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八幕「水草騎士団―③」

/八幕「水草騎士団―③」

Writer:赤猫もよよ
まとめはこちら→花葬の街、憂悶の海



 紺碧の海と純白の街並み。吹き抜ける涼しげな潮風に、活気と熱に満ち溢れた市場。
 港町グラスタンクを訪れた旅人は、その街の印象を口を揃えてそう語る。燦々と照る太陽のように明るく、山峰に沸く冷泉のように尊き清廉を帯びた街である、と。
 その総評はあながち間違いではない。しかし的確に捉えているということは出来ない。何故ならば、その評価は、“昼”のグラスタンクに限ったものであるからだ。
 光が強ければ強いほどその傍に佇む影もまた深い。加え物流の中継点となるこの街には、様々な素性を持つ者――所謂“ワケアリ”というもの――が多く集う。ヒトには言えぬ秘密を隠し持つ者、訳有って素性を隠す者、それはヒトによりけりであるが、しかしそのどれもが、昼の街の光の元に出ると身を灼かれてしまう程に底暗い闇を持っている。そんな彼らが集う場所で、清く正しい法の手など届く筈もなく。その場所は、言わば無法地帯というべきものであった。
 ――そして、その、無法地帯の入り口である。

 酒と食べ物の臭いが立ち込める歓楽街の一角を抜け、猫鼬の青年は閑静な裏路地に差し掛かった。肺の中に渦巻く歓楽街の不快な熱気を追い出すように息を吐く。吸った空気の夜の冷たさと微かな潮気が妙に美味しく感じられた。
 元々ああいった賑やかな場所は青年の肌に合っていない。この場所の、生けるものが皆死に絶えたかのように暗く立ち込める静寂の方がまだ幾分かマシといったものだ。
 白い石壁に二方を挟まれた裏路地を暫く進んでいくと、鈍色をした木扉が眼前に現れた。酒場で得た情報が偽物でないならば、この先にお目当ての人物が居る筈なのだが。
 酒場で習った通りに三度戸を叩くと、暫くして扉が微かに開いた。その隙間から、しわがれた中世的な声が流れ出る。
「合言葉」
「夜告げの鴉のために」
「入んな」
 ぶっきらぼうに放たれた扉を潜ると、白い靄が青年の体を覆った。どうやら強い煙草の煙らしく、息を吸った鼻が嫌に痺れる。
 潜った先の粗末な部屋は、酷く薄汚れていた。部屋の隅に無造作に置かれた燭台とその傍の寝具、それから中央の粗末な机以外におおよそ家具と呼べる物はなく、足元には黒い鳥の羽束が散乱している。壁が微かに黄ばんでいるのは、焚かれた煙草の煙から来るものなのだろうか。
 帰ったらまた風呂に入らなければ、と内心霹靂しながらもおくびにも出さず、ヒヨスは先程の声の主に声を掛けた。
「情報が欲しい」
「いくら出すか言え。話はそれからだ」
 青年は机の上に一枚の銀貨を転がした。独り身ならば、三日そこらは喰って繋げるだけの金額だ。
「カルミア銀貨か。上客だね」
 声の主はくつくつと笑うと光源の前に踊り出た。
 帽子めいた特徴的な冠羽に月下に溶ける青黒い羽根、鋭利を湛える金色の瞳――ドンカラスと呼ばれるポケモン。
 闇夜に紛れ飛ぶ鴉とは、情報を流通する裏稼業にこれほど相応しい人材もいないだろう。痩せ細りながらも強い迫力を放つ眼前の大鴉に、青年は再度声を掛ける。
「姿は出さない主義だと聞いていたが」
「久々の上客なんだ、顔を見せないと失礼ってもんだろうよ」
 そいで、何が聞きたいんだ――と黒鴉は煙草の管を燻らせた。
「人を探している。バクフーンだ」
「他に特徴は」
「土葬の街の町長をしている」
「へえ、リヴィングストンの。……そういや、それっぽいのを昨日見かけたっけか」
「何処へ行ったか教えろ」
「カイネギーグ行きの客船だったと記憶してる。夕方十八時の便だ」
 カイネギーグ――別名、犀利の街。ここから綺麗に北上したところにある、記憶が正しければかなりの大都市だった筈だ。何故わざわざ合流対象である筈の息子から離れるような真似をするのかヒヨスには微塵も理解できなかったが、ともかくそこに送り届ければいいだけの事だ。深く考える必要などない。
「カイネギーグ行きの便なら三日置きだ。追加料金さえ払ってくれりゃー特等席を用意しとくけど、どう」
「結構だ。世話になった」
「あいよ。この場所はくれぐれも口外しないでおくれ」

 裏路地を抜けて歓楽街に戻ると、また酒と食べ物の匂いが強く漂ってきた。鼻が痺れるような煙草の香りを嗅いだ後だと、こんな雑多な匂いが入り混じっていようとも澄んだ空気のように思えるから不思議だ。
 これ以上この場所ですべきこともなく、夜もいよいよ更けてきた。酒飲み共に酔いが回り、これからますます治安も悪くなることだろし、さっさと騎士団舎に戻って休息を取るべきだと青年は考える。
 只でさえ厄介ごとに巻き込まれやすい見た目と体質なのだから、一刻も早くこの場所から立ち去るべきであるのは誰の目から見ても明白だ。ごった返す酔いどれ共を縫って騎士団舎の方に足を踏み出そうとした丁度その時、何者かに首根っこを掴まれ、踏み出そうとした足が空を切る。
「……人違いだと思うが」
「黙れ」
 如何にも厄介そうなごろつき、という印象だった。藍色の頑強そうな体に、これまた堅そうな黒色の甲羅を背負ったポケモン――アバゴーラ。見知った顔ではなく、当然ながら首根っこを掴まれる義理などない。
「金か?」
「違う」
「んじゃなんだ。おれは帰って寝たいんだが」
「敵討ちだ」
「あ? 今なんて――」
 ――言った? と、聞き返す暇もなく、ヒヨスの身体は屋台傍に置いてあった果物の籠目掛けて放り投げられる。があん、と大きな音が道一杯に木霊し、思い思いに騒がしさを撒き散らしていた群衆の視線が其の空間へ一斉に突き刺さった。
 騒音が張り詰めた緊張の静寂に変わり、すぐに困惑とざわめきの合唱が場を支配する。普段ならば喧嘩は夜の港の華とばかりに騒ぎ立てる群衆であるが、今日のそれは普段とは何か異なっていることを皆が肌で理解していた。
「痛って……。ああクソ、また風呂入んねえと」
 見事に破散した果物の汁に足を取られながらも、這う這うの体で立ち上がる。どうも今日は果物の汁を浴びる日らしい。ついさっきも浴びたばかりで、ようやく体の痒みが取れてきた頃だというのに、なんという不幸か。
「んで、アンタは何がしたい? 恨みを買う覚えはないんだが」
 身体中に付いた籠の破片の木屑を払いながら、爪を構える。基本的に面倒は避けたい姿勢だが、ここまでされては売られた喧嘩を買わない訳にはいかない。というか多分、憤慨した目で見下ろすアバゴーラの様子を見る限り、この場で逃げても追いかけてきそうだ。
「恨みを買う覚えはない――か。はン、俺の相棒を殺しといてよくもまあ言えたもんだなぁッ!」
 今、なんと言った? 相棒を? 殺した? ――自分が?
「おいちょっと待て、一体何のッ――」
 振り下ろされた拳をすんでのところで避ける。激しい音を立て、地面の白い石畳にヒビが走った。喧嘩とかそういったレベルの威力ではない。明らかに、殺すつもりで来ている。
「絶対に殺してやる……ッ! お前のせいでどれ程のポケモンが死んだと思ってやがる、“無血の通り魔”!」
 聞いたことない呼び名だったが、どうやら街の群衆には周知の呼び名らしく、取り囲む人だかりの声が騒がしくなった。どうも厄介ごとに巻き込まれたらしい。思い当たる節は微塵もないが、誤解を解くには少々骨が折れそうだ。
 力任せに振り被られた拳をいなし、重心の掛かっている右足を掬い上げる。甲羅の鎧は見た目に違わぬ重さであるようで、重量に引っ張られる形でアバゴーラの身体は石畳へと吸い込まれていった。
「クソがっ!」
「やめとけ。このまま続けても怪我するのはお前だけだぞ」
 それは心からの言葉だったのだが、血が上ったアバゴーラには挑発以外の何物でもない。拳で一度地面を叩くと、またすぐに身体を起こし、ヒヨスを血走った眼で睨みつけた。
「お前を殺す……絶対にだ……。でないと……また、街の奴らが」
「おい、そりゃどういう事だ。この街に何が起こってる!?」
 とぼけるんじゃねえ、という怒号に一瞬遅れ、アバゴーラの巨体ががむしゃらに飛び込んでくる。怒りに任せた攻撃など当たってやる義理もない、軽く身を屈み掴みかかる手を躱し、無防備に開いた顎に向かって拳を突き上げる。
 鈍い音と僅かな痺れ、そして確かな手応え。どうやら脳震盪を起こしたらしく、アバゴーラの巨体は背中から床に崩れ落ちた。これで暫くは動けないだろう。
 ざわめく民衆を視線で制し、どうしたもんか、とヒヨスは考える。このまま騎士団の連中に見つかったらこちらが犯人扱いされかねない。つくづく面倒な事を起こしてくれたものだ。
「安心しろ、気絶してるだけだ。それより、おれは“無血の通り魔”なんて珍妙な名前の奴は知らねえ。つーかこの街で一体何が――」
 そこまで言葉を言いかけて、なにか背中にちくりとした物が刺さったのに気が付く。この感触は、恐らく小石の類だろう。悪戯にしては少しタチが悪い。ヒヨスは、何か嫌な予感を感じながら振り向いた。
「おい、誰が投げた!」
 背後の民衆に向かって怒号を飛ばす。が、その誰もが問いに答えるでもなく、かといって目を逸らす訳でもない。皆が皆、ヒヨスの方を深い憎悪が籠った眼差しで睨みつけていた。
「……っ。おい、なんだその目は」
 ちくり。また一つ、石礫がヒヨスに向かって投げ付けられるのを皮切りに、小石の雨が降り始めた。肌に突き刺さるような多数の鋭い痛みと共に、青年は何故かこの光景に奇妙な既視感を覚えていた。
(……なんだ、この感じは。皆に憎悪を向けられる、おれは、どこかで――?)
 脳裏に、何処か知らない場所が映る。
 知らない誰かに罵られている光景が走る。
 自分は縛られ、吊るされている。
 幾つもの刃を突き立てられて、それでもなお足蹴にされ、暴力を受けている。
 夥しいほどの血が流れ、何度苦痛に悲鳴を上げようとも、決してその手が止まる事はない。
 痛い。喉が裂かれ、もう声も出ないというのに、なおも執拗に刃を突き立てられる。
 
 こんな光景は知らない。知らない筈なのに、その光景は鮮明に思い出すことが出来た。
 全てが鮮明に。そう、自分が息絶える、その瞬間まで――。
 
「――ごっ!」
 腹に大きな石塊が突き刺さり、こみ上げる嘔吐感に身を折った。
「お前のせいで息子が!」
「返せよ! 俺の母ちゃんを返せよ!」
 気が付けば、過激な罵声までもが身に降りかかっていた。今はまだ石礫が投げられるだけで済んでいるが、傾向を見るに彼らがいつ暴力に走らないとも言えない。ひとりだけなら敵ではないが、これほどの人数に襲われるとなると、無傷で逃れることは難しいだろう。最悪、殺されてしまう事だって有り得る。
「……クソッタレ」
 鞄の中の木の実を使って目を眩ませれば切り抜けることは決して不可能ではない。が、そんなことをすればこの街全体を敵に回すことは想像に難くない。当然船に乗ることも不可能になるだろう。
 だが、背に腹は代えられない。このまま嬲り殺しにされるよりは幾分もマシだ。
「ったく、面倒な事をしてくれたもんだ……」
 そうひとりごちて鞄の中に手を突っ込み、しわがれた木の実の欠片を手繰り寄せた。――丁度、その時である。
「そこで何をしている!」
 何処か聞き覚えのある声に、ヒヨスは弾かれたように顔を上げた。何時の間にか石礫の雨は止まり、煮立っていた群衆の雰囲気もすっと静かな物に変わる。海を割るように民衆を裂き、やはり見覚えのある黄色い姿がヒヨスの瞳に映った。
「……リンドウか」
「ふむ、街が喧しいと思ったらそういう事か。大方犯人にでも間違えられたのだろう? キミは人相が悪いからな。……立てるか」
「……ああ」
 街を守る筈の騎士が憎悪の対象に向けて手を差し伸べた事に対して、民衆は大きな動揺を見せ、またもざわめきだった。
「騎士様! そいつがこの街を襲う犯人なんです! 俺達はそいつを懲らしめようと!」
「静まりなさい」
 リンドウが冷たく言葉の刃を振り下ろすと、民衆に静寂の霜が降り落ちた。
「彼は、この事件を調査する為に他の街から遣わされた騎士だ。犯人などではない」
「は? おいリンドウ、ちょっと待て――」
「君達が行ったのは私刑だ。決して許される行為ではない。だが彼は、この場で事態を収めれば許すと言っている」
「おいこら、何勝手に――」
「今すぐにここから立ち去れ、民衆よ。決定に不満があるのなら、そうだな、牢の中でたっぷりと聞こう。再度言うが言っておくが君たちの行為は私刑だ、ここに居る全てのポケモンを、牢にぶち込む権利が私には存在しているんだぞ」
 リンドウの言葉を受けて、多くのポケモン達が青ざめながらすごすごと退散していく。騎士の言葉とは、これほどまでに重いらしい。
「さあ、行こうか騎士殿。ガルキーバ団長が呼んでいる」
 思いの外力の強い手が、ヒヨスに有無を言わせない。聞きたいことは数えきれないほどあったが、まあ、今でなくてもいいだろう。騎士団舎に辿り着けば、全て分かる事だ。
 
 青年に気にかかる事があるとすれば、群衆に石を投げられている時に見たあの光景の事だけだ。身に覚えのない光景である筈なのに、何故か明確な記憶が蘇ってきている。あれは一体なんなのか。
 
 暴力を振るわれているのが仮に自分であるとするなら、なぜ自分はあんな目に逢っていたのだろうか。
 息絶えた筈の自分は、どうして今ここで生きているのか。
 そもそも何故、暴力を振るわれなくてはならなかったのか。

 幾つもの疑問が、浮かんでは消えていく。
 だが、只一つだけ、確信したことがあるとするならば――あの光景は、自らの存在の中に入り込んだ空白の歴史を取り戻す為の鍵になる、という事だ。
 自分がどこで生まれ、何をして“あの日”まで生きてきたのか。それらの疑問を解き明かす為の、大切な答えに。

 ――ヒヨスには、産まれの記憶が存在していない。



「一等騎士のリンドウ、ヒヨス殿をお連れしました」
「うむ、こちらへ」
 騎士団舎に着くなり、最奥の豪勢な扉の部屋に通される。青年が察するにここは騎士団長の部屋で、つまり執務椅子に腰掛けている老齢のエンペルトが、水草騎士団の団長を務めているガルキーバとやらなのだろう。
 乾いた老木のようにすっかりと肉の削げ落ちた身体は、騎士というより介護を要する老人に近い。しかし、右目を斜めに裂くように走る傷跡、先端の欠けた頭頂部の三叉飾り、嵐のように迸る幾つもの傷痕などが、彼を歴戦の老兵たらしめていた。
「リコデムス君から大体の事は聞かせて貰いました。彼をここまで連れてきて下さったことに、まずは感謝を」
「そういうのはいらん。ここに呼んだって事は、おれに何か頼みたいことがあるって事だろ? さっさと言え、おれは眠いんだ」
 ヒヨスの慇懃無礼な態度に眉根を顰めるでもなく、老いたエンペルトは静かに微笑んだ。
「成程、確かに彼なら役に立ちそうだ。……リンドウ、彼に例のものを」
「はっ」
 楚々とした態度で部屋を抜けたリンドウは、暫くして掌に収まる程度の膨らみを持った布袋を持って戻ってきた。
「何だこれは」
「金貨だ。中には十枚ある。私の頼みを聞いてくれたならば、これらは全て君のものだ。……君は今、急ぎの旅の途中かい?」
 何かを見定めるような鋭い眼差しで問われ、ヒヨスは情報屋の言っていたことを思い出す。
「カイネギーグ行きの便に乗る必要がある。あと二日はこの街に滞在する予定だ」
「ふむ。ならば、その二日間だけでいい。私達に力を貸してほしい」
「……いいだろう。大体予想は付いてるが、何の仕事の依頼だ」
 その言葉に、ガルキーバは静かに目を見開く。その瞳には、深い怒りと、それ以上の強い正義感が立ち込めていた。
 
「この街に巣食う殺人鬼。巷では“無血の通り魔”と呼ばれるポケモンを、捕縛して貰いたい」


あとがき
暫く書けない時期が続きました。もよよです。そして多分もう暫く続くと思います。
来年には多分帰ってくるので、それまで気長にお待ちください。


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Last-modified: 2015-12-14 (月) 00:20:28
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