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四幕「白色境界」

/四幕「白色境界」

Writer:赤猫もよよ
まとめはこちら→花葬の街、憂悶の海




 ――鳥の仔よ、聡明であれ。

 それは流星のようだ、とサーナイト――ドクダミは思った。
 一時は栄華を誇りながらも、僅か数千年の内に滅びた種族“人間”の事を。
 刹那に瞬き、そのまま無辺の夜に溶けてゆく様など、なんともそっくりではないか。只一つ異なる事があるとするならば、それはその瞬き方が醜悪なものである、ということだけだった。
 地表には埋め尽くすように堂宇が聳え、岩肌は着飾られていく。その逆、敬愛すべき母なる自然は醜穢な吐息に穢され、殺されていく。この所業を醜悪と言わずして何と呼べるのか。回想の度に自身には似合わぬと自負する憤怒の波が押し寄せ、指先に籠る力を強くしてしまう。
 だがしかし、一方で。その滅びた人間が残した文明は、我々新人類にとって大きな糧となったことも事実だ。肉体を食い尽くすように広がる闇を炎は明るく照らし、土や石で出来た壁は雨風を凌ぐのに大きな役割を果たした。鍵の妖精や剣の亡霊など、旧人類が残した遺産から造形を確定させた生き物もいる。神獣が彼らの系譜を無理やりに潰えさせたのは、果たして正しい事だったのだろうか。
「ドクダミ様」
 思考の蒼海に沈もうとしたその時、背後から影を啜るような声が掛かる。そこに居る筈なのに気配の一片も漂ってこないのは、彼がそういう方面での手練れ故か。
「ショウキ。すみません、少し考え事を。どうなさいました」
 振り向きながら吐く声は、湿った絹糸のように優しい。かつ、イベルタル教の教祖であるに十分相応しいような、威厳と荘厳さも兼ね備えていた。
 太陽そのものを見つめているかのような眩しさに、黒毛のゾロアーク――ショウキは視線を微かに床に落とし、眼前に佇む聖女に傅いた。良く磨き上げられた聖堂の床は無機質に冷たいが、心を握り潰されるようなざわつきを覚えるぐらいならそれをずっと見つめている方が、幾分か精神が楽なのだった。
「件の赤光が観測されました。彼が負った筈の傷も全て癒えています」
「そう。体に異常は?」
「いえ、今のところは特に。どうなさいますか」
 ショウキの問いにしばし思案する様子を見せた後、ドクダミは小さく笑った。
「あの二匹を開放しなさい」
「……は? ですが、ドクダミ様はヒヨスを――」
「よいのです。稚魚は泳がせて育てるべきだと、ようやく気付きました」
 蜜を含むように笑ってみせるドクダミに対し、彼女の意図が汲めないショウキは誰にも聞こえないように唸った。
 しかしそれ以上、ショウキは何も言わない。彼女が主である以上、逆らうなどといった選択肢は最初からどこにもないのだった。
「……了解しました。しかし、一つお聞かせ下さい」
「なんでしょう」
「ヒヨスの事は分かります。ですがもう一匹、あのマグマラシをここに呼んだ理由を」
 その言葉の後には、珍しく、躊躇うような沈黙があった。
 顔を上げると、ドクダミの目には憂悶とも無感情ともつかぬ色が浮かんでいる。出会ってから今日までそこまで日にちは経っていないため、人前では常に慈愛に満ちた微笑を浮かべている聖女がここまで揺れ動いている理由がショウキには解せなかった。
「すみません。言えないようなことであれば、言わなくて構いません」
「……いえ、いいのです。あの子は、リコデムスは、私達の――」

 その時、床を突き上げるような爆音が響いた。



 爆壊。
 今はもう見る影もなくなってしまった鉄格子の奥から、ひょうひょうと冷たい夜の吐息が漏れこんでくる。大きな手が無遠慮にこじ開けたようにも見える、割れたように大きく開く口の奥は分厚い闇の中に沈んでいて、その眼前に佇む二匹の姿など即座に呑み込まれてしまいそうだった。
「……ちとやりすぎたか」
 “しぜんのめぐみ”を利用した木の実爆弾の威力は十二分に強力で、軽くひん曲げるつもりだった鉄格子はどこかへ吹き飛んでしまっていた。
 爆発の衝撃で牙を剥いた鉄格子を眺めながら、この爆発を引き起こした張本人は不機嫌そうに唸る。そもそもの見た目が不機嫌そうなので、もしかしたら彼自身は至って平常心でそう呟いているのかもしれないが、少なくとも少年にはそう見える。
 “赤い光”の一件以降、不可解な同居人の不可解さがますます増したことに、内心少年は怯えていた。
 ザングースという種族は粗暴で野蛮だという世間一般のイメージが強く――勿論百匹が百匹そうではないのは理解しているつもりだが――剣呑で常に苛立っているような紅い瞳や鋭利に反った黒い爪が醸し出す強烈な雰囲気も相まってか、余りお近づきになりたくない獣だという認識が少年の中にあった。
 しかしそれは飽くまでイメージに過ぎず、実際にザングースと出会ったことのなかった少年は、案外話してみたら普通なんじゃないか――という、根拠の出所の良く分からない思考を抱いている。
 否、抱いていたのだ。今夜を迎えるまでは。
「おい」
「ひゃい!」
 ドスの利いたザングースの声が牢に響く度に、少年は飛び上がりたくなる気持ちを抑えるのに苦労していた。
 先程は襲い来る尿意に揉まれて考えることも出来なかったのだが、それが無くなってしまった以上嫌でも意識してしまう。このザングース、要するに非常に怖いのだ。
 やや言い過ぎではあるが箱入り息子の気があったリコは、余り他人と対話することに慣れていない。目を合わせるどころか傍にいるだけで気圧されるような同居人の存在など、もはや恐怖以外の何物でもなかった。
「……? なんだ、どっか悪いのか」
「い、いえ。なんでも……はい」
 多分訝しんでいるだろうヒヨスの視線がリコの全身を射竦める。それすらも喉元に鈍く光る剣を突き付けられているようで、リコは何も言えず視線を落とした。その姿を見て、ヒヨスは顔の色を変えないまま溜息を吐く。
「おれが怖いか」
「え! あ、その……そんなこと……」
「気遣いはいい。そういうのは慣れてる。お前を父親の元に連れてくまでの辛抱だ、少し我慢してくれ」
 振り返った猫鼬の顔は見えなかったが、暗い牢の中にぽつりと響く声はどこか寂しさを孕んでいるようにも思えた。
 彼の過去のことは良く分からないが、以前にもこのようなことがあったのかもしれない。そう考えると、リコは少し申し訳ない気持ちになった。
「行くぞ。追手が来る前にここを抜け出す」
「……はい、分かりました」
 しかし、掛ける言葉は思いつかない。思いつく限りの言葉は、何故か喉元が締め付けられて出てこなかったのだ。
 ぼかりと口を開けた穴の奥、溜まった濃い闇の中に吸い込まれていく白い背中を見失わないように、リコは静かに歩き出した。
 進む足取りがいつになく重いのは長らく閉じ込められて消耗していたから――だと、そう思いたいが、それだけでない事は自分が一番よく分かっていた。

 二匹が教会の敷地から逃げ出したのは、それから数分もしない内である。
 都合のいいことに誰かと遭遇もせず、まるで「通って下さい」とばかりに口を開く白い門をするりと抜けると、二匹は安堵の溜息を吐いた。先程門の前でたむろしていた雑魚たちならともかく、ヒヨスを完膚なきまでに叩きのめしたゾロアークと再び出会う可能性を考えると、どうしても気を抜くことは出来なかったのだ。
 肉体的にも精神的にもそのままへたり込みたい気分だったが、そうはいかない。ヒヨスが捕らえられてからどれ程の時間が経ったかは知らないが、憂悶の海が土葬の街を呑みこむまでに残された時間がそうないことは明らかだった。一応予測では明日の正午ごろ、という風になっているが、急ぐに越したことは無い。
 急ぎ足で暫く歩くと、街が一望できる丘に差し掛かった。見下ろす街は霜が降りたように閑散としている。
 それも其の筈、この街に生き物はもう数えるほどしかいないのだ。明かり一つ灯らない街は、既に死んでいるといっても言い過ぎではないのかもしれない。
「もっとにぎやかだったんです。でも……みんないなくなっちゃった」
 街の亡骸に向けて放った言葉が、さっと吹き抜ける夜風の波に攫われて溶けていく。喋る度に寂しさが現実の物となっていくような気がして、リコは唇を硬く瞑る。目頭がじわりと熱くなった。
「……」
 黙って俯いてしまったリコデムスから視線をずらして、ヒヨスは町の向こう側を見つめた。
 遥か遠くに見える水平線はおろか、既に街のほとんどが白く染まっている。全ての事象を死に還す不可思議な<海>は、大きな獣が唸るような音を立てて、確実にこちらに迫ってきていた。恐らく、最後の最後まで飲みに耽っていた者たちも、もう。
「……なあ、お前。お前の家ってどこだった」
「へ……? それは、確かあっちの――あっ」
 顔を上げ、見開いた瞳の中に、見る見るうちに驚愕の色が溜まっていった。
 それも其の筈、リコが指し示した箇所――すなわちリコの家は、既に憂悶の海の中に浸かっていたのだ。
 全ての色と熱を放棄した灰色の空間の中に埋もれ、綺麗に家の造形を残したまま、眠るように死んでいる。
 時が止まった――と表現されても何らおかしくないような、無機物的な輝きがそこにはあった。
「そ、そんなッ――!」
 閑散とした夜の空に響く物音が自分の発する悲鳴だという事に、暫くの間少年は気付けなかった。わんわんと漂う悲痛な声の残滓が憂悶の海に吸い込まれて消えるまでにそう時間はかからない。しかし、千切れそうにか細い喉の震えは、収まるどころか全身に伝染していく。奇妙な寒気が声を、思考を、指先を、心臓を、毛を刈られた仔羊のように弱々しく震わせた。
 何も納めていない筈の腹がせりあがって、苦い汁が今にも喉元から吐き出そうになる。あそこに居て、自分の帰りを待っている筈の父はどうなったのか。まさか、既にあの海の中に――?
「あ、あ……ッ……!」
 魂ごと身体の芯を抜かれたように、リコは膝から崩れ落ちた。力の抜け切った身体が、かたかたと小刻みに震えている。
「おい、しっかりしろ」
「で、でも……僕の家が! お父さんも!」
「落ち着け。ああなったら街には戻れない」
「じゃあお父さんは!」
「少し黙れ」
 これまで以上に鋭い眼光で睨みつけられ、リコデムスは自分の身体が強張るのを感じた。咎めるでもなく叱るでもなく、ただ純粋な圧力のみを孕んだ声が重く響く。
「お前の親父は健康か。歩けなかったりとかするか」
「え……いや、特にそういうのは」
「そうか。なら大丈夫だ、お前の親父はあの街にはいない」
 確信めいた口ぶりで告げるヒヨスに対し、リコは二三度瞳を瞬かせる。
「……どうして?」
「あん? そりゃあ、歩けるんなら逃げてるだろ。例の<海>と逆方向なら……多分、“水草の街”か」
「すいそうのまち……」
 意味をかみ砕くように、リコは言葉を反芻した。すいそう、ここら辺ではあまり聞き慣れない言葉だ。
「本当はグラスタンクっつー名前なんだけど、旅人の間ではそう呼ばれてる」
「……はあ」
「さ、行くぞ。急いだ方がいい」
 ぶっきらぼうに首根っこを掴まれ、リコは半ば無理やりに立たされた。
「お前、まだ歩けるか」
「え、えっと……」
 街を失った衝撃が重すぎるのか単純に体力が尽きたのか、足の震えは収まりそうもない。無理やりに力を入れようとしても、その努力は空を切るばかりだ。ヒヨスの手に支えられていないと、そのまま地面にくずおれてしまいそうだった。
「だ、だいじょ……わっ」
 無謀すぎるやせ我慢はとうに見抜かれていたようで、リコの身体はひょいと持ち上げられる。
「おー軽いなお前」
「ちょ、ちょっと! なんですか!」
「あ? おんぶよりお姫様抱っこの方が好みか?」
「なッ……違いますっ!」
 まるで中身の入っていない背嚢でも背負うかのように、ヒヨスは軽々とリコの身体を背に回す。
 毛と毛が触れる。炎獣特有の内から突き上げるような熱が、ヒヨスの背中をぽわぽわとした陽気に包む。冷えた宵闇の中に居ながらも、じわじわと熱が染み込んでいくような心地よい感触が身体の内に広がっていく。
 もう何年も前に忘れてしまった筈のそれは、隙間風が吹き抜ける心の内をほんの少しざわつかせた。しかし、この懐かしい感覚の名前が一体何なのか、ヒヨスには思い出せない。
「……ん。行くぞ」
 呟きに返事はない。
 不思議に思って耳を澄ますと、柔らかい水を啜るようなか細い寝息が、暁色が顔を見せつつある夜明け前の空に溶け込んでいくのが見えるようだった。余程今日の事が堪えたのだろうか、死んだように深く寝入るリコの目尻にはちいさな雫が浮かんでいる。
「冷て。……はぁ、ガキだな」
 口ではああ言ったが、実際のところ水草の街にリコの父が居る可能性については何とも言い難い。そもそも、仮にリコの父がそこに居たとしても、あの大規模な港町の中で見つけられるとは限らないのだ。
「長くなるかもな」
 はあ、と息を吐いてヒヨスは歩き出した。
 道の続く先の空は僅かに明るみ始めていて、少し遠くに見える大きな街の影が手招きをするように立ち上る。
 暁の爽やかな薄明に撫でられて、背後に背負う夜の闇がすごすごと去っていく。陰鬱な寒気を持つ夜が終わって、明朗な陽気を孕む朝がもう間もなくやってくるのだ。
 やがて、東の空から差し込む黎明の光が雲間を切り裂いた。
 星々のまどろみはもう既に眠りにつき、曇り空のような薄白い空が広がっていく。憂悶の海の白とは真逆に、太陽の神秘的な輝きに満ちた清々しい薄じろさだった。
 微かに漂ってくる潮の香りと共に、二匹の奇妙な旅路が始まろうとしている。
「冗談じゃねえよ、全く」
 独り毒づいたヒヨスは、満更でもなさそうだった。


あとがき
もよよです。なんとか序章が終わりまして、次から第一章「水葬の街」の始まりです。今のところほぼゼロに等しい雌比率ですが、どうにか次回あたりに一匹増えるやもしれません。どのポケモンが登場するかは、お楽しみにお待ち下さい。


五幕「少年と水平線」


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Last-modified: 2014-08-17 (日) 21:51:11
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