ポケモン小説wiki
LH7

/LH7

てるてる
ルイス・ホーカー .7


前回の更新分へ戻る

・登場人物の紹介はこちら



 赤い太陽に射すくめられた考古博物館の一室に集まった三人は、気だるげな面持ちで陽光を背に抱えたジュカインであるトニーを見つめていた。
トニーの話してくれた冒険についての概要は、到底信じられるものではなかった。
 サンダースのルイスはあからさまに退屈そうなあくびを一つすると、視線だけを横に動かして隣にいる二人の顔をのぞき見る。
視線に気がついて振り返った二人の表情が辟易の色に染まっているのを確認したルイスは、再びトニーに向き直り、小さく首を振った。

「なあトニー、言いにくいんだが」

 押し殺されて低くなった声がどんよりと沈み込んだ室内に浮かび上がるのに気付いたトニーは、眉間にしわを寄せたのちに天板から顔を上げた。

「なんだい?」

 静かな問いかけは、またもとの穏和な顔つきに戻ったのち発せられた。
にもかかわらずルイスが何も言えずにただ言葉を濁しながら目を逸らしてしまったのは、先ほどの車内で決意したことを思い出したのが原因だった。
この和やかな目の奥に自身を陥れる魂胆があると思うと、口は開けども、どうしても声が出せなかった。

「どうしたんだ、言ってくれないのかね?」

 さらなる問いかけに、彼は耳を寝かせて手元の絨毯の模様を見下ろしながら小刻みに首を振った。
そのたびに首から下がった銀のペンダントトップがよろよろと揺れる。

「……何でもない。気にしないでくれ……」

 つぶやくように言ったあと、ルイスはさらにうなだれた。
これ以上、トニーの目を見るのが怖かったからだ。
目を見れば、無意識のうちに真実を把握してしまうような気がした。
それだけはなんとしても避けたい、知りたい欲求と隣り合わせに存在する知ってしまう恐怖を味わいたくない一心での行動だった。
 しかし、この普段のルイスらしからぬ行動は周りの注意を引いてしまう結果に及んだ。
不思議な行動にルイスを除いた三人は皆一様に首をひねり、互いに目を見合わせる。
 すぐ隣にいたリリアンが不安げな表情を浮かべてルイスの背中をさすった。

「どうしたの?」

 小声でそう呼びかけるも、返答はまったくの無言のみだった。
いつもなら他人を慮るよりも、先に自分の用件を済ませようとするルイスが急に黙り込んでしまうなんてリリアンは信じられなかった。
何か変だ、首と同様に垂れ下がった黄色い耳を視界の端に捉えながら、彼女は思った。
わずかに丸められた背中に覇気の感じられない声、何か他人に言えないようなことに悩んでいる、という推測に達するのは容易だった。
 しかしこの推測も、彼女がルイスの表情を見ようと身をかがませた途端に確信へと変貌することになった。
タチの悪いルイスの悪ふざけなのかもしれない、と一瞬よぎった疑念に任せるがままにして見たルイスの表情に、彼女の青みがかった黒い瞳は動揺に揺れた。
じっと絨毯のただ一点にのみ視線を落とすルイスの潤んだ双眼、わずかに開いた口からは気をつけなければわからないほどの呼吸が漏れている。
 ルイスは怯えていた。
恐怖対象こそ不明ではあるが、その恐怖は相当なものなのだろう。
 リリアンは姿勢を正すと、ルイスをいぶかしげな目つきで見つめる二人を素早く見回す。
弱みを他人に知られることは誰にとっても苦であるはずだ。
注意の目をルイスから外す必要がある、そう判断した彼女はいつの間にか彼の背中から離していた手を挙げた。
 いきなり振り上げられた前肢にトニーは怪訝そうに目を細めてルイスとそれとを見比べたあと、リリアンのほうを顎で示した。

「なんだい?」

「え、ええとですね。その話が本当だという確証は?」

 問いに対してわずかにトニーはうつむいて、天板に広げられたメモ用紙を手に取った。

「正直に言うとない。本音を言わせて貰えばわたしもそんなの信用できない」

 ややあって再び顔を上げた彼の表情は、苦々しく歪んでいた。

「だが心から信じているやつはいる。電話を掛けてきたアルと、そのアルを雇った富豪の二人だ」

 見せつけるように掲げられたメモ用紙、逆光で黒ずんだそれを読もうとリリアンが目を凝らしたとき、すぐ隣にいたゾルタンが大きなため息と共に首を振った。

「失礼なこと言うようですがチーチ館長。こんな話、馬鹿げています」

 マグマラシのゾルタンはにべもなく言い放つ。

「考えてもみてくださいよ。そのような絵本の……ええと、絵本の……」

 言葉の最後を濁した彼は首筋を掻きむしりながら、助けを求めるようにそっとリリアンを一瞥する。
なんでしったけ、と小声で言うゾルタンに、リリアンはそっと耳打ちする。

「“輝石”よ」

 トニーはルイスたちに透明板のことを輝石という言葉に変えて伝えていた。
文献資料に載っている正しい呼び名よりも、現在世に多く出回っている呼び名のほうがわかりやすいと判断したからだった。
 ありがとうございます、と短めの謝辞のあと素早く頭を下げてゾルタンはトニーに向き直る。

「そのような物語世界の事柄、つまりは輝石を本気で信じるようなこと、少なくともわたしにはできません。チーチ館長あなたもでは?」

 その歯に衣着せぬ言葉遣いは、真面目な顔つきと相まってまさにゾルタンらしいものだった。
 この若者は自身に掛かる物事すべてを、天秤に乗せて常識の内か外かを決める節があった。
非常識を取り除いたまっとうな判断が出来るということは長所といえるが、突き詰めればそれは少しでも常識から外れたものは信じれない短所でもある。
このことをトニーたち博物館職員はみんな知っている。
そしてゾルタンが一度常識の外と判断したものを再び内側に戻すようなことをするはずがないこともみんな知っている、そんな男を言い負かすのは至難を極める。
 椅子の背もたれに深く座り直したトニーは、うつむき加減になった自身の顎に手をやると小さく頷いた。

「続けたまえ」

 言われて後ろ足で立ち上がるゾルタン、視線は変わらずトニーに投じている。

「述べたとおり、わたしは輝石が存在していると思えないのです。あれはあくまで物語を構成する要素で、それこ
そ現実には存在しません」

 存在しない、と断定的な意見のゾルタンに、トニーは顔を動かすことなく上目遣いにすくうような目つきを向ける。

「だとするなら、アルが見つけたと騒いでいるのはどう説明するんだ? 単なる間違いか?」

「そう推測するのが妥当かと思われます。チーチ館長の話ではそのドドさんは相当その輝石に執着していたようで
すから、おそらくは……なにか別のものを誤認してしまったのでしょう」

 のべつ幕なしにしゃべり続けるゾルタンにトニーは眉間に険しいしわを寄せてやれやれと首を振る、そして椅子をくるりと回転させて窓の方を向いたきり黙り込んでしまった。
まだ午前中であるため、部屋の明かりは東側の窓から差し込む光芒のみだった。
しかしそれも正午が近いため陽光はほとんど垂直に傾きつつある、おかげで室内のすべてがどんよりと薄暗い雰囲気を背負っている。
 部屋の四隅に一層強くわだかまる暗がり、その底に赤く沈み込んでいる絨毯の上で立ち上がったままのゾルタンは両方の後ろ足を踏み換え、話の決着を付けようにも窓の外を見つめたままいっかな振り返らない後ろ姿を覗き込んでいた。
 リリアンは延々と終わりの見えてこない二人の討論を片手間な意識に捉えつつ、隣の背中を丸めてうつむいたままのルイスに関心を向けていた。
時折顔を上げてはトニーのほうをうかがうルイス、前肢は繊維に爪を絡ませるように強く絨毯を掴んでいる。
それはまるで、身体に必要ない力を入れることで自身の中で騒ぎ立てる不安の原因を押さえつけようとしているようだ、とリリアンは思った。
 そんなリリアンが片方の前肢をルイスの前肢に被せたのは、そう思った直後に、何とかして安心させてやりたいと心内に思い至ったからだった。
いきなり触られたことにびくりと身体を硬直させるルイス、その強張った筋肉をほぐすようにリリアンはルイスの手の甲をやさしくなでる。

「大丈夫?」

 心配そうに小声で呼びかけるリリアンにルイスはふと視線を上げるも、相手と向かい合う形になったことで自身の目にうっすらと涙の膜が張っていることに気付かされたらしく、すぐにまたもとのうつむき加減に戻ってしまった。
しきりに目元をこすり上げたのち彼はわずかに首をもたげた。

「大丈夫。大丈夫、なんでもない。だから心配するな」

と弱々しく首を振って、また絨毯へと視線を投げてしまった。

「そう……」

 確信から不安へと移ろうルイスに対して抱く意識に、リリアンが言えたのはそれだけだった。
彼の前足から手を離すと、もう一度元気づけるように手の甲を叩いてから前へと向き直る。
 ただ頑迷に首を振ることのみだった最初に比べれば、はるかに元気になったかのようにみえた。
これ以上なにかをしてルイスの機嫌をこじらせてしまうより、いっそこのくだらない討論会を終わらせることのほうがよっぽど彼のためになる。
 向き直ったリリアンの目に映るのは、木目の浮かぶ大机の向こう側で石像のように動かないでいるジュカインと、その背中を見つめるマグマラシの二人だった。
いつの間にか四つんばいになったマグマラシのゾルタンは話の進展がないことにいらいらと首筋を掻きむしっている。
 話の途中でそっぽを向いたトニーの態度は、ゾルタンにしてみれば論議から逃走したように見えていたからだ。
無価値な議論に終止符を打とうにも、相手に放棄されてしまっては進退きわまってしまう。
しかし上司であるトニーに反抗するわけにもいかない、こうしてダンマリを続けたまま彼はふつふつと不機嫌をため込んでいた。
 そんなときに彼がリリアンのほうをちらりと振り返ったのは、たたらを踏んで動こうとしない議論に進展をもたらしてくれることを当てにしてのことだった。

「ビアスさんはどう思います?」

 片手でトニーのほうを示しながら問うた。
突然に飛んできた問いかけにしどろもどろと慌てふためくリリアンは、話の筋道を追いかけ直そうと頭を捻るも、意識のほとんどをルイスにもたげていたため霞が掛かったように大部分を掴み損ねていた。
しばらく悩み上げたすえ、霞みを振り切れそうにないことを理解した彼女は後ろめたさに目を伏せる。

「ごめんなさい。何の話だっけ?」

 上目遣いに見上げる彼女の声は自身の無知に恥じ入ったように物静かだった。
呼びかけを無下にされた相手の心中を推し量るような控えめな動作に、ゾルタンはびくりと身体を跳ね上がらせたあと、そうですか、と早口に言って顔をあさってに逸らせた。
ずっと居たにも関わらず質問に答えられなかったリリアンに対しての態度としてはかなり不自然なものだった。
 リリアンが覚えている限り、そういうことは今までに何度もあった。
ゾルタンが予期していないであろう行動を彼女が彼にすると、過剰といえるくらいにゾルタンは動転してしまうのだ。
 そのことに対してリリアンがさらなる疑問を抱くよりも先に、ゾルタンは再び口を開いていた。

「つ、つまりですね。わたしが聞いたのは、輝石が存在しているかいないか、ビアスさんのご意見をお聞きしたいと思いまして……」

 先ほどの不審な態度を誤魔化すようにまくし立てられる言葉、それに耳を傾けながらリリアンはこの青年がルイスに質問を飛ばさなかったことに心内で感謝した。
 窓からよどむ赤い光の中でゾルタンの頬は――少なくともリリアンは陽光のせいだと思っている――赤く紅潮しているように見えた。

「……どう思います?」

 どこを見やるでもなく言ったゾルタンに、リリアンは小さく肩をすくめた。

「わたしは、存在してると思うわ」

 彼女の言葉尻を紡いだのは、期待していたのとまったく違う答えにゾルタンの息を呑む音だけだった。
唖然と首を振るゾルタン、ルイスまでもがそのあとを追うように耳だけを彼女に向ける。
 思わぬ発言に訝しげな様子の二人を見て、リリアンは口元を緩ませた。

「そういう反応は最後まで聞いてからにしてよね」

 飾り気のない物言いに、ゾルタンは先を促すように軽く片手を振った。

「続けてください」

 リリアンは一つ頷くと、二人を交互に見やりながら話を始めた。

「いい? 輝石は存在するわ。だけど魔法のほうじゃなく、れっきとした考古物件としてのほう」

 わかりやすいようにと一言一句を丁寧に述べ表していく。

「ゾルタンやルイスは知らないかもしれないけど、文献や資料なんかを当たってると、その輝石とよく似たものを
たびたび見かけるのよ。もちろん大昔の科学技術としてのね。ですよね? チーチ館長」

 最後の質問はトニーに向けて放たれたものだった。
窓に向いた椅子に腰掛けたまま、いつの間にか顔だけをずらして横目にリリアンの講話に耳を傾けていたトニーだったが、三人の意識が自身に向くと果たしてまた窓のほうに顔を逸らしてしまった。

「その通りだ」

 陽光を携えたジュカインの影が頷いた。
 輝石が生まれた要因は当然のことながら文献として残った透明板の記述にある、しかし現在世に出回っている認識は、過去の遺産としての透明板ではなく夢物語としての輝石のほうが多数を占めている。
これは、透明板の存在が確かなものになる以前より大衆に根付いていた、発祥した時期すら定かでない民話に原因があった。
科学的な考案の一切含まれていない地方民話、そこにある輝石に関する言及もやはり科学的要素を取り除かれた夢物語だった。
 輝石のそもそもは透明板から生まれたものである、しかし地方民話に先を越されてしまったために、透明板の正しい情報は覆い隠されてしまったのだ。
輝石という、ただ民話のファンタジーの要素のみが一人歩きをしている現在で、ゾルタンが異議を唱えたのは当然のことだった。
 もう一度頷いたトニーは、椅子回転させて三人のほうに向き直った。

「だが考古物件としてなら、輝石という呼び名は不適当だ。正しく言うなら透明板だ」

 そうでした、とリリアンが舌を出しておどけたそのすぐあと、誰ともなしに質問をしたのは、首をひねって釈然としないふうのゾルタンだった。

「それはつまり……どういうことです?」

 これにはリリアンが応じた。

「言ったとおり。ただ存在しない絵空事と決めつけるのは早すぎると思うってこと」

 その返答に、ゾルタンは眉根を寄せて小さく頭を振った。

「ビアスさんがそう言うのでしたら」

 両手両足をそれぞれ踏み換えながらゾルタンは言った、はた目に見てもその動作はリリアンの出した答えに納得したふうではない。
むしろリリアンとの意見の食い違いがこれ以上起こらないよう、自分自身に無理矢理合点を合わせようとしているようだ、彼女は思い、実際の真意を確かめようとじっとゾルタンを見つめる。
そのすがめられたリリアンの視線に気づいてか、ゾルタンは仰々しいほどに大きな空咳ののち彼女を振り返った。

「輝石の存在については納得しました。ですが……」

 最後の言葉は、リリアンにではなくトニーに対して向けられたものだった。
不自然に当てられた区切り、気後れ調子な声がそれに伴い、だからこそ薄暗い館長室によく木霊した。
全員の意識が自分に集中するのに、ゾルタンは気押されそうな自身を鼓舞するように短い手を駆使して首筋を掻きむしる。

「ですが、まだ腑に落ちない点はあります」

 ゾルタンが言うと、トニーは顎をしゃくって先を促す。

「なんだ?」

「はい。先のビアスのご説明のおかげで、別の形ながらも輝石が存在していることはわかりました。が、今回見つかったそれが本物だという確証がありません」

 彼はちらと視線を横に振ってリリアンとルイスを見た。

「少なくとも我々はまだ確証を得ていません。館長の言葉から得られた情報は、西海岸で輝石が発見されたこと、発見までの資金や物資を提供した大金持ちの後援人がいること、この輝石の受け渡しが五日後の東海岸で行われること、そしてわたしたちにその受け渡しを阻止して欲しいと依頼されたこと、です。しかしこれらの情報はすべて電話越しに一方的に伝えられたもので、言質を取るには難しい状況であったと推察されます。しかも発見に関することも館長自身が実際に現場で見聞きしたわけではありません。確実と取れる情報は無いも同然です」

「つまり、確証と思える確証が出ない限り、納得は出来ないということか」

「簡潔に言えば、その通りです」

 いつになく鋭くなった眉間を指でもみほぐしながらトニーは言うが、それに対して別段まごつく様子もなく答えるゾルタンに、さらに眉間に濃い影ができたのにリリアンは気がついた。
 一度非常識と決め込んだ事項を絶対に認めようとしないゾルタンの性格を敵に回すのは非常に厄介だ。
どんなに説得したとしても、論理に小さな穴があるかぎり絶対に自身のかかとを妥協の領域に置こうとしない。
場合によってはすばらしい天性なのかもしれなかったが、今の状況は決してそれが要求されるときではない。
 反抗的な若者から視線を浮つかせたトニーが彼女のほうへ救いを求めたげに目を瞬かせるのは、リリアンにそう思っているのが自身だけではなかったことを思わせた。
そして彼女が、処置なし、と微苦笑に乗せて返事をしたことでトニーが大きく息をついたのに、想像は確信に傾いた。

「どうかなされましたか? ときに――」

 盛大なため息を流した館長に軽く首をかしげるゾルタンがさらに口を開きかけたのに、トニーは片手を振って制止する。

「ため息一つにまで意味を求める気か。さて、たしかにお前さんの言うことは確かだ、そんな真偽の定かでないことにきみたち三人を遠方にまで寄越して博物館の業務の妨げになるようなことは愚かで時間の無駄かもしれない」

 しばしそこで言葉を打ち切ると、相づちを打つように無言で頷いたゾルタンを睨め付ける。

「だがお前さんの意見はわたしの友人と、その友人と共に働いている人夫の命については含まれていて、しかもそいつらの生死に関わるということを考慮しての結論か?」

 峻厳を極めた物言いに、努めて無表情だったゾルタンに動揺が浮かんだのをトニーは見逃さなかった。

「アルの後ろについている依頼主は相当な金額をこの発掘につぎ込んでいる、五年間ものあいだしびれを切らさずにだ。もしそいつが自分の手の中に輝石が収まらないと知ったら、まず最初に発掘に関わった者たちが……殺されるだろう」

 殺される、と息つく間もなく飛んできた言葉の端ばしについてきたそれに、リリアンは自身の顔が引きつるのを感じた。
行き着く先が死という一蹴するのも容易いような突飛な理屈、しかし無視できないのはやはり無意識にこの室内にわだかまる緊張を嗅ぎ取っているからだろう。
 その判断は、うつむいたまま上目遣いにトニーを見上げるルイスと、蛇に睨まれたかえるよろしく立ち尽くしたまま視線を泳がせるゾルタンを横目に捉えてから出たものだった。
 依頼主が求めているのはファンタジーとしての輝石だ、考古物としてのほうではない。
アルが富豪に引き渡しを拒めば、あるいは引き渡したあと輝石に力が備わっていなければ、確実に終着点は死だ。
その最悪の結末を避けるには、どうしても関係のない第三者が必要になってくる。
一度依頼主の手に渡った輝石を第三者が奪い取ることで、不必要な被害を減らすのだ。
 この瞬間の判断が招く代償の大きさに気付かされたらしくゾルタンは、何か言おうと口を開きかけるも焦燥からか声を出せないでいた。
そのあいだにも、トニーは若者にたたみ掛けていく。

「誰も輝石が実物がどうかなんて問うてないんだ。大事なのは友人たちの命なんだ。今さら輝石の真偽なんてどうでもいい、そのことを言わなかったわたしにも非はある、だが結論を先走ったお前さんの考えはやぶにらみも良いとこだ」

 言って、ゾルタンのほうへ指を突きつける。
相手を嘲笑するでもなく、揶揄を含んだ目つきでさげずむでもなく、ただ厳格な風格を携えての物腰に若者はただ頭を下げることしかできなかった。

「浅はかで申し訳ありませんでした」

 大机と絨毯との境あたりを見つめながら、視線と同様に落ちた肩をそのままにして言った。
自身の非を認めることに抵抗があるのか、それはささやきにも劣る小さな声だった。
 トニーとゾルタンをきっかけとして室内を覆う静寂、無言のままのゾルタンにトニーは突きつけている手を降ろすと、ふっとその表情が和らげる。

「友人の命を助けるためだと思って、頼むゾルタン、おまえの力を貸してくれないか」

 先ほどとは打って変わって穏やかな物言いで語りかけるトニーにリリアンは心内のみに小さく苦笑した。
ゾルタンの主張を堅牢な態度に乗せてねじ伏せ、完膚無きまでに打ちのめしたあと、自説を見失って浮き足だった彼に穏便な姿勢をとることで、トニーはゾルタンを自分にとって都合の良い道へ悟られずに誘導する。
 正しくアメとムチを使い分けるトニーに、果たして首を頷かせるゾルタン、進退極まるところまで攻められた彼にしてみれば助け船を出された心地だろう。
そうか、と満足げに目尻にしわを寄せながら数回頷いたトニーがその視線をちらりとルイスのほうへ向いたのはほんの一瞬のことで、リリアンたちがそれを見つける事はなかった。

「話は以上だ。出発は今日中ならいつでも良い、意見があったら言ってくれ」

 机の天板を軽く叩きながらトニーは三人をそれぞれ示す。
どことなく早口なのは、その底にこの長論を早く終わらせたいという焦燥が混じっているからだろう。
 その焦りがどこから来ているのだろうか、とリリアンは疑問を感じかけたが、討論を終わらせたいのはリリアンも同じことなので特にそれを口に出そうとは思わなかった。
リリアンは隣のゾルタンとルイスを窺い見て、特に手を挙げる者がいないことを確認した。

「館長、一つ言っておきたいことがあります」

 言って立ち上がる彼女に、先のゾルタンのことがよぎったのか片手を振って発言を促しつつも身構えるように顎を引くトニー。
いくぶん神経質なその様子を見てリリアンは軽く笑みを漏らす。

「当博物館の職員として、この定められた就業規則を大幅に上回る職務命令に正式に抗議いたします」

 肩をすくませながら白い犬歯を覗かせる彼女の明快な物言いにゾルタンが顔を上げる。
不思議そうに目を瞬かせるゾルタンをちらと見やってから、トニーはうっすらと目を細めて答えた。

「その発言はしっかり覚えておく」

「どういたしまして。じゃ、さっさとこの話はおしまいにして、出かける準備をしないとね。ね、ゾルタン」

 確認するように振り返るリリアン、間近で向かい合ったゾルタンは若干視線を逸らしながら曖昧に頷いた。
この台詞は、もともとはゾルタンが言っていたものだった。
館外へ出向くことになったときに、そもそもの就業規則を違反していると館長に意見を申し立てる。
最近ではトニーが真面目に取り合ってくれないということを理解したのか、すっかり口に出す回数は減ってしまった、しかしその独特の言い回しは少なくともリリアンの興味を惹いていた。
 今回の場合、リリアンは単に面白がって言ったわけではない。
それはゾルタンの曖昧な返事を、彼女は受け止めることすらせずにルイスをうかがい見たことからも明らかだった。
 人はわかりきったことに安心を覚えるものである。
わかりきったこと――すなわち何度も見聞きしたことを再び経験することで、人は自身がそういう普遍の中にいるということを改めて認識することが出来る。
現にトニーは警戒的な態度を崩して目を細めたし、ゾルタンもこれといって苛立ちを示さなかった。
にもかかわらずルイスを押さえつけている暗澹は相変わらずかき消えることもなく、ちらちらとトニーをうかがう不安に打ち沈む表情を中心に依然としてそこにいた。
 内面にため込んだ不安に周りの声すらも届いていない、と彼の屈み気味の姿勢にリリアンはそう思った。
思いはしたもののそれを追求しようとしなかったのは、ルイスの人となりから想像できないほどに陰々とした様子があまりにも痛々しくて見ていられなかったからだろう。
 だから彼女はそれきりなにもしなかった、ただトニーの望みである――ルイスの望みでもある――長論を終わらせるという目的を果たすため、トニーに二言三言しゃべりかけたのち、準備をするという名目のもと廊下へ出ようときびすを返した。
廊下へ出て行くリリアン、ゾルタンとルイスがそのあとに続く、ところが実際に部屋を出たのがゾルタンだけだったのは、途中ルイスをトニーが呼び止めたからだった。

「そうだルイス、ちょっと話がある。残ってくれ」

 すまん、と最後に付け加えながらわずかに手を振るトニーを肩越しに認めたルイスは、思案げな視線を廊下にいるリリアンたちに投げかける。

「……ふたりにしてくれないか?」

 暗い眼差しを羽織ってのそれに、リリアンもゾルタンもただ無言で頷くしかなった、次に二人が口を開いたのは、リリアンが扉を閉めてからだった。
 館長室からの光が絶たれた廊下は、はるか彼方の突き当たりにしか窓がないおかげで石張りの冷たい廊下の四隅から広がる闇が一層濃かった。

「しかし、どうしたんでしょうね?」

 ドアノブに掴まり立っていたリリアンは、薄暗さに目を瞬かせながら誰ともなしに問いかけるゾルタンを振り返った。

「どういうこと?」

「あ、いえ。ホーカーさんですよ。なんだが様子がおかしい気がしたので」

 釈然としない面持ちで館長室のほうを指し示したゾルタンに、リリアンは慌てて首を振った。

「そうかしら? いつもと変わらないように見えたけど」

 はあ、とまたも釈然としないふうのゾルタンにリリアンは、そうよ、とやや語気を強めて言った。
加えて早口だったのは、その底にルイスの怯えを知られたくないと思う気持ちがあったからだ。
自分の弱みを明るみに出されるのは誰であろうとつらい。
もしかするとゾルタンもそのことに気がついているかもしれないが、お互い話題に上らせないことで暗黙のうちにしまっておきたかった。

「……まあ、ビアスさんがそうおっしゃるのでしたら」

 奥歯に物が挟まったような言い方は、明らかに納得した様子ではなかった。
ちらりとゾルタンが耳を館長室に向けるのに、さらに疑問を投げかけてくるのではと危惧したリリアンは、

「そんなことより、準備しないと」

と、ことさらに明るく言ってきびすを返した。
 呼び止めようと片手を上げかけたゾルタンはどんどん遠ざかる背中に息をついたあと、小走りに追いかけた。

「準備と言われましても、なにをするんです? 雪山を行って帰ってくるわけではないですし」

「雪山に必要なものが、町なかで不必要だとは限らないわよ」

「理解しかねます」

「考えて」

 そう言われたきり考え込むように黙り込んでしまったゾルタンを、廊下の突き当たりに差し掛かった辺りで足を止めて振り返ったリリアン。
はめ殺しの窓から垂直に差し込む陽光は、石張りの床に反射して周囲にほこりを浮かび上がらせていた。
同じく足を止めたゾルタンは、リリアンの見つめ返す視線に気まずさを覚えたのか、誤魔化しを含めて舞い上がるほこりに目を逸らしていたが、すぐに観念して頭を下げた。
ありのままに申し訳ない気持ちを示すゾルタンに、リリアンは苦笑を浮かべる。

「睡眠よ睡眠、寝ること。まさかここから東海岸までルイス一人に運転させるわけにはいかないでしょ」

 彼女が言ったのに、ゾルタンは理解を得たらしく頷きを返した。
 五日後までに東海岸のモヘガンに到達する必要がある。
眠るとき以外をすべて移動に時間を割いてもそれまでに着ける保証はなく、必然的に運転者に負担が掛かってしまう。
しかもモヘガンへ向かうルイスたち三人の中で、運転できるのはルイスとゾルタンの二人だけ、ゾルタンに至っては身体の構造上かなり無理な姿勢を強いられてしまう。
依頼主から輝石を奪い取るその時まで、確実な休息は今しか取れないのだ。

「そういうことですか、わかりました」

 すなおに礼を述べるゾルタンに頬をゆるめたリリアンは階下に下りるため一度彼に背を向けたにもかかわらず、またもゾルタンを振り返ったのは、ときに、といぶかりげな声が浮かんできたからだった。

「――ときに、ビアスさんはこれからどちらへ?」

 問いを投げかけつつ、自身もまた階段に足をかけようとするゾルタンに彼女はとぼけるように肩をすくめた。

「わたしは、ほら。運転なんかできないでしょ? だからあなたたちが休んでるあいだに大事なことをやってしまおうと思って」

 歩を止めるゾルタンの何か問いたげなその表情を察したリリアンは、尻尾を反らして下へ続く階段を示した。

「博物館を閉めるなら、そうお客に説明しないと。とくに中庭にいるお客さんたちにはちゃんと説明しないとね」

 言いながらリリアンは自身が待たせていた中庭の子供たちと交わした、すぐに戻ってくるという約束を果たせないことを改めて実感した。
絵本を載せたベンチのまわりで思い思いの様子で待ちわびる子供たち、しばらくリリアンと会えないことを知ったらさぞ悲しむことだろう。
 子供たちの気持ちを忖度するリリアンの顔つきが、薄暗い陽光も手伝ってずいぶんと渋い様子を醸していたのに、ゾルタンは彼女が不快感を感じているものと受け取ってしまった。

「なんでしたらわたしが代わりに行きましょうか?」

 控えめな申し出に、最初リリアンは唐突なそれに首をかしげるも、返答を待つようにじっと見つめてくるゾルタンの赤い瞳に気遣いの心を感じて微笑を浮かべる。

「ううん、気にしないで。それよりも」

 ゆるく首を振ってから、彼女はゾルタンのもとへ引き返していく。
おもむろな振る舞いにゾルタンは両手両足をそれぞれ踏み換えながら背筋を伸ばす。
なんですか、と問おうとした若者の言い終わるよりも早く、リリアンはゾルタンの耳元に顔を近づけた。

「おやすみなさい、ゾルタン」

 情感を感じさせる物言いに、ゾルタンはうろたえながらその場から身を退いた。
逆立った背中の毛とそこから吹き出す炎がそれだけの慌てぶりを顕著に表している。
おろおろと視線を泳がせながら顔を真っ赤に染めたゾルタンは、その時になってリリアンの青みがかった瞳に見つめられていることに気付いた。
なにか言おうか言うまいか思案しているような風情だったが、やがて焦りと狼狽に追われるように廊下を駆け出し、自分の部屋に飛び込んでしまった。
 素早く開け閉てされるドアの音、廊下に残った焦げ臭いにおいを渡って廊下に響く。
一人ぽつんと残されたリリアンは、どこまでも女性に初心なゾルタンの人となりに呆れつつも感謝しながら、彼女もまた駆け出した、しかしその向かう場所は中庭ではなかった。
 薄暗い廊下においてさらに暗い、暗澹とした雰囲気を携えた大きな扉の前で立ち止まるリリアン。
向こう側にある館長室を遮る、木目を湛えて黒くすすけたドアに彼女は身体がこわばるのを感じながらも、ドアに耳を押し当てた。
 しんと静まりかえった館長室と同様に静かな廊下、双方の無音に伝う自身の緊張に早まった息づかいすら不安を誘われる。
ふつふつとわき上がるその不安をもってしてもリリアンがその場から離れようとしないのは、先のルイスの態度が彼女の意識に引っかかっていたからだった。
ルイスがひた隠しにしようとしていた恐怖の片端、知りたいという欲求もあったが、隠そうとしていただけに知ってしまうことへの後ろめたさもあった。
 自分の弱みを明るみに出されるのは誰であろうとつらい。
当然彼女はルイスではないのだから、ルイスの機微をつぶさに汲み取れるわけがない、だからこそわずかに汲み取れた手がかりにリリアンはルイスを一途に心配していた。
ましてリリアンはルイスと一時期交際していたのだ、恋愛感情こそ薄れた今でも普遍的な親友として以上に情を込めることはできる。
いまの彼女は心の底からルイスを心配していた、曖昧な立場だからこそ出たその一方的とも取れる結論の善悪を見極められなくなるほどに。
 そんなときに館長室の中から聞えてきた椅子を引くような物音は、十分リリアンの気を引くものだった。


次へ


なかがき

更新速度を上げなければと思い続けて一ヶ月も空白が空いてしまった。
これからはもっと早く更新していけるよう、展開もスムーズに出来るよう練習して読者さんのみなさんに満足してもらえる作品を作れるよう努力せねば。

コメントはありません。 Comments/LH7 ?

お名前:

トップページ   編集 凍結 差分 バックアップ ファイル添付 複製 名前変更 再読み込み   新規作成 ページ一覧 ページ検索 最近更新されたページ   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2010-06-12 (土) 00:00:00
This site is protected by reCAPTCHA and the Google Privacy Policy and Terms of Service apply.