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25の不確かな断章

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※本作は、第十九回短編小説大会に投稿した13の不確かな断章を加筆・修正したものです。また、同性愛表現を含みます。お楽しみください。


 時は否応なしに進んでゆく。その過程でぼくたちは何かを獲得し、そして獲得したよりはるかに多くの何かを失っている。


    1

 この話は三年前の春、つまりぼくがセキエイ学園に入学した瞬間に始まり、その三年後、学園卒業の日の一一時五九分に終わる。
 あの三年間、ぼくはほぼすべての時間を学園と寮で過ごした。実家には一度も戻らなかったが、母は電話の一本、手紙の一枚もよこさなかった。今さらそれが悲しくはない。実際に三年を過ごしてみても、それでぼくと母のあいだに実害といえるものは何一つとしてなかったのだ。
 セキエイ学園の桜は、ぼくが入学してくるころにはすでに満開だった。例年よりも早いくらいで、カントー地方はやはり温暖化していた。
 セキエイ学園は全寮制で、二人一組の相部屋だった。ぼくと同じ部屋に暮らすことになるY(プライバシーの観点からもそう呼ばせてもらう)と顔を合わせた時、ぼくが最初にやったのは、ぼくはかなりの出不精で、つまり卒業までの三年間、大きい連休があったとて自発的にどこかへ出かけるつもりはない、と話すことだった。だからもし、きみが一人の時間を持ちたくなった時はそう言ってほしいと。
 するとYは朗らかに笑ってみせた。春のうちにすでにして日焼けした肌に、真っ白な歯がまぶしい。そして生まれもった短い金髪。いかにも快活そうな男の子だった。
「オレは逆に、休みに部屋でじっとしてられない方なんだ。がさつだし、気が利かないから、なんかあったら言ってくれよな」
 今にして思えば、三年の共同生活でぼくとYの間に目立った衝突は一度も起こらず、だから特段語るべきこともない。互いへの適度な無関心のおかげで、ぼくらの生活は比較的、快適だった。ぼくらは相性がよかったのだと思う。それは幸運なことだ。相方と合わないと寮生活は悲惨である。Yには感謝してる。そして今でも、Yとはなんだかんだとつるみ続けている。


    2

 ぼくの過去について。
 父はとうの昔に死んだ。ぼくが六歳くらいのころだ。父については、ぼくが「お父さん」と幼さを剥き出しに呼んでいたことしか覚えていない。優しい父だった……と思う。たったそれくらいだ。
 活力ある人間だと幼いながら見ていたが、ある日、流行性感冒が父の身を侵した。どれくらいの時間、父の命が感冒に侵されていたか正確な月日は覚えていないが、本当に一瞬のうちに病は父を連れ去った。その感冒は血を吐くものだった。なぜ血を吐くのかは誰もわからなかった。当時のぼくは何も知らなかった。父が死にかけていることも、血を吐いていたことも。
 お父さんは大丈夫だよとぼくは聞かされていて、それを信じていた。それは幼子故といえることだったのかもしれないし、子供に血を見せない大人たちの配慮だったのかもしれない。そしてその経験は、今まさしくぼくの思想に繋がっている。
 無知は悪だ。絶対にそうだ。そうに決まっている。
 感冒の特効薬ができたのは、それから二年も後のこと。そのきわめて高い致死率は、完全にとはいわずとも、ほぼゼロになった。それまでにたくさんの人間が死んだ。だが誰も、死んだ人間を返せとは言わなかった。そして特効薬の存在に誰もが救われた。
 最後に覚えている父の顔は、少なくとも生きているものではなかった。安らかな顔、死に装束の記憶……涙に覆われたぼんやりとした像でしかない。
「お父さん、お父さん」と、ぼくは涙声で装束に縋りついていた。昔よくしてくれたお手伝いさんも、胸元に涙を落としていた。母は横でじっと父の顔を見ていた。その瞳に何を映していたのか、ぼくにはわからない。
 

    3

 セキエイ学園の入学式で、生徒は相棒のポケモンをもらう。初心者に易しい、それなりに育てやすく、それなりに強力に進化するポケモンたちだ。
 教室で先生からモンスターボールが配られた。ぼくが名前を呼ばれてボールを受け取り、席に戻って緊張とともに机の上に出してみると、中から出てきたのは、ニャビーだった。
 大方の生徒がそうだったように、当然ぼくも感慨に浸った。ポケモン……ポケモンだ。ぼくの相棒。今この瞬間から、ぼくはこのニャビーのトレーナーなんだ……
 ニャビーのことは知っていた。どのポケモンが配られてもいいように、スマホロトムで調べていたから。あまり構われたがらない、おとなしいポケモンだという。一匹で過ごす時間を好む。一年に二度ほど毛が生え代わり、時期になると自分の体に火をつけて古い毛を燃やす。
 ぼくの机の上で、ニャビーはどうということもなさそうにしていた。ご挨拶程度、ぼくの顔を見て、みゃー、と鳴いてから、体を舐めて毛づくろいをしていた。
 担任が通り一遍のことを話し終えると、その日は解散だった。入学式の日は授業がなかった。だからぼくらには、与えられたポケモンとの時間がたっぷりあったのだ。
 教室から出て、みんなてんでバラバラに散ってゆく。寮に戻る者、食堂や中庭に行く者、図書室に行く者。ぼくはもちろん、寮に戻った。途中、大概の生徒は相棒のポケモンを連れて歩いたり、腕に抱いていたりした。ぼくはニャビーをモンスターボールに入れていた。信頼を築く前に触れ合うのはよくない。それがニャビー。
 部屋にYはいなかった。自己申告どおり、解散して真っ先に部屋に戻るような性格ではないのだろう。だからぼくは、部屋でニャビーを自由にしてやって、その姿を観察するということに没頭できた。ニャビーは最初、初めて訪れる部屋をきょときょと見回して、しばしうろつき、ジャンプで窓辺に乗ったりもしたが、最終的にはぼくの学習机の下の暗いところに陣取った。ごろんと横になり、お腹の毛をつくろう。
 Yが戻ってくるまで、ぼくはずっとニャビーを見ていた。しかしあまりジロジロ見ていると、ニャビーの方だって落ち着かないだろう。じいっと見つめたいのを抑えながら、それとなくだ。
 ニャビーは毛づくろいに余念がない。警戒されているようすはなかった。とりあえずそれはよいことだ。ニャビーがあまり動き回らないおかげで、観察もしやすかった。毛並みは主に黒。四本の脚に、それぞれ二本の赤い縞模様。目から下も赤く、額には「キ」のかたちの赤模様。ニャビーの体毛には油が含まれていて艷やかで、毛づくろいで抜けた毛をお腹に溜め、体内で燃やす。そうやって火を吹く。小さい体に、炎を生み出すエネルギーを持っている。ニャビーは進化するとニャヒートになり、ニャヒートはさらにガオガエンへ進化する。
 ニャビーの進化はいつごろになるだろう? それにはたくさんのバトルを経験して、レベルアップしてゆかなくてはならない。ポケモンバトル……それがぼくにできるだろうか? というか第一、ぼくとニャビーはどんなパートナーになってゆくのだろう? どんな関係を、築けるのだろう?
 やがてニャビーが欠伸をひとつして、体を丸めたので、ぼくはニャビーをモンスターボールに戻した。モンスターボールの中は、ポケモンにとって住みよい造りになっているらしい。だったらボールの中の方がよく眠れると思った。今日は好きなだけ寝るといい。
 そうしてお昼ごろにYが帰ってきた。
「やっぱり部屋にいた。なんかそんな気はしたんだよ」
 Yは頭にポケモンを乗せていた。ニャオハだった。Yは出会ったばかりの相棒とあっさり仲良しになれたようだ。ニャオハはYの頭へ横向きにぺったりと貼りつきながら、ぼくにもにゃあにゃあと愛想を振りまく。果物めいた甘いかおりがした。
「メシ行こうぜ」
「うん。ここの学食、カツカレーがおいしいんだって」
「へー、じゃオレ、それにしよ」
 スマホロトムと財布だけを持って部屋を出る。するとYは部屋をちょっと見て、「そっち、ポケモンは?」
「ボールに入ってるよ。今は寝てる」
「なんのポケモンだった?」
「ニャビー」と、ぼくは言った。
「ああ、そりゃマイペースなわけだ」
 歩きながら、Yのニャオハはぼくに向かってしきりににゃあにゃあいっていた。頬擦りでもしようというのか、首まで伸ばしてきて、Yの頭から落ちそうになり慌ててしがみつくということを何度か繰り返した。かまってほしいのだろうか。ニャオハは甘えたがりなポケモンらしい。
 なんだかニャビーとは正反対だ。しかし気さくなYのためにあつらえたようなパートナーじゃないか。ただそれをいえばニャビーだってぼくの気質を理解したようなポケモンかもしれない。信頼しあうには時間がかかる。互いに心地よい距離を保ちながら、適度に暮らす。ぼくにはそれくらいでちょうどいい。あまり元気なポケモンでは、ぼくはきっと疲れてしまう。
「でも、ニャビーとニャオハか。奇遇っていうか、なんつうか」
「どういうこと?」
 Yが少し黙った。気まずくて黙ったのではなく、言葉を選んでいた。Yは自分のことを「がさつだし、気が利かない」と言っていたが、そのときYは確かにぼくを慮って言葉を探したのだ。
 そして言った。
「ニャオハ立つな」
「え?」
「――って、言われてんの、知ってる?」


    4

 文学について。
 父が死んだあと、ぼくは母から、いやたくさんの人から、いや世界から多くのことを学んだ。そのおかげで、ぼくは一応、四桁足す四桁の足し算とか、三桁かける三桁の掛け算くらいなら暗算できるし、なんのために必要なのか知らないがピアノが弾けるし、「おまえって食べ方がきれいだな」とYに言われる。微分積分学の基本定理はなぜか知っているし、なぜ空に雲が浮かんでいるか大体の理由を説明できる。
 傍から見れば、今となってはポケモンに傾倒しているかもしれないが、人並みの教養はあると思う。
 ぼくは文学も嗜んだ。ポケモンについて書かれた本だけじゃない。ポケモンに出会う以前から小説など腐るほど読んでいたし、太古の思想家の思想をまとめた本も(それのほとんどをぼくは理解できなかったが)いくらでも読んだ。
 惜別を描いた本に涙したこと、人間の本能的な畏怖に震えたこと、数えきれない。
 言葉にはいつだって力があった。
 文章の中では、世界は意のままだったはずだ。また文章には、人を震えさせる力がある。指をパチンとならせばきっと何かが起こったはずなのだ。それは空気が震えるとか、音が聞こえるとか、リアルテイストが効きすぎた興覚めなものでなくて、星が降る幻想とか、人がその文章に涙したりするとか、そういうことだ。
 だが現実はそうではないし、文章を書くことは意外にも苦しいマラソンだった。レポート用紙の上から書き始めて下に行きつくまでに、数多の用紙はゴミ箱の中に放り去られる。紙が埋まるのにはよくて五時間、長いときは三日かかった。
 たぶん、「整合性」がすべてにおいて邪魔をしていた。人間は何にだって整合性を求めるのだ。たとえそれがファンタジーだとしても。それがたとえ夢の中に起きたことだったとしても。
 なぜ、小説家はこんなにも物を書くのがうまいのだろう。ぼくの日常は小説の世界ほど煌めいていない。ほかの人間だってそうだ。小説家といわれる人たちはみんな大きい家に住んでいて、広大な庭に一人墨客ぶっているかもしれないが、きっと善良で、石を投げれば当たるような、平々凡々とした人間なのだ。
 物書きは、狡猾で嘘つきな人間だというあらぬ考えが回ったこともあった。しかしそれは誤りだ。
 小説家とは、想像を伝達しているのである。それは嗜虐、寓話、たくさんの形をとる。少なくとも一定以上の人気を博しているような才能ある小説家は、平々凡々でありながら、青春時代の夏とか、推理小説とかを書いている。それは絶対に経験によってなされたものではないはずだ。
 経験でしか小説は書けないというのは、才能がない者の逃げ口上だ。
 本当に才能あるものは、その小さな頭蓋の中に綺羅星のごとくめぐる想像を書き起こして、伝達できる人たちなのだ。
 そしてぼくは、そういう人間ではなかった。それは努力でどうにかなるものではない。生まれた環境……もともと持って生まれたもの……そういう問題だ。
 それがぼくの文学の帰結であり、ぼくの文学との決別だった。
 その決別の瞬間は、父が亡くなってから三年ほどたったある朝のことであり、ぼくは朝に少年が正十七角形の作図方法を思いついたように、はっきりとした天啓をもって「やめた」と決心した。
 ポケモンとの邂逅は、それから少し後のことだった。


    5

「ニャビーが進化してゆくと、最後はガオガエンになるだろ?」
 Yといっしょに学食の列に並んで、結局ぼくもカツカレーを注文した。人気メニューらしく、ぼくとYの前に並んだ生徒もけっこうな割合でカツカレーを頼んでいたし、そうなったらもう強いてほかのものを食べようなんて気にはなれなくて、ぼくもその流れに便乗してみることにした。カツカレーなんて料理は、カレーライスにカツが乗っているに過ぎないはずなのに、カレーに乗せられたカツというのは、カツカレー以外では絶対に出ない風味があるから不思議だ。料理とは科学である。とするなら、カツカレーのカツに特有の風味だって、きっと科学に関する何かがあるに決まっている。
「それが嫌だっていうんだな。小さくて可愛かったニャオハが、ガオガエンみたいに二本足の厳ついポケモンに進化してほしくない」 
「ふうん……」
 Yが言葉を選ぶわけだった。それを、ニャビーのトレーナーであるぼくに言うためには。カツカレーの味わいだって、どこか損なわれるような話だった。
 とはいえ。
「センスの問題だよね。見た目が好きか嫌いかって」
 すべてのポケモンを平等に愛するのは、トレーナーの理想かもしれない。だが持って生まれた感覚センスはどうしようもないと思う。それと同じように、ニャビーが最後にはガオガエンに進化することだって、誰にも変えようがない。
「まあ、なあ」
 Yもカツカレーを頬張る。ちなみにYは大盛りを注文していた。
「オレは、ガオガエンってかっこよくて好きだけど」
「うん」
「ニャビーやニャヒートを見て、ガオガエンにギャップがありすぎるっていうのも、わかんなくはないよ」
「そうだね。それにガオガエン自体が嫌われてるわけじゃないと思う」
「……てえと?」
 ぼくはYに、ロイヤルマスクの話をした。アローラ地方限定のポケモンバトルのルール、バトルロイヤル。ロイヤルマスクは、バトルロイヤルの有名な選手なのだ。顎髭をたくわえた筋骨たくましい覆面男で、とても強いガオガエンを相棒にしている。ロイヤルマスクとガオガエンは、老若男女を問わない人気者だ。彼らの勇姿はアローラ地方に留まらず世界中にファンを生んでいる。
「そうだな」と、Yはうなずいた。「ガオガエンそのものが嫌いとは、あんまり聞かない。そういうのはいつもニャビーやニャヒートとの比較で」
「だよね」
「ていうか、ニャオハだってニャローテになれば二足歩行するんだし」
「それ、『立つな派』はどう思ってるんだろう?」
「さあ。オレは進化って楽しみだけどな。ニャオハも可愛いけど、やっぱ大きくなって、強くなってほしいもんな。ずっと今のままじゃ寂しいよ」
 言って、Yは体を傾けた。椅子の横でポケモンフーズを食べているニャオハを撫でたらしい。ぼくが覗き込むと、背中を撫でる手にニャオハが顔を擦りつけて、嬉しそうに小さな声で鳴いていた。その愛らしさに魅了されるトレーナーがいるのは、自然なことだ。
 ニャビーは多分、そういうポケモンじゃない。Yとニャオハのような、わかりやすいスキンシップはなかなかできないと思う。それはかまわない。ぼくらはぼくらの関係を築いてゆけばいい。Yとニャオハのことも、「ニャオハ立つな」というミームのことも、余所事に過ぎない。
 そもそもぼくにとってのガオガエンは、ニャビーやニャヒートである前にガオガエンだ。ガオガエンのことを進化前との比較で見たことはない。
 ぼくにはガオガエンへの憧れがある。それはトレーナーの自然な愛情というのではなく、もっとずっと明瞭な期待なのだ。それをYには話せない。いやYだけでなく、誰にだって話せない。


    6

 ぼくにとってのガオガエンといったら、兄さんのガオガエンだ。
 兄さん、といっても兄弟ではない。カロス地方に住む五つ上の従兄弟のことだ。夏とか年末年始とかに、パルデアにあるぼくの実家に家族でやってくるので、その時に兄さんのポケモンにも会えるのだ。そしてぼくは、兄さんのガオガエン大の仲良しだった。その仲の良さといったら、兄さんが「ガオガエンのこんな喜び方、見たことないぜ」と言うくらいなのだ。
 兄さんはちょっと変わったポケモントレーナーで、ほのおタイプのポケモンだけで戦うというのが矜持だった。それも感覚センスの話である。ウインディ、バシャーモ、ウルガモス……とにかくほのおタイプ使いとして最強のトレーナーになるのを目指す、「ほのお統一パーティ」の使い手である。
 ぼくはもちろん、リザードンとかシャンデラにだって惹かれるところはあるんだけど、やっぱりガオガエンが好きだ。そして実のところ、ガオガエンも人間の子供が好きなポケモンで、だからもう、ぼくらが仲良くなれた理由というのが、子供のぼくがガオガエンを好きだったからなのか、ガオガエンが子供のぼくを好きだったからなのか、本当のところはわからない。しかしとにかく、ぼくにとって実家に兄さんが遊びにくるというのはガオガエンに会えるということだった。時間の許す限りをガオガエンと過ごした。
 ぼくの部屋にはテントがある。タオルケットを絨毯代わりにした、子供部屋の中のさらにプライベートルームだ。ガオガエンはそのテントが好きだった。ガオガエンは体が大きいから、一人用のテントなんかに入るとぎゅうぎゅう詰めになるのだが、そういうせせこましい場所を気に入るのはぼくも同じで、本を読むときは大抵テントの中だった。ぼくとガオガエンで、ほかには誰も入り込めない空間で、その暖かくて大きな体を思いきり抱きしめるのが好きだった。むおん、と喜んだ声を出して、ガオガエンもぎゅっと抱きしめてくれる。
 初めて兄さんのガオガエンに会った時、ぼくは十歳だった。ぼくの友達はみんな、親にモンスターボールを買ってもらったり、お小遣いで自分でモンスターボールを買ったりして、近所でゲットしたグルトンやタマンチュラなどで、真似事程度にポケモンバトルをやりはじめていた。ぼくは特段、そういうことに関心がなかった。ちょうど文学に熱中していた時期だった。だからぼくのポケモンデビューはみんなよりだいぶ遅れた。だがそれが異様というのでもない。世の中は何もポケモンに夢中になる人間ばかりじゃない。
 初めてのガオガエンとの出会いから一年が経ち、文章を読むということにきっちり慣れ親しんだ夏のこと。近いうち、また兄さんが遊びにくると知った。ぼくは当然、ガオガエンに会えることを喜んだのだが、そこでふと思いたった。ガオガエンというのはどういうポケモンなのだろう? 何をしてあげれば喜ぶのだろう? そもそも、ぼくはポケモンのことをあまりにも知らなすぎた。ガオガエンともっと仲良くなるにはどうすればいいのか。
 その方法論に目星はついていた。本だ。文学はぼくに知識を与えてくれる。ガオガエンともっと仲良しになれるやり方を。
 そうして十一歳の夏、ぼくは兄さんが連れてくるガオガエンを歓待した。お小遣いをはたいて、ガオガエンが好むおやつやマッサージブラシなどを買って。
 ガオガエンと楽しい時間を過ごすこと。ガオガエンを喜ばせること。それはぼくの使命だった。時々しか会えないぼくと一緒にいる時、あるいはぼくのことを思い出す時、そのすべてがガオガエンにとって幸福であってほしいのだ。また会いたいと、思われたいのだ。
 それはもはや愛だった。ぼくはあの時すでに、ガオガエンを愛していたと思う。
 ガオガエンを部屋に連れてゆき、寝転んだガオガエンの大きな体をブラシでマッサージした。頭、首元、お腹……毛を梳いていると、ガオガエンはどの部位でも嬉しがった。ぐるぐると喉を鳴らすのが、心地よさの表れとぼくは知っている。そのぐるぐるをもっと聞きたくて、いつまでもガオガエンをマッサージしていられた。ブラッシングを受けて、ガオガエンはぐりぐりと身をよじる。ガオガエンがごろりと転がれば、ぼくは背中や脇腹をマッサージした。ふさふさの毛並みはところどころ焦げていて、激しいバトルの痕跡になっていた。
 兄さんはただガオガエンを連れているのではない。最強のほのおタイプ使いを目指しているのだ。だからきっと、兄さんのガオガエンもとても強いのだ。そういう強いポケモンを、自分の手で喜ばせてやれる。その喜びはかけがえない実感だった。知識さえあれば、トレーナーでなくともポケモンと仲良くなれる(この期に及んで、ぼくはまだ、自分がポケモントレーナーになることを欠片も考えていなかった。ガオガエンと仲良くなることだけが至上目的なのだ)。
 ぼくのマッサージが、ガオガエンの腰まわりを過ぎて、お尻のあたりに至った。ここはさすがに嫌がるかしらと、浅くブラシを当てて尻尾を撫でてみた。思ったより嫌がらない。もう一度、尻尾の根元から慎重にブラシを滑らせる。がいん、とガオガエンが声を漏らす。決して不快な声ではなかった。大切な感覚器官を許してくれるガオガエンのその態度には、全幅の信頼があった。
 繰り返すうちに、ガオガエンの両足がぴんと伸びて、お尻が高く上がってきた。初めて見る姿だ。それが面白くってマッサージしていると、このあたりがよさそうだという部位が少しずつ判明する。尻尾のつけ根だ。そこを撫でると、ガオガエンはもっとしてほしそうにお尻を持ちあげる。ガオガエンの脚はほとんど爪先立ちになっていた。ぼくはもうブラシを使うのも煩わしく、手指で直接そこを撫でる。頭を低く、尻を高くした奇妙なかっこうのまま、ガオガエンは甘えるようにガウガウと唸っていた。力強い体躯に、凶悪な爪と牙。そんなポケモンの陶然とするさまに、ぼくは完全に魅了されていた。

 ぐるる、がるると身を擦り寄せてくるガオガエンに抱き上げられ、ぼくはテントに運ばれた。ぼくが知らずに撫でていた尻尾の付け根は、ガオガエンの性感帯だったのだ。ガオガエンは、ぼくがしつこくそこを撫でるのを求愛だと思ったのだろうか。しかし実際、ぼくはガオガエンに求愛していた。いくら性に無知だといっても、ぼくがガオガエンに求めていたことはいつだって、同じようなものだったと思う。
 ガオガエンはテントの入り口を閉じた。いつも遊ぶ時は、そんな風にはせず開けっ放しだ。夏の、冷房で涼しくした部屋の中にあって、テントの中はどんどんと高温に達した。ほのおタイプのガオガエンの体温と、ぼくの未知への好奇心と興奮で。
 ぼくは、ガオガエンに促されるままに、ガオガエンに見られながら服を脱いだ。相手はポケモンだし、という恥じらいのなさで。
 そしてそのまま、ぼくらは一晩を過ごした。狭いテントの中、ぼくはガオガエンに汗まみれにされて、暑さがたまらずおやつに持ってきたジュースもボトルごと飲み干しながら、ガオガエンに愛されること、ガオガエンを愛することを、やめられなかった。
 どれだけ無知な子供といっても、ガオガエンのおちんちんがびょんと股間から上向きに勃起していれば、性的な気配を察知するくらいのことはできた。最初は、棘にまみれた三角錐が、人間の性器とはまるで違うことで無邪気に観察気分だったが、ガオガエンの求めるまま裸になり、ガオガエンの大きな手指がぼくの胸や股間やお尻をじっくり撫でてくるうちに、止まれなくなってしまった。兄さんや大人たちに隠れて、ぼくらはここで、越えてはいけない境界を越えるんだ――
 ガオガエンはとても優しかった。痛いことは一つもされなかったし、ぼくが嫌がることをさせようともしなかった。そうしてたくさん、たくさん体を擦り寄せ、抱きあいながら、ガオガエンの口内で迎えた精通は、鮮烈だった。その威力のすさまじいことといったら!
 この思い出は、誰にも聞かせられない。それは羞恥心のせいではなく、ぼくとガオガエンの間で秘匿され続けるべき過去だからだ。本当に大切なことは、じっと胸に秘めておかなければならない。
 あの日から、ぼくにとってポケモンは「友達」や「仲間」ではなくなった。ガオガエンを愛し、ガオガエンに愛されたことで、きっとぼくの中で何もかもが変わってしまった。そうなるに十分すぎるほどの衝撃じゃないか。
 だからぼくは、やがてセキエイ学園への入学を決めることになる。それがぼくの新たな使命だった。
 それについて語る前には、やっぱりもう少し、文学について語りたい。それって単に、文脈……そう、チャンピオンに挑む前には四天王を倒さねばならないようなものだ。


    7

 Yとの共同生活には何の問題もなかった。
 ぼくのニャビーも、Yのニャオハもお利口だった。ニャビーにはドーム型のベッドをネットで買ったのだが、気に入ってくれたかどうか、入ったり入らなかったり、ニャオハに横取りされたり、稀には一緒に寝ていたりした。ニャオハはトレーナーと遊ぶのが大好きな性格なので、Yと一緒に部屋にいる時、ぼくはニャビーをかまえない代わり、ニャオハと遊んだ。おかげで寂しくもなかったし、ある程度の世話をぼくにアウトソーシングするYもいくぶん気楽そうだった。
 ぼくとニャビーの仲が険悪かといえば、そうでもない。授業の間はボールの中で大人しくしていたし、バトルの実技でも指示に従ってくれた。面白いもので、ぼくの判断甘さでバトルに負けそうな時ほど、ニャビーは本気になった。それがどういう心理による行動なのか、わからないが、知りたくはない。知ることは興が冷めることだ。不明瞭のままがいいことも、世の中にはある。ぼくらの関係にしたって、そんなようなものだろう。
 だからとにかく、セキエイ学園における初心者トレーナー向けの授業も、ぼくとニャビーは問題なくこなしていった訳だ。タイプ相性や、ポケモンが持つ能力などの座学に始まり、桜がまだ散らないうちにポケモンバトルの実践訓練なども始まった。
 その一環として、ぼくはニャビーを連れてトキワの森を訪れた。トキワシティとニビシティの中間に広がる大きな森で、木漏れ日は美しいが、野暮なことを言えばむしタイプのポケモンがあまりに多い。ニャビーにとっては有利な相手であるため、訓練といっても問題らしい問題など起こりようもなかった。初心者が安全にバトルに慣れるのに適しているといえた(その点を言えば、くさタイプのポケモンを配られた生徒は苦労するだろう。2番道路の草むらから出てくるポッポであっても油断ならないのだ。不利なタイプ相性をどう解決してゆくかという課題と、一足先に向き合うことになる)。
 森をうろつけば、そこここで野生のポケモンとバトルする生徒がいる。中にはトレーナー同士のバトルに興じている者もいた。相手は虫取り網と虫かごを持った子供であったり、そんな格好で森に入ったのかと思うような丈のスカートの女の子であったりと、明らかに学園の生徒ではない。ぼくとニャビーはといえば、野生のキャタピーだのトランセルだのを相手どったバトルなんて、早々に飽きてしまっていた。楽勝すぎて真面目にやる気にならない。しかもトキワの森など、わざわざ遊歩道を外れなければ迷いようもなく、遺跡がある訳でもない、つまらない森なのだ。こんな場所で授業の退屈さを嘆いたところで、音は吸われて虚空に消えてゆくだけだ。
 整備という言葉を忘れた、ほぼ手つかずのままの森。無限のように広がる雑草と広葉樹の群れ。遥か遠くに、森にできるギャップから漏れ出る光が、まるで聖地であるかのようにあった。ポッポやピジョンの鳴き声と、虫たちの奏でる遠い太鼓のような不思議な音。トキワの森にはそれしかない。
 好奇心という名の橋に世界へ駆り立てられるような気持ちが、ぼくにもある。好奇心がなければ人間は終わっているといっても過言ではない。もしそれがなければ、ぼくは今ごろ実家に引き籠って本を読んで暮らしていただろう。しかし課外授業といっても、刺激的な何かに出会う確率は限りなく低いのがトキワの森だった。ここでピカチュウを見つける確率が低いのと、木に登ってスピアーの巣に頭を突っ込む確率が低いのと、たぶん同じことだ。
 だからだと思う。傍らにニャビーを伴ってただ歩いていたぼくの足に、何か当たった感触がした。木の根っこという感じではなかった。蹴飛ばして転がるくらいの軽さだった。カツンといった硬い音がした。
 スマホロトムのライトで地面を照らす。森の薄闇に浮かび上がったのは、ねじ巻き式の懐中時計だった。思いきり蹴ってしまっただろうが、傷はひとつもついていない。
 ねじ巻き時計は銀のフレームで、青い文字盤に1から12までの数字が刻印されていた。そしておそらくは、これを作った者の名前が小さな文字列となっていた。歯車は止まっており、三時三七分を指していた。午前か午後かはわからない。触って確かめてみたが、何の変哲もない懐中時計だった。そして、ライトで照らされたすぐそばに紙が落ちていた。ぬかるんだ土がついていて、その水分でぐちゃっとしている。
 正直、そんな紙には触れたくもない。しかし退屈に飽いた好奇心のなせる業だった。素面なら絶対に触らない紙を、ぼくは拾っていた。
 そこにはこう書かれていた。

 Cubum autem in duos cubos, aut quadratoquadratum in duos quadratoquadratos, et generaliter nullam in infinitum ultra quadratum potestatem in duos eiusdem nominis fas est dividere cuius rei demonstrationem mirabilem sane detexi. Hanc marginis exiguitas non caperet.

 読めやしない。こんなものが、世界には星の数ほどある。
 誰の落とし物かは知らないが、ぼくはその紙と懐中時計を拾い、だいたいそのあとは一定のエンカウント率に従ってニャビーに野生のポケモンを倒させ、あるところで引き返して課外授業を終えた。より強力なポケモンを求めて探し回っても何も出てこないだろうし、道を逸れて長居しても同じところをぐるぐると巡って、路頭に迷うのがオチだ。
 この森は、たぶんそういうふうにできている。


    8

 もう一度、文学について語ろう。
 文学といっても、ぼくが語れるのは毒を飲んで死んでしまった小説家のS氏についてのことだ(Yと同じくプライバシーの観点からそう呼ばせてもらう。死人について語るのは気分のよいことではない)。
 S氏は父の知りあいで、たしか同窓だったとか何かだ。ぼくはS氏の邸宅に、一度だけ連れられたことがあった。S氏は小説家の例に漏れず、変な人間で、なおかつパルデアからカントーの辺鄙な土地にやってきて、小さな茅葺の家で庭を嗜むような風流人だった。
 当時のぼくは――いや今でもか――世間を知らず、これが小説家のいい暮らしなのかと思っていたが、実際そんなことはなかった。いい暮らしをしている小説家は他に二、三人いた。あんな小屋に住んでいるのはS氏くらいだ。
 子ども心に察していたことだが、おそらく父からS氏への金の流れがあった。つまりS氏は父から金を借りていた。いくらかまでは知らない。
 風流人といって差し支えのない人間にも俗世的な面があるのだ。だかそれは紙に裏と表があるような、表面を捲れば裏があるのと同じことだろうから、それでS氏に幻滅はしなかった。
 S氏はぼくを「坊ちゃん」と呼んで、飛行機に乗り慣れないカントーの他人の家に来て縮こまっていたぼくを、縁側に連れていって、庭を見せてくれた。父は微笑んでいて、何も言わなかった。
 庭には桜の木と、小さなソテツ、そして生垣の緑だけがあった。その庭にはたいていの庭にある花が少なく、雑草の方が割合として多かった。時々、オニスズメがやってくることもあるそうだが、やってくるだけで長く居付きはしない。だいたい暗緑色で埋められた庭だったが、その頃は桜が咲いていて、緑のおかげで桃色がよく映えた。
「ねえ、坊ちゃん」と言って、S氏は桜を指さした。「あの桜は何色?」
 ぼくは、答えるのに時間がかかったと思う。見たままを答えればよいのか、何かしらの意味があるのか掴めなかったから。
「薄いピンク色」
 ぼくは結局そのままを答えた。
「そうだね。じゃあ、坊ちゃんは桜を見てどう思った?」
 ぼくは考え込んでしまった。
「えっと……春になれば、人が桜を見にくる」
「それだ?」
「きれいだけど、すぐ散ってしまう」
「そうだ。そのとおりだ」
 S氏のあの問いかけに、どんな意味があったのかを考えたのは、成長してからのことだ。
 父に手を引かれてS氏の家を後にし、来たときと同じように飛行機に乗ってパルデアの自宅へ帰ったあと、幼いぼく宛てにS氏の書き損じた原稿が一枚送られてきた。おそらく立ち消えになったストーリーの一部分で、それは不思議な桜にまつわる話だったけれど、ついにS氏の手で世に出ることはなかった。
 その原稿は今でも保管している。ぼくが実家を飛び出した時、いっしょに持ってきたのだ。これは推測でしかないが、あの会話はS氏の認識と世界の認識をものさしで測るような、そんな行為だったのだ。S氏はポケモンも持たず、孤独だった。桜の色をぼくに尋ねるくらいには。
 それでも、これが真実かどうかはわからない。死人はどうしたって真実を話しはしないし、ぼくもこれを真実かどうか確かめようとは思わない。
 ちなみに、S氏の書き損じの原稿の裏側には、ボールペンでこう書かれている。
 ――文学とは伝達である。伝達するべきものが失われた時、文学は終わる。そしてその時は、この世から生物が消えた瞬間に訪れるはずだ。


    9

「なんだ、これ?」
 部屋に戻ってくるなり、Yが言った。水洗いしたあと、窓辺に置いて乾かしていた回収時計のことだった。
「懐中時計」と、ぼくは言った。課題を片づけている最中だったから、その返事もいくらかおざなりだった。
「そんなの見りゃわかる」
「課外授業のときに拾ったんだよ。誰かの落とし物だと思う」
「取ってきていいのか、そんなもん」
「いいよ。土に還れる訳でもなし、森に置いてけぼりにされるだけなんだから」
「で、この紙は?」
 時計といっしょに落ちていた紙も、土を払い落して乾かしていた。土の水分でも文字が消えていなかったのは、手書きではなく印字されたものだったからだ。
「時計の近くに落ちてたんだよ」
「カロス地方の古語だな」
 ぼくは仰天してYに振り向いた。その拍子に、足元で毛づくろいしていたニャビーを蹴ってしまい、うにゃっ、と非難っぽく鳴いた。慌てて背中を撫でて謝ると、憮然といった様子で毛づくろいに戻る。
「読めるの?」
「読めるだけ。意味まではわかんねえ」
 Yの実家はカロス地方なのだという。奇遇なこともあるものだが、ぼく自身、セキエイ学園に入るためにパルデアからカントーに来ているのだから人のことは言えない。そしてそれ以上に、古語を知っているYの意外な博識に驚いた。意味がわからないまでも、それが古い言語だと理解している。カロス地方では常識なのだろうか?
「カロスの言葉だったら、お兄さんがわかるかもしれない」
「兄貴、いるんだ?」
「ううん。親戚だよ」
 時間を確かめる。お兄さんは今、新たなほのおタイプのポケモンを求めてパルデアにいる。あちらの時刻は朝のはずだった。電話をかけるには少し早かったかもしれないが、お兄さんのスマホロトムはすぐに繋がった。
「おはよう! なんだ、久しぶりだな。またガオガエンに会いたくなったか?」
 また、と言われるほど、お兄さんに連絡を取った覚えはない。なぜって、ぼくとガオガエンの間に起こったことをお兄さんに悟られる訳にはいかないからだ。少なくとも、セキエイ学園に入学してからは初めての電話だった。そもそも、パルデア地方にガオガエンを連れてゆけないことはぼくも知っている。ガオガエンはたぶん、カロスにあるお兄さんの実家に預けているはずだ。
 カメラを繋ぎ、あの印字された紙を見せると、お兄さんはこともなげにそれを読み上げてくれた。内容はこうだ。
 ――立方数を二つの立方数の和に分けることはできない。4乗数を二つの4乗数の和に分けることができない。一般に冪が2より大きいとき、その冪乗数を二つの冪乗数の和に分けることはできない。この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。
 はあ? Yが怪訝な顔をした。お兄さんも揃って怪訝そうな顔をする。
「最終定理だ」
 ぼくはなぜか知っていた。
「なんだそれ」
「証明するのに三百年かかった問題だよ」
「俺も詳しくは知らないけど」と、お兄さんが言った。「たくさんの天才がこの問題に挑んで、ねじ伏せられたんだってな」
「それで、三百年も?」
 ぼくはYに言った。「数字っていうのはいくつある? 一、二、三って」
「そりゃあ、無限にあるだろ」
「そう。無限にある全ての数について冪乗数は、ふたつの冪乗数の和に分けることはできない」
 自分で話しておいてだが、人類は途方もないことに挑んだのだ。たったひと声で語ることができるその定理には、信じられないほどの重みがある。
「それを証明するのか? どうやって。そんな、無限の数なんて」
 ぼくは課題の余白にペンでX^n+Y^n=Z^nと書いた。
「たったこれだけのことにたくさんの人間が挑み、犠牲になったんだよ」
「それで」と、Yは言った。「結局この定理の主張は正しかったのか?」
「うん。真だった。この最終定理は正しかったんだよ」
 ぼくはものを知りすぎている。


    10

 S氏の小説について。
 彼は、愛とか人生論を語るに生きてきたような人間だった。そのほとんどは寓話形式で何かを暗示していて、読み取ることができなければ何一つ理解不能といった、まるで哲学か散文詩のような小説だった。
 読んでいて目が滑るとまでは言わないが、この物語が結局なんだったのか、何を意味していたのかに関して、ぼくはひとつもわからなかった。もしくは、わかった気にしかなれないのが常だったから、往々にして彼の小説を忌避する人間も一定数いた。アンチというやつだ。
 しかし彼は自分の想念の説明を何よりも嫌った。ぼくは彼の文章のファンではなかったし、全ての小説を読んだ訳でもなかった。しかし父がS氏と懇意にしていて、夕食の席などで「Sくんはたいそうな小説を書くようになったなあ」という言葉を皮切りに、S氏のエピソードについて延々と語ったものだから、否が応でもそのエピソードの始終を覚えてしまっていた。父は同じ話ばかりする古風な人間だった。
 S氏は「時と水面」という小説で、文壇(といってもそれほど大規模なものではない)から評価された。一部では、その暗示的な文章と、起承転結の結の部分が曖昧になっていることを「正確性に欠ける」と評されていたが、その指摘に対してS氏は「正確性なぞクソ喰らえ」という、バーで酒とともに零れる本音のようなことを分断の偉い面々に向かって直接吐いたのだからたまらない。彼は顰蹙を買ってしまった。良くも悪くもまっすぐな人だったし、彼は文章における想念の説明を――彼の言葉を借りれば――汚い言葉ではあるが――「クソ」であるといって聞かなかった。
 そのおかげで、ぼくを含め彼の文章を読んだ人間は、何かしらの表現に首を傾げ、そしてわかった気になっていた。本心は本人にしかわからないし、彼が世界から消えてしまった今、それを探ることはできないだろう。
 こんな話もある。
 S氏はファンレターを読まない人間だった。ファンレターといえるのかどうかは疑問でしかないが、彼に小説の意味を問う手紙を書く人間は多々、存在した。
 そのすべての人間に、S氏は「この小説に意味はない」というふうの、手書きの、文字のいやにきれいな手紙を、一枚一枚、ファンレターを出した全員に送った。この切り取り方は少し誤解を招くだろうから、ちゃんと全てを記載する。
「人生に意味がないように、この小説に意味や真実はない。あるのは諸君の解釈のみだ」
 そう手書きして、全員に、丁寧に返事したという。
 その他もろもろのことから、S氏は変人扱いされ、ファンレターは届かなくなった。
 ぼくに言わせれば、S氏は高潔の士だったのだろう。高潔で純粋であるがゆえに、世界のちょっとした変化やしがらみに敏感すぎた節があったのかもしれない。高潔であるがゆえに、世間との少しのズレを看過できなかったのかもしれない。
 今年も、主を失った桜の木が植えられた庭のみがあるのだ。桜は何を思ってそこに咲き、その花を散らせるのだろう。その桜はS氏の何を見てきたのだろう。今となってはもうわからない。


    11

 お兄さんは懐中時計についても知っていた。その時計のブランドは、昔とても流行ったメジャーなブランドで、子供から大人まで誰しもがひとつくらいは持っているといわれるくらいだったそうだ。
 正直、そんな話を聞いたところでそのブランドが破産する訳でもないし、どうでもよかった。
「数学には詳しくないが、n=4くらいなら俺も説明できるぞ」
 お兄さんがそう言うので、ぼくはさっき余白に書いた数式のnに4を代入した式を、下に書いた。Yはもうさほど興味もなさそうで、モンスターボールから出したニャオハを抱いて、ぼくのベッドに腰かけた。
「どうして4なの?」と、ぼくは尋ねた。
「3の場合は難しいんだよ」
「どんなふうに?」
「それを証明するために証明すべきことがたくさんあるからだ。チャンピオンに挑戦する前に、もっとたくさんの四天王がいるみたいに」
 それからが長かった。お兄さんは延々と、まるで梅雨時の洪水のように、最終定理の証明について語った。4の場合についての照明と無限下降法について。4以外はnが素数の場合についてのみ証明すればいいということ。素数は無限にあること。楕円方程式とモジュラーについて。その話にカントー地方の人間が関わっていて、重大な足跡を残したことなど……
「こんなことやり続けるのか、数学者っていうのは」
 難解な理論の話が続いたからか、Yは横で聞いているだけでもだいぶ疲れていた。
「それが三百年続いたんだよ」
 ぼくは言った。Yにとっては()()()()だった。ニャオハを抱いたまま仰向けになる。そこはぼくのベッドなんだけど……
「何かの本で読んだが」と、お兄さんが言った。「こういうのは一朝一夕でなるものじゃないんだよ。ある日の朝に、何かしらのアイデアが降ってくる。だけど一週間後には水泡に帰している。そしてまた一から……」
「悲しくならないんですか」と、横からYが言った。
「なるだろうな。でも、それでもいいんだろう。この定理とは関係ないけど、世界一美しい数式を知ってるか?」
 ぼくがうなずくので、なんだそれ、とYが訊いた。ぼくはまた余白にe^πi+1=0と書いた。
「美しいんだよ、これが」
「はあ?」
「数学とはそういうもんだ」と、お兄さんが言って、笑った。「俺もわからんけどな」
 Yはゾロアに化かされたような不思議な顔をして、その式を見つめていた。
「それを言った数学者は、晩年、目が見えなくなったそうだ。夜中にも数学に没頭しすぎて、目が悪くなって、ついには盲目になった。その時、彼はなんと言ったか?」
 ぼくは首を振った。盲目者の気持ちなんて考えようもなかった。
「おかげで楽になった、これで数学に打ち込める、って。彼はひと言、そう言ったんだよ」
「マジか」Yが嘆息する。
「マジだよ。俺も、ちょっとわかる気もするんだ」
「数学者の気持ちが?」
「そうだ。俺はポケモンについてだけどな。思うことがあるんだよ。世界は広すぎるし、無数のポケモンがいる。数えきれないほどの種類のポケモンに、死ぬまでに少しでも触れる。理学なんてそんなもんだよ」
 お兄さんの目は煌めいていた。まるでそれが真理であるような口調だった。
 ぼくは尋ねた。「たとえば一生の間に、宇宙という大海原を、この世界という海岸から眺めるだけ……そうだったとしても?」
「海が見えない海岸に何の意味があるんだ?」
 それも、一理あった。


    12

 文学――とは関係ないことだが、Yもぼくの真似をしてか、トキワの森の課外授業で落とし物を拾ってきたことがあった。一度だけだ。落ちている物なんて、なんでもかんでも拾ってくるもんじゃない。でもその時は、Yは珍しいポケモンでもゲットしたかのように自慢げで、ニャオハまでもがいっしょになってハイテンションで、ぼくに向かってみゃあみゃあといっていた。
 Yが拾ってきたのは壊れかけたラジオだった。Yはそれをして、いの一番に「海を知らない人間も、わずか一滴の水からこの世に大海原があることは推察可能だ」と言った。それは有名な推理小説で探偵が言った台詞だった。ぼくがその言葉を知っていることに、Yは満足げに頷き、台詞の続きまで言った。
「人間も同じさ。人生は一本の鎖のようなもの。だとしたら、たった一つのリングから、その人間の本質だって探り出すことができる」
 いかにも探偵が言いそうなことだった。推理小説の探偵というのは、たいてい気障な言い回しをする。
「それで、そのラジオは?」
「これはいったい誰のものだ?」
「さあ。落ちていたものなら、わからない」
 それはぼくもYも知らないことだ。なんなら神様でも見逃しているかもしれないことだ。
「でも推察はできる。たった一つのラジオから、その持ち主の肖像がつかめる」
「知ってどうなるの?」
「面白いだろ? 森に死体があっても、ひとつも不思議なんかじゃない。でも森にラジオなんて落ちてるのは、なにかありそうじゃないか」
 Yの話は、わかりきった内容を板書させる先生の授業よりはつまらなくないし、お兄さんとポケモンたちの冒険の話よりはつまらない。つまり、没頭しすぎることもないが、眠くなるほどでもない。素晴らしい塩梅だ。
「ヒントは意外とすぐ見つかるんだよ。たとえば……このラジオ、つまみの部分のギザギザが、少し削れてるな。持ち主は、このラジオをよく使ったんだ」
「ラジオなんて、愛用する人間も少ないだろうね」
 Yはうなずく。「そうだ。ラジオを聴く人は少なくなって、おじいさんとかが聴くものらしい。つまり、このラジオの持ち主は老人である可能性が高い」
 いい推理だ。Yのそのドヤ顔にぼくは言ってやった。
「でも、老人がどうして森の中で、ラジオなんて置いてゆくんだろう? トキワシティにしろ、ニビシティにしろ、単に捨てるなら廃品回収にでも出せば済む」
「そうだな。じゃあ、こんなのはどうだ? このラジオの持ち主は、懐古的な趣味の若者だった。若者はその足で森に入った」
「なぜ森に?」
「冒険か……それとも自殺か。もし自殺なら、そいつの世界は少し荒んでいたかもしれないな」
「そんなことはないよ。自殺は平和の隅にもある」
 ぼくは否定し、Yに小説家(S氏)の自殺について話した。普通の社会システム上の、平和であるカントーの田舎で起きた出来事だ。
「そっか。オレ、ニュースとか見ないもんな。ニュースって事実の羅列ばっかりだろ。つまんねえもん」
「そうなんだ」
 確かに、そうだ。
「それはそうと、このラジオ、電源は点くかな」
 部屋に入る前にニャオハの足を拭くような手つきで、Yは汚れたラジオをタオルで拭き、そのままラジオのつまみを回した。
 ぐるり、緑のランプが点灯する。
「点いた!」
 スピーカー部分から、雑音とかすかな声が流れてきたのだ。奇跡みたいにラジオは動く。
 ザザ……ザザザザ……やあ……この時……の時間だ……
「聞こえづらいね。アンテナを伸ばしてみたら?」
「だな。あと音量も上げて……」
 ぐるり、雑音と、パーソナリティーらしき男の話し声が大きくなる。

 リクエストは、カントー在住の女性、三十歳から。きっと自称だね。はははは。
 お手紙を読もう。
 ……(しばしの雑音)……
「私は、田舎からカントーへ出てきて、大学の博士課程まで行き、就職しました」
 えらいことだね。素晴らしいよ。
「カントーでは寂しいことばかりで、ときどき故郷の情景を思い浮かべます。都会は夢と現実の場所です。私の友達は、都会暮らしがいやになって、『カントーなんてゴミの集まりだ』と言って田舎に移住しました」
 はははは、「カントーなんてゴミの集まり」か。
 ……(不連続な雑音)……
「ずっと故郷に残っている人もいます。さして仲良くはない人で、私は連絡先も知らないけど、若いころの記憶だけで、その人を想像します。その人は今どこで何をして、どんな人生を送っているだろう。大企業の出世競争を生き抜いているか、どこか田舎でギターでも弾きながら農業を楽しみ、ポケモンたちと牧歌的な暮らしをしているか。大学の友達は違う地方に行ってしまい、そのまま今どこで何をしているのかもわからない。もしかしたら、向こうでよい人と出会っているかもしれないし、死んでしまったかもしれない。子供のころの友達が言っていました。人はどう生きてどう死ぬのだろう。そんな気分になった時、それに、最後の手持ち一匹で大白熱のポケモンバトルで、たったひとつの技によってチャンスが霧消したりする時とか、どこか遠い土地でデモ隊と景観が衝突して、街から火の海が上がったとか、そんなような映像を観た時、私は決まって音楽を聴きます。私は依存気味な、もう三十の女です。いつも同じ音楽ばかり聴きます。そして悲しい気持ちになるのです」
 ――だってさ。これがリクエストだ。
 一つ、この方に教えてあげよう。
 人生は絶えず前に進んでいるんだ。確かに、人間は後ろを振り返ることができる生き物だ。でもね、時がいやおうなしに私たちを前に押すんだ。
 この言葉を覚えておいてほしい。魅力的だろう?
 それじゃあ曲名は――
 ……(雑音、雑音)……

 次に流れてきたのは、物悲しい音楽だった。
 人間が生み出した悲しみ、憎悪、怒り、嫉妬、そしてそこから生まれる虚無と希望。整然とした混沌のような曲だ。
 ぼくはYに言った。「人間を最も死に至らしめたものって、なんだと思う?」
「さあ。戦争とか、殺人とか?」
「違うね」
「じゃあ、災害」
「それも違う」
「答えは?」
「答えは、疫病だよ」
 Yは何も知らない、とぼくは思った。


    13

「ゆきつくすトキワの春の光かな」
 生徒たちの喋り声と、食器の甲高い音が聞こえる。
 お兄さんとの通話を終えて、ぼくはYといっしょに夕飯のために食堂にいた。ルームメイトといっても、いつもいっしょに食事するほどでもなかったが、ある話題についてひとしきり共にした後だ。「あー腹減った」とYが言ったら、「ご飯、行こっか」と誘うくらいの気持ちは、ぼくにもあった。Yも断る訳がなかった。
「風流じゃん」
 Yの声だけ、やたら目立って聞こえた。カクテルパーティー効果というやつだ。セキエイ学園の食堂は、近くに川が流れていて、川に面した方の席は必ず満席になる。ぼくたちが来た時間帯にはまだガラガラだったから窓際に席を取れたものの、一人、また一人と寮生がやってきて、今は喧噪が満ち満ちている。
「きみにも風流ってわかるんだね」
「ちょっとはな」
 川沿いに植えられた桜の花びらがひらひらと舞っていた。
「花見酒隣は洒落の知る人ぞ」
「誰だ、それ」
「ぼくだよ」
「さっきの方がいいな」
 改めて、ぼくには文学についての才能がないことを思い知る。
「オレたちは酒を飲める歳じゃないし、オレが座ってるのは正面」
「手厳しいね」
 お手上げだ。窓の外を舞っていた桜は、短い時間で川に落ち、一瞬で夜の流れの中に消えた。
「酒と洒落をかけたんだけど」
「洒落になってなくねえか、それって」
 なんと手厳しいルームメイトか。今度の方がよっぽど()()()()である。
「それに多分それ、パクリだろ。なんだっけ」
「秋深き隣は何をする人ぞ」
「やっぱり」
 ふふん。Yは鼻を鳴らす。
「そういえば、あのヤミカラス、どうしたんだろうな」
 Yは大きく話題を変えた。ヤミカラスがなんだって?
「なんか、しばらく中庭にいたじゃん。知らないのか?」
 川とは逆側の窓の向こうに、セキエイ学園の中庭が見える。そこには大きな桜の木が一本伸びていて、寮の部屋からでもよく見えるのだ。その中庭に、一時期ヤミカラスが毎日やってきて、何をするでもなしに居座っていて、決まって夜になる前に飛んでゆく……らしい。
「ここらじゃ珍しいポケモンだし、けっこう騒がれてたぞ」
 そう言われれば、そんなある種の盛りあがりがあったような気もするけど……
「騒ぐ人は騒いてた。それが正しい」
 ぼくはコンソメスープを飲んで、また中庭の桜を見た。
「今はもう来なくなったけど、結局なんだったんだろうな、あれは」
「さあ。でもヤミカラスがいたところで、それはそれでいいんじゃない」
 そんなものは桜が散っていることに意味を求めるようなものだと思った。考えるだけ時間の無駄だと。昼間に、人の集まる学園の敷地内に、ヤミカラス。それが珍しいから、人が騒いだだけ。
「そうかもな」と、Yは言った。「オレもさ、昔のことってすぐ忘れる方なんだよ。こんなことがあったよねって言われても、そうだっけってなることが多くって」
 ぼくは同意した。「毎日いろんなことがあるからね。忘れないといけないよ」
「昔のこととかさ、蒸し返しても、あれじゃん」
「あれって?」
「覚えててもどうにもなんねえこともあるし、みんな明日のことを考えないといけないだろ?」
「そうだよ。それでいいと思う」
「でもちょっと、意味を考えたんだよ、あの時は。なんか、意味がある気がしたんだ。あのヤミカラスは」
「たとえばどんな?」
 ヤミカラスの噂については、みんな、先生までも、まるで当たり障りのない選挙公約のような、あやふやなことしか言っていなかったはずだ。
「知ってるか? あのヤミカラス、必ず街の方に向かって飛んでいくんだぜ」
 Yは、それがまるで国家機密であるかのように言う。
「気まぐれじゃないの」
「オレだけじゃなくて、よく観察してた先生も気づいてたんだ」
「――それで?」
「あのヤミカラス、人に慣れてるみたいだし、誰かがゲットしたポケモンなんじゃないかって思ったんだよ。セキエイ学園を監視してるような」
「学園を監視、かあ」
「監視じゃないな。観測っていうか。セキエイ学園がどうなってるか、人間の街がどうなってるか、それを見てる、みたいな。わかんねえけど」
「ヤミカラスが去ると、どうなるの?」
「人間を見る必要がなくなった。街に平和が訪れた。そんな感じじゃねーの」
「何のために。根拠は?」
「言いくるめようとするなよ」
 そのあとYはもう、定食をさっと食べて、まるで草原を駆けてゆくドードリオのような速さでいなくなった。別にそれで寂しくもない。Yが活力に溢れているのはいつものことだ。
 ニュースといえば、カントーを揺るがすようなものはなかった。強いて言えば、ある小説家が服毒自殺した。それくらいだ。
 スマホロトムでニュースサイトを開き、最新の記事を隅から隅まで読んで、それで食堂を出た頃には、食堂に元の静寂が戻っていた。


    14

 時々、シロガネ山の際が知らんてくるような薄明に目が覚める。いくら早起きが得といったって、そんな早くに起きる理由もなければ、義理もない。目覚めの喉の渇きに耐えられないとしても、寮生活をしている今、ルームメイトを起こさないようにそっと動かねばならない。
 なるべく音をたてないよう洗面所の水道からの水をコップ一杯飲んだ。それからもう一度、ベッドに寝転がった。しかし、これ以上の惰眠を体は拒否していた。Yはいぎたなく寝るタイプで、しかし寝息をあまりたてず、生きているのか死んでいるのかわからないほどだった。
 健康的に日焼けした頬に、たっぷりとした長い睫毛。陽が昇ってきて、エネルギーに満ちたその体が照らされる。
 Yはどんな夢を見るのだろう。そんなことを無性に思う。ぼくはスリープやムンナではないから、そんなことはわからない。無限の花園に包まれる夢か。奈落の底に堕ちる夢か。母の胎内の夢か。
 ぼくはYの母親について何も知らない。どんな人間なのかも、どうやって生きたのかも、カロスからカントーへどのように送り出したのかも。この世に生を受けた以上、Yにも母親があり、父親があるのだ。ポケモンでさえ、タマゴから生まれる。木の又から生まれたり、自然発生したりするのは、ある種の限られたポケモンだけだ。
 Yは母親について何も語らなかったはずだ。ぼくはYのルームメイトではあったかもしれない。でも双生児ではない。同じ体を共有していない。他人であるのだ。
「――」
 Yはまだまどろみの中にいて、寝言か何か知らないが、何か言っていた。聞こえなかった。いや聞こえなかったことにした。Yの中の喪失が現れた……そんな気がした。
 陽は昇る。どんどん昇る。そしていずれ沈みゆくまでにそのエネルギーを降り注ぐのだ。Yのように。
 Yが起きるまでずっと、彼の健やかな寝姿をずっと眺める。不確かな思考の地平にさまよいながら。ぼくには時々、そんな日がある。


    15

 セキエイ学園での一年が過ぎ、進級直前の春休み、Yはニャオハを連れて実家へ帰省した。ぼくは最初の申告どおり、夏休みだろうが年末年始だろうが寮で過ごしていたし、むろん春休みだってそうするつもりだった。賑やかなYとニャオハがいなくなると、部屋はずいぶん静かになる。それどころか、連休になると寮全体が静かになった。
 温暖化はなはだしいカントーの桜は、その年も春を先取りして風に舞い散っていた。あの夜、ぼくは部屋の窓から中庭の桜の向こう側に月を見ていた。
 夜は月が太陽だ。月は地平の上の顔を出せば、ぼくたちをずっとつけまわし、慈愛のような顔をしている。風が吹けば、桜は光のしずくのように花びらを闇に落とす。
 窓辺に頬杖をついていたぼくのところに、ニャビーがやってきた。窓枠に飛び乗り、ぼくの視線の先を眺めるのだ。
「月がきれいだね」
 窓辺に立ち、ぼくはニャビーと一緒にずっと桜と月を見ていた。ニャビーは何も言わない。無口なやつだ。そのおもねらない態度がいい。
「傾くまでに、見られてよかった」
 何の予兆もなく、ぼくはそう言ってしまおうと思ったのだ。
 その意味をわかっているのかいないのか、ニャビーはぼくの顔を見た。
 なんだよ。おかしなことじゃないだろ? 月がきれいな日には、月がきれいと言う義務がある――
 それくらいのことを思った時に、突然――本当に何の予兆もなく――それは始まったのだ。ニャビーの全身が光を放つ。それはもう、月明かりなんか目じゃないくらいの光量で!
 進化の光。ニャビーはニャヒートへ進化しようとしていた。
 ぼくはこれから先、この光を何度見られるだろう?
 なぜあの夜だったのかは、わからない。そんなことはどうだっていい。なぜって、月は全然傾かないのだ。まだ夜の口、夕の終わりだった。そして今日は満月じゃない。カレンダーによると満月は四日後だ。満月にしたって、年に十二回ほどもあるのだ。それに比べて、相棒が進化するこの輝きといったら、ぼくはあと、何度……
 眩い光の中で、ニャビーの体がどんどん変わってゆく。大きく膨らみ、力強く。相棒が懸命に体を変化させてゆくのを、ぼくは何一つ見逃したくなかった。
 光が収まったあと、ニャヒートに進化した相棒は、にゃあおん、と鳴いた。それはもう、小さく未熟なポケモンの声でなく、成長の過程にある生命的のエネルギーを持った同意だった。
 なぜこの夜に進化したのか――その真実は、相棒に任せたい。
 珍しいことに、ニャヒートはぼくの肩に頭を擦り寄せた。一度だけだ。それっきり窓辺を降りて、いささか窮屈になったベッドで丸くなった。
 ニャヒートは多分、かっかしていた。そんなにのぼせることもないだろうに。
 だがそれはいつか、確かな証拠になるだろう。ぼくときみの仲だもの。もちろん、ぼくの想像に任されたものではあるけれど。


    16

 ある雨の日。降る雫が屋根で軽快な音楽を奏で、屋根の傾斜を滑り中空をしばし漂い、土に還り泥濘をつくるような日は、Yも外出せずに本を読んで過ごしたりする。
 ある時期、Yは推理小説にはまっていて、ラジオの一件も、部屋に帰ってきた以降のことは全てなりゆきで、おおかた本で読んだ知識をひけらかしたかったということらしいのだ。その打算のなさがYのよいところだと思う。
 その日も、Yは学習机で推理小説の新刊を読んでいた。今度の新刊はやけに長かった。
「今度その本、貸してくれない」
「いいぞ」
「どれくらい読んだ?」
「三割くらい。まだまだかかるな」
 ばり、と音がした。Yが煎餅を頬張る音だ。Yはいつも煎餅を食べながら本を読む。
「速読術でも教えようか」と、ぼくは言った。
「オレ、本はゆっくり読みたい派」とYが言うのは、けっこう意外だった。「でも教えてくれ」
「簡単な話なんだけど、文章を二、三行まとめて読むんだ。構造ごとに理解することで、速く読めるらしい」
「速くってどれくらい?」
「いちばん速くて、一ページに一秒、二秒」
「それさ、意味あるか?」
 少し考えてから、Yは背もたれに仰け反るようにぼくを見た。
「ないね。速く読めたところで、自分の速度が増すだけだと思う」
 ベッドには、Yのニャオハが丸くなっていた。ぼくのニャヒートは後ろ脚をドームに突っ込んだまま毛づくろいしていた。春休み明け、実家から寮に戻ってくるなり、Yはぼくの相棒の進化を我がことのように喜んでくれた。でもそれでニャオハの進化を焦りはしなかった。レベルアップの道程も、進化と同じくらいトレーナーの楽しみだと言っていた。Yは結果を急いで過程をおざなりにはしない性質なのだ。
「その速読術」と、Yが言った。「誰が言ってたんだ?」
「小説家兼評論家みたいな人」
 狡猾そうな目をした人だ。思想に絶対の価値を置いているのだ。
「自殺した人?」
「ううん。その人は生きてる」
「ふうん」
 Yの目が本に戻った。しかし読書には戻らず無茶を言ってくる。
「ねえ、面白い話でもしてくれよ」
「今は本に集中しなよ」
「物語の進行が見えないんだよ」
 ぼくはいくらか考えて、思い出した話をすることにした。雨はまだしとしと降り続いていた。
「昔、ポケモントレーナーがいた。一人は若者、一人は老人。若者は二十八匹のポケモンをゲットして、老人は一匹のポケモンを釣った。このとき若者と老人、どちらがトレーナーとして良いかを推測しようと思う」
「ん?」
 Yはまた振り返って、今度は椅子の背もたれ越しにぼくに向かいあった。
「きみはどちらが良いトレーナーだと思う」
「そりゃあ、若者だろう」
「だよね。ぼくもそう思う。じゃあ、次は仮定を付加してみる。若者は何の変哲もないポケモンたちを、老人は一匹の絶滅したはずのポケモンをゲットした。そして老人の発見は生物学を覆した。どちらが良いトレーナーだと思う」
「それなら老人だな」
「そうだね。ぼくもそう思う。じゃあ次は、若者は薬を生み出せる二十八匹のポケモンを、老人は絶滅したはずの一匹のポケモンをゲットした。これならどう?」
「わかんねえ」Yは少し考えてから、言った。「でもそれは、どちらも良いトレーナーじゃねえのか」
「そうだね」
「つまり、その話は何を言いたいんだ?」
「さあ、わからない。たぶん何かの寓話」
「おまえが作った話じゃないんだな」
「そう。小説家が言ってた」
「それは、さっきと同じ人か?」
「ううん。彼は死んだんだ。自殺だった」
 雨の音だけが流れた。しばしの沈黙があった。
「それ、前におまえが話してた人か?」
「そうだよ」
 S氏のことだ。惜しい人ばかり死んでゆく。


    17

 厨房の水回りの改装だかなんだかで、食堂が使えないということが一度あった。その間、寮生たちはある程度の夜間外出が許可されていたため、陽が傾くころになるとみんな仲の良い友達と連れ立って街に出てゆく。
 食堂が閉まっている期間について、「ごはんはどうするの?」とYに訊くと、「買いだめしておいた」と言って、にやりと笑うのだ。おまえ、どうせ外食とか嫌がるだろうと思って、と。涙が出るほどありがたい話だった。
 インスタント食品を主にした簡単な夕飯を、二人で作って食べた。いつもという訳ではないにしろ、ぼくらはそういう時、決まって何かにとりつかれたかのように話すのだ。もちろん、何かをテーマに話しはじめるんだけど、色々なことについてずいぶん時間をかけて語りあったはずなのに、ぼくらは結局、何も覚えていないというのがオチなのだ。
 その間、まるで寮にはぼくとYだけになって、世界にぼくとYしかいないような錯覚に陥ってしまう。時がゆっくりと過ぎて、Yとふたりでどこかの密室の閉じこめられたような、そんな感覚だ。
 だから詳しくについては歴史的遠近法の彼方、何も覚えていないのだが、ぼくらふたりとも、何かについて河口から海に水が流れ出るように遺漏なく語り尽くし、さらのぼくらが楽しげにしているとニャオハが構われたがって擦り寄ってきたりもして、一緒に遊ぶのだ。
 そのように盛り上がっている傍ら、ぼくらのやりとりに参加の気概を一切みせずに、ニャヒートは丸くなって寝ているか、毛づくろいしている。ぼくの相棒は、ニャビーの時のまま進化しても毛づくろいが好きだった。しかし、かと思えば日付が変わるくらいの時間、眠りの海に沈んでゆく間際、ニャヒートはドームから音もなく出てきてベッドに飛び乗り、その頭をぼくの足に落とすのだ。
 月の夜に進化してからというもの、ニャヒートはぼくに甘えるのに、ずっとかっかするのだ。ぼくらが楽しい時を過ごしているのを見て、きっと相棒も加わりたいと考えている。だけど相棒の意地がそのようなさまを晒すことを許さないから、睡眠欲と重力にあらがえなくなった時のぼくを、狙いすますのだった。
 寝る前に、頭を撫でてやった。
 ぼくたちは、この日常を繰り返した。
 それを可としているのだ。


    18

 夢でも、頬をつねって痛い時と、痛くない時がある。だからこれが夢か否かは、この要素では判断できない。しかしこれは過去の、ぼくの父を連れ去った感冒の話だ。人間は過去には戻れない。だからこれは夢だ。しかも大方、悪い夢だ。
 寝る時にしか夢は見ない。だからこれは夢なのだ。確証がついた。
 感冒だって? 今さらぼくが何について語ることがある。思いと裏腹に夢の映像として流れてくるのは、ぼくの記憶だ。吐き気がするくらい、嫌な夢だ。
 あの感冒がパルデアで蔓延したのは、もうずっと前だ。血を吐いて死んだマリナードタウンの漁師を起点に始まった。まず漁師の家族が子供一人残して全滅した。そして老人が一人……若者が三人……まるでくじ引きで死の順番が決まったような、それほど無作為に人が死んだ。国の陥落に際した人々は「生きて虜囚の辱めを受けず」の信念があったはずだ。パルデアの人々にそんな信念はなかった。誰しも生きたかったはずだ。
 その感冒が、何からくるものなのか誰も知らないということが、人々の不安を掻き立てていた。ある者はそれを神の啓示と、ある者はそれを医療施設から漏れ出たものという嘘を、ある者はそれを仕方のないことと、そう表現した。
 表現の仕方は何通りもあって、それ自体に文句はつけない。あの時は、人間が切羽詰まっていた。すべては後から聞いた話だ。幼い自分にはどうすることもできなかった。
 記憶の中には、幼いころに見た父の棺を燃やす火葬炉がはっきりとある。摂氏四五一度で、人は骨となって土には還れない。天に死の煙がのぼっていって、青空に染み出すような汚い灰がにじんでゆく。いずれ灰が空を覆ってしまうかもしれない。そんなありもしない絶望と恐怖を、その時は感じた。
 奥底にしまっていたものが、次から次へと走馬灯のように光景となる。次から次へ。行き着く暇もなく。
 人が忙しなく走ってゆく先には、医者がある。道端の沙羅双樹の花びらが踏みつけられてゆく。医者の向こうには人が埋まっている。死人だ。人間だけじゃない。ポケモンも死んだ。たくさん死んだ。
 こんな光景も見た。
 医者に並ぶ列だ。原罪を赦されるために免罪符を求めた教徒の行列のような、そんな長蛇の列がある。この人たちは病人ではない。病人の近親だ。明らかに病の人の顔ではないことだけは確実にわかった。では彼らは何のために?
 おそらく彼らは、医者に駆けこんで訴えにゆくのだ。私の息子が死んだ。もしくは私の母が死んだと。震えた。大声で喚きたいくらいの泥のような感情が沸き上がってきた。それが幼いながらにわかったからだ。
 それからあんな光景も見た。
 あんな光景も……
 あんな光景も……
 もうやめてくれ!
 ぼくが何をした? あの時死んだ全ての人間は罪がなかったはずだ。全ては希望も何もない悪魔のような災禍が、人間を死という奈落の底に突き落としただけじゃないか。
 開け放たれた匣から撒き散らされる災禍。同じように、あの時の光景がまた飛び出る。もう一つ、また一つ飛び出る。
その映像は靄がかかってきて、いずれその靄が視界の全てを支配する。
 レム睡眠の途切れだ。覚醒が近づいている。
 そうだ。
 朝が迫っているのだ。


    18

 新しい朝が来て、ぼくはYの肩を軽く叩き、寝ているYを起こした。起こすに値するそれ相応の出来事があった。すぐに覚醒したニャオハも面白がって、Yのお腹を踏み踏みする。
「なんだよ」
 恨めしそうにこちらを見て、呟いた。
「ヤミカラスがいるんだよ」
「はあ?」
 ぼくが指さす方向には、中庭の大きな桜の木があって、その天辺にヤミカラスが一羽、居座っていた。
「いつか、ここに来たヤミカラスじゃない?」
 Yにはそう言える確信があるらしい。あのヤミカラスの、人を食ったような利発そうな表情や、純粋で何の濁りもない目、すっと立つ佇まいのことなどを、Yはよく観察していた。
「懐かしい」と、Yは言った。「本当に、また来たんだな」
「来たね」
 そう言って、ふたりで窓からヤミカラスを眺めた。ヤミカラスは微動だにせずにトキワシティの方角をじっと見つめていた。それに何の意味があって、ヤミカラスが何の象徴なのかはわからないが、そのヤミカラスが今ここにあることによって、街も、世界全体も時が止まったかのような奇妙な感覚がぼくに降り注いだ。いつかYが言っていたことは適当だったかもしれないが、本当にヤミカラスはやってきたのだ。定期観測をしてるのだろうか。人間の現状をここから眺めているのだろうか。それともランチの時間を待ち侘びているだけかもしれない。あるいはやはり気まぐれで、そんなことは何も考えていないのかもしれない。色々な施策が頭を駆け巡った。
「なあ、掃除、手伝ってくれねえか?」
 その施策をYの声が破る。
「もうヤミカラスはいいの」
「うん。いいんだよ。ヤミカラスはいずれまた去って、またやってくるだろ。生き物なんだから」
「そうだね」
 ヤミカラスが、「かあ」とひと声鳴いた。大きくも小さくもない声だった。肯定とも否定とも取れないあいまいな返事のような鳴き声だ。
「おまえは、ヤミカラスをどう思ってた?」
「さあ、どうとも言えない。でも、なんだか他人とは思えないところはあるかもしれない。あのヤミカラスはぼくなんじゃないかと思う」
「なんで?」
「さあ。ただの勘だよ」
「勘」と、Yは繰り返した。
「勘というか、予感というか、うまく言葉にはできない」
「なんだそれ」
「いや、わかんないんだけどね」
 ヤミカラスは悠然と佇んでいた。人生に何の悔恨も、苦悩すらもないような、そんな瞳をぼくも持てたらいいと思う。
「今日、カセットテープっていうのを借りてくるつもりだ」
「カセットテープって、そんなのどこで?」
「図書館で。あのラジオ、カセットテープを再生できるらしいから」
 ぼくと一緒に部屋を掃除しながら、学習机の一部を支配しているラジオを指さしてそう言った。
「音楽が聴けるの?」
 ヤミカラスはもう一度「かあ」といって、飛び去った。街とは逆の、シロガネ山の方角だ。あの山の向こうに自分の求めているものがある。そんな風に確固たる飛び方をした。Yはヤミカラスを見送って、視線をすぐに戻した。
「そうだな。たぶん聴けるし、たぶん聴けない。箱の中のニャオハって訳」
 箱、と言われて思い出した。夢のことだ。
「きみに訊きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「人はなぜ死ぬんだと思う?」
 大した答えは期待していなかった。Yに答えてもらえたら嬉しい。気分転換のやり方なんていくらでもあるのだ(そう考えるしかないのだ)。それくらいのつもりだったが、Yは大まじめに首を捻って考え、ようやく答えた。
「次の世代へ、想いを受け継ぐため。ひとりでは抱えきれないほどのエネルギーを次の世代に受け継ぐため」
「なるほど。ありがとう」
 Yらしい答えだった。


    19

 授業がない休日の昼、何もすることがなくなって遺物について書きつけてみた。
 最初に見つけた遺物は懐中時計。あの時計は止まっているが、おそらくねじを回せば使えるようになる。かつてはメジャーだったブランドの品物だそうだ。
 次にあの紙。最終定理、三百年解かれなかった難問を原文で印字したものだ。原文はカロス地方の古い言語で、いやらしいまでの文章だ。あの驚くべき証明と余白に関する文章が、たくさんの数学者の人生を狂わせたと思うと、ぼくはしみじみとした気持ちになって、つい外の景色を眺めてしまう。そこに数学者の魂があるような気がするのだ。
 あの紙は誰がどのような理由で持っていたのかわからない。少なくとも、トキワの森に流れ着くのは自然のいたずらではなくて、必ず人間の手によるものだから、あれは誰かが最後まで持っていたものだろう。その人がどうなったのかはわからない。最終定理は照明されたのだ。それに気を落としたイノセントな数学者の端くれの仕業かもしれない。
 そして、壊れかけだが実際は音声が流れたラジオ。コガネシティのラジオ塔のチャンネルに繋がって、音楽が流れた。人の想念が宿った音楽だ。ラジオの方はつまみが少し擦り減っていること、その他もろもろの事柄から、このラジオの持ち主をつたないながら想像してみようと、Yは言った。ぼくが絶対に考えないようなことだ。
 このラジオの持ち主はたぶん若者だ。Yが言ったような老人説はないと思っている。おそらく夜が更ける頃、もしくは手持無沙汰になった昼下がりに、このラジオの持ち主はつまみを回して音声に耳を傾けていたのだろう。そしてその持ち主がどうなったかは直接の証拠がないからわからないが、おそらくは死んでしまっただろう。先を思い悩んで森に入る人間は多いと思うけれど、この持ち主は死を望んではいなかっただろう。ぼくは勝手にそう思っている。死を待ち望む人間が、ラジオを持って森に入るだろうか? ぼくはそうは思わない。そんなことはないだろうと言われてしまえば、確かにそうだと言えないのだが。きっとこの人は、希望か何かを持って森に入った。きっとそうだ。
 ポケミュージックで流れる音楽は、悲壮感の漂うものもあれば、そうでないものもある。軽快でポップな音楽もあったし、穏やかな水の流れのような静かな音楽もあった。その音楽のリクエストを知らせる男の声はいつも同じで、おそらくは人気MCなのだろう。このMCはずっと一定のトーンで喋り続ける。このMCはリクエストの裏側に隠れている人間の心情にあまり干渉しなかった。だが彼が時折みせる、的を射た訓示みたいなもの、人生の悲哀と希望への発信集が彼を深めている。人気たるゆえんだろう。そう思った。
 Yが学園の図書館で借りてきたカセットテープは、空の上を走り抜けるような曲だけだった。ぼくの知識が正しければ。カセットテープはもっと長時間の録音も可能なはずだったが、流れてきた音楽は六分ほどで終わってしまった。
 でもそれでいいのだろう。ラジオは壊れかけていて、このまま放置しておけばいずれ聴けなくなってしまう。どこの店かで修理できないか、スマホロトムで調べてみようと思うだけ思うが、たぶん無理な話だろうなあと勝手に思っている。
 この遺物に出会って、気づいたことはもう少しある。でもそれを書きつけるのはまだ早い気がする。
 ラジオのつまみをぐるりと回せば、またMCの声が流れてくる。この時間帯は毎日おなじ番組がやっているのだ。このラジオが、この現代でいかにして電波を受信しているのかはわからないけれど、そんなことはどうでもいいのだ。またあの男の声が流れてくる。

 ……(雑音)……
 リクエストは、ヤマブキシティにお住まいの方。お手紙を読もうか。
「これは私が大好きな音楽の一つです」
 ははあ、文章問題みたいな書き出しだなあ。ははは。
「私がリクエストした音楽がこの番組でかかるのが夢でした」
 ……(おなじみの雑音)……
「――に記述されているのです」
 曲名は、おお、これは僕も好きな音楽だよ。一番とまでは言えないかな。色々な音楽を聴いてきたからね。でもこれほどまでに表現が力を持っている音楽はないなあ。
 この音楽はね、歴史を踏まえないといけない。
 カロスの話だ。大昔のね。わかるだろう? 戦禍に巻き込まれた芸術と美の街だよ。
 とある、孤独で無垢で残忍で弱い、愚かな男が一時代を築き上げた。その男はね、自分の部下の将軍に、自分が制圧したミアレシティを燃やせと言ったんだ。連合軍にミアレを奪還されるくらいならば、ミアレを燃やせと。とんでもない話だ。しかしミアレは一向に炎に包まれない。将軍がそれを得策としなかったからだ。そして連合軍に降伏し、ミアレは連合軍の手に落ちた。
 男は、ミアレが連合軍の手に落ちる前に将軍にこう語りかけたんだ。
 孤独な男の、美術大学を落ち、芸術に受け入れられなかった男の高慢なルサンチマンがそうさせたんだ。そこには怒りと倒錯と憎悪という愚かしい弱い感情が詰まっている。それがこの曲名だ。
 ねえ、みんなはどう思う? 人間は愚かだ。だがミアレシティという街を作り上げるほど偉大だ。
 この曲は、時の中を進みゆく人間の絶望と希望の曲だと僕は思うんだ。聴いてほしいね。
 ……(雑音)……

 ぐるり。電源がオフになる。


    20

 Yがカセットテープを借りてきた。買った訳ではない。「壊さないようにしないとな」と、扱いなれない機会についてYは言ったが、結果としてぼくらはそんな非道は働かずにすんだ。
 ラジオは壊れかけているが、予想に反してカセットテープは再生され、音楽が流れることには流れた。ノイズも多く混じっていて、聴けたものではなかったが。
 それでも、その音楽は心の琴線を揺るがすには十分だった。紙上にその音楽を書きつけることはできないし、そのカセットテープから流れる音楽を誰が聴いて、そして誰がこのラジオを大事に抱え持っていたのかは、今はもうわからない。
 その音楽は、まるで空の上を走り抜けるような、そんな音楽だった。空の上を走り抜ける間、ぬくもりに満ちた存在が隣にいてくれる。二人ならどこにでも行けて、何があっても大丈夫だと前に進んでゆく。そこが新しい世界の始まりで、古い世界の終わりだった。
 そんな音楽だ。
 いつも好奇心旺盛なニャオハは、不思議なことに音楽が鳴っている最中は非常に大人しかった。ニャヒートもドームから這い出てきて、窓枠に飛び乗り、そこからYの机の音の発信源をじっと見つめていた。
「ねえ、カセットテープの経緯でも話してよ」
 Yに訊いてみた。
「別に、気まぐれで思いついただけで、テープも適当に選んだ。本当に音楽が聴けても、再生時間が短かったから、もしオレが嫌いな音楽でもすぐに終わる」
「それでいいんだ」
「うん。気まぐれに従うだけ」
「でも、カントーでは昔、殿様を諫めるのは家来の役目だった。殿様の言うことをハイと聞くだけが家来じゃなかったんだ」
「じゃあおまえ、このラジオとカセットテープで迷惑したか?」
「してない。強いて言えば、寮では静かにしろと苦情が来たら、寮長を言いくるめないといけないことは、迷惑といえるかもしれない」
「ならよかった」
「よくはないでしょ」
「いいんだよ。おまえも気に入ったんだろ。このラジオ、大事にしようぜ」
 Yは手探りでテープをなんとか巻き戻し、また最初から再生した。
「そんなことを気にしてるうちに、人生は進んでゆくんだぜ」
「人生ねえ」
「おまえ、知ってるか? トリウム崩壊系列の核種質量数は、必ず4の倍数なんだ」
「うん?」
「そして鉛となって不動となる。それと同じじゃないか、人生も」
 音楽は部屋に反響している。ぼくらの相棒たちも、音楽というものを理解して耳を澄ませているかのように、静かにしていた。
「そう」
 わかったような、わからないような、ぼくはそんな返事しかできなかった。Yはいつもこんなふうだ。喋りたいことを喋りたいように喋る。それでぼくが納得しようがしまいが、いずれにしても好ましい、といった話し方をするのだ。


    21

 また悪い夢だ。
 また過去の話だ。悪い夢に決まっている。
 映像に流れたのは葬儀のことだ。
 棺と、父の写真と、簡素な葬儀だ。葬儀屋は、喪服に身を包んで父の亡骸を丁重に扱ってくれた。棺の中の父はもう起き上がることもないし、ぼくに語りかけることもない。いくら事実としてあっても、実感が湧かない。父はぼくに色んなことをしてくれたから。ぼくは父と生きてきたから。
 葬儀の最中、ずっとぼくは下を向いて座っていた。母が前で、しめやかに何かしら挨拶をしている。その言葉をぼくは一つたりとも聞いていなかった。
 本当は泣きわめきたい気分だ。父を連れ去った実体のない何かを睨みつけて、父さんを返せと大声で罵倒してやりたい。だけどぼくはパルデアの、一応名のしれた豪商の息子だった。葬式の席で泣きわめく粗相はできない。しかし脳は、生物学的本能に従い涙を流そうとする。
 くだらない社会的体裁に阻まれて、流した涙は一滴二滴。葬儀は粛々と進んでいた。
 重苦しい空気が、ずっと場を支配していた。
 その後の弔辞や、説法が何について誰がどれくらいの時間話したのか、ぼくは何も覚えていない。ずっと父について考えていた。父との思い出。父がぼくにしてくれたこと。父が母と一緒にぼくを育ててくれたこと。他にも……他にも……思いは頭の中を何周もして、それでいて止まらなかった。
 嗚咽を隠せずにいる者、神妙な面持ちでいる者、ぼくと同じように下を向いている者……沢山の人間が暗い顔をしていたが、そんな感情より、ぼくの中にある悲しみの方がずっと深いに決まっている。そう思っていた。ずいぶん他者の配慮に欠ける考えだったが、その時は他者について考える余裕もなかった。社会的体裁と自分の感情の発露がせめぎあって、収拾がつかなくなっていた。
 そうして葬儀が終わって母が誰かと立ち話なりをしている間に、僕はさっさと部屋に戻った。ぼくの部屋は自分で言うのもなんだが、子供部屋の割には整理されていて、広い部屋だった。
 その時、ぼくは自分の部屋が空っぽに見えた。
 物は揃っている。不足しているものなど何もない。しかし確実に部屋から何かがなくなっていた。何かがなくなっている。ぼくは部屋中を見回してその何かを探し、そしてその何かに気付き、泣いたのだ。
 社会的体裁、豪商の息子であるということに阻まれていた感情が湧き上がってきた。
 膝から崩れ落ちて泣いた。みっともなく泣いた。お手伝いの人がぼくを探しにきたのもかまわずに泣いた。
 ぼくは父を亡くしたのだ。
 大切な父の姿を未来永劫、実体として見ることはかなわないのだ。そう思った瞬間、また涙が新しく、体の底から湧き上がってくる。
 声をあげて泣いた。身も世もなく泣いた。そこで一生の半分近くの涙を使った気がしている。
 ――覚醒。
 その光景で夢が途切れた。
 見慣れたセキエイ学園の、寮の天井がそこにはあった。


    22

 ひどい夢を見た以上、活動的になって気分を変えなければ、またあのような夢を見る下地のマインドの出来上がりだ。机の上だけで物事を語っていると、どんどん鬱っぽくなることと似ている。何にでも活動的にならなければならない。活動が命の源だ。悪夢を見た翌日はなおさら。
 そんな時、無邪気なYと、彼の相棒に何度救われたことか。ストレスのあまり、ぼくが相棒に当たらずに済んだ。本当に感謝している。
 しかし、まだ日は昇っていなかった。
 悪夢……二度と見たくないといつも思う。
「お父さん」
 声帯が言語を発した。
 同じ部屋で、Yが安らかに眠っていた。その相棒のマスカーニャが――ぼくの相棒より三ヶ月遅れで進化し、その後たった三ヶ月で最終進化したYの相棒――、Yに寄り添うように眠っていた。そしてぼくのニャヒートも、窮屈なドームのベッドに体を詰めこんでいた。


    23

 文学と決別した以上、語るのはこれが最後だ。
 心の奥底にしまった記憶を引き出す時が来たと思っている。
 それはぼくが、セキエイ学園の三年間で一つ大きなものを掴んだからだ。ぼくが掴んだものなど傍から見れば些末な問題であるし、それによる行動の変化は、本当に些細な……トキワシティの草むらを歩いて飛び出してくるのがポッポかコラッタか程度の違いに過ぎない。
 しかし語る時は来たのだ。
 ぼくの、ポケモンの見つめ方について。
 兄さんのガオガエンのために、母とお手伝いの人とぼくの家を――父がいない家を――抜け出して図書館で本を読んでいたことが「ささやかな小児的冒険」と呼べるのなら、その「小児的冒険」はぼくの人生をすっかり変えてしまったのだ。いやこの表現は正しくない。ぼくの人生は、ぼくの行動によって変わった。ぼくが、ぼくの人生を変えたのだ。
 ポケモンに関する本を読みだしたのは、ぼくが幼いながら文学との決別を果たした後のことで、ポケモンを知ったことによってぼくは、つまらない表現かもしれないが、でんきショックを浴びたような衝撃を覚えたのだ。
 ポケモンには力がある。それは文学に内在している不確かで表れにくい力ではなく、はっきりと体現できる力。つまり「power」だ。
 その強大さは、ぼくの人生の、大きく反動が強すぎて一度引くともう元に戻れない石弓のようなトリガーだった。ぼくは図書館で、ポケモンの基礎的な、初歩的なことしか書かれていない……言うなれば一桁同士の加減乗除レベルのことしか乗っていない本を選んだ。そしてその本の前書きの一文は、こうだ。

 ――ポケモンとは力の現象である。

 その通りだ。この文言を目にした衝撃は計り知れない。これがぼくの嘱望したものだ。喪失を無に帰して、価値に変え、一歩を踏み出すために必要なものだ。
 それ以来、ぼくは家を抜け出しては図書館でポケモンの本を読んだ。読むたびに世界が広がってゆく。世界は小さいようで大きく、そこには無数に存在するポケモンたちが、理論によって証明された美とともに確かに存在した。
 ポケモンとは、その多くが自然に依拠している。自然から溢れ出る、人類がまだ獲得していないエネルギーの塊。そこには人類の矮小さをあざ笑うような嫌味さは一つもなく、むしろ人間をそのまま受け入れるような温かさを持っていた。それはぼくがガオガエンを抱きしめて経験したのと同じ温かさだ。
 家を抜け出していることがバレたのは、あの衝撃的な邂逅からすぐのことだ。母は本当にぼくのことをよく見ていたし、ぼくの内面を知ろうとはしてくれた。母にはこっぴどく叱られたが、ぼくの好奇心はそれで諦めるほど非力ではなかった。そうだ。ぼくは力を得ようとしている。愛するガオガエンのために。
 結果――ぼくが十五歳になり、セキエイ学園への入学を進路に決めた時、母とは勘当という形になった。
 何度も何度も夜を越えて、口論とも舌戦ともつかない、沈黙と意見対立がないまぜになった話し合いを、母と続けた。ぼくはその時もっていたすべてを母に話した。沈黙がその場を支配するならば、さらけ出した方がいい。そう思った。
 ポケモンの持つ力のこと。これからの自分について。黙っていることが悪だと思っていた。伝えないと始まらない。人生の多くは「伝達」であるからだ。伝達によって自分が存在しているからだ。
 母は、その一言一言に頷き、時折に反論を入れた。そこに母の、ぼくに父の会社を継いでほしいという想い、息子にまっとうな生活を送ってほしい、という想いを聞いた。
 母は、ポケモンなんて、とは一言も言わなかった。それだけは感謝している。
「だったら」
 その言い合いが終わった後、母は呟いた。
「出てゆきなさい」
 そう言った。
 その帰結は、単なる利害の不一致だと思っている。ぼくはぼくで生き、母は母で生きるという決断だった。
 人生とはそうあるべきだ。自分の思う価値を追求して生きるべきだ。たとえ人生が短くても、無意味だったとしても。
 ぼくはもうパルデアの家には帰らないと思う。だけど禍根は一つも残していない。


    24

 セキエイ学園で迎える、三度目の冬の終わり。
 眼下には街が広がっていた。トキワシティだ。
 ぼくはセキエイ学園での三年を過ごした。そして、じきに卒業する。これといって語るべき思い出はなかった。日々こなさなければならない課題を提出し、時には行事に参加し、それ以外は何もせず、Yが部屋に帰ってくると何にもならない話をして過ごして、Yが読んだ過去の推理小説を借りて読んでいるうちに、また桜が舞っている……そんな三年だった。
 ニャヒートは、まだ進化していない。クラスメートたちの相棒は、大方最終進化を果たしている。だがぼくは、これ以上ニャヒートにバトルの経験を積ませるのを躊躇っていた。
 配られたモンスターボールからニャビーが出てきた時は、運命とさえ思った。学園を卒業し、立派なトレーナーになった時、そこからなんとかしてガオガエンをゲットしようというつもりだった。相棒候補のポケモンの多さを考えるに、それが現実的だったからだ。それがまさか、最初からニャビーが配られるなんて!
 しかしこのままニャヒートを進化させてよいのか、ぼくにはわからなくなってしまっていた。
 ニャヒートが力をつけてゆくにつれ、不安が押し寄せる。ぼくが求めているのは本当に相棒のガオガエンだろうか。本音では今でも兄さんのガオガエンへの愛情を捨てられないから、代替行為として相棒を使おうとしていないか? ニャビーを与えられた瞬間から、ぼくはガオガエンだけが目的だった。だからYが言う、「ニャオハ立つな」というミームも関係なかった。むしろ共感さえ覚えた。ガオガエンに比べれば、ぼくの感覚ではニャビーもニャヒートも、決して嫌いではないが、それほど惹かれるポケモンでもなかった。ならば、あまりかまわずに済むニャビーの性格も実は都合がよかった。この学園でレベルアップを重ね、順当に世話をして過ごしていれば、自然と進化してゆくだろう。その進化をただ楽しみにしているだけでよかった。
 だが毎日を過ごすうち、ぼくらは少しずつ本物のパートナーになっていった。月のきれいな夜、ぼくに返事をよこすようにニャヒートは進化した。そこにぼくらだけの絆を感じずにはいられない。もはや自覚から逃れようがない。多分ぼくは、自分のポケモンに対して、最低の裏切りを働いていた。だけどぼくはもう相棒に、パートナーとしての愛情をちゃんと持っていた。
 その後ろめたさが、今も最終進化できずにいる相棒の姿じゃないか!
 眼下のトキワシティは、深夜のほのかな灯りに包まれている。
 セキエイ高原からの眺めは、山と川と森と、そして街。すべてがその画角に収まっていて、整然とした街並みは、小さいながらも確実とした歩みを感じさせた。
 世界は、まるで雨だれがゆっくりゆっくり石を穿つように、遅々として、しかし確実に変わっていた。灯りが一つ消え、また一つと灯ってゆく。夜も街は動いている。人間は、永久に続くとも思える夜のために灯りを点けるのだ。そう思うとなんだか泣けてくる。向こうにはポケモンセンターがあって、向こうにはポケモンジムがある。森の方にもトキワシティを拠点とするトレーナーたちのトレーナーハウスがある。その灯りは何度も何度も夜を迎えて、その夜の下でたくさんの人たちが、その人の数だけ生きたのだ。本当に、いろいろな人生があるのだ。この三年間だけでもどれだけの人が亡くなっただろう。その分どれだけの新たな命が生まれただろう。
 そうやって常に横にあり続ける喪失をその度その度、乗り越え続け、人間の世界が存続し続けてきたことに……街があり続けたことに……ぼくは涙を、禁じえなくなるのだ。
 ぼくは泣いていた。泣いたのはいつ以来だろう。確か最後に泣いたのは、父が死んだあの葬儀の時だ。そうだ。ぼくはずっと泣いていなかった。まだあの喪失を乗り越えていないからか。
 ぼくは学園のテラスの柵に寄りかかって、ずっと街を見ていた。そして泣いていた。
 なおうん――
 ニャヒートが、後ろにいた。ぼくが部屋にいなくて、探しにきたのだろうか?
 ――泣いてるのか?
 ニャヒートは、そう言っている気がした。
「泣いてないよ」
 屈んで言うと、ニャヒートは顔を寄せてくる。そうしてぼくの頬を舐めて、涙を拭ったのだ。
「――泣いてるよ」
 ぼくは頷いた。涙は止まらなかった。
 その時、ニャヒートはぼくに体をぶっつけた。そのまま突然、またあの光がやってきたのだ。
 ニャヒートの最後の輝き……ガオガエンに進化する、その眩い輝き。
 懐で膨らんでゆくぬくもりが、やがて体を包んだ。ニャヒートは、ガオガエンへ姿を変えながらぼくを抱きしめていた。ぼくの目の前には相棒の放つとてつもない光量しか見えなかった。
 懐かしい父の暖かさのようなぬくもりだった。
 兄さんのガオガエンのようなぬくもりだった。
 ぼくが求めた、ぼくが記憶している、それがすべてのような、ひとつの罪もないぬくもりだった。
 相棒は、取り繕うことのない暖かさでぼくを抱きしめてくれていた。ニャヒートは、今ぼくを抱きしめるために、ぼくのためだけに進化する。
 それは確信だった。あの月の夜も、ぼくの相棒は絶対にそうだったに決まっているのだ。
 もうなんでもいい気がした。ここで泣いても許される気がした。
「ごめん」
 温かい光に包まれながら、ガオガエンの胸に顔を埋めて、ぼくは泣いた。


    25

 ネジ巻き時計の動かし方に基づいて、懐中時計のネジを巻く。
 時刻を合わせて、そして――
 時が動き出す。

 四度目の春がくる。出立の時だ。
 荷物の、そして思想の整理は必要ない。卒業式を迎えた日、とりあえず残しておくことにした物以外はさっぱりと処分した。三年を過ごしたぼくらの部屋を、Yと手分けしてきれいに掃除したのだ。
 やるとなったら真剣な面持ちのYの、そういう姿を見るのが、ぼくは存外に好きだった。ぼくがYのように刺激あふれる生活をしていたら、こんな趣味はしていなかっただろうな、という差異まで含めて。そしてガオガエンは、ドーム型ベッドを処分しようとすると、ぼくの手からひったくって抱きしめながら、ガイガイと泣いて嫌がった。最終進化した今では、もう片足さえ入らなくなったのに、ドームをお尻の下に押しつぶして、こっくりこっくり寝るのがいつまでも好きなのだ。そんな素振り、進化前はちっとも見せなかったくせに、本当は気に入ってくれていたらしい。買い与えたものを大事にしてくれるのは悪い気はしないが、新居ではもう誰の目を気にすることもないのだから、同じベッドで寝たいものだ……
 そう。新居。セキエイ学園は寮生のアルバイトが許可されていたので、トキワシティのカフェで働いて稼いだ給料で引っ越し先を借りてある。しかも、Yの新居もごく近所だった。だからどうせ一週間後には「メシ行かね?」とか言って、Yが連絡してくるに決まっている。したがって出立とは言うけれど、Yとの惜別でもなんでもない。
「じゃあな」
「またね」
 軽快な別れだ。ぼくらは親友でもなければライバルでもない。ただのルームメイト。だったら挨拶はこれくらいでかまわない。
 懐中時計は、一一時五九分を指していた。
 カチリ――
 もしこの三年間を終えたまでのぼくの人生を「第一章」と呼ぶのであれば、「第二章」がもう近くにまで迫っているのかもしれない。そんな気がする。
 その「第一章」に題名をつけるならば、多分こんな感じだ。
 1……2……3……えっと、こうだ。


    25の不確かな断章

 これでぼくの学園生活について語ることは何もないのだが、もちろん後日談はある。
 結局、次の日もその次の日も、Yはトレーナーハウス帰りにぼくの部屋に顔を出し、「きみ、毎日来るね」と繰り返し言っているうちに、トキワシティでは桜の花びらがすべて風に持ち去られ、対抗措置として青葉を茂らせた。川では夜にニョロゾが「くろーっくくろーっく」と馬鹿みたいに大きな鳴き声をあげて、それで目覚めることもあった。季節が進んでいた。人生の「第一章」を終えた(ような気がしている)としても、ファンファーレは鳴らない。しかし一年のうちどこかにぼくの誕生日は確実にあって、それは近づいていた。何かが変わっていた。
 ぼくはアルバイトでまとまった休みをもらい、実家を出てから初めてパルデア地方に帰ってみた。入学当時とは違い、現在ではガオガエンだって入国できる。
 実家があるハッコウシティからはずれた丘の上、一本の名前も知らない木がある。眼下には無限に広がる白の花園と、その向こうの崖から先は海だ。晴天は遥か遠くまで空を広げ、丘の青草は安らかに風になびいていた。
 天国のような光景がそこにある。
 ここは墓場。あの感冒で亡くなった人たちの。
 ガオガエンを連れ、墓と墓の間を縫い、父の墓を探す。記憶が正しければ、それはうんといい材質の石が使われていたはずだ。
 整然と並んだ墓の、前から五番目の、左から五番目に父の墓はあった。墓石には、父の名前と生きた年月が記されている。
 ハッコウシティで買った花を手向ける。幼いころ、「なんの花が好き?」ときいた時に父が答えた、紫のキキョウだ。死者への手向けにはかなり相応しくないが、これはぼくと父だけの「御縁」みたいなものだ。父は多分、笑って許してくれる。
 イキリンコの鳴き声が絶えずこだましている。大方あの木の上に巣があるのだ。ぼくはその鳴き声を聴いていた。ガオガエンに手を握られ、無限に続く空と花園を眺めながら。
 ガオガエンは、じっとぼくを見ていた。あんまりにも見ているので何の気なく見返すと――不意を突かれた――、ガオガエンがキッスをしてきた。
 驚いているぼくに、ガオガエンがにたりと笑みを見せる。それはもう、何もかもをわかっているような、それを父の前でひけらかすような、あくタイプらしさの笑いだった。
 ――ぼくは、もう少しすればこの場所を去って、再び世界に身を投じ、生きてゆく。
 この話が、ぼくの何であって、ぼくがどこに辿り着いたか、それは誰にも、ぼく自身にもわからない。
 ただ、ぼくたちは完成したのだと思う。
 物語とはそういうものだ。
 また人生も多分そういうものだ。
 だからこの場面は多分、ぼくの「第二章」のプロローグになるだろう。

 

 ニャビー、立て。それが言いたいがための話でした。
 大会に投稿するために大幅に削った部分を追加して再投稿したものです。より不確かな話になっただけのような気もしますが、まあいいだろう!


 

 


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Last-modified: 2023-09-04 (月) 19:02:35
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