「私……今日の事本当に悔しい。けれど、貴方がいてくれて本当に嬉しい……一瞬で、そう感じてしまった。」
底抜けに切り替えの早い少女の精神状態に、男は翅が逆立つのを感じる。
『やれやれ、また自分の子供が増えるのか』と、内心困惑と嬉しさを織り交ぜながら、どうしようもない照れまでも交えてしまい、男は言葉がでなくなる。
「俺には、妻も子もいるんだがな……」
やっとのことで絞り出したその言葉は、少女をひるませることはない。
「それでも、出来ることはあるでしょ? どうしようもない時でいいから……私を守ってね」
「……わかった。存分に連れまわしてやるよ」
血濡れの二人は、一方の強引な行動で、寄り添い合わされた。
これが、とある少女が女王に目覚めるまでの経緯。
貧民街の一角で、新鮮な死体にありつく少女がいた。
全身が灰色を基調とした体色で、顔だけが真っ黒。胴は短く脚は太く体全体が丸っこい、いかにもな幼児体系の四足歩行のポケモン。
噛み付き、肉を引き裂く事に特化した顎を持つその種族の名は、ポチエナと呼ばれるポケモンである。
しかし、彼女は普通のポチエナよりもかなりの大柄で、一周りほどの抜きん出ていた。今は亡き母親が可愛がってくれたこの体に固執して、いつまでも進化していないことが原因である。
そんな少女が身につけている物は、彼女の頭ほどの大きさの物が入りそうな大きな麻の巾着袋と小さな革の袋一つだけであった。
「ふぅ……今日は運がいいなぁ。ふふ、美味しい」
口を真っ赤に染めて顔を綻ばせながら、形のある肉塊を肉片へと千切って形を変えていく。食されているポケモンは、恐らく何らかのいざこざに巻き込まれて路地裏で息絶えていたオドシシ。
死んでいるといっても、損傷は頭部のみで、首から下に目新しい損傷は見えない。私はそんな、綺麗な死体の肋骨の下にある柔らかい腹を掻っ捌いて、引きずり出していく。
私は、数ある臓物の中で、栄養豊富なとんでもなく長い管*1を引きずり出し、咀嚼して飲み込んでから次の肉片へ牙を掛けるまで間を入れることなく、腹が満ちるまでそれを繰り返す。
「ご馳走様……」
食事を終えた私は、満足感の度合いを表すように穏やかなため息をつき、口の周りをペロリと舐めて血糊を拭う。でも、まだまだ私の作業は始まったばかり。
「では、失礼……」
食した死体は用済みではなく、私らポチエナやその進化系のグラエナにとっては骨は非常食である。肉と皮を
肉食のポケモンは草食のポケモンの数に比べて少ないが、流石にこれだけの匂いを振りまいていたせいであろう。その数少ない肉食のポケモンが集まりだしている。
そろそろ潮時か……仕方がない。
「どうぞ。いっぱいあるからね」
私は慌てふためくことも反抗的な態度を示すことも無く、引きずり出されたり骨から切り離された臓物を笑顔で差し出した。
ただし、お前らは消化出来ないんだから、骨は譲らないぞ――と言う言葉を目線で伝え、空腹でギラつかせた眼をチラつかせるルクシオからは死角になる場所へと骨を隠し、肉の解体を進めていた。
早い者勝ち、もしくは強い者勝ちで死体の奪い合いをするのがいつもの習慣だったが、今日ばかりは運がよくイの一番でありつくことが出来た。路地裏を見回っていると、こういうこともたまにあるから嬉しいもので、いつもなら、遠目から巨大な体躯をしたポケモンが食べ終えるのを見守ってから食料にありついたり、残っているのは骨だけだったりなど散々だ。
それでも、私の種族が持っている強力な顎と胃袋さえあれば、腐ったものでも骨でも問題なく食すことが出来るという、恵まれた体の構造が私の恰幅を良い物にしている。自分で言うのもなんだけれど、スタイルには自信があった。
「さて、と」
自分の財産として大切に持ち歩いている麻の巾着袋に、前足と顎を使って器用に袋の口を開き、骨を咥えて袋に骨を詰め込んでいく。そうして、骨を蓄えて徐々に体積を増した袋の口を前足で袋を押さえて、紐を噛んで引っ張る事により閉じる。
自身が今後の蓄えを取り終えた事に満足すると、私はさらに多くのポケモンが集まってきたその場を後にする。
骨は、乾燥させておけばちょっとやそっとじゃ腐らない。彼女が縄張りとしている地下の巣の周りにばら撒いて放置されているそれは、多くの者のにとっては食すという行為の対象にならない。
またもう一つの使い方も案外知られてはいない。だから、家の前にだらしなくばら撒いていておいても、誰にも見向きもされないのだ。
そのお陰なのか、前述したようにこの私はとてもよく太っていた。この太っていたという表現、誤解がないように説明しておけば、あばら骨が浮き上がっていたり、腹が不自然な膨れ方をしていないという意味である。
つまりは、彼女は健康の2文字を体現しているような理想的な肉体。この国では、それで太っているのだ。
そして私は普段の生活に余裕があるせいで、暇な時に毛繕いの一つや二つも可能なのであろう、毛皮の美しさもそれなりの水準を保っている。
「さて、いきますか」
私は、新しい骨を巣の周りにばら撒く。前足で袋の口を押さえながら顎でもう一方の口を咥えて引っ張り袋の口を開け、今度は袋の尻を咥えて持ち上げ、中身を出す。
入れて、出す。この一連の動作は2足歩行のポケモンにはなんてことの無い作業であるが、四足歩行の私には四苦八苦ものである。しかし、その先に待っているものを思えば彼女は心躍らせることが出来る。
私が次に向かった先は親が住居の隣に掘った倉庫である。そこには、数回分集められた思われる量の骨と、それを積んだソリがある。この地域の土地は火山の跡に出来る黒い土が主流で、白い骨を砕いて畑にまけば作物がよく育つ……などと言うことを、農業に身を置く者は経験的に知っている。
私も、それを母親から教わって知っていて、死体を見つければとりあえず骨だけでも回収する事は日常茶飯事だし、食料にありつけている間は骨を非常食にするよりも、これを売り捌くことも覚えた。
ここにあるソリは、市場で野菜を売る商人へ骨を売るための運搬道具。これもまた母さんの遺産だ。古くなった骨も多いことだし、いくらか打っても問題ないだろう。
親から死に目に託された愛の結晶である銀貨が首にかけた袋の中に詰まっているが、私はそれを、ただの青銅貨、それよりも価値の低い黄銅一枚出さえ手をつけていない。銀貨一つあれば一ヶ月食いつなぐことくらいは出来ると言うのに、これを持っていれば母親が見守っているような気がして肌身離せない。ちょっと、馬鹿みたいかもしれないけれど、大事なものなんだ。
このお金も、そしてこの体も絶対に汚したくない。汚そうとするものがいるなら残酷な死を与えてやるまでだ。
◇
「よぉ、
私の客となる農家は何人かいて、その日の客は大麻やタバコなど、煙を吸い込んで使う作物を栽培するヤドキングの男であった。この男は母親の代からの知り合いで、いい年している私にさえもちゃん付けで呼ぶ。
「今日もありがとう、アイリスちゃん。はいこれ、お金と……僕の畑で取れたお薬だ。しっかり値を吊り上げて転売するんだぜ?」
この男は、骨の対価を金で払う他に、直径がカイスの実ほどの籠一杯分の乾燥した葉っぱをくれるのだ。私はこれが麻薬と呼ばれ、使用すれば体を壊すことを知っているから、これを自分で使う事はしない。
この男だってそれを説明してから私に渡している。自分に都合のいい客達は麻薬で潰さず、きちんと生かす様にしているのだとか。それを踏まえて私に渡した理由は、この大麻の効果で無気力になった者たちへ自ら赴き、値を吊り上げて売れなどと言うことなのだ。
要するに転売しろと言う事である。このヤドキング、なかなか面白い思考回路を持っているというか、変な奴だ。私は母親につき従っていた頃から思っていること。
要は、男が自分で売るのが面倒であるからそうしているだけなのだが、場合によっては本当に彼の言うとおりに値段を吊り上げることが出来るから面白いものだ。
何故って、たまに貴族の者もお忍びで買いに来るからだ。麻薬と言うのは貴族の間では汚らわしいものだが、誘惑に勝てない馬鹿も居る。そんな奴がお忍びでやってきた時は、口止め料を含めて存分に値を吊り上げてやれる。
今日は貴族がつかまると良いな、なんて事を思いながら、アイリスはソリを住処の近くの倉庫に戻し、大麻の葉を麻袋に入れて背負うと、客を求めて路地裏に繰り出した。
路地裏で煙が立ち昇っているところに赴いてみれば案の定、客はいくらでもつかまる。大麻を金に困窮した客に奪われると言う事もない事はないが、そういう時はやっぱり残酷な死を与えてやればいい。人の物を盗む者は、自分が盗まれる覚悟をしなければならないって、命と引き換えに教えてやるんだ。
ただ、そんな意気込みはむなしく空回りし、警戒していた自分が馬鹿らしくなるほど今日は平和だ――なんて暢気に考えながら、私は路地裏歩いていく。売り上げは悪くないのし、なんだかいつもより平和な雰囲気なのでやりやすいな。
そう思って曲がり角を曲がると、前方にこれでもかと言うほど屈強そうなストライクが、木の枝や草などを寄せ集めて作った粗末な家屋の屋根に腰掛けている。
腰かけて何をしているのかと思えば、食料を右カマに載せて先端から根元の方へ徐々に顎を動かしながら食べていた。何をやっているのやら。まず、他人の家の屋根に無断で上ること自体が底抜けにふてぶてしい上に、たとえそれを咎めらようとも全く問題にしなさそうな屈強さを伺わせる気配。
何より、貴族の持ち物とされている空色
そいつが、これ見よがしにふてぶてしい食事の最中とあっては、気にするなと言うほうが不可能だ。あんまりに目立つから、アイリスはお座りの体制をとりながら、しばらく見入ってしまった。
しばらくその様子をずっと見守っていて、くだらないと思うには存外時間がかかった。何故だか眼を離せなかったので、立ち去る時も名残惜しい気分だ。ただし、気になっていたのはお互い様だったようで、それから数日。私はそのストライクに監視されることとなる。
「こんにちは」
数日後、私の前に。例のストライクが現れた。
重厚な硬貨の音をこれ見よがしに響かせながら歩いている私は、昨日ストライクに監視されている最中に暴漢から襲われた。それを独力で撃退して骨と肉を存分に得たところも、きっちりと見られていた。
それを遠くから見ていたストライクは、横取りするでも残り物を漁るでもなく、ただ見ていただけだが、その視線を私はしっかりと感じていた。
その翌日の今日、商店街の店主が客に話しかけるようになんの気ない口調で、ストライクは私に話しかけてきた。
「こんにちは、お嬢ちゃん。名前は……アイリスだったかな。名前で呼んでも構わないかな?」
私は呆然としながらも取り合えず挨拶を返す。
「で、自分から名乗りもせず何のつもり? 私の家を探ったり、私の後ろに付きまとったり……実害は無いようだけれど気味が悪いのよね。やめてくれないかしら?」
「……すまないね。お前の家を漁っていた事は気が疲れていたか。あと、前後したけれど俺の名前はレイザー。もろもろについては悪かったよ……お前さんをスカウトするかどうか悩んでいたものでね……でも、決めた。お前さんはちょっとばかし他の奴には無いモノを持っている」
ストライク……レイザーとやらは深く頭を下げ、形式ばった謝罪をする。カミソリという意味か……切れ味のよさそうな名前である。
「まぁ、兎に角話だけでも聞いてはくれないかな? ほら、黒いグミだ」
頭を上げたレイザーは、カマがひっかけやすいように工夫された輪っかの付いた巾着袋をカマ引っ掛けて中身のグミから黒いものを選んで差し出す。私は差し出された黒いグミに興味は示したし、漂ってきた匂いに対し心地よさそうに鼻をヒク付かせはしたが、それを突っぱねた。
「興味ないわ……何にスカウトしたいんだか知らないけれど、私はこの町を離れるつもりは無いから」
「そうか……まぁ、いつかはいい答えを期待しているぞ」
私は振り返ることはせず、ピタリと歩みを止めるだけで後ろにいるレイザーに語りかける。
「……期待にこたえられそうに無いわ」
再び歩みを進め始めた私は二度と止まることなく、入り組んだ路地裏の迷路の中へと消えてい。
「ふぅ……グミ、美味しいのにな……でも、やっぱりもう少し衛生的なところで食べたいかなぁ……あぁ、スイクンタウンの水の匂いが恋しい……」
愚痴をぼやいたレイザーは、不衛生な環境と悪臭から逃れるためか、街の外へとその翅を羽ばたかせた。
さらに数日後。レイザーがアイリスに話しかける事はそれ以来無かったが、黒いグミを住処の前に置いて行ったり、どうかを数枚住処に巻いたりと、監視している痕跡を残しながら監視は続けられていた。
監視される私は鬱陶しいという他無かったが、姿を見せる回数自体は以前よりも減っている上、次第に慣れも付いてきたのか、気になりにくくなってきた。
加えて、実害はないどころか逆にグミとか言う食べ物――舌ではなく全身で味わうという表現がふさわしい不思議な味の食べ物を家の中に残していってくれることがありがたい。
「話くらいなら聞いてやってもいいかしら……」
迷惑ではないし、モノをくれると言うことで徐々に心を惹かれて行った。私はどんな話が待ち受けているのか不安にも思うが、ちょっとした期待も寄せている。それに、彼が監視している時に遠くから女性の叫び声が聞こえたことがあった。その時彼がいた場所から風切る音が聞こえたので振り向いてみれば、レイザーとやらは声のした方向へ私そっちのけで助けに行って、その後血まみれのまま川のある方向へ飛んでいった。
彼が殺した者の死体という食料にありつけた事は幸運だった。そいかし、それよりもわざわざ悲鳴を上げた人物を助けてあげたんだという事実が印象に強く残った。
そのエピソードのせいもあってか、私は好意に近いもの感じてはいたのだが、話しかける切っ掛けはまだつかめていない。そのきっかけをつかむ前に、スカウトをあきらめてどこかへ消えてしまわねばいいんだけれど――などと考えながら、アイリスは大麻を背負って今日も路地裏へと繰り出した。
◇
アイリスは、頭の中が次第に俺一色になっていったのか、いつものような警戒を怠っていた。原因はそれだけではないと言えばそうだ。
渡す食事を警戒しないようになってから、集中力をそぐために薬を混ぜ込んだし。道行く人々の心に干渉し、本性を解放して犯罪を起こしやすい状況を作る。
そうすれば、俺はアイリスにとっての英雄になれる……我ながら嫌な手段だが、仕方がない。ちょっとした伝手を使い、素行の悪い貴族にアイリスを襲わせる計画を立てさせて、アイリスを襲わせる。アイリスはそんじょそこいらの奴に負けるようなやわな女ではないが、貴族は戦う事が仕事だ。それが5人ともなれば、対応できまい。
後は、襲われたその時を待って助けてやればいい。
遠くからアイリスを観察してみると、耳がヒクヒクと動き、何かが来ると言う気配を感じている様子だった。その時点では、いつものように襲われたところを、最初は無抵抗のフリをして、一瞬でも相手が気を抜いた隙に、一息で三の数を屠りさる予定であっただろう。
それだけの実力と隙をつく技術への自信があったアイリスだが、今回俺は5人用意した。
それだけならまだ良い方だ。5人いる事に気が付いて、逃げようとしたところに黒い眼差しの呪術をかけられ、逃げようとすれば全身にこらえきれないような違和感が走り、吐き気がする。
すぐさま彼女の特性である"逃げ脚"が働き、逃げに入ることが出来ると思ったのもつかの間。アイリスは上から押さえつけられ、続け様に四肢を地面に縫い付けられた。
自身の四肢の一つ一つを押さえつけられては微動だにすることも出来ず、もがけばもがくほど体力が奪われる。
「離せ……。離せ、クソ!!」
あくまで強気で逆らおうとするアイリスをおさえてつけている者は、彼女の抵抗を嘲笑いながら、聞くに堪えない台詞でアイリスを精神的に追い詰める。言葉を発しない者は手足に牙を宛がい、抵抗すれば牙を立てると、言葉ではなく行動で脅した。
それによってアイリスの尻尾は完全に腹のほうへ丸まり、体内では心臓が縮まるような感覚とともに、ザァッと全身の血の気が引いて猛烈な寒さを覚えた。
「か、母さん」
物心が付いてから初めて襲われた時の記憶がよみがえり、思わず、その時助けてくれた今は無き母親の影を路地裏に求める。しかし、それに応える声などあるはずも無い。
その上口も塞がれ、徐々に酸素不足を呈し、疲れと相まって抵抗力が弱まってきたところに、一匹から尻尾を捲り上げられた。
自由になるのが目と耳だけになった状況で、彼女の性器に唾液がまぶされた。……犯そうと言う所だろうが、ポチエナの生殖器は雄のペニスと酷似している。雄がどうあっても、雌が同意しなければ犯すことは不可能だ。まぁ、二足歩行のポケモンが数人で性器を弄れば不可能ではないのかもしれない。……さて、どのタイミングで助けよう?
仕組んだ事とは言え、処女を破るのは流石に可哀想だ。俺達を受け入れろと言う男たちの要求を頑なに拒んでは殴られている。監視している間常々思っていたが、あの女はプライドが高い。殴られた程度で、処女を明け渡すほど弱い女じゃないだろう。
でも、生殖器を握られて強引に受け入れさせる体制を取らされれば話は別だ。プライド云々のお話ではない。さて、頃合いかな。もう十分彼女を追い詰めた。
彼女の生殖器にこれまでの人生で感じたことのない感覚が感じられた。ワカシャモが、アイリスのクリトリスを握りしめている。アイリスが、初めて恐怖で目を瞑った。
◇
同時に、空を切る音。
が、遅れて認識され、背中に一度ぶつかった何かの塊が鈍い音を立てて地面に落ちる。冷たい……のは血だ。助けたのはレイザーとかいうストライクだ。
自分を押さえていたポケモンたちは、イトマルの子を散らしたように路地裏に逃げていく。一人目はワカシャモ。レイザーのカマが風切る音と共に足首を切られて派手に転んだ。二人目はムウマージ。浮遊しながら逃げようとしたところを頭上から振り下ろされたカマで地面に叩き落され、頭蓋が砕けると共に緑色の血液を派手に撒き散らし、即死だ。
最初に殺されたのは、どうやらグレイシアのようだ。レイザーが身を翻して壁を走る離れ業の途中にやっと視認出来たが、本当にカミソリのような切れ味だ。4人目はヤルキモノ。足がもつれて転んだのだろうか、無様に地面に這いつくばっていたところを必死に起き上がって走り去ろうとしていたが、肩口から骨を砕きつつ肋骨の全てを切り裂かれ、倒れ伏した。
すぐさまレイザーは走り出し、最後の一人を追おうと高空へ垂直飛行したが、しばらく空を回って見て舌打ちをする。
「くっ……あと一人グレイシアがいたはずだが……追っても無駄かな……今は、それよりも」
取り逃がしたことを歯噛みし、体が二つに裂けるような気分で横たわる私の元に翔け寄った。
「大丈夫か?」
自分に襲いかかる火の粉は確実に払ってきた私は、生まれて初めて強姦される覚悟を決めた。それが、この男によって助けられた……落ち着いてみるとすごく怖くって、私は体を震わせて泣いた。そして吐いた。
レイザーが正座をして私の事を抱き抱えると、思わず震える体で擦り寄った。体温なんて対して感じないけれど、とても暖かくて頼もしい気がして、ずっとくしていたい気分に駆られる。
余りある恐怖を察したレイザーはせめて呼吸が落ち着くまで抱きしめたまま、時が流れるに身を任せた。
◇
傍らでは先ほど足の腱を切られたワカシャモが呻いていたが、俺はそれを峰打ちで黙らせている。アイリスの呼吸が落ち着いてきたところで、俺は荷物の中から水を取り出した。
ストライクが使用することを想定し、ストライクにとっての使いやすさに特化した水筒の取っ手にカマを突っ込み、水に浸した布を頬に当ててくれた。悪い事をしたつもりはなかったが、アイリスは咄嗟俺のカマに歯を突き立ててしまい、俺はは痛みに歯を食い縛った。
「あ、ご……ごめんなさい……」
は自分がまた犯されると思ったわけでは無いだろう、恐らくはただの反射行動だ。その証拠に、牙を離した顔で揺れる目はひどくおびえていて、顔を上げた時に視線が合わさると、申し訳なさそうに目を逸らした。
俺はそれにがなりたてることをせず、カマを使ってアイリスの首を自分の傷の方へ向ける。
「膝の傷……舐めてくれないか? 俺も、お前の傷を手当てさせてもらうから……傷を治療し合うんだからお互い様だろ?」
何としてでも安心させようと、俺は笑って見せる。
「……うん」
その言葉と表情でようやく警戒を解くことが出来たのか、アイリスは恐る恐るレイザーの膝に舌を這わせる。少しばかりざらついた舌が緑色の血を舐めとって、レイザーの傷口が露になる。
それでもまだ止まらない血液を、アイリスは一心不乱に舐めとる。俺が傷口を洗い流したり、オレンの実の果汁を下半身に塗っているなどで、アイリスは違和感を感じているが、それにも構う様子もない。
「もう血は出ていないぞ……まだ舐め続けるなんて、俺の血はそんなに旨かったか?」
血が止まっても舐め続けるアイリスの頭に手を添えて、俺は努めて優しく語りかける。
「結構……美味しかった」
アイリスは俺の言葉で我に帰り、舐める事を止めた。それから、少し考えて下に残る後味を反芻し、そう言った。喜ぶべきことなのかどうかはよくわからない。
「全く、ついていない。お前を助ける前に交換条件に話を聞いてもらうように交換条件でも持ち出せばよかったが……体が勝手に動いちまうわ、噛まれるわで、良いことが無い。いいことなんて……お前が助かったくらいか」
ぼやいて、俺は立ち上がる。最後に魅了するように微笑みかけたが、まだアイリスの目には大粒の涙が浮かんでいる。
「アイリス。一人で家に帰れるな……? また、落ちついたら俺の話を聞いてもらいたい」
アイリスに微笑みかけながら見降ろすと、アイリスの脚は震えていた。釣れたか……
「嫌……今日は、一人にしてほしくない……」
悲しげに甘えて、俺の膝にすり寄るアイリスに対して、腕を組んで考えたふり。
「困ったな……俺はちょっとばかし、あそこで転がっているワカシャモに用があるんだが……あいつらはね、国を侵略者から守り、街を強盗や不当な暴力から守る義務を負った教皇軍。しかもグレイシアはそれを纏める教皇貴族のはずなんだがな……
それなのに、守る立場の癖に子供を食い物にするとか許せなくてな。ったく、聖職者に武力を与えるとロクなことにならない。ちょっと、このワカシャモしょっ引いて、逃げたもう一人の居所吐かせてやる。
罪には罰を、罰には詰みを……ってな。仕方がない……俺のカマじゃ縄で縛ることも出来ないし、まずは尋問を済ませてからだな」
そうして冷たくあしらうと、アイリスは眼の色を変える。いや、目の色どころか雰囲気を根底からつくりかえた。最早、先程のポチエナとは同一の個体とは思えない……伝説のポケモン並の覇気というか、風格が漂っている。
「そうだ……もう一人。もう一人いたのよね……そうだ、私も、あのワカシャモに用がある。あと一人……母さんからもらった私の体を汚された……許せない。
奪われた、汚された、殺さなきゃ、自分の体じゃ満足できない屑が……私は、この体だけ守りたかったのに……銀貨と同じ、母さんからもらった決して失ってはいけない物だったのに」
アイリスは突然口調を変え、強く――自身でさえ歯の付け根に鈍い痛みが走るくらいに強く歯を食いしばる。ありったけの憎しみや悔しさを詰め込んだ視線は、それだけで切れてしまいそうに鋭い。するりと流れ出た涙は、塩漬けが出来そうなほど濃い。
「起きろ」
アイリスは、ワカシャモに噛みついた。峰打ちで意識が朦朧としていたワカシャモは、彼女の牙によって激痛と共に叩き起こされ、牙を振り払おうとした腕に、アイリスは顎を殴られた。曲がりなりにも格闘タイプの力が籠ったその拳は、彼女にとっては痛かったはず。痛かったはずなのに気にしている素振りもない。
「今私が噛みついたそれはね、毒々の牙。御父さんから受け継いだ、私の得意技。ねぇ、私の質問に正直に答えてくれたら、楽に死なせてあげる……はは」
「ひっ……な、何を答えろって……」
見れば、熱を帯びた噛み痕は紫色の粘液が滴り、ジンジンとした痛みへ。次いでカイリキーやヨノワールのような握力の高いポケモンから
「グレイシア……今あそこに転がっている奴じゃない方の。名前、住んでいる場所、全部……教えないと、おいしそうな所から食べるわよ?
生きたまま食べられるって痛いでしょうね……今さっき、吐いたばかりでお腹すいているから、いつでも食えるんだからね」
「楽に殺してって……結局殺すんじゃ、ギャッ!!」
的はずれな反論をするワカシャモに対し、アイリスの引っ掻きが片目をえぐり視力を奪う。爪を利用した攻撃が出来ないはずのグラエナにおいては本来ありえないことだが、その爪には確かにノーマルの力がこもっていた。
「……こうすれば楽に死にたくなるわよね? もう一個もつぶせば、もっと楽に死にたくなるんじゃない?」
眼球から染み出る透明な液体には、僅かな血液しか混ざっておらず痛みは一塩だが、これのみで死ぬことはまずあり得ない。
「話す、話す……だからもうやめてくれ」
俺はアイリスの背後で、その光景をこうまで残酷になれるのかと感心しながら見ていた。
「『やめて下さい』でしょ? 私が何をやっても犯すのをやめなかったくせに、自分が攻められる時となると態度のでかい屑が生意気な……」
トサカが、黒の軌跡と共に根元から切り離され、ワカシャモは叫び声を上げる。
「では改めて……あいつの、逃げて行ったグレイシアの居場所を吐きなさいよ」
「ど、どっちが逃げて行ったか分からないと……答えようがない」
「しょうがないわね……最初に殺された奴なんだから分かっていてもいいものだと思うけれど」
アイリスはグレイシアの生首を引きずり、ワカシャモの前に放り投げる。
氷タイプであることを差し置いても、それこそ氷のように冷たい生首を見た。恐怖は、炎タイプのワカシャモでさえ冷たくさせた。
「う、あ、ぁ……こいつはローレンハーツ家の三男だ……ってことは逃げて行ったのは二男……正真正銘教皇貴族だよ」
刹那、ワカシャモの残された目にも傷が加わる。ワカシャモが最後に見た光景はポチエナの目の色――赤い瞳と黄色の脈絡膜、つまりは白目に当たる部分だった。
「もう、女を性の道具として見るその目は必要ないわね? これでもう、相手の見た目を気にする必要が無いわ。美人でも不細工でも構わず相手に出来るわね……」
アイリスは鼻息を鳴らしてワカシャモの男を侮蔑する。ワカシャモは叫び声にかき消されて聞き取る余裕など皆無だったであろうが、それを聞いていたという事より、アイリスには侮蔑したという自己満足が必要だった。
「さて、続き続き……早くしないと、もっと痛い事しちゃうわよ」
それでも止むことのない苦痛を示唆するアイリスの言葉に、ワカシャモは痛みをこらえて言葉を紡ぐ。
「え、えっと……奴の行動パターンは……――」
恐怖に駆られたワカシャモは洗いざらい話した。
「教皇軍の集まりが近々行われるから、民兵もお偉いさんもそこに集まらなきゃいけない……何においても。だからその時に集まる、はずだ……ギャッ」
ワカシャモの右腕が傷に濡れた。
「はず? もっと確かな情報は? もっと近い時期に会える場所は?」
「ひ……うぁぅ……奴には婚約者がいて……――だから、そこら辺に待ち伏せていれば、あるいは会えるかもしれないヤァァァ!!」
ワカシャモの脇腹にアイアンテールがたたき込まれる。
「だから、かもしれないじゃないんだよ……もっともっと、いい情報たんまりよこしなさいよ。いつまでたっても死ねないわよ?
あぁ……でも、貴方は私の手によって罪を償わせた方が、地獄の業火に焼かれる心配をしなくってもいいかもしれないわね……だから、もっと色々話して」
恐らく、ワカシャモは何一つ嘘をついていないであろうことは、俺には分かっていた。しかし、アイリスを止めないのはこっちの方が自分の
ワカシャモは結局、洗いざらいの情報を話していたが、毒が廻りきったのか失血死したのか、いつの間にか息を途絶えさせていた。
アイリスがその男に対して最後にした事は捕食だった。アイリスは死体がどれだけ憎むべき相手でも、そこに死体があれば食べる。むしろ憎むべき相手だからか……は不明だが。
「レイザーも食べようよ? 美味しいよ」
俺が食べていないのを気にする余裕のある、ふだんの彼女の優しさ。そのかけらも見えない先程の冷酷さも、俺の主にとっては好み以外の何物でもない。
「これからどうするんだ……?」
アイリスの言葉に甘えることにして、俺は隣に正座し、カマを操ってワカシャモの肉を切り裂き、食しながら話しかける。
「出来ることなら、あのグレイシアを私の手で殺したい……」
「ふん……無茶を言うな。俺が体一つで強行突破してあいつを殺すのは出来ても、お前を守ってやる余裕まではない……大体、あいつはこいつら民兵と比べると天と地ほどもある鍛え方をしているぞ?
お前は強い……が、少し鍛えた程度の小娘がまともにやりあって勝てる相手ではないことは確かだ」
先走った行動をしないように小娘なんて呼んだが、そんなのとんでもない。スイクンやエンテイに悪タイプの仲間がいたならば、こんな感じなんじゃないか――と思わせる程に。覚醒した俺に長い事触れ続け、開きかけのまぶたを怒りによって覚醒させた。あとは、これをそのまま維持してやれば、近い将来悪タイプのエンテイ様が誕生する。
そんな俺の画策など知る由もなく、アイリスは続けた。
「なら、まともに戦わなければいいのよ……貴方じゃ……ストライクだから攫うのには向いていなさそうだけれど、適人がいるの。
ムクホークにね……あと、オニドリルにも、最近大麻を買うためのお金の都合が付かなくなったお客さんがいるから。大麻との交換条件に、さらってもらっちゃおうかしら……って思っているの。
ほら、レイザーよりもガシッと掴んで運び去っていくの得意そうな体しているじゃない?」
完全に気を許した表情で俺に語りかけるアイリスの顔は、可愛らしいという他ない。レイザーがそれを見て連想したのは殺意に満ちた顔ではなく、自分の妻が両親に自分たちの関係を告げ、結婚を申し出ることを決意した時の顔。
それは自信に乏しい力ない笑顔だが、どこかに芯の通った表情。
ちょっと気まずい、やりたくないことだけれど、義務を果たそうとする不思議な頼もしさを演出する顔。
アイリスの表情は、復讐というよりはそんなものを連想させた。
「好きにしろ……」
再び、こいつは思わぬ拾いものだ――と再確認しながら、俺は微笑んだ。
「それと……それが終わったら、どこかに連れて行って欲しいな。何で私をつけまわしたのか知らないけれど……確か、それが目的なのよね?
どうせ、このあと貴族に喧嘩を売っちゃったら、ここに居るのはあんまり得策じゃないし……ね、いいでしょ?」
アイリスは、レイザーによりかかるようにしてすり寄った。
どうやら、今日の一件だけでよほど気に入られてしまったらしく、気が動転していたさっきまでならいざ知らず、精神状態が落ち着いた今でも甘えようとしてくるなど、いやに積極的だ。
それどころか、前提条件がそもそもおかしい。何故精神状態を落ち着けていられるのか? それが俺には謎だが、そういうのも才能という事なのか。
「やけに落ち着いているんだな……もう怖くないのか?」
嫌なことを思い出させてしまうのを承知で、レイザーは尋ねる。
「なぁに……」
そんなのは瑣末なこと、と言いたげに軽く一言、言葉としては意味のない意気込みを挟み、
「処女は一応奪われなかったけれど、汚されてしまったことは事実。でもね……肉を食われても、骨が残っていればなんとか食いつなげる……それがグラエナの生き様なの。私が大事にしているのは……私の骨は、まだこの銀貨として残っている」
アイリスは言いながら首を前に倒し、首輪に取り付けられた革袋を置く。
その中には大量の銀貨が入っており、数枚の銀貨に混ざってそこに入っていたさらに小さな革袋。その中の銀貨を口に咥えて指し示す。
「私、母さんから貰った純潔を奪われた……けれどね、まだ母さんからもらった愛情が消えている訳じゃないの。それが、この銀貨。母さんが小さな傷を付けているのが目印なの……
母さんが死んでから一人で生きていくのは辛かったけれど、この銀貨は一回も使っていないし、むしろ銀貨を5枚中身を増やしたくらい。私も子供におんなじことをするつもりだった……何か形としてこうやって残すってね。
それに……貴方がまた……いや、貴方からならまた、子供に戻って愛をもらうのも悪くないかな? って……思ってね。不思議……こんな気持ち母さん以来だ。だから……貴方なら母さんの代わりになれるかなって……」
ポチエナやグラエナは大して鋭くない爪の癖に。攻撃するのが得意だと思ったら……俺が先程から感じていた疑問は、この言葉で納得出来た。もともと、爪を使用した技が使えないはずの彼女が繰り出す鋭い引っ掻き攻撃は、きっと母親に対する恩から来たもので、恩返しと呼ばれる技の表し方の一つなのだと、俺は納得する。
「私……今日の事本当に悔しい。けれど、貴方がいてくれて本当に嬉しい……一瞬で、そう感じてしまった」
底抜けに切り替えの早いアイリスの精神状態に、レイザー翅が逆立つのを感じる。やれやれ、また自分の子供が増えるのか。内心困惑と嬉しさを織り交ぜながら、どうしようもない照れまでも交えてしまい、俺は言葉がでなくなる。
「俺には、妻も子もいるんだがな……」
やっとのことで絞り出したその言葉は、アイリスをひるませることはない。
「それでも、出来ることはあるでしょ? どうしようもない時でいいから……私を守ってね」
「……わかった。存分に連れまわしてやるよ」
血濡れの二人は、アイリスの強引な告白で、寄り添い合わされた。
これが、とある少女が女王に目覚めるまでの経緯。
快晴が空を支配していた。雲はひれ伏すことすら許されず、太陽光が地面に突き刺さる。
氷タイプでありながら彼は、寒くもないのに彼は、震えていた。路地裏に残された秘密のパトロール仲間は全員が肉塊にされていたようで、いつ自分もまた、ああなることか分からない。
まさか、復讐に来ることなどありえないと思いながらも、見事なまでにすっぱりと首を切断したあのレイザーならばあるいは可能かもしれないと。
死体は誰にともなく喰われるために痕跡が残らず、そのせいで最近生まれた都市伝説でしかなかった『首狩りストライク』が実在するという事が、彼の中では証明されてしまったから、その恐怖は察するに余りある。
そもそも、教皇貴族であるグレイシアを殺す奴なんていないはずだった。そんな事をすれば、地獄へ落ちる。だが、弟は無残に殺されて、しかも喰われた。この時点で非常識そのものだ。
だから、私は街を保安する立場などそっちのけで(もともと守るつもりもなかったようだが)ひきこもって震えていた。
しかしそれも限界だ。近々行われる聖地巡礼の警護という、どうしても代えの利かない用事がある以上、姿を現さなくてはならない。姿を現さなければ、臆病者や不信心の烙印を押されてストライクの有無にかかわらず外を歩けない。
身の安全のために、ギャロップの従者どもに引かせる馬車にて移動するつもりだが……それで大丈夫なのだろうか?
館を出たとたん、甲高い風切る音。口笛のように口ずさまれた鳴き声と共に灰色の影。ムクホークが
安全性を重視する以上、よほどのことでもない限り空の旅をする貴族はいない。ギャロップの従者などに大荷物を持たせて巡礼に向かう人々を守るのが仕事だ。
身の回りの世話自体も、腕のあるポケモンの方が便利だからと、飛べるポケモン――いわゆる翼のあるポケモンを小間使いに配置する者は少ない。第一、従者は攫われることを見越して雇われている者など、普通はいない。それが誤算だった。つまり、私を助けられる者は、館にはいない。
◇
「驚いた……
快晴の空の
『まともに戦わなければいいのよ』とは言ったが、本当にまともに戦っていない。あれなら、アイリスが本当に小娘だったとしてもなんとか出来たかもしれない。
だがアイリスが三人を仲間に引き入れられたのは、ただ麻薬によるものだけでは無い。彼女がただの小娘では絶対に不可能なことであったろう。ムクホーク達がアイリスに対し不平を申し立てた時、彼らを足蹴にした上で、『私に従えないような奴に、
しかし不思議なことに、足蹴にされた者たちは悪い顔はせず、むしろ麻薬のそれに近い高揚感を以ってアイリスに従っていた。麻薬に精神をやられてそうなっていたのかと思ったが、俺が妻に同じことをされて喜んだ自分の経験を思えば、それは不思議な出来事じゃあない。
アイリスが見せた、その尊大な態度は、かつて雌が群れを治めていたというグラエナの頂点にふさわしい風格だ。まさに女王という言葉がふさわしいものだ。
あの日から二日たたないうちに、アイリスは、進化が所構わず起こらないこの世界で安全な進化が可能な場所である進化の領域を訪れ、グラエナへと進化した。
それ以降アイリスは、退廃的な快楽に身を堕とし、薬物の虜になった者たちをムクホーク、オニドリルに加え、チルタリスの計3人口説き堕とし、日替わりで監視させた。
勧誘する時、その背中には、自分の稼いだ銀貨と、俺の心ばかりの小遣いで購入した大麻をどっさりと背負いながら。
ただ普通に殺し屋を雇うよりも、なんとも安上がりに皆その魅力に飛び付いた。ムクホークは後先を考えない突撃が出来る以上、保身に走る殺し屋よりかはよっぽどスマートにさらってくれた。
「さぁ、追いかけなきゃ……」
グレイシアがさっきまでいた富裕層の住む場所から、貧困層の住む場所へ行き、さらにそのはずれ、入り組んだ路地裏の少しばかり開けた場所に、アイリスは待ち合わせ場所を指定していた。
グレイシアは、飛行能力もなければ安全に着地するための
ただ、ずっと旋回飛行しているのもムクホークには酷だろうと、アイリスはもう一人雇っておいたチルタリスに乗って待ち合わせ場所に急ぐ。
「さて、俺も行くかな」
レイザーは、アイリスが翔るチルタリスに少し遅れる形で空へと飛び立った。
「あぁ、もう終わっているのか」
一般的に飛行能力の低いストライクであるレイザーは、飛行能力で勝るチルタリスを必死で追いかけた。追い着いた頃には、すでに死んでいるのではないかという傷を負った状態で横たわるグレイシアを見てそう言った。
「まだまだ……」
すでに、眼球、睾丸、四肢が傷つけられておりこれ以上どこを傷つければいいのか分からない。そんな見た目にさせておいて『まだ』と言いながら、アイリスはひたすら
本来グラエナはいたぶるのが得意だ。かつて、子供の狩りの練習に行かさず殺さずの傷を与える習慣が、それを成長させたと言われている。
「私が初めてじゃないのよね……たくさんの女の子を食い物にしてきたのよね。このグレイシアは……なんて、不潔で、汚くて、穢れていて……」
アイリスが行っているのはアイアンテールという技だった。かなり威力は弱めているようだが、すでに傷つける場所のないような体へ延々とボディーブローされているのだ。
まず、体よりも心がやられる。その証拠に、叫び声とうめき声だけ上げて、痛いの言葉一つ出すことも出来ない。
「貴方は痛いよね? 私も痛かったし辛かったのに、なんで、それを自分がやられた時はそんなに嫌がるのかな? 自分がいやな事は人のやっちゃダメってお母さんから教わらなかったの?
第一、あぁ言う事するなら……恐怖なんて感じているんじゃないの。だって、こうなることが分かっていて、ああいう事するんでしょ? なら、予定通りじゃない。因果応報って言葉を知っている?」
もはや、グレイシアから答える声はない。まだ息はあるようだが反応のないソレに興味を無くしたアイリスはわき腹の肉をおもむろに食べた。
「あぁ、みんなもどう? 貴族の肉なんてめったなことじゃ食べられないわよ……こんなの独り占めしたら、罰が当たっちゃう」
成功報酬の一部なのだろう、皿に乗せた大麻の葉から立ち上る煙を浴びて恍惚とした気分になっているチルタリスとムクホーク、そして俺に語りかける。
「ん……お言葉に甘えるとするよ」
今の今まで傍観していた俺のカマが血に染まる。隣で嬉々として肉を食み、赤く染まるアイリスの顔は、惹かれるほどに美しかった。
「罪には罰を、罰には詰みを……異端審問で数々の
オーギュスト=ローレンハーツ=グレイシア。チェックメイトは意外とあっけなかったな」
滴る赤い血を拭いながら、俺はグレイシアを見下ろした。
翌日、約束通り俺はアイリスを連れまわすことにした。グレイシアを喰い殺したその日の内にすにおいていたすべての骨をアイリスのお得意さんに託し、そうして得た金で旅支度を終え、今は街道を外れた道なき道を仲良く歩いている。
「しっかし……なぁ。男を足蹴にして従わせるなんて……お前はビークインか?」
「うん……でも、母さんがそんな感じだったから……真似してみたから以外と上手くいったのかも」
なるほど、子供は親の背中を見て育つとはよく言ったものだ。
「あぁ、そうか……アイリス、お前はきっと……虫の目覚めるパワーを持った女王なんだな」
「なぁに、それ?」
「女の子が……男全員と、格下の女を魅了するための魅力……『女王』を最も効率的に発揮できる、目覚めるパワーのタイプさ。普通は女しか有効に使えない魅力だよ。男に対して格上の女ってのが少ない物でね」
「ふぅん……目覚めの力っていうのが、よく意味が分からないけれど……何だか私にぴったりね」
「あぁ……ぴったりだ」
『女王』の魅力は、悪タイプの魅力である『君臨』を平伏させる魅力。
歴史を動かしてきたのは権力者の影に居た女ということか。しかし、目覚めのタイプは体のタイプと同じく得意な力でしかない。魅力という名の目覚めの力もまた然りだから、虫タイプ以外の目覚めるパワーもなにがしか影響を与えていることは間違いないであろう。
例えば『女王』他にも、悪タイプの『捕食』に強く覚醒している。悪タイプ版のギガドレインみたいな『食べる』とでも名付けるべき技が使えるのかと最初は思っていたが、どうやら少し違う。
むしろ、レジギガスの使う『サクリファイス』と呼ばれる技*3を、敵を喰うことでも発動するという反則的な物に近い。そんな印象を抱かせた。
ともすればアイリスは、育てればレジギガスに匹敵する非常識を体現するポケモンになれるかもしれない。
さらに言えば、気を許せる者と久方ぶりに話すことが余程うれしいのか、どんな発言にも嬉しそうに微笑み返すアイリスはきっと、『女王』の目覚めの力以外にも、一途な恋に対して効力を発揮する飛行タイプの魅力『おしどり』にも精通しているのだろう。
なら、答えは一つ。とにかく、妻子持ちの自分にその恋が向かないように、ただただ祈って他の相手を見つけてもらうまでだ。悪い女ではないのだけれど、やっぱり妻には敵わない。
「そうそう、こっちでは普通に行われていることだが、あっちじゃ死体が転がっていても食べちゃ駄目だぞ? 大体死体が転がっていること自体稀だけれど……」
「えぇ!? それなら何を食べればいいの?」
常識のギャップというのは恐ろしいものだ。俺が住んでいるところでそんなことをやっていたら奇人として見られてしまうだろう。
そもそも、レイザーが言うように死体はそこら辺には転がっていない。
「何を……か。なんでもさ……あっちは、食糧が豊富で素晴らしいところだから。あの、グミっていう食べ物だって仕事が良ければいくらでも食べられるぞ」
「ふぅん……だから、レイザーって優しいの? 私は、素晴らしい母さんの元で育ったからいい子なんだってみんなが言うけれど……やっぱり違う。
母さんはね……思いやりは胃袋にあるって教えてくれたんだ。腹が減っている時は思いやりも減って腹が満ちていれば思いやりも満ちるって……」
子供のような純粋な問いかけに、俺は戸惑う。
「でも、お前は腹がいっぱいな時でも手を出してきた奴を殺すことがあったじゃないか?」
「そう言う時、昔の人はありがたい言葉を残してくれたわ……『反吐が出る』って。喩えだけれど、それは胃袋がスカスカになったのと同じ意味。レイザーは私のためにそうしてくれたんだよね……反吐を出して、怒ってくれたんだよね」
「ま、まぁ……」
照れながら、俺は曖昧な返事をするしかなく、アイリスの「ふぅん」という言葉を皮切りに会話が途切れる。それでも、アイリスは沈黙を楽しんでいた。何を話しかければどんな反応をするだろう? などと考えるのが楽しくてたまらない様子だ。
この沈黙はまずい。と、俺は先延ばしにしようと思っていた話題を、前倒しする。
「なぁ、アイリス……これから、お前は俺の子供って言う事でイイか? 母親がお前を愛したように、俺もお前を愛したいから……」
「う~ん……あぁ、そう言う事。もちろん……大歓迎!」
母親がそうしたように、と念を押したが、絶対に聞こえていないというか意味が分かっていないのだろう。恋する乙女の目をしたアイリスには、自分の妻子持ちという事実は意味を為さないようだ。
つまり、アイリスのことを女性としては愛せないという意味を分かってもらっていない。
まぁ、それはおいおい理解させればイイと、俺ははにかんだ。
「それじゃあな……お前の名前はこれから……
「え~っ……」
母さんからもらった名前を捨てるなんて嫌だ――などと口にしながらも、その日アイリスはきっちりとシリアとなる。その夜のシリアは、レイザーの胸へ嬉しそうに頬ずりをして添い寝していた。
◇
そして、数ヶ月後……場所を移し、スイクンタウンにて。
「女を食い物にするとは……同じ女として許せないのさ」
私は、スイクンタウンの町はずれで、どこかのキルリアと似たような口調でゴロツキに吠えた。人数はあの時と同じ5人。
押さえつけられているアーマルドの女性はまだ行為には至られていないようだが、
ただし今回、見過すことが出来なかった人物は彼女だけでは無いようだった。
「お譲さん……気持ちは分かるけれど、下がっててよ。タイプ相性は俺のほうが良い見たいだし、俺が奴らの相手してやるからさ」
後ろからそう語りかけてきたのは、如何にも自信ありげに私に微笑みかけるキノガッサだった。
「おい、お前ら。この俺があいて…えぇぇぇぇぇぇ!?」
キノガッサが悪人を指差しながら言った言葉などまるで無視して、私は前脚を軸にブーメランのような回転をしながら放ったアイアンテールが、カイロスの兄弟なのだろうか、そのうちの一人の側頭部左に当たる。
そのカイロスの頭の鋏を足掛かりに、倒れる勢いを加速させながら、自身は勢い倒れる方向と逆方向へ飛びかかり、前脚で近くにいたもう一人のカイロスを押さえつけ、燃える牙で頭頂部に噛み跡を付ける。
「ちょ、待ってよグラエナのお嬢さん。一人で戦うの危険!!」
とりあえず、何をするべきか悟ったキノガッサは岩の波導を槍状に形成させ、ウツボットへ腕の力で投げつけることで早々に仕留める。格闘技も草術も通じないウツボットに唯一有効なストーンエッジと呼ばれる技だ。
「トドメ!」
そんなことをしているうちに、私はダーテングへ虫タイプの目覚めるパワーを全身に浴びせてノックアウトさせる。実のところ一撃で倒しているため、『トドメ』と叫ぶのには少々違和感が感じられるが、恐らく気分の問題であろう。
とにもかくにも残るはあと一人。二人は残った一人であるメガニウムを睨む。
「くるな、来るんじゃねぇ……この女がどうなっても」
「いいのさ。私は女の子がどうこうじゃなくって、貴方達をお仕置きしたいだけなのさ。でも、傷つける子に対してはお仕置きじゃ済まないかもね。
例えば食べるとか」
アーマルドの女性を人質にするメガニウムのお決まりの文句に対し、あらかじめ決めていた文句を、気持ち良いくらい完璧なタイミングで言い放ち、言葉を遮る。
そして、平然と私は近づいた。効果音を擬音化するならば、スタスタスタというのが最もふさわしい。断じて、地面を素早く蹴るダンッでも、風切るシュバッでもないその近づき方は、絶対の自信を持つ女王然としている。
「
十分に間合いを詰めてから牙を剥き出して叫んだ威嚇の言葉は、ただの唸り声ともつかない音になる。しかし、それでいて逃げなければいけないという、生存本能を呼び起こすには十分すぎた。
彼女が繰り出した技は、恩返し。恩を感じる者を脳裏に思い浮かべながら、その感謝の思いを力に変えるその技。彼女はそれを引っ掻きという形で技に表現した。
ポチエナの頃、母親だけが対象であった恩を感じる者の数を、数カ月の間に何倍にも増やし、その迅さも格段に増した。それは進化によるものよりも恩の強さによるものが大きいくらいだ。
空を薙ぐ音。傷口からは血があふれているのに、血液一つ付着していない爪。それほどに迅い。終わってから痛みに気が付いて、メガニウムは蔓で縛っていたアーマルドを付き離して、切り裂かれた右前足以外の三本脚で逃げようとした。
そして、逃げようとして出来ない。私によって右脚は前も後ろも切り裂かれ、メガニウムは右半身を下にして倒れた。
「さて、何処から食べちゃおうかしらね……」
クスリと冷たく笑い、私は横たわるメガニウムの頭部についた触覚を一舐めし、噛み千切る。
途端に上がった叫び声など何処吹く風で、私は蜜の詰まった甘い味のする触角を咀嚼した。
「女王は
冷たい笑顔を見せながら、血濡れの顎を舐め回して血糊を拭うと、すっかりキノガッサに甘えているアーマルドのほうへ振り返る。
「あ、ありがとうござい……ます」
どうやら、アーマルドの女性にとっては私も恐怖の対象であるらしく、オドオドとした表情でお礼を言う姿は、助けた私としては後味が悪い。
「む……どう致しまして。……と、そうね、そっちのキノガッサさん?」
助けてやったのにその態度はなんだ? と言う文句は、やり過ぎた自分にも非があるからと諦めて、私はキノガッサのほうを向く。
「ん、俺?」
「ほかに誰もいないでしょ? 出来ることなら、その女性を家まで送ってもらえないかしら?
私はちょっぴりこいつらにお仕置きしているのさ……それで、御仕置きが終わったら……後で話でもしないかしら?」
「ん……いいけれど。お嬢さんは、それで構わない?」
キノガッサが訪ねると、アーマルドはコクリと頷いた。
「え、えと……じゃあ送ってくるよ。御仕置き、頑張ってね……」
メガニウムノ女性を食べると言って本当に食べた、有言実行の塊な私。そんな私の御仕置きがどんなものか、良い意味でも悪い意味でも気になるらしく、少しばかり名残惜しそうにアーマルドを連れて行った。
そうして、一人で自由に出来る状態になった私は腐った魚のような目を5人組に向ける。
「くははははは……こっちは女尊男卑を謳いたいところなのに、我慢して男女平等を謳ってやっているのに……お前らときたら男尊女卑の極みである強姦とは小賢しい」
まるで多重人格のように私の口調が変わる。さっきまで、同じ街に住むキルリアと同じようなしゃべり方をしていたのも忘れて、素の喋り方に戻っている。
そして、笑い声は狂ったように周囲に響いている。
「男尊女卑なんぞ糞喰らえだって事は、女尊男卑の状況にしてやって教えてやらなきゃ伝わらないなんて馬鹿な野郎などもね。
いいか? 男なんぞ、女に従うために存在しているんだよ*5。腐れた男が女を無理矢理犯すなんぞ、愚の骨頂に他ならないわ。
てめぇらは、これから体毛一本女の体に触れることすらおこがましいわ……だから、永遠に男とヤっているんだな……」
私はメガニウムに唾を吐きかけ、全員に対し一度鼻で笑う。笑い声はとにかくやかましい。
「だから、今すぐに、隣に居る男と、ヤれ。メガニウムのほうは足腰立たなそうだから免除してあげるわ……さぁ、早く。
そっちのメガニウムのお兄さんみたくなりたいのなら別よ。私、お腹一杯じゃないから皆の体のいろんなところを食べられるのよ♪」
私はウフフと、おてんばなお嬢様のように笑った。
「や、やるって……?」
カイロスの言葉にシリアは笑った。狂ったように笑って、恐らくその笑いは半分以上が演技だったのだろう、ピタリと止める。
「棒を穴に突っ込めばいいだけだろうがよ? そうか、男同士だと本来性交はしない場所だから、ほぐす必要があるわね……だったらコレ、ふかいなはい」
シリアはメガニウムの触角をもう一本噛み千切り、血と蜜の滴るそれを男達に差し出す。メガニウムの叫び声などどこ吹く風だ。
「さあ、やれ。それともここじゃ人が来るかもしれないからやり辛いかしら? そうよね、ここは女性を連れさろうとした場所であって、行為を行おうとした場所じゃないんだから」
……数十分後
「あれ~……? さっきのグラエナいないなぁ……」
女性を家の近くまで送り届けてさっきシリアと出会った場所に戻ってきても、そこにはシリアの姿は無かった。
「あら……血で文字が……どういう趣味しているんだあのグラエナ」
見てみれば、地面にメガニウムの鮮血で書かれたのであろう、地面には文字が書いてある。
キノガッサと言う種族柄、生まれ持っての打撃攻撃の強力さゆえにめったに使わない波導の強さに依存する攻撃――エナジーボールを明かり代わりにして、キノガッサはその文字を見る。
「血痕を辿って行け……って本当にどういう趣味を……」
仕方なくキノガッサが血痕を辿って行ってみれば、そこで繰り広げられていたのはなんというかその……一種の芸というかゲイ*6が繰り広げられている。
ゲイの渦中にいる者は、全員苦痛に満ちた顔をしている。唯一、脚を二本傷付けられたメガニウムだけは休んでいるが、その顔は穏やかでは無い上に、二本あった触角が一本もない。
「うぇ……な、な、な、何をやって……趣味悪っ!」
男色の趣味も耐性もまるでないのか、思わずこみ上げる吐き気をこらえながら、キノガッサは戦いの光景を満足そうに見つめている私に話しかける。
「あ、嬉しい……来てくれたのね。あぁ、これ? これは『女を食い物にしないで自分たちで食い合えばいいじゃない?』ってことで、ちょっとばかしせいしをかける戦い*7に興じてもらおうかとおもったのさ……
ほら、これでこっちの方向に目覚めてくれればもう女性を襲う必要もないでしょ? だから……ちょっとばかし私に本来の意味で食われるか、自分たちで食い合うかどっちがいいかって聞いたらこんな事になったのさ……ね?」
私は、口調を元に戻してキノガッサに笑いかける。最後の一言には、殺気に近い怖気を含ませて、ゲイ……もとい、せいしをかける戦いの渦中にいる者たちに語りかける。
渦中にいるものたちは、全員が電撃を食らったように体を震わせ、肯定の意を持った返事を思い思いにを返した。
それを聞いた私は、体を捩るようにしながら大いに笑った。
「まぁ……もう二度と女性を襲いたくもなくなるよね……うん。こんな目にあうんじゃ……てか、気分悪い……俺もう、帰る……おぇ」
その笑いに気圧されながらも、なんとかエリンギはコメントをする。言葉にたがわず気分は悪そうだ。
「まって、私も一緒に行くのさ……ちょっと話したいこともあるし」
「ん……あ、あぁ。俺にああいう事はさせないよね?」
もちろん――とばかりにシリアはキノガッサへ笑顔を見せる。
「ふふ、当たり前じゃない。女の子に優しい男の子は大好きよ。と、その前にちょっといいかしら?」
シリアは、せいしをかける戦いの渦中にいる者たちを睨み、腐った魚のような目で冷たい笑みと乾いた笑い声を浮かべる。
「貴方たち、今後一切女に触れる事はしちゃダメよ? これから一生男を相手に快感を得て楽しむこと……いいわね?」
なにやら、とてつもなく理不尽な要求を振りかざす私に対して、男たちは素直に頷くことしかできなかった。キノガッサは、呆然としながらせいしをかける戦いから目を逸らしている。
「さ、行きましょ……貴方の向かう先が私の家の帰り道とは逆の方向でも、付き合うわ」
そういってシリアはキノガッサの隣に並んで歩き、自分がせいしをかける戦いに巻き込んだ者たちを放置した。こうして放っておかれたら、どのようなタイミングで行為をやめ、行為をやめた後に彼らは仲間にどんな顔をすればいいのやら。
それもまた、私なりの罰の与え方なのだ。
「……あんなの見て、よく気分悪くならないね?」
しばらく並んで歩いて、キノガッサはシリアを見下ろしながら尋ねる。
「グラエナは、女の子の
グラエナ同士が愛し合っているところを遠目に見てもね、男同士に見えなくもないのよね……まぁ、結合している時はそうでもないのだけれど。
兎に角、自分の体を見ても……女の子だって言うのについているわけだから、男同士でも気にならないのさ。納得した?」
私の股間には確かに雄のそれと見紛うばかりの逸物が付いていて、やはり遠目に見れば男としか思えない。目の前で行われていた行為に対して、肥大化しているわけでもなく平然としたたたずまいであることから、男性同士の性交に興奮を覚える
「俺は……ノンケだから男はダメ……対象外だよ」
「そう。それにしても……あなたみたいに誠実でたくましい人ばかりなら、女尊男卑にしたいなんて思わないのに……まったく、あいつらときたら、けしからんのさ」
「誠実でたくましいですか……どうも」
楽しそうに話す私とは裏腹に、キノガッサはやはり吐き気に近い感覚と格闘している。
「そだ、私はこんなくだらないことを話すために一緒に歩きたいって思ったわけじゃないんだ……。私の名前はシリア。
貴方の名前は?」
「……エリンギ」
突然名前を尋ねられ、少し戸惑い気にキノガッサ――エリンギは答える。
「そう、エリンギ君ね。エリンギ君……」
シリアは、エリンギを見上げ、潤んだ目と上目遣いを駆使しながら暑い時、体温を下げるかの様な口を開き方で笑顔を見せる。
「私と、自警団をやらないかしら?」
カードゲームを終えた*8俺達は、夜に自警団の活動をするか否かで揉めていた。
「自警団って……何故俺がそんな事をやらなきゃならないんだキール?」
キールの突拍子も無い提案に、アサは出来うる限りの疑問を以って訪ね返す。
「何でも何も……君ってまだ仕事も決まっていないわけだし、やること無いんだから街の為に働くくらいいいじゃないのさ。どうせ暇なんでしょ?」
「暇じゃないってば。早くこの世界の文字を読めるように勉強を頑張らなきゃならないし、お前の家にある本だけでも読んでおいて歴史を学ばないと……」
「お堅いなぁ。いいじゃ~ん……それとも僕と一緒にいるの嫌だっていうの? 気分転換だってたまには必要だよ?」
年甲斐も無く俺の腕を取って甘えるキールは子供同然の抗い難い可愛らしさがある。キールは、カードゲームの最中サーナイトになるかエルレイドになるかで悩んでいると言っていたが、実は甘え上手なほうがいいという理由で
最も、勘繰った所でキールの場合は最初から感情を見て何かしら言われることがあるのが分かるのだろうから、ひたすらはぐらかすか、若しくは馬鹿正直に肯定するかのどちらかだろう。性質が悪い……
そして、これまで進化に関する質問をした時に何も答えなかったところを見ると、はぐらかすことは目に見えている。とても大人には見えないキールのこの振る舞いは、魅力として捉えてよいのであろうか?――などと、俺はキールの認識を悩む。
「でも、嫌かどうかって聞かれたら……微妙だな。まぁ、確かにやる事も無いし……気分転換なら」
どれだけ否定しても、わすかに感情の中に肯定の心があったりもする。そういう時には、キールはどんなことがあっても折れないだろう。それを察知して、俺は不本意ながら折れた。
自分は少しばかり考える時間が欲しいというのに、間髪いれずにせがまれ、しかも甘えるという
「やったぁ……ありがとう♪」
キールはさらに、アサの手を取って頬擦りをする。子供でもここまでストレートに感情をあらわしたりはしないだろう。性質が悪すぎる。
キルリアは楽しい気分になると踊り始めると言うが、俗説に違わないキールの踊るような振る舞いは、慣れていない者に対して良い意味での精神的なダメージが大きい。俺は思わずヒゲが逆立ちそうな衝撃を受けて、顔面を上気させ、キールが握っている手とは逆の手に握られているスプーンは、興奮したせいか酷い曲がりようである。
可愛い――という感情なってしまえば、最早キールのペースである。アサは、為すすべなくキールに腕を引っ張られるがままに自警団の集会場へと連れていかれた。
キールに強引に誘われた自警団の集会場は、ギルドの前方にある広場らしい。その広場は、月齢に合わせて本数が上下する
そこには、夜食や酒を販売している店があり、毎日繁盛しているらしい。ただ、広場の管理者はレイザー所長ではないそうで、割高な場所代を取られるそうである。
そんなものが管理人をやっている以上、許可なしに店を出せばたとえ健全な商売をしていようと(勝手に出している時点で健全ではないが)、血を見ることになっても文句は言えず、競争へ参加すること自体難しいとされている。
競争への参加条件が厳しい以上、必然的に店の数は減り、数少ない店が寡占状態となってさらなる金を生み出す。
そのためこの広場に店を出せるというのは一種のステイタスである。
その安全性や、広場の和気藹々とした雰囲気。活力が集まるこの土地には笑顔があふれている。明るい感情をサイコパワーの
夏というこの季節、地図上では高緯度に属するこの町の日照時間はきわめて長い。午後2時以降はずっと夕暮れが続いているといったような執着心の強い太陽は今、九時二十分を指す時となってようやく力尽きる前兆を見せ始めている。
夜の帳は徐々にその勢力を広めて東より迫ってくる。篝火がその闇の中役目を悟るように次々と点火させられ、月を称えて踊る時間が到来する。
「で、具体的に俺たちはどういう活動をすればよいのかな?」
俺は出店で購入したトウモロコシを、ほおばりながら尋ねる。
「それはねぇ……妹が説明してくれるのさ。ギルドの時計台が9時半を指したら集会が始まるから……その前に『庶民の味方』を買っておかなきゃ……」
「庶民の味方……さっき使っていたお酒か? それって正式名称は?」
そう聞いたアサの顔を見て、キールは小さく笑う。
「フフッ……それが正式名称だよ。トウモロコシを噛んで唾液と混ぜて作るんだ。
そのまま日陰において、いても完成するけれど、さっき僕が使ったのは、アルコールの濃度が高まってきたら、蒸留してさらに濃度を高めたもの。
あれは消毒に火攻めに……いろいろ役に立つでしょ? だから、一本持っていないと……落ち着かないのさ」
キールの言葉に、今度はアサが逆に笑った。
「コラコラ、お酒を火攻めに使うな! お酒の正しい使い方は『飲む』ことだぞ!?」
「痛いところつくねぇ……僕がお酒を飲むと、たまに自制心が聞かなくなってちょっとばかし危ない事になっちゃうのさ……それでもいいのならば『お酒の正しい使い方』が出来るけど?」
「いや、ならいい……絶対飲むな」
何のけなしに、他人事のようにキールが言うと、予想される惨状にアサは顔をしかめる。
「『飲むなよ』……ね? 大丈夫、僕はもとよりそのつもりなのさ。僕って暴走すると『恐怖なんて感じているんじゃないのさ!』とか、『
「キール君はずいぶんな問題児だな……」
「いいじゃないのさ、欠点も美点も全部含めてそれが僕なのさ。その分他のところで役立てばいいでしょ?」
なんて言いながら、キールは俺の腕にすり寄る。自分の全神経が抱きつかれた腕に集中するのを感じて、俺は思わず肩をすくめた。
「ま、それは違いないな。俺を助けてくれたりとか……でも、やっぱり問題児のような……」
そんなとりとめのない会話をしながら、広場の草地に腰かけていた俺達だが、やがて時計の針が九時二十七分をさしたところで、集会の目印である噴水の元へと向かう事になる。
噴水の周りには首にスカーフを巻いた数人の団員らしき者と、噴水の淵に上ってお座りの体制でたたずむ美しいグラエナが見える。
遠く離れているせいか、匂いでは雄か雌化の判別が出来ない。もっとも簡単に性別の判断が効く、頼りの生殖器も、グラエナはクリトリスが他のポケモンと比べて大きく、雄か雌かの判別がつきづらい。
要するに容姿も生殖器も中性的な見た目なのだ。
「シリアってば……相変わらず偉そうにしちゃって。」
「シリア……あのグラエナか? そういえば、妹って言っていたか……」
キールはアサの方をちらっと見てうなずく。その首にいつの間にか取り出したスカーフを捲いている。
「うん、僕の妹なのさ。もちろん血は繋がっていないけどね。すごいよ~~シリアは。何と自警団を設立したのは彼女ともう一人キノガッサの青年なのさ! はじめは雌が指揮を取るのは気に食わない雄も多かったけど、グラエナって雌の方が強いし太古の昔は雌が狩りの主役でしょ?
そこいらの雄より圧倒的に強いから、雌が指揮することに反論するような器の小さい雑魚はだ~れも逆らえなくなっちゃったのさ。この前、盗賊狩りのときに盗賊二十人相手にして勝ってたし……うんうん、僕の妹ながら鼻が高いのさ」
まるで自分の事のように妹(どう見ても血が繋がっていないが)を自慢するキールは誇らしげだ。
「強さが桁外れだな……」
キールの姿に気が付いて、かなり前からこちらを見ていたシリアとやらは、こちらがある程度近付いてきたのを確認すると噴水から降り立つ。
上半身を振り上げながら走るようなグラエナ特有の個性的な足取りでふわりふわりと、弾むように二人の下までたどり着くと、キールを見下ろしアサを見上げた。
「キール。今日も来てくれるとは助かるのさ。あなたがいれば1km先の助けも感じ取れるものね」
仲の良い姉妹なのだろうか、キールに対して軽く微笑みかける様はとても自然な笑みで、彼女の美しさを際立たせている。
「で、その隣の子はなにさ。新しい団員かしら?」
そして、目に付くというか耳につくのはキールの妹というだけあってか、しゃべり方が似ていること。にているというよりほぼ同じだ。彼女は喋り方まで中性的とは言わないが、大きな体格ゆえかその声は低く、やはりどちらかというと男性的な印象が強い。男に見紛うという辺りなんだか親近感が湧く……か。でも、どちらが美しいかでいえば天と地だけど……はぁ……
フーディンと言う種族のヒゲが俺にとってはコンプレックスなのだが、切ればそれはそれで容姿が悪化するために切れないジレンマがある。
近くで見ればそこまで悪い顔でもないのだが、先入観や第一印象の悪さは、俺にとって負担である。そんな事を考えながら、一目で美しい相手との対比をしていると少々欝になる。
キールがそれを感じ取っていないはずはないだろう、頭の角を弄っていた。
「いや、俺は新しい団員というわけではなくって強引に連れてきただけ」
そのためか、口調は不自然に明るい。
「そういうこと……。今日はキールに連れられて体験程度にってことだ」
キールの言葉に相槌を打ち、入るかどうかは決めていないことを強調する。もし、自分に合いそうに無い集団で。それに強制的に入れられてしまったらたまったものではない。いつでもやめられるように、適当に様子を見なくては。
「ふ~ん……」
俺に近づき、おもむろに体中を嗅ぎまわるシリア。足から始まり、股間、尻尾、手、後ろ脚で立ちあがって口のまわりの匂いも嗅がれる。俺もキールの妹という発言からシリアは女性と分かっていたが、間近で嗅いだ匂いで、ようやくシリアが女性であることが納得できる。
「匂いは悪くないのさ……いい暮らしをしている証拠かしら? まだ団員になるかは決めかねているようだけど……ま、気に入ってくれたら……ね」
そういってシリアは周りを見渡す。
「さて、みんな集まっているみたいだし、自己紹介してちょうだい」
「名前は……アサ。種族はユンゲラーで性別は雌。っと……まだ入るかどうかは決めかねているが、よろしく」
その自己紹介の後の反応は様々なもので……モルフォンの男性がにこやかに話しかけたかと思えば、女が入ることを喜んでもタマゴグループについて口にアリアドスもいる。
この自警団の特徴なのか、ほぼ全員が強者の気配を漂わせている。その中で、一際異彩を放っていたのが3人。シリアやキールと合わせて5人いた。
「よう、アサ様って言うのかい? 俺様はフリック。これからよろしくってやつだな」
化粧の仕方一つで男にも女にも大人にも子供にもなれそうな、美しさの理想形のような顔立ちと、変わった口調が特徴な、ミミロップの美青年。
「嬉しいね、最近は自分の身を自分で守れるたくましい女の子も多くなっているんだね。俺は、エリンギって言うんだ。この自警団を立ち上げた二人の内の一人なんだ、よろしくね」
人懐っこい笑顔を見せながら、控えめにお辞儀をするキノガッサの男性。まぁ、こいつの強さはそれなりと言ったところか。
「私はこの自警団の数少ない女性隊員の一人、リムルよ。普段はこっちのフリックと一緒に便利屋ギルドでお仕事してるの。同じ女性としてよろしくね」
結構大柄のポケモンで、見上げる高さの背があるギャロップの女性。この三人がかなり異質な強さを感じる。
「キール……あいつとあいつとあいつ……」
俺は、エリンギ、フリック、リムルを指差した。
「うん、いい目をしているねアサ。見た目の通り強いよ。といっても、ここの団員のほとんどはギルドメンバーだからさ、みんなそれなりに強いっちゃ強いんだけれどね……あの三人はその中でも別格って言うのかな?」
俺の言いたいことを察してか、ほぼ求めていた答えを、問を言い終える前にキールは返す。
「はいはい、皆さんいいかしら? 団長の私がまだ自己紹介してないのさ」
各団員の自己紹介が済んでからアサの目の前に座っていたシリア噴水の縁へのぼり、全員を見下ろす。
「私の名前はシリア。見ての通りグラエナの雌よ。この自警団『フェイスオブタウン』の団長やってるわ。食い物にされるような軟弱な女性が多い中、貴方みたいな女性が入ってくれると嬉しく感じるのさ。
ほら、群れを統率できるような強~い女っていうのは、グラエナでは常識だけど他のポケモンじゃビークインとかアリアドスくらいでしょ? だから、女の強さってやつを見せつけてくれるあなたのような存在……期待しているからぜひ入ってほしいのさ。
ね、アサちゃん」
シリアは首を傾げるようにしながら微笑んで出来うる限りの第一印象を与える。後で知ることになるのだが、俺の目覚めるパワーは草タイプでシリアは虫タイプ。
シリアの性別が女性であり、俺自身が現時点ではシリアと比べて格下であると互いに本能的に認め合っているこの状況。シリアの第一印象はそれこそ最高になってしまう。
俺は、まだそのことに関する知識はなかったが、予備知識のあるシリアは女王の魅力を醸し出すことをきちんと意識していたそうだ。
「みんな、そういうわけよ。歓迎パーティはやらないけど、代わりに団員の勇敢さ、かっこよさ、優しさを存分に見せてやるのさ、みんな!」
「おぉ~~!!」
三十数人の団員全員が咆哮した。二足歩行で手が自由なものは右手を天にかざしている。
この集団、頼もしいように見えるが、この数で街を守るとなるととても頼りがいのない印象を受ける。
まぁ、しょうがない。いないよりはまし――と、俺は割り切る。捕まえることよりも捕まる恐怖こそが抑止力になるだから。
「だってさ、アサ?」
キールのなんの気のない話題の振りに、アサは笑って誤魔化す。しかし、アサにとってそんなことよりも何よりも重要なのは……
「盛り上がっているのはいいんだけれど、唐突に連れてこられたわけで、いつも何やっているかも、今日何やるかもわからないんだけど……」
である。このテンションには正直ついていけない。
「あ、そうね。私たちの仕事は基本的に……犯罪に遭遇したら駆けつけて、撃退、緊縛、放置が仕事なのさ」
いたって普通に返されたその返答には、いたって普通でない物が含まれている。
「いや放置って……」
自分の常識の中ではありえない単語を聞いて、怪訝な面持ちでアサは聞き返した。
「晒しものにするってこと。その状態で逆に物を盗まれようと、犯罪者が女性だったら強姦されようと知ったこっちゃないのさ。
つまりは犯罪は割に合わないって思い知らせてやるのさ。なるべくわかりやすい方法でね♪ 縛り付けられた日にちと、罪状を体に直接掻き記し、親切な誰かが助けてくれるまで放置するのさ。
それが、エリンギ君との譲歩案なの……分かりやすいでしょう? 本当はもうちょっとわかりやすく体に刻む方法が良かったんだけれど……
エリンギ君が。そのやり方にはついていけないって言うからね」
シリアの言う放置というのは、どちらかというと晒しものと言った方が近いようで、その方法について彼女は何ら疑問を抱いていないように見える。
言っていることは確かに『筋が通っている』ように頭では納得できる。心は『筋が通っていない』と訴えるのは気のせいだろうか? と、俺は思い、もう手に負えないよと、ばかりにため息をつくエリンギを見たところで、俺は理解した。
それは、シリアがあまりに自信満々すぎて、自分の常識が押しつぶされている。そう言う事なんだろうな、と。
シリアに価値観を押し付けるつもりは多分ない。多分無いとはいえ、その価値観を信じさせるだけの絶対の自信を持って俺に語る。それこそが、彼女の強靭な精神から繰り出される正義というものなのだろう。
キールといい、シリアといい、この街に(というより家族?)は、いい意味での変態が多いのだろうか。それは――このポケモンで構成された世界が、元いた世界にとって異常なのか、この街もしくはこの国が異常なのか、それともこいつらの親が異常……なのか。
考えるのは不毛だ。だが……と、アサは先ほど注目した者を見る。
「あら、フリックを見ているの? ……やっぱりかっこいいよね? 全女子のあこがれの的だし」
そう言ったシリアは、異常な所ばかりではなく普通なところは普通な気がした。
「見とれていたわけじゃない。どれくらい強いのかな? なんて思いながら見ていただけだ……他意はない」
俺は、自分にとって本気で言ったつもりだった。
「その割には、リムルやシリアよりもフリックを見ていたのさ……まぁ、自分でも気が付かない程度にね」
それでもキールがそんなことを言うものだから、アサは笑いの的にされてしまう。
キールの言う事が本当かどうかは分からないが、フリックはすれ違う時に女性なら誰でも。むしろ女性でなくとも振り向きそうな美形を見せつけているのだ。一応女として、フリックに目が釘付けになったっておかしい事ではない。
だからこそ、笑い話にされると堪らなく恥ずかしくて恨めしい。
「キール……嘘でも本当でも、言い方ってものがあるだろう」
くつくつと、恨めしそうな笑みを浮かべながら、俺はスプーンの先端でキールの背中を小突く。前のめりになりながら背中をのけぞらせ、チクチクとしたその攻撃から身を逃そうとするキールはさらなる笑いを誘っていた。
嬉しそうに角を撫でているところを見ると他のモノからも明るい感情が漏れ出ているのであろうことが理解できた。
「それじゃあ……今日チームを組む組み合わせだけれど……」
シリアは俺のほうを睨み、微笑んだ。
「じゃあ、アサちゃん」
「は、はい……」
タイプの関係なのだろうか、シリアは非常に威圧感が強い。
普通にため口で話しているキールの妹だというのになぜか敬語になってしまう不思議な現象は、いまひとつ説明が付き辛い。
「今日は、女同士楽しんでいきましょうね?」
「女同士?」
俺は自分でも間抜けだと思う声と共に首を傾げる。
「だから、今日は私と貴方で一緒に行きましょうってこと。もう一人の数少ない女性のリムルも一緒よ」
ピクニックに出かけるような楽しげな表情でシリアは笑った。
「う~ん……女の子同士かぁ……じゃあ、フリックとは今日はデート気分は無しかぁ……ま、それもいいわね。よろしく、アサちゃん」
リムルにそう言われた俺の肩にキールの指がちょん、と触れられる。
「そういうことみたい。僕は男同士で行くとするよ」
わがままと言うか、唯我独尊な妹に対し、しょうがないなぁとでも言いたげな力ない笑顔を浮かべて、キールはフリックのほうを見て、何か会話をしていた。
フリックとキールは女連れでありながら、女にあぶれた男同士、何か通じるところでもあるのだろうか。キールがエリンギのほうを振り向かなかったのは、そういう事にしておこう。
「さぁ、皆。集会は終わり……解散して、パトロール開始よ」
その宣言と同時に、パートナーを組もうとフリックに近づいたキールは、何か耳打ちをしていた。それが、何か怪しい秘め事でないことを祈って、アサはシリアと一緒に夜の街へと繰り出す。
「よろしくね」
シリアが首を差し出し、握手が出来ないポケモン同士で発達した
アルセウス教では、キール曰く首ではなく額同士を合わせるとのことだが、今のところそれは関係ない。あっちへ行った時に考えればよいことだ。
アサは、昼食の時キールから教えてもらったマニュアルどおりに、シリアとそれを行い、続いてリムルにも同じ事を行った。
そうして街へと繰り出しては見たものの、街を歩いているだけでそう何度も事件に出会うわけでもない。シリアたちが、平和でよかったと言ったその日の成果は0。
結局職に就くまでは開催される日に毎日かりだされる始末で、連日なし崩し的に入団を強要されて何度か活動した限りでは、一日に一回トラブルに会うほうが少ないくらいだ。 呆気ないけれど、それで良いのだろう。
そして、キールが一緒に居るときは一日に3~4回のトラブルに引き合わされたことから、やはりキールの角は素晴らしいという結論になるようだ。
自警団の活動をさせられているうちに分かったのは、エリンギだけは本当にちょっとばかし強いだけであるということ。キールを筆頭に、シリア、リムル、フリックの4人に強烈な違和感があることの二つだった。
違和感というよりは、最早異質というべきか。
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1話の中に起承転結が三つあるってなんというかもう……型破りにもほどがありますね。
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