喫茶店『ウェルトジェレンク』。この店に来ると、学生時代を思い出す。店の雰囲気が少しあの学園内のカフェ『World Between』に似ているせいだろうか。
高等部の頃から利用するようになり、風紀委員になるまで、放課後はよくWorld Betweenで一匹で過ごしていたものだった。
「お待たせいたしました。紅茶と本日のケーキ、ガトーショコラになります」
ウェイターのリーフィアはなかなかの美少年で目の保養にはなるが、話し相手としてはいまいちだ。黙っていれば綺麗な顔はしているが、どうにも品がないというか、優雅さが足りない。あの子には遠く及ばない。
「ありがとう」
たまの休暇に訪れてはいるもののまだ常連というほどではない。というか、セルネーゼがあまり会話を楽しもうとはしていないので、彼にとっては名前すら知らない一匹の客でしかない。リーフィアがエリオットという名であることは他の客との会話で知ってはいるけれど。
自由なこの国では休暇の取り方も職種によってばらばらで、平日の昼間でもまばらに客はいる。というか、立地と時間帯を考えれば繁盛していると言っていいだろう。
カラン、と扉の鈴が鳴って、また一匹。
「いらっしゃいませ!」
客を確認して、エリオットがぱたぱたと早歩きで入口に向かう。ここの店員はブースターとリーフィアの姉弟の二匹と店長のミルタンクがいて、女性客には弟のエリオットが、男性客には姉のイレーネが応対するようにしているらしい。エリオットは少しセルネーゼの好みからは外れているが、妙に嫌らしい体つきや所作が目につくあのブースターに接客されるよりはまだましだ。
訪れた客はセルネーゼと同い年かそこらのマフォクシーで、エリオットを目にした瞬間、息を止めたのがわかった。素直な女、というか莫迦正直というかどこかで会ったというか――
目が合った。彼女の方でもセルネーゼを認識したようだった。
「セルネーちゃん? セルネーちゃんじゃない!」
紅茶を吹きそうになった。学生時代の旧友というか、同郷ということで半ば一方的に懐かれていた元クラスメイトだった。
「へえ、あのお客様とお知り合いだったんですか。なーんかこの店ではこういうこと、よくあるんですよね」
エリオットが若干素に戻ってくだけた物言いになっているのを気にも留めず、マチルダは早足でセルネーゼの向かいに座った。
「ほんっと、久しぶり。学園を卒業して以来かしら?」
せっかく一匹で優雅に過ごしていたのに。思えば学生の時分にもよくカフェでの心休まる一時をぶち壊されていた。
「ええ、そうですわねマチルダさん。本当に」
「なんか不機嫌? っていつものことか。あ、リーフィアくん、私にも彼女と同じセットをちょうだい?」
セルネーゼがいつも不機嫌な原因が自分だと気づかないところがまた腹立たしいが、二年半ぶりの再会を邪険にするのも気が引ける。正直なところを言うと彼女のことは嫌いではないし、丁度学生時代を思い返していたところだったから、昔話に花を咲かせるのも一興かもしれない。
「貴女、確か学園に残って教師になったのではなくて? 今日は学園はお休みでしたかしら」
「それが去年度でクビになっちゃったのよね」
「……は?」
セルネーゼと同期のマチルダは今年が三年目――だったはずだ。彼女のことだから何かやらかしそうではあったが、これはあまりに早い。
「いくら貴女が莫迦でも、生徒に手を出したなどということはあり得ないとは思いますが、理由を聞かせていただきましょうか」
「セルネーちゃんったら昔から言い方きついわね。どうせ私はバカな女よ」
「な……まさか本当にそれが原因だというの!?」
呆れを通り越して言葉が出ない。思えばマチルダがセルネーゼに話しかけてきたきっかけも、風紀委員の後輩としてセルネーゼが色々と教えていたあの子への興味だった。委員長の地位を奪われた復讐にアンチクラブへの協力を考えたこともあるセルネーゼとて彼女のことをとやかく言う資格はないが、見ていて恥ずかしいほどの熱狂的なシオンのファンだったことを記憶している。
「でもね、違うのよ。教師二年目の私に振りかかる災厄……運の悪い事故だったのよ。本命の子じゃなかったのに、つい流れに身を任せてしまって……」
「言い訳にしか聞こえませんわ。そもそも何が本命の子ですか。つまり普段から生徒をそういう目で見ていたのでしょう、貴女は」
「ああ、もうやめて……その本命の子にもきつく言われたんだから……私のライフはゼロよ……」
「自業自得ですわね。同情もできませんわ」
「だってセルネーちゃん、あのシオンくんの再来ってくらい綺麗な子なのよ! それにすごく大人びていて、とても中等部の子とは思えないくらい」
「中……等部!?」
これにはさすがのセルネーゼも立ち上がって怒鳴らざるを得なかった。
「年を考えなさい年を! 昔から貴女は年下の子ばかり危ない目で見ているとは思っておりましたが! 二十三にもなって十四歳やそこらの生徒にうつつを抜かすなどと教師として――大人の女として言語道断ではありませんこと!?」
「セ、セルネーちゃん、あんまり大声出すと他のお客さんに迷惑じゃない? それに私まだ誕生日来てないから二十二だし……」
「お黙りなさい! 学生時代を共にした同郷の友人のあまりの体たらくに腹が立ってきましたわ!」
「お、お客様、どうか落ち着いて……」
「貴方には関係なくてよ! ケーキをもう一つお願いしますわ! 紅茶のお代わりも持って来なさい!」
「は、はい……乱暴な女だなまったく」
「なんですって?」
「いえ、何でも。すぐにお持ちしますので、できるだけお静かにお待ちください」
このウェイターもついでに氷づけにしてやろうかしら。
本気でそんなことを思った。
◇
「政府要人の護衛? セルネーちゃん、ずいぶんと出世したのね……私がバカなことをしている間に」
「それだけではありませんことよ。リカルディ王の秘書兼専属護衛の方から護衛役を引き継ぐことも決定していますわ。
日雇いの仕事を転々としつつ、正式に警備や護衛として雇ってもらう先を探していたところで再会した旧友。セルネーゼは同じジルベールの出身で、マチルダとは違い本物の貴族だ。少々高飛車なところや感情的になりやすいところはあるが、堕落したマチルダをまだ友人だと思ってくれているらしい。根は優しいポケモンなのだと思う。
「本当にそうよね……やっぱり血は贖えないというか。ライズくんも騎士の家の子だったのよね」
「ライズ……? マチルダさん。それはもしかしてイーブイの……ああ、もう進化しているかしら。ライズ・クレスターニさんではありませんわよね?」
ふとライズの名を口にしたとき、セルネーゼは一瞬ぎょっとした表情になったかと思いきや、目一杯の笑顔を浮かべて、猫撫で声で尋ねてきた。
これはまずい。よくわからないが、セルネーゼは怒っている。とてつもなく。
いや、そもそもどうして。
「あれ、セルネーちゃん、どうしてライズくんの名前――」
言いかけたときには、セルネーゼの姿が視界から消えていた。顎に頭突きを食らって椅子から投げ出されたのだと気づいたときには、セルネーゼが烈火の怒りを瞳に浮かべてマチルダに
「こっっっっのショタコンエロ教師ッ! こともあろうに手を出したのはあのライズですって!?」
「く、くるし……セ、セルネーちゃん、ちょっと……!」
セルネーゼらしからぬ単語が飛び出して驚いたが、それどころではない。王の専属護衛に選ばれるというだけあって単純な身体能力だけでも尋常じゃない。ESPを使おうにもこれでは集中を高める前に息が止まってしまう。
「ああ、汚れも知らぬその身を……こともあろうにこんな女に奪われてしまうなんて……」
「お客様っ! 店内で暴れられては困ります!」
視界の隅に店員のブースターが走ってくるのが見えた。とりあえず旧友に絞め殺されてマチルダの人生が幕を閉じることはなさそうで、安心した。
それにしてもまさかセルネーゼがライズと面識があったなんて。
二度と会えないと思っていたけど。彼女を通じてなら、もしかしたら再会できるかもしれない――
――その前に誤解を解かないと、殺されかねないけれど。
五分後。店員に止められてひとまず落ち着きを取り戻したセルネーゼは、マチルダの話を一応聞いてやることにした。起きてしまったことは仕方がない。
「まさかライズくんがセルネーちゃんの親戚だったなんて……道理で美しいわけだわ……」
「もう一度殺されたいかしら?」
「待って、待ってよ。だから言ったでしょ、ちょっとアレなことしちゃったのはライズくんじゃないって」
マチルダ曰く、ライズとは別の、いじめられていた男子生徒を慰めるべく抱きしめた結果、主にマチルダの脳がピンク色に染まっていたせいで、無垢な少年を性に目覚めさせてしまったらしい。どう聞いてもマチルダが悪いし、言い逃れのしようもない。結果としてクビになっているわけだから因果応報だが。
ともあれ、ライズでなくてよかった。
ライズはセルネーゼの
シオンのことはまだ気になるけれども、届かぬ想いだとは承知しているし、政略結婚とはいえライズなら自分の相手としては悪くない、そんな風にも思っていた。その矢先にとんでもない話を聞いたものだから、つい頭に血が上ってしまったのだ。
「わかりました、信じましょう。冷静になって考えれば、あのライズが貴女のような塵芥に身を許すとは思えませんわ」
「そ、そうよ。そんなわけないじゃない?」
しかしながらマチルダはまだ何かを隠している。挙動があからさまに怪しい。
セルネーゼは先程からの会話を思い出していた。確か、本命の子ではなかったのに、とかなんとか。そこへきてライズのことを今でも気にしている様子のマチルダ。つまり、そういうことか。
「貴女の"本命の子"はライズだった――そう解釈してもよろしくて?」
「あーうー……いやそのぅ……」
「呆れましたわ。残念ながら、ライズが将来結ばれる相手はここにいます。諦めなさい」
「……は?」
「ですから、
言い終わる前に、マチルダの姿が視界から消えていた。
◇
十分後。
マチルダはリーフィアの美少年に宥められて、セルネーゼを丸焼きにすることはなんとか踏みとどまった。
「もう、信じられない! 年を考えろなんて言っておきながら自分はちゃっかりライズくんと結婚だなんて、セルネーちゃんこそショタコンエロビッチじゃない!」
しかしながら怒りは収まらない。マチルダが自業自得とはいえあれだけ悩み、心を抑え、悲しみの別れを告げて学園を去ったというのに。
「誰がショタコンですって? ビッチ?
「あーらぁセルネーちゃんったらまだ処女だったんだ? 今いくつだっけ? こんなに勝ち気なセルネーちゃんが男の子と付き合ったこともないなんて」
「ふ、ふん!
悔しい。セルネーゼの言うとおりだ。あんな恋愛もどきに価値なんてなかった。でも、負けるわけにはいかない。家柄なんかでライズの相手が決まってたまるものか。
ライズの意中のポケモンはマチルダでもセルネーゼでもないと知っているだけに、複雑な気分ではあるが。
「あらあらずいぶんと挑発的ね。そこまで言うなら――」
「――そうね」
マチルダとセルネーゼは共に席を立って、飲食代をリーフィアのウェイターに半ば押し付けるように支払い、出口へと向かった。
「表へ出なさい」「表へ出ましょうか」
その日、いつものようにウェルトジェレンクへと足を運んだハリーの目に飛び込んできたのは、店の前で冷気と熱気の渦巻く壮絶なバトルを繰り広げる二匹の女性ポケモンの姿だった。この街では種族牝牡問わず喧嘩など珍しくもないが、それが一流の騎士レベルとなると話は別だ。フーディンの探偵ハリーは種族柄、また職業柄記憶力には自信があるから、グレイシアの方が何度かウェルトジェレンクで見かけた客だということはすぐにわかった。マフォクシーの女性は初めて見るが、断片的に聞こえてくる罵り合いの内容から察するに、一匹の男を巡る女の争いのようだ。
目の前で起きている問題を放置するのはハリーの信条に反するが、他人の恋愛沙汰には首を突っ込むべきではないだろう。第一、あのレベルの喧嘩を止められるのはハリーの知り合いではシオンか孔雀くらいのものだ。四十の全盛を過ぎたおっさんではどうにもならない。
見たところ旧知の間柄なのか、本気で相手を殺すまではしないだろう。
彼女達を横目に、ハリーはいつもの平穏を求めてウェルトジェレンクへ入店するのだった。
魔女先生は恋のキューピッドの舞台はセーラリュートなのです(・×・)
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