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五幕「少年と水平線」

/五幕「少年と水平線」

Writer:赤猫もよよ
まとめはこちら→花葬の街、憂悶の海



 ――細波濁りて。

 醒覚。
 悲しい夢よりも幸せな夢の方が残酷だと思うのは、ぼくの思い過ごしだろうか。突きつけられた現実の冷酷さを一時的に忘れることは出来るけど、目覚めた時の落差は悲しい夢の時より何倍も深く、痛い。
 加えて、自分が幸福を望んでいる――つまり、今現在の自分が幸せではないということを自覚していることを、嫌が応にも自覚させられる。こんなにひどいことって、あるだろうか。
 頬を伝う涙の冷たさで、ぼくは目を覚ました。真っ先に飛び込んできたのは白雲を伴わない真っ青な晴天と、砂を掻くようにざらついた細波の音。横たわっているのはどうやら砂浜らしく、背中にびっしりと細かい砂が付いているような感触があった。つんと鼻を突く爽やかな潮の香りが、寝起きのふやけた脳に潤いを与えてくれる。
 少しだけ逡巡して、それからぼくは淀んだ息を吐いた。昨日体験したばかりの新鮮な絶望が、まだ脳裏にひりついていた。
 理不尽な誘拐。暗い牢獄。街の終わり。唯一の肉親だったお父さんの行方は知れない。悲しいときは涙が出るものだけれど、余りにも悲しみの度合いが吹っ切れすぎると涙は出なくなるらしい。全てが夢の中の出来事だったような、そんな気さえする。
「……起きたか」
 寝そべるぼくを覗き込むのは、僕のお父さんに雇われたらしい傭兵さんだ。彼自身も寝起きなのだろう、岩さえも穿てそうに鋭い眼光は、今は鳴りを潜めていた。
 このザングースの名前はヒヨス……だった筈だ。なにせ昨日はインパクトの強い事ばかり起こりすぎて、小さなことに関する記憶は曖昧なのだった。でも、ヒヨスという名前はあまり聞かないから、多分正しいと思う。
「おれが分かるか」
 ぼくは横たえていた身体を起こし、頷いた。ぼくの曖昧な記憶が正しければ、ぼくをあの場所――崩壊しつつある土葬の街から引っ張り出してくれたのは彼の筈だ。背負われた時のふかふかの毛並みをベッド代わりにして寝てしまったから、それ以降の事は全く知らないけれど。
「……あの」
「色々思うところはあるだろうが、考えるのは水草の街に着いてからだ」
 ぼくの揺れる声を上書くようにヒヨスさんは言った。きっと睨みつける視線は、よくよく見ると彼なりの気遣いに基づくものだったりしなくもない……こともない、かもしれない。巧みにかわす、というよりは強固な拒絶が、彼の感情を簡単に読ませてくれなかったのだ。
 でも、違う。無論昨日の事について整理しきれていると言えば嘘になるけど、むしろ未だに信じたくないという気持ちが強いけれど、そのことじゃない。そのことについては、まだ、考えたくなかった。
「いえ、そうじゃなくて」
 ぼくは首を振った。そして、ヒヨスさんの鋭い瞳に視線を向ける。
「有難うございました。助けて下さって」
「……」
 沈黙と共に暫く見詰め合って、先に視線を逸らしたのはヒヨスさんの方だった。ぼくの感謝など意にも留めない素振りで、そっけなくそっぽを向かれた。変わらない無表情で、少し鼻を鳴らす。けんもほろろとはこのことだ。
 その素っ気なさは照れの裏返しかと思いきや、本当に何の感情も抱いてなさそうな――
 と、そこで、ぼくはある事に気付いた。それと同時に、奇妙な脱力感に襲われて、ぼくは苦笑いを浮かべた。
「……尻尾は正直ですね」
「……ッ!」
 そう。ご主人の無愛想とは対照的に、地面に垂れる太い尻尾の先端はふもふもと分かりやすいぐらいに揺れ動いていたのだ。察するに、彼は思いきり照れていた。感情が尻尾に出るタイプなのか、或いは顔の仏頂面は照れるのを我慢した結果なのか。
 何れにせよ、彼は照れ隠しが絶望に下手だ。中途半端に隠している辺りが、余計面白い。
「昼までには街に着きたい。さっさと行くぞ」
 早口でいい残し、踵を返して街道に続く坂を上り始める。妙に足早なのは感情の火照りが抜けないからなのだろうか。
 昨日の時は寡黙で威圧的な恐ろしいヒトだと思っていたけれど、もしかしたらそれは勘違いかもしれない。接しづらい事には変わりないけれど、そこまで怯える必要もないんじゃないか、なんて思ってしまう。
「おい、早くしろ」
 坂の上から低い声が響いて、思わず身体が跳ね上がる。鋭い視線に尻を叩かれるようにして、ぼくは駆け出した。
 怯える必要はなさそうだけど、彼が恐ろしい事には変わりがない。

 逆さまに映る海の蒼を切り裂いて、白い海鳥が飛んでいく。
 雲一つないような青空が、静かに凪ぐ鏡のような海が、視界の果てに映る水平線をどこまでも伸ばしていく。
 街外れの丘から望む景色よりも、うんと近くに海があった。寄せては斬り返す白波の糸が紡がれるたびに、囁くような水音が耳に心地いい。吸い込んだ息が胸の中に広がって、爽やかな潮の香りが胃袋一杯に広がった。
 ……一つ訂正しよう。正確には、爽やかな潮の香り「のみ」が胃袋一杯に広がっていた。自分で認めるのが何とも悔しいから回りくどい表現を使ったけれど、要するに今ぼく達は途轍もなくお腹が空いていたのだ。要は腹ペコなのだ。
 良く考えたら、それも当たり前だ。ぼくが牢獄に閉じ込められたのが昨日の昼過ぎで、同居人としてヒヨスさんが転がり込んできたのは夕刻を少し過ぎたころ。それ以降まともに休息を取る機会もなかったのだから、依然として空気を食べ続けている胃袋が不満を主張したって、我慢が利かない子だ、と怒ることは出来ないと思う。
 げんなりとした気持ちを抱えて二時間ほど歩くと、ようやく街の影が見えてきた。
 緩やかに弧を描く入り江を囲むようにして、白い石造りの建物がいくつも連なっている。爽やかな日差しに照らされて輝く純白の肌は、街全体の雰囲気をなんとなく明るいものにするだけでなく、囲む海の深い蒼をより際立たせる力もあるようだ。土葬の街の石建造が整然とした美しさを表すなら、この街の石建造は海との調和を願い、その身に表そうとしているのではないか。
 ――なんて、お父さんが言っていたのを思い出す。ぼくのお父さんは土葬の街の町長だけど、お母さんがぼくを身籠るまでは流れの大工としてあちこちを旅していたようだった。お母さんと出会い、ぼくが産まれる事がなければ、お父さんは今でもどこかを旅していたのかもしれない。ついでに言えば息子は望まない旅の途中なんだけど、これは何かの因縁なんだろうか。
「おいリコデムス。よその街に行くのは初めてか」
「え? あ、はい」
 ぶっきらぼうに呼ばれたかと思いきや、何とも唐突な質問。少しためらったけど、ぼくは静かに頷いた。
 町長の息子として産まれて十年、ぼくは土葬の街から出たことがない。どこかの世界では十歳になったら旅に出るそうだけど、町長の跡取りとして約束されたぼくは、言ってみれば箱入り息子だ。かわいい子には旅をさせろ――なんて昔の偉い人は語ったそうだけど、この物騒なご時世、子供一匹で旅をさせることなどほとんどないと言っていい。
 つまり、旅をするか否かは親に依存するのだ。親が一つの街に定住する職業なら、子もそれに習い一つの街で生きていく。逆に、親が各地を転々とする職業――商人、旅人、傭兵(すぐ死んじゃうしレアケースだけど)とかだった場合、子も親について旅をする。そして成長した子供は親となり、仕事を継ぎ、子を産み――と、綺麗な環になっているのだ。
 もっとも、憂悶の海によって移動を余儀なくされている今、片方の環は断ち切られてしまったのだけれど。
「そうか。なら、一つだけ忠告しておく。何があってもヒトから離れるな」
「……それって、ぼくが襲われやすいって事ですか」
 ヒヨスさんは頷いた。
「その通りだ。火鼠の毛皮は高く売れるし、何よりお前は町長の息子だろ。金の匂いを嗅ぎつけてやってくる輩がいないとは限らない」
「でも、水草の街って治安いいんじゃ」
「少なくとも土葬の街よりはな。変な宗教団体の影もない。ただ、光が強いところにこそ、生まれる闇も存在する。得てして、そういう闇はタチが悪いんだ」
 言い聞かせるような口調の裏に、積み重なった血の香りがした。彼は賞金稼ぎだ、多分ぼくが予想するよりもうんと多くの地獄を潜り抜けてきたに違いない。彼の語気には、そう思わせるだけの深みがあった。手を突っ込んだら、そのまま引っ張られてしまいそうなほどに。
「……安心しろ。手の届く範囲ならおれが守ってやるし、親父さんに逢えたならそれで僥倖だ」
 顔を顰めたぼくを怯えていると勘違いしたのか、ヒヨスさんは繕うようにそう投げかけた。言語は相変わらず粗暴でぶっきらぼうだけれど、言葉の芯には確かな優しさがあった。
「……そうしないと金が貰えないからな」
 そう、ぶつりと呟いた言葉さえ聞こえなかったなら、ぼくは彼を全面的に信頼していたはずなんだけどなあ。



 交易で栄える街故か、水草の街の朝は早い。爽やかな朝の涼しさを食い千切るような人々の熱気が巨大な港に面した市場に沸々と渦巻き、まだ水揚げされたばかりの鮮魚の青臭さと彩に満ちた果実の瑞々しさが入り混じった空気が、通り抜ける鼻に一瞬の混沌をもたらす。しかし、互いに主張し過ぎることで生まれる不協和音のようなものは感じられず、それどころか生命的な活力を感じさせる。完璧な調和がそこにあった。
「おじさん! もう一本ッ!」
 そんな市場の中央、網で魚を焼く屋台の前で、一匹のシャワーズが咆哮を上げた。木の葉を二つ合わせたような流線形のヒレには気品を匂わせる碧色のスカーフが巻かれ、それは即ち水草騎士団の一員であることを意味していた。
「……あんね、メルン嬢ちゃん。美味しいって言ってくれるのは嬉しいんだけどさ、もうちょっと騎士らしく振舞う気は」
 シャワーズが網から立ち上る煙越しに対峙するのは屋台の店主、カイリュー。もうすっかりお得意様になってしまったシャワーズに対して呆れ混じりの言をぶつける。
「金輪際!」
「無いんだね」
 爛々としたシャワーズの笑みに溜め息の花が咲いた。分かっていたが、効果は無いようだ。仮にも街の治安を守る騎士だというのに、こんなところで油を売っているなどと知られたらなんと言われるか。
「アタシ一匹サボったってバレないって。それに、市場の監視も兼ねてるからさ。ほら、アタシのこの美眼はどんな悪事も見逃さないようにできてるのよ」
「君の視線は焼けた魚に注がれてるようだけど」
「だって美味しそうなんだもん。おじさんの焼き加減超絶妙だし? はいもう一本ちょーだい。あ、代金はリンドウあたりにツケといて」
「……君ねえ」
 手渡された焼き魚をこれでもかと貪るその食べっぷりは見ていて飽きないし、調理人としての腕前を本音で褒められてしまっては、そう強く出ることも出来ない。カイリューは呆れ笑顔と共に、焼きたての魚に塩を振った。ぴちぴちと頬に荒塩が跳ねる。
「……もっと食べる?」
「やた! おじさん大好き!」
 彼女の存在は太陽のようだ――とは、カイリューに魚を提供する漁師の弁だ。普段はガサツが鱗を纏って歩いているようなものだが、その実彼女の人望は雲よりも厚く、太陽よりも熱い。水草の街に住む住人で彼女の名を知らない者は居ない、といっても過言ではないだろう。常に弱者の立場に立ち、不正に対して高らかに声を張り上げる彼女が、そもそも敬われない訳がないのだ。
「ごっそさん! ねね、おじさんってもうすぐ旅立ったりするの?」
「……ん?」
「だってさ、海もうすぐ来てるし。アタシ達ももうすぐ出るってさ」
「……ああ、そうだったね」
 考えたこと無かったよ、などと呟いてみる。醜悪な嘘の味が口の中に広がって、カイリューは静かに目を伏せた。振りかざしたその場しのぎの善意の刃は、痛みを遅らせて彼女に届けるだけだというのに。
 実のところ、本心は決まっていた。自分はお世辞にも若いとは言えないし、宛てのない旅路への一歩を踏み切る勇気など最初からない。ほんの数年寿命が縮まっただけ、そう考えても割り切れないことはないだろう。
「その時にならないと分からないかもなあ。だって、実感とか湧かないじゃない。海が来ます。触ると死にます。――なんてさ、そんなの、普通なら有り得ない」
「……」
「指示出してる方だって困ってるでしょ。逃げろ、とは言えるけどさ、じゃあどこへ? って話だ。どこへ、いつまで、どうやって、僕らは逃げればいいんだい?」
 ついつい饒舌になっていたし、最悪な事に眼前に居るのは指示を出す側のポケモンだ。メルンの毒気を溜め込んだような顔色が視界に映り、カイリューは自己嫌悪の霧に沈んでいく。どこまで情けなければ済むのだろう。苛立ちや理不尽を背負わせる対象が、彼女である筈がないのに。
 生き場のない視線は、じりじりと迸る炎の舌に舐められた魚が黒焦げになっていくのを追っていた。尾の先からほろほろと頽れていく魚の鰭に奇妙な親近感を覚えて仕方ない。最早墨の欠片となったそれは、網の中に落ちて見えなくなった。
「……おじさん。スイクン様のこと、信じてる?」
「え? ああ、うん」
 唐突に開かれた口から漏れたこの街の守り神の名前に、虚を突かれたカイリューが呻いた。実のところそこまで熱心に拝んでいる訳ではないが、別に訂正するほどの物事でもない。曖昧だった言葉を押し出すように、カイリューは軽く頷いた。
「そっか」
 メルンは微笑んで言った。何か言いたげな微笑みだった。
「神様がどうにかしてくれる――なんてバカなことは言わないけどさ、信じる事って大事だよ、きっと」
 そう言い残して、立ち上る煙の向こうに彼女は消えていく。目測以上に遠い背中に手が届くことはもうないだろう。彼女は騎士として前を向くのだろうし、自分がその視界の先に現れることはない。どこまでも強くある少女と、飛ぶことを忘れた自分。そのどちらが生きるべきなのかは明白だった。
「……信じる、ねぇ」
 屋台から仰ぐ空は青く澄み渡る快晴。或いは、空を飛ぶに丁度いい日和。

 街が海に沈むまで、あと三日。


あとがき
もよよです。長らくお待たせしました、ようやく第一章の幕開けです。


六幕「水草騎士団」


最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • ヒヨスとリコ可愛すぎか!
    ようやっとここまで読めましたけど、この面白さをどう言葉で表したらいいものか。
    僕の持論として、「完結した駄作よりも未完の名作」というのがあるんですが、仮にこの作品がここで連載を打ち切られたとしても、僕の中ではマスターピースの一つとして心に刻まれるでしょう。
    もちろん連載は続いてほしいです! まだ一章に入ったばかりで、しばらくは花葬を読みふける時間が与えられることを思うと歓喜せずにはいられません。

    新キャラが出てきたのでこれからどうなるのか楽しみです。
    執筆頑張ってください!
    ――朱烏 2014-12-13 (土) 01:12:52
  • お初にお目にかかります、赤猫もよよと申します。
    初めてコメントを頂いたので気の利いた返事も出来ませんが、作品を気にいって下さったようで作者としては感無量でございます。今後ともヒヨスとリコ(とその他大勢)の凸凹珍道中をごひいきに、宜しくお願い致します。
    コメント有難うございました。返信遅れてすみません。
    ――赤猫もよよ 2015-01-02 (金) 01:53:09
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Last-modified: 2014-11-12 (水) 00:51:19
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