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葬送竜

/葬送竜

 人の出入りしている形跡など微塵も感じられない険しい山道だった。豊かすぎる自然は時として、目の前に立ちはだかる障害ともなり得る。
大人の腰の丈くらいまで伸びた草むら。尖った刺を茎に携えているもの。葉の縁が鋭い切れ味を持つものも所々に存在する。
迂闊に素手で触ろうものなら、あっという間に傷だらけになってしまうことだろう。
草むらをかなり分け入って進むと、固い地面の露出した斜面が見えてくる。
サンドパンの背中を思わせるような無骨な岩々が、四方八方へと不規則に突出していた。
見渡す限り、岩、岩、岩の斜面。闇雲に進んでいたのでは、迷子になってしまいそうだった。
それらの有様はまるで、この先へ誰かが足を踏み入れることを拒んでいるかのよう。
今、道なき道を進む彼にとってそれは想像していたよりもずっと手荒い、シンオウの自然からの歓迎だった。

葬送竜 

writer――――カゲフミ

 手にした杖を握りしめ、ぜえぜえと肩で息をしながら男は急な斜面を登っていた。
かなりの老年で、目の下や頬には深い皺が刻み込まれている。髪は黒より白いもの方が多く、無造作に伸びた顎鬚もそれと同じ色をしていた。
時折立ち止まって苦しそうに咳をしたり、胸を押さえたりしている。どう見ても山登りを楽しんでいる雰囲気ではない。
登山道なんてものは最初から存在しなかった。男が歩み入った場所にあったのは、全く人の手が加わっていないありのままの自然の姿。
自分は招かれざる客なのだと理解するのに時間はかからなかった。安物の軍手は草むらを数歩歩いただけで簡単に穴だらけになってしまったが、それでもないよりはましだ。
途中で拾ったしっかりした木の枝を杖代わりに、必死で草を掻き分けどうにか斜面地帯までこぎつけた。白かったはずの軍手は土色になり、微かに血が滲んでいた。
斜面を登り始めて随分経ったような気がするが。今、自分はどのくらいの所まで来ているのだろうか。
上を見ても目に入ってくるのは岩ばかり。形や大きさや、地面から飛び出した角度は様々だ。
ちゃんと前に向かって歩いているはずなのに。さっきからずっと同じところを通っているような気さえしてくる。
この景色が終わる気配が感じられない。老骨にこの山道はあまりにも厳しすぎた。
だが悲鳴を上げる自分の体に鞭打って、最初の草むらをぼろぼろになりながらも通過してきたのだ。よもや乗り掛かった船。今更後戻りはできないし、したくもない。
何度もふらつきかけたが、何とか杖で体を支えて持ちこたえる。自分は何としてでもこの先に進まなければならないのだ。
再び斜面を歩み始めた男の瞳には、くたびれた風貌とはひどく不釣り合いなぎらぎらした鋭い光が宿っている。
 男はこの山の奥にある大きな湖を目指していた。そこに住むと言われるあるポケモンを求めて。
トバリシティの南。214番道路の東側の森。近辺の住民からは隠れ泉の道と呼ばれている細い小道があった。
木々の間の小さな道。通っているのはポケモンぐらいだと思われる獣道。その存在は割と知れ渡っていたらしく、多くの人々から話を聞くことが出来た。
しかし、そこから先がどうなっているのかは。確実と呼べるほど信頼できる情報は入ってこなかったのだ。
トバリの住民を片っ端から尋ねてみても、どれも噂話や憶測の域を出なかった。
ばらばらだった話を繋ぎ合わせた結果、隠れ泉の道を進んだ先には湖があり、そこには伝説と呼ばれるポケモンが住んでいるという結論に至った。
男が自分に都合のいいように噂を解釈した部分もあったので、信憑性には欠ける。しかし、不確定な要素があるから行かないという選択肢は彼には残されていなかったのだ。
噂だけでもいい。とにかくそのポケモンの話がどこかに残ってさえいれば良かった。わらにも縋る思いで、それらの情報を頼りに男は隠れ泉の道の先へ向かったのだ。
 事前にちゃんとした情報がなかったため準備は万全とは言えない。こんな険しい山道も男にとっては想定外のこと。
あれからしばらく時間が流れたように思えるが、相変わらず殺風景な尖った岩が連なっているだけだ。出口が見えなかった。
ここまで気力と根性で何とか進んできたが、この後も斜面が続くとやばいかもしれない。足も腰もそろそろ限界だ。
一度不安を感じてしまうとそれはどんどん広がっていくもの。信じていたものはまやかしで、これより先には何も見えてこないような気がして。
自分はでたらめな情報に踊らされていただけで、所詮噂は噂でしかなかったということなのか。
出来るだけ考えないようにしてきたこと。しかし、一度現れた不安を拭い去ることはできなかった。
むしろ、男の心の中でそれはどんどんと膨らんでいく。そうなると、何だか歩くのすら馬鹿らしくなってくる。
こんな激しい身を削るような思いをしてまで来たのに。何も見えてきやしない。自分は一体何をやっているんだか。
杖を握る男の手の力が弱まり、支えを失った杖は地面に落ちてからんと乾いた音を立てた。そのままどかりと腰を落とすと、岩にもたれかかってため息をつく。
今の彼の体力でこんな山道を登ると言うのがそもそも無謀だったのだ。無理に無理を重ねてきたつけが男の体に一気に襲いかかる。
もう目瞬きをするのも、呼吸をするのでさえ辛い。再び立ち上がれるかどうか自信がない。それほどまでに疲弊していた。
「ここまで、なのか」
 目を閉じてがっくりと項垂れた男がぽつりと零す。無我夢中で草むらを突破して、我武者羅に山道を登ってきた彼が初めて口にした弱音だった。

 男が頭を垂れてからどれくらいの時間が流れただろうか。ふと、岩場を強い風が吹き抜けた。風は岩と岩の間を駆け抜けて、男の顔にもぶつかってくる。
閉じかけていた彼の瞼が、風を感じて僅かに開いた。どうやら、まだ生きてはいるらしい。
その時微かに風に混じって、かさかさという葉擦れのような音が耳に入ってきたのだ。周辺は岩ばかりで、本来ならば聞こえるはずのない音。
草が一本や二本では風が吹いたところでほとんど音は立たないだろう。もしかすると、近くに大きな草むらがあるのかもしれない。
それはすなわち、この岩場が途切れていることを意味する。これで終わりじゃない。まだ、先があるのだ。虚ろになっていた男の目は再び光を取り戻す。
膝に手をついてどうにか立ち上がると彼は斜面を上に向かって一歩、また一歩と歩きだしていく。湖のポケモンに対する執着心だけが、男を支えていたのだ。
 彼が予想していた、いや、渇望していたとおり少し進んだところで岩場は途切れ、一面の花畑が広がっていた。
男の膝くらいの高さの白い花。花びらは細長く中心に向かって円を描くように並んでいる。花粉は黄色く、白い花びらと綺麗な色合いを作り出していた。
時折風にあおられて、さわさわと優しい音を奏でている。花には詳しくないため何の種類なのかは分からなかったが、美しい花だ。
この景色だけでも、ここへ来た価値がいくらかはあるかもしれない。だが、自分が探しているのは花畑ではなく湖。
花の綺麗さに感動して立ち止まっているわけにはいかなかった。白い絨毯を横切るように、男は花畑を突っ切っていく。
踏んでしまった花には少々申し訳ない気もしたが、これも目的のため。背に腹はかえられなかった。

 花畑も広かった。岩場のような傾斜はなく、進みやすくはあったのだが。前も後ろも同じような景色ばかりで、自分がどこへ向かっているのか分からなくなる。
いつになったらこの白い風景から抜け出せるのだろう。そんな不安も抱きながら歩き続け。男の膝元は花粉で黄色く彩られていた。
勘と噂だけを頼りに。暗闇の中を手さぐりで進むのに近い状況。それでも、ここまでたどり着けたのは男が幸運だったのか。
彼の目の前には蒼い壮大な湖が広がっていた。うっすらと霧が立ち込め、幻想的な雰囲気を作り出している。
風はあるはずなのに全くと言っていいほど湖面は波立ってない。まるで鏡のごとく、周辺の風景をくっきりと映し出していた。
「や……った、やったぞ」
 震える声で呟きながら男は満面の笑みを浮かべる。かすれた笑い声が辺りに響き渡った。
ここまで険しい道を歩いてきた疲労も。隙を見ては心を砕こうと襲いかかってきた不安も。湖を前にすれば一瞬でどこかに吹き飛んでしまっていた。
きっとここに求めているポケモンがいる。湖が見つかっただけで、まだそうと決まったわけではなかったが。男は勝手に思い込んでいた。
ここまで来れば、いないという可能性など考えられない。もう頭の中は追い求めてきたポケモンのことで一杯だった。
しかし、どうすれば出てきてくれるだろうか。この湖は花畑とは比べ物にならないくらいに広い。岸辺をぐるりと回って探すのは体力的にも不可能だ。
「ん?」
 男が立っている場所から少し離れたところに、桟橋が湖の中央に向かって伸びている。霧のせいでどこまで続いているのかは判断しかねた。
こんなところに誰がいつ、どうやって作ったのだろうか。何やら怪しげだったが、きっと何か目的があったはずだ。
それにしてもあんな大きなものに気づかなかったとは。湖を発見できた感激のあまり、周りがちゃんと見えていなかったらしい。
とにかく、あそこを渡れば湖の中心部に向かうことが出来る。それが作られた経緯なんてものはこのさいどうでも良かった。
 右足を最初の板に乗せてみて分かったことは、思っていたよりも桟橋が丈夫に作られているということだ。
ぼろぼろに朽ち果てていて渡ることすらままならないのでは、と心配していた男にとってはありがたい話だ。
軋む音はしたものの見た目以上にしっかりとした作りになっているらしく、割れたり腐ったりしている部分は見受けられなかった。
桟橋の表面が滑りやすくなっているので、逸る気持ちを押さえながら慎重に男は中心へと向かって進んでいく。
しんと静まり返る湖の中、彼の足音だけが生物の存在を匂わせている。澄んだ水なのだから、ポケモンが住んでいてもおかしくないのというのに。
男が歩いている間も他のポケモンの気配すら感じなかった。不気味なまでに、この湖は静寂に包まれていたのだ。そしてそれは中央に向かうほど強くなっている気がする。
やがて、男は桟橋の果てまでたどり着いた。どれくらい歩いたのだろう。かなりの距離があったように思えるが、振り返ったところでこの霧だ。
正確な長さは分からない。とりあえずはここが湖の中心に最も近い場所と考えて間違いないだろう。
「もし、俺の声が聞こえるんだったら、出てきてくれ……」
 桟橋の先端に跪き、瞼を閉じて自分の胸に手を当てると男は小さく言う。その姿はまるで何かに祈りを捧げているかのよう。
「どうか、俺の目の前に……ギラティナ」
 探し求めたポケモンの名を囁き、ぎゅっと目を瞑り男は懇願する。
こんな時は何に願いを込めればいいのだろうか。苦しいときや困ったときだけ神を崇めても、きっと何の効果もない。
それでも祈ることしか自分には出来なかった。男は普段から神を信じていなかったことを、この時ばかりは少し後悔していた。

 暫時の空白が流れる。そして、ふいに聞こえたちゃぷんという音。桟橋の足に水がぶつかったのだ。
男ははっと目を開く。ここはさっきまで何の音も存在しなかった。風もなく、水の音すらしない無音の空間。
そこについさっき微かな物音が生まれた。何かが動いたのだ。目を凝らして水面を見てみると、表面がゆらゆらと波打っている。
水中に何かがいるのか。いや、そんな気配はない。現に、水の中には何の姿も見当たらないのだから。
だが、この水の揺らぎはただ事ではない。男がなおも水が波打っていた個所を凝視していると、ぐらりと水の上の空間が歪んだ。ように見えたのだ。
ギラティナを求めるあまり、ありもしない幻を見たのだろうか。あんな現象は今までに見たことがなかった。男はごしごしと目を擦る。
そんな彼の行動とは裏腹に、徐々に空間の歪みは大きくなり巨大な影を形作っていく。
程なくその影は長い首に、一対の大きな翼に、六本の足に、そして太い尻尾に分かれていく。
全体としては灰色を主とした体に所々、赤と黒が混じっている感じか。頭から首にかけては金色に近い黄色の飾りのようなものが付いている。
六つの足の尖った爪も、それと同じ色合いだ。そして光の届かない闇夜をそのまま色として具現化したかのような、漆黒の翼。
ボーマンダやカイリューのようなすっきりした形ではなく、翼というよりは細長い影を背負っているかのようにも見える。
高さだけでも男の三倍はあろうかと思われる巨体をものともせず、水の表面にそっと立つようにして静かに佇み、赤い瞳で彼を見据えていた。
書物で見たり、噂話で聞いたりしたのとは若干の相違はあったが。今、自分の目の前に現れた姿がギラティナだと確信してもよさそうだ。
「随分と騒がしい。人間がこんなところへ何の用だ?」
 低くて重みのある威厳に溢れた声が男の耳に響く。その風貌と巨体に相応しい威圧感。普通の人間なら無意識のうちに震えを感じてもおかしくはない。
ただ、男の場合は自分からギラティナを呼んだのだ。怖がっていたのでは話にならない。ギラティナの姿に怯むことなく、男は立ち上がる。
「俺はあんたに頼みがあって、ここまで来たんだ。聞いてくれるか?」
 丁寧な挨拶や、長々とした前置きは必要ない。別に交流を求めに来たわけではないのだから。単刀直入に男はギラティナに尋ねる。
「まずは、内容を聞かせてもらおうか」
 ぶっきらぼうな男の態度にとりわけ苦い顔をするわけでもなく、ギラティナは淡々と答えた。特に興味を持たれているようには見えない。
聞くだけならば別にいい、ぐらいに思われているのだろう。それでもいい。まずは聞いてもらえると分かっただけでも上出来だ。
「俺が死んだら、魂を天国まで連れて行ってほしいんだ」
「……何を言っているのかよく分からないが?」
 ギラティナは訝しげに首を傾げている。伝説と言われるポケモンでもそんな仕草をするんだな、と男は少し感心した。
存在が特別なだけで、根本的な部分は他のポケモンと変わりがないのかもしれない。ギラティナが笑ったり泣いたりするところは想像がつかなかったが。
余計なことは言わず端的に。目的だけを率直に言ったつもりだったが。さすがに唐突過ぎたようだ。
端折り過ぎて本筋が伝わらなくなってしまっては本末転倒もいいところ。もう少し説明を加えることにしよう。
「ギラティナは死んだ者の魂をあの世まで連れて行くことができる。人間の間ではそう伝わっているんだ」
 書物に記された内容や研究者の調べによると、ギラティナは死者の魂を呼び寄せて死後の世界へと導く能力があるらしい。
死んだあとどうなるかだなんて男には分からない。ただ、生前に良い行いをしたものは天国へ。悪い行いをしたものは地獄へ落ちる。
誰が最初にそんなことを言い出したのかは知る由もなかったが、自分の周りではそれが広く伝わっていた。
「話は変わるが、俺は昔密猟者だった。密猟者ってのは、ポケモンを違法に捕まえて高値で売りさばく仕事だ」
 もう何十年も前の話だ。保護区になっている場所で珍しいポケモンを捕え、そう言ったポケモンを求めるコレクターと取引をする仕事。
何も最初からそう言った組織に生まれて育ってきたわけではない。きっかけは些細なことだった。男が普通のトレーナーだった時代。
ポケモンの捕獲が規制されていない一般道で、野生ポケモンを捕まえていた男を見ていた密猟者の一味が、捕獲のテクニックにセンスを感じ声を掛けたのが始まりだった。
特に生活に困っているようなことはなかったのだが。目の前に大金をちらつかされると心が揺らいでしまって。本当に、少しだけのつもりだった。
他の隊員の捕獲をサポートする役目。それから回数をこなすうちに徐々に密猟者達と関わっている時間が長くなり。いつの間にか彼は正式な隊員として迎えられてしまっていた。
罪の意識は多少なりとも感じてはいたのだが、何もポケモンを殺したりするわけではないのだから、と軽く考えていたのかもしれない。あの頃は男も若かったのだ。
 昔の話とは言え、同族を物のように扱われていたことを知って怒りはしないかという心配はあったのだが。ギラティナは表情を変えなかった。
そんな過去の話で目くじらを立てるほど、器は小さくないということなのか。少しだけ安堵した男は話を続ける。
「どういうわけか捕まりはしなかったが。結局俺は密猟者からは足を洗った。自分の行いが間違ってるって気付いたからかもしれない。その後、数十年は真面目に生きてきたつもりだ」
「……続けてくれ」
 まだ話に続きがあることをギラティナは察している。男の表情を見ていれば分かることなのかもしれない。
お互いの顔には結構な距離があるのに、細かいところまで目が届くのだなと感服しつつ、男は話を続ける。
「そして、つい最近になって病気が判明して、余命を宣告された。もう長くないそうだ」
 少し肩をすくめはしたものの、顔色は変えずに男はあっさりと話していく。病気を申告されたときは、そりゃあ衝撃を受けたが。
いつまでも落ち込んでなんていられなかった。自分に残された時間が少ないことは、段々と激しくなってきている咳や胸の痛みが物語っている。
無茶な運動をしたせいか、山道を歩いている時の痛みは普段よりもかなり激しかった。もしかすると、もしかするかもしれないなと、ある程度の覚悟はあった。
だが、ギラティナに会うことが出来てしまった今。自分の目的を全て話し、ギラティナから返事をもらうまでは。くたばるわけにはいかない。
「そしたらさ……急に怖くなったんだよ。今まで多くの罪を犯してきた俺は、死んだ後も楽になれないんじゃないか。安らかに眠ることが出来ないんじゃないか……ってね」
 病気のことを知る前までは、そんな風に意識したことはなかった。昔密猟者だったことも忘れかけて。ごくありふれたトレーナーとして平凡な人生を送っていたような気がする。
そうしていくうちに自分も年をとり、死が徐々に近づいていることを何となくは感じていたものの、誰だっていずれは死ぬ。仕方がないこと、ぐらいの認識でしかなかった。
しかし、いざ死期が迫ってきていると克明に知らされると。死に対する恐怖は人間の本能なのか。男は抑えようのない不安に襲われたのだ。
死んだ後の世界は誰も知らない。それでも、自分が今まで手を染めてきた犯罪の記憶が、ポケモンたちの悲鳴が蘇ってくるのだ。
いくつもの罪を犯した自分は、きっと地獄に落ちる。死んだ後も永遠に苦しみ続けなければならない。どうしてもそれを考えてしまい、怖くてたまらなかった。
「なるほど。それで私に自分の魂を導いて欲しい、と」
 話の意図を汲み取るのが早くてありがたい。とどのつまりはそういうことだ。
もっと身も蓋もない言い方をすれば、死んだ後楽になりたいから助けてほしいという男の願いだった。
最初は腑に落ちない様子だったギラティナにも、事の背景を話すことでちゃんと理解してもらえたようだ。
「もちろん身勝手な頼みだってことは百も承知してる。けど、頼れるのはあんたくらいしかいないんだよ……」
 ポケモンを収納できるボールや、それの転送システム。ポケモンセンターの回復装置など。人間の科学技術の進歩はめざましい。
とはいえ、いくら科学の力でもどうにも出来ないこともある。体が老いて行くのを止めることは不可能だ。
そんな中で、人間の能力の限界を軽々と超えてしまう力を持つポケモンも数多く存在する。
ギラティナは男が探して見つけだした、唯一の希望だった。死者の魂を導くと言われるポケモン。
伝説のポケモン、ギラティナならきっと。きっと何とかしてくれる、そう信じてここまで来たのだ。
「お願いだ……どうか、俺が死んだら魂を天国まで連れて行ってくれ……」
 両手と膝をついて、頭を板に擦りつけて。土下座のような体勢で、男は必死にギラティナに頼み込む。
プライドなんてありはしない。どんな手段を使ってでもいい。魂を導いてもらえるのならば、何だってする。そんな心持ちだった。
ギラティナの目に、自分はどう映っていただろう。哀れな男だと思われていただろうか。人間というものは愚かな生き物だと思われていただろうか。
どう感じられていたとしても、判断を下すのはギラティナだ。男は黙って返事を待つしかできなかった。
「いいだろう。お前の望み、私が叶えてやろう」
「え……ほ、本当か?」
 しばらく黙っていたギラティナが口を開いたその内容は、男の望みを受け入れるという内容のもの。一瞬、耳を疑った。
言うまでもなく男は、ギラティナなら願いを叶えてくれると心から信じていた。信じてはいたのだが。
勝手に押しかけられて、一方的に要求を聞かされたギラティナはあまりいい気分はしなかっただろう。何様だと思われても仕方ないくらいの態度だったのだから。
その自覚があったからこそ、機嫌を損ねたので断られるかもしれないという恐怖が付き纏っていた。そこへの承諾だ。男の顔がみるみるうちに明るくなる。
「私が見たところ、お前の魂は完全には穢れきってはいない。足元の水が見えるか?」
 そう言ってギラティナは桟橋の縁に視線を移す。彼もそれにならって、桟橋から身を乗り出して水面を覗きこんだ。
じっくりと眺めて、あらためて澄んでいて綺麗な水だと分かる。自分の顔が湖面にくっきりと映っていた。自分でもびっくりするくらい酷い顔だ。
顔の皺はこれまでにないくらい深く、目の下の隈も濃い。この面持ちなら誰もが男のことを病人と信じて疑わないだろう。
「この湖の水は清らかだ。お前の穢れも浄化できる。飲んでみるがいい」
「……あ、ああ。分かった」
 男は軍手を外してポケットにねじ込むと、水面にそっと手を差し入れる。
思わず身震いしてしまうくらい冷たい水だった。指先から手のひらへ。手のひらから両腕へ。
ひやりとした感覚が伝わってくる。いくつもの小さな切り傷を負った手には心地良かった。
零さないように気を配りながら掬いあげた両手を、ゆっくりと口元まで持っていく。水が乾いた唇に触れ、そこにも潤いが戻ってくる。
男はそのままごくりと水を喉へ通した。口から喉、喉から胃へ。自分の体が徐々に冷やされていくのを感じた。
「これで、いいのか?」
「ああ。澄んだ水の流れはきっとお前の魂を清めてくれるはずだ」
 ギラティナが何か凄い技でも使ってくれるのかと思いきや、水を飲むだけでよかったとは。男は何だか拍子抜けだった。
いや、ギラティナが言うのだからきっと何か重要な意味があるのだろう。確かに、おいしい水だった。冷たさは未だに喉に残っている。
これで体が清められるのならば、もう何も心配はしなくていいのか。そういえば、何だか体が軽くなったような気さえしてくる。
男が立ち上がろうとして右足に力を込めた瞬間、ぐらりと目の前の景色が、ギラティナの姿が揺れた。
頭と肩を桟橋の板に打ち付けたことで、ようやく自分が倒れたのだと言うことに気が付く。起き上がろうとしても力が入らない。
直後、胸に激しい痛みが走る。今までに感じたことのない激痛。男は思わず胸を鷲掴みにする。それでも痛みは治まらなかった。
近くにいるはずのギラティナの姿もだんだんとぼやけてくる。それが霧のせいなのか、自分の目が霞んだせいなのか、もう分からない。
ただ、自分はここで死ぬんだなということは理解できた。もっと辛くて凄惨なものだと覚悟していたが、案外あっさりしているものだな。男が今まで想像していたよりはずっと苦しくなかった。
「安心……ろ。……ちゃんと、私が……連れて……る」
 耳元でギラティナが何かを囁いている。全てを聞きとることは出来なかったが、穏やかな口調は男に安心感を抱かせるには十分だった。
自分はもう動けなくなってしまったけど、後のことは頼んだ。本当に、ギラティナには心から感謝している。
男は最期にお礼が言いたくて、口を動かしてみるも声が出なかった。ありがとう、と口の形だけしかできなかったが、伝わっただろうか。
何も見えなくなってきた。何も聞こえなくなってきた。ギラティナの翼のように真っ暗な空間が広がっている。それでも、不思議と恐怖は感じなかった。
ギラティナに会えて。願いを聞いてもらえて、死後も安らかに眠れるという確信がある。何も、怖くはなかった。



 私は男の口元に、翼の先端を宛がってみる。呼吸は感じられなかった。半分ほど見開かれた目も虚ろで光が消えてしまっている。
そうか。逝ったのか。あんな体でよくここまで来られたものだ。安らぎを求める執着心からなのだろうか。人間の力も、案外馬鹿に出来ないものだ。
ひどくくたびれた男の顔を見たときから何となく予想はしていた。私が彼の最期を見取ることになるのではないか、と。
目の前で命の尽きるのを見るのは、やはり気分のいいものではなかったが。それにしても、あの男は興味深いことを言っていた。
私が死者の魂を集めて、あの世へ連れて行く。だから天国まで連れて行って欲しい……か。
人間とはなかなか面白い絵空事を考え出したり、信じたりするものなのだな。私には理解できそうもなかった。
男は私にそういった力があると盲信していたようだが。それは勝手に人間が作り出した妄想だ。
何しろ私自身、死んだ後の魂を連れていく能力について、男に聞かされて初めて知ったのだから。
死後の世界がどうなっているかなど、私は知らないし、人間やポケモンの魂というものも見たことがなかった。
確かに私はポケモンの中でも優れた能力を持っているのかもしれない。だが、生物の死後に関与する力などありはしないのだ。
それはきっと干渉してはいけない部分。生きている限り、死はどこかで訪れる。
私もいずれはそうなる運命にある。どんなにもがいても、自然の摂理に反することは出来ない。
 しかし、それならばなぜ私は魂を運ぶ力があるふりをしたのだろうか。ちょっとした退屈凌ぎか。あるいは男の話が面白かったからか。自分でもはっきりしなかった。
ただ、死を間近に迎えながらも。誰が言い出したのかも分からない、空想染みた話に振り回されて。
骨身を削る思いでここまで辿りつき、私に縋るような目で懇願していたあの男が、心のどこかで哀れに思えたのだ。
別に、彼に特別なことをしたつもりはなかった。魂を運べると偽って、穢れを清めるからと適当な理由をつけて水を飲ませた。私がしたのはそれだけのこと。
仮に私が、そんな力はないと正直に彼に話していたとしたら。立った一つの希望を失った男が絶望に打ちひしがれ、苦しみながら死んで行くのは想像に容易い。
それならば、嘘を付いてでも彼を安心させてやった方がまだ救いがあるのではないか。
私も死にかけた者に追い打ちをかけるような非道ではないつもりだ。どちらが本当に良かったのか、私には判断しかねるが。
動かなくなった男の顔を私はじっくりと眺めてみる。目が半開きになっているせいで何だか不気味だったが、口元は微かに吊り上っており微笑んでいるともとれなくもない。
私の言葉で、少しでも安堵に満ちた最期を迎えられたのだろうか。考えてみたところで、結局それは彼自身しか分からないこと。
私は翼を伸ばし、二本の赤い刺をそっと男の瞼に当てる。そして、静かに目を閉じてやった。偽りなどではなく、私がちゃんと出来るのはこれくらいだ。
「……安らかなる眠りを」
 時間の流れが止まったかのようなこの湖と、そして私に。小さな波を送り込んでくれた感謝と、騙してしまったせめてもの償いを含めて。私は静かに囁いたのだ。

 END


・あとがき

前回の大会に続いてまたもやドラゴンポケモンの登場です。
行頭下げ等の表示形式を普段と同じように書いたので、気付かれた方も多かったのではないでしょうか。
またドラゴンか、とか言われそうですがギラティナも好きなものでして。
あまり仮面を被ろうとか意識はしませんでした。自分が一番書きやすいと思っている形式がこれなのです。
物語の基盤は昔書いた小説のリメイクのような感じだったのである程度は楽でした。
過去に罪を犯した男が楽に眠りたいから湖のポケモンを求めるという流れ。当時はギラティナではなくミロカロスでしたが。
その時はこと切れた男にミロカロスが大丈夫ですとそっと語りかける後ろ暗さの少ないものだったのです。
今回はギラティナを扱うと決めたこともあって、少し後味の悪さが残るストーリーになってしまったかもしれません。
人間の間で広まっている図鑑や伝承の通りに野生のポケモンが力を持って存在しているわけではないと思うのです。
ギラティナが冥界と深い関わりがあると言う設定はポケモン図鑑にはありませんでしたが、私のイメージから。
内容を端折れば、ギラティナなら何とかしてくれると思って尋ねたがそんなことはなかった、というお話。
最後まで読んでくださった方、投票してくださった方、ありがとうございました。
【原稿用紙(20×20行)】 33.4(枚)
【総文字数】 11161(字)
【行数】 220(行)
【台詞:地の文】 7:92(%)|808:10353(字)


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最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • ギラティナもいいものです。小説でなかなか見られないのが残念無念。
    何かに縋りたくなるのが人間。嘘だったとはいえ、最後に逝った人間はきっと救われたんじゃないかと思います。
    そっと男の瞼を閉じるギラティナが印象的でした。静かな湖で、ただ静かに。

    ギラティナ=冥王のイメージはどこから来たんでしょうね。今の今までずっと公式のものかと思ってました。
    伝説だの何だの言ってもポケモンはポケモン。確かにその通りかと。
    内容は暗めですが、それでも不思議ともやもやはしない内容でした。後味もむしろよかったです。
    執筆お疲れ様でした。これからも応援しております。
    ――&fervor 2010-04-05 (月) 20:15:56
  • ギラティナはあまり見かけないですよね。伝説ポケモンを見かけることが少ないような気がします。
    最後のシーンは私も気を遣って書いた場面でもあるので、そう言っていただけると嬉しいですね。
    何の力も持っていないギラティナですけど、ギラティナはギラティナなりのやり方で男を救ったのではないかなあと。
    もちろん私はほのぼのしたのが大好きですけど、たまにはこういうお話も書きたくなるのです。
    レスありがとうございました。
    ――カゲフミ 2010-04-07 (水) 23:10:29
  • やはりドラゴンとくればカゲフミさんですね。
    私自身大会で誰が誰とか深くそこまで予想はしなかったのですが、言われて見れば……という感じだったので仮面は被れていた気がしますよ。
    天国に行きたいが故に噂を信じてギラティナを求めた人に、本当のことを言うべきか、嘘をつくべきか。実際にもありますよね。真実を言えばいいのか嘘を言うべきなのか悩む時って。……え、ないですか?

    むしろ暗さはないような感じがしました。
    なんというかすっきりした感じは無いのですが、どこか落ち着くような感じの終わり方、という印象です。
    執筆おつかれさまでした。
    ――イノシア ? 2010-04-08 (木) 00:09:02
  • そういうイメージになっていたのなら嬉しいですね。ドラゴン好きとしてはw
    嘘も方便という言葉もありますし、ずばずばと真実を伝えるだけが優しさではないのではないでしょうか。
    登場人物が亡くなってしまう物語だったので、最後のギラティナの行動で少しはそれを軽減できたらなと思って描写しました。
    レスありがとうございました。
    ――カゲフミ 2010-04-10 (土) 18:32:35
  • 少々遅れてしまいましたが、お疲れ様でした。

    死を扱っているのに、ただ重いだけではなく清らかなものが感じられました。
    噂だけを信じてやってきた男に施してあげた優しさが心にきました。
    ギラティナもただ1匹のポケモンでしかないのですよね。そういう「現実味」というか「ポケモンらしさ」がよく出ていて、素晴らしいと思います。

    これからも頑張ってください。では。
    ――コミカル 2010-04-11 (日) 18:46:59
  • 登場人物を死なせてしまうことは最初から決まっていました。
    ですので、出来るだけ後味の悪さが残らないような終わり方になるように気を遣いましたね。
    どんなに潜在能力を秘めたポケモンでも、限界はあると思うんですよね。魂云々についてはそれを意識してみました。
    レスありがとうございました。
    ――カゲフミ 2010-04-16 (金) 21:30:44
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