとエレオスは振り返りたい気分を覚えた。

――エレオス……か。悪夢を見せるなんて面白い能力を持っていて……あの人の体をもっと使ってみたかったなぁ。いつかまた会う時、僕があの人の体で試す技でも考えようかな?

 多彩な技を持っていて、どんな状況にも対応できる能力を持っていながら自分だけは救えなかったあの人。
 自分の育ての親であるトドゼルガが言っていた、『強いという事は弱いということ。 弱いということは強いということ』。レアスはその意味を少し理解できた気がした。

最終節 


「ふぁ……」
レアスが長い夢から目覚めてみるともう夕方だった。いくら憂鬱なお仕事から疲れて帰ってきたとは言え、僕……ずいぶん長い夢を見ていたみたいね。
 エレオスと別れた後、僕のハートスワップでライチュウに進化したシデンの体を借りて遊んでいた時に、物に関わる過去や未来の出来事を夢に見ることが出来る"時空の叫び"が突然発動した事は今でも覚えている。
 その時、アメジストに宿ったエレオスに関する出来事が、目眩とともに次々と浮かんできたのだが。今までそれを材料にした夢を見たことが何度かあったけど、今日のようにその内容を全て夢に見ることがあるだなんて思いもしなかったな。
 なんというか、呆れるほどに異常だよね。それにしても、今ここで僕がその様子を夢に見たことに何か意味があるのだろうか?

「あるんだろうね……」
誰もいない場所で、君のことを思いながらそっと呟く。夢の中に君の姿を見ただけでなんだかやる気が出てきた。僕って君のことがどうしようもなく気に入っているみたいね。

「君が生きているのは僕のお陰だって思っているかもしれない。けれど僕だってそう……君のお陰で大手を振って生きていられるんだ」
僕は窓から外を見る。紅に染まる空を見て、僕は無性に夕日を見たくなった。僕は部屋の傍らに保管してあるエレオスからもらったアメジストを手に取った。
 この窓は北を向いているため真昼の時間帯には太陽が差し込むが、夕暮れ時は西日が差し込むことは無い。けれど、どうしても夕日が見たい今みたいな時には、初代親方から教えてもらった裏技があるんだ。

 その方法はこういうこと。プクリンのギルドの親方の部屋には窓があるが、はめ込み式の窓なので開かないはず……しかしそれは普通の方法でということ。内部から押し出したり、外から吸盤で引っ張れば取り外すことが出来る。
 そうして窓をはずして身を乗り出してみれば、潮風が頬をなでる。窓には、ご丁寧にも外から扉を開けるための吸盤を入れた箱が崖に刺さった杭に備え付けられている。僕はその杭に腰掛けて、風と夕日を存分に浴びる。

「ああ、君の顔を見たいなぁ」
お金の方は順調に集まっている、君は上手くお目当ての人を集めてくれるだろうか? そろそろ本命が待ち遠しいな。

 潮風の()波音(なみね)が耳に心地よい。夕日に透かしてみたアメジストは、紫色に怪しく輝いていた。

次回へ


これで、第一部的なモノは終わりです。
1話で夢を見ることで物語が始まったせいか、夢オチになってしまってすみません。ただし夢だから実際の内容とは違うなんて事は一切無いのでご安心を。

お話はまだまだ続きますので、最後までお付き合いいただければ光栄です。


コメント・感想 

コメント、感想は大歓迎です。

お名前:
  • 親ににらまれるほど笑っていただけるとは光栄です。
    とある人に負けないようにと情景描写に時間をかけるようにしてみただけに、それを褒めていただけるのは願っても無いことでした。
    読んでくださってありがとうございます。 -- リング 2008-11-18 (火) 22:28:33
  • いや~、素晴らしすぎますね。その文章力、どうぞ大事にしてください。媚薬のくだりは面白すぎて画面の前で笑ってしまいました。・・・親に睨まれました。
    豊富な語彙力、巧みな表現力のおかげで楽しげな情景がすぐに浮かびましたよ~。続き期待しています。 -- 孔明 ? 2008-11-16 (日) 22:03:03

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照


*1 角膜を保護するための第3の瞼。透明な膜となっており、いわば天然のゴーグルである
*2 見たものや考えたイメージを相手に映像として伝える能力。このお話では視覚に限らず聴覚、嗅覚、触角、味覚など、いろんな感覚が伝わる
*3 イランイランノキとその花および花から取れる精油の名称で、性欲促進作用がある
*4 夜眠るための部屋で特に夫婦や女性の部屋を言う。そこで相手をする事とは一つ
*5 強いトラウマ体験(心的外傷)を受けた場合に、後になってその記憶が、突然かつ非常に鮮明に思い出されたり、同様に夢に見たりする現象。
*6 順番に、ジュプトル、セレビィ、ヨノワール
*7 ポケダン時・闇回想録168参照

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Last-modified: 2009-12-01 (火) 00:00:00
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