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かわいい娘のロコンが進化したらえっちすぎたので僕の息子も進化しそうです(8)

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【目次】
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かわいい娘のロコンが進化したらえっちすぎたので僕の息子も進化しそうです 

(8)邂逅(かいこう) 


 ウインディは両親を幼くして亡くしていた。キュウコンは、その時に託された赤の他人の子供だった。
 ウインディはいくつかの嘘を交えながら、キュウコンに大枠の話をした。
 偽ったのは、「自分の妻を助けられず、卵だったお前だけを持ち帰った」ということにしたことと、ウインディの両親が死んだであろうことだ。
 その事件から相当の時間が経っているが、ウインディの心の傷は癒えていない。長さにすればそれほどでないこの話をするのでも、ウインディは詰まりながら、涙ぐみながら話すので、話し終わるころには、設営をして夜を明かす準備まで整っていた。
 今晩は、小雨が降っていた。
 「お前はあの人が遺した子供なんだよ」
 ウインディがそう話を閉めると、キュウコンは言葉を失っていた。二人は夜に備えて天幕の中で寝そべっていた。
 二人の間でおずおずと光を放つカンテラが、ウインディの表情を照らしていた。天幕を打つ糸雨がポツポツと鳴っていた。彼の瞳の中には微動だにできないキュウコンが映っていた。惨事を乗り越え、天涯孤独の身一つで彼女を育て上げた心労と気骨が、彼の眼底に漂っていた。
 「お前が父さんを思ってくれるのはとても嬉しいよ。これまでのことが、正しかったんだと、報いたんだと、そういう気持ちになれる」
 それがたとえ、性的の方向に行ったとしても。ウインディは暗にそう伝えた。
 「でも、だから、軽率にはお前の期待には応えられないんだよ」
 「ごめんなさい」
 キュウコンはとうとう耐えられずに謝罪の言葉を発した。ウインディの過去の労苦の数々は、キュウコンに帰するところは、全くない。そうだとしても、キュウコンはなにがしかの責任を自分自身に見出さずにいられなかった。
 ウインディの言う「妻を助けられなかった」というのが嘘であることは、キュウコンはわかっていた。キュウコンとウインディに血のつながりがないことはわかっていた。しかし、そんなことは、今は些末な問題だった。
 「そりゃ……お前はすごく魅力的だった……こんなこと言っていいのか? 昔のことも忘れてしまいそうだった」
 ウインディは笑った。疲れた笑いだった。
 「全部忘れて……お前が求めるのにつけこんで、お前を台無しにしてしまおうなんて、ちょっとだけだけど、思ったりもした」
 遊郭で、もし、リザードンが二人の間に割って入っていなければ、それは現実になっていたことだろう。
 「でも……それこそ、どうかしてたな。お前の母さんに、顔向けできなくなる」
 「もういいの」
 キュウコンは父を制止した。
 「母さんは病死したって言ってたじゃない……今まで、そんな辛い過去があることなんか、全然気付かなかった」
 「すごいだろ?」
 ウインディはおどけてみせるのだった。意図したか否かに関わらず、人を犠牲にすると、はらわたが縮むように痛むものだ。キュウコンが顔を歪めた。
 「そんな顔するなよ」
 その日を回想することで心的外傷に塩を塗っているウインディだったが、キュウコンが辛そうな顔を見せることのほうが、彼にとってはおおごとらしい。
 「おいで、キュウコン」
 ウインディは、何の変哲もないありふれた親子のように言った。キュウコンがウインディに身を寄せると、ウインディはキュウコンを抱いて、湧き出る感情を発露させるのであった。
 「お前は世界一かわいい……」
 「父さん」
 かわいいかわいいと言われて育ったキュウコンだったが、今日のそれは重みが違った。
 天幕を打つ雨が周囲の音を遮断して、この二人の関係を隠匿していた。
 「こんな立派に育ってくれただけで、それだけで十分だよ、キュウコン」
 ウインディがキュウコンの体に顔を埋めた。彼の鼻息は、涙をこらえるために荒くなっていた。
 「だからな、そんな顔、しなくていいんだよ」
 「父さん」
 キュウコンはウインディのなすがままになるしかなかった。生き地獄を越えた先で、心血を注いで育ててくれた者に、こうまで言われて、反抗できるものがいようか。
 ウインディは、虚偽こそ含めど語るべきことは語った。キュウコンは、自分が言葉通り母の血の上に成り立っていることに、何も言えないでいた。所詮赤の他人でしかないウインディとキュウコンは、単なる父娘のそれより遥かに深い、血染めの絆で結ばれていた。
 キュウコンは、父の頬に口づけをした。父の過去を清算するためには、どんな言葉も不十分で、それでも今そこにある愛情を注がずにはいられなかった。ただ口唇で触れるだけの行為だったが、ウインディの胸に長く残る疼痛は、それでいくらか癒やされるのだった。
 雨の音も聞こえなくなるほどの瞬間だった。
 「キュウコン」
 ウインディは言った。
 「俺より先に死ぬなよ」
 「何? 急に」
 冗談だろ、というな調子でキュウコンは返したが、それが冗談でないことは明らかだった。
 「この仕事をやってて、寿命を(まっと)うするとか、畳の上で死ぬとか、そういうことは望めない」
 ウインディが幼少期に突きつけられた現実は、彼の死生観を大きく左右していた。
 「でもな、せめて俺より後に死んでくれ。お前にやってほしいのはそれだけだ」
 「つまんないこと言わないで」
 ウインディが語るとどうしても湿っぽくなる。キュウコンはその空気を跳ね飛ばそうとしてか、軽口を叩いてみせた。
 「私の方が父さんより強いんだから、私の方が長生きして当然でしょ」
 ウインディは笑った。
 「言ったな? 帰ったら調練をつけてやるから父さんを倒してみせろ」
 「進化したんだから手加減なんてもういらないからね」
 「楽しみだな。『おにび』が効かない相手にどれだけ戦えるか」
 「それねー。力勝負は苦手だから搦手で――」
 キュウコンは言葉を切った。彼女が鼻を油断なく天幕の外に向けられていた。雨音しか聞こえない。いくらか和んだ雰囲気が、時が止ったように凍りつく。ウインディはキュウコンにつられて天幕の外に目を向けたが、戸惑いの色が隠せていなかった。
 「誰か来るわ」
 キュウコンは天幕を抜け出した。ウインディは手際よくカンテラを切って、彼女の尻尾を追った。
 すっかり落ちた夜の(とばり)の中でパラパラ慈雨が降るだけだった。鬱蒼と繁った木々は月の光を吸収して、足の爪さえ見えなくなりそうな闇をもたらしていた。霧雨は厚い樹冠の層を抜けて、地面をぬかるませていた。キュウコンとウインディの耳鼻は研ぎ澄まされていたために、周囲の状況を探るにはこれでも支障なかったが、目はさほどアテにならなかった。
 キュウコンだけが「それ」を察知していた。彼女らキュウコンにだけ備わる超自然的な第六感が、身の危険を(しら)せていたのだった。五感以上の感覚のないウインディが、「それ」の来訪を知るには、最初の音を待つ必要があった。雨の音の向こうから、それは聞こえてきた。
 カン。
 硬い金属同士を打ち付けるような音だ。それでようやくウインディも身構えた。只事でないのは明らかだった。二人は、どちらが言うまでもなく背中合わせになって、四方を警戒した。
 キュウコンの体は少し震えていた。それは雨が冷たいからでも、武者震いをしているからでもなかった。
 カン、カン。
 音の方向は二人とも聞き取れた。ウインディは愚直に感知された音の方に体を向けた。
 キュウコンはそれと全く逆の方向を見た。
 「そっちじゃない!」
 キュウコンが言うが早いか、父に体当たりを繰り出した。キュウコンは非力ながら、脚を上手く絡め取って父を転倒させることができた。二人が地面に身を滑らせた。
 次の瞬間、ウインディのあった空間に白刃が突き抜けた。空気が切り裂かれる微弱な高音が響いた。捉えるべき相手を失ったその刃は、意味もなく土に突き刺さって、キュウコンとウインディに湿った砂利を撒いた。キュウコンの反応が数瞬遅れていれば、ウインディは凶刃に両断されていただろう。
 転倒したウインディとキュウコンは素早くその刃の持ち主から離れた。二人は別々の方向に飛んだ。二人で敵を挟みこんで、迂闊な行動を牽制するためだった。
 空から舞い落ちる雫に体毛を濡らしながら「それ」はゆらりと立っていた。アブソルだった。この暗闇にもかかわらず、その頭部の刃が冷酷さを感じさせるほど白銀に光っていた。あれが、二人を引き裂こうとした物だった。
 アブソルは、首から下げた青藍に光る珠を揺らしながら、憮然として言った。
 「避けるかなぁ? ふつー」
 「だれだ!」
 ウインディが尋問する。アブソルは、白い毛皮を汚す土をはたきながら、その質問に答えた。
 「アブソル。わざわいポケモンらしいよ」
 アブソル。災いの訪れを感知する能力があり、良かれと思って災難の来る時期を他人に知らせているうちに、アブソル自身が災いの原因だと誤解されて迫害された、という故事のあるポケモンだ。
 「だからこうして、『わざわい』をもたらしながら生きている」
 アブソルは呑気に首の下を掻いている。彼は、「アブソル」というポケモンにまつわる故事とその呼び名を、故意に誤読しているようだった。
 「初撃外すとやる気失せるなぁ」
 「何が狙いなの」
 舐め腐ったアブソルの態度を、キュウコンが(とが)める。寝込みを襲うような輩は大体が強盗だ。だがアブソルはそうしたものとは異なる存在だった。
 「君はどうでもいいんだけどさ」
 アブソルはキュウコンにそう答えたあと、ウインディの方を向いた。
 「そのデカブツが気に入らない」
 「気に入らない?」
 ウインディが聞き返した。他のポケモンを殺す動機としては耳慣れなかった。
 「ウインディとかハブネークとかサイドンとか見たらさ、無性に腹が立ってしょうがない体質なんだよね」
 「何をわけのわからないことを」
 ウインディが口角から火花を散らす。あと少しのところで、気まぐれによって殺されるところだったのだ。当然の怒りだった。
 「父さんを相手取るなら私も黙ってないわ」
 どうでもいい、とぞんざいな扱いを受けたキュウコンもアブソルに食って掛かる。父が戦意を持ち始めたのを察知して、それに棹さしたのだ。
 アブソルはその単語に引っかかりを覚えたようだった。
 「父さん? ずいぶん歳の近い親子だね」
 「お前には関係な――」
 ウインディは突然言葉を詰まらせた。口角の火花も、鳴りを潜める。しかし一瞬の後には、彼に怒気が戻ってきていた。それどころか、先ほどとは比べ物にならないほどの怒りを込め、鬼神の表情で牙をひん()いていた。
 「お前が首から下げているそれはなんだ」
 「え?」
 ウインディはアブソルの首に下がる藍色に光る宝玉を見止めた。アブソルはそれがなぜウインディの逆鱗の触れたのかわからないようだが、二人を小馬鹿にした態度は崩さなかった。
 「これは……形見? 多分そう」
 「形見。そうだろうさ」
 ウインディの体毛がこの雨の中でぽつぽつ発火を始めていた。憤激のあまり体内の炎と、自身の体温の制御を失いつつあるのだ。その気迫は長年連れ添ったキュウコンでさえたじろがせる。水を含んだ彼の体毛が炎で乾かされた。アブソルは、何故怒るのかと、(いぶか)しげにするだけだった。
 「キュウコン!」
 ウインディがキュウコンに伝える。
 「こいつは、お前の母の(かたき)だ!」
 聞いたキュウコンが目を見開く。アブソルが今首から下げているものは、キュウコンの母が首から下げていたものと一致するのだ。ウインディの血塗られた記憶が、それを思い出させて、それでウインディは激昂していた。
 直接の当事者でないキュウコンは、ウインディの言葉を受けてもはっきりした怒りは表さなかった。
 アブソルは苦笑しながら言った。
 「正直心当たりはないけど……まあ、誰からどんな恨み買われててもおかしくないことばっかりしてるしなぁ」
 日頃の不摂生を良くないと知りつつやめられない、という程度の口調だった。この言い方でウインディの何かが切れたようだった。
 「だったらその恨み」
 ウインディの全身が炎に包まれた。雨が(にわ)かに強まっていた。
 「まとめて雪がせてやる!」
 彼は燃え盛ったまま突進した。捨て身の大技「フレアドライブ」である。捨て身故に自らのダメージも免れない諸刃の刃だ。初手で繰り出す技ではないが、ウインディは理性を失っていた。
 弾丸のようなスピードでウインディはアブソルに食らいついた。間近のキュウコンでさえ、アブソルが完全にウインディに飲み込まれたと誤認した。しかしアブソルのいた場所にアブソルはいなかった。
 「暑苦しいんだよウスノロ」
 アブソルはウインディの頭上にいた。ウインディとキュウコンが見上げると、後ろ脚だけで大樹の枝に引っかかって二人を見下ろしていた。彼が跳躍した瞬間は、二人の動体視力では捉えられなかった。
 キュウコンが「かえんほうしゃ」を繰り出す。瞬間的に移動したアブソルに驚いた拍子に繰り出されたような甘い技だった。それがアブソルに達する前に、アブソルは曲芸よろしく体を空中に踊らせて、二人から離れた位置に着地した。彼をとらえ損ねた火炎が大樹にぶつかって霧散した。
 アブソルの攻撃は(はや)かった。先にキュウコンを狙った。地面を蹴ると彼は矢のようにキュウコンに肉薄した。すかさずそれを受けようとするキュウコンだったが、アブソルの思う壺だった。
 アブソルがキュウコンの直前で急停止して、その反動で水溜を引っ掛けた。慣性を全く無視した尋常ならざる動きだった。予想から全く外れた動きでキュウコンはタイミングを外された上、汚水で視界が奪われ、無防備な瞬間を作ってしまった。
 「貴様――」
 ウインディがアブソルを妨害しようと炎撃を放とうとするが、遅かった。アブソルがキュウコンを掻っ(さら)い、首筋に冷たく光る爪を押し当てていた。その爪からは禍々しい色を放つ紫紺の液体がにじみ出て、キュウコンの毛を染めていた。「どくどく」である。ウインディはキュウコンを巻き込むのを恐れ、練った火炎を引っ込めた。
 アブソルがキュウコンに告げる。
 「君は邪魔しないでくれるかな」
 さもなければ容赦はしない、という意味である。
 「っ……!」
 キュウコンは自らを脅かす爪を焼き払おうと口から火の粉を吐いた。アブソルはあっさりキュウコンを解放して大きく後退した。相手に翻弄されるキュウコンだったが、まだ彼女は戦闘態勢を崩さず、アブソルに向かって姿勢を低く取っていた。
 「女子供は傷つけたくないんだよね」
 アブソルはキュウコンの様子を見て迷惑そうに言った。あくまでもウインディを倒せればよいのだ。そういう心理が見えた。
 「下がっていろ、キュウコン」
 ウインディはキュウコンに命令する。キュウコンとアブソルの力関係は明瞭に示された。ウインディにはキュウコンを守る責務があった。しかしキュウコンは言うことを聞かない。
 「私がやる」
 キュウコンにも意地がある。アブソルは、キュウコンのほうは積極的に傷つける様子がないようだった。そこが付け入る隙であると言うことも、できるだろう。キュウコンにはそうした打算があった。
 「君さぁ、完全に斥候向きだよ。戦闘はそのデカいのに任せたら?」
 アブソルが助言する。キュウコンはそれを切り捨てた。
 「うるさい!」
 彼女は蒼炎を自身の周囲に二つ、六つ、十四、三十と召喚して、アブソルに襲わせた。「おにび」である。一つ一つの鬼火は小ぶりだがその数は凄まじく、それぞれが意思を持つようにアブソルを追尾する。雨天の中でも(ほの)かに燃え続けるそれらを避け切ることは見るからに困難で、しかしどれか一つにでも当たれば手痛い火傷を負ってしまう。厄介な技だった。
 しかしアブソルには通じなかった。
 「小手先に頼るな」
 彼は避けなかった。自らに迫ってくる鬼火を、まるで無いものであるかのように、キュウコンに向かって飛びかかってきた。碌に回避行動も取らないのでもちろん次々と鬼火がヒットするが、彼はそれを意にも介していない。
 「おにび」がきかない。足が(すく)んだキュウコンに代わって、咄嗟にウインディが彼女の前に出た。
 アブソルの刃を、ウインディは自身の爪で受け流した。アブソルの体毛は鬼火で灯され、まるで彼自身が鬼火を操っているかのように見えた。攻撃を流されたアブソルの次手は早く、ウインディの死角になっている後脚を狙った。アブソルの刃が毒々しく光った。
 「ぐぅっ!」
 ウインディはなんとか脚をよじったが、刃を避けることかなわず、鮮血が散らばった。傷は浅い。アブソルは悠長に二人から距離をとった。
 「父さん!」
 キュウコンが呼びかけるとウインディは平気だと言わんばかりに笑ってみせた。
 「デカすぎるのもやっぱりだめだね。トロい」
 キュウコンがウインディの傷の様子を見ている間、アブソルはウインディをそう評していた。彼が(まと)っていた鬼火は雨で流されていた。
 「そこのキュウコンさぁ」
 たった一つの傷ごときを心配しているキュウコンに、アブソルが言った。
 「早くわかって欲しいんだけど。邪魔しても無駄だから」
 「無駄だから何よ」
 キュウコンは気丈に答えたが、鬼火が牽制にもならなかったことで、彼女の戦意に陰りが表れつつあった。アブソルが鬼火の中飛びかかってきたとき、動きが完全に止まったのは、自分の得意とする技が通用しなかったことで思考が鈍化したからだった。
 「父さんが戦ってるのをただ見ているなんて私にはできないわ」
 「キュウコン」
 ウインディが声をかけると、キュウコンは大丈夫だと目で答えた。
 アブソルはため息をついた。忠告を聞き入れない偏屈な女は嫌いだ、と言わんばかりだった。彼の瞳がギラリと光った。
 「殺しちゃったらごめんね」
 言うが早いか、アブソルの頭部の刃が灼熱して輝き、かぶりを振ると半月状の「かまいたち」が放たれた。二人はバラバラの方向に飛び退いてそれを回避する。半月に光るその疾風を避け切ったにも関わらず、キュウコンの脚に出血のない裂傷が作られた。
 離れた二人のうち、アブソルは先にキュウコンの無力化を試みた。鎌鼬(かまいたち)と同じかそれ以上のスピードでキュウコンにアブソルが迫る。キュウコンはアブソルの頭突きを前脚で受け止める。体格はほぼ変わらないがその攻撃は重く、キュウコンの骨髄までを細動させた。離れたウインディが火炎放射で援護をかける。
 轟轟と音を立てる業火を、アブソルは意にも介さなかった。死角から飛来する火の玉の軌跡から軸をずらしつつ、アブソルは噛み付く素振りをキュウコンに見せた。飛び退くとウインディの炎にぶつかる。キュウコンはアブソルと火球の両方を避け得る僅かな空隙に、後脚で立ってその細見な体を捻じりこませた。彼女の毛皮が火球の高熱で焦げた。
 「寝てろ!」
 隙だらけになったキュウコンに、アブソルが後脚で下から突き上げるような蹴りを食らわせた。キュウコンの腹腔から胸郭に向けて深々と足がうずまり、横隔膜がせり上げられる。キュウコンは肺から空気を、声帯から雑音を発しつつ、ぐらりとぬかるみに伏せた。
 「うっ、ぐぇっ……」
 肝臓、脾臓、肺臓まで食い込む蹴りだった。脆弱な内臓を直に傷つけられた鈍痛が体の奥深くから湧き上がり、キュウコンは消化物を逆流させた。昼間食べたマトマが、どろどろに消化された状態で吐き出されて汚泥と混ざり合った。キュウコンは蛹のように動かなくなった。
 「キュウコン!」
 「てめえの心配してろ!」
 アブソルの頭部でまたしても刃が光る。キュウコンが離脱して、アブソルは手加減する余地がなくなった。
 アブソルは磁石が引き寄せられるかのように、正確かつ無駄のない軌跡を描いてウインディに飛びかかった。あっという間に刃がすぐそこに迫った。ウインディの反射神経でも間に合わなかった。ウインディの眼球に映し出されるほど、アブソルの刃が彼の頭蓋に近づいた。アブソルは勝利を確信して高笑いを上げた。
 しかし、アブソルの刃はウインディを仕留めなかった。ウインディはその凶刃を歯で受け止めた。四肢を柔らかく使ってアブソルの運動エネルギーを後方に逃がしながら、必死の形相でそれを歯で食い止めている。ほんのわずか接触した舌先から血が流れ、食道の方へ落ちていく。アブソルは、攻撃を防がれて驚嘆の声をあげた。ウインディが、アブソルをねじ切ろうとするかの如く回転方向に力を入れている。
 「折るつもりか!」
 アブソルは刃を引っこ抜いた。ウインディは二撃目に備えてその刃に注目した。アブソルの狙いは別にあった。ウインディの視野が狭くなったこの瞬間に、指先から毒液を迸らせながら、ウインディの鼻面に爪撃を打ち込んだ。
 下方からの攻撃にウインディは十分反応できず、アブソルの爪がウインディの柔らかい肉を裂いた。果実のように血が溢れ出す。アブソルは軽業で振り抜いた爪をすかさず戻して二撃目を食らわす。眉間。最後に胸元。アブソルの三連激がウインディの脈管系を切開して致死毒を循環せしめた。
 「がぁっ!」
 燃え上がる痛みにたまらずウインディは後ずさる。更なる追撃のためアブソルが牙を突き立てようとする。アブソルの顔には、狩猟の楽しみだけが見られた。ウインディは咄嗟に右前脚をアブソルに差し出した。アブソルの牙がそれに突き刺さる。喉笛を噛み千切るつもりだったアブソルの動きが鈍る。脚全体から血が噴き出る激痛の中、ウインディは右前脚ごとアブソルを地面に叩きつけた。土が散る。アブソルが鳴いた。この戦いの中で、アブソルは初めてまともにダメージを食らった。
 「くそったれ!」
 ウインディは叩きつけたアブソルにそのまま馬乗りになろうとしたが、アブソルは輾転(てんてん)して難を逃れる。ウインディが追うが転がり様に繰り出されたアブソルの後脚に阻まれた。体勢を立て直したアブソルは一言、
 「やるじゃん!」
 惜しみない賛辞をウインディに投げた。雨はますます強くなっていた。
 「でもその前脚はもう使い物にならないだろ?」
 アブソルの指摘する通りだった。アブソルの牙が引き抜かれた右前脚は、降りしきる雨ですら落としきれないほど血みどろになっていた。額から流れる血はウインディの左目を塞いでいた。(おびただ)しい出血と毒はウインディの息を乱していった。
 伏せていたキュウコンが復帰した。
 「父さん!」
 アブソルが目だけを声の方向に向けた。彼女は火炎放射を放った――ウインディに向かって。アブソルが見ている前で、ウインディはキュウコンの火をまともに食らった。衝突するととともに火は闇夜を切り裂く爆音を轟かせた。
 アブソルは理解した。
 「『もらいび』か!」
 貰い火。ウインディの種族に備わる特性で、炎タイプの攻撃を受けると、ダメージなしに自身の炎の威力が増す。二人で戦闘するから採用できる戦術だった。
 「助かる!」
 ウインディがキュウコンに返した。アブソルは腹立たしげにキュウコンを見た。彼女は危うげながらも立っていた。この短時間で胴の痛みが引いているはずもないが、父の奮闘を見て眠っていられなくなったのだった。
 「覚悟しろ!」
 ウインディが脚先から火を発すると彼を覆う血が雨水ごと沸騰して固まった。アブソルに飛びかかるウインディをアブソルは能面で見返した。
 「もう怒った」
 アブソルの頭の刃が白熱して輝く。ふわりと、円弧を描くようにして跳躍して、狙いの悪いウインディの攻撃を避けた。彼の跳躍の先にはキュウコンがいた。
 アブソルはやっとの力で立っていたキュウコンを押さえつけた。臓器の傷ついていた彼女に対抗するだけの余力はなく、彼女はたやすく組み敷かれてしまった。彼女の細い首に、アブソルの刃が押し当てられる。
 キュウコンの瞳孔が散大した。
 「キュウコン!」
 ウインディが方向転換して泥を撒く。しかしアブソルがキュウコンを(ほふ)るには十分な時間があった。
 「さようなら」
 アブソルが別れを告げた。
 「いや――」
 キュウコンは生まれて初めて命乞いをした。

 ざくん。

 アブソルは、キュウコンの首を切った――ほんの、爪先ほどの傷ができる程度に。刃を降ろして切断する直前、狙いを外して、僅かな皮膚と彼女の毛を切り落とすだけに留めたのだった。直後、雄叫びとともにウインディがアブソルに襲い掛かって、キュウコンは自由になった。肉体的なダメージはなかった。しかし、キュウコンは、喘鳴(ぜいめい)し、手足をわななかせ、冷雨を浴びて、動けなくなっていた。
 彼女の戦意は根っこから挫かれた。
 「死んでない、死んでないから」
 「だまれ!」
 キュウコンを殺されたと思い込んだウインディが我を失っていた。口から、脚先から大小構わずめちゃくちゃに火を放ち、すぐにでもアブソルを丸焼きにしようとしていた。アブソルもこの烈しさには手が出せず、一歩引いてその攻撃をいなしていた。
 「鬱陶しい!」
 振り降ろされるウインディの左前脚にアブソルは苛立ちつつ、爪を立てて右前脚を掲げ、その攻撃を待ち受けた。怒りに忘我しているウインディはそれを見ても攻撃をやめなかった。
 アブソルの爪がウインディの左前脚に突き刺さった。アブソルの右前脚をウインディの血が赤く染め上げる。ウインディの体重と腕力がアブソルに圧しかかる。アブソルの後脚が泥にめり込む。ウインディは顔面から血液を散らしながら耳朶を千切るほどの大絶叫をあげた。
 「ころす!」
 ウインディは痛みを感じていないようだった。剛力を左前脚にかけてアブソルを八つ裂きにしようとしていた。アブソルは脛骨が折られそうなほどの馬鹿力に押しつぶされかけていた。
 「力だけは……あるじゃないか!」
 アブソルは急に爪を引き抜いた。アブソルは身を捩ってぎりぎりのところでウインディの左前脚を地面に逃がした。ほんのわずかアブソルの皮膚を破いて、アブソルは口角が歪ませた。
 アブソルはウインディの脚が泥に取られている間に後方転回した。飛びざまにウインディの額に後脚をあてる。ウインディはそれを受けて後ろに下がった。眼の周りを蹴られて視界が揺らいだのだった。ウインディがアブソルを目で捉えなおすのと、アブソルが華麗に着地するのとが同時だった。
 ウインディは両前足と顔前面に重症を負っていた。尚も殺気立ってアブソルと戦おうとするのが不思議なほど負傷していた。
 彼は最後の賭けに出た。力の入らなくなっている四肢を踏ん張った。大口を開いた。全身の毛が逆立つほどの猛烈な熱エネルギーを発した。彼に注ぐ雨が蒸発した。口腔にエネルギーが集まっていった。
 アブソルがウインディのせんとすることに気づいて、初めて焦りの色を見せた。
 「馬っ鹿お前、」
 アブソルが脚のバネを全力で利かせて横っ飛びした。ウインディのエネルギーは一つの技を放って、轟音が雨夜の森林をつんざいた。
 一瞬、そこだけ雨が晴れた。ウインディの口元に集まったエネルギーは重なり合って特大の火炎の柱を作り、地面に対して水平方向に突き抜けた。ウインディの口から放たれたその柱は、ウインディの体高を遥かに超えた出鱈目な直径を以って空間を二つに裂いた。光すら置き去りにする速度で、膨大な熱の塊が、森林と夜闇と春霖を焼き払った。
 直前に回避を始めたアブソルでさえ直撃は免れなかった。宙に浮いたまま、彼の腹から下はその柱に撃ち抜かれた。アブソルが獣の叫びをあげた。すぐ柱から脱するも、彼の脚が松明のように燃え盛ってる。アブソルはごろごろ地面を転がって消火する。泥水が彼を助けた。彼自慢の純白の体毛が泥濘に塗れてみすぼらしくなる。降雨していなければ、あるいは少しでも遅れていたら、アブソルは大火傷を負っていたことだろう。
 ウインディのその技の反動は大きかった。火柱が尽きるとウインディは立ち(くら)んだ。体に溜め込んだパワーのほぼ全てを短時間で放出したのだ。毒も自覚症状を引き起こすほど回ってくる頃合いだった。雨も体温を余計に奪っていた。
 アブソルは泥まみれにされたことに憤慨していた。アブソルは縮地したように一瞬でウインディに近づくと、その横っ腹に自らの爪を突き立てた。肋骨の間を縫って胸腔を抉られたウインディが叫びをあげる。アブソルがそれを引き抜くとどろりとぬらつく血液が流れ出た。
 よろめくウインディにアブソルは全身を使って回し蹴りを食らわせる。ウインディの顎を捉えた。上半身を持っていかれるほどの強力な蹴りが脳を揺さぶって、ウインディの意識が夜の中に散逸した。ウインディは糸が切れたように泥水の中に倒れ伏した。彼の目は開かれていたが、焦点はどこにもあわず、涎も垂れ流しになっていた。廃人のようだった。
 「まあまあ楽しかったよ」
 アブソルは歯を()きながらも誇らしげにしていた。戦闘不能になっているウインディの首に前脚をかけ、じわじわとその爪に体重をかける。ウインディは、声にもならぬ声で呻いた。雨音は彼の最期の声をかき消した。
 ウインディは今や解剖用の検体も同然だった。アブソルがその気になれば、あのハブネークと同じように、ウインディを無数の皮と骨片と肉塊に加工するのは造作もないことだった。
 「その腕に免じて、(むくろ)だけは残しておいてやるよ」
 アブソルの爪が皮膚を破り始めていた。
 「末永くキュウコンとお幸せに」
 そう言って、頸動脈に達するまで体重をかけようとしたが、自身に起こった異変に意識を()らされた。
 アブソルが負った腰の火傷の跡に淀んだ霧状の空気が集まっていた。それは霊魂や怨恨が実体化したもののように思われた。心の臓まで冷えさせる悪寒が、火傷の痕から伝ってきた。アブソルは異変にたじろいだ。彼の意思に反して後脚の筋肉が痛いほど硬直し、彼はウインディにトドメを刺すのを中断せざるを得なかった。
 「くそっ、やめろ」
 怨霊の霧を払う。それだけでそれはあっさり霧散した。アブソルはキュウコンを見た。今の技を使えるとしたら、キュウコンしかいなかった。
 キュウコンは、横たわったまま真紅の瞳をアブソルに向けていた。自身の死に対する恐怖と、父の喪失に対する恐慌とで、彼女は憔悴しきっていた。今の技――「たたりめ」は、彼女のずたぼろにされた精神に生まれた怨念がひとりでに放った最後のささやかな反抗だった。
 「おい」
 「ひっ」
 アブソルがキュウコンに近づくとキュウコンは怯えて体を丸くした。首を切断される疑似体験が彼女にこびりつく恐怖を植え付けていた。アブソルは、おののいているキュウコンを詰問した。
 「今の技、いつ覚えた」
 「ゆるして!」
 キュウコンはまともに受け答えできなかった。アブソルが詰め寄る。
 「答えろ」
 「う、生まれつき……」
 ポケモンは、両親の覚えている技の一部を、生まれた時点で習得していることがある。キュウコンの「たたりめ」も、そうした技の一部だった。それ故に、彼女はいつ「たたりめ」を使えるようになったか正確には自覚していなかった。
 「お前、母親は」
 アブソルが追加で(たず)ねる。キュウコンは未だアブソルを見ることはできなかったが、回答はできるようになっていた。
 「生まれる前に死んだって」
 「何故」
 「盗賊にやられたって」
 アブソルはそれを聞いて、押し黙った。彼はキュウコンに手をかけようとする素振りを見せなかった。様子のおかしいアブソルに対して、キュウコンの方が、アブソルに聞き返した。
 「あなたのことじゃないの……?」
 ウインディによれば「母の(かたき)」とは、このアブソルのことだった。
 「違う。……多分ね」
 アブソルは首に下げた宝玉を前脚で支えて、その中を覗き込んだ。雨水に濡れて光るそれを見る彼はさながら、水晶の声を聞く占星術師のようだった。アブソルは、宝玉を見つめたまま聞いた。
 「あいつが父親で間違いないのか」
 「……どうして」
 キュウコンはようやくアブソルに視線を返した。恐怖心を拭い去れたわけではないが、キュウコンの生い立ちをやたらに気にするアブソルが不可解極まりなかった。
 「いいから答えろ」
 アブソルに急かされてキュウコンは答えた。
 「違う、と思う」
 「絶対そうか」
 「わからないけど」
 キュウコン自身が最も確証を欲しがっている立場なのだ。歯切れの悪い回答しか、彼女にはできなかった。
 「ふーん……」
 アブソルは、伏せたまま自分を見上げるキュウコンを見返していた。彼が彼女に前脚を伸ばすと、キュウコンは弾かれたようにまた丸まってしまった。
 「いや!」
 キュウコンのトラウマは根深かった。アブソルが白々しく言う。
 「ずいぶん嫌われたもんだなぁ」
 アブソルが彼女の頭部を引っつかんでむりやり引っ張り上げた。キュウコンは叫びをあげて逃げようと体をよじるが、毛の抜ける痛みで抵抗をやめた。彼女は歯を鳴らすほど震えていた。
 「何もしないから」
 アブソルは、一応は優しい声でそう言って、キュウコンの顔を念入りに観察した。震え上がっているキュウコンの美しい顔立ちは涙と雨で目も当てられない状態だったが、アブソルはそれを気にすることなく、彼女の鼻を、頬を、まぶたに軽く触れ、その形を確かめていた。
 右耳だけ倒してみるというのを、何度か繰り返した後、アブソルは息を吐いた。
 「へぇ」
 アブソルの目が細められる。
 「耳がつくと、こんな感じなんだ」
 妙に感慨深そうな声だった。それとともにアブソルはキュウコンを解放した。キュウコンはへなへなとその場に崩れ落ちた。
 「あのウインディが大事かい」
 へたり込んでいるキュウコンに、アブソルが(たず)ねる。キュウコンはかすれた声で言い返した。
 「何でそんなことを」
 「先に質問に答える」
 アブソルに言われて、キュウコンは頷いた。
 「モモンでも食べさせな。『どくどく』が入ってるから、ほっとくと死ぬよ」
 「モモン……」
 モモン。解毒作用のある木の実であるが、つい先日ハブネークから受けた毒を抜くために、キュウコンが使ってしまっていた。補充する暇もなかった。
 「……もってないの?」
 キュウコンが言ったきり動かないのを見ると、アブソルは(たず)ねた。キュウコンは無言で返した。「肯定」を意味するには十分だった。
 「世話が焼けるなぁ」
 アブソルはやれやれと頭を振ると、自身の胸元あたりに取り付けられた小さなポーチから、何か黒い丸薬を取り出した。彼はそれを投げて、キュウコンの脚元に転がした。土で汚れる。
 「それを食べさせな。アイツ伸びてるから、口移しでね」
 「どういうつもりなの」
 「気まぐれ」
 と答えてから、アブソルはキュウコンの聞く意味を理解したようだった。
 「言っとくけど毒とかじゃないよ? 『どくどく』を使えるのに毒薬持っててもしょうがないじゃん?」
 (もっと)もだった。それでも躊躇(ためら)うキュウコンを、アブソルは一押しした。
 「早くしなよ。それ、治癒作用もあるんだ。血だって止めなきゃいけないでしょ?」
 それを聞いたキュウコンは、ようやく脚元の丸薬を咥え、そしてすぐに吐き出した。
 「にが……!」
 「え〜?」
 キュウコンの反応が意外だと言う声だった。アブソルは、ポーチからもう一つ同じような黒い玉を取り出した。アブソルはその丸薬を――「かんぽうやく」をゴリゴリ齧り始めた。
 「おいしいじゃない、これ」
 アブソルの味覚は、多少、通常のそれを逸脱していた。キュウコンに久しぶりに恐怖以外の表情が現れた。「愕然」に相当する表情だった。
 「ほら」
 アブソルは漢方薬を食べながら話した。
 「急がないと手遅れになるよ?」
 キュウコンは言われて、心底嫌そうな顔をしながら、取りこぼした丸薬を再び咥えた。舌に触れないよう、できるだけマズルの先の方で。
 「丸のままだと飲まないかもよ」
 あまりにキュウコンが嫌がるので、アブソルはそう助言した。キュウコンはまた少し躊躇して、その丸薬を含んで、噛み潰した。口を閉じたまま咳き込んだ。
 キュウコンはあまりの苦味に半べそになりつつ漢方薬を噛み砕きながら、気絶寸前の父に寄った。キュウコンが近づくと、ウインディは石のような瞳をごろりとキュウコンに向けた。
 「キュウコン」
 ウインディが弱々しく名を呼ぶ。その半開きになった口に、キュウコンは自分の口を重ね、どろどろになるまで咀嚼した漢方薬を流し込んだ。ウインディの体がびくんと跳ねたかと思うと、果てて脱力した。
 「父さん、頑張って」
 キュウコンは漢方薬を流し込み終えると、父がそれを吐き出さないように顎を抑え、少し上を向かせた。喉の方に液状の薬が流れると、嚥下反射が起こり、ごくりごくりと漢方薬がウインディの胃に流れていった。それを確認したキュウコンは、延々口に残る苦味と特有の臭気にむせた。
 「うっ、げっほ、ごほっ」
 アブソルは苦しんでいるキュウコンの側に寄って声をかけた。
 「まあ、それで大丈夫じゃない? 知らないけど」
 キュウコンはむせながらも聞いた。
 「なんでわざわざ助けるようなことを……」
 「言ったじゃん。気まぐれだって」
 支離滅裂だった。アブソルはキュウコンの隣に腰を下ろすと、他愛もない世間話を始めた。彼の泥は雨によって大分流されていた。
 「今、何してるの」
 「今って」
 「普段何をして飯食ってるのかって意味」
 「……賞金首捕まえたり、護衛の仕事したり、救助依頼受けたり」
 「へー。人助けになる立派な仕事じゃん」
 アブソルは笑顔を見せた。さっきまで二人を本気で殺そうとしているのと同じ人物には見えなかった。
 「このウインディとは、実際どんな関係?」
 「この人は……」
 キュウコンは、ぐったりと気を失っているウインディを見た。彼女にとって、ウインディを意味する表現はいくらでもあった。
 その中でも、一番しっくり来るものを選び出した。
 「私の父さんよ」
 アブソルが(たず)ねる。
 「パパじゃないっていってなかった?」
 「そうだけど、私にとって父さんは、この人しかいない」
 「そうかい」
 アブソルは、面白くなさそうだった。感情に乏しい瞳をウインディに向ける。
 「やっぱコイツ腹立つなぁ。何寝てんだ」
 ウインディを昏睡せしめた張本人であるアブソルはウインディの顔を軽く蹴飛ばした。父の首が力無く揺らぐのを見て、キュウコンがアブソルを思わず制した。
 「やめて!」
 「わかったわかった。もうしない」
 アブソルは笑っていた。キュウコンはアブソルの表情を見ていた。先ほどまでの彼とは全くもって別人としかいいようがなかった。
 「はぁ……」
 アブソルの笑顔がするすると抜け落ちていった。祭りが終わった後のようなもの悲しさを湛え、アブソルはウインディに目を落とした。人の生き死ににすら何も感情が揺らがないであろうその瞳には、何故か過去を憂えるような後悔に近いものが見られた。昔の選択に対する「たられば」の話を夢想して、それの輝かしさと今のみすぼらしさとを比べて気持ちを沈めているような、そんな目をしていた。
 雨に流して溶かせそうもない底深い悲哀だった。
 「なあ」
 アブソルは静かに言った。
 「抱きしめていいかい」
 キュウコンは身を固くした。殺さないにしても、狼藉するつもりなのだろうかと考えた。その思考を知ってか知らずか、アブソルは付け加えた。
 「何もしないから」
 アブソルはキュウコンの返答を待たず、そっと前脚をキュウコンの背中に回した。キュウコンは首の傷を思い出してびくりと身じろぎしたが、震えるようなことはもうなかった。
 アブソルはキュウコンにもたれかかった。キュウコンは混乱していた。まるで、ウインディがキュウコンにするかのような愛情のこもった抱擁だった。まるでキュウコンを雨から守っているかのようだった。
 アブソルは長く抱かなかった。彼は名残惜しそうな溜息をついて、素っ気なく(きびす)を返した。
 「それじゃ」
 それだけ言うと、ただ黙って、キュウコンから、一歩、また一歩と離れていった。キュウコンは、彼が何を考えてこれほど意味の分からないことをして、しかもこれだけ寂しそうに去るのか。恐怖が薄れて平常心を取り戻した頭脳で、こんがらがった情報を紐解いていた。
 「あ――」
 アブソルが木々と雨垂れの狭間に消える直前、キュウコンは一本だけ、その中に真っ直ぐ繋がる紐を見出した。
 「もしかして、あなたは、」
 「受け取れ!」
 アブソルはキュウコンに最後まで言わせなかった。彼は宝玉を下げる紐を食いちぎって、キュウコンに投げて寄越した。あまり狙いがよくなかったが、キュウコンはひらりと跳んでそれを受け取った。アブソルの、黒とも青とも取れる深い色によく似た色の宝石だった。
 「売るなりなんなり好きなようにしろ」
 大した額にはならないけどな、と言い足して、アブソルは地面を蹴った。ウインディが放った技のせいでところどころ(くすぶ)っている枝に飛び移り、また次の枝に飛び移り、また次の枝に飛び移り、また飛んで、キュウコンからは見えなくなった。 雨の調べだけが彼女に残された。
 キュウコンはアブソルから受け取った宝石を眺めた。この昏く冷たい雨夜に良く似合う紺青の宝石だった。キュウコンは、それを眺めているうちに胸の奥から熱くこみあげるものを感じた。ぼろぼろと大粒の涙がこぼれだして、空から降る雨滴とあわさってアブソルの遺した宝石に注がれた。キュウコンは、血まみれで泥中に倒れたままのウインディに体を預け、滔々と涙が流れるままにしていた。ウインディの呼吸は、漢方薬が利いてきたのか、穏やかで深かった。彼が目覚めるのは、時間の問題と思われた。
 キュウコンは、雨の先に向かって、父を呼んだ。


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Last-modified: 2019-07-10 (水) 23:22:03
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