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七幕「水草騎士団―②」

/七幕「水草騎士団―②」

Writer:赤猫もよよ
まとめはこちら→花葬の街、憂悶の海



美味しい物を食べたいという意思は、いつだって本物だ。温かいスープでお腹が満たされれば、その時のぼくらは幸せだって言えるだろう。例え明日海に沈む運命だったとしても、そのこと自体が温かいスープを冷ましてしまう――なんてことはないのだから。
 食べることは最も身近な幸福である、という言葉を裏付けるように、今ぼくらが居る港向かいの市場には、沢山の活気が渦巻いていた。強い潮の香りは勿論、新鮮な果実の目が醒めるような酸っぱい香りも漂ってくる。どこかで魚を焼いているのだろうか、もくもくと白い煙がそこかしこから立ち上っていた。
 暫く進むと、市場の中でも少し開けた場所に出た。粗末な木製の椅子や丸机がそこかしこに置かれていた。たぶん、買ったものを腰を落ち着けて食べる為の場所なんだろう。幸いにも開いているところがあったので、そこに腰を落ち着ける。
「もう少し上等な場所に案内したかったのだが、手持ちがな。済まないが、この辺りで勘弁してもらいたい」
「いい、寧ろ落ち着くぐらいだ」
「ぼくはちょっと落ち着かないなあ……」
 各地を回る傭兵ともなれば、声を張り上げなければ会話が通らないような喧騒の中でもご飯が食べられるのだろうか。ぼくなんか、誰かに見られてるかもしれないってだけで胸がぞわぞわするのに。誰にも見られてないって分かってはいるんだけど、どうしても背中側を意識してしまう。
「歩き通しで疲れただろう、君達はここで待っていてくれ。私達が適当に繕ってこよう」
「それがいいわね。相場とか分かんなくて高値吹っかけられても可哀そうだし。ふたりとも、食べられない物とかある?」
「ぼくは特に」
「お、優等生。ヒヨスちゃんは?」
「……辛いものと、極端に熱いもの。あと肉」
「おー、ガキンチョ。顔に似合わず舌がお子様」
 きしし、と悪戯っぽく笑ったメルンさんの頭に黄色い手刀が振り下ろされる。完全に粗相をした子供を叱る母親の形だった。
「こらメルン、行くぞ。……失礼した、ヒヨス殿」
「いや、そんな深刻に謝られても困るんだが」
 この上なく懇切丁寧な謝罪に、再びぼくらはたじろいだ。真面目すぎるのが逆に重い。
 超硬度ダイヤモンド級の堅物と心身軟体動物の――ある意味ではいいコンビかもしれない――二匹を見送って、ぼくらは椅子の背もたれにどっともたれ込んだ。相次ぐ出会いのインパクトに持っていかれて忘れかけていたけど、二三時間ほど歩き通した身体はもうクタクタだ。ご飯を食べたら、どこかで少し休みたい。
「っていうか、お肉ダメなんですね。ちょっと意外です」
 見た目からして好きそうなのに――とは、すんでのところで堪えた。見た目と印象から憶測で物を言うのは、流石のぼくでもいけないことだって分かる。そういう偏見から差別や軋轢が産まれるのだ――と、お父さんが教えてくれたことがあった。多少オーバーだろうけど、気分を悪くされていい気はしない。
「……あ? ああ。肉はどうも、食っただけで気分が悪くなる」
 瞑っていた目を開けて、ヒヨスさんは気だるそうに呟いた。少しでも寝ようとしてたなら申し訳ない。
「まあ、ウシとかトリとかって、ケンタロスとかカモネギに似てますもんね」
 ウシを食べていると友人のケンタロスを思い出すから、なんて理由や、形が同族っぽいのは生理的に無理っていう理由で肉食を拒むポケモンは幾らでもいる。あんなにおいしいものが食べられないなんて少し勿体ないって思うけど、まあそれは人それぞれ。
 そういえば、元々この世界に原生していたのはケンタロスやカモネギといったポケモンじゃなく、実はウシとかトリとかの家畜の方だったらしいから、本当なら“ウシに似たケンタロス”というのが正しい。けれど、だからといって言葉を喋る生き物を家畜に似ているなんて称することは出来ないのだ。マナー違反。
「……いや、多分そういうんじゃない」
「え? そうなんですか」
「おれにも良く分からん。ただ、どうしてか気分が悪くなる」
「はあ……」
 釈然としない口ぶりは、そのまま彼の本心を表しているのだろう。自分でも良く分からないが身体が拒む、というのは確かに妙な話だ。
「まあ、おれの事はどうだっていい。肝心なのはこれからどうするかって事だ。お前、飯食った後も歩けるか」
「……ごめんなさい、正直ちょっと休みたいです」
 ぼくの申し訳なさに塗れた声を聞いて、ヒヨスさんは軽く息を吐いた。表情を見るに、失望や落胆といった感じじゃなくて、どちらかと言えば安堵のそれだった。
「謝らなくていい。おれも少し休みたかったところだ、そう言ってくれた方が助かる。お前が“急いでお父さんを探しに行きたいです!”なんてのたまった日にはどうすればいいか考えていたところだ」
「は、はあ」
 どう反応すべきか分からなかったので、取り敢えず曖昧に微笑んでおいた。ぼくはヒヨスさんこそが“さっさと探しに行きたい”って言うと思っていたので、ちょっと意外だ。
「意志が一致したなら話は早い。一先ずあのデンリュウに洗いざらい話し、ついでに宿の手配もして貰う。夕方まで休んで、それから捜索開始だ」
「……見つかりますかね」
「わからん。ただ、もう民間の船は出ないし、徒歩で次の街を目指したとしても昼過ぎに出発する可能性は低い。おれ達がきた昼間にお前の親父がまだ居たなら、多分今もこの街に居る筈だ」
「船ってでないんですか? あんなに沢山泊まってたのに」
 ぼくはさっきまで居た広場から見える、沢山の帆船の存在を思い出していた。港に繋ぎ止められながらも船出を今か今かと待ち続ける姿はとても凛々しくて、格好よかったのを覚えている。両手の指では到底数えきれないほど停泊していたあの船たちが使われないなんて、一体どういうことなんだろうか。しかも憂悶の海から逃げるヒト達が沢山いるだろう、そんな中で。
「確証は持てんが、可能性は高い。メルンが言っていた“難民保護の政策”とは恐らく、あの船たちの事だ。無償か、或いは破格の金額で乗せてくれることだろう。後は、この街の住人を輸送するためのものでもある筈だ」
「ん、大正解。流石ヒヨスちゃん」
 けろりとした声が聞こえて、気が付くと机の上には幾つもの料理が乗ったトレーが運ばれていた。ほこほこと湯気を立てる飴色のスープに大きな魚を丸ごと一匹使った煮付け、それから開いた小魚の揚げ物。良く分からないものも合わせて十品以上、見渡す限りの魚料理に、思わず喉をごくりと鳴らす。
「アイラサ貝とカーレィの魚介スープに、カッツォの煮付け。それからカタクチのフライ。どーよ、美味しそうでしょ」
「どれもグラスタンクの名物だ。味わって食べてくれ」
 得意げに微笑むリンドウさんとメルンさんに言われるがまま、ぼくはスープに口を付けた。まろやかであっさりした塩味に遅れて弾けるように口の中に広がる魚介のうまみが、空っぽのお腹の底にじんわりとした暖かみを持って注がれる。仄かに利いた黒トウガラシの辛さが、喉の奥で火花のようにパチパチと弾けていた。疲れた身体に沁み渡る優しい味に、思わず貪るようなはしたない食べ方になってしまう。
「随分と早かったんだな」
 小魚のフライを二本同時に頬張りながら、ヒヨスさんは視線を騎士二匹の方へと向けた。その視線に呼応するように、リンドウさんが口を開く。
「君達が腹を空かせていると思ったのでな。素早く提供できるものをメルンに教えて貰った」
「ここの食べ物は全部食べたことがあるからね。どの店が出されるのが早いかぐらい把握済みってわけ」
「その情熱を、もっと別のところに費やしてほしいんだがな」
「えー役に立ったんだからいいじゃん」
 皮肉とわざとらしさに塗れたリンドウさんの言葉をさらりと受け流し、メルンさんは小さく舌を出した。本当に仲がいいことだ。

 自分でも驚くぐらい完食するのは早かった。瞬く間に空になった机の上の皿を店の人に返した後、今度はリンドウさん達の用事を果たす為に椅子に腰かける。ぼくは土葬の街での一件を七割ぐらいしか覚えていないから、説明はヒヨスさんに全部任せることになった。ちょっぴり申し訳ない。
「さて。お疲れのところ大変申し訳ないが、土葬の街の状況を話して貰いたい。海の浸食状況と街に取り残されたポケモン達の数、後は海の浸食速度といったところだな」
「構わない。だがその前に、おれとこいつの宿を手配して貰えるだろうか。歩き通しで疲れた」
「ふむ、良いだろう。メルン、手回し頼めるか」
「あいわかったー。……ただ、時期が時期だしあんまり期待しないでね? 多分どこも一杯」
「えり好みはしない。休息が取れればそれでいい」
 ヒヨスさんの言葉を受けて、メルンさんの表情がわずかに曇った。
「そりゃーあんたはそうでしょうよ、旅慣れしてそうだし。でも、そこのチビすけの事を考えたら話は別。まさかこんな子供を家畜小屋で寝かせる――なんて、言わないわよね?」
 皆が一斉にぼくを見たので、気圧されて思わず首を引っ込めた。
 しばらく思案するような眼つきでぼくを見つめていたヒヨスさんが、ふと何かに気付いたような表情で息を吐いた。
「すまん、変更だ。なるだけ治安のいい宿を頼めるか」
「ん、了解。万が一空いてなかったとしても、騎士団権力で無理やり他の客を追い出しちゃうんだから!」
「やめんか」
「ぱぎゃっ」
 柔らかく動く鰭尻尾を右の額の前に当て、「敬礼」のポーズを組むメルンさんにリンドウさんの尻尾から放たれた軽い電撃が迸る。
 ツッコミにしては随分とバイオレンスというか過剰な気がしなくもないけど、お互い対して気にしていないのを見るにこのやり取りも日常茶飯事のものらしい。食後のホット・ティーを啜りながら折檻に取り組むリンドウさんの姿には、どこか手練れの匂いを感じさせる。
「そいじゃ行ってくる! リンドウ、ちゃんと聞きだしといてよ」
「うむ。そちらこそ任せたぞ」
 二匹の騎士は互いに頷きあって、メルンさんは颯爽と駆け出した。その華奢な背中を見送るリンドウさんの瞳には、一点の曇りもない信頼の色が強く表れている。
「……さて、そろそろ本題に入ろう。土葬の街の状況を、なるだけ細かく話して貰いたい」
 メルンさんの姿が見えなくなった後、リンドウさんの声を受けてぼくらはもう一度向き合った。
「町中を見て回った訳じゃない。見たのは貧民街の区画だけだが、それでも二、三十匹程度のポケモンは居たはずだ。自らの意志で残ろうとしている奴もいたが、大半は怪我やら病気やらで旅が出来ない奴だ。……後は、イベルタル教の連中」
 イベルタル教。その言葉を聞いて、全身に嫌な汗が迸るのを感じた。そういえば、この街にも居るのだろうか。
「イベルタル教、か。この街ではスイクン教の信仰が強いからあまり布教しているという話は聞かんが、恐らくどこかに潜んでいるだろうな。……どうした、リコ坊? 様子が変だぞ」
「……い、いえ、その」
 ならまたぼくが狙われるかもしれない。怖い。――なんて、そんな事は言えなかった。言ったところでどうにもなる訳じゃないのは良く分かっている。それに、ここで話を折ったら二匹に迷惑が掛かってしまう。ぼくは視線を下に逸らした。
「色々あったんだ。悪いがこの話は今度にしてくれるか」
 言葉に詰まったまま俯いたぼくの頭に、ヒヨスさんの手が添えられる。じんわりと伝わってくる熱に寡黙な思いやりが伝わってくるけれど、どくどくと波打ち始めた心臓を落ち着かせるほどには至らない。喉の奥につっかえた寒い恐怖がいつまでもその場に留まって、全身の奥底から吐き気がこみ上げてくる。
 リンドウさんの問いに、ぼくは首を微かに縦に動かした。
「……大丈夫です、ごめんなさい」
「すまない。直ぐに終わるから、少しだけ我慢してくれないだろうか」
「あ、いえ。ちょっとびっくりしただけなんで。全然、平気ですから。ほんと、ごめんなさい」
 ちっとも平気じゃない。平気じゃなかったけど、嘘を付くことぐらいなら出来た。お腹から喉に掛けてせり上がってくる苦い汁を必死に堪えながら、未だに脳に焼き付いて離れない地下牢の暗闇を振りほどこうとする――けど。
 心臓が痛い。早すぎる鼓動が、刺すような痛みの根を全身に広げていく。黒ずんだ視界の中に、錆びついた鉄格子が見えた。
 違う。今ぼくが居るのは明るい港町で、暗い牢獄なんかじゃない。痛い事もされないし、怖い事なんてなにもない。心では理解しているつもりなのに、どうしてぼくの身体はまだ震えているのだろうか。
 わからない。嵐のように鼓動を打つ心臓は息を吸う事を欲しているのに、どうして上手に息が出来ないのだろう。まるで水の中のように、僅かな空気が閉じない口の隙間から漏れていくだけだ。喉に弁でも出来たかのように、吸おうとした瞬間、喉の奥がぎゅっと固まって塞がってしまう。どうしよう。息が苦しい。視界がぐらついて、耳がすうっと遠くなっていく。急かすように波打つ心臓の音だけが、ぼくの身体を突き破るようにして響いている。
「おい、どうした」
 がりがりと骨を削るような雑音の中に、ヒヨスさんの声が微かに入り混じっている事に気付いた瞬間には、ぼくの身体は椅子ごと地面に転げ落ちていた。起き上がろうとしても、痙攣を起こしている身体には力が入らない。
「おい、しっかりしろ! 聞こえるかッ!」
 意識が遠くなっていく。靄の掛かった視界一面に広がる空だけが、ぼくをあざ笑うように黒々と渦巻いていた。



 真っ暗な夢を見て、ぼくは最悪の気持ちで目を覚ました。窓から差し込む斜陽に照らされて、天井の木目が僅かに茜色に染まっている。辺りを白い壁で囲まれた、どこかの部屋のようだった。
 身体を起こして、掛けられていた白いシーツを剥いだ。妙に肌寒いと思ったら、全身とシーツが汗でびちょびちょになっていた。寝る時はいつも汗っかきなぼくだけど、この汗の量は少し異常だ。それに、ベッドの乱れもただ事じゃない。よほどうなされていたのだろうか。ここに来るまでの事が上手く思い出せないけれど、ぼくは一体どうしてしまったんだろう。
 酷い気だるさと寒気に巻かれながら、どうにかベッドから這い出した。部屋にはベッドと窓以外に何もない。宿の一室にしては、妙にこざっぱりと片付いてる気がする。
 暫く呆然とベッドに腰掛けていると、不意に木製の扉が開いた。顔を覗かせたのは、全身の毛並みを眩しいぐらい暴力的な桃色に染めたヒヨスさんだった。そのメルヘンチックな身体もだけど、微妙に甘酸っぱい香りがするのは一体どういうことなのか。
「起きたか」
「……ごめんなさい」
 じんわりと記憶が戻ってきて、最初に口をついて出たのは謝罪の言葉だった。急に倒れて、ここまで運ばせて、しかも話の腰も折ってしまった。迷惑かけっぱなしの自分が嫌になる。
「目覚めて一番がそれか」
 ヒヨスさんの眼光が鋭くなって、思わずぼくは怯んだ。初めて本当に怒られたような気がした。
「だって……迷惑掛けました」
「お前が謝る事じゃない。あそこで話を止めなかったおれが悪い」
「でも、ぼくが話を聞いてもパニックにならなければ、普通に進んだ訳ですし」
「だろうな。だが、そんなのは水掛け論だ。お互いにな」
 ふん、と溜息を吐く様子は、体毛の色を除けばごく普通のヒヨスさんだった。特に怒っているという訳じゃなさそうで、むしろその言葉には若干の申し訳なさが漂っているようにも感じた。どうしてだろう、申し訳ないのはぼくの方だっていうのに。
「体調はもういいのか」
「はい、もう平気です」
 ヒヨスさんは眉をひそめて、もう一度溜息を吐いた。
「答えさせといてなんだが、お前の平気は信用できん。まだ寝てろ。腹が減ったなら何か持ってくるが」
「いえ、大丈夫です。でも、ちょっと……お風呂、入りたいです。汗かいちゃって」
「……ああ、お互いにな」
 ファンシーな色に染まった体毛には、ヒヨスさん自身思うところがあるらしい。一体全体どういういきさつで毛並みに春が訪れたのかは分からないけど、まさか自分から染色に走った訳はないし、だとすれば誰かに何かをされたという事になるんだけど。ぼくの貧弱な想像力では、どうしても桃色の毛並みに行きつくような行為が想像できなかった。
「そんな目で見るな、言いたいことは分かる。お前の親父の情報を探しに行った酒場でやり合ってモモンソースを浴びただけだ、特に変わったことはない」
「特に変わったことはないって……それ、本気で言ってます?」
「……行くぞ」
「はあ」
 どうやら、あまり触れて欲しくない事らしい。触れて欲しくないならないで、もう少し分かりにくい誤魔化し方をすればいいのに。
 「……嘘も下手、とか?」
「あん?」
「や、なんでもないです。なんでも」
 とびっきりの怪訝な眼差しを払い除けるように半開きの扉をくぐり抜け、廊下に差し掛かる。光が差すような窓がある訳でもないのに妙に明るいのは、天井にいくつも備え付けられた光蛍石の照明のおかげだろうか。軽く電気を通すだけで半日は光を撒いてくれるという便利なシロモノだけど、当然ながら物凄く値が張る。そんな光蛍石を沢山設置出来るなんて、ここは随分と等級の高い宿のようだった。
「すごいですね、ここ。めちゃくちゃ高い宿なんじゃ」
「なるべく治安のいい場所に――と頼んだらここになった。代金は一泊で3アザレアだ」
「は、破格じゃないですか……! よく取れましたね、そんな宿!」
 3アザレアと言えば、丸パンを二個買ったのと同じぐらいの金額だ。そんな安い金額でこんないい宿を取れるなんて、メルンさんは一体どんな根回しをしたのだろうか。あのヒトなら何でもやりかねないから、少し不安になる。法とかに触れてないといいけど。
「何をそう驚いてる。騎士団宿舎の空いている部屋を貸して貰ったって話だぞ」
「え」
 そういえば、ちらほら通りかかる他のお客さんは皆、薄水色のスカーフを身体のどこかに巻きつけていた。メルンさんの緑色ともリンドウさんの濃紺色とも違う色だから、一等騎士でも二等騎士でもないようだ。数の多さから考えて、三等騎士といったところだろうか。リンドウさん達より年が行っているように見えるヒトもいれば、ぼくと同い年かそれより少し上ぐらいの子まで様々だ。昇格制度は年功序列という訳じゃないらしい。
「おー。目ぇ覚めたのね、リコくん」
 どこかで聞き覚えのある声だと思って振り返ると、メルンさんがこちらに向かって歩いてきていた。二等騎士がここに来るのは珍しいのか、周りの三等騎士達の眼差しは悉く彼女の全身に注がれている。憧れや物珍しさという視線を対して気にする風でもなく、寧ろそのような視線には慣れているようだった。
「急に倒れたって聞いたときはビックリしたけど、もう大丈夫そうね。……で、アンタはどういうこと」
 じろりと向けられた視線は、当然ながら桃色のザングースに注がれる。ここまでストレートに怪訝の意を表明されると、当事者じゃないぼくも妙に傷つくようだ。
「モモンソースを浴びた」
「なんでよ。……あ、分かった。さては青の清廉亭で乱闘騒ぎ起こして逃げたザングースってアンタね。やり合ってる最中にモモンソースの樽にでもぶつかったんでしょ?」
 ヒヨスさんは小さく頷いた。
「詳しいな」
「事情聴収押し付けられたのよ、そこの。つーか今のがマジなら、アンタちょっと署までご同行」
「向こうから吹っかけてきたんだ。息子を殺された恨みだとか叫んでやがったが、身に覚えはない」
 殺された恨み、と、ぼくとメルンさんはほぼ同時に呟いていた。
 そういえば、最近よくホトケサマが見つかるとメルンさんが言っていたような気がするけど、なにか繋がりがあるのだろうか。
「……はあ、分かった。こちらで何とかしとくから、取り敢えずアンタらは風呂入んなさい。場所分かんないならついてきて」
 これ以上この話を続けるつもりはないらしく、メルンさんはくるりと踵を返した。ついてきて、と言わんばかりにヒラヒラと動く尻尾を先導に、ぼくらも歩き出す。

「し、しあわせ……」
 熱いシャワーで全身を洗い流して、深く張られたお湯にざぶんと浸かる。全身に張り詰めた緊張がするりと解けて、思わず緩んだ頬から出た言葉は自分でも恥ずかしいぐらいに年寄り臭い。幸いにも血や汗や砂や桃色の液体を洗い流すことに必死なヒヨスさんは気付くことなく、ぼくの呟きはぼく自身を形容し難い気持ちにさせただけで済んだ。
 全身が溶けだしそうな感覚に身を任せて、ぼくは軽く目を瞑った。ここに至るまでの一日二日に色々な事がありすぎて、心も体もひどく疲れている。さっき起きたばかりなのに、今にも眠れてしまいそうだ。
 目を瞑ると、瞼の裏に沢山の光景が浮かんでくる。今に至るまでのそのどれもが薄暗いだけの記憶で、いっそのこと全て消してしまいたいと思った。ただの現実逃避でしかない事は分かっているけど、それでもまだ、目を背けていたい事ばかりだった。生きているだけで儲けもの、なんて前向きな思考は、ぼくにはとてもできやしない。
 じんわりと目頭が熱くなったような気がして、ぼくは慌ててお湯で目元を拭った。泣きたくない。ここで泣いてしまったら、ぼくはもう立てなくなりそうだ。お父さんに会うまでは、絶対にへこたれちゃいけない。絶対に。
「……先に、上がりますね」
「ああ」
 顔を見せないようにして、湯船から上がる。浴場の引き戸に手を掛けようとしたところで、雑音に掻き乱されていた頭の中に、ふと一つの言葉が浮かび上がる。

――「息子を殺された恨みだとか叫んでやがったが、身に覚えはない」

 妙に、引っかかる。なにか良く分からないけれど、その言葉には拭い去れない違和感があった。
「……ヒヨスさん。さっき、襲われたって言ってましたよね」
「ああ。……それがどうかしたか」
 全身を洗い流す動きを止めて、ヒヨスさんはこちらに目を向けた。
「どうして、ヒヨスさんが襲われたんですか?」
「あ? おれが知るか。無差別だろ」
 その通りだ。自分でも、変な質問をしてしまったと思ってる。でも、決して無差別ではないような気もしていた。それがどうしてか、上手く理由は話せないけれど……。
「……また、探しに行くんですよね」
「付いてくる、とか言うんじゃねえぞ。お前はおとなしく寝てろ」
「はい。……あの、気を付けてください。上手く言えないけど、なんか嫌な感じがします」
 釈然としない不安が渦巻いていた。それと同時に、何かが起こるような気もしていた。ただの怯えだと言われればそれまでだけど、それだけでは完結しないような予感があった。

 ぼくらの知らないところで、冷たい悪意が蠢き始めている。
 なぜだか、そんな気がしていた。


あとがき
三月になりました。もよよです。不定期更新を言い訳にすると二か月とか平気で放置しちゃいますね、気をつけねば。
次回からようやく作風通りの薄暗い感じが始まっていくと思います。お楽しみに。


八幕「水草騎士団―③」


最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • メルンとリンドウの掛け合いのおかげで、滅亡寸前という状況を忘れてしまっていました。尻尾で敬礼するのって可愛いですね。そういうところも含めて設定がとても濃くて、凄いです。
    何やら隠し事をしているヒヨスの様子からは色々な未来が予想できますが……。次回が待ちきれません!
    ――カラスバ 2015-03-12 (木) 23:48:35
  • 全体の中の一話としても、キャラの造形や世界観の作りこみが綿密ですごいです。
    しばし迫る海の脅威を忘れさせてくれるような、そんなここ数話だったと思います。店先で焼かれる魚の匂いであったり、快適な寝床とシャワーであったり、ありふれたはずの日常がかけがえのない愛おしいもの感じられました。
    メルンとリンドウの織りなす軽妙なやりとりも、つかの間の休息を思わせてくれたのかもしれません。また続きが読みたいです。
    ――小樽 ? 2015-03-17 (火) 22:24:56
  • しばらく留守にしていた間に続きが!しかも今後の展開がとても気になりますね…。ヒヨスが肉を食べられないということが今後何か影響してくるのでしょうか?超不定期更新している私からは偉そうなことは言えませんが、のんびりと更新をお待ちしております。
    ――macaroni 2015-08-28 (金) 21:27:07
  • >>御三方

    お返事遅れました。大変申し訳ありません。色々と楽しんで下さっているようで幸いです。スローモーな更新になると思いますが、何卒宜しくお願いします。
    ――赤猫もよよ 2015-12-14 (月) 00:24:27
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Last-modified: 2015-03-11 (水) 23:54:43
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