SOSIA.Ⅳ
愛と、石と。 -1-へ戻る
◇キャラ紹介◇
○シオン:エーフィ
主人公。見た目は美少女な
○フィオーナ:エネコロロ
ランナベールの権力保持者、ヴァンジェスティ家の
○
フィオーナの付き人。
○
孔雀の妹。シオンの付き人。
etc.
姉さんの念力は、ほとんど限界ギリギリまで細分化できる。エレメントの粒子で対象を包み込んで意のままに操るのが念力の正体なのだが、姉さんは細胞小器官レベルまで操ることができるのだとか。
傷口付近にしばらく触っていただけで、シオンさまの傷は塞がってしまった。触っていただけ、というのは傍目にはそう見えるというだけで、シオンさま曰く『体を内側から弄り回される感覚』だそうだ。橄欖が進化を止めてもらう時の感覚もそれに似ている。要するにあれの局所的なものだろう。
橄欖達はジルベール王国の首都クリスタルメークのホテルでVIP待遇を受けた。こちらにも極秘で伝えられていたらしい。チェックインも一般客とは別の場所で行われ、裏の関係者専用出入口から入れてもらった。
最上階のスイートルームは、ヴァンジェスティの屋敷に負けずとも劣らぬ豪奢な部屋だ。いや、橄欖や孔雀に与えられている部屋よりは相当に格調高いかもしれない。
「わたし達ってランナベール
孔雀は天蓋つきベッドの上に大の字になっている。
「それは……はい……フィオーナさまと……シオンさまの……直接のお世話を、させて……いただいています……から……」
フィオーナさまは同盟国ジルベールでもかなりの有名人だ。無法地帯の只中に居を構える王女というのが常
もちろんジルベールのような国もあれば、ヴァンジェスティ家を正式な王家と認めない国も多々ある。フィオーナさまのお父上は建国から三代目の元首にすぎず、政府の構造も一般的な国家のそれとは大きく異なっている。加えて、建国の歴史は決して誉められたものではないのだ。
ジルベールのように友好的な方がかえって珍しいのである。
「ところで姉さん……」
防音設備は整ってはいるが、隣の部屋にはシオンさまがいるので橄欖は声を落とした。
「本日の行動……もう少し……気をつけて……くれませんか……? 後ろ廻し蹴りに始まり……ラッタの頭を殴り……そうでなくとも……あの緊張感のなさは……不自然すぎます……このままでは、いつシオンさまに知れるか……」
姉さんにとってみれば、それこそ軍隊にでも取り囲まれない限り窮地とはなり得ないのかもしれない。こんなことを言うとシオンさまに失礼かもしれないが、継承されたはずの両院の血が発現していない今のシオンさまでは勝負にならない。いや、発現したとて、姉さん
「緊張感って……何だったかしら?」
「っ……! 姉さん……貴女と云うひとは……!」
八本、放った。
四本は頭と心臓を、残りの四本は逃げ道を塞ぐように。
「きゃぁん♪」
ベッドに越しかけていた姉さんはおどけた悲鳴を上げながらも冷静に、頭を後ろに反らして二本の釘を躱し、心臓を狙った二本を両手で一本ずつキャッチした。身体を動かさなければ残りの四本には当たらない。
「まったく……
「シオンさまは姉さんやわたしがか弱い存在だと思って……! お怪我までされたのですよ? そうでなくともこの旅自体わたしの為に……ならばシオンさまがわたし達のことで危機に晒されることのないように、苦心されることのないように振る舞うべきではありませんか……!」
「橄欖ちゃん……」
どうやら反省してくれたらしい。肉体的意味でも精神的意味でも、姉さんは殺しても死なないようなポケモンだから、これくらいで丁度良いのだ。
「わたしとしては偶然と偽って悪党の一匹や二匹倒してしまう方がシオンさまが楽に……」
「姉さんっ」
再びベッドに倒れ込んだ孔雀がぼそぼそと呟いたので、
「はーい……怖ぁい妹に怒られるので自重しまーす……」
「本当に……反省……しているのですか……?」
――先が思いやられる。
でも、孔雀とて橄欖のためにここまで来てくれているのだ。これ以上は強く言えない。
感情が読めればいいのだが、こと姉さんに関しては見た目通り、どんな時も明るい感情ばかり放出されていて、その奥に秘めた心が見えないのだ。
ああ、そういえば。
……シオンさまのお世話をしている時は、僅かに揺らいでいるかもしれない。それはほんの些細な揺らぎで、ともすれば気のせいとも取れる変化であるが。
◇
翌朝クリスタルメークを出て、大陸縦断山脈沿いを北上した。
山を越えるまではジルベール領なので、治安はいい。
もっともランナベールに比べればの話だが。山賊の一匹や二匹はいるかもしれない。
――なんて思っていたのに、それから三日、四日と経ってもそれらしきものは現れなかった。これなら演技をする必要もないと、途中何度かシオンさまを抱いて橄欖の手を引いて走った。少しは時間の短縮になるだろう。
街を離れて山道を往く。ついにはポケモンの住む気配もなくなり、想定していたことではあるが野宿せざるを得なくなった。
「さすがに夜は冷え込みますねー」
「まだ春先だしね……橄欖も孔雀さんも大丈夫? 僕は兵士だから慣れっこなんだけど」
真っ暗な森の中で焚火を囲むのも乙なものだ。橄欖と
しかもなんと今回は太陽のような笑顔が愛らしいシオンさまが、焚火の炎以上にわたしを照らしてくれている。その上わたしを気遣ってくださって、ああ、なんてお優しい。暗く昏く幽い顔で焚火の光を打ち消し暖かい筈の焚火を心を凍てつかせる氷塊に変えてしまう我が妹とは大違いだ。
「わたし達も……慣れています……陽州から……ランナベールまで……」
「そっか、そうだったね。その時は護衛を沢山雇ったりしたの?」
「ええ……まあ……はい……」
「そうだよね。僕一匹だけってちょっと不安にならない?」
「……いいえ、シオンさまなら……安心です……」
今回も橄欖ちゃんはいるけど。
シオンさまと一緒だと、不幸オーラも四分の一程度に軽減されている。
何がそんなに嬉しい、我が妹よ。
「ところで姉さんは……大丈夫……なのですか……?」
「ほ? 何が?」
「主に……頭の中……ですが……」
おっといけない。いくらか口に出てしまっていたのか。
「シオンさま、もうすぐできますよー」
孔雀は橄欖の戯言を華麗にスルーし、焚火の上で煮込んでいるシチューの完成が近いことを主に伝えた。
「ほんと? わ、すごい……」
「とっとと……シオンさまったら、肩の上に乗ると危ないですっ」
「あっ、ごめんなさい」
孔雀の背中越しに鍋を覗き込む必要は必ずしもないと思う。
フィオーナさまがいないからだろうか、旅に出てからは少し、甘えん坊というかなんというか、スキンシップを求めてくるようなところがある。もともと淋しがりやなのかもしれない。
「じっと……待っていてください……仔供ではないのですから……」
「はうぅ……橄欖にも怒られちゃったよ~」
「よしよし」
「って孔雀さんっ! そこまであからさまに仔供扱いしなくたって……もー、頭撫でないでっ」
三匹以外は誰もいない森に笑い声が響く……と良かったのだけど。わたし一匹の笑い声では、虚しくこだますると云う表現の方が正しい。
「ふ……ふふっ……」
橄欖ちゃんそれ違う笑いだから。危ないから。
「もう、二匹とも……でも橄欖も笑うようになったよねー」
なぜ納得したし。
はっ。もしやシオンさまと橄欖ちゃんの間にはすでにわたし達姉妹以上に互いを理解し合う心が芽生えているとでも?
いけない。フィオーナさまがトップ、その後ろに僅差でつけていた筈なのに。
橄欖の魔の不幸オーラに引き摺られ後退、今や橄欖が二位……いや、この旅でフィオーナさまさえも抜き去ってしまおうとしているっ……!
「ざわ……ざわ……なのですよ~……」
「姉さん……病院へ行くことを……強くお勧め……致します……」
「こんなところに病院なんてあったっけ?」
さて。
シチューが完成したら、シオンさまには食べさせて差し上げないと。
炎タイプでもないポケモンが熱々のシチューに直接口をつけるのは自殺行為である。近頃は世界的にも普及し始めた前足に嵌める型のスプーンもあるのだが、
「わたしがふーふーして差し上げますからねー」
「ええっ? てゆうかその表現、なんかやだ……」
「姉さんっ……シオンさまのお世話は……わたしの役目ですっ……」
「や、橄欖まで何を」
なぬ。妹の分際で自己主張とは猪口才な。
「橄欖ちゃんはいつもお屋敷でシオンさまのお世話を好きなだけしてるじゃない。旅の間くらい姉に譲っちゃおうっていう広い心は持ち合わせていないわけ?」
「……しかし……シオンさまにこんな……直接のお食事のお世話をしたことはわたしもありません! それを言うなら姉さん、シオンさまがお風邪を召した時に食事のお世話をしていたではありませんかっ!」
橄欖が本気モードになった。妹は実は
「あの時は、お粥を作って差し上げたのはわたしなんだから……役得よ役得。今回もね」
「わたしだって……!」
「わたしだって、何? 橄欖ちゃん、料理はすごく苦手だったわよね~♪」
「くっ……姉さん……ずるいです……」
泣き落としとはまた古い手を。涙は出ていないし表情も変わっていないが。
その手には乗らないもんね。
「あの……そんなことで姉妹喧嘩しないでくれる? 僕、冷めるまで少し待ってから自分で食べようと思ってたんだけど」
「いけませんっ」「何を仰るのですか……!」
二匹の声が重なった。
「そうよねー、ふーふーはメイドのロマンだものねー」
「そこは……同意します……」
シオンさまはもはや辟易してどうしていいかわからないといった様子でわたし達二匹の顔を交互に見比べている。
交互に。
あ、そうだ。
「いい手を思いついたわ、妹よっ」
「何……ですか……?」
「なんかすごく嫌な予感がするんですけど」
残念ながらシオンさま、予感するだけなら誰にでもできるのですよ。
「一口ずつ交互に食べさせてあげれば良いのです」
しかーしそれを止める事は不可能ッ……!
こうして楽しいお食事タイムが始まったのであった。
◇
孔雀さんの病気は感染症だったようだ。
そうでなければ遺伝病。間違いない。
「姉さんっ……わたしにも……添い寝させてください……!」
「ダメよん。橄欖ちゃんではシオンさまを暖められないもの。むしろ体を冷やしてしまうわ」
「や、
考えてみれば橄欖と孔雀さんが話しているところなんてあまり見る機会がなかった。
「わたくしがお手伝いして差し上げましょうか? シオンさま……」
孔雀さんがあそこまでするとはさすがに思っていなかった。
「ん……むにゃ……? ……ぇええっ!?」
「あう……いえ……これは、その……し、シオンさまが……お名前を……お呼びしても……お目覚めになられなかった……ものですから」
「わたしの耳にはそんな声聞こえませんでしたよー。なんとわが愚妹は自分だけ早く目覚めたのをいい事にシオンさまの唇を盗むつもりだったのです! けしかりません!」
「ね、ね、ねねね姉さんっ……! お、起きて……いたのですか……その上……気配を消して……背後で観察などと……悪趣味ですっ……!」
「や。寝てるポケモンにこっそりキスしようとするのもどうかと思うけどね?」
孔雀さんの病気が橄欖に
このままエスカレートしていったらいつ寝込みを襲われるかわからない。
――不安感も募ってきた頃、シオンたちはようやく目的地に辿り着いた。
「これが……メテオラの滝……」
谷を覗き込むと、崖に空いた穴から谷底の川へと水が流れ落ちていた。水流の勢いたるや岩をも削る凄まじさで、実際、シオン達三匹が立つ崖は下が削られて大きく迫り出している。今にも崩れてしまいやしないかと、ここに立っただけで怖い。
「……にしても」
この滝の裏側に問題の洞窟があるらしいが。
「見れば見るほど打つ
写真で見るのと実際に見るのとでは、まず迫力が段違いだ。尽きることのない水量。谷間に轟く水しぶきの音。
「こうして見ていても始まりません。わたしが横から入ってみますね」
「横から?」
「はい、吹き出した水がこちら側の崖に当たって跳ね返って"く"の字形になっているでしょう? くの字の開いているトコロにこう、すすっと……」
「や、簡単に言うけどそれものすっごく危険……って、待っ――!」
シオンの制止も聞かず、孔雀は谷へと飛び下りた。瞬間、孔雀の体が青い燐光に包まれて空中でふわりと停止する。
「不肖わたくし孔雀、このようなコトでしかお役に立てませんのでっ! でゅわっ!」
下から叫ぶと、孔雀は何の躊躇いもなく滝の下へ突っ込んで行った。
「ホントに行っちゃったよ……」
上からでは、孔雀の姿は完全に見えなくなった。圧倒的な水量と、音。入ってゆく所を見ていなければ、まさかあそこにポケモンがいるとは誰も思うまい。
あれでは、飲み込まれてもわからない。無事なのかどうか、確認する術がないのだから。
――なんだか、だんだん不安になってきた。孔雀さんに限ってそんなことはないと思うけれど、確信はない。
なかなか出てこないので心配したが、しばらくして谷底の方から超スピードで舞い戻ってきた。ずぶ濡れの姿で。
「いやー失敗しちゃいましたねぇ。巻き込まれちゃいました」
「や」
あははは、と気さくに笑う孔雀を前にして二の句が告げなかった。
やっぱり落ちたんじゃないの。心配してたことが現実になっている。なのに、本人ときたら涼しい顔で生還したのだ。
しかし右半身の衣が破れて緑色の皮膚が覗いていて、ところどころ血も出ている。どれも深くはないものの無傷とは言い難い。
「あ、これですか? 衣の方は三日もすれば治りますのでご心配なく」
衣は体毛の代わりみたいなものだから神経は通っていないのだとか。
「しかし責務は果たしましたのです! なんと滝の裏側に洞窟を発見いたしました!」
まあ洞窟があること自体は下調べでわかってたことだけどね……
「入れそう?」
「同じ失敗は二度も繰り返しませんっ。今度はシオンさまと橄欖ちゃんを抱えてでも洞窟に突入でき――」
「それ……状況……変わるじゃないですか……違う失敗をされても……困ります……」
それはそうだ。それに、まず一匹入ってみないことには中の状況も判らないわけだし。でも孔雀さん一匹にそんな危険な役回りを押し付けるのもどうかと思うし……
「ちなみに、洞窟は滝のどの辺りに?」
「くの字の下端……水の一部は一旦洞窟に入り、もう一度流れ出しているみたいです。ですから、水を避けて洞窟の天井の高さスレスレを飛行」
「しようと……して……失敗したのですね……」
「かっ」
「か……?」
橄欖に厳しい指摘を受けた孔雀さんが固まった。
「橄欖ちゃんっ。貴女はいつも姉を莫迦にするけど!」
怒って……る?
「わたし、死にかけたんだからっ」
え?
……嘘。
まさか、泣いてる!? 孔雀さんが?
「か弱い乙女を装うとは……
「や、橄欖それはちょっと」
「シオンさま……騙されてはなりませんよ……殺しても死なない姉さんが……あの程度でどうにかなるものですか……」
「……んもう、酷い云われようね。ホント可愛い気のない妹なんだから」
って、演技だったの。あーそーですか。心配した僕が莫迦だったのね。
「もうなんかどうでもいい感じ……」
「了解しましたー」
や、何を了解したのかな何を。
「きゃっ」「はぅ……っ」
次の瞬間には、シオンと橄欖は孔雀に掴まれていた。
◇
頭上を流れる滝。背後の崖にそれが跳ねて、足元を通り過ぎ、谷底へ落ちてゆく。身をも揺るがす轟々と響く水音は、互いに言葉を伝え合うことすら不可能にしている。
絶えず水飛沫に晒されるこの場所から見る光景は、普通に生きていればまず一生お目にかかることはないだろう。
前面にぽっかりと空いた穴の下半分は、跳ね返った水流と中から押し戻される水の押し合いで、延々と爆発を繰り返していかのような有様だ。巻き込まれれば、シオンを肩に、橄欖を胸に抱いている孔雀に体勢を保っていられる術はなく、そのまま谷底へ真っ逆さまであることは間違いない。
というか、一匹で来たときも巻き込まれて落下したのだ。
本当に大丈夫なのか。
肩に抱かれていては、無理をして首をめぐらせても彼女の後頭部しか見えず、顔を確認することもできない。シオンと同じ心境であろう、橄欖の不安そうな瞳と目が合った。
もはや孔雀にすべてをゆだねる以外にはない。
孔雀がシオンを抱く手で背中をとんとんと叩いた。
合図だ。
空中で静止していた孔雀がゆっくりと動き出し、洞窟の入り口へ上から近づいてゆく。
上側の縁に貼りつくように接近した孔雀は、徐々に体を倒して仰向けになった。直立姿勢では水流に足を取られる可能性があり、二匹を抱いていてはうつ伏せの姿勢で飛ぶことが難しいからだろう。
孔雀は空中を背泳ぎするように――洞窟の中にスルリと滑り込んだ。
途端、日の光が遮られて暗闇に包まれる。穴は入り口の部分から斜め上に突き上げるように空いていた。
「どうにか入ることが出来ましたね」
洞窟の中にまで水音は轟いているが、少し奥まで来るとどうにか会話は聞き取れるようになった。
高さ三メートルくらいだった細い坑を抜けて広い空間に出たところで孔雀は二匹を下ろした。暗くて見えなくとも空気の流れでおおよその壁や天井の位置はわかる。
暫くして、何やらごそごそやっていた橄欖が口を開いた。
「ランプ……湿ってしまったみたいです……想像以上の水飛沫で……」
確かに物凄い
「あれ? でも……」
暗闇に目が慣れてくると、見えてきた。入り口から射し込む僅かな光でも……いや。
「……なんか、先が明るい」
洞窟内は幅、高さともに六メートルといったところで、奥へ向かってまっすぐ伸びたあと左に折れている。その曲がり角の向こう側から光が見えるのだ。日光ではない。緑色の光がぼうっと光っている、そんな風に見える。
「あれ絶対何かあるって。当たりっぽくない?」
実際に足を踏み入れた記録は見つからなかったのだ。どこぞの調査結果も伝説もすべてデタラメで、実はただの横穴でした、なんてオチだったらどうしようかと正直不安だった。
少なくとも何かはある。
誰からともつかず、三匹は歩き出した。
角を曲がった、その先には――
◇
一辺十メートルほどの立方体の部屋の中心には大きな岩があり、淡い灰緑色の燐光を放っている。
それが光の正体だった。
「わぁ……」
思わず感嘆の声が漏れた。この洞窟が自然現象だけでできたものではないのは明らかだが、単にポケモンの手によって作られたというのではない。一種の神々しさを感じさせる。
伝説とは少し違うけれど、あの岩がそうなのだろうか。
「橄欖、何か変化とか、ない?」
変わらずの石は、周囲の時空を僅かに歪ませるという。
「わかりません……ですが……」
橄欖が岩を指さした。
その先を追うと。
「何、これ」
岩の周りが時々渦巻いたりブレたりしている。周りの空気ではない。床でも壁でもなく、あれは。
「空間そのものが歪んでいるみたいですよー」
声に振り向くと、孔雀が掌の上にそれと似たような歪みを作り出していた。
「サーナイトにも空間をねじ曲げる能力がありますからね。でも、あれは」
そう、孔雀が作り出した空間の歪みは、
あれは違う。
よくよく見れば、岩の周りの歪みの中には森だったり海だったり街だったり星空だったり、この場所に存在し得ないものが映っている。
どれも現れたり消えたりで不安定、大きさも持続時間もてんでバラバラ。
「あんな小さな歪みでも、作り出すのは困難を極めるのですよ。それがポケモンの力も借りずに絶えず発生している……これがあの岩の性質によるものなら、少なくとも空間ぬぅぉーきゅぅゎぁむぅぃの統制からは離れていますね」
「え?」
今回に限ってはふざけたわけではないと思う。孔雀さんが一瞬歪んで、突然声が野太くゆっくりになり、すぐに元に戻ったのだ。
「姉さん……今のは……」
「ほ? シオンさま、どうかされました? 橄欖ちゃんも」
「気づかなかった? 今孔雀さん、一瞬スローモーションになったんだけど」
「いえ、シオンさまと橄欖ちゃんが急にまばたきを何度もするものだからどうしたのかと」
「それって孔雀さんが遅かったから……」
時の流れの中にいるポケモンに時の流れの変化を感じることはできないんだ。だから、孔雀さんには逆にシオン達が早回しに見えた。もしかすると事実はそっちで、シオンと橄欖の方が歪みに飲まれた可能性だってある。
「時も……不あぅふ不安定……だということですか……」
「や、橄欖、今逆戻りしなかった?」
「え……そのような……」
嫌な予感がする。
世界は存在するもので、時が滞りなく流れるもの。僕らが普段考えることすらもないほどの常識が、ガラガラと音を立てて崩れ去るようだった。ここはそんな場所だ。
ここだけが、
「不思議sね。岩の欠片だけ戴いて早く……シオンさま?」
孔雀の言葉が不自然な繋がりを見せた。
「巻き戻りました……ね……」
「嘘……」
理屈は解る。僕の時間だけが巻き戻って……記憶に残るのは二度目の再生だけ、ってこと?
じゃあ一度目に孔雀さんの話をきちんと聞いていたはずの僕は何処へ行っちゃったんだろ。
「もう一度言いますねー。『不思議ですね。しかーしわたしの第七感が告げるところによりますと、長居は危険です。岩の欠片だけ戴いて早く帰りましょう』なのですよー」
「や、朗読しなくてもいいけどさ……でも、そうだね。僕もそうするべきだと思う」
「わたしは……その……」
「何?」
いつもなら黙って最後まで聞いてあげるのだけど、今は余裕がなかった。
「いえ……そうですね……急ぎましょう……」
焦りが声色にも出てしまったようで、橄欖はそれを察してか口をつぐんだ。
「でも、欠片っていうけどどうやって?」
「ほ? それはもちろん端っこを砕いてですね」
孔雀がつかつかと岩に歩み寄った。
何をするつもりなんだろう。さすがに孔雀さんにあんな岩を砕けるはずもないのだけど。
「姉さん……!」
「――と、ゆーコトをシオンさまにお願いするつもりだったのですよ」
孔雀がいつもの笑顔をこちらに向けた。
その笑顔は瞬時に光に飲まれて消えた。
「孔じゃ……ふあぁっ!?」
「シオンさまっ!」
岩から放たれていた光が突然、数倍、数十倍に強くなった。真っ白で何も見えない。地面の感覚さえも消失して――
橄欖が僕を横倒しにして覆いかぶさったのか。
僕を必死に庇おうとする彼女の体温が、僕の最後の感覚だった。
愛と、石と。 -3-へ続く
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