当作品は、ユキザサさんの作品「昨日の敵は」を前提としメイン二人のその後を妄想しました三次創作「雨に降られたい」の続編のような位置づけになります。「昨日の敵は」の続編である「魔法のメロディ」も前提としております。その上で独自解釈が含まれます。
この度掲載許可を下さりましたユキザサさんに、この場をお借りして感謝を述べさせて頂きます。誠にありがとうございました。
「――」
小さな音が聞こえた、気がした。儚く綺麗な、掠れ声。その方向は、アシレーヌさんの棲み処だった。
声質も彼と同じ。耳を立て、研ぎ澄ますと、その言葉が辛うじて聞き取れた。
「――ちる、たりす、さん」
普段の彼にはない声色だった。相手を確かめる言葉。相手と確かめ合う言葉。恋人を呼ぶ言葉。
――いや、あの二人は……少なからず表向きはまだ恋仲ではないはずだけれど――でも、二人の両片思いの様相は、もう、大体の人が知っている。
「――ちるたりす……さん」
――その棲み処の中で、一体何をしているのだろう。
二人で睦み合っているんじゃないか。まるで、そんな空気と言わんばかり――知らないところで、そんなに進展でもしていたのだろうか。
明かり窓の先で影が揺れるのが見え、好奇心のままに忍び寄る。その窓の先を、部屋を覗き込む。
――後ろ姿が見て取れる。彼の、アシレーヌさんの、その髪が、束ねられたまま揺れている。
両鰭を下に突き立てて、体重をかけて押さえ込みつつ見下ろしているかのような、そんな体勢。
その下には、白い綿が敷かれている。まさか、と一瞬思いはするものの、もう少し凝視しても、それはただの綿の塊以上ではない。
――チルタリスさんの羽毛そのまま――という風にも見えるけれど。つまり、毛布で、布団で、だから、そこは寝床なりなんなり、彼の寛ぐ場所ということ。
「――好き……好き、だよ」
その両鰭に、オーラを纏わせている。桃色の淡い光、フェアリー独特の力――ドラゴンを無力化させうるその力を纏わせたまま、押さえ付けている。
――見下ろすその目には、一体何が見えているのだろう。きっと、チルタリスさんが――いや、まさか――彼がそんな――。
「――ちるたりすさん、ちるたりす……さん……好き」
掠れた声が、うわごとのように、その幻視を確かめようとしている。吸って吐き出されを繰り返す、荒い呼吸が、ここまで響いてくる。
彼のその片鰭が持ち上がり、迷いなく虚空を撫でる。何かの物体がそこにあるかのように。身体がそこに存在するかのように。――きっと、そう、チルタリスさんの身体がそこにあるかのように。
――見てはいけないものを見てしまっている。
自慰の瞬間か、何か、それに類するもの――きっと、見られたくないであろうもの。
心臓の跳ねるかのような感覚があった。目を、離せなかった。
――諦めはついていても、関心は残っている。思い焦がれていた姿が、今、視線の先で、熱く幻を抱いている。
チルタリスさん――私の恋を破った敵であり、私が強く憧れている歌手でもある――そんな彼女に対して、彼は、アシレーヌさんは、どれほどの感慨を抱いているのだろう。
アシレーヌさんが、頭を降ろし、その毛布に顔を寄せる。頬を擦り付けつつ、右鰭を毛布から離し、左鰭だけで身の支えとする。その身の重心が傾く中、その右鰭が自身の腹部下方へと伸ばされるような、そんな様子が、僅かに見て取れた。
――知識としては知っている。前肢で生殖器を擦って、その刺激で充足感を得て、衝動的な感覚を消化する、と。――きっと、恐らく、たぶん、その作法。束ねられた髪の奥、その背中では、右肩が緩やかに上下している。
「ん、ぁ……う……あぁ……」
言葉のない声を零しながら、びくり、と、その身を一瞬震わせる。そのまま身を固め、僅かな間、静止する。細かく痙攣しているのが、その髪の揺れから見て取れる。
――達しているであろうその表情は、どんなものなのだろう。見えないのが、残念。
アシレーヌさんは、力を抜いて前へと崩れるように倒れ込んでいく。綿のような毛布に身を沈め、ただ荒い呼吸音だけを放ち続ける。
これで終わり。……終わり、なのかな。
もう十分、素敵なものは見れた。これ以上は目を見張るようなことがないだろうし、気付かれる前に去るべき。
――そう思いつつも、まだ期待し続けている私がいた。非現実的な光景があって、感覚が麻痺しているのかもしれない。
「――ちるたりすさぁあん……ぼく、やっぱり……」
呻くようなうわごとは終わらなかった。――まだ、もう少し見ていられる。そう。
その両鰭で毛布を抱き寄せ、直後には、覆い被さる形で抱き締め始めていた。
髪留めが解かれ、その長い髪が横に広がる。自らが覆い被さっている相手を隠しでもするかのように、背中から横へと垂らしていく。さながら、髪まで使って全身で覆うかのよう。
何かが、アシレーヌさんの何かが、外れている。張り詰めていた感情、その水面が波打っているかのような――どこか脆く危うい感じがする。
「――ごめん……ね……」
――大丈夫ですか? ――と、今、私から声を掛けて、姿を現したら――完全に壊れるだろう。そうしたなら、アシレーヌさんは、どう反応するんだろう? 私を酷く嫌うか、単に怯えるか、あるいは――正気を失って私に襲い掛かってくれるか。
――襲い掛かられたい、とは短絡的に思いもするけれど、長い目で見た場合、望ましいことはきっと何も起きない。
アシレーヌさんが、両鰭に強くオーラを纏わせて、力いっぱいにその毛布を抱き締め続ける。舌を出し、毛布を舐め、そしてその端に噛み付いている。――その腰を浮かせ、落として――何度も叩きつけるかのように、その身を大きく震わせている。
「ん、ぅ、う、う……ん……」
その歯の隙間から激しい呼吸音を零し、噛んでいる周辺を溢れる唾液で濡らし、同時に感情そのままの呻きを宙に漂わせる。
どこか不安に満ちた――そんな色の声。
腰を強く押し込み、そのまま再び身を固める。きっと、彼女の幻にたくさん注ぎ込んでいる。
――いいなぁ。
あれだけの熱情でもって、身を委ねたがっている。それを向けられるチルタリスさんが羨ましい――。
――不意に、アシレーヌさんが、その頭を上げた。広がったままの髪が宙に浮かぶ。
私は咄嗟に身を溶かし、水として地に落ちた。
こちらへと振り返ろうとしていた。そういう動きだった。
――気付かれた?
暫くの沈黙。特に何もなく、ただ、小さく柔らかい物音が聞こえただけで、それ以上のことは何も起きなかった。
身体を元に戻し、そろりと、その様子を窺い直す。白い毛布に身を沈めた状態のアシレーヌさんが、確かにそこにいた。
顔は相変わらず奥を向いていて、その表情は窺い知れないけども。髪も束ね直して、ほんの少し前の様相とは打って変わって、穏やかだった。
うん、そろそろ、消え去ろう。
悪いことをしていた。――そんな罪悪感こそあるものの、それでも、彼の秘められた一面が見れてよかった気はする。
――なんとなく分かる。チルタリスさんは、きっと、アシレーヌさんのあんな一面を知っている。ちっぽけな彼の様子を歌っていたことがあったように、自信のない一面を知っている。
だから、アシレーヌさんには、もっと泣き虫だったり、甘えん坊だったり――きっと、そんな風な――私の知らない弱々しい姿がある。
――そんな姿の一つが、きっと、あれ。
アシレーヌさんにとっても、きっと、チルタリスさんにしか晒せない一面――あるいは、チルタリスさんにすら晒せていないかもしれない一面。
彼が、彼女とその身を重ね合わせて確かめ合っている――そんな光景も、いつか、見られたらいいな。
誰に見せるものでもないし、それを盗み見たいだなんて、あまりにも不躾だけれど。
あるいは、そんな様子を表す、惚気た歌でもいいから、さ。
私は森の中へと歩みを進めた。心持ち足取りが軽い。罪悪感があってもなお、清々しい気分。
楽しみが一つ増えた。二つかもしれない。――悪くないよね。
・後書きとして
アシレーヌさんのあられもない姿を偶発的に見てしまいたい人生でした。
ではなくて、表面上はたくさんファンのついてるイケメンさんが、その内面は脆かったりするのって、やっぱり、そそりますよね。よね!!!!
このような素敵なかたを生み出してくださったユキザサさん、ありがとうございました!!!!
あとチルタリスさんの出番なくてごめんなさい!!!!!
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