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時渡りの英雄第21話:仲間と共に・前編

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時渡りの英雄
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303:二人きりで 


 シデンが皆より少しだけ早く起きてみると、やはり目につくのはコリンとアグニの二人の寝姿。彼女はその二人の様子を見て複雑な気分を抱える。
「なんか……本当に兄弟みたい」
(私は……どっちも、好きなんだよな。逆ハーレム……一妻多夫なんて、馬鹿みたいな展開になれればいいけれど……現実はそう、上手くいかないよね)
 ここ数日の間で急速に仲良くなった二人には目を見張るものがあった。変温動物のコリンには毛皮じゃ足りないでしょ? と、言って聞かないアグニが、ミステリージャングルは亜熱帯だというのに、強引にコリンの隣を陣取っている。本当のところ、アグニは静かすぎる今の状況がいたずらに恐怖を助長するので、コリンの寝息を間近で聞いていればどうだろうと思い、シデンはコリンを温めるためなんて大義名分を与えたのだ。
 シデンはその事情を分かっていてなお、なんだかパートナーをコリンに奪われたみたいで少し悔しい気分だ。元から兄弟同士だと思えば少しだけ救われる気もするが、兄弟だと思うと、今度はどちらにどういう風に接すればいいのか分からない。
(私は二人とも好きだし……逆に二人とも私の事を好きなんだよね……)
 想ってきた年数だけならば、コリンの方が確実に上だ。だが、想いの強さならばアグニの方が上だろうし、卵グループ的に考えても、アグニの方が立場は上である。
「シデンは……自分は最初二人の母親代わりだったかぁ……」
(だったらあなた達が息子になるわけだけれど……この戦いが終わったら、コリンは未来世界に帰ってしまうのだろうか? そうなったらアグニを支えるべきなの? それとも、コリンについてゆくべきなの?)
 分からなかった。
「ともかく、その時がくるまでは……よろしく頼んだよ……コリン。貴方はお兄ちゃんなんだから」
 まるで母親のようなセリフを言ってみると、サマになった気がしてもう少し母親の気分で居たいなと、少し涙が出た。
「あぁ……ゴウカザルかジュカインみたく……もっと大きな体になれれば良かったのに……」
 コリンを抱きしめようとして、あまりに短い自分の腕が憎くなる。
「『お母さんになってよ』なんて泣いていたコリンが……『怖いから一緒に宝物を取り返して』なんて甘えたいたアグニが……大きくなったね、二人とも」
 少しだけ戻ってきた記憶から探り出したコリンの言葉を思い出して、シデンは笑む。
 コリンとアグニは、互いを支え合うように体を寄り掛からせていた。やがて二人が微笑んだ理由は夢を見たのか、シデンの言葉によるものなのか、互いの温かみによるものなのか。
(どれともとれるけれど……自分は、二人が笑ってくれればそれで嬉しいな)
 コリンとアグニがサメ肌岩の崖の上で語りあっていたところを、シデンはきちんと観察していた。仲間外れにされて何だか悔しかったけれど、男同士の世界だから女の子が踏み行ってはいけないところはあるのかもしれないとか、そんな風に考えるとどうにも話しかけることが出来なかった。
 でも今日はその分、女として。否、母として存分に楽しめた。そんな気がするから、シデンは二人に笑って見せる。

「シデン……」
 ふと見れば、コリンが目を開けていた。彼はゆったり起き上がり、膝立ちになってシデンを見る。
「ちょっといいか?」
「好きなだけどうぞ」
 熱帯植物にありがちな極彩色の花弁のように眩しい笑顔をほころばせ、シデンはコリンに手を差し出した。
「お前な、身長が違いすぎるだろうよ。手を差し出されたって困る」
 苦笑して、コリンは差し出されたシデンの手を取らなかった。


「なにはともあれシデン……やっとお前と二人きりで話す機会が出来たな……」
 アグニの目を盗んで二人は別の民家へと足を運ぶ。
「何か話したいことでもあった?」
 その途中、コリンは隣を歩くシデンの体を持ち上げて抱き抱え、息が触れるほど近い距離で微笑んだ。
「なんでもさ……ありすぎて困る」
 腕の上にのせるように抱かれていたシデンは、いつの間にかコリンに抱きしめられる形となり、胸にうずめられる。
「ちょ、ちょ……ムグッ……」
 口がふさがり、シデンは声を出せない状態となった。それほど強く抱きしめているコリンは、あろうことか泣いていた。
「シデン……俺はずっと……不安だったんだぞ。俺は……ずっとお前を探して……俺がやっていることが正しいって……誰かに言って欲しかったんだ……なのにお前、俺の前からいなくなりやがって……馬鹿野郎」
 ところどころしゃくり上げ、裏声の混じる上ずった口調しか出来ずに、コリンは思いをひたすらにぶちまける。
 抱きしめる強さも、涙の冷たさも、今までコリンが感じ続けていた苦しみだとシデンは理解した。

304:もしも 



「もう、黙って俺の前からいなくならないでくれよ……シデン」
 呼吸が困難になって、十数秒。ようやくシデンは殺意の籠るようなきつい抱擁を解かれ新鮮な空気を吸う事が叶った。気付けばコリンは、向かいにある無人の家に入り込み、戸を閉めている。
「ごめん……本当に……自分はそれしかいえない」
 申し訳なさそうにシデンがうつむく。
「俺だって、いつだってお母さんでいて欲しいなんて甘えているところがあった……パートナーだって口では言っていても、お前はいつまでも頼れるお母さんだったんだよ。別れたおかげでなんだかんだでお前への依存も断ち切れたけれど……でも、黙っていなくなるのはもう……」
「分かってる……ごめん。ほんと……ごめん」
 シデンに平謝りされて、さすがに申し訳なくなってコリンがため息をつく。
「こんなにも恋しくなって、こんなにも甘えたくなって、こんなにも暖かい……パートナーって言うには、俺はお前に甘え過ぎていた……何度も何度も女に謝らせて……情けない」
「いやいや……自分は、どんなに大きくなったって……甘えたいときは甘えたって良いと思うな、コリン」
 言うなり、シデンはコリンの腕を短い手足で抱いた。抱かれていることそのものが顔を赤らめさせているようだ。
 なんだか恥ずかしくって、コリンはやんわりと逆らおうとしていたが、シデンが離そうとしないので諦めた。
「だからって……強引に甘えさせるのはどうかと思うがな……」
「いいじゃん……甘えてもらえる事も、甘えさせてもらえる事も、とても嬉しいことだよ? お兄ちゃんは弟より強くなきゃいけないからね、私がお母さんなら……コリンだって甘えられるでしょ?」
 シデンは意地悪に笑って、コリンに恨めしそうに睨まれた。
「お前な……そういうのは……。恥ずかしいだろ」
「いいじゃん。二人きりだよ? 誰に恥ずかしがっているの?」
 小悪魔めと、心の中でそんな風に毒づいて、コリンは抱かれた腕に意識を集中させてシデンを感じる。
「胸まで触らせて大サービスなんだよこっちは。そっちの方がよっぽど恥ずかしい」
「乳房なんて邪道だ。俺は胸なんて好きじゃないからどうだっていい。胸はつるつるの方がな」
 さりげないシデンの猥談にひるむことなく、コリンは不敵に微笑んだ。
「そう……まぁ、私もヘミペニスには興味ないけれど……」
 コリンの下半身を見つめて、シデンはからかうように突き放した。コリンは注意深く聞いていないと分からないほどに小さく笑う。
「変わらないな……人間の時もお前は、なんだかんだでパッチールとか直立二足歩行の哺乳するポケモンが好きだったな……未来世界じゃ進化できないから、それくらいしか相手出来るポケモンがいないなんて言ってさ」
 シデンの尻尾が、コリンの背中を叩く。

「コリンの馬鹿、そういうのは面と向かって言わないでよ」
 自分の性癖を暴露されたのが少し恥ずかしいのか、シデンは頬で放電して感情が露わになっている。それっきり二人の間には、沈黙が流れた。
 お互い言いたいことがまとまらず、何を言おうか迷った上での沈黙で、もどかしいけれど不快じゃない。
「ねぇ、コリン?」
 ようやく口を開いたのはシデンだった。
「なんだ?」
「この戦いが終わったら……コリン達は未来へ帰っちゃうの?」
(シデンは……歴史を変えれば自分が消滅することを忘れている……?)
 コリンはシデンの言葉で心臓の鼓動が速くなるのを感じた。
「そうだな……この世界の者とはもう二度と会えないだろうな」
(この言葉だけで……自分の運命に気が付いて……くれるわけ、ないよな……)
「そっか。コリンがこっちの世界に来てくれれば嬉しかったんだけれどな。もしそんなことになれば、皆で、わいわい楽しく……探検やるのも悪くないなってさ。そしたらさ、コリンがアグニのお兄ちゃんで、シャロットがコリンの妹。自分はどうなるのかな? 見た目が母親って感じでもないしさ。
 ふふ、もしなんて、そんなこと言い続けてたら卑怯よね。とにかく、私はアグニと一緒に居たいの……コリンのことももちろん好きだけれどね」
 照れ笑いして、赤い頬を上気させて帯電しながら俯き気味にシデンは笑う。
「そうか……俺もシデンと別れるのは辛いな。今、こんなに近くに居るっていうのに」
 お互いが沈黙する。もう時間が止まったこの無音の空間である。互いの呼吸の音だけが嫌に耳についた。歴史を変えれば自分達は消えてしまう事を言いたくとも言えず、さっきとは打って変ってコリンは気が気でない。
「本当は、歴史って言うものは少しでも変えちゃいけないんだ……俺達のように時渡りを経験した者やセレビィなんかは、超越者って言う存在になることで、ちょっとした歴史の改変では何事も起こらないが……俺達以外の誰かは、歴史を改変すると誰かの存在そのものがなくなってしまうようなこともありうる。
 だから、俺はそうならないように……未来で静かに暮らしたい」
「それだと……私も帰らなきゃダメじゃ…ないのかな?」
「一人二人じゃどうってことないさ。アグニのもとに居たいならばそうすればいい……一応、俺は気休め程度というかなんというか……うん」
「そうなんだ……なら、アグニと一緒に居るのもありかな……」
 コリンのあいまいな態度に、シデンは『真面目なんだな』と的外れな解釈をする。

305:欲求 


「ねぇ、コリン。自分がこんな話をしたのはね……」
 シデンは独り言のように語り始める。
「コリンは、そう言うだろうって……『別れる』って言うだろうと感じていたからなの……」
 シデンはコリンを掴む腕に力を込めて見せた。その目には瞼から今にもあふれ出しそうなほど涙がたまっている。
「でも、ね……コリンとアグニ。どちらを選べばいいのか……自分は、ちょっと悩んでいる。アグニの、自分に対する想いの深さは……すごく感じている。けれど、コリンは……想いの強さだけじゃない……想いを積み重ねた年月がある……だから、コリン。
 貴方に、自分を攫っていくだけの力があるならば、それもいいかなって思えるの」
「シデン、お前……」
「人には誰しも好物の一つや二つがある……どっちかだけしか食べられないなんて、そんな意地悪な状況になったら、選ぶことは出来ない……だから、どちらも食べられる今の季節だけでも……今だけでもコリンを感じていたいの……自分は、貴方と何を話してどんな風に親交を深めあったのかは忘れてしまったけれど。
 コリンと一緒に居ると、懐かしいって感情がどうしようもなく溢れ出して……止まらないの。自分と……いや、自分に抱きしめさせて。私だって、アグニには隠していたけれど、未来世界ではすごく不安だったから……それを助けてくれた時、本当に心から安心したんだよ。
 アグニの前だから、私は強くあるべきだったから泣けなかったけれど……コリン。今はこうやって貴方を感じていたいな」
 ギュッと抱きしめた腕から感じる温かみと、自分の腕に落ちた涙の冷たさ。その両方に照れつつ、コリンはゆっくりと頷いた。
「アグニも俺も不安だった……全員、不安だったんだな。奇遇だな」
 冗談めいてコリンは言う。

「じゃあ、もしかしたら……こんな奇遇もあるのかな、シデン?」
 コリンがシデンを押し倒す。優しい手つきで、倒れこむ時に一切の痛みを感じさせないように。自分を押し倒したコリンを見つめるシデンの視線は否応もなく熱を帯び、揺れる瞳がコリンの次の行動を期待する。
「ねぇ、コリン……処女はアグニに渡したいって思っていたけれど……でも……貴方ならば良いのかな? アグニはコリンで処女を失うのならば祝福してくれるかな?」
「どうだろうな。俺はすでに……恋人がいる。フレイムの、ソーダ……ここで俺がお前とセックスしたら、浮気になってしまう。そんな俺でも、幻滅しないか?」
「分かんない……自分が、貴方に対して申し訳なさ過ぎて……貴方の寂しさの深さが測り知れなくて……分かんない。コリンが、自分を愛してくれるのは分かる……でもアグニも同じ……どちらも、貴方達にとって自分が恩人。
 貴方もアグニもきっと私の勝手を許してくれる……それなら、出来る事なら二人の手を取って行きたいけれど……それが無理なら……私は私を連れ去ってくれる人を選びたい……」
 永い時間、自分を想ってくれたコリンと、依存と呼んでも差し支えないほどに自分を慕ってくれるアグニ。その二人の板挟みにあって、シデンは自分の気持ちが分からなくなる。こんな大事な選択を他人にゆだねるだなんて、少しどころか非常に不謹慎な事なのかもしれないが。
「シデン……俺は、アグニからお前を奪ってしまってもいいのか?」
「アグニはショックだと思う……だけれど、きっとアグニはコリンならば許すと思う」
「そうだろうな……悲しむと分かってなお、衝動ってのは湧いてくるもんだ……男ってな悲しい」
「女だって、いけない事だと分かってて衝動が湧いてくるのは同じだよ。湧き方は違うかもしれないけれど」
 シデンが潤んだ目でコリンを見つめると、コリンは黙って口付けをする。コリンが顔を近づけている間に、シデンは無意識のうちに口を開いてコリンを受け入れる。
 舌を入れてくださいとばかりに開かれた口に、誘われるがままコリンは舌を入れる。シデンの小さな口にその細長い舌は具合がいい。小さな入り口にも無理なく入り、長いから口の中を満たす事も容易だ。
 コリンの舌が、自身の舌や唇と擦れる感触。それがお互いの息遣いだけがはっきり聞こえる空間で行われるせいか、唾液がぬめりあい、起てる水音まではっきりと聞こえる。
「静かだね」
 口に舌を突っ込まれながら、発音もあいまいにシデンは言う。その言葉を聞いて、コリンは舌を引っ込めシデンの目を見る。

「未来世界では、ずっとこんな環境でセックスしていた。静かでな……雨が降る事も日差しが眩しい事もないから、家もなくって……皆、そこら辺の茂みでセックスして、たまに覗いたり覗かれたりしていたけれど、全然気にする事もなかった……」
「未来世界ではどっちから求めていたの?」
「どっちも。子供が生まれて困る事はないからって、やりたい時にやってた……特に俺の初体験はお前からの強姦だったんだぜ」
「うそ……」
「本当だよ、コリン」
 シデンが思わず発した言葉を、コリンは優しく否定する。
「二人で旅していて……三回くらい、裏切られた時かな。恥ずかしがっていたキモリの俺の事を、シデンが無理矢理……」
「あぁ、うん……よく分からないけれどその時はごめん」
「良いんだ……結局、こうやって癖になってしまったわけだしさ。恥ずかしいのは最初だけ……結局、気持ちいいから毎日……? うん、毎日求めるようになった……」
「そう……気にしていないなら……良かった」
 シデンはほっと胸をなでおろす。同時に、未来世界でアグニに襲われた際に、どうして懐かしい気分がしたのかも納得して、コリンと一緒に居た際自分がどんな気持ちで未来世界にいたのかも理解する。
「こっちの世界じゃアグニとは一度もやっていないんだっけか……?」
「う、うん……まだ、中々チャンスが無くって」
 シデンが肩をすくめ照れながら言ってやると、コリンは細長いため息をつく。
「なぁ、シデン? 未来世界ではどうして皆、あんなふうに貞操観念低いんだろうな……」
「……いや、覚えていないから分からないんだけれど、低かったの?」
「そうだな……俺はモテるから、何人にも卵を産ませてる……気が合えば、軽くセックスをするような世界さ。過去に行ってみると、未来はとんでもない世界だな」
 そういって、コリンは自嘲気味に笑う。
「なるほど……いや、別に貞操観念が低いから悪いってわけじゃないと思う……と、いうよりもさ。皆未来世界ではすぐに死んじゃうから。だから、皆焦って子供を残したがるんだと思う……だから、気軽にセックスをする……貞操観念が低いんじゃなくって……未来世界が危険なんだよ、きっと」
「危険、か……だったらなおさらアグニのためにも、頑張らなきゃ。この世界を、光ある世界のままにしなきゃ……」
「言うまでも無い事だよ、コリン。自分はあんな世界で暮らすなんて、今更死んでも嫌だもん」
 そう言ってシデンは微笑んだ。もう太陽の光すら届かない停止した世界の中、太陽のように輝く眩しい笑顔で笑うシデンに気が付けばコリンは魅入っていた。
「少しだけ申し訳ないと思っていたのは……俺は、お前以外の女を何人も抱いていたけれど、シデンは俺一人しか抱かなかった事……」
「ふーん……今の状況は。未来世界の常識を過去に持ち込んでいるわけじゃないよね? ソーダの事をもう抱いているんでしょ?」
 シデンの冷ややかな視線を見て、コリンは微笑んで否定する。

306:寝取る 


「分かってる。だから、今日ここでお前とソーダどっちを選ぶか白黒つけるんじゃないか。そもそも、お前が俺一人としか交わらなかったのは……ほら、女って本能的に強い子供を残したがる女が多いだろ? 女が孕める回数は限界があるけれど、男は同時に何人も孕ませる事が出来るから、一夫多妻制は悪じゃないってお前も言っていたし」
「そっか……そうだよね。一夫多妻制も当然と言えば当然か……今は、アグニの子供を産みたいとか思っているけれど……」
「アグニの子ねぇ……良い子が産まれそうだ……」
「ありがと」
 コリンが率直な意見を述べると、シデンは微笑んで喜ぶ。
「それでさ……お前を抱きたいって話の続きだけれど……」
 納得したシデンに、さらにコリンは続ける。
「ソーダの事は……シデンが一番好きだけれど、お前で妥協するって……はっきり宣言していたんだ。ソーダとは……だがら、もしもシデンが目の前に現れたらっていう……万が一の事は想定していたと思う。きっと、納得はすると思う。けれど……まぁ納得はしても……そりゃ……」
「けれど、傷つくのは確実……って事?」
 シデンが首を傾げる。
「ああ、そうだな。お前を奪うという事は、アグニとソーダ。二人を傷つける事になる……シデン、確かお前はソーダとも共通の知り合いだったよな」
「う、うん……」
「だからシデン。良く考えてくれ。俺がしようとしている事……それがどういう結果をもたらすか……俺が覆いかぶさった時に嫌だったら、蹴り飛ばしてもいい。電撃を浴びせてもいい。一回だけ自分達の出来心を許して、それ以降はアグニにもソーダにも秘密にするでもいい。お前なりに考えて、俺を受け止めるかどうか決めてくれ……」
 コリンがシデンを見据える。目を逸らしたくなる気持ちを必死で抑え込んで、シデンはその目を見返した。二人はまだ迷っているのか、見つめるしか出来ない。
 さっき一度交わした口付けも、今更罪深いものだなんて悟ったのか怖気づいて出来ない。
 呼吸の音と、心臓の音が響く。二人は動けない。
 やがて、意を決してコリンはシデンに口付けを交わしたが、その舌使いは拙く、ぎこちない。先ほどの官能を震わせ撫でるような舌使いの面影さえも見せない。シデンはそれに何の文句もつけないが、コリンが無理をしている事は嫌でも伝わってくる。
 楽しくない、なんて暢気に言うつもりはなかったが、本当に楽しめない。
「コリン……迷ってる? 私はコリンにならば、奪われてもいいよ……処女も心も、何もかも奪ってくれて構わないよ」
「そんなに受け身でいられると……どうすればいいか俺は分からないよ。というか、迷わないほうがおかしい……だろ。シデン……俺に、すべて任せるなんてするいぞ?」
(シデンが、欲しい……けれど他のすべてを失うなんてシデンには耐えられないだろう……俺も、色々失う)
 コリンが目を逸らす。
「お前は、俺が襲ってくるまで待つのか? 俺に全責任を負わせるのか……?」
「だって……コリンが誘った事だよ……」
「そんな理由で……っ。俺に全部任せるのか……シデン」
 コリンの声に涙が混じる。
(失うのか……俺は? アグニもソーダも失って、シデンを手に入れるのか? でも、俺が全部失ってもいいならば……一つだけ、俺には切り札があるんだ……シデンをモノに出来る口車が……)
「俺に任せないでくれよ……シデン。されるがままじゃなくって、俺に何かしてみろよ……」
「出来ない……私には……アグニを裏切れないし、知り合い程度でもソーダみたいないい子を裏切れないよ……」
「俺だって、足し算と引き算が難しすぎるんだ……俺には暗算出来る量を越えている……」
 二人とも泣き言を吐いた後、二人はそっぽを向いて無言になる。
「ごめんな、シデン」
「ううん……アグニを傷つけたくない気持ちは、自分もコリンもどっちも同じ。自分が貴方の気持ちに答えたいのは真実だけれど……でも……アグニから何もかも奪ってしまうのは嫌。コリンを奪いたくないし」
「だから、どっちつかずになってしまう……けれどな、シデン」
(でもそれを、言ってしまうのか……俺は? アグニは、どうなる……俺達が時の歯車を収め終わった後に、寝取られたアグニは立ち直れるのか……?)
 シデンは、歴史を変えてしまえば自分が消えてしまう事を知らない。だから、ここでそれを教えてしまえばきっと、シデンはアグニよりもこちらになびく。シデンはアグニの子供を産んでみたいとか思っているからアグニに傾倒しているが……シデンを繋ぎとめているその枷を一つ外せる。
 そして、消えてしまうなら、もう何も関係ないとやけっぱちになってくれれば。それもまた枷を一つ外す要因となる。さらに言うなら、『消えてしまう可哀想なコリンのために頑張る自分』という免罪符を与える事も出来る。
(これで、外れる枷は三つ。シデンはきっと、俺になびく……でも、それでシデンがアグニを失って、俺もシデンも罪悪感に耐えられるのか? アグニは喪失感に耐えられるのか……?)
「ねぇ、コリン? 『けれど』……なんなの?」
「……………………………………………何でもないっ」
 呼吸が震える。握りこぶしには否が応なしに力がこもる。結局、絞り出した答えはシデンを諦める事であった。
(シデンのためにも、俺のためにも……アグニを裏切れやしない。ソーダの事だって裏切りたくない……)
「そう、何でもないの……」
 そのコリンの態度の裏に何かがある事なんて分かり切っていたが、シデンはあえて何も尋ねる事なく、コリンの決断に納得した。やがて二人は再び目をそむけ合って静かに気持ちの整理をつけた。

307:邪魔者は去る 


「なぁ、シデン……」
「なあに、コリン?」
 コリンの指が頬にあたる。何を求められているかはすぐに分かった。セックスはもうしないが、せめて愛の証だけでも伝えたいと、きっとそのための儀式を。
 本日三度目のキス。シデンを抱き上げたコリンの唇とシデンの唇が触れ合うと、アゴはゆるゆるとコリンの舌の侵入を許して、互いの舌を絡め合った。その瞬間が、どんな木の実よりも甘く溶けてしまいそうだった。口の端や鼻から空気を取り込んで、休む事なく互いを味わいあった二人は、いつしか二人とも涙が止まらなかった。
 再会を改めて喜びあう涙と、別れを惜しむ涙とが、ないまぜになった嬉しくも悲しい涙。もう、どれほど時間がたったかなんて覚えていない。
 空気を読まないくしゃみがシデンの鼻からもれそうになって。それが、切っ掛けとなって永い永いキスは終わりを告げた。
「俺達……一応両思いなんだ。だからこれぐらいはいいだろ、シデン? 俺はアグニを裏切れないけれど……この程度、裏切りとは言わないよな?」
「やってから言うのはどうかと思うけれど……うん、大丈夫。裏切りじゃないと思う……」
「決めたよ、シデン。俺はアグニの恋路は邪魔しないよ。俺は、多くの人を幸せにできる道を選ぶよ……」
「コリン……ありがとう」
「礼には及ばないさ。難しい足し算と引き算が解けただけ……良く考えれば簡単な式だった。だって俺……お前とアグニの間に出来る子供を計算してなかったんだ……
 そんな簡単な足し算も出来ないで……色々、気を使わせちまったな……」
(どっちにしても、子供は生まれる事はないが……それでも、今だけでもこう言っておきたい。幸せな夢を見せてあげたい……)
 肩を竦めて、コリンは照れ隠しに笑う。
「そう言えば、サニーも言っていたな……本当に愛し合っていれば、卵グループなんて関係ないって……でも……でも、やっぱり、大事な要素の一つなんだよね……」
「大事さ。愛する者と子を為すのは……大事な経験だ。それが出来なくっても、子供にかける分を補えるくらいの愛があればどうって事もないが……俺じゃ、それを上回れる自信がない。きっと、アグニが……お前を一番幸せにできるって、俺は思うよ」
「うん……自分もそう思う」

しばしの沈黙を伴って、シデンが口を開いた。
「コリンのキスは……たくさん経験のある大人のキスだったから……いつかアグニとする時の基準にしてみるね。アグニとは一度やった事あるけれど、コリンほどうまくはなかったなぁ……アグニのキス。次にする時は……思いっきり『下手糞』って言ってやろう」
 消え入りそうな儚い笑顔を伴って、その声はいつまでも心に響く。
(これで俺は、シデンの恋愛対象から外れたな……ソーダやアグニのために、こんないい女を棒に振って……何やっているんだか)
「昔はシデンに下手だって言われていたのを思いだすな。キスもセックスも……まぁ、成長するごとに上手くなったって言われたが」
 昔を思い起こしてコリンは笑い、溜め息をつく。
「アグニが起きたら……もう、起きているかもしれないけれど……起きたら、別行動だな。が、必ず、また会おうな?」
 気が付いたら、二人は手と手を握り合っていた。コリンの手からシデンへは冷たさしか伝わってこないが、温もりだけを享受するコリンはとても心地よさそうにもじもじと手を動かす。
 二人の心が心地よく揺られて、音叉のように響き合っていた。

「うん……星の停止を食い止めるまでは……絶対一緒にいようね」
 あぁ、と笑ってコリンはちょっと排泄をと、シデンから見えないところへ行った。
(くそっ……なんで俺は、消えてしまう事が言えないんだ……)
 いつかは言わなきゃいけない事だというのに、コリンはそれを声に出せずに、歯をくいしばって悔しがる。
(ここで言っておかなければならない事なのに……俺は、馬鹿だ。別に、シデンを誘惑するためだけに言うわけじゃないだろうがよ……)
 そんな気持ちをひた隠して、コリンはごく自然な顔を取り繕ってシデンに笑みを寄越す。
「なぁ、シデン……見せたいものがあるんだ」
「何?」
 儚げに微笑んで尋ね返すシデンに、コリンは言葉で応えず、行動で示す。サメ肌岩の上でアグニにやったように草の誓いを使う。踏み込みから。尖った草が地面から伸び、そしてそのうちの一つから花が咲く。
「草の誓い、か。この香りに、この美しい色。親愛の情があれば、この草は食べても傷つく事はないんだってね……」
「詳しいな、シデン……今回は我ながら、いい出来だと思うぞ」
「うん、すごくいい香り……アグニの時よりも、私の方が愛が深いからかしら?」
「見てたのか? サメ肌岩のあれ……」
 アグニと同じ事をしていたのを知られていた事に、コリンが驚く。
「うん、途中から……アグニがまさか、私よりも先にコリンにこれをやっちゃうとはなー……少しだけ嫉妬しちゃう」
「仕方がないさ。あいつは、貞操観念が高いせいか奥手なんだよ」
 コリンが言う。
「だが、それは悪い事じゃない。お前を支えられるようになってから……そうなってからお前を娶ろうと考えているんだろう」
「うん、言ってた。アグニはコリンの事をどうにかしたら結婚しようってさ。まぁ、結局未来世界に連れてかれたせいで、約束は反故にされちゃったけれど……全てが終わったら今度こそ。自分はアグニと添い遂げたいと思う……コリンが、アグニを裏切らないって言ってくれた事だし……それは、自分を後押ししてくれるって解釈する事にする」
「そうなるといいな」
 曖昧に言って、コリンはシデンを応援する。その心のうちに、申し訳ない気持ちを抱きながら、表面上では輝かしい未来を祝福するように。
 お互い黙りこくった二人は、ゆっくり歩いてアグニの元に戻る。

 アグニは、皮袋に口を当てて荒い息をついていた。
 未来世界から帰ってきて以降、突然呼吸が激しくなって苦しみながら倒れる事が頻発したため用意した、死んだ空気を程よく混ぜるための皮袋。それを口に当てて呼吸していたという事は、未来世界と同じく静かなこの場所で、起きた時に一人きりというこの状況に酷く恐怖を覚えたのだろう。
 戻ってきたコリンとシデンを虚ろな目で一瞥して、呼吸を落ち着けたところでようやくアグニはこちらへ話しかける余裕が出来た。
「遅かったね……」
「すまない、アグニ……」
「ごめん」
 幾分かぐったりとした声でアグニが声をかけると、コリンとシデンは第一に謝罪する。
「大丈夫。話したい事もいろいろあるだろうし……謝る必要は……ないから」
 ふぅ、とため息をついてアグニは立ち上がる。
「でも、これからはお願いだから……書置きくらいは残して」
 びくびくと、肩を縮こまらせたままアグニが言う。
(俺がシデンを奪ったら……アグニは、死ぬな。物理的には生きていても……心は……)
「すまなかった、アグニ……今度からは、こういう事はしないから」
(やっぱり無理だ。アグニからシデンを奪うのは……)
「約束だよ」
 あぁ、とコリンは頷き、シデンもまた同じように謝った。

 アグニが落ち着いた事を確認して食事を済ませると、一行は旅立つ。シデンとアグニは鳥ポケモンの高速便を借りてグリーンレイクシティへ。コリンはヴァッツの背に乗せてもらい、ヒートスノウシティへ。胸に去来する思いは皆違い、シデンは、アグニと二人きりになれて安心する一方で、コリンと会えない寂しさを。
 アグニは純粋にコリンと会えない寂しさを。コリンはシデンとは逆に、ディスカベラーが二人きりになれる事に安堵して、それぞれの道のりを行くのであった。

308:ギルドへ 



「そう言えば、コリンにはああ言ったけれど……オイラ達どうしようか。コリンには、地下の湖に行けって言われたけれど……本当にそれでいいのかな?」
 鳥ポケモンの高速便に乗っての旅の途中。運び屋であるオニスズメが休憩のため、二人は木陰の下で肩を並べて話し合う。
「物凄く気まずくて、後回しにしたい気分だけれど……やっぱり、ギルドに行かなきゃいけないんだと思う。皆は、まだドゥーンがいい人だって信じ切っていると思う。
 気まずいけれど、皆自分達の言う事をすごく心配しているだろうし、アグニと自分の言う事なら……ギルドの仲間にとってはドゥーンの言葉よりも説得力もあると思うの。
 まず、コリンの事もだけれど、誤解を解きたいし。何より……今世界に起こっている事を伝えないと、ミステリージャングルで見たあの悪夢のような光景がさらに広がる事になる……この大陸が犯罪の温床に……そしてその後は……」
 シデンもアグニも、恐ろしいものを見た。無残に傷つけられた死体が散らばるミステリージャングルの光景は、いつまでも忘れられそうにない。あの光景が作られていく過程を見なくて良かったと、切に思うほどに
「あんな光景……もうたくさんだ。だから、この時の破壊は止められるって……皆に教えて、少しでもそれが収まるようにしなくちゃならない。
 アグニ……きっと大丈夫だから……ギルドの仲間は、自分達の味方だから……だから……」
 もう、その先は言葉にならなかった。記憶を失ったシデンは帰る家と言えばあそこなのだから。コリンのおかげで寂しさを紛らわす事は出来たとはいえ、やかましく喧嘩も多いけれど、いつも笑いあっていたあのギルドの雰囲気は何物にも勝る憩いの場だった。
 それを思い出し、行きたいという思いがこみ上げると、どうしようもなく嗚咽が漏れてしまう。
「それに、幻の大地を探すのはやっぱり自分達だけじゃ無理だ。幻の大地への行き方について、コリンは協力者がいるって言っていたけれど……少数じゃたかが知れている……ギルドの弟子も、その他のギルドも、親方も……皆の協力が必要だよ。数の力は、こういうときに強いはずだ」
「でも、信じてくれなかったらどうするの? オイラは、ドゥーンを直接見たのに全く信じられなかったんだよ?」
 アグニは恐かった。未来世界で神のように頼もしく見えたコリンでさえ、ドゥーンのカリスマの前には暫く彼の言葉を信じられなかった。
「それは違う。アグニはあの時恐慌に駆られていただけ……未来に連れて行かれる前は、コリンの事をそれほど悪く思っていなかったし……でも、もしもあの時のアグニ見たく頑なに信用しないのならば……」
 シデンはアグニの心配を大丈夫だと諭す。しかし、その心配が的中したならばと、覚悟を決めて語る。
「その時は……皆を湖の番人のところへ連れて行って、歯車について話す。それでもダメなら……その時はその時だ。例え、どれだけの屍を積み重ねようとも、自分達はやり抜く……四面楚歌でも戦い続けたコリンに倣うんだ。これは、ギルドメンバーを殺してでもやり遂げなければならない事だよ。
 だから、アグニ……皆と闘う事になってもいいように、心の牙を研いでおいて。皆がこっちを殺すのをためらっているうちに、ケリをつけられるように覚悟をするんだ」
 たとえ大切な仲間を殺そうとも、シデンはかまわないと言う。もともとコリンとたった二人でやり遂げようと誓った二人の片割れだ、その程度の決意をするのはたやすい事なのかもしれない。
「分かった……ミツヤは、今はもう完全にシデンなんだね。皆と戦うなんて事は絶対に避けたいけれど……でも、味方になってくれるならこれほど心強い事は無いもんね。
 オイラは何が起こってもシデンの味方だし、シデンだってそうなんでしょ? だから……何が起こっても大丈夫。今は……オイラ達三人だから。一人じゃないから」
 一人じゃないと、改めて言葉にして分かったその事実が何よりも頼もしく、アグニは思わず笑みと涙が同時に零れる。
「よし……決まりだね、シデン。行こう、プクリンのギルドへ!」
 自身も頷きながら、シデンへと持ちかける。彼が立ち上がってシデンを見る顔は、途方もなく明るい、この光ある世界の真昼のような笑顔だった。

「アグニ……」
(なんと言うか、今までより決断が早くなったね)
 シデン心の中でアグニの成長をひそかに喜びつつ、アグニが掴んだ自分の右手に伝わる温かみを味わう。
「帰ったら、皆どんな顔するかな?」
「そりゃ、皆驚くと思う……けれど、オイラ達は、見て、聞いて、体験して……その分説得力だってあるはずだ。だから、きっと分かってくれる……あそこは、プクリンのギルドはオイラ達の帰る家だから……」
「うん、行こう。家は……そこで待つ家族は、いつだって味方だもんね」
 自分の手を握ってきたアグニの手を、シデンは握り返す。今まで恐怖で冷たくなったアグニの手しか握った事がないような気がしていたけれど、強く握り合った手は暖かく、その頼もしさにただ嬉しいと言う感情がこみ上げる。
 今のアグニはコンビを組んでからこれまでの間で一番頼もしいと感じ、シデンは思わずアグニの左手に右手を添えた。
 二人が、言葉を交わす事もなく頷き合い、シデンの手にすっぽりと包まれたアグニの手と手。お互いがお互いの感触を味わいつつ立ち上がる。
「すみません、アリスさん!!」
 木陰で休んでいるオニスズメに金貨を握らせてシデンは頼む。
「何かしら?」
 目を閉じ、眠っていたオニスズメは、シデンの声に起き上がる。
「すみません……追加料金を払うんで、目的地を変更してください。グリーンレイクシティをキャンセルして、トレジャータウン……ここから真西の海岸沿いにある街です」
「い、いいですけれど……そんなにお金をもらってよろしいのですか」
「今は金を気にしていられないんだ……お願い」
 金貨は二枚。運び屋としては破格と言う他ない料金である。
「分かりました……ですが、それほど急ぐのでしたら……乗り換えをお勧めしますよ。私だって疲れますから、値段分飛び続けられる気がしませんので……嬉しいですが……本当に、こんなには貰えませんから……」
 彼女はシデンの頼みに頷きつつも、あまりの大金に苦笑してそう言った。
 とにもかくにも、運び屋は休憩時間を短縮して大空へ飛び立ち、運び屋ギルドのある街まで飛び立った。

309:再会 


「お待たせ、もうすぐトレジャータウンだよ……お二人さん」
 二人を乗せていたフライゴンが、事務的に語りかける。
「街の入り口に……なんとも言えないプクリンの意匠を施した建物があるからさ……そこに下してくれるかな?」
「OK……ってうわ、本当になんともいえない……しかも、ああいう建物が多いのですね、この街は」
 なんともいえないプクリンの意匠を施した建物。この街に施設の主の意匠を施した建物が多く存在するのは、かつて子供の神隠しが非常に多かったこの街で、迷子になっても親の種族が分かるようにと、街の親達が始めた者である。今では神隠しこそ収まったが、家の装飾をどれだけ上手く主に似せられるか腕を競い合って、それが上手い者はステイタスになったという。その文化は今も続き、その景観はこの街の名物であり、今も観光や貿易に来た旅人達を迎える名物となっている。
 一流の職人に仕立て上げられたプクリンのギルドは見事な造形で、それがまた何とも言えない不気味さを醸し出している。その光景に苦笑しながら、エレンはギルドを目指した。
「さぁ。舌噛まないようにね」
 軽口を叩きながらフライゴンは二人を下ろし、そして一歩下がる。
「なんか……ずいぶん久しぶりな気がするね」
 アグニが立ち尽くしていると、シデンは小さな声で相槌を打つ。
「実際、六月の終わりに未来世界へ連れて行かれたから……もう二ヶ月か。九月って事はもうすぐ春だし……時間が流れるのって早いね」
 二人は感慨深さを言葉にした後、フライゴンに振りかえる。
「色々と……ありがとうございました」
「あ、ありがとう」
 シデンとアグニ、二人が頭を下げて挨拶をする姿に微笑みかける。
「なに、こっちは商売だ。ちょっとしたサービスをつけたくらいじゃ、お礼を言うのは常に客ではなく雇われる側だよ。こっちも儲かった……ありがとう。
 それじゃあ、いつかまた縁があったら私を指名してくれよな」
 砂漠の砂のようにさらりと言い、フライゴンは砂埃を立てて飛び立った。街の方向へ飛び立って、疲れた体を休める宿を探しに行ったのであろう。
 立ち上る土ぼこりに目を細めながら手を振り見送ったシデン達は、ギルドを見る。
「いざ、来て見ると……なんか入り辛いよね。なんか、悪い事したのを告白するみたいでさ……オイラ達突然居なくなっちゃったわけだしさ……いきなりただいまって入っていくのもなんか恥ずかしいような……」
 シデンが黙って頷く。
「いや、恥ずかしがっている場合じゃないか。皆に会って、事実を話さなきゃ……」
「そうだね……自分も緊張しているけれど、こればっかりはいつかやらなきゃいけない事なんだし……ところでどうする、見張りの穴? どっちの足跡でもジェイクなら気がついてくれるだろうけれど」
 シデンの言葉にアグニは頷き、一歩踏み出した。
「じゃあ、オイラが」
 ディグダのジェイクとドゴームのラウドが担当する欠陥があるような気がしてならない警備システムの見張りの穴。今はその穴が、たまらなく懐かしいものに思える。

「ポケモン発見、ポケモン発見!!」
「あぁ、ジェイクの声だね」
 シデンが懐かしんで少し涙ぐむ。
「誰の足型? 誰の足型?」
「あぁ、これはラウドの声だ……相変わらず声が大きいんだから」
 アグニが苦笑した。
「足型は……多分……いや、これは」
「どうした、応答せよ」
 穴から聞こえてくる声が騒がしくなった。ジェイクが応答する事なく、焦燥に狩られるようにして顔を出す。
「やっぱりだ……。おい、皆、アグニだ!! アグニとミツヤが帰ってきた」
 ラウドに負けない大声でジェイクはその声を呼ぶ。途端に、ギルドの内部から歓声とも悲鳴とも怒号ともつかない声が上がった。
 今日の仕事はオフであるギルドの弟子達が一斉に。弟子ならずとも、同じ街の者として、探検隊として帰りを待っていたギルドメンバー達の顔もある。
 最初に待っていたのは、質問攻め。元気だったのかと言う質問には答えられたが、そこから先は親方の登場で中断させられてしまった。
「皆……疲れているのかもしれないし質問するのは後にしよう?」
 普段見せる事のない泣き顔がそこにあった。目を潤ませてシデンとアグニの二人を抱きしめる親方ことソレイスからは、プクリンの持つメロメロボディ特有のいい匂いがする。特に、女性であるシデンには効果は抜群だ。
 そして何より、雲の中に飛び込んだのかと思うほど柔らかく暖かい。メロメロになって顔がふやけてしまいそうになるのを必死でこらえてシデンは口を塞いで耐える。
「御免、皆も飛びつきたかっただろうけれど……僕が一番乗りで」
 ソレイスの声が涙ぐんでいる。今まで見た事もないような奇異な光景に一同が驚いている間にソレイスは続ける。
「こうする事だけは、流石に耐えられなかった……お帰り、ミツヤ、アグニ」
 誰よりも二人を心配していたとでも言いたげにその体を抱いて温かさを伝えあう。じんわりとした温かみを感じあった後、ソレイスは腕を離して、笑顔を見せた。
「親方……よく見ると弟子が全員が揃っているけれど……なんで、全員揃っているの?」
 シデン達を出迎えた面々は、九人の弟子と親方を含むプクリンのギルドの主要メンバー全員が揃っている。オフの日が重なればありえない事では無いが、確率としては都合がよすぎる。
「昨日は、春オレンの収穫祭だったんだよ……時間の停止についてもいろいろあったから、林業の神……銀のボスゴドラにお祈りしたけれど、まさかこんなお返しが待っているとはね……」
「神の巡り合わせ……か」
 明らかに驚いて見せるアグニに、ソレイス頷いて続ける。
「その顔。ただ、帰って来たなんてわけじゃないよね……何があったの? ミツヤ、アグニ」
 ソレイス親方に尋ねられて、シデンは黙ったまま頷いた。かつてないほど真剣な眼差しを向けるシデンには、皆圧倒された様子で彼女を見つめ返す。
「皆、話があるんだ。大事な話だ……自分達が今まで何をやっていたのか……コリンが、何をやってきたのか……信じられない事ばかりだと思うけれど、聞いてほしいの」
 シデンは薄氷の上を歩くが如く慎重に言葉を選び、そして口を開いた。

310:信用 


「私達に、それを信じろと言うのかい?」
 一通りの説明を聞いて、開口一番チャット=ペラップが難癖をつける。
「当たり前だよ。今はもう……うだうだ言っている時じゃないんだ」
 その難癖に、シデンは毅然とした態度で応じる。挑発的とも取れるシデンの態度に対応するは、チャットのため息。
「あのドゥーンさんが極悪人だとかどうとか、寝言は寝て言いなさい」
「いや、極悪とまでは言っていないけれど……」
「そのドゥーンさんに殺されそうになって、命からがら逃げてきて、おまけにコリンはそれから助けてくれた恩人だなんて……ははは。いったいどの口が言うのやら」
「ちょ、ちょっと待ってよ!! オイラ達、嘘を言っているつもりはないし、今話した事は全部本当だよ?」
「分かってる分かってる。だいぶお疲れのようだし……一晩寝れば治るさ」
 アグニが必死にチャットの言葉に突っかかるが、チャットは子供の戯言とばかりに意に介さない。
「は?」
 凄みを聞かせてシデンが尋ね返すが、チャットはそれにも応じない。
「しつこいな!! お前達の話のどこが本当だって言うんだい? 幻の大地なんて場所、情報屋の私ですら聞いた事がないよ? 大体、あの親切なドゥーンさんがそんな事をするわけもなかろうに」
「オイラだって……信じられなかったよ。ショックだったし、受け入れ難かった……でも、今でも悪夢を見るし、静かで暗い場所にいると不安になるんだ……」
「そうだ。お前は悪い夢を見ていたんだ」
「そうじゃなくって!!」
「うるさーーーい!!」
 食い下がるアグニをチャットが一喝する。
「とにかく、ドゥーンさんが悪者だなんて信じられるか」
「自分も、信じられなかったよ、最初はね」
 不機嫌そうに言い放つチャットに、シデンは落ち着いた声で語りかける。
「でも……」
 歯を食いしばったシデンの頬から、紫色の電気が漏れる。雷パンチを使うつもりはなく、はずみで出てしまった雷鳴に合わせるようにシデンは拳を振り上げ、チャットの横っ面めがけて拳を振り抜いた。
「信じられねぇのはてめぇだよ!!」
 完璧に決まったと思えたその鉄拳制裁はしかし、チャットの翼でいなされ、不発に終わる。
 シデンが暴力を振るおうとした事に目くじらを立てるかと思いきや、チャットはしおらしくなって首を振り、他のギルドメンバーの方を見る。
「なあ、お前達はどう思う?」
「わたくしは……信じます。良く考えても見てください。ミツヤさん達のお話はとても筋が通っておりますし……それに、これまでディスカベラーの二人が嘘をついた事なんてありません。
 だから、私は、事前に受けた相談の件も合わせまして……二人を信じる事にしますわ」
「あ、アッシも……信じるでゲスよ……ミツヤさん達が時空ホールに呑まれたあの時……ドゥーンさんが引きずり込んだように見えたでゲス……それが、きのせいじゃないとしたら……と、考えると」
「レナ……トラスティも……」
 信じる、と言ってくれる味方が増えた事で、思わずアグニから声が漏れる。
「だな。ディスカベラーが嘘をつくなんてあるわけねーよ」
「ヘイヘーイ!! どうせ本当ならば未来世界の発展した技術を語って欲しかったがなー。残念でならねーが、オイラも信じるぜ」
「ラウド……ハンス……」
 再び、アグニの口から声が漏れる。やがて、次々と賛同する声が上がり、名乗りを上げていないのはチャットとソレイスとサニーのみとなる。
「やれやれ……」
 ため息をついてチャットは肩の力を抜く。
「殴られるってのも、楽じゃないね。ミツヤは強いから……まだ翼が傷む。治療費請求しないだけありがたく思ってよね」
 拳をいなした翼にいまだ残る痺れを気にしてチャットは微笑む。

「私もね。色々、ドゥーンの事は怪しいと思っていたさ……でも、すぐに信用して付和雷同されても困るから否定してみたが……ミツヤは私を殴るか……ふふふ」
 何がおかしいのか、チャットは笑う。
「ふふふ、そんなに必死になるくらい、自分達の情報に自信があるって事なんだな、ディスカベラーのお二人さんは。全く、乱暴な子だよ」
「チャットってば……最初から演技だったの?」
 シデンが尋ねると、チャットはおずおずと頷く。
「まぁ、ね。とにかく、皆が私の意見に流されるような半端な気持ちで……君達ディスカベラーを信頼していたわけじゃなくって良かった」
 ほっと息をついたところで、チャットは成り行きを見守っていたソレイス親方の方を見る。
「やあ!! どうやら話はまとまったみたいだね……皆友達を信じてくれて良かったよ」
 はきはきとしたソレイスの声に、ギルドの弟子達は一様に、文句なしに頷いた。
「ミツヤ……いや、シデン。そしてアグニ……僕ももちろん信じるよ。だってギルドの仲間は僕の子供みたいなもの……子供を信じてあげるのが、親の務めだしね」
「そ、そんな……面と向かって言われるとねぇ……シデン」
「じ、自分は……親がいないからちょうどいいかなぁ……なんて」
 二人は嬉しい気持ちを隠す事も出来ずに顔がにやけていた。
「さて、皆も聞いて……今、色々な場所で時が止まり始めている。これは、シデン達が何かを言うまでもなくまぎれもない事実だ……そして、それが世界の危機である事は……僕と、サニーの共通の知り合いのおかげで、実は分かっていたんだ。秘密裏、水面下で僕とチャットとサニーで動いていた……」
「ですわー。チャットが信じられないとかなんだとか言いだした時は驚きましたわ」
 ソレイスの言葉にサニーが相槌を打ち、その後押しを受けてソレイスは続ける。
「それは、情報をもたらしてくれた人というのが、君達ギルドメンバーがあまりいい印象を持っていないものだったからだけれど、この際だから言うよ。僕達は、MADから相談を受けた……」
 MAD、というのは世間的には盗賊集団として認知され、当然その知名度は良くない。もちろん、彼女らが強盗を行っているのでそれをよく思わないのは当たり前なのだが、一般人にはめったな事では危害を加えない事や、必要以上に相手を傷つけない事。何よりチャームズが『盗賊に渡した方がまし』などという発言をする事からも分かるように、彼女らMADは物の価値が分かっている。そう言った事が評価され、一部ではカリスマとして扱われる事もある。
 ソレイスは、下積み時代に彼女らと会い、時の歯車を一緒に見た事を説明する。そして、だからこそ彼女らは今回の歯車の騒動において違和感に気付き、ドゥーンの事を嗅ぎ回り、色々な情報を掴んだのだと。盗賊という事で偏見を持っているかもしれないが、曲がりなりにも優秀な彼女らのいう事であれば信じられるともソレイスは言う。

311:始動 

 
「今までは、ドゥーンの監視があるかもしれないからと、水面下でひっそりと行動していたけれど……でも、シデンとアグニが帰ってきた以上は、もう監視がどうのこうのとは言っていられない」
 ソレイスは一度間をおいて、もう一度口を開く。
「トラスティ」
「は、ハイでゲス!!」
「ハンス」
「ヘイヘーイ!!」
「レナ」
「ハイッ!!」
 そうやって、目についたものから順番に声をかけ、全員の点呼を終えてソレイスは笑む。
「皆、ここは、プクリンのギルドの名に懸けて。幻の大地を発見するよ。がんばろうね、皆!!」
 全員に声をかける事で、その場にいる全員が仲間であるという事を再度自覚させたうえで、ソレイスは皆を鼓舞する。湧き上がる歓声がギルドの地下に響き、主にラウドの大声でびりびりと空気が震えた。
「それではチャット。指示をお願い」
「はい」
 ソレイスに頼まれ、チャットは一歩前に出て指示を下す。

「今から、すべての仕事を幻の大地の探索、発見にシフトする。ギルドの仕事に関しては臨時の者を雇うから心配しないでくれ。そしてもう一つ……シデン達が帰ってきたという事実と合わせて、トレジャータウンの住人及び、この大陸の全域に真実を伝えて欲しい。活字印刷所の方は、サニーが手配してくれ」
「はい、分かりましたわ」
 チャットの指示にサニーが答える。
「さて、シデンにアグニ」
 チャットが指示を終えると、ソレイスが話を継ぐ。
湖の精霊の皆さん達には、すでにMADやフレイムといったチームが力ずくで話をつけに行ったそうだから、コリンが説得しに行っても戦いになる事はおそらくないと思う」
 手紙を通じて見知った情報を二人に告げてソレイスは笑う。
「知ってます。ヴァッツノージって探検家から聞きましたので」
「あぁ、ヴァッツってあのヴァッツさんかなー? ガバイトの?」
「えぇ、そうです。伝説の探検隊の一人で……やっぱり知り合いなんだ」
 ヴァッツという名前に反応したソレイスの問いに、シデンが答えた。
「何回か会った事がね。今では気の置けない友人だよ……うん、あの人ならば安心だ」
 そう言ってソレイスは続ける。
「ともかく、湖の精霊達については、今はもう大丈夫として……一般人への広報は、チャットの言うとおりサニーに任せて、僕達は調べ物に専念しよう。今まで水面下の行動だけでも、信用できる協力者は集まっていたんだ……そして、いま世界に向けて真実を発信する以上はもう後戻りはできない。全力全開、プクリンのギルドの名を示すよ」
 ソレイスは二人に諭すように言い終えてからにっこりとほほ笑む。
「分かってます、親方」
 シデンも思わずつられて笑みを浮かべ答えると、ソレイスは今度は顔を上げ、二人ではなく全員に顔を向ける。
「さぁ、皆で幻の大地の捜索開始だ!! たあーーーーーーー!!」
 ソレイスが腕を振り上げ皆を鼓舞し、次の瞬間ギルドに歓声が沸き上がる。その騒がしさを感じてアグニとシデンは胸の内にあった寂しさが渓流に押し流されて消えてゆくような、さわやかな気分を感じて息をついた。


「そうと決まれば、早速準備だね」
 アグニがシデンと共に再び旅立つ準備をしようと、意気揚々とシデンに声をかける。
「いや」
 しかしそこにソレイスが横槍を入れる。
「アグニ、唐美月さんが、毎日カフェで君の帰りを……その報告を待っている。準備なんてあとでいいから行ってやりな……絶対に喜んでくれるはずだから」
「あ……」
 思い出したようにアグニが声を上げる。
「アグニ。僕達ギルドの皆も家族だけれど、何よりも育ててくれた親御さんなんだから忘れちゃだめだよー?」
 仕方ないなぁとソレイスが苦笑する。
「そうですね……親方」
 そう言ってアグニはシデンの手を握る。
「行こう、シデン。おじさんにも帰還報告をしなくっちゃ……」
「うん、行こっか、アグニ。マリアおばさんにも、カクレオン兄弟にも……皆にも会わなくっちゃ。やる事が……一杯だ」
 暖かく受け入れられた事が嬉しくて、シデンは涙の雫を落とす。
「行ってきます、親方!!」
「気を付けて!! 今日はゆっくり心身ともに休めるんだよ、僕の友達!!」
 そう言い残して、二人は心の重荷を捨て去った身軽な体でギルドを抜ける。

「おじさんと何を話そっか……シデン?」
「自分に聞かないでよ」
 嬉しそうに二人は話し合う。会いたい人がいる。話したい人がいる。
 それらを目の前にして休に湧き上がってきた欲求を、何も憂う事なく満たす事が出来る。それがなんと幸せな事なのかと、噛みしめるように、抱きしめるように、その幸福を味わおうとする二人の目には涙がたまっていた。

312:親孝行 


 二人はパッチールのカフェ、『マイぺース』にたどり着き、浮かない顔で紅茶を啜る人影を見つけて声をかける。
「唐美月さん」
「……アグニちゃん?」
 振り向きながら、声で誰かを思い出す。そして、顔を見て戦慄する。
「貴方、生きていたの?」
「ごめん……その、ただいま」
 申し訳なさと嬉しさでアグニの声が震える。
「今まで、ずっと心配していたんだからね」
 しかしその震えも、唐美月に抱きつかれる事で収まった。
「まったく……貴方の親に何と言い訳すればいいのか分からなかったじゃない……」
「本当にごめん……」
 湿り気を伴った足で腕に絡みつかれ、アグニはとにかく謝った。
「確かに心配かけたけれど……でもいいのよ、戻ってきてくれて、それで元気ならば……いろいろ言ったけれど、それでよし。ミツヤ君の事も守ってくれたみたいだしね」
「ははは……むしろミツヤには守られてばっかりだったうよ」
「守っちゃいました。自分が」
 苦笑を浮かべてアグニが説明すると、シデンはおどけて笑い唐美月は笑っていた。
「何があったか、聞かせてもらえるかしら、アグニちゃん? いろんな噂が立ったけれど……どれも嘘くさいし、良い予感はしなかったから。教えて欲しいの」
「うん……信じてもらえるかどうかいろいろ心配な事もあったけれど……今なら、何も恐れずに話せるよ」
「話すのも恐ろしいって事は嘘のような話なのかしら?」
 唐美月が尋ねる言葉に二人は頷く。
「でも、ギルドの皆は信じてくれたから……だから、唐美月おじさんなら……いいや」
「ん、どしたの?」
 なぜかアグニが言葉をためらうのを見て、シデンが首を傾げる。
「父さん、って呼んでもいいよね? ソレイス親方に先に父親を名乗られちゃったけれど……。おじさんの事を、父さんって呼んでみたいんだ」
「ははぁ……なるほど」
 シデンが納得する。本当のところ、彼女もアグニの真意はよく分かってはないが、なんとなく恩返しというか、親孝行したい気持ちになったのだという事まではシデンにも分かった。
「ふぅん。よく話が見えないけれど、アグニちゃんは先にギルドに帰ってから、何かあったのね?」
「何かあったような気もするけれど、何もなかったような気もするなぁ……未来世界に行ってきて……そこで死ぬほど寂しい思いをしたから、皆の温かさが嬉しくって……当たり前の事だけれど、それがすごく嬉しかったからさ。
 やり残した事があるままで死ぬのは絶対に嫌だって……そう、思えるようになったの」
 親代わりとして育ててくれた唐美月に対して父さんと呼びかけるのも親孝行の一環なのだろう。呼ばれた瞬間、唐美月は驚いていたが、その後の嬉しい表情はシデンにも簡単に読み取れた。
「だからまぁ、なんていうのかな……もっといろんな人を、大事にしたいって思ったの。いつ、どんな事があっても後悔しないようにってさ」
「ありがと、アグニちゃん。嬉しいわ」
 言われる立場の唐美月は、感無量といった感じでもなく、微笑みながら冷静にアグニの言葉を受け入れる。
「私も、親友が目の前で衰弱していくのを見守ったからよく分かるわ。恩返ししたい相手が元気なうちに恩を返すとか、そういう気持ちは大事よぉ」
「うん……行方をくらましている間に……今までで一番、人の大切さを感じた。シデンの大切さも」
「シデン……って……あぁ、ミツヤちゃんの事だったわね? 本名が光矢院=紫電=ピカチュウだとかどうとか」
「あ、あぁそう……本当に色々あってね……ねぇ、シデン。ちょっと父さんとお話しするから……適当に何か飲んで待っていてくれるかな?」
「分かったよアグニ。ごゆっくり」
 アグニはシデンが別の席に移るのを見送ってから、とりあえず飲み物を頼み未来世界であった出来事を語る。
 ミツヤの呼び名をシデンに変えたわけも合わせて語り、キザキの森からミステリージャングル、そしてここに至る道のりまで。
「アグニちゃん……大変だったのね」
 彼の苦労を労わるように唐美月は言う。
「うん、くじけそうにもなった」
 アグニは頷いてため息をつく。
「でも、そんな苦難にあっても大丈夫だったのなら、これからもやっていけるわ」
「……そう言ってもらえると。嬉しいな」
 唐美月に背中を押されるような言葉を掛けられると、今までの不安や恐怖が消えていくような気がする。
「さて、今日は……拾った子供に初めて『お父さん』って呼んでもらえた素敵な日だけれど……私も思い出すわね。貴方を引き取ってからの数年間」
「色々、お世話になったからね……父さんに」
「両親が死んでから、泣きながら私に縋り付いてきた時期もあったけれど……十二歳の時にはもう、貴方は自分で働くって言いだしてたわね」
「ほら、父さんはご隠居生活で働いていなかったから。救助隊で一杯稼いだおかげでお金は余っているからって、勉強を熱心に教えてくれたけれど……だから、働く事を少し甘く見ていたんだ……父さんに干渉されるのが嫌で、衝動的に出てっちゃったのは、今は悪かったと思ってる」
「アグニちゃんが私の元を去ったのはちょうど反抗期だったわね。もう充分勉強したから社会に出ても大丈夫だって。自分の家に戻って一人暮らしして……私は毎日心配だったわ」
「オイラも、父さんと一緒に居ないときは色々不安だった。いなくなってみると、少し寂しくなったけれど……意地になって帰れなかったから」
「子供は迷惑をかけるのも親孝行の内よ。アグニちゃんは帰ってくれば良かったのよ」
「今はオイラも素直にそう思う。帰って来れば良かったって……ずっと、一人で料理もするようになったから、おかげさまで料理も上手くなったよ……」
 アグニはジュースを飲んで、ほっと息をつく。

「思えば、どうしてあの時は父さんが疎ましかったんだろう……こんなに良い人なのに、罵ったりもして……」
「さあね……子供はそういうものよ。自分の時間を作りたかったのもあるだろうし、きっと照れくさかったのもあるのだと思うわ。私は……貴方と一緒に居てあげたかったのよ。両親がいない分も埋め合わせできるように。でも、あの時はもうそれが逆効果だったのよね……
 でも、なんだかんだでこうして立派に育ったから後悔はしていないし……それに、父親と認めてもらえたから、あのころの日々は無駄じゃなかったって確信しているわ」
「うん……オイラも、親孝行出来るうちにこの気持に気付けて……良かったと思ってる。えっと……その……今までありがとう。それと、これからもよろしく……なんて、簡単な言葉だけれど……オイラ、親孝行できるように頑張るから」
 アグニの言葉を聞いて唐美月が顔をほころばせる。
「親孝行ならばもうしているじゃない? たとえば星の停止……」
「星の停止……」
 オウム返しに口にしたアグニに頷き、唐美月は続ける。
「そう、星の停止。それを食い止めようとしているんでしょう? だったらそれが最高の恩返しよ。だから、仲間を信じて突き進みなさい……ギルドの仲間も、シデン君も、そしてコリンさんも」
「うん……分かってる。いまだに、実感が分かないけれど……もう、世界が大変な事になっている事は疑いようもないようだし……父さんの老後も、安心して暮らせるように、オイラ頑張るから」
「うん。いつか孫の顔も見せなさいよ?」
「シデンと……? いやそれは、まんざらでもないけれどさ、もう少し表現を工夫してほしかったなー」
「ごめんね。上手い言い方が思い浮かばなかったのよ……。それで、貴方達はこれからどうするの? 私の家に来てお食事会でもいいし、ギルドの皆と話すのもいいと思うし……」
「えと……とりあえず、街の皆にあいさつしようと思う。リバースさんにも、マリアおばさんにも、カクレオン兄弟にも……無事だって、自分の口で伝えたい。それが終わったら、オイラはギルドに帰ろうと思う……皆と一緒に食卓を囲みたいから……父さんもどう? 今日くらいは皆許してくれると思うし」
 残念、とばかりに唐美月が表情を変えると、間髪入れずにアグニは唐美月を誘う。
「そうねー。ソレイスさんも最近忙しいから、ちょうど話す機会にもなるってものよねー」
「うん、せっかくだから皆で一緒にご飯を食べよう……だから、美味しいものをいっぱい作って待っていてよ」
「そうね。貴方の父さん母さんも連れて行くわ。シデン君が用意してくれた肉を溶かす粉のおかげで美味しいオリーブの塩漬けも出来た事だし、他にももろもろの料理をお酒の肴に振舞っちゃうわ」
 聞いているだけで久しぶりに酒が飲みたくなるような、そんな話でさらにアグニの気分は舞い上がる。
「シデンとは……お腹減らしていこう」
「そうね、アグニちゃんも楽しみにしていてね……」
 アグニと唐美月はお互いに言いたい事を言いつくして、沈黙する。
「じゃ、オイラそろそろ……」
 数秒ほどたってからアグニは口を開き、見知らぬヘラクロスと世間話をしているシデンを見る。
「うん、いってらっしゃい」
「……それじゃ」
 しばしの別れを惜しみながら、アグニはシデンに駆け寄る。

「行こう、シデン」
「分かった。今飲んじゃうから少し待ってて」
 そんな会話の後、二人は店を出る。そしてトレジャータウンを練り歩き、昔働いていたガラガラ道場や、いつもお世話になっているマリア=ガルーラの貸倉庫屋。カクレオン兄弟の雑貨屋などなど、自分達を心配していたであろう人達を片っ端から訪ね歩く。無論、オリーブの木に生まれ変わった両親への墓参りも忘れずに行き、色んな気持ちを色んな人へ吐露した。
 そのたびに、皆の温かい歓迎に少し涙ぐみ、胸に想いが込み上げる。ギルドに帰って食事をしている時も、当たり前のように湧き上がるその感情のせいで、アグニはふとした瞬間流れそうになる涙を抑える事に苦労した。
 生きていて良かったと、当たり前な感情が、未来世界の後だとこうも自覚できる。嫌な思い出ばかりの未来世界ではあったが、そこには本当に感謝しなければあらないと、シデンは感じた。

313:酷い女? 


 ベッドに入ってからも、その気持ちは継続していた。胃袋が破裂しそうなほどの満腹を抱えてベッドに横になった二人は、いつものように天井を見つめて会話を始める。そうして始まる会話は、『生きていて良かった』と今まで生きていた中で一番強く感じた、取り留めもない今日という日の感想だ。
「生きていて良かったって……コリンが、こっちの世界に来た時も……そうだったのかな?」
 アグニが何のけなしに口にした事に、シデンは頷く。
「生きてて良かったって? そりゃ感じただろうね……。太陽の光って、本当に暖かいし……今は冬だけれど、春にこっちに来たときは、それはもう……言葉に出来なかったんじゃないかな。
 当たり前に太陽や時間がある事が、どんなにありがたい事か……自分達も、それが分かったから。どん底を体験できた自分達は、ある意味幸運なのかもしれないね」
 昼間感じた事を口にして、シデンは微笑む。
「うん……皆がちやほやしてくれたのもあるけれど、きっと明日からはいつもの生活に戻る。でも、それでもきっと、この気持はいつまでも残るんだと思う……生きていて良かったって……本当に、オイラ達は幸せ者かもね」
 シデンに言われて、アグニもしみじみと幸福を自覚する。

「生きていれば、色々あるもんね。誰かと恋に落ちることも、子を為すことも」
 そうして胸の温かい気分を味わっているアグニへ、シデンは色っぽい声色でアグニへ語りかける。
「シデン……それは誘っているの?」
 アグニが問いかける。
「うん、誘ってる。でも……強制はしないよ。きっとアグニの事だから、『時限の塔をどうのこうのしてから』って……言われてお終いだもんね」
「よく分かっているじゃないの」
 アグニが笑う。
「分かるよ。アグニの事だもん……全部じゃないけれど、多少の事は」
「でも……オイラはまだ、シデンの事がよく分からないな……少し、恥ずかしい」
「自分の事は自分でもよく分かっていないから、仕方ないよ……だからアグニ、心配しないで」
 シデンが諭して、力なく笑う。
「それにね、アグニ。自分……どっちが好きなのかも、よく分かっていなかった」
「それって……!!」
 言いかけてアグニが言葉を失う。
「コリンと浮気しそうになった。まだ、揺れてる……コリンと一緒に居ると、なんだか懐かしいって気分と愛おしい気分がしてくるの……心の奥底で、自分……コリンを覚えてる。
 自分はどっちつかずで……ミステリージャングルでコリンと二人きりになったあの時……コリンに選択を任せてしまったんだ。体をさらけ出して、抱くなら抱いてって」
 アグニは無言でシデンの言葉の続きを待つ。
「結局、コリンは私を抱かなかった。私は……多分そうなるとは思っていたけれど」
「コリンが……もしもその気になったら?」
「きっと、私の処女はコリンの物だったね」
 自嘲気味にシデンが笑う。
「コリンは、優しいから……だから、アグニやソーダちゃんを裏切られないとは思っていたけれど……うん、想像通り。そんなコリンが好きだから、私は今でもコリンとアグニの間で揺れているし……アグニやソーダを裏切ってでも、私の手を取ってくるくらいの積極性があるなら、例えソーダを裏切るような酷い男でも好きになれる気がしたんだ……」
 ひとしきり言って、シデンが尋ねる。
「ねぇ、アグニ。私って酷い女かな? サニーは以前……タマゴグループなんて度でもよくなるくらいの恋が出来たら素敵だって言っていたけれど……まさにそう。
 コリンと自分の恋は……素敵な、恋だった……今でもコリンに恋している……貴方を裏切ってみたいと思ってしまった……」

 アグニは首を振る。しかし、それは否定の意味で振られたわけではなく、答えられる訳がないという意思表示であった。
「分かんないよ……オイラがコリンと同じ状態になったら、そりゃシデンを改めて自分のものにしたいし……でも、シデンの気持ちは、本当に分からないんだ。記憶がなくなったって言うのもよく分からないし、記憶が少しずつ戻っているっていのもなんだかよく分からなくって。
 オイラがシデンに対して寄せる好意と、シデンがコリンに対して寄せる好意一体どんな違いがあるのかも分からないし……だから、浮気だとか、そう言うこともあるとは思うし。
 それにさ、結局浮気はしていないんでしょ? 何もせずに我慢したのなら、それ以上オイラが何も言うことはないし、オイラが何か言う資格もないと思う。気持ちにまで嘘をつけとか、コリンの事なんて忘れてしまえとか……そんなこと言えない。
 好きだって気持ちまで拒絶することはオイラには出来ないし……それに、コリンは男のオイラから見ても素敵な男性だと思うし……もしもコリンがシデンをさらって行くなら……悔しいけれど、仕方がないとは思う。
 だから、その……オイラは、このときの歯車の件が終わったら……シデ――」
「コリンは、歯車の件が終わったら未来に帰るんだって」
 アグニが言い終わる前に、遮るようにしてシデンが言う。
「だから、さらうなら……私の手を取るのならば……コリンが、未来に帰る前に……その前にお願い。アグニ」
「……いやいやいや、何言っているのさシデン。何も、世界を救ってすぐ後にコリンが帰るわけじゃないじゃない?」
「あ……」
 アグニの発言でようやく気付いたのか、シデンは間抜けな声を上げる。
「そうだ……よね。何勘違いしてたんだろう……」
 もちろん、それが勘違いなどではなく、シデンの思惑は正しいのだが。世界を救うと同時に、彼女とコリンの存在は消えてなくなるのであるが。コリンがそう言及していない以上、アグニの言葉にも一理あった。
「だから、本当にごめん、シデン……待って。待って……くれるかな?」
「分かった……待つよ。コリンとアグニ……どちらについて行くか、決めるために……待つよ……全てが終わるまで。だから、アグニ……」
「分かってる。散々先延ばしにしてきたけれど、絶対に娶るから。それにふさわしい男を見せるから……同じことをコリンがしたとしても、シデンを絶対に後悔させない……だから、全部終わったら……結婚しよう」
 天井を見つめて、アグニは力強く宣言する。
「アグニ、期待してるよ」
 本当にアグニは成長したものだと、シデンは思う。あの気弱でギルドに踏み出すことも出来なかったアグニが、女を口説けるようになるだなんて。
 これで、あと少し。幻の大地まで行き、そして歯車をはめ込めば慌ただしかった騒動も終わる。今はアグニに傾いているが、その時が来たらどちらを選ぶべきなのか。分からなくってシデンは少し怖かった。
 どちらかを選んだ時の、残されたもう一人の顔を想像すると、どちらも祝福してくれるような気がする。そして、そのあとどこかで一人で泣いているような気がする。
「私は……やっぱりひどい女なのかなぁ。どうあっても……一人のいい男を泣かせちゃう」
 そう思わずにはいられなくて思わず自嘲気味に笑って口に出す。アグニはもう、眠っていた。












次回へ


コメント 

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  • >2013-11-03 (日) 02:46:36
    大体はお察しの通りなのです。ダークライの件がなかったら、アグニを成長させるためにも消えたままにするのが神としての役割だったかと思います。
    シデンを復活させたのも、おそらくは苦渋の決断だったのでしょう。ソーダは……私ももうすこし救ってあげたい気持ちですw

    テオナナカトルは、その通りコリンたちの世界の未来ですね。すでにコリンたちの戦いは神話になっているようです
    ――リング 2013-11-22 (金) 00:37:02
  • ふむふむ、こうして読むともし原作のストーリーにダークライの話が無かったら、リングさんバージョンはシデンが復活しないまま終わってたのかなって思いますね。

    ソーダがちょっと可哀想でした。

    テオナナカトルって多分、コリンたちの世界の未来の話ですよね?
    ―― 2013-11-03 (日) 02:46:36
  • >狼さん
    どうも、お読みいただきありがとうございました。
    『共に歩む未来』のお話では、もう一つの結末というか、私としてはこちらのほうがよかったという結末を書いて見ました。
    ディアルガのセリフから察するに、本当の未来はシデンが生き返らない方であったという推測が自分の中でありましたので……。
    こんな長い話ですが、読んでいただきありがとうございました
    ――リング 2013-06-26 (水) 09:49:35
  • 時渡りの英雄読ませていただきました。私は探検隊(時)をプレイしたのでだいたいのことはわかるのですが時渡りの英雄ではゲームとは違ったおもしろさがありゲームではいまいちでていないところまで実際そんなストーリーがありそうな気がしたり(当たり前か)してとてもおもしろかったです。
    『ともに歩む未来』では[シデン]が蘇らないのかと思ったら[アグニ]の夢というおち、少しほっとしたり…。
    これからも頑張ってください。
    ―― ? 2013-06-17 (月) 21:31:32
  • 時渡りの英雄これから読んでいきたいと思っています。
    時渡りの英雄は10日ぐらいかかると思われます。
    読むのが楽しみです
    ―― ? 2013-05-25 (土) 02:02:01

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Last-modified: 2012-02-23 (木) 00:00:00
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