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黄昏の遠吠え・右

/黄昏の遠吠え・右

※注意
・流血、暴力、人間やポケモンの死亡シーンなど、極めて残酷で鬱な描写が多数存在します。苦手な方はお気をつけください。
・この作品はフィクションです。一部史実をモチーフにした部分も含まれていますが、ポケモンの世界に落とし込む際、主に単純化を目的とするアレンジを加えていることをご理解ください。
主人公を含めた各キャラクターの発言や行動はそれぞれの立場に基づいたものであり、作者個人の主義主張とは必ずしも一致しません。


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 ★★★★

序章・戦時下の仔犬たち 

 ★★★★

 ウゥゥーーーーォォォォ……
 ウゥゥーーーーォォォォ……
 昼過ぎの蒼天を貫き、山谷の街並みを震わせる、長く重厚な響きの音に、
「うおぉぉぉぉーーーーっ!!」
 ついつい思わず、高らかな雄叫びを返してしまいました。
「こら、コーキチ。騒ぐんじゃないといつも言っているだろう。空襲警報だぞ?」
 ムーランドのカイソーさんが、金色に輝くふさふさとした顔でぴしゃり、と諫めてきたので、僕は遠吠えをやめて小さく舌を出し、てへっ、と苦笑いで誤魔化します。
「それじゃあ、カイソー、コーキチ、留守をお願いね」
 玄関に立つ十代の少女が、2本結びの三つ編みにまとめたぬばたまの黒髪を防空頭巾に納めて振り返り、鈴を鳴らすような澄んだ声を僕たちにかけました。
「はーい、玉恵お嬢様、行ってらっしゃい!」
 快活な声で、僕は飼い主のお嬢様を送ります。人間であるお嬢様に、ポケモンのブルーである僕の言葉は通じませんが、肯定の意は伝わったらしく、妖精族として惚れるに足る淑やかな笑顔を浮かべて外へと飛び出していきました。
「これ、玉恵。おぐしが頭巾からはみ出ていますよ」
「あら、すみませんお母様……」
 いそいそと髪を直しながら、奥様と一緒に避難所へと駆けていくお嬢様の後ろ姿に、空襲への緊張感はまるでありません。
 警報の鳴る中に置き去りにされた僕たちも、それは同様です。
 なぜならば、
『定時訓練です。市民は直ちに、各自指定された避難所へと集合してください……』
 続いて響き渡った伝達の声が、大事など何も起こっていないことを伝えました。
 いつものことなのです。もちろん本来ならば、訓練でも実際に起こった場合に備えて、本気のつもりで行わなければならないのでしょうが、実際にこの街が襲われることなんて、まず有り得ない話です。
 確かに僕たちの住む●国は、もう何年も大規模な戦争を続けていて、僕のご主人様であるこの家の旦那さんも出征中なのですが、しかしここは前線から遙か遠く離れた田舎の街。敵に狙われること自体考えられません。
 何よりその前線においても、我が●国軍は常に圧倒的な連戦連勝を続けているのです。周辺領域の制空権は常に我が軍にあり、それを突破してこれる敵ポケモンなど存在しないのです。
 居間に置き捨てられた今日の新聞も、勝利の報一色で染められています。
〝陸軍第八師団ウインディのハッコー號、また圧倒的活躍で※国軍基地を制圧〟と。

 ★★★★

「負けるものか! 俺の名前のハチは、あの戦場の英雄ハッコーさんにちなんで名付けられたものだああっ!!」
 土俵際に追いつめられていたリオルが、気合いを込めた声を上げると共に、相手のマクノシタをけたぐってうっちゃり返しました。
 鞠のように土俵の外へ吹っ飛ばされたマクノシタの身体が客席の人間たちに受け止められて、行司の軍配が翻ります。
「勝負あり! ハチゾー號の勝ち!!」
「よっしゃよくやったハチゾー! これで決勝進出だっ!!」
 土俵の角から指揮を執っていた丸刈り頭の少年が快哉を上げ、リオルのハチゾーも不敵に笑って蒼く細い腕を振り上げました。
 実はこの少年は我が家の隣に住んでいる照坊ちゃんで、その愛ポケであるハチゾーは僕の幼なじみで宿敵でケンカ仲間で親友でして、人間で言うところの竹馬の友といったところです。
 今日は街の幼いポケモンたちによる相撲大会の日。戦時中ではありますが、戦意高揚の意味からかこういった催しも自粛されていません。
 さて、今決着が付いたのが準決勝第一試合で、これから第二試合が行われるわけですが、
「次は私たちの番ね。行きましょう、コーキチ!」
 玉恵お嬢様に促されて、僕は桜色地に水玉模様の長毛で覆われた脚を踏み出しました。つまりそういうことなのです。
 土俵に向かう花道で、降りてきたハチゾーがすれ違いざまに尖った鼻先を僕に向けて囁きます。
「待ってるぜ。上がってこいよコーキチ!」
 激励に無言の頷きを返して、僕はお嬢様と共に土俵に登る踏み俵の前に立ちました。
 向かい側に立つ相手方は、ずんぐりとした身体に藍色の長毛をまとったゴンベ。
「重量級の強敵ね。でもあなたの腕力なら大丈夫。全力で崩しに行きなさい。できるわね?」
「分かりましたお嬢様、お任せください!」
 囁きを残して角へと離れる玉恵お嬢様を横目に、僕は踏み俵を登って仕切り線を挟んでゴンベと睨み合うと、深く腰を落として身構えます。
 白髪の行司さんが、浅黒く逞しい腕で軍配を構え、
「はっけよい……のこったっ!!」
 号令と共に跳ね上げたのを合図に、僕は我が身に華やぐ桜色をゴンベの藍色に叩きつけました。
 体格ではほぼ互角でも、重量では僕より桁違いに重いゴンベ。接地面の広い足裏でしっかりと土俵を掴み、僕の攻勢を受け止めようと計ります。……が、
「ハチゾーの名前が、ハッコーさんの〝八〟にちなんだものだって言うのなら……っ」
 僕はゴンベの脇を取り、お嬢様に鍛えていただいた腕力にものを言わせて持ち上げにかかりました。
「僕の名前だって、ハッコーさんの〝コー〟から付けられたんだああああっ!!」
 ざっと13倍以上もの重量差を乗り越える膂力で、僕はゴンベの足を一瞬だけ引き剥がします。
「進め、コーキチっ!!」
 足を振って体制を取り戻すような隙など相手には与えず、僕はお嬢様の命令のままに踏み込みました。
 相手の体重に乗る要領で、一気にゴンベの身体を突き崩します。
 手を伸ばして反撃を試みようとするゴンベの肩を先んじて掴むと、とどめとばかりに足を払い、重心を失ったゴンベの身体を土俵の上に押し倒しました。
「勝負あり! コーキチ號の勝ち!!」
 ふーっ! 強く息吹を吐き出して仕切り線に戻り一礼。踵を返すと、足取りも軽くお嬢様の待つ角へと駆け寄ります。基本的に土俵は女人禁制なので、お嬢様は迎えに来れませんから。
「やったわねコーキチ。いよいよお隣のハチゾーと決勝よ!」
 柔らかな胸にポンッと飛び乗り、運ばれた控え室で張り詰めた腕の筋肉を解されて、極楽気分の僕にお嬢様が高揚した声で語りかけます。
「もうじき戦地へ行くカイソーを、私たちの優勝で送り出してあげましょうね!!」
 この相撲大会は幼いポケモン限定戦なので、ムーランドのカイソーさんは参加していません。元よりカイソーさんは我が家のポケモンではなく、軍隊から軍ポケとしての育成を委託されている方ですので、こういった大会には参加できないんですが。間もなく育成課程も修了し、前線へと送られる予定のカイソーさん。兄弟のように可愛がってくれた恩を、是非とも僕の優勝という手向けで返したいところです。
「もちろんですお嬢様。お嬢様に頂いたこの〝コーキチ〟の名にかけて、絶対に勝ってご覧に入れます!!」
 僕とハチゾーの名前は、それぞれ準決勝で言った通り、名高き軍ポケモン、ウインディのハッコーさんにあやかって付けられたもの。今やこの●国の子供ならポケモンであれ人間であれ誰しもが憧れている英雄の名にかけるという意味でも、同じ由来を持つハチゾーには決して負けられないところなのですが、更に言えば、僕とハッコーさんに共通する〝コー〟の字は〝綱〟を意味する言葉。つまりは、横綱の〝綱〟でもあるのです。勝負が相撲である以上、ますます賜杯を譲るわけには行かないのでした。
 小休憩を終えて、いざ決勝の花道へ。予選より一段と数を増した拍手と歓声が僕たちを迎えました――と言っても、長引く戦争で年々客席は寂しくなっているのですが。お陰で今一番聞きたかった声を、黒い縁取りのついた耳で容易に聞き分けることができましたけど。
「コーキチ! ここまできたら優勝あるのみだ! 頑張れよ!!」
 声援に振り返ると、質素な麻服も絹衣に見えるほど上品な姿勢で折り畳み席に着座した奥様と、その隣で吠えている金色に覆われた大きな顔が見えました。拳を突き上げて応えてみせると、
「ところがどっこい、そうは問屋が卸すかよ!」
 土俵を挟んだ向こう側から、挑発的な声が飛んできます。
「俺だってカイソーの兄貴には、小さい頃から世話になってきたんだ。いくらお前が一緒に住んでるからって、優勝を餞別に送る役まで譲りやしねぇぜ!!」
 照坊ちゃんを傍らに、胸を張って吠えたハチゾーの宣言を受けて、僕も負けじと吠え返しました。
「上等だよハチゾー! もちろん僕だって譲る気はない。カイソーさんの弟分の座も、英雄ハッコー號由来の名前に相応しいポケモンの座についても、今日こそ決着をつけてやる!!」
「おぉっ、それでこそだ! コーキチもハチゾーも、良い試合を期待しているぞ!!」
 カイソーさんの声と重なるように、また盛大に沸き起こる拍手。気迫を交錯させた吠え合いが、語彙の通じる通じないに関わらず観客たちを熱く燃え立たせたのでしょう。
「コーキチ、こっちの手を知り尽くしているハチゾーに、これまでのような力任せは通用しないでしょう。まずは慎重に好機をうかがって、隙を掴んだら一気に攻めるのよ!」
 お嬢様のご助言に背を押されて、踏み俵を登り決勝の舞台へ。
「それでは両者、見合って――」
 と行司に言われるまでもなく、向かいから登ってきた蒼い痩身のポケモン、リオルのハチゾーと視線を結び合ったまま、軍配を挟んで仕切り線に立ちました。
 大木のように浅黒く太い腕で軍配を翳す、白髪ながらも精悍な出で立ちの行司さんは、普段はこの町の警察署長さん。若い頃は兵役にも行っており、獅子奮迅の活躍ぶりだったと評判のお爺さんです。
「はっけ、よい……」
 悪党共をも怯ませる重厚な声で号令が刻まれると、ざわついていた会場が一転して静まりかえります。
 その緊迫の中心で、僕たちは共に筋肉を引き絞り、
「のこったっ!!」
 開始の合図の瞬間、一気に解き放ちました。
 繰り出された蒼い右腕を軽く身を捩って交わし、続けざまに伸びた左腕を手刀で打ち払って迎撃。
 横を向いたハチゾーに飛びかかる、と見せかけて、即座に振り回された腕を受け止め、その反動で飛び退って距離を取ります。
 タイプ相性でこそフェアリーである僕の方が、格闘タイプのハチゾーより有利ですが、身長も体重も腕の長さも向こうの方が上。まともに組み合っても不利なことは分かり切っています。お嬢様の言う通り、攻撃をいなしつつ確実に技を決められる隙を誘い出さなければなりません。
 土俵際まで追い込むべく仕掛けられた突撃を、またも紙一重の横っ飛びで回避。度重なる揺さぶりに焦れたハチゾーの足取りが、貪欲に僕を求めて踏み出された瞬間、
「今よ!!」
 大きく伸ばされたハチゾーの脚に、僕は組み付いて右膝から下を固めました。
「く……っ!?」
 呻きが戦慄となって、掴んだ脚を震わせます。咄嗟の急旋回をしている最中に膝下を拘束されては、脚の筋力だけでは振り解けますまい。ここぞとばかりに、僕は腕に力を加えて、捻り倒しにかかりました。
 準決勝では100(キログラム)を越えるゴンベの重量を浮かせて押し倒した剛力を受けて、ゴンベの5分の1程度の体重しかないリオルであるハチゾーの痩身が勢いよく錐揉みに回転します。
 否。
「回って脱出だ、ハチゾー!!」
 照坊ちゃんが腕をブンブンと振り回しながら指示を出しています。そう、ハチゾーは自ら僕が力を入れた方向に身体を翻し、僕の力を逆用して脚を振り解こうとしているのです。
 しかし、その動きは予想の範疇でした。
「飛びついて、コーキチ!!」
 反転したハチゾーが背中を向ける時を狙い澄ました合図に、僕は掴んでいた脚を放り出してハチゾーの上半身へと身を躍らせました。
 無理に無理を重ねるような反転運動を強行したハチゾーに、背後からの突き落としを防ぐすべなどあるはずがありません。貰った……!
 勝利を確信した僕の掌が、ハチゾーの黒い胸元を強烈に押し、
 ……って、胸元っ!?
 ハッと顔を上げた僕の視線が、ハチゾーの不敵な笑みを含んだ紅い双眸と正面からぶつかりました。
 そんな、どうしてこっちを向いているんだ!? 背中を向けたところに飛びついたはずだったのに……!?
「狙い通りっ! そのまま投げ飛ばせぇっ!!」
 会心の笑みに弾んだ照坊ちゃんの声を聞いて、今度は僕の方が戦慄に襲われました。
 やられた……あの反転は見せかけ!? 僕の飛び込みを誘っておいて、すぐさま動作を逆転させて待ち構える罠だった!?
 まさかハチゾーが、ご主人の指示を無視して自分でそんな器用な判断をしたとは思えません。おそらくはさっき指示を出した時、照坊ちゃんが激しく振り回していた腕。あれこそがこの罠の指示だったのでしょう。
 そうとも知らずにまんまと嵌められた僕を、ハチゾーの蒼い腕がガッチリと捕らえます。
 さすがにここまで体勢を崩しているハチゾーには、もう後ろに倒れ込むことしかできないでしょうが、照坊ちゃんの指示通りに倒れ込む勢いで後方へと僕を投げ飛ばせば勝負は決まってしまいます。長い腕に抱き抱えられて身動きの取れない僕にはもうどうしようもありません。
 蒼い双腕が振り抜かれ、僕の桜色の毛が風を切って虚空に放り出されます。万事休す――!?
「まだよ! 最後まで諦めないで!!」
 玉恵お嬢様の叱咤に鞭打たれて、僕は無我夢中で精一杯に腕を伸ばしました。
 流されて行くしかなかった僕の指先が、しかし奇跡的にハチゾーの尖った顎先に引っかかりました。
「っ……わっとっとっ!?」
 弓なりに仰け反ったハチゾーがもつれた足取りで後退り、踵を土俵の縁につまずかせて更に大きく身体を傾がせます。
 このまま倒れれば、確実に僕より早くハチゾーの背中が土俵を打つでしょう。今度こそこの勝負、貰った――!!
 ザシュ……ッ!!
 倒れ落ちる寸前で背後に大きく踏み出されたハチゾーの脚が、傾いていた身体を一気に跳ね上げました。
「あぁ~……っ!?」
 顎にかけていた指先が勢いで振り解かれ、弾かれた僕の身体がキリキリと宙を舞います。
 ぐるぐる巡っていく視界を、色んなものが通り過ぎていきました。
 ハチゾー、土俵の屋根、行司の警察署長さん、玉恵お嬢さん、照坊ちゃん、奥様、カイソーさん、土俵の横壁、客席の折り畳み椅子、地面――――
 どんっ!
 場外に落っこちた僕の身体は、何度も地面に転がって、やっと止まりました。
 負けた……!!
 どこが痛いのかも分からないような激痛を、敗北感がギュッと握り潰します。
「勝負あり――」
「コーキチっ!?」
「お、おいコーキチ、大丈夫なのかよ!?」
 ハチゾーの名を呼んだのであろう行司の声に、心配そうな玉恵お嬢様とハチゾーの声が重なるのを聞きながら、僕は応えることも叶わず意識を落としてしまいました。

 ★★★★

「良かった、目を覚ました! 大丈夫、コーキチ?」
 重い瞼を持ち上げると、目元を赤く腫らした玉恵お嬢様の顔が覗き込んでいました。
 あぁ、なんと言うことでしょう。奮闘虚しく敗れた上に、無様に倒れてお嬢様を泣かせてしまうなんて。
「お医者様の診断では、怪我は特に問題ないそうよ。意識を失ったのは、疲労と緊張が限界を越えたせいだろうって。……頑張ったね。コーキチ」
 たおやかな掌が、僕の頭を優しく撫でます。
 この愛撫が慰めであることが、心から悔しく思えました。これが優勝の祝福であったなら、どんなに幸せだったことか。
「あ、待っててね、今準備してくるから」
 そう言うとお嬢様は立ち上がり、お下げをそよがせて部屋の外に出て行きました。
 相撲大会は町役場の広場で行われていたのですが、どうやらここはその役場の一室で、倒れた僕はここに運び込まれて長椅子の上で手当を受けていたようです。
「おぉ、コーキチ、起きたようだな」
 お嬢様と入れ替わるように、カイソーさんの金色の顔が室内にヌッと入ってきました。
 続いて、何やら袋を抱えたハチゾーの蒼い姿も。
「もう平気か? 凄い勢いで場外に落っこちたから、動かなくなった時は肝が冷えたぜ」
「うん、何とか問題なさそう。……表彰式は?」
「残念だったな。もう全部終わって、今は会場を片づけているところだよ」
 窓の外を見ると、カイソーさんの言う通り、折り畳み椅子を抱えて運んでいく警察のローブシンやダゲキ、ガラガラたちの姿が見えました。お嬢様が言っていた準備というのも、帰り支度のことなのでしょう。
 それにしても、せっかく幼なじみのハチゾーと照坊ちゃんが優勝したのに、賜杯を受け取る場面を見損なってししまうとは本当に残念。負けた悔しさを思うと、あるいはこれで良かったのかもしれませんが……。 
「ほいコーキチ。これ、食堂のペロリームおばさんから」
 ハチゾーが抱えていた袋の口を切ると、糖蜜の芳醇な香りが漂いました。
「優勝祝いのポリン糖*1だと。一緒に食べていいよな?」
 お裾分けしてくれるようです。感情的には色々と複雑ですが、品不足のご時世にポケモン用のお菓子など大変な贅沢。ここは勝者の寛容に甘えるしかないでしょう。持つべき者は良き親友です。
「ありがとう。いただくよ」
「じゃあ、カイソー兄貴も一緒に食べようぜ。いいだろコーキチ」
「もちろんだよ。ハハ、そんなの僕にことわることないのに」
「おおっ、それはありがたいな。喜んでご相伴に預かろう」
 そんなわけで、色とりどりのポリン糖を卓上に開けて、三頭でつつき合うことになりました。あぁ、さすがはペロリームおばさんのところのポリン糖。サックリとした表面を噛み破ると香ばしい生地が口の中で弾けて、垂れたほっぺたが蕩け落ちそうな美味しさです。
「ふたりとも、決勝ご苦労。このカイソーしかと見させて貰ったよ。終始に渡って攻守が激しく入れ替わる、素晴らしい名勝負だったぞ!」
 食べ始めはしたものの、微妙に言葉の重かった僕たちの代わりにカイソーさんが口火を切ってくれました。ハチゾーに『おめでとう』を言わないのは、負けた僕に対する配慮でしょうか。本来なら僕から言ってあげなければいけないのでしょうが、恥ずかしながらまだ気持ちの整理がつきません。ここはカイソーさんの引いてくれた話に乗って、祝いの言葉を切り出す機会を待つとしましょう。
「入れ替わると言えばさ、ハチゾー。僕が脚を掴んだ時、『回転して振り解け』って言われてたのを途中で止めたあれ、やっぱり照坊ちゃんの仕草の方が本当の合図だったの?」
「おう、分かったか。腕を回したら言葉の指示を囮にするようにって事前に打ち合わせていたんだよ」
 得意げに笑いながら、ポリン糖をまとめて掴んで頬張るハチゾー。この席の主賓だけあって豪快なものです。分けて頂いている身としては、一個ずつ控えめに齧らせて貰いましょう。
「いや~、脚を放して飛びかかってくるのを読み切って捕まえた時は。完璧にしてやったっ! って思ったんだがなぁ。まさかあそこで顎を取られるとはな。参ったぜ」
「あれは俺も見ていて驚かされたよ。ここ一番でのコーキチの踏ん張りにはいつも感心させられるな」
 揃って健闘を讃えてくれるふたり。本当にいい友達です。話がここに至ったなら、そろそろ決着の場面に話題を進める頃合いでしょう。
「それを言うのならハチゾーの方でしょ。絶対引き倒せると思ったのに、あそこから立て直しちゃうんだもの」
「無様にひっくり返されるのだけはゴメンだったからな。そこだけは意地を貫き通したさ」
 …………ん?
 そこ……『だけ』?
「うむ。たとえ結果は同じでも、最後まで立ち続けようとしたその精神、立派に賞賛に値するとも。胸を張っていいと思うぞハチゾー」
 え? あ、あれ? 『結果は同じ』? 『胸を張っていい』?
「ちょ、ちょっと待ってよふたりとも、さっきから一体……何を言っているの?」
「ん? どうしたコーキチ?」
「いや、だって……僕、土俵の外に落ちて、負けた……んだよね?」
 言った途端。
 ふたりとも呆然と目を丸くして絶句し、顔を見合わせて、
「……何だよお前、分かってなかったのかよ?」
「 行司の判定が聞こえていなかったのか?」
 苦笑いを浮かべながら訊いてきました。
 その後、ふたりで詳しく解説をしてくれているようなのですが、余りのことに理解が追いつきません。
 仕方がないので、自分の記憶を巻き戻して確認してみましょう。
 僕に顎を引っかけられ、後退って土俵の縁につまづいたハチゾーが、大きく脚を踏み出し体勢を立て直して、振り解かれた僕が場外に落ち――
 あ。
 土俵の縁ギリギリにいたハチゾーが、そこから外側に足を出して身体を支えた、と、いうことは。
 僕が場外に落ちたのがその後ならば、つまり。
 つまり。
「お待たせ、コーキチ。あらみんな、もう始めてたの?」
 戻ってきた玉恵お嬢様が、腕に抱えていたものを、僕に差し出しました。
 どっしりとした台座に支えられ、煌びやかな装飾に覆われた、優勝杯を。

「ほら、コーキチ。あなたの優勝よ。おめでとう!」

 賜杯を受け取ったまま、真っ白になった頭をハチゾーたちの方に巡らせます。
 眼に入ったのは、卓上のポリン糖をごっそりと確保して抱え込もうとするハチゾーの姿でした。道理で最初にことわりを入れたはずですよこの野郎!!
「うわああ待てハチゾー、そんなに持っていかないでよ!? それ僕のだったんじゃないかぁぁ~~っ!?」

 ★

「あぁ、でも悔しいなぁ。せっかく優勝したのに気絶しちゃってて、表彰式に立てなかったなんてさぁ……」
 とか何とか言いつつも、弛んだ頬の肉が下がるのを止められません。
 首から名前の通りの横綱付き前掛けをまとって、堂々たる凱旋の帰り道です。
「ともあれまずは第一歩! これからもバンバン快進撃を続け、いずれは軍ポケになって※国の奴らを叩きのめし、目指すはグランブル将軍コーキチ様だっ!!」
「うっわ~、どこまで舞い上がってんだよ。大体ポケモンが将軍になんてなれるわけねーじゃん」
 呆れ顔のハチゾーにツッコまれました。優勝したときぐらい浸らせて欲しいものです。
「俺だってもう負けねぇぞ! ●国のために精一杯働いて、いつかこの町に、いや、もっとでっかい町のど真ん中に俺を讃える銅像をど~んとブッ建てさせてやるぜ!!」
「その大口で既に負けてないじゃないか!!」
「ハッハッハ。まぁ、仔供のうちは志はでっかく描いておけばいいさ」
 大らかに笑うカイソーさんの後ろで、玉恵お嬢様と照坊ちゃんもニコニコと僕らを見守っています。
 そんな穏やかな夕暮れ時の街路を、ふと重厚な響きが震わせました。
『た~けや~、さ~おだけ~~』
 おなじみ、物干し竿売り車の宣伝文句でした。
 これを聞かされたからには、もちろんやることはひとつでしょう。
「うおおぉぉぉぉ~~っ!!」
「うおおぉぉぉぉ~~っ!!」
 僕もハチゾーも、競い合ってさおだけ屋の文句に合わせ、気合いを込めた遠吠えを茜の空に放ちました。
 遙か彼方の戦場まで、届くように。
「よし、たまには俺も、仔供たちに手本を見せてやるとしよう」
 と、カイソーさんが軽く咳払いし、天を向いて喉笛を震わせました。
「ぅうおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉおぉ~~~~っ!!」
 凄い。
 僕たちのような、ただ長鳴きするだけの遠吠えとはまるで違う、熱い力が漲るような、真の遠吠え。さすがムーランドはひと味違います。
 ……けど、
「どっち向いて吠えてんの? カイソーさん」
「※国ってこっちだよな? 全然向き違うじゃん」
「……お前ら知らんのか? 地球って丸いんだぞ」
 苦笑いしつつ、後足で顎を掻くカイソーさん。いくら丸くったって、その方角じゃ地球を一周しても※国には辿り着かないと思うんですが。
 実はカイソーさんって、ちょっと方向音痴気味なのです。
 果たして軍ポケとして、ちゃんとやっていけるのでしょうか?

 ★★★★

万歳の声を背中に向けて [#7NJZ7GW] 

 ★★★★

 昔々のお話です。
 とある深夜の山奥に、力尽き倒れた老人がおりました。
 そこに通りかかったのは、リングマとマッスグマとミミロップの3匹。
 心優しいポケモンたちは、どうにかして老人を助けてあげようと、それぞれに努力しました。
 リングマは怪力を駆使して穴を掘り、老人に身を休める場所を与え、
 マッスグマはたくさんの木の実を物拾いして、老人のお腹を満たしました。
 けれど、非力で不器用なミミロップは、老人に何もしてあげることができなかったのです。
 ミミロップにできることは、ただ老人の回復を願うことだけでした。
 一心不乱に、全身全霊を尽くして、ミミロップは老人のために願いをかけ続けました。
 一夜明けて、老人はすっかり元気になっていました。
 その傍らで、ミミロップは命のすべてを燃やし尽くして、息絶えていました。
 その死に顔はとても、とても満足そうに微笑んでいました。*2

「『このように、例え力や技量に恵まれない者でも、命をかけることで他人の役に立つことができるのです。みんなもこのミミロップのように、命をかけてお国に尽くしましょう』……」
 卓上灯が照らす下、シビシラスのように白くほっそりとした指先が、朗読していた教科書を閉じました。
 古くより伝わる、献身を謳う童話。
「ねぇ、コーキチ。あなたもミミロップみたいに、命をかけて私を助けてくれる?」
「嫌ですよ、そんなの!!」
 そっと囁いた玉恵お嬢様の問いに、僕はきっぱりと抗議の声を上げました。
「だって僕は、ミミロップみたいに非力でも不器用でもありませんもの! リングマのように力強く、マッスグマのように機敏に働いて、その上でミミロップのように献身的に、僕はお嬢様とこの●国をお守りしてみせます!!」
 吠え声に乗せたその意志が、お嬢様に伝わったのかどうか。
 しなやかな腕で僕を抱き寄せて、お嬢様は言いました。
「私はね、もしもコーキチが危ない目にあったなら、絶対に命をかけて守ってあげるわ。約束よ」
 光栄です。お嬢様。
 私服の幸せに抱かれて。僕はお嬢様の胸で瞼を閉じました。

 ★★★★

 日が過ぎて、とてもよく晴れた午後。
 軍用のポケモン育成業を営んでいる我が家で、ささやかな宴が開かれました。
 近所の人たちが囲む席の中、上座に腰を据えているのはムーランドのカイソーさん。育成課程をすべて終え、この出征式が終わればいよいよ軍ポケとして配属されることになります。
 彼の後ろには、これまで我が家で育てられて出征していったポケモンたちの写真がずらり。明日からは、カイソーさんの写真もその末席に並ぶことになるのです。僕が直接知っているのはカイソーさんだけですが、みんな誇るべき憧れのポケモンばかり。僕の写真もいつかあそこに並べられるのかなぁ。
 さて、漆塗りの器に盛られていた豪勢な特上餌もほとんどが空となり、後は軍からのお迎えの車を待つのみとなりました。
「カイソーさん、どうかご無事で」
「※国軍なんか蹴散らしちゃってくれよ!」
 僕とハチゾーが送った激励に、カイソーさんは大らかな笑顔で頷いてくれました。
「お前らも立派に育てよ。行くべき道を間違うことなく、な」
「それはそれこそ兄貴がな!」
「そうそう、迷仔にならないように気をつけてね」
「お前ら、俺を一体何だと思ってるんだ……?」
 間もなくお別れだというのに湿っぽくならないのは、陽気なカイソーさんの性質ゆえでしょうか。
 と、垣根の向こうで轍が刻まれる音が流れて、黒塗りの高級車が軋みと共に停まりました。
「来たか……早かったな」
「慌てないで。出発まではまだ大分時間があるから」
 立ち上がろうとしたカイソーさんの背を撫でて、玉恵お嬢様が制止をかけます。
「でも、本当に随分と余裕を持ってお迎えの車が着いたわね? 手続きとかあるのかしら。お料理、兵隊さんの分を取っておくべきだったかも……?」
 お嬢様が首を傾げているうちに、車の戸が重々しく開き、硬い靴音を立てて、深緑色の軍服をまとった兵士が数人降り立つと、開いた戸の左右に整列しました。
 その兵士たちの間から、黒い、好天の日差しを飲み込むほどに真っ黒な細身の影が現れます。
 優美な曲線で構成される引き締まった黒い身体の、背中と足首を細く覆う大理石のように白く硬質的な装甲。
 鏃のように先端の尖った尻尾。突きだした鼻先と、その上で赤く燃える瞳。
 ダークポケモン、ヘルガー。側頭部に反り返る一対の角がしなやかに細いことから雌であると判ります。
 このヘルガーのお姉さんに、僕は見覚えがありました。
 正しく言えば、見覚えどころの話ではなかったのですが。
「あ……っ!?」
 お嬢様が、口を押さえて息を飲みました。
 奥様は、すべて分かっていらっしゃった様子で穏やかに微笑んでいます。
 そんな僕たちの前に、ヘルガーは流麗を極めた仕草で歩み出ると、上座に跪いたまま伸ばした黄金色の顔を驚愕に震えさせているカイソーさんの方に、垣根に咲く紅い花を萌え散らすような暖かな笑みを向けて語りかけました。
「入れ替わりで出征だそうだな、カイソー。ふふ、あのヨーテリーが大きくなったもんだ」
「ま……まさか、まさか…………!?」
 見開いた目を、見る見ると潤ませていくカイソーさん。
 その背後に列をなして飾られた写真のうち一枚と、たった今現れた彼女とを、僕は何度も見比べました。
 間違いなく、紛れもなく、同じ顔がそこにありました。
 見覚えどころの話ではありませんとも。今の今し方まで、目の前に見ていた顔だったのですから。
 つまり彼女は、カイソーさん以前の我が家の卒業生。額縁に刻まれた名前は――
「アサミドリ號、ただ今戦地より帰還いたしました!!」*3
 つま先を揃え、しゃんと掲げた喉笛で朗々と宣言を放たれて、カイソーさんはもう堪え切れぬといった様子で爆ぜるように立ち上がり、彼女――ヘルガーのアサミドリさんに駆け寄って縋りつきました。
「アサミドリの姉御ぉぉっ!? よくぞご無事で……っ!!」
 感涙に咽ぶ黄金色の頬をアサミドリさんに擦り寄せるカイソーさん。その2頭の首を、お嬢様はまとめるように抱き締めます。
「驚きました。本当に、本当にアサミドリなんですね? でもお母様、一体どうして……?」
 問われた奥様は、端正な顔に悪戯な微笑みをオホホと浮かべて言いました。
「ごめんなさいね。驚かそうと思って黙っていたの。前戦で優勢が続いているこの機会に、今回のカイソーたちの増員と交代で、戦地のポケモンたちから雌や傷ついた者などを中心に引き上げることになったのですよ。アサミドリは、また家で預かることになります」
「そういうわけです。お嬢様、またよろしくお願いします」
 恭しく下げられた黒い額を、お嬢様は感極まったご様子で掻き抱きました。
「良かった……お帰りなさいアサミドリ! 一杯お世話してあげるからね!!」
 熱烈な祝福を受けながら、アサミドリさんは少し砕いた言葉をカイソーさんに向けます。
「まぁ早い話、国の要求は、雌は雌としてお国のために貢献せよ、と言ったところなのだろう。具体的に言えばタマゴを産め、ということだな」
「え……じゃあつまり姉御、もうじきお嫁に行っちゃうってことですか?」
 見るからに狼狽えたカイソーさんに、アサミドリさんは悪戯な笑みを浮かべて頷きます。
「まぁな。といっても、長らく荒くれ雄共に混じって戦っていたせいか、まだろくに発情の気も沸かん。落ち着いて時期が来たら、という話になるだろうが」
「そう、ですか……」
 何らかの当てが外れた、といった様子で肩を落とすカイソーさん。少しやり取りを見ていただけでも、アサミドリさんに憧れていたのであろうことがバレバレです。出征前に想いを遂げる展開を期待したのでしょうが、彼女の方に今すぐ受け入れる体勢が整っていないのでは……
「どの道、嫁に行くといっても、一頭の雄に縛られるなどというのは私の性に合わんからな。タマゴを産むごとにつがう相手は変えていくつもりだ。多様な血を持つ仔を産む方が、国の期待にも応えられよう?」
「えっ……!?」
 さらり、と告げられたアサミドリさんの言葉に、カイソーさんの表情がパッと輝きます。
「そ……っ、それは、それはつまりっ、凱旋の暁には小生にも、選ばれる可能性があるということでしょうかっ!?」
 核心に切り込んだカイソーさんの問いに、アサミドリさんは岩をも蕩かす甘い微笑みで応えました。
「充分、あり得るな、もちろん、私が認めるに足るいい雄となって戻ってくれば、の話だが」
「うおおおおおおおおっ!?」
 猛然と雄叫びを上げたカイソーさんは、鼻息も荒くアサミドリさんに詰め寄りました。
「ヤります! 俺、必ずや武勲を立てて、立派な雄になって戻ってきます! ですからどうかその時にはっ!!」
「ふふっ、張り切るのはいいが、勢い余って昔みたいに迷仔になるなよ」
「あ、姉御までそりゃ酷ぇ! いくらなんでも昔よりゃ方向感覚マシになりましたよぉ!!」
 つまり昔はもっと酷かったんですかっ!?
 とツッコむのは、さすがにカイソーさんが可哀想なので自粛しました。堪えきれなかった含み笑いが、集まっていた他のポケモンたちからも漏れていましたが。
「ちょっと待ってください!!」
 緩みかけた空気を、真剣な声が割りました。
 上がったのは、僕のすぐ隣から。ってお前かよ。
「隣に住んでいる、ハチゾーっていいます! い、今のお話、ぼぼぼぼぼ僕も立候補させて貰ってよろしいでしょうかっ!?」
 おいおい落ち着け、一人称変わってるぞハチゾー。
「こ、こらハチゾー、お前、この席の主役である俺を差し置いてだなぁ!?」
「差し置かなかったから一番手は兄貴に譲ったんだよ!二番手に名乗りを上げるぐらいいいじゃんか!?」
 などと胸を張るハチゾーですが、カイソーさんはともかく、周囲の大人ポケモンたちからも、ガキに出し抜かれた、だの、リオルの癖に生意気な、だのといった恨めしげな声が口々に湧いているんですけど。
「ハチゾー君、大胆なのは実に結構、しかしリオルの君には、立候補はまだ早いのではないかな?」
 苦笑したアサミドリさんにやんわりと退けられましたが、しかしハチゾーは怯みませんでした。
「リオルが進化するために必要なのは、経験以上に忠誠心の強さです。僕は近いうちにルカリオに進化して、我が家とお国への忠誠を示してご覧に入れます!!」
 まっすぐに言い切ったハチゾーの気合いを、アサミドリさんは温もりに満ちた視線で受け止めました。 
「頼もしいことだな。よろしい、進化した君の雄を楽しみにさせて貰おう」
「は……はいっ! よろしくお願いします!!」
 このやり取りに、周囲にいた雄ポケモンたちが一斉にぬおおおおおっ、とどよめきを上げました。
「どうか俺にもお近付きの機会を!!」
「あんな仔供が目をかけて貰えるなら、俺だって!!」
 次々に我こそはと声を上げる雄ポケたち。中には隣に恋ポケらしいエネコがいるのに調子に乗って名乗り出ようとして、怒った彼女に爪を立てられ悲鳴を上げているラクライなんてのもいる始末です。まったく、だからこの場はカイソーさんだけに花を持たせておけばよかったのに、ハチゾーの奴が出しゃばったせいで……。言葉の通じていない人間たちには、急に僕たちが騒ぎ出したとしか思われてないのでしょうけど、こんな明け透けな話題で盛り上がっているなんて、知られてなくて良かったと思う他ありません。やれやれ。
「ところで、そっちのブルー君は?」
 ふと気付くと、渦中のアサミドリさんがいつの間にか僕の側まで来て、紅い双眸に灯らせた興味深げな光を向けていました。
「あ……初めまして。この家で玉恵お嬢様にお世話になっている、コーキチって言います」
「そうかい。同居人になるんだね。よろしく」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします!」
 車から降りてきた時の、軍ポケ然とした触れたら火傷しそうな気配はどこへやら。目の前で向かい合ったアサミドリさんは、本当にただの、っていうかとっても綺麗なお姉さんでした。
「それで? キミは私とのつがい候補に、一口乗る気はないのかな?」
「え……あ、えと…………」
 その綺麗なお姉さんに突然迫られ、思わずドギマギと返答に詰まる僕。なんかその、周囲の連中から『返答如何によっては覚悟を見せて貰うぞガキャアッ!!』って気配が、ヒシヒシと伝わってくるんですけど……!?
「あ~いえいえ、それはありませんよアサミドリさん、こいつ、ご主人の玉恵お嬢様にゾッコン惚れ込んでますから」
「な!?」
 横合いからのハチゾーのとんでもない茶々入れに、僕は桜色の毛を真っ赤に染めて水玉模様を沸騰させるほどの勢いで食ってかかりました。
「なんてことゆーんだよハチゾーっ! 僕のお嬢様に対する想いは、そそそそそんなふしだらな雄の欲情なんかとは全然(つが)うぞっ!? もっと純粋で、もっと高潔で、もっと神聖な崇拝なんだからなあぁぁぁぁぁっ!!」
「おいおい落ち着けコーキチ、今なんか変な噛み方したせいで、本音がダダ漏れになってるぞっ!?」
 重ね重ね、僕たちの言葉がお嬢様に理解できなくて、本当に本当に良かったと思う他ありません。
 僕という脇道に喧噪の中心が逸れたことで、不本意にも和やかに収まりやがった場の空気を、ボーン、と刻の鐘が打ちました。
「――っと、そろそろ出立の時刻か」
 おもむろに、カイソーさんが立ち上がりました。
 清々しく晴れやかな表情を、黄金の長毛の奥に浮かばせて。
「楽しかったよ。みんな、ありがとう。じゃあ、行ってくる!!」
 人々とポケモンたちが並んだ列の間を、毅然と、粛然と、堂々たる歩みでカイソーさんは進んで行きます。
 その後ろ姿に、アサミドリさんが激を投げかけました。
「臆することは何もないぞカイソー! ※国に強兵はおらぬ。お前なら容易く蹴散らせるさ。●国のために精一杯働いて、凱旋してこい!!」
「押忍っ!!」
 一声吠え応えて、見慣れたムーランドの巨躯が、軍の車の中へと消えていきます。
 閉められた車の扉に向かって、奥様が高らかな声を上げました。
「カイソー號万歳!!」
 玉恵お嬢様の声が、隣近所の人たちの声が、僕らポケモンたちの吠え声が、それに続きます。
「カイソー號万歳!!」
「●国万歳!!」
「万歳! 万歳!!」
 みんながひとつになって、それぞれの想いを声に込め、両手を、前足を、足を上げられぬ者は首を振り上げて、走り出した車を送りました。
 あっという間に小さくなった車影が、角を曲がって見えなくなり、駆動音が風に融けて消えていきます。
 僕らの兄貴として長い間共に暮らしたカイソーさんは、こうして我が家を巣立っていったのでした。

 ★★★★

戦うべき相手と守るべきもの 

 ★★★★


「そうか、坊やたちの名前はハッコー號に由来するものか」
「アサミドリさんは、ハッコーさんに会ったことはあるの?」
「いや、残念ながら配属基地が違っていたから、直接会うことは遂に叶わなかった。前線と言っても広いからな……ただ、彼が墜とした※国基地の跡地には行ったことがある。粉砕された城壁の破片が、溶かされて水飛沫を上げたように飛び散っていてな。訊いてみれば、やはりハッコー號がフレアドライブで開けたものだった。まさに岩をも溶かす灼熱。私の炎でもあそこまではいかんよ。つがうならあれほどの雄を望みたいところだが……さすがに高望みが過ぎるかな。ふふっ」
「ねぇアサミドリさん、僕たちも、ハッコーさんみたいな立派な軍ポケになれるかな?」
 天まで届くほど胸を躍らせ、好奇の光輝に満ちた瞳で見つめながら問いかけた僕たちに、アサミドリさんは鮮やかにもハッキリと首を縦に振りました。
「もちろん、なれるとも! 私のいた基地にも、一般民衆から献納*4されたポケモンや、野生からゲットされたポケモンも大勢いたのだからな。元気のある若いポケモンならば大歓迎だ。まして、軍ポケモン育成家の手で育てられているコーキチや、そのコーキチと一緒に切磋琢磨してきたハチゾーなら、育ち方次第で大いに活躍を見込めるだろうな!!」

 ★★★★

 そんな話を聞かされてからというもの、
「ィイヤッホーーーーっ!!」
 僕とハチゾーの修行には、これまで以上の熱が入るようになりました。
 何しろ、現役を退いたばかりの元軍ポケモンから、お墨付きを頂いたのです。
 僕たちも戦地へ行けると。いつかはハッコーさんと肩を並べて戦えるかも知れないと。
 そう聞かされて、どうして張り切らずにいられましょう。
「行くぞ行くぞ、行ってやるぞ戦地へ! 俺たちで※国をブッ倒してやるんだ!!」
「うん、きっと将軍も銅像も、夢じゃないよね!!」
 僕たちなら、きっとどこまででも行ける。
 純真な心でそう信じて、力の限りに駆け続けた、そんなある日のことでした。
「あら、嫌だわ。また警察官……」
 この時僕はハチゾーとふたりで街の中心までひと駆けして、なじみの食堂でペロリームおばさんから食べ残しをお裾分けして貰っていました。店の美味しい食材に、更におばさんの調理が加えられて極上の味に仕上がった食べ残しをありがたく頂いている最中に、外の様子を見たおばさんがポツリ、と漏らしたのです。
「またって、今日はそんなに見回り多いの?」
「あたしもよくは分からないんだけど、実は今朝方、この辺りで大がかりな捕り物があったらしいんだよ。いまだに警官が剣呑に走り回っているってことは、まだ解決していないってことなんだろうねぇ」
 不安そうに眉をひそめるおばさんの言葉に、僕はハチゾーと目配せを交わして頷き合うと、貰った食べ物をひと口に頬張って立ち上がりました。
「ごちそうさま。今日もお裾分けありがとうございました」
「気を付けてお帰り。くれぐれも、変なことに首を突っ込むんじゃないよ?」
「うん、分かった。おばちゃんも気を付けてな!」
 と返事をして食堂を出た僕たちは、しかしその挨拶とは裏腹に、警官たちが去っていった方角へと歩を進めました。
 さすがはおばさん、ツッコみが鋭い。しかし僕たちの好奇心に歯止めはかけられません。
 靴跡の匂いを追いかけながら、平時に比べて一層人通りが少なく感じる通りを歩いて行くと、ほどなくして。
「お~い、そこのポケモンたち!」
 葉っぱの袋でできた身体を引きずるウツボットという草ポケモンを引き連れた、黒い詰め襟に警察帽姿の警官に、僕たちは呼び止められました。
「やっぱり相撲大会の優勝者と準優勝者の組み合わせか。今日は君たちだけで散歩かな?」
 警察帽の下に短く刈り込まれた白髪と、深く皺の刻まれた精悍な顔立ち。そんな厳めしさに反する穏やかそうな視線を僕らに向ける老警官は、僕もハチゾーもよく知っている人でした。
「あ、行司の署長さん、こんにちは」
「散歩じゃなくって修行だよ署長さん!」
 僕が優勝した相撲大会で行司を務めていた、あの警察署長さんです。悪い人は容赦なく取り締まる鬼署長の顔を見せますが、子供やポケモンにはとても優しい一面もあり、やたら権威を奮いがちな警察官の中にあって人当たりのいい好人物として、街の人たちからとても慕われています。
「楽しんでいるところ悪いが、今日はもうお家に帰りなさい」
 噛んで含めるように帰還を促す署長さん。これが他の警官だったら、『邪魔だからあっちにいけ』と警棒で追い散らしてきたところでしょう。
 相方のウツボットさんも主人同様にできた方で、状況を詳しく説明してくれました。
「戦争反対を謳って●国の勝利を邪魔しようとする悪い奴らを捕まえたのだが、彼奴らの連れていたポケモンが一匹逃亡し、街中に姿をくらませてしまったのだよ。アブソルという凶暴な悪ポケモンだ。何をしでかすか分かったものではない。危ないから、警官隊がアブソルを捕らえるまで家に隠れているんだ。いいね?」
 頷いた僕らの頭を、署長はイワークの尾みたいにゴツゴツと太い掌で撫でると、蔓をうねらせるウツボットを連れて捜索に戻っていきました。警官たちが連れているポケモンにはウツボットの他、進化前の若いウツドンたちや、全身に蔦を絡ませたモンジャラ、斑の花を頭に咲かせたラフレシアなどの姿もあり、みんなその蔦でアブソルめをお縄にせんと意気盛んな様子です。
 路地を曲がって狭い通りに入り、警官隊たちの姿がすっかり見えなくなったところで、僕は何かを言おうとしたハチゾーの先を制し、潜めた声で話しかけました。
「で、どこから探そうか?」
 一瞬、ポカンと口を開いたまま固まっていたハチゾーでしたが、やがてプッと吹き出すと、お腹を抱えて笑い出しました。
「お前、少しは役柄ってモノを考えろよ! ここは俺が突っ走って、お前が止めに入りそうな場面だろうが!?」
「悪くて危険なポケモンを放っておいて、もしお嬢様に危害が加えられたらって思うと、じっとしてなんかいられるワケないでしょう?」
「それに、お手柄を立てる絶好の機会でもあるし、な」
「そうだね。相手が悪タイプのアブソルなら、フェアリーの僕と格闘の君とで充分戦えるもんね」
「その上、俺たちゃ相撲大会の決勝組だ。悪党なんか恐れるに足りるもんかっての!!」
「決まりだよね。じゃあ話を戻して、どこから探すかってことなんだけど」
 通りすがりの白いポケモンがてくてくと歩いていく、雑然とした裏通りを見渡しながら、僕は言葉を続けました。
「朝からずっと捜索しているってことは、街から出ていった形跡もないってことだよね」
「街の周辺道路には、検問とか張ってるだろうからな」
「それでも見つかってないってことは、アブソルはずっと警察に見つからないように移動しているんじゃないかって思うんだ。そうなると怪しいのは、一度警察が見回った通り。丁度この路地裏みたいな位置から、警察の動きを探りつつ追いかける形で移動して、操作の手が緩くなる気配をうかがっているんじゃないかって思う」
 あんな感じにね、と僕は、先ほど通りすがったポケモンが路地の入り口から細い身体を伸ばして表通りを眺めている様子を指差しました。
「なるほどねぇ。灯台もと暗しってワケか」
「といっても範囲は広いし。虱潰しに探している間にも相手はどんどん移動して行っちゃうかも知れないんだけどね」
「運良く尻尾を掴める機会に賭けるしかないわけだ。やれやれ、気の長い話だぜ」
「……ところでハチゾー」
「……なんだよコーキチ」
「あれ、何に見える?」
「あれって何だよ?」
「だから、あれ」
 さっき差した指をそのまま下ろすことなく、僕は訊ねました。
 つまり、先ほどから裏通りの入り口で表の様子をこそこそとうかがいながら、側頭部から生えた黒い鎌のような角を前足で研いでいる、白い細身のポケモンを指差して。
「……アブソル、にしか見えねぇ……よな?」
「やっぱりそうだよね?」
 引きつった顔を、ふたりして見合わせます。
「……まさか、あれが僕らの探しているアブソル……なんてことないよね?」
「ハハハ、んなバカな。いくら何でもそんなでき過ぎた話…………」
 ……………………って、
「いたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~っ!?」
 ふたり揃って思わず絶叫。どう考えても件のアブソルです本当にありがとうございました。
「ええい、俺たちが奴の話をしている脇を素知らぬ顔して通り抜けるたぁなんちゅう大胆不敵な!!」
「あんまりしれっとやり過ごされたから、うっかり見過ごしちゃうところだったよ!!」
 ここまで大声で叫んでも、振り向きもしやしません。耳でも遠いのでしょうか?
 ラチが開かないので、思い切って相手の前に回り込み、
「待てぇ! そこのアブソル!!」
 と呼び止めたら、ようやく面倒臭そうな視線をこちらに向けてきました。
「悪いな、坊やたち。おじさんは忙しいんだ。遊びなら余所でやってくれないか?」
 ……そしてこの言いぐさです。
「ばっ、バカにしやがってっ!? 仔供のごっこ遊びと思っていやがったのかよ!? なんて奴だ、許せん!!」
「反戦利敵の非国民アブソルっていうのは貴様のことだろう!? 僕たちが警察に突き出してやるから覚悟しろ、●国の敵め!!」
 怒鳴りつけて糾弾すると、アブソルは妙に憂いの篭もった溜息を、深々と吐き捨てました。
「やれやれ……こんな仔供たちまでもが戦争支持とは、ろくでもない世の中になってしまったものだな」
「いやいやいや、貴様が一番ろくでもねぇから!? どんだけ俺たちのことナメりゃ気が済むんだよ!?」
「僕たちはポケモン相撲大会の優勝と準優勝だ! ただの仔供だと思ったら大間違いだって目にもの見せてやる!!」
「ほぉ……それはそれは大したものだ。仕方ない、お手並みを見せて貰おうか」
 黒鎌を大上段に振り上げ、悠然と胸を張って僕たちを迎え撃つ姿勢のアブソル。さすがに大きな口を叩くだけのことはあって、いつでも振り下ろせるように掲げた刃にも、静かに構えられた四肢にも、微塵の隙も見あたりません。
 けれど、隙がなくったって関係ありません。相手がどう対応しようが弾き飛ばして、真正面からねじ伏せるまでです。なんといっても、相性では完璧にこっちが優位なのですから。
 左右から呼吸を合わせて同時に掴みかかった瞬間、僕たちの目の前で、白い旋風が吹き荒びました。
「!?」
 胸元を突く、重々しい衝撃。しかし相性のお陰か、さしたる痛みは感じません。
 こんなの余裕で耐えられるでしょう。やっぱりアブソル如き、僕らの敵であるものか!
 攻撃を遡って相手を捕らえようと、踏み出そうと伸ばした足は、しかし虚しく宙を掻きました。
「な……っ!?」
  顔を上げた視界に写ったのは、左右の建物が見上げる蒼空。
 いつの間にか吹き飛ばされ、跳ね上げられて真上を向かされていたのです。
 アブソルは、アブソルはどこに……!? 見失った標的を求めて無我夢中で腕を振り回しましたが、どこにも届くことはありませんでした。
 やがて、ザシュッ! と襟首が背後から突き上げられ、そこを支えに四肢がぶら下がる形で止まります。
 恐る恐る振り返ると、そこには不敵に笑うアブソルの黒い顔。
 頭上に振り上げた黒鎌の先端に、僕は襟首の皮を引っかけられ吊されていたのです。
 ゾッとしました。もしアブソルにその気があれば、僕は背中を黒鎌で刺し貫かれていたかも知れません。
 更に、アブソルの足下に目をやれば、
「くっ、くそぉ……っ!?」
 俯せに倒され、背中を白い足で踏みつけにされた、ハチゾーの蒼い身体が悔しげに呻いていました。
 なんということでしょう。完敗です。ふたりがかりで、しかも相性で圧倒的優位であったにもかかわらず、完璧にあしらわれて手玉に取られたのです。どう足掻いても、捕らえるどころか傷ひとつ与えられそうにありません。実力の格が、次元が、余りにも違い過ぎました。
「勝負あったな。さて、坊やたちの遊びにつき合ってあげたんだ。今度はおじさんがお話をさせて貰ってもいいかな?」
 戦慄に硬直して、身じろぎひとつできない僕たちに、アブソルは語り出します。
「よく聞いて欲しい。この国の人間たちは、まるで●国が常に戦争で勝ち続けているように宣伝しているだろう。だが、それは偽りだ」
 切り捨てるようにきっぱりと、アブソルは断言しました。
「実際には、勝っていたのは初めのうちまでだ。※国軍の激しい反撃で大きな被害が出て、前線の後退が続いているんだ。いつ本格的な壊走になってもおかしくない状況なのに、国はその事実をまったく公開しようとしない! 最悪の事態に発展する前に、戦闘をやめて少しでも有利な条件で※国と講和を結ぶよう訴えなければ取り返しがつかなく……」
「嘘吐きはお前だっ! デタラメばっかり言うな、※国の手先めっ!!」
 下方から飛んだハチゾーの声が、僕を呑み込みかけていたアブソルの言葉を遮りました。
 実力差に打ちのめされ、プライドごと踏みつけられても怯むことのないハチゾーの態度に心を奮い立たされて、僕も負けじとアブソルに言い返します。
「ハチゾーの言う通りだ。僕たちは戦地から帰ってきたポケモンから、直接前線の様子を聞いているんだぞ!? お前が言うような被害なんか絶対に出ていない。流言飛語を流して●国軍の勢いを削ごうとしたってそうはいくもんか!!」
「違うぞブルーくん、それはわざと被害の少ない部隊だけ帰還させて、有利だと信じさせるためのプロパガンダなんだ。騙されてはいけない、こっちは戦地各所に派遣されたエージェントからの情報で……」
「語るに落ちたな! プロ何とかだのなんとかジェントだの、そんな敵性言語を使うなんて、※国の手先だっていう何よりの証拠じゃないか!!」
 ポケモンの種族名や技に関連する、訳しようのない単語を例外として、基本的に軽佻浮薄な※国の言葉は使っちゃいけないことになっています。●国民なら当たり前の常識です。
 僕の鋭い指摘に図星を突かれたのでしょう、アブソルは忌々しげに舌打ちし、言葉を訂正しました。
「情報操作がされていると、多くの戦地から調査員が報告してきているんだ! まったく、これだから反知性主義は……頼むからちゃんと話を聞いてくれ。本当に前線では、今や大変なことに、」
「今更言い直したって説得力ねぇよバ~カ! 大体、●国軍にハッコーさんがいる限り、大変なことになんかなるもんかってんだ!!」
 至極当然のハチゾーの言葉に、うんうんと頷く僕。論破されたアブソルはますます平静を欠いた様子で、苛立たしく荒げた声で叫びました。
「たかが一頭や二頭の軍ポケがどんなに強くたって、戦争というものはそれだけで勝てるものではない! そうやって耳障りのいい情報ばかりを信じているから――」

「そこまでだ不埒者!!」

 紅い、眩い光の帯が路地裏の薄闇を切り裂いて、アブソルが立っていた空間を灼きました。
 咄嗟に跳躍して躱したアブソル、弾みで鎌の先端から振り落とされた僕の襟首が、熱い唇に咥えられます。
 そのまま真下にひらりと黒い足が着地し、先ほどの火閃でも火の粉ひとつ浴びていなかったハチゾーの側に僕は下ろされました。
「コーキチ、ハチゾー、怪我はないか?」
「アサミドリさん!?」
 颯爽と流麗な漆黒の姿態を路地裏に現したのは、もちろん僕らの姉御、ヘルガーのアサミドリさん。すぐ近くに打ち捨てられていた木箱の上へと降り立ったアブソルを、劫火の瞳で睨みつけます。
「不穏な噂に駆けつけてみればこれだ。利敵主義者めが、幼気な仔供たちに邪な妄言を吹き込むのはやめて貰おうか?」
 批判されたアブソルは、獰猛な牙を剥いて言い返します。
「坊やたちが言っていた、戦地帰りとはお前のことか……間違ったことを教えているのはそちらの方だろう! すべて人間のいいなりになって、あの仔たちを破滅へと導くつもりか!?」
「おかしなことを言う。人間の意に添うのはポケモンの務めであろうが。それが間違いなどと……密入国するなら、せめて●国の言葉を覚えてから来たらどうだ?」
 冷然とアブソルの虚言を一蹴するアサミドリさん。一触即発の闘気が立ち上り、熱い火花が迸ります。
「軍の雌犬となど、話して解り合えようはずもなし、か……」
「当然だな。売国奴の野良犬など、駆逐の対象でしかない。声を聴いて応えを返してやっただけでも泣いて感謝するがいい!!」
 白い獣(アブソル)の黒い一角と、黒い獣(ヘルガー)の白い双角とが、路地に射し込む陽光をギラリ、と照り返し、漲った筋肉が毛皮の下で爆発的に躍動した、その刹那。
 僕たちは、目の当たりにすることになったのです。
 仮にも幼年ポケモン相撲大会で決勝を競い合った僕らが力を合わせても、まったく太刀打ちできなかった屈強のアブソルが――、
「ぐはあぁっ!?」
 その全力を以てしてもまったく太刀打ちできない、元軍ポケモンの絶対的な戦闘能力を!
「ふん、他愛もない。所詮、腑抜けて反戦活動に荷担する臆病で軟弱な※国の回し者などチリ紙にも劣るやわさよ。糞で汚れて便所に落とされるのがお似合いだ。汚らわしい非国民め!!」
 広範囲に渡り火傷を負った上に、炎の渦でグルグルに締め上げられたアブソルの白い身体を、かすり傷ひとつない黒い足で容赦なく踏みにじって罵声を浴びせかけるアサミドリさん。
 勝負は、一瞬で着きました。白と黒との閃光が烈風を上げて衝突したと思ったら、突然割れるような音を響かせて白い影が弾け飛び、地面に転がったそれがアブソルの像を成した時にはもうこの体勢になっていたのです。一体何合の技が交錯したのか……その一撃たりとも、見切ることは敵いませんでした。
 カイソーさんと一緒に暮らして、訓練にもつき合って、軍ポケモンの強さはよく知っているつもりでした。けれど、こうして実戦の場に居合わせるのは初めてのことで、改めてその強さを見せつけられると、まさしく上には上がいたんだと絶望的な痛感に捕らわれざるを得ません。何しろ、アサミドリさんでこれなのに、僕たちが目指すハッコーさんは更にその上の遙かな高みにいるというのです。どれほどの修練を重ねれば、そんな途方もない領域に辿り着けるのでしょうか。本当に、僕たちに辿り着ける領域なのでしょうか……!?
「見てくれは悪くないから、質が良ければ絞って最初の種にと考えなくもなかったが、この様では到底そんな気にもなれぬわ。いずれ思想矯正所を経て戦地へ送られる事になろう。その時は慰安ポケモンにでもなって、勇敢なる●国雄ポケたちの精をそのドス黒い尻穴にたっぷりと注いで貰うがいい! 少しはマシな雄になれるであろうよ。反戦利敵の国賊である今の貴様など、肉便器以下の価値しかないのだからな!!」
 ……いや、さすがにこんな毒舌の領域には辿り着きたくありませんけど。
「おい……お前のその下品な罵詈雑言、どう考えても坊やたちに聞かせるべきでない類のものだと思うが? それでよく、間違ったことを教えてはいないなどと言えたものだ……」
 痛めつけられてなお、ふてぶてしく言い放ったアブソルの言葉に、アサミドリさんはハッと振り返って僕たちに気まずそうな視線を向けた後、再度アブソルを不機嫌極まりない表情で見下し、
「…………それもこれも何もかも、貴様の存在そのものが招いた災いだっ!!」
「私もアブソルに生まれて長いが、ここまで理不尽な非難をされたことはなガガガガガッ!?」
 八つ当たり混じりに、顔面を何度も蹴り飛ばしました。
 実際、アブソルに対しては自業自得ということで同情にも値しませんが、アサミドリさんがあんなに綺麗で雄たちにもモテる割に、ここまで仔供を作るようないい相手に恵まれなかった理由が分かった気がします。敵に回したらあそこまで怖くなるのでは、迂闊にケンカもできやしません。
「かっけぇなぁ……」
 その怖さを目の当たりにしても、素直に陶酔するような奴が隣にいたりするので、将来的には多分問題ないのでしょうけど。

 ★★★★

 直後に駆けつけた警官隊によって、アブソルは直ちにお縄になりました。
 今アブソルは、署長さんが連れていたウツボットの袋から顔だけ出した姿勢で、首を蔦で縛られてぐったりとしています。
 帰還するなりの大手柄となったアサミドリさんは、署長さんを初めとした警官隊から大喝采を受けました。叙勲は決定的だそうで、いずれ警察ポケモンとして採用するべきだと言う声まで上がっていたほどです。
 さて、アサミドリさんをたっぷりと褒め称えた後、署長さんは隣に並んでいた僕とハチゾーの前に立ち、
「このバカポケ共っ!! だから早く帰るように言い含めたのに、何という危ないことをするんだっ!?」
 落雷のような叱責を落としました。
 当然でしょう。命令を無視してアブソルに勝手な戦いを挑み、手も足も出ずに惨敗した挙げ句拘束までされていたのです。ひとつ間違えば大怪我を負っていたでしょうし、アブソルがもっと卑怯な奴だったら僕たちを盾にしていたかも知れません。そうならなかったのはただの結果論。もしアサミドリさんが駆けつけていなかったら、あるいは駆けつけるなり僕たちを救出することに失敗していたら、今頃どうなっていたことか……。
「ごめんなさい……」
 深くうなだれるしかない僕たちに、老署長は拳をギリギリと握り締めながら、厳しい声で言いました。
「本来ならば鉄拳制裁のひとつでも加えたいところだが、それは私の役ではあるまい。歯を食いしばってお家の門をくぐりなさい」
「ひぃ……っ!?」
 どちらからともなく、みっともない喉笛を鳴らしてしまいました。この上お嬢様や奥様から受けるであろうお叱りを思うと、ここで署長に折檻されておいた方がまだしもマシかもしれません。家の方が怖いのはハチゾーも同様らしく、蒼い身体をますます青ざめさせてガタガタと震えています。
「仕方あるまい。叱られるのも修練の内だと思って甘んじて受けるのだな。さぁ、ふたりとも早く家に帰って家人を安心させよう。差し当たってそれが、お前たちの今するべき務めだ」
「はぁい……」
 アサミドリさんに諭されて、帰り道へと足を向けた僕たちの背中に、
「坊やたち……っ!!」
 ウツボットに咥えられているアブソルから、壊れかけた声が投げつけられました。
「決して間違えるな! 自分が何を守るべきなのか……ゴボォッ!?」
 超精密射撃の悪の波動が一条に飛んで、アブソルの顔面に直撃しウツボットの奥深くへと叩き込みます。
「意味の分からん※国語でばかり鳴くのもいい加減にしろ! 矯正所で悔い改めるまでひと事も喋るな痴れ者め!!」
 とどめの一撃に追い打ちの毒舌を加えたアサミドリさんの横で、
「誰が間違うもんか……!」
 アブソルの方を振り返りもせず、ハチゾーは拳を握り締めて叫びました。
「守るべきものは照坊ちゃんと、坊ちゃんたちが暮らすこの●国に決まってるだろ! だから悪い※国や、それに利するお前たち非国民と戦うんだ! 断じてそれ以外何もない!!」
 虚言など相手にもしない姿勢を力強く見せつけるハチゾー。よく言った、とアサミドリさんがご褒美にその頬をひと舐めしてあげました。
 もちろん僕だって、ハチゾーと想いは一緒です。
 ただ――

『行くべき道を間違うことなく、な』
『決して間違えるな! 自分が何を守るべきなのか……!!』

 カイソーさんが僕たちに残した言葉と、アブソルの残した言葉とが、なぜだか重なって聞こえたことが、少しだけ心の隅に引っかかっていたのでした。

 ★★★★

 バシイィィッ!!
 白い花のように可憐な平手が、しなやかに振り下ろされて乾いた音を立てました。
 痛覚が弾けたのは、水玉模様の咲く僕のお尻。
「コーキチっ! あなたという仔は! アサミドリが間に合ったからよかったものの、危うく大変なことになるところだったのよ!?」
 三つ編みを逆立てて激怒した玉恵お嬢様の小脇に抱えられ、世にも惨めな折檻を受ける羽目になりました。アサミドリさんが気を利かせて退席していたことを救いに思う他ありません。くそぉ、全部あのアブソルが悪いんだ。
 痛みと恥ずかしさと悔しさで、眼に涙を滲ませた僕を、お嬢様はギュッと抱き寄せて頬に顔を埋めました。
「もし、もし私の知らないところであなたに何かあったら、命をかけて守るという約束が果たせないところだったじゃない……!!」
 あぁ。
 僕は、こんなにも玉恵お嬢様に、心配をかけさせてしまっていたんですね。
「ごめんなさい。お嬢様、本当に、本当にごめんなさい……」
 言葉で伝えられない謝罪を、お嬢様の首に縋りついて伝えながら。
 早く、もっと強くなろう。
 二度とお嬢様に、こんな心配をさせないだけの力を、必ず。
 強く強く、そう心に誓ったのでした。

 ★★★★

夏の夜の花火のように 

 ★★★★

 それからまたしばらく経った朝、新聞を取りに玄関を出ると、空に見慣れないポケモンが浮かんでいました。
 紫色の丸い身体で、糸のように細い2本の触手を風に揺らしてゆらゆらと漂っています。
 一応警戒して見ていましたが、特に怪しい素振りを見せることもなく、街の向こうにそびえるコグレ山へと流されて行きました。コグレ山の近くには警察署もありますので、本当に怪しいポケモンなら警察が即座に動くでしょう。勝手に首を突っ込んで下手を打つのは、アブソルの時でたくさんです。
 それよりもまずは自分のお仕事、と、郵便受けから新聞紙を引き抜いて居間に持って行きました。
「コーキチ、ご苦労様」
 いつものように、玉恵お嬢様は労いの言葉をかけて新聞を受け取り、
「……!?」
 折れた紙面に覗いていた見出しに目を留めるや否や、血相を変えて勢いよく新聞を開きました。
「そんな!? うそ……嘘よ、こんなこと…………!?」
 視線が紙の上を走る毎に、その顔から血の気が引いていきます。何が、何があったのでしょうか!?
 やがてお嬢様は思い詰めた表情で、棚の上に置かれていたラジオ*5に震える手を伸ばし、電源を入れて電波の目盛りを回しました。
 雑音が音声へとまとまり、言語となって報じられた事柄は、僕の耳を奮わせて、
 心を、打ち砕きました。
 何の知らせがお嬢様を驚愕させ、動揺させたのか解ったのです。解りたくありませんでした。こんな知らせ、幻聴だとしか思いたくありませんでした。
「な……んだとっ!? バカな、今の放送は何だ、どういうことだ!?」
 ラジオの音を聞きつけて居間に飛び込んできたアサミドリさんと奥様の表情で、幻聴だという望みは虚しく潰えました。
 茫然と居間に立ち竦んでいた僕たちの耳に、ふと玄関の方からジリリリリ……という、電話の呼び出し音が聞こえてきました。奥様はハッと我に返り、慌てて玄関に駆けていきます。
 けれどお嬢様はどこか上の空の様子で、
「……お母様、私、ちょっとお隣の様子を見てきます。コーキチ、ついておいで」
 凍てついた声でそう告げると、電話でもしもしと話し中の奥様の横を通り抜けて外に出て行きました。言われるまでもなく僕もお供します。
 アサミドリさんも、じっとしていられないといった様子で、無言で僕たちの後を追おうと立ち上がりましたが、
「アサミドリ、ちょっとお待ち」
「……え?」
 受話器を持ったままの奥様に、神妙な面持ちで呼び止められたため、僕とお嬢様だけで走り出しました。

 ★★★★

 照坊ちゃまとハチゾーは、隣家にいませんでした。
 玄関先に破り捨てられた新聞紙が転がっており、記事を見た彼らがどれほどの衝撃を受けたか見て取れました。
 乱れた足跡と涙の匂いを辿ってふたりの行方を追うと、程なくして用水沿いの土手に立ち並ぶ大樹の一本が、音を立てて揺れています。
 近付いてみれば、握り締めた拳を一心不乱に幹へと叩きつけるリオルの姿がそこにありました。やっぱりハチゾーです。その傍らでは照坊ちゃまが、丸刈り頭を力なく落として土手に座り込んでいました。
「ハチゾー……」
 背中に声をかけると、ハチゾーはグチャグチャになった顔をこちらに向け、皮膚がズリ剥けて血の滲む手で僕に縋りつき、号泣しました。
「うああああっ! なんで!? なんでっ!? なんでだよおぉぉぉぉ~~っ!?」
 溜まらず僕も、ハチゾーの身体を抱き締めて、共に涙を流しました。
 お嬢様も、顔を覆った指の狭間から、煌めく滴をこぼしています。
 街中が、いえ、●国すべてが、嗚咽と慟哭に包まれているような気さえしました。
 それほどまでに、この国の民にとっては、悲劇的な出来事だったのです。
 ●国軍の英雄、陸軍第八師団所属、ウインディのハッコー號が、玉砕したという報せは――――

 ★★★★

 新聞やラジオが伝えるところによれば、※国軍の陣地深く切り込んだ友軍が、確保していた補給線を敵に奪われて孤立。
 完全に包囲され、全滅は時間の問題だった友軍を救出するため、ハッコーさんは勇敢にも単身敵の大群に突撃、活路を切り開いて友軍の救出に成功しました。
 その直後、ハッコーさんは負傷した身体を押して、友軍が遂行中だった※国軍基地の攻略作戦に参加。強靱な岩ポケモンをインファイトで打ち砕き、必殺のフレアドライブで我が身と共に敵を焼き滅ぼして、最期には消し炭となった敵の上に仁王立ちになったまま、絶命していたそうです。彼の犠牲を礎に、攻略作戦は成功を収めました。
 壮烈を極めたその死に様に、軍大本営は『まさしく軍神である』とその戦功を誉め称え、破格の報償と共に盛大な軍葬の開催を決定。国を挙げてその死を悼むとのことでした。
 
 ★★★★

 僕たちを笑う人もいるかも知れません。会ったことがあるわけでもない雲の上のポケモンの死に、何故そこまで涙するのかと。
 しかし、彼の名にあやかった名を付けられた僕やハチゾーにとって、ハッコー號は憧れという域を越えた、生きていく上で目指す目標、言うなれば夢そのものだったのです。その夢が志半ばで失われた事実を、我がことのように悲しんでおかしい理由がありましょうか。僕たちにその名を与え、夢を託していたお嬢様たちも思いは同じであったでしょう。
 塗れてぼやけた僕の視界に、ふと何かの影が過ぎりました。
「あ……あいつ、また…………?」
 今朝見かけた紫色のポケモンが、コグレ山の上空に漂っています。
「まぁ、フワンテね。この辺りでは珍しいわ」
 気付いたお嬢様が声を上げると、更に背後からも声がかかりました。
「戦場では頻繁に浮かんでいたがな。まさか、私を迎えに来たわけでもあるまいが」
 遠い目で空を眺めながらやってきたアサミドリさん。彼女と共に土手道に現れた奥様が、更なる衝撃を僕たちに告げました。
「玉恵。先ほどの電話で、軍からアサミドリに再召集の令が下りました」
「……!?」
 お嬢様のみならず、全員の驚愕がアサミドリさんの黒い身体に集中します。
「そ、それじゃアサミドリさん、また戦地へ……?」
 涙で詰まりそうな鼻声で訪ねた僕に、アサミドリさんは肩を竦めて苦々しい笑みを向けました。
「どうやら、前線の状況が動いていることは確かなようだ。まさか文字通り、腰を落ち着ける暇すら与えて貰えぬことになろうとはなぁ……」
「そんな……!?」
 凍てつく悪寒が、毛皮の奥に走りました。
 実は前線の戦況は、僕たちが聞かされているよりずっと悪化している、という、アブソルからの警告が思い出されたからです。
 戦地帰りのアサミドリさんから得た確かな情報とハッコーさんの存在を以て、僕たちはアブソルの言葉を利敵主義者の流言飛語と一蹴しました。しかし、そのハッコーさんが突然戦死して、アサミドリさんも再出征。戦況の激変を伝えるこれらの事実は、アブソルが言っていた情報を裏付けるものなのでは? だとしたら僕たちは…………!?
「まぁ、やむを得まいな。いい雄はみな、既に戦地だ。こんなことになるのなら、向こうで誰ぞ適当な種を咥えてくるべきだったかな? ふん、ならば次こそはそうするまでのことよ」
 何でもないことのように明るく言い放ったアサミドリさんの気迫の篭もった言葉が、僕の心に影を射しつつあった不安を吹き飛ばしました。
 そうです。誰が何と言おうが、アサミドリさんは一度戦地から無事に帰ってきたのです。こんなに強いアサミドリさんが次こそはと誓った以上、その〝次〟は必ず訪れる。きっと今度も無事に帰ってきてくれるに違いありません。
「アサミドリさん……」
 涙を拭って、ハチゾーが進み出ます。
「僕も……俺も連れて行ってくれっ! この手でハッコーさんの仇を討ちたいんだ!!」
 牙を剥いて決意を叫ぶハチゾー。しかし先日アブソルに惨敗した僕たちの実力では、そんな希望が通るはずもありません。案の定、黒く尖った鼻先が横に振られました。
「お前にはまだ無理だ」
「すぐにルカリオになるよ! 必ず強くなって、お国のために役立ってみせるから、だから……っ!?」

 食い下がる小さな蒼い顎に、
 大きな黒い顎が重ねられて、その言葉を塞ぎました。

「う……あ…………」
「悪いが、出番をくれてやるつもりはない。私がハッコー號の仇を討ち、そのまま戦争をも終わらせてやるさ」
 蒼い顔を真っ赤に燃やしたハチゾーから唇を離し、力強い言葉でアサミドリさんは宣言しました。
 あのアブソルは、たかが一頭や二頭の軍ポケがどんなに強くたって、と言っていましたけど、ハッコーさんが倒れても、こんなにも頼もしいアサミドリさんがいて、カイソーさんだっていて、他の先輩たちだっていて、それ以外にももっともっと強い軍ポケたちが一杯いるのです。●国が負けるはずなんかない。あんな悪い非国民の言葉に惑わされかけていた自分が恥ずかしく思えました。
「あ……、そうよ、出征式。アサミドリの出征式の準備をしなくちゃ……」
 相次ぐ変事の衝撃から気丈にも立ち直ろうとした玉恵お嬢様の提案に、しかしアサミドリさんはまた首を横に振りました。
「宴で祭り上げられるなど、一度経験すれば充分ですよお嬢様。それより私としては、一刻も早く戦地に戻って始末をつけたい。迎えを待つのももどかしいので。このままこの脚で軍に乗り込ませて貰います」
 アサミドリさんを育てた奥様には、その態度だけで彼女の意志が伝わったのでしょう。表情を引き締めて頷きました。
「行きたいのですねアサミドリ。いいでしょう、軍には私から連絡しておきます。お行きなさい、あなたのいるべき場所へ!!」
「ありがとうございます奥様。忘れ物を取り戻して、必ずまた御許へ帰ります。どうかお元気で。……それでは!!」
 一礼を残し、アサミドリさんはひらりと身を翻して走り出しました。
 去り行くその後ろ姿に、ハチゾーが声を張り上げます。
「アサミドリ號、万歳!」
 僕も負けじと、両腕を挙げて叫びました。
「アサミドリ號万歳! ●国万歳!!」
「万歳! 万歳!!」
 玉恵お嬢様や照坊ちゃまも加わった万歳の合唱に、アサミドリさんはほっそりとした尾を優雅に振って応え、土手道を猛然と疾走して、やがて小さくなり、見えなくなりました。
 夏の夜の花火のように、鮮やかに僕らの前に現れた美しく燃える姉御は、
 夏の夜の花火のように、その艶姿を空に溶かして僕らの前から去って行ったのです。

 ★★★★

君、死にたもうことなかれ 

 ★★★★


「あら、またフワンテだわ。最近増えたわねぇ」
 ふたりで街に散歩に出た日、玉恵お嬢様が上げた声に空を仰ぐと、紫の球体が数匹の群を成して、コグレ山の辺りを漂っていました。
 あの日……ハッコーさん玉砕の報が届き、アサミドリさんが再出征して行った日の朝に最初に見かけてから、確かにフワンテをよく見るようになりました。初めは一匹ずつだったのに、今では複数匹見ることも珍しくありません。
 もしかしたら、急に増えたフワンテは、何か悪いことが起こる前触れ……!?
 おかしな方向に迷い込みかけた思考を、僕は慌てて修正しました。
 バカバカしい。たまたま最初見つけた日に色々あったっていうだけで、不吉なことみたいに思うなんてどうかしています。きっとお腹が空いているから、変なことを考えてしまうんですね。早く食堂に行って、ペロリームおばさんに食べ残しをお裾分けして貰いましょう。
 通い慣れた食堂の裏口に回り、お嬢様が戸を叩きます。
「ごめんください。ペロリームさん、いらっしゃいますか?」
 ……あれ、返事がありません。
 食堂の中が妙に静かです。何かあったのでしょうか?
「おばさ~ん、いないの~? お腹減ったよ~」
 呼びかけてみましたが、やはり店内からは応えは返りませんでした。
 代わりに、
「おばさん、夕べ急に出征していったらしいぜ」
 通路の入り口に立った見知らぬポケモンが、急に僕に話しかけてきましたが。
「いやはや、まさかおばさんに先を越されちゃうなんてなぁ……ビックリだぜ。なぁ、コーキチ?」
「え……っ!?」
 親しげに名前を呼ばれて、僕はマジマジと相手の姿を眺めました。
「おいおいどうしたんだよコーキチ。まさか、俺が誰だか判らねぇなんてことはねぇよな?」
 そう言われても、こんなにスラッと背が高く、耳がピンッと長く尖った、胸から腹にかけて生成色のフサフサとした毛皮に覆われて鳩尾に硬そうな突起物のあるポケモンなんか知りません。
 けれど、顔や四肢、尻尾に生えた蒼地に黒い帯の入った毛皮、後頭部に下がる黒い房、そして意志の強そうな紅く燃える瞳は、とても、とてもよく知っている者に似ていて……?
 と、そのポケモンの後ろから姿を現した丸刈り頭に、お嬢様があっ、と声を上げました。
「照くん!? それじゃあ、この仔はやっぱりハチゾーなの!? ルカリオに進化したのね! おめでとう!!」
 不敵に唇の橋を吊り上げたその笑顔は、僕のお隣さんで幼なじみで宿敵で、ケンカ仲間で親友のハチゾーに、間違いありませんでした。
「そうなんだよ。進化したのは、実はつい今朝方のことでね。朝の修練をひと通り終えたと思ったら、急にハチゾーが光り出してさ。その輝きが止んだときにはもうこの姿になってた。遂にハチゾーをここまで育て上げたんだと思ったら嬉しくってね、ずっと街中を巡ってたんだ」
 興奮気味に声を弾ませる照坊ちゃま。ハチゾーも誇らしげに胸を張って突起を突き上げます。
「どうだコーキチ、すげぇだろ! この進化は俺の忠誠心が極限まで高まった証なんだぜ!!」
「そっか……おめでとう。とうとう、先を越されちゃったんだね」
 進化条件が違う以上、いずれ先に進化されるだろうとは覚悟していましたが、本当にこの日を迎えると複雑な想いを拭い切れません。まぁ、本当の勝負は僕がグランブルに進化してからってことで。
「それはそうと、ペロリームおばさんが出征したっていうのは一体どういう……?」
「ん? あぁ……」
 店の前を離れて帰路を歩みつつ訊ねた僕に、ルカリオになったハチゾーは応えました。
「街を回ってて色々聞いてきたんだけどな、今、民間から最終進化系のポケモンを集めて軍に献納しようって運動が、●国中で始まっているらしいんだ。食堂のおじさんのところにも昨日供出*6令状が来たってんで、ペロリームおばさんを送り出したんだって。さすがにおじさんも長年連れ添った相方が急にいなくなったのは相当堪えたらしくて、しばらく店を閉めるんだってさ」
「へぇ……でも、ペロリームおばさんを戦地に連れて行って何をさせるんだろ? やっぱり糧食の調理とかかな?」
「そんなところじゃね? 俺もおばさんに負けてらんねぇわ。進化も果たしたことだし、早く出征してアサミドリさんやカイソーの兄貴たちと一緒にお国のために戦いてぇなぁ……ん?」
 通りの向こうに現れた人影を、ハチゾーの紅い瞳が捕らえます。
「おっ、署長さんじゃねぇか! こりゃ丁度いいや。お~い」
 こちらに気付いてやってきた詰め襟と警察帽姿の人物は、紛れもなくお馴染みの警察署長さんでした。今日もウツボットを連れ歩いています。
「照くん、玉恵ちゃん、こんにちは。おぉ、そのルカリオはもしやハチゾーくんかな? 進化したのかね?」
「はい、今朝進化したばっかりなんです! ……ところで署長さん、その仔は?」
 照坊ちゃまが気になさったのは、ウツボットの袋から灰色の顔を覗かせている、まだ幼いポチエナのことでした。尖った顎先をウツボットの蔦でグルグルに巻かれています。
「畑に仕掛けておいた罠に捕まっていたのでな。これから署に連行するところだ」
 顔を覗き込もうとすると、プイッとそっぽを向かれてしまいました。そういう経緯で捕まったとあれば、警戒心が強くなっていても仕方ありませんね。
「ウツボットさんも、毎度護送任務ご苦労様」
「どうも。こういう時、軍の研究所で開発が進められているっていう、ポケモンの携帯輸送装置*7が使えれば便利なんだがなぁ」
「そういったもんを俺たちが使える豊かな世の中にするためにも、まずは打倒※国! だよな!!」
 口にポチエナを含んだままモゴモゴと器用に喋るウツボットと、ポケモン同士で井戸端な話題に花を咲かせている内に、お嬢様は慈悲深い眼差しをウツボットの口元に注いで署長に尋ねました。
「あの、署長さん。このポチエナはこれからどうなるんでしょうか?」
「うむ、然るべき施設に送り、躾と訓練を施した後、グラエナに進化の暁には栄えある軍ポケとして戦地で活躍して貰うことになる」
「それじゃ、もしよろしければ、この仔をうちで預からせて貰えませんか? 丁度アサミドリが再出征したので、母の手も空いていますし」
 おっとそうでした。奥様は軍ポケの訓練士なんだから、うちも立派な〝然るべき施設〟なんですね。
 となると、僕の弟分ということになるのでしょうか。仲良くできるといいなぁ。
 ……と思ったのですが。
「ハハ、申し出はありがたいのだがね。もうこの仔の預かり先は決まっているのだよ」
「あ……そうでしたか。出過ぎたことを言ってすみませんでした」
 素気なく断られてしまいました。う~ん、残念。それにしてもさすがは警察。捕まえたばかりのポケモンにもう預かり先を手配済みとは、手際の良さに舌を巻くしかありません。
「兄弟分にはなれなかったけど、しっかり修練して●国のために働くんだぞ」
 話しかけてはみたものの、やっぱり顔を背けたまま喉をう~う~鳴らすばかり。まぁ、まだ子供ですし、いずれ馴れれば解ってくれるでしょう。
「あっ、軍ポケと言えば署長さん、今最終進化系のポケモンを軍ポケにするために集めてるって本当!?」
 と照坊ちゃまが署長さんに問うたのを聞いて、いけね、忘れてた、とハチゾーが頭を掻きました。そもそもハチゾーが署長さんを呼び止めたのはこの用事だったのに、ついついポチエナに気を取られてしまいましたね。僕もですけど。
「あぁ、本当だよ。署でポケモンの供出を進めると共に、庶民からの献納も随時募集している。……そうか、ハチゾーくんも最終進化に到達したのだな。軍に献納するのかい?」
「するする行く行く! 何だったら今からでも!!」
 やる気満々に身を乗り出そうとするハチゾーを宥めながら、照坊ちゃまは頷きました。
「はい、もちろんそのつもりです。そうと決まったら急いで家に戻って、出世式の準備を始めないと。お隣の軍ポケたちに負けないぐらい、盛大に送り出してやりたいので」
「ハッハッハ、そうか。うむ、こちらはいつでも構わないので、立派な出征式を開いてあげなさい」
「そっかぁ、出征式があったか!!」
 よっぽど急いで出征したかったのでしょう。ハチゾーは焦れったそうに地団駄を踏んでいます。
「そりゃやって欲しいけどさぁ、俺としちゃ一刻も早くアサミドリさんに、ルカリオに進化したこの姿を見せてあげたいんだけどなぁ! ペロリームおばさんは昨日令状が届いたその日の内に出征して行ったってのに、あぁもう、」

「……んぐぅ!?」

 突然上がった異様な声に、ハチゾーの喚きは遮られました。
 声の主は、ウツボットに捕らえられているポチエナです。これまで僕たちの方なんて見ようともしていなかった金地に朱の瞳をカッと見開いて、ハチゾーを凝視してブルブルと震えています。
「え……なんだ? どうしたんだよお前……!?」
「んぐうぅぅ! ぅぐ、うぐぅぐうぅぅぅぅぅうぅ!!」
 顎を縛られたまま、懸命に頭を振り回したポチエナは、今度は署長の方に顎先を向けて声を絞り出しました。そして、更に。
「んぐぅぐっぐ! うぐぅうぐぐぅぐっ!!」
 顎先を更に別の方向へ、遙か遠くを指すように向け、前脚までもウツボットの袋越しにその方角へ突き上げようとしています。
 そうまでしてポチエナが示そうとしている方角を、僕は見上げました。
「ぅうぅぅ……ぅぐうぐぅぅぅぅ~~っ!! ぅぐうぐぅぅぅぅ~~っ!!」
 黒々とそびえ立つ、コグレ山。
 それとも、その上空に群を成して浮かぶ、フワンテたちでしょうか?
 血走った目に涙を滲ませてその空を見上げ、閉ざされた口をこじ開けんばかりに泡を吹きだして、ポチエナは呻り声を上げ続けました。
「んぐぅぐ……っ!?」
 ボシュッ、と舞い散った緑色の粉がポチエナを包み、呻き声はたちまち規則正しい寝息へと変わっていきます。
「知らない人たちに大勢で取り囲まれたから、怖くて興奮してしまったんだろうね。可哀想に」
 ウツボットに眠り粉を香がされて静かになったポチエナの寝顔を見ながら、署長さんは穏やかに呟きました。
「あ……ごめんなさい、護送の邪魔をしちゃったみたいで」
「いやいや、気に病まなくてもいい。それよりハチゾーくんの献納、待っているからね」
「はいっ!!」
 快活な返事をして、事ここに至れば善は急げと家路に駆け出す照坊ちゃま。ハチゾーも逸る足取りでその後に続きます。
 けれど、僕はさっきのポチエナの異様な反応が、どうしても気になって、
「……あの、ウツボットさん」
「何だね?」
 ポチエナを咥えて、署長と一緒にその場を去ろうとしたウツボットを呼び止めて、思い切って訊ねてみました。
「コグレ山には、何かあるんですか? ポチエナが気にしていたようでしたけど」
 途端に、周囲の温度が急落したような悪寒に、身が震えました。
「……あそこは警察署の敷地内だ。危ないところもあるので、決して立ち入ることのないように。万一この命令を無視したならば、アブソルの時のような甘い叱り方では済まないと心得ておきなさい」
 先ほどまでの親しげな態度とは一転、毒々しいまでの冷淡な言葉が僕に突き刺さります。困惑のまま萎縮しているうちに、ウツボットはまた柔和な顔付きに戻って、署長の後について立ち去っていきました。
「どうしたの、コーキチ? 私たちも行きましょう」
 数瞬、固まったままでいた僕でしたが、玉恵お嬢様に促されて我に返ると、
「ちょ、ちょっとコーキチ!? どこに行くつもりなの!?」
 やっぱりざわつく心を抑えきれず、お嬢様のご指示すら無視して駆け出しました。

 ★★★★
 
「止まりなさい、戻りなさいコーキチ! そっちへ行ってはダメ!! その先は……」
 言われなくても、どの道僕は立ち止まるしかありませんでした。何故なら、
「…………行き止まりよ?」
 金網と鉄条網が張り巡らされた柵が、山への道を塞いでいたのです。これではウツボットに釘を刺されるまでもなく、コグレ山には立ち入れそうにありません。
「もう、本当にどうしてしまったの? 早くお家へ帰りましょう」
 手を引かれて渋々帰路に就きつつも、僕はもう一度振り返って、金網の向こうに裾野を広げるコグレ山の景色に目をやりました。
 空に集ったフワンテたちは、行きに見かけたときよりも数が増えているように思えました。

 ★★★★

 うちに負けないぐらい、と照坊ちゃまは言っていたものの、軍から育成資金を与えられていた我が家より大掛かりな出征式なんて、ハチゾーの家にできるわけがありません。
 それでも、精一杯心を尽くした宴が、ハチゾーのために開かれました。
「ハチゾーくん、立派に進化したわねぇ」
「戦地でも頑張って、お国のために尽くすんだぞ」
「ハッコー號の仇を取ってくれよ!!」
 人もポケモンも、着飾ったハチゾーの前にやってきては、暖かな励ましの言葉を口々にかけていきます。やんちゃ者でいつも元気一杯なハチゾーは、こんなにも多くの方々に愛されていたのでした。
「みんな、ありがとう。俺、命を惜しまず戦うよ。いざという時はハッコーさんのように華々しく玉砕してでも、●国のために大手柄を立ててやる! 銅像を建てられるようなでっかい大手柄をな!!」
 以前から何度も口にしていた銅像の夢を、変わらぬ調子で高らかに宣言するハチゾー。ルカリオに進化してもやっぱりハチゾーはハチゾーなのでした。
「……やめてよ」
 不意に響いた、低く押し潰した声が、宴の喧噪に水を打ちました。
 黙して振り返った一同の中、ハチゾーは不快に歪めた眉を声の方に向けます。
「今、なんか言ったか? コーキチ」
 もちろん、制止をかけたのは僕の唇でした。
 けれど、僕は何故、自分がこんなことを言っているのか、心の整頓がまるっきりできずにいたのです。
 それでも、僕は荒れ狂う激情にまかせて、声を吐き出しました。
「命を惜しまずとか、華々しく玉砕してやるだとか、簡単に言わないでくれって言ってるの! そんなの、まるで最初っから死ぬために出征するみたいじゃないか!?」
 ますます険悪に目尻を吊り上げ、ハチゾーは空になっていた食器をどけて立ち上がりました。
「今更何言ってんだよ!? 俺はこれから、命を奪い合う戦いをしに行くんだぞ!? いざって時の覚悟もなしに戦いになんか行けるわけねぇだろ!?」
 まったくの正論です。誰がどう考えてもハチゾーが正しく、僕の言い分はハチゾーの覚悟を貶めるものでしかありません。
 唇を掻んだ僕に、更にハチゾーは言葉を叩きつけます。
「そんな事を言うのなら、じゃあお前には死ぬ覚悟はないんだな!? お国のため、玉恵お嬢さんのために命をかけて戦うなんてお前にはできないんだな!? この、非――」
「できるさ!!」
 最後まで言わせず、僕は叫びました。
「死ねるよ! いつだって死んでやる! だけどハチゾー、お前はダメだ!!」
「ハァ!? ムチャクチャだぞお前、本当に何を……」
「お前が死ぬなんて言うのは、僕はイヤだ! だからお前は、そんなことを言ったらダメなんだっ!!」
 バキィッ!!
 鋼の拳が飛んできて、僕の頬を思いっ切りぶん殴りました。
「わけわかんねぇことばっか言ってんじゃねぇっ!?」
「わけなんかわかんなくたっていいよ! ムチャクチャでも何でもいい!!」
 顔を腫らしたまま、僕はハチゾーに掴みかかりました。
「お、おいおいおい!?」
「死ぬなんて言うな! 死ぬって言うなら出征なんかするなぁぁっ!!」
 支離滅裂な叫びを上げながら、闇雲に腕をハチゾーへと叩きつける僕。そのせいで照坊ちゃまが飾ってくれた衣装がちぎれ飛んで畳に落ち、ハチゾーの眼に怒りの火が灯ります。
「このっ、いい加減にしろ……っ!」
 デタラメに振り回していた腕が掴み取られ、振り解こうとした僕の動きに合わせて、ハチゾーは、
「要するにお前、先を越されたのが悔しくってワガママ言ってるだけじゃねぇかぁぁっ!?」
 リオルの時よりずっと長く、力強くなった腕で、僕を投げ飛ばしました。
「コーキチっ!?」
 お嬢様の悲鳴の上を、客たちの頭上を飛び越えて、僕は庭まで放り出されて転がった挙げ句、庭石にぶつかって止まりました。
「悪いがなぁコーキチ、今回は待ってなんかやんねぇぞ! アサミドリさんの台詞じゃねぇが、俺がハッコーさんの仇を討ち、そのまま戦争も終わらせてやる! お前はこの街で泣きベソでもかいてろバカ野郎!!」
 先を越されて悔しがっているだけ、か。そうかも知れない。
 そうとでも考えないと、説明なんかつきっこないもの。
 朦朧とする頭に浴びせられる痛罵を、どこか達観した気分で受け止めながら、僕は気を失っていきました。

 ★★★★

「余興だよ余興。そりゃ打ち合わせとかしてなかったけどさぁ、コーキチに限ってあんなこと本気で言うわけねぇじゃん? あいつなりに俺の出征式に花を添えてくれようとしたのに決まってんだろ。まぁ、盛り上がらなかったのは勘弁してやってくれ。今は俺が進化して強くなってんだから仕方ねぇよ」
 僕が著しく乱してしまった宴でしたが、即座にハチゾーがそう取りまとめてくれたため、ポケモンたちはそれで納得してくれました。また、言葉の通じない人間たちも、
「ほら、ハチゾーくんとコーキチくんって、相撲大会でも決勝を競った好敵手同士でしょう?」
「そうか、それでハチゾーが出征する前に最後の勝負を挑んだのか……」
「コーキチくんももうすぐ進化するでしょうから、ルカリオのハチゾーくんにブルーの身で挑めるのはこれが最初で最後の機会かも知れませんもの」
「なるほど、気持ちは解るわなぁ。じゃあ仕方ない。大目に見るしかないか」
 とまぁ、好意的に解釈して頂けたので、お咎めもなしで済みそうです。お嬢様と奥様には、お隣さんに頭を下げさせてしまったようで、大変なご迷惑をおかけしてしまいましたが。もちろんお隣さんやハチゾー自身にも、申し訳ないとしか言いようがありません。
 本当に、何だって僕は、あんな騒ぎを……? 僕が第三者の立場でも、出征式の余興として最後の対決を挑んだという説明で納得してしまいそうですが、残念ながらそうではありません。心に沸き上がった黒い感情を、抑え切れずにハチゾーにぶつけてしまったのです。先に出征されることへの妬み……? やっぱりそれも違うでしょう。得体の知れない、漠然とした不安感……いえ、まるで不安の正体は目の前にハッキリと見えているのに、それを認めることが恐ろしくて堪らないような……!?
「ハチゾー號、万歳!!」
「●国万歳!!」
 表から轟いた歓声に、僕は我に返りました。
「ほらコーキチ、ちゃんとハチゾーを送ってあげましょう」
 思考がまとまらないまま、僕はお嬢様に促され、差し出された手を取り立ち上がりました。
「ちょっとすみません、道を開けてください!!」
 お嬢様がひと声かけただけで、さっと人波が左右に割れました。元々僕とハチゾーの仲は有名だった上に、さっきの騒動が話題になったおかげで、事情を理解していない者はひとりもいなかったのです。
「ハチゾォォォォォォ~~ッ!!」
 十数匹のフワンテが浮かぶ空の方向へ、照坊ちゃまに連れられて立ち去ろうとする後ろ姿に、喉笛を振り絞って僕は呼びかけます。
 振り返ったハチゾーの衣装は、僕がちぎってしまった部分が派手な色の帯で繕われ、むしろ裂かれる前より豪華にルカリオの姿を飾り立てていました。
「バ~カ! いつまでみっともねぇツラしてんだよ! シャンとしろシャンと!!」
 不適な笑顔で、ハチゾーは叫びました。
 リオルだった頃からずっと変わらない、僕の親友の笑顔でした。
「命を捨てる覚悟で挑むことと、死にに行くこととは全然違うに決まってんだろ! 絶対に勝って帰ってくるから、それまでにグランブルに進化して待ってろよ! 相撲大会での借りを返すのはその時だ! じゃあな!!」
 蒼い腕を振り上げたハチゾーに、僕はグチャグチャに濡れていた顔を拭い、弛んだ頬に全力を込めてニッと笑って見せました。
 ずっと僕の隣にいた蒼い色彩が、遙か遠く霞んで見えなくなるまで、僕はずっと笑っていました。

 もう二度と、生きてこの蒼を見ることはない。
 心の奥から溢れそうになるそんな忌まわしい予感を、無理矢理に封じ込めて。

 ★ 黄昏の遠吠え・左に続く


コメント帳 


・カイソー「お前らも立派に育てよ。行くべき道を間違うことなく、な」
・ハチゾー「それはそれこそ作者がな!」
・コーキチ「そうそう、けもケット5の日の狸吉さんみたいにならないように気をつけてね」
・狸吉「お前ら、僕を一体何だと思ってるんだ!? 初めて行ったみなとみらいでちょっと迷ったぐらいでそこまで言わんでもいいでしょ!?」
・ハチゾー「同じ日に帰りの名古屋地下鉄名城線で逆回りのホームに行っちゃったくせによく言うぜ!*8
・コーキチ「そう言えば新幹線でも、3号車から乗って2号車に行こうとして、間違えて指定席の4号車に座っちゃって怒られたんだよね」
・カイソー「いつもカーナビにばかり頼っているから、たまに歩いたときに方向感覚が狂うんだろまったく」
・狸吉「うわあぁぁぁぁ~ん!!」

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  •  作者です。
     チャットでも言いましたが、大会中は時間に追われてまとめのモノローグが間に合わず、未完成状態での投稿でした。
     元ネタばらしを中心とするあとがきを現在執筆中ですが、先に完成した本文を投稿します。
     なお、追加したモノローグは人によっては不快感を覚えるかもしれない内容であり、また『ポケモンでここまでやる必要があるのか!?』と思われるかもしれません。しかし、僕としては玉恵の立場からすれば、このような思想、行動に至るのは当然の帰結だと考えてこうなりました。
     警察署の金網を乗り越え、ウツボットの巨体を突き飛ばし、フワンテを足場に空へと駆け上がるスーパーヒロイン玉恵さんが、幼児が投げつけた積み木を受け止められないはずがないのと同じぐらい、当然の話だと言うことです。……こめかみにぶつけて血でも流せば悲壮感出るかなって思ったのに、このお嬢様ときたらまったく(苦笑) -- 狸吉
お名前:

*1 ポロックやポフィン、ポカロンなどと同様のポケモン用お菓子。
*2 元ネタはインド神話の月の兎伝説。他の動物たちが老人のために魚や木の実を取ってきたのに、何もできなかった兎は老人に火を熾させて自らの身を捧げた。帝釈天の化身であった老人は、兎の献身に感動して月に住まわせた、と言うもの。兎以外の登場動物に関しては諸説あり。
*3 アサミドリの名前は、実在した軍犬の名前からつけたものだが、本物の朝緑號は本作のモデルとなった年代よりも少し前に戦死している。数ある軍犬の名前から彼女を選んだ理由は、単に響きが気に入ったからで他意はない。
*4 献納=個人が国や団体に財産を捧げること。
*5 ラジオは敵性言語規制の中でも普通に使われていた外来語のひとつ。
*6 供出=国や団体が、個人に財産を差し出すよう要求すること。
*7 モンスターボールのこと。この時代はまだ普及していない。
*8 名城線のホームは線路を跨いでいるため、間違うと大回りする羽目になる。なおケモけっと帰りのこの日、狸吉の肩には太陽の同人誌が……w

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Last-modified: 2016-07-10 (日) 08:38:53
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