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七光の軌跡 掻凍り編

/七光の軌跡 掻凍り編

著:緋ノ丸


七光(ななひかり)軌跡(きせき) ()(さん) 掻凍(かきごお)り編 


※この作品は長編『七光の軌跡』シリーズの第三話です。
第一話第二話と順に読んで頂くことをお薦めします。


 アタシは弱くない。
ここまで必死になって、我慢して、耐え続けてきたから。
がむしゃらになって頑張ったのだから。
過去のアタシとはもう違う。
逃げてばかりの負け犬だったあの頃とは全く違う。
強くなっている。いや、まだまだ強くなるんだ。
醜い人生から突き放すために。
 雌なのにという未練なんてもう捨てた。
可愛さや美しさを追求するなんてバカバカしい。
雌に力が無いといって手加減されるなんて真っ平。
雪原に咲くちっぽけな花を可愛がっていた自分が憎たらしい。
そう、アタシが雄だろうと雌だろうと、この弱肉強食の世界は変わらない。
力が無ければ死を待つのみ。
誰からの助けもない、自分一人で挑む世界だ。
負けても死しか行く果てもない非情な世界でもある。
 それなのに、雌は下がってろ? 手出しはするな?
雌は大人しく、雄の(かたわ)らについてずっと見守ってろ!?
冗談も甚だしいったらない!
雄だけ任せる義務も、雌が戦いに加わらない制限も、ただの世間一帯の身勝手な主張に過ぎないのに。
頑固な古い先祖達の固着観念なだけなのに。
だったらアタシが変えてやる。覆してやる。
戦う女帝になってやる。
もう戦場(バトルフィールド)を支配するのは雄だけじゃないことを思い知らせてやる。
 もう一歩なんだ。アタシには才能がある。
部下もあれば、権力がある。
もう少しで絶対王者として君臨できる。
雄共をひれ伏す時は近い。
あとは力があれば、実現できるんだ。
これで一体誰がアタシを弱いと言うか。
 アタシは強い。



9月2日
ハクタイシティポケモンジムに挑戦。
ジムリーダーのナタネさんは、やはりタイプ弱点をカバーするように、状態異常を仕掛けてきた。
しかしセキマルの猛攻撃により強敵ロズレイドを撃破。
イーブイも一番手として活躍して初陣を果たした。
フォレストバッジを獲得。
続いてヨスガシティに方針を向け、サイクリングロードを通過予定。

9月18日
朝早くヨスガジムに挑戦するが、最後の一匹で惜しくも敗れた。
特訓させるのも辛いと思い、あまった時間を広場散策やポケモンスーパーコンテストに参加したりした。
今まで知らなかったコンテストの魅力。
色んな衣装を着飾るドレスアップ。
カスタネットを使ってリズムよく踊るダンスパフォーマンス。
審査員に向けてアピールをとる技演技。
交流の街らしいエンターテイメントを終日楽しんだ。
参加した皆、また出場したいと異口同音。

10月12日
ノモセシティに到着。
ジム挑戦の前に、サファリゲームに行って仲間作りをする予定が、
連日の雨によって沼地の水位が高くなり、大変危険のようだったため暫く閉鎖になってしまった。
明後日の午後のジム戦に臨むために、特訓を開始した。

11月26日
トバリシティポケモンジムに挑戦。
セキマル・ソウル・リーフィア共に、激しく交代する入れ替え戦に対応できた。
ルカリオ対ルカリオの頂上決戦は、期待した通りの良い勝負だった。
コボルバッジを獲得。
その後、デパートにてショッピング。
リーフィアとセキマルのお菓子の買いすぎで困った。
ポフィンの調理用具を含めて、ジム戦の賞金が帳消しになったお買い物であった。
明日はゲームコーナーに行きたいとセキマルにせがまれた。
羽を伸ばすつもりが、お金に羽が生えて飛んでいってしまう連休になりそうだ。

「ヘックショーーン!」
 テンガン山に吹きつける冷凍の突風が走る銀世界の真ん中で、僕は大きなくしゃみと鼻水を飛ばす。
天気予報のお姉さんが言うには、気温摂氏マイナス二度。
特に216番道路はテンガン山に吹く北風が強く、ところによって猛吹雪となるでしょう。
ますます厳しくなる寒さが続くようです。
そう言って微笑む天気のお姉さんは、僕にとっての悪魔だった。
脱せない生き地獄の中に閉じ込め、さまよう命をなぶって遊ぶ血も涙もない悪魔だった。
そしてその悪魔が注目している216番道路が、今僕が歩いている渓谷。
猛吹雪は勿論、降り積もる厚い雪道が、進行速度低下及び体力消耗促進を引き起こす。
おまけに僕は全くの寒がりだから、効果抜群の感覚が身にしみる。
遂に僕の身体は丸くうずくまってしまった。
「ハクトさん、すごく寒そ~。ワタシが温めてあげましょうか?」
「できるなら、その首に巻いてあるマフラーを返してくれないか。
この日のための必需品で、僕の大切な物なんだよ」
 リーフィアは雪の上を飛び回り、僕の顔を覗くように首を傾げる。
そんな彼女の首に巻いている、赤いマフラーが目についた。
 凍える攻撃にも弱い草の彼女は、この状況で自身の体毛だけで温めるのは辛いはず。
僕は、それを労って彼女に、かつて僕の首に巻いていたマフラーを与えた。
赤くて布地が薄いマフラーを、リーフィアは喜んで受け取った。
しかし、保温性が疑われるくらい薄いそのマフラーを巻いたおかげで、こんなに動き回れるのか。
正直言って、そんなに暖かくなかった。
けれど、できるだけの防寒はしたかった。
だからこうしてリーフィアにせがんでいる。
たいして暖まらなくても元気に活動できるリーフィアから、返還してくれるように。
するといたずらっぽく笑みを浮かぶリーフィアが言うには。
「ハクトさんは出発前に一体何枚重ねたんですか。
随分な防寒をしている人に、何でマフラーを渡す必要があるんですか?
それでも十二分暖かいはずですよ。
比べてワタシ達なんて丸裸。
カイロや毛布を身につけてもいいくらいじゃないですか。
それとも何か。
『そいつはオレの物だから、お前がさっさと返してもおかしくない』とでも言いたげですか?
まさかハクトさんはそんなちっちゃい人間じゃないですよね。
それに寒いのならワタシが温めてあげますよって言ってるのに。
もう、素直じゃないなぁ。
マフラーよりも断然あったかいですよ。ぎゅ~」
 無邪気に身体に抱きつくリーフィアの体温は本当に暖かかった。
動き回ったせいだろうか。彼女のはく息も一層白かった。
あんなに厚着をしたのに、下着や肌にまで温もりが伝わってくるのを感じる。
確かにマフラーを巻くより、こうしてもらった方がこの寒さから(しの)げるだろう。
しかし、僕は防寒するためだけにマフラーを求めているわけではない。
第一、寒がりの僕がこんなにも軽薄な襟巻きを選ぶか。
もっと長く厚いものを手にするはずだ。
けど今手元にあるのは人から貰ったものだ。
自ら購入したものではない。
それに魅力や魂があるように見える。
どんなに辛くて苦しい境遇に遭っても、これを巻くだけで、その人が傍にいて励ましてくれるようで気持ちいい。
暖かくないのに、緊張の糸がほどかれて、安心してしまう。
 すっかり心の支えとなった、その人の分身が今欲しい。
もはや私物以上に大切にしている、不思議なマフラーを巻いて、甘えたい、優しさに浸りたい。
煩悩の赴くままに、リーフィアの首もとに手を伸ばす。
それを手にする時、僕はあの懐かしの温かさを得るはずだった。
しかしそれ目前とした今は、極寒が僕の頬を殴った。
爪楊枝(つまようじ)が何十本も束になって叩かれた痛みに似る、凍える一撃だった。
“れいとうパンチ”でないことは確かだ。
周りにはそれ相応を使えるポケモンがいないから。
ただ、拳ほどある大きさの造作され角張った雪玉が、僕の体の上に転がっていた。
大方、これが頬にぶつかってきたと予想が出来る。
だがこれがどのようにして飛んできたのかが疑問である。
雪玉が意志をもって動くわけがなければ、人為によって投げられたのであろうか。
ならこの作為的犯行の実行犯は誰だろう。
はるか前方で欣喜雀躍(きんきじゃくやく)しているセキマルに、僕は疑いの目を向ける。
「いえ~い。目標命中確認。
標的誘導ご苦労であった、リーフィア。
どうだ、オイラの新技アイスバズーカ!
さっき考えたんだぜ。
氷タイプの物理攻撃。当たれば八割の確率で「こおり」づけになる。
威力は、“こおりのつぶて”以上、“ふぶき”以下。
天気があられ状態だと威力が1・5倍上がる。
まだテスト段階だけど、この場所なら早く習得できるな」
 首謀者はやはりセキマルだった。
ただ雪玉を投げつけただけで、カケラ技気取り。
追加効果までもう設定している。
それにしても、技の威力の度合いが極端すぎる。
命中率も公開してもらえば、大方想像できるが、それ以前に、その技が公認できるかどうかが難題。
いや、カケラを身につけていない時点で既に成立していない。
 リーフィアと同様、極寒の中でも元気なセキマル。
炎タイプだからという理屈からすれば、誰もが必然的に納得するだろう。
なによりも、草タイプのリーフィアが活発できることが不思議だ。
彼女の特質か? それとも異常の寒さで、感覚が忘れたのか?
いずれにせよ、それを悩んだところでこの身の危機的状況は変わらない。
とにかくこの吹雪は、怒る気力さえ奪う。
「あれ、張り合いね~な。
いつもならこの頭でっかちを掴みにいくはずが、今日はやけに沈んでいるな。
もしかして具合が悪いのか?
ノワキの実でも食って当たったか?」
 心配へと揺らぐセキマルの心境。
僕がずっとふさぎ込んでいるから、遠くから声をかけて受け答えを待っている。
ついには不安になって近づいてきた。
所詮、まだまだガキだ。
飛んで火にいる夏の虫、それでいて純粋で素直な奴よ。
「なぁ、そんなに俯いちゃって、どう……した」
 セキマルが『どうした』と言う間に、彼の頭でっかちを鷲掴む。
捕獲成功。途端に僕は、高慢な笑みを浮かべた顔をセキマルに向けてこう言う。
「つっかま~えた~。そして、ご苦労様でした。
セキマル、たとえ敵が動かなくなっても、うかつに近づくまねは今後するなよ。
形勢逆転、もしくはお陀仏になりかねないぞ。
しかし今は安心しろ。とって食いはしない。
が、先ほどのアイス何とかを喰らわせた恩は返すつもりだ。
こんな極寒の世界に放り込まれた一人を、よくもあの寒冷の一発をお見舞いしてくれたな。
おかげで身も心も完全に凍てついた。
というわけで、お前には僕のカイロになってもらおう!
マフラーや手袋に帽子、そんなもの目じゃない。
常に発熱・発火しているお前の炎を抱けば、一瞬にして温まるだろう!」
「じ、ジョーダンじゃねー!!
ハクトなんかに圧死されるなんて御免だよ。
オイラを抱いてもらう人物は、未来の花嫁ただ一人だけって決まってんだよ!
こんな変態に抱かれてたまるかぁ!」
 巻きつく僕の腕から脱しようと、覚えてもいないじたばたを繰り出す。
それだけじゃ飽きたらず、“ひのこ”をまき散らす。
あちちと悲鳴をあげた僕は、たまらず腕を緩めた。
まもなくセキマルは白皚皚(はくがいがい)の地に足を下ろす。
解放した直後、今度は口から“かえんほうしゃ”を飛ばす。
主人を焼き殺すつもりか!?
とっさに倒れ込み、豪炎を回避する。
「ちょっと、セキマル! お前、生身の人間になに飛ばしてんだよ。
当たっても外傷に至らない雪玉や枕じゃないんだぞ。
念力や光線を受けても、その場でのダメージしか及ばないポケモンとは違って、
打撲や後遺症になりかねないデリケートな体を人間はしているんだ。
遊びで投げて済むもんじゃ……」
「遊びじゃねぇ、本気だ! マジで死ぬかと思ったぜ。
ならその仕返しがてら、普段オイラ達がどんな目線で技を喰らったか味わうがいい!」
 すぐに立ち上がり、その場から走り出す。
後ろから光炎のベールが何発も放たれる。
背中すれすれまで炎の手が伸びてくるのを感じる。
しかし、踏み荒らす雪の重みや厚さは感じなかった。
さっきまで身動き一つもしなかったくせに。
今は顔に何粒の荒雪や冷風が当たっても、それらの一つも払わずに無我夢中に走り続ける。
(まぶた)が思うように開かないのは当然。
「ははっ、早速このザマか。
人間は寒さや暑さといった刺激に敏感だ。
更にそれらを長時間も浸るとストレスがたまり、しまいには心身ともに暴走する。
基本、そういう生き物なんだ。
ああ、勘違いするな、暴走ってのは俺なりの解釈だ。
まぁ皆が皆そうじゃないと思うが、少なくともハクトはそれに類するな。
だからイーブイ。そんな状態のハクトに難癖付けられても、そう落胆するなよ」
「それにしてもセキマルさんは、気が高ぶっているハクトさんと上手に接してますね。
強引ですけど、そこからにじみ出る親しみを感じます。
やっぱり男の子っていいですね。
ああやって無邪気に遊び回ったりふざけあったりした、言葉以上のコミュニケーション。
言葉を知らなくても交わさずとも、遊び一つを間に会話が成り立つ。
その中で育まれた信頼や友情はどんなものだろうって、私はつくづくそう思います。
男の子にしか分からないと思っているのですが、全く感じないということはないと確信します。
お二人と混ざれば、なんとなくの感覚が身につくかもしれません。
けど……悔しくて、羨ましいです。
早く私も、そんな関係になりたいです」
 疾走している横でソウルとイーブイが雑談をしている。
そういえば、口しか動かしていないこいつらも寒くないのか?
ソウルは淡泊に、イーブイはしみじみと何を話している?
自分勝手に暴走しているわけじゃないぞソウル。
そもそもセキマルが雪合戦を始めたことが引き金になったじゃないか。
人間の性質のせいにするな。
それにイーブイ、君はこの地獄絵図からどう見て、そんな微笑ましい光景だととらえた。
そしてこの惨状の中に飛び込んだら、君の純白の首周りの毛が完全燃焼しちゃうぞ。
そうだ、今の僕はそれ以上に危うい状況下にいるんだ。
ひとの発言にいちいち反応するな。
 どのくらい走り回っただろうか。
ようやく顔が刺されるような寒さを感じる。
運動して生成した汗はとっくに冷めた。
けれど、鮮紅の炎はしぶとく追いかける。
いい加減疲労が溜まり、体の自由がきかなくなりそう。
このまま飲み込まれてしまうのかという失望の色が染まり始める。
しかし、あるものを目にしたら、それは一掃された。
身を挺して守ってくれそうな堅固な氷塔が、盛り上がるように立っている姿を見た途端に、ふっと色褪せた。
地獄で仏に会ったとはまさにこのことだ。
エンジンが掛かったみたいに、それに向かって精一杯、全速力で、飛び込むように走った。
よく見たらその氷塔は不自然だった。
つららが落ちるはずのない平坦な積雪の上に、大きく(そび)えるように生えていた。
しかもところどころ左右対称に、細かな凹凸が確認できる。
明らかに自然が模したものではなく、それに似せた人工物だ。
だがそんなことはどうでもいい。
盾になるものがあれば、それでいい。何度も言うが、今の僕は危機に瀕している。
塔の下に転がり込んで、すかさずセキマルに身を隠すように反対側に回り込む。
その時僕は、なぜか頭を抱えて伏せた。
なぜなら、追ってくる奴が炎にあるからだ。
氷を溶かす炎を持っている。
この氷塔も同じこと。
奴の火炎で溶かされる運命だ。
じゃあ、それでは何でここにうずくまることを選んだんだ?
結局は時間稼ぎを設けたかっただけだ。
 ゴオオという焼却音らしきものがすぐそばに聞こえる。
はっと体を起こせば、あの透き通るほど綺麗だった氷塔が既に溶けていた。
メタモンが“へんしん”し終えた後みたいに、ドロドロと流れる液体となった。
そしてその液体を眺め、次に僕へと焦点を合わせるセキマル。
もう僕には、紅蓮の使いの悪魔にしか見えなかった。
「分かったよ、セキマル。もう存分にポケモンのバトル感覚を味わえたよ。
それにしても、威力はもっと遠慮すべきじゃないのか?
手加減しろ。焼き殺すつもりかよ」
「むしろそのつもりで鍛えてもらったかもな。
けど、こんなんでオイラ達の心境全てを知ってもらっちゃぁ困る。
今度は『戦闘不能』の場面を体験してもらおうじゃないか。
なーに、安心しろ。肉は美味しく頂いてもらうから」
 最後にそう言い終えると、にまりと頬骨を上げる。
喉の奥から炎々と燃え盛る熱い素が、口内に押しとどまっている。
今に火の粉が飛び散りそうだ。
口内が更に黄色く輝きだす。準備は万全に整えられた。
発射までのカウントダウンが開始された。
ゼロへと数字が下るまで待つのが自然だった。
 なのに、僕とセキマルの間を割るものは炎のはずが、なぜ氷刃が飛んできたのか。
それが二人の中間にザクッと突き刺され、音が立ってから初めてその存在を知った。
洗練された刃の鋭さ。もう一歩誤れば、確実に刃の餌食になりかねなかったろう。

邪穢(じゃあい)を持つ汚らわしい愚民共よ。ただちにここから立ち去れ。
さもなくば、この朔雪のもくずと化す」

 猛々しく息吹く吹雪の中、何者かの声が鮮明に聞こえる。
姿形が見えず、まるでこの吹雪自体が声の主だと思わせられる。
主は女性のものだと分かった。
しかし気味の悪い口調だな。
まるで雪の女王になって警告するような御託をほざく。
「ほぅ、今度の連中は愉快だな。
人間だけならず、ポケモンが四匹まで。赤と青に緑や茶色と、色とりどり。
サーカス団みたいね。何か芸当でも持っているのかしら。
その赤い者が火を吹くのなら、青は水を操るのか?
手品やジャグリング、空中ブランコに火の輪潜りなどは出来るか。
まあ、何もなくとも賑やかだ。見ているアタシ達も楽しい……」
 女王がそう呟くように言うと、急に体中の体毛がさかだつ。
悪寒を感じているみたいに胸が、体が緊張する。
女王が近くなっている! 走ってきたかと思うほどに声の大きさが増した。
それなのに全く息が荒くない。本当に吹雪と同化して瞬間移動でもしてきたのか?
しかし、それだけじゃない。女王以外の気配も感じる。
無数の生物が僕達を囲んでいる。もしや女王の仲間達か?
 やはりハタから見ると、騒いでいるようにしか見えなかったろう。
そんな僕たちを見ていた女王の声の調子は、心底楽しそうに聞こえる、少なくとも。
逆に囲んでいる仲間達は、僕たちを狭い箱に閉じこめようとするような、そんな緊迫した雰囲気をまとう。
女王とは合意していなさそうだ。
「が、お前達の過ちを見過ごすわけにはいかない。
『ブラン』の名の下に結束した記念を、創りあげた碑を、我々の誓いを破壊した、お前達を許さない。
お前達に万死の罪を下す。そして、皆慶べ。
我らの栄光の成就へと誘ってくれた者達を大いに感謝しょう!」
 おおおおおおぉぉぉぉ!!
 気配達はそれぞれ四方八方に木霊(こだま)する雄叫びをあげる。
予想を越える気配の数。5ダースいてもおかしくはない。
数も大きさも計り知れなく、重なり合った雄叫びは吹雪を飛ばし、大地を揺るがす。
見る間に気配達の姿が確認できた。氷タイプや毛の深いポケモンばかりだった。
同時に女王の姿も露わになった。
「今更雪解け水となったあの輝かしい結晶を惜しんでも遅い。
失ってからそのモノの真の価値を改めることが出来るとは言うが、このアタシは通用しない。
このアタシ、ブリザードヘッドは……絶対に許さない!」
 彼女の怒りのゴングが激しく鳴り始める。
女王が、しんせつポケモンのグレイシアが、逆襲に燃え上がる。
 予想するに、アイツがこの群の中の頭領。
あの威厳のある鋭い目つきは、どの雄ポケモンでも尻目にするだろう。
ポッチャマよりも、エンペルトよりもプライドが高そうで、顎で部下をこき使いそうでもある。
勘違いするなかれ、立派な褒め言葉だ。
いや、たとえ褒め言葉と理解してくれても、彼らの怒りは鎮まらない。
 どうやら怒りの原因は、僕らにあるらしい。
僕らが彼らの記念碑やらを壊したということだと。
壊した覚えはないが、ついさっき氷塔を溶かしたことは確か。
やっぱり、あの氷塔こそが、群の神聖なる証。
他人が触れることすら拒む彼らの崇拝物を、僕達が壊した。
そのことに我を忘れ、狂うように憤る。
唯一無二の、彼らの象徴を失わすことは、殉死の刑に値するものだろう。
 ただ謝っても許してくれないか。
冷えきった唇を動かし、僕は謝罪を試みる。
「ち、ちょっと待った! まずは、ゴメン。
さっきまであったあの氷の塊が、まさか君達の大事な物だなんて思わなくて。
溶かしたことも、わざとじゃないんだ。別に目障りで攻撃したわけしゃない。
さぞご立腹だろうが、群だけは退いてくれないか?
無駄な争いは憎しみを生むばかりだ。率いている者なら理解できるはず。
僕は自身の過ちを認めるので、どうか穏便に話そう」
 そう僕はゆっくりと言葉を選んで、丁寧に話す。
するとグレイシアは、緊張の入れ混じった僕の声を聞いた途端に、不敵に笑い出す。
「塊……か。クックック。そうか、塊か。
あれでも腕のいい職人に頼んで造ってもらったのだがな。
お前達から見れば、相当の出来損ないに見えたか。
造ったポケモンのセンスが悪かったのか、それとも頼んだアタシのせいなのか。
まあ、それとは別に、その赤いやつも恐ろしいことよ。
わざとでない炎でも、やはり溶けるものね。
素晴らしい火力を備えているわ。あはは……」
 言い終わるや否や、「塊か、塊か」と呟いて再び笑う。
大事な記念碑を「塊」と表現したことが、よほどおかしかったのか。
怒るはずが、なぜか怒らない。理由が分かる訳がなかった。
そして、ようやく彼女の笑いが収まった直後、今度は更に鋭さを増した目つきで僕を睨みつける。
彼女の中の愉快な気分が一掃された。
「それとあんた、何か勘違いしていない?
アタシはあの赤いやつに償ってもらうつもりなの。決してあんたじゃないわ。
ハナっから張本人以外の意見に聞く耳は持たないからね」
「……」
 赤いやつ、つまりセキマルは申し訳なく思っているのか、肩を落としてうなだれている。
グレイシアは群の中で特に落ち着いている。
落ち着いているが、僕の発言に耳を傾けてくれない。
燃やした張本人に審判をかけること以外、グレイシアは全くの関心を抱かない。
それでも僕は彼女に説得し続ける。
「本当は、こいつは何も悪くない。
僕があの塊……じゃなかった、証を盾にしたからいけなかったんだ。
だからこれは、僕が蒔いた種。制裁を受ける正しい張本人は、僕だ。
こいつらには何の罪はない!
君の好きなように裁いてくれ。けれど、連れの皆には手をださないでくれ」

 アッハハハハハハハハハハハ!!

 グレイシアがたまらず高笑いを飛ばした。
馬鹿にされたようで、不愉快を覚えるものだった。
「あんたは本当に仲間想いね。そして守られているお前達は本当に安心ね。
お前達のためにそこまで庇ってくれるとは。主人はトレーナーの鑑だな!
アタシが見てきた人間の中で、こんなに勇ましかった者はいなかったなぁ。
どれほどの危機を潜り抜けてきたことか、目に浮かぶよ。
同時に、お前達がどれだけ主人の足手まといとなったか、どれだけ実力が貧しているか分かった。
醜いなぁ。『力』がないことは実に醜い。
ポケモンとして生まれたからには、強者しか生き残れない、この悲惨な世界を生き抜くのに必要な『力』を得る宿命を意識しなければならない。
バトル、つまりは戦うことによってポケモンの価値を決定づけるからだ。
だが、どんな努力をしても強くなれない種族がいるだろう。お前達みたいに。
そんな奴ほど何を望み、何を夢見るか分かるか?
外見を美しく錬磨し、実力を誤魔化すんだ!
実際に、人間達はコンテストという催しにポケモンを参加させ、人間の衣類に似せたものを身につけたり、踊ったりすると聞いたことがある。
そして驚くことに、本来はポケモンの武器ともいえる技までもが、ポケモンを更に輝かせる手段として使われるとは。
娯楽に生きる者にしては、非常に良い使い道を考えるじゃないか。
ポケモンの生きる全てを見事にフル活用している!
そんな安泰な世界で過ごすお前達は、立派なポケモンとして生きられるだろうね」
 とうとう僕の理性が音を立たずに切れた。
「君の言っている意味はよく分からないけれど、仲間を侮辱されて黙っていると思うなよ。
感情の赴くまま、僕にぶつけてもいい。そのかわり、二度とその口から弱いとか誤魔化すとか吐くんじゃねぇ。
こいつらは全然弱くない。
実力も、ここまで来た生命力も、逆境に打ち勝つ精神も、皆……人一倍、ポケ一倍だ。
よく知らず大口叩いている君に、そこまで言われる筋合も権利もねぇ!!
僕が一番にこいつらを知っている。だから反論できる。
こいつらは、絶対に弱くなんかない!」
「言いたいことは、それだけか?」
 何だと!?
 僕らの周りを囲むグレイシアの部下達は、彼女の一言に反応したように身構える。
ある者は口を大きく開放し、ある者は手中に気を溜める。
彼らがこの後どのような行動をとるのか、案じることができた。できればそこまで考え至りたくなかった。
「だから教えてやろうと思ったのだ。
やはりポケモンは戦うために生まれた戦士だと。
お前達のやっていることはただの逃避だと。
そして最初に議題した裁きの対象は、お前達全員だと!
我々の碑の破壊は甚大なる妨害にとどまらない。
もはや挑戦と見受けるべきか。
せいぜいお前達の運の無さに嘆くがいい。一斉射撃!」
 グレイシアが吠えた瞬間、部下達から四方八方に冷たい攻撃が飛んできた。
“れいとうビーム”、“こごえるかぜ”、“オーロラビーム”。
それらはまず積雪を伝い、僕らに迫る。
皆散り散りに分かれて攻撃を回避する。
 ついに口論では解決できない最悪の事態が起こった。
こうなってしまった以上、こちらも戦闘態勢をとろうか。
いや、ただ事態を悪化させて収拾がつかなくなる。
あくまで血を流さずに決着をつけることが理想だ。
そんなことよりも、再びリーフィアが気がかりになった。
冷凍攻撃に弱い草タイプの彼女は、一発でも当たれば致命傷になりかねない。
早急にボール内に戻さないと大変厄介になる。
けれど彼らの攻撃は戻す猶予を奪う。
彼らは絶妙な射撃操作で足下にまで追いつめる。
とどまろうと動こうと、しつこく追尾する。
しかし、それだけだ。
本体の寸前まで脅かすが、肝心の本体には触れない。
単に当たらないんじゃなくて、当てないようにしているのか?
よほど鍛えられただろう。野生のレベルじゃないようだ。
何が狙いか分からないが、ますます彼女の存在が大きく感じる。
 そう感心している間、やはり状況は一変しなかった。
試しに僕は走るのをやめ、立ち止まってみた。
すると背後から追ってきた“れいとうビーム”が背中を、通り過ぎた。
思った通り、彼らは本気で僕たちを殺すわけではないらしい。
いたぶり遊ぼうと企んでいるのか?
 どうやらこの真実を発見したのは僕が最初のようだ。
あとは皆、右往左往に動き回る。
 “しんそく”を使って効率よく回避するソウル。
細かいジグザグで走り、冷静に射程を翻弄させるイーブイ。
あまり動かず自前の炎で受け止めるセキマル。
悲鳴を上げながらも、雪の上を飛ぶように走り回るリーフィア。
それぞれ攻撃の回避に夢中で、誰一人も止まろうとしない。
数多く外れていることに怪しく思わないのだろうか。
「かわしまくってるオレって、凄くない?」とでも勘違いしているんじゃないか心配する。
 いつまでいたちごっこを続ける気だ。
睨むようにグレイシアの方を振り返る。
彼女は横顔で口を動かしていた。
顔を向けた先を辿ると、オニゴーリが彼女の隣に立っていた。
二人で会話している様子だと伺える。
どんな内容かなんて高がしれている。
どうせ、どう調理するかの相談ごとだろう。
煮るか焼くか、炒めるか蒸すか、揚げるか漬けるか。
それともドレッシングソースをかけてそのままパックンか。
多様な調理方法が存在する中、どの調理をされても嬉しくない。
 ポケモンのくせに人間を喰らおうとは言語道断。
万年以上も人間とポケモンは密接に関わり合ってきた。
その長い歴史を今更無視するなんて、野蛮な妄想だ。
そう心の中で嘆くと、グレイシアはオニゴーリに顔を背け、強く一歩を踏み出して言う。
「全員撤退。皆退け!」
 なんだとお!?
 散々走らせ疲れさせておいた挙げ句、まさか放置するつもりか。
いたぶるだけいたぶって最後はポイか。
とどめをさされるよりも屈辱だ。
 囲んだ部下達が散り散りに去っていく。
彼女は仲間が指示通りに動いたことを確認し、自分もまたここを後にしようとした。
もちろん引き止めようと言葉をかけたかった。
しかしソウルに、猛吹雪に負けない声量で吠えられる。
「追うな! 俺達も急いでここから離れるぞ。
足に自信があるのなら、ハクト、今すぐ俺達をボールに戻せ。
そして山を背に全速力で走れ!
前みたいに負ぶってやろうか。俺は構わないぜ。
だけどここで留まってちゃあ、危険なだけだ! 早く!!」
 冷静に彼の言った内容を聞いた途端に、空気の振動が重く感じた。
気のせいでないと察知できた。
得体が知れないけど、「危険」の臭いだけが漂う。
全速力で走れと彼が言うには、何かが迫ってくるということなのか?
それも、人が走る以上の速さで?
どこから? 山のどこから迫るというのだ。
「早く!! 何をボーっとしている。
山のどこからじゃない。山からくるんだ!」
 ドドドドドドドドドッ。
 もうひとつ吠えると、空気や地面が激しく揺れる。
決して彼の声から発しているものではない。
確かに山から、轟音ととも走ってくる。
グレイシアの仲間が大群となって向かってきているのかと思ったが、
これは動物によって作られた音じゃない。
 そこまで気づいたのなら、逃げればよかったと後悔した。
遂に目の前に音の正体が現れた。
確かに、山からきた自然の脅威だ。
ぐんぐん距離を縮めて「雪崩」が落ちるように走る。
もう逃げても追いつかれるのもまた自然だと感じた。
走るために足を上げる間もなく、お互い雪崩に飲み込まれる瞬間を見届けるはめとなった。


 12月15日、15時40分。
テンガン山西部に大規模の雪崩が発生。
気象庁がその報告を受けたその頃、報告されたその地域に獣の姿も確認された。
獣は、透き通る程の青白い肌を持ち、冷えた大地を四つの足で立っていた。
長い耳を立たせ、周囲の音や気配を探っている。
その獣の種を人は、グレイシアと呼ぶ。
 グレイシアは荒々しく積もった豪雪の表面を見下ろしながら白い息を漏らす。
それから二、三度足下の柔らかな雪を踏む。
またもやグレイシアは冷ややかな唇から、白く長くたなびく白煙を吐く。
「どうされましたのですか。そんな重いため息をなされて」
 背後から野太い声が不意に聞こえる。
発声方向を確認すると、今度は鬼面が現れた。
がんめんポケモンのオニゴーリとも言う。
歩くように接近するオニゴーリに、今度は体も向かせるグレイシア。
そしてまたあの野太くかつ丁寧な声は続けて発する。
「そんなにあの者達が気がかりですか?
それもそうですね。なにせあのような大罪を犯したのですから。
私も非常に腹立たしいです。栄光ある『ブラン』の創始記念を、無惨にも一片残さず溶かすとは。
人間からすれば、殺すには惜しい若い者でしたが、生かしておくわけがないでしょう。
だから、先程の指示を下したのですね、お嬢様」
 オニゴーリから訊かれたことに多少驚いたのか、慌てて「あ、うん」とだけグレイシアは返事した。
変わってオニゴーリは返事を得ると、豪雪を眺めながらまた続けて言う。
「誠に見事な策略でございました。
各攻撃で相手を翻弄すると同時に、その影響で地面は揺らぎ、
テンガンに降り積もった朔雪が流れ落ち、奴らを一網打尽に始末。
撤退のタイミングが少しでも遅ければ、我々も餌食になりかねなかったでしょう。
しかしお嬢様の指示で、難なく部下共を一匹残らず退かせることができました。
更に淘汰されたその統率力は、より群の士気を鼓舞することでしょう。
やはり、格別違う修行を積むだけで、これほどまでにお嬢様がお変わりになるとは。
私もとても嬉しゅうございます」
「別にアタシの力はほとんど干渉しなかったじゃない。
ここに生まれ育った者なら、雪崩の振動なんて誰しも感じることができる。
それに修行だって、特別に変わったことはしなかったわ。
こことは違って少し暑苦しい環境だけだった。
けど、アタシにとっては、あそこで着実に何かを得られたような気がするの。
経験、技術、力量、知識、忍耐、結果。
それ以外の、能力でも何でもないものが、アタシの中に、この雪のように少しずつ積もっていったの。
それが何かは分からないけれど。
結局のところ、行って良かったと思うわ。
そして改めてお前に礼を言う。
アタシの留守中、よくぞここまで群を保ってくれた。
感謝の意を尽くしても、尽くしきれないよ」
 グレイシアから称賛を得たオニゴーリは、「有り難きお言葉でございます。お嬢様」と深い一礼を返した。
続けて言おうとするグレイシア。
しかしその前に、深く重いため息をつくと、ふと俯く。
再びオニゴーリに見つめ直すと、なぜか口をへの字に結び、眉をひそめた。
どこか悲しげにも見えるその表情を変えずに、次のように吐くグレイシア。
「ねぇ、二人だけの時くらい、そんな口調じゃなくてもいいじゃない。
お前は気にならないと思うが、他人からしたら、とても幼なじみに話す言葉とは思えない。
群は強兵育成の課程上、自身の地位意識を第一に、敬語を徹底しているが、
部下一匹もいないこの一時、なぜそこまで示しをつける必要がある?
お前は本当に柔順でつまらん(おとこ)よ。
たまの休み、私情を晒け出してみたらどうだ。
昔みたいに、なんの隔てもなかった頃に……」
「昔? お嬢様たるお方が過去に何を求めているのですか?」
 聞きたくなさそうにオニゴーリは口を挟む。
するとグレイシア、両目とも丸くして彼に向ける。
話を中断されたことに憤っているのではなく、オニゴーリの言動に面食らっている様子。
とにかく突拍子のない返事であった。
「お嬢様はどのようにして実力を磨き高めたのでしょうか。
ご自身が一番理解しているはずです。
過去を切り捨て、今ある時点をゼロに戻し、なおかつ逆境の中で常に『進化』し続けろ。
地が割れようが、天から巨岩や槍が降ろうが。
逆手に取らえ、それらを司れ。
これは私が苦悩していた頃に、お嬢様から頂いたお言葉です。
私はこのお言葉に励まされ、自信がつき、そのおかげでお嬢様の補佐という大役をおおせつかることができました。
私こそ表現し難き感謝の意、この上ありません。
ますます感服とぞ申し上げますが、今日のお嬢様はどうなされましたか?
突然過去を振り返ってらして。
やはり、先程の者達が気がかりですか?
人間なんて所詮は、自分達に都合の良い事しか考えない動物に過ぎません。
そんな奴らの言い分は聞くに値しません。
もっともらしいことを言ったあの若造もその社会に長く浸れば、愚に返るのみでございます。
もし、ステキファッションの一味とあればなおさらでございます。
今後、人間に対して聞く耳を持つことを避けて頂きたいです。
群の統治に支障を与える恐れを招きます。
では、そろそろ夕食の調達に参りますので、ここで失礼いたします」
 まさに体ごと傾かせた深い礼をして、オニゴーリは雪混じりの咆哮の中へと帰った。
声をかけようと呼び止めたかったその背中は、たちまちに消え去った。
また一匹の獣となったグレイシアはもう一度見飽きたあの荒雪を見下ろした。
大小無数の凹凸が見られる雪肌を物色するかのように、丁寧に観察する。
 一つの窪みを見るたびに、蘇るあの言葉。
『仲間を侮辱されて黙っていると思うなよ』
この雪達が流れ出す前に、グレイシアに対して吐かれたある者の声。
それは実にくだらなく、つまらない。虫酸が走る。
思い出してしまったその言葉を振り払うように、見下ろす荒雪に背を向け、オニゴーリの後を追うように白い咆哮に戻る。
降雪一粒一粒がより一層冷たく感じる中、思い出したあの言葉に返事するかのように唸った。
「なにが……仲間よ」
 その途端に咆哮は強まり、グレイシアも瞬間に白い大気に溶け込むように消え去った。
唸り終えた時に、新鮮に湧き上がる憎悪に駆られながら。


 今、僕の身に不思議なことが起きているのかもしれない。
放出した体温が体中を包んでいるように感じる。
外界へ逃げずに、冷めることなく表皮上を漂う。
指の一本一本を優しく温める。
ただ心地いいだけで支配された。
もう何も考えたくないし、動きたくない。
この暖気に身を委ねることが宿命と思わせてしまうほど、自身の衝動と抵抗は全く無かった。
このまま時が流れて、浄化されるのじゃないかというような気持ちだった。
なのに、次第に体の重みを感じる。
意識が戻ってくるのが分かった。
そして体を動かす動力が目覚めた。
手足の自由が利くようになり、眩しい視界が開いた。
気づいたらまぶたも開いていた。
 毛布がかけられていたことをまず知った。
これで体温が保温できたのも理解できる。
次に、毛布の奥にいるうごめく影を発見した。
巨大な一つの影が僕の顔を覗きこむ。
「あ、起きた起きた。
もしもーし! だーいじょうぶですかー?
聞こえたら答えて下さーい。
ワタシはだーれだ?」
 覗きこむや否や、いきなり質問を問いただしてくる影。
活発そうな女性の声も聞こえる。
声高に話しかけられたせいか、ぎょっと目の玉を晒し驚いた。
すると、最初は黒くぼやけた影でしかなかったのに、形状や色彩が鮮明に現れる。
 乾いた大地の如く茶色い、大きく見開いた瞳。
対して豆のように小さい口と鼻。
短くてクリーム色の毛で覆われている顔。
額に生えている、象徴的なクエスチョンマーク型の若葉。
明らかに人間でないことが認識できる。
そして、ついに正体を見捉えた。
「じゃ~ん。リーフィアでした~!
ワタシ、可愛い寝顔を見ると、ついついイタズラしちゃう性分なの。
だからゆっくり休めなかったことについては許してね。
お詫びにあったかい飲み物を、プレゼント・フォーユーするね。
イーちゃん! ハクトさんが御成になったから、ひゅーひゅーでふーふーのを持ってきて」
 訳の分からない文法を叫んでいるこの子は、僕の手持ちの一匹である。
自己紹介してくれたリーフィアだ。
この子を見た瞬間に、まだ何体かの仲間を連れて行っていることを思い出した。
だから、奥から飛んできた、「はーい」と返事した少女のような声の主が把握できた。
イーブイが、僕が横たわっているベッドらしき寝床の向かいにある、
開放された扉と廊下を通して返事していたのだ。
 暫し時間が経つと、奥から予想通りにイーブイがモダンルームに入ってきた。
それから、イーブイの後についてきた、初老と見られる年齢の女性がお盆を持って、同じく部屋に入ってきた。
よく見ると、お盆にのっているマグカップらしき入れ物から、湯気が立っていることが分かる。
女性に挨拶しようと、僕は毛布を剥ぎ取り、上半身を起き上がらせる。
しかし先に、「はい、どうぞ」と女性がお盆ごと僕のももに置く。
入れ物の中身は、ホットミルクだった。
「あ、これはどうも」
 入れ物の取っ手を掴み、ホットミルクを口に注ぐ。
ほどよい熱さの白い液体は、喉をつたって体を温める。
そんなに喉が乾いてはいなかったが、グビグビと勢いよく飲み干そうとする。
飲み干す間、女性は独り言のように話し始めた。
「しかし最初はただただ驚いたわ。
広い雪原のど真ん中に人やポケモンが倒れていたもの。
雪に埋もれていたから、死体だと思っちゃって。
恐る恐る近づけば、呼吸していることが分かって更にびっくりよ。
あなた、さっきの雪崩に飲み込まれたでしょ?
結構長く流されたのよ~。ここから現場まで相当距離あったんですって。
けど、命だけは助かってよかったわ~。
ポケモンちゃん達も、リュックサックの中にあったタマゴも無事で本当によかった~!
おかわりはもういい?」
 そうだ、さっきの雪崩に襲われて気を失ったんだ。
それに、この人が僕達を助けてくれた、いわば命の恩人。
ホットミルクを飲み干し、すぐさまに謝礼を言う。
「助けられた上に、これほどのご厚意をしてもらい、本当にありがとうございます。
なんだか、この子達のお世話までしてもらってしまったみたいで、申し訳ないです」
「あら、いいのいいの。遠慮することないわ、まだ若いんだから。
それに元気いっぱいのポケモンちゃんと遊べて、楽しかったぐらいだわ。
なのに、一緒にあなたが起きるまで待ってたら、また寝ちゃった子がいて。
まあ、寒さに耐え疲れてたから、しょうがないけど」
 そう言って女性は、寝ている僕の下半身に目線を落とす。
僕もその線上を追った。
そしたら、二つの線の交錯点に、真っ赤な小動物が丸く寝転がっていた。
こちらにゆっくり動く背中を見せて寝ていた。
この火照った背中を見て、おやの僕が分からないはずがなかった。
三匹目の仲間、ヒコザルことセキマル。
まだ幼稚で傍若無人な態度をするこいつが、僕を看病したと認識していいのか。
成長したものだと感動すら思うようになった。
 あれ、ちょっと待てよ。
突然、ふと、妙な疑問に気づき、女性に質問してみた。
ただし、非常に単純な質問でもある。
「あれ、もしかして。
あなたが、たった一人で僕達を運んでくださったのですか?
僕はこいつらをボールに戻してなかったから、一緒に倒れていたはず。
お一人だと大変だったのでは……」
 いや、大変だという以前に、運べないかもしれなかった。
女性が着ているババシャツの袖から見える細い腕と年齢層からして、とてもそんな体力を保持しているとは思えない。
人間一人とポケモン何匹をいっぺんに全員運ぼうにも、常人に至っても不可能。
一人ずつ往復して運んだとしても、途中で体力が尽きるのが自然。
更にこの歳では消耗がより激しいと予想する。
一体、どのようにして運んでいたのか。
途端に微笑を綻ばせる女性の口から、素早く答えが明かされた。
「私のポケモンちゃんに手伝ってもらったのよ。
それに運良く、ちょうどこの付近で倒れていたから、負荷にならなかったわ。
とは言っても、おばさんはただただ我が目を疑うだけで、何もできなかったのにね。
だから、実質あなたを助けたのは、あの子達よ」
 女性が、内外の激しい温度差によって結露された白い窓ガラスを指差す。
ベッドの真横にそれがあった。
自らの手で水滴をはらい、身を乗り出して覗いてみた。
二匹の動物が自分の体、腕や足で雪かきをしている模様が見られた。
ポケモンの知識をかじっていれば、肌の色と姿形から見て何のポケモンか判断できる。
あれはリザードとイノムーのようだ。
二匹は、まだ激しく吹雪いている寒空の中、厚い雪の山を睨んで作業していた。
見られていることに全く気づかない様子。
こちらが窓を叩いたり、開けて大声を発することがない限り、振り向いてくれそうにない。
イノムーは部屋の周り、この建物の周りの雪を、リザードは前方にある特に盛り上がった雪を取り除いている。
赤い腕によって払われた雪は落ち、形作ったその素顔が現れる。
一目見て、文字だと分かった。
木彫りで書かれ、このように表記された。『ロッジ雪まみれ』。
この216番道路にある、唯一の宿泊施設の名前。
そして、僕らが今夜泊まる予定の宿でもあった。
恐らくこの建物のことだろう。
女性が話した通りなら、なんて運が良かったのだろう。
尽きることない奇跡の連続に、僕は感動を覚えるほかなかった。
命が危うい場面から救い、この安息の地へと導いてくれた神様にも感謝をしなければならないと本気で思った。
「だけど今回の雪崩はかなり雪が多くてひどかったわね。
天気予報のチャンネルを見たらね、ここ通行止めにされたようだよ。
そんなに大きな被害が出たなんて珍しいわ。
異常気象かしら。怖いわねぇ」
 女性が、自分と瓜二つの透けた人物が映る窓を睨みながら言った。
その時の窓に二匹の姿はなく、廊下から戸の閉まる音と高らかに鳴る鈴の音が聞こえた。
仕事を終えて休憩をしに、宿に戻ってきたのだろう。
 違う。
「違うんです」
 たまらず僕はそう呟いた。
女性が僕の頭に振り返る。思いがけないことを聞いた、「え?」という間の抜けた返事をした。
そのまま窓を、二匹が除雪した箇所を見つめたまま、僕はさらに述べる。
さっきよりも声量が大きいと覚えた。
「あれは、あの雪崩は、自然のものじゃなかった。
それ以前に、僕達はポケモンに襲われた。
様々な攻撃を避けて、必死に耐え続けた。
だけど、なかなかとどめをさそうとしなかった。
挙げ句に突然逃げだした。
そしてその後、雪崩に巻き込まれた。
同じ場にいたはずが、まるで予見したかのように。
あいつらは雪崩から回避した。
いや、『まるで』じゃないんだ。雪崩が来るって分かっていたから巻き込まれずに済んだ。
きっと、あいつらが意図した罠に違いない」
「……ポケモン?」
 僕が話す真実と意見を聞いて、女性は意外そうに反応した。
自分でも、突然何を口走ってしまったのか、不思議に思った。
だが、今思い出せる分だけ事実を知らせたかった。
これから詳しく説明しようとした瞬間、不意に足下がうごめいたのを感じた。
それに目を向ければ、真っ赤な背中を起き上がらせたセキマルの姿があった。
眠い目をこすりながら、這うようにこちらに歩みよる。
女性もセキマルの行動に気づく頃には、彼は動作を止めて僕達二人を交互に見てから口を開いた。
何か言いたげな眼差しを送り、覚めたばかりの喉を震わす。
「何か、青白いやつが、たくさんのポケモンを連れて、オイラ達にからんできたんだ。
それで、記念だの、罪だの、訳分からないことをぶつぶつ言ってきて、ついには攻撃されたんだ。
それで、オイラも対抗しようかと思ったら、突然逃げだしやがった。
そしたら、でっかい音が聞こえて、雪崩がやってきたんだ」
「青白いやつ……もしかして、オニゴーリかグレイシアのことを言っているの?」
 セキマルが簡潔に状況を説明し終え、あの時目撃したポケモンの名を口にした女性。
やはり現地人であるからか、群について知っているようだ。
早速彼らの正体を聞き出してみることにした。
 まず、女性がどこまで群について情報を把握しているのか。
「確かに、グレイシアとオニゴーリが見えたのですが、知っているのですか?」
 非常に素朴な疑問を問いかけてみた。
「知っているもなにも、よくここの前を通ることがあるから、ほぼ毎日見かけるの。
あの子達は、この近辺で最も頭数が多い群として有名なの。
昔は少数グループがたくさんいて、もともとその群もその中の一つだったのね。
それが近頃、見る間に他のグループとどんどん結集したらしいわ。
あくまで噂だけど、最大で十数のグループと結束したって聞いたわ」
 なるほど。とりあえず群の規模の大きさは把握できた。
次に彼女達の行動を分析してみよう。
「その群は、集まってなにか特別な活動でもしているのですか?」
「他のグループと比べて、これといった特別な活動も特徴もないわ。
ただ、まだ近隣の少数グループと結ぼうとしているわ。
やっぱり、領域や勢力の拡大が狙いかしら。
あっ、そうだ。特徴というわけでもないけどね、
あの子達は、私たち人間と全くかかわろうとしないの。
こんな感じに雪が降って、各地からスキーヤーがこぞって滑りに来ても、
それ以外の時期で地元の人間しかいなくても、興味を示さない。
それとも、単に近づきたくないのかしらね」
 予想よりも具体的に話してくれたことがなによりの驚きだった。
さすが地元人、だからか。
話している内容と口調を聞く限り、普段は攻撃的に動いているわけではなさそうに思われる。
そして、あたかも人間を無視するような振る舞いで生活しているらしい。
「すると、その子達に危害をくわえられたってわけ?
珍しいというか、驚愕ね。
今までそんなことが起きたことがなかったのに。何かあったのかしら?」
 必死に心当たりを思い浮かぼうと、深く首をかしげる女性。
しかし、早くも心当たりを見つけた僕はぎくりと射抜かれるように体が固まった。
彼女達を憤らせ、攻撃を企てさせた理由を知っているからだ。
素直に白状することを選んだ。
「す、すみません。実は、僕達が悪かったのかもしれません。
テンガン山側に、氷で出来た楯かなにかがあるのをご存じですか?
あれはそのグループが結成した記念に作られたもので。
いわば、記念碑みたいな物として自身達が作ったらしいんです。
それで、襲われる前に、誤って壊したというか、溶かしたというか、損失してしまって……」
「それで怒って、『もう許さ~ん!!』って攻撃されたってことね、なるほど。
気の毒だったわねぇ。だけど、やるほうもやるほうよ。
雪崩が他のポケモンや人に襲ってしまったらどうしよう、っていう最悪のケースを思い立たなかったのかしら。
また出くわして何しでかすか心配だわ」
 状況を知るや否や、女性は重たいため息をつく。
多分、予想だにしなかった事態に、対処しづらいと思ったからだろう。
何も知らない僕らのほうが、よりため息をこぼしたくなる。
 それから女性は、飲み物のおかわりをつぎに、部屋を出た。
暫くして、肌寒く感じたので持参したマフラーを巻こうと思った。
そうだ。たしかリーフィアに貸しっぱなしだったことを思い出した。
部屋中をうろうろと歩き回っている彼女に、叫ぶように話しかけた。
「なあ、リーフィア。僕のマフラー、いい加減返してくれよ。
家の中だとはいえ、真冬だから寒いよ~」
 耳が声に反応するように、ぴくりと動いた。
それから顔を振り向き、わざとらしく首をかしげた。
その行動によって、彼女の頭の葉の形がまさにクエスチョンマークに見えて、おもしろおかしかった。
「えー? ワタシが持ってましたっけ。
てっきりハクトさんがなんらかの形で、奪い返したと思って……」
 確かに、彼女の身に付けているものは、桃色ペンダント以外何もない。
所持していないことは明白だ。
じゃあ、それでは、一体誰の手に?
セキマルは相変わらずうずくまっているが、そんな小さな(ふところ)に隠せるほど「あれ」は短くない。
イーブイも同様、腰を下ろしているだけで、何かをかばい隠しているには見えない。
そもそも、首周りが厚い毛で覆われている彼女には不要だろう。
すると残るは、メンバーの中で長身を誇るソウルしかいない。
そういえば、彼の安否もまだ確認していなかった。
ついでに居場所も聞くことにした。
「なんか足りないなぁと思ったら、あのソウル君が見当たらないじゃないか。
協調性のない奴だな~。皆はこうして心配してくれているのに。
どうせ精神統一か何かを理由に、ぼ~っと白いだけの雪景色を見ているんじゃないか?」
 こう気さくに話しかけただけなのに、三人とも背筋に冷たいものを感じたように、一斉に頭を上げる。
セキマルは、目覚めたばかりだというのに、やけに顔色が悪い。
イーブイは心配そうに辺りをきょろきょろと見渡す。
どうやら様子からして、皆も彼の所在を知らなかったようだ。
そういう僕達の方がよほどひどかったりして。
「おばさ~ん! ワタシ達と一緒にいたルカリオを知りませんか~?」
 おかわりを持って部屋に入ってきた女性にリーフィアが問いかける。
それを棚に置いた後、女性は頬杖をするように手を当てた。
「ルカリオ? そんなポケモン、会えるなら会ってみたいわぁ。
写真ぐらいしか見たことがないけど、かっこいいわよねぇ」
 全く話の内容を掴めてないが、どうやら知ってなさそうだ。
えっ、 知ってなさそう?
それがどういうことを意味しているかは、直感的に理解した。
つまりソウルは、今この場には、いない。
すると……。
「さ、探しに行かないと!
大変だ、アイツだけ雪崩で流されたんだ。
あの勢いだと、かなり向こうまでいったかもしれない。
もしかしたら、今頃身動きもできなく……」
 飛ぶように起き上がり、ドアめがけて走りだそうとする。
しかし、女性は急いで僕の行く手を阻む。
「ダメよ。それは危険すぎるわ!
さっきの雪崩で大量の雪が流れ込んできているから、道は塞がれたも当然よ。
さらにはこの吹雪。命を落としに行くような真似になるわ。
それに、身動きできないのは私達も同じよ!」
 納得せざるを得ない正論を前に、僕は刃向かおうとはしなかった。
落ち着かせるために、ゆっくりベッドに腰を下ろす。
「もう夜がふけてきたし、明日の朝の吹雪がやむ頃に、捜索を開始しましょう。
きっと大丈夫よ。波導使い様がそんなんでくたばりはしないでしょ」
 女性がそう言うと、「冷めちゃまずいわ」っとおかわりを勧め、早々と部屋を後にした。
もう一度、あの忌まわしき吹雪を眺めることにした。
蛇口をめいっぱい開かれたかのような、衰えを知らない勢いだ。
雲の上から神様みたいな誰かが、「あら、もったいない」と思ってしめてくれないだろうか。
ついでにこのホットミルクを、彼のもとに届けてほしい。
そう願いたい心境だ。
このミルクの波紋のように、僕の心は揺らぎだす。


 当たり前のことだが、寝ても覚めても寒いままだ。
周りは白銀というより、空白の世界。
極限に冷えているうえ、この雪の多さは卑怯だ。
俺はハクトほど寒がりではないが、さすがにこれは耐えがたい。
せめてこの吹雪だけでも逃れたい。
だから、岩場や壁に隠れようと思うのだが、
この地域は広大で、吹雪で視界は限られているから、探すのもまた苦労する。
ならお得意の波導で導き出せばいいんじゃないかって?
そんなのに気がいってしまったら、どれだけの体力を消費してしまうか。
体温を補うための反射動作、体を「ふるわせる」余裕がなかったらどうする。
 今の俺は能力をなくしたような存在。
ただの動物だ。
自分のいる位置の見当がつかないし、東西南北の方向すら分からない。
だから何を頼りに行動すべきか迷っている。
正直言って、内心では困惑している。
普段は波導をよく使っているため、五感は多少劣化している。
ルカリオのほとんどが、この症状をもっていると言われているらしい。
便利に追求すると、大切なものを失う。これはポケモンにも当てはまるのか。
 そんな悪状況でも、確かな真実を一つだけ見つけた。
ここには、俺以外は誰もいない。
皆とはぐれたことが分かった。
 さて、これからどうするかが今の課題だ。
あいにく、周りは何もないだけに、助けを求めるための手段の道具が見当たらない。
木の枝一本なければ、石ころ一つもない。
しかし最悪、自身の腕や足で「SOS」サインを描けることはできる。
が、何度も言うがこの悪天候では誰も助けに行こうとは思わない。
この吹雪がやまない限り、孤立状態から抜け出せない。
やはり、隠れ場を暗中模索するしか選択はないみたいだ。
そう決断した俺は、厚い雪から足を引き抜き、高々と上げ、大きな一歩を踏みだした。

 後ろを振り向けば、彼方に向かって点々と、窪みが交互に羅列していた。
それ以外は相変わらずだ。
あれからかなりの距離を移動したのだが、まるでルームランナーの上を歩いているよう。
景色が変わってないように錯覚してしまうほど広大。
結局、果てが分からず、ただ体力を消耗したに過ぎなかった。
だからといって、その場にうずくまっているよりマシだろう。
周囲が変化していることは間違いない。
いつかたどり着けるはず。そう願いたい思いだ。
しかし、いくら行けども変化の気配すら感じない。
 現実をまざまざとつきつけられた。
 波導が使えるから、という浅はかな考えで、対処法を覚えるのを怠った自分が馬鹿だった。
言い訳になってしまうが、いつも隣でハクトが対応してくれたのだから、そんなあまえた態度になってしまっただろう。
だからといって、ハクトのせいにするなど更々(さらさら)ない。
自らの過ちでこのような結果になった。
無知だった自分を憐れむべきなのだ。
「お前達のためにそこまで庇ってくれるとは。主人はトレーナーの鑑だな。
どれほどの危機を潜り抜けてきたことか、目に浮かぶよ。
お前達がどれだけ主人の足手まといとなったか、どれだけ実力が貧しているか分かった。
醜いなぁ。『力』がないことは実に醜い」
 荒れた雪原に颯爽と現れた、鋭い冷箭(れいせん)の戯れ言が、また鮮明に蘇る。
グレイシア。だがあれは、「新雪」と呼ぶにふさわしくなかった。
言葉ほどの優柔さなど、微塵もなかった。
表面以上の、さらに深い冷たさだけをまとっていた。
まさに「深雪」。あの冷酷なるまなざしは忘れられない。
 彼女の言うとおり、俺は今に至って相変わらず貧弱だ。
ルカリオという強者の種に生まれてもなお、手持ちから外されることが多々あるくらいに「力」がなかった。
勝利者をいつも妬み憎んだ、昔抱いたそんな感情の記憶も覚えている。
けど、希望だけは失わなかった。
「力」がなければ、頭を使う戦略的「知識」を積んで補えばいい。
そう今まで努力し続け、積極的にいろんな事を体験し、様々な世界を知ってきた。
その積み重ねがあってこそ、メンバーの首位にのぼりつめた俺がいる。
なのに、今となって心の内で実は、いろんなことを経験したから、自分は博学だと勝手に思いこみ、
驕り高ぶって、今ある知識だけを温存していたのかもしれない。
自分の知っている事全てが世界だと勘違いして、隠れた知識を学ぼう、増やそうとは思わなかった。
 以前の自分とは全く違う。しかし傲慢な性格は変わってない。
今が、本当に古い抜け殻を剥ぐ時。
愚かな自分を脱ぎ捨ててみせる。
また彼女に会って、二度とあの台詞を吐かれないように、頑張ろう。
弱い自分などいないと、証明するんだ!
覚悟することを決めた。一刻も早く生き抜くために。
とうとう「波導」を使う道を選んだ。
迷いは消えた。かわりに度胸が芽生えた。
さあ、探しだそう。そう決意した瞬間だった。

 突如目の前に現れた、白い雪に包まれた岩壁。

 光の屈折や錯覚でもない。やはり壁だった。
まさにいきなり。地面から音もなく、一瞬に盛り上がってきたのかと疑うくらいに突然だった。
大いなる安堵と少々の裏切りが同時に沸き上がった。
せっかく(おとこ)を見せようと意気込んでいたのに。
まあ、ようやく見つけたことだし、万々歳だな。
だがよく調べてみると、大きな凹凸がなく、ただの真っ平らな壁づたいであった。
求めたものとは確実に違う。
隠れ場がなくては意味がない。
手辺り次第、右方向に進んでみることにした。
とりあえず、なんとなく、といった気持ちだった。
別に、右から行動するというこだわりも意識もない。
直感で右だった。
 これが、まさに生死を決定づける大きな選択だと、今の俺には知るよしもなかった。
 転機は、あれから十数分後に訪れた。
視界は四方八方吹雪で遮断され、まるで暗中模索の心境だ。
左手を壁際にまわし、そのまま雪を踏みしめ歩いた。
もはや冷たすぎて、足の裏の感覚が麻痺した。
口から出る多量の白煙が、しばしば視界をふさぐ。
あの時よりも、さらに身体の冷えは深くなっているだろう。
いつ低体温症になって倒れても、おかしくないように思えた。
寒さや痺れのせいか、脳の思考回路はまさに凍結寸前で、考えなくていい余計なことが制御なしに飛び出す。
もしかしたら、このまま行っても何もないんじゃないかという、無駄な不安さえよぎる。
心理状態も危うく、理性が今にも吹っ飛びそうだ。
 そんな最中、また忽然と現れた。
今度は、漆黒に染まった穴が、ぽっかりと口を開いたように空いていた。
試しに腕を突っ込んでみても、やはり空洞になっている。
勢いのまま、足を踏み入れた。
湿った土と砂利の感触がやっと伝わった。
一歩ごとに踏みしめる足の裏は、なぜかほんのりと温かった。
霜焼けのせいか、安堵の温かさのせいかは定かではなかった。
だが、この安堵はしばらく浸れなかった。
この洞窟、まだ奥が続いている。
歩くごとに空間が狭まるどころか、肥大している。
未知なる行方に、俺は次第に怯えだした。
ここに住み着く、何者かがひそんでいるのか。
それとも、全く違う場所につながるのか。
不安はふつふつと湧き出てくる。
 いや、俺はルカリオだ。
はどうポケモンだ。
特性「ふくつのこころ」を持った、ポケモン界の勇者なんだ。
不屈の精神、なめんなよ。
そう自分自身に唱え続けた途端、あるところを境に、空間が急に増大した。
外から送られる微量の日光が、まだ行き届いている。
だから、今いる場所が何なのか判断できた。
要約して言うなら、倉庫のようなところ。
至る所に、山積みされたきのみが固まっている。
寒い時期に重宝されるであろう、タンガの実、マトマの実や、
カイスの実、パイルの実、シュカの実などの、珍しい種類までとり揃えていた。
全部がこの周辺で取れるのかと思うと、感動のほかになかった。
 こんなにもたくさんのきのみを、一体誰が採取し、ここに収めているのか。
手にとってみたが、無論、きのみには名前も書かれてなければ、爪痕も残ってない。
だから、どういった者がここを管理しているのか、全く予想できない。
だが、今掴んだこのモモンの実から発する、(かぐわ)しい香りをかいだら、
なぜか、そんな事を考えてはいられなくなった。
気づけば俺は、すでにモモンを頬張っていた。
しかもそれだけでは飽きたらず、一番近くにあったきのみの山にも手を伸ばし、一心不乱にそれらを口に放り込んだ。
噛み砕かれた実達は、舌の上で激しく踊り狂う。
口腔はもうお祭り騒ぎだ。
甘いよ辛いよ、いや苦いよと叫べば、こっちは渋い、あっちは酸っぱいと誇示する。
どの味も皆、俺の舌を刺激し主張している。
そしてその刺激に煽られた俺は、次第に食べる勢いを増した。
苦手な味のきのみも、もちろん食べた。
律儀にも、細かく噛んで食べた。
自覚はしていなかったが、相当空腹であったらしい。
いつの間にか、ひとつの山が消え、もうひとつの山にかぶりついていた。
二つ目の山の背が縮んだ時、きのみを掴んだ腕がぴたりと止んだ。
その後自然にげっぷが出てきた。
今度こそは分かる。もう満腹なんだと。
そうだと知ると、不意に眠気が襲う。
参ったな、これじゃあまた太っちまう。
この体型を保つのも楽じゃないのに。
まぁ、たまにはいいんじゃないか。遭難しているし。
そう自己完結して、大の字に寝そべった。
ここを管理する者が起こしてくれるだろう。
そんな根拠のない安心が更に眠気の拍車をかけた。


 ようやく激しかった吹雪もおさまり、視界は良好。
まだ重たい雲が残っているものの、太陽が出ていないおかげで雪表はさほど眩しくない。
それにしても、今回の降雪量は半端なかった。
12月とはいえ、これほどまでに足跡が深いことは滅多にない。
まだ冷え込むというのに。真冬にはどうなるのだろうか。
まぁ、この雪の大部分はアタシが降らせたものだしね。
厚くて少々歩きにくいが、それほど苦ではなかった。
いや、自分で降らしておいて文句は言えない。
最終的にそう指示したのだから。
 それなのに、こんなに見晴らしのいい朝は久しぶりだ。
見渡す限り、一面は純白の広野。
そしてそのまわりに散りばめられた、輝く無数のダイヤ。
何一つ作意されていないこの自然は、見る者を魅了するだろう。
精白がゆえに、汚すことを拒ませる。
いつかアタシも、この雪と同等に得られるだろうか。
美しさに秘められた、絶大な「力」を。
ところで今、アタシはただ途方もなくこの雪を踏み歩いているわけではない。
ちゃんと目的があってきた。
単に寒くて運動したいだけではない。
一応、熱き血潮を流す動物の一匹なのだが。
 冬になると、多くの植物が枯れ果て、実をつけなくなる。
すると自然に食物の確保が厳しくなる。
そのため冬の食料の分を備蓄しなければならない。
だからアタシは部下に、適所に格納庫を造らせた。
保存状態は悪くないのだが、まめに点検をする。
その点検のために、アタシ自ら出向いたというわけ。
数多く部下がいるのに、なぜ頭領が直々に点検しに行かなければならないのか?
部下を裏切らせないためだから。
さっきも言ったように、冬になれば食物の確保が厳しくなるこの北国では、
確保率が高い集団生活が生き残りやすい。
よって少数でもいいから、皆が群をつくりたがる。
アタシ達の場合、権力も頭数も領域(テリトリー)も地域一であるから、更に合併をしたがる。
その分の領域も占領できるから、食物確保がしやすくなり、こちらにとっても嬉しい。
だが時として、全員が群に忠誠しているとは限らない。
限りある食物の独占をもくろんでいる者がいるかもしれない。
そう、それが前述した裏切り者。いわば「食べ物泥棒」だ。
そしてその泥棒に、格納庫の所在を知らせたり、任せたりしないようにするのも、アタシの仕事。
ここまで理由づけたら、さすがにアタシも面倒くさいとは言えない。
 もちろん裏切り者や部外者にもなるべく知られないよう、格納庫を偽装(カモフラージュ)しておいた。
おまけにこの時期になれば、雪が積もっているから発見しにくいであろう。
万全体制で安心……だが、絶対に暴かれないとは限らない。
いつ泥棒に所在を明らかにされてもおかしくないからね。
以上の二つの理由で、アタシが管理・確認せざるをえないのだ。
全く、どうしても面倒くさい仕事だ。
さっさと片づけたい思いで、足取りを(せわ)しくする。
 そろそろ目的地が見えるところまで来た。
いつもなら、いくらアタシでも目印なしではいとも早く見つけることは出来ない。
出入り口には岩が塞ぎ、雪で被されているから。
なのに、いきなり視界には、白い平野に大きな黒い穴が一つ落ちていた。
駆けつけていけば、やはり穴だった。
塞いでおいた岩も、跡形もなく撤去されている。
まさか、もう事態が動いたのか!?
よりにもよってこんな時期に。
 噂の盗人、個人でくる可能性は低いと思う。
毎度点検するアタシにとって、その岩は大きくて重い。
まさに巨壁で、動かすことも容易でない。
そのため出入口と岩の間を、アタシが通れるくらいの隙間をあけている。
アタシと同等、またはそれ以下の小さい奴らでも通してしまう。
しかし、そんな奴らがいたとしても、部外者だ。
小型の氷タイプなど、どのグループにもいないことは把握したいる。
つまり多くは、ここまで寒さをしのぎ、残った体力で岩を動かさなければいけない。
それが大型一匹でも苦労するだろう。
だから最低二匹以上の力を要する。
周りに、バリケードとなったあの岩のかけらもないということは、
投げ出されたか、打ち壊されたか……。
しかし、何匹いようが、アタシ一匹で立ち向かえなければいけない。
覚悟なんて、未練がましい思いなど一切ない。
アタシはこの北国の女帝(クイーン)なのだ。
力の差を思い知らせ、配下につかせてやろう。
 薄暗く湿った洞穴の奥へ、忍び足で進む。
出入口から吹きよせる冷風が、洞穴の奥へ隅々まで走る。
そして木霊(こだま)するかのように、行き渡った風が返ってくる。
それと一緒に、果汁の匂いも運ばれてきた。
やはり喰い荒らしに来たな。
今のアタシは闘志に満ち溢れていた。
否、それだけしかなかった。
あらゆる五感を研ぎ澄まし、犬歯を鋭く立てる。
気配を消すためにゆっくり行動し、しかし眼球はしきりに活動させる。
周囲に神経を鋭く向かせ、いつでも戦えるように、身を屈めながら進む。
ついに格納室とよばれる、広く溜まった空間に入った。
だがアタシはその空間との境から離れようとしない。
うかつに奥に入れば、襲撃された時に脱出しにくくなる。
まさに袋の中の(ピチュー)。それだけは避けたい。
まずは周辺を見渡し、異常がないか確認する。
保存したきのみは山積みに陳列したはずが、手前だけきのみが散乱していた。
前回も、もちろんアタシが見に来た。
最後このように乱雑にした覚えはない。
明らかに、何者かが荒らした。
しかし、一見して怪しい物陰は見当たらない。
 もうこの場を去ったのか。
そう確信して、きのみを整えようとしに近づいた。
辺りは果汁、もしくは唾液を含んだ液体によって湿らせていた。
やがて甘ったるい匂いがしてきた。
きのみの量とこの乱れようからして、かなり消費されたと想定できる。
そして、そうされたのかと思うと口惜しい。
もう少し早く来れば、事態は違かったろうに。
あとに残されたことは、虚しくもきのみを積み直すのみ。いつまで嘆いても状況はかわらない。
いいさ、次はこうはいかせない。
必ずとっ捕まえてやる。
そう決心して、さっさと片づけようとパイルの実をくわえた瞬間。

 やはりヤツはそこにいた。

 そいつは、アタシと、積み直すはずの山を挟んで、伏していた。
遠目で死角になっていたから、気づかなかった。
死体のように、全く動く気配がなかったから、なおさら驚いた。
いや、もちろん生きている……よね?
落としそうになったきのみを静かに置き、息を殺してヤツの口元に耳を傾けた。
正常に、一定の間隔の呼吸が確認できた瞬間、アタシを取り巻いていた不安が払拭された。
死体の処理までやるのかと焦ってしまった。
一見して、体調不良の様子はない。
体温も適温に近いだろう。
それもそうだ。腹一杯食って寝りゃあそうなる。
全く、心地良さそうな寝顔だこと。
見てるこっちも穏やかな気分になりそうだ。
だが、ヤツの口元から漂う甘美な匂いを嗅いだ途端、
我に返るように、「容赦」という言葉を忘れた。
 生きていようが死んでいようが、こいつが盗み食いしたことは事実。
さらに、アタシはこいつを知っている!
青と黒の基調の、長身で二足ポケモン。
「ブラン」創始の碑を溶かした連中の一匹。
部下の攻撃を難なくかわし続けた、厄介な一匹だ。
雪崩で始末したはずが、運良く命拾いしたのか。
ここまでよく生き残ったと、ながら賞賛したかったが、
これほど罪作りなポケモンを見逃すはずがない。
放火罪及び十数時間の逃走、おまけに今回の窃盗罪。
不届き千万。いかに愚かであろうか。
今すぐにでも制裁を下したい。
だが、このまま潰すのも性に合わない。
どうせなら、こいつの当惑する顔でも拝みたいものだ。
そうだ。それなら逆に、誘ってやろう。
残酷な選択を強いられ、血迷い、惑う姿を見るのが楽しみだ。
それに、殺すには惜しい、力の持ち主だ。


「さあさあ、遠慮は無用。好きなだけ食べて」
 そう言って、グレイシアはまた数個のきのみを手前に差し出す。
いつのまにか色とりどりの果物の山が出来上がった。
この場面だけ見れば、彼女はなんと慈悲深いと感心するだろう。
赤の他人に食物を提供しているのだから。
だが俺は彼女を知っている!
昨日、セキマルがあの氷の塔を溶かしたことをきっかけに襲いかかった群の頭領。
虫一匹も逃さないような、あの冷たく鋭い眼差しを向けた者だ。
 俺はまだ夢でも見ているのか?
今は来客を迎えるかのように、満面の笑顔で接している。
あの時の彼女と同一人物だということが信じられない。
なぜこんなにも、にこやかに振る舞っているのか?
本当に俺のことを覚えていないのか?
それとも確信している?
とにかく、理解できない行動だ。
怪しまれないためにも、俺は彼女の勧められるまま、きのみを頬張った。
「すまない、アタシは一応氷のポケモンであるから微妙の冷たさを感じないが、
寒くないか? きのみ、凍ってて食べにくくはないか?
あいにく温めるものがないから、解凍のしようができないんだ。
口当たりが悪ければ言ってくれ。すぐ代えを用意するから」
 過度に親切で、逆に気味が悪い。
これほどニコニコしている顔を見せられると、返答や目のやり場にも困る。
次第に居心地が悪くなる。
一体何を考えているんだ?
波導で読みとってやろうか。
女心を見透かすなんて、非紳士的だと戒められても、やるつもりだ。
しかし、相手がそれを察知したらどうしよう。
俺は誤魔化しや嘘やふりとか、演技じみたことをするのに器用ではない。
ましてや、波導は非常に(もろ)く遮断されやすいがゆえに、
多大な集中力を要するため、きのみを食べるのに気がいかない。
すると自然に手が動かなくなるから、何か別の事を考えていると疑われ、怪しまれる。
ルカリオだからといって、簡単に他人の心裏を読めるとは限らない。
期待を裏切らせたかもしれないが、そう都合よくはないんだ。
どうか失望しないでくれ。
「のどは乾いていないか?
きのみの果汁だけじゃ、甘ったるいだろ。
雪解け水……ぐらいしかないけど、それで口直ししてくれ。
癖がないし、アタシは飲みやすいと思う」
「末期の水、ということか?」
 ついに俺は、彼女の真意を掴むため、真っ向に勝負に出た。
「どういう意味かな」
 この勿体ぶった返答も(いぶか)しい。
あくまで白を切り通すつもりか。それでも俺は更に突き止る。
「俺は確かに昨日、お前が起こした雪崩を受けたが、
残念ながら記憶喪失してはいない。
互いに顔を認識できる距離だったから、なおさら覚えている。
いや、見た瞬間に思い出せた。
お前はあの雪崩で俺たちを抹消したかった。
証やら結晶やらを壊され、お前達の憤りの対象としている、俺たちを消したかった。
だが、俺が今生きている時点でまだそれは成し遂げていない。
ましてやここはお前の領地。
今が俺を倒せる絶好の機会なのに、どうしてこれほど厚意に世話する?
それとも、俺を覚えていないのか?
ポケ()違いなのか? 俺の勘違い?
もう何を疑えばいいか分からない。
頼む。知っていることがあれば答えてくれ」
 すると迷うことなく彼女は応じた。
「悩むことはない。お前の疑っていること全てが事実。
いかにも。あの時、お前と仲間達の制裁を下した者こそ、
このアタシ、グレイシア張本人である。
そして、種族は知らずとも、自ずとお前だと分かった。
それに、お前をここで改めて始末するという選択もあった」
「それならなぜ……」
 余計だと知っていながら口を挟もうとしたが、やはり彼女は前足を上げて制した。
焦燥に駆られた俺の心境とは対に、穏やかな口調でその由を説明する。
「迷いに迷ってこの地に転がり込んだのだから、心身ともに衰弱していると予想できる。
そんなヤツがこのアタシと、対等に勝負できると思うか?
目に見えているよな。ましてやきっとつまらない結果だ。
アタシは、退屈以上に煩わしいものはないと思うくらいに、嫌いだ。
ただ痛めつけても何の面白味も意味もない。
だからあえて、お前に危害を与えないことにした」
 それこそ意味がないと言えようか。
一体何を考えているんだ、この(おんな)
すると、まるで高揚を抑えきれないような笑みを漏らした後、彼女の口が開いた。
「お前を、仲間に加えることにした。
喜べ! あの群の頭領であるこのアタシから直々に、お前を賞賛し、認めたのだ。
我々の攻撃を回避した、あの身のこなしを見れば一目瞭然。
何とも冴えた反射神経だ。
お前自身の能力か、それとも種族による性能か?
そんなのどうだっていい。どうでもいい!
力不足で頼りのない部下が多くなった我が群には、大きな戦力を欲している。
だが、そんな救世主などこの付近にいないことは承知している。
半ば諦めかけていた。しかしそこにお前が現れた。
そしてあのパフォーマンスを見て、感激した。
まさにアタシが求めていたもの、理想像だ。
あの時、罰するには残念だと思ったが、今こうしてまた出会えたんだ。
因縁を感じるほかないよ。
だから仲間にしようと決心した。
純粋に、お前の実力に惚れたんだ」
 懐疑はまだ消えないが、嘘をついているようには思わなかった。
これほど褒められたのだから、悪い気にはならない。
それどころか、恐縮さえ覚えてしまう。
だが待て。いい気に乗るな。
相手は俺を誘っているんだ。
何を企てているか分からないが、決してこちらの都合に良い話ではないに違いない。
あの時とは一変した彼女の態度に、ハナから何の期待も希望も抱いていない。
「そんなお言葉を頂けるとは、思いもよらなかった。
むしろ恐縮しちゃうな。
けど、俺には帰るべき場所がある。
待っている友や仲間がいる。
それらを全て投げ出すなど出来ない。
皆を裏切らせたくないんだ。
ご馳走を振る舞ってくれたことや、親切に養ってくれたことにはとても感謝している。
だがそれとは無関係だ。
お前の厚意に背くようで悪いが、どんなに条件や褒美を積んだって、俺の意志は動じない。
皆が待っているから……」
 不器用ながらも、俺の精一杯の気持ちを告げた。
理解されなくてもいい。
言葉にすることで、自分の価値を再確認できるのだから。
自分の口から発することで、確信と自信がつくのだから。
もはや相手に訴えているのではなく、俺への覚悟を表現する。
何も望んではいない。
飾らず、ただ素直に意志を表した。
俺達の絆を証明するには全然言葉足らずだが、
今思いつく限りのものをひたすらに並べてみた。
まだまだハクトと共にしたいし、賑やかな仲間達と騒ぎたい。
決断に甘い軟弱な自分はもういない。
だからこうして言える。
どんな誘いにも易く応じたりしない。
仲間を信じているからこそ、俺の意志は堅固ゆえ動じない。
 グレイシアはそんな俺の心意を見通すように、まっすぐ俺の両眼に視線を注ぐ。
無論、俺も彼女と目線を外さない。
目で語ることは、限られた言語によるコミュニケーションにも勝る、ということを理解しているようだ。
明白に意志疎通をしたい。伝えたい。
瞬きをなるべく控える、俺の心境だ。
 暫く様子を伺うようにお互い黙り続けた。
そして、この均衡を破ったのはグレイシアだった。
緊張のおもむきは見られず、あっさりとした態度だった。
「ふっ。そう言うと思ったよ。
始めから簡単に承諾してくれるとは期待していないさ。
もちろん、アタシとしてはお前を得ることは諦めたくない。
あくまでお前自身の意見を尊重するつもりでもある。
お前の仲間の思い、しかと受け取った。
その眼差しから、友情がにじみ出ているよ。
しかし、アタシとて気安く妥協したりしない。
そうでなければ、お前を見過ごしていたさ。
わかった。それならこうしよう。
一度、我が精鋭達と会ってみないか?
もちろん、強制的に部下につかせるつもりもないし、顔合わせ自体も参加の強要はしない。
実際に会ってみて、気に入らなければ帰してやる。
まあ、帰らせるようなメンツではないとアタシは誇るがな。
入る気になれば、その意志を皆に証明してほしい。
もちろん、お前の主人にも。
それ以前に、まず存命云々の話だが……」
「生きているさ、必ず!」
 つい反射的に答えてしまったが、彼女もハクト達の安否を知らないようだ。
 俺は基本的に、根拠のないものには肯定しきれない。
誰かが自分の分の食べ物を食べられ、「自分は食べていないよ!」と言われても、
大概発言したその本人にも、疑いの目を向けている。
誰にだってあるよな。
だけど、これだけは言いきれる。
アイツはそう易々(やすやす)と死ぬはずがない!
しかし至って普通の人間だ。
何の特殊能力も並外れた回復力もないし、不死身の体を持っているわけでもない。
まぁ、強いて言うならひとつだけあるけど……。
 それでも、彼らは絶対に生きていると思っている。
これは願望でも予感でも可能性でもない。
「真実」と同等の絶対性を含む。
自分でも驚くほどの自信があった。
「分かった。それならもうひとつ約束しよう。
仲間に入らない場合についてだ。
気に入らなければ、ついでにアタシがお前を主人のもとに帰す、というのはどうだ。
一緒に捜索してやるよ。
どうだ、悪くない話だろう」
 確かに、この地域一帯を把握している彼女といれば、
ハクト達と遭遇しやすくなるだろう。
しかし、この条件を鵜呑みにしてもいいのか。
あの群の筆頭とあるだけに、よほどの責任感は既存しているだろう。
だがこれから敵地に向かうことになるんだぞ。
群の象徴・証として崇められたものを溶かされてから、まだ日が浅い。
彼らの威嚇、反感、憎悪、憤怒、罵倒、それら全部が俺に集中するだろう。
それを俺はたった一人で立ち向かなければいけない。
最悪、こんな友好的な交渉で釣りだし、騙し、まさに袋叩きにされることになりかねない。
だけどやはり、その先の条件が欲しい。
襲撃される危機があると知ってでも欲しい。
ここで断れば、あの途方もない銀世界を、また一人模索しなければいけない。
それでは生存率は一向に変わらない。
俺は、彼女を信用することを選んだ。
「そうしよう。
お前達の勢力を、最前線をとくと自慢してくれ。
それでも気が変わることはないなと、今は思う」
「いいや、絶対にその気にさせるさ。
我々がどれほど優秀なのか思い知らしてやる」
「それならすぐに行こう。ちゃっちゃと済ませたい」
 そう言ってただちに立ち上がり、出口に向かおうとした。
とにかくその意向を行動で示したかった。
その様子を見て、慌てて後に続くグレイシア。
進むにしたがって、次第に空気が寒く張りつめてくるのを感じた。

 だいぶ日光が反射する眩しい雪にも、目が慣れた。
いつの間にか真っ平の雪原を歩いていた。
その両脇には、あのテンガン山へ連なる山岳がそびえ立っていた。
ベーキングパウダーでまぶしたような、柔らかそうな粉雪に見えるが、
踏みしめると意外に足が深く沈む。
(くるぶし)まですっぽりはまってしまうほど。
だから歩くのに、普段以上に腿を上げるので、かなり疲れる。
それなのに、彼女は俊敏なフットワークで軽やかに駆ける。
さすがにしんせつポケモンだけあって、なんとも苦にしない歩き方なんだろう。
あれだけ進める余裕があったら、雪道を切り分ける「親切」ぐらいはできないだろうか。
 あの後、グレイシアを先頭に群の集落へ案内してもらっている。
彼女はそこで朝礼をし、俺を紹介するらしい。
わざわざそんなことしなくても、彼らは俺の顔を見れば、一発で理解できるはずだ。
「余所者のくせに、尊い証を壊した愚か者。我々の永遠の敵」と思われてもおかしくない。
問題は、そう思い込み敵視している者の数が気になる。
つまりは、群の頭数。
 包囲された時を振り返れば、あの(おびただ)しい数に圧倒した覚えが蘇る。
数だけならず、種族も豊富だ。
ユキカブリ、ニューラ、イノムー、ユキワラシ、マッスグマ、ドータクン、マニューラ、マンムー。
あの場に居合わせた奴だけを挙げてもこれほどだ。
各種最低でも二、三匹は揃っていた記憶がある。
群総勢、総動員を割り出すのも恐ろしい。
それ以上に、その大群を一斉に引率しているグレイシアがもっと恐ろしい。
彼女以上に大柄で凶暴なポケモンがいるのに、そんな奴でさえ彼女を敬い、慕っている。
昨日発したあの強気な言葉と態度から、猛者に似合う威徳がにじみ出る。
雄以上に貪欲で貫禄や闘志を人一倍に持っている。
雌というだけでも驚きなのに、雌とは思えないほどの風格を&ruby(かも){醸}し出している。
そんな彼女に敬服する雄達の、彼女に対する畏怖の念が少し分かったように思う。
次第に落ち着かなくなる気がした。
寒さの上に、体がこわばってろくに足が上がらない。
「もうそろそろだな。あと少しで着くぞ」
 そう言って彼女は進路を変え、丘陵を登りだした。
平地でこんなに息切れしてしまうのに、これからこの急斜面を進めというのか。
声も体も悲鳴をあげてしまいそうだ。
しかし迷っていても、彼女は立ち止まったり振り返ったりする気配がない。
置いてけぼりも困る。
仕方ない、這ってでも登ることにした。
 こちらの気持ちを知らないで、グレイシアは飛ぶように登る。
だめだ。すでに俺との間隔差が大きすぎる。
しかもその差は著しく広がってしまう。
俺が「くろいてっきゅう」を持っているのか、彼女が「こだわりスカーフ」を身につけているのか。
そう思わせるほどの感覚だった。
「あははっ。どうしたどうした!
そんなに息荒げて、情けないぞ。
アタシを魅了した、あの俊足はどこにいった!
今や生死をさまよう遭難者に見えておかしい。
こんなペースじゃあ、だいぶ時間がかかるな」
 はるか頭上から降ってくる笑い声。
見上げれば、グレイシアは顔だけこちらを向かせていた。
大丈夫。表情が認識できる距離に彼女は留まっている。
無邪気に笑う、優しい笑顔が見える。
その笑顔を見て、なぜか俺は懐かしい気分になった。
どこか親しみのある、あの甘い笑みから感じる。
その次に、怖いほどの不思議な感覚が襲ってきた。
今まで読んだミステリー小説でも、味わったことがないような感情だ。
 私情を露わにせず、刺々しい視線を向けた女王の顔。
誰に対しても慈しみ、惜しむことなく愛する母の顔。
柔らかな笑顔を振りまく、無垢であどけない少女の顔。
この変貌ぶりを、俺はあえてフォルムチェンジとは呼ばない。
まるで、ミノマダムの「(みの)」の衣替えに似ている。
大勢の部下を束ねる頭領の身。部下一人もいない、プライベートな状況。思わず綻んでしまう親しい心情。
様々な場面で変化する彼女の態度や表情は、まさにそれだ、と思った。
別人だろ、とも思った。
あまりの変わりように不思議で、おかしくてたまらない。
今はどんな顔をしているのだろう。
そんな期待するような心境で顔を上げる。
ところが、さっきまでいた彼女の姿がない。
辺りを眺めても見当たらない。
ふとかすかに、冷ややかな口調の女性の声が聞こえる。
なるほど、この丘の向こう側に彼女がいるのだな。
いつのまにそこまで移動したのか。
 やっと丘の頂にまで手が届いた。
いきなり平地になったそこの縁を腕にかけ、体を投げ出すように起き上がらせた。
ようやく到着だ、お疲れ。
そう自分自身に労って、達成感に浸り、心地よい汗を流すはずだった。
しかし今流れている汗は、決して心地よくなく、痛みさえ感じる、冷や汗。

 辺り一面に(ひし)めく、無数の、ポケモン。

 様々な種族の、おびただしい数のポケモン達が、この場所に集まっていた。
しかし、ただ数に圧倒されただけではない。
何だ、この静けさは。
何十匹、下手したら百を超えるような頭数が待機しているとは思えないほどの静寂だ。
突然俺のような異邦人が現れたせいか、群衆の大多数が注目していた。
俺は硬直してしまった。
究極の威圧感の渦中で硬直してしまった。
「おう、やっと来たか。
遅かったな。随分と待ったぞ」
 群衆の手前に、グレイシアが「こっちだ」と俺に催促する。
そのグレイシアは、さっきまで会ったグレイシアとは全くの別人に思えた。
あの幼さを含んだ彼女が神隠しにあったよう。
最初に会った「女王」と入れ替わったよう。
(とげ)のある目つきで捉えていた。
指示通りにグレイシアの隣に並ぶと、彼女は一歩前進して張りのある声で叫んだ。
「見えるか、お前達。よし、傾聴!
連日続いた早い時期の吹雪もやっと落ち着き、
今朝のような快晴を迎えることとなった。
久しぶりに同志の顔が見れて、嬉しい限りだ。
そして、これにより数多くのコロニーが活動することだろう。
合併交渉に行く者は、引き続き積極的に出向いてくれ。
それ以外の者も、自分の持ち場について仕事を全うするように。
何か問題や不適合があればアタシに知らせてくれ。
その都度、こちらでなるべく迅速に対処を伝達する。
もしアタシが必要なら、場所を教えてくれ。そこに向かうようにする。
さあ、今日も一日頑張ろう。我々の更なる栄光のために。
……と、いつもならこれでお開きにするのだが、
その前に一つだけ皆に話したいことがある。
昨日、我々にとって大いなる事故が発生した。
皆が団結し結成した、チーム『ブラン』の創設を記念して造られた証を溶解されたことだ。
もちろん、このような事態が起きたのは史上初だ。
この時期はどうしても多くの人間を見ることになり、トラブルが発生しやすい。
今回の件についても、やはりそのような類だ。
現場にいた者達なら知っているだろうが、
一人の人間がこの地に迷い込んできた。
どういう経緯でそうなったか分からないが、なぜか自分のポケモンと取っ組み合いをしていた。
そしてあろうことか、その最中でポケモンが碑を溶かしてしまった。
聞くところによると、『ついうっかり』のようだ」
 うっかりだと? 信じられん。軽率にも程があるだろう。これだから人間は!
様々な反論が至るところで囁かれる。
だがそんな声を無視して更に話し続ける女王。
「無論、わざとでなくてもこれは一大なる事故に変わりはない。
最終的には、その者達に栄光損失に見合う処罰を与えた。
皆も知っての通り、尊厳なるテンガンの驚異を味わせてやった。
そして存分に償わせてもらった、かと思いきや……」
 話の途中まで拍手が巻き起こっていたのに、最後の一言で水を打ったように静けさを取り戻した。
その次に、更に多くのポケモンがこちらを凝視していた。
グレイシアが話したい内容が明らかになりそうだと伺えた様子である。
「アタシが連れてきたこいつがその内の一匹なんだ。
他の連中はどうなったか知らないが、こいつはこの通り無事に生きている。
だがこの時点ではまだ償うに値しない。
なにゆえそんな奴がここにいるのかと、疑問を抱く者もいるだろう。
単刀直入に言う……。
アタシはこいつを敵としてではなく、仲間として迎えたいと思っている」

 ザワッ!!

 巨大な一匹の生物が呼吸したように、数々の驚嘆の声が一斉に漏れた。
ようやく頭数相応のざわつきを初めて聞いた。
予想通りの反応が見れてむしろ安心できた。
どこまであの張り詰めた重苦しい状況に耐えなければならないのか、
そのことが何より心配だった。
「静粛にっ!」
 鶴の一声で群を鎮めた女王は、俺の隣まで歩み寄る。
そして強引に俺の腕を組ませる。雪と同化してしまうほどの白い肌はやはり冷たい。
「現場にいた者なら見えていただろう。
こいつの冴えた読みと俊敏な動きを。
一手二手先よりも、相手がどう攻めたいかを予想できている。
だから常に最低限の回避が続けられる。
これだけの実力を持つ者を一体どれくらい見ただろうか?
こいつがいれば一気に勢力増大は間違いない。アタシが保証する!
チームのためになるなら、絶対その方が良いだろ。
そうさ、こいつの新加入が罪滅ぼしになるんだ。
受け入れにくいだろうけど、この手しかないと思う。
まずはこいつに我々の事を知ってもらいたい。
皆はそのまま待機。それで……おい!
お前達は前に来てくれ」
 女王は手前にいる何匹かを手招きする。
多くのポケモンの間を縫って顔を出した者達の中に、
昨日女王が連れた、あのオニゴーリの姿があった。
当時の様子から、彼女の側近らしきポケモンと見た。
後から二つの黒い毛皮が現れた。
俺の記憶に間違いがなければ、あれはグラエナだ。
二匹とも同種とはいえ、体格や顔つきが似ている。
兄弟なのか?
その三匹が集まってから、グラエナの一匹がたまらず女王に話しかける。
悪タイプらしからぬ、ひょうきんな態度であった。
「あ、姐御(あねご)。本気なんですか?
そいつ、あくまでも人間のポケモンですよ。
ましてや昨日の悪事に関わった野郎でもあるんすよ。
いくら才能があろうと、オラは受け入れにくいっす。
だって、今までなんてこんな事なかったし、
今後そうなるとも思ってなかったから。
なんつーか、信じらんねーっていうか。不安ってゆーか。
あっ……べ、別にオラは反対する意見はないっすよ。
ただそいつがその気かどうか疑わしいだけで……。
姐御がいいんだったら、オラは大歓迎って事っすよ。
矛盾していると思ってるでしょうけど。
姐御の最終判断は文句なしってことで……」
 なんとまあ腰の低いこと。こんなに気弱そうなグラエナは初めて見た。
性格のせいなのか、それともそれほど女王に地位や格が高いせいなのか。
この様子は、彼女に対する群の第一印象と言えるだろう。
間違いなく女王は、絶対的権力の持ち主。大群を(ふさ)ぬ最高司令官。
やはりとんでもないグレイシアだ。
すると続けてもう一匹のグラエナが喋りだした。
打って変わって、今度は落ち着いた口調であった。非常に聞きやすかった。
「今まで姐さんは、俺達が考えもしなかった事をやり遂げなさいました。
どれも斬新で、時に奇抜で、成功に繋がるか疑問に思った事もありました。
けど、姐さんの並外れた実行力で俺達は救われました。
俺達は全員姐さんに感謝しています。
また俺個人として、姐さんに惚れました。
一生ついていこうと誓いました。
しかし、今回はあまりにも突拍子もなく、衝撃です。
ジンライの意見に同調することになりますが、
そいつに創始の碑を償う気があるかどうかです。
俺も現地にいましたし、そいつの能力も承知しております。
認めますが、認めません。
失礼を承知で申し上げますが、そいつの加入は反対です。
実力で名誉を賠償できたなら苦労はしません。
別問題だと理解してほしいのです。
安易に仲間にしないでもらいたいです。
まぁ、そいつが本当にその気でいるのなら、
今までの発言は自分のつまらない妄言としますが」
 同じグラエナ種とは思えないほど二匹の性格が違いすぎる。
特に後から喋った二匹目は、すでに成熟していた。
女王への最高の敬意を払いつつも、しっかりと自分の意見を主張する。
交渉人のお手本になるような、丁寧で、しかし強い口調だった。
マゴマゴとしてはっきりしない一匹目とは正反対。
物怖じしない態度や凛とした表情から、兄弟の年長者、つまり兄上らしき人物と推測する。
歳もそれほど離れていないように見えるのもまた驚き。
「お前はどうなんだ? 異議があるなら言ってみろ」
 そう言って女王は未だ発言していないオニゴーリに振った。
今のところ、兄弟達の反対票が二つ。
女王に気を遣っていると思うが、これが一般的な回答であろう。
予想通りの反応だ。
目の敵にしている者を受け入れろと言う方が無理がある。
なおさら、女王に従事しているオニゴーリの意見もたかがしれている。
すると、初めて聞いたオニゴーリの低くて重い声が、神妙に響いた。
「その提案は妥当だと思います。
我々に持っていないものを、彼は備えています。
あの一戦だけ拝見しても、適応能力がかなり高いと見受けました。
長年この地で暮らしてきました私共も、雪の上では困難を強いります。
ですがこの者は、まるでそんな事など関係ないかのように俊敏に駆け回り、我々を翻弄しました。
もし我々に属するとなれば、これほど心強いものはないでしょう。
チームにとっても、今までにないくらいに活気づけられるでしょう。
唯一、人間側であることだけが残念でありますが」
 なんと、あのオニゴーリがまさかの賛成!?
意外な人物から賞賛されたものだなぁ。
しかも、これほど褒められると嫌でも照れる。
自分の予想を覆す、この好印象。
加入に関して否定意見はないと見受けてよいのだろうか。
いや、たとえそれが真実だとしても、俺自身は妥協しない。
実力を認めてくれたことを感謝するだけだ。
嬉しいけど、まだ加入する気はない。
「なるほど。お前達の意見は、相変わらずの調子だな」
 女王がおもむろに切り出した。
三匹の顔を、一匹一匹じっくりと眺めてから、その後こうも言った。
「要するにお前達は、こいつが考えを改めてくれたなら、文句はないってことだな。
もちろん、そのためにこいつをこの場に呼んだのさ。
だけどそれだけじゃない。
お前達もこいつを知る必要があるからだ。
あの事件の事は、全部水に流せとは言わない。
ここからお互いを理解しあえる環境を作ろう。
アタシの提唱も保証できるとは言い難い。
けど、長期間の寒気凜烈を繰り返すこの地で、アタシ達はこうして耐えて、生きてきたんだ。
ちょっとやそっとじゃ、滅亡の危機なんて訪れるもんか。
たとえ過去の栄光を失おうとも、アタシ達には自然の猛威をしのぐ強い忍耐力を身につけている。
雪崩の如く大群が押し寄せて来ても、真っ向から立ち向かえる。
お前達はそれを誇ればいい。その誇りが最大の武器なんだ。
だから、こいつが加われば更に繁栄するとアタシは信じている。
『ブラン』はかつてないほど強くなれる。
そう予感せざるをえないんじゃないか?」
「姐御……!」
「姐さん……」
 グラエナ二匹はそれぞれ感慨深げに敬礼する。
オニゴーリに至っては、もはや涙目。
後ろで聞いていた他の部下達から、嗚咽などが聞こえた。
 厳しくても、一番群に思いや信頼を抱いている女王の言葉。
その一つ一つが皆の心に染み渡り、共感している。
大の雄達が人目をはばからずに泣いている。
彼女は群のリーダーでもあり、精神の支柱でもある。
まさに、彼女なしでは動かない、心臓のよう。
次々に女王の偉大さを目の当たりにし、寒さとは違う身震いを感じる。
 その後女王は俺の方に体を振り向かせた。
何をされるのかと怯え、跳ね上がりそうだ。
「そんなわけだ。これからお前に、自慢の新鋭達を紹介する。
今目の前にいるこの三匹は、『ブラン』が結成した当初からいた、アタシが最も信頼を寄せている実力者達だ。
まずこいつからいこうか」
 そう言って、左端のグラエナをまた指名した。
あの落ち着きのある兄だ。
「こいつの名はシゴウ。
結構な筋肉質に見えるが、腕っ節には定評がある。
群の中で、一二を争う中にいるほどの剛腕だ。
しかも戦術眼も特に冴えている。作戦の組み立てがうまい。
群の中枢部と言ってもいいぐらい、頼もしいやつだ。
アタシが第一に戦場へ連れて行く仲間でもある。
だけど、それ以上に気に入ったのは、みかけによらず情が厚いところかな。
普段はこのようにどことなく冷たい感じがするが、
いざ相手にされないと、急に甘えてきたり泣き出したり。
生来恥ずかしがり屋の泣き虫なくせに、今では変に格好をつける。
確かこれを世間では、くー……だ、あ! クーデレだ。
公ではクールを装い、個人になるとデレデレする。
キャラクターがウケると言われているが、デレデレしっぱなしのシゴウもより可愛いぞ」
「姐さん。そ……その、そんなに言わないで下さいよ。
はっ、恥ずかしいじゃないですか。特に後半が」
「何だ、いいじゃないか。
アタシにとって、シゴウは大事な弟だと思っているぞ。
自慢の弟を褒めて何が悪い。自然じゃないか。
どうして男というものは、こうも強がるのだろうか。
もっと素直になればいいのに。とんだ戯芝居よ」
 そう言いながらグレイシアはグラエナの頭を撫でまわす。
照れ隠しにそっぽを向くグラエナの顔は、どことなく嬉しそうに見えた。
クーデレであろうがツンデレであろうが、本当に素直じゃないこと。
俺も人の事は言えないが。
「姐御! 次はオラを褒めて下さいよ。
オラだって群にたくさん貢献したじゃないですか」
 待ちきれない様子で弟分のグラエナが主張する。
その落ち着きのなさは、もはや子供。
なぜか見ているこっちが恥ずかしい。
一転してグレイシアは鬱陶しそうな表情を浮かべる。
「まずお前は言動や態度を(わきま)えろ。
いつまでたっても幼稚な思考。物事の分別も出来ず、いつも人任せ。
シゴウの方がまだ大人だ。
双子とはいえ、お前が先にこの世の空気を吸って産声をあげたのだからな。
それなりの意識と自負を自覚してほしいものだ」
 俺はとんでもない勘違いをしたらしい。
まもなく女王が再び紹介してくれるだろうが、
こいつは次男坊ではないらしい。
「こいつの名はジンライ。見ての通り、外見も中身も実に軽い雄だ。
信じられないかもしれないが、先程紹介したシゴウの兄なんだ。
力負けする事はまずないが、判断が疎いし、読みも遅い。
実力は、はっきり言って、それほどでもない。
幹部業をこなせないくせに、こうしてシゴウ達と肩を並べる事自体が奇跡だ」
「えぇっ!? なんすか、その説明は。
なんでオラだけ、欠陥だらけの役立たずみたいに呼ばれるんですか!
確かにみんなに迷惑かけたことも少なからずありましたけど、
陰ながら努力しているんですよ!
姐御なら気づいて下さると思っていたんすけど……」
「すまんすまん、陰ながらだから気にもとめなかったよ。もっと目立っていればよかったのに」
 女王に軽くあしらわれたグラエナは、「そんな、そんな」と呟きながら落胆した。
本当の弟分グラエナは苦笑。群から陽気な笑い声が聞こえた。
さっきまでのカルト的な雰囲気はどこにいったのか。
なんだこのふぬけた空気は?
さっきから俺を惑わせるような事しやがって。
 ついに振った張本人のグレイシアも一緒になって笑っていた。
そして思い出したように振り向き、隣のポケモンの体を叩いてから俺に向き直した。
オニゴーリの番のようだ。
「最後にこいつがトウガ。
アタシが最も信頼している、この群の第二の頭だ。
この図体では接近戦やスピード戦には不向きだが、
相手を徹底的に極寒の地獄に墜とす、大砲の如く冷酷な攻撃を得意とする。
だが普段は配慮がきめ細かく、交渉上手で知的な一面もある。
これほど思慮深く、忠実に指示を全うする者がいると非常に頼もしい。
持つべきものは友とは、まさにこのことだ。
実は、アタシとトウガは進化前からの馴染みなんだ。
子供が少なかったこの地域で、アタシ達の故郷で人生のほとんどを過ごしてきたゆえに、
お互いがお互いに良き遊び相手であり、良き相談者であった。
アタシ達は自他共に認める、良好のパートナー同士だ。
それゆえに、お互いの性格や好みまで完璧に把握しているわけだ。
だけどこいつの場合、こんな近寄り難い顔に元来の小心者のためか、
進化した後アタシに嫌われると思って、暫く顔を出さなかったことがあったな。
寒さに身を寄せ合った仲で、今更そう簡単に嫌いになるはずがないのになあ。
まあ、おもいっきり声変わりしたから余計誰か分からなかったけどな、一瞬だけ。
最近水臭いんだよな。進化前ほどよく……」
「……」
 …………。
女王と側近が互いに面と向かった時、不自然な空白が生じた。
また不可思議な空気が流れるように続いた。
要約して言えば、なぜかものすごく気まずい。
グレイシアがオニゴーリに、何か一言いおうと向き合った瞬間の出来事だった。
 言葉尻を推測するに、グレイシアは思い出話を語ろうとしたのだろう。
ではオニゴーリは、過去の話を話されるのを恥じらって訴えたのだろうか。
だが今の彼の表情に、そのような情感ある色が表れていない。
羞恥ではなく、全うな拒絶。
相変わらずなのに、更に厳格な雰囲気が(かも)し出されている。
部下達と俺も含む、二匹以外の誰も口を挟むことがなかった。
最も、なぜこのような事態を招いてしまったのかすら理解できない。
「そして……」グレイシアは話を切り上げ、また俺に顔を向けた。
今度こそ女王の風貌を見事にまとっていた。
「そして、アタシとこの三匹の幹部をかわきれに組織を作り上げ、
後に北シンオウ最大の野生グループとして席巻するまでに至る。
荒ぶる吹雪をも凌ぐ猛者達が集う同志の結社、それが我ら『ブラン』だ!
群を総轄するアタシ、グレイシアが頭領を務める。
『猛吹雪』のような大群を率先する者として、その意味にちなんで、
『ブリザードヘッド』という称号を頂いた」
 明らかになった、群と女王の確かな正体。
やはり、ただならぬ存在であることが明白になった。
ただ一つだけ妙だと思った点がある。
幹部達はそれぞれニックネーム、つまり種族名とは違う名前がある。
もはやキャラクターで覚えてしまったジンライもそれだ。
では、なぜ女王は最初に種族名であるグレイシアと名乗ったのか。
まさか名前がない? 彼らよりも地位が高いはずの彼女に?
それとも「ブリザードヘッド」が通称そのもの?
なら後に明かす理由にならない。
「それで本題に戻りますが、そいつの加入はいかが致しますか?
能力は申し分ないわけですが、そのまま入れる気ではないですよね。
ウチに特例なんてありませんから」
 グラエナ弟のシゴウがこう指摘した。
答えるグレイシアの横顔に、うっすらと笑みが浮ぶ。
「無論、ここにいる皆が納得できるように証明する。
群の一員となりうる者がどれほどの実力か、見せ知らす必要がある。
それと同時に、各個人との位置づけや目に見える対象が出来上がる。
対象があれば自然に目標水準が高くなり、熱心に活動するようになる。
すると群の中で活気が止めどなく循環し活性する。
間違いなく勢力は増大し、より多くの者が『ブラン』に恐れおののく。
きっと我々の中心になる存在であろう。
誰でもいいから、早く手合わせしろ。ああ待ち遠しい、楽しみだ」
 本人抜きに手続きの準備が進められようとする。
すっかり俺を入れさせる気になっているらしい。
まだ俺の意志も示していないのに。
最後にそう示せる場があれば良いのだが。
 さっきまで軽快な足取りだったのに、突如グレイシアは一時停止した。
次に遠くを見るように顔を上げ、誰に言うまでもなくぼそりと呟いた。
「その前に、育て親に礼を言わないとな。ご報告を兼ねて」と、意味深に笑う女王。
すると今度は、群の奥から部下数匹の悲鳴のような声があがった。
何事かとその方を向くと、向いた者全員が顔を青ざめた。
それもそのはず、群の証を溶かしたと噂された人間張本人、ハクトが出現したからだ。
先程の俺みたいに下から這い上がり、片足を軸にして体を起き上がらせる。
その途端また大きなざわめきが沸く。
彼がこちらに歩きだすと、群は二つに裂けるように避け、道を通した。
生きていただと! なぜ居場所が分かった? 群全体がそんな疑問に翻弄し、混乱する。
このことを予測したかのように笑うグレイシアただ一匹を除いて。
「あわわわわ!! 人間っ! に、人間が乱入してきたぁ! もうこの世の終わりだあああ!!」
 ジンライが一際絶叫していた。
それでも構わずハクトは(せわ)しく歩む。
俺はハクトと再会できた安心よりも、この後の進展に不安を抱いていた。
問題人物が群の基地に侵入すれば、これほどのパニックが起きることぐらい承知しているはずだ。
これでは冷静に対処できない。聞いてもらえるものも聞いてもらえないぞ。
しかし、まあ、短気なハクトならやりかねなかっただろう。
「悪いな、今日からこいつはアタシ達の仲間になる」
「……何勝手に決めてんだよ」
 登場してからずっと立腹か、怪訝な表情のまま返事した。
「ソウルとはずっと旅してきたんだよ。タマゴから生まれた時からずーっと!
珍しいルカリオだからなんかじゃない。本当にソウルが頼もしいからだ。
僕には持っていないものを持っていて、いつでも冷静に見解できる。
用意が良いし、サポートしてくれたり、不器用だけど皆を元気づけたりしてくれる。
せっかく仲間も増えて楽しくなったのに、手放せるかよ。
僕達が一番にソウルが必要なんだ!」
「では、どちらがよりこいつを必要としているのか証明しようじゃないか。
お前にもまだ丹精込めて育てた仲間がいるのだろう?
アタシにも強力な部下がいる。
お互い全力を尽くして、どちらがこいつへの情熱が優っているのか。
ポケモンの本来の姿、バトルで決着をつけよう!」
 こうして俺を賭けた争奪戦の幕が切って落とされた。
正直、囚われたヒロインも悪くないと思ってしまった。今はそれどころではないのに。


 グレイシア率いる最大グループ、「ブラン」。
僕達は今その心中にいる。
四方八方を囲む部下達。中央に開けた雪原。
グレイシアの提案でバトルの準備が進められているからだ。
規定は以下の通り。
お互い三匹のポケモンを使用。シングルバトルを採用。
ただし、入れ替えなし、加えて一匹につき一戦とする。
つまりこれを三戦行うラウンド制。
まず一匹ずつ出し合い、戦闘不能にさせた方の勝ち。一戦を手にする。
先に二戦勝利した側に、ソウルの自由権利が与えられる。
 今までの旅でほとんどソウルをパーティに組んでいた。
どの地方に行っても、いつも一緒だった。
それほど心強い存在という証拠、だと思っていた。
しかし実際は、ただソウルに頼りきっているかもしれない。
バトルのより良い試合運びも、幾度とあったピンチの救済も、試合を左右する決定機も。
彼が登場していることが多い。
結局ソウルなしじゃ何も出来ないんじゃないか。
そう思われるのが当然だろう。
しかし考えてみれば、ソウル以外はみんな新参者。
チームとしては未成熟、ゆえに期待度が高いわけだ。
バランスを考慮すれば、ソウルが必要とするのは自然だ。
 それよりもここで二つの意味でチャンスが巡ってきた。
ソウルを取り戻せることともう一つに。
残った者達が自身のパフォーマンスをソウルに見せ、実力を認めさせることだ。
メンバー入りして半年も経ってない者もいるが、総して着実に成長している。
ソウルがいなくても自分達は十分に戦えるところを見せたい。
なによりもソウルを脅かすほどの存在になってほしいとも思っている。
「それでは、最初の一匹だ。とりあえずジンライ、お前から行け。
まずは相手の様子を伺う一手といこう」
「えぇ!? それって、オラで勝つ気がないって事っすかぁ!
いくらなんでもあんまりですぜ、姐御ぉ。
オラが非力だから? シゴウを温存したいから?
やっぱり長男はどこにいっても実験体扱いかぁ……」
 つべこべ言わずさっさと行け、と言わんばかりにグレイシアが睨む。
その眼光に怯えながら前へ歩む気弱なグラエナ。
兄とはいえども、このグラエナは感情のままに行動する性格のようだ。
僕にも共感するところもあるけれど、あれでは幼稚だ。損をするタイプだよ。
でもね、実験体が成功したからって、その先うまくいくとは限らないんだよ。
だから、君はそういう意味で出した訳じゃないと思う。
 さて、それじゃ僕は、確実に勝つ策に出ましょう。
ソウルと同じく、この旅の最初のメンバー。
「セキマル、バトル・イン!」
「いーよっっしゃああああ!! 待ってました。
ここでオイラが出なきゃ、くすぶってところだぜ!
派手にぶちかまして、勝利を手にする!!」
 勢いよく僕の後方から飛び出す。
この極寒の中、相変わらずの元気っぷりを表すセキマル。
それを見たグラエナは、さっきまで垂れていた尻尾を不意に高く上げた。
あ、こいつオラより小さい。やった、いけるかも!
そう思ったに違いない。
だが見くびるなかれ。山椒は小粒もぴりりと辛いぞ。
 ハクタイでのニドキング戦ではソウルなしだったとはいえ、三対一のバトル。
一対一(サシ)で闘うのは初めて。
緊張と興奮、と多少の不安が僕の心で渦巻く。
「それでは先行を譲る。好きに始めろ」
 白い口元がニヤリと微笑む。その余裕もどこまで通せるかな。
 絶対に連れ戻す。一段高い岩場で、部下達に囲まれてくつろいでいるグレイシアと、その隣に座っているソウルに宣言するように見つめた。
「それじゃお言葉に甘えて、“かえんぐるま”!」
 助走をつけた勢いで走る火車と化したセキマル、一直線にグラエナに向かった。
まず回避は難しい速さだった。
このままダメージを与えこちらが優位に立つ、はずだった。
火車は何の障害物も当たらなかったように、雪の上を滑走した。
異変を感じたセキマルは体勢を立て直し、四本の腕足を地面につけ着地した。
“かえんぐるま”で通った部分から、雪が急速的に蒸発する音が聞こえた。
なんと気づけば、あのグラエナがセキマルと対峙していた。
 いつ避けた? あの速さで。スピードがなによりの取り柄であるセキマルから!
当の本人が一番に驚いただろう。
「何だ、トロ過ぎっ! それで本気っすか」
 一回回避しただけで図に乗りやがって。
セキマルも同じ感情を抱いたに違いない。再度“かえんぐるま”で仕掛ける気だ。
落ち着けと声を掛けようものなら簡単だが、すでに火炎が走っていた。
対してグラエナは、ゆったり数歩の横移動。あちらが逆に落ち着いていた。
するとそこへ“かえんぐるま”が猛スピードで横切った。
間一髪に思えたが、実際グラエナは毛先一寸も焦がしていない。
 また避けられた! 何だよこいつ。
取り囲んだ「ブラン」の部下達から、「おおっ」という歓声が沸いた。
これを受けたグラエナは、あごを上げ、自慢げに胸を張った。
一方この歓声がセキマルのプライドを侮辱した。
ふつふつと沸騰し始めるように、彼の怒りがつのる。
その怒りに触発されたのか、懲りずに再三同じ技でグラエナに向かう。
なんと、今度のグラエナは、動かない。前足揃えてお尻まで地についている!
グラエナの目前まで轢かんばかりの勢いで“かえんぐるま”が迫る。そう、目前まで。
だが文字通り目の前まで来て、いきなり右に進路が傾いた。
傾いたと思ったら、そのまま岩壁に突っ走っていく。
その周辺にいたポケモンはとっさに避け、火車は案の定激突した。
激突したとたんに炎が散るように払われ、倒れたセキマル本体が現れた。
立ち上がると、激突した反動か、クラクラとして足がおぼつかなかった。
まさかあの胸を張った行為は、“いばる”!? だから相手に当たらず、自分にダメージを負ったのか。
セキマルは手や腕で両目をこすり、対象の位置を確認する。
「あちちちちっ、あっちー!!」
 それはグラエナのばかにうるさい叫び声だった。
両目が開かれた瞬間に、セキマルは反射的に“ひのこ”を飛ばしたからだ。
なんて切り替えが早く、隙のない攻撃。よほどお怒りのご様子……。
「あちちー! イテーッ! なんかひりひりしてカイーッ!」
 しめた、「やけど」を負った。これで確実に体力を奪える。
追い打ちにまた放ってやろうと思った。セキマルがもう一発の“ひのこ”を投げようと腕を引いた。
 ザクッ。
 瞬間にグラエナの爪がセキマルを仕留めた音だった。
“かえんぐるま”を避けたものとは比にならないくらいの速さ。刹那だ。
しかし表情は「やけど」を負った苦い笑顔を含んでいる。なんてタフさと異常なスピード。
「パワーとしてはまだまだだが、とにかく速い。手に負えんぐらいにな。
とくにリスクが加われば、なおも向上する。シゴウ達と肩を並べる唯一の理由がこれだ。
この速さを武器にしているがゆえに、必ず先制を逃さない。
その姿はまるで稲妻。『ブラン』の閃光の雷神とは、ジンライのことだ」
 冷ややかで鋭いグレイシアの声が、肌を刺すような寒風と共に流れて聞こえた。
たぶんあのグラエナの特性は「はやあし」。状態異常になると素早さが上がるもの。
なんてことだ。つまり自慢の能力を上乗せさせちゃったということか。
 かまわず“かえんぐるま”を放つセキマル。同時にグラエナは避けるように走る。
「そのまま追え! 追いつかなくてもいいから、そのまま!」
 大声でセキマルに指示を送る。スピード負けを想定した第二プランを。
指示通りにセキマルはグラエナを追いかけまわす。
それをグラエナは駆けたり、跳ねたり、進路変更をフェイントしたりする。
火車のまま走り続け、雪が溶け、跡をつけたように湿った黒い土が現れる。
広大な白いキャンバスに鉛筆を走らせたようである。
「無駄無駄っ。そんなんでオラと渡り合えるかっての。足止めする手段すら浮かばない頭してんすか?」
 走っている間も“ちょうはつ”する余裕を見せたグラエナ。
だがその余裕は自らを危機に陥らせた。
 ズルッ。
 瞬間にグラエナは宙に浮いた。
“かえんぐるま”で走った後に溶けた雪解け水と、露出した土が混ざりあったぬかるみに滑ったからだ。
原因は、たぶん不注意。調子にのったことから、この事態が起きただろう。
これで二匹の間隔が一気に狭まる。グラエナに迫る、荒ぶる炎。
着地していないグラエナはこれ以上の回避は不可。このまま接触するのも無理ないと思われた。
だが車輪のようにまとった炎が散り、みたびセキマルが現れる。
そして散った炎は、セキマルの右手に吸収される。
 体に当てるんじゃない。体のどこか一点にだけ当てるんだ。
“かえんぐるま”の炎をそのまま、この腕に集約した“ほのおのパンチ”で!
 横腹を突かれたグラエナは、反動を含めて二度地面に叩きつけられた。
静止した体を確認すると、“ほのおのパンチ”が当たった箇所からひとすじの煙がたなびいていた。
「一戦目はそちらの勝利とする。我々は黒星発進か。はぁ……」
 潔くグレイシアが敗戦を認めた。
負けを悔いているというより、何やっているんだという非難の表情。
「ちくしょ~。またあそこで“ふいうち”やればよかった!
せっかく『やけど』に耐えて『はやあし』の発動で上乗せしたのに~。
スピードじゃオラの方が速かったのに~!」
「うるさいっ! いまさら“とおぼえ”したって後の祭りだろーが。
次戦の準備だ。さっさと失せろっ!!」
 先ほど閃光のなんとかと賞賛したのに、この扱い。
可哀想なものだな。
「あとはまかした。頼むぜ!」
 セキマルはそう言って第二戦で戦う仲間の背中を叩き鼓舞する。
思いを背負ったその者は、僕の足下から離れ、闘技場ともいえる広場の中央に出た。
「おいおい、俺の相手がそんな嬢ちゃんでいいのかよ。ちっと俺をなめすぎていないか」
 対面したもう一匹のグラエナ、さきにセキマルと戦った者の弟がふかす。
それもそのはず、二番目に出たのは紛れもなくイーブイだからだ。
未進化の、しかもメスのイーブイを、僕は送ったのだ。
けれど、三匹しかいないといっても、捨て試合にするつもりは毛頭ない。
二番に出す意義は十分にある。
「あなたこそ、私をなめない方が身のためですよ。私を本気にさせたら、痛い目にあいますよ」
 なんと、普段は大人しい彼女が、こんな強気な挑発をかますなんて。
上等だと言わんばかりの笑みを見せた弟グラエナは、頭を下ろす形でかがみ、戦闘態勢をとる。
 まもなくグレイシアの「始め」の合図で、第二戦が開始された。
僕はイーブイに、開幕いきなり“すなかけ”を浴びせかけるよう指示をだした。
イーブイはすかさず反転して、後ろ足で交互に地面をかきあげ、はだけた土を飛ばす。
グラエナにとっては虚をつかれた先制である。
ふりかかってきた雪や砂利を払うように、素早く顔を左右に振る。
それでもお構いなしに“すなかけ”をしまくる。
3~4ターンかけて連続に砂をかけても、相手は一向に攻撃してこない。
グラエナの命中率だけが下がる展開が続いた。
するとあの落ち着きのある声が、僕達に向けて発せられた。
「なんだよ、これ。痛い目にあいますよとか言っておきながら、随分ちんけな戦法だな。
どう俺を痛めつけるのかって、期待までさせといてよぉ。
残念だ。もう飽きたから、さっさと片付けてやるよ」
 不意にグラエナは口を大きく開く。開かれた口の前に、闇を思わせる漆黒の玉が一つ浮かび上がる。
適当な大きさになると、それはイーブイに向かって放たれた。
おそらくあれは、“シャドーボール”。まさか、無駄打ちにする気か?
ノーマルタイプにゴーストは効果がないことを知らないのか?
僕の経験上、そのようなことが発生した時は体をすり抜けるはずだ。
「あうっ!」
 うそ。当たった。
見事にイーブイに命中した。なんで! どうして!? 何が起きたっていうんだよ。
「ハクトッ。そいつは“かぎわける”を使ったんだ!
だから命中率はおろか、タイプ相性も関係なく当たったんだ!」
 グレイシアの隣でソウルが、大声張り上げて僕に報告した。
もしかして反撃してこないの間に使われたのか。
ならこちらも、相手の体力を削らずにはいられなくなった。
「イーブイ、“アイアンテール”!」
 重くなった鋼の尾でグラエナに対抗する。一転して激しい肉弾戦に移った。
両者共に著しく体力を奪い合っている。
けれどその合間にも、欠かさず僕は“すなかけ”を指示した。
再び砂をかけると、グラエナは吠えるように言った。だいぶ疲れている様子だった。
「ハハッ。またそれかよ。俺の攻撃が外れさえすればどうにかなるっていうのか?
それとも、こうもしないと自分の攻撃が当てらないのかよっ!
なんて期待外れなやつと相対しちゃったのかなあ、俺は。がっかりだ」
 まずい、“いちゃもん”をつけられた。同じ技を連続で使えなくしやがった。
「こっちも“シャドーボール”だ」
 イーブイも同等の大きさの玉を放った。
その後、“すなかけ”、“アイアンテール”、“すなかけ”、“シャドーボール”、“すなかけ”、“アイアンテール”と立て続けに繰り出した。
次は間違いなく「砂」だと察知したグラエナは、意を決して突進してきた。
でも残念。こっちも決着つけたいし。
「“とっておき”ー!!」
 迫るグラエナの正面を、押し出すように前足を突き出したイーブイ。
身につけた技全ての衝撃波を受け、反動で高く宙を舞う。
先程の攻防戦でのダメージと共に計算すれば、確実に戦闘不能に至ったと判断した。
あとはグラエナが地に着き、倒れたら、僕達の勝利だ。
まもなくソウルは解放され、連れ戻すことができる。
「なるほどな、なかなか攻めないと思ったら、こんな策略を企てたのか。
まったく、えっれ~モノをくらわせやがって。この俺を吹き飛ばす威力だもんな。
だが、せっかくの大技なのにひんしにさせなかったのは、絶対にあってはいけないことだ。
敵を野放しにさせたら後で何をされるか分からない。俺達はそんな恐ろしい野生の世界で生きている。
だめだ、これじゃ落第だ。『お仕置き』が必要、だな」
 グラエナはゆっくりと体を反転させ、地面にいるイーブイを捉えた。
何をするつもりだと思ったその矢先、自身の両前足を縦に振るった。
しかしそこから拳や光線が出るわけでもなかった。
けれど、何かがイーブイに向かって放たれたようだ。
そしてその時はすぐに訪れた。
「うんっ!?」
 いつの間にかイーブイは飛ばされていた。
僕に向かって真横に飛ばされ、ついに衝突した。
あまりにも速く飛んできたので、受け止めきれずおもいっきり腹をうった。
その衝撃を受けた僕はたまらず尻餅をついてしまった。
痛いの一言も呟かず、ただちにイーブイを確認した。
僕の腕の中で、ぐったりと首がうなだれて横たわっていた。
戦闘、不能……。先にイーブイが倒れてしまった。
「瞬く雷の一閃のようにスピード特化したジンライとは相対して、
シゴウは旋風の如く攻撃を避け、巴投げのように相手に返す。
己の技量だけではなく、相手の技をも支配する戦法。
数々の戦場を潜ってきた経験と、確かな実力がなければ決して成せぬ(わざ)だ。
ジンライと対をなして言うのなら、朔風の風神。北の風の猛威、それがシゴウ。
我ながら良い例えだな。さあ、これで互いに一勝一敗。お前達の仲間を巡る戦いも、次で最後。
泣いても笑ってもわめいても、次の勝敗でこいつの運命が確定する。
お前が三番手として選んだ、最後に相応しい、誇らしい一匹を場に出すのだ!」
 肌を刺すような冷たい風の如く、淡々と話すグレイシアの声が聞こえてきた。
顔を上げると、彼女は再び余裕を含んだ笑みを浮かべていた。
 今まで何が起きたのか理解が追いつかず、狐につままれたような気分であった。
だが、グレイシアとグラエナの発言から察するに、実に容易なトリックだったことが分かった。
イーブイの攻撃を喰らう時、確実に自分の急所を突かれないように受け、“とっておき”と同等以上の威力をお見舞いした。
あえて後攻にして相手の攻撃を受けるかわりに、通常の二倍の威力を与えられる技……。
“おしおき”だったのか、あれは!!
それにしても、フルパワーの“とっておき”を受けても落ちないあのタフさや、予想外の状況でも立て直し対処できるあの戦術には驚いた。
野生とは思えないほど鍛えられている。ますます恐ろしい。
ゆえに、最後の第三戦は慎重にいきたいところだ。なぜなら僕の手持ちはあと一匹しかいない。しかも……。
「さっきのチビ達ならまだしも、あいつって? 勝つ気あんのか?」
 すでに群衆は強風に吹かれた林のようにざわめいた。彼らの視線をいっぱいに浴びたリーフィア、彼女の話題であった。
雪国ではまず見かけない、生存しにくい草タイプ。相手は、グレイシアの直近の部下の残り一匹にして、天敵の氷タイプのがんめんポケモン。
リーフィア対オニゴーリ。恐らくこの対面になってしまう。この絶対に負けられない戦いに、何とも不利な状況を強いられた。
しかし、バトルに有利不利はつきもの。それに、目の前の敵を負かすことを目的にするなら、与えられる条件は双方ともに同じなんだ。
まだ始まってもいない。戦いながら探ってみればいい。
 こちらに振り向いたリーフィアの表情は、ここまで絶えず笑顔のままだった。
気圧されていなかった。それどころか闘志すら感じた。
こんなにも心強い仲間がいてくれる。僕はなんて幸せ者なんだ。
この戦いに勝利した暁に、皆でポフィンパーティーで祝おう。ジュースで杯(さかずき)を交わそうではないか。
「トウガ、待て。お前は行くな」
 オニゴーリが荒れた戦場へ赴こうとした途端、グレイシアに制された。
素直に身を引くオニゴーリだが、その大きな顔には驚きしか含まれてなかった。
オニゴーリだけではない。この場にいる全員も同じ心境だった。
部下の三体で勝負すると提案したのだから、てっきりオニゴーリも参戦するのだと思っていた。
他を出してこちらの戦略を狂わそうとしているのか?
相変わらず冷たく刺々しい声と口調でグレイシアは話し始める。
「二戦通してお前達の実力と気合を見せてもらった。
アタシはこの地で幾多の人間やポケモンと戦いを交えたが、今回ばかりは初体験だ。
二匹のパフォーマンスに引けを取らず、未だ連戦に意欲的である!
残りのポケモン同士では圧倒的に我々が有利。それなのにまだ挑み続ける気力すらある!
自負ではあるが、我々と一戦交わしただけでも恐怖に(おのの)くのが普通であり、平均だ。
それなのに、くくく……。本当に末恐ろしい奴らだ。
今、アタシの中でかつてないほどに興奮している! お前達と戦いたい!!
当初アタシは部下を戦わせると宣言した。
しかしせっかく残した一匹枠。ここで急遽アタシが場に召喚する!
トウガ。お前の出番がなくなってしまうが良いか?」
「お嬢様のお望みを拒む理由が、一体どこにあるのでしょうか。私めでよろしければ、どうぞお代わり下さいませ」
「すまないな、じゃアレを」
 承知、と言うばかりにオニゴーリはお辞儀し、グラエナ兄弟に耳打ちする。
すると、どこからともなく小さな木箱のような物を、グラエナが咥えて持ってきた。
それをオニゴーリは鼻先で器用に開け、その中からまた何かを咥えて取り出した。
紐状のような物が確認出来るが、何かを下げていた。
鉱石か? 一瞬光ったように見えたが。
今度はそれをオニゴーリはグレイシアの頭から首まで通した。
「ご武運をお祈り申し上げます。いってらっしゃいませ」
「ありがとう。お前の分まで頑張るよ」
 グレイシアは再びこちらに向き直し、胸元に落とした宝石を翻した。その輝きは、快晴時の雪よりも眩しかった。
その直後、二つの光が頭の中できらめいていた。それぞれ異なる色の光がイメージされた。
そこにグレイシアが下げているものの光も現れた。
三つの光は、まるで呼吸を合わせるかのように、交互に点滅を繰り返す。
一つは灰色。もう一つは桃色。そして最後は……。
「喜べ。お前達のここまでの活躍ぶりを評し、このアタシ自ら相手にしてやる。
この勝負の結果次第で、あのルカリオの運命が決まる。同時に我々の運命も賭けている。
もはやこれは戦いではなく、儀式に等しい。
神聖で、しかし無慈悲な時間をアタシ達は共に過ごす。そんな覚悟で持ってお前達に挑むつもりだ」
 今やグレイシアの瞳は、首飾りに埋め込まれた深海の如く蒼い宝石と同等に輝いていた。今の彼女の顔からは、いつもの余裕の笑みが消え失せた。
 また。まただよ。またあの同じ形のペンダント。
イーブイとリーフィアが身に付けているものと同種だ。
ついに偶然の産物として見るという現実逃避もここまでなのか。
「ヒューッ! 姐御カッケーッ!! 風格あるぅ!
いつの間にか、自然に、何の疑いもなく手柄を自分の物にするなんて。
さりげないのにやることが大物だぁ!
すげぇよ。さすが、フブキの姐御だよ!」
「……フブキ?」
 突然のグレイシアの参戦に、群はこれ以上ないくらいに驚嘆し、熱狂している。
その中、また誰よりも騒いでいるグラエナの弟……じゃなくて、兄が僕にとって初めて聞く言葉を自慢げに叫んだ。
「フブキとゆーのは、姐御が自らつけなさった誇り高い名前っす。
遠い地で修行を積み、立派になられた姐御がここに戻られた時、以前とは違う生まれ変わりの意味を込めてつけなさったんだ。
後に、自然の脅威の一つとしてオラ達を苦しめるブリザードを攻略、武器化した。
そのことからブリザードの使い手という二つ名からとった名、それがフブキ!
姐御にとっても似合う名前だと、オラは一番に思ってますぜ。なー、アネ……ゴ?」
 ようやくグレイシアの険悪の表情に気付いた。
研がれた刃物のような鋭さを帯びた眼差しをグラエナに向けていた。
オス勝りの恐ろしい“にらみつける”だ。何かの数値が減りそう。
「ジンライ……。貴様は今何をしでかしたか分かるか?
過剰に、不要に、みだりに、能無しみたく、敵に情報を与えたのだ。おまけに覚えられてしまったじゃないか!
アタシを敬う、お前のその気持ちは分かった。なのになぜ、アタシの切実な想いを察してくれなかった?
本当に尊ぶ気持ちがあるのなら、決してアタシの名を口外しない約束を覚えていたろう。
その情報はお前を含む一部の部下にしか知られていないと、あらかじめ教えたはずだ。
分かるか? それほど秘密裏にしなければならないほど最重要項だとなぜ認識してくれなかった。
お前には然るべき対処が必要と判断した。この戦闘後にお前の将来について考える。それまでそこで待機していろ。いいな」
 言葉尻に圧力を感じる。落ち着いた口調であるが、明らかに怒ってる。
あのグラエナがどのような罪を犯したか、グレイシアの立腹がそれを物語っていた。
怒りの矛先を向けられたグラエナは目に涙をためて、今にも泣き出しそうな、顔面が崩れそうな表情を浮かべた。
その姿は、はしゃぎすぎてプールに飛び込み、監視員や親にこっぴどく叱られた幼児の図そのまま。
「す、す……すみません、姐御。お、オラは、姐御が頑張れるように、士気を上げようと思って……。
確かに、オラがどんなに愚かなことをしてしまったか自覚してます。
姐御の面汚しだってことも理解してます。オラが全部悪いんです。
だけど、ただ善意でやったつもりだったんです。信じて下さい!
どうか、どうかご勘弁を。ゆ、許してくだせぇ……」
「もういい! 気が散る! 喋るなっ!!」
 また一段と眼光を鋭く尖らせ、三度言葉で圧した。向けられていなくても震え上がりそうだった。
グラエナが指示通りに黙ると、また何とも言えない雰囲気が漂う。
そして何を思ったのか、今度はグレイシアが誇らしげにこう述べた。
「……そうだ。アタシがこの地域一帯を統率している集団の、いわば首領。
自己紹介もまだだったな。いかにも、ブリザードヘッドの異名からとったフブキというのはアタシのことよ。
自分だけ名乗らずにいたのは失礼した。詫びに先手をお譲り致しましょう。
ただし負ける気は、全然だがな」
 さっき注意したばかりなのに、親分が子分に便乗して名乗ってしまった。
じゃあ、あんなに怒る必要なかったんじゃないか? 誤魔化しようもなかったから、いっそのこと、と開き直ったのか。
何はともあれ、まず先に終わらすべきことに集中しよう。
「“マジカルリーフ”だ」
 リーフィアが挨拶代りの先制を仕掛けにいった。肢体から生えた緑葉から、妖艶な光を放った葉っぱを幾枚も飛ばした。
落ち葉みたく優雅に舞うことなく、真っ先にグレイシアに向かった。それらを“こおりのつぶて”や体を使って相殺したり回避したりした。
序盤はどちらも探り合いの展開になった。だが、技を使って守備する策には舌を巻いた。
普通の回避といったら、体を右へ左へと動かす行動が一般だ。あれはいわば技を跳ね返すもの。
技術や力はもちろん、センスも兼ね備えていなければなしえない。僕が育てたポケモン達ですらできないかもしれない。
 かなり戦闘経験に長けている。野生を通り越したようだ。実力だけならジムリーダーとためを張れるくらいだ。
そんなグレイシアなら、この相打ちの攻防の真意を解き明かすだろう。
「おや、これはどうなったことか。お前の足元、見る間に緑の絨毯が敷かれているではないか。
さっきまで雪がかぶっていたのに、こんなにも草木が生い茂っている!
ほら、また。お前が踏みしめると、その箇所から新たに宿したかのように生えてくる。
まるで生命を与える女神のようだ! 素晴らしい。もはや神話だな、これは」
 攻守がめまぐるしく入れ替わり、息をつかせないほど激しい戦いが繰り広げられている。
読み合いの連続にお互い緊張している。それなのに冷静に現状分析をするグレイシア。
随分な余裕だな。厳しい野生の世界にもまれるだけあるのかもしれない。
 グレイシアの指摘通り、リーフィアが立っている場所から草が生えている。いや、生やしたという言い方もある。
「さしずめ“くさむすび”で足場を形成し雪原の上での戦いを避け、なるべく動かず体力を温存する戦法……か。
それもそうか、ただでさえここは草タイプには荷が重いだろうし。まあ悪くないだろう」
 今から僕が説明しようとする前に、なんとグレイシアが先にこちらの作戦を解明してしまった!
嘘だろっ!? こんなに早く種を明かされるなんて夢にも思わなかった。
なんて恐ろしい、エスパータイプも兼ね備えているのか?!
 グレイシアの言った通り、リーフィアの足元とその周辺に“くさむすび”を撒き散らし、彼女のセーフティーゾーンを確保するための作戦だ。
今日はあられは降ってないものの、多量に積もった雪がリーフィアを苦しめる。ただでさえタイプ相性が不利なのに、これでは分が悪すぎる。
本来は攻撃わざなのだが、これで攻撃するつもりはない。雪の上より葉っぱの上ならまだ寒くないし、彼女も安心するだろう。
さらに言えば、その周辺は前戦でイーブイが“すなかけ”をした場所でもある。
いわば土を掘り起こし、地面が剥き出しになったところから草木が芽生えたというわけだ。
範囲としては小さいが、冬の極寒を断つ土壌や植物の自然の暖かさが、足元から伝って守ってくれる。
 イーブイに“すなかけ”を指示したのにはこの理由があったからなのだが、本当は二連勝してソウルを持ち帰る予定だった。
ただ、二戦目の組み合わせが確定した時、残っているポケモンはリーフィアとオニゴーリのみだった。
勝負する前から不利になることは知っていた。勝つつもりでイーブイを送り出したが、保険としてあのような指示を出しただけだ。
決して一戦目で勝利したという慢心でもないし、イーブイの勝算を疑ったわけでもない。
慎重に、確実に、仲間を取り戻すための作戦を練り遂行しているだけだ。
「だが標的が動いてくれないと実に退屈だ。まあいいさ、倒す方法なんて他にいくらでもある。
それでアタシの攻撃をしのげると思ったら大間違いだっ。せいぜいその場に居座り続けるんだな!」
 吠えた瞬間にグレイシアの背後から冷たい突風が吹き荒れてきた。“こごえるかぜ”だ。
動ける領域が狭い分、当然相手の攻撃から回避するすべがない。直撃も免れない。
もう冷たくて冷たくて、もはや痛みしか感じない。
「もう一度“マジカルリーフ”!」
 単純な防御わざを持ち合わせていない今、反撃するするしか手立てはない。
幾枚かは氷がまとわり凍りつき落ちてゆく。しかし残りの葉はそれをかいくぐりグレイシアにヒットした。
「やったな!」と睨みつき、今度は“れいとうビーム”を発射。
これも命中。ただし、こうかはばつぐん。大打撃。
さすがに数発受けきれそうにもない。
やむをえん。こうなったら切り札を出してやる。
僕は天に向かって人差し指を突き立て、何かが解放されたかのように叫んだ。
「“にほんばれ”ぇぇ!!」
 照明の出力が増大したように、日光が眩しく照りつける。空気や大地がさらに明るく、淡く、白くなる。
空もより青々と澄み、遮るものは何一つない。この時を待っていた。放つなら今!
「“ソーラービーム”!!」
 頭から生える大きな一枚の葉っぱから、目一杯に蓄えた陽光を、一閃の光線に変え、発射。
通常2ターン消費しなければならないこの技は、ひでりなどの快晴時に限り、貯めることなくすぐ出せるようになる。
“たいあたり”の感覚で高威力をぶつけるようで、繰り出す方もそうだか指示する方もかなり爽快だ。
 しかしこれは特殊技。物理系統を得意とするリーフィア族としては、決して相性が良いとは言えない。
ましてや、くさタイプの技はこおりタイプに対して「こうかはいまひとつ」。せっかくの威力が半減される。
おまけに特防も高い。特殊攻撃には打たれ強いはず。
もはやこれは攻撃したと言えるのか? そんな不安がよぎるのは必然だろう。
 だが、打った技の威力だけで全てが決まる訳ではない。
絶対に決めてみせるんだという、強い気持ちも大事だってことも学んだ。
向かい風が吹かない時なんてないように、いつだって逆境はやってくる。それに対する確かな自信と意思がなければ立ち向かえない。
だから、いつも自分自身を、そしてポケモン達を信じて精進してきた。
「はああああああああああああ!!」
 大丈夫だ。少なくともリーフィアは、僕の気持ちを共有してくれている。
内なる秘めたもの全てを吹き飛ばすよう。全身全霊の絶叫と共に“ソーラービーム”はグレイシアめがけて疾走する。
瞬間に雪や地面が剥がれるほどに地を這っていた。どんなものも貫かんばかりの勢いだ。

 ドォォォッ。

 ビームがグレイシアに接触したと同時に、爆発したように轟音と光が弾けた。きっとかなりのダメージを与えられた。そう信じるしかない。
でも、辺りがしんと閑静さを帯び、舞い散った雪や草土がみたび降り落ちた時、明確にグレイシアの姿が目に移った。
擦れた傷跡がいくつか認識できたが、ちゃんと四足の脚で立ち、存在を示すかのように胸を張っている勇姿があった。しかも笑顔だ。
別に驚きはない。散々タイプや威力の計算を見積もったから、むしろ予想通りだった。
けど、あんな、「何かしましたか?」と言いたげな、余裕たっぷりな笑みを浮かべるほど耐えられるとは思わなかった。
いくら相性が何もかも悪いとはいえ、ほぼダメージがないように振る舞われちゃ、とてもじゃないけど心が折れる!
「こんなものでアタシを倒そうと思ったのか? かなりおめでたいなぁ。
もし瀕死に至らしめるつもりなら、アタシが模範を示そうじゃないか。
技を決めること、すなわち相手を圧倒することとはこういうことよ!!」
 たけり狂う猛吹雪のごとく吠えるグレイシア。そしてそれに呼応するように胸元のペンダントが蒼く光りだす。
もちろん、これから何が起こるわかったもんじゃない。反射的に身構える。警戒するに越したことはないからね。
 その時だった、目の前を何かが横切ったのは。上から、物が落ちてきたように。
頭上を見上げても青い空しかない。流れる雲ひとつもない、ただの空白。そこから何かが落とされることなんてないはずだった。
そう思った矢先に、また勢いよく駆けて、それは目の前を横切った。だが、ひとつだけではないようだ。大小様々な物体が縦横無尽に、舞い散るように動く。
ううん、訂正。本当に舞い散ってる。これは雪、氷の結晶だ! こんな快晴だっていうのに、どこから湧いてきたのか、次々と結晶が増えて飛び交っている。
なんだ、なんだよ。今度は何がくるんだよ。
「いでよ、〝せっからんぶ〟の舞!」
 なんかグレイシアがわけわからんこと言ってる。と思った瞬間に、いきなり突風が吹き荒れる。
突如現れた風は周りの結晶を巻き込んで、どんどん規模を肥大化していく。
それは小さな竜巻と言ってもいいぐらいのものだが、どんどん風が強まり荒々しくなる。
そして慈悲も容赦もない朔風はリーフィアに接近し、無情にも結晶とともに飛ばしてしまう。
「うわあああああああああ!!」
 早い! もうあんな上空へ飛ばされた。竜巻と例えたけど、もはや台風のような勢力だ。一瞬で旋風が生まれ、一気に雪をまとい、一挙に力をリーフィアにぶつけた。
まだまだトレーナー歴は浅いが、こんな技は見たことがない! カケラ技の可能性があるが、あの四色のカケラを身につけているようには見えない。
そんなことより! リーフィアがかなりの致命傷を負ってしまった。
もう風前の灯火、絶体絶命の窮地だ。次の攻撃で決めるしか勝てない。ソウルを助けられない。そんなの、いやだ。出し惜しみするもんか。全てを賭けてこの勝負に勝つ。
「カケラ技、発動! 天照らす太陽の化身よ。
内に秘めたる大いなる力。いざ爆風と共に放て。
熱風渦巻く情熱の矢。その名は、〝スピキュール〟!」
 リーフィア自身とその周辺から発火、そして各々が鋭い針のように細長く形成され、グレイシアに向かって飛ぶ。
この技ならタイプ相性は逆転。いくら冷たく凍った氷でも、燃え盛る炎の攻撃には耐えられないはず。
「ほほう、面白い。この時のために温存した切り札というわけか。
いいだろう、受けて立とうではないか。アタシもそれに応えて全力でぶつかっていこう。
だが最後に勝つのはこのアタシだ! 〝せっからんぶ〟の舞、昇華!」
 グレイシアもあの大技を繰り出してきた。またあの雪混じりの冷風が吹く。
二つの技は放たれた瞬間に衝突したように見えた。お互い猛スピードで真っ向に受けるから当たり前だろうが。
接触したと同時に、急激な温度差によってか、瞬時に蒸発して大量の水蒸気が発生した。コンマ何秒後かに鈍い激突音が聞こえた。
辺り一帯は霧のように視界が遮られた。僕はおろか、「ブラン」の部下達も全員、バトルの行方を見失った。勝敗が決したかどうかもわからない。
だがそんな不安も瞬間に消え失せた。所詮は水蒸気。しばらくして周りの空気に溶けてなくなった。
臨時に設けたバトルフィールドの中央に、水色と緑色のふたつが立っている様子が確認できた。
しかし、リーフィアは立っているのがやっとで、四本の脚はいつ倒れてもおかしくないくらいに震えている。
対してグレイシアは肩で呼吸するように息を荒げている。が、リーフィアほどの症状ではない。突進している分体力を削ってしまったかもしれない。
技の威力としては互角か? だけどまだ誰も倒れていない。もう一回打つしかないのか? けど相手もまた同じ技をしかけてきたらどうしよう。
このままぶつかり合いの試合展開になったら自滅してしまう。やばい、何一つ逆転できない。勝目が、ない?
とんでもない絶望を目の当たりにし、僕の思考回路は止まりかける。そんな状態の僕に一体何ができるのかすらも考えられない。
ただ、自分の瞳に映る情景を眺めるしか術がなかった。そうだな。あ、いま空から……、

雪が降り始めている。

うん? 雪? いまグレイシアはさっきの技を出したのか?
彼女に目を向けてもその様子は微塵もしていない。現に彼女も驚いている。つまり意図して降らせていないということだ。
太陽も空も出ている快晴ぶりだ。厚い灰色の雲は一つもない。なのに、何でだ?
その答えは、まもなくしてやってくる。
「『ブラン』の野郎どもはどこべさあ!!」
 僕の背後から突如、積雪を豪快に踏み鳴らす音やしゃがれ声が飛んできた。簡単に振り向けば、数体以上のユキノオーがここに押しかけてきた。
すると、これはユキノオーの特性、「ゆきふらし」の影響だったのか。
もちろんこれは突然の出来事。予想外な展開だよ。そのおかげで再び部下達は混乱する。
やめてもらいたよね、こういう迷惑は。……って僕も似たようなことしたもんね。人のこと言えねえか。
「なんだお前らは。取り込み中なのが分からないのか? 商談の最中に失礼の一言もなしに入ってくるのか。
そんな約束事は聞いたことがないぞ。今は大事なところなんだ、後にしてくれ」
 グレイシアさん、商談って言葉どこで覚えたんですか。人間と関わっていなければ、そんな言葉知らないはずだけどなぁ。
それにしてもすごいポケモンだ。慌てず、落ち着いて適切に対処するところはさすが群の統率者。
するとたまらず、リーダー格のユキノオーがグレイシアに食ってかかる。この土地の方言のような、僕には聞き取りにくい訛りが続いた。
「ほんなら、こっちも取り急ぎの要件があんさ。女王様、あんたに聞きたいことがある。なして人間と手を組むっちゅう、はんかくさい真似ばした?
単刀直入で申し訳ないが、俺は真実が聞きとーてここへ来たんさ。もちろん生半可な噂話で動く俺でない。んども、こんだけはいてもたってもいられんかった。
なあ。なして、なして人間側さ寝返った? 俺らに不満があるんかい?」
「……すまんが話が見えないな。お前の言っている意味がわからない。
アタシが人間と手を組む? 寝返った? それは面白い冗談だな。誰だそんなデマを流したのは」
 ユキノオーはしきりにグレイシアに訴えかけた。しかしグレイシアは真剣に話を聞く態度をとらない。
僕も初めてそんなことを聞いたが無理もないだろう。今の今までグレイシアは人間との交流を避けていると聞いたからだ。
そんな彼女が人間に対しての友好的なアクションをとったとは考えにくい。今も僕は良い目で見られてないからな。
 グレイシアに反論するかのように、ユキノオーは証拠として僕を指さした。やっぱり僕か。一人しかいないからね。
「そんところにおる人間が何よりの証拠さ。昨日そいつと『ブラン』が接触したと聞いたさ。
ほんで今朝仲間から、接触した人間が『ブラン』の基地に向かったとも聞いたべ。
……これは条約違反でないかい? なんぼべさ? いったなんぼ(あた)ったんさ?」
「だから何の話をしている。言いたいことがあるならはっきり言え」
 話が噛み合わず、ユキノオーはいらない焦りをあらわにする。てゆーか、ちょっと待て。じ、条約ってなんぞ。
野生でありながら、そんなルールを設けたというのか。発起人はグレイシアか!? ますます恐ろしいわ。
「ようするに、あんたらは人間と密会したと違うか。俺らに知られないよう秘密裏に。
俺らは見ての通り弱小グループであんが、自分らに誇りを持って生きてんよ。んども、こうも小さいと、ろくにきのみも領地も取らさんない。
そこにあんたらがやってきて、俺らの悩みさ取り計らってくれたべ。自分らの居場所ば好きに確保してええかわりに、食料確保や領土拡大のための勧誘の手伝いをすると。
そして俺らの生活源といえる食料は、『ブラン』から定期に支給されると。その条約を了承し、あんたらのあかげで、自分らの好きなように生きていけたべさ。
ども、今日知っとうたさ。今まで自分らは騙されたと。
俺らより世界を知り、各地方に旅する人間と接すれば。より広くより良い場所を教えて貰い、ここにねえ珍しいきのみだとかが得られんかもしんねえ人間と知り合えば!
あんたは人間には金輪際関わらないっちゅう話をしたろう。なのに、なんやこんがさいありさまは。
俺らばぷっとばして他の土地さ逃げる魂胆だろ!? 横領さ、裏切り行為さ、とんでもない暴挙べさ!! タクランケ連中さ!!」
 なるほど、なんとなくユキノオーの言い分は理解できた。
生きてゆくには厳しい極寒の環境下において、「ブラン」が自分達の生命線というわけ。
まるで会社と社員の関係のように、「ブラン」の要求をこなし、報酬を得て生計を立てていると。
するとそこへ僕という破壊者がやってきて、秩序を乱し追い出される、いわゆる解雇されると思っている。
だが僕はそんな交渉をした覚えも考えもないし、ただ仲間を救いに来ただけだ。彼らは勘違いしている。
たった一人の人間と会話しただけでこの疑いよう。よほど普段から無視しているみたいだな。
「もちろん根も葉もねえ噂だけじゃないべ。そこの人間以外の、決定的な証拠も持っているさ」
 そう言っておもむろに何かを取り出した。ただの赤い布切れが見えた。
だが、それはただの布ではないことが、誰よりも早く、僕だからこそ分かったのだ。
あれは、紛失したとばかりと思った、生地の薄いマフラーだ。
赤い、マフラー。あかい、マフラー……。まふらー……。
「これは明らかに人工物さ。昨日の雪崩でこんなもんが流れ出た。『ブラン』がいる山上から流れたもんで、もしこれがあの人間の物だったら……。
っ!? お、おい! やめろ、ちょすなちょすなっ! なあ、おい……!」


 最悪だ。最低最悪な、想定外な出来事が起きてしまった。
大柄なユキノオーがハクトのマフラーを出した瞬間に、ハクトがユキノオーに掴みかかってきた。
ユキノオーが振り落とそうと慌て、仲間のユキノオーも混乱する。
そして巨大な体たちが揺れる度に、『ブラン』もまた混乱の渦に巻き込まれる。
今は何もかもが入り乱れている、非常に危険な状態にある。悲鳴や暴走でとても収集がつかん。
 ハクトの奴め。いくら命のような存在と貴重に扱ってきた物だからって、後先考えず飛び込みやがって。
それよりも。今はなんとか振り落とされまいと踏ん張っているが、もしのことがあったらひとたまりもない!
何でこうなったんだ。どうしてこんなことになった。近づくことさえできない。俺の技構成ではどうにも、できない。
 クソッ。悔しくて歯痒くて、つい地面に俯いたその時。雪の上に何かが落ちていることに気づいた。
円盤状の物が三個、いや三枚落ちている。さらに、一枚として同じ色をしていなかった。
これは知ってる、「わざマシン」のディスクだ。一度使えば中身がなくなる、使い切りのものだ。
あの暴走でハクトのリュックからこぼれ落ちたものらしい。
 もしかしたら、この中に何か使えそうなものがあるかもしれない。
この緊急事態を打開する、最も有効ともいえる技は、どれなんだ!?



本編に表現を豊かにする試みとして「北海道弁」を取り入れました。
北海道出身の友人がいなかったので、かるく調べた程度で入れてみました。
これを読んだ現地の方からしたら気分を害するかもしれませんが、何卒温かい目で見守って下さい。
参考資料 その1 その2


コメントがあればどうぞ。

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • グレイシアかっけー
    ―― 2011-03-30 (水) 16:22:39
  • すごいです!とても分かりやすくてまるで自分がその場にいるかのような気分になりました。
    おもしろかったです!執筆、頑張ってください。応援してます!
    ――196 ? 2013-08-06 (火) 17:59:34
  • >196さん
    もったいないお言葉です。
    まさかそのように言われるとは思ってもみなかったので、すごく嬉しく思っています。
    こちらこそ、この超のろま更新の作品にコメントして頂き、ありがとうございます!
    大変励みになります!
    少しでもご期待に添えられるよう頑張ります。
    ――緋ノ丸 2013-08-09 (金) 01:00:41
  • グレイシア絶対Sっ気あるな~
    俺には分かるぞ~フリーザー
    ………すみませんシャシャりました
    続きを楽しみにしています他の作品も読んでみたいのでできれば書いて下さい!応援してます♪♪♪
    ――M4A1 ? 2013-10-22 (火) 21:44:35
  • >M4A1さん
    そーですね、自分もグレイシアはツンデレな性格をイメージしがちでして。
    作中のこのフ……、おっと危ない。このグレイシアも、少なからず、いや、大いに「上から目線」です!!(笑)
    応援ありがとうございます! 楽しんで頂けてうれしいです!
    他の作品、ですか……。確かに作ってみたいなと思ってはいるけど。
    やってみたいですね、いろいろ検討していきます。
    ――緋ノ丸 2013-10-24 (木) 08:49:36
  • 更新キタ━(゚∀゚)━!
    今回も楽しませていただきました。
    今回も読みやすく光景が想像しやすかったです!
    続きも楽しみに待ってます、執筆頑張って下さい!
    応援してます。
    ――196 ? 2014-05-14 (水) 22:19:00
  • >196さん
    いつもご愛読ありがとうございます!
    目まぐるしい戦闘シーンは簡潔に、短く、分かりやすいように書きました~。
    ……と言いたいところ、実際は現状を伝えるでけでも苦戦です。
    バトルの表現って、ムズカシー。うん。
    でもでも! そこは皆様の豊かな想像力で補って下さいwww
    応援ありがとうございます!
    ――緋ノ丸 2014-05-15 (木) 18:08:44
  • おひさしぶりです。緋ノ丸さん。最近、wikiの活気がなくなっているような気がしてならない196です。
    更新お疲れ様でした。
    今回も想像しやすかったです。
    いやぁ、やっぱりブイズはいいです。あのかわいさの為だけにブイズだけでレートに潜りこんでいられます。ただやっぱり上手く勝てないですね(苦笑
    フブキちゃんも可愛かったです。
    次回の更新も楽しみに待ってます。執筆頑張ってください!
    ――196 ? 2015-03-28 (土) 04:43:00
  • >196さん
    毎度お待たせしてすみません。活気がないのか、他の作家の皆さんがお忙しいのか。
    か、可愛い……だと!? あやつが可愛いとな! 確かにブイズは男女問わず、人気で魅力ある子達であるが。
    憎たらしく描いたつもりが、まさか好印象を持たれるとは思いもしませんでしたww
    そんな自分は対戦はあまりせず、好きなポケモンを手持ちに入れて旅に出る自己満プレイで終始したり(ヘタレ
    応援ありがとうございます!! 本当に励みになります。
    ――緋ノ丸 2015-03-28 (土) 09:01:04
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Last-modified: 2015-03-27 (金) 03:46:29
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