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亀の万年堂
レポートNo.2「ある日森の中で出会ったのは?」←前回のお話
更新履歴
2月6日
・ルビ振り
・一部表現の修正
3月23日
・ルビ振りと注釈の追加
・一部の文章を整理
日が大分落ちて、青かった空が茜色に染まり、森の中の空気が少し冷たくなってきている中、一人の人間の女の子が、両手で一つの球状の物体を包み込むようにして持っていました。それは上半分が赤く、下半分が白く塗装されていて、彼女の片手では少し持て余すくらいの大きさをしていました。が、しかし、彼女の様子を見る限りでは、両手で持ってはいるものの、特にそれは重たいというわけではなく、あくまで片手では持つのが少し危ないから、――もしくは、落としてそれが破損してはいけないから、大切そうに両手で持っているようでした。
また、その女の子のすぐ隣では、ポケモンのゼニガメが難しい顔で立っており、彼女の手の中にあるボールを指差しながら、何か彼女に話しかけているようでした。女の子はそれを聞いて、ゼニガメの顔を一瞬見て頷いた後、自分の手の中にあるボールに目を落としましたが、何故かその表情はどこか困ったような、悲しそうで苦々しいものでした。少なくとも、何かに期待しているようにはとても見えませんでした。
何故人間の女の子はボールを見ながら複雑そうな顔をしているのか? ゼニガメは一体何を彼女に言っているのか?
それらを説明するには、二人が一体何者で、ここで何をしているのかについて話さなければなりません。
まず、人間の女の子の方は、名をキョウカと言います。彼女は大変に整った顔立ちと細くしなやかな体を有しており、傍から見ればおしとやかな印象を受けることは間違いありませんでした。が、一方で、突如世界を旅してみたいという衝動に駆られたその翌日には、――さらに言えば、それは今日の昼間のことだったりするのですが――あっさりと生まれ育った街を飛び出してしまうほどの
それは一見すると、無謀かつ危険極まりないような行為に見えます。そして、この世界の基準で言うならば、12歳である彼女は、確かにまだ子どもです。しかしながら、”ポケモントレーナー”として旅をするという意味では、それは決して若すぎるということはなく、至って普通のことでした。ですが、それはあくまで一般的な家での話であり、世界有数の資産家の一人娘である彼女においてもそれが良いことか? と問われれば、それは素直にそうとは言えませんでした。
そのために、――とだけとは
そしてまた、大変に優秀なリードにとっては不機嫌、もとい、不幸極まりないことに、致命的なまでにポケモンのことに疎いキョウカには、リードの実力、及び功績というのが、およそどれ程のものなのかが全く分からないのでした。よって、一介のポケモントレーナーやブリーダーのみならず、専門家ならば、喉から手が出るほど貴重な存在であるリードの能力も、彼女にはせいぜい「かまどの作り方」や「
と、そういうわけで、キョウカとリードはそれぞれ違う目的をもってプラムタウンを出発し、最初の目的地であるミシロタウンへの道中にあるこの森へと来ているのでした。そして、昼下がりに草むらの上でお茶を飲んで休憩している時に、とある一匹のポチエナと出会い、その後スピアーと戦ったり、ポチエナの巣穴を探索したりといった
とはいっても、キョウカは元よりポケモントレーナーになるつもりは全くなく、連れ添っているゼニガメのリードについても、やはりあくまで保護者的な位置づけで、――キョウカ本人はそのことを否定していますが、旅をするにあたっては、ポケモンのことなど一切考えるつもりはないと表明していました。にもかかわらず、どうしてポチエナをゲットすることになったのかというと、
「――今更どうこう言うつもりはないけど、キョウカはトレーナーになるつもりはないんだろ? っていうかハッキリとそう言っていたのにさ。思いっきり初日から嘘つくことになっているよね」
「そ、それは確かにそう言ったけど! でも、放っておけないじゃない。あんな暗い穴の中で、ずっと一人ぼっちにしておくなんてできないでしょう? それに、またあの・・・」
「スピアーね、スピアー。――まぁ、済んじゃったことだし、これ以上はどうこう言うつもりはないけどさ。とりあえずボールの中から出してあげたら?」
リードがどうこう言うつもりはないと言っておきながら、しっかりとどうこう言っているように、キョウカは前の主人に捨てられてしまったであろうポチエナのことを見かねて、スピアーに襲われているところを保護したのでした。そして、可能ならば前の主人との面会を果たせるようにということで、リードの前で、今から僅か数時間前に立てた自らの宣言を打ち破ってポチエナのことをゲットしたのでした。リード曰く、通常のモンスターボールを用いては他のトレーナーのポケモンはゲットできない、――つまり、このポチエナには一応トレーナーがいるということになっているために、ゲットすることはできないはずのですが、このポチエナのモンスターボールは破損していたために、一時保護という形でキョウカでもボールに入れることができたようです。もっとも、ポチエナ自身は実質キョウカについていきたいと示しているも同然でしたし、キョウカ自身もポチエナについてきてもらいたいと示しているので、一時保護というよりかは普通にゲットしたようなものですが。
よって、今のキョウカの手の中にある球状の物体、――モンスターボールの中にはポチエナが入っているわけです。そして今、キョウカはリードに促されて、早速ボールの中からポチエナのことを出そうとしているのですが、
「・・・ねぇリード、これってどうやって出したらいいの? 開け方がわからないんだけど」
キョウカの発言に、どんな事態にも対応できるだけの知識と力があるリードが声を出すこともできずに、口をあんぐりと開けて凍りつきました。しかし、極めて優秀らしいリードはすぐに再起動を果たし、先ほどまではボールに向けていた指を今度はキョウカにつきつけて問い詰め始めました。
「ちょっと待ってよ。博士がおいらを出すとこ見てなかったの? っていうかさ、もしおいらがボールに入っていたらどうしていたのさ!?」
「えーっと・・・もしかしたら、オダマキ博士のところまでそのままだったかもしれないわね。あははは」
キョウカは声を出して笑ってみせていましたが、それに対してリードは左手を腰に当て、右手で額を押さえるようにして俯き、それはそれは深いため息をひとつついてみせました。キョウカからは身長差の関係があるためにリードの表情を窺うことはできませんでしたが、それはやはりこれまでのものと何ら変わりないものでした。
「・・・旅が始まって数時間経つか経たないかでこういうのはどうかと思うけどさ、何だかもう何を言っても無駄な気がしてきたよ。――まったく、本当に肝心なところが抜けているんだよね。大体、ボールの存在を知っておきながら、その使い方を知らないっていうのはどうなんだろうね? 普通ならそのくらいわかっていてもいいだろうに。――あー、おいらは何でこんな所にいるのかなぁ? 本当だったら今頃は」
「ねぇリード、さっきみたいに教えてくれない? ボールの開け方」
キョウカから顔を背け、当の本人に届いているのかどうかわからないほどの小声でぼやいていたリードでしたが、彼女が自分の方へと屈んできて、開放されるのを心待ちにしているであろうモンスターボールを差し出し、示しているのを見ると、どうにも色々とこらえきれなくなってしまうようでした。
「はいはい、誰にでもわかりやすいように説明してさしあげますよ。――っていっても、普通のポケモンは、普段はボールの中に入っているから、さっきキョウカが言っていたことは間違っているとも言い切れないんだけどね」
「え? そうなの? なんだかボールの中ってすんごい窮屈そうだけど、ずっと入っていたりなんかして大丈夫なの?」
リードの嫌みなど意にも介さずにキョウカが言うように、今彼女の手の中にあるモンスターボールはポチエナに対して、――というよりも、この世界におけるほとんどのポケモンの体の大きさと比べてかなり小さいですし、仕組みをしらない者からすれば、彼女のように思ってしまってもおかしくはありませんでした。もっとも、彼女の立場からすれば、それと同じくらいにそのことを知っていて当然だったのですが、この場にそれを指摘する者は誰もいませんでした。
「そりゃ大丈夫に決まっているよ。何も知らないキョウカからすれば、ボールの中はすごい窮屈そうに思えるかもしれないけど、実際はポケモンにとってこの中は自分だけの快適な場所なのさ。詳しい仕組みは、――これは説明してもわからないだろうからしないけど、要するに、キョウカだって自分の部屋にいると落ち着くだろ? それと似たようなもんだよ」
「なるほど。――けど、そうなってくると、この中がどんな風になっているか気になるわね。私は入れないのかしら? さっきしたみたいに、どこかにぶつければ入れるのかな? でも、これ硬そうだから、ぶつけたらすごく痛そうだし・・・」
専門家からみれば、的を射ていながらも随分と乱暴なリードの説明を聞き、キョウカはひどく感心した様子で、手に持っているボールをしげしげと見つめながら、専門家が聞けば、お茶を吹き出した上に椅子から転げ落ちそうなことを口にしていました。しかし、専門家であるリードには噴き出すお茶も転げ落ちるのに必要な椅子も無かったので、ただその場で凍りつくことしかできませんでした。ここまで来てしまうと、流石に天才らしいリードであっても、再起動には相当な時間を必要とするようでした。
「ふぅ、――ここまで見事な”ぜったいれいど”はどんなポケモンでも出せないだろうね・・・」
「”ぜったいれいど”? なにそれ?」
「聞いたらやられるってやつさ。――で、モンスターボールの使い方だけど、まずはポケモンが入ったボールを手に取って、――ってなるべく片手でね。重たくはないからできるだろ? ちなみに、ちょっと落としたくらいじゃボールは壊れないから大丈夫だよ」
リードから指示を受け、キョウカは両手で持っていたボールを右手に移しました。やはりボールの大きさは、キョウカの手のそれよりも幾分か大きめなようでしたが、それでも何とか片手で持つことはできているようでした。
「これでどうするの?」
「そしたら今度はそれを投げるんだ。まぁ具体的に言うなら、ポチエナみたいに空を飛ばないポケモンだったら地面に投げる。空を飛ぶポケモン、例えばこの前のスピアーみたいなのだったら空中に投げるんだ。だからこの場合はそのへんの地面に適当に投げればいいってわけ」
「えーっと、地面に投げればいいのね? ――でも、本当に大丈夫なの? 壊れちゃったりしない? 中であの子が怪我しちゃったりとかは?」
「大丈夫だって。さっき言っただろ? モンスターボールっていうのは相当に丈夫に作られているんだよ。それこそ、キョウカが思いっきり地面に叩きつけても壊れないくらいにね。もちろん、中にいるポケモンもちゃんとガードされているんだ」
「そうなんだ。じゃあ、気にせず投げちゃっていいのね?」
「うん。すんごい遠くに投げたりしなければ特に問題はないよ。――あ、でも、ポケモンが飛び出した後、ボールは投げた本人の所に戻ってくるから」
「えいっ!」
リードの説明を最後まで聞かずに、キョウカはボールを地面に向かって軽く放りました。すると、ボールは地面に落ちると同時に口を開いて、白く眩しい光をすぐ近くに放ちました。そして、光を吐き出し終わり、自らの役目を果たしたボールは持ち主に向かってそれなりの勢いで正確に飛んでいき、
「えっ? えっ?」
戸惑う少女の額へと直撃し、見事に カーンッ といい音をたてたのでした。
「いたた・・・。なんで投げたボールが戻ってくるのよー! 危ないじゃない!」
「くっくっ、あのね、さっきも言ったように、ポケモンにとってモンスターボールっていうのは自分の部屋みたいに大事なものなの。だから、ぷぷっ、変なところに飛んでいっても大丈夫なように、ちゃんとトレーナーの手に戻るようになっているんだよ。――まぁ、今回は手で受け止めずに顔で受け止めていたみたいだけどね。ぷっくくくく・・・」
よっぽど目の前で起きたことが笑撃的、もとい衝撃的だったのか、リードはしっかりと説明をしながらも込み上げてくるものをこらえることができないようで、手を口に当てながら表情を歪ませていました。
一方で、驚きのあまり尻もちをついてしまったキョウカは、自分の額を手で擦りながらそんなリードを恨めしそうに見ていました。しかし、やがて憤慨した表情を浮かべたかと思うと、自分の目の前で、今にもお腹を抱えて笑いださんばかりに体を震わせている者に向かって、勢いよく
「そ、そんなの聞いてないわよ! それに、そういうことはもっと早く言ってよ! リードが教えてくれなかったせいで、――ほら! おでこに跡がついちゃったじゃない!」
「何を言っているのさ。最後までおいらのどこまでもわかりやすい話を聞かないのが悪いんだろ? おいらはちゃんと説明しようとしたのにさー。それなのに、カーンって。ぷっ、あはははは!」
座り込んだまま、自分と同じ目の高さで怒っているキョウカを前にしても、リードは一向に自らの態度を改めようとはしませんでした。もっとも、リードが言っていることは正論であったがために、別段改める必要もないのですが。
「そ、それは確かにそうかもしれないけど、でも」
「あー、苦しい。――しかしまぁ、おいらも長いこと色々な人間を見てきたけどさ。今みたいに自分の投げたボールを顔にぶつけるっていうのは見たことなかったよ。うんうん、これはレポートにまとめておかないといけないね。注意力に欠けている人間が使うと、額に愉快な傷跡をつけることにる、と。――いやぁ、まさかこんなところで新しい発見ができるとは」
「違うわよ! 私は知らなかっただけよ! 投げたら戻って来るっていうのがわかっていたら、おでこにぶつけたりなんか」
「どーだかねー? 何せこんな何もない森の中で、ポットはどこ?とか言っちゃうくらいだからなー」
「そ、それとこれは関係ないじゃない!」
キョウカが怒り、それをリードが流すというやり取りが続いている中、ボールから放たれた光に包まれて現れた者が、そのすぐ脇で、怯えているともとれるような、おずおずとした態度で二人のことを交互に見ていました。しかし、互いに言葉のやり取りに夢中になっている二人はそのことに気づく由もありませんでした。
「あ、あのー」
「ん?誰?」
突然、少年のような声の持ち主であるリードのそれよりも大分高く、どこか中性的な感じの声が、キョウカとリードの間に割って入りました。それによって、ようやく言い合いをやめたリードはすぐにその正体を把握しました。――が、それに対してキョウカは辺りをキョロキョロと見回すばかりで、一向にその者にきづく気配はありませんでした。しかし、彼女の目の前までその者が近づいてくると、
「ぼ、ボクです」
「え?・・・・・・えぇーっ!?」
異常なまでに驚いてはいるものの、どうにかキョウカは、自分の耳に届いた誰のものとも知れない声の主が、自分の目の前にいる者、――つまり、つい先ほどゲットしたばかりのポチエナだと気づいたようでした。ですが、あまりにも彼女が大きな声を上げて大仰に驚いたものですから、ポチエナはそれによってさらに怯えるようにして、彼女の前ですっかり縮こまってしまっていました。
「ちょっとちょっと、何をそんなに驚いているのさ? ただボールの中からポケモンが出てきたってだけだろ?」
「だ、だって! 今この子喋ったのよ!? 驚くに決まっているじゃない!――ね、ねぇ、今喋ったわよね? どうして喋れるの? それとも、さっきから喋れはしたけど隠していたの?」
「え、え、えっと、えっと」
キョウカに勢い良く迫られ、ある意味でスピアーに襲われていた時よりも恐怖の色を顔に浮かべているポチエナは、しどろもどろになりながらもどうにか言葉を繋ごうとしていましたが、それもどうやらうまくはいかないようでした。
一方でリードはというと、今日何度目なのかわからない呆れた表情をもって、目の前にいる、彼にとっては理解不能の人間の女の子のことを見ていました。
「おいらはあと何度絶句すればいいのかな・・・。――いいかい? キョウカ。さっきと同じで余計な説明は省くけど、モンスターボールでゲットされたポケモンっていうのは、人間の言葉を話せるようになるんだよ。だから、さっきまでは喋れなかったポチエナも、今はこうして普通に喋れるようになっているってわけ」
「えぇーっ!! そうだったの? すごいんだーモンスターボールって」
「今更何を・・・。ん? っていうーかさ、おいらずっと喋っていたじゃないか! なのにどうしてポケモンが喋れることにそんなに驚いているのさ? それに、おいらはよく知らないけど、プラムタウンにいたリザードンのレンだって昔っから喋っていたんだろ!?」
「そ、そーいえばそうね。――実はちょっと疑問に思っていたのよね。レンもそうだけど、リードも何で喋れるのかなーって」
「・・・・・・・・・だめだこりゃ」
ある意味でどこまでも期待を裏切らず、自分にとっては期待を抱くことすら許されないキョウカの言動に、とうとうリードは考えるのをやめてしまったようでした。先にもリードが洩らしたように、それは旅が始まったばかりにしては、あまりにも先行きが不安になるような光景にも見えました。ちなみに、どちらに非があるのかと言えば、やはりそれは保護者としての立場にある者になってしまいそうでしたが、例え彼女と一緒にいたのがリード以外の何者かであったとしても、被保護者が彼女である以上、こうなるのは必然と言ってもおかしくはありませんでした。
一方で、ポチエナはそんな二人をとても困った様子で見ながら、再びおずおずとした態度で声をかけようとしていました。
「あ、あの・・・」
「ああ、ごめんなさい。えっと、まずは自己紹介をしないとだめよね。私の名前はキョウカよ。改めてよろしくね」
「おいらはリードって呼ばれている。ここにいるご主人様はダメダメだから、何かあったらおいらに言うようにね」
「・・・・・一言多いのよ」
リードの発言にキョウカは拳をわなわなとさせていましたが、リードはそんなことを気にすることもなく、両手を頭の後ろに回して涼しい顔をしていました。どうやら二人はどこまでも喧嘩をしたいようです。
「あ、ぼ、ボクはポチエナです。こ、これからもよろしくおねがいします」
「ん? ・・・・・あ、そっか。ポチエナちゃんにも名前をつけてあげなきゃだめよね。ポチエナっていうのはポケモンとしての名前なんでしょ?」
「うん、図鑑における名称はポチエナ、あくタイプのかみつきポケモンさ。ちなみに、統計による平均的な体高は0.5mで、体重は13.6kg。♂よりも♀の方が若干体が大きく、群れで基本的に行動する。ホウエン地方に広く分布して生息しているものの、一部変異種がカントーやシンオウといった各地方において確認されている。――と、まぁざっとこんなところかな」
「へぇー、やっぱりポチエナちゃんっていうのは、リードみたいな名前じゃないってことね。だったら、やっぱり考えてあげないとね」
聞かれていないことまでペラペラと喋るリードは、まるで動くポケモン図鑑のようでしたが、キョウカがそれらを把握できているかは甚だ疑問でした。が、とりあえず、ポチエナはポチエナという名前である、ということだけはわかっているようです。――スピアーは名前を覚えてもらえなかったというのに。
「ぼ、ボクに名前ですか? 前のご主人様はつけてくれませんでしたが・・・」
「えっ? そうだったの?でも、やっぱり名前があったほうが何かと呼びやすいと思うんだけど。ダメかしら?」
「い、いえ! ボクは今のご主人様にお任せします」
大きく首を横に振り、やたらと恐縮した様子でポチエナがそう言うと、キョウカは疑問の表情を一瞬浮かべた後、少しだけ笑いをこぼし、すぐに優しげな表情を浮かべてポチエナに向かって屈みこみました。
「私のことはご主人様なんて呼ばなくていいわよ。普通にキョウカって呼んでくれていいのよ?」
「ええっ!? で、でも、それは失礼に・・・」
「ううん、私はそんな風に思わないわ。だって、名前で呼んでくれた方が嬉しいもの。――ね? だから、名前で呼んでくれない? キョウカって」
自分の目の前で微笑んでくれている少女のことが信じられないのか、その言葉が信じられないのか、ポチエナは少女に問いかけられても、少し前にもそうしていたように、顔を俯かせたり、口を開けても声を出せなかったりと、すぐには返事をすることができませんでした。――が、やがて顔をあげると、
「――わ、わかりました。きょ、きょ、キョウカ・・・さん」
「あら?」
ポチエナが苦労の末に出した答えが、自分の望んだものとは少しずれていたのか、キョウカは屈みこんだ姿勢から少しだけ横に傾むいてしまいました。そして、そんなキョウカの態度に、ポチエナは何か失敗してしまったように思ってしまったのか、
「す、す、すいません! あ、あの、ぼ、ボク、――その、ど、どうしていいのかわか、わからなくて! あの、あの・・・」
「ああ、そんなに謝らないで。大丈夫よ。気にしていないから」
「で、でも、ボクじゃ、やっぱり、――あ」
慌てすぎて混乱してしまっていることを気にもせず、キョウカは自身の両手をそっとポチエナの顔に添えて、ニッコリと笑顔を作って見せました。それは、やはり先と同様に、ポチエナの目を捉えて離さず、落ち着かせる力をもっているようでした。
「大丈夫。確かに少し固いけど、ちゃんと呼んでくれているでしょう? だから、大丈夫よ。――でも、慣れてきたら普通に呼んでくれると嬉しいな。私もこれからそう呼ぶしね」
「・・・は、はい。きょ、キョウカさん」
「うん。それで大丈夫」
どもるのばかりはどうにもならないようでしたが、とりあえずはポチエナはキョウカの名前を呼ぶことはできるようになったようでした。キョウカもそれには満足そうに頷いていました。しかし、一方でこれまで黙っていたリードは、
「あのさー、呼び方なんてどうでもいいから、なんて名前にするのか早く決めたら?」
「どうでもいいって何よ。大事なことでしょ?」
「だって、別に“さん”だろうが“様”だろうが、そんなのは結局はどうでもいいことじゃないか。――まぁ、個人的には、様づけはどうかと思うけどさ。どう考えても合ってないし」
「ほら、やっぱりそう思うでしょ? だから、私がこうやって言っているんじゃない」
「・・・」
リードからしてみれば、それは嫌みを含めた言い方だったかもしれませんが、どうやらキョウカには全く通用していないようでした。もちろん、すぐその傍で聞いているポチエナにも、それはよくわかっていないようでした。
「それはそうと、ポチエナちゃんの名前を考えなくっちゃね。――うーん、きっと美人になるだろうから、やっぱりキレイな名前の方がいいわよね。アンナとかレイナとかサフィラとか。――あ、でも、サフィラだとちょっと呼びにくいかしら? ちゃん、てつけにくいし・・・。難しいわねー。セリナみたいに、何か特徴から考える方がいいのかしら?」
屈みこんだままの姿勢で、口元に手を当て、あーでもないこーでもないと呟きながら、キョウカはひたすらに考え込んでいました。その様子を、ポチエナとリードはそれぞれ違った表情で傍観していましたが、少しして、リードは何かをパッと閃いたかのように目を瞬かせると、キョウカに向かって恐る恐る声をかけ始めました。
「あのさ、キョウカ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「ん? 何?良い名前でもあった?」
「それはあながち間違っているとも言い切れないんだけど、大事なことだからさ。一応確認ってことでね。――まぁ、できることなら聞きたくもないし、考えたくもないんだけど」
「??? よくわからないんだけど、結局何なの?」
「いや、ひょっとしてこのポチエナのことを・・・その、♀だと思っているんじゃないかなって」
リードがそう発言すると、何故か大分冷たくなった風が三人の間を吹き抜けました。そして、どこからともなく、何かのポケモンの鳴き声が「ぼぇ~」と響き渡り、辺りには気まずい沈黙が流れました。
そんな沈黙を破るようにして、それを生み出した本人が、この旅が始まってから初めて謙虚な態度で口を開き始めました。
「いや、流石にそれは無いとは思っているよ?――でもさ、キョウカだったらやりかねないっていうか、さっきから聞いていると、どうもぶつぶつ言っている名前がそれっぽいからさ。もしかしたら・・・って思ったんだけど」
「あはは! 何言っているのよリード。私だってそれくらいわかるわよ。ポチエナちゃんは」
「そうそう、このポチエナは」
「女の子でしょ?」
「ちっともわかってないじゃないかあああああああ!!!!!!」
もう何度目なのかわからないくらいのリードの悲しみの叫びが、
「なんでそんなに慌てているの? 私、何かおかしいこと言った?」
「いやいやいやいや! もうおかしいとかそういう問題じゃないよ! ――いいかい? このポチエナは♂! 男の子なの! ウソだと思うなら本人に聞いてみなよ!」
「そうなの? ポチエナちゃん」
「えっ!? え、えっと、えっと・・・」
自分に矛先が向けられたことで、――もっとも、大分前からずっとそれは向けられていたのですが、ポチエナはひどく狼狽していました。しかし、やがて首を竦めて、相当に恥じらいながら、上目遣いでキョウカの顔を見上げ、
「・・・あ、あの、その、ボクは、お、♂です」
と、今にも消えいってしまいそうな、か細い声で呟きました。それを聞いたキョウカはというと、額から汗を一筋垂らして、にわかにどこか気まずそうな表情を浮かべていました。
「そ、そうだったの? 私はてっきり女の子なのかなって・・・・」
「ご、ごごごごめんなさい! そ、そのその! あ、ええっと、えっと」
「いや、謝る必要ないって。どう考えてもこれはキョウカのミス、――っていうか何かもうね・・・はぁ」
義理なのか何なのかはともかく、ポチエナのフォローに回っているリードも、一日が終わりに近づいてきたからなのか、もしくは、先の叫びで色々なものを消耗してしまったのか、キョウカに向かってあれこれ言おうとはしませんでした。
「ごめんね。ポチエナちゃん。悪いのは私の方だからそんなに謝らないで。本当に何となく女の子じゃないかなーって思っていただけだから」
「何となくで性別を決めつけるって・・・。――まぁ確かに、人間がポケモンの性別を見た目だけで判断するのはちょっと難しいけどさ」
「そうなの?」
「うん。相手が慣れ親しんでいるポケモンならともかく、専門家でもない素人が見分けるのは難しいね」
リードが言うように、人がポケモンの雌雄を見た目だけで判別するのは中々に困難なことなので、キョウカが勘違いしていたのは別段おかしいことではありませんでした。――ただし、一方的に雌と決めつけて名前を考えたりするのはおかしい行動であると付け加えておかなければなりません。
「ふーん、そうなんだ。でも、本当にポチエナちゃんって男の子なの?」
「は、はい。ボクは♂です」
「うーん・・・」
本人から直接そうだと言われているにも関わらず、キョウカはイマイチ納得がいかないようでした。そして、あんまりにも近くで見つめられているがために、すっかり固まってしまっているポチエナの体のあちこちを、まるで品定めするかのように見始めました。
と、何とも表現し難い奇妙な時間が少し流れた後、急に思いたったのか、キョウカはポチエナをヒョイッと抱き上げてみせました。その意図はたった一つなのは間違いありませんでした。
「わっ!? わっ!? な、なにするんですかキョウカさん!?」
「あら、本当だわ。たしかについているわね。本で読んだことあったけど、男の子のってこういう風になっているんだ。――初めて見たけど、ちょっとカワイイかも」
「きょ、きょきょきょキョウカさんっ! や、やめてください! は、恥ずかしいです!!」
キョウカの視線の先、――つまりポチエナの局部には、確かに♂の象徴がついていました。灰色の毛に覆われている上に、まだそれほどの大きさでもないので、確認はしにくいですが、睾丸と性器を収納しているであろう膨らみが、そしてそこから僅かに伸びている赤色の突起が確かにそこにはありました。
「ちょっと触ってみていい?」
「えええっ!?!?!? だ、ダメですっ!!! お願いですからやめてくださいっ!」
「少しだけでもだめ? ちょっと突くくらいだから」
「だだだだダメですっ! ぼ、ボク、そんなことされたら、うわわっ! きょ、キョウカさんっ! お願いですから! もう、ああっ!」
キョウカにしげしげと局部を見られ、ポチエナはじたばたともがいていましたが、残念なことに前足を伸ばして隠そうにも届かず、後ろ足を閉じようにも閉じれずに、ただ顔を振って悶えるばかりでした。そして、キョウカはそんなポチエナのことを気にせずに、ゆっくりとポチエナの体をそのままの状態で自分の膝の上に乗せ、片手で抱っこをしながら、空いた方の手を伸ばして行き・・・
「いい加減にしろっつーの! うおりゃっ!」
「いたっ! 何するのよリード」
「何するのよじゃないよ! まったく」
リードによる素晴らしいツッコミが入ったことで、どうにか危ない夜の展開になることは避けられたようでした。そして、キョウカの魔の手から解放されたポチエナは、しかし、その本人であるキョウカの膝の上に乗ったまま、顔をキョウカの胸とお腹の間の辺りに押し付けて、悲しそうに呻いていました。よっぽどショックだったようです。
「ごめんなさいね。ちょっと確認してみたかったのよ」
「うぅ・・・。も、もう、できれば・・・ですけど、もう、しないでくれますか?」
「ええ。もうしないわ。本当にごめんね」
「・・・本当にお嬢様なのか、色々な意味で怪しくなってきたよ」
リードの最もなぼやきを聞きつつ、キョウカはポチエナを抱きしめて、何度も何度も謝りながらなだめていました。
それから少しして、ようやく落ち着いた、――とはいっても、まだどこかビクビクとしていましたが、ポチエナに対してキョウカは、ふと思いついたように言いました。
「そうだわ。――ねぇポチエナちゃん。今見ていて思ったんだけど、あなたはこんなに立派で、綺麗な灰色の体毛を持っているし、それは誇りにしていいことだと思うの。だから、“グレイ”っていう名前はどうかしら?」
「ぐ、グレイ、ですか?」
「うん。――あ、グレイっていうのは、灰色っていう意味ね。どこの言葉かは忘れちゃったけど、響きも良くてカッコイイと思うから、男の子だったら良いんじゃないかなって。――どうかな?」
「グレイ・・・」
自分の目の前で微笑みながら、そして、どこか期待に満ちているような表情を浮かべているキョウカを見上げながら、与えられた名前の無いポチエナは、提示された贈り物を口に出して
「どう? それとも他の名前の方がいい?」
「い、いいえ! その名前でいいです。――その、素敵な名前をありがとうございます! きょ、キョウカさん」
「よかったー。これからもよろしくね。グレイちゃん」
「は、はい、キョウカさん! ――わっ!?」
キョウカは自分の考えた名前を喜んで受け入れてもらえたことがよほど嬉しかったのか、自分の膝の上に座っていたグレイのことを抱きよせて、その頭に顔を押しつけました。一方でグレイの方はというと、やはりこれまでと同様に、彼にとっては恐らく慣れることがとても困難であろうその状況に戸惑いは隠せないようでしたが、しかし、新たに生まれたものも出さずにはいられないようでした。
そんな二人の様子を、リードは特に何も言わずに眺めていましたが、その顔は何故かとても意外そうでした。それはまるで、目の前で信じられないことが起きたかのようでしたが、
「どうしたのよリード。そんなに呆けた顔しちゃって。頭でも痛いの?」
「ぼそっ(確かに頭痛は絶えなくなりそうだけど)――いや、グレイってシンプルだけどかっこいい名前じゃん? それに特徴とも合っているし、キョウカがそんな名前を付けられるなんて、物凄く意外だなーって思ってさ」
「・・・」
先ほどは通用しなかったからか、より直接的な嫌みを言ってきたリードに対して、先ほどまでであれば何かしらのリアクションを返していたはずなのに、どういうわけかキョウカは無言で見つめ返すことしかしませんでした。そんなキョウカのことを、リードは肩透かしを食らったと思っているのか、少し不安が窺えるような表情で見ていましたが、キョウカがやにわに抱っこしていたグレイをゆっくりと地面に降ろし、膝立ちの状態で自分の方へとにじり寄って来ると、その表情はあからさまにそうだと言えるようなものになっていきました。
「な、なにさ? 急に黙ったと思ったら近寄って来て。言っとくけど、おいらは何も間違ったことは言ってないからね? おいらはあくまでも率直な意見を述べているだけであって、」
「ねぇリード、ちょっと確認させてくれない?」
「へ? 確認? 確認って何さ? 何かわからないことでもあるっていうのかい?」
「うん。ちょっと気になるのよ。リードもそうなのかなーって」
「おいらもそうなのかなーって一体・・・。――ん? ちょ、ちょっとキョウカ? な、何して、うわぁっ!?」
迫ってくるキョウカの言葉と行動の意味がわからず、一瞬考えている隙を突かれ、リードは凄まじい瞬発力を発揮したキョウカによって、リーグ殿堂入りの実力を出すこともできずに、あっさりと甲羅を地面にする形でひっくり返されてしまいました。いくらリードが強いとはいえ、そしてキョウカが12歳の女の子であるとはいえ、このような状態になってしまって以上、立場の優劣は誰が見ても明らかでした、
「ちょ、ちょっと何するんだよおっ!」
「グレイちゃんのだって見たんだから、リードのもどうなっているのか見てみたいじゃない!」
「なんだよその意味のわからない理屈は!」
「グレイちゃんだって見てみたいわよね?」
「えっ!? ええっと、そ、その、ボクは・・・で、でも、きょキョウカさんが、そう言うのなら、」
「うおーい! 何かおかしいだろそれ!」
「ああっ! す、すいません! ぼ、ぼぼボクは、いったいどどどうしたら?」
「どうもこうもとにかくこの狂ったお嬢様を止めて、ってうわぁーっ!? やめろってば!」
目の前の好奇心の塊に対し、自分ではどうにもならず、とうとうグレイにまで助けを求め始めたリードでしたが、その叫びと抵抗もむなしく、とうとうキョウカの目と手はそこへと到達してしまいました。しかし、
「あれ? つるつるしているだけで、どこにも付いてないじゃない。ということは・・・ひょっとして、リードって女の子?」
「んなわけないだろ!? おいらは♂! グレイと一緒で男なの! それから、おいらのような種族はグレイと違って、普段から生殖器を出したりなんかしないの!――これでわかっただろ? わかったらとっととその手をどけて、」
「へぇーそうなんだ。じゃあどの辺にしまわれているの? この辺?」
「わっ!? ちょ、ちょっとキョウカ! いい加減にしないと怒るぞ!」
「えー」
「えー、じゃない!」
流石にそれ以上はよろしくないと思ったのか、――すでに大分よろしくないのはさておき、キョウカはようやくリードのことを解放しました。それを確認して、リードはそのままの体勢で体を前後に大きく揺すり、反動をつけてひっくり返り、体の構造上どうしようもない状態からどうにか脱出することに成功しました。が、その表情は不機嫌極まりなさそうで、なおかつそれは全てキョウカに向けられていました。
「だ、大丈夫ですか?リードさん」
「ああ、心配の言葉をありがとう。――でも、そう言ってくれるなら助けてくれた方が嬉しかったんだけどね」
「あぅ・・・。す、すいません・・・」
キョウカにはあまり通用しないものの、リードの嫌みは、どうやらグレイにとっては効果はバツグンなようでした。もっとも、グレイは今の状況では非常に複雑な立場であったがために、必ずしもグレイ自身に非があったわけではなく、むしろ非があったのは、
「へぇー、ちゃんと自分で起きられるのね。面白い」
「こっちはちっとも面白くなんかないよ! まったく・・・」
「そう? 私は面白かったんだけど。――ちょっと物足りないけど、リードは男の子かもしれないっていうことがわかったしね」
「何で、かもしれないなんだよ! ちゃんと口で言っているんだから信用しろ! それにね、いちいちそういうことまで直に見たりして確認しなくていいの! 大体、ポケモンには興味ないんでしょ!?」
「うーん、そうだったんだけどね。でも、今回のことで、少し興味がわいてきたかもしれないわ」
「いや、こんなことで興味をもたれても困るんだけど・・・」
「も、も、もしかして、ま、また、さっきみたいに・・・」
妙に納得した表情で、うんうんと頷きながら語るキョウカはとても楽しげで、それが全く偽りのものではないことを表していました。それはキョウカの両親からしてみれば、大いに喜ばしいことだったかもしれませんが、その対象となる二人からしてみれば、まさに
そして、そんな二人の気持ちを表すかのように、宵闇の時は終わりへと近づき、より深い闇が辺りに伸びていきました。今や空には星と月がその姿を現していましたが、それも薄いカーテンのように広がっている雲によって、本来の輝きの大部分を奪われてしまっているようでした。
「あーキョウカ、やっぱりおいらにもライト貸してくれよ。おいらが先頭を歩くからさ」
「え? あ、そうね。――えーっと、はい」
「ほいっと。へぇー、こりゃまた高そうな・・・あっ」
「わわっ!? ま、まぶしいです」
「何やってるのよリード。――大丈夫? グレイちゃん」
「は、はい。ちょ、ちょっと驚きましたけど・・・」
「ごめんごめん。何せ、こう暗いとね。――でも、これだけ明るければもう大丈夫でしょ」
「本当に?」
「何だい? その声は。大体ね、普通に歩いてれば、今頃は何事もなくミシロタウンについていたんだよ? そうしたら、こんな風に真っ暗な森の中をライトを使って歩きまわらずに済んだの! 普通なら半日もかからないっていうのにさ。まったく、旅の初日から野宿するはめになるとはねー」
「あ、あの、やっぱり、ぼ、ボクのせいなんでしょうか? そ、その、ボクが、ボクが・・・」
「え? あ、いや、別にそういうつもりじゃなかったんだけど、おいらはただ、」
「リード! 何てこと言うのよ! グレイちゃんは何も悪くないでしょ!?」
「わ、わるかったよ。――でもさ、おいらとしては一応安全面も考えなくっちゃいけないんだよ。だから、その辺のところもわかって、」
「リードの言うことは気にしなくていいのよ、グレイちゃん。あなたと会えたおかげで、こうやって一緒に旅が出来るんだからね。別に急ぎの旅でもないし、今日中にミシロタウンに着けるよりも、私はあなたと会えたことの方が嬉しいわ」
「あ、ありがとうございます、きょ、キョウカさん。ぼ、ボクも・・・そ、その、きょ、きょキョウカさんと会えて、す、すごくうれ、嬉しいです」
「ふふふ、ありがとう、グレイちゃん。――ん? リード、どうしたの?変な顔しちゃって」
「べ、別にー。それよりも、早いとこ野宿する場所を探そうよ。おいらが持っている奴も、キョウカが持っている奴も、ちょっとやそっとじゃ切れたりしないけどさ、なるべく使わない方がいいからね」
「確かにそうよね。このライト、すごく明るくて助かるけど、電池が切れたら真っ暗になっちゃうもんね」
「そうそう。だから、とっととよさそうな場所を探して、火を焚くか何かした方がいいんだよ。――ぼそっ(ま、おいらとしては、こんな心配が無用になる方が都合がいいんだけど)」
「え? リードさん、今何て言ったんですか?」
「何でもないよ。――で、どうするのさ? キョウカ」
「そうね。リードの言う通り、早めに決めた方がよさそうね。どういう場所がいいのかな?」
「うーんと、森の中は夜行性のポケモンが襲ってくる可能性があるし、大きな火を焚くには向いてないね。つまり、昼間にお茶を飲んだようなところだと、ちょっと手狭な上に、安全性に欠けるってことだね。だから、できることなら視界が開けていて、なおかつ水場が近くにあるような所、例えば川の傍なんかがいいんじゃないかな」
「なるほど。でも、この森の中に川なんてあるのかしら?」
「あるのは間違いないよ。地図で見たしね。でも、こう暗いと色々と面倒が、――あ、そうか、グレイならわかるんじゃないの? 一応、この森には長いこと住んでいるんだろ?」
「は、はい。その、リードさんが言っているような所かどうかはわからないんですけど、川がどこにあるのかはわかります」
「本当? じゃあ、グレイちゃんに案内してもらって、そこに行ってみましょうか」
「それが良さそうだね。じゃあグレイ、おいらと位置を変わろう。案内をしてもらうんだったら、やっぱり先頭を歩いてもらった方がいいからね。キョウカ、ちゃんとグレイの前を照らすようにね」
「うん、わかった。――お願いね。グレイちゃん」
「は、はい。えっと、こ、こっちです」
キョウカ達は携行式の電灯の明かりと、森の勝手を知ったるグレイの案内を頼りに森の中をしばらく歩き、やがて静かに流れる川のほとりへとたどり着きました。うっそうと茂る森からしてみれば、相当に開けているそこにはキョウカ達以外の者がいる気配は無く、辺りは川の流れと同様にしんと静まり返っていました。
「ここがグレイちゃんの言っていた河原ね。確かにここならさっきリードが言っていた条件と合っていて良さそうだわ」
「うん。ここなら大丈夫そうだね。森と川までの距離がそれなりにあるし、辺りには狂暴そうなポケモンもいなさそうだし」
「そ、そうですか? 良かったです」
「ありがとうね、グレイちゃん。――でも、河原ってゴツゴツとした石が敷き詰まっている印象があったけど、ここは砂地なのね。って言っても、川のすぐ傍に大きな石が少し転がっているけど・・・。うーん、どうしてこんな風になっているのかしら?」
「なんだ、そんなことも知らないのかい? 確かに砂利の河原の方が多いけれど、こういう砂地の河原も結構あるんだよ。砂地になっているのには川の流れとかその位置、それから地質も関係しているけど、やっぱりカギになっているのはポケモンの存在で、ここの場合だと・・・」
と、そこまでリードが語ったところで、突然どこからか、ぐ~っ、という音程の外れた楽器のような間の抜けた、そして重い音が響いてきました。それは例え意思が通じ合わなかったとしても、聞きさえすれば、誰もが何を意味するのかわかる音であり言葉でもありました。
「今の音ってお腹の音よね? グレイちゃんが鳴らしたの?」
「い、いえ! ボクではないです」
「そっか。でも、私のお腹が鳴ったわけじゃないしね。――となると・・・」
一瞬の沈黙の後、右手で頬を押さえながら首を傾げているキョウカと、どこか申し訳なさそうに顔を動かしているグレイの二人の視線が、残りの一人である、気まずそうな顔をしているリードへと突き刺さりました。その視線の意味を十分に察していながらもすぐに否定しないところをみると、どうやら発生源はリードで間違いないようでした。
「・・・い、いや、だって、よく考えてみたら、おいら今日はお茶の時にクッキーをつまんだだけで、お昼なんて食べなかったしさ。これは生き物としては当然の生理現象であってー、」
ぐ~っ!
「・・・」
どうやら生き物としては当然の生理現象とやらは、どれだけ宿主の意思がそうしまいと思っていても、決してごまかすことができないものであるようでした。
「・・・ぷっ! あははははははっ!」
「わ、笑うなよ! しょうがないだろ! ――って、グレイもそんな苦しそうな顔するんじゃないよ!」
「す、すすすいません! で、でも、うっ・・・くっ・・・」
「そうよ。グレイちゃん。笑いたい時は思いっきり笑った方がいいのよ。あははははっ!」
「そ、そうなんですか?」
「あーもう! とにかく、とっとと夕飯にしようよ。場所はもうここで決まりでよさそうなんだからさ! ――えっと、おいらは水を汲んでくるから、グレイは何か薪になりそうな奴を適当に拾ってきておいてくれよ。固形燃料だけ使うわけにもいかないからね。それで、キョウカは・・・」
「私は夕ご飯の準備をすればいいのね」
「そうそう。――食べられそうなものをね」
「え?」
「何でもない。さぁ、とっとと済ませちゃおう!」
リードの指示によってそれぞれが動き始めると、つい先ほどまでは暗くて静かだった河原は
「これだけ汲んでくれば、今日のところは問題ないかな。――お、かまどの作り方は覚えたみたいだね」
「さっきのお茶の時に教えてもらったしね。一度要領をつかんじゃえば大丈夫よ。――あ、水汲みご苦労様」
「すぐそこの川なんだから、苦労ってほどのもんでもないんだけどね。まぁそれはそうと、後はグレイが帰ってきたら、持ってきてもらった薪で火を調節すればいいかな」
「グレイちゃん、大丈夫かしら? ここは明るいけど、森の中はすごく暗いし・・・」
「ずっとこの森の中にいたのなら大丈夫さ。とりあえず、グレイが帰って来るまでの間はお湯でも沸かしておくとして、先に寝床のことを考えといた方がよさそうだね。今夜はどうするんだい?」
「え? 寝床って?」
「おいおい、まさか寝床っていう言葉の意味がわからないっていうんじゃないだろうね? 寝床っていうのは寝る所っていう意味、――つまり、今夜はどうやって寝るのか? って聞いているの!」
丁寧に組まれた、――お茶の時に比べて、大分大きめに作られ、大きな火が使えるようになっているかまどの上で、水の入った鍋が火に当てられている中、リードの大きな声が静かな夜の森の中にこだましました。そしてその後には、それが大変に反響する程に見事な沈黙が続きました。本来ならばこの場合、音を出さないこと。もしくは、物音も無く静かなこと。という意味しか持たないはずのそれは、今や辞書にも載っていないような意味を持たんとしていました。つまり、
「それは・・・もちろん・・・・・・・自分のベッドで・・・」
「ど・こ・にベッドがあるんじゃーい!!! 何度も何度も何度も何度も言うけど、森の中だぞここは! それとも何かい? 自分の家からベッドだけが空を飛んでここまで来るって言うのかい!?」
「そんなベッドあるの?」
「あるわけないだろっ! あったら是非とも見てみたいもんだよっ!!!」
いくら様々な技術が進歩しているとはいえ、持ち主が寝たいと思った時に、どこからでも空を飛んで来てくれるベッドというのは存在していませんでした。もっとも、ここで問題なのは空飛ぶベッドが存在しているかどうかということではないのは、今更すぎることでした。
「あはは、それはそうよね。ちょっと言ってみただけよ」
「絶対今のは本気だっただろ。――まぁ、リュックの中に多分テントとか寝袋があるだろうから探してみなよ」
頭を抱えながらため息をつきつつ、どこまでも疲れきっていそうなリードにそう言われて、キョウカはかまどから離れてリュックの中を見始めました。外見は小さくても、中を見てみると大分容量がありそうなリュックの中には着替え用の衣類、非常食、薬剤、その他様々な旅に必要そうな物が整理されて入っており、どこに何があるのかが大変にわかりやすくなっていました。そしてその中から、キョウカは何重にも折りたたまれているであろう、チェロスプー製*1と思しき袋を取り出しました。それらはそれぞれ黄色とピンク色をしており、黄色の方が若干大きく、ピンクの方は黄色のものと比べると小さめではありましたが、その分厚めであるようでした。
「他にはそれっぽいのは無さそうだから、多分コレだと思うんだけど、あってる?」
「どれどれ・・・うん、それであっているよ。黄色の方がテントで、ピンクの方が寝袋だね。――しかしまー、流石というか何というか、随分といいやつだねーそれ」
「そうなの?」
「収納性・耐久性抜群の全天候対応型、しかもメンテがしやすくて、――まぁ要するに、普通に旅をするような人じゃあ手の届かないような代物だよ。もったいないというかなんというか・・・」
「うーん、でも、これってちょっと小さいわよね? こんなに小さくても寝られるのかしら? 私どころか、リードやグレイちゃんですら寝られなさそうだけど」
「大丈夫、大丈夫。それは一見するとすごく小さくて軽量で不安になるけど、組み立てると結構な大きさになるんだよ。それに、その圧縮された寝袋も、キョウカくらいの体格なら余裕を持って入れるよ。ちゃんとそういう風に作られているんだ。そうじゃなきゃ高かったりしないさ」
「へーそうなんだ。モンスターボールの仕組みにも驚いたけど、こういうところにも驚かされるわねー」
「本当に世間知らずだな・・・。まぁいいや、テントの組み立て方を説明するから、早いとこ組み立てちゃおう。まずは、」
お茶の時と同じように、リードはテキパキとキョウカにテントの組み立て方について説明し始めました。それは相も変わらず大変にわかりやすい説明でしたが、流石にかまどを作る時よりも大がかりということもあり、キョウカは大分苦戦しているようでした。
「待った待った。そこはこっちを抑えておかないと立てられないんだ。普通は何かで留めておくんだけど・・・。今回はおいらが抑えているから、もう一度やってみて」
「えーっと、ここを引っ張ればいいの?」
「そうそう、そうすると全体が上に持ちあがるからね。それで、後はその脇にある赤い紐を引っ張って固定すれば、ひとまずは大丈夫だよ」
「ふぅ、結構大変なのね。でも、これで寝る所は大丈夫かな?」
「まぁ問題ないでしょ。寝袋の方は今じゃなくてもいいし」
「じゃあ夕ご飯の支度をしておこうかな。グレイちゃんが戻ってきたら、すぐ火にかけられるようにしておいた方がいいと思うし」
「早くグレイが戻って来てくれればなー。まったく、何でこんなことになっているのかなぁ。本当なら今頃はさー。レポートどうしようかなぁ。博士はちゃんと計測しといてくれているかなぁ。怪しいよなぁ。いっそのこと検体もってきちゃえば・・・いや、無理だよなぁ。あー、せめてカタログを持ってくればよかったなぁ。あーあ」
お腹が減って気が立っているのか、というよりも滅入っているのかはわかりませんが、テントに背中を預けて座りながら、やたらと愚痴をこぼしているリードを傍らに置きつつ、キョウカはいそいそと夕ご飯の支度をし始めました。野外であるために、ナイフや鍋といった物以外の調理器具はほとんど無く、環境的に調理をするのは中々に厳しそうでしたが、楽しげに笑いながら何かの草や肉のような物を刻んでいるキョウカの姿を見た感じでは、彼女は特にこの状況に不便さを感じてはいないようでした。
と、それから少しして、キョウカが刻んだりちぎったりした食材らしき物を水を張った鍋に放り込み終わると同時に、森の奥の方からグレイが、自身の体よりも少し大きめの袋を口でひきずりながら戻ってきました。袋の中にはよく燃えそうな大小様々な木、そして葉っぱなどがたくさん入っており、その量は一晩の夜を明かすには十分すぎる程でした。
「おかえりなさい、グレイちゃん。いっぱい拾ってきてくれたのね。重くなかった?」
「い、いえ! だだ、大丈夫です!」
「そう。それじゃご飯が出来上がるまで休んでいて。すぐ出来るから、――あ、」
キョウカはふと思いついたようにして言葉を止めると、恐縮した様子で小さくなっているグレイに向かって屈み込みました。それによって、一層グレイは体を小さくしてしまいましたが、キョウカの手が頭に置かれてそのまま優しく撫でられると、その緊張は嘘のように解けていきました。ですが、グレイにとってはそれが予想外の行動であったことには変わらないようで、その表情は驚きの一色に染まっていました。
「お礼を言うのが遅れちゃってごめんね。ありがとう、グレイちゃん」
「え? あ、うぅ、そ、その・・・」
「どうしたの?」
「い、いえ、あ、ありがとうございます」
「あら、お礼を言っているのは私の方なのに」
「あっ! す、すすいません! ぼ、ボク、」
「ふふふ、気にしないで。リードと一緒に、もうちょっとだけ待っていてね」
「は、はい」
そう言うとキョウカはグレイから受け取った薪をかまどにつぎ込み、火の具合を見ながら、頃合いを見計らって食材入りの鍋と、水の入った小さめ鍋をかまどに載せました。お茶の時と同じものであるかまどの土台となっている五徳は、その上に乗っている鍋に対して相当に細く、パッと見た感じ頼りなさげではありましたが、グラグラと揺れたり変に曲がったりすることはなく、とても安定していました。変形伸縮自在で、なおかつ丈夫で火に直接当てられても大丈夫そうなところを見ると、どうやらこの五徳もテントや寝袋と同じく、相当な高級品であるのは間違いなさそうでした。もっとも、そのことにキョウカが気付いているかどうかは甚だ怪しいところですが。
「そろそろ限界なんだけど、まだぁぁぁ?」
「あとは煮立つまで待つだけなんだから、もうちょっと我慢してよ。ほら、お茶でも飲んで待ってて」
そう言ってキョウカは小さな鍋で沸いているお湯で、昼間の時と同じ要領でカップにお茶を淹れてリードに手渡しました。リードはそれに息を吹きかけて冷ましつつ、またしても「研究が~」だの「カイリュー便が~」だのと愚痴をこぼしながらお茶をすすり始めました。どうやら何か食べないと愚痴が止まることはないようです。
「グレイちゃんもどうぞ」
「あ、ありがとうございます。あ・・・」
キョウカはリードのと同じ要領でグレイの前にカップを出しましたが、何故かグレイは少し困ったような表情でカップを見つめています。その表情の意味がとれず、キョウカはグレイに向かって首を傾げました。
「どうしたの? グレイちゃん」
「あ、あの・・・」
首を傾げているキョウカに対し、グレイは何かを訴えようとしているようでしたが、どうやら口に出すことができずにいるようでした。そしてキョウカもまた、そんなグレイの仕草に困っているようです。
その二人の様子を見かねたのか、リードはお茶をすするのをいったんやめて、グレイの前に置かれたカップを指差してキョウカに向かって口を開きました。
「少しは考えられないの? グレイはおいらみたいに手が使えないんだから、そういうカップじゃ飲めないでしょうが」
「え? ああ、そうだったのね。ごめんねグレイちゃん。淹れ直すからちょっと待ってて」
「い、いえ! そこまで気を使ってもらわなくても・・・」
「いいからちょっと待ってて」
リードの言葉でようやくグレイが困っていた理由を理解したキョウカは、グレイが戸惑っているのを笑顔で制し、リュックの中から小さめの、しかし底が深めの緑色のお皿を取り出し、そこに再びお茶を注ぎました。これでしたら、手でカップを持つことができないグレイでも、直接お皿に口をつけて飲むことができそうです。
「熱いから気をつけて飲んでね」
「あ、ありがとうございます」
お茶に関しては二度目のお礼を言いつつ、グレイは目の前に置かれたお皿から、最初は慎重そうに温度を確かめるようにして舌をつけ、大丈夫だと確認すると、こぼさない程度に勢いを保ってリードのそれとは違った音をたててお茶を飲み始めました。
「もうちょっとで特製鍋ができるから待っててね、二人とも」
「ん? 鍋? どれどれ・・・・・・・・うっ」
お茶を二人に出し終えたキョウカが鍋の調整に戻るのと一緒に、リードも鍋の中身を見てみようと後に続きました。最初、そのリードの顔は、最初はお茶を飲んで愚痴をこぼしていた時と同じ、どこか憂鬱そうなものでした。ですが、鍋の中身が視界に入ったとたんに、その顔は危機感が漂っていることがハッキリとわかるほどに歪んだものへと変貌しました。
それは調理については何も手伝おうとしていないリードのことを考えれば、キョウカに対しては大変に失礼な行為であると言えました。しかし、リードがそうなってしまったのも無理はないのです。何故なら、今リードの目の前には、ごく一般の家庭のものにはおよそ入っていないようなキノコだの葉っぱだのがグツグツと煮えている怪しげな色をしている鍋と、白い粉や茶色い粉などを投与しながら味を調節している楽しげなキョウカの姿という、それを見る者がすべからく不安になるような光景が広がっているからです。
「あ、あのさ、キョウカ。この鍋に入っている食材って、どこから持ってきたんだい? 何かヤバそうなキノコとか葉っぱみたいなのが色々入っているんだけど・・・」
「さっきリードにお水を汲んでもらっている時に採って来たのよ。すぐ近くにあったからね。リュックの中に入っているものだけだと、ちょっと寂しいかなって思って」
「へ、へぇー。でもさ、おいらは料理についてはそこまで詳しくないから、こうやって言うのはどうかと思うんだけど、”紫色の鍋”っていうのは明らかにマズいんじゃないかなって・・・」
「そう? でも、入っているのは毒キノコとか毒草じゃないから、安心していいわよ。ちゃんと前に本で見たことがあるものだしね。――実際に料理で使うのは初めてだけど」
キョウカからすれば安心させようと思ってそう言ったのかもしれませんが、それを聞いてリードの顔がどんどん不自然なものになっていっているところからして、どうやらそれは一層リードの不安と恐怖を増長してしまっているようでした。そしていよいよそれに耐えきれなくなったのか、リードは怪しい鍋とキョウカの元から一旦離れると、何故かキョウカのリュックの中をごそごそと調べ始めました。そんなリードの姿を、キョウカは不審そうに見ていましたが、
「何しているの? リード」
「え? 非常食はどこかなーって」
「何で非常食を探す必要があるのよ。もうちょっとで出来るってば」
「いや、非常事態だから、ここは非常食を食べるべきかなって」
「非常事態? 別に災害が起きているわけでも、遭難しているわけでもないじゃない。何で非常事態なのよ」
キョウカがまるでわからないというかのようにそう言うと、リードは一度ため息をついた後、何やら意を決したようにしてキョウカの顔を睨みつけ、そして指を煮立っている鍋へと突きつけて口を開きました。
「じゃあハッキリ言うけど、その鍋はもう紛れもなく非常事態だろ! 何だよその色! キノコはどう見ても毒々しい色をしているし、よくわからない草だの何だのも、いかにも食べちゃダメって主張しているような色をしているし、絶対おかしいって!」
「ひ、ひっどーい! 一生懸命作っているじゃない! 食べてもいないのに何でそんなこと言うのよ!」
「食べたらお腹を壊すに決まっているだろ! “どくどく”とかそういうレベルじゃないって!」
「で、でも、おいしそうな匂いがするから大丈夫ですよ」
「ほら、グレイちゃんもおいしそうって言ってくれているじゃない!」
「そ、そりゃ匂いは確かに悪くないけどさ・・・。でもやっぱり」
「だ、大丈夫ですよリードさん。きょ、キョウカさんを信じましょう」
それは恐らく、キョウカのフォローに入ろうとしての発言だったのでしょうが、そう言っている本人であるグレイ自身が不安そうな表情を浮かべているのでは、その効果が果たされているのかは怪しいところでした。実際、そのグレイの発言を聞いても、リードは「信じる・・・信じる・・・無理だ」などと呟くばかりで、一向に不安が解消された様子はありませんでした。
「ありがとうグレイちゃん。でも、外でこうやってお料理するのって初めてだから、本当はちょっと自信ないのよね」
「やっぱりこれって・・・」
「え? どうしたの?リード」
「い、いや、なんでもないよ。――あーもう、とりあえず、お腹壊したり火を噴いたりしなければ何でもいいよ。今はお腹に入りさえすればね」
やけくそになったリードが実も蓋も無いことを言いましたが、特にキョウカはその言葉に気にすることも無く、鍋の調整に戻りました。普通だったらまた喧嘩が再発しそうなものなのに、そうはならなかったところからして、キョウカはよっぽど料理をするのが楽しいのかもしれません。
そしてそれから数分後、ようやく納得のいく出来になったのか、キョウカはうんうんと頷くと、あらかじめ用意しておいたお皿に鍋の中身をよそり、火から少し離れたところで座っている二人にそれぞれ配膳していきました。
「待たせてごめんね。それじゃ、食べましょう。いただきます」
「・・・いただきます」
「い、いただきます」
ハッキリと食前の挨拶をするキョウカに対し、リードとグレイの二人はそれぞれ別の意味で、――見方によっては同じ意味で躊躇いつつも挨拶を終え、食事に取り掛かりました。が、リードは未だに恐れをなしているのか、というよりも目の前の皿を不審に思っているせいか、なかなか最初の一口に踏み切れないようでした。一方で、グレイもまた、湯気立つ皿を前にして躊躇っているようでしたが、
「どうしたの? グレイちゃん。食べないの?」
「えっ? あ、いえ、ボクは、」
「無理しなくていいってグレイ。こんな怪しいものは怖くてたべられな」
「い、いえ! そうじゃないんです!で、でも、その・・・」
リードの茶々、――もっとも、リード自身は茶々ではなくて本音として言っているのでしょうが、グレイはそれを遮るようにして声をあげると、皿を前にして地面に俯いてしまいました。キョウカとリードは二人して何も言わずに、そんなグレイのことを見ていましたが、
「ぼ、ボク、本当に、た、食べてもいいんでしょうか?」
「え? 食べていいって、どうして?」
「あ、あの、その、ボク、こんな風にご飯を食べたことが無くて、それで、ど、どうしていいのかわからなくて・・・。ご、ごめんなさい」
「・・・」
グレイのその言葉を聞いて、キョウカは最初、何かを言おうとして口を開きましたが、すぐに口をつぐむと、そのまま自分のお皿を地面に置き、黙ってグレイの目の前まで歩いて行き、そしてそこで屈んでグレイからよく顔が見えるようにしました。それに気づいたグレイは、俯いていた顔を上げてキョウカの顔を申し訳なさそうに見ました。
「ねぇグレイちゃん」
「は、はい」
「私、グレイちゃんと一緒にご飯が食べたいな」
「えっ!?」
「私はね、グレイちゃんと一緒に色々な所に行って、グレイちゃんと一緒にお話しして、グレイちゃんと一緒にご飯を食べて、笑っていたいなって思うんだけど、だめかな?」
「そ、そそそんなことは!」
「じゃあ、一緒に食べよう。ね?」
「・・・」
そう言ってキョウカはグレイの顔の横に手を添えて、笑顔のまま少しだけ首を傾げて見せました。
それは言葉こそ違っていても、今日だけで何度繰り返されたかわからないことでした。ですが、それは効果も同じであり、その結果もまた同じようでした。
「どう? おいしい?」
「・・・お、おいしいです!とても。こんなにおいしいもの、ボク初めて食べました!」
「本当?ありがとうグレイちゃん。まだたくさんあるから一杯食べてね」
「は、はい!」
毒々しい見た目に反して、――もとい、おいしそうな匂い通りの味だったのか、グレイは尻尾を振りながら勢いよくお皿に口をつけ始めました。お腹がよほど減っていたのか、それでなくてもおいしいのかはわかりませんが、そのペースだとあっという間にお皿の中身は空になってしまいそうでした。
また、そんなグレイを見て、これまでずっと様子見を決め込んでいたリードも、ようやく空中で止まっていたスプーン*2を動かし、意を決したようにパクリと一口含みました。そしてもごもごと口を動かしたかと思うと、衝撃が走ったかのように全ての動きを止めました。その様子をキョウカは固唾を呑んで見つめています。
「ど、どう?おいしい?」
キョウカにおずおずと聞かれると同時に、リードは口の中のものを飲み込み、そのままキョウカの方へと顔を向けました。が、しかし、特に何も言うでもなく、どこか気まずそうに視線を泳がせ、そしてそのすぐ後に顔ごと反対の方に向けると、「うーん」と唸り始めてしまいました。キョウカはそのリードの態度の意味がわからず、不安そうな表情を浮かべていましたが、
「・・・・う」
「何?リード。今何て言ったの?」
あまりにも小さすぎた声を聞き取ることができず、キョウカは自分に対して顔を背けているリードの方へと身を乗り出して聞き直しました。すると、リードは逸らしていた顔を元の位置へと戻し、――しかし、視線だけはやっぱりキョウカには向けずに、再び小さな声で洩らし始めました。
「いや、その・・・う、う」
「う?」
「・・・・・・・・・う、うまい、んじゃ、ない・・・かな? って」
その言葉を聞いた途端、キョウカは口に両手を当てて目を瞑り、少し顔を俯かせてしまいました。それは落ち込んでしまっているようにも見えましたが、しかし、すぐにキョウカは嬉しくて仕方無さそうな顔を上げると、片手を上に高く上げて歓声をあげました。
「やったわー! お茶の時といいテントの時といい、リードには散々馬鹿にされたけど、ここにきて初めて褒められたわ!」
「良かったですね。キョウカさん」
「うん!」
本当に嬉しそうに喜んでいるキョウカと、それを見て自分までも嬉しくなってしまっているであろうグレイとを見て、リードは悔しいやら恥ずかしいやら良くわからない表情を浮かべながらも、何も言わずに黙ってガツガツと自分の皿に盛られている料理を口に運び始めました。料理というのはどうやら見た目では推し量れないものがあるようです。
「あ、あの、きょ、キョウカさん」
「なあに? グレイちゃん」
「きょ、キョウカさんは、その、よく料理をつくるんでしょうか?」
「うん、家での習い事の中では一番楽しかったから、よく作っていたわ。セリナの道場でも、稽古を受けに来る門下生相手に振舞ったりしていたしね」
「い、家での習い事ですか? あ、あの、きょ、キョウカさんって、旅に出る前はどんなことをしていたんですか?」
「あ、そっか、グレイちゃんには話していなかったわよね。私は旅に出る前は、――っていってもまだ旅に出てから一日目だけど、」
キョウカはグレイに自分の家の事情、セリナのこと、そして旅の目的などを話しました。グレイはそれを熱心に頷きながら聞いていましたが、リードは全く興味が無い、――というよりも、すでに知っていることだったからか、自分の食欲を満たすべく、ひたすら鍋をおかわりしていました。それは、もしもここに誰かもう一人いて、そのリードの姿を見ていたら、一体その小さな体のどこに入っていくのかと疑問を投げかけたくなるような食べっぷりでした。
「な、なるほど。きょ、キョウカさんはお金持ちのお家のお嬢さんだったんですね。ど、道理できれいだと思いました」
「ぶっ!!」
さも当然であるかのように言ったグレイの言葉に、それまで全く二人の会話に興味を示していなかったリードが、まるで猛烈なボディーブローを食らったかのように、盛大に口の中に含んでいたものを目の前に吹きだしました。それは危うく正面にいたキョウカにかかってしまいそうでしたが、間一髪のところでキョウカはそれを避けたので、どうにか悲惨なことにはならずに済みました。
「うわっ!? もう、汚いなー。何してるのよ?」
「いや、だってさ、いきなりグレイがキョウカのことキレイだなんて言うから、思わず」
「何でそれで吹くのよ?」
「そりゃー・・・い、いや、やめておくよ。うん」
まっすぐ縦に持ったスプーンを前後に揺らしつつ、意気揚々と口を開きかけたリードでしたが、その結果がどうなるか見えたのか、言葉を濁して、再び自分の皿の中身へと顔を戻しました。また、その判断が幸いしたのか、キョウカは気に入らないといった様子で頬を膨らませてはいましたが、特にどうこうしようとはせず、和やかな食事の時間が壊れることはありませんでした。
「まったく、何だって言うのよ」
「で、でも、ボクがきょ、キョウカさんのことをきれいだって言ったのは本当ですよ? 料理も上手ですし、それに・・・その、――と、とても優しいですし」
顔を少し俯かせ、上目遣いでちょっと照れながらそう言うグレイを見て、キョウカはリードの言葉で気を悪くしたことなど、綺麗に忘れてしまったかのように笑顔になりました。しかし、
「ありがとうグレイちゃん。けど、まさか綺麗で優しいって言われるだなんて思ってもみなかったわ」
「おいらもびっくりしたよ」
「だからどういう意味よそれは!?」
「どうもこうも、おいらはそのままを言っただけでー」
「な、何ですってー!?」
「お、落ち着いてください、キョウカさん」
自分のお皿を放り出してリードに詰め寄るキョウカ。それをかわしつつも自分の皿を守り、キョウカを馬鹿にしたような表情を浮かべるリード。そしてそこに、キョウカをなだめようと間に割ってはいるグレイが加わり、歓声 怒声 嬌声と様々な声が響きわたりました。しんしんと森の夜は深まっていきましたが、しかし、明るさと温かさだけは闇に呑まれることは無く、確かにそこにあり続けていました。
それから少しして、喧騒が終わり、食事の片づけや火の始末、その他諸々のことが済むと、後はもう明日に備えて寝るだけとなりました。そこでキョウカはリードと一緒にテントの中へと入り込み、リードから先ほど置いておいた寝袋の使用方法について聞いていましたが、
「え? 一緒に寝ないの?」
「昼間説明したでしょ?おいらたちポケモンにとっては、モンスターボールの中が自分の部屋みたいなもんなんだって。だから、一緒に寝たりなんかしないの」
「そ、そういえば言っていたわね。――じゃあ、リードもグレイちゃんもモンスターボールの中に戻っちゃうの?」
「グレイはそうなるけど、おいらは外に出ているよ。モンスターボールの中は嫌いなんだ。暗くて狭いしね」
「そうなの? でも、それってさっきの説明と違っていない? さっきはどんなポケモンにとっても快適だって」
「いいんだよ。おいらはとにかく嫌なんだから。――じゃ、そういうことだから、早いとこグレイをボールの中に・・・ん?」
リードはキョウカの疑問に対してかなり強引な返答をして会話を打ち切り、テントの中から出ようとしましたが、そこをすかさず、屈んでいたキョウカによって手を取られることで捕えられてしまいました。リードの力をもってすれば、そのキョウカの手を強引に振り払ってテントの中から出るのは容易なことのはずでしたが、リードはそうはせずに、口をもって応じようとしていました。
「なんだい?」
「り、リードはモンスターボールの中に戻らずに、外に出ているんでしょう? だったら、テントの中で寝た方がいいんじゃない?」
「そりゃごめんだね。だって、テントの中で寝るってことはキョウカと一緒に寝るってことだろ? おいらは一人で寝たいんだ」
「で、でも・・・。あっ」
何だかそれ以上言葉を続けるのを恥ずかしがっているかのような様子のキョウカに、リードは何か覚えるところがあったのか、これまで自分の手を掴んでいた彼女の手を軽く振り払って、少し怒っているかのような表情で口を開きました。
「あのさ、もしかして子どものようなことを言うんじゃないだろうね? 一人で寝られないから、おいらに一緒に寝てくれって言おうとしているんだったら、それは絶対に断るよ」
「でも、その・・・。そ、傍に誰もいないっていうのはちょっと心細いかなって、ここは家じゃないし」
リードの言葉を借りるならば、まさにそれは子どもの発言でした。確かにキョウカはまだ12歳ですし、この世界においては子どもと言っても何らおかしくはありません。それに加えて、今夜は初めての旅の初日である上に野宿です。よって、ちょっとくらいこういった発言があったとしてもおかしくはありません。――が、リードはそれに対して表情を崩そうとはしませんでしたし、甘い反応を示そうともしていませんでした。
「ふぅーっ・・・。明日にはプラムタウンに帰った方がいいんじゃない?」
「え? ど、どうして?」
「どうして? そんなの決まっているだろ。こんなところで一人で寝られないっていうんじゃ旅は無理なんだよ。――いいかい? もしも旅を続けるとしても、これから先、こんなに安全な環境で夜を過ごせるかどうかなんて保証はないんだよ。凄い悪天候の中で野宿をすることもあるだろうし、おいらが手一杯になって傍にいるのが難しいことだってあるんだ。そんな時、一人でいるのが怖いなんて言っていてどうにかなると思う?」
「そ、それは・・・。で、でも、今日は初めてだし」
「おいらがそれをわかっていないとでも思っているのかい?それがわからずにこう言っているとでも?そんなのもわからないようじゃ、なおさら旅を続けるのは止めた方がいいだろうね」
リードの厳しくも正しい言葉を受け、言い返せずに俯いてしまっているキョウカは、昼間や夕食時の様子と違ってとても小さく見えました。泣きこそはしていないようでしたが、その表情は曇っていて、リードが後一言か二言ほど発すれば、ギリギリの所で持ちこたえているものも決壊してしまいそうでした。そしてそうなってしまえば、いよいよ始まったという旅もここで終わってしまいそうでしたが、
「で、でしたら、ボクがきょ、キョウカさんと一緒に寝ますよ。な、何かあったら呼びますから、リードさんはお気になさらずに外にいて下さい」
「本当? グレイちゃん。一緒に寝てくれるの?」
「え、ええ、安心してください。きょ、キョウカさん」
「ありがとう! グレイちゃん」
「ちょ、ちょっと待った!」
「どうしたの? リード」
「どうしたもこうしたも、おいらの話を聞いてなかったのかい? それじゃあダメなんだって!」
「それはわかっているけど、でも、グレイちゃんはいいって言ってくれているし。だったら今日くらい別に・・・」
「あ、あの、リードさん。ボクからも、きょ、今日は・・・」
「・・・」
一対一だったのなら、それは流れが変わることも無く進んでしまったのかもしれません。ですが、それが一対二になってしまったとなれば、そううまくは運ばなくなってしまうようでした。
とはいっても、この場合はまだリードに裁量が委ねられているのは明らかで、ここで彼が認めなければ、やはり流れは一対一の時と同様のものになってしまいそうでした。いくら数が増えようと、この中でのリードの力の強さは立場的にも明らかだからです。故に、キョウカとグレイはリードの返答を不安そうに待っていましたが、
「・・・あーもう! じゃあ好きにすればいいじゃないか! よく考えてみれば、別においらは先のことなんか考える必要はないんだし! まったく、余計なことで労力を使っちゃったもんだよ!せ いぜい二人で仲良く寝るんだね! お・や・す・み!」
不安げな表情を浮かべている二人に向かって、リードは声を荒げてそう言うと、テントの中から出ていってしまいました。それは言葉の表面だけ見れば、とても怒っているように見えるものでしたが、――もっとも、実際にリードは怒っているのかもしれませんが、後に残されたキョウカの顔は、どこか安心しているような、とても穏やかなものとなっていました。
「はぁ~、どうしてこんなことになったんだか・・・」
テントの中から勢い良く飛び出したリードは、腰に両手を当ててため息をつきながらひとりごちました。それからその場で、やれやれとでも言いそうな感じで首を横に振った後、のそのそと川のすぐ傍まで歩いていき、丁度いい大きさの石に腰掛けました。
「本当だったら、今頃は新しい機材のチェックをしたりしていたはずなのにさ。よくわかんないスピアーをふっ飛ばしたり、妙なポチエナと一緒になったりしているうちに、気がついたらこうだもんな。まったく、どうかしてるよホント」
よっぽどのことが無い限りは流れの変わることの無い川に向かって、リードはひたすらに何度も何度も繰り返してきた愚痴をこぼし続けました。そこには自分以外は誰もいない以上、返答が返って来ることは無いと本人もわかってはいるはずでしたが、そうであったとしても、そうせずにはいられないようでした。
「そもそも、あんなお嬢さまだからいけないんだよな。――いや、お嬢さまかどうかも怪しいけどさ。火は起こせないは、森の中と家の中を勘違いしているは、突飛な行動ばっかりするはで大変だよ。いくら大事なパトロンで、博士のためとはいえ、こんなことを続けていいのかな? 自分の大事な研究をほっぽってさ」
リードが言うように、今日のリードの前でのキョウカの行動のそれは、どれもこれも突飛であり、半ば常識からは外れてしまっていると言われても仕方ないようなものばかりでした。対してリードの研究していたことというのは、彼自身が興味があって続けているものであることには違いありませんが、成功しさえすれば、結果的に多くの人やポケモン達の様々な面において貢献するものであり、普通に考えれば一人の人間の少女のために犠牲になっていいようなものではありませんでした。
にもかかわらず、リードは研究を放りだし、――というよりも放り出さされ、今現在あるように、キョウカの旅へと同行することになってしまっています。ですから、彼がこうして愚痴をこぼすのも決して間違っているとは言えないのです。が、
「――でも、キョウカのやつ、火の起こし方も、テントの組み立て方もよくわかっていなかったけど、料理の方は確かにうまかったな。何だか無性に腹が立つけど、どうしてあんなにうまいんだ? っていうか、あれだけ料理をうまく作れるんだったら、他のところもちゃんとやってくれないかなぁ。そうしたら・・・」
本人が気付いているかどうかはわかりませんが、どうやら、リードはキョウカに対してこぼせるのは愚痴だけではないようでした。そしてそうでなければ、先ほどのテントの時にああはなっていなかったかもしれません。
「それに、ポケモンには全く興味が無いって言っていたくせに、グレイの時はあんな風になっていたし。――やっぱり、レンが言っていたことって、あのことだったのかな? それとも、料理のことなのかな? 支えてやってくれって言われてもよくわかんないし・・・。あー、こんなことだったら、もっとちゃんと聞いておくべきだったなぁ」
ため息交じりにそう言うと、リードは後ろ手で体を支えるようにして身を反らし、空を仰ぎました。その視線の先には満天の星空と綺麗に輝く月が・・・ありませんでした。星はほとんどが雲に覆われてしまっていますし、夕食時には薄らと見えていた月も、今は完全に隠れていて見えませんでした。そのため、辺りは雲の切れ目から射すごく僅かな星明かりで照らされるのみで、先ほどまでの明るさも温かさも消えてしまっていました。
そんなリードの心中を表しているかのような暗闇と静けさの中、そこに溶け込んでいるかのような何者かが、ゆっくりとリードの背後へと迫っていました。
「眠らないんですか? リードさん」
「えっ? ぐ、グレイ? 寝ていたんじゃ?」
リードが背後からの不意の声に驚いて振り返ると、そこには暗闇の中でもそれとわかる二つの目を持つグレイが立っていました。キョウカが一緒ではないことからして、どうやらテントの中からこっそりと抜け出てきたようです。
「え、えっと、森の中で長く暮らしていたおかげで、物音には敏感なんです。だ、だから、リードさんがテントから離れて、何かを喋っているのが聞こえて、そ、それで気になって・・・」
「なるほど。そりゃ悪いことしちゃったね」
「い、いえ、気にしないでください。ボクの方こそ驚かせてしまったみたいで」
「それこそ気にしなくていいよ。どうでもいいことを忘れられて丁度いいしね」
「そ、そうですか。――あ、あの、隣にいってもいいですか?」
「ん? ああ、いいよ。よいしょっと」
リードが横にずれたのを確認して、グレイは静かに石の上に飛び乗ると、リードのすぐ横に座り込み、一緒に空を見上げました。これで空が晴れていれば、大分雰囲気も穏やかになったかもしれませんが、未だに空は雲に覆われていて星も月も見えませんでしたし、二人の空気もどこか微妙なものでした。それはまだ二人が知り合ったばかりであり、互いのことをよく認識できていないため仕方のないことでした。
そういうわけで、しばらくの間、二人の空間は沈黙に包まれていましたが・・・
「り、リードさん、ちょっとお聞きしてもいいですか?」
「ん? 何だい? 突然」
「え、えっと、その・・・。――り、リードさんは、きょ、キョウカさんのことをどう思っているんですか?」
「なっ!? うわっとっとと!!」
沈黙を打ち破った色々な意味で突然のグレイの言葉に、リードは危うく座っている石から滑り落ちそうになりましたが、どうにか踏ん張り、体勢を立て直しました。もしも踏ん張ることができなければ、そのまま川へと派手に落ちていたところです。
「だ、大丈夫ですか?」
「う、うん。――でも、ど、どうって言われてもな・・・。大体、キョウカとはまだ出会って1日しか経っていないし、特に何も思ってはいないよ。敢えて何か言うとしたら、何も知らない世間知らずで、突飛な行動ばかりする怪しいお嬢様ってところかなぁ」
「そ、そうですか・・・。で、でも、その割にはすごく仲がいいですよね。ボクの目には、お二人がまるでずっと一緒だったみたいに見えて」
「!!!」
パッチャーン
いくら屈強の者であるとはいえ、疲れているところへの二度目の不意打ちには耐えられなかったのか、リードは先ほどのように踏ん張ることができず、座っていた所から川の浅い所へと滑り落ちてしまいました。
「わわわわっ!? り、リードさん!? だだだ大丈夫ですか?」
「あ、ああ大丈夫。――っていうか、おいらとキョウカがずっと一緒にいるように見えるってどういうことだよ!? おいらはキョウカと出会ってまだ丸一日たっていないんだよ?」
リードは川から上がって座っていた場所に戻りつつ、石の上から心配そうに声をかけてくるグレイに対して、少し声を荒げながら先ほどの発言について聞きました。そのリードの様子に、そして自分がしてしまったということに臆したのか、グレイは少し怯え気味ではありましたが、ゆっくりとそれに答え始めました。
「だ、だってリードさん、そ、その、きょ、キョウカさんのことを、と、とても気遣っているじゃないですか」
「え? お、おいらが?キョウカを?」
「は、はい」
「そ、そうかなぁ?おいらはただキョウカが何かと抜けているから、それをどうにかしてやろうとしているだけで・・・」
「そ、それを気遣っているっていうんじゃないですか? さ、さっきだって、一見すると厳しいことを言っていたようにも聞こえましたけど、ほ、本当にこれからのキョウカさんのことを考えてあげてのことだったんでしょう? ぼ、ボクにはそのように見えました」
「うーん・・・。でも、おいらからすれば、キョウカにはとっとと諦めてもらった方が都合がいいんだよな。だけど、そうなると今日おいらがやってきたことはおかしくなって、――いや、それは博士の面目を保つためには必要なことだし、そうしないと引き受けたおいらの立場も悪くなるし・・・・うーん」
グレイの言葉にリードは腕を組んで、「うーん」と唸りつつ、自問自答をするようにしてぶつぶつと呟き始めました。その内容はグレイの言葉に対して肯定的であるとは言い難いものでしたが、ハッキリと否定をしていないところを見ると、どうやらグレイの言っていることは必ずしも間違いであるというわけではないようです。
「あー、何だかわけがわからなくなってきたよ」
「す、すいません。ぼ、ボク、余計な事を言ってしまったみたいで・・・」
「いや、さっきから考えていたことだから別に、――ん? それはそうと、グレイはキョウカのことをどう思っているんだい?」
「えっ!?」
先ほどグレイの言葉で、リードが動揺して川に滑り落ちそうになったのと同じく、グレイもまたそのリードの言葉によって、驚きの声をあげながら危うく川に滑り落ちそうになってしまいました。――が、幸いにも二度目のリードになることはなく、どうにかその場で踏ん張ることに成功したようでした。
「ぼ、ボクが、きょ、きょ、キョウカさんをどう思っているか、ですか?」
「そうそう。おいらに聞いたんだから、おいらだってグレイに聞いていいだろ?」
「そ、それはもちろんそうですけど・・・。――ぼ、ボクは、やっぱり、その・・・ま、前のご主人様の手前もありますし、あまり勝手に言うわけには・・・」
「ふーん、前のご主人様ねぇ。――けど、グレイは今、キョウカのことを自分のトレーナーとして認めているんだろ?」
「は、はい」
「じゃあ前のご主人様のことは気にしなくていいじゃないか。――ほら、早く聞かせてくれよ」
「あぅ・・・」
どうやら攻守は完全に逆転したようで、今度はグレイがリードのように悶々とすることになったようでした。それに伴い、立場が入れ替わったことでリードは安心すると共に、持ち前のペースを随分取り戻したようです。
「きょ、キョウカさんは、ぼ、ボクのことを必死に助けようとしてくれましたし、それにとても優しくしてくれます。で、ですから、と、と、と、とてもいいご主人様だと思います」
「直接助けたのはおいらなんだけど、まぁいいか。――でも、随分と褒めるんだなぁ。そんなにキョウカのことが好きなのかい?」
「うえぇっ!? た、たたた確かにきょ、きょきょキョウカさんはきれいですし、や、やさ、優しくしてくれますし、その、えっと、えっとえっと!」
「・・・なーんか勘違いされている気がするなぁ」
グレイが目を泳がせながら、大変に慌てた様子で喋っているのを見て、リードは少し呆然とした表情を浮かべつつ、ポリポリと頭をかきました。それは言うなれば、生徒が意図せぬ解答をしてきた時の教師のそれと同じようなものでした。
「――まぁ、とりあえず今日のところは寝るかな。何だかんだ言って、明日もきっと色々あるだろうし」
「あ、そ、そ、そうですね。それに、早く戻らないと、きょ、キョウカさんがボク達がいないことに慌てるかもしれないですし」
「いや、これだけ喋っても起きてこないところからすると、相当グッスリと寝ていると思うけど。――寝る前は散々喚いていたけど、結構図太いんだろ。・・・面倒なことにさ」
二人の現在地からは見ることは適いませんでしたが、確かにリードが言っているように、この時すでにキョウカはグッスリと寝ており、その寝つきの良さたるや、寝る前までの不安げな様子からは想像出来ないほどのものでした。
「き、きっと初めての旅で疲れたんでしょうね」
「あー、確かにそれはあるかもしれないなー。まぁ、実際は大した距離歩いてないんだけどね。――さて、おいらもテントの脇で少し眠ろうかなーっと!」
そう言い切ってリードは座っていた石の上からピョンっと降りると、テントの方へと向かい始めました。そしてグレイもそれに習って石の上から降りて後に続こうとしましたが、
「あ、あのっ! リードさん」
「ん?」
少し前と同じようなグレイの呼び掛けに、しかし、今度は驚かずに、リードはグレイの方へと向き直りました。そしてそれを確認すると、グレイはゆっくりとリードに近づき、目の前まで行ったところで立ち止まると、一礼をするかのように頭をペコリと下げて見せました。
「あ、改めて、よろしくおねがいします! そ、そして、その、――こ、これから一緒に、きょ、キョウカさんを支えていきましょう!」
「・・・ここでも、それかぁ」
「えっ?」
「いや。――うん、そうだね。きっとおいらは何だかんだ言ってそうしちゃうんだろうなぁ。あーあ、こうなったら仕方ないか」
「あ、あの、リードさん?」
リードの全ての発言の意味がわからず、グレイはただひたすらに首を傾げるばかりでした。しかし、それとは対照的に、リードはスッキリとしているといっていいのかよくわからない表情をしていました。
「それじゃ、これからもよろしく頼むよ。グレイ」
「は・・・は、はい! リードさん!」
そうして互いの意思を確認し終えると、二人はテントの方へと一緒に歩いて行き、それぞれ戻るべき場所に、――グレイはテントの中へ、リードはテントの入口のすぐ脇へと戻り、眠りへとつくのでした。
いつしか空には先ほどまで立ち込めていた雲が無くなっていて、ようやくその姿をみせた月がたくさんの星と一緒に光っており、河原を明るく照らしていました。そして川は依然として流れをとめることなく、その身に夜空を映しながら、静かに流れ続けていました。
レポートNo.4「ゴーリキーの後力さん?」へ続く
あとがき
※注意 ここから先は本編のネタバレが含まれます。お手数をおかけしますが、できるだけ本編をお読みになった上で、こちらの方にお越し下さい※
おはようございます。こんにちは。初めまして。最近日記がネタバレのオンパレードになっており、実生活の方では、とあるお方の有り難い言葉によって糧を得ることに耐えられた亀の万年堂でございます。
まずは、ご期待してくださっている方達に対して、今回は大変長らくお待たせをすることになってしまったことをお詫びします。今回もいつもと同様に、主や閣下、その他大勢の協力者の方達からは、殴る蹴るの指導はもちろんのこと、数々の何にも包まれないお言葉をいただき、泣きながら笑って書いていたのですが、一言では言い表せないくらいに色々なことがあったために、このようなことになってしまいました。恐らく、これをご覧になっていらっしゃる方の中には、その辺のところをよく存じておられる方もいらっしゃるとおもうんですけれど・・・、ご迷惑をおかけしました。本当に。いや、今もかけているという話なんですけど。本当にもうしわけ、もうしわけ・・・
暗くなってしまいましたので、いつものように間延びする前に本編の内容に入ることにします。
今回は「旅の1日目:夕暮れ~真夜中」の話で、幸か不幸かキョウカに拾われた謎のポチエナ(?)こと、グレイちゃんのお披露目が主なものとなっております。前半はキョウカがグレイという名前をつけるまでで、後半はキョウカの超絶美味(?)料理を堪能しつつ、笑顔のグレイちゃんによって、リード君が川にザッポーンと落ちるという微笑ましい展開ですね。やっぱり馬鹿なのでしょうねこの亀さんは。そうでなくては困るんですけどね。
それはそうと、肝心のグレイちゃんについてなんですが、――自分のキャラにちゃんづけするのってどうなの?と言われるかもしれませんが、どうも私はこの子に弱くてですね。ですから、つい「パッと見ではどう考えても怪しい会話」が出てきてしまったりします。これについては、どう頑張ってもこうなってしまうので、どうかご容赦ください。本当にこの子は可愛くてしょうがないのです。――と言いつつ、この手直しをしているのと並行して、「もしも、グレイちゃんがxxxxxx的なお店で、グラエナのお姉さん二人にxxxされたら~」みたいな裏話を「全力で」書いていました。どの作品も「全力で」書けという話でございますね。
また話がそれてしまいましたが、とにもかくにもこの話からは、キョウカ・リード・グレイの三人で話が進んで行くことになります。もっとも、三人でいるのは少しの間で、すぐにまた人数は増えていくんですけれど、主要メンバーという意味では、この三人が基本となって進むことになります。どこかの筋肉野郎とか幼さを最大限に利用する天使とかもいますが、やっぱり・・・ということですね。もちろん、どの子もちゃんと活躍します。・・・多分。
それから、メンツが増えますと、その分会話の部分といい、地の文といいゴチャゴチャしてしまいがちなので、これからの作品については大分見苦しいものをお見せしてしまうかもしれませんが、極力そうはならないように、むしろ、どこか楽しく、温かいような雰囲気をもたせられるように頑張っていきたいと思います。もっとも、二人に対しては、頭のいいヘタレか受kなヘタレかというキャラ位置しか用意できないという意味で非常に申し訳ないと思っているのですが、どうか諦めていただきたいと思います。
と、本編の内容(?)について話し終えたところで、前回と同様に、「テンテンテテテンのレポート」そのもについて、また少しばかりお話をさせていただこうと思います。段々とこの裏話が恒例となってきている気がします。あとがき自体が裏話なのでどうしようもなかったりますが。
まず、この「テンテンテテテンのレポート」は、実は大きく分けて3種類の形態をとっております。一つはこちらのWikiに投稿・掲載させていただいているもので、残りはそれぞれ、ブログ用と提出用となっております。内容こそ、ほとんどそれらは違わないのですが、付加されている、といいますか、添付されているといいますか、何とも微妙なところなのですが、要するに、今こうして書かせていただいている“あとがき”的なものがあるかないかという違いがあるんですね。それぞれの違いについて説明しますと、「Wiki用でしたら“あとがき”が」「ブログ用でしたら“キャラと作者(主シフトで)の舞台裏談義話、――No.A~”が」そして「提出用の物には“本編を破壊する要素を含んだアナザーストーリー(依頼裏ではなく、私裏の方です)”」がそれぞれについています。どれもこれも私の完全な趣味でつけているものなので、余計なものはいらない!とか否定されたらもうそこまでなのですが、幸いにも今のところはそういったものがないようなので、このような形で「テンテンテテテンのレポート」を展開させてもらっている次第でございます。暗に“あとがき”を書き続けたいと言っているも同然なのは気になさらないでください。
さて、ほどよい長さになってきたところで、そろそろ締めたいと思います。いつもいつも言わせていただいておりますが、ここまで読んでくださっている皆様、並びにコメントをしてくださっている皆様に対しては、言葉で表せないくらいに感謝をしております。引き続き、それに応えられるよう、“読めば元気になれるようなお話”という、後付けがすごいそれらしくなってしまった目標を達成できるよう頑張っていきたいと思います。
それでは、今回はお付き合いいただき、本当にありがとうございました。次回も私の世界につきあっていただければ幸いです。
亀の万年堂でした
何かありましたらお願いします。
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