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Luna-4

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迫る蒼い物体。
背中に生えた紅の鋭い装飾はご丁寧にも僕を貫くにちょうどいい角度。
だからと言ってわざわざ喰らってやる義理は無い、ほんの数歩分右か左にずれればいいだけの事だが。
ただそのどんどんと視界を埋め尽くすように広がる非常に色艶のいい表皮が妙に気にかかる。

疑念――大喰らいのアリゲイツを養ってなおかつコンディションを高い水準で保つ事の出来るトレーナーの条件は?
推論――金銭的に余裕がありなおかつポケモンの体調管理に気を使う程度の優しさを持っている事。
観察――腰のボールキャリアに嵌められたモンスターボールは二個。
推論――ここでアリゲイツを回避すれば着地時の衝撃によって高い確率で戦闘不能状態に。

一歩分右脚を退いて、腰を落としつつ耳を広げる。
あくまでも自然体のままで。柔らかにタイミングを合わせ、上体を捻って紙一重で直撃を回避しつつも瞬時に耳を巻きつける。
そのまま背骨を軸に回転運動に持ち込む。反らした背筋と耳によって掴まれたアリゲイツの肉体のバランスは完璧。
背中の棘板が食い込んで痛いけど、直線運動を回転に変える事には成功する。

提示――戦闘に協力するという恩を売る事でなんとか食事にありつけないだろうか。
否定――トレーナー戦に他人のポケモンの介入は認められていない。
提示――公式戦でもない限り厳密な調査は不可能。野生ポケモンと偽れば問題無し。
疑念――食事の為に其処までする必要があるのか?

一回転するアリゲイツの体。回転を螺旋に、上空に振り上げるのは速度を殺す為。
25kgにも達するその質量は宙に浮かび、そして重力に引かれて地に再び落ちていく。
差し出した耳で抱きとめ、衝撃は腰と脚で分散し、地面にアリゲイツの身体を降ろす。
うん、完璧。脳内会議は微妙な所で終わったけど、別にご飯が欲しくてこういう事やってるわけじゃ……
……ない、はず。多分。いや貰えたら貰えたで嬉しいんだけど。それにしても結構重かったから首が凝ったな。
こきこきと鳴らしながら前方に視線を戻すと、大口を開けてぽかんとした表情で固まるアリゲイツがこっちを見つめていた。
パッと見る限り外傷は見当たらないと言うのにどうしたんだろうか、回した時に頭に血でも上ったかな。
若干頭部というか顔に赤みがさしてるような……あるいは内出血とかなんかそんな感じかな?

「ねぇ、大丈夫?」

依然として呆然としているゲイツとか言うらしいアリゲイツ――凄い安直なネーミングだ、進化前はワニワニだったのか?――に声をかける。
反応は無い。本格的に頭でも打ってたのかもしれない、これでなんか大変な事になったら後味が悪い。
余計腹が空く事になるけど、ちょっとだけ回復してやるか。
前脚を――両手を組み合わせて胸の前で握り、ほんの少し上を向くようにして眼を閉じる。
この姿勢に意味があるかどうかは知らないけれど、一応最も精神を技の発動に必要な状態に持っていきやすい姿勢、
と言う事になっているらしい。「彼」が言っていた事だから間違いはないのだろうけれど。
想像するのはぐるぐると廻り続ける生命そのもの、僕の身体の内側で動き続ける暖かな脈動。
集中して紡ぎだすのは自分の姿、その内側から滲みだす脈動、薄く淡い光の粒の形を伴う所を思い描く。
そのまま流れ出した粒子が眼の前の彼を満たすように念じる。強く、強く、想いで現実を捻じ曲げられる程に強く。
流れを誘導するようにそっと結んだ手を開き、開いた掌を彼に当てて。

―――――――――――――――――――瞬時。

血管を流れるなにかがふっと、瞬間的に失われたかのような錯覚。脱力感。疲労感。
続いて後脚から背骨を通って一瞬尾に溜まってから全身を巡る耐えがたい寒さ、自分が赤子に戻ってしまったかのような、
表現しがたい瞬間的な喪失感と不安感、何回やっても慣れる事はない感覚は、それが成功した証でもある。
本来ならば自分を行動不能に、時には死にまで追いやって対象を回復させるこの技を、僕は完璧には使えない。
死の淵どころか片足を彼方に踏み出した存在さえ呼び戻すはずの効能は、せいぜいが感染症や軽度の裂傷を修復する程度。
エスパータイプの自己再生よりもなお劣る、せいぜいが萎れた生け花を蘇らせる様な事しかできない技だが。
そのかわり僕も死ぬ事は無く体力を奪われる程度で済むし、なにより相手の生命力を高めるというのは使い勝手は良い。
圧倒的に出力不足なのはどうしようもない事だけど。

「…ねぇ、聞いてる?」
「おっ、あっ、オレっ、オレはゲイツだ!」
「いや、そういう事じゃなくてさ、大丈夫?」
「お、おう!大丈夫だぞ!」

ようやく反応を返すゲイツ。わたわたと何を慌てているのか、短い尾を揺らして妙な動きで立ち上がる。
顔の赤みは依然そのままだけど、どうやら命に別状はなさそうだし心配して損したかも知れない。というか更にお腹が空いた。
近くで見ると表皮の張りも艶もやはりかなりのレベルで、戦闘用と言うよりコンテスト用に育てられている事が窺える。
相性的に有利なガーディに押し負けるくらいの強さという面からも僕の中でそれは確信に近づく。
つまり、トレーナーでありながらもコンテスト用のポケモンを育てる事が可能=生活に余裕がある。
うまく話を誘導する事が出来れば小型ポケモンが満腹する程度の飯を奢ってくれる可能性は十分にあると言う事だ、うん。
……繰り返すけど別にご飯が欲しくて仕方がない訳じゃないから。

「えーと、バトル中じゃ無かったの?」
「あ、いや、さっきのは違うんだ、アレは……」
「?」

大丈夫かー、と駆け寄って来る子供。
厚いデニム生地の蒼いズボン。ポケモンである僕から見ても微妙な着合わせの赤い上着。
腰に付けたモンスターボール。とどめは不釣り合いな程に重厚なリュックサック。
黒髪黒眼の男の子、どう考えても旅の途中のポケモントレーナーです、本当に有難う御座いました。
怪我は無いかと大袈裟にアリゲイツを抱き締める子供、というのもなんだか微妙な光景ではあるのだけど。
紳士(ジェントルマン)もガーディも戦う事を止めてこちらに向かってくる、これまた微妙な雰囲気。
アレかな、路上バトルと見せかけて旅立ち前の祖父と孫の最後の交流だったとかそんな感じの?

「マスターは、その、それなりにおっきな会社の、オンゾーシでっ、
 それでっ、一人旅っ、危ないんだけど、箔をつける為に、その」
「よしよし、頑張ったなゲイツ。ところで――――?」
「吹っ飛んで来たから受け止めただけだよ。避けたら彼が地面に叩きつけられるでしょ。
 生活に余裕がありそうだし、助けたら何か食べ物貰えるかなーとか別に思ってないから」

割とまずい位に腹は減っている。
歩き回った上に戦って倒れ、ポケモンセンターでも点滴だけで口に何も入れていないのだから。
大型種と違って食い溜める事も出来ない以上、ジム戦時にも薄々感じてはいたが、結構真剣にこれはきつい。
意識するとなおさらの事。だから別にちょろっと本音を漏らしても、それは僕の落ち度じゃない。

「……オレ、は…」
「……ゲイツは牡じゃないぞ」
「……へ?」

思わず間抜けな声が。
いや、だってオレって言ってたし。
元々の種族的な物を差し引いても筋肉がしっかりと存在してるし。
何より健康的な汗の臭い、どう見ても雄だと思ったのに、確かに外見から瞬間的に判断は難しいものだけれど、それにしたって。
いやいやいやいやいや待て待て待て待て、決めつけてはいけない。そういう偏見が他者を傷つける事を僕は知っているはずだ。
ミミロルに、ミミロップに生まれた事が嫌で嫌でしょうがなかった時期が僕にもあったのだから。
雌ならばそうでは無いだろう。むしろミミロップに、ミミロルに生まれた事を誇りに思っていただろう。

だけど、雄だ。
耐えがたいほどに僕は雄だ、それなのに。
緩やかな曲線を描く肩も。絞られた腹のくびれも、胸の柔毛も。
突き出した尻と丸まった尾も、全部。全部が雌らしさを演出する。
毛並みの手入れもやめようかと思った程に僕は雌臭かった。別にそれが悪い事だとは今は思わない、今ではかなり崩れてマシになったのだし。
それでも血反吐どころか胃の粘膜ごと吐きそうになりながら、訓練、特訓、修行、何でもいいから自分から雌らしさを取り除きたかった時期があったから。
いわゆる一つの自意識過剰の発露であっても、彼女がそれを気にしている事は自分の経験に照らして十二分に理解できる。
なので出来るだけフォローしたいと思う、うん。

「ああ、よく見れば……可愛い……よりは格好いいかな、ごめん。
 でも雄でも雌でも素直に綺麗だと思うよ、なんて言うか健康的な美しさ?」

自分でもちょっと拙いと感じるが、今の僕にはこれが精いっぱいだ。
出来るだけの笑顔で率直に伝えて見たが、ゲイツは黙って俯いて、非常に気まずい雰囲気に。
ああもう、こんな所まで不器用なのはどうにかしたいところだ。沈黙が痛い。
だからいたたまれなくなってすり抜ける様に駈けて逃げたとしても、それは僕の落ち度じゃない。
というか別に逃げるような事でも無い。無いけどああいう空気は苦手なんだよ。
単に更にお腹が減る結果に終わってしまった、まぁそんなに世界は上手く出来ていないというのは解りきった事だったけど。
それでも、と幽かな希望に縋ってみたけど、これじゃ真剣に野草を食べるしかないかなぁ。
……っと、当初の目的を忘れかけてた。早くナッヘを探さないと。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

それじゃ、とただ一言を残してぽぉんと毬のように跳ねたミミロップは、宙で一回転して地面に舞い戻――――らなかった。
電飾に塗れて突き出た看板を蹴り、僅かな窓の凹みを手繰り、本当にあっという間にビルの屋上に消えていった。
遠ざかる茶色が微かに見えるという事は、きっと屋上伝いに飛び跳ねて移動しているのだろう。

「妙なミミロップだったなぁ。
 他のトレーナーの手持ちかな?」
「むー……オホン。ぼっちゃん、とりあえず筋としては悪く無かったですぞ。
 これなら其処らの野良ポケモンになら負けずに済むでしょう」
「ああ、ごめんなセバスチャン。でも親父にももう許可はとってあるんだ。
 道楽だと言われても、俺の力、俺のポケモンの力だけで旅をしてみたいんだ」

執事って役職のセバスチャンさんと会話するオレのマスター。
普段ならオレもマスターが会話してたら無理矢理でも話に入り込む。
外に出ている時は大抵何にでも口を突っ込んで煙たがられるのがオレなんだ。
それはアリゲイツというか、ワニノコの頃から変わらないオレの性格で、どうしようもない。
だけど今はマスターの声も右から左へとすっぱ抜けていく。
名前も知らないミミロップの事で頭がいっぱいだったから。

きっとあれが"メロメロボディ"って"とくせい"なんだろう。
オスならばメスを、メスならばオスを誘惑するとか言う。そうじゃなきゃ説明できない。
ガーディにぶっとばされて、背中からコンクリートに叩きつけられるのを覚悟して目を閉じて。
振り回されるような感じの後、いつまでも衝撃が襲って来ない事にとまどって。
むしろ柔らかさとしなやかさを背中で感じた事を奇妙に思って、瞼を開いた時に感じたアレは、きっと。

怪訝そうにオレを見つめる深紅の瞳。
なだらかに流れる耳の柔毛、胸元から後脚までの細めのラインは乱れていて、逆にそのぼさぼささが目を引いて。
そうしてばらばらではあっても全体的に整った姿形の中、左眉だけが奇妙に短い事だけが妙に記憶に残る。
何が起こったのか分からずに呆然としているオレに向かって差しのべられた腕、白めの体毛に包まれた掌で、とん、と。
壊れやすい卵を撫でる様に触れられた時に感じたアレは、きっと。

ふわっと触れられた所から溢れ出したあったかい何か。
頭の奥の方がぼうっとするような感触。全身を巡るじんわりとした薄い心地よさ。
何故か妙に恥ずかしく、どもりつつも受け答えするオレを気にせずに話し続けるミミロップ。
やっぱりオレの事を雄だと勘違いしてたらしく、それでも「綺麗だよ」と言ってくれたポケモンに初めて出会ったから。
俯いて、抱きとめてくれてありがとうの一言も言えずに口ごもっていたら、風の様に去ってしまった。
それを何処か寂しく思ってるのは、きっとその"とくせい"のせいだ。

一目惚れ、の筈が無いし、オレにはそんな事許されない。
第一野生かトレーナーの手持ちなのかも知らない。名前すら知らない。
知っていてもオレはマスターと旅に出なきゃいけない。
だけど、なんとなく悔しかった。憧れた、のかもしれない。
軽快に跳ねるミミロップに。オレを悠々と抱きとめるだけの経験と技量を持った彼に。

「マスター…………」
「どうしたゲイツ。腹の調子でも悪いのか?
 明日は出発なんだから体調管理はしっかりしないとな」
「オレ、強くなるよ」
「――お前はコンテストの為に育てるつもりだったんだが。
 そんなにセバスチャンに負けたのが悔しいのか?」
「私めのガーディはこれでもレベルで言えば35。勝てなくても仕方ない事ですぞ」

コンテストの為の特訓は基本的に同じ技の繰り返しだから、そんなに疲れはしない。
ジム戦をある程度こなしてからヨスガシティに向かうらしいので、猶予もたっぷりある。
オーダイルに進化した後の事を考えると、戦闘もこなせた方がマスターの負担も減る。
それに、強くなればあのミミロップとまた出会えるような気がして、オレは頭を振ってマスターに向き直る。
ちらりと見上げた月は薄く欠けて、何処か微笑んでいるように見えた。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

軽快に、重心は腰を基本として。跳躍、回転、屈伸、着地。
ビルの上は人など無論居ない。ポケモンもほぼ確実にいない。余計な事に惑わされず進める。
そのかわりちょっとだけ、進むのが面倒だ。
いや、高低差が無ければいいんだけど、三階分とか普通にあるとね、僕としてはやっぱり失敗だったかなと思う訳で。
でも今更普通に道を歩く事にしても、誰も見てなくても自分が恥ずかしいよね。
そういう見栄って大事だと思うのはきっと僕だけじゃない筈。
……うん、腹が空くと取りとめの無い事を無駄に考えるようになるよね。

薄曇りの空から覗く月光を浴びて、跳躍、回転、捻りも入れて、流れるように止まらず進む。
そろそろ中心部というよりは街外れって雰囲気、草原らしき広い場所も見えてきた。
一際高く跳び上がり、三回転しつつ平屋の屋根に柔らかく着地。建物も次第に疎らになって、
いい加減地面に降りても自分の羞恥心が痛まない程度に屋根の上だけを進むのは難しくなってきている。
……月の光を受けながらの運動は身体が解れて気持ちいいんだけど、軽く疲れも感じる程頑張るんじゃなかった。
お腹減ってるのに何やってるんだろうか。しかもよく考えたらナッヘを見つける手段無い気がするんだけど。
南側って一括りに言っても広すぎるよね。あれか、そのおっきな耳で探って聞き取れって事ですか。
歌を歌うとか叫んでるならともかく例え夜中とは言ってもそんな広域で詳細に把握する事は僕には出来ないってのに。
或いは逆に僕が叫んで回ればいいのか?……というか月が雲に隠れてきたんだけど。
畜生、考えが纏まらないのは空腹のせいだ。数えてみたら6日食べてないじゃないか。
むしろジム戦で倒れなかったし気にもしなかったのは奇跡に近いぞこれ。

混沌とした思考を纏め上げようと努力しながら半ば機械的に足だけを動かし続け、気がつけば既に郊外。
短草に覆われたなだらかと言えない事も無い丘陵、視界はあんまり効かないけど、
都合よく微妙な位置に点在する樹木がおぼろげに見える。
が、きのみが生る樹だ!と喜んで近づくと多分確実にただの樹なのでここは敢て先にナッヘを探す事にする。
夜目は元々そこまで効かないので、やっぱり自慢の耳頼りになるけど。
とは言ってもそれこそ大声でも出してくれないといくら僕でも――――

……。

…………。

いや、本当に歌が聞こえるんですが。
しかもご丁寧に最初にあたりをつけた樹の方向から。
なにこれ。まさかこれ一発で本当に見つかったとかそういう事?
膝までもない短い草、掻き分けるまでも無いそれを踏みしめて進む。
奔るというよりは疲れと空腹もあって歩くに近い、いや無駄に疲れる程運動した僕が全面的に悪いけど。
進むに従って微かだった声は次第にはっきりとしたものに変わる。間違いなくナッヘの声だ。
声とというよりもこれは歌か、うん。

脚は動かしつつも耳を広げて響きを味わう。――静かな歌だ。
美しいとか華麗だとか、そういう言葉は似合わない。低いか高いかで言えばやや高く、
荘厳な、という形容詞が似合うほどでも無く、かといって軽くもなく透き通るように大気に溶けていく歌。
酔夢に誘う極上の酒と言えるほど大それたものではけして無いが、しかし日々の命の糧となる唯の水のように。
聴こえるという事はそれなりに大きな声で空気を震わせているはずなのに、むしろ静けさを表現するという矛盾した技術。
唯の意味を失った音韻の羅列に、どうすればここまでの強い感情を込め、それでいて当たり前のように歌えるのだろうか。
……グラエナは"うたう"を使える筈が無いのに。

――――あぁぁぁぁぁあぁぁぁう、おおおあぁぉぉぉぉぉぉぅ、ぁぁぁぁぁぁぁるるる。

――――るおぉぉぉぉぅ、おぉぅ、るああぉぁぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。

――――えあああぁぁあぁ、しゃぁぁぁぁぁああぁあ、るるるぅあぉぉぉう。

細かいニュアンスが取れる程に近づく、もう姿もこの目で確認できる、やはり揺れる木の下にいるのはナッヘだった。
灰色の毛皮に隠された喉元の震え、それは体表を撫でる風のせいだけでなく、内側から絞り出される思いの発露だろう。
種族の特性として異常に発達した聴覚は、その全てを明確に聞きとる事を可能とし、音の分析を容易に行えるが、
そんな事とは関係無く素直にもっと聴いていたいなと、そう思わせるに足る何かが含まれていた。
でもそれよりも。どうしてこんな所にあるのか分からない、カイスの樹に生った実の方に。
緑と桃の縞模様、甘さと苦みが調和した味わいの証拠であるその模様に意識を奪われたのは、多分仕方の無い事。
だから6日間何も食べてなかったんだって。

がっつく様だけど大ジャンプで枝に飛び乗る。立てる音は最小限に。
此処まで近づいたのに全然気づいた様子も見せずに謳い続けるナッヘもどうかとは思うけれど、そんなことより今は食事。
木の実の内では柔らかい方に分類されるそれは僕の力でも割と簡単に二つに割れる。
剥き出しになった果肉を前歯でこそげとるように齧る。広がる甘みと隠された苦み。
味もさる事ながら重要なのは量が多いって所。三個もあれば普通に満腹になる大きさ。
今更ながら本当に都合の良い場所に都合の良い物があったものだと思う。
不満点は口周りと胸元を汚さないように食べるのが難しいという部分だけだ。
汁気は十分、喉越しも良好、四個を食べ終わるまでにそれ程時間は必要無かった。
と、空腹を満たした所で本来の目的実行しないと。何故か未だに歌は終わらない、というか本当に何で気がつかないんだろうね。
僅かに唇の外側に付着した果汁を指に移して舐め取って、枝から降りて声をかける。

「ナッヘー?」
「――うわぁぁぁっ、いきなり何なんですか!?」
「いや、さっきからずっと此処に居たんだけど。
 ナツハ…マスターが様子を見て来いって言うから」

尾の先端から鬣へと繋がる黒い毛並みをぶわっと広げて物凄く解りやすく驚くナッヘ。
こっちに振り向きながら四肢を踏ん張って唸る、結構本気の威嚇をされても僕としては困る。
何か喧嘩腰に構えさせる様な事を僕はしただろうか、と記憶を辿っても何も原因になりそうな事柄は思い出せない。
そもそも出会ってそれ程時間が経過していない上に、今日の朝、ジム戦の前までは僕に向ける彼女の眼にはこんな敵意は浮かんでいなかった。
僅かの関心と同じくらいの好意、後の大部分は無関心で占められていたはずだ。まさかいきなり出てきたから怒っている訳でもあるまいし。
踝を少し過ぎる程度の高さの草叢、向き合った二匹の間に流れるのは妙な緊張感――と表現すると誤解を招きそうだが、
むしろバトルに近い何かピリピリした空気は否めない。あれ、こんな嫌われる覚えは本当に無いんだけど。

「……マスターは」
「?」
「マスターは、渡しませんから」

………いや、
……………え?

「確かにッ!私は弱いです、でもきっと強くなります!
 貴方に助けて貰ったのは感謝してますけどッ!マスターは渡しませんッ!」
「いや、ちょっ」
「ずっと一緒だったんです!それを!確かに私なんかよりもずっと強いんでしょうけど!
 パッと出てきた貴方なんかに私の場所は渡さないんですから!」

……ああ、そうか。
そういう事、か。

「いつだって私が!私が、それなのに出番無しだって!要らないって!
 ノハルがいればナッヘなんてって……!」
「――――――――あのさ」

他愛無い子供じみた我儘、のように聞こえて、しかし実際彼女の目に宿るのは弱くとも紛れもない憎悪と恐怖。
捨てられる事へのどうしようもない怯え、自分が必要無いのではないかとの疑念、きっとそういう物が混じり合って。
ジム戦の最中、軽口のつもりで漏れ出た言葉だったのだろうが、彼女にとってそれは無視できないモノだったのだろう。
群れで行動するポケモンだからこそ、その本能に従って"リーダー"と認めた者には尽くすのがグラエナだと言うのなら、
彼女は正しくグラエナだ。昔の僕と似ているようでまた異なるその生き方、きっとずっとナッヘと一緒に過ごして来たのだろう。
それなのに、それこそまさしくパッと出てきた僕にその位置を。その居場所を奪われるなんて事は許せるはずが無い。
独占欲と言うのだろうか、認めて欲しい、褒められたいという感情の行きついた一つの形なんだろうなと思うけど。

「……出会って三日も立ってないけど、ナツハはそんな人間じゃないって事は僕にもわかるよ。
 それなのにパートナーであるナッヘが信じなくてどうするのさ」
「……え?」
「軽い気持ちで言った冗談だと思うよ。空気が読めない人だから。
 そもそも僕はナッヘと競い合う気は無いし、悩む事でも無いと思うんだけど。
 第一直接ナツハに確認した?思い込みで突っ走ってない?」

でも、ほぼ百パーセントの確率でそれは思い違いだ。
人を見る目にあんまり自信は無いけど、おまけにナツハはあんまり良いトレーナーに見えないけど、
少なくともナッヘとの絆――なんとまあ臭い言葉――はもうがっちりと食い込んでいるのが傍目にも分かる。
それは羨ましいくらいに。内側からじゃ実感できないものなのかな?
或いは、そう思い込んでしまう程焦っていたのか。

「強くなりたいなら多少は稽古でもしてあげるし、
 どうせ暫く一緒に生活するんだったら楽しんだ方がいいよね。
 勘違いで嫌われたらたまったものじゃない」

それも唯ひたすらに主人を思う気持ちがあるからこその暴走で。
だからこそそれが羨ましく妬ましい。そこまで自分という器を傾けられる存在がいると言う事自体が。
ぽかんとした間抜けな顔で僕の話を聞いている内に少しずつ我に帰ったのか、立っていた毛並みが元に戻り、
突っ張っていた四肢を崩して崩れるように座り込むナッヘ。俯き加減に此方を見つめる瞳には依然否定の色があるものの、
先程に比べれば随分と薄く、むしろ困惑と羞恥が読み取れるのは僕の見間違いではないだろう。

「……すいません、取り乱しました」
「別に気にしてないよ。ずいぶんとナツハの事が好きなんだなとは思ったけど」
「マスターは私のッ……いえ、何でもないです」
「……色々あるみたいだから詳しくは聞かないけど……
 ああ、そういえば奇妙な歌を歌ってたけど、凄いね」
「ただの遠吠えです。吠えると言うか声を出すのが好きなんですが、
 真昼間に大声出す訳にもいきませんし、こういう時間でも無いと思いっきり吠えれないので」

まぁ、少し嫌悪に傾きかけた普通、位には感情の針を戻す事が出来たかな。
それこそ無意味に敵を造るような事はしたくない、というか全く僕に関係無い部分の事で僕を責められても困る。
交流を持って悪い筈が無いし、なんというか自尊心が擽られるというか、妙な安心感というか、
なんだかんだ言ってもナツハもナッヘも一緒に居て悪い感覚はしないんだよね。
別に大好きとかそういう熱い物じゃなくて、もっと生温い心地よさ?
流されやすい気質、優柔不断さと気紛れが僕を特徴づける性格の一部だと自負してはいるが、
それに留まらない"何か"がナツハにはある。……いや、言い過ぎた。
確実にトレーナーとしては三流だろう。テイマーとしても二流以下だと思う。
だけど……うん、自信が無くなって来たけど、空気みたいなこう……なんとなく場に流れる雰囲気が。

「――――という訳で私とマスターの間にはそれはもうハガネールよりも太く硬い積み重ねてきた思い出が……聞いてますか?」
「うん、聞いてる聞いてる」

さりげなく聞き流してた事は秘密だ。
何故か雑談の流れになったのは別にいいけど、大切な事を忘れているような。
雲の切れ間から見え隠れを繰り返す欠月は樹を照らし薄い影を造り上げ、遮るものの無い風が強く弱く草原を撫でる。
夜行性のポケモンでも無ければ普通こんな時間には活動しないというのに、……ん?

「……今、何時くらいかな」
「……あっ」
「12時位までに帰ってくるようにって、君に伝える様に言われてたんだけど」
「鍵は?」
「窓を開けとくって」
「なら大丈夫ですが、そういえば明日は早いのでしたね」

欠伸を一つ。ゆるやかに駈け出すナッヘを追って元来た道を辿り出す。
帰り道は普通に地面を行く事になるが、来た時と違って流石に人が疎らだ。
大都会ならまた違っているのだろうが、流石に田舎から二歩程踏み出しただけのハクタイではそんな事は無い。
逆に言えば所謂自然が辺りに根付いているとも言えるのだろう。程良く混じり合った人工物と"自然の様な"人工物。
そういえば自然って一言に言うけど、人間の考えてる自然ってどうして大抵優しい姿なんだろうか。
纏わりつく羽虫の群れ、毛皮も突き通す蚋や藪蚊、ススキが広がる地面は酸化鉄で赤く染まってる、そういうのも自然の姿なんだけど。
公園も街路樹も人の手が入ったものは大抵そういう部分が隠されてる。いや、悪いとは思わないよ?
人に育てられたからかもしれないけど、僕にとってはその方が居心地がいいし。
単に生きていく為に生きるよりは与えられた物であっても目的があった方が楽しい、と言うと野生のポケモンに怒られるか。

見上げれば宵闇とは言えない灰に近い曇天、清冽と言うには微妙な風、元よりこの身は冬にこそその真価を発揮するもの、
秋の少し肌寒い程度の夜では何の痛痒も感じない。少し耳を傾ければ人の生活音が溢れている。
静寂ともまた言えない全てが中途半端な状態は今の僕によく似合っているのでは無いだろうか。
夜の帳の内側を静かに走りながら肉体から乖離した精神は迷走し、瑣末な思考から零れた空想は止まる事無く続く。
と言っても時間は経過するし、道を辿れば宿に帰り着くのは当たり前の事。二階の部屋の窓は確かに鍵がかかっていない。
アスファルトを蹴って窓の出っ張りを爪で掴み、スライドさせて開けば其処には既に眠っているナツハの姿。
……何か釈然としない。別に寝ないで待ってろとは思わないけど、何か釈然としないぞ。

「いつもこんな放置?」
「自主性に任せているんです。
 それと、特訓して下さると言う事ですが……」
「ああ、明日ナツハに頼んでみる。一日2時間くらいなら時間取れるよね?
 流石に一匹でこの先戦い続けるのは辛いと思うし、頑張ってくれると嬉しいな」
「……よろしくお願いします」

枕元、粗末なサイドボードに置かれた二個のボールのうち一つを鼻先で叩き、赤い輝きに呑まれて消えるナッヘ。
一瞬ベッドに潜り込もうとしてそれを止めたのは、ナツハを起こさないようにという配慮なのかどうなのか。
まぁ、ともかく満腹になったし、あんまり眠くは無いけど一応寝ておかないと明日が不味いだろう。
特にする事も無いので窓の鍵を閉めてから自分の籠であるスーパーボールを前脚で掴んで叩き、
見慣れた薄い蜜色の空間に潜り込む。眠れなくても耳を塞ぎ眼を閉じていればいずれ眠気はやってくるのだから。
出発って言ってたけど、何処が目的地なんだろうかと、些細な事を考えている内に案の定眠くなって、
もぞもぞと耳に包まるような体勢に丸まって。……そこまでしか覚えていない。




夜は静かに更けて、渺茫たる宇宙は無色を無限に連ねた黒に輝く。
一つの物語が始まろうとしている事を、今はまだ誰も知らない。




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Last-modified: 2009-12-01 (火) 00:00:00
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