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二幕「石穿ちの火種」

/二幕「石穿ちの火種」

Writer:赤猫もよよ
まとめはこちら→花葬の街、憂悶の海



――火種は石を溶かすべく。


 静寂。
 風が耳を叩く音以外に、最早何も聞こえはしない。時折遠くの方で水が滴るような淡い破裂音が聞こえるような気がしたが、だからと言って何になる訳でもなかった。無常感に苛まれ、虚ろに視線を落とした先は憂悶の海に似た灰色の石牢の床、申し訳程度に拵えられた小さな格子窓から、いくつかの長方形に切り取られた藍色の月光がそれらを照らしていた。
 かれこれ十数時間だろうか。いや、まだそこまで経っていないかもしれないが――兎に角、石牢の隅で膝を抱えて涙ぐむ火鼠の少年にとって、石牢で体感した時間は莫大なものになっている。そこだけ時間の流れから切り取られたように、一瞬が永劫以上に感じていた。恐らくはこの先に待ち受ける死についての不安と、行場のない焦燥感から来ているものだ。
 
 どうしてこうなったか――と振り返ると長くなる。それに、明確な結論は見えてこない。恐らくは自身の父が無宗教派、しかもどちらかというと「イベルタル教」を否定しているポジショニングに付いているものだから、それに対する怨恨の矛先がこちらに向いたのだろう。少年の父は「土葬の街」の執政官で、莫大な権力を持っているのだ。叶わぬと理解したら弱い部分を突いてくるのは、まあ当然のことであった。
 それにしても、と少年は思う。監禁するにしろ拘束するにしろ、もう少し人道的な扱い方があるのではないか――と。
 何度となく腹が鳴り、喉のささくれを覚える度に少年は同じ不満を抱いていた。
 これで十二度目である。この石牢に閉じ込められてから今まで、数回ほど看守らしき獣が牢の様子を覗いた以外に外部との接触はない。
 食事も与えられなければ、水もだ。もし自分が炎タイプでなく水タイプや草タイプであったら、今頃頭の痛みと眩暈だけでは済んでいなかっただろう。過度の脱水で死に至っている可能性の方が高い。
 不安の種はもう一つあったが、それを思考に出すことは憚られた。思考すれば思考するほど深みに嵌っていくし、破滅するのは自分だ。炎獣としての尊厳に掛けて、その破滅だけは死んでも回避したい。ぶるりと身を震わせて、ぎゅっと身体を固める。
 再び永劫とも思える時間に身を委ねようとしたその時、向こうの方からいくつかの足音が聞こえた。
 仕事を放棄していた耳がぴくりとそばだつ。
 まばらな足音は一つ一つが重く、何か重量のあるものを運んでいるのだと容易に想像できる。そして、それが少年を始末するために用意されたものだということも。
 
「おい。ガキはまだ生きてるか」


「へえ、どうやらそのようで」

 ドスの良く利いた声が、視線の先の暗澹から産まれた。
 声の反響から察するにそれは格子の向こうにいるのだと分かるが、それがどのような造形を持っているかは見て取れない。背中の炎を使えば照らすことは出来るが、そんなことの為に残り少ない体力を使いたくはなかった。
 ギイ、と錆びた格子戸が開いた音がして、続いて鈍い音が床に響いた。どすん、というよりはどずん、に近い。肉の詰まった麻袋が叩き落されたような音だった。

「ついでだ。ガキごと縛っとけ」

 声が聞こえ、遅れて後頭部に焼けつくような痛みが迸る。強い打撃を食らわされたのか、視界に火花が散り頭から床に叩きつけられた。一瞬力が空けた両手を持ち上げられ、手首に縄を括り付けられる。最悪だ。
 再び牢屋の扉が閉じて、それからしばらく経ってやっと、火鼠の少年は身体を起こすことが出来た。大分不味い所を打ち付けたらしく、まだ舌の根元がびりびりと痺れている。激しくぶれる視界の中に捉えたのは、同じ縄で繋がれた獣の白。横たわった身体が時折持ち上がることから、多分死んではいないだろうと予測する。
 
「あのう」

 意を決して放った言葉の返事はない。意図的に無視されているのか、それとも返事すら出来ない状況に陥っているのか。獣には悪いが、願わくは後者であって欲しいと火鼠は思った。この状況で意図的に無視するような性格の持ち主と、一緒の縄で括られているのはどうも不安で仕方ない。
 良く耳を澄ませると、恐らくは獣のものと思われる荒い吐息が微かに聞こえてきた。どうやら後者であったらしい。全身で空気を貪り食う獣とは対象に、火鼠はほうと胸を撫で下ろす。
 
「大丈夫……ですか?」

 ああ、と呻く声は、音階こそ低いがまだ若い獣のものだった。どうやら意識はあるらしく、返事もしっかりしている。ゆっくりと体を起こした。
 視界の激しいぶれもどうにか収まり、火鼠は横たわる獣の姿を見回した。赤白ツートンの尖った耳、胸部から腹部にかけて走る赤い稲妻模様、鋭利に反り返った暗黒色の二本爪。父から教わった記憶が正しければ、それはザングースという種族の獣だった筈だが、はてさて。

「お前も、あいつらにか」
「あいつらって?」
「イベルタル教の奴らだ。あいつらに連れてこられたんだろう」
「……多分。分かんない、です」
「そうか」

 平坦で色味のない口調にやや気圧されながらも、マグマラシは言葉を吐いた。
 蜘蛛の巣のようなひび割れが広がる石牢の床を見つめているのは、視線の遣り場に困ったからだ。誰かが来たことでほんの少し不安は消えたが、代わりに気まずさが襲ってくる。滴る水の音が、どこか遠くのもののように感じた。
 
「あの」
「ヒヨスだ」

 意を決して掛けた言葉が、直ぐに切り返される。二秒ほど経って、先程の言葉が自己紹介であることを火鼠は理解した。

「ええと、ぼくはリコデムス、って言います。あの……女の子みたいであんまり好きじゃないので、呼ぶならリコって呼んでください」
「呼ぶ時が来るといいな」

 皮肉気とも冷やかとも取れる言葉に、少し考えた後リコは慄然とした。小さな窓から覗く外には憂悶の海が広がっていて、明日の正午ごろにはここまで到達すると見込まれている事を思い出したのだ。
 つまり、明日の正午までにここを抜け出さなければ、自身も目の前のザングースも、憂悶の海に呑まれて命を落とす。嫌な悪寒を感じて、リコは自身の身体が震えだすのが分かった。

「ど、どうしよう。早く抜け出さなきゃ!」
「縄抜けでも出来るのか」
「……う」

 いかに行動を起こそうと身を捩っても、縄で括られていてはどうしようもない。動く度に激しく締め付けられ、鬱血した手首が痛むのが関の山だった。

「お前が動く度に俺の方まで締まるんだ。勘弁してくれ」

「ご、ごめんなさい。そうだ、一旦落ち着かなきゃ」

 口では落ち着こうとしても、やはり身体の不安は隠しきれない。
 それどころか、先程一瞬引いたはずの不安の種が、またぶり返してきていた。波のような、という慣用表現は事実に基づいたものなのだと、どこか冷静な脳がそう語りかける。もう一度身を固めようとして、後ろ手で縛られている事に気付いた。これではもう、抑える事すらできない。

「お前の炎で縄は切れそうか」
「ううっ……」
「どうした?」
「え、あ、いえ。何でもないです。炎ですか。えっと、縄を伝った炎で、ヒヨスさんが燃えてもいいなら」
「御免だな」
「じゃあ無理です」

 同じ縄で縛られていたのは、リコの炎を警戒してのことだったらしい。ザングースは多毛種だから、火なんて放たれた日には一瞬で火達磨にされてしまうだろう。その図は容易に想像できた。

「そ、そういえばヒヨスさんは、どうしてここに」

「お前は」

「ぼくは、なんか良く分からない内に連れてこられました。一回急に目の前が爆発して、それで助かったんですけど」

「ああ分かった、もういい」

 ヒヨスの拭えなかった既視感は、どうやらそういう理由から来ていたらしい。昼に間接的に助けたマグマラシとこんなところで再開するとは、世界とはいつからここまで狭くなってしまったのだろうか。狭まっているのは事実だ、と自嘲気味に鼻を鳴らす。
 
「ヒヨスさんは?」

「お前と同じだ。依頼を受けて待ち合わせの場所に行ったら急に襲われて、目を覚ましたらここだった。ニエがどうとか言っていたが、お前分かるか」

「ニエ、ですか。ニエって言えば神獣に捧げるアレだと思うんですけど」
「俺は知らん」
「詳しい事はぼくも。ただ、あの人達……ええと、イベルタル教? の何かと、絡んでいるような気はします」
「何かってなんだ」
「わかりません。ただ、あまり穏やかじゃないと思います。だってほら、縄で縛る位ですから」

 それに関しては青年も同意だったらしく、肩を竦めた。

「ともかく、妙な事される前にここを抜け出すぞ。……おい、どうした」

 妙にもそもそ蠢いていると思ったら、リコは身体を折るようにして蹲っていた。ぜいぜいと激しく喘ぐ身体は微かに汗ばんでいて、時折身を灼かれた時のような鈍い唸りが聞こえてくる。遅効性の毒か何かを盛られていて、それが今になって効いてきたのだろうか。 それにしても、先程まで全く異変がなかったのに急に効きだすなんて、そんな毒が果たして存在したかどうか――
 
「だ、大丈夫です……うぐっ」

 吐く息は熱い。瞳は虚ろで、とどめに見え見えの虚勢が張られたとなればもう。病状を確認しようにも、縄のせいで手出しが出来ないのがもどかしい。

「ちょっと待ってな。見張りを呼ぶ。一匹ぐらい誰かいるだろ」
「ち、違うんです! ああ、でも……うん、見張りさんは呼んでください……」
「……あん?」
「お、おしっこ……」
「ああ、そういうことか」

 リコが抱えていた不安の種とは、自身の尿意の事だった。
 昼前に閉じ込められてから九時間はとうに過ぎている。最初は小さな種ほどだった尿意がどんどん芽を吹き、ヒヨスが投げ込まれた頃にはもう明確に催し始めていた。
 石牢の無機質な冷気は尿意の歩幅を緩やかに加速させ、用を足す術がないという緊迫感がそれに滑車を掛ける。自分に羞恥がなければ隅の小さな排水溝で用を足すことも不可能ではなかったのだが、富裕層の生まれというプライドがそれを拒んでいたのだ。

「おい、看守」
「ンだよ」
「ガキが用を足したいらしい。連れていってくれないか」
「チッ。めんどくせえ」

 眼前の闇からぬるりと這い出てきたのは、黒壇の毛を持つゾロアークと呼ばれる獣だった。ゾロアークが周囲に擬態し存在を消すことが出来るのは知っていたし、これにはさして驚かない。しかし、今までの所為が全て見られていたのかと思うと、リコは少しばかり気分が悪くなった。

「おら、立て。縄解いてやるから」

 粗暴な口調とは裏腹に、縄をほどく仕草は割と優しい。
 或いは、余り刺激して漏らされたら叶わない――とでも思っているのかもしれないが。

「外に出たら、その辺でさっさと済ませろ」
「え、トイレに……」
「てめー雄だろ。それに、捕縛された身で贅沢言ってんじゃねえ」
「うう……」

 まあごもっともだ、と悶えるリコデムスを尻目に青年は思った。というか、今の状態で便所まで間に合うとは考えがたい。
 起立した衝撃で尿意が加速したのか、リコデムスはもう人目を憚ることもなく股間を抑えている。一歩踏み出すのもやっと、と言いたげな背中に向けて、ヒヨスは軽く声を掛けた。
 
「おいリコデムス。葉っぱ一枚持ってきてくれ」




 
 鉄格子が閉じる。錆びついた音がぎいと響いて、青年の耳の中をやたらめったらに傷付けた。耳を塞げないのが辛い。
 投じた策は聞こえただろうか。錆びついた音にかき消されて聞こえなくなってしまった気が、そういえばしなくもない。或いは、異変を嗅ぎ付けた看守に葉を持ち帰ることを止められてしまうという可能性もある。とっさに思い付いたにしても、随分綱渡りな策だ。 独りになると、聞こえなかった音が聞こえてくるようになる。草が戦ぐ音、冷たい風が吹き抜ける音、そして憂悶の海が迫る音。ごう、という地鳴りにも似たその音は、嫌が応にも焦燥感を煽るのだ。

「あいつがリコデムスか」

 牢に渦巻く虚空を見つめつつ呟くのは、再確認の意を込めてのことだった。青年が大柄なバクフーンから受けた依頼とは、何の事は無い、急に行方知れずになっていたバクフーンの息子、「リコデムス」を捜索してくれとの事だったのだ。行方知れずになっていた対象者を見つけたはいいが、同じように束縛されてしまうとは何とも情けない話だ。

 ほうほうの体で牢の隅に這っていき、身体を壁にもたれ掛ける。水色の夜風に冷やされた石壁は刺すように冷たく、身体を這い回る痛みと熱が少しだけ和らいだ。後は堅く縛られ過ぎて鬱血している手首さえどうにかなれば最高なのだが、上手に縛られたようで爪を出し入れしてもロープが裂かれる気配はない。これに関してはもう、諦めるほかないだろう。

 瞳を閉じる。目一杯気絶した為に睡魔はなかったが、打ち据えられた身体は灼熱を帯び、鈍痛が感覚器を揺さぶっていた。微動させるだけで鋭い痛みが返ってくるので、あまり大それた動きは出来そうもない。せいぜい身を捩るか、丸くなるかのどちらかだ。
 リコデムスが葉を持ってくるまでは、特に出来ることもなかった。ほんのりと下腹部を張る感覚に、自分も用を足しに行けばよかったと後悔するも、先程の激痛を思い出して考え直す。歩いている途中に気絶でもしかねない程の痛みだ。解放されたらその辺で済ませればいい、と結論付けて、青年はそれ以上思考することを辞めた。
 


あとがき
もよよです。リコデムス、通称リコくんの登場です。
ポジショニング的には完全にヒロインなんですが、果たしてこの子をヒロインと言っていいものか。だってオスだぜ。
次話で序章が終わります。たぶん。


三幕「果ての土塊」


最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • 面白いです。これからも楽しみに読ませていただきます。
    ―― 2014-06-11 (水) 22:47:55
  • お読み頂き有難うございます。励みになります。不定期更新ですが、暖かく見守って下さると幸いです。
    ――赤猫もよよ 2014-06-13 (金) 23:42:19
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Last-modified: 2014-05-21 (水) 23:04:48
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