SOSIA 番外編.1
◇キャラ紹介◇
・シオン/クラウディア(17)
兵士養成学校『セーラリュート』の生徒で、風紀委員長を務める。
城が傾くほどの美貌を持つエーフィ。
・ローレル(15)
シオンの弟のブラッキー。セーラリュートの生徒。
・ロスティリー&メント(15)
ローレルの友達。問題児。
・グヴィード=グッダ(17)
グレッグル。シオンの友人。
・ラ・レーヌ・ド・リークフリート(年齢不詳)
『蝶の舞う園』を経営するバタフリー。
etc.
◆闇夜の蝶と幻夜の姫君◆
午後の授業と窓際の一番後ろの席を調合すると不眠症の特効薬が完成する。
「こうして
そこへ親父ギャグ野郎のハゲと歴史の授業が加われば、特効薬は睡眠薬に進化だ。
……
…………
………………
……………………
…………………………
「――リア君。ラヴェリア君! ラヴェリア! 起きんかァ!」
「
……頭に何か固いものが当たったようだ。同時に、教室に笑いがどっとわき起こる。
机には折れたチョークの破片。
――ったく、今どきどこの教師がチョークなんか投げるんだよ。それも投げたチョークが折れる勢いで。
「さて、風紀委員長シオン・ラヴェリア君。君の使う後方支援型
「えっ……と………………去年、ですか?」
ふふふ、と照れ隠しのような笑顔で首を傾ける。
「バカモン!」
――が、このハゲにそんな手段が効くはずもない。他の教師――特に
「聞けばお前はこの授業以外はトップクラスの成績だそうじゃないか、え? 先生の授業だけは聞けないってのか?」
「いえ、その……」
女子たちのクスクス笑いが大きくなってゆく。もうっ、あとで絶対何か言われるって……
「お前はこの科目が出来なくても問題ないだろうがな、他のヤツに迷惑を掛けてるってのがわからんか? 隣のヤツはやる気がなくなる。こうやって授業が止まる」
止めてんのはあなたでしょ、と突っ込みを入れたくなったがやめておいた。ただでさえ長い説教をさらに長くしてこのハゲの顔を間近で見る時間を増やすことになるだけだからだ。
「――そもそもお前は歴史を学ぶことの大切さ、意義を理解しているのか? 戦争というものはだな。ただ命令通りに動けばいいというものではないのだぞ? 自分の頭で考え――」
このハゲは優等生が嫌いなタイプらしく、何かとシオンの粗を探してはこうやって長々と中身のない話をする。
こんなこと言ってる暇があったら授業進めたらどう?
「――――そこで大いに参考になるのが歴史というものだ。"歴史は繰り返す"とはよく言ったもの――」
――と。グレッグルのグウィード・グッダがハゲの後に立ち、目の焦点をバグらせながら自分の唇の端に爪を引っ掛けて舌を出すという暴挙に出た。
「――そう、歴史こそ原点なのであり、迷ったときは原点に立ち返ってそこから再出発することこそ――――」
元々変な顔が更にイカれたグヴィードと、それに気づかず説教を続けるハゲ。話を聞いているフリをしなくてはならないので目を背けたり瞑ったりはできない。当然グヴィードがそれを承知なのは言うまでもない。
「――そこへ来てお前は何よりも重要な歴史の授業を妨害する。さっきも言ったがな、皆の迷惑を考えてみろ。なんたる利己心。男は見た目ではなくて中身が重要なのだと――」
――ていうかなんで僕が必死に笑いを堪えなきゃいけないのさ? グヴィードのやつ。あとで殺す。
「――ふ」
「……ん? 何がおかしい」
「ふふ――だって先生、あははっ、グヴィードがっ……」
ハゲはシオンに粘着質な一瞥を向けてから向き直った。その直前、グヴィードは瞬時に顔を戻し、何事もなかったかのように先生を見上げた。
「グッダ、ここで何をしている」
「いやいや、センセーの背中に埃が付いてたもんで。ヘヘッ」
グヴィードはわざとらしくハゲの背中に手を伸ばし、埃をとるフリをした。
「バカモン、席に戻れ!」
「アッヒェー! はいはいはい戻ります戻りますゥ」
グヴィードは意味不明かつ下品な声を漏らし、頭を抱えながら走って自分の席に戻った。
「――して、ラヴェリ」
ハゲが続けようとしたところで、授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
「……今日はこれまで。次回も小テストを行うから今日言ったことを覚えてくるように! それからラヴェリアは今日の放課後社会科教員室に来い」
――これ以上まだ何か言うことがあるのだろうか。途中からイヤミしか言ってなかったような気がするのだが。
まあいいや。ハゲの弱点はわかっている。政治学のベルティ先生に甘えて取り下げてもらおう。
◇
「グヴィードっ! 待てっ!」
アヒャヒャヒャ、と舌を出して奇声を発しながら廊下をバタバタと走って逃げるグヴィードを早歩きで追う。
風紀委員長という立場上、面倒なことに廊下を走るわけにはいかないし、技の使用などももっての外だ。
「廊下を走るのは校則違反だってわかってるの? 僕は風紀委員長なんだぞ、きみに罰を与えるくらいすぐに――」
シオンの叫びも虚しく、グヴィードはエレベーターに駆け込んでドアを閉めた。
「くそっ、あいつ……」
エレベーターの表示が下がっていくのを見上げながら悪態をついた。一階のホールに逃げられたらもうどこにいるか分からない。四階まで吹きぬけになったホールの真ん中には今グヴィードが乗って逃げた巨大エレベーターがあり、それを取り囲むように円形の廊下がある。円形廊下とエレベーターの乗り場の間は浅い堀で、いくつもの噴水が設置されているから、正面以外からはエレベーター乗り場に渡れないという、美しさの代償として利便性が最低の作りになっている。円形廊下の外側はそれぞれ西は広場から正門へ、東には寮、北側は西から東へと時計回りに医務室、図書室、食堂と並び、南側は訓練場となっている。
グヴィードはまさか図書室なんかには行かないだろうし……というか、食堂くらいしか思いつかないんだけど。
が、これ以上の追いかけっこなどしている暇はない。ハゲはたしか教室に残って生徒の質問を受けていたから、鉢合わせする前に社会科教員室に行かなければならない。そうでなくともシオンは六・七限目に訓練場での実戦演習を控えているから、一階の訓練場まで移動しなくてはならないので、急がないと遅れてしまう。
「何だと貴様っ! もう一度言ってみろ!」
「へん、何度でも言ってやる。ヨガだかネガだか知らないけどそんなヘナチョコ細腕よりオレの顎の力のほうが絶対強いさ!」
ふと、廊下の曲がり角の向こうから例の
「ねえ」
シオンが廊下の曲がり角から顔を出すと、チャーレムが「俺のヨガパワーを思い知れェイッ!」と奇声を上げながらアリゲイツに飛び掛かったところだった。アリゲイツはそれを一歩下がって躱すと、口から水鉄砲を発射して牽制し、大きな口を開いて凶悪な牙を見せた――瞬間に、シオンが近くにあった箒を放り込んだ。
「あがっ」
箒がつっかえ棒になり、アリゲイツは情けなく大口を開けたままシオンの方へ目を向ける。チャーレムはシオンを確認するとその場で構えを解いた。
「きみたち。技を使っていいのは訓練場だけ、それ以外の場所では緊急時を除いて使用禁止だってわかってるよね?」
「い、いや……メントがだな……俺は別に使ってませんよ」
「あいおいう! おあえああいいおえおあああいああいおうううえあおああいあいああいあ!」
「……。ローレル、翻訳して」
メントという、無駄にでかい口に箒を突っ込まれたまま必死に何かを訴えかける
彼らはシオンの二つ下の学年で、といっても歴史以外の受講ランクは雲泥の差だが、とにかく、一名を除いては劣等生街道を
「何を言う! お前が先にオレの戦い方に文句つけたのが始まりじゃないか! ……だってさ」
「違うだろローレル。俺には『ごめんなさい! 全てオレの責任ですロスティリーは悪くありません!』としか聞こえなかったが」
「
「うるさいってば。廊下で騒がないの。罰則を追加されたいのなら話は別だけど」
「追加、か。残念だったなメント。罰を与えること自体は決定しているのだな」
「ロスティリー。きみもヨガパワーが何とかかんとか言ってたよね。なんか蹴り技も出してたよーな気がするんですけどー」
「ち、違います! あれはですね。ヨガパワーの威力を理解しろという意味で言ったわけで……」
「あーあ。未遂罪なら罰則が軽くなったかもしれないのにね。風紀委員長の僕を
「そ、そんな……」
ロスティリーはまだ何か言い訳を考えているようだが、いちいち聞いてやるのも面倒なので、シオンはメントの顎に挟まった箒を引き抜いてロスティリーに手渡した。
「今日の放課後、校舎に残って清掃員のひとたちを手伝ってね」
「やーいバーカバーカ」
「……あのさ。メント、わかってると思うけど、きみもだよ」
「ほへ?」
「ほへじゃない。きみが水鉄砲を使うところはこの目で見たし……そうだ。ここ、ちゃんと
「兄ちゃん、また歴史のアシュナラ先生に睨まれたんだ?」
と、ローレルがシオンの背中に要らぬ一言を付け加えた。
「うるさい! 弟のくせに余計なこと言わないの!」
弟なんだから弟らしくすればいいものを。弟に"鋭さ"なんて要素はまったくもって不必要だ。さりとて、シオンのほうが一枚上手なのも事実、本気で隠そうと思えば隠すことだってできる。
そう。一番大事なことさえバレてなければ問題はない。
◇
セーラリュートの塀は笑ってしまうくらい低い。かといって危険な夜中の街に乗り出す阿呆な生徒もいなければ、塀を乗り越えてまで訓練兵の巣窟に飛び込む
恐らくはその阿呆な生徒第一号であろうシオンは、就寝準備時間に風紀委員長の個室を出て、もちろん見回りの厳しいホールには出ずに、寮の裏手から塀を越えて外に出た。ランナベール南東に位置する兵士養成学校セーラリュートから北に20分ほど歩けば、偽りの愛と金で溢れかえったケンティフォリア歓楽街に入る。シオンは毎夜リュートの寮を抜け出して、いかがわしい店に通う――のでは断じてない。もしかしたらリュートの中にはそういう救いようのない莫迦もいるかもしれないが、最初から嘘だとわかりきった愛の原型とやらを買うために大枚をはたくなんて正気の沙汰じゃないと思う。そんなもの、生きた人形を使った自慰行為以外の何物でもない――というのがシオンの意見なのだが、世の中の牡がそんな真っ当な
「クラウディア、お前な……いくら俺がついてるからって気ぃ抜きすぎじゃねえのか」
「あ、はい……すみません」
シオンの傍らを歩くゴローニャのロッキーは、シオンの勤める店が雇った用心棒だ。いつもリュートから少し離れたところで合流して、店までの護衛をしてくれる。
「まあ、俺がいればお前みてえな細っこいのでも安全に街を歩けるってもんだけどな」
シオンだって兵士の卵だし、自分の身ぐらいは自分で守れる自信はある。か、シオンはセーラリュートの生徒であることも、本名も、誰にも明かしていない。リュートにバレれば即退学になるのは目に見えているし、店側に弱みを握られたらどう利用されるかわかったもんじゃない。シオンをこの世界に引き入れたラサさんだって、何か大事なことを掴まれて無茶な客ばかり押し付けられ、あげく性病にかかって使い物にならなくなり、雑用やら新人の勧誘に回されたのだという。
と、前からゴーリキーとサワムラーとビーダルの三匹組が近づいてきた。
「ヘッヘッ……馬鹿高い金払わなくてもこぉんなところに凄ぇ上玉がグボゲッ」
「残念だがこいつは高いぞ。うちのナンバー2なんでな」
「てめぇ! この天下のぶへっ」
下卑た笑い声とともに近づいてきたゴーリキーを転がるような体当たりでぶっ飛ばし、何か文句をつけようとしたビーダルを
「く、くそっ、まだ何もしてねぇだろうが、卑怯者め……覚えてろ!」
数の上での圧倒的優位を失ったサワムラーは、ない尻尾を巻いて逃げ出した。
三匹で
「ふぅ。危ねえ危ねえ。格闘
「キツイって……瞬殺じゃないですか」
「ケンカだからな。まともに
娼館『蝶の舞う園』
☆男の子はじめました☆
ケンティフォリア歓楽街の中心やや北寄り、今倒れ伏したゴーリキーとビーダルを見下ろすように建っているこの建物が、クラウディアことシオンの勤め先だ。
◇
ことの始まりは、半年前の学費納入期。
事務室に呼び出されたシオンは、そこで校長から驚愕の事実を言い渡された。
「非常に言いにくいのだがね、シオン・ラヴェリア君。ご両親の遺産は次の納入期で底をついてしまう計算になる」
「……はい?」
校長のカメックス、エバージェの言葉の意味がすぐには飲み込めず、聞き返してしまう。
「君も知っての通りだとは思うが、四年前君の御両親はその遺産を全て理事長のリドに託し、君たち兄弟をこのセーラリュートに入学させた。だが、その残額が今回の納入で六十九万ディルとなってしまったのだ。
六十万ディル。十七歳のシオンにとっては目の飛び出るどころか、想像することすらできないほどの大金だ。しかも、いくらシオンが優秀だといってもあと一年で卒業なんてできないから、六十万では済まない。
「私としては、経済的理由で優等生の君を手放すのは惜しい。君の優秀さを力説してリドを説得したんだが、『一ディルもまからん』と……」
理事長のリドは金に汚いとの噂を聞く。学費をまけてもらえる望みは限りなく薄い。この国に奨学金制度なんて存在しないし、なんとしても自分で用意するか、もしくはリュートをやめるか。選択はその二つしかない。
待て。そもそも、シオンが十七歳、ローレルにいたってはまだ十五歳だ。入学した年齢によるけど、セーラリュート卒業試験に合格するのはだいたい二十歳から二十三歳くらいだから、どう考えても早すぎる。母さんや父さんがそこまで考えずにシオンたちをリュートに入れるだろうか?
「あの、僕が入学したとき……最初にいくらあったかとか、聞いてませんか?」
「詳細は私にもわからん。リド以下、資金管理は理事会が行っているんだ、私たち教職員には伝わっていない」
呆然とした。もしかして、理事長は――
「君の言わんとしているところはわかる。私も正直、リドを疑わずにはいられない。校長という立場上、断言するわけにはいかないのだがね」
かくして、学校に通うため、莫大な資金が必要になったのだった。
ローレルには心配をかけないように、
◇
夜のバイトなんてそんな簡単に見つかるのだろうか。ホストにしてもそれ相応の話術やらなんやら身につけなきゃならないし、バーのバイト程度では
牝だったら身体を売るのが一番手っ取り早いところだが、僕は牡だ。もちろん
「はぁい、そこの可愛い仔。ちょっと来てくんないかな?」
「何ですか?」
「声も可愛いじゃなぁい。いい働き口があるんだけど、興味ない?」
働き口。願ってもない申し出だが、見知らぬ若者にいきなり声をかけるあたり、怪しすぎる。
「内容を先に言ってくんない?」
「こんなところを歩いてるわりには慎重な仔なのね……いいわ。わたしはラサ。そこの『蝶の舞う園』って娼館で働いてるの」
「娼館……」
「強制はしないわ。でもあなた、容姿は天下一品だもの。きっといい稼ぎができるわ」
「期待のところ申し訳ないんだけど、僕牝の仔じゃないんで」
「れ?」
ラサの顔が硬直した。
が、シオンにとっては特別なことでもない。そのまま行こうとしたら――
「待って」
蔓で掴まれて引き止められ、無理矢理振り向かされた。
「牡の仔でこんなに可愛いなんて……反則じゃない? こんな掘り出し物を逃す手は……あいや、あなたさっき内容を教えてって言ってたわよねぇ。てことは、仕事探してるかお金に困ってるかのどちらかよね」
「だから、何?」
「牡の仔でもいいから、うちに来てよ。店長に掛け合ってみる」
「牝の仔のふりをしろって? 無理だよ。娼館でしょ?」
「そうじゃなくて。掛け合ってみるってのは、新しく牡娼を雇ってみないかって話よ。客層は広がるし、店にとっても悪い話じゃないはずだから。あなたにとってもね」
「僕にとって?」
「さっきも言ったように、稼ぎは悪くない。うちは一回の基本料金が五五◯◯ディル、そのうち四割が店にいくから、三三◯◯ディルが娼婦に入るの。他の娼館に比べればかなり良心的でしょ?
一回で三三◯◯ディル。月に二十回とれたとして、一年で七九万二千ディル。リュートの年間学費が
安易な選択はできないけど。
他の娼館も料金は似たようなものだったが、娼婦に六割入るというのは正直意外なほど割がいい。他が六割より高いなんて保証はないし、普通に考えてまず五割以下だろう。そもそも、シオンの選択肢は広くない。牡娼を専門的に受け入れている娼館は一つしかないみたいだった。独占となれば経営者側の天下だ。シオンみたいに金に困っているのなら尚更、足元を見られるに決まっている。
「ねえ。まずはうちに来て、話だけでも聞いてくれない? あなた、絶対お金に困ってるでしょ? そんな顔してるもの」
決断の遅い
「――――」
シオンは無言で頷いた。
◇
ラサさんが店に入って数十秒後。
「ですから店長、話だけでも……」
「黙れ。いつから俺に意見を言えるようになった?」
入口の前で待っていると、中からラサさんの声と牡の怒号が聞こえてきた。声は徐々に近づいてくる。
バギャン、と勢いよくドアが開け放たれて、ラサさんが放り出された。
「使用済ごときに勝手な行動が許されると思うか。お情けで置いてやっているということを忘れ――」
扉のところに立った――いや、飛行するバタフリーの牡が、言葉の内容とは裏腹の綺麗な声でまくし立てていたが、シオンを見て言葉を呑んだ。
「お前……か。ラサの言っていたのは」
「ほら店長、この仔なら――」
「お前には訊いていない」
バタフリーはぱたぱたと近づいてきて、シオンの顔を覗き込んだ。
このバタフリー、控え目に言ってもかなりの美形だ。さすがに十代には見えないが、二十代でも三十代でも通用しそうな、ちょっと年齢は推し量り難い容貌をしていた。
「……ふむ。またとない逸材かもしれんな。むざむざ『
『
「……で、お前。うちで働く気があるのか?」
「詳しい話を聞かせていただいてから……」
「いいだろう。入れ。ラサ、お前も来い」
バタフリーに連れられて中に入ると、赤い絨毯にシャンデリアと、豪奢な内装のホールに迎えられた。娼婦たちの視線がシオンに集中する。
「あの仔、新入りかしら?」「聞いてなかったの? あれで牡の仔なんだって」「うそぉ!? 私よりかわいい……」
好奇の視線に晒されながら、階段を下って地下へと進んだ。地下には廊下の片側にいくつかの部屋がある。廊下は狭く、途中、娼婦らしい二十歳ぐらいのギャロップの女性とすれ違ったときは身体が触れそうなくらいだった。
そうして通されたのは一番奥の部屋だ。『店長室』と札が掛かっていた。
「さて。うちは知っての通り、ごく一般的な娼館だ。お前のような特殊な奴は本来雇わない」
部屋に設えられた、背もたれのない、やたらと小さな椅子にとまって、バタフリーは説明しはじめた。
「が、お前を見た瞬間に方針が変わった。今うちは経営が乗ってる。新規事業に手をつけるなら今――いや、経営の話をしても仕方あるまいな。ともかくそういうことだ。うちではお前が牡娼第一号ということになる」
「第一号、ですか……」
「マニュアルもなく、指導する牡もいないということだ。だが――」
バタフリーはやおら立ち上がった。
「『
想像しただけで、背筋にぞわぞわと悪寒が走った。さりとて、まだ名も知らぬこのバタフリーを全面的に信用するのが危険であることは言うまでもない。
「あなたはどうなんですか?」
ここはハッキリと訊いておくべきだろう。シオンと彼の間にはまだ雇用関係は成り立っていない。立場は対等なはずだ。
「ふむ。お前は仕事ができそうだ。俺が欲しいのはただ従順なだけの道具じゃないからな」
「質問に答えていただけますか?」
「俺か? 俺は……一言で言えば、
何故か胸を張って、自信満々に宣言するバタフリー。
「……
「まあ待て。俺は奴とはかーなーり違う。どれくらい違うかって、ド助平と不感症くらい違う」
「不感症……?」
「うむ。若い頃のトラウマでな。これだけ牝どもに囲まれていても
「はあ、それは……」
このバタフリーの過去に何があったかなんてどうでもいい。さっさと仕事の話をしたらどうなの。こちとら起床時刻の前にはリュートに戻らないといけないんだから。余計なこと訊かなきゃよかった。
「要は安心しろということだ。俺は商品には手を出さないし、出そうとも思わない。ラサのように飼い主の手を噛んだりしない限り、俺はユーモア溢れるいい主人だ」
自分でいい主人などというやつが一番あやしいのだが、このバタフリーが言うと何故か信用できてしまう。物腰こそ荒っぽいものの、悪人には見えない顔立ちや雰囲気を纏っているせいだろうか。
「で、給料云々は……ラサ。説明したのか」
「はぁい、基本料金のことだけですけどー」
「きちんと返事をしろ」
「……はい」
でも、ラサさんに対する態度は何か違う。飼い主の手を噛んだと言っていた。
「基本はラサに聞いての通りだ。一回につき、客から支払われた5500ディルのうち3300ディルがお前に入る。一回というのは客
「十時から――」
就寝準備時間の九時半に抜け出すとして、起床時間の六時にはリュートに戻っておかなければならない。睡眠時間も必要だ。
「――二時半ぐらいまでなら」
「四時間半か。九時からは無理なのか?」
「ええ……申し上げられない事情がありまして……」
「そうか。いいだろう。勤務時間まで考えているということは、働く意思はあるということだな?」
「え、あ……それは――」
彼の話を信用するならば、シオンには行き場所がないことになる。あんな話を聞かされては、もはや『
「……はい。もう覚悟はできています」
「ふん、覚悟か。どれほどのもんだか……」
バタフリーは急に厳しい顔つきになった。
「牝どもの中にはそう言ってうちに来て、
「……大丈夫です。どんな苦難にも耐えてみせます」
シオンは周りがほとんど上級生ばかりの中、厳しい訓練をこなしているのだ。セーラリュートでは、学年とは独立して科目ごとに『受講ランク』が存在する。これは完全実力主義で、シオンのように成績優秀な者は学年が低くとも『卒業試験対策実戦演習』等の最高レベルの講義を受けられるが、
「よかろう。その言葉、信じてやる。んじゃ正式契約にあたって……とりあえず名前と歳を教えろ」
「十七歳です。名前は――」
ここで本名を明かして、リュートに在籍している事情が知れるとまずい。かといって戸惑うと怪しまれるし――
「――アスターです」
口をついて出たのは、幼少の頃の呼び名だ。両親はどういうわけか、ずっとシオンのことを本名で呼ばなかった。シオン自身も、母が死に際にその名を告げるまで、シオンという名は知らなかったのだ。両親が与えたほんとうの名。
「ほう。十七か。牡娼としちゃ遅咲きだが……お前はもっと幼く見えるからな。客に年を訊かれたら十五と答えろ。いや、ちょっと細工すりゃ十四でも通るな。ラサ、こいつには子供っぽく見えるメイクをしてやれ」
「はぁい」
十四は無茶じゃないのか。十五歳のローレルよりも下だ。いくらなんでも、僕の方が弟だと間違われたことはない。姉と勘違いされることは日常茶飯事だが。
「何だ。十四は無茶だとでも思っているのか」
「い、いえ、べつに……」
「無茶じゃない。さっき部屋の前ですれ違ったギャロップの牝がいただろう。あいつはお前と同い年だ」
「え……と」
記憶を辿ってみる。すれ違いざまバタフリーに頭を下げた、二十歳過ぎくらいの――
「あ、あのひとが!?」
「上下三歳ぐらいなら簡単にごまかせるってことだ。中にはロリコン野郎もいるだろうが、大抵の牡は魅力ある大人の牝を好むらしいからな。だが、不思議と牡色のやつってのは少年を好むようでな。牡娼の寿命は普通二十歳になる前に終わる。もっとも、それから
貴族といえば、バタフリーの耳触りのいい声もどこか貴族じみている。
「んじゃ、早速試しにメイクアップしてみるか。ラサについていけ」
「はい」
ラサに続いて部屋を出る間際、バタフリーが思い出したようにシオンを呼び止めた。
「そうだ。大事なことを忘れてた。俺の名はラ・レーヌ・ド・リークフリート。あんまり大事でもないか。ともかく、これからは店長と呼べ」
ド、だって?
偽名じゃなかったら、本物の貴族じゃないか。リークフリートという拝領名は、確かコーネリアス帝国の……あれ? 滅びた貴族じゃなかったっけ。違う。アシュナラ先生の話では、滅びたのはリークフリートじゃなくてランクブリッド家だったか。や、違う違う、ブレックファスト家だ。あれ、おかしいな。ブレックファストとか朝ご飯だし。ブレックファストなんて貴族はいなかったような。ハゲめ。もっと僕の記憶に残る喋り方をしろ。
内心でこの件に関してまったく無関係な某歴史マニアハゲに毒づきながら、シオンは店長室をあとにした。
◇
「はい、これで完成っ」
鏡に写った自分の姿を覗きこんで、ひっくり返りそうになった。
「こ、これが……僕!?」
睫毛が上に上げられて目はぱっちりと、真っすぐだった全身の体毛は進化したての頃みたいな、ふんわりと軽い感じに仕上げられて、逆に放ったらかしで複雑に絡み合っていた飾り毛は櫛で
そこにいたのは、ちょっと背伸びして大人の
「や~ん、かわいい! キミ、もともとかわいかったけど、わたしの腕もなかなかのものでしょ?」
「そ、それは、べつに、や……はい。ラサさんってこんなことできるんですね」
「やばいよぉ、食べちゃいたいくらい~」
「調子に乗るな。俺の大事な商品に手を出してみろ、今度こそ路頭に迷うことになるぞ」
背後からの声は突然だった。シオンたちはさっきまで鏡を見ていたから、本当に今この場に現れたことになる。
「あ、えーと……て、店長」
「おお。こいつは予想以上だ!」
ラ・レーヌは燐紛を舞わせながら羽ばたいて、歓喜の声を上げた。その
「これは契約書だ。こんな街でもルールがあってな。ケンティフォリア歓楽街で正式に営業している店は娼婦の登録名簿を出さねばならん。お前の目で確認しろ」
渡された紙は種族、年齢、名前、勤め先が記述された簡単なものだった。名前欄には――
「――クラウディア?」
「この店でのお前の名だ。本人確認さえ取れれば本名は不必要ということになっている。娼婦の中には素性を知られたくない奴もいるからな。アスター、といったか。お前の名だってどうせ偽名だろう」
「そ……それは」
見抜かれていたのか。
「構わん。それより、だ」
ラ・レーヌはシオンの
「ひとまず今日のところは空いてるやつを使って、基本教育をやってもらう。ラサ、予約の入ってないやつは何人いる」
「えぇとぉ、ネージュとブルームーンと……あ、珍しくシャポーが空きになってます」
「ほう。お前は運がいいな、クラウディア」
「え……?」
「シャポーはうちのNo.1だ。ほとんど予約で埋まってて、なかなか指名できない。本来、お前みたいな仔供と寝てくれる相手じゃないんだぞ」
「な? の、ぬ、ね……寝て!?」
「何を驚く。教育だぞ教育。教育といえば何をおいてもまず実習あるのみッ!」
や、そんな高らかに宣言されても困るんですけど。ていうか、実習って普通ある程度知識を身につけてからやるものじゃないのかな。
「よし、そうと決まればさっさとシャポーを呼べ。部屋はいつも通り、最上階の隔離室だ」
「わかりました、店長」
シオンがまだ事態を正確に整理できていないってのに、ラサはてきぱきと答えて部屋を出て行った。
スカウトされたその日にいきなりこんなことになるなんて。覚悟はしていたけど、心の準備ってものが全くできていない。
鏡に目をやると、不安と焦躁を内包した琥珀色の瞳がこちらを見つめ返していた。
◇
『体格差プレイ』により特殊料金千ディルが発生するからこっちは構わないのだが、自分の足よりも細いやつと寝て何が楽しいんだか。
「オラオラ、ちゃんと
自称二十五歳のニドキングこと六千七百ディルかける六割は、とびきりの悪相を歪めて声を荒げた。
契約初日――ブースターのシャポーさんが言ってた。
――いいこと? 相手が二目と見られぬ不細工な顔だろうと、臭かろうと、絶対に嫌な顔をしちゃダメ。嫌がる権利は私達にはないの。相手に明らかに性病の疑いがあるときだけは、店に言えば拒否できるけどね。
「ごめんなさい……わたし、口が小さくて」
こうして客の好みに合わせて牝口調にすることもある。女性の娼婦がその逆をすることも
「ヘッヘッヘッ……
四千二十ディルは、悪相に負けるとも劣らぬ醜悪なモノは、シオンの胴回りほどもある。入るわけあるか。直視することすら厭わしいことこの上ないが、物欲しげに見つめてやるのが職業上の責務であって。
四千二十ディルは壁の時計に目をやると、シオンに向き直って嫌らしい笑みを浮かべた。
「そうだな。まだ時間はあるし、クラウディアちゃんをもう一回イかせてから、最後にその綺麗なカラダに……グフフ」
やっぱりそうなるわけ? ここまでの体格差があれば、それしかないか。
「そんな……わたしには勿体ないくらいです」
俯いて顔を隠し、頬を赤らめるフリをする。
「あっ、でも……わたしの顔にかかってしまったら、料金が高くなってしまいますよ……」
「おお。そーいや顔射は二千ディルだっけか。オレのハイパァーマグナムの火力だとかかっちまうかもなァ」
四千二十ディルの言葉に、嫌悪感から背筋に悪寒が走って身体が震え、毛が逆立ってしまった。
「どうかしたのか?」
「いえ……少し緊張してしまいまして」
「初心なオトメってか。へへへ……なァクラウディアちゃん。さっきの話だけどな。固いこと言わずにサービスしといてくれよ。店に言わなけりゃわからねえだろ?」
「いえ……わたしたちの主人は隠し事を極端に嫌っていまして……バレたら何をされるか……」
客と部屋に入ったら、できるだけ職業意識は捨てなさい。とくに、客の前で仕事色を出しちゃダメよ。恋人になったつもりで、嘘でも偽りでも愛を注ぐこと。
こちらも仕事だから、などと言って雰囲気をぶち壊し、
「クラウディアちゃん、そりゃあ店長サンに脅しかけられてるだけだぜ。ここは密室だ。バレやしねえよ。大人ってのはズルイもんでなァ。まだ十四歳のクラウディアちゃんにはわからねえかもしれねえけど」
それは店の儲けのための指導だということを指摘しているのか。十四歳設定だからって世間を知らないとでも?
「いえ、でも……そういうわけには」
「仕方ねえな。顔は狙わねえから、もしかかっちまったら払ってやるよ。その歳でこんなことやってるぐれえだ。クラウディアちゃんも金が必要なんだろ?」
自分と弟の学費がかかっているんだ。シオン十一歳、ローレル九歳でセーラリュートに入学して、ここまで六年間もやってきたことを無駄にするわけにはいかない。
一滴でもついたら二千ディルだ。ここは巧みに回避して、僅かだけ顔にかかるようにすればいい。たまらなく嫌だが。
「んじゃ、もう一回クラウディアちゃんのいい声を聞かせてもらおうか」
千五百ディルの六割、九百ディルを追加して四千九百二十ディルとなる予定のやつは、下卑た笑い声を立てながらシオンを仰向けに押し倒した。
「
ヘラヘラとだらし無く笑いながら、四千九百二十ディル(予定)は巨大な顔をそこへ近づけてくる。
「そんなに近くで……見ないで下さい……」
目を逸らして恥ずかしがるような仕草をする。シオンには理解できない感覚だが、牡と牝とにかかわらず、鬼畜なやつはやるなと言われるとやりたくなるらしい。
「それは無茶な注文ってやつだぜ。ちっこすぎて近づかねえと見えねえじゃねえか」
「はひ……」
「そう怖がんなって。最初にやったのと同じだ」
四千九百二十ディル(予定)は言うが早いか、分厚い舌を出した。自らの前肢のツメほどもないシオンの
「きゃっ――」
あなた、本当に男の子なの? 私のテクを前にして全然反応しないなんて。男の子同士が好きだったり? え、違う?
シャポーさん曰く、一般的に牡は生理的欲求から、牝は精神的強固な結び付きと、自分に注がれる、もしくは自分から相手への強い愛情を感じるためにやるらしい。それが偽りであっても構わないと考えるか、本物でなければ嫌だと思うかどうかは
シオンは明らかに後者だし、好きでもない相手にいくら誘われたって身体も心も反応してくれない。娼婦には不向きだろう。
そこで、客と部屋に入る前には必ず強力な媚薬を服用している。それでもやはり強くなるのは肉体的な刺激のみで、快感や満足感といったものは全く感じられない。
いいわ。私たちだって同じだから。いくら頑張って快楽に埋没しようと思っても、相手によってはやっぱり無理なときもある。でも、何も感じなくたって感じているふりをして、相手を満足させなきゃいけないの。そうでなくとも、特殊プレイなんて無理に客の性癖に合わせなきゃならないんだから。
「あっ、ん……やんっ」
客を
「みゃあぁっ!」
これだけ体格が違えば膂力の差も半端じゃない。痛くて気持ち悪くて、それでもクスリの効力で頂点に達して、四千九百二十ディル(予定)の胸にはき出された白い液体は、僅かな量でしかなかった。僕の体は空っぽで、空の中に敢えて何らかの感情を見出すならば、それは"虚無"とでも呼ぶべきなのかもしれない。
それが僕の答え。彼女たちのように、自らの内なる世界に偽りの快楽を作り出し、自分自身を騙すことはどうしてもできなかった。ならば、遊離してしまえばいい。僕の目に映るのは、天井から見下ろす風景。"彼"はクラウディアという名を与えられた
「なんだ、二回目でこんなちょっとになンのかよ。あーあー、俺のマッスルにかかっちまったじゃねえか。やられたらやり返すのがこの世界の掟だよなァ」
四千九百二十ディル(予定)は
ハァハァと息を荒げて、悦に入った濁った瞳がこちらを見つめている。
「ぐっ……」
四千九百二十ディル(予定)は低く呻いて思いを果たし、横向きに屹立した極太の柱から、大量の白濁液を噴出した。
上手に躱して、一滴でも顔についたら追加料金を請求できるというギリギリのラインで――
「い……いやあぁぁっ……!」
そんな。やだ。それは嫌だ。なんだこの量は。避けるどころじゃない。
襲い来る濁流に為す術もなく、耳の先から尾にいたるまで、怖気の走るような臭いを放つ粘性の液体に塗れた。
これは――いや、あれは。違う。人形だ。僕じゃない。人形だ。人形。人形。人形。人形。人形。人形。人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形――――。
ほら、人形は痛みを感じない。恥辱も感じない。鼻が曲がりそうな臭気も感じない。
◇
コン、コン。
ドアのノック音だろうか。聴覚すらも、どこか遠い。
「お客様、お時間になりました」
「ハァ、ハァ……今終わったとこだ!」
シオンは動かない。動けない。人形だから。四千九百二十ディル(確定)が出てゆき、入れ代わりにラ・レーヌが部屋に入ってくるまで何もしなかった。何も考えなかった。
「うっ……これはひでえ」
部屋に入ってくるなり、ラ・レーヌは
「あの野郎、普段何食ってやがるんだ。こちとら娼婦に食事制限をかけて体臭の原因になるモンは一切食わさねえようにしてるってのに、こんなことされちゃ困るな。やはり体格差にも上限を設けたほうがいいか……追加料金は体格、口調、顔と……シーツ代も請求しないとな」
ラ・レーヌは伝票に素早く書き込んで、ベッドに近づいてきた。
「おい」
何も聞こえない。
「クラウディア」
何も考えたくない。
「どうした? 早くシャワーを浴びて身体を洗え。急がねえと帰るのが間に合わないんじゃないのか?」
何も――
「はい……」
――何も考えたくないのに。
◇
クラウディアが浴室に入ったのを確認して、ラ・レーヌは一階ロビーに降りた。
「お待たせいたしました」
ニドキングに一礼して、カウンターのラサに伝票を手渡す。
「基本料五千五百ディル、オプション料が計二千七百ディル、シーツ代二百ディル、合わせてお会計8,400ディルになります」
「待てよ。何だシーツ代てのは。オイ店長サン」
「
「ちっ……細けえな。しゃあねえ、払ってやるよ」
ニドキングは五千ディル金貨二枚で支払いを済ませ、釣りを受け取るとラ・レーヌの方へ向き直った。
「
「あー、そのコトなんですがね。お客様はもうクラウディアは指名できないんですよ」
「何だと?」
ニドキングの顔が瞬時に驚きと怒りの色に染まった。
「てめえ、そりゃどういう意味だ?」
ニドキングは声を低めて、胸を反り返らせ、威圧するようにラ・レーヌを見下ろした。
そんなことでこの俺がビビるとでも思っているのか。これだから庶民は困る。
「申し訳ありません。お客様ほどの体躯を誇る種族の方がクラウディアを指名なさった前例がないものでしてね。今回の件をもとに、『体格差』に上限を設けることに決めたんですよ」
説明しながら少しずつ高度を上げ、目線を合わせる。口調こそ丁寧にしているが、舐められるつもりは毛頭ない。
ラサに目で合図を送り、待機中の用心棒を呼ぶように促した。
「俺が異常だって言いてえのか。ふざけんなよ。ジョーダンだかボーゲンだかしらねえが冗談じゃねえ。金さえ払えば文句ねえはずじゃなかったのか」
「貴方からみれば娼婦はただの性処理の道具なのでしょうが、私にとっては大事な商品なのでね。貴方のためにクラウディアが店にもたらす利益を失うわけにはいかないんで」
「あ? 俺は壊してねえだろうが。
理解力のない奴だ。
「娼婦ってのは体臭に気を使っていましてね。普段からほとんど菜食。食肉目のエーフィなんかにはこれがなかなかキツいんです」
と、ラサがロッキー以下数名の用心棒をロビーに連れて来た。
「企業努力ですよ。クラウディアはもともと艶っぽい色香を持ってましたがね。あれまで完璧にするのにさっき言ったような食事制限とか、半身浴による体内の老廃物やら蓄積物質の解毒とか、いろいろやってるんです。貴方にクラウディアをこれ以上買わせたらそれも全て水泡に帰してしまう」
「俺に分かる言葉で話しやがれ。このインテリ気取りが」
「端的に申し上げますと……庶民の下劣な言葉はあまり使いたくないのですがね。あれだ、てめえは臭すぎる。クラウディアに臭いが移ったらどうするんだっつーンだよボケ。これでクソ庶民の貴方にもお分かりいただけましたでしょうか」
「てめえ――!」
ニドキングの顔色がサアッと赤い色に染まった。まったく、わざわざ目線を庶民に合わせてやったというのに失礼な奴だ。
ニドキングは
「ウギャァアッ!」
用心棒に取り囲まれていたことに気づいていなかったのか、ドータクンの神通力に支配された体を無理に動かそうとしたことで、関節が外れてしまったらしい。
「
「かしこまりました」
ラサがドアを開き、左前足で右前足を押さえて痛みに顔をしかめるニドキングに、ロッキーが捨て身タックルをかました。ニドキングの巨体は見事にケンティフリア歓楽街の喧騒へと放り出され、通行人を巻き込みつつ転がって、ポケモンたちの注目を集めた。
お客様は神様だとか言う奴がいるが、そんな綺麗事が通用するほどこの国は甘くないのだ。舐められたら終わる。売る側も買う側も、いかに自分が損をしないように立ち回るために気が抜けない。
「……ラサ。クラウディアの様子を見てこい」
ドアを閉めて、用心棒を配置に戻した後、クラウディアの状態が心配になってラサを向かわせた。
「はい」
あれは普通じゃなかった。当たり前だ。いくら汚され犯されることに慣れていても、限度というものがある。何たって全身だ。
「俺だったらクビを覚悟でねむりごなしびれごなどくのこなの連結でメタクソにした後ゲンガーを呼んで悪夢を見せつつフシギバナに宿木の種を植えさせてキュウコンの鬼火で火傷を負わせ、じわじわとなぶり殺しにしてやるというのに」
「あの……店長?」
「いいからさっさと行かんかこの馬鹿者」
ラサが階段を上がっていくのを見ていて、クラウディアを商品とは割り切れなくなっている自分に気がついて驚いた。
雇用被雇用の関係と私的な関係は全くの別物としてきたのがこれまでの俺の方針だったんだがな。
◇
嫌なら辞めればいい。
何度そう思ったことかしれない。他にもっとやり方があるはずだって。
僕には向いていない。
だからといって、容姿以外に取り柄のない僕が他に何をしろと?
この世界に入って知ったのだが、本番行為に及ぶことの一切ない健全な店なんてランナベールにはない。話術以前に、表向きはホストクラブでも客が望めばそれ以上の行為を許すような所ばっかりだ。
じゃあ、辞めてどうする。この国の流儀に従って、弱者から金を巻き上げるか。殺して奪うか。
仮にも国の治安を守る兵士の卵が、そんなことできるはずない。できない。僕には。何の罪もないポケモンから何かを奪うなんて。
傷つくのは自分だけでいい。でも、理事長のリドだけはいつか殺す。私兵隊に入って、要人警護の任務としてリドに接触する機会があれば。地位を上げて信用を得ればきっと、ごく普通にリドの所へ出入りできるようになるかもしれない。
ここで投げ出したらこれまでの辛苦の日々が水泡に帰して、リドに顔を会わせることすらかなわなくなる。
自分から飛び込んだんだ。儲けはいいし、学費も
それにしても、理事長のリドもエバージェ校長も不思議に思うだろうな。どこにこんな大金があったのかって。
いいや。払ってれば文句ないでしょ。少なくとも金の亡者リドさんはね。
と、低いクッション席*1)に丸まって寝ながらもそんな事考えてる自分が正直嫌になる。
「ラーヴェリーアーァアアアーァァァーーァアーーーーーーさんッッ!」
「ひにゃっ」
バグオングのウルセン先生が怒ったときの声はもはや声ではない。
「寝ェエエるなアァァァーァアアアアァァアアアーーー!」
爆音だ。凶器だ。むしろ狂気だ。こんな声を出せる大人の頭の中が正常なはずない。
「ふみゅう……」
昨夜はあんなコトがあって、いつもよりさらに睡眠時間が削られたんだ。『音楽』などという兵士に全く以て必要なさそうな授業で寝なくてどこで寝るっていうの。
「オイーーィイイイィー! テーメェ先ッ生エーをナァアアァアァァーメてんのかーー?」
ずかずかとシオンの席まで近づいてくる気配がした。
しかし、この先生はこれで四十代中盤のオバサンであり、よって歴史のハゲ先生よりはかなり御し易い。
「みゃぁ……」
薄目を開けて甘えた声を出して。
近づけてきた顔に熱い吐息を吹きかけてやると。
「こ、この仔ったら……」
「どーしたんですかぁ、先生……顔が赤いですよー……」
「う、うーるさアアアーアァァーアァアアァァァーいッ。とーにかっくゥウウウウゥゥゥーーーー、起オオオォォォーオオォきたアーアーアーアァァァアならいいわ!」
そしてこれ以降お咎めなしとなり、テスト前に誘惑しとけば単位ももらえる。
我ながら、これなんて外道。
それじゃ。
お休みなさーい。
◇
「えー、今年の我がクラスの出し物はベタですが劇ですね。シナリオがついに完成しました! 今日はみんなに台本を読んでもらって、配役を決めたいと思います!」
学級代表のテリーアが教壇に立ち、プクリン特有の大きな瞳を輝かせて声高に叫んだ。同時に、わーとかいぇーとかひゃーとかいうそれに勝るうるさい声が教室に響き渡る。
文化祭が近づいてはしゃぐ女子は嫌いだ。それに乗じて羽目をはずす男子も嫌いだ。ついでに教室の隅でそれを温かく見守っているつもりでいる教師も嫌いだ。なんて、どこかの誰かさんが言っていたのを聞いたことがある。
台本が配られてきた。真剣に読みはじめる隣の席のグヴィードを尻目に
「うほー! なあシオンシオン、キスシーンあるぜキスシーン!」
ちなみに言動から分かる通り、グヴィードは主人公のヒロインとキスをする相手に立候補するつもりのようだ。最後のページの配役にはに水ポケ限定って書いてあったような。てか、シオンは話を読んでいないのでわからないけれど、内容から気づかないかな普通。
「そう」
「何だ反応うっすいなあ。キスだぜキス!」
「どうせ真似だけでしょ。学園祭なんて」
「こらそこ
テリーアの声が飛んできた。他の生徒も皆がやがやと話してるってのに、なんで僕たちだけ。その前に、妄想しているのはグヴィードだ。僕は知らない。
「僕はべつに……グヴィードが勝手に言ってるだけだよ。ヒーロー役は水ポケ限定だとも気づかずにさ……」
「ぬゎぬぅぃい!?」
「はーい残念でした。あなたは大人しく大道具か音響でもやってなさい」
「あ、僕音響希望」
「そして勝手に決めない! 後から希望を……」
が、テリーアの注意もむなしく、シオンたちのやり取りを見ていたクラスメイト達が口々に希望を言い始めた。
グヴィードみたいな阿保か余程の目立ちたがりやでもない限り、決まって人気があるのはなせか主役ではなく通行
「つーかシオンてめえ何真っ先に音響希望してやがる音響って顔じゃねえだろてめえフツー主役じゃねーの?」
からからと何かが回転しているような機械的な声で、早口に申し立てたのはマルマインのパツだ。マルマインという種族は
極東の島国陽州では直立二足歩行のポケモンが多く、その傾向がより顕著に表れている。一部の貴族を例外として、鳥ポケモンや四つ足のポケモン、水棲ポケモンは信じられないほど待遇が悪いと聞く。
南の海に浮かぶナタス大陸には、直立二足歩行のポケモンが少ない。エスパータイプ優位――かと思いきや、エスパーが刃向かえない悪タイプのポケモン達がエスパーを奴隷として使役している。
陽州に関しては外交を殆ど閉ざしていて、大陸各地に亡命したポケモン達から
話が飛躍したが、とにもかくにもいちゃもんをつけてきたパツを軽く後足で蹴飛ばしてやると、面白いように転がっていって教室の壁にぶち当たった。
「いてーなてめえシオン雷落とされてえかこらクソボケ死ね」
「
「転がってやんのアヒャヒャヒャ。俺様のシオンに逆らうからだぜ」
「んだとグヴィードてめえも雷で黒コゲにしてやる」
「アヒャ。できるもんならやってみろーい」
「てか僕を所持する権利なんかきみに与えてないんだけど」
「なんだよ親友だろ? いいじゃんかよ」
「何が親友だ明らか気持ち悪がられてんだろ友情ごっこはもう見飽きたんだよボケそれともなにかてめえら付き合ってんのかああ?」
「だ、だれがこんなのと……っていうか僕は牝じゃないって何度言っひゃら――ほよ?」
途中で何かにほっぺをつままれた。
「あなたたち。いつまでクラスの調和を乱し続けるつもり? 先に進まないじゃない。わお、これはいいふさふさ」
プクリンの丸い目を三角にして怒ったテリーアだ。シオンの頬とふさふさの飾り毛に無断で触るとは無礼極まりない。しかももともと悪いのはパツとグヴィードで、シオンは巻き込まれただけの被害者なのに。そのシオンを彼らと一緒どころか代表として槍玉に上げるなんて理不尽だと思う。つまりはあれだ。注意するのをいいことにシオンに触りたいだけなのだ。
シオンはテリーアの手を前足で払いのけた。
「異性の体に気安く触るなんて信じらんない」
ついでに後に固まって座っている女子生徒に、涙目助けを求めるような視線を注ぐのを忘れない。
「そうよテリーア、あんた下心見え見えなんだから」
「サイテー」
「ちっ、違っ、私はそんな……む、無実よ!」
テリーアは辟易して弁解を始めたが、こうなったらもはや後の祭りだ。すでにテリーアVS全牝仔生徒という構図が出来上がってしまっている。
「やっぱお前やるなシオンアヒャヒャ」
「やるっていうか当然の主張ってやつだ。こういう時って牡の方が立場弱いからなかなか通らない。牝牡差別だぜこれ」
グヴィードと、両親がナタス出身のコモルー、ウュルッエもシオンの味方になった。
「よしシオンてめえ牝牡差別撲滅運動起こせ俺達牡の権利を主張するんだあとついでにマルマインに足をくれ」
昨日の敵はなんとやら、数分前の敵も味方だった。
でも、こんな仲間に囲まれて馬鹿やりながら過ごせるのもあと一年だ。一年で卒業試験にパスして私兵隊にでも就職して、その後は健全なお金でローレルを通わせて、いずれ私兵として一緒に働いたり……できるといいな。
とにかく、今やってる夜の仕事がいつまでも露見しないとは限らない。できるだけ早い方がいい。少し惜しいような気もするけど、きっと別れの分だけ新しい出会いも待っているに違いない。
「はーい……今度こそキャスト決めまーす……私が順番に希望を募るから……手を上げるなどして意思表示してください……」
精神的にボコボコにされたテリーアは、残っていない力を無理矢理絞り出すような声で司会に戻った。
「まず陸上四足歩行ヒロインと水棲ポケモンのヒーローから……」
ちなみにセーラリュートはほとんどの廊下が二重構造で、下層には水が通されていて、水棲ポケモンの通路になっている。床には所々四角い穴の空いている部分があって、水棲哺乳類ポケの息つぎに使われたり、もちろんコミュニケーションも可能だ。教室では、後側にプールが設けられていて、下層から続いている。セーラリュートは海辺に建てられたからこそ実現したインターニッチ*3な学校なのだ。
気まずい沈黙が続く。
誰も立候補者が出ず、会議を延長した挙句、推薦で大人しい仔に押し付けるか抽選という展開が予想される。
まあ、僕みたいにいじめの類を黙って見過ごせない奴がいるから、十中八九抽選になるだろう。
そんな中、沈黙を破る馬鹿がいた。
「アヒャ」
高々と
「ちょっとグヴィード、私の話聞いてた? そして台本ちゃんと見た? ヒーローは水棲ポケモンなのよ」
そこまでしてキスシーンがやりたいのかと呆れるしかない。
が、今回のグヴィードは違った。いつもの馬鹿さ加減が三倍増しだった。見事に先の予想を二つとも裏切ってくれた。
「違うってーアヒャヒャ。おもしろいこと考えたんだよォヒャッヒャヒャヒャヒャヒャ」
グヴィードは皆の視線を集め、シオンに目配せした。
「シオンをヒロインにしようぜっ。そんでヒーロー役は女子にするんだアヒャヒャヒャ」
なるほど、僕が……ヒロイン!?
「ふーん……グヴィードにしては面白い提案ね」
「見たーい」
「シオンくんならいけるよー」
「半分女の子みたいなもんだしな」
「おーこれでついにモノホンじゃねーかモノホンって何だよあれだオカマだオカマ」
「アヒャ。てことで頑張れっ、シオン♪」
なんで満場一致なんだよ。
「ちょっと待って、僕の意思は無視? ていうか牝牡逆転みたいなコトしたら余計決まらなくなるじゃない」
「うーん……そうねえ。牡役に立候補したい
だから僕は? 決定稿なわけ?
ま、いいや。どちらにしても、ヒロインでさえ立候補が出なかったこのクラスで牡役なんてやろうとする牝仔なんていないだろう。グヴィードの愚案は惜しまれつつもめでたく却下というわけだ。
「あ、あの……」
だが、そうは問屋がおろさなかった。あろうことか、どんなクラスにも
「コカさん、何か質問?」
意外な現象にざわざわしていたクラスが静まり返る中、テリーアは冷静に答えた。そうだそうだ。コカさんが立候補なんてまさかねーあははは……
「私……し、シオンくんがヒロインなら……やってもいいかなー……って」
……は。
や、ちょっと待ってそれどういう意味?
「オイオイオイ
「や、地味なやつとかそういう言い方は良くないよね、うん。それに誰が誰に告白したって? ねえコカさん誤解されちゃってるよ。何とか言ってあげたら?」
プールの方に目をやると、コカは顔を真っ赤にして、水の中へ体のほとんどを沈めていた。
「おーい……」
「うわマジだぜあいつつーかバカだろお前みたいな芋いヤツがシオンなんか射止められるかっつーのカスゴミクソアホボケ死ねぇんぇんぇッ
途中からはテリーアのはたく攻撃により超速度で転がってゆきながら喋るもんだから、語尾にスペシャルな音響効果がついて皆の笑いを誘った。でも当の本人にしてみれば怒っていないように見えても内心穏やかではないはずだし、立場的にも気分的にもシオンは笑えなかった。テリーアが止めていなければシオンが釘を刺すつもりだったのだが、そこはマジメ委員長キャラの方が説得力も迫力もある。
「パツ、あんた言い過ぎよ。みんなも笑う所じゃないでしょ! コカさんがせっかく立候補してくれたってのに……」
「待って。私も立候補するわ。コカさんにシオンくんを渡すわけにはいかないもの」
「あら、あなたも彼に気があるの?」
「な、なによ。そういうあなただって最近ひそかにファンクラブに入会したそうじゃないの」
「な――なぜそれをっ。仕方ない、私も立候補……」
「てゆーかなんで水棲ポケなの!? 台本書いたやつ誰よ?」
「こらこら、喧嘩しない!」
テリーアの注意もむなしく、牝たちの醜い争いが始まった。脚本を書いたサニーゴのリーフがまず詰られ、それまで蚊帳の外だった陸生生物ポケモン達も参戦して、何故か村娘とヒロインがキスするシーンを作れとか、首を絡め合う*4シーンが要るとか、無茶な百合展開(ヒロインは牡だけど)の要求まで飛び出しはじめた。
「あのう……ファンクラブとか存在自体初めて知ったんですけど……しかも僕まだヒロインになるって決めたわけじゃ……」
もはやシオンの意思が介入する余地はなくなっていた。
◇
最終的に、ヒーロー役は公正なくじ引きの末に結局コカに決まり、オープニングで村娘と口がぶつかってキスしてしまうシーンが入り、何故か抱き合うシーンも最後に入れられた。
あとは脚本のポケモンに任せるしかあるまい。
問題は、ゴタゴタの中で気づかぬうちにシオンの配役が固定されてしまっていて、ヒロインなんかやだ、なんて今更言い出せない状況に追い込まれたということだ。しかも、このままいくと村娘役に決まった牝とキスして、コカともキスして、親友役の牝とも首を絡めあわなければならない。
冗談じゃない。女っ気がなく、かつ変態のグヴィードなんかには逆に嬉しいかもしれないが、いくら仕事で慣れているからって嫌なものは嫌だ。好きでもない牝とそんなことしなくちゃならないなんて。だいたい、女子たちの下心は見え見えなのに、何故誰も止めてくれなかったんだろう。なりゆきだから仕方なかったのかもしれないけど……そういえばそのなりゆきの元は誰が作ったんだっけ。
「ほんっときみのせいだよ全部きみが悪いついでに気味が悪いしきみの顔」
「おっ、パツのモノマネかよアヒャヒャ。キミキミキミキミってすげえ回転」
あれから数日が経ったのちの昼休み。
いつもながら、どうしてこんなのと友達になったんだろう。昼食はグヴィードと
「そういうことにしといて……」
劇の脚本が修正されたあと、すでに練習に入っている。シオンをはじめとした男子陣と、ヒロインとの絡み役を取り損なった、一部を除く女子陣のやる気のなさのお陰でグダグダ度は最高潮だ。
「感謝してくれよぉ。オレの天才的アイディアでシオン、主役だぜ主役。来年卒業試験受かったらセーラリュート史上最速でオレ達より一足も二足も早く卒業だもんな。最後の文化祭かもしれないんだから楽しめよぉアヒャヒャ。オレなんか大道具だぜ大道具。きついばっかで目立たねーしよ……」
最後の文化祭、か。毎年、ちらほら卒業者がではじめる上学年クラスはそれなりに盛り上がっている。が、シオンたちのように通常は卒業までまだまだかかるような十代の学年は、一クラスか二クラスは真剣に取り組むところがあるものの、ほとんどはシオン達のクラスのような状況である。
「肉体的に辛いだけでさ、音響の次に楽だと思うよ」
「つーか全員やる気なさすぎだぜ。あれじゃ脚本もったいなくね? いい話なのになー」
「グヴィードにストーリーの良し悪しを解する知性があったなんて意外だよ」
「シーオーンー……やっぱお前だってゼッテー。お前がやる気出したら皆ついてくるぜっ。だいたいお前さ、一応牝役なんだぜ。台詞言う時とか仕種とかもっと女の子っぽくできねーのかよぉ」
できるよ。仕事で練習したから。
――とは、言えない。
「やってみたら難しいんだから。牝みたいな声だそうとしたら変に上擦っちゃったりしてさ」
「いやいや上擦ってすらいねーっつーかもっとこう――」
グヴィードは一つ咳ばらいをして、アヒャヒャヒャヒャと甲高い声を出してみせた。
「うわ気持ち悪っ。てかそれ確かに高いけど声色は牡のままだし……音域の広さだけは尊敬してあげるけど」
「アヒャ。でもシオン、まだ声変わりしてねーだろ。お前ならいけるって」
声変わり。ちゃんとしてくれるんだろうか。友人などとこうして話すときはトーンをかなり下げているが、若干無理をしているせいか声量がでない。授業の場や目上の
「うるさいな。ひとが気にしてることを……」
「アヒャヒャ。そんなもん活かせることなんて滅多になさそうだしなー」
グヴィードはテーブルのこちら側に回り込んできて、シオンの背をぽんと叩いた。
「だからこそ、本気でやってみよーぜ。お前のこと知らない奴を全員騙して感動を誘って、最後にバラすんだ。クカの奴にも本気で牡やってもらわねーとな!」
「風紀委員長やってるしわりと有名かもしれないけど、よく知らない生徒には牝だと思われてる可能性はあるよね。ていうか早い話がきみ、じつは文化祭とか好きだったんだね。それから、クカじゃなくてコカだから」
「ヒャヒャ、細かいこと気にすんなって。なんでコケなんかの名前覚えてんだ? まさか両想い」
「きみが大雑把すぎるの! だいたい僕は年上にしかきょ――けふん、あんまり、その、そーゆー恋愛とか、興味ないっていうか、その……コケじゃなくてコカね」
「アヒャ。高位の授業で年上の牝を漁ってるんだな」
「ちちちちがうって! 僕には卒業を急ぐ理由がちゃんとあって――」
「ま、年上にこだわらなくてもタカは対象外だろーけどな」
「べつに年上が好きだとか言ってないでしょっ。あとタカじゃなくてコカね」
「ま、シオンなら好きなの選べるよな。オレみたいなのだと一択かもしれないんだぜ? トシみたいなのだったらどうすんだよ」
「……僕だって嫌われたこともあるよ。牡らしくないからヤダって。しつこいけどトシじゃなくてタカだよタ・カ! 原形留めてないし!」
「ヒャ? お前に失恋話があったのか? あとタカじゃなくてコカじゃなかったっけか?」
きみが間違えまくるから混乱したんじゃないか、というつっこみはさておき。
昔の話だ。まだそれが恋心というものだなんて知りもしなかった頃、イーブイだったシオンは両親に連れられて居着いた村で、とある同い年のガーディの女の子に何らかの気持ちを抱いていた。一緒にいるだけで心が温まるような、癒されるような。
それで思いきって訊いてみたんだ。「僕のコト、どう思う?」って。あの仔の返事を聞いて落胆した僕は、やっぱり恋をしていたのかもしれない。
「――男らしくなくて、女の子みたいだから話しやすいってさ……牡として見てもらえなかったの」
「アヒャヒャヒャヒャ。そりゃそーだなーオレもお前といると彼女できたみたいで楽しいぜー」
「気持ち悪いこと言わないでよね……」
グヴィードは決して性格がいいわけではないが、表裏がなくて純粋だ。シオンみたいになにかを隠していたり、表情と違う感情を仮面の下に潜めていたりはしない。
――僕だって、きみのことは親友だと思ってる。
言えないんだよね。面と向かってなんて恥ずかしくて。
「よーし! 今日午後からの練習で本気モード宣言だ! クソマジメテリーアをけしかけて全員ちゃんとやらせよーぜ!」
……仕方ないな。
僕の本気を見せてあげる。牝役で有終の美を飾るなんて、僕にはわりと相応しい最後の文化祭かもしれない。
◇
あのニドキングとの一件から数週間。
有り体に言えば、仕事は順調だった。運良く上客にめぐり合ったのだ。
ケンティフォリア歓楽街の南端、東門にほど近い所にある頑丈そうな作りの屋敷。
「こんばんは」
「ビオラセア様がお待ちだ。入れ」
門の前に立った屈強そうなスピアーが門を開け、シオンを中へ招き入れた。敷地こそそう広くはないものの、一歩家の中へ入った瞬間にこの家の主が只者でないことは分かる。
玄関口からは毒々しい色の紫の光に照られた廊下が続き、敷かれた細長い絨毯は奇妙な紋様ではあるが高価であることは間違いない。左右の扉、正面扉ともにこれまた赤と黒がマーブル状になった不気味な色をしていた。
その正面扉をくぐると、同じ色の電灯に照らされたリビングルームに出る。そこで三十代半ばくらいのブーピッグの女性が迎えてくれた。
盛りは過ぎている年齢なのに何も朽ちることなく、むしろ熟成された妖美さは、まだ多くの牡を魅了するに違いない。
「待ってたよクラウディア。アンタは下がりナ」
「かしこまりました。
スピアーはそう言い残してまた屋敷の入り口まで戻っていった。
「いつも物騒ですまないナ。オマエ、最近どうなんだ?」
「はあ。おかげさまで順調です」
奇妙なイントネーションで喋るブーピッグのビオラセア。上客、とは彼女のことである。蝶の舞う園は本来出張サービスを行っていないのだが、彼女はVIP待遇でラ・レーヌが特別に許可を出した。
ビオラセアの後をついて階段を上り、二階の彼女の個室へ。毎回思うことなのだが、どうしてこの家の扉は全部気持ちの悪い模様をしているんだろう。
個室には大きなベッドが一つとソファ、テーブルに酒棚、他は机らしきモノの上に大量の紙が散乱している。あんな扱いで娼婦のデータがあぼんしたらどうするんだろう。
「ベッドでお待ちしていましょうか」
「ゆっくりでいい。時間はまだたっぷりあるしな。ソファにでも座ってナ」
言って、ビオラセアは酒棚のガラス戸を開けた。
「……では、お言葉に甘えて」
正直、ここのところ娼婦と学生の二重生活に疲れている。
成績を維持しながら文化祭にも真剣に取り組みつつ夜は仕事なんて、ホントに一つじゃ身体が足りない。
シオンはソファに身を横たえることにした。
「ふぁ……」
「眠いのか? 疲れてんだナ。オマエ、身体売ンのが本業ってわけじゃないんだろ」
ビオラセアはウイスキーの瓶を片手に、もう片方の手でグラスと小さなガラス皿*5を持ってシオンの隣に座った。
「ごめんなさい。出張中なのに」
「何なら今日はアタイの相手はしてくれなくてもいいよ? アタイの部屋でよかったら二時間くらい休むか?」
「いえ、そういうわけには……お金をいただいている立場ですから」
「金なんて気にしなくていいよ。週に二、三度オマエを呼ぶくらいアタイには痛くも痒くもないからナ。アタイを誰だと思ってるンだい? この歓楽街のトップだよ?」
そう、彼女は上客なんてものじゃないのだ。
ケンティフォリア歓楽街を取りまとめている協会の会長、ビオラセア=ケンティフォリア。
公用で蝶の舞う園を訪れた彼女に、その場で見初められた。
協会のトップが公然と娼館で遊ぶわけにいかないから、こうして極秘で出張サービスを行う形でと頼まれた。現在のシオンの仕事のうち、週三回ほどはここへの出張である。
「でも、ビオラセアさんに悪いです」
「オマエの寝顔を見ながら一杯
こんなにいいひとがいるなんて、一昔前の自分は信じられただろうか。
ビオラセアは優しい。シオンを買いに来る他の女性と違って、もちろん牡性とも違って、ベッドに入るときもシオンの身体を気遣ってくれる。本物の恋人同士みたいに。シオンが疲れていることを察したら、こんな事までしてくれて。おまけに、チップ。これが実はものすごく助かっている。何たって通常業務の倍以上だ。これに出張費も入るから、実質四倍近い儲けになる。
「ビオラセアさん……」
でも、それだけじゃない。
「なんならキスだけでもさせてくれるかい? お休みのキスだよ」
シオンは満面の笑みを作って頷いた。
「はい、喜んで」
作って、というのは語弊があるかもしれない。
僕は初めて、本当の意味で客を好きになれた。いつだったか彼女に身を捧げるのが嫌ではなくなっていた。
ビオラセアが包み込むようにシオンの首に
そこからはもう、二時間後にビオラセアに起こされて娼館に戻るまで何も覚えていなかった。それくらい心地よく眠ることができたのだ。
娼館に戻ってラサさんに全身のメイクを落としてもらって、寮へ帰ろうとロビーを横切ったときにラ・レーヌに呼び止められた。
「クラウディア。ちょっと来い」
「はい。何ですか店長?」
カウンターの裏まで連れてこられたかと思いきや、ラ・レーヌは囁き声になってとんでもないコトを言った。
「客に本気で恋はするなよ。愛を語っても、所詮は寝物語というやつだからな」
その複眼で、何を見たのか。
驚きました。複眼は伊達じゃないですね。
シオンは何も答えなかったが、心の声は正直だった。
◇
どうみてもシオンより年下のこんな仔供が娼館に遊びにくるなんて。しかも買うのが牡の仔だなんて。世も末だな。
「ご指名ありがとうございます、ご主人さま。それではご案内いたします」
さらにオプションサービスでメイドの格好までしろというのだ。フリル付きカチューシャと、同じくフリル付きの脚輪に前掛け。利便性の面から四つ足の獣がメイドの職業につくことはほとんどなく、
「こちらのお部屋になります」
「へえ、なかなかいい所だな」
おそらくまだ十五、十六歳であろうマンキーの少年は、慣れた様子でシオン――クラウディアを指名した。
「おまえ、何歳?」
「十四です」
「ふーん……おれの一つ下か」
ホントはニつ上だけどね。
「ご主人さまもお若いのですね」
餓鬼という方が正しいけどさ。
「とりあえずベッドに寝転がれ」
いきなりですか。まあ客にはいろんなポケモンがいて、ベッドインするまでの過程を愉しむやつもいればとにかくただヤりたいだけのやつもいる。
「は、はい」
シオンはベッドに上がり、四肢を一方向に揃えて後肢をやや開き気味に、誘惑のポーズで体を横たえた。
マンキーが唾を呑むのがわかった。
「噂には聞いてたけどすげえ……本当に牝みたいだ」
突撃してくるかと思ったが、マンキーは近づいてシオンの体をしげしげと眺めるのに留まった。
「や……そんなに見られるとボク……恥ずかしいです……」
「もっとよく見せろよ。これで実は牝でしたなんてオチだったらぶっ殺すからな」
と、マンキーはいきなりシオンの後足を掴んで開き、乱暴に股の体毛を掻き分けた。というか、なんというせっかちな奴なんだろう。
「マジでついてんだな」
「ボク、オトコノコですもの」
「よし」
マンキーはシオンの足から手を離し、ベッドから少し離れた。
「じゃ、そのカッコでオ●ってる所を見せろ」
「は……?」
「主人の命令だ。一回で聞け」
「は、はいっ。かしこまりました」
またヘンな趣味を持った客だ。どうもシオンの客には変態が多い気がする。
後肢を開いて上半身を丸め、後ろ脚の間に前足を伸ばす。何とか届かせ、体毛の上から肉球で軽く押してみる。
「ひぁ……」
早すぎてまだ媚薬が回っていないのかほとんど何も感じなかったが、とりあえず偽の嬌声は上げておいた。マンキーに視線を送るのも忘れない。
「かわいい声出すじゃねえか」
「ふぇっ……ん……あぁん、だってっ……ご主人さまぁっ……」
軽く触れた前足でくるくると回してみるが、まったく反応してくれない。
マンキーに知れたらまずい。どうにかしないと。
とりあえず体をひっくり返し、マンキーに見えないよう丸めた掛け布団を挟み込んだ。しかし刺激を続けても反応は弱く、このままでは果てるまでどれだけ時間がかかるかわからない。まだ本番行為には移っていないし、これで時間を使いすぎると怒るだろう。
なんて、マンキーの表情を伺いながら冷静にそんなことを考えていると余計にうまくいかない。
「オラオラ、さっさとイけよ」
マンキーはベッドに近づいてきて、シオンの背をぐいぐい押しはじめた。
なんてせっかちなやつ。
仕方ないな。いつものことだけど、達したふりをしておくしかない。
「はっ、やぁ……やめっ、にゃあああぁんっ」
「おぉっ」
ちゃんと恍惚とした表情を作れているかな?
しかし面倒なのが、牝と違って声と表情だけでは完璧に演技できないところだ。出すものを出さなきゃ、嘘だとすぐにわかってしまう。
その意味でも布団を使って正解だった。
「布団見せろよー」
え。
「いえっ、それはその……」
なんて、一応その要求は予想していた。果てたと見せ掛けたときに、少し放尿しておいたのだ。
「いいからどけよ」
押されるままに体を引くと、マンキーはシオンが今まで自慰行為に使っていた布団を取って頬ずりしながら匂いを嗅いだ。
もう随分慣れたが、そういうことをされるのはやっぱり気持ち悪い。
「いい匂いはするが……お前、薄くね?」
精液と尿ではやっぱり違うから、もちろん変態用の言い訳も考えてある。
「ボク……まだカラダが未発達だから……お、大人のひとみたいにこ、濃いのは、無理なんです」
半分くらいは事実だけど。
それに、いくら媚薬を服用してもたかだか
「ちっ、まあいい。仰向けになって後足を開け」
「……はい。ご主人さま」
言われるままに、マンキーに秘所を晒す。
「こっ、これでよろしいでしょうか?」
「もっと後の穴がちゃんと見えるようにしろ。尻尾は前に出せ」
「は、はいっ……ふっ、ひぁぎっ」
身構える暇もなく、マンキーが襲い掛かってきた。無理やり押し広げられ、異物が中へ入ってくる痛みで体が硬直した。
「暴れんじゃねーよっ」
入る瞬間の痛みさえこらえればあとは楽なのだが、それでも不快感は続く。
強姦魔のお決まりの台詞で、そのうち嫌じゃなくなる、なんてのがある。けど、そんなのは自分を正当化するための言い訳にすぎない。一方通行の愛が快感に化けることなどありはしない。
「ひぁ……んっ、ふぇ、ん……ぁあっ……」
その上に偽の喘ぎ声を上げなきゃいけない娼婦も楽じゃない。この国じゃ、技能がなければ体を売るしかないのだ。たいした事情でなくとも、それだけで娼婦になったポケモンも沢山いる。世界最古の商売というだけあって、無法国家でそうなるのはごく自然のことなのかもしれない。
「はぁっ……い、いくぞっ」
「はひ……来て……ください……」
洗浄が面倒だな。
そう思った瞬間、僕の中に生暖かい感触が広がった。脈動するように、断続的に。
気持ち良くなんてなれるはずないじゃない。
僕にもこいつのこれと同じものがついているんだって思うと少し嫌になった。
◇
「――でも、前にお話したニドキングの時よりはましですけど」
「へえ、オマエも大変だナ」
「はい……でも、ビオラセアさんが僕を癒してくれますから」
ビオラセアさんはベッドに入ってからも焦らないひとだ。ゆっくりお話して、少しずつ前戯に入って。
部屋に入ってから一時間と少し、ベッドインからはもう十五分ほど経過している。
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか」
ビオラセアはシオンを胸にそっと抱き寄せてくれた。ブーピッグには細かな体毛しか生えていないけれど、暖かくて柔らかくて心地いい。
「いい匂いです……ビオラセアさん」
「オマエもだよ。クラウディア」
ビオラセアはシオンの背中に前足を滑らせ、徐々に下の方へ移動させてゆく。
「ふぁ……」
「これだけで反応しちまうなんてナ」
「だって……ビオラセアさんの
尾の付け根にまで到達したとき、全身を電気のような快感が走り抜けた。
「オマエみたいな猫型のポケモンはココが弱いんだろ?」
撫でるように、押さえつけるように加えられる刺激は、だんだんと強くなってゆく。
隠れていた部分が起き上がってくるのが自分でもわかった。身体を密着させているから、ビオラセアさんにも感じられているるだろう。
「牡の仔ってのは反応が分かりやすいもんだナ」
ビオラセアはそう言って妖しく微笑むと、少し身体を離して、シオンのそこへ口を近づけた。
「び、ビオラセアさんっ……ふにゃぁっ……はんっ、ふぇ、らめっ……」
さっきまでの全身を突き抜けるような快感とは違うけれど、それでも変になりそうな感覚だった。
「可愛い声をもっと聞かせナ……アタイはオマエの可愛い所を全部見たいんだ」
でも、やっぱり……
「ン? どうかしたのか?」
……これって、なんかやだ。
「さっきの方が……いいです」
「……オマエ、変わってんナ。本当に男の子なのか?」
この前のマンキーとか、その前の牡の客とか、思い出しちゃって。
感情よりも生理的な欲求、物理的刺激に依存する快感には溺れたくない、そんな気持ちが沸き上がってきたのだ。相手がビオラセアさんだからだろうか。
でもビオラセアさんだって、お客さんなのに。本当の愛を受けようだなんて、何を莫迦な。
「すみません……わがままな妾で」
「オマエはアタイの恋人のふりをしててくれりゃいいのさ。恋人の喜ぶようにしてやるのは当たり前だろ?」
ビオラセアは顔をシオンの胸まで移動させると、舌で器用に体毛を掻き分けて、乳首に吸い付いてきた。
「ひぁうっ……!」
腰から首にかけて、また電気ショックのようなあの感覚が走る。
「牡の仔もここは感じるんだってナ」
言いながら、ビオラセアは舌や前足を使って、八つ並んだほんの僅かな突起を刺激してくる。
「きゃわぅっ、び、ビオラセア、さんっ、あ、ぁああっ……」
牝と違ってほとんど見えないのに、ビオラセアは的確だった。
「演技にしては上出来だよ」
――演技じゃ、ない。
おかしい。こんなことって、他の客を相手にしている時にはない。
ホントに僕、ビオラセアさんのこと……
「……ん……はっ、ふわああぁっ、く……ひっ、ぁんっ……」
ビオラセアは胸を攻めるだけでなく、同時に後足や腹部をシオンの下半身にすり寄せてくる。
「ぁっ、らめっ……ビオラ、セアさん……! ぼ、僕……変になっちゃうよっ……ぁああっ――!」
シオンが身をよじるたびに体位が変化し、上になったり下になったりする。それなのにビオラセアさんときたら、少しも精度を落とさない。
「出しちまっていいんだよ? アタイに抱かれながらサ」
一層刺激を強めるビオラセアさんの踊るような舌、前足、後足。
「にゃああぁっ……は、離れてっ、らめぇえっ……出ちゃうよぉっ……!」
離れてはくれなかった。
ビオラセアを下にした体勢で強く胸に吸いつかれ、彼女のお腹が僕のものに当たった瞬間。
「ひにゃぁっ――!」
自分でも耳がおかしくなるかと思った。
信じられないくらい甲高い声を上げてしまった僕は、下半身を痙攣させるように乳白を吐き出した。見事にビオラセアさんのお腹にぶちまけてしまった。
「ふ……はぁ、はぁ……」
「やっぱり男の子だナ……フフ、可愛い奴め」
ビオラセアは悪戯っぽく笑ってシオンの頭を撫でた。
「ごめんよ、クラウディア。アタイも調子に乗りすぎたかもしれないナ」
「そんなコトは……」
「そうかい? じゃあもうちょっと調子に乗らせてくれるかい」
ビオラセアは上に乗ったシオンをそっと横に降ろすと、いつになく妖艶な眼差しで見つめてきた。
「オマエがあんまり可愛い声を出すもんだからナ」
と、さっき乳白を吐き出したばかりの僕に、ビオラセアさんの前足が触れた。
「は……ひっ」
そこについたものを拭き取るように根元から先までを撫でられて、僕のものはまた屹立を取り戻してしまう。
――媚薬も使っていないのに。
好きな相手となら、こんなにできるものなのだろうか。
「良かった、まだできそうだナ」
ビオラセアは頷くと、シオンの体を仰向けにして、前足で首を跨ぐように覆いかぶさってきた。
――顔が近い。心臓がどきどきする。
「アタイみたいなオバサンに抱かれるのは嫌かい?」
三十五歳。シオンの倍以上生きているのに、まるでそれを感じさせないほど彼女は若々しい。同時に、歳を重ねた女性特有の、ある種危険な魅力を兼ね備えている。
「そんなコトないです……ビオラセアさんは十分に魅力的です」
本心からの言葉を伝える。
「そうかい。オマエにそう言われると嬉しいよ、クラウディア。それじゃ……行くよ」
「は、はい……」
ビオラセアが後足を曲げて腰を落としてくる。邪魔な尾は真っすぐ伸ばして寝かせ、受け入れの体勢を作った。
「はっ……」
先端が接触した刺激に声を上げる。
「ふ、ぁ……は、入ってく……」
互いに自らの分泌液で濡れていたせいかほとんど抵抗を感じなかった。
そのままするりと奥まで入ってしまう。
「オマエが中に……簡単なもんだナ」
普段あまり気にならないのだけれど、そんなことを言われると少し情けなくなってしまう。でもこればっかりは仕方ない。
「いいカオしてるじゃない。動くよ……」
と、ビオラセアが後足を支えにして、ゆっくりと前後に腰を動かし始めた。
「ぁ……んっ……」
「いいよ、クラウディア……」
少しずつ角度が変わるたびに淫らな水音が漏れる。荒い息遣いとベッドの軋む音が室内に響く。
尻尾が意思とは無関係に跳ねて、ベッドを何度も打った。
「んふっ、は……やぁんっ……」
――演技じゃない、けど。
喘ぎ声を上げながらも、熱くなった体の奥には妙に冷めた自分がいる。
彼女に抱かれるのは嫌じゃないなんて。これはお金の関係だっていうのにね。
僕がこの仕事を辞めるとき、ビオラセアさんが僕を買うのを止めたとき。
それが最後で、いつか終わりは来るんだってわかっているんだから。
◇
キッチンに立つ兄は特別料理が得意というわけではないが、ESPを駆使して鍋も包丁も器用に扱える。
リュートの寮は、大部屋がたくさん、
「できたよー」
風紀委員長のシオンにはその
「や、そうやってかわいく持ってきてくれるのはいいけどね兄ちゃん。これ何だよ?」
「失敗しちゃった……てへ♪」
実際は俺と一緒にいたいだけなんじゃないかと思ってしまう。
「てへ♪ じゃないでしょ。これ明らか色ちがうし……」
クリームシチューを作ったつもりだったそうだが、どうも火加減が強かったらしくホワイトソース作りに失敗したらしい。
「ビーフシチューとクリームシチューの中間色だからさ、味もちょっとそれっぽくアレンジしてみたんだ。食べてみて?」
自分なりのアレンジ。料理のできないポケモンが最初に陥る大きな間違いである。もっとも、シオンは料理はできるくせに、時々そういう間違いを犯すイレギュラーだが。
「うー……」
ローレルは四足型のスプーンを右前足に嵌めて、人参を掬ったところで停止した。
これは危険な匂いだ。シオンの料理は、成功すればそれなりに美味しく食べられるものの、失敗したときの落差が激しい。
「ねーねー食べて食べてぇ」
シオンはすり寄って催促してきた。
弟が兄にこんなこと言うのも何だが、とにかくシオンは無駄にかわいい。不覚ながら、甘えられるといつも言うことを聞いてしまう。これではどっちが兄なんだか。
「わ……わかったよ……ってかこんなところ他人に見られたらめちゃくちゃ怪しくない? 俺たちって一応兄弟だよね……夫婦とか姉弟とか母仔とかじゃないよね?」
「そだよ。兄弟なんだから仲良くしてもいいじゃない」
仲が悪いよりはいいかもしれないけど、ここまでってのもどうかと思う。念のために言っておくが、シオンにも、もちろんローレルにもそっち系の趣味はない。
でもまあ、決して変な意味ではなく、兄弟的な意味では相思相愛の仲といってもいい。
一口食べてみる。
ビーフシチューからコクを全て除去したような単調な味に、コゲの嫌な苦みが花を添える。
端的に言って、まずい。
「どぉどぉ? 一生懸命作ったんだけど……」
絶対確信犯だ。さっき自分で味見して吹き出してるの見たぞ。いやそんなふうに目をキラキラさせられてもね。
「いや……その、お、美味しいよ……」
わかってるのに。俺ときたら、なんて莫迦なんだ。反則だよその目。
◇
――そんな二匹の生活に、シオンの口から突然終わりが告げられた。
「僕、
それからというもの、口をきくことも滅法減った。というよりもむしろ、シオンの方からローレルを避けているようだった。
文化祭を間近に控えたこの時期、皆は準備でいそがしいのか放課後の食堂はガラガラだ。
ローレル、メント、ロスティリーの三匹は、いつもと変わらずこんなところで談笑――ようするに油を売っている。
熱心に準備に励むクラスメイトなどに見つかったら何を言われるか分かったものではないが。
「ローレル、シオンさんの練習見た? 女の子の役なんだけどすっごいかわいかったよ!」
噂を聞いたポケモンがシオンのクラスに押しかけているのだとか。
「まだ見てないけど。本番まで楽しみにしとこ」
「ふん。牡のくせに……そのくせ俺たちを処罰する時だけは牝とは思えん怖さでだな。メント貴様、かわいいなどと云って喜んでいる場合か」
「あの、牝とは思えんって、あれで一応牡だから……」
「えー、だってかわいいものはかわいいんだもん。いーなーローレルはあんなかわいい仔の弟で」
一回ルームメイトになってみたらわかる、とは言えまい。小さいときからずっと一緒に暮らしていたローレルだからこそあの誘惑に耐えられたが、メントでは「もう性別なんか知らないもんっ」ってなっちゃって寝込みを襲ってしまうに違いない。何かにつけてシオンの悪態をついているロスティリーでも、一つの部屋で長く過ごせば間違いなくそうなる。
もっとも、相手がローレルじゃなければシオンもあんなに甘えてきたりはしないだろうけど。
「や。上級生にかわいい仔って言うのもなんか違う気が……しかも兄だよ兄」
「まったくだ。あれでは姉なのか妹なのかかわからん。一時期ルームメイトだったローレルもさぞ大変だっただろう」
メントはシオンのことをそれなりに気に入っていて、ロスティリーは少なくとも表面上は嫌っている。ひそかに活動している大規模ファンクラブに対抗して作られたらしい、妬みの塊のようなアンチクラブの団長などをつとめているとか。まあ、活動の実態はたまに集まってぐだぐだと陰口を叩いているだけで、今のところファンクラブの会員やシオン本人に何らかの被害が出たなどの実害はほないみたいだけど。
「だが、あの
「またアンチクラブで何か企画してるの? 去年も同じこと言ってたけど、失敗してたよね。たしか兄ちゃんのクラスの模擬店営業を妨害しようとして自治会のポケモン達に取り押さえられてたっけ」
「ふっ、兄の失墜する様を見ているがいい。団長曰く、成功すればシオンの人気はがた落ちどころか女子が寄り付かなくなるっ……!」
「シオンさんにそんなことあるかなぁ……何やっても許されちゃうぐらいかわいいじゃん」
「そもそも成功すれば、でしょ。俺は失敗する方に賭けとくよ」
――ここで捨て置いたのが、まさかあんな大事件に発展するなんて。
せめて兄ちゃんに知らせておくべきだった。
◇
「最後、全部通してやるよー!」
文化祭前日。グヴィードの作戦は当たりだった。テリーア主導のもと、クラスは稀に見る団結力を発揮している。
劇の脚本は、『ルミアとタルジェット』という有名な物語を自分達風にアレンジしたものだ。ある町では、水生ポケモンと陸生ポケモンが対立関係にあり、互いに互いをけなし合い、いがみ合っていた。ところが、ひょんなことから陸生ポケモンであるエーフィの少女ルミアと、水生ポケモンであるジュゴンの少年タルジェットが恋に落ちてしまう。自分達の民族に隠れ、海辺で会う
だが、幸せは長くは続かなかった。禁断の愛は互いの民族の知るところとなり、ルミアは二度と海に、タルジェットは二度と陸に近づかぬよう言い渡される。
ルミアは海の見渡せる丘に上り、募るタルジェットへの想いを胸に、毎日のように遠方の海を見つめていた。
一方のタルジェットは悲しみにくれ、覇気をすっかり失って、まるで廃
タルジェットはついに悲壮感に押し潰され、禁断の渦潮への飛び込み自殺を図った。
渦潮へ向かって泳ぐタルジェットを丘の上から目撃したルミアは、全速力で海へ向かう。邪魔をポケモンを跳ね退け、海に飛び込んで……だが、水ポケモンに泳ぎで敵うはずもなく、最後までルミアに気づかなかったタルジェットは渦潮に飲み込まれて最期を遂げるのだった。渦潮に近づきすぎたルミアも飲み込まれそうになるが、水生ポケモンに助けられる。これをきっかけに二つの民族は和解したが、後に残されたルミアの悲しみが消えることはなかった……という悲劇である。
キャストはルミアが僕、タルジェットがコカで、ルミアを助ける水生ポケモン役がランターンのチャオ、最初に事故ってキスしてしまうのがいろいろあってテリーアになった。もちろん格好だけで本当にはやらない。
そしてあろうことか、エンディングテーマをシオンが歌うことになった。実はこれでも歌には自信があったりして、クラスからの評判は上々だった。本番で緊張さえしなければ大丈夫だろう。
「すっごいキレイな声……」
ついでに労せずしてクラスのメンバーの人気アップだ。
「よし、明日気合い入れていくわよ!」
今日は仕事は休みにしてもらったし、万全の体調で臨むことができそうだ。
◇
生まれもって富と権力を持っていたわたしは、幼少の頃より甘やかされ、大事にされてきた。金持ちの典型的な堕落パターンだ。
だが、わたしは枠には嵌まらない。自らすすんで多分野にわたる英才教育を受け、常に努力を怠らず、自分を高めることに全力を注いできた。名実ともにヴァンジェスティ家の長女として、父の後継者として相応しい女になるために。
そして世間知らずな箱入り娘になるのも真っ平御免なので、時に護衛を引き連れて街にも出た。
自他共に認める才色兼備なわたしだが、自分では決して驕らず、いつも上を見て生きている。探せばいくらでも、上には上がいるものだ。そして追いつき追い越して、また一つ上に上がる。
そんな生き方をしていると、いつの間にか周りには誰もいなくなっていた。人当たりの良い接し方を、と心掛けているのに。
ある時使用人の牝に言われた。
お嬢さまは完璧過ぎるのですよ。だから近づきにくいのではないでしょうか?
そんなはずは無い。わたしにはまだまだ未熟で、至らぬ所など山ほどある。完璧には程遠い――
隣国ジルベールの王子との政略結婚を持ち掛けられたが、父も承知の上だったのだろう、この仔の結婚相手は自分で決めさせてやりたいと断った。当然だ。ここまで自分を高めてきたのだ。配偶者ももちろん最高のものを
その点で言えば、わたしの世話係兼護衛の彼女達はそれなりにわたしと調和している。
「あー、模擬店ですよ模擬店ー! フィオーナさま、何かお御召し上がりになります?」
「今は結構」
前言撤回。学生に混じって品性の欠片もなく騒ぐ護衛が何処にいますか。
つい数ヶ月前に使用人としてヴァンジェスティ家に雇ったばかりの陽州人姉妹の
落ち着いて何か買ってみてもいいかと思っていたのに、孔雀のせいでその気も失せてしまった。
セーラリュートの文化祭。行き交うお祭りムードの学生たちが、奇妙なエネコロロとサーナイトとキルリアの三匹組に目を止めて、すれ違う者は皆振り返った。
陽州のような東方に住むサーナイトは、布衣の形状が西側とは異なっていてこの辺りでは珍しがられる。そんな孔雀を引き連れているせいなのかもしれないが、学生達の視線の先はほとんどフィオーナに向けられているような気がする。
「橄欖。わたしの顔に何かついたりしていないかしら」
「いえ……きちんと……毛並みも整っています……」
橄欖は半死人のような声で答えたが、これが彼女のデフォルトだ。
「ほらほら焼き鳥買ってきましたよー。フィオーナさまも橄欖ちゃんもどうぞー」
明るい部分はこっちが担当しているからいいようなものの、初めて会った時は不幸オーラに飲み込まれそうになった。
って、いらないと言ったでしょうに。
陽州人は祭が大好きだという噂はどうやら本当らしい。
「全く……もう少し大人しくできないの、貴女は」
「ほ? しかし神社などと違って学園祭はぼったくりじゃないところがいいですね」
ちなみに神社というのは陽州の神教で、その名の通り神を奉る社だ。そして全く無意味に無関係で無為な解説である。
「ひとの話は聞きましょうね? わたしはこれでも貴女の主人なのよ?」
「申し訳ありません……それでは大人しく、劇でも観に行かれますか?」
謝るそぶりは見せているものの、本心では悪いとも思っていないに違いない。
「……そうですね」
まあ、劇の観賞なら孔雀の存在も厄介にはならない。
「中央講堂にて……この時間だと、次は『ルミアとタルジェット』ですー」
「ベタ……ですね……」
「学生劇の定番のようですから。構わないわ。観に行きましょう」
――運命だった。
この選択がなければ、出会ってすらいなかったのだから……
◇
舞台は稼動式で、床とプールの割合を変えられるようだ。あらゆるところで水生と陸生の共存が図られているのも、この学校の大きな特徴の一つである。
フィオーナ一行が入ると、ちょうど前のクラスの劇が終わって明かりが点いたところだった。
講堂を出てゆく者とすれ違うときも、学生たちはフィオーナの行く道の邪魔にならないよう道を空けてくれて、ぶつかるようなことはおろかニアミスすらなかった。
「ここへはプライベートで来ているのに……どうしてでしょう? わたしは名こそランナベールの住民に知られているやも知れませんが、写真や映像系のマスメディアがあまり普及していないこの国では種族以外の容姿はわからないはずですのに」
「一種貴族的といいますか……フィオーナさまはただ者でない存在感がありますからね」
ただ者でないなどと、ただ者でない孔雀に言われてもいささか納得できなかったが、学生達がフィオーナをごく普通のポケモンだと認識していないのは明らかだった。わたしも十九歳だから、学生達に紛れ込むこともできると思ったのだけれど。
席について次の公演を待っていると、みるみるポケモンが増えていった。席はすぐに満杯になり、立ち見まで現れはじめた。立ちっ放しでは腰や足に負担のかかる直立二足歩行のポケモンや立ち見では前が見えない体高の小さなポケモンに席が譲られている。
「わたし達も立ちましょうか」
孔雀と橄欖は立ち慣れているので問題ない。
――が。
「いや、俺らいいっス」
「あなたはどうぞ座ってて下さい」
フィオーナが席を譲る、との進言は悉く断られた。結局、一番後ろの席なので、孔雀と橄欖がフィオーナの後ろに立つ格好となった。
「もし、学生さん方……次の劇は前評判が良いのですか? ものすごい
孔雀が無駄にフレンドリーな様相を呈しているものの、フィオーナの付き
「は、はい……なんかすげえ美少女が主役張るって宣伝してましたんで……お恥ずかしい話なんすけど、へへ。その仔目当てでさあ」
ともあれ、一番近くにいたせいで答えないわけにもいかなかったモルフォンの牡仔生徒が教えてくれた。
そこで、ふっ、と明かりが落ちた。
「いよいよ始まりますねー。フィオーナさまよりも綺麗な方だったらどうします?」
「静かになさい。別段どうもしません。上には上がいるものでしょう」
妬みなどという汚濁に塗れた感情をわたしは持ち合わせていない。敵わないと解っていながらそれを認められなくて、結果そういったものが生まれてくるのだ。一流のポケモンたる者、何事に於いても潔さを持たねばならない。
相手が上であれば素直に認めて、それを超えるように努力を重ねれば良いだけの話だ。
舞台に明かりが灯り、劇の開始を告げるブザーが鳴り響く――
◇
『急がなきゃ、急がなきゃ』
舞台に現れたのはプクリンだった。生真面目そうな顔つきの、至って普通の少女だ。これが例の美少女ならとんだ誇大広告だが、この入りはフェイントに違いない。
『転がらないと遅刻しちゃう……!』
プクリンは体を丸めて回転し、猛ダッシュしはじめた。今、舞台は全面床だがそんなに広くはない。次の展開は一瞬だった。
『きゃあぁっ!』
舞台なので曲がり角ではないが、反対の袖から出てきたポケモンとぶつかった。祖の瞬間に煙幕に包まれ、観客席からは
「ベタですねー。きっとタルジェットさんですよー。事故ってキスしてしまうとか……」
孔雀が余計な解説を加えている間に煙幕が晴れ、果たして二匹のポケモンが口づけ状態になっていた。
――両方女の子だったが。
「ありゃ?」
孔雀が首を傾げると同時に、会場は沸き立った。百合展開を期待してのことではない。
この仔だ。こっちが本命だ。このエーフィが主役のルミアに違いない。
『な、なな、何なんですかいきなり……ってテリーアちゃんじゃない』
その美貌に、フィオーナは思わず息を呑んだ。
自分と比べてどうだとか、そういう話ではない。あれはまるで別物。わたしとはまるっきり方向性の違う美しさだ。
気品があるとか、整っているとか、そういった言葉からはほど遠い。一つに纏まらない、ある種ばらばらの、乱れた美のカタチ。おそらく自分の容姿には気を使ってなどいない。自覚すらしていないかもしれない。自然体でありながら、匂い立つオーラがここまで離れていても伝わってくる。
「フィオーナさま……今、見惚れちゃいました?」
「……不覚ながら。美の化身のような仔ですね」
一部、「つーかあれあの生意気な風紀委員長じゃね?」やら「モノホンのあっち系だったのか」など囁き合う声も歓声に紛れていたのが気になったが、あれだけの美貌なら妬みを買ってもおかしくない。かといって、歓声には牝生徒の黄色い声も混ざっていたのでさほど牝に嫌われたりはしていないどころか、同性の中でもアイドル的存在だということなのか。
縺れ合うように倒れてプクリンが力ずくで顔を押さえてキスさせていたのを、エーフィは前足で払いのけて立ち上がった。
『私だって女の子同士でキスなんかしたくなかったわよっ。それより早く行かないと村の集会に遅れちゃう』
照明が落とされて稼動音が響き、床が仕舞われて舞台は全面プールになった。
タルジェット役らしいジュゴンと周りのポケモン達が語り合うシーンは、フィオーナだけでなく他の誰も真剣には見ていなかったことだろう。あのワンシーンで、ルミア役のエーフィはそれだけ強烈な印象を与えた。
床が半分だけせり出してプールと半々になる。タルジェットが浅瀬に嵌まって抜け出せなくなり、ルミアに助けられる
ルミアが登場すると、またしても観客席がどよめいた。
『まあ、これは大変……! 今すぐ助けてあげるからじっとしていて!』
『すまない……』
あのタルジェット役のジュゴン、よく見ると牝の仔だ。地味な顔立ちで、どこにでもいる感じの仔だ。だが演技力はなかなかのもので、牡役がうまくハマっている。
彼女たちだけではない。他の役者も、背景などのセットも音響も、学生劇とは思えないクオリティで、最初のキスシーンみたいに時々無茶な展開が含まれていたのは多少気になったものの、いつの間にやら作品世界に引き込まれていた。
『水タイプがどれぐらい存在価値がないか教えてやろうか! 金銀開発中に水タイプはもういらないって任天dうの開発スタッフが発言してたくらいなんだぞ!』
『馬鹿め、それは初代で水タイプを作りすぎたからだ! それだけ我々は愛されているということだ!』
水生の者達と陸生の者達が罵り合い激しく争う中、ルミアとタルジェットは秘密の洞窟に隠れていた。そこを見つかり、
『ああタルジェット……どうしてあなたは陸に上がれないの? どうしてわたしは水の中に住めないの?』
迫真の演技に涙腺が緩みかけたが、公衆の面前で涙を流すことなどできないと堪えた。
アレンジが加わっているとはいえ大筋は原作と同じなので、この後の展開は知っていた通りだった。ルミアに会えなくなったタルジェットが渦潮に飛び込んで自殺し、後を追おうとするルミアを牝のランターンが助けた。ルミアの後ろ足の間に滑り込むような際どい乗せ方の真意は不明だが、なぜか随所に百合要素を入れたいらしい。
この事件をきっかけに水生ポケモンと陸生ポケモンは和解した、というエンディングの後、オリジナルのラストシーンが挿入された。
劇中で使われていた丘のセットが出てきて、ルミアが
ルミアは目を閉じ、伴奏に乗せて歌い始めた。
透き通るような声だった。上手、ではないけれど、音感はしっかりしていて、心の込もった歌い方だった。聞く者の心の中心を掴んで離さないような、不思議な声だ。
悲しみ。痛み。そして世界を憎むような少しの黒い感情までもが、観客の心を、劇場を包み込んでゆく。
学生の劇でここまで役に入り込めるなんて。それとも彼女は、何か本当に――
歌が終わり、幕が下りて講堂が拍手に包まれた。
拍手は明かりが再点灯するまで鳴り止まなかった。
その間、もちろんフィオーナも右前足の甲を左前足でぽんぽんと叩き続けていた。
『はーい、ここでサプラーイズ!』
明かりが点いた直後。
幕の前にナレーターのドゴームの女子生徒が出てきて、大きな声で叫んだ。
向かって右がフローリングで、左がプール。それぞれの袖から、ルミア役のエーフィとタルジェット役のジュゴンが登場した。
「ふふ。フィオーナさま、お気づきでした?」
孔雀が楽しげに耳元で囁いた。
あのジュゴンがじつは女子生徒だと言いたいのなら――
「ええ」
『この
やっぱり思った通りだ。あのジュゴンは牝――二匹?
「何……ですって?」
『あー……どうも、僕――』
どよめきと黄色い歓声に掻き消されてよく聞こえなかったが、エーフィの作らない声は確かにそれなりに男の子らしかった。黄色い声の主の中には「シオンさまー!」などと彼女、ではない、おそらく彼の名を叫んでいる者もいた。
エーフィは辟易しながら会場を見渡して――フィオーナに視線を向けて、そこで目をとめた。
視線が交錯したその瞬間、何も聞こえなくなった。
無音の世界だった。
時が止まったように感じた。
こんなに離れているのに、
彼を
否、
私が得ようと決断して得られなかったものはない。今回だって同じこと。
――でも、何か違う。
胸の高鳴りが抑えきれない。
魔法にかかったようで。
強いて言えば、そう――私が彼を得るのではなくて、彼が私を惹きつけて止まない。私の意思とは無関係に。彼が欲しいという感情の高まりに抵抗できないのだ。
「孔雀、役者の方たちは講堂の裏手から出るのかしら?」
「はい、そのようですよー」
「わかりました、急ぎましょう! ついてきなさい」
「えっ、フィオーナさま、お待ち下さい――!」
気づけば立ち上がって、わたしは人ごみを押しのけて早足で講堂の入り口へ向かっていた。
◇
大成功ってコトでいいのかな。
観にきてくれたポケモン達は楽しんでくれたみたいだ。
そういえば観客の中に、明らかに他とは違うオーラを纏ったエネコロロの女性がいた。シオンより少し上、二十歳前後に見えたが、少なくともここの生徒ではないだろう。あんなに目立つ女性と学内で一度でもすれ違っていれば嫌でも記憶に残るし。
「ルミアちゃん♪ サイコーだったぜアヒャヒャヒャヒャ」
「もう終わったんだからその呼び名やめてよ……」
それより、だ。劇に乗じて僕の
「てゆーか女子! 本番で何やらかしてくれてるんだよ! テリーアといいコカといいチャオといい……」
「何の事かしら?」
「いえ……その……」
「私は何もしてないわ」
「
「はーい前の組は出てってー。次の組がすぐ入るから」
かなり腹が立っていたが、仕方なく裏手から出ることにした。
ランターンのチャオとジュゴンのコカは水側なので、さっさと潜ってしまったみたいだ。逃げるつもりに違いない。
そうはさせまいと上の出口から飛び出し、水中から来る
それが、できなかった。
外に出た瞬間、その
正確に言えば、彼女はシオンに微笑みかけて
挨拶されてしまっては無視もできない。
「あ……こ、こんにちは」
「素晴らしい演技でしたわ。シオンさん……でよろしかったかしら」
「え、あ、は、はい。あなた方は?」
なんかすごく緊張する。話しにくい。この
「命を狙われることもありますので、素性は隠すつもりでしたが……貴方の美しさに敬意を表して」
シオンのことを美しいなどと褒めてくれるのは嬉しいが、このエネコロロも相当人目を引く艶麗さだ。芯の強そうな凛とした眼差し。気品に溢れるまっすぐな毛並み。完成された所作の一つ一つ。なまめかしさを感じさせる体つきながら、神聖で犯しがたい。そんな印象を受けた。
「私はフィオーナ・ヴァンジェスティと申します。こちらの
「孔雀です。以後お見知りおきをー」
「橄欖と……申します……」
シオンの後ろで、クラスメイトたちのざわめきが大きくなってゆくのがわかった。
当たり前だ。シオンだって驚きを隠せない。
どうりで、何か違うと思っていた。
この国の最高権力者の娘だ。王国でいうところの王女様だ。そんなポケモンが今目の前にいて、僕と話しているだなんて。
「ヴァ、ビ、ぶ、ヴァンジェスティ……? そ、そそんな方が、僕に、な、何の用件で?」
「あら、そう固まらず楽になさって下さいな……今宵、文化祭の最後にダンスパーティがお有りなのでしょう? 宜しければシオンさん、わたしと踊って下さらないかしら」
心臓がひっくり返りそうになった。
シオンの後ろで目を丸くしているクラスメイト達が、呑んだ息をさらに体の奥底に沈めるのもわかった。
ダンスパーティは、要するに想い人に告白する機会なのだ。踊ったあと、その牝牡は大抵カップルになるのだとか、なんとか。
フィオーナはそれを知らないのだろうか。
いや、例え知らなかったとしても、だ。わざわざシオンが出てくるのを待ち構えて申し込んでくるなんて、全く気がないと考える方が難しい。どうしよう。
「無理にとは申しませんが……」
王女様からのお誘いだ。
しかも、横にいるキルリアの視線が怖すぎる。断ったら呪い殺されるんじゃないだろうか、と本気で思ってしまった。見た目にはまだローレルと同い年くらいにも感じるが、身に纏う薄幸そうなオーラのせいで年齢は不詳。
対照的に、孔雀とかいうサーナイトのほうはずっとにこにこ笑顔で、声もはきはきとしていて明るい。年齢はフィオーナと同じか少し上くらいか。美人といえば美人の部類に入るだろうけど、フィオーナの隣にいるとどうにも霞んで見える。というより、そこにいるのがさも当然といった風情で、フィオーナの一部であるかのように感じてしまう。単独で歩いていれば、牡の一匹や二匹寄ってきそうなのに。
なんて、孔雀の方ばかり見て現実逃避したくなる。ほかの二匹と目を合わせるとそれぞれ別の意味で精神がすり減る。
だが、彼女はシオンに逃げることを許さなかった。
「……先約でも、お有りなのですか?」
あわや鼻先がぶつかるかというところまで顔を近づけてきて、即答を余儀なくされた。
「な、ないです」
「それでは、お願いします」
「……は、はいっ」
シオンの答えを聞いて、フィオーナは屈託のない笑顔を見せた。それこそ太陽みたいな笑顔だった。
「ありがとうございます。それでは今宵、またお会いしましょう。ごきげんよう」
「それでは失礼いたします、シオンさま♪」
勝手にさま付けでシオンの名を呼んだ孔雀に続いて、橄欖が無言で頭を下げ、三匹は
「オイシオンてめえすげえやつに誘われたじゃねえかあいつヴァンジェスティ家の娘ってことはお前もしあの牝と結婚でもしたらあれだぞあれって何だそうだ金――じゃないすげえ地位と名誉が
行動も口も早くかつ速く、これで頭の回転も早かったらいいのだが、何故かそこは悪い方向に働いたようで、早とちりが多いだけのパツ。
「や、結婚は話が早過ぎるでしょ……」
「ええっ、嘘だと言ってよシオンくん! シオンくんはみんなのアイドルだよね? 誰か
「ダンスに誘われただからさ、そんな大げさに言わなくてもっ」
でも、綺麗なひとだったな。
見た目だけじゃなくて、しっかりしていて頼りになりそうで、恋人にするには悪くないかもしれない。悪くないどころか、ほんとうに第一印象通りのポケモンならあれだけ好条件が揃った女性はいない。
綺麗なだけでなく品性も備えていて、おまけに金持ちときた。ここまでは確定、以下推測。
きっと性格も良くて頭もよくて一途でしっかり者で強い心を持っていて年上で、探しても非の打ち所がないに違いない。最後のはシオンの趣向の問題だが、ともあれ多くのの牡にとって理想の女性となりうるのではないだろうか。
……ビオラセアさんは、お客様だし。客に恋はしちゃダメだってラ・レーヌも言ってた。
いつか終わる関係だから。ビオラセアさんとはやっぱり付き合えない。
「てゆうかいつから僕がみんなのアイドルなわけ? そんな話ぜんぜん聞いてないんだけど」
でも、こんな僕が普通に牝のひととお付き合いすることなんてできるのかな。
汚れきった僕を受け入れてくれる女性なんて。
ビオラセアさんは違う。あのひとは優しくて、シオンもついつい甘えてしまうけれど、つまるところ商売上の付き合いにすぎない。もしお金が貰えないのなら、彼女に身を任せることなど有り得なかったのだから。今だって、好感こそ持てるポケモンだとはいえ、ほんとうに一匹の牝として好きなのかと問われると自信がない。親仔ほどの年の差だし。
フィオーナは僕の正体を知ったらどうするだろう。見た目に騙されたとか云って、蔑みの目で僕を見るに違いない。
断ればよかった。下の下の下の下の下の下の下の下の下の下の下の下の下の下の地位しか持たない僕が、一国の王女とだなんて。不釣り合いだ。僕には高嶺の花どころか、空よりも高い、オゾン層の中に住むというレックウザがくわえている花と云った方がいい。それがほんの気まぐれで口を開けた時に地上に舞い落ちてきたんだ。でも拾い主が僕みたいな泥に塗れたポケモンだったら、下界に失望して空に帰って、きっともう二度と落ちてこない。
べつにどうしても欲しいわけじゃなし、その時はその時でいい。僕を気に入ったのは向こうだ。
と言いたいところだけれど、僕はそこまで割り切れるほどひどいポケモンにはなれない。せっかく誘ってくれた気持ちを無碍にしたくはない。
でもダンスパーティに誘われたからってシオンに気があるかどうかはわからない。外部のポケモンならなおさらだ。自分で言うのも何だが、どうせ踊るなら綺麗なポケモンのほうがいいと、ただそれだけの理由なのかもしれない。
結局たったあれだけの会話ではまだ何もわからない。
でも僕は――ホントに、あれだけの会話でも。
どこかで彼女に惹かれてしまったんだ。
彼女のことが知りたいって。自分からそんなこと思ったのなんて初めてだった。
闇夜の蝶と幻夜の姫君:2へ続く
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