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漆黒の双頭“TGS”第4話:灼熱の傀儡師

/漆黒の双頭“TGS”第4話:灼熱の傀儡師

作者……リング
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第0節 


「ふぁ……」
 エレオスと別れて数日後。僕は、親方の私室でいつものように目覚めて、いつものように欠伸をする。
 今日は特に予定もないから、新人の教育でもしようとか、その前にちょっと泳いでくるかな? とか、漆黒の双頭のことなど頭の片隅にも置くことなく、レアスは郵便受けを覗く。
「あ……キールから……?」
 レアスが封印の蝋を剥がして中身を読み解いてみれば、お世辞にも上手とは言えないような文字で、何やら壮大なのろけ話が展開されている。
『やっほ~。レアスさん、お久しぶりなのさ。先日、女の子を救助してみたのさ……
なんだか男の子みたいって言うかさ、あの伝説の探検隊シデンのように男の人間だったって言うのさ。
性別までついでに変わっているけれどね。
で、その子のことをいろいろ調べてみたらあらびっくり。目覚パはなんと草タイプの4900越えっていう最高の威力で
なおかつ、種族はフーディンなのさ。もしかしたらだけれど……この上『実り』に目覚めちゃったら
神を騙る者はヒューイで代用しようと思っていたらしいけれど、これならヒューイいらずだよね?
あぁ、もうこれレイザー所長に申し訳ないくらい簡単に見つかっちゃったのさ。普段の行いがいいせいなのかね?
でね、そんなことよりも僕が嬉しいのは』
「……読むのたるいなぁ」
 僕は手紙の後半を読む前に手紙から目を離して苦笑した。

「なんにせよ、でかしたという他ないねキール。それに……草タイプだなんて2重に都合のいい」

『で、思ったんだけれどね……目覚めの力に覚醒するには、伝説のポケモンを始めとする強く覚醒したポケモンによる干渉が有効なんだよね?
 僕たちの自警団……そこなら4人ほど覚醒しているポケモンがいるし、ギルドで働けば僕やフリックとリムルとも一緒に居られるから、早速誘ってみたのさ。アサちゃんはどちらもそれなりにやってくれているみたい。しかも強いから、結構役に立ってくれるのさ。これなら、元々目覚めの力も強いわけだし、覚醒するのも時間の問題かもね。
 それにしてもね、その子の感情はとっても前向きで、僕好みの……』
「やっぱり読むのたるいや」
 盛大な惚気話が長々と連ねられた後半を見て、さらなる苦笑をしてから、僕は手紙を閉じた。

第1節 

「しっかしまぁ……とんでもない女だなぁ……こんなところで、ニンゲンの灰色の遺産、ミュウツーに匹敵する傀儡の術師を見つけるなんて……予想外だ。
 さて、どうするかな……? あまりイイ状況じゃないようだが……」
 レイザーの周りでは、活気付いた市場で商売を続ける商人たちが、笑顔だったり、値切り交渉に青筋を立てたり、つまらなそうに葉巻を吹かしたり、さまざまな表情をしている。
 その殆どが、一片の殺意も無しにレイザーへ爪を向けていた。


「はぁ……シリア……」
 シリアは修行のために俺と別れて、キールの故郷でもある幸せ岬へと旅立っていった。
 シリアはかなりの恩義を感じているらしく、女尊男卑の()が強い気質でありながら、俺に対しては敬意を払っている。
 そのために、別れは辛そうにしたのだが気丈に振る舞いながら『貴方のためなら』と、笑っていた。実はこれ、かなり前のことだが、それをいまだに引きずっているという、俺の女々しい一面だ。シリアを家族として愛してしまったせいで別れるのが辛いなんて、笑えない冗談じゃないか。
 『その笑顔が辛いんだよ!!』 『イイ子すぎて泣けてくる!!』 と、一人になった時は誰にでも無く空へ向かって叫ぶことすらする。周囲に人がいることは稀な場所でとは言え、他人に聞かれていたら、それこそ顔がフレアドライブしそうな台詞である。


 今、俺は空を飛んでいた。ストライクの翅は体温調節に使うのが主で、空を飛ぶことは稀である。ハッサムへと進化するとそれはより顕著になり、体温調節にしか使われなくなる。
 つまりは、体重に比べてそれほど脆弱な翅しか持ち合わせていないので、飛行には適していない。しかしそれは普通のストライクの話。
 俺は勿論普通のストライクではなく、かなり強いストライクだ。そんな俺が精を出すのはスカウト業務である。シリア以前にも5人ほど才能ある子供をスカウトしてきたが、シリアはその中でも極上物だと(あるじ)に褒められた逸材だ。
 なんせ、伝説のポケモンに触れあう事もせずに虫の魅力:女王に強く覚醒している。それどころか、伝説のポケモンでさえ覚醒出来ないような、『食事』に目覚めている。
 鍛えればかなりの水準へ達することが出来る筈だなんて言われて普段よりも休暇も貰ったが、それももう使い果たしてしまったので、再びスカウト業務に戻されてしまった次第である。
 次も、よい逸材を見つけることで長めの休暇を与えると言ってくれたから、今回もよさげな逸材を見つけよう!! と、意気込んでみたものの見つからない。
 妥協するべき時にしておけばよかったと軽く後悔もし始めてきたが、執念があれば偶然というのはままあることのようで。後悔し始めて二日と立たない内に見つかるのだから彼は運がいいのかもしれないし、自分で言うのもなんだが審美眼もいいのだろう。
 街の富裕層が住む一角。空色シフォン(絹織物)と緑シフォンを羽織ることで貴族らしく着飾りながら、高台に上って双眼鏡をのぞいていた。
 その時俯瞰から覗き見た、干草を盗み食いしていた集団の内、ケンタロスを見て『これはすごい』と一目で悟る。

 ◇

  私たちは夫婦や仲間と力をあわせて荒地に畑を開墾した。
  けれど、ある日突然地主に出て行けと言い渡された。
 『出て行ってやる。しかし、それなりの金を出せ』と、父親は言った。
  しかし、渡された金は家族4人ですら数ヶ月も暮らせないようなはした金。
  まず、弟の三男が死んだ。
  しばらくして、アルコール中毒の末の不穏な言動なのか、それとも強盗の類か父親は骨として見つかった
  それからの私は、母親に仕事をさせられ搾取をされる毎日だ。
  私達の種族の足腰が強い。それゆえに重いものも軽々と運ぶことが出来る。
  それは、私が稼ぐために最も利点となること。
  荷物持ち。
  なんと簡単な仕事。簡単だから、もらえるお金なんてポッポの涙だ。
  だから、一日に何度も何度も客を見つけて、チップをもらう必要がある。
  時に、荷物運びだけでは賄いきれなければ、体を汚す必要があったとしても。
  どれだけ頑張っても、母親に搾取されるとしても。
  稼ぎが少ないと、自分が稼ぎゼロな事を棚に上げて、暴力を振るわれるとしても。
  痛む場所が、自然発火しそうなくらいに熱くっても。
  私は耐えていたけれど……なら、耐えない私は私なのかしら?
  いや、違う……私はお母さんが大好きだったけれど、あんなのはお母さんじゃない。
  だから、お母さんじゃない奴を殺しても私は私。

「ねぇ、お母さん。私のお父さんってオドシシよね?」
「あぁん? それがどうしたって言うんだい? いいから、早く金出しな!!」
 私の問いかけに、母親は泥酔といえる程の酒をあおりながら子供に金を要求する。 
「はい……ねぇ、お母さん。今日は、お金が一杯入ったからちょっとだけ話を聞いてくれる……?」
 私は、首から取り外した巾着袋を咥えて差し出しながら、恐る恐る母親に尋ねる。
「ふん、あんたの話をどれだけ聞けば……おぉ、やるじゃないかライム(Lime)
 私が咥えていた袋の中に入っていたお金は、いつも手渡されている額の倍はあるだろう。
「まぁ、少しくらいだったら聞いてやってもいいかな」
 それを見て、すっかり上機嫌になったのか母親は娘の話を聞く気になった。
「そう……あのね、それじゃあ黙って頷く形でお話を聞いてもらえるかな?それだけで……もしかしたら明日からこれ以上稼ぐだけのヒントになるかもしれないの」
「ふぅん……なんだかよく分からないけれど、変わったことをしたがるねぇ……」
 渋々ながら――しかし、これ以上稼ぐためのヒントと言われれば面倒でもやっておくべきだろう。母親は単純に考えて私の頼みを受け入れた。
「私のお父さんってオドシシでしょ?」
 私はゆっくりと語り始める。少女の鬣で燃え盛る炎が異様なほどに踊り始める。
 私の語り掛けに母親は頷いた。

「オドシシは、あの角の曲がり方を見ていると頭が痛くなるって言うけれど、本当なんだね……」
 母親は頷いた。
「角の間にある珠も見ているうちに中々平衡感覚が狂っちゃうね」
 母親は頷いた。
「それに催眠術も使えるでしょう……?」
 母親は頷いた。
「お母さん、酔っている?」
 母親は頷いた。
「お酒、好きだもんね……」
 母親は頷いた。
「……私の炎を見ていると、ちょっと眩しくない?」
 母親は頷いた。
「じゃあ、目を閉じたいよね?」
 母親は頷いた。
「じゃあ、目を瞑っちゃってもいいよ……」
 母親は頷き、目を瞑る。
「目を瞑ると、眠くなるよね?」
 母親は、頷いてしまった。
「じゃあ、もうそろそろ目を開けようと思っても開けられなくなるんじゃない?」
 母親は、頷いてしまった。
「それなら、眠っちゃいなよかあさん。お休みなさい」
 母親は頷き、そして眠ってしまった。
 燃える鬣を持った催眠術を使えるポケモン。その名は火の馬ポケモン、ポニータもしくはギャロップと言い、今の私はポニータ。
 少女の名はライムといった。
 私が、自分の能力に気がついたのはつい最近のこと。驚かすと同時に生まれた隙を突いて、一瞬で催眠に掛ける方法や、炎の中にうっすらと絵を浮かび上がらせ、深層心理に語りかけながら催眠に掛ける方法。
 それで、道行く人を眠らせては、懐から金をくすねて母親に内緒で買い食いをしていた。しかし、それでは満足できない。何故自分が母親に搾取されねばならないのか? と考えるまでに時間はかからなかった。
 私は、母親を確実に殺すために催眠術で自殺させようと考えた。しかし、催眠術では自殺させることは出来ないと、私は4人の被験者を経た上で分かってしまった。
 分かってしまった私は、催眠術で自殺させる方法を考え、そして努力の末につい先日成功させた。催眠を解いたあとも、合図一つで催眠状態に戻すことが出来る後催眠を掛けてから、直接的な自殺ではないにしろ死地へ旅立たせる命令を下すという方法で。
 翌日、私は後催眠を発動させた状態の母に語りかけた。
「母さん。あそこの野菜はね。いくらでも食べていいの……私が全部買い取ったから……存分に食べて……ね?」
 そこは農場であるが、もちろんそこの野菜をすべて買い取るだけの財力なんて私にはない。そこの農場を管理していたのはニョロボンの家族で、従業員にも、水タイプや岩タイプは多い。
 私の言葉を夢うつつのまま信じて、文字通り夢中で野菜を食べていた母親はその日の内に捕らえられ、農場の管理者の中でも肉食を主とするものに喰われたのか、肉として売られたのか、その日から姿を見かけることはなかった。

 私は自由になった。


 数年の後、私・ライムはギャロップとして美しく成長していた。額に生えた一本角は傷一つ無く、鈍い光を照り返す表面は象牙のそれに匹敵する美しさだ。背中で棚引く炎の鬣は通常の個体の何倍も激しく踊り、きめ細かな体毛を明るく照らしている。
 成長した今では、たくさんの仲間を引き連れ干草泥棒に興じていた。だが、その引き連れられている集団は、全てが私の人望や強さ、賢さ、美貌などの分かりやすい要素にほれ込んで集団に属しているわけでは無い。
 自分に絶対の信頼を寄せるように……と、無条件で思い込ませ、服従させるように暗示をかけている。それは、最早傀儡(くぐつ)と呼べるほどの圧倒的な支配力で、さしずめ私は傀儡師と言ったところか。
 その支配力は、私が危ない状況に陥っても『必ず後で助けるから』と言えばその言葉を信じてたった一人であっても死地に残るほどだ。催眠術では自殺出来ないと思っていた日々が馬鹿らしくなるくらいに、私の催眠術は強く成長していて、巧みに自分の傀儡人形と化した同胞を見捨てては、股仲間を引き入れて、食料に困る日は皆無であった。
 そんなある日のことだ。
「バスター君、お願いね」
 私の言葉一つで、フォルムが変わったかのように、ケンタロスが自分たちを追い掛け回す者たちに立ち向かって行った。恐らく、二度と戻っては来ないだろう。そうして逃げ去った後、私は今日もお腹一杯食べちゃった。お金もたんまり得られたし、たまにはニンジンでも食べちゃおうかななどと、ほくそ笑む。
 私は昔こそ憎んでいた略奪じみた行いを自分がしている事に恥じることもなく日々を過ごしている。この世界は自分さえよければ他人が死のうと何も思わない冷酷な存在ばかりだと、大人になるにつれて気がついてしまったから。
 盗みを働きながら生きていく打つに他人を信用すれば痛い目を見て、他人を信用させれば美味しい思いが出来ることが自然と身に付き、盗みで腹を満たし、盗んだ金で贅沢三昧。それは母親がやっていた搾取と本質的には同じこと。『搾取すれば、飢えない』ということは、何一つ教えてくれなかった母親から唯一盗み出した知恵である。

 ◇

 レイザーは、そんなライムを見ていた。
 あいつは、今まで見てきた中で、恐らく最も才能に溢れている子供。催眠の得意なポケモンといえば、ダークライなどの伝説のポケモンを除いた一般のポケモンと言う範囲で考えるならば、トップはスリーパーと相場が決まっている。
 しかし、ギャロップに催眠術が使える個体がいるというのは、戦いに身を置く者でなければ知る者は少ない。ほぼ無警戒で対話に応じてしまうせいで、知らないうちにその手の上で転がされることもざらだ。
 意表をつくことが、警戒をさせないことが、催眠術にとって最も大事なこと。それは、なんとも単純で分かりやすい事実にして、難しい事柄。あのライムとやらが、中々見れた顔をしているのも一つの原因であろうか。

「あいつは……イイ逸材だ。だが、どうやって仲間に引き込もうか……?」
 などと、口にしてみたもののこいつは外骨格が砕けそう*1だった。シリアみたいに適当に襲わせてから、わざとらしく助けて――という訳にはいかないだろう。
 彼女は恐らく、自分以外の者は道具のようにしか思っていない。ならば、逆に自分が道具であると認識させれば、折れてくれるだろう。
「とにもかくにも一度、どんな催眠にかかっているか確かめる必要があるな。だから、エレオスに会っておこう。なぁ、バスター君?」
 俺は、隣で虚ろな目をしたケンタロスにわざとらしく語りかけた。

第2節 

「おはよう」
 彼女が根城にしている家から少し離れた住宅街にて、俺は仲間に話しかけるような自然さでライムへと話しかける。
 
「貴族……? が、何の用かしら?」
 貴族のお召し物であるシフォンを、空色と緑の二つを身に着けている事から、俺は貴族と言う認識をうけた、実の所はそうではない。ただし間違われるためにやっているので、それは否定しないで俺は続ける。
「いやぁ、俺はレイザー。お前さんに用があってなぁ……」
「私に……へぇ、私が美人だから一晩付き合って欲しいとか?」
 ライムは実際、自惚れるに足りるくらいの美貌は持ち合わせていた。だが、今の彼女に俺の相手をする気など更々ないのであろう。ライムが恐ろしい奴であるという認識による補正が入っている事は否定できないが、妖艶な笑みの下に貴族すら騙してしまおうとする黒い企みが、俺には手に取るようだった。
「いいや、違うさ。催眠術師……ライムだっけか? ケンタロスのお兄さん……バスターが全部話してくれたぜ」
 死人でも見るような顔で、ライムは俺を見る
「な……に? バスターは……生きているの?」
 訂正、これは実際に死人を見た表情だ。
「5日くらい前だっけか……あの時取り残されたバスターっつうケンタロスを、金貨2枚で穏便に追ってから引き取って、知り合いの催眠術師に逆行催眠をさせてみたんだ。
 お前の催眠術の正体を探るためにな。そしたらお前、とんでもない催眠かけていやがったなぁ……
 『私は必ず助けると信じる』
 『貴方は、助けがくると信じて一時的に犠牲になる』
 『そのための合図は、私が【お願い】といった時』
 嘘八百並べたてちゃってまぁ。この三つを聞きだすために……超一流の催眠術師の手をかなり煩わせたんだ。よっぽど強力な催眠を掛けたんだな、お前?」

「お前……何が言いたい?」
 ライムは首を下げ、鋭く尖った角を向けて前足で地面を擦り、俺を威嚇する。
「なに、お前さんをスカウトしたいだけだ……お前ほどイイ逸材の術師はそうそう見つかるものじゃない……だからな。断るならば……お前さんの今の生活が壊れることも止むなしと思ってくれ。だから、選択肢を与えるつもりはない」
 俺は高圧的な口調で言った。
「へぇ……私を強引に妙な事に誘おうって訳? いい度胸ね。」
 ライムは、くるりと振り返り俺へ背を向ける。内心では(はらわた)が煮えくり返っているのであろう、鬣の炎の熱気は、先ほどまでのようにただ歩いていた時とは比べ物にならず、温度差で周囲が歪んで見える。

「いつも仲間が適当に集まる場所に向かおうと思ったけれど……そこで話をするのはあんたも落ちつかないでしょう? 場所、変えましょう」
 そういってライムが向かった先にあるのは市場だった。食料品も日用品も、混然と売られている市場は騒がしく、隣に居るものとでさえ大声で離さなければならないことがある。
 秘密の話には向いていない。ここで何をしようと言うのか、俺には見当がつかず『なにか奢ってくれ』と言うことか? などと暢気に構えていた。
「さて、さっき言っていた私の生活を壊すとかどうとかのお話……」
 そんな俺の考えを大きく覆す結果をもたらすために、ライムは前足を振り上げて嘶き(いななき)鬣から火柱を上げる。
「謹んでお断りするわ……今すぐ、お家へ帰れ。さもなくば、殺すことも止むなしと思いなさい? ねぇ、見知らぬストライクさん。今ならまだ間に合うわよ」
「なるほど……」
 レイザーは周りの光景を見て、ライムが自分をここへ連れてきた理由を納得した。
「しっかしまぁ……とんでもない女だなぁ……こんなところで、ニンゲンの灰色の遺産、ミュウツーに匹敵する傀儡の術師を見つけるなんて……予想外だ。
 さて、どうするかな……? あまりイイ状況じゃないようだが……」
 レイザーの周りでは、活気付いた市場で商売を続ける商人たちが、笑顔だったり、値切り交渉に青筋を立てたり、つまらなそうに葉巻を吹かしたり、さまざまな表情をしている。
 その殆どが、一片の殺意も無しにレイザーへ爪を向けていた。黒の遺産とも、白の遺産ともいえない、凶暴性と慈愛を兼ね備えた心に、超強力な力を持つ究極のポケモンミュウツー……そいつが本気で催眠術を使ったら、恐らくこんな状況も夢じゃないだろう。
「普段の意識……普段の生活そのままで、無意識に腕を俺に対しての攻撃へと向けさせる……こんな催眠術を見るのは初めてだ。どれだけ深い催眠にかければ可能なんだろうな? それをお前はやってのけるのか……ますます、イイ逸材だ」
 俺は目を閉じて澄まし顔を見せると、不敵な笑みを浮かべて続ける。
「ところで、俺の誘いを断るそうだが……俺は逆だ。意地でもお前を仲間にしたくなったぞ」
 市場で商売をしている商人と、数人の客。それらは全く普段の生活の表情を崩すことなく、余所見をすることも無くレイザーへ技を放つ準備をしている。遮蔽物、この場合は肉の壁――つまりは道行く通行人がレイザーへの進路を邪魔していても気にせず構えていて、ライムの暗示にかかっていない正常な意識の持ち主はその異様な光景に腰を抜かしているようだ。腰を抜かしてくれたおかげで肉の壁は消えさったが、だからと言ってまずい状況であることには何ら変わりはない。

 まさか、催眠にかけた商人たちをこんな使い方をするとは……ライム自身は何を想定してこのような暗示をかけたのかは不明ではあるが、すごいと言う事だけは確かだ。これだけの数を催眠にかけるとは、どれだけ時間を掛けたのかと思うと気が遠くなる。

「死にたく無かったら諦めなさい。これが最後の警告よ……私だって、あまり手荒な真似はしたくないの」
 これでも十分手荒なまねだとは思うが、白々しくライムは言った。
「くく……自分の生活を壊そうとする奴は、始末と言うわけか。でも、俺は諦めやしないさ」
 だが、俺とて自分のほうが上の立場であるという姿勢を崩すつもりは無い。俺の自信満々なその表情はライムの怒りを刺激して、ライムは怒りに美しい顔が台無しになるほど顔を歪める。

「じゃあ、死ね!!」
 怒りが導くままに、ライムは前足を振り上げ、そして合図する。俺へ矛先が向いていたチャージ済みのシャドーボールや火の粉など、思い思いの攻撃が一斉射撃された。
 その攻撃の全てが、俺には当たる様にしつつ、俺が避けたとしても一つもライムには誤射しない軌道を描いている。
 一体どのような暗示を加えればこうなるというのか、皆目見当も付かない。
 俺は、上へと跳び退く。操られていた者たちの攻撃は片手間の上余所見の最中だったため、威力に乏しくまた、狙いも不正確だ。
 さらに同時攻撃だったせいか発射後の隙が大きく、間髪いれない射撃という訳にはいかないようだ。順番に絶え間なく放たれるのであれば、さすがの俺といえど『殺してはいけないという制約』を守って切り抜けるのは難しかっただろう。
 裏を返せば、殺す気ならば全く問題が無い。
 発射後の隙に、俺は人混みを縫うようにして自身に刃を向けた者をカマの峰で叩いて脳震盪を起こさせ、昏倒させる。俺は自分を狙った者のうち、ライムが壁になって不用意に攻撃できない位置にいる者を気絶させずに残し、その他の全員を昏倒させた。
「……ふぅ、お転婆な魔女様だな」
 俺は脚に少しばかりの怪我を負い、平静を装いながらも内心では久しぶりの恐怖を感じていた。
「くっ……何をやっている!? 全員、座っていないで立ち上がってこいつを殺せ」
 その合図を皮切りに、俺を囲む輪が狭まった。暗示にかけられた者たちが、日常の作業を放り出して俺に襲い掛かる。ついになりふり構っていられないといったところか。
 激しく燃え上がったライムの鬣は、その怒りを表しているようだ。彼女自身が暗示に掛けられたものへの誤射も恐れず攻撃している。
 炎の渦とよはれる拘束する技を使って、意地でも足止めしようとするライムの攻撃を、俺は紙一重でかわし、カマの峰で、ライムの角を打ち折った。
 角に痛覚は無いはずだが、爪のあるポケモンの爪を剥がそうとすれば激痛が走るのと同様なのだろう、激痛に喘いでライムは叫び声を上げる。
 叫び声は、攻撃終了の合図の変わりになったのだろうか、操られていた者の攻撃が止んだ。
 四面楚歌と言う恐怖のひと時が終わった事で全身の力が抜けそうになる。俺はそれを堪えて、大げさな、嘲るような、演説するような口調で語り始める。

「さて、そこら辺で腰を抜かしているギャラリーたち……今のを見ていたな? 今、商人たちを操って俺を攻撃させたのは……このギャロップだ。
 分かるだろう……? このギャロップは、無辜の民を操って俺を攻撃させた魔女だ」
 催眠術に掛けられ、自身がさっきまで何をしていたか分からない者もおぼろげに理解している。周りにいる者のうろたえ様や、俺に襲いかかってしまった自分を化け物でも見るような視線を感じて、何か異常な自体が起こったのはわかるようだ。
「ひぐっ……オ、オ、お前」
 いまだ頭部に残る痛みで声を震わせながら、ライムは俺を睨む。
「くくっ……面白いことを考えた。お前にも俺と同じ四面楚歌の状況を作ってやろう……。今から俺は、お前に対して金貨20枚の懸賞金を掛ける。しかし、俺に従うというのならば……安全を確保した上で、それをはるかに越える金貨をやるよ。さて、どうする?」

「死ね!!」
 それだけ言い残して、ライム屋台の屋根を飛び越え、全速力でどこかへと消えていった。
「逃がすか!!」
 一連の流れをただ呆然と見ているしかなかったギャラリー達のざわめきも何も無視して、レイザーは空へと飛び上がる。

 ◇

 もう、どれほど逃げたかしら? 少なくとも街が地平線の下に沈んでからもその数倍の距離を走った。見つかるはずが無い……何なのあいつは? 私の催眠術を知っているのはいいとして、それを誘おうだとか……絶対にダメだ。
 利用されてなるものか……利用していれば私は裕福に暮らせるんだ……だから、あんな奴の言うことなんて……
 私は自分の力を試す意味でもレイザーにあのような攻撃を加えた……が、レイザーはそれを跳ね除けた上で、本当に綿その生活を壊す気で私を魔女と罵った。下手すれば……足の蹄を砕かれたり、性器を破壊されたり、水攻めにあったりしながら殺されるところだった……始めから、あの街は捨てるつもりでレイザーに挑んだが、アレでは話が違いすぎる。怖い……
 相等焦って飛び出した私は体力を消耗し、普段は立ったまま休むところを、地面に座して休んでいる。そのとき、草むらが揺れる音で振り返るとそこにはレイザーが立っていた。

「よう、こんばんは。もうちょっと近寄ってから話しかけたかったんだがな……草食のポケモンはやっぱり鋭いねぇ」
 警戒を怠っていたわけでは無い。レイザーも一切の気配を絶っていたのだろうが、疲れや焦りを考慮しても、私にとってこの距離まで近づかれるのは異常だった。
 ゾワリと毛が逆立ち、背筋が凍る代わりに鬣から大きな火柱が上がる。がくがくと震える頼りない四肢は、生まれたてのポニータのようだ。
 レイザーはカマが触れられる距離まで近づき、意地悪そうな笑みを浮かべてアドバイスを始めた。

「お前さぁ……もうちょっと尾行されな~い~よ~う~に~~す~~~~る~~……無駄か」
 ギャロップの走行はあらゆるポケモンの中でもトップクラスのスピードを誇る。レイザーが声をかけている間に、私はその距離を突き放す。
 レイザーは途中から全力で大声を出してみたが、それでも声が届く気はしなかった。
「さて……追いかけるか」
 そして、ギャロップの地上を走るポケモンの中でトップクラスのスピードが生み出すものは強烈な力で踏み締められ、へこんだ地面だった。
「まったく……分かりやすい奴だ。でも、優れた所が一つでもあれば利用価値は無限大だ。……とことん追い詰めて仲間にしてやろうか」
 独り言をつぶやいたレイザーのカマには、私が首に下げていた財布のひもが巻かれていた。


「おはよう。財布も持たずにどこへ行く気だ? それとも、道中に生えている草でも食べたのかい?」
 今度彼女が逃げ込んだ場所は町中だった。足跡が悟られないという意味では確かに街中は功を奏しているようだが、いかんせん角の折られたギャロップというのは目立ち過ぎた。
 自分の財布がレイザーに握られていることについて憎しみもしたが、それよりも重要なのはレイザーの後ろに居る血走った眼をしている体格の良いポケモンであった。
「さて……と、ここに案内してもらった方々に一つ言伝しておいたんだ。お前を捕えれば金貨20枚ってな……手段も生死も問わないってな。
 さぁ、追いかけっこのスタートだ。逃げてみろ……」
 言い終える前に、私は逃げていた。私は速いつもり……だが、ギャロップの脚の速さも、金貨20枚を狙う飛行するポケモンには敵わなかった。
 エアームドが私の背中を小突いている。わずらわしく思った私は体をよじって避けようとしたが、そこでバランスを崩して派手に転んだ。
 足が速い分、転んだ時の衝撃はすさまじく、相性の関係上本来優位に立てるはずのエアームドに対して反撃することすら叶わない。痛みで全身がバラバラになりそうだ。
「助けて……助けて。すみません、仲間になるから……だから許して。許して……」
 身を縮こまらせた彼女が出来たのは、最早命乞いだけだった。この時点で、ライムを捕らえたのはエアームドと言う事になり、エアームドが歓喜の声を上げた。
「おうおう、ご苦労さん……なんだ、1分も逃げられなかったなお前。エアームドのお兄さんはご苦労様……これ、約束の金貨な」
 レイザーは重厚な音を奏でる金貨エアームドにを渡す。エアームドはなにやら回りで金貨を狙っていたほかの者たちに分け前をよこせなどと早速(たか)られているが、我関せずとレイザーは私の足元へ近寄った。

第3節 


「さて、と……とりえあえずオボンの実でも食え」
 ライムは俺から手渡された木の実に恐る恐る口をつける。
 臼歯ですりつぶし、果汁があふれ出してきたところで、ようやくライムは毒が盛られていないと思ったのか、若しくは毒があろうと無かろうと関係ない悟ったのか、勢いよく食べ始めた。
 どうやら、何も食べていなかったらしく腹も減っているらしい。
「ついて来い……お前くらい罰当たりな奴のほうが、俺の主に取っちゃ好みのタイプだ」
 体力回復の効果が出る前に、俺はライムを先導する。何処まで連れて行かれるのかと不安そうな表情をするライムの気分など一切合財を無視して街の外まで俺は無口だった。これくらい厳しくした方が、俺に対する恐怖心で服従してくれやすくなる。
「さて、改めて自己紹介だ……俺の名前はレイザー。レイザー=ストライクだ、よろしくな」
 今までの嘲る様な口調とは違い、今度はひどく友好的な口調だった。その変化を気味悪く思い、ライムは目を逸らす。
「約束どおり、仲間になったお前に山ほど金貨をわたしたいところだが……今はかさばるから持っていない。こいつで許してくれ」
 俺はカマをバッグの中に突っ込んで、中身を探るとギラティナを象徴するプラチナを礎に、ディアルガを象徴するダイヤとパルキアを象徴するパール。それらをあしらった首飾りだ。貴族や教皇貴族でも位が低ければ手がとどかなそうな、王族がつけるんじゃないかと思うような高級感を醸し出しているそれは、俺が持つには過ぎた代物だ。
 本音を言えば、レアスから給料代わりにもらったが、どうにも手に余る品なのでここでライムに渡してしまいたかったため、出した物である。

「さて、こんなもの金に代えてくれる店なんぞ何処にも無いからなぁ……とりあえずこいつを金貨代わりに身につけて、約束の遂行とさせてくれよな。
 ……うん、外に露出させて置いたら傷つく可能性もあって危険だから、とりあえずお前さんの荷物に加えておこう」
 そう言って、俺はライムが首に下げていた財布の中に首飾りを入れる。ライムは恐れた様子で俺のやる事を黙って見ている。あそこまで強気だった女が、ここまで自分を恐れてくれると言うのは少しばかり気分がイイ。

「傷つく可能性もあるって……そんな危険なところに……私を連れて行く気?」
 ライムは、恐れをなした表情でレイザーを睨む。
「大丈夫。俺が守ってやるから、お前が生きているなら跡も残らず簡単に治るような怪我くらいしかしないだろうよ……だが、宝石は傷ついたらそれっきりだ。それに、大切な客人をみすみす怪我させるつもりなんて……俺には毛頭ない。
 まぁ、どちらにせよお前さんには俺の申し出を断わる権利は与えないつもりだがな……アレだけのことをしでかしたんだ。下手すりゃとっくに魔女裁判でお陀仏だったところだぜ?
 それを俺の慈悲でちょっとした御仕置きくらいで許してやったんだ……感謝しろよ」
「うぐ……糞野郎」
 ライムは言葉を返すことが出来なかった。確かに、あのままずっとやっていたらどうなっていたか分からない。直接異端審問に掛けるべく兵隊を呼ばれていたらむごいやり方で死んでいたかもしれない。
「だからといって……私の生活を壊すのは筋違いって物でしょ? それに、私はへまなんてしない」
「生活を得る為に……弱者を犠牲にするのは筋違いじゃないのか? 俺は、お前が悪に見えたからお仕置きした……それだけのことだ。ま、だからと言って俺が正義なわけではないけれどね。
 それに実際、俺と言う存在の前にへまをしたじゃないか……俺が教会に通報して、教会から金をせしめるのが目的だったら酷い目に会っていただろうに」
「糞野郎……」


 そこから先、俺はライムに対して好物や異性のタイプなど、いろいろ話かけて見たが、何を話しかけてもまともな返答は帰ってこなかった。
「……だんまりかい」
 仕方ないからと、俺は話しかける事を諦めて、無限の気まずい時間を過ごすこととなる。言葉一つ交わさないまま、俺達は難所にたどり着く。その難所を見たときのライムの第一声は……

「……ここは、聖地じゃないの?」
 であった。
「俺たちは……不思議のダンジョンと呼ぶがな。なぁに、気にするな。聖地なんてのは眉唾物だよここは、入っても簡単に出てこられる場所さ」
 言うなり、俺は跳躍してライムの背中にまたがる。ライムにとっては不意打ちだったらしく、俺が乗った時の温度はそれほどでもなかったが、一瞬表皮が焼け付きそうなほどに跳ね上がった。
 すぐに温度が元に戻ったものの、乗られているライムは決していい顔をしていない。
「ちょっとばかし事情があってな、このまま聖地……俺をのせたままダンジョンに入るんだ」
「……変態」
 俺のほうを振り向くことはせず、歯を食い縛って怒りに耐えつつ、俺の言うとおりに従った。ライムも最初こそ、ダンジョンの中で正気を失ったポケモンに襲われるたびに叫び声をあがていたが、レイザーのすさまじい強さでそれらが全てねじ伏せられるのを見ると徐々に恐れなくなっていった。レイザーの『みすみす怪我をさせるつもりは無い』という言葉どおり、ライムは完全な無傷で返り血すら浴びない。
 また、最初のほうこそ地上に階段があることや、異様過ぎる部屋状の空間や廊下状の空間などそれらを見て神の住処がどうのこうのといっていたが、俺が『ここは神の住処どころか神の力が及ばない場所だ』とか『俺は何度も入っているが罰なんて当たったことが無い』などと説明したりすることで徐々に聖地に入って大丈夫なのだろうか? と心配することもなくなっていった。
 ダンジョンを一つ攻略して、ダンジョンの向こう側に来ると、神の住処であるという認識まで薄れてしまい、最終的にはアルセウス教に騙されているのだと気がついてしまった。聖地と呼ばれていながら、その実全く持って聖域的な意味のない場所だと実感してしまえば、当然のことなのかもしれない。

「……こんなんが聖地だなんて、馬鹿みたい」
「まぁ、奥地で幻のポケモンが待ち構えているとか……本当に聖地なところも無くはない。だが、それらは……むしろ客人が来れば喜ぶくらいだよ。神は侵入者を厳しく罰するなんて嘘さ」
 気がつけば、俺が話しかけてもまともな答えを返そうとしなかったライムは自分から俺に話し掛けていた。
 それが嬉しくて、俺は顔を綻ばせながらライムの質問に答えていた。アルセウス教が如何こうといっていた俺に対しアルセウス教ってなんだ? と聞いてみたり、『ホウオウ教と言う宗教と対比するために便宜上そう呼んでいる』と俺が言えば、ホウオウ教について質問される。
 その繰り返しが、俺にとっては嬉しいことだった。
 いつしか、いくつものダンジョンを越える内に、ライムの燃え上がるような敵意は治まっていた。それでもまだ、燻っている警戒心や敵対心は治まることはなさそうだったが、大きな前進だと感じた。
 力の正しい使い方さえ覚えさせてしまえば、例え漆黒の相当がダメでも何処に行ったって世の役に立つであろう。彼女の道が正しい方向へ向いているのを感じて、俺の中には、シリアを仲間に引き入れた時とはちょっと違う達成感がこみ上げる。
「さて、ついたぞ。ここからは空の旅だ」
 立ち止まって見たはいいものの、肝心の迎えがいない。さて、どうしたものかと辺りを見回してみると、突然何もない場所から声が聞こえた。
「や、レイザー。今回は意外と早かったね」
「ひやっ」
 言い終えると同時に、青と白の二色で胸に赤い三角のアクセントがついた大柄なポケモンが虚空から現れる。気配だけはきっちり感知していたライムだが、姿を消せるポケモンの存在に酷く驚いて、思わず火炎放射を見舞っている。

「おっとっと」
 火炎放射を撃たれたポケモンは、笑ってそれをかき消した。
「よ、アズレウス。シリアの時も言ったが、あんまり脅かすのは避けようや」
 アズレウスと呼ばれたポケモンは頭を掻きながら悪びれることなく微笑んだ。ずいぶんと人懐っこい童顔で、いい年して女の一人も知らなそうな初心な雰囲気が垣間見える。
「ワシはレアスに頼まれて無償で橋渡しやっとるんじゃ。これくらいの楽しみがあったってえかろうに……?」
 驚かすのを楽しんで、アズレウスは今回俺に運ばせられるポケモンを見る。ギャロップだ。
「しっかし、今回は重そうな……今回もプクリンのギルドに運べばええんじゃな?」
 少し嫌そうな顔をしたが、ため息一つを付いた後はいたって普通に俺へ尋ねる。
「まぁ、そう言うこった」
「……この人、なんてポケモン? こんなの……見たことない」
 妙に訛りのきついアズレウスを見て、驚きを含んだ目でライムは尋ねる。
「あぁ、ワシか? ワシはラティオスって言う種族で、名前はアズレウス。これから、とっても過ごしやすい街に君を運ぶから……落ちないように暴れないでくれよ」

「アルセウス教を信じているなら……ユクシーエムリットアグノムは知っているよな? このラティオスって言うポケモンは、それと同列の強さや能力を持つとして扱われているポケモンだよ。俺達の住んでいる所ではな。
 そんなんに乗せてもらえるなんて……お前は幸せ者だよ。ふん、それとも実感も沸かないか?」
 俺の説明にライムは呆然と頷き、薄氷の上に足を乗せるような慎重さでアズレウスへと乗り込んだ。続いて俺が乗り込み、その重みを感じてアズレウスは言った。
「さぁ、出発じゃ。落ちんようにへばりついとけ」

 ◇

 ライムはまず、プクリンのギルドと言う場所に案内され、そして『これほどの催眠術者であれば、エレオスに伸ばしてもらうのがいいだろう』と、エレオス義兄と姉さんの居住している場所――幸せ岬と呼ばれる常夏の北国*2へ案内された。
 しかし、ワシの扱いって……送り迎えするだけで酷く味気ないのう。もう少しいい役が欲しいんじゃが。

「な~んか、最近よくここへ来るなぁ……姉さんに会えるのは嬉しいような気が重いような……どうじゃ? 美しい所じゃろ?」
 クリスタルの家のすぐ近くへライムを降ろし、話しかけても見るが、ライムは反応を示さなかった。美しいお花畑。北国らしい極彩色の花々が所狭しと繁茂するその光景は、種族により多少の差はあるだろうが、男女の別無しに駆け回りたくなるような魅惑の景色なんじゃが。特に、ここは常夏なので炎タイプのギャロップには喜ばしい限りであるはず。じゃが、どうもライムは心が弾む気分では無いようじゃ……つまらんのう。
「全く、素直じゃないのぉ」
 ライムは一時的に、好奇心が敵対心を上回ってしまったが、今はそれを安心させて利用するための手口なのだと解釈して、レイザーに対する敵対心をさらに募らせている。絶対に慣れ合いたくない……と言った所じゃろうか。
 レイザーやワシの強さや機動力が異常であるために、逃げることを考える事は出来ないでいたが、今は隙あらば逃げ出そうと虎視眈々と狙っているようじゃな。まだ素直になれないだけなので、慣れれば逃げだそうなんて気も起きないじゃろうが……まぁ、最初は隙をあらば逃げ出そうとするじゃろう。
 まぁ、甥っ子のキール悪タイプを除けば隙何ぞ皆無。問題ないか。

「さて、テレパシーでお迎え……あれ?」
 ワシの姉であるラティアス・クリスタルを家の中から呼ぼうと精神を集中させたが、その必要もなくクリスタルが突撃するような勢いで花を薙ぎながらこちらへと向かってきた。こがぁに怖い顔した姉さん見るのは久しぶりじゃ。
「ね、姉さん……草花が散って……」
「いいから、早ようしんさいや……そのギャロップじゃな? その子を兎に角ここから遠ざけるんじゃ」
「キールかぁ? このこ、相当敵意を抱いているようじゃし、キールが嫌がりそうな感じではあったが……」
 姉さんはライムを見て、畳み掛けるように急かした。あぁ、なるほど……キールは負の感情が嫌いじゃったなぁ。……と、言う事はそれほどまでにこの子の感情は毒に満ちているっちゅうことか。
 かなり焦っているのだろうか、若しくは弟が相手だから素を出しているのか、姉さんは標準語を使うのになれたはずなのに方言丸出しであった。
「そうよ、いいからとっととそいつをどっかにやれ、この愚弟が!!」
 呑気な口調でワシが訪ねると、姉さんは間髪入れずにまくしたて、呼吸をするように自然とワシを罵倒する言葉を吐き出す。ワシはそれに圧倒されて、恐怖に肩を竦めながらライムをサイコキネシスで浮かして姿勢を反転させる。

「兎に角走るぞ、ライム」
 何のわけが分からないからないといった様子でライム戸惑うと、ワシは説明するのも面倒だと、強引に背中へ乗せて飛んで行った。
「一体なんだって言うのよ?」
 ライムは少々ヒステリックな口調で、噛み付くようにワシに語りかける。
「キールっていうキルリアの事は聞いているじゃろう?」
 風切る音に負けないような大声で、背中のライムに語りかける。
「あぁ、あの角の力が生まれつき強いとか言う奴? どうだっていいわよ、奴隷階級(キルリア)のことなんぞ……」
 ライムのまるで分かっていない物言いに、ワシは空を飛んだままため息をつき、軽く頭を振る。双方そのまましばらく無口だったが、もう大分距離も離れたから……と、頃合と見て、ワシはライムをおろす。

「ライム……今までキルリアやサーナイトのことを奴隷階級として見ていたのは仕方がない。じゃが、アルセウス教の外ではそういう考えは口に出さないようにお願いできないか?
 出来れば、考え自体も改めてもらえないと、キールとの仲も悪くなるじゃろうし……」
 すでにだ絵かが説明したはずの事柄を改めてライムの説得にかかるワシは、身ぶり手ぶりを交えてその重要さを伝えようと頑張って見るが、ライムは表情一つ変えてくれない。

「関係ないって言っているでしょうが。私は! レイザーとか言うクソストライクに強引に仲間になれとか言われて、連れてこられただけなんだよ。
 それなのになんで、ここに居る奴となれ合わなきゃならない?」
 しかし、その頑張りを真っ向から否定するように、ライムはワシの手へと軽く炎を吹きかけた。
「熱っ……!! く、ふざけるな!!」
 反応しきれなかったワシは手を焼かれ、怒りにまかせて吠えるように一喝し、龍の波導で引き裂きにかかる。すんでのところで理性を取り戻し、自身の行動を平手打ちにまでとどめた。パチンッという小気味よい音も出ずに、体毛を挟んだ湿った音が響き渡る。
「あんた自分が、間違っているってことに気が付けないのか? たくさんのポケモンを催眠術で操って自分の思い通りにさせていたそうじゃないか」
「そうだよ……それが、どうした? 私の父親は、地主に利用された。私の母親は私を利用した。私は、奴らを利用した。
 そして今、お前らは私を利用しようとしている。なんの違いがあるって言うんだ!?」
 これは骨が折れそうじゃな……こういう風に、利用する市内だけで成り立つ思考じゃ、漆黒の双頭でもやっていけるかどうか。ワシは、思わず困り顔で俯きながらため息をついた。

「あんたを利用しようとしているんじゃない。最終的にそうなるかどうかはあんたの気持一つ次第じゃし、今は……あんたを鍛える意味もあるが、一番の目的はあんたを変えようとしておるだけじゃ。
 あんたの頑なな心をほぐそうって言う……な。今は信じられないかも知れんが……」
 ワシは言い終えてまたため息をついた。それは、自分が言った事はまぎれもなく真実ではあるが、説得力が感じられないと自覚してしまっているから、これでは説得どころか火に油を注いだようなものだろう。

「問題外ね。私も食糧分けて信用させたところを催眠にかけたものだわ。それを、体のいい言葉で置き換えただけじゃない? 私と同じ、悪い子ね」
 ワシとライムがにらみ合ったまま時間が過ぎる。静寂を打ち破ったのは、姉さんの背に乗ってやってきたシリアだった。
 シリアは姉さんの背中から降り立ち、二人のドラゴンの方を向く。

「アズレウスさん……わざわざ、説教中にも夢映しで状況を見せてくれてありがとう……それと、クリス母さんも夢映しの中継をありがとう」
 言葉通り、ワシは、見た物や感じた者を伝える能力――夢映しを使い、姉さんにそれを中継させていた。何に使うのかと思っていたが、なるほど……シリアがこの様子を見たがっとったのか。

「いや、お安いご用よ」
「ん、ワシも……」
 二人はため息をつき、無表情――というよりは、無理やり表情を押さえてシリアに返答した。
「私は、シリアって言うの……貴方の訪問先で、縁あって一足先に居候をさせてもらっているグラエナよ。貴方は、ライムだったかしら?」
「そうよ。貴方は、シリアね?」
 冷たく、ライムは答えた。
「一足先に……貴方の今までの経歴が簡潔に書かれた手紙を送られたわ……簡潔と言いつつ30枚にわたってたけれど。それで分かったの……貴方は、悲しい人ね。恵まれてるのにそれに気が付きもしない」
「何が言いたいの?」
「貴方、『自分が間違っているって気が付かないの?』ってアズレウスさんに説明されたよね。『それがどうした?』だっけか?」
 シリアは威圧的な口調で詰めよった。ライムよりも遥かに身長の低い彼女だが、それを感じさせないオーラのようなものが溢れている。
「あぁ、間違っていないわよ。利用しないと、こっちが利用される」
 きっぱりとライムは断じる。しかし対するシリアは腐った魚のような目でライムを見据える。
「ハッ。だから貴方は可哀想なのよ。いいか、行動の善悪なんてのはなぁ……杓子定規じゃねぇんだよ。あんたは、程々でやめておくべきだったって言っているの。
 誰かを催眠術にかけて食料を手に入れる……確かに貴方がやっていたことは間違っちゃいなかった。私だってあっちで暮らしている時は生きている者を喰う事なんて日常茶飯事だったしね。しかし、それは……過ぎたるは及ばざるがごとしって言う事よ。調子に乗り過ぎるから目を付けられる……ってこと分からない? 自分がまいた芽なのよ、この今の状況は」
「だから、自分たちが正しいことをしている風にい言うな!! 間違っていないのと、正義は違うんだよ。テメェらのは正義じゃない! 私を攫って利用しようとする下準備が今の段階なら……それの行きつくところは私と同じ洗脳だ。誰がテメェら何かとなれ合うか!!」
 ライムは吠えるようにしてシリアに反論した。

「貴方……思いやりって言葉知ってる?」
「言葉としては」
「無難な答えね。私は、実感として知っていたし、今も感じている」
 シリアは一度くしゃみをしてから鼻の奥で水音を立てると、全く個性のない口調に戻してシリアは続ける。ただし、視線は腐った魚のような目のままである。
「貴方ねぇ……思いやりってなどこにあると思う?」
「胸にあるとでも言いたいのか? 私には無い」
 シリアの口調が普段のモノに戻っても、ライムの口調は相変わらずだった。
「だからお前は馬鹿なんだな。思いやりなんて言うのはな、腹にあるんだよ……満たされていれば増幅されるし、腹の減りに合わせて思いやりだって潰える。胸にあるなんて言うのは、馬鹿が考えた戯言だから。
 身も蓋もないかもしれないけれど……だからこそ、貴方は食うに困らなくなった時点で、自重するべきだった。それが分からない貴方は……頭が悪い。
 何故か分かる……? それは、虐げられた者は奮い立つしかなくなる……その牙をむけるために貴方はあまりに強大だが……調子に乗り過ぎれば、今度は貴方を飲み込むくらいに、牙が成長する。思いやりって言うのはね……それを防ぐための自己防衛のための本能なのよ。自分が相手を喰らう牙よりも、相手が自分に向ける牙よりも大きくなるのを防ぐためのね。
 あんたみたいに本能の薄れた腐れポケモン何ぞ、この世界から淘汰されるがお似合いよ。だけど、私達は貴方と違う……本能を以ってして生きるのよ。
 本能のままに生きられないポケモン何て、可哀想以外のなんだって言うんだか?」
 シリアは嘲った。完全にライムを見下しながら言っていた。

「……素晴らしい演説だったわ。で、それが何?」
「そうね。とりあえずここから逃げるためでも何でもいい。ここの住人のただの一人にでも催眠術にかけて利用しようものなら、貴方の四肢を噛みちぎって延々と拷問人形にして遊ぶから覚悟しなさいってこと。
 キールの前では、悪タイプのポケモン以外は嘘をつけないから……覚悟してね。貴方の嘘も簡単に見破れるんだから」
 鋭い牙の間から、ちらりと真っ赤な舌を覗かせてシリアは笑う。ライムは、気圧されて一歩引いた。
「ねぇ……ところで何故、私が自分とは無関係な他人であるはずの住人のことを気にするのか、分かる……?」
 シリアは微笑みながら、ライムに尋ねる。
「あんたが、親切なだけだろうがよ?」
 シリアは笑った。しかし、今までのように腐った魚のような視線を向けることもなく、生意気な笑顔ではあるが、自然な笑顔。
「そうよ、親切なのよ……」
 シリアが初めて自分の肯定をしてしまったことで、ライムはすぐに言い返すことが出来なくなってしまった。
「私達は親切なのよ。何でかわかる……? ここは食糧にも恵まれているし、温かいから凍えることもない。さっきも言ったように……思いやりは、胃袋にあるの。胃袋が満たされていれば他人を思いやる余裕くらい生まれてくるのよ。
 だから、そう……ここでは、『利用しないと利用される』なんて考えはまったく当てはまらない。第一、この幸せ岬には貨幣経済が発達していないしね。助け合わなきゃ不便で仕方がないのよ。
 だからね……貴方の考えはまったく当てはまらないからこそ、ここではそういう事を考えるのは場違いなのよ」
 ここでしばらく生活して、住人の温かみを知ったのであろうシリアはさっきまでとは打って変わって穏やかな表情をしていた。しかし、次の瞬間には再び腐った魚のような目でライムを見る。

「考えや思想もまた、生態の一種。そして……生態が環境に合わない生物は淘汰される。そして貴方は環境に適応していない。それはね……ここではもちろんのこと、貴方が住んでいた街が私がいた街と同じ状況だとしても……やり過ぎ。適応できていない。
 幸せ岬は、誰もが幸福に暮らしているからこそ、キールもここでなら穏やかに暮らすことが出来る……。お前は、利用すべきところで誰かを利用する術には長けている。だが、信用すべきところで誰かを信用する術にはまるで疎い。だから、疑念や猜疑心、欺瞞に満ちた言動や感情しか持ち得ない」
 そう言ってシリアは歩き出し、ライムと正対していた位置からライムの左前に立つ。そして、足の付け根に顔を近づけたかと思うと値踏みするように脚を舐める。

「ここにはね、キールって言う超大型台風みたいなキルリアが住んでいるんだ。貴方みたいなネガティブ不快感情野郎が今後一切キールに近寄ってみろ? ……キールが暴走する前に、貴方のその美味しそうなモモ肉……喰うわよ? つまり、キールの家に近づけないってことは、イコールで他人を利用することしか考えない今のままの貴方が……泊まれる家はないってことよ」
 そう言ったシリアの目は本気の目。見紛う事のない狩人の目をしていた。近づけば喰われるだろう。
「そんなの……外で寝ることくらい慣れている」
「そう、それなら面白いものが見えると思うわ……楽しみにしていなさい」
 シリアはそれだけ言い捨てると、姉さんの方を見る。
「さて、母さん……すっかり話しこんじゃったけれど、母さんから何か話したいことはある?」
「いや、ワシからはないわ……シリアが私よりうまく語ってくれちゃったから……」
 困ったような笑顔を浮かべ、頬をカリカリと掻きながら姉さんは答える。
「そう、なら……今日は帰りましょう。林にはちょうど熟れた木の実もたくさんあることだし、陰鬱な気分は晴らさなくっちゃ」
 シリアは最後に意地悪そうな微笑みをライムに見せてから姉さんに乗り込み、さっさと家へ戻っていった。
「ライム……ワシは、アンタをここに届けに来ただけだから、面倒はみれんからな。ワシには自分の仕事があるから……」
 ワシはそう声をかけて、クリスタルの家に向かっていった。この幸せ岬の熱帯果樹は美味しいので、今日はごちそうにあやかるとしよう。
 後になってワシはさっさと帰らなかったことを後悔することになるのだが、その時は当然知る由もない。

第4節 

「どうしろって言うのよ。こんなところで、一人で……」
 なにもない長閑(のどか)なお花畑が延々と続くこの幸せ岬。一人取り残された私は、空腹を覚えとりあえず足元に生える草花を食んだ。
 味は悪くない。むしろ美味しい。私が昔暮らしていた所とは味が違う……こんな草もあるんだ。
「ここでは、誰かを騙す必要も、催眠術にかける必要も無い……か」
 美味しい草がどこまででも続いている。私はその意味を考えた。誰かを催眠術にかけて食料を手に入れること。私がやっていたことは間違っちゃいなかったはずである。しかし、それは……過ぎたるは及ばざるがごとしって言う事よと、シリアは言った。
 私の状況に置き換えれば『利用しすぎは、利用された時と同じくらい酷い』ということだが、今までの状況はそうとは思えない。へまをしていないし、することもないだろうからそんなことはあり得ない。
 本当に酷い状況って言うのは、異端審問を受けた時みたいに……苦しみぬいて死ぬ時だ。だが、そう言う事があれば、他人から搾取しない時と同等の苦痛を背負う事になるのだろうけれど……それは、あそこまで派手にやらずともあり得ることだ。
 利用し過ぎたかどうかではなく、へまをしないか否かにかかっているだろう。
「私は……間違っていない。いや、いなかった……けれど、いつしか間違っていた。なんて言えばいいなんて……あいつは言いたいのかな? 絶対言わないわよ」
 私は立ち尽くしていた。やることが無い。誰にも話しかけることが出来ず、やることが無いから何も出来ずにじっとしているしかない。
 じっとしていては、食糧の確保が出来ず腹が減ってしまう。と、言いたいところだが、草が豊富なためにそういうことは無く、ただただ暇だ。本当にやることが無くって暇である。

 だが、そんな平和なまま一日は終わりはしなかった。

「雨降りそう……嫌だ」
 雨が降りそう。そんな時でも、自分がいた街なら自分の家に帰れたし、もし家が無くても催眠術で何とか出来るだろう。だが今は、催眠術にかけたら拷問人形にするだとか穏やかでないことを言われている。
 あのレイザーとか言うストライクは私の生活を壊すといって有言実行をしたから、あのグラエナも有言実行するかもしれない――と考えると空恐ろしい。
 結局、どうすることも出来ずに私はその場から走り去り、せめて家の軒下にでも避難しようと民家へと近寄った。もちろんキールとか言う謎のキルリアに近寄るなと言われたので、シリア達が向かっていった方向とは逆へ。

「寒い……」
 土砂降りの雨は、止むことなく私の体を叩く。軒下に避難したはいいが、私は肩幅の広いから半身が雨に濡れてしまう。
 私がどうしようもなく困っていると、雨の勢いがどれほどのものかを確かめようとしたのだろうかナッシーの男が窓を開けて外の様子を見る。私と目があった。
「……お前さん、何をやっているのさ? 見かけない顔だが……また、いつかのキール君やシリアちゃんみたいな外からの客人かい?」
 外からの客人らしいキールやシリアは有名人らしく、『はい』と言えばそれで通じそうな様子だった。
「……うん」
 こんな風に話しかけられたら速攻で催眠術に掛けてやる所なのだが、シリアとか言うグラエナの脅迫が怖すぎて、それも出来そうにない。無力になった私は力なく頷いた
「ふぅん……見たところ、雨が好きという感じの種族じゃなさそうだが、そんなところに居て寒くないのかい? うちだったら、体の大きいもんが暮らす家だから、あんたくらいなら一人増えても構わないのさ。
 だから少し、休んでいかないかい? こんな季節に雨なんて珍しいから、嬉しくて気分もいいことだ、歓迎するのさ」
「……はぁ?」
 言っている意味が理解できず、私は聞き返した。
「いや、だから……少し休んで行けって。それとも、雨に濡れるのが好きなのかい?」
「嫌い……」
「なら、休んでいけばいいのさ。別に、家に君を入れたところで何か減るものじゃないだろう?」
 言っていることの意味は頭では理解出来ている。しかし、理由を考えるとどうも釈然としない。なぜ、こんな事をするのか皆目見当もつかない。何かをたくらんで……いるのかな? いたとしても……弱点の炎を使えば……いや、今は雨だし、メガホーンを使える角も折れているんだっけ。
 私の思考の中に渦巻くのは、何かをされた時にどう反撃するかだけだ。

「……う~ん。シリアちゃんは結構すぐ打ち解けたんだけれどなぁ……君は、え~と何て名前?」
「ライム……」
 今まで感じたこともない違和感を感じて、私は緊張と警戒から無意識に炎を強める。心臓が、信じられないくらいに早く波打った。
「あぁ……ちょっと、ライム。濡れて寒いのは分かるけれど家が燃えないように注意してほしいのさ。燃えちゃったら直すのにも時間かかるからさ」
 馴れ馴れしくも、私の名前を呼び捨てし、ナッシーの男は家が燃えるかと思いながらあわて出した。
「お前の名前は……?」
「あ、あぁ名乗っていなかったのさ。俺は、ピート」
「ん……んん……」
 名前を聞いてみて、私は"あの言葉"を言おうと頑張ってみた。だが、言えない。
「どうしたのさ?」
 ピートは、私の顔を覗き込み、心配そうな面持ちで尋ねる。
「ん……ありがとう……ピート」
 咄嗟に出したライムのお礼の言葉は変に上ずった見苦しいものだった。そう言えば、心からお礼を言われたことはあっても……心からお礼を言ったことはなかった――と思って、私は何とも懐かしい気分を味わう。
 「緊張しているのかな? そんな、固くなることじゃないと思うのさ……ふぅん……本当に変わり者だな、あんさんは。もしかして飯食っていないからボケっとしているのか?」
「いや、ついさっき……草を食べた……」
「な、なんだぁ……残念だな。久しぶりに食事でもごちそう出来ると思ったのに」
 ピートは軽く、だが本心から言っているように見えて私はさらに混乱する。何故食事をごちそう出来ないことが残念だなんて――有り得ない。毒でも盛る気なんじゃないだろうか?

「ね、ねぇ……ここの人たちって、みんなあなたみたいに食事をごちそうしたがるの?」
 恐る恐る尋ねたライムに、ピートは笑顔になった。
「あぁ、食事を食べたばかりじゃなかったら大抵はね。人をもてなした回数で競っているような変わりものもいるくらいさ」
 私にとって、この幸せ岬と言う場所は、異常者の巣窟でしかなかった。

 ◇

 所変わって、シリアや姉さんの住んでいる家では、ワシが床面にヘタっていた。
「アズレウス……あんくらい雨を降らしたくらいでヘタっちゃうなんて、あんた情けないのさ」
 サイコパワーで浮かんでいた体を地に伏せているワシを軽蔑の眼差しで見下ろしながら姉さんはため息をつく。
「ね、姉さんが異常なだけじゃろうが……」
「ワシは……たまにだけれど今みたいに雨を降らせることもあるし……毎日鍛えとるから……」
「ワシも鍛えておるわ……はぁ。どうせ、姉さんみたいな才能なんてないわ」
 ライム降り注いだ土砂降りの雨は、姉さんとワシによる人工的なものであった。性格の悪いシリアの『そう、それなら面白いものが見えると思うわ……』というセリフ。
 それは即ち、この雨のことであった。シリアは、他人を信用することを知らないライムに対する荒療治として雨という手段を取ることをとっさに思いつき、そして実行した。というか、ワシらがさせられた。
 ちなみに、ワシばかり疲れていて、姉さんが全く疲れていないのは姉さんが怠けていた訳ではなく、単純に力の差である。

「どう、キール?」
 土砂降りの雨を、湿気と音で感じながらシリアは期待の眼差しで、ワシの甥っ子のキルリア、キールを見る。キールは草花を編みこんでドレスのようにしたものを着飾らされていて、まるでキレイハナのような風貌だ。姉さんの趣味らしいのじゃが、男の子にこれはないと思うのじゃが。
「ライムは……戸惑っている。で、隣に居るのはピートさんだね……クスッ……遠慮なしに色々世話焼こうとしてる。でも、なんだかライムは疑っている。嬉しそうじゃない……
 あ……この感じ!」
 キールは、頭部に二つ生えた赤い扇形の角に手を当てながら淡々と状況を説明する中、何かに気が付いた。
「急に感情が消えていくこの感じ……これは、えと。父さんに催眠術にかけられた時とそっくりなのさ……」
「まさかあの女……早速約束破りやがったのか?」
 シリアは大口を開けて喉の奥を鳴らす様に息を吸い込み始める。鋭く鳴り響く喉の奥の音は、それだけで牙が研がれて鋭さを増してしまいそうだ。
「いやいや、シリア。でもこれ……何か利用しようって感じじゃなくって、怖いから……いや、何これ……悲しんでいる? 後悔している……?
 いや……これは……違うね。なんて言うかさ」
 何やらぶつくさ言いながら、キールは微笑んだ。

「こんな美味しいモノを今まで知らなかったのかって言う……嬉しいような悲しいようなっていう感情と似ている。けれど……ものすごく強い感情なのさ。
 父さんも、たまに本音を聞き出すために催眠術をかけてみたりするけれど……それと同じ。そうか、ライムは本音を聞けて、ようやく安心したんだね。親切にされたことに疑いを持っていたみたいだけれど……その疑いが晴れたみたい」
 至極嬉しそうに、キールは満面の笑顔を浮かべた。

「あら、案外早かったのさ……ワシはもう少し後だと思ったけれど」
 ライムを見ていた時、更生には時間がかかると思っていたのだろう、姉さんは感心したようにピートの住んでいる家のある方向を見つめる。

「本当に、面白いものが見えた様ね……あっはははは」
 クリスタルと、素の口調の変わったシリアもつられるようにして笑うなか、ワシは答える気力もなくへたばっている。
 果物をごちそうになろうなんて思わなければ素直に帰っていれば、このように苦労することも無かったのだから、ワシは運が悪い。
「抱いている感情もさっきまでと全然違うのさ……うん、今ならば……僕が近寄っていも問題ないのさ」

「ふぅん……じゃあ、許してあげちゃう? いや……もう少し苛めてあげる方がいいかも。どうせ、すぐ素直になることなん出来やしないだろうし、エレオス父さんが旅から帰ってくるまで放って置くか。
 それにしても、幸せ岬って凄いところね……普通、1日であんなんを更正させちゃうなんて出来ないわよねぇ……貨幣経済が存在していないから不便っちゃあ不便だけれど……うん、老後はやっぱりここに暮らしたいわ」
 シリアが何気なく言った『老後はここに暮らしたい』という(くだり)を聞いて、クリスタルとキールは笑顔になった。
「ふふ、歓迎するのさ」
「いや、歓迎も何も……もう、あんたはワシの娘みたいなものよ。だから、いつでもいらっしゃい」

「ありがと、クリスタル母さん」
 シリアは姉さんに対して微笑み掛けると、机につかまり立ちをして、ぽつんとおかれた手紙を見る。件の30枚に及ぶライムの前情報と、そのほかいろいろなことが書かれた一種のレポートで、総枚数は42枚に及んでいる。
 その手紙の一番最後のページにはこう書かれていた。
「『もし、ライムがお前達と打ち解けられるようになったのならば、リムル(Limel)と言う名を与えてくれ。まぁ、本人が了承すればで構わんが』か……レイザーの言葉に従うならば、次あの子と会うときは……ライム(Lime)の名前は……リムル(Limel)ね。」
 そのとき見せたシリアの笑顔は、着せ替え人形のように着飾っているキールなんかよりも、よっぽど輝いて見えた。


 数ヶ月後。
 収穫だとか田植えだとか祭りだとか、特にそう言ったイベントもなく、強いて言えばそろそろ冬支度が控えている程度のトレジャータウンで、私はニュクスの診療所で、ニュクスの助手のデンリュウと話をしていた。
「それにしても、久しぶりにこうして検診をしたけれど……医者を廃業させる気かって疑いたくなるような健康体ね。ライム」
 すっかり冷めてぬるくなった紅茶を、香りを楽しむこともなくすすりながらデンリュウは診断結果に目を通す。
「やだなぁ、カイロさん。私は、幸せ岬でライムからリムルに改名したって、さっきも言ったじゃないですかぁ」
 私はリムルと名前を変えて、カイロと呼ばれたデンリュウに軽く微笑みかける。
 レイザーに折り取られた角はすっかり元通りになり、幸せ岬と言う場所で暮らすことのストレスの少なさ故か、毛艶は以前ここを訪れた時よりも輝きを増している。
「あら、そうだったわね……貴方たちみたいにレイザーさんが拾った子達は、心を開いたら改名する……なんと言うか、微笑ましいわね」
「うん、私もそう思う。最初はレイザーのこと本気で死んで欲しいって思っていたけれど、色々話して見ればなんともいい人だって……でもまぁ、やっぱりあの時のやり方は頂けなかったと思うけれどね」
 私は、自身に金貨20枚という法外な懸賞金を掛けられて追い回されたあの一瞬を思い起こして身震いすると共に、シリアが話してくれたレイザーの暖かさを思い起こす。色々と強引な所はあるけれど、レイザーは家族思いのいいお父さん気質だと、しみじみ伝わってきた。

「そうそう、話には聞いていると思うけれど、最近メンバー入りした男の子……知っている?」
 何を考えているのか、もじもじ身を縮まらせながらカイロは話を切り出した。
「えと……フリックでしたっけ? ものすごくカッコイイとか聞いたけれど……」
「いやね……あの子、カッコイイって言うのも間違いじゃないんだけれど……上手いのよ。私みたいなおばさんも……相手にしてくれるのは嬉しいんだけれど、旦那と子供に顔向けが出来ない……*3
 旦那にバレていないからいいようなもので……はぁ、どういう生態しているのよあの子……見つめられただけで押し倒されたくなるなんて……」
 もじもじとする原因は、ここにあったようである。カイロが悪い顔をしていないのが、少し気になる所だ。なぜってそのフリックとか言う男はリムルと同年代であるし、キールとは一つ違うくらいである。
 キールが赤ん坊の頃からすでに医者をやっていたカイロ*4のような、親子ほどに年齢の差がある相手にも手を出すとは、そのフリックと言う男、節操も見境もまるでない。

「ただ、ね。本当に凄くよかったから兎も角として……彼、昔性病に掛かっていてね。
 ニュクスさんが言うには一応彼の性病は完治したそうなんだけれど、やっぱり誰にでも節操なく性交って言うのは医者の立場から……お勧めできないのよね。
 貴方たち、レアスさんから聞いたけれど漆黒の双頭とか言う変な組織にはいっているんでしょ? なんだか、凄く胡散臭いけれど、ニュクスさんが入っている以上、悪い組織じゃ無いんだろうし……兎に角ね、同じ漆黒の双頭として、何とかできないかって……
 ニュクスさんが言っても聞いてくれないらしいし、レアスさん下手に動けないからって動いてくれないし……私には何のアイデアもないから」
「……分かったわ。私が一肌脱ぐわね」
 相も変わらず、激しく踊っている鬣の炎の火力を得意げに激しく左右に揺らしながら、私は力強く答えた。二足歩行のポケモンが胸を叩いて自信をアピールするのに似たような行動だ。
 そう言うのならば、私の催眠術でなんとかする事も可能だ。……それにしても、私も人のために何かをするという事を快感に思えるようになるとは驚きだ。
 これも、レイザーのおかげだと思うと感謝してもしきれないな。

第5節 

 自警団『フェイスオブタウン』へ強制参加の傍ら、アサは文字の勉強を必死で行い2週間の間に書き言葉に対して不自由をしなくなった。
 そして、そのほかもう一つ重要なイベントとして……
「おめでとう~~アサ」
 キールが跳躍して、頭の高さを俺と同じくらいにあわせてから、首を絞めかねない勢いで俺に抱きついた。
「あらら……お暑いね、お二人さん。俺はここに居ないほうがいいかな?」
 キールの傍らで、エリンギも賞賛の拍手を送っていた。探検隊への入隊試験における俺の成績があまりにも凄まじかった為に、最早決定事項のように打ち上げをやろうという事になていた。
 その際、今日を一日中オフにすると言っていたエリンギはこの二人につき合わされていた。

 そして、俺はエリンギが付き合うと約束した打ち上げを台無しにすることもなく、入隊試験を軽々と突破し晴れてカマの便利屋ギルドの探検隊入りを果たしていた。ここで結果を見ている者たちは悲喜交々であるが、悲しい気分の者はすぐにとぼとぼと帰ってしまうために、ここに残るのは嬉しい感情を持つものばかり。
 明るい感情をサイコパワーの源にするキルリアの彼には、最高の環境であるせいか、さっきから五月蝿いほどにハイテンション気味である。

「一人にしないでくれよエリンギ……このままじゃ、キールに食われちまいそうだ」
 キャッキャとばかりにはしゃぎまわり、年上であることを感じさせないキールの幼稚なやっかみに苦笑いしながら、俺は首に絡みついたキールの腕を振り払おうと力を込める。
「んもう、もう少し抱きつかせてくれたっていいじゃないのさ? 嬉しいくせに……」
 最後の一言は小声であったが、その場に居る二人に対してははっきりと聞こえた。
「おい、最後の一言余計だ……」
「僕の角が間違って居なければ、そのはずじゃん? 僕の前で隠し事なんて不可能なのさ」
 目をアーチ状にして笑うキールは、可愛さ余って憎さ百倍とでも言うべきか。とりあえず首を絞め返したい衝動に駆られて、この野郎とばかりに腕を強引に振り解き、押し倒した挙句に後ろ手を関節を極めた。
「照れる照れない以前に、エリンギの前だってことを自覚しろ、この感情の覘き魔」
 痛がるキールの方を締め続けながら、さて初仕事はどうしようなどと考えつつ、探検隊バッジをもらっていないことも思い起こした。
「……忘れたことを思い出すよりも早く僕を離すことを思い出してよ~~あぁ、イタタタタ」
 キールがようやく開放された時は、顔の前面に垂れ下がる緑色の髪にたっぷりの土がついていた。
 如何にも不満そうな様子で髪についた土を手で払って頬を膨らませるキールは年上の気がしないと、何度でも言う事が出来る。

「そうそう、アサ。今までもそうだったけれど、僕と君とでは実力が違いすぎる。だから……しばらくは僕と同居しても、仕事は一緒に出来ないからね。僕は、救助と護衛の仕事に専念させてもらうから」
「うぇ……そうなの」
「うん、機動力の関係で、一人の方が気楽だからね。だから、僕以外の誰かとチームを組んで……実力をつけてきたら、僕と一緒に仕事をしようね。っといっても……君の才能ってすさまじいから……すぐに仕事を一緒にやるくらいの水準なら一年経たないんじゃない?」
 土を払った後は、済ました顔で髪をパサりと振り、目を開けてみたかと思えばアサの目を真っ直ぐと見ながら微笑んだ。
「エリンギは、お尋ね者を単独で追うタイプだから……ダメだよな?」
「ん? あぁ、そうだね。残念ながら……情報の仕入れ上手な仲間が居れば仲間に引き入れたいけれど……俺も独りのほうが気楽だし……尾行とかだったら、シリアと組んだほうがいいからね。てか、そのシリアも……ギルドメンバーでもない、実質無職な上になんでも一人でやってのけるすごい子だから、俺は必要ないし……俺もあの才能が欲しいよ」
 やや、愚痴気味な独り言を交えながら、エリンギにも断られてしまった。とはいえ、キールはギルド内でトップクラス。ギルド内ではエリンギも指折りの実力者だ。
 この二人の仲間にいきなりなろうなんて、本気で考えていたとすれば、身の程を弁えていないにも程がある。俺もそこまで馬鹿では無い。

「まぁ、とりあえずさ……今日はシリアが盗賊狩りに出かけているから、リーダー不在だけれど……自警団のほうは僕が指揮を執るのさ。
 今日はリムルやフリックが、確か仕事が終わって帰ってくるはずだから、自警団の作業中にでもダメもとで頼んでみなよ。
 彼らは運び屋を主に生業としているから、大きな荷物を運ぶなら少しくらい足が遅くっても着いていけるし、エスパータイプは運び屋において何かと重宝されるからさ。だめもとで頼んでみたら?」
「ん……なるほど」
 なぜ、『だめもとで頼む』と二回繰り返したのだろうと言う疑問を心の奥にひっそりとひっそりと仕舞い込み、あの二人にどう切り出そうかと考え始める。
「じゃあ、僕たちからも贈り物」
 しかし、その思考を出鼻をくじいたキールの声。黒と緑の毛糸が綺麗な螺旋を描いている紐の先に、正方形の木片が繋げられたタリスマンのようなもの。木片には、ところどころに歪んだ不格好な模様が入っている。
「これは……?」
「4……ていうのはあらゆる数の中で最も縁起が良い数字なのさ。
 正方形が平面に敷き詰められることから、隙が無い防御を得られるとされているのさ。それは正六角形や正三角形にも当てはまるけれどね。
 他にも僕たちの体が四肢である事……それが、体を象徴している……とか、地水火風(ちすいかふう)の4台元素の象徴……とかね。
 ま、まぁとにかくお守りって言う事なのさ。僕とシリアが協力して作ったもので……っと言っても黒い毛をもらっただけだけれど、兎に角大事にしてよね」
「シリアも……? 探検隊員でもないのに、よくまぁこんなものをわざわざ……ありがたいな」
「わざわざって、兄の贈り物に協力するのは当然のことじゃないか。アサってば、薄情者かい?」
 俺が、受け取ったお守りを手にキョトンとしていると、エリンギがそう口を挟んだ。エリンギ曰く、このスイクンタウンで二人以上で作ったものを渡すという事は『スイクンタウンの仲間としていつでも貴方を歓迎します』という意思表示の表れなのだとか。
 この街を作った数人の有志たちの間ではやり、街が大きくなるまでのしばらくの間、住人が増えるごとにカマのギルドの初代所長達が行っていたそうである。
 いまでも、生まれたばかりの赤ん坊や、自分の子供の結婚相手。今回みたいに新しい仕事仲間に渡すこともあるのだとか。
 これは空の頂と呼ばれるシェイミ達の隠れ里に古くからある慣習らしく、街の開拓者が、他人に感謝する大切さの一環としてそれを広めたモノらしい。
 ホウオウ教に同様の文化を広げるきっかけにもなったが、まだアルセウス教には広まっていない文化だね――とも、キールは付け加えた。
「なるほど……ありがとう。これで、俺も仲間入りってわけだな……」
 そう言って俺はタリスマンのようなものをぐっと握りしめた。
「アサちゃんはこっちに来て日が浅いんだっけか。二人掛かりの贈り物って言うのは今回が初めてかい? いい文化でしょ?」
 とでも言いたげなエリンギの表情は、一言で言うならとても明るい。キールと違って人懐っこい笑顔でも粘着質でなくさっぱりとしている。
「……そう言えばこれ、『貴方もいつか同じように協力してものを作りましょう』って意味があるんだったよなキール」
 エリンギが問いかけると、キールは笑って俺の方へ熱っぽい視線を向ける。その視線の意味は何だ!?
「うん、いつかアサも一緒になにか作ろうね」
 それは告白か?――なんて、俺は他人事のように言いそうになってしまい、思わず口を隠す。エリンギが特にニヤつくでもなく見ていることからすれば、ここでは『一緒に何か作ろう』と言うのは普通の事なのであろうか。
 だからなのか、エリンギには俺が何を言おうとしたのか分からないようだったので、俺はなんでもないと否定した。そんな俺を見て、キールは一人微笑む。だからこのキルリアは性質が悪い。


 そんなキールとのやり取りの後、上機嫌と言うか特別なイベントだからであろうか、以前出会った時とは少し雰囲気の違うように思える所長の手から直接探検隊バッジを受け取る。
 その後は、酒こそ飲まないが打ち上げ的なことをやって日中を過ごし、夜はキールが緩い声色で自警団の活動開始の音頭とる。シリア不在のため、彼女がいる時と比べるとなんとも締りのない、『チームを組んで解散』の命令では、やる気が一割か二割は違ってしまいそうだ。
「さて、フリックと交渉してみるか」
 フリックと言うミミロップは、ギャロップのリムル恋人同士なのだそうで、寄り添いあっている。フリックは、表情を取り繕いさえすれば女性と言っても通りそうな美形をしていて、リムルの顔も美しく整っている。所謂お似合いカップルの仲を裂いてしまうような形になるわけで……少しばかり心配になってきたが、事情を話していると、フリックは悪い表情などせずに笑いかけた。
「ん、なるほど。俺様達もアサ様なら大歓迎って奴だぜ。お前さんのサイコキネシスの能力の凄さは、自警団の活動で嫌って程に分かったからな。リムル様は?」
 アサはフリックに手を握られて、思わずドキリとしながらヒゲを逆立たせた。フリックのさわやかの笑顔プラスアルファで、鼻腔をくすぐるような心地よい匂い。フリックに近づくと、魔性ともいえるこの香りがいつも鼻につく。それに咥えてスキンシップを積極的には飼って来るのだから、誘惑しているとしか思えない。
 しかも、それは性質の悪い事に、傍らによりそうリムルの燃え盛る炎によって匂いが増幅されているような気さえする。あまりその香りに夢中になっているとアホ面を晒してしまう事が良くあるので、その香りに気をとられすぎてはいけない。呼吸を整えて、フリックが振り返って見上げた方向――リムルの方を見る。

「ん~~……やっぱりここは女同士だし、男子禁制でちょっとばかし、込み入った話をして見て、それで決めさせてもらうわ」
 リムルはフリックの甘いマスクに微笑み掛けられていたが、慣れたものなのだろう。あの破壊力抜群の甘いマスクに魅せられてもなんら動じることなくリムルはフリックへ微笑み返した。
「なるほど……じゃあ、今日は俺様、チーム組まず一人でやらせてもらうって奴だ」
 そう言って、フリックは俺の両肩を鷲掴みにして、耳に唇を寄せながら耳打ちする。この動作は誘惑しているとしか思えない。
アサ様、リムル様のお話は長いけれど眠っちゃダメって奴だぜ?」
 美しく整った眉毛を、長い睫毛(まつげ)を、震わすように動かしながらのウインク。
 握っていた手を離すときも、手の甲に軽くキスをするなど、このフリックとか言う男は所作の一つ一つが優雅である。誘惑しているとしか思えない。

「あ、あぁ……眠らない……だな?」
 この男は自分を誘惑しようとしているのか?(若しくはそう思わせてからかっているのか)と思うような所作の数々に、脳を蕩けさせて本能のままに襲い掛かりたい気分をぐっとこらえつつ俺は相槌を打った。
 あまりに精神に負担が掛かっているせいか、右手に握られている新品のスプーンが、根元から溶けるようにして曲がってしまっている。誘惑しているとしか思えないフリックのせいである。*5
「さぁ、そうと決まれば行きましょうか。女同士、腹を割って話しましょうね」
 何がそんなに嬉しいのか、リムルは今までも二人きりになった事はあるというのに、それが始めてであるかのように上機嫌だった。
「うん、分かった。だが、あんまり意地悪な話題を振るのはやめてくれよな? 俺だって花も恥らう乙女なんだから」
 乙女の割に一人称が俺であることはいささか疑問ではあるが、俺は臆面もなく自身を乙女と呼ぶ。女であることは、利用できる時に利用せねば。
「大丈夫。そんなイジワルが思い浮かぶほど私は頭がよくないから」
 リムルは否定も肯定もせずに微笑んだ。キールなら必ずツッコミが入っただけに話は早く進むがやりづらい。

 見回り中に話している時に感じるリムルの天然ボケはキール以上のもので、いかんせんキールと一緒に居る時間が多いせいか、ツッコミがないのは慣れない。
 その後、リムルと共に街の見回りの片手間に話したのは、ギルドの仕事の内容やフリックと自分が恋人同士であること。
 そして、俺が顔を赤らめてしまったキールとの関係に関する質問。まだキスもしていないと聞いて、何だ純情ねと馬鹿にするような笑みを浮かべられる。
 俺は思わずお前らはどうなんだと聞いて、『肉体関係』ときっぱり答えられ聞いてことを後悔する。そんな、平和なやり取りであった。
 もっと変な話題でも吹っかけてくるんじゃないかと、妙に身構えて損したなんて打ち解けた気分を感じつつ、この世界に来ると同時に男から女になったことに対する戸惑いも、こういうやり取りのお陰で女の体もいいかもなという程度の認識に変わっていく。
「そういえば……アサちゃんって、過去の記憶がないんでしょ? なんと言うか、伝説の探検隊『ディスカバー』に似ているわね」
 キールと一緒にリムルと話したときに出た話題。自分に過去の記憶がないということ。それは揺るがない事実なので、俺は無難に相槌を打つ。
「私はね~レイザー所長に拾われる前、干草泥棒なんてものをやっていてねぇ……」
 リムルが、過去の話を始めると、俺はこれがフリックが言っていた長い話なのかと納得し、長い話を覚悟する。

「~~でね、干し草泥棒で思いだしたんだけれど……その時追いかけてきた種族と同じウインディに面白い奴がいてねぇ……」
 想像が及びもつかないほど長い……こいつの話はすぐに横道にそれるのだ。
「ああ、そうそうウインディといえば私と同じ貰い火の特性よね? スイクンタウンって周りに炎使える奴がいないから貰い火の特性って全然使う機会がないのよねぇ……フリックは炎のパンチなんて薪に火をつけるくらいしか出来ないし……」
 もう横道にそれるのよして……馬に角……ではなく、フリックに角はないけれど兎に角、リムルはやけに話が横道にそれるのだ。女性は話をまとめるのが苦手と言うが、これは女性特有とかそういうレベルではなく、何度話を修正しても……横道にそれるのである。
 フリックとは恋人同士だと言うが、彼にはこういう性格とでもやっていく器量というか感性が合うのだろうか?
「こう、仲間や恋人を守るために炎から身を呈して守るとか格好いい感じしない? ああ、格好いいと言えばフリックの……
 そうそう、彼って耳の裏に櫛を仕込んでいるのよ。毛繕いを忘れない種族なのよね、あの子。あ、そうそう毛繕いといえばレイザー所長って毛がないじゃない?」
 だめだ、フリックに眠るなって言われていたけれど眠い……

「ふふ、ちょっと休みましょうか。ほら、ちょっと座って」
「ん、あぁ……」
 リムル鬣の炎が、先ほどよりも激しく踊り始める。眩しいのに眠い。眩しいのに目が離せない。
「いやぁ、アサちゃん眠そうだったから……ちょっと眠い?」
「ん、あ、あぁ……」
「そうそう……レイザー所長もね、私が話をすると君と同じように眠そうな顔をするのよねぇ。
 でも、大丈夫。所長が言うには私の話だけは眠っていても聞こえるらしいから……不思議よね~。貴方も不思議だと思わない?」
「あぁ……」
「所長はだんだん頭が重くなって首が上げられなくなるって言っていたし、きっとアサちゃんも……首重い?」
「あぁ……」
「じゃあ、首下げちゃいなさいよ……」
「分かった……」
「瞼が重くなってあけられなくなるって所長が言っていたからアサちゃんもそうでしょ? 目も閉じちゃいなさいよ……何か危ない事があっても守れるように私が見張ってあげるから」
「うん……」
「見張っている間はね……五月蠅くてもよく眠れるように、私の言うことしか聞こえなくなるほうがいいわね? 所長も同じようなことを言っていたし……」
「う…ん……」
「じゃあ、そうしましょう」
 俺は最早何も答えなかった。リムルはそんなアサを立ったまま満足そうに見下ろし、舌なめずりをする。
「そして、所長もいつしか私の虜になって、私の言うことしか聞けなくなった。だから、アサちゃん。あんたも……そうなるの。
 ふふ、ユンゲラーの――は――か。これは役に立ちそうね」
 リムルは脚を折って地面に座り込み、最早完全に暗示に掛かった俺の耳元へ唇を寄せた。
「貴方は――と――させる。いいわね?
 分かったら……コクリと首を動かしなさい。」
 黙って頷いた俺を見て、リムルは満足そうに微笑んだ。


「んにゃ……暑い……はれ!?」
 ただでさえ熱帯夜だというのに、目覚めた場所はリムルの背中の上。リムルの背中にうつ伏せになりながら、右わき腹に腕、左わき腹に足を投げ出している状態だった。
 いや、姿勢などどうでもいい。兎に角暑い。リムルの上に乗っかるこの体勢、冬から秋に掛けては非常に嬉しいだろうが、夏ではちょっとした責め苦である。
 腕を使うことが出来ないギャロップがどのように自分をこうして背中に乗せたのか、角を使って空中に高く放り投げたとか、乱暴な手段しか思い浮かばないだけに、なんだか失敗したらと思うと恐ろしい。
「あら、アサちゃん……私の話に付き合ってくれてありがとね。……やっぱり途中で眠られちゃったけれど、結構頑張ってくれたから嬉しいわ」
「ど、どうも……」
 偽りのない(ように見える)笑顔でリムルが微笑むと、俺は暑いことも忘れて寒くなった気がした。その悪寒の理由は不明だが、とりあえずお礼を言われたからと適当な返答を行っておけば問題ないだろう。
「うん、貴方となら上手くやっていけそうね……歓迎するわ、一緒に運び屋頑張りましょう」
 なんとなく腑に落ちないところが色々とあるが、リムルが首を下げてきたので俺は差し出された首を抱いて、首会わせに応える。
「あぁ、こちらからもお願いするよ、リムル」
 こうして、アサにとって何の疑問もないまま、一方的な暗示を交えた女同士の話し合いは終わった。


 数日後

 その日の仕事は運び屋。海から微妙な距離のあるスイクンタウンに大量の塩を届ける仕事で、荷物と共に荷物の番を安全に送り届けるという仕事である。その荷物の番であるフローゼルとソリに乗せられた塩は最後尾に置き、フリックを前衛において俺たちはダンジョンを近道として突き進み、道中に出現する『ヤセイ』のポケモンたちと戦っていた。

「アサ、私に乗りなさい。騎馬戦術よ!!」
「と、唐突に練習もしていないそんなことを……? とにかく、お前に乗って攻撃すればいいのかな?」
 少し、敵の量が多く、やられはしないであろうが無傷で済みそうには無い。そんな状況に陥ったときのことだ。それまで一切練習をしてこなかった騎馬戦術なるものを、リムルがいきなり指示し始める。
 先輩の言うことなのでとりあえずは従うべきなのだろうと、怪訝な面持ちで俺がリムルに乗り込むと、リムルは高らかに宣言した。

Paralisis(パラライシス)!」
「あべらっ!!」
 リムルの周りに居たポケモンたち(俺を含む)は、その言葉と共に一斉に麻痺の症状を呈す。これは、俺の種族であるユンゲラーの特性:シンクロが発動した事による現象だ。
 だが、何故このタイミングで発動したのかアサには解せない。その理由はリムルだけが知っている。あの時、リムルが掛けた暗示と言うのは以下のような内容だった。
『ふふ、ユンゲラーの特性はシンクロか。これは役に立ちそうね。貴方は、私が『Paralisis*6』と叫ぶと、その瞬間から麻痺状態になり、周囲の敵と認識したものに対して、強力な暗示で麻痺をシンクロさせる。いいわね?
 分かったら……コクリと首を動かしなさい』と……
 どうやら、リムルの暗示の効果は絶大だったようで、いきなりわけも分からぬまま麻痺させられ口をがくがくと痙攣させる俺は、突然の状況に戸惑うことすら出来ずに、ひたすらリムルの鬣にしがみついていた。
「アサ様……だから話の途中に寝るなって言ったのに。ご愁傷様って奴だな……」
 麻痺した敵を自慢の格闘技で倒していく中、フリックは哀れむような声で呟いた。

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感想・コメント 


コメントなどは大歓迎でございます。

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  • 更新速……漆黒の双頭まで読むのに時間がかかりましたが面白いです。
    ちょっと時系列がこんがらがり気味ですが、読み返して理解すれば何のことはないです。
    リメイク前のも含めてみた限りではポケモン本来の能力を強化しただけですが、変に異能バトルにならないので、能力も覚えやすくってわかりやすいですね。
    次回の更新も楽しみにしております。 -- アーツ ? 2009-08-12 (水) 21:53:21
  •  面白いですかぁ……ものすごく励みになる言葉です、ありがとうございます。
     ポケモンで変に異能バトル……というと、何かいろんな作品が思い浮かんでしまいますが、それはそれで面白いと思いますよ。
     能力も覚えやすいというか、キャラそのものがみなさん個性的なので覚えやすい――と言ってもらえるように、特にリメイク後はそれを意識してみました。
     感想ありがとうございます。ちなみに、更新が速いのは兎様に追いつくためです……急がなくては -- リング 2009-08-13 (木) 19:02:15
お名前:

*1 節足動物門系統のポケモン的『骨が折れそう』の表現法
*2 南半球でのお話なので常夏の南国では無い
*3 カイロさんはまさかの浮気をしてしまったようです
*4 漆黒の双頭TGS:第2話第1節の後半参照
*5 大事なことなので何回も誘惑しているとしか思っていません
*6 麻痺の意

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Last-modified: 2009-12-01 (火) 00:00:00
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