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愛と、石と。 -3-

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SOSIA.Ⅳ

愛と、石と。 

Written by March Hare



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◇キャラ紹介◇
○シオン:エーフィ
 主人公。見た目は美少女な(オトコ)の仔。

孔雀(くじゃく):サーナイト
 暴走サーナイト。

橄欖(かんらん):キルリア
 孔雀の妹。シオンの付き人。

○ヂッグヴェーグ:メタグロス
 百匹斬りの英雄。のはずだけど……?

 etc.



「……ま……シ……さま……て、下さい……」
 声が聞こえる。体が揺れてる。
「シオンさま……」
 細くて消え入りそうな、病人みたいな声。
「起きて……」
「ん……」
 重い瞼を押し上げると、真っ白な顔に赤眼の丸い顔があった。やけに暗いのは彼女の髪が落ちかかっているからか。
「……橄欖」
「御目覚めに……なられましたか……シオンさま……」
 橄欖が体を起こしたことで周囲の景色が目に飛び込んできた。
「……え?」
 シオンは四肢を投げ出して横たわっていた。今、首だけを持ち上げて、視線は橄欖の後ろ、つまり水平方向で。
「ええっ!?」
 壁に丸テーブルとソファが置いてある。ていうか絨毯も敷いてあるし。床? じゃあ僕が今いるところが壁?
「どこか……痛いところはありませんか……?」
「ない。ない、けど……」
 状況が飲み込めない。洞窟の中でかわらずの石を発見して、
「説明している暇は……ありません……立てますか……?」
 説明している暇がない、とは。そんなに緊迫した状況にあるわけ?
 刹那の光と爆発音。シオンは反射的に飛び起きて臨戦体勢に入った。何者かの攻撃を受けている?
 壁沿いの柱、いやこの場合壁みたいな床に横たわった段差というべきだろうか、シオン達はその影に隠れている。攻撃はその向こう側から。柱越しでも尋常でない威力を感じ取れた。柱ごと破壊せんばかりの勢いで、このまま隠れていられる時間も長くはなさそうだ。
「出口は……わかりますか……?」
 エーフィには敏感な体毛で空気の流れを感じる能力がある。集中すれば、微妙な空気の流れの違いから建物内の構造がある程度はわかる。
「うん……たぶん、こっち」
 幸いというべきか、攻撃の方向とは逆側だ。
「ついて来れる?」
「はい……大丈夫です……!」
 橄欖の眼差しに、不安にさせない何かを感じた。きっと大丈夫だ。
 バチバチと電気を帯びたようなビームの発射音がした。直後にまた爆発。その余韻が残るうちに、シオンはその場を飛び出した。追撃は来なかった。時々橄欖の姿を確認しながら、部屋の壁だったり天井だったりを走った。廊下などは重力に反して燭台の炎が天井の方向に伸びていたから、自分たちの方が重力に反していたのかもしれない。
「たぶん、もう少し!」
 橄欖は驚くほどに速かった。速いだけじゃなくて、なかなかの運動能力だった。越えられないかと思った高い段差も苦もなく越えていたし、危なっかしいと感じた場面は一度もなかった。
 ステンドグラスのような装飾の施された大きな扉が見えた。眩しい外の光がガラスを通して差し込んでいる。両開きで、上部は弧を描いて尖った形だ。ただ、横向きだった。シオンたちが壁を走っているからなのだが、ここまで来るともう見慣れていた。
「わわっ」
「きゃ……」
 だから、外に飛び出した時は何が起こったのか判らなかった。念動力(サイコキネシス)でも食らって右側に叩きつけられたのかと思った。
「いたたた……」
 違った。扉をくぐった瞬間、重力が元の方向に戻ったらしい。後ろを見ると、オレンジっぽい砂の地面に白を基調とした派手な館がそびえていた。
「シオンさま……」
「何ともないよ。橄欖の方こそ大丈夫なの」
「はい……わたしは……」
 シオンが思っていたほど弱くはなかったらしい。これまでの旅路では孔雀が目立ちすぎて、橄欖の身のこなしまで見ていなかったが、ひょっとすると自分の身は自分で守るくらいのことはできるんじゃないだろうか。
 ふとそんなことを考えて、大変なことを忘れていたのに気づいた。
「そうだ、孔雀さんは?」
「それが……」
 橄欖の表情が沈んだ。
「えっ……嘘……」
 ただでさえ暗い声がさらに暗くなったものだから、最悪の事態を想定してしまった。
「いえ……最初から……シオンさましか……いらっしゃいませんでした……」
「……びっくりさせないでよ。さっきのやつにやられちゃったのかと思ったじゃない」
 が、見知らぬ土地で行方不明というのも明るくない事実ではある。
 っていうかそもそも、ここはどこ?
 洞窟の中で変わらずの石と思しき物体を見つけ、その光に飲み込まれて。
「あの石の力で……時間と空間を……超えてしまったようです……」
 確かに、そうとしか考えられない。今いる場所はどう考えても砂漠の真ん中だ。れき砂漠というやつだろうか。砂漠の真ん中に館があるのも変な話だけど。
「姉さんが……近い場所にいるとも……限りません……それよりも……」
「このままだと干からびて死んじゃう……よね」
 食料も水も洞窟の外に置いてきてしまった。この館には戻れない。
 オアシスでも探すか、砂漠に住むポケモンに会うか。イシツブテ系やサボネア系のポケモンは砂漠でも暮らせる。ランナベールのような都市化した場所では様々な種が入り乱れているが、過酷な環境下では限られてくる。どちらにしてもポケモンに会えば街なり何なりの方角も教えてもらえるだろう。
「闇雲に歩いても仕方ないし……近くに何かないか、探してみる」
 探してみるとはつまり空気の流れを読むということだ。木が生い茂るオアシスや集落みたいな大きなものがあれば多少なりとも風が変わる。あまり遠いとダメだけど。
 目を閉じて集中すること、数十秒。
「あっちの方に何かある気がする」
「何か……とは……?」
 地平線までは何も見えない。シオンの感覚が正しければ、その向こうに何かがある。
「良ければ集落、悪ければ大岩かも」
「何もないよりは……」
「こうしてても体力を削られるだけだし、行こう」
「はい……わたしは……あなた以外の……感情を受信したら……伝えます……」
「お願い」
 範囲こそ狭いが確実だ。無機物に感情はない。感情があれば、そこにポケモンがいるということなのだ。
 それっきり、二匹は黙って歩きはじめた。陽射しを遮るものはなく、体温を超す気温、熱風、踏みしめる地面も熱い。
 それから数十分。歩けど歩けど何も見えない。自分の感覚を疑いそうになったけどさっきの場所には近づいている。少しふらふらして感覚が狂っているかもしれないけれど。
 やばい。想像以上にきつい。水も無しに砂漠を歩くなんて自殺行為だ。ただの大岩だったらどうしよう。違ったらまた探せばいいなんて思ってたけど、一発で当てないと冗談抜きに死ぬ。どうかポケモンがいますように。水がありますように。
 まだ見えない。もう少しのはずなんだけど。何があるのか。近づくと判る。少なくともオアシスじゃない。オアシスにしては小さい。自分の感覚が信用できれば、だけど。岩にしては風の影響を受けすぎている。布製のテントかもしれない。希望的観測も入っているけど、ここはそう断定しよう。歩いて、肉眼で見えるところまで。
 もう何時間も経ったように感じる。歩いた距離はそんなに長くない。館はまだ見える。地平線までだいたい四キロだから、まだ三キロも歩いていない。確認して再び前を見ると、何かが見えた。白い……テント?
「橄欖、見て! あれ、テントじゃない? きっとポケモンがいるよ!」
「……蜃気楼かも……知れませんよ……」
「もう、どうしてそう不吉なこと言うかな!」
 とにかく視認できたんだ。僕の体毛の感覚とも一致してる。大丈夫、ちゃんとそこにある。
 見えたから元気になる自分も単純かなって思ったけれど暑さや辛さが軽減されたような気がした。
 歩こう。見えていれば近づくのがわかる。少しずつだけれど大きくなっている。
 近づいている。さっきよりもずっと。館はもう見えない。もう半分は越した。もっと進んだ。あと少しだ。
「もう少しだから、頑張って」
 声をかけながら後ろを振り返った。
 ――いない。
 ずっと後ろに緑の髪が見えた。
「橄欖!」
 シオンは慌てて駆け戻った。
「シオン……さま……」
 橄欖は立っているのがやっと、って感じだった。歩くことなんてできそうにもなかった。
「背中に乗って」
「いえ……わたしは……」
 言いかけて、橄欖はばたりと倒れ込んだ。
「橄欖……!」
「……息を……するのも……辛い……です……」
 どうしてもっと早く言わなかったの?
 どうしてもっと早く気づかなかったんだろう。
「水が……水を……どうか……」
「大丈夫、絶対に助けるから!」
 言ったものの、水なんてない。全部置いて来ちゃったんだ。
 どうしよう。本当に。こんな訳の判らないところできみを死なせたりなんかしちゃったら、僕は……

         ◇

 何だろう、この感じ。
 変な薬でも飲まされたみたい。不思議な味だった。気持ち良くなって、意識が遠のいた。今、やっと、私はここにいるんだって実感できた。あたたかい。
 近くに感情の元が三つ。みんな心配そうにしている。とりわけシオンさまの一つは切実で、涙を堪えているのが目に浮かぶようだった。
「橄欖」
 はっきりと聞こえた。
「目を……開けてよ。ねえ、お願い!」
「シオン……さま……」
 はっきりと見えた。シオンさまがわたしの顔を覗き込んでいる。
「良かった! ほんとにもう……一時はどうなることかと思ったよ!」
 助かった……ようだ。
 助けられたんだ。砂漠で倒れたわたしを、シオンさまが。
 橄欖は大きなテントの中で寝かせられていた。
「ここは……何処……ですか……?」
「えっと……」
 シオンは目を宙に泳がせた。
 ……僕にもよくわかんない。
「……僕にもよ」
「そう……ですか……」
「まだ言ってないんだけど」
 言わなくても判りますよ。その気になればシオンさまがずっと黙っていても意思の疎通くらい。
「おう、目ぇ覚ましたか」
 金属音というか電子音というか、今までに聞いたことのないような声が聞こえた。
「このひとが助けてくれたんだよ」
 ドシン、ドシンと重々しい足音で近づいて来たのは、とても珍しいポケモンだった。
 メタグロス。鋼とエスパー、二つのタイプを併せ持ち、高レベルでバランスの取れた能力を持つという。目にするのは初めてだ。
 橄欖は身を起こし、座った姿勢で礼をした。
「ありがとうございました……ご迷惑を……おかけしました……」
「なに、おめえを助けたのはそのエーフィの兄ちゃんだぜ。てめえの女を背負って砂漠の真ん中に布陣してる軍の所に駆け込んで来るたあ、可愛い見た目してるくせに男気溢れたやつじゃねえか。なあ兄弟!」
「や、いつから僕がきみと兄弟になったんだよ。ていうか、僕と彼女はそんな関係じゃないよ」
 と、シオンは頬を膨らませる。
 いつの間にか出会っていたこのメタグロスの青年とシオンさまは妙に打ち解けていた。もうそれなりに言葉を交わしたのか。
 思えば橄欖の体には毛布が掛けられていて、涼しいのを通り越して肌寒い。ランプが吊されているのに薄暗い所もみると、すっかり夜が訪れているらしかった。
「名前は?」
「橄欖……と申します……その方……シオンさまの……侍女を務めさせて……いただいています」
「へえ。カンランってのか。シオンと云いおめえと云い、ここのもんじゃねえよな。異国(ポケ)か?」
「はい……おそらくは……」
 あの瞬間、密林の洞窟が砂漠の館に変わった。ここを異国と呼んで良いものかどうか、橄欖には判断がつかなかった。
「ここは……?」
「大陸の中心、レーク砂漠さ。今、ここを挟んで東西に分かれて戦争してんのは知ってるだろ?」
 戦争中?
 ああ、それで軍の布陣。でも、レーク砂漠なんて。聞いたことがあるような気はするけど、大陸の中心といえば大陸縦断山脈が走っているはずだ。橄欖達もちょうどその辺りにいたとはいえ、山がいきなり砂漠に変わるなんて考えられない。
「なんだ、おめえも知らねえのかよ」
「そんなこと言ったって……仕方ないでしょ。僕達だってどうやってここに来たのかわからないんだし」
「それが俺には不思議なんだよなあ。まあいい。団に転がり込んできたからにはおめえにも状況を説明しておく。今、大陸は俺達エスパータイプと、反乱を起こした悪タイプに分かれて戦ってるんだ。今んところ、こっちには鋼、ノーマル、格闘が追従してくれた。向こうは炎と虫がついてる。後はまだ中立だ」
 タイプ別に分かれて大戦争。貴族のエスパーと悪タイプの反乱軍……まさか。
「うーん、もう一回聞いても全然わかんない。そんな話聞いたことないよ」
「あー……カンラン、シオンは記憶喪失か何かなのかい? 海を渡ってこの大陸に来たにしても話ぐれえ耳に入るはずなんだがねえ」
「いえ……少々……事情がありまして……」
 待て。レーク砂漠。そうだ。思い出した。
「ここは……ナタス大陸……ですか……?」
「ナス? レタス? 何だって?」
 違う。ナタス大陸という呼び名は、クーデターが起こった後にできた悪タイプの政権がつけた呼び名だから。橄欖の予測が正しければ、まだその名はない。
「いえ……今のは……お忘れになってください……」
 その前に確認することがある。
「あなたの名は……もしや……ヂッグヴェーグ……」
「おう。それがどうかしたか?」
「って橄欖、ヂグに名前聞いたっけ?」
「うおう。そういやまだ言ってなかったぞ。何で分かったんだ」
 なるほど、シオンさまが歴史に疎いのはどうやら本当だったらしい。
「有名人……ですから……」
 ランナベールからちょうど南に位置するナタス大陸では現在、悪タイプがエスパータイプを使役する形で社会が形成されている。
 四百年前までは貴族であるエスパータイプが政治の実権を握っていたのだが、クーデターが起こって全てひっくり返ったのだ。
 反乱軍の先頭に立つのはヘルガーのザッケ。エスパーを倒しうる力を持つ悪タイプをけしかけ、自らのもう一つのタイプである炎タイプも味方につけて、次第にナタス大陸全土を巻き込む、属性戦争と呼ばれる大戦争へと発展する。
「橄欖、どうしたの」
「シオンさま……わたし達は……」
 そう。四百年前の話なのだ。そしてヂッグヴェーグは、百匹斬りを達成したとされる政府軍の猛将だ。
 そのポケモンが目の前にいて、自分と話している。とても現実とは思えないけれど、ただのポケモンにはそれを受け入れることしかできない。あの石の作り出す時間と空間の歪みに巻き込まれた橄欖たちは、四百年の時と遠い距離を越えてしまったのだ。
「ヂッグヴェーグさま、少し……席を外して……頂けませんか……?」
 彼には橄欖の知る『歴史』を聞かせてはいけないと思った。橄欖たちが未来人であることも同様に、もしヂッグヴェーグがそれを知れば先を知りたがるだろうから。
「おう」
 ヂッグヴェーグは詮索をするそぶりすら見せず、重々しい足音を立てながらテントを出た。
「どうしたの橄欖」
 シオンはおそらくヂッグヴェーグといろいろ話していただろうに、全く気づかなかったのか。
「驚かずに……聞いてください……」 

          ◇

「えっ、じゃあ……」
「彼らは……敗北……。反乱軍に……敗れます……」
 自分が時を越えてしまったことよりも、シオンにはヂッグヴェーグ達が負けてしまう事実の方がショックだった。
 せっかく仲良くなったのに。あんなにいいポケモンなのに。
「今……格闘タイプはこちらについていますが……戦局が傾き……裏切り……政府軍の……ノーマル部隊、鋼部隊が壊滅……追い詰められた政府軍は……最後の抵抗……残るエスパータイプは……悪タイプの猛攻に為す術なく……」
 昔の戦争はタイプごとに部隊を形成し、同タイプ技をまとめて放つことで大火力を生み出していた。倍化器(ブースター)が作られてからは一匹のポケモンの技が大きな破壊力を持つようになったけれど、その以前はそれが集団戦の定石だったのだ。
 シオンは首に提げた鞄から、倍化器(ブースター)を取り出した。
「僕がいれば」
「いけません」
 言おうとしたことを遮られた。橄欖はシオンの心をたやすく読んでしまう(本人は感情だと言っているけれど)が、仮にも主人であるシオンの言葉を遮って、まして非難するようなことなんてまずないのに。
「歴史を……変えてしまっては……駄目……です。わたし達は……できるだけ何も……せずに帰ることを……考えるべきでしょう……」
 橄欖の言っていることは正論だと思う。誰だって考えることだ。いや、本気で考える場面なんて普通はない。だからこそ『歴史は変えてはいけない』という一般論しか出てこないのではないか。
「いいえ……わたしは……ちゃんと、考えています……」
 この際、言っていない言葉にまで返答が返ってくることに関しては突っ込むまい。
「そうは言うけどさ。ナタス大陸の現状って、悪タイプがエスパータイプを奴隷として使ってるわけでしょ。良い未来とは言えない。それでも変えるのは悪いことだって云うの?」
「シオンさま……考えてもみて下さい……四百年前……ですよ……」
 橄欖は普段は物静かなので、彼女の知識や教養が目に見える形で表に出てくることはほとんどない。こんなに食い下がってくるのも珍しいが、実は頭が良かったのか。
「ランナベールにも……ナタス大陸出身の方がいます……ナタスの血を引くポケモンは……それ以上……」
 でもシオンだって莫迦じゃない。これでも歴史以外の勉強はトップクラスだったのだ。
「誰も殺さなければ」
 言いかけて、橄欖の言いたいことがピンときた。
「あ」
 ダメだ。事はそんなに単純じゃない。
「はい……この戦争で命を落とすはずだった誰かが生き残れば……生まれてこないはずの子孫が……誰かを……殺すかもしれません。それは確実ではありませんが……少なくとも……確実に……カップリングは変化します……それによって……生まれるはずの誰かが……生まれなくなり……例えばフィオーナさまが……消えてしまわれることも……考えられます……」
 フィオーナを引き合いに出すあたり、議論の仕方というものを理解しているようだ。
「ひょっとするとランナベールという国自体がなかったことになるかも知れないんだね」
 そうなればシオンとしても頷くしかない。たまに莫迦になると言われるけど、真剣に理解しようとすれば理解力はある方だと思う。
「でもさ、それって僕や橄欖が消える可能性もあるわけでしょ? もし僕が生まれないことになったとしてさ。今ここに息をしている僕が、忽然と消えてしまうことなんてありえるの?」
「それは……物質としては……そうかもしれませんが……シオンさまもご存知の通り……この世界は二つの層に分かれています……」
 物質の層と、要素の層。ポケモンの技が『無』からエネルギーを生み出す謎の解明と共に明らかになった事実で、今、いや四百年後の世界では十歳くらいの子供でも断片的知識くらいはある常識だ。
「本当に二つだけだと……思いますか?」
「どういうことなのさ」
「存在を確かめる手段がないだけで……実は、幾重もの層の全体像がこの世界なのかも……しれません」
 ふと、橄欖の口調がだんだんと流暢になっていることに気づいた。だからどうということではないけれど、何というか……そう、孔雀さんみたいだ。声の出し方が違っていただけで、声質は似通っていたんだ。
「物質層が他の、もっと根幹にあるレイヤーに依拠して存在している可能性もあります」
 シオンはもう黙って聞くことしかできなかった。理解はできるけれど、まともに反論できるだけの知識が足りていない。
「だとすれば、物質層と要素領域の法則に従わない現象がいつ起こってもおかしくありません。現に今、わたしもシオンさまも時や空間を超えてしまいました。一度例外が起これば、世界はその穴を埋めるべく別の例外を起こして安定を維持しようとします。それがわたし達にとって例外でも、世界からすると発生頻度の低い通常の現象に過ぎないと云うこともできるでしょう。物質層と、僅かに顔を覗かせるだけの要素層しか見えないわたしたちポケモンには、ある意味木を見て森を見ない理論にしか辿りつけません」
 や、きみ橄欖だよね?
 彼女の言葉を理解、吸収することに集中しながらも、心の中で突っ込まざるを得なかった。普段静かなポケモンほど多くのことを考えているというのもあながち間違ってはいないのか。
「伝説のポケモン、幻のポケモンと呼ばれる神の存在も、まだ解明されていません。彼らが世界の管理者であるとも云われていますし、神の存在を認めなければ説明のつかない『例外』も案外近いところに落ちていたりするでしょう」
 そういえば小さい頃少しだけ住んでいた村で、時を渡る幻のポケモン、セレビィに会ったというお医者さんのバクフーンがいた。その村にはとても大きな木があって、その木の周りだけ常夏だった。夏は木陰で涼み、冬は暖まることのできる不思議な大木だった。お医者さんによると、もとはただの落葉樹だったのがセレビィの力でそのようになったのだという。
「そうするとさ……僕たちがどう行動しても、神様の力には逆らえないってことだよね。歴史を変えちゃダメなんじゃなくて、変えられないんじゃないの」
「ですから……そうではなく……」
 シオンが口を挟むと、いつもの橄欖に戻った。
「神が……歴史を変える……ことで、わたし達の……起こした結果と……後の世界の辻褄を合わせる可能性も……あるということ……です」
 たとえば今ここにある物質としての僕が消えてしまう、ってことか。
「どうすればいいのかな、僕たち」
「最低限……誰かを殺したり……殺されるはずの誰かを……助けたり……することはしないよう……帰る方法を考えましょう……」
 ところが、シオン達がゆっくり考えている暇はなかった。
 血相を変えたヂッグヴェーグがテントに飛び込んできたのだった。
「敵襲だ!」

         ◇

 あまりに突然の出来事だった。地面が大きく揺れ動き、シオンは立っていられなくなる。明かりが消え、テントの中は真っ暗になった。
「橄……」
 言いかけたところに、何かが覆いかぶさってきた。
「じっとしていて下さい……!」
 何かって、こんな風に咄嗟の反応でシオンを庇うなんて、橄欖しかいない。立つこともままならない状況なのに、主人の身の安全を第一に考えて。
 揺れが収まるまでどれくらい時間がかかっただろう。大地が動いているのだから、音も尋常じゃない。戦闘慣れしているシオンでも怖くなってくる。
「大丈夫です……わたしが守ります……気をしっかり……」
 橄欖がそんなことを言っていた気もする。
 ようやく揺れが収まり、シオンたちが立ち上がるとヂッグヴェーグが明かりを点けた。
「お前、ただの侍女じゃねえな……?」
「は……? わたしが……ですか……?」
 橄欖は何を言われているのかわからないといった様子だ。
「いや……今は話をしてる暇はねえ」
 外からワアアッと声が上がる。複数。それも半端な数じゃない。敵軍の(とき)の声、技の炸裂音、味方の悲鳴――敵がこの陣に攻め込んできているのは明らかだった。
「お前ら、ここを離れんじゃねえぞ!」
 ヂッグヴェーグはふわりと四肢を浮かせ、テントを飛び出していった。
「ヂッグヴェーグだ……!」
「敵将を討ち取れ……!」
 そんな声がわりと近くに聞こえた。やばいんじゃないのあれ。あのメタグロス、一応将軍なんでしょ。敵が簡単にたどり着いちゃって。
「雑兵如きが、調子に乗んなよ!」
 キュィイイーン、とエネルギーの集束するような音がした。続けての轟音は、打撃と爆発の中間。敵の断末魔。ここまで伝わる振動が、その破壊力を物語る。
「引けっ……! 引けっ……!」
 その後すぐに敵の撤退の声が聞こえた。
 喧騒は次第に穏やかになり、数分の後には静寂が訪れる。
「チッ……敵さんも夜襲たあ粋な事をしやがるぜ」
 テントに入ってきたのは毒づいたヂッグヴェーグだけではなかった。
「被害は大きくはないけど……」
 キリンリキの牝性、サッニア。この軍の副将である。
「その仔たちは無事だったのね」
「おう」
 シオンとは一度話しているが、橄欖とはまだ初対面だ。
「さっきまでは貴女、気を失っていたものね。サッニアよ。よろしく」
 と、橄欖に笑いかけた。
「はい……橄欖です……こちらこそ……よろしくお願い……致します」
 消え入りそうな橄欖の声にサッニアは心配そうな表情を浮かべたが、小さな事は気にしてはいられないのだろう、ヂッグヴェーグに向き直って話し始めた。
「報告では味方の被害が死者十四、負傷者六。敵は死者四。負傷者不明」
 少数での不意打ちにしては上出来だ。引きのタイミングも良かった。あのまま戦い続けていれば数の多いこちらが忽ち巻き返していただろう。
「お前」
 ヂッグヴェーグの視線は、今度はシオンに向けられていた。
「何か考えてんなら言ってみな」
「えっ」
「えっ、じゃねえ。戦場にいてビビらねえ度胸といい今の策士面といい、素人じゃねえんだろ」
 まずい。やっぱり判るものなのか。ここでシオンが考えを述べたら戦局を左右する可能性だってあるわけだし。とはいっても普通に誰でも考えられることなら問題はないだろう。
「策士だなんて。ただ敵も上手だなーと思ってさ。死者四って云うけどヂグが倒した分も含めてでしょ?」
「ああ。あの三匹が欲を張って俺を狙っていなければ敵の被害は一で済んだ。奇襲としちゃ完璧ってやつだ」
「随分と規模が小さいよね。二回目三回目があると考えるべきじゃない?」
「そうね。念のため警備を強化したわ。でも、多分来ない」
 サッニアはヂッグヴェーグを見た。
「地震を合図に、砂嵐に乗って攻め込んできた……地面タイプよね。デモンストレーションだったのよ」
「正直、それが痛い現実だな」
 悪タイプ側についているのは炎タイプと虫タイプで、地面タイプは中立の立場だったはずだ。それを味方につけたということを知らしめるための攻撃、あるいは悪タイプ側への意思表示か。この陣はオアシスに近い所にあるというが、それでも砂漠で戦うのに地面タイプを味方につけられなかったのは痛い。彼らによると、都はレーク砂漠を越えた西側にあるのだという。挙兵した悪タイプの本陣は東側にあり、この砂漠での戦闘が戦局を大きく左右する。
「どうしましょう……また奇襲される前にこっちから仕掛けるのも手だと思うけど」
「だな。しかし昼間の進軍は消耗が激しい。明日の夜、まずは地面タイプを潰しにかかる」
「引いた敵軍に何匹かつけてる筈よ。敵陣の場所は特定できる」
 負けるなんて露ほども思っていない顔だった。シオンにもわからない。さっきの音だけで、ヂッグヴェーグの強さはわかる。彼はきっと、僕がどれだけ背伸びしたって到底敵わないような力を持っている。負けるなんて信じられない。
「んで、シオンよ」
「……何かな」
「難しい顔してんじゃねえよ。言いたい事があるなら……」
「……べつに。何もないよ」
 結末を知りながらどうすることもできないなんて。
「何処から来たのかは知らねえ。この国のもんじゃねえんだろう。だが、同じエスパータイプとして頼む。俺達に力を貸してくれ」
 こういう流れになることは予想できていた。しかも彼らには命を救ってもらった恩がある。
「私からも、お願い」
 サッニアも頭と尻尾の両方の頭を下げた。
「や。僕なんてとても戦力になるとは……」
「じゃあそっちのキルリア……カンランだっけか。お前はどうなんだ」
「わたし……ですか……? わたしは……あくまでメイドですから……」
 橄欖は嘘は言っていないのに、どうしてか嘘をついているように見えた。シオンの気のせいだろうか。
「どうやら今回は貴方の見立て違いだったようね、ヂグ」
「二匹とも腕のあるやつに違いねえと思ったんだがなあ。俺としたことが……」
 このメタグロス、百匹斬りの英雄だけのことはあって確かな目をしているのだろう。ヂッグヴェーグはまだ訝しげな目つきで、シオン達を見ていた。
 さっき橄欖に対してふと感じた違和感と同じものを、どうやらヂッグヴェーグも持っているらしかった。

         ◇

 ここはどこ? わたしはだあれ?
 記憶にない森、記憶にない空、記憶にない風、記憶にない空気。
 長い丸太を一本拾い上げて、わたしの存在すら危うくしそうな木々の間をふらふらと歩いていた。
 時折空いたギャップ*1から差し込む陽光は強く、ギラギラと地面を照らしている。
 オアシス、だろうか。砂漠にあるオアシスはわたしたちの想像上では椰子の木の生えた湖岸だったり広い溜池だったりするが、実際はそれなりに規模の大きな森である。中にいると、ここが砂漠なのかどうかなんて判別できない。空に舞う砂と強い日光が、おそらくそうであることを物語るのみだ。
 それよりも、この空気。記憶にない空気。何か違う。ここはわたしがいるはずの場所ではない。繋がらない。一度切り離されて無理に貼り付けられたみたい。ほんの僅かな違和感でしかないけれど、どうにも馴染まないのだ。
 あの瞬間、わたしとしたことが意識を失ってしまった。気づいた時にはこの森の中に立っていた。わたしは知りたい。ここはどこなのか。
 だから動く者の影を見たとき、迷わず近づいて行った。まあ、もともと迷うような性格ではないのだが。
「もし、そこのノクタスさん」
「……ッ!?」
 そこにいたノクタスは孔雀を見るや否や息を呑んだ。
「サーナイト……だと。貴様、何故ここに」
「はて。わたしにも良くわからないのですが……きゃっ」
 いきなりそう来ますか。
 孔雀は飛んできたミサイル針の尽くを丸太を回して弾き返した。全く非常識な。わたしでなければスピアーの巣になっていましたよ。
 ノクタスは逃げた。後退しながら射撃して、そのまま踵を返して走り出したのだ。
「あの、わたしのお話を聞いてくださいませんか」
「……化け物か……!」
 真横まで追いついて話しかけると、ノクタスは一層足を速めた。こちらもさらにスピードを上げようかとも考えたが、ここが何処なのかわからない今、彼の逃げる先を確かめてみるのも悪くないと思った。
 一定の距離を保ちながら、後に続く。
 木々の間を縫ってたどり着いたのはオアシスの端だった。推測通り、そこには砂漠が広がっていた。
 推測できなかったのは、そこに軍の布陣と思しきテントがあったことと、ノクタスがその中に駆け込んで行ったことだった。
 流石にその中までは入れないので、ひとまずオアシスの端の、木の後ろに隠れることにした。
 旗には赤と黒の、ヘルガーの頭を模した紋様が描かれている。どこかで見たことがあった。それが思い出せない。こんな風にはためいている姿ではなくて。あれは、そう、お屋敷の書庫を整理していた時。
 思い出す前に、目の前の陣が、そこにいるポケモン達が色めき立った。よく見ればみんな悪タイプや炎タイプだ。そのポケモン達が皆整列し始めたかと思いきや、こちらに向かってくる。
「そこにいるのはわかっている! 大人しく投降しろ!」
 ――はて?
 孔雀は木陰から出て、軍に負けない大きな声で叫び返した。
「ここは何処なのですかー!?」
 答えはない。代わりに、バンギラスが高く掲げた前足を前に下ろして叫んだ。
「スパイを捕らえよ! 鬼畜エスパー、半殺しで構わん!」
「……ほ?」
 ちょっとちょっと。この数でわたし一匹をですか。リンチですか。
 丸太一本では少々心許なくはありますが……舐められたものです。

         ◇

 次の日。進軍の準備は着々と整えられていた。そんな昼間のことである。
「報告デス」
 一匹のネンドールがヂッグヴェーグのテントへ入ってきた。
「おおドッグウ。ご苦労だった」
「申シ訳アリマセン。地面たいぷトノ交渉ニ失敗シマシタ。ソレバカリカ昨夜ハ奇襲ヲ受ケタト聞キ……」
「その話はいい。お前のせいじゃねえ。こちらの出す条件が悪かっただけの話だ」
 どうやら同じ地面タイプでも、エスパータイプが含まれている者はこちらについているらしい。当然と云えば当然で、貴族がわざわざ身分を捨てる意味もない。
「敵さんの様子は?」
「ソレガ……信ジテイタダケナイカモ知レマセンガ、嬉シイオ知ラセガアリマス」
「俺がお前を信じないわけがねえだろ。言ってみろ」
 ああ、このネンドールは諜報にあたっているんだ。橄欖はそんなことを悠長に考えていた。
「敵本陣ガ壊滅的ナ打撃ヲ受ケ、東ニ撤退シマシタ。第三オアシスハ今、モヌケノ殻デス」
「なん……だと? 詳しく話せ!」
 変だ。わたしの知っている限りでは、属性戦争にそんな経過はなかったはず。資料が残っていないだけで、エスパー軍が奇襲作戦でも決行したのだろうか。
 一抹の不安が橄欖の脳裡を()ぎった。不安は的中した。
「ソレガ……一匹ノさーないとガ、タッタ一匹デ敵本陣ニ攻撃ヲ仕掛ケ、大立チ回リヲ演ジ……コノ沢山ノ目デ見タコトガ信ジラレマセン。百匹斬リトハマサニアノ事」
「姉さん……! あの莫迦……っ!」
 自然と語気が強まっていた。百匹斬りなどと、そんな非常識極まりない事をやらかすサーナイトなんて、姉さん以外に考えられない。
「な、何だってんだ。敵の本陣が壊滅? カンランの知り合いっつーか姉ちゃんなのか?」
 シオンさまが作業の手伝いでこの場にいないことを不幸中の幸いとするべきか。それにしても不幸が大きすぎる。小さな幸いも焼け石に水がいいところだ。
「いいですか……ヂッグヴェーグさま……この事は……特に、サーナイトのくだりは……決してシオンさまの耳に入る事のなきよう……」
「お、おう」
 有無を言わせず頷かせ、ネンドールのドッグウにも一瞥を向けた。
「コワイ」
「俺達、とんでもねえ奴を助けちまったのかね。とにかく、だ。敵本陣が何物かによって奇襲され壊滅したと伝える。そして作戦変更だ。陣をここ第一オアシスから第三オアシスに移動する」
 これは圧倒的優位に立ってしまったのではないか。勝敗を覆しかねないほどの。いや、時既に遅しだ。百匹斬りが誇張だとしても、敵を撤退に追いやったからには相当数の(ポケ)生に終止符が打たれたものと思われる。姉さんたった一匹の手によって。
「カンラン、お前には後で聞きたい事がある」
 ヂッグヴェーグはお返しとばかりに有無を言わせぬ口調で橄欖にそう告げて、テントを出た。入れ替わりにシオンさまが入ってきた。
「あーーーもぉ、あっっっつい!」
 と、入るなり体を投げ出す。
「不機嫌……ですね……」
「だって今までの準備やり直しなんだよ? 陣ごと移動することになっちゃったんだって。敵陣がいきなり壊滅なんて、変なこともあるんだね。第三勢力の襲撃?」
「わたしも……詳しいことは……」
 勢力と呼べるほどの数はいないのですが。
 歴史の渦に巻き込まれないように自重しよう。そう決めた次の日に、あろうことか身内が、渦に巻き込むどころかめちゃくちゃに引っかき回してしまった。
 これから一体、何が起こるのだろう。

         ◇

「そういえばさ、ばれちゃったんだよね……」
「職業軍人であることが……ですか……?」
 そう。水や食料、松明など進軍の準備を整えていた時、キリンリキのサッニアが何の冗談か尻尾で噛み付いてこようとしたのだ。今思えばあれはシオンを試すつもりだったのだろうけど、思惑通り咄嗟に身を翻してサッニアの背中に飛び乗り、逆に彼女尾の付け根に噛みついたのだった。サッニアは痛みなど感じていない様子で「やっぱりね」と微笑み、シオンの参戦を頼み込んできた。断るに断れず、結局二つ返事で引き受けてしまったのだ。
「どうしよう。敵を倒さず生き残るなんて至難の業なんだけど」
「いえ……普通に戦って……構わないと思います……もう……」
 投げやりに聞こえたのは気のせいではあるまい。
「何かあったの?」
「……敵本陣の壊滅……あれは……わたしたちが現れたことで生まれた……僅かな歪みの結果……史実にはないこと……です」
「そ、そうなの?」
「このままいくと……政府軍の勝利は目前です……」
 橄欖曰く。
 反乱軍の兵力は、現段階ではそこまで大きくはない。地面タイプの掌握を皮切りに次々と味方を増やし、大陸全土を巻き込む流れを作り、最終的に最大の弱点でもある格闘タイプを裏切らせてまで味方につけた事が決め手となる。だが今はまだ、政府軍も反乱軍も大軍勢とは言えないような規模なのだ。一押しで簡単に崩れ去ってしまう。しかも、地面勢にしてみれば、反乱軍に引き入れられた直後のこの体たらくである。離れてしまうことも十分に考えられる。
「こうなったら、もう目の前のことを普通に片付けていくしかないよね」
「はい……難しいことを考えるのは……やめにしましょう……」
 どうせなるようにしかならないでしょ。僕たちが身の振り方を考えたところで起こることなんて、世界にとってはきっと、すごく小さな変化だ。大丈夫でしょ。もともと神様の悪戯で起こったことなんだから、後始末もつけてよね。神様がいるならさ。

         ◇

「あーあ。忙しいったらありゃしない」
 もとはといえばあのはぐれ者(ヽ ヽ ヽ ヽ)の管理がなっていないせいなのに、どうしてボクらが火消しに奔走しなくちゃならないのさ?
 でもずっと平和だとあんまりボクらの存在価値がないんだよね。だから忙しい方が実感が持てる。末端でも、管理者の一員なんだってね。
 なんて愚にもつかぬ事を考えながら、ボクは下界に降りてきていた。下界の者たちが『大陸縦断山脈』と呼ぶ、その名の通りこの大陸を南北にぶった斬る山脈の東側。メテオラの滝。
 なんとこの裏側にある洞窟に、この世界に残してはいけない物を残してしまった阿呆がいた。
 飛行して滝の裏側に入り、洞窟の奥を目指す。曲がりくねった道の向こうに、あった。
「あからさまに不自然だし……」
 天然の洞窟に真四角の部屋。真ん中に置かれた大きな石の周りには、時空の歪みが下界のポケモンが視認できるレベルで具現化している。
 ボクが時の神々の王から仰せつかった仕事は、この歪みに巻き込まれた三匹のポケモンをサルベージすることと、狂ってしまった時の歯車の修繕だ。ボクの意識は時の流れを遡り、過去のこの空間の記憶を辿った。辿るとはいえ全知全能の神アルセウスのようにはいかず、遡る時間が長いほど時間がかかるのが難点だ。
「巻き込まれたのは三匹……場所は四百年前のナタス……だね」
 それにしても、あの阿呆はこんな物を表の世界に残したまま何処をほっつき歩いてるんだか。こういう歪みが表の世界に出てこないように、裏の世界をきっちり管理するのがあんたの仕事でしょうが。あのオオムカデ。ザツ過ぎ。超ザツ。
「早いうち消しておくように釘を刺しとかないとね……」
 ボクはボクの役目を果たさないといけない。
 さあ。ボクが時渡りボケモン・セレビィたる所以をとくとご覧あれ!
「ていっ」
 ――本当は誰にも見られちゃダメなんだけどね。ていうか誰も見てないけど。精霊って悲しいよね、うん。

         ◇

 曇天の空は晴れず、昼間だというのに嫌な暗さだ。
 フィオーナは一匹(ひとり)バルコニーに出て湿った風に吹かれていた。
今この屋敷にいるのはわたしの他に南館で何をやっているのかわからない母親とあの執事、それと、無機的な対応しかしない警備のポケモンだけだ。
 今になって、あの三匹をまとめて出してしまった事を後悔していた。今頃どこでどうしているかしら。案外もう変わらずの石を見つけて帰途についているかもしれない。
 それなのに、この言い得も知れぬ不安感は何だと云うの。
 ただ淋しいだけ?
 それともあの夢の所為?
 莫迦莫迦しい。あんなもの、所詮は夢ではありませんか。
 あの仔たちがシオンを連れてどこかへ行ってしまうなんて。このまま帰って来ないなんて。
 あり得ない。わたしを裏切ることなど。そしてシオンがそれを許す筈もない。
「フィオーナさまぁ、お風邪をお召しになりますよぉ」
 後ろから声を掛けられた。
「ラクートですか。わたしに何か用かしら」
 振り返らず、夜の港町を見つめたまま答える。
「いいえ、私はぁ、奥様にフィオーナさまのご様子をお伺いしてくるようにと頼まれましたからぁ」
 このトゲチック、こう見えて有能な執事である。例えばこういう時に『いいえ』と答えてみせる所。それ以上、不用意に近づくこともせず黙っていること。
 話し方は間抜けているのだけれど、流石にお母様に執事として雇われるだけのことはある。
「……珍しい事もあるものね。あのお母様が」
 普段は何の干渉もしてこないくせに。
「そ~ですねぇ」
 ラクートはラクートで何を考えて生きているのか良くわからない仔だ。ただ、孔雀のことを悪からず想っていると云う事は窺い知れる。
「ラクート……」
「心配ですよね~」
 こちらの言葉を先読みする能力はヴァンジェスティ家使用人のデフォルトスキルなのでしょうか。彼もまた、主の心を覗く目が備わっているらしかった。
「あなたも心配なのでしょう? 孔雀のことが」
 お返しとばかりに、ラクートの心の裡を暴いてやった。
「そうですねぇ~、でもぉ、私はシオンさまのことも好きですよぉ」
「えっ……ええっ……?」
「もちろん、変な意味はありませんよ~」
 この仔ったら。呆気なく認めるだけには飽き足らず反撃に打って出るとは。
「……貴方もつくづく油断のならないポケモンだこと。孔雀とはお似合いかも知れませんね」
「でも私のことなんて眼中にありませんよぉ。孔雀さんはぁ、シオンさましか見ていませんし~」
「だからっ、貴方と云う仔はっ……!」
「あははっ、フィオーナさまもぉ、心配なんですねぇ~。フィオーナさまは、どーんと構えていればよろしいですのにぃ」
「そ、そうね! 天と地が引っ繰り返ってもこのわたしが使用人ごときにシオンを盗られる筈がありませんわ! ほほほほほほ!」
 そうではなくて。この胸の靄は、別のもっと恐ろしい何かですわ。
 ともすれば彼らともう二度と会えないような。
「空、曇ってますねぇ……」
 ラクートも何か胸騒ぎを感じたのか、空を見上げていた。
 その時、全世界の多数のポケモンが同じ胸騒ぎを覚えたという。殆どのポケモンにとっては瑣末な事でしかなかったのだが。

         ◇

「おい、火が見えるぞ……? まだ敵がいるかもしれねえ。警戒しろ!」
 空になったとされる敵陣が見えてきたころ、ヂッグヴェーグが声を上げた。真っ暗な砂漠だから、少しの明かりでも見えてしまう。
 しかし見たところ火は一つだけで、どう考えても敵本陣の一個連隊の存在をそこに認めるには足りない。それに、ひどい血臭だ。どうやら壊滅的な打撃を受けたのは本当らしかった。
「敵ながら……これはひどい」
 陣の側まで行くと、累々たるポケモンの屍、屍、屍。悪タイプを中心に炎タイプや虫タイプのものもある。傷を見るに、殆どが一撃で撲殺されている。いくつかの死体にはちょっと見たことのないような、ポケモンの手によって加工された小さな金属製の物体が、どれも急所に刺さっていた。死体の他には折れた丸太がたくさん落ちていて、血がついているところを見るに主な凶器はあの丸太だ。道具を戦闘に利用するポケモンはいるが、こうまで器用に扱うポケモンは珍しい。
「橄欖、大丈夫?」
 後方支援部隊の中隊を一つ任されたシオンは、橄欖も近くに置いておくことにした。
「はい……」
 橄欖は凄惨な有様を見ても表情一つ変えない。よほど肝が据わっているのか。橄欖といえば、陽州では色彩板石(カラープレート)*2が取れないというので独自の武器が発達したというけど。
「政府軍、ヂッグヴェーグ連隊である! 大人しく投降せよ!」
 死体を踏み越えて陣に突入すると、副将のサッニアが凛とした大きな声で勧告した。見たところ敵はいそうにない、が。
「おや。これはまた物騒な……」
 聞き覚えのある呑気な声と共に、近くのテントから一匹のサーナイトが出てきた。片手に干し肉を持っているのは気のせいだろうか。気のせいじゃないよね。
「エスパー……だと……?」
「エスパーです」
 進み出たヂッグヴェーグにズレた答えを返すと、彼女は干し肉をかじった。
「んー、イマイチですねー」
「何がだ?」
「味といい食感といい、この」
「いや俺が悪かった。いい」
 さしもの百匹斬りの英雄も彼女の対応には困っているようだ。孔雀の誰にも同調しないマイペースぶり、戦場だろうが過去の世界だろうが、彼女にとっては自分は自分でしかないのだ。
「勘違いされる前に言っとくが、俺達は敵じゃねえ。恐らく、お前の妹とその主人をこっちで預かってる」
「妹とそのご主人さま……ですか?」
 最後列にいたシオン達は、兵を掻き分け掻き分け、ヂッグヴェーグのいる最前列を目指していた。
「孔雀さん!」
 声は届くはず、と――
「おおー! シオンさまではありませんかっ」
 孔雀さんは急に飛び立ち、鳥ポケの急降下爆撃さながら、空中からシオンに突っ込んできた。
「わっ、ちょっ」
 兵達がシオンを中心に穴を空けるようにワァっと身を引いた。孔雀さんはシオンを胸に抱いて、着地しないでそのまま折り返し飛び上がった。体が宙に浮いた。まるで連れ去るみたいに。
「心配しましたよー! シオンさまに何かあったらと思うと……」
 空中でぎゅっと抱きしめられた。これぞ抱擁ポケモンたる所以、と言わんばかりの、包み込むような、吸いつくような、暖かくて柔らかい感触に酔いそうになった。
「感動の再会ってやつか。何があったか知らねえが、仲のいいこった」
 ヂッグヴェーグの声で無数の視線に気づいて我に返った。
「あのっ、孔雀さん! 大勢のポケモンの前だからっ」
 本当はもう少し浸っていたかったけれど、さすがに少し恥ずかしい。フィオーナにも悪い気がして。
「ややっ。申し訳ありません、わたしとしましたことが」
「いいから下りよ? ね?」
 橄欖も放置したまんまだし。
 孔雀さんはシオンをしっかりと抱いたまま、静かに降り立った。
「橄欖ちゃんも、無事で何より」
「わたしは……"も"ですか……実の妹なのに……」
 無視されたのが不満なようで、橄欖は珍しく不平を口にした。何故か、その様子を見ていたヂッグヴェーグがしたり顔で頷いていた。

         ◇

「カンラン、お前には後で聞きたい事がある」
 昼にそう告げられた後、出発の直前だった。シオンさまが部隊の編成に携わっている間に、片付けたテントを積み上げた台車の裏に呼ばれて、わたしの戦闘能力について根掘り葉掘り聞かれた。立ち居振る舞いに隙がないとか、強い波導のようなものを感じるとか。彼の直感によると、橄欖はシオンと同等かそれ以上の力を持っている筈なのだと。
 そして今。
「会議を始める」
 ヂッグヴェーグ以下、大隊長が集結する会議にも、孔雀とともに参加させられていた。中隊長という位置付けのシオンさまはいない。
「まずは事実を明らかにしたい。ここにいるサーナイトのクジャクが、本当に一匹で本陣を壊滅させたのかどうかって話だ」
 姉さんには、これらがシオンさまに内密であることは伝えてある。
「クジャク、聞かせてくれ」
 姉さんは正座をして目を閉じていた。いつになく真剣だ。姉さんの感情も……あれ?
「おい、クジャク……」
「ほえ?」
 姉さんの目がカッと見開かれた。と言えば聞こえが良いけれど、要するに居眠りをしていたということだ。
「姉さん……」
 副将のサッニアはじめ、大隊長達が明らかに姉さんを疑っているのがわかる。こんな奴が百匹斬りなどできるはずがないと。
「ここで何があったのか説明してくれ」
「……はい」
 姉さんは欠伸を噛み殺すような仕種を見せ、正座をしたまま話し始めた。
「えっと、どこから話せば良いのでしょう?」
 橄欖は目で合図をした。こっち(ヽヽヽ)に来る前のことは話してはいけないと。
「そうですね……妹達とはぐれたあと道に迷ってしまいまして。わたしはそこのオアシスの中にいました。ノクタスの青年を見かけて、道を尋ねようと声を掛けましたところ」
「襲われたのか。そりゃそうだわな……」
「酷いですよー、おおかた五百か六百のポケモンに囲まれて……百ほど倒したところで、敵わぬと悟ったのでしょう、東の方へ逃げてしまいました」
「本陣を捨てて、か? 本陣の兵力は千以上だと聞いていたが……」
 ヂッグヴェーグは腑に落ちない様子だったけれど、賢明な撤退だ、と橄欖は思った。千の兵を投入したところで姉さんを殺すのは不可能だ。姉さんが勝つとは言わないが、おそらく倍以上の兵を失うことになるだろう。
「千匹も来ちゃったらさすがに勝てませんね。流石に逃げますよー。ただでとは申しませんけれど」
 そう言って姉さんが(わら)った時、空気が変わった。姉さんが恐ろしいポケモンだということを皆、直感的に感じたはずだ。感情の色もさっきまでと違う。
「とにかく、お前がいる限り向こうは手が出せねえはずだ。どうせ行くあてがねえんだろ。お前ら姉妹は切り札として俺の所に置いておく。それで構わねえか?」
「はい……」
「何でもシオンさまの命の恩人だというではありませんか。いざという時は何なりとお申しつけくださいませ」
 この約束が、後に非常に面倒な事態を引き起こすことになる。橄欖も孔雀も、『時』の事など何一つわかっていなかったのだ。

         ◇

「どひゃー。あの仔たち、過去でめちゃくちゃ暴れてるし!」
 後のナタスの大地にシルルが降り立ったその瞬間だった。時の神々の王、ディアルガのダレス様から大量の書類――『死亡予定者リスト』が送られてきた。その名の通り、本来死ぬはずだったポケモンの名が刻まれている。逆はというと、ダレス様と空間の神々の王、感情の三神達の計らいにより調節され、若干死期が早まった者もいるが未来にはまだ影響しない。とは言え、政府軍がこの後行動を開始すれば、大量の反乱軍が殺されて許容数をオーバーしてしまう。
「どう見てもボク一匹(ひとり)じゃ無理だよ……応援を要請しないと」
 死亡予定者の多くはエスパータイプだった。現在の形勢からするにまずボクが政府軍を叩かないと、上位の神々の力だけではかなり無理がある。とにかく、反乱軍が盛り返せば微調整は任せられる。
 時渡りポケモンも楽じゃない。こんな死神みたいな役回りは、気まぐれに奇跡を与えることよりもずっとずっと多いのだ。
 時を渡れるならどうしてもっと前に戻って止めないのかって?
 それは無理なのだ。そもそも、ボクが来た此処、過去とは何であるか。本来、『時』が過ぎ去り、永久に動くことのなくなった世界が過去というものである。そこに現在という絶対的な時間軸から外れた者が、時間の流れをここに持ち込んだのだ。今も本来の『現在』は動き続けているのと同様に、この過去の時間も同時に動いている。パラレルワールドみたいなものだが、『現在』に繋げないと世界の基盤が崩れる。ボク達、世界の管理者たるポケモンの仕事は世界を維持し、ほつれを修繕すること。そのために今、ほつれが大きくならないうちに、一刻も早く彼らを現在に帰さなくっちゃ。

 レーク遺跡に『封印』されているレジロックのイワン、幻界からフリーザーのグリフィを呼んだシルルは、ナタスの者達が『第三オアシス』と呼ぶ地点を目指していた。
「感情の三神と時の神々の王、空間の神々の王が幻界からサポートしてくれるから、ボクたちは普通に戦えばいいよ」
「気は進まぬがな」
 フリーザーのグリフィ。いつ見ても、この世のものとは思えない美しさだ。いや実際この世のものじゃないけどね。幻界の住人でも彼と美しさを競えるのはスイクンのヒスイくらいか。
「シルル貴様、何故砂漠に私を呼んだ。暑くて敵わぬ」
「キミがいるとボクが涼しいから」
 彼を包み込む氷の要素(エレメント)が砂漠に舞わせる雪。地面に触れる前に溶けてしまうけれど、ガラスのような羽、大きな翼がキラキラと輝く姿は全てを忘れてしまうくらいに美しい。下界を飛んいるだけで、まさしくこの世の奇跡だった。
「私を莫迦にしているのか」
「この程度の暑さなら跳ね返せるでしょ?」
 などと話すうち、見えた。遠方、白いテント。リストのうちの大半と、問題の三匹はあそこにいる。



愛と、石と。 -4-へ続く


感想などのコメントいただけると嬉しいです。

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • これ、常緑樹ですよね。
    「お目覚めに、なられましたか、シオンさま。」これ、狙いました?
    ――ワクチン ? 2010-04-27 (火) 20:43:28
  • 常緑樹というのはその通りです……!
    またあとで、どんな関係なのか明らかにしていくつもりです。
    コメントをありがとうございました。
    ――三月兎(マーチヘア) 2010-05-04 (火) 02:27:03
  • ああ、成る程。そういう関係だったのか。
    ―― 2010-05-04 (火) 03:16:10
  • まさかシオンの父はキュウコn・・・
    ―― 2010-05-29 (土) 23:43:52
  • >二人の名無しさん
    ご想像のとおりかと思われます(笑
    ――三月兎(マーチヘア) 2010-06-19 (土) 18:01:50
お名前:

*1 鬱蒼とした森で木が一本倒れるなどして、ぽっかり空に空いた穴
*2 タイプ別の攻撃力が上がるプレート、倍化器(ブースター)の材料

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Last-modified: 2010-05-25 (火) 00:00:00
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