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白いもや

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注意

この小説には官能的な描写およびグロテスクな描写があります。

グロテスクな描写としてポケモンの捕食やそれに伴う流血身体欠損死別鬱展開を、
特殊な官能描写として異物挿入石化や蝋人形化による拘束洗脳BLを含みます。

10万文字程度の文章量があります。適宜休憩をとりながらお楽しみください。



白いもや

水のミドリ


目次





1 晴れ [#1NWwWdB] 


「いや、あんただけだったケド」
「――え?」

 そう言われた途端、景色が遠のいた。水底から水面へ向かって生えているはずの水草がぐんにゃりと歪む。ダダリンの(いかり)を巻きつけられたまま海溝へ沈められたみたいに、何もかもが遠くに聞こえなくなる。取り囲む水はわたしから急速に体温を奪っていき、ごぽぽぽ……、と、開いた口からあぶくが逆巻く幻聴に包まれる。落ちていく、落ちていく、落ちていく。10本ある腕をどこまで伸ばしても、わたしの吐いた小さな粒は届かないところまで昇っていってしまう。

「……――、ねえ、ねえってば。聞いてるワケ?」

 ピンクのベールを重ねたような姿の見知らぬポケモンが覗きこんできて、心配そうにわたしへ言葉をくれていた。アローラでは見たこともないその風貌に、どこか遠いところへ流されてしまったという現実を嫌でも思い知らされる。
 それもひとりで、だ。
 嵐の中わたしが気を失う直前まで、この10本腕でしっかりと抱き留めていたはずなのに。てっきり彼が先に目を覚ましていて、「大丈夫かい? 怖かったね」と、いつもの柔和な笑顔でわたしを慰めてくれるものだとばかり思っていた。あれだけ愛を誓って、アローラのサンゴ礁を抜け出してどこか安住の海を見つけるんだってふたりで泳いできたのに、いきなり離ればなれになるなんて、なんというか……受け入れられない。

「う、ウルマは? ウルマ……わたしの恋ポケの、ええと、サニーゴなんだけど」
「サニーゴが、なんで海にいるってのさ」
「え、や、だって、ウルマはっ、アローラからずっと一緒で、わたしをおぶって泳いで、ひどい荒波で、全身ボロボロになって、右後ろの枝なんかは折れちゃってたけど、でも、でも、ちゃんと掴まっていたから、だからそばにいたはずなの」

 的外れな疑問を口にする相手に、焦燥は募るばかり。サニーゴなんだから海を泳ぐに決まってるでしょ! と噛みつきそうになって、牙のついた下顎を震わせた。ちぐはぐな言葉をつないで、彼がいたことを伝えようとしても、相手は一向に認めようとしない。

「だから、あんた1匹しか見つからなかったんだって」
「うそ……」
「あたしが嘘ついてどうなるってンのよ。だいたい、助けられて感謝のひとこともないワケ? どこの世界だって、ありがとうは挨拶の基本でしょ?」
「……そんなの、信じられない」
「そうかもしンないけどさ、だからって――」
「ちゃんと、探したの? 岩の裏とか、藻に絡まっていたり、海底洞窟のくぼみに引っかかってるかもしれないし、層になった砂の中まで、ちゃんと全部調べたの!?」
「…………」

 初対面の、ましてわたしを助けてくれた命の恩ポケに対する口調としてふさわしくないのは百も承知だけれど、それを取り繕っている余裕なんて今のわたしにはなかった。もしかしたらこのポケモンが、わたしの大切なウルマを隠してしまっているのかもしれない。ウルマはヒドイデと恋に落ちた珍しいサニーゴとして、ポケモンハンターに狙われてきたのだ。心配してくれるように見せかけて、わたしに彼を諦めさせようとしているに違いない。そうに決まってる!
 掴みかかろうとして、すとんと腕から力が抜けた。水底の砂紋へ盛大に顔から突っこんで、口の中が砂利だらけになる。お腹の空き具合からしてもう何日も食べていないようだった。起き上がろうとして全身が軋み、鈍い痛みがわたしを地べたへ貼りつけた。
 面倒くさそうな顔つきをさらに曇らせたピンクの浮遊体が、声を苛立たせた。

「受け入れられないンなら、受け入れるまで何回だって説明したげる。ここはガラル地方、ワイルドエリアの北東側、巨人の鏡池(かがみいけ)って呼ばれているところ。ヨロイ島付近をバカンス中、内海(うちうみ)であたしが見つけられたのは、荒波に揉まれてボロ雑巾になった瀕死のヒドイデ1匹だけ。以上」
「…………」

 ボロ雑巾になった瀕死のヒドイデ、つまりそれがわたしだった。改めて自分の姿を確かめる。頭の棘は折れ、左周りに3番目の腕は中ほどから先端までの感覚がない。ちぎれていた。栄養をたっぷりと摂ってひと月もすれば元通りに生えてくるだろうけれど、腕でぴったりと体を囲っても冷たい海水が紫の肌を刺してくるのが(わずら)わしかった。
 でも、そんなこと。ウルマを奪われたかもしれない心の痛みに比べれば、なんともない!

「今、あたしのダチがきのみを持ってくるから。それ食って少しはアタマを冷やしなよ」
「そんなのっ、いらないよッ!!」
「…………はぁ、別にいいケド。それで野垂れ死んでりゃ、そのウルマってヤツも、浮かばれないんじゃね」
「!」

 ……そんな言い方。
 わたしとウルマを引き離したうえ、まるでウルマがもうこの世にはいないみたいなこと。
 信じられない。信じられない。信じられない! 目を閉じればすぐそばからウルマの優しい声が聞こえてきそうなのに、もう手を繋ぐことも、抱きしめてもらうのも、並んで夕陽を眺めることも、彼の手の届かない枝の根本を洗ってあげるのも、彼のハミングにわたしが歌をつけることも、人間がくれたマラサダをわけっこして食べるのも、わたしのが早いかけっこも、彼のが早い水泳競争も、群れのサニーゴから仲間外れにされた彼を慰めることも、抱きしめられてありがとうって言ってもらうことも――何もかもできないなんて、信じられるものか!

「うぅ……うううゔ、ゔあああ゛ッ」

 なのに、なんで、涙がこみ上げてくるんだろ。
 この、ウルマのことをなにも知らないくせに、勝手に死んだって決めつけて、わたしを(おとし)めた意地悪なポケモンに怒って、怒って、それでも認めないってのなら、脅して、噛みついて、毒に浸して、ウルマの居場所を聞き出して、取り返さなきゃいけないってのに。
 思い出す。ふたりで嵐の海域へ踏み入れた日の、断片的な記憶を。
 たしか……そう。海を創ったとされるカイオーガがのたうち回っているような高波に揉まれ、泳ぐ気力も体力もなくしたわたしをウルマは優しく抱きしめてくれていた。その表情は、どこか達観していたように見えて。わたしかウルマ、どちらかしか助からない状況になったら、駆け落ちするほど決断力のある彼のことだ、迷うことなくわたしが生きながらえることを優先するだろう。
 アローラにいるときからウルマはそうだった。好物のクラボを拾っても、果肉が片方しかついてないときは、渋い顔をすることもなくわたしに譲ってくれた。サニーゴと仲良くしている、とわたしが仲間のヒドイデからいじめられていれば、本能的に身のすくむ思いをしていただろうに、ウルマは果敢にもわたしを庇って彼らに忠告してくれた。
 楽しかった彼との思い出を取り出せば取り出すほど、ウルマが命と引き換えにわたしを平穏な海域まで送り届けてくれたんだって、思えてきちゃって。……本当に、死んじゃったの? でも、でも、そんなのってないよ。あんまりだよ……。

「お、やっと来たな」

 ピンクのが呟いて顔を仰いで、わたしもつられて上へ視線を向けた。
 荒れ狂うわたしの気持ちになんか我関せず、陽射しはすぐそこの水面で穏やかに屈折して、倒れたままのわたしをゆらゆらと照らしていた。ヨワシの群れのように楽しげに踊る青天井がいきなり、どわわっ、と乱れを見せる。

「失礼、遅れた。品のないヨクバリスが独り占めしてきてね。説得するのに、少々手こずってしまったんだ」
 
 それはまるで天界からの落とし物のようだった。大量のあぶくをキラキラと(まと)って水中へ滑りこんできた姿に、あれほど狂乱していたわたしの気持ちは瞬く間にどこかへ吹き飛ばされた。
 手にオボンのみを抱えたそのポケモンが水底へ着陸するように降りてきて、ぽかんと見上げるわたしへ紳士的な微笑みを向けてくれる。

「池の外まで貴女(あなた)の素敵な(わめ)き声が聞こえていましたよ。おかげで迷うこともありませんでしたが。貴女がルサの見つけたというヒドイデのお嬢さんですね。おお、なんと痛ましい。ナックルシティの貧民街(イーストエンド)のポケモンたちですら、もう少し身なりを整えるものですけれど。まあ、ワイルドエリアの服装規定(ドレスコード)は〝生き残ること〟ですから、なんら問題はありません。むしろ都合がいい。きのみにかじり付いて、下ろしたての背広(スーツ)を汚す心配もありませんからね」

 丁寧な物腰でわたしへと向けられた、なんだか失礼な雄の声。その声の主にわたしの目は奪われて、話の内容はほとんど入ってこなかった。
 水中で溺れるかと思った。
 ウルマが、いた。
 どこで推進力を生み出しているのか分からない、ちょっと引き伸ばされた球体なボディをしているのに、わたしより早い泳ぎ方。背中を覆う甲殻からは無数の枝が伸びていて、おでこと両手のものだけは他に比べて短めだ。さらに控えめな4つの足は、背中側と色が違うのも同じ。わたしよりもひと回りだけ大きい体つきの、彼はサニーゴだった。
 ――やっぱり生きてた! 生きてた! 生きてたんだっ!
 感動の再会に圧倒されたわたしへ、ウルマは片手を大仰に胸へ当て、カプ・ブルル様へご挨拶するみたいに恭しくお辞儀した。

「お初にお目にかかります、私はメドウと申します。失礼ですが、お名前は?」
「ま……またまたぁ。ウルマったら、そんなこと言うの?」

 柄にもなく冗談めかすウルマ。わたしがあれだけ心配していたのに、もうっひどいんだから! それよりなにより元気そうでよかった。わたしみたいに死にかけてないで、本当によかった!
 なけなしの力で飛びついて、抱きしめようと腕を伸ばす。その先についた毒針がウルマへ触れる前に――後ろへ泳いで避けられた。いつもみたいにあの硬くて短い腕で抱きしめ返してくれるものだとばかり思っていたわたしは、力んで傷口に沁みた痛みを抱えながら、どうして? と視線を向けた。
 ……あれ。
 ウルマ、こんなに顔色悪そうだったっけ。サンゴ礁の日差しを浴びて七色に輝くほど鮮やかなピンクの枝は、アローラの砂浜よりも白く脱色しているみたい。それになんだか、枝の奥に水の中の景色が透けているような……? かじっても噛みごたえがなさそうだし、なによりそんなに美味しそうに見えない。ウルマ、どうしちゃったんだろ。人間は気まぐれに髪の毛の色を変えたりするらしいけれど、それと同じようなものなのかな。わたしが気を失っている間に、ガラル……とか言ったっけ? それ流のオシャレにイメチェンしてサプライズ……とか。
 困惑して言葉を探しているわたしの視界に、ありえない光景が映し出された。
 サニーゴのトレードマークとでも言うべき、体から無数に生えていた白い枝が、音もなくウルマの体へ引っこんだのだ。あっと息を呑んだわたしの目の前で、ゆっくりと落下していく球体。そこに空いた不自然な空洞から、ぶくく……、と泡が昇っていく。水底へ到達したウルマは、6匹くらいのカメテテがシェアハウスしている岩みたいな見た目になった。
 ウルマの、わたしと会えずに泣きはらしたように充血していた両眼は、伏せられることによってその暗がりへと消えて見えなくなっていた。わたしがおずおずと腕をひっこめたのを確かめてから、再び目のくぼみに(ねた)ましげな赤色が灯る。

「……淑女(レディ)の熱烈な抱擁(ハグ)を断る無礼、どうかお許し願いたい。私どもサニーゴを見るのは初めてでしたか。この枝には、触れた者を少しずつ動けなくする呪いが封じられています。申し訳ありませんが、手を繋いで貴女を先導(エスコート)することは、致しかねます」
「…………」

 ――うそ。
 サニーゴは、そんな怖いこと言わない。サンゴ礁で群れを作って、岩場でひなたぼっこするのが大好きなんだ。サニーゴの色は血の通っていないような白じゃなくて、サンゴ礁でもひときわ目をひくビビッドピンクなんだ。半分に切ったクラボを申し訳程度に添えたような瞳の恨み顔じゃなくて、アローラの太陽を反射してアブリボンの鱗粉のように輝くニコニコ顔なんだ。
 枝を引っこめるなんて、できやしない。わたしたちヒドイデが分けてもらえるよう頼めば折ってくれるけれど、2、3日もすればすぐに生え変わる。そんな、今にも成仏してしまいそうな儚い雰囲気なんてなく、常夏の太陽のもと、どこまでも澄んだ大海原を満喫する、生命力に溢れた種族。
 なのに、なのに。目の前でサニーゴだと自己紹介した彼は、本当に死んじゃっているみたいで。
 こんなの、サニーゴじゃない。ポケモンですらないかもしれない。……わたしが見ているのは、おばけ? ユーレイ?

「嵐の海で遭難した恐ろしさ、心中お察しいたします。慣れない土地での生活は頼るべき相手もおらず心細いでしょう。できる限り私が貴女を援助(サポート)します。……ご覧に入れました通り、直接は触れられませんので、食料の譲渡や、近隣騒動(トラブル)の解決などが中心となりますけれど」
「……あの」
「何か質問でしょうか」
「死んじゃったの?」

 いかにも子どもっぽい疑問をぶつけたわたしに、ウルマは小さく吹き出して、これは失礼、と断りを入れて表情を繕った。砂浜に流れ着いた人間の道具を、これはどうやって使うんだろうかと考えているような、興味深そうな微笑み。

「それは、どちらが『死んじゃった』のだと、尋ねていますか?」
「え……っと」

 彼のことをなんと呼べばいいか分からなくて、私は無言で目の前のサニーゴの抜け殻みたいな存在を針先で指し示した。それだけで傷だらけの腕が痛んで、やっぱりわたしは死んでないんだなと思い知らされる。

(ゴースト)タイプをそう揶揄されると、幼い頃の郷愁(ノスタルジー)がくすぐられますね。生きながらにして、死んでいる。なんとも難しい命題だ。私としては、どちらでも構いません。貴女の都合が良い方で捉えてもらって、よろしいですよ」

 ……そっか。
 ウルマと離ればなれになったんじゃない。むしろ、嵐に呑まれて命を落としてしまった彼が、あんな恨めしい姿になってまでして私に会いにきてくれたような。
 アローラを出るときに「もし死んじゃったとしても、僕がディーナを助けるよ」と、深く深くどこの海溝よりも深く、誓ってくれたのだから。愛の力だ! ひとりで寂しい思いをしている私を見かねて、溺れて死んじゃったウルマが化けて出てきてくれたんだ。生まれ変わったせいでわたしのこともちょっと忘れているみたいだけれど、しばらく一緒にいれば思い出してくれるはず。
 そうだとしたら、納得もいく。少なくともわたしの心は乱されずに済む。死んだかどうかさえ分からずに、ずっと会えない方がつらいに決まってる!

「わたし……サルディーナ。……覚えて、ないの?」
「ええ、初めまして」目の前のサニーゴは、眉ひとつ動かさずにわたしを見つめている。冗談なのか、本気なのか。もともと冗談を言うタイプじゃなかったけれど、判断がつけられない。「教えてくれてありがとう、ミス・サルディーナ。では改めまして、私はメドウ。巨人の鏡池近辺のポケモンたちを統括する、象徴(シンボル)ポケモンを務めています。いわば皆を世話する男爵(バロン)のようなものとお考えください。困ったことがありましたら、いつでも呼びつけてくれて構いません。大抵は池のほとりの草むらで転がっていますので」

 ウルマ――現メドウさんはにこやかな顔つきを崩さずに、たっぷりと余裕を持ってわたしへとお辞儀をした。ユーレイになった右腕は風になびく煙のように折り曲がり、柔らかさを失った灰色のお腹へと当てられている。仰々しく体が傾くと、おでこに空いた空洞からメドウさんの内側が覗いていた。なんだか見てはいけないもののような気がして、目を()らす。

「それから、こちらはルサ」
「……」メドウさんに紹介されたピンクフリルは、怪訝そうな顔つきを崩さないまま、わたしへと向き直る。「あたしはルサ。プルリルのルサ。あんたを助けたこと、別に恨んでくれても構わないケド……その10倍は恨み返してやるから覚悟決めてやんなよ」
「あ、あの……」さっきわたしがルサへわめき立てた言葉が蘇ってきて、申し訳なくなる。「その、助けてくれて、ありがとう……ございます。わたし、気が動転しちゃって、ヒトデナシみたいなことばっかり言って」
「別に気にしてないケド? あんたも色々辛かったみたいだし、水に流したげる」
「そうしてくれると、嬉しいよ……」

 答えたきり、わたしは何を喋ればいいか分からなくなって、沈黙する。ルサもそれ以上わたしと会話を続けるつもりもないみたい。腕の陰からおろおろした視線を向けることしかできないで、なんだか惨めだ。
 沈痛な雰囲気を仰々しい咳払いで流したのは、メドウさんだった。

「ともかく……ミス・サルディーナ。私どもは歓迎します。まずは気持ちの整理をつけるのがよろしいかと。それから巨人の鏡池に住み着くなり、かつて住んでいた海に戻るなり、ご決断なさればよいでしょう」
「あの、わたし、これから何をすれば……?」
「おやおや」

 そのまま放っておかれるような雰囲気になって、置き去りにされるのが怖くて、わたしは会釈して向けられた白い背中を思わず呼び止めていた。
 メドウさんはゆったりと振り向いて、掻き口説くわたしを(なだ)めるようなめくばせをくれる。頼られることに慣れた、おとなの仕草。なんだか子どもじみた考え方を(とが)められているようで、伸ばした腕を引っこめてしまう。

「麗しい淑女(レディ)からの同伴のお誘いを無下にする無礼、これもまたお許し願いたい。私にもワイルドエリア保全委員会のもと働くポケモンとして、立場(ポジション)というものがありましてね、担当区画(エリア)の見回りをしなければならないのですよ。水中ではそろそろ息も続かなくなりますので、この辺りで失礼させていただきます」
「そんな……」

 せっかくユーレイになって会いにきてくれたのに、そんなよく分からないことを言って、またわたしを独りにするの?
 頭が考えることを放棄していた。どっと疲れたような気がする。重い体を引きずって腕を払い、わたしからメドウさんへ背を向ける。

「しばらく……ひとりにして、ください」
That’s not bad.(それがいい。) ある程度のことは、時間が解決してくれます。確か、そこの水草は誰も使っていなかったはず。ご自身の置かれた状況の整理が着くまで、ゆっくりお休みになられてはいかがでしょう」

 その優しげな口調とは裏腹に、メドウさんの言葉はわたしの擦り切れた心へ深々と突き刺さっていた。 




2 晴れ 


 (せわ)しないヒドイデだな、というのがミス・サルディーナについての第一印象(ファーストインプレッション)だった。
 急に目を輝かせたり、かと思えば腕の先まで虚脱して(なず)んだり、モルペコのような感情の起伏(アップダウン)を繰り返す。そうでもしないと自分のきのみを横取りされてしまう、という被害妄想(パラノイア)に取り憑かれたような、消極的(ネガティブ)な思考に囚われているようだった。栄養失調によりところどころ針は抜け落ちていたし、傷だらけの腕は1本、中ほどから痛々しく千切れてはいたが、命に別状はない。遭難して錯乱(パニック)に陥ったとはいえ、再生力の高いヒドイデという種族に感謝してもいいとは思ったが。もちろん、彼女を救助(レスキュー)したルサに対しても。
 疲労のせいもあるだろうが発音も曖昧で、どこか抑揚(イントネーション)を外した下町英語(コックニー)だったし、ガラル入国にあたって渡航許可証(パスポート)を紛失して慌てる観光客のような早口だった。もっともワイルドエリアのみならず国道(ハイウェイ)沿いにも生息しているヒドイデならば、その必要もないのだが。温室育ち、あるいは温水育ちとでも言うべきか、ワイルドエリアの過酷な環境を知らないようだった。あの取り乱しようを考慮しても、トレーナーから捨てられたのかもしれない。
 以上のような所見(オピニオン)を、巨人の鏡池に浮かぶルサへと述べた。

「ひと晩ぐっすり寝れば、あの子も考えがまとまるでしょ。混乱してるのよきっと」
「そうだといいのだけれど……ひとつ気がかりなことがある。俺を見ているんだけれど、彼女の目には俺ではない誰かが映っているような様子だった」
「……念のため確認しておくケド」ルサは声を潜め、怪訝そうな視線を俺へ送りつけてくる。「もしかして惚れられたって思ってる? だとしたらとんだ思いあがりね」
「それなら俺が恥をかくだけで済む。ミス・サルディーナが神経症(ノイローゼ)になるよりかは幾分か、マシだ」
「へへえ」海賊船に隠された柘榴石(ガーネット)をはめ込んだようなプルリルの瞳が見開かれた。「あんた、ああいう垢抜けないのが好み(タイプ)なんだ、意外」
「そういうのじゃないさ。ただ、気になっただけ」
「見上げた女性尊重(レディファースト)なこったねえ。あたしのことはチンケな冗談(ジョーク)を試す相手くらいにしか思っていないくせにさ。いつか化けの皮が剥がれて、せいぜいあの子に嫌われないといいな?」

 ルサが(おど)けて、細い首をミミッキュめいて横へ倒す。プルリルの顔がかくんと水面へ隠れて、ごぽごぽとあぶくを立てながら沈んでいった。そのまま器用に1回転して、ハロウィンを迎えた(ゴースト)タイプがよくやるように「Boo(ばあ)!」と俺へ〝みずでっぽう〟を吐きつけた。
 俺に将来を約束する相手がいないことを揶揄(からか)うのはルサの挨拶のようなものだったが、今日のそれは映画(フィルム)が始まる前に流れる予告編(トレイラー)のように長い。それもホラー系のばかりときた。

「嫌われかねない未来ついては、もう懸念しなくていいようだけれど」ヨクバリスから多めに頂戴したオボンの残りを〝おにび〟で炙って、とろけた果肉を小さくかじる。元来ココガラ程度にしか膨らまない腹だが、初対面の淑女(レディ)にふられたともなれば、なかなか喉を通ってくれない。「もうすでに、俺は嫌われているようだったから」
「嫌われてたっけ? あたしにはそうは見えなかったケド」
「最後、ひどく傷つけられたような顔をしていた」
「……さあね。あの子、なんか勘違いしているみたいだし」
「勘違い?」

 俺がきのみを調達してくる間、あのヒドイデから詳しく話を聞いていたルサいわくこうだった。ミス・サルディーナはガラルから遠く離れたアローラという地方から、恋仲のポケモンを連れて大海原へ漕ぎ出した。不運にもその旅すがらに遭難し、恋ポケとはぐれて今に至る、といったところか。あれほど混乱していたのにも納得がいく。
 それにさ、とルサが付け足した。

「アローラってとこから駆け落ちしてきた相手、あんたと同じサニーゴなんだって」
「サニーゴと海を渡る、ねえ……」ワイルドエリアとナックル近辺しか知らない俺は、ガラルを取り囲む広大な海というものを想像した。「俺は水中で10分と息が続かないし、随分と無茶なことをしたものだな。ミス・サルディーナの愛しい者の生存は絶望的(ホープレス)かもしれない」
「死んだそのウルマって子を、おおかたあんたと重ね合わせちゃってンでしょ、やりきれないねえ」
「ルサ。まだ亡くなったと決めつけるのは、ミス・サルディーナに失礼だよ。しかし、そうなると俺はしばらく会わない方がいいかな。君が面倒をみてやってくれないか」
「はあ!? それ超ヤなんですけど! あたしだってあたしなりに忙しいワケ!」

 人間の用いる(カレンダー)上では、12月に差し掛かっていた。日の入りもだいぶ早まっている。クリスマスや年越しといった、恋ポケと過ごしたい行事(イベント)は目白押しだ。もっとも毎日のように天候の荒れ狂うワイルドエリアでは、日照時間の満ち引きなど瑣末な現象だし、俺たちが人間の風習(カスタム)を真似る必要などどこにもありはしないのだが。
 まだルサの恋ポケを紹介されてはいないが、彼女の自慢話によればお相手はナックルシティに住んでいるらしい。ポケモンたちだけでも利用できる施設の多いその町では、そうして季節(シーズン)行事(イベント)を楽しむポケモンも少なくない。

「それに」ルサは水面に口をつけて大きくため息をついた。ぶくぶくと泡が立って、消えていく。「あの子には、あんたがお似合いよ」
「俺が嫌われていないにしろ……サニーゴが近づいたら、彼女、思い出してしまうんだろ」
「早いうちに思い出させてあげるくらいが丁度いいと思うケド? あのままだといずれ、カレシの亡霊でも見始めそうだし。毎日いもしないサニーゴに話しかけてるあの子の姿とか、見てらンねえでしょ」
「もしそうなれば、馴染みのある精神病棟(メンタルヘルス)を紹介しよう。腕の立つ女医がいる」
「そうならないように、あんたが見守れっつってんの」

 巨人の鏡池の、ミス・サルディーナを残してきたあたりに目をやる。誰だって恋ポケとの別れはつらい。それが死別かもしれない、ともなればなおさらだろう。むしろ彼女はよく正気を保っていられた方だ。荒波立つような気配はないが、それも嵐の前の静けさに思えなくもない。
 幸いにも、俺は淑女(レディ)の笑顔を引き出す心得を身につけている。俺を見ながらにして俺ではない誰かを探していた、ミス・サルディーナの不安げな仕草。それに気付かないふりをするのは、英国紳士(ジェントルマン)として相応(ふさわ)しくないだろう。
 ルサが両腕を水面めいてゆらゆらさせる。

「あたしから見たら、あんたら似た者どうしだしさ」
「俺が? あの子と? どこが?」
「気づかないワケ?」
「同じタマゴグループってだけでそう言っているのなら、とんだ早とちりだろうね」
「……違うわよバカ。その、なーんも分かってないようなとこが、そっくりだって言ってンの」
「…………」

 今日のルサはやけに突っかかってくるな。俺の冗談(ジョーク)仕込み(ストック)も際限なくあるわけではないので、お手柔らかにしていただきたいのだが。……さては恋ポケと喧嘩でもしたか。

「失礼だけど、曲がりなりにも俺は1ヶ月前まで人間のもとで暮らしてきたんだ。一般的とされる行儀作法(マナー)教養(カルチャー)はもちろん、ガラルの裏社会で暗躍した、辻斬りキリキザン(切り裂きジャック)の緻密な謀計(プロット)までをも知り尽くしているつもりだけど」
「カントー地方ってとこには、こんな慣用句(イディオム)があるんだって。『井の中の蛙大海を知らず』って」
「俺はフシギダネでもニョロモでもない。海を知らないってのは……お恥ずかしながら、あながち間違いでもないけどさ」
「そうやって小賢しい切り返しばかり身につけて紳士(ジェントル)ぶって、女の子のキモチは、何ひとつさっぱりなクセに」
「…………。これは提案(プロポーサル)なんだけど、君も何か話し始める前に、『失礼だけど』と断りを入れたらどうだろうか」
「あんたがバカ丁寧なだけでしょ。ワイルドエリア住みにあんな映画(フィルム)から飛び出したみたいな英国紳士(ジェントルマン)はいないぜ?」
「満身創痍の淑女(レディ)に、すげない態度は取れないだろう。俺が象徴(シンボル)ポケモンに任命されてからまだ1ヶ月しか経ってない新米(ノービス)だなんて知れたら、ミス・サルディーナを余計に不安にさせてしまう。ルサだって恋ポケのミスター・ルッソに抱きしめられながら、丁寧に愛を紡いでもらいたいんだろう?」
「それは、そうかもだケド」
「そんなに意地を張ってないで、仲直り(メークアップ)した方がいい」
「……」

 俺は長い間トレーナー付きのポケモンで、訳あって今はその男とは別れ、ワイルドエリア保全委員会の管轄のもと、巨人の鏡池で象徴(シンボル)ポケモンとして皆をまとめ上げている。実に7年ぶりの故郷(ホーム)だった。ルサは以前にも増した野趣(ワイルド)言葉使い(ランゲージ)で、俺を懐かしい思いにさせてくれる。
 むすっと黙りこんだルサへ、何か言うことはあるかい? と目だけで問いかける。

「あたしのルッソくんは、自分のこと『私』とかオカマじみたこと言わないし! ギラティナ様に魂を配達(デリバリー)するイケメンヨノワールだし! 一緒にしないでよね、まじキモい!!」
「……………………」

 ひと息で吐き捨て、ピンクのベールを優雅に翻して彼女は湖底へと消えていった。先ほどはあえて狙いを外した〝みずでっぽう〟を、今度は称賛すべき正確さで俺の顔へぶち当てながら。やれやれ。
 独りにされた俺は、懐から(シルク)のハンカチを取り出した。英国紳士(ジェントルマン)を代表するいくつかの小物(アイテム)の中でも、淑女(レディ)の涙を受け止めるそれは人間にとってもポケモンにとっても必須(マスト)なもの。トレーナー付きだった時分、先輩のシャンデラから譲り受けたそれを、俺はいまだに愛用している。
 無惨に濡れた顔を拭こうとして、包んでいたものがこぼれ落ちた。

「返しそびれてしまったな……」

 ミス・サルディーナが腕を振り払ったとき、後頭部の隙間から何かが飛び出した。太陽の光を反射して輝くそれを見た途端、ほとんど衝動的に、俺は霊力でハンカチを飛ばして包みこんでいたのだ。ナックルシティの路地裏で窃盗(ピックポケット)をするチョロネコも顔負けの手際(スキル)で、俺はそれを(かす)め取っていた。
 鮮やかなピンク色をしていて、側面に瘤のついた円錐(コーン)状のもの。秋の終わりに抜け落ちた落葉樹(オーク)の枝のような形をしていて、けれどどこか生命力を宿していて。
 ヒドイデの頭の針に被せられるほどの大きさのそれには、どうしようもなく俺を惹きつけてくる魅力(チャーム)があった。まるで己の根源(オリジン)へ触れたかのような、そんな(たぐい)神秘主義(スピリチュアリズム)。ワイルドエリアは人間の科学(サイエンス)を駆使しても説明しきれない現象で満ち溢れているが、この枝もそれに準ずる何かを秘めている気がしてならないのだ。
 芝のついた桃色の枝をハンカチで丁寧に拭い、腕を引っこめ、体の中へと取りこんだ。腹の底へ落ちた枝が硬い外殻にぶつかって、からん、と乾いた音を立てた。




3 日照り 


 その日どうやって眠りについたか、わたしは覚えていない。ひとりにされると心細さがぶり返してきて、とにかく泣いた。ユーレイになってわたしの前に現れてくれたのは嬉しかったけど、ウルマが死んじゃったという事実は揺るがない。本当なら、嵐の中わたしが腕を離さないでさえいれば、いつもみたいに彼と抱き合って眠ることができたのに。サニーゴとヒドイデが恋仲になるとはけしからん! なんてアローラの錆びついた掟から解放されて、わたしたちだけの楽園で暮らしていくはずだったのに――もう、ウルマに触れることすらできないなんて。
 顔を覆って、声を出してしゃくり上げた。近くに誰かの気配――もちろんウルマではない――がして、振り払うようにして水草の茂みへ逃げこんだ。恥ずかしがり屋なシェルダーのようにボロボロの体を覆いながら、厚みも硬さもぜんぜん違うそれをウルマの短い腕だと思いこみ、優しく抱かれるようにして意識を失っていた。
 翌朝、のろのろと水辺から体を持ち上げて、空を仰ぐ。アローラのような陽射しの強さに腕のひとつでひさしを作った。似ている、けど決定的に何かが違う。それはあまり湿り気を含まない空気の質感だったり、どこまでも広がる荒涼とした大地だったり(地平線というものを初めて見た)、群れのヒドイデの気だるげな声が聞こえないことだったり、この世の終わりかと思えるほど真っ赤な光の柱があちこちから天へと突き抜けていたりすることだけれど、やっぱり1番足りていないのは、わたしの隣にいてくれるはずのぬくもりだ。
 ……本当に、知らない土地に流れついたんだ。
 わたしがひと晩泣き明かした水たまりは、水底の砂地を揺れる光の模様まで見通せる程度には透き通っていて、それが人間たちの使う鏡という道具のようだから、鏡池。今日みたいに天気のいい日は、巨人に喩えられた大きな岩が水面に逆さ映しになっていて、ワイルドエリアというこの大地の力強さを表しているみたいに思えた。
 すぐ隣の草むらにはわたしの知っている種族、バタフリーが群れをなしていた。アローラではメレメレの花畑から流れてきた子とおしゃべりしたことがあるけれど、ガラルのバタフリーたちは何かに怯えるようにびくびくとしていて、わたしが話しかけるよりも先に鱗粉を散らして逃げていってしまう。
 アローラにだって食べる・食べられるの関係はあったし、当のわたしたちヒドイデがその鎖の一部を補っていたわけだけど、ガラルは訳が違うみたい。なんだかみんながみんな自分の縄張りを守るのに必死で、神経を尖らせているような。放っておけば1時間ごとにケンカが勃発しそうな彼らをまとめあげるメドウさんのような存在も、必要なのだろう。
 砂地にはディグダやダグトリオがせっせと砂を掻き回しているのが遠目から見えた。彼らもバタフリーたちと同じように、慌ただしく地面から顔を出して引っ込めてを繰り返しながら、どこかにきのみが落ちていないか目を光らせているみたいだった。けど、よく見ると髪の毛がない。トレードマークを失ったもぐらポケモンたちは、何かが足りないように思えてならなかった。
 わたしみたいに。

「ウルマ……」

 愛しいひとの名前を呼ぶたびに、あの優しい声がすぐそばから聞こえてくるような気がして。
 鏡池のふちに紫色の胴を腰かけて、水面に映った辛気臭い顔をした自分につぶやいた。だから、背後から近づいてくる気配にぜんぜん気づかなかった。

「お呼びですか、ミス・サルディーナ」
「うピャあ!?」

 ――ざっぱん!
 昨日、助けられたわたしにきのみを分けてくれた、心優しいサニーゴ。驚いて池にずり落ちた惨めなわたしを、霊力でそっと包んで引き上げてくれる。ゴーストタイプになった彼は自身の枝を呪われていると言ったけれど、〝たたりめ〟みたいな不思議な力でわたしを助ける分には、(たた)らなくて済むみたい。
 長いこと陸地で呼吸していたせいか、いきなり水中へ転落すると胸の奥が変なふうにこんがらかった。顔からダイブして飲んだ水を、えずいてみっともなく吐き出してしまう。

「物思いに(ふけ)淑女(レディ)を水に突き落とした無礼、どうかお許し願いたい。ミス・サルディーナ、さあ、拭いてください。これも英国紳士(ジェントルマン)の嗜みというもの、洗う必要はありませんので、そのままお返しくださいね」

 慌てた様子は見せなかったけれど、メドウさんは申し訳なさそうな表情でわたしへと白い布を差し出していた。人間の使う、ハンカチというものだったっけ。紫の体についている房の隙間へ流れてしまった嘔吐物(貰ったきのみも結局食べられなかったからほぼ水だけど)を拭い取って、ありがとうございます、と返す。
 それにしても、タイミングってものがあるんじゃない? わたしが大好きなひとの名前を呟いたら、すぐ隣にいたみたいに優しい声をかけてくれた。そんなことされたらやっぱり、メドウさんはウルマのユーレイでもあるのかなって、思っちゃう。きっとそうだ、そうに違いない。
 けど。

「う、浮いてる……」
「おや」メドウさんはわたしの驚きに心当たりがあるような顔をして、昨日見せてくれた柔和な微笑みを浮かべた。「先日は水の中でしかお会いしませんでしたからね、サニーゴは陸地では浮いて移動するのですよ。それでも移動はこの通り、ヤドンの歩みなものですから。かつて私ひとりで長距離を移動しなければならない際には、バイウールーの()乗合牽引車(オムニバス)に乗りこんだことも――」
「そんなはずないッ!」
「……どうしました、ミス・サルディーナ」

 急に大声を上げたわたしを、少し距離を置いてメドウさんが覗きこんでくる。はっとして口許を押さえた。ごめんなさい、と呟けば、さっきまでの柔らかい笑顔を向けられる。
 目の前にいるサニーゴと、わたしの知っているサニーゴは違う。昨日さんざん思い知らされたのに、気持ちはまだ突っぱねていた。
 会いにきてくれたんだと思った。けど、この白いサニーゴがウルマだと思いこめば思いこむほど、彼との違いが浮き彫りになってしまって。ちぐはぐだ。それをメドウさんにぶつけても、仕方のないことだって分かっているのに。
 それでも知らない土地、知らないポケモンだらけの世界で、馴染みのあるサニーゴという種族は、一瞬だけでもわたしの荒んだ心を、故郷のアローラの砂浜へと連れ戻してくれる。

「その。聞きたいことが、あるの」
「ええ、なんなりと」
「わたし、このガラルってところの海に流れ着いた、って聞いたけど。あのプルリルのルサっていう子から」
「そのようですね」
「わたしはアローラから、何ヶ月も泳いで渡ってきた。こんな内陸地の小さな水溜りに、迷いこむことはないかなって思ってて」
「まだ、受け入れられませんよね」
「…………」

 それはわたしがここへ流れ着いたことについてなのか、わたしだけが生き延びたことなのか、それともやっぱりウルマがいないことなのか。……だとしたらもちろん、受け入れられていないのだけれど。
 眉を曲げたわたしへ、メドウさんが噛んで含めるように教えてくれる。聴き心地がよく、流麗で、心の底までスッと馴染んでくるような優しい発音だ。

「巨人の鏡池は、島国であるガラルを取り囲む海と、奥深いところで繋がっているらしいのです。ルサの言うことには、プルリル族にしか使えない海までの散歩道(プロムナード)があるのだとか。ほら、海の水と同じように、ここは塩辛いでしょう? 住んでいる者たちも、チョンチーやギャラドスなど、実際の海とはそう変わらないはずです。数こそ少ないですが、ヒドイデも暮らしているはずですよ」
「こんなの、ぜんぜん海じゃないよ……」

 巨人の鏡池は、海と言われれば納得はするし、海じゃないと言われれば、確実に海ではなかった。少なくとも生まれつきここへ囚われたポケモンたちにとっては〝海〟と呼ぶに相応しいものなのかもしれないけれど。どこを見渡してもキラキラとまたたく水平線で囲われたアローラで育ってきたわたしやウルマからしたら、ちょっと大きめの水たまりにすぎなかった。
 陸に暮らす人間はガラスで四方を囲った箱を水で満たして、水の中でしか呼吸の続かないポケモンを育てることもあるのだそう。ワイルドエリアという逃げ場のない土囲いの中で、わたしは巨人の鏡池という水槽とその周辺でしか生きられない。アローラは遠出しようと思えばどこまでも泳いでいけた。雨上がりの虹の根元まで、どっちが早く到着できるかウルマと競泳したこともあった。
 しょっぱさも足りなかった。
 ウルマは、塩分濃度のとびきり高くて、ここよりもっと澄んだところじゃないとダメだった。わたしと付き合うことになって、サンゴ礁で暮らしづらくなった彼は新居を探してメレメレ湾を転々としていた時期があったけれど、島から淡水の流れこんでくる汽水域や、対流が滞っている荒磯の付近なんかで寝ようものなら、数日で背中の枝が脆くなってしまうのだ。それでもわたしと一緒なら構わないって言ってくれた。ボロボロになった体を必死に隠しながら、わたしを抱きしめてくれたんだ。
 ……だめだ、何を考えても結び着く先はウルマとの温かな記憶。わたしを気づかってくれるメドウさんと、まともに目を合わせられない。
 塞ぎこんでしまったわたしの隣へ腰かけるようにして、メドウさんが鏡池を覗きこむ。

「海とは、どういうところなのでしょうか」
「え?」
「私をはじめ、サニーゴ族は海を記憶の根源(オリジン)に抱えて生まれてきます。しかしその本質(ルーツ)を知る者はいない。巨人の鏡池はかつて広大な海の一部だったらしいのですが、その姿をこの目で確かめる方法はありません。トレーナーによって啓蒙(けいもう)された私は、人間の記した記録(アーカイブ)で海というものを知りました。しかし、実際(リアル)を体感するには至らないまま、ワイルドエリアに戻ってきてしまった」
「……そうなの」
「海というものを知ること。それが、私の本懐なのです」

 まだわたしに出会う前、サンゴ礁で群れのサニーゴと暮らしていたウルマは、仲間たちと海洋を泳ぐ速さを競ったり、見つけたお宝や人間の道具を自慢しては、ぎらついた太陽を全身に浴びながら、自由気ままな生活を存分に楽しんでいたらしい。
 タマンタ、ヨワシ、ネオラント。サニーゴの周りにはいつも誰かが寄り添っていて、きゃらきゃらと宝石のような笑顔を振りまいていた。サンゴ礁の中心となる人気の種族だから、海の中だけでなく陸地にも友だちはいっぱいいる。首の長いナッシーとジャングルを探検したり、砂浜で人間からマラサダをもらったり。サンゴ礁の外れに深層水の噴き上がる湧昇流を見つけたときには、たくさんの種族が入り混じった調査隊のリーダーになって調べに行ったんだ、という自慢話も聞いたことがある。
 海に愛されたサニーゴという同じ種族なのに、メドウさんの肌はアローラの陽射しを受け付けないような真っ白さだ。生まれながらにして海を知らないというのは、なんだかとっても悲しいことのような気がして。
 いつの間にか憂鬱をぶり返していて、池を覗きこんでいた。鏡に映るのは傷だらけのヒドイデの顔。……わたし、こんな顔だったっけ。目の下にクマを蔓延らせ、頬には涙の跡がこびりつき、口許を引きつらせたような、やつれた顔。不安、悲しみ、恐れ。そうした押し隠すことのできないいくつもの感情がまぜこぜになって、やつれたヒドイデの顔に貼りついているようだった。
 あ、と気づいて腕を掻き上げると、メドウさんの申し訳なさそうな表情が横目に映る。

私的(プライベート)な話題を不用意に投げかけ、淑女(レディ)に憂いのある流し目をさせてしまった無礼、どうかお許し願いたい。ミス・サルディーナ、貴女のことが……その、心配で。ご自分でもお気づきになられたでしょう、今の貴女はひどい身だしなみだ。おこがましいようですが、まずはご自身のことを大切に考えてほしいのですよ」
「ううん……大丈夫。メドウさんは、わたしを励ましてくれようとしたんだよね」
「……ええ。素敵な笑顔を、まだ見ていなかったもので。貴女のような淑女(レディ)には、エンジンシティの陸橋(ブリッジ)を覆い隠してしまうどんよりとした曇り顔より、ナックルシティの特徴的な競技場(スタジアム)の翼まで見通せるような、晴れやかな笑顔の方がお似合いですから」

 洗ったハンカチを鬼火で乾かしながら、メドウさんが歯の浮くようなことを言ってのける。ガラルの雄ってみんなこうなの? 文化の違いなんだろうけど、ウルマ以外からそんなことを囁かれたためしのないわたしはドギマギした。「んえぇ……」みたいな、ネッコアラの寝言めいた曖昧な返事が思わず漏れて、恥ずかしい。

「いつか、貴女の故郷(ホームタウン)の美しさをぜひ、教えていただきたいものです。そうですね……優雅な香茶(ハーブティ)を嗜みながらでも。ナックルシティの3番通り(ストリート)にある、お洒落な穴場の喫茶店(カフェ)へ連れていって差し上げましょう。ブリーのパンケーキが絶品ですよ」
「どこよ、そこ……」

 わたしの故郷の話を振ってきたのに、あなたの地方の話をするの? それにカフェって、人間たちが黒い水を飲むところだって聞いたことがあるよ。そんなところに連れていくなんて、人間にでもなりきっているんだろうか。マイペースでユーモラスなメドウさんについ、小さく吹き出してしまった。泣き疲れたような笑顔だったけれど、それでも彼は安堵したらしい。いかにも都会っぽい、ジェントルマンの柔和な笑みに、わたしは思わずドキッとした。

「あ」
「どう、しました?」
「……ううん、なんでもないの」

 気づいてしまった。
 わたしへ向けられるその笑顔が、はっとさせられるくらいウルマのそれに似ているんだ。
 メドウさんは、ウルマではない。ウルマのユーレイでもない。けど、わたしを気遣ってくれる優しさは本物だ。誰も頼るひとのいない異郷の地で、見返りもなく親切にしてくれるメドウさんへ、わたしはウルマの面影を重ね合わせていた。
 心に空いたサニーゴ型の穴は、サニーゴでしか埋めることができない。枝の形がちょっと違うかもしれないけれど、ぽっかりとできたわたしの空白に、メドウさんは次第に馴染みつつあった。





「あなたは確か、泣き虫のサルディーナさん? 昨日は大変だったみたいね。これからは池の一員として、よろしくお願いね」
「あ、泣き虫のサルディーナさんだ。どうして泣いていたんですか? どこから来たんですか? やっぱり9番道路(ハイウェイ)? それともマックスレイドのあぶれ者?」
「あんなに泣き喚くなんて、その傷、さぞかし痛かったろうね。誰にやられたんだい? ギャラドスの奴かい。あたいが後でとっちめてやるからねえ」
「泣き虫サルディーナだ! やーいやーい、お前のせいで池の水がしょっぱくなったって噂だぞー!」
「ひと晩中泣いてた余所者じゃねえか。ガキかと思ったら……うるさくて眠れやしねえ。ったく、これ以上問題は起こすなよ」

 わたしが挨拶回りを済ませるまでもなく、鏡池を住処としているヒドイデたちには全員名前が知れ渡っていた。ついでに恥ずかしい通り名までつけられて。
 ワイルドエリアのポケモンはみんなギスギスしているけれど、少なくとも他の種族よりは好意的だ。菓子折りも持たずに現れたわたしへ、好き勝手な言葉が投げつけられる。なかなか厳しい意見もあったけれど、アローラの群れから追い出されたわたしにとっては、無視されないだけマシだった。
 群れを束ねる(おさ)のヒドイデに連れられて、縄張りとしている鏡池の一部を案内された。大岩の巨人が片足を突っこんでいる中央あたりは水深もあって泳ぎやすそうだったけれど、そこは別のポケモンが占拠しているらしい。人間の垂らす釣り針さえ届きそうな、池の端っこの岩と水草で身を潜めることの容易な浅瀬が、ヒドイデたちのテリトリーだった。
 昨日わたしが泣き喚いた水草の生い茂る一角へと辿り着いて、これで案内は終了みたいだった。足の遅いわたしでも、ものの20分で1周できてしまうような、ホエルオーの背中くらいの広さの縄張り。鏡池全体の10分の1もないんじゃなかろうか。
 何か質問(クエスチョン)はあるかね、と言う長へ、わたしは言葉を選びながら口を開いた。

「何を、食べているんですか? 縄張りの中にはきのみのなる木とかなかったし、それに、あまり力のある群れには見えないんだけれど。例えばほら、あそこにいるツインテールの魚をみんなで狩るとか……?」
「と、とんでもない!」

 初対面の同族にどんな言葉遣いをすればいいか分からず、たぶん失礼な言い方になっていたのだけれど、長はそんなことなど気づかなかったかのように左右の腕をぶるるっと震わせた。

「あれはチョンチーと言って、わしらと同じ水タイプに電気タイプを併せ持つ危険種族です。不用意に近づきでもすりゃあ、強烈な電撃を浴びせられてそのままお陀仏ですわ。我が物顔で池を練り泳ぐギャラドスもカジリガメも、わしらの棘皮(きょくひ)なんぞバリバリと噛み砕いてしまいます。わしらが普段口にするものといったら川藻か、せいぜい小魚くらいでしょう。もしくは運よく流れてくるきのみを、ありがたく頂戴すればいいのです」
「…………」

 言葉を失った。
 メレメレのサンゴ礁ではヒドイデの天敵なんてぜんぜんいなくて、いつもわたしたちが追いかける側だった。南国の陽射しをのびのびと楽しめる余裕があるくらい、ヒドイデにとっては平和だったんだと思う。自分で言うのもなんだけれど、捕食者の動きが遅いからあの生態系が成り立っていたようなものだ。巨人に見立てられた岩の周囲では腹をすかせたギャラドスとやらが目を光らせていて、あんなのに見つかった日には、死を覚悟するしかない。
 それにしても。
 食べ物に関して浮かんだふたつめの疑問を、わたしは、おそるおそる口にした。溢れ出るよだれを気づかれないように腕で拭いながら。

「……その、サニーゴは……、食べたり、しないんですか」
「サニーゴ……? ああ、あの、白いの」

 その種族名を聞いただけでは、長は何のことだか思い当たりもしないようだった。わたしが両腕で丸いジェスチャーを作ってようやく、長は忌々しげに答える。見つけたきのみを横取りされたときのように、落ち窪んだ両眼をさらに翳らせていた。

「食べるも何も、どこを食えってんですか。あんなのに歯を立てようものなら、体の内側から呪い殺されて、しまい、ですわ」
「……」

 やっぱり、か。
 なんとなくそうじゃないかと思っていた。ヒドイデがこんなに追いやられているなんて、サニーゴの栄養が足りていないからに違いない。そしてそれを求める渇望が、アローラではわたしたちをサメハダーと肩を並べるくらいの海のギャングにまで育ててくれていた。
 ありもしない話だけれど……もしガラルのヒドイデたちがアローラのサニーゴの美味しさに気づいてしまったら。小魚とかきのみとか、そんなものでは満足できなくなってしまうかもしれない。鏡池で暴動が起きる。アローラのかつての仲間で、サニーゴを食べたいがあまりきのみなどを受け付けず、そのまま飢えて死んでしまったヒドイデもいた。わたしたちの執着はそれほどなのだ。わたしだって、目の前に新鮮なピンクの枝をちらつかされれば、あっという間に正気を失う自信があった。
 だから、サニーゴといやあ、と話をぶり返した長の怪訝な声に、どきりと心臓が跳ね上がった。

「あんた、なんだか(ねんご)ろにしているサニーゴがいるそうじゃないか」
「え?」

 長の言うサニーゴとはつまり、白いもやのような枝を持つポケモンであって――具体的に長が示唆しているのは、メドウさんのこと――ピンク色をした美味しい枝のことなんて知るはずもないけれど、アローラにおける彼らとの非友好関係を知っているわたしは、反射的に警戒心を尖らせた。
 長は苦々しく声を尖らせる。

「言っちゃあなんだが、あいつらにゃあ、あんまり関わらん方がいい。今でこそあんなしょぼくれた顔をしているがな、恨みがあの殻に収まりきらないほど溜まると、進化するんだと、聞いたことがある」
「進化……するん、ですか。サニーゴが」

 メドウさんとはまだ2回しか会って話していないはずだけれど、ともかくそれに小言を言われる雰囲気ではないようで、ひとまず胸を撫で下ろす。
 サニーゴが進化する。アローラじゃあそんな話、噂にも聞いたことがなかった。サニーゴの進化系、どんな姿なんだろう。ウルマが進化したら、きっとラプラスみたいにトゲトゲした大きな背中にわたしを乗せて、どんな海の向こうにでも安全で快適な旅ができたかな。……また、涙がこみ上がってきた。
 沈みこんだわたしに気づかない長は、気だるそうに腕のひとつを左右へ振る。

「わしも目にしたことはないんですが。風の噂によりゃ、触れられただけですぐに石になっちまうだとか、死体を取りこむとそいつの生前の記憶が読み取れるとか、呪った相手の種族ごと根絶やしにするとか……まあ、散々なんですわ」
「サニーゴは、そんなこと、しない……と、思います」

 絞り出したわたしの答えは、そっけなく首を横に振られただけだった。ウルマはもちろん、メドウさんだってそんなことするポケモンには見えなかったけれど。

「万が一、わしらもついでに呪われちゃあ、敵わんのです。あんたが昨日寝床にした水草、あそこは群れの縄張りの端っこにあたります。わしのお下がりでよけりゃあ、自由に使いなされ。あんたくらいの図体のなら、ふたりは満足に隠れられるでしょう」
「……。いいん、ですか? そんなことして」
「自己責任ですから、まぁ、常識の範囲で、ハメを外さなきゃ、ですがね。昨日みたいに、ひと晩じゅう大声をあげられちゃ、敵いませんが」
「……」

 ふたり、と言うのはつまり、わたしとメドウさんのことだろう。群れの厄介者を(てい)よく爪弾きにしているとも考えられるが、わたしは同族のヒドイデにだって敵対的な視線を向けられてきたのだ。最後さらっとセクハラを受けた気がしないでもないけれど、そっとしておいてくれるだけでもありがたい。
 それより何より。
 長は、サニーゴとヒドイデが一緒に生活することについて、何も言ってこなかった。
 アローラじゃあちょっと隣にいるだけで後ろ指をさされ、手をつなごうものなら罵声を浴びせられ、キスなんてした日には双方の陣営から〝とげキャノン〟が飛んできた。ずっとそれが、世界の常識なんだって、サニーゴとヒドイデのあり方なんだって、思ってきた。だけれどガラルじゃお咎めなし。腕を10本振りながら池の底をサニーゴと一緒に歩いたって、誰にも何も言われやしない。あんな肩身の狭い思いは、もうしなくたっていいんだ。
 温度も低いし塩分濃度もいまいちな池の景色が、途端に色づいてみえた。味気ない水草、水面の天井に映る光の揺らぎ、水底を構成する砂のひと粒でさえ、わたしを祝福しているように思えた。アローラのサンゴ礁とそこに暮らすポケモンたちよりも輝いて、いま、わたしの目の前に広がっている。
 ねぇウルマ、聞いてる? わたし、見つけたよ。サニーゴとヒドイデが手を取り合って暮らしていける楽園は、本当にあったんだ。

 ――できることなら、あなたと一緒に見つけたかったけど。



4 雪 


 トレーナーに捨てられた。タマゴから孵ったら両親がいない。気づいたらここにいた。さまざまな理由でワイルドエリアに加わるポケモンがいれば、同様にさまざまな理由でワイルドエリアから去っていくポケモンもいる。(ルール)もなく暗黙の紳士協定(カルテル)のみで平穏を成立させているような混沌とした環境は、ガラルのみならずどの地方へ目を向けても珍事(レアケース)だろう。そこを広く統括しなければならない象徴(シンボル)ポケモンである俺がひとりひとりに割ける時間はそう多くない。その上で、ミス・サルディーナにはできる限りの援助(ケア)を施しておきたかった。
 ミス・サルディーナが巨人の鏡池の一員(メンバー)に加わってから、2週間ほどが経った。
 経過は順調だ。ガラルのきのみが口に合わないなどということもなく、俺がヨクバリスから勝ち取ったそれを健気に食べてくれている。艶を取り戻した針には毒が再充填され、表皮についた無数の切り傷もあらかた塞がった。無惨にちぎれた腕も、半分ほど長さを取り戻している。
 幸い彼女が思い詰めることもなく、時間の流れに任せて辛い記憶をうまく誤魔化しているようだった。
 恋仲だというサニーゴは未だ現れない。ミス・サルディーナが俺へ向ける目線はやはりその影を追っていて、その話題に切りこむことは躊躇われた。ひとりで眠る夜はまだ水草を涙で濡らしているのだろうか。だとしても俺には分からない。水中なら、なおさらだ。
 彼女についてよく知る必要があった。
 本来ならば、ナックルシティの小洒落た喫茶店(カフェ)で特別な調香(ブレンド)紅茶(ティー)を片手に、ミス・サルディーナの飛び出してきたというアローラの海の話でもしておきたかったのだが。俺が優雅なデートを満喫している間に万が一、巨人の鏡池でダイマックスしたポケモンが暴れているとでもなれば、職務放棄(サボタージュ)していた俺に責任が重くのしかかる。元トレーナーと人間社会に染まってしまった俺には、かつての奔放な暮らしにはどうしたって戻れないのだ。
 だいぶ復調してきたミス・サルディーナを連れ、巨人の鏡池とその周辺を案内する。枯れ(すすき)にいるソーナンスに目をつけられると逃げられなくなること。縄張り(テリトリー)意識の高いニャイキングには近づかないこと。至る所で我が物顔に野営(キャンプ)する人間と、そこで振る舞われるカレーについて。頻繁には水中から出歩かないヒドイデという種族だろうと、一般常識があるに越したことはない。
 高曇りの空からしんしんと流れる粉雪に、彼女は慣れていないようだった。磨き上げた筋肉量(バルク)を見せつけてくる、俺の同僚にあたる象徴(シンボル)ポケモンのカイリキーへ挨拶を済ませたところで散策を切り上げ、きのみの成る木からいくつか新鮮なものを頂戴して、鏡池の水草の群生地(ハビタット)へと戻ってきた。
 雪のひとひらを溶かしては吸いこむ水面を見上げ、ミス・サルディーナがつぶやく。

「こんなに寒いの、初めて」
「母を(しの)ぶカラカラの如く震える淑女(レディ)を抱きしめられない無礼、どうかお許し願いたい。アローラでは雪は降らないのですか。天からゆっくりと舞い降りる氷の花びらはなんとも浪漫的(ロマンチック)でしょう」
「池の水が凍ったりは、しないよね……?」

 ミス・サルディーナの瞳が暗く翳る。子どもっぽいとも取れるその不安を拭い去るよう、当てつけがましい抑揚(アクセント)は控えて、俺は声を丸くした。

「先ほどきのみの成る木を揺さぶりましたね」
「うん」
「あれを10回ほど繰り返しても、まだヨクバリスが落下してこないようなものです。つまり、湖の凍結は非常に珍しいことなのですよ。ガラルの天候は変化しやすいでから、明日は砂嵐が舞っているかもしれないし、山火事(ワイルドファイア)が起きている可能性さえあります」
「……それもそれで、とっても不安になるけど」
「おっと失礼、つまらない冗談(ジョーク)でした。明日の空模様など、かつてガラルを崩壊させかけたブラックナイトと呼ばれる災厄(カラミティ)、それを阻止した英雄(ヒーロー)でさえ知る術がなかった。そいうことです」
「っふふ」ブラックナイトって何のこと? と聞き返すかわりに、ミス・サルディーナは悪戯っぽく笑う。「……なんだか雪って、海の中を漂うマリンスノーみたいね」
「マリンスノー、ですか。何でしょうそれは。申し訳ありませんが、海のことについてはさっぱりでして……」
「わたしも、ガラルって地方についてはさっぱり分からないの」
「……」

 Absolutely.(全くだ。) これはうまい切り返し方をされてしまったな。彼女から渡された絶好の機会(チャンス)なのだと都合よく解釈して、俺は笑みを作った。

「それでは……、もう少しお互いのことについて、話をしませんか。食事を交えながらでも」
「いいね。わたしもお腹が空いてきたところ」
「ええ、ええ、ぜひそうしましょう。少々お待ちいただいてよろしいですか。……水面で息継ぎをしてきますから」

 ミス・サルディーナの定着した住処には、真新しい家具(インテリア)が担ぎこまれていた。俺の甲殻とほぼ等しいサイズの岩が、水草の根元を押しやり寝床にほどよい水流の抜け道(バイパス)を作っている。聞けば、鏡池の中央付近まで赴いて自ら選んだのだそう。そこまで活発的に回復している彼女の精神状態(メンタリティ)を確認できて、俺も微笑ましい思いだった。
 何に使うのか尋ねても曖昧にはぐらかされてしまったが、構わない。秘密は淑女(レディ)を美しくする。もっともミス・サルディーナについて俺が知っていることなどほとんどないのだけれど。

英国(ブリティッシュ)(スタイル)のおもてなしをするために少々、こちらをお借りしてよろしいでしょうか」
「いいけど、削ったり割ったりはしないでね」
「このメドウ、淑女(レディ)にそんな無礼な真似事は一切いたしませんよ。……それでは失礼して」

 霊力を練り上げ、そのエネルギーを凝縮させることで、青白く燃え上がらせる。砂地へ鎮座した岩を〝おにび〟で取り囲んだ。生体相手に用いようものなら手酷い火傷を負わせる技。人間の用いるガスコンロというものを彷彿とさせるように、炎を配置(セット)したまま待つこと数分。
 じっくりと熱された岩へ、ふたつ切りにしたオボンを押し付けると、じゅわ! と肉感的(シズル)な音を上げ、きのみから香ばしいにおいが水に溶けてくる。燃焼に酸素を必要としない燐火は、こうして水中でもきのみに焼き色を付けることができるのだ。
 人間が野営(キャンプ)で披露するカレーほどではないが、曲がりなりにも火の扱える種族で助かった。淑女(レディ)に喜んでもらうのに、手料理とサプライズは有効な手段だから。
 鉄板でとろけるオボンの果肉へ、ミス・サルディーナの針がとすん、と突き刺さる。

「そうです。素晴らしいナイフ捌きだ。左腕の針を用いてオボンを支えたら、右腕の針を引くようにして切る。その際、可能な限り音を立てないように心がけてください」
「……ねえ。これ、そのままかぶりついた方が美味しいと思うんだけど」
「これはカロスに伝わる古典的(クラシカル)仏国(フレンチ)(スタイル)食卓作法(テーブルマナー)です。ガラルでも通用しますので、覚えておいて損はありません。もし素敵な英国紳士(ジェントルマン)に最上級のレストランへ連れて行ってもらうときも、恥をかかずに済みますから」
「初めて会ったときから思ってたけど、メドウさん、なんだか人間みたい。それともそれも、ガラル流のジョークなの?」
「そう捉えていただいて、差し支えありませんよ。……あ、コース料理の場合は、5本ずつあるフォークとナイフは外側のものから使いましょう」
「わたしの腕はフォークでもナイフでもないんだけど……」
「その襟元についている紫色のフリフリは、おしゃれなエプロンではなく?」
「……もうっ」

 泳ぐ銀食器(カトラリー)たるミス・サルディーナは頬を小さく膨らませて、ぎこちない動きでオボンを切り取っていく。つい笑ってしまった口許を隠すように、大きめのひと切れを頬張った。淑女(レディ)に喜んでもらえるもの。それは贅沢(ラグジュアリー)な時間の中に流れる、自然で利口(スマート)な会話のやり取り。
 さて、俺の分もいただこうか。霊力の塊を尖らせて、オボンの果肉へすっと通す。切り分けたその一片(フレッシュ)を口許へ持っていき――不意に、鏡池の中央付近から騒がしい雑音(ノイズ)が響いてきた。

「み〜〜〜〜〜つけたぜィ!」

 そのいかにも下卑(げび)た声には、毅然とした英国紳士(ジェントルマン)はすぐには振り向かない。新鮮(ジューシー)なオボンが冷めてしまう前に、口へと迎え入れる。実体のない舌の上でゆっくりと転がし、喉ごしを確かめるように飲み下す。懐から取り出したハンカチで口許を拭ってからようやく、声の主へと目をやった。
 ――やれやれ。一流のレストランを利用するならば、予約(リザベーション)を済ませておくのは常識だと思っていたのだが。
 隣では、席から立ち上がったミス・サルディーナが慌てふためき、食後のデザートであるナナのみを水底へ落としていた。気の利いた店ならすぐに替えのものが用意されるはずだが、あいにく苦情(クレーム)対応に追われているらしい。

「あ……あなた、もしかして、アローラからずっと追いかけて……!?」
「そ〜〜〜よォ。このイーギィ様の執念深さ、舐めてもらっちゃあ困るな〜あ!」

 遠巻きにこちらをうかがうヒドイデたちが怯えている。中には手ひどく痛めつけられた者もいたようで、こちらが尋ねる前にイーギィと名乗ったハギギシリ――その種族を俺は人間の使う図鑑(ポケデックス)というもので知った――は、鋭利な牙を覗かせる口から、ヒドイデのものと思われる毒針を吐き捨てた。あの頑丈そうな顎は、ドヒドイデの防御方陣(トーチカ)さえもかじり取ってしまうということが、説明文(ディスクリプション)の端に書かれていたはずだ。
 気を動転させたミス・サルディーナを落ち着かせるように、俺は耳打ちする。

「お知り合いでしょうか」
「し、知り合いっていうか……その、わたしとウルマが駆け落ちした直接の原因が……彼、なの」
「……なるほど」

 つまりこの不躾で品のない雄は、ミスター・ウルマの恋敵だった。ミス・サルディーナの奪い合いに敗れたものの、諦めきれずに追いかけてきてしまったわけだ。Love is blind.(恋は盲目) とはシェイクスピアの戯曲(スケッチ)における名台詞だが、それは罪を逃れるための方便ではない。己が追い立てたせいで彼女の身をどんな不幸が(さいな)んだかも知らずに、よくもこうずけずけと彼女の住処へ入ってこれたものだ。

「よ〜うやく追い詰めたぜえ、このバカップルども! ハウオリの波止場でこのオレ様にトドメを刺さなかった甘っちょろさ、檻ん中で後悔させてやらぁ!」

 招かれざる闖入(ちんにゅう)者に見かねて、俺は間へと割り入った。ミス・サルディーナへ唾を飛ばされては敵わない。

「彼女は私の大切な……」デート相手ですが、とは冗談(ジョーク)にしては機知(ウィット)に欠けるか。ミスター・イーギィと同じ泥水で泳ぐ必要はないのだ。束の間言いあぐねて、俺は言葉尻を濁した。「お客様です。失礼ですが、ミスター・イーギィ。目的地をお間違えではありませんか? ガラル観光なら正面を出て上、アーマーガアの駕籠(タクシー)を使うとよろしいでしょう」
「あ〜〜〜〜ン? ウルマてめ……なんか印象変わったな……。ま、オレ様の獲物はアロ〜ラのときから変わらねえ! アンタに白髪が増えていよ〜が、2匹まとめてとっ捕まえてやるだけよ!」
淑女(レディ)に対してとっ捕まえるなどと……。英国紳士(ジェントルマン)ならば、可憐な少女(バード)がそちらから千鳥足になるような魅力(チャーム)を身につけるべきでしょう」
「な、なんだと〜〜〜!?」

 切れ長のまつげまで逆立てて、ミスター・イーギィが口を尖らせた。もともと尖っていた気がしないでもないが、その不恰好な仕草がいちいち俺の鬱憤を積み上げていく。早いことお引き取り願いたいものだが。

「み〜んなまとめて、脳震盪を起こしちまいなァ!」
「!」

 ミスター・イーギィが叫んで、額から垂れ伸びている突起が花開くように振動する。放たれた歯軋りのような耳鳴りにはサイコパワーが乗せられていて、まともに聞いてしまったミス・サルディーナは「うああっ」と、悲痛な声を漏らして腕で頭を抱えこんでしまった。俺が〝みがわり〟になろうとも貫いて衝撃を与える音波の技。
 どうやらミスター・イーギィと同じタイプを持つポケモンを広範囲に制圧する技らしい。俺には一切の被害(ダメージ)を及ぼさないが、遠くで見守っていたヒドイデたちが逃げていく。ガラルにはいないポケモンが使う、ガラルにはない技。ぜひ一度レストランの席で詳しく話をお聞かせ願いたいものだ。魚料理(フィッシュ)はハギギシリの鬼火焼きがいい。

That’s great.(すばらしいね。) 淑女(レディ)素敵(ラブリー)な時間を過ごすにしては、優雅な音楽(サウンド)が物足りないと思っていたんだ」
「……ハァ〜ん??? ウルマてめ、なんでオレの〝シンクロノイズ〟で頭が軋まねえんだよ! アローラにいた頃にゃ、これでテメエも苦しんでたくせにッ!」
「いきなり押しかけては淑女(レディ)に〝なやみのタネ〟を植えつけるとは……。見苦しいのは、どちらでしょうねえ」
「ン〜〜〜っ許せねえ! オレ様をコケにしたこと、後悔させてやらあ!」

 ミスター・イーギィはいよいよ発奮して、胸ひれを激しくはためかせる。水色と黄色とピンクのパステルカラーが目に痛い。――やれやれ。アローラから遠路はるばるようこそお越しくださいました。ここはひとつ盛大に歓迎してあげましょう、英国(ブリティッシュ)(スタイル)のおもてなしで。
 嫌味をたらふく盛りこんで、もったいぶるような悠然とした仕草を意識しながら、噛んで含めるように、言った。

Manners maketh man.(礼儀作法が紳士を紳士たらしめる。)
「ハん?」
「分かりませんか?」英国(ブリティッシュ)に特有な慣用句(イディオム)に首を傾げるミスター・イーギィへ、俺は〝おどろかす〟の霊力を脚色(アレンジ)しながら目を見開いた。「ならば教えよう」
()っぢィ!?」

 背後から忍ばせた鬼火を、鱗へ押し付ける。前方へ意識誘導(ミスディレクション)させられていたミスター・イーギィは避けられるはずもない。トレーナー付きだった時代に、技を封じこめた円盤(ディスク)を用いて教えられた、野生下ではあまり見かけない(もっぱ)競技(コンペティション)用の技。たちの悪いことにこうした絡め手は、英国紳士(ジェントルマン)を演出する上で非常に役に立つ。すなわち、俺の守るべき淑女(レディ)の目にはいささか格好よく映るというわけだ。
 哀れなハギギシリは、水中であるにもかかわらず煉獄の残り香に囚われて、かなり気を動転させているようだった。

「アローラくんだりからいらした貴方のような方でも、ガラル観光をなさるならばせめて女性尊重(レディファースト)くらいは身につけた方がマシ、という意味です」
「お――あああああ゛!!」

 錯乱したまま大顎で噛みついてくるミスター・イーギィ。避けることなど造作もなかったが、俺はあえて鋭利な牙の餌食になった。手酷いやけどによって威力は減衰しているはずだが、ざりり、と額から伸び出た枝が頑丈な顎に持っていかれる。あるはずのない感覚神経が削られ、脳へ鮮明な痛みを訴える。――まぁ、枝の1本くらいガラルの手土産(スーベニア)に差し上げよう。
 ミスター・イーギィにかじり取られた、サニーゴの枝。宿り木のタネが芽吹くように、彼の口腔内に囚われたそれから、生命力(バイタリティ)を根こそぎ奪い取ってやる。〝ちからをすいとる〟ことで俺の額からはすぐさま白い枝が再生し、それを目の当たりにしたミスター・イーギィは驚愕に口を開いた。咀嚼されたはずの枝は、すでに白いもやとなって掻き消えている。
 ここぞとばかりにたっぷりの皮肉(アイロニー)を込めて、言ってのけた。

「人間のバトル界隈(サークル)では、サニーゴはこんな戦い方をするそうですよ。私自身がこれほど高耐久(タフ)ということを、貴方のような暴漢に襲われた淑女(レディ)を助けた際に思い知らされました。――今となってはいい思い出です」
「あ……ありぇ? 口んなかガ、なんか、固まっへ、うごかしづれ……。て――テメへっ、う、ウルマじゃ、ね〜なあ!?」
「おや、今ごろ」

 ミス・サルディーナと同じアローラ出身なら、俺の枝には石化の呪いがたらふく込められていることなど、知る(よし)もないのだろう。呂律の回らなくなった舌でミスター・イーギィは何やら叫んでいたのだが、英国式英語(クイーンズイングリッシュ)に慣れ親しんだ俺の耳では、きついアローラ訛りは聞き取れなかった。

「形から入るのはいつだって重要です。まずは身だしなみを整えましょうか、ミスター・イーギィ。服装規定(ドレスコード)はご存知ですか。けばけばしい色合いは見る者を辟易させます。並んで歩いてくれる淑女(レディ)に恥をかかせるようなものは、控える方が無難でしょう。……せっかくです、私が貴方に似合う背広(スーツ)を仕立てて差し上げましょうか」
「なに、ヲ、スる気、ダ……?」

 〝シンクロノイズ〟が利かない相手に動転しているらしい。鋭い牙で〝かみつく〟だけの通り一辺倒なバトルスタイルでは、いくら弱点をついているとはいえ、俺に致命的(ファタル)なダメージを負わせるまでに至らない。すれ違いざまに呪いのエネルギーを集約させた枝でミスター・イーギィの胸ひれを何度か撫でているうち、彼は頭から砂地へ墜落(クラッシュ)して動けなくなっていた。

「な、ナんダってんダよ、こレ……。う、ウるマっテメエ〜え、ごーストたいプになった、みテ〜な……。! ッてメ、もしかして……」
「さあ、試着室(フィッティングルーム)はこちらですよ」

 霊力でミスター・イーギィを横たわらせる。石化による〝かなしばり〟を重ね掛けしてきた枝で、ビビッドボディをさらりとひと撫で。ドーブルが下地(キャンバス)へ絵筆を滑らせるように、白いもやの触れた鱗から、鮮やかな色合いが離脱していく。

「っあアあゝああアあ!?」
「貴方がフィッシュ&チップスになる前に、何か言い残したことがあれば、待ってあげましょう。そうですね……目の前で獲物を横取りされたギャラドスが怒り狂うまでの時間くらいならば」
「オレ様の、おレサまの一張羅があアアアっ!? っテメえ、何てこトシやがンだッ、クリーニんグ代、出せっテよ〜オ!?」
「……ほう。この期に及んでまだ冗談(ジョーク)が言えますか。見直しましたよ。それを辞世の句として、あなたの墓石(グレイブ)に刻んでおきましょうか」

 暴れるハギギシリの尾ひれを、その内側にある背骨をなぞるように、するり、と撫でる。体軸を固定され、体を左右へ振れなくなったミスター・イーギィは、何の役にも立たないと揶揄されるコイキングさえ得意な〝はねる〟ことも、ままならなくなってしまう。
 もう助からないと悟ったのか、最後の力を振り絞り、ミスター・イーギィは大声を張り上げた。水草の陰に隠れていたミス・サルディーナへ噛みつくように、罵声を(まく)し立てる。

「お、おオオオオまエッ、オれ様は、分カッちまっタからナ! せっかく、珍シい、ヒドいでだッタってノに、おまエ、自分のシた、しタコと、わかってンのか!? ソんな呑気にイっ生きて、いケるほド、お前のオカした罪は、かルクねええエ〜〜〜ッてンダカらなあアアアア!!」
「…………」

 ――やれやれ。死者のまぶたをそっと閉じるように、ミスター・イーギィの瞳に枝をかざす。恐怖の涙を浮かべたまま固められた瞳孔は、もう光を捉えることはないだろう。すっかり石灰化した全身を入念に撫であげ、呪いを体の奥底にまで浸透させ、石化を確実なものにしていく。

「覚えておくといいでしょう。ワイルドエリアの服装規定(ドレスコード)は――」ゆったりと息を溜めて、もう意識だけになった彼へ向けて、お悔やみを申し上げる。「〝生き残ること〟。ゆめゆめ忘れることのないように」

 断末魔が響き渡る前に、俺は枝をミスター・イーギィの喉奥まで突き入れて、最後に残しておいた声帯周辺を一気に石化させた。
 10本の腕でその身を抱えるようにして出てきたミス・サルディーナ。ミスター・イーギィが残した捨て台詞の詳細を俺は知らないが、それは彼女も同じように心当たりがないようだった。衝撃(ショック)を受けたような素振りはなく、ただただ不安げに、もう動くことのないハギギシリを腕のひとつでつついている。

淑女(レディ)を前に血生臭い命のやりとりを繰り広げた無礼、どうかお許し願いたい。ご気分がすぐれないようでしたら、お休みになってはいかがでしょう」
「ううん……。死んじゃった……の?」
「まだ命はあるかと思いますが、再生力の強い種族でもなければ、じきに血管が壊死(ネクローシス)を起こすことでしょう。私自身、枝で触れた相手を呪うことはできますが、清めることはできません」
「そんな……」
「悲嘆に暮れる必要はありませんよ。彼は貴女を捕まえて売り飛ばそうとしていたのでしょう。それに貴女がミスター・ウルマと離ればなれになってしまったのも、しつこく追い立て回した彼の落ち度(フォウルト)だ。その件について、彼は気にも留めていなかった。己の罪を知らないことほど、罪深いことはありません」
「そう、だけど、でも」
「優しいのですね、ミス・サルディーナ」

 ひと攫いの急襲(アサルト)から彼女を守り通した俺へ、ミス・サルディーナがおろおろとした視線を向ける。安心感よりも、サニーゴの帯びる石化の呪いを目の当たりにして、その不気味さに怖気(おじけ)付いてしまったらしい。普段のように英国紳士(ジェントルマン)の微笑みを向けても、ぎこちない顔はそのままだった。
 彼女に感じていた幼気(イノセント)の正体に気づいた。ミス・サルディーナはこれまで、誰かを手にかけたことなどなかったし、それを必要とする機会も訪れなかった。きっと、彼女のいたアローラの海は、素晴らしく平和なところだったのだろう。




5 曇り 


 そういえば、メドウさん以外の白いサニーゴをわたしは見ていない。
 アローラのサンゴ礁では、サニーゴたちはいつも群れを作っていて、孤立したところをわたしたちヒドイデから狙われる確率をみんなで減らしていた。天敵のいないガラルのサニーゴだって同じように群れで暮らしているんだと思うけれど、メドウさんに鏡池の周辺を案内されたときも、それらしい姿を見かけることはなかった。
 そういえば、曇りの日は、ガラルのサニーゴたちが活発になるとメドウさんが言っていたような。普段は茂みの奥の奥に隠れて息を潜めているようだが、ちょっと驚かしてみようかな、という気分になるそうだ。
 住処としている水草の浅瀬から飛び出して、わたしはバタフリーたちが逃げ隠れしている草むらへと歩みを向けた。どこに隠れたんだろうか、忙しなく羽ばたく薄翅は見つからない。
 進むにつれ、異様な雰囲気があたりを取り巻くようになっていた。腕の先さえ見えなくなるような白いもやがどこからともなく湧き出してきて、これはもう曇りというより霧なんじゃ……と首を傾げていたところを、何か硬いものに腕がつまずいて、あいた! と転んでしまう。
 正体を確認して、びっくりした。呪いの枝を引っこめたメドウさんと同じ、つまりガラルのサニーゴが転がっていたのだ。

「あの」
「…………」

 落ち窪んだ顔を覗きこんで声をかけても、まるで大きな石は反応を示さない。呪われた枝の出ていない、白く掠れた外殻をつんつんと触ってみても、反応に乏しいものだった。……寝ている、のかな。
 諦めて引き返そうと振り返ったその瞬間、さっきまで誰もいなかったはずなのに、背後にいた別の個体のサニーゴの顔がぶつかった。

「うわあああッ!!」
「ギャ」

 情けない悲鳴をあげて、わたしはひっくり返った。思わず鼻をさする。ひりひりとした感覚があった。……大丈夫、まだ石にはされていないみたい。
 芝生へと落ちて枝を引っこめたサニーゴへ、わたしはおそるおそる敵意のなさそうな笑顔を作った。たぶんガチガチに硬いままだったけれど。

「あの」
「……」
「えっと……」
「……」
「聞こえて……ますか?」
「――――――ダレ?」
「わっ」

 空洞に赤色が浮き上がって、怨恨の浮き彫りになった瞳がわたしを見つめていた。友好的でないことは、視線の重苦しさから嫌でもわかる。……でも、ぶつかって痛い思いをしたのはお互い様じゃない?

「その……初め、まして。聞きたいことが、あるんだけど……」
「カエレ」
「ぅ、ううううう……ッ」

 取り付く島もなかった。気づくと、わたしを取り囲むようにして、白い石に封じこめられた亡霊たちがぞろぞろと集まってきていた。浮遊するでもなく、ず、ずずず……と這いずる穴だらけの岩は、普通に怖い。
 メレメレ島にもハウオリシティの北に霊園があって、ウルマと一緒に肝試しに行ったこともあるのだけれど、濃すぎる曇りの気配に満ちた巨人の鏡池は、まさにそんなおどろおどろしさが漂い始めていた。そのときは怖がるわたしをウルマが抱きしめてくれたから気にならなかったけれど、ひとりだとどうしても恐怖に呑まれそうになって、もともと引きつったような目元をさらにしわくちゃにしてしまう。
 勇気を振り絞って、集まってきていた彼らへ声を張り上げる。

「あの、わたし、メドウさんってひとの、友だち……なの」
「……ダレ?」「シラネ」「イタ?」「マイゼンセ」「ウソツケ」「トモダチ」「ホシイネ」「ボッチオツ」「ショーモナ」

 わたしに聞こえるか聞こえないかという音量の、ひそひそばなし。それにしても彼ら、メドウさんと雰囲気が違う。たぶんメドウさんが特別ジェントルマンなだけなのだろうけど、ガラルのサニーゴは内気というかなんというか、アローラのサニーゴとは正反対のタイプだ。
 もどかしくなって、わたしから切り出した。

「あなたたちサニーゴについて……、教えて欲しい、んだけど……。その、どうして枝は、白くなっちゃったの? きっと、元は綺麗なピンク色をしているはずで、海に暮らしていたのに――」

 言った途端、あちこちを向いていた恨みがましい赤色の両目が、ギロリ。一斉にわたしへと向けられた。

「カエレ」「カエレ」「カエレ」「カエレ」「カエレ」「カエレ」「カエレ」「カエレ」「カエレ」「カエレ」
「ひぃいいいいいいいっ!?」

 やっぱりダメだった――やっぱりダメだった! 一斉に強められる敵意に、わたしはすくみ上がって(きびす)を返す。何がサニーゴたちの逆鱗に触れたかわからないし、そもそもわたしを驚かそうとしていただけかもしれないけれど、ぎろりと光った赤い両眼たちが霊力を高めて、わたしを共同墓地の一員に招き入れようとしていることはなんとなくわかった。
 〝たたりめ〟と〝ナイトヘッド〟の波状攻撃に、わたしはたまらず退散した。彼らがウルマよりも足が遅いおかげでなんとか逃げ延びたけれど、ひとりぼっちの肝試しはもうこりごりだ。
 聞きたかったこと。それは、先日わたしを助けてくれたメドウさんと、サニーゴにかけられた呪いについてだった。
 ウルマは誰にでも――そう、ハウオリシティの波止場でわたしたちを襲撃してきたイーギィを返り討ちにしても、その命までは見逃してあげるくらい優しかった。わたしを助けるためとはいえ、容赦なく石にしてしまったメドウさんをヒトデナシとは言わないけれど、ガラルに住む他のサニーゴがどんな性格をしているのか、確かめてみたくなっただけ。
 ありきたりな言い方をしてしまえば、不安になった。ウルマと(はぐ)れて心細くなっていたところに優しくされて、あっけなく信頼してしまって。わたしが甘っちょろいってことは分かっている。でも、メドウさんがいつあの白いもやをわたしへと向けてくるかもしれないって思うと、今までみたいに身を委ねていいのか、わからなくなる。白いもやの中に取り残された迷子みたいに、心細かった。





 誰かと遠く離ればなれになったとき、いちばん初めに忘れてしまうのはそのひとの声なんだって聞いた。
 メレメレ島のサンゴ礁の外れで、仲の良いケイコウオの子から教えてもらったことだった。数日前までは確かに群れの中にいた友だちがどこにも見当たらない。いつも遊んでいたはずなのに、その声も、もう思い出せないという。
 それはたぶんお腹を空かせたキャモメに連れ去られてしまったんじゃ――とはさすがに言い出せなかったけれど、その子はすっかり元気を無くしていて、わたしがひょいと腕を出せば簡単に捕まえられてしまいそうなほど、心ここに在らず、といった様子だった。わたしがお腹を空かせていないタイミングでよかった。
 姿は忘れるはずもない。私がかじらせてもらっているせいで、頭以外のツノはいつ見ても短くなっていて、他のサニーゴと比べてキレイだとは言えたものじゃなかった。ごめんね、私のせいで。謝るたびにウルマは「ディーナと一緒にいられることが、僕の幸せだから」と、短い腕を懸命に伸ばして、わたしの腕の毒針を器用に避けながらおでこを撫でてくれるのだ。その優しくて頼もしくて儚げな顔つきが、私の脳裏にこびりついている。ガラルに流れ着いてから不安な夜は、いつも思い返してきたのだから。
 においも、しっかりと覚えている。初めてキスしてもらったとき、目を見つめて告白してくれたとき、夕暮れの砂浜で抱かれたとき。すぐ近くに彼のにおいが漂っていて、それはわたしの幸せな記憶と結びついている。いつでも取り出して、初雪の日のバニプッチのような甘い甘い思い出に浸ることができる。
 これはわたしに限ったことなんだろうけれど、もちろん味も。ウルマの枝は他のサニーゴとは比べ物にならないほど美味しくて、農園から流れ着いたフィラのみのようなスパイシーさで、歯に当てれば夜空に溶けるメテノのように崩れていく。わたしの恋ポケという先入観はもちろんあるけれど、食べるところのないガラルのサニーゴ――メドウさんでは決して代わりの利かない思い出が、あの味に詰まっている。
 けれど、これだけ記憶にこびりついていてもやはり、声は不確かだった。あれほど毎日すぐそばで聞いてきたはずなのに、誰かの声と混じりあって、アローラの華やかな潮騒(しおさい)と混線して、思い出に縋りつくわたしを曇り空の向こうに撒いてしまう。
 恋しかった。ウルマと離ればなれになってから3週間、恋しさが限界にまで差し迫っていた。
 必要なものの目星はついていた。メドウさんが持ってきてくれるきのみの中にあった、まだ熟れきっていないナナのみ。必要なのは1本だけだから、房から取り外しておく。
 それから大事なのは、わたしくらいの大きさの岩。鏡池を探し回ってようやく見つけたのだけれど、先日それも住処へと運びこんでおいた。「何に使うんですわな、こんな岩。住処の装飾(オーナメント)にしては似合わんですし、避難壕(シェルター)にしちゃあ小さすぎるでしょう」と、手伝ってくれたヒドイデの長には言われたが、本当の目的なんて話せるはずもない。ましてメドウさんに打ち明けるなんて、なおさら無理だ。
 目を伏せて、ゆっくりと息を吐く。水面の天井は曇り空で、星は見えないだろうけど、そのもっと上にいるウルマを思い出して、リラックスする。

『ディーナ』

 わたしを呼ぶ、柔らかな声がする。
 水草の隙間から優しげな笑顔がのぞいて、どこ行ってたの、とでも言うようにわたしを抱きしめてくれる。その慣れ親しんだ腕の硬さに、わたしからも笑みが零れてしまう。一旦抱擁を解いて、わたしが大好きなサニーゴの顔を確かめる。
 もちろんわたしの腕の中にウルマはいない。わたしが暖かな記憶から作り上げた、幻覚のウルマだった。アローラにいる間は誇張じゃなく毎日のように逢瀬を重ねては彼の全てを覚えてきたわたしにとって、いつもの彼を視界に再現することくらい、なんてことはない。

『ディーナ』
「ウルマ……っ」

 もういちどわたしを愛称で呼んで、嬉しそうに頬擦りしてくれるサニーゴに、ずっと聞いていないウルマの声を乗せる。メドウさんの声質が似ていたからウルマの生まれ変わりだと思ったのか、はたまた印象がウルマによく似ていたから声までそうなんだと思い込んでしまったのか。今となってはどうにも思い返せなくなっていたけれど。
 声質はともかく、アローラ独特のイントネーションだとか、ゆったりとした喋り方とか、わたしを呼ぶときの愛称の、心をくすぐられるような嬉しさなんてものは、やっぱりウルマのものだ。それがトリガーとなって、記憶の底に薄れかけていた仕草も、癖も、はっきりと思い返すことができた。
 わたしの強めの幻覚によって蘇ったウルマは、わたしとの抱擁をたっぷりと味わってから、くすぐるように囁きかけてくれる。

『ずいぶん、溜まってるんじゃない。ここのところ大変そうだったし』
「うん……あのね、今日はいっぱい甘えたい、かも」
『いいよ。ディーナのして欲しいこと、全部やってあげちゃうから』

 いつだってわたしのペースに合わせてくれたウルマは、エッチのときだってそうだった。わたしの好きなタイミングで、わたしの好きなところを触ってくれる。ふたりだけの抱擁をたっぷり楽しんで少し体を離すと、正面からじっとりと目を見つめられた。縦に長いつぶらな目をすっと閉じ、いつも湛えているV字型の口をそっと開く。
 短い腕でわたしの房つきの胴体を引き寄せて、器用に牙を避けて口許へキスをくれる。いつもはわざと狙いを外したり、吐息だけでくすぐったりと駆け引きを楽しむこともあるけど、わたしの想像で動くウルマはどこまでも優しかった。力を抜いただけのわたしの唇が、硬質なウルマのそれにぶつかって、甘く吸いつかれる。ちゅ、ちゅっ、ちゅ、ちゅちゅちゅ……朝焼けの海岸に打ち寄せる穏やかな波みたいに、心地よいリズムを刻みながら、いつまでも飽きさせないようにそれを少しずつ変化させて、わたしを求めてくれる。
 いくら優しくても雄なんだと感じさせてくれる岩肌に染みついたの体臭と、そこに混じる、どれだけウルマのそばに近寄ろうともキスしなければ分からない、彼の内側のにおい。ほんのりと甘く、それに続いて彼の好きなクラボの刺激的な香りがふっと鼻腔をくすぐった気がして、わたしは胴体を小さくもじつかせた。
 ウルマも段々とその気になってきたみたいで、キスにも熱がこもる。10本の腕のうち唯一短い、わたしの額を隠す腕と、彼の額から伸びた丸みを帯びた枝を重ね合うように固定して、唇と唇を重ね合わせる。両手を使って抱き合い、体を引きつけては目を閉じ、力を抜いて、口先の感覚だけに集中する。わたしのぬくもりで温めた海水を送りつけては、代わりにウルマの水をホエルコのように飲み下す。彼の唾液もたっぷりと混じった、粘り気の強いプレゼント。硬い外殻を浸透して彼の鼓動が分かる、浅い呼吸によって生じる唇の震えさえ愛おしい。
 ヒドイデの口からはサニーゴを食いちぎる牙が飛び出していて、本当はもっとお互いを食べ合うような欲望まみれのキスをしたいのだけれど、それをすれば本当にウルマを食べてしまうから、これがわたしたちの編み出した睦み合いだった。口先に伝わる刺激こそ少ないけれど、何よりウルマが食べられる心配なんて頭の隅にもないってくらい信頼してくれているということ、こんなキスをしているのは海広しといえどわたしたちだけだということを思うと、たまらない。ぞくぞくぞくッ、背筋から湧き出した震えが頭を伝い、放射状の腕ぜんぶについた棘の先まで、官能の熱波が伝わっていく。
 ちゅ、ぱ……、と、重い蜜の音がしそうなほど名残惜しく離れれば、唇の隙間から泡立った粘液が昇っていって、塩分濃度の差に溶けて消えていった。
 ゆったりと目を開けると、至近距離に浮かぶ、獣欲を抑えようとしてくれているウルマの火照った顔。

「これ、すっごい好き……。やっぱりわたしには、ウルマが必要だよ」
『……』紅潮した目線でじっとわたしを見つめながら、ウルマが囁いてくれる。『いいよ。もっと求めてくれちゃって』
「ん……ふふ、じゃあ、ウルマには頑張ってもらおうかな。途中で寝ちゃったりしないでよね?」
『いいよ。何回でも、何十回でも、ディーナが満足するまで付き合ってあげる。これがアローラの愛し方なんだって、ガラルのみんなに見せつけちゃおう』
「もうッ、なぁに、それ……」

 いつになくわたしに優しいウルマ。群れの掟と風習に縛られたアローラを駆け落ちして、ふたりきりの楽園を見つけられたことがそんなに嬉しいんだろうか。
 少し体を離して満足げにわたしを見下ろす彼の、思わず頬擦りしたくなりそうな白いお腹の奥から、あまりに肉肉しい〝枝〟が覗いていた。
 水中で暮らす種族の半数くらいは、雄にペニスがないらしい。雌のそばで海の中に精子をばら撒くか、精液の詰まったカプセルをプレゼントすることで、タマゴを作るのだそう。
 ヒドイデもサニーゴも普段は海に生きるポケモンだから、そのやり方ももちろんある。ウルマが朱い顔をさらに真っ赤にして白色のつぶつぶ(バンドルと言うのだそう)を枝から振り撒くのを見るのも好きだけれど、されて嬉しいのは陸上のポケモンがするみたいな、体を重ねてする交尾だった。好きなカレの大切なものを海にばら撒いて他の雌に横取りされるのも嫌だったし、何よりウルマと体の深いところで繋がっていると思えるから。
 本当はわたしの住処でも体を重ね合わせたかったけれど、海の中ではどうしても浮力が邪魔をする。どうにか繋がったところで、ウルマが満足に動けない。もどかしさにお互いが気を遣っているうち、どちらも興奮を溶かされてしまう。するときはいつも、昼行性のポケモンたちがねぐらへと戻る夕暮れの海岸でこっそりとイチャイチャしていた。
 けど、妄想の中でなら、浮力なんて気にせず好きなようにやれた。――そう、好きなようにやれるんだ。いつもみたいに優しく体重をかけてくるウルマを、ちょっと待って、と腕で押し留めた。

「ねえ。今日はさ、まず……こっちで、やってみても、いい?」
『こっち、って?』
「それは……その、キスの続き、みたいな」

 照れ隠しのつもりで、空いた腕の1本で、口をまあるく広げてみせる。彼の目にできるだけ可愛く映るように牙は隠しつつ、でもウルマの劣情を煽ろうと、チラリと見せた頬の肉をうねらせて、ここで何をやるのか想像できてしまうように。
 いくらわたしを信頼してくれていたウルマとはいえ、さすがに彼のものを口で気持ちよくさせることはなかった。お互いに気が気じゃない。優しい彼のことだから明確な拒絶の意思表示はしなかったけれど、もしそのまま歯を立てられたら、と思うと、ウルマもすぐに萎えてしまうんだろう。当のわたしも、あんな美味しそうな枝を口に含んで、食べてみたい衝動を押さえられる自信もそこまでなかったのだ。
 でも、妄想の中なら都合よくできる。わたしの提案に、ウルマの無い喉を、ごくり、と生唾が落ちていく音が聞こえた気がした。

『……噛みつかないって、約束する?』
「うん、何があっても、わたしはウルマに噛みついたりなんかしません!」

 これは、わたしがウルマと付き合うようになって初めて交わした約束でもあった。それを思い出して、どちらからともなく、ささやきめいた笑いが漏れる。

『いや、ちょっとね、感動しちゃって。実はさ、ずっと、やってもらいたかったんだ。初めてキスしたときから、ディーナのプニプニな舌で包んでもらえたら、すっごい気持ちいいんだろうなって、考えたりしちゃってた』
「……もうッ」

 この正直者め。わざとらしく頬を膨らませて、すぐに吹き出した。つられてウルマも破顔する。くすぐったい雰囲気に交尾のムードを壊されかねないと恐れたのか、ちゅ、と、わたしのくすくす笑いを吸い取るようにウルマがキスをくれた。じゃあ、優しくね、と囁いてちょっと浮かんだ彼の動きに合わせ、わたしは腕のひとつで握ったナナのみを目の前に吊り下げた。
 彼のボディラインに合わせて緩く曲がりをつけた、甲殻のピンクよりも生々しい艶をしたペニス。まっさらなお腹の後方から伸び出した、わたししか知らない秘密の枝は、口での奉仕を期待しているんだろうか、見たこともないくらい大きく膨れ上がっていた。……というか本当に見たことのない大きさで、ウルマのはここまで膨らまない。実物とはちょっと違うけれど、そんなのわたしの妄想の中で補完すればいいだけのこと。ナナのみの房の付け根は黄色っぽい色味をしているが、わたしが握りこんでしまえば気にならない。あとは生殖孔が受け入れられるかだけ。
 ――ええい、余計な心配は不要だ。わたしは頭を振って、ウルマの声を再生する。

『どうか、した? 僕のをそんなに見つめてさ。まさか食べたくなっちゃった……とか』
「う、ううん! ……そうじゃなくて、根暗なヒドイデのわたしなんかで興奮してくれるのが、嬉しくて」
『ヒドイデだからじゃない。ディーナとつがいになれたのが嬉しくて、ディーナを幸せにできるのが嬉しくて、興奮しちゃうんだ』
「うぅ……!」

 いちばん言って欲しいことを言ってくれて、恥ずかしさを逃がすように泡を吐いた。ちょっとした仕返しのつもりで、萎える気配のないペニスへ舌をけしかける。いきなり気持ちよくさせちゃうんだから。彼の形に合わせて巻きこんだ舌の腹でにゅりゅ、と一気に包みこんで、わたしがびっくりした。――甘っ! 体内にしまわれていた彼のものの味は、腐りかけたきのみのような重ったるさ。口の中を一瞬にして充満し、わたしの快楽神経を麻痺させて、あっという間に彼に抱かれることしか考えられなくなる。……ダメダメ、せっかく彼がわたしに身を委ねてくれたんだ。ちゃんと気持ちよくしてあげないと。
 牙の間を通してウルマの先端を口の中へ迎え入れると、どうしようもなく愛おしさが溢れかえって、舌が勝手に動き回る。鏡池のほとりで見つけた、人間が落としたらしい包装紙に包まれた飴みたいに、舐め溶かしていく。でこぼこした外殻のような岩タイプらしさを感じさせない、彼の優しさを象徴しているような舌触りで、たまらなかった。かぶりつきたくなる衝動をどうにか鎮めて、だばだばと溢れかえった唾液をなすりつける。わたしの厚めの舌の腹を何度も往復させて、気持ち良くなってもらう。張りのある先端へ頬肉を押し当て、外から見たら顔の輪郭が変わっていそうなほど深く咥えこんだ。
 ううっ! と堪えたようなうめき声が頭の方から聞こえて、胸の奥がきゅんきゅん高鳴った。ウルマはわたしへ全幅の信頼を寄せて、牙の隙間へペニスを寝かせてくれている。何があっても噛みついたりしないって言ったわたしを信じて、初めてのわたしの舌使いにも陶酔してくれている。それが何より嬉しいのだ。
 大好きなひとのいちばん大事な部分を舐めるのが、こんなに幸せだったなんて!

『うぁ――ッく、すご……っ。腰、とろけちゃいそ……ッ』
「ん……っぷぁ、んく、んちゅ……るるるッ、くぷぷ……ぷっ」
『無理しないで、いいから、ね? ディーナが頑張ってくれてるだけで、僕、イっちゃいそ、だから』
「んーーーッ、ぷへぇ、ん……んりゅ、じゅぷ、るるるるッ!!」

 興奮に上擦った声でわたしを気づかいながら、ウルマは目尻を引き攣らせるようにして悦んでくれていた。荒い息が周囲の水をかき混ぜて、わたしの頭の棘を撫でていく。
 一般的な水中グループの繁殖方法しか知らなかったわたしの生殖孔をおまんこへと作り替え、交尾の悦びをわたしに覚えさせてくれた大好きなペニス。不慣れなわたしがイくまで待ってくれる、そして待った分だけ激しく責め立ててくる意地悪ペニス。見た目は枝よりも小ぶりなくらいなのに、わたしのおまんこにぴったり収まって愛を注いでくれるウルマのペニス。日頃の感謝の意を示すように、丹念に舌で刺激を与えていく。わたしの体でも特に柔らかいと思われる頬の内側をこすりつけて、生殖孔へずぷずぷと沈ませるような心地よさを味わってもらう。
 彼の死角で、わたしは腕のひとつを自分の生殖孔へと忍ばせた。毒針を立てないようにそおっと孔を押し開けば、くちゅり……、と、水の中でもあけすけな音を漏らしてしまう。全体を押しつけるように棘皮を踊らせながら、紫の胴体を彼に気づかれないようくねらせた。ちゅく、ちゅく、ちゅぷ、じゅぐ。わたしの体の中で音が反響する。毒針を挿入しながらの自慰も慣れたものだった。総排泄腔の、子宮に近い位置の肉壁をなぞりつける。ひだの1枚1枚を毒針の先で丁寧に弾いて、ウルマのでも届かない奥の奥をカリカリカリカリ……と執拗に引っ掻いていく。途端に蕩けて柔らかくなった膣の奥から、粘りの強い愛液が止めどなく溢れてくる。
 いつの間にか腕が止められなくなって、ちょっと膣肉をこすっただけなのに、わたし全体を揺さぶるような快感が腹底から湧き上がってきて。ぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅッ、生殖孔へ貼り付けたままの腕先を、小刻みに出入りさせる。粘液をまとわりつかせては、奥の方へと押し返す。柔軟なからだが麻痺するような快感をしばらく噛み締めてから、絶頂の波を追いかけて腕先を愛液の海に泳がせる。
 気づけば突き入れた腕を深々と味わいながら、総排泄腔を軽く搾り上げていた。水中でよかった。こんなの砂浜でやろうものなら、ぷしゃ……! なんて恥ずかしい水音をウルマにばっちり聞かれているところだった。
 自分で快感を蓄積させておきながら、ウルマへの奉仕を抜かりないものにするのは難しい。最後わたしが駆け上がるとき、ちょっと舌の前後を緩めてしまったかもしれないけれど、ウルマも同じタイミングで気持ちよくなれたみたいだった。精液を飲ませるような趣味のない彼は、そっとわたしを引き剥がす。

『――っく、すご、かったね。ディーナに舌でやってもらうのが、こんなに気持ちいいなんて。怖がらないで、もっと前から頼めばよかったかな』
「いつでもしてあげるから……さ。ね?」
『わかってる』
「うん、きて……」

 切れ切れの言葉でも、わたしの意図をウルマは汲み取ってくれた。水草のベッドへ仰向けにされたわたしへ、ウルマが短い腕を伸ばしてくる。紫の体をいそいそと隠している腕を数本、眠るサーナイトのドレスを捲るようないやらしさをわざと感じさせながら、ゆっくりと剥いでいく。1本、また1本と取り除かれるたび、水が逆巻いて火照ったわたしの内側を心地よくくすぐった。すぐ目の前にいるウルマのつぶらな瞳が、じっとりと興奮に濡れていく。わたしで興奮してくれることに、際限なくわたしも興奮する。
 水中での放精と、陸地での交尾。ウルマとならばわたしはどっちでも抜かりなく排卵できるけれど、明確に意識してしまうのは〝重さ〟の差だった。
 体重こそわたしよりも軽いけれど、可愛げのある見た目以上にゴツゴツした体躯でのしかかられると、息が詰まった。おまけに甘いマスクからは想像できないほどセックスが激しくて、毒の棘の先までウルマのものにされてしまった感じがする。
 あらかじめ水草の脇へ運んでおいた岩を手繰り寄せた。お腹の上に乗せると――やっぱりちょうどいい。岩タイプであるウルマにのし掛かられたようなゴツゴツとした感覚が、いつかの交尾の記憶と強烈に結びついて、びちゅ……、と、熱の引きかけた生殖孔を粘液で溢れ返らせる。
 いちど目を閉じてまた開けば、抱えた岩にわたしの恋ポケの顔が浮かび上がった。妄想の世界へ取り残されたことを非難するように、ウルマがちょっと不満げに、そしてその仕返しを考えているみたいに意地悪な顔つきになる。さあ、いよいよだ。

『……いくよ』
「ん……」

 ウルマの呟きに合わせて、握っていたナナのみをぐっと生殖孔へと突き立てた。
 ずぷぷぷぷ……っ、と、くぐもった水中でも池の端から端まで聞こえてしまうような、恥ずかしい音がわたしの下腹をハウリングして。

『う、あ、ぁあああ……、っく!』
「ふッ、や――ぁぁぁぁぁぁぁっッッ!!」

 堪えようとしたわたしの努力むなしく、喉の奥の空気が、喘ぎ声に変わって口から逃げていった。
 形も硬さも違うけれど、それがウルマのものだと思えば痛いはずもない。まるで毎日でも受け入れてきたものだと記憶を修正しているみたいに、ペニスに合わせて膣肉が整列していくのがわかる。わたしの生殖孔はわたし以上に健気だった。久しぶりのウルマの帰還を歓迎して、「ここをたくさんいじめてね」と甘えつくように、ペニスへ膣ひだを絡みつかせてしまう。
 心底たまらなそうに目尻をとろんとさせたウルマが、わたしの下腹部へぐぐぐっ、と体重をかけてくる。ゼロ距離で見つめ合って、気持ちいいね、なんて確認するようにキスを交わす。
 水中では素早く泳げるサニーゴも、地上では硬い甲殻を前後にガタガタと傾けて逃げるしかできない。交尾に関してもそうで、ウルマは腰の律動を調節できないみたいだった。つまり、彼がしゃにむに腰を振りたくるか、彼が腰を押し付けたまま、わたしが尻をのたくらせるか。
 じっとりと押しつぶされたまま、わたしは腰を小刻みに振った。ウルマの先端をお腹のいいところにあてがったまま、その周辺をじっくりと押し当てていく。体の奥にある一点を撫でてもらっているだけなのに、本当に、びっくりするほど甘美で、どうしようもないくらい気持ちよくなってしまう。くねらせるのを止められずに、動かないままずっと硬くしてくれるウルマにありがとうって膣肉をなすりつけて、これから彼が気持ちよく動けるように奥からどんどん蜜を垂れ流してしまう。ぐ、とお腹の奥の熱を溜めこんだ子宮をウルマへ押し付ければ、頭に気持ちいい信号がばちばち痺れて、それが10本の腕の先にまで伝わっていって、全身が気持ちいい。きもちいい、きもちよくて、どうしようもない。
 十分楽しんでから、ずっと我慢してくれたウルマの頬に、ちゅ、と合図のキスをする。待ってましたと言わんばかりに彼が手足をモゾつかせると、体つきの違いのせいで顔の見えなくなってしまった彼が、いくよ、と囁いた。
 がこっ……、がこっ、がこっがこっがこっがこッ!
 組み敷いたわたしの上で前後する、器用に動けないウルマの音だ。
 ほとんど強弱もつけられないで、走り出すと最後まで止められなかった彼だけれど、その分わたしの中を好き放題暴れまくって、気持ちよくなってくれる。狭い膣内をくまなく擦り上げて、じゅぐじゅぐと愛液を掻き分けながら、いちばん奥を何度も叩いては引っ掻いていく。わたしに夢中になってくれている感じがたまらなくて、それだけでわたしも気持ちよくなってしまう。
 10本の腕を絡ませたまま、彼の胸へ埋めた鼻先からにおいをめいいっぱい吸いこんで、わたしも快楽に集中する。お尻を持ち上げれば、ウルマの先端がいちばん気持ちの良いところを、無造作に掻きむしってくれる。わたしの毒針じゃ満足に届かなかったところを、めちゃくちゃに愛してもらう。ぎゅう、と食い締めてしまった膣肉をものともしないで、力強い抽送でさらなる刺激を送りこんでくる。もう限界! ってなったその先の快感を、わたしに味わわせてくれる。

『もう、僕、イっちゃうからね。ぅあ、ッふ、おおお――おおぅ、ディーナもッ、気持ちよく、なっちゃって、いいよッ!』
「うん――うんッ、好き、ウルマ、すきぃ……!」

 ウルマの体が柔らかく光る。
 それはまるで桜が枝についたつぼみを一斉に開花させるように、サニーゴの輪郭がほんのりと白くぼやけていた。ディーナ、ディーナぁ……、と切なそうにわたしの名前を呼ぶウルマの枝から、乳白色をした粒が海中へと一斉に放たれる。浅瀬でこれを生殖孔へ迎え入れれば、ウルマの子を宿せる彼の子種。地上を満たす〝しろいきり〟のような薄(もや)は、ウルマ自身のエネルギーをわたしへの愛情に変換してくれた証拠だった。

「あ、イく、んッ、それ、うれ、しィっ、く、ふぅんっ、んぁ! ぁっ、あ! ぁ、ぁ、イっ、く、イ、く、イ……くぁんんんんんんっッッ」

 彼へ抱きつける腕ぜんぶで抱きつきながら、わたしはイっていた。
 同時に、わたしの奥の奥へ突き入れられたペニスが、噴火したヴェラ火山みたいに熱くなっている。わたしのいちばん気持ちよくなれるところへぐいぐい先端を押し当てながら、こっちの方法でもわたしを孕ませようと脂ぎった欲望をぶつけてくれる。

『ああ――ああッ。好きだ――好きだよ、愛してる……ッ。っく、ぅああッ、イくよ、イくから……ねッ。僕の、ぼくの(いと)しい、愛しい――』

 全身が蕩けるように幸せで、次に来るウルマの言葉を待った。大好きな声で紡がれる、わたしの愛称。
 甘い夢に身を委ねて無防備なわたしを頭から食いちぎるように、ウルマの唇が憎々しく歪んだ。

『――裏切り者』

「――――うわあああああっ!?」

 思わず腕を振り払った。
 わたしへ愛情を注いでくれていたはずのウルマが、水面を撫でるように掻き消えた。柔らかく潰されていた腹の上から岩が滑り落ちて、水底の砂をブワっと巻き上げる。
 ――いま、なんて。
 いま、なんて、言った?
 あれほど昂っていた気分が急速に減退していく。聞き間違いじゃなければ、『裏切り者』って、確かに、言った。ウルマがわたしを見つめながら、恨みを晴らすように言ったんだ。そういえば最後、快楽に蕩けた顔を、憎悪に歪んだ表情に豹変させていた気もする。思い返せばさっきまでの甘々とした妄想が一瞬にして崩れ去ってしまいそうで、わたしは強く頭を振った。
 涙まで出てきた。なんで、なんであんなこと言ったんだろう。幸せな妄想であるはずのわたしのウルマが、なんで。
 どく、どく、どく、どく――心臓がうるさいくらい鳴り止まない。絶頂とは異なる要因で上がった息使いが、一向に収まる気配を見せなかった。あ、あれ……? 胸が、息をするのがしんどい。特性が〝ちょすい〟でもないのにどんどん水を飲んで、吐き出し方が急に分からなくなった。溺れている、と気づいたときには、腕が痺れて動かせなくなっていた。
 水中での息継ぎのやり方を忘れたみたいに、喉の奥へ池の水が流れこんできて、わからない。どうするんだっけ。考えようとして、考えることは怖いことなんだって考えに至って、考えるのをやめた。怖い。漠然とした、けれどもとてつもなく巨大な恐怖感が、わたしの頭に巣食っては離れない。荒れ狂う嵐の激流の中、一緒に泳ぐウルマが急にこっちを振り返って、わたしのことをとんッ、と押すのだ。……え? わたしは腕の先すら動かせず、獰猛な激流に呑まれていく。軽蔑と失望をねり混ぜたようなウルマの表情に見下されながら、凍りつくような海溝へ落ちていく。そのまま世界から断絶されても、動けない。石像にされたハギギシリのように、毒針の先ひとつ動かせやしない。
 なんだこれ。なんだこれ。なんだこれ。ウルマがそんなことするはずない。あんな顔をわたしに見せるなんてありえない。(おぞ)ましい妄想を振り払おうとして、だめだった。体が勝手に震え始める。呼吸が狂ったように早くなった。視界に映った一面の水草が、へにゃんと折れ曲がったみたいにぐらぐらする。息が、くるしい。
 陸地へ、上がらなくちゃ。かろうじて意識を保ったままのわたしは、だけどもがくことすらできなかった。痙攣の止まらない腕をひとつ水面へと伸ばして、わたしの口から漏れて昇っていくあぶくを掴もうとする。その針の先をすり抜けて、届かないところまで小さくなっていってしまう。

「――ッか、フ、ぅす、ケ、て――――」
「どうしましたか、ミス・サルディーナ!」

 偶然見回りをしていたメドウさんが異変に気づいたのか、水面を割って飛びこんできた。泳げずに腕を自分から縛り上げてしまうわたしを、霊力で釣り上げる。そのまま池のほとりへと水揚げされた。
 ヒドイデは水中と陸上どちらでも呼吸が続く種族だけれど、細かな方法は異なっている。感覚的なものだからその切り替えを意識したことなんてないけれど、水の中でできないものは陸に出てもできなかった。体に入ってきた水分が重力で下の方へと滞って、ますます吐き出しづらくなる。胃がひっくり返って吐きたいと暴れ回るのに、吐けるものはないんだと脳が拒絶する。乗っ取られて体と頭がバラバラになったパラセクトみたいに、わたしはどうすることもできなかった。
 霊力でわたしを横たえたメドウさんが、つとめて冷静にわたしへと確認をとる。耳障りのいいしっとりとした言葉遣いが、いつになく乱れていた。

「吐けますか。無理にでも肺の中を空にしないと、呼吸がままなりませんから。とにかく、棘の先を突っこんでもして、吐かないとっ! ――ッああ、こういうとき触れられないのが、もどかしい……!」
「――ッかヒュ、ぷか、――っ」

 まともな返事もできないわたしに見かねて、取り乱した様子のメドウさんは何かを決意したように、キビキビと浮かびあがる。また、置いてっちゃうの? と不安になったわたしを見下ろしながら、彼は小さく前へ傾いた。いつもの大仰な会釈も、今はたっぷりと時間をとってする余裕はないらしい。

「水タイプなのに溺れて死にかけている淑女(レディ)へのしかかる無礼、どうかお許し願いたい」

 いつも通り失礼な断りを入れると、メドウさんはわたしの上空でいきなり白い枝を引っこめた。揚力を失った軽石はそのまま、わたしの紫色をした腹へと、ずど! と落下する。
 衝撃で、蓄えていた池の水を吐き出した。わたしの腕にまで詰まっていたと考えなければ説明がつかないほどの量を吐いて、吐いて、吐き散らして、わたしはどうにか生還した。意識にかすみがかかったように朦朧としたが、その間ずっとメドウさんは声をかけ続けてくれていた。

「気分はいかがですか、ミス・サルディーナ。霊力の集中している枝は隠しましたので、石になる恐れはないと思いますが」

 そんなに時間は経っていなかったと思う。メドウさんに霊力で抱き起こされて、わたしは大きく深呼吸した。息が、できる。口許の吐瀉物を拭うハンカチを振り払って、ぜえはあと大きく酸素を取りこんだ。水中で溺れるなんて――ウルマに裏切られるなんて、あんなに苦しい思いはもう、したくない。吐き出し足りない水が体の底に残っているような気がして、腕のひとつを腹へ持っていった。
 その奥の奥の方が、ぎゅるり、とうねったように思う。
 再びえずきそうになって、ほかの腕を口へ持っていった。排出しそびれた池の水ではない、わたしの体が根本的な変化を訴えるような、そんな違和感。本能に促されるまま、またほかの腕ひとつを、さっきまでいじり倒していた生殖孔へ。
 ぬるり、と当然の感触が棘の先に伝わってくる。同時に、腹の底の大事な部分が、ぎゅうぎゅうと異常を知らしめてきた。
 ――なにか、動いた……?
 その正体に思い当たる節があって、わたしは大いに驚いた。過呼吸になって生命を(おびや)かされたせいか、生殖機能が活発になっているのか。
 幻覚のウルマの捨てゼリフを聞いた衝撃からずっと落ち着きを取り戻せないまま、わたしは、新たな感情の波に呑みこまれることになる。

「あ……あああああ……ッ!!」
「ミス・サルディーナ、お気を確かに! どこか痛みますか、腕が動かないなんて感覚は、ありませんですよね!? そんな死を受け入れたみたいな、素朴(アルカイック)な笑みを浮かべないでください! 貴女だけは、貴女だけは呪いに苛まれてほしくないんですっ」

 慌てふためいてくれるメドウさんには申し訳ないけれど、死の淵から舞い戻ったわたしは、その勢いのまま天国へと昇り詰めた気分だった。
 やっぱり奇跡は、起こるんだ。

 雌として直感した。わたしは、ウルマの子を身ごもっていた。




6 霧 


 俺たちサニーゴには、決まってよく見る夢があった。
 桃色や青、オレンジ、緑に紫、そしてピンク。再帰的幾何学(フラクタル)構造のような大輪が立体的に重なり合って、広大な花畑を遠浅の海に作り上げていた。照りつける太陽のもと、花畑に愛された多くの仲間に囲われながら、俺もまた自由気ままに泳いでいる。水泳の速度を競ったり、流されてきたきのみをかじったり、回流に乗って点々とする砂浜(ビーチ)を巡り、漂流物の真珠(パール)やら星の欠片(スターダスト)やらを集めたりと、実に放牧民(ノマド)的な毎日を謳歌しているのだ。
 誰もが羨むような幸福の楽園(ユートピア)はある日、想像もし得ない大災害(カラミティ)に見舞われる。海底火山の大噴火(イラプション)とそれに伴う地滑りによって生じた(おびただ)しい質量の土砂が、さながら津波のように襲ってくるのだ。昼寝でもしていた俺はなす術もなく、迫りくるグラードンの憤怒へ呑みこまれた。
 暗く、重く、そして灼熱の泥濘(でいねい)は俺の体を一瞬にしてへし折り、耐え難い激痛をもたらした。そのくせ重ったるい土砂に阻まれ身じろぎさえままならず、息をするたび逆流する汚水に内臓から(いぶ)される。窯で焼成される出来損ないの陶磁器(チャイナ)ような気分だった。分厚い土壁を隔ててかろうじて聞こえる、家族か恋ポケか、その他たくさんのサニーゴたちの狂乱する悲鳴。彼らは無事に逃げおおせただろうか。それだけを祈りながら、俺は独り土石流の暗闇(アビス)に取り残される。
 夢の中の俺がどんな色や形をしていたのか、目覚めるたびに忘れてしまうのだが――ともかく、強大な力にすり潰され、蒸し焼きにされ、輪郭(シルエット)をなくした俺の体から、生命を司る有機的(オーガニック)なものが、ゆっくりと時間をかけて抜け落ちていく。代わりに、土壁に含まれる白い砂粒のような破片(デブリ)が、次第に俺へと浸透してくる。体が時間をかけて分解されていく。漂白されていく。代替物(オルタナティヴ)へと取って代えられていく。海の楽園に暮らしていた記憶は抜けていって、代わりに植え付けられたのは、石化への根源的な恐怖や怨恨、絶望の念だ。
 触れた者を動けなくする呪いに(さいな)まれた俺の体の、その奥底に残された微かな海の本質(ルーツ)。窒息するような悪夢(ナイトメア)の正体に、俺はひどく惹きつけられていた。
 だから、今からおよそ7年前。ルサがプルリル族しか知らない抜け道(バイパス)を使って海へ連れて行ってもらったのだと自慢したときから、俺は漠然とした憧れを抱いていた。
 生まれ育った巨人の鏡池とその周辺がかつて海だったことは、本能として把握している。だがそれがどのような様相を呈していたのかは、たちの悪い悪夢(ナイトメア)だけでは都合がつかなかった。そもそも海中に花畑があるはずもない。俺を惹きつけてやまない海とは何なのか、この目で確かめる必要があった。

「本当に、行っちゃうワケ?」
「――ああ」
「海なんて、どこまでも青くて暗い水たまりが広がっているだけ。苦労して行ってみても案外こんなもんかって、がっかりすると思うケド。あんたそう長くは泳げないんだし、暮らすなんて無理。やめときなよメドウ」
「それでも、俺の中に(わだかま)る息苦しさを知ることで、何か変わるのかもしれないだろ。キャンプするトレーナーをきみと驚かして回る生活に飽き飽きしたわけじゃない」
「変わって……何になるのさ。あんたは、他のサニーゴどもに比べりゃ、今でも十分楽しいヤツじゃんか」
「もし帰ってきたら、俺の変わりぶりに仰天してそのまま昇天してしまうかもな」
「……せめて冗談(ジョーク)(クオリティ)は上げてこいよな」

 もうかれこれ7年前になるだろうか。鏡池の近くで何度もキャンプを張る中年のトレーナーがいて、世界中の億万長者(ミリオネア)どもを相手取る美術商(アートディーラー)だといういかにも紳士(ジェントルマン)な見てくれのその男へ、俺はついていくことに決めた。まだ若く世間知らず(ナイーヴ)だった俺は、そいつがいかにも優秀そうなやり手の人間に見えてしまったからだ。後になって知ることだが、英国紳士(ジェントルマン)が率先して会得すべき技能(スキル)は、未熟な己をいかに英国紳士(ジェントルマン)として見せかけるかという外見や振る舞い、言葉使い(ランゲージ)洗練(ブラッシュアップ)だった。大事なのは第一印象(ファーストインプレッション)だ。カラフルな外見ばかりで味のいまいちな棒つき飴(ロリポップ)が、人間の子どもたちから根強く支持されるように。
 男の手持ちには壮年のシャンデラがいて、俺がボールへ収まったのは彼に気に入られたから、というのもある。シャンデラも男同様、英国紳士(ジェントルマン)の風格を纏っていた。海に連れて行ってくれるか入念に尋ねたが、煙を細く(くゆ)らせながら「あんたの努力次第では、好きなだけ泳げるだろうねエ」とはぐらかされた。なるほど、ジムチャレンジをこなすほどの実力を身につけられれば、自ずと海を渡ることになるという訳か。バトルはルサと遊び程度にしか嗜んでいなかったが、どうにかしてみよう。
 だが、トレーナーのボールに収まってみれば俺が戦闘に駆り出されることなど数えるほどしかなく、何かあった時のために、と見慣れない円盤(ディスク)を頭にセットされ、エネルギーの詰まった特大サイズの(キャンディ)をいくつか口へ詰めこまれただけだった。
 摩天楼(スカイスクレイパー)(そび)えるナックルシティの中心部(セントラル)、そこから地下鉄(チューブ)で6駅ほど離れた旧市街区(オールドタウン)(ひな)びた路地裏に古ぼけた平家(フラット)がひっそりと建っていて、そこをトレーナーは工房(スタジオ)と呼んでいた。何度か改装(リノベーション)を施されているらしく清潔で現代的(モダン)だったが、煙突のレンガの黒ずみまでは誤魔化しきれていない。外壁は萎びた蔦で覆われていて、それも辛気臭さに拍車をかけていた。
 ワイルドエリアから旅立ちガラルのありとあらゆるジムを踏破するものだとばかり思っていた俺は、四方を格安賃貸物件(アパートメント)の高いレンガ壁に囲まれた、閉塞感のある住処へと放りこまれたのだ。男からはただの一言「待っていろ」とだけ伝えられ、そのまま丸3日、音沙汰もない。
 同じく置き去りにされたシャンデラ――おそらく偽名だろうが『シェイド』と名乗った――から〝仕事〟の内容を聞かされて、俺は質問がわりに問い詰めた。

「俺を騙したのか?」
「なんだい、炎の石をあてがわれたイーブイみたいな顔しちゃってエ」
「話が違う」
「騙したたァひと聞きの悪い。おれァあんたの才能(タレント)が欲しくて、あんたは過酷(シビア)なワイルドエリアから抜け出したかった。相互扶助的(ウィンウィン)取引(トレード)だったと思うがねエ」
「世の中は善意で巡っているという俺の幼稚な幻想を壊してくれたんだな。忠告(アドバイス)ありがとうございます。では」
「アっアっアっあ……!」引きつれた笑い方でシェイドが俺を引き止める。「努力次第ってエのはあ、なにもバトルについて言った訳じゃねエ。せっかくだ、おれの仕事を見ていけよ。お前の才能(タレント)を見込んで頼みたいのは他でもない、おれにもできねエ注文(オーダー)をこなすことだ。せいぜい期待してるぜ、新人(ルーキー)さんよォ」
「…………」

 沈黙に耐えられなくなった頃、工房(スタジオ)のドアの蝶番を軋ませて、トレーナーがそこから顔を覗かせた。ひょいと投げられたモンスターボールの機械的(メカニカル)な赤い光が形造るのは、人間に近い輪郭(シルエット)のポケモン。後にその種族はサーナイトと呼ばれていることを俺は知るが、連れてこられた彼は未だ状況が掴めていないらしかった。世の中の全てを疑っていそうな刺々しい雰囲気(オーラ)を撒き散らしながら、落ち着かない様子で工房(スタジオ)を眺め回す。

「あの……ここは?」全てを見透かすかのように澄んだ瞳がシャンデラへと向けられていた。進化したばかりのあどけなさを残す、まだ青年と呼んでも差し支えのないような雄の声。「あなたたち、もしかして悪いひと……ですか」
「とォんでもない!」シャンデラはとびきりの猫撫で声になった。「ここはいわば英国紳士(ジェントルマン)を育てるための文化教室(カルチャースクール)のようなところです。私はその道の専門家(スペシャリスト)。エえ、貴方のような無垢(イノセント)なポケモンを立派に育て上げる指導者(インストラクター)のようなものですねエ。私どもポケモンは背広(スーツ)を着用しませんが、それに相応する礼儀作法(マナー)を身につけることはできます。今からここで、淑女(レディ)先導(エスコート)を頼まれても恥をかかないような、ありとあらゆる男性美学(ダンディズム)を学んでいただきますからねエ。貴方のトレーナーもそれを望んでこちらへ預けてくださったのでしょう」
「にしては、この家随分とボロっち……、いいえ、年季の入った印象ですけれど」

 3日間の自宅待機を持て余した俺たちはすでに、地主貴族(ジェントリ)大邸宅(カントリーハウス)に住み込みで働く使用人がそうするように、平家(フラット)の窓ガラスを磨き上げ、傾いた額縁を水平に戻し、短くなった蝋燭(キャンドル)を新しいものに取り替えておいた。つまり客人を迎える準備は万端だったわけで、にもかかわらず嫌味をこぼすサーナイトに少なからず俺は気を逆立てていたのだが、出迎えたシャンデラはそんな素振りを露とも見せなかった。
 胸のあたりへ片腕を添え、恭しくお辞儀をする。仕草、発音、気遣いの全てが、シェイドをまるで英国紳士(ジェントルマン)のお手本のように見せていた。産業革命のもたらしたどす黒い排気ガスを吸い、フィッシュ&チップスをこよなく愛するガラルの臣民なら、その所作に懐柔されない者はいない。『アイル』と名乗ったサーナイトが警戒を緩めるまで、そう時間はかからなかった。
 それから念には念を入れて1週間、シャンデラは実際にサーナイトを教育していった。英国紳士(ジェントルマン)の心得るべき騎士道精神(シルヴァリー)から食卓作法(テーブルマナー)、発声の技法まで。平家(フラット)は中型のポケモン3匹が寝泊まりしても生活空間(スペース)に余裕があったし、そのための家具や調度品も揃っていた。俺はシェイドに(かしず)く見習いの指導員(インストラクター)ということにされていた。
 シェイドが本性を現したのは、アイルが訪れてからちょうど1週間が経った日曜日だった。
 修繕の跡の目立つ仔牛革(カーフ)のソファを退け、山羊毛(カシミア)絨毯(カーペット)をひっぺがすと床板から階段が現れる。重い鉄扉の向こうに、貯蔵庫(ワインセラー)にでも使われていたのだろうか、こぢんまりとした地下室があった。
 俺は霊タイプゆえか、隠されていた秘密の小部屋に直感的な禍々しさを感じ取っていた。ここを下ってしまえばもう、暗闇からは戻れない。
 というのに、シェイドからすっかり薫陶(くんとう)されたアイルは、何の疑いもなしに彼の後へついて薄暗い階段を降りてしまうのである。
 レンガで補強された、マッギョ15匹ほどの広さの地下室は(かび)臭く、手入れが行き届いていない印象だった。天井から鎖で吊るされたカンテラへシェイドが温かみのある火を吹き入れると、殺風景な空間がぼやぼやと浮かび上がる。中央には吊下照明(スポットライト)を独占できるような円形の台座があって、シャンデラはそこへサーナイトを直立させた。
 だんまりと地下室の鉄扉を後ろ手に閉めた俺へ、崩れた口調でシェイドが耳打ちする。

「1週間ちゃァんと逃げずに待ってるなんざ、お前、物好きなンだなァ。特別に、海なんかより面白えモンを見せてやっから、ま、特等席で休憩(チル)してなってエ」
「面白えモン、ね……」

 湿り気を多く含んだ地下室のレンガ壁へもたれるようにして、俺は暗がりへと身を潜めた。
 声の漏れない密室に、同じグループのポケモンがふたり。雄どうしだろうと恋ポケになった者を、俺はワイルドエリア時代に知っていた。これから始まるのはおそらく淫猥なことだろうな、という童貞(チェリー)な俺の予想は、半分だけ、裏切られることになる。それもひどく振り切れた方向へ、大きくだ。

「ここは……何の部屋でしょうか、ミスター・シェイド」台座に立たされたアイルは、扱う英国式英語(クイーンズイングリッシュ)もかなり板についてきていた。「なんだか胸が、息苦しいのですけれど」
「サーナイトの君には厳しい授業(レッスン)になるかもな」
「……というと」
「これまで英国紳士(ジェントルマン)の心構えや礼儀作法(マナー)を教えてきたが、形から入るのはいつだって重要だ。まずは身だしなみを整えようか、ミスター・アイル。幸いサーナイトは人間にも人気が高い種族だ」
「……それ、ぼくは嫌いです。軽率に向けられる親愛(ディア)が、なんだか薄っぺらいもののように感じられて」
「だからこそ、中も外も美しくなるんだろう。サーナイトは胸の突起が魅力的(チャーミング)だ。ここは、手入れを、しているのかなァ?」
「あ……、あの……?」

 身をすくませたアイルの、胸に刺さった感情を機敏に察知する角を、シェイドが(つる)のようにひん曲がった腕木の先で触れる。丸1日かけて煮詰めたハバンの砂糖煮(プリザーブ)のように照り輝くそこは、信頼した者にしか触らせないほど繊細な部位なのだろう、びくっ、びく……と健気な反応を示した。それがいたく気に入ったのか、シェイドは胸の突起へと顔を近づけ、(コルク)を開けたばかりのワインの芳醇を楽しむように頬を擦り寄せている。
 ただならぬ雰囲気にアイルは変態的なシャンデラを押しやったが、その華奢な腕に念力は込められていなかった。シェイドの積み重ねてきた信頼が、毒になってアイルの思考を蝕んでいるのだ。彼こそが〝さいみんじゅつ〟で他者の心を繰糸人形(パペット)同然に操るはずなのに、まるで〝マジックコート〟に跳ね返されでもしたかのように、シェイドの言葉と所作に洗脳されていく。

「一流の英国紳士(ジェントルマン)は、自分の身に予測不能な事態が起きても?」
「……動じない」
その通り(グレイト)

 細身(スレンダー)へ背後から抱きついたシェイドが、胸の突起へ口付けたまま、さらに腕を絡ませる。宮廷舞踏(コートダンス)の精緻で華やかな振り付けをひとつずつ指導(コーチング)するように、サーナイトの手を取り、脇を開けさせ、無駄な緊張を解いていった。背筋を正し、膝は揃えて台座へと着かせ、敬虔(けいけん)平信徒(クリスチャン)がアルセウス神へと祈りを捧げるような、緑色をした両手を組むポーズ。何があってもこのままの姿勢を保持(キープ)するんだ、と耳元で金属音がささやくと、(くす)みのひとつもない緋色(スカーレット)をした大きな双眸は、疑うことを知らないように静かに頷いた。
 そこからは、シェイドの言いなりだった。
 片手がサーナイトのドレスへと差し入れられ、薄い臀部をいやらしく撫でられようとも、アイルは不快感に眉をぴくつかせるだけ。これこそが英国紳士(ジェントルマン)になるための認定(ライセンス)試験(テスト)だとでも思いこんでいるようだった。むず痒かったのだろう、腰を引いて逃れようとしたところを、尻を強めにつねられれば、(いさ)められたことに恥じ入った表情で祈りの姿勢(ポーズ)へと甲斐甲斐しく戻る。そこはかとなく愉快なのだろう、舐め上げるように上擦ったシャンデラの引き笑い。それにも気づかないアイルは、世間知らずな俺の何倍も無垢(イノセント)だった。
 進化して視力を失ったヌメイルが腹足を這わせることで獲物(ターゲット)の形を調べるように、執拗に尻を(まさぐ)っていた腕木が、汗ばんだ艶美な背中を軽く押しこむようにしながら、ゆっくりとなぞり上げていく。骨盤から始まり尾骨、仙骨、腰椎、サーナイト特有の胸の突起でぐるぐると何周か円を描き、胸椎、頸椎、そして頭蓋骨。不定形のスラリとした体の奥に確かに存在している、人型グループ特有の骨格(スケルトン)を丹念に探りながら、シャンデラの手に灯った怪しげな燐光が、それらを順にきちんと整列させていくようだった。

「身だしなみは、ここまで……気を使っているのかァ?」
「はッ!? や、何して……るんですかッ」

 アイルの意識が頭へと向けられ、まさにその瞬間(タイミング)を見計らったように、空いていたシェイドのもう片腕が股ぐらへと添わされた。慣れた手つきでスリットを捕まえると、忍びこんだ金属製の(つる)の先が、にゅるん、と半勃ちしていたペニスを引きずり出す。
 一連の儀式によって骨を抜かれたアイルは指の先すら動かせず、ただ、見開かれた双眸には、驚愕と衝撃と羞恥と、それ以上の軽蔑の色が燃え上がっていた。――遅すぎる、何もかも。だから、露になったペニスへ巻きついて愛おしく扱きつける右手ばかりに注意を向けている間に、シェイドのもう片腕が彼の頭上へかざされ、蒸気機関(スチームエンジン)の炉のようのに赫々と煮えたぎっていることに、気づきもしなかった。
 瘴気(しょうき)を貯めすぎたドガースめいて膨らんだ腕の先が傾けられ、どるるんッ、と粘性の高い(ワックス)が流れ落ちた。

 ……あ? ――――ッうァあああああっ!?

 熱された(ワックス)を頭から被り、1拍遅れて絶叫するアイル。透き通るような美青年の絶望は、石壁に吸収されて地上までは届かない。

「熱っつ、あつ――あついッ!! ッひ、ぃやあああああッ!!」
「ミスター・アイル! 気を保ちなさい、英国紳士(ジェントルマン)はそんな叫び方はしませんよ。常に冷静(クール)に、常に威厳(ディグニティ)あるべき振る舞いを心がけなさい」
「なあぁぁッ、ッふ、ぅあ、あッぐ、ぁうあああ――っッッッ!!」
「そう、その調子ですよ、ミスター・アイル。……あっアっアッ、はああッああ――アッあアアアアっ! 素晴らしい(ブリリアント)素晴らしい(ブリリアント)すばらららららシシシシしいッ(ブリリリリリリアントッ)!!」

 身を(よじ)ることもできず、激熱が目に入ろうとも瞬きすら封じられて、波打つ(ワックス)に表皮を覆われていく。恐怖の張り付いた顔をそのままの形に押し留めながら、粘度の高いマグマが火口から下って森林地帯(ウッドランド)を焼き尽くしていくように、緑色をした肌を頭から舐めていく。

「――っ、――――――ッ!!」

 白いマグマは喉の粘膜を焦げつかせ、アイルの絶叫にならない絶叫が喉から吹き上がった。苦しくないはずがない、溢れた大粒の涙は、遅れて目を覆い尽くした(ワックス)が涙腺を塞いで、それっきりだった。

「そう……そう、いいヨォ、その表情! きみは炎さァ、もっと燃え上がれエ! きみが史上最高に美しく燃え上がる瞬間を、おれが、永遠に留めてやるからネエ!」

 自慰の経験すらなさそうなペニスを丁寧に解していた蔓が、垂れ落ちてくる(ワックス)を局部へと塗り広げながら、その前後(ピストン)運動を熾烈なものにする。シェイドがひときわ高く叫ぶと、肉感的に膨らんだ蔓の先端をサーナイトの胸へと押し付けた。〝はじけるほのお〟のように火花を散らし、(ワックス)で塗りつぶされた突起へと白濁した液体が(ほとばし)る。おそらく(ワックス)とは別の粘り気だろう。
 マホイップに装飾(デコレーション)されたいちごの飴細工へしゃぶりつくように、胸の角へ顔をつけていた。ずるるるッ、と品のない音が聞こえてくる。生命エネルギーを吸い取っているらしい。射精しながら食事するなど、生き物の三大欲求を効率よく満たすことに関心を覚えながらも、なら夢の中でやれよ、と俺は小さく毒づいた。
 しばらくしてから口を離し、シェイドは取り出したハンカチで口許を丁寧に拭った。(ワックス)へと閉じこめられたサーナイトに飛び散った精液も取り去ってから、しなやかな所作で懐へと戻す。オンバーンが子守りのために歌っていた吸血鬼(ドラキュラ)童話(フェアリーテイル)を俺は聞きかじったことがあるが、そこで描かれる食事風景をどことなく彷彿とさせた。
 ふ、とシェイドは燭台で健気に揺れる暖かな炎を吹き消した。代わりに灯される、魂を弔うような青白い焔。暗がりから出てきた俺へ、彼は何事もなかったかのように言った。

「初回分の文化教室(カルチャースクール)は、ここまでだ。……おれらのやるべきこと、分かったかア、新人(ルーキー)さんよ」
「……俺にも雄を抱け、と」
()げェよ」ハッ、と笑い飛ばしてシャンデラが言う。「あれは単なるおれの趣味。股ンとこに付属品(アクセサリー)が注いていようと無かろうと、綺麗なもんは綺麗、だろォ?」
「つまり、あんたとトレーナーはポケモンを蝋人形にして売り払っているのか」
その通り(エクセレント)!」シャンデラは金属音の口笛を吹いた。「利口なヤツは嫌いじゃねエよ。言葉でいちいち教えんのはどォも苦手でね。その調子で頼む」

 指導員(インストラクター)礼儀作法(マナー)背広(スーツ)を脱ぎ捨てて、蝋人形となったサーナイトへ両腕を絡めていく。銀の皿へ乗せたヨナカーンの生首へ口付けし、その偏執狂的(パラノイアック)な恋を語るサロメのように。

「燃え盛る炎を見んのが好きだった」端正な顔立ちについた余分な(ワックス)を黒光りする腕でこそげ取りながら、唐突にシャンデラは昔話を始めた。「ヒトモシん頃は腑抜け(ドーキー)のチビで、火の粉を吐くだけでも楽しいモンだった。枯葉に灯ったちっぽけな火が、周囲の枝やら綿埃なんかを巻きこんで、弱虫(チキン)なおれの代わりにどんどんデカくなっていく。憧れたね。おれをいじめるコノハナもニューラも、こいつにかかりゃァひとたまりもないって考えただけで、やられた傷も痛くなかった。ランプラーになってすぐ、山火事(ワイルドファイア)がエンジンシティの東の陸橋(ブリッジ)を丸焦げにしたことがあって、そん時おれは精通した。ワイルドエリアを我が物顔で走り抜け、キャンプの後始末もせずにおれたちを捕獲するクソ喰らえ(ラビッシュ)な人間どもだって、炎の前には無力なんだぜエ! ……ほらよ、茂みの影に〝けいけんのアメ〟を見つけたときとか、実力が拮抗した奴らのケンカを観戦したときだとか、『激アツ(ファイア)!』って叫ぶこと、あンだろ。巨大化したオーロンゲみてえな大樹だって呑みこんじまう山火事(ワイルドファイア)を目の当たりにしたとき、おれの心に火を掲げられた気分だった。激アツ(ファイア)! ってな感じでな。念願のシャンデラに進化したとき、あん時はケツのデカいパンプジンの雌と付き合ってたんだが、おれァあいつの腹に灯った炎が、あいつの体を燃やさねえのが不思議でたまらなかった。だってそうだろ、炎タイプでもねえのに、むしろ弱点を取られるってンのに、その体に灼熱を抱えてンだ。交尾した後によ、その腹から漏れる灯りが好きだって伝えると、じゃあ今度はもっと明るくしようかなって言ってくれた。……いじらしいだろ? 次にあいつを抱いたとき、おれァお言葉に甘えて、あいつのぽっかりと空いた腹の口へ、炎を吹きこんでやったのよ」
「……それが、あんたの根源(オリジン)なのか」
「体内から焼き焦がす炎に悶えながら、あいつはイっていた。信じられるか? 確かにカボチャの腹へ腕を突っこんであいつの中を弄り回してやってたけどよォ、炎とそれを勘違いするとは思えないわけ。おれの愛撫(ペッティング)のテクが上手くて、熱くて、バカみたいに気持ちよくて、まさか自分が燃やされているなんて思わなかったンだろうなァ。カボチャグラタンのにおいがしてきてようやく、我に帰ったみてえに髪の腕で自分の腹を慌てて叩いて、それ以上の焼失を防ごうともがいてンの。早く火を消して! ってうるさかったから、(ワックス)で口を塞いでやった。熱くて、怖くて、だけど気持ちよくて、恋ポケにされた仕打ちに信じられないような混み入った表情が白い下地(キャンバス)に浮かび上がっててよ、これぞ最高にエロい(ホットだ)! と思ったのサァ。頭からカボチャ腹まで(ワックス)で覆ってやって、その棺桶(キャスケット)ン中で生身のパンプジンの肉体と魂は燃え尽きたが、いつかは誰だってそうなるわけ。最高にエロい(ホットな)姿を永遠に見てもらえンだから、肉体とか魂とか、そんなのはどうでもいいだろ? おれァ次の女を探したね。だが、いくら実力主義のワイルドエリアとはいえ、そんな(こた)ァ許されなかった。当然だわな。雌でも雄でも気に入った奴らを何匹か蝋人形にしたとこで、警察(ヤード)の公安に目をつけられ殺処分されそうになった。執念深いパルスワンどもに追い詰められ、あと少しでおれの魂が昇天するって寸前に、噂を聞いた今のトレーナーが横取り(スナッチ)しちまった」
「……で、選んだのがこの道なのか」
「そ」

 シャンデラは懐から煙草(フォグ)を取り出したが、火をつけずに戻した。ホットな顔に煤がついちゃあいけねェなあ、とサーナイトの頬を満足げに撫でる。地下で煙を焚くことを避けたのか、俺に気を使ったのかは分からないが、その英国紳士(ジェントルマン)の化けの皮に隠れて見える狂気が、俺には最高の二律背反(アンチノミー)に思えてならなかったのだ。

「おれァただ、おれン中に巣食ってやがる衝動(インパルス)に身を任せるだけ。そうしてできた作品(アートワーク)が数奇な人間に評価されるってンなら、譲ってやるのもやぶさかでもねエ。このポケジョブにゃア誇りを感じてさえいる。……思った通り、お前、見込みがあるよォ。こんな寸劇(スケッチ)を見せられても逃げ出さないお前は狂っているし、狂ったまま冷静でいられるなんてエ、その殻に閉じこめられた魂からして狂ってるのさア!」
「…………」
「あっはは、あっあっあっあっ、ヒィィっ、あっアッアッアッア!」

 まるで高エネルギーのガラル粒子を全身に浴びたように、シャンデラは金属音を響かせる。何がそんなに面白いのか、〝はなびらのまい〟が止まらなくなったキマワリのように引き笑い(クラックアップ)を続けながら、まるで何かの儀式のように不安定な振り子運動(ペンデュラム)を繰り返していた。
 60年もののワインを()いだグラスを傾けるように、シャンデラの腕木がしっとりと握手を求めてくる。

「ここがお前の根源(オリジン)だ。歓迎するぜエ、ワイルドエリアの自由(フリーダム)を代償に、魂の自由(ドープ)を得ることのできる場所へ」
「……随分と息のしづらい自由じゃないか」
「まるで海ン中みてえに?」
「ッはは」俺の口からも笑いが漏れた。「……最高だ。最高に激アツ(ファイア)だね」

 呪いの枝を差し伸べて、心の底からそう思った。苦手な味のマゴのみから作られた蒸留酒(スピリタス)を一気に(あお)って、地下室の隅に溜まった(かび)と埃を舐めながら、「乾杯(チアーズ)!」と叫びたい気分だった。
 逃げ出すという至極真っ当な選択肢(チョイス)は、俺の中でとうに(つい)えていた。灼熱の(ワックス)に捕らえられて狂乱していたサーナイトは、シャンデラの所望していた通りの感情の調合(ブレンド)を表情に貼りつけたまま、美術館(ミュージアム)に飾られていそうな彫像(スタチュー)と化している。ある種の高尚な美しさがあった。身動きもとれずに近しい者の安寧と幸福を祈ることしかできないその姿こそが、サニーゴたちの記憶の底にある、窒息への執着をいたくくすぐっていたのだ。




7 砂嵐 


 わたしのお腹が日に日に大きくなっていくのと同じく、産卵が近づくにつれ不安もどんどん大きくなっていった。腕を回して、確かめてみる。好物のフィラのみを食べすぎたみたいにパンパンに張った腹部は、そこについている紫の房の上からでもそうと分かるほど限界にまで膨らんでいて。
 本当にこれ、産めるんだろうか。不安になって、カイスのみのように膨らんだ腹をさすっていた腕を、紫の腹の底面へと持っていった。
 傷つけないように毒針でそっと生殖孔を開いてみれば、産卵に備えて柔らかくなっているんだろう、自分で想像していたよりも大きく開いてびっくりした。これならいけるかも、と思った矢先、腹の奥でタマゴがぐるりと揺れる感触。それだけで尋常じゃない吐き気を催して、楽観的な予感をすぐさま追い出した。スムーズに出入りするウルマのペニス(と、ナナのみ)しか知らない生殖孔より、どう考えてもつっかえているものの方が大きい。……これ、どうやって出すの? 下腹部を切り裂きでもしなければ、物理的にできなくない??? 無理に開いた腫れぼったい膣壁に池の水が逆流してきて、それ以上うだうだ考えるのはやめた。雑菌が入りこんでタマゴを脅かしでもしたら、一大事だ。引き抜いた毒針には愛液とも異なる粘液でべとついていて、それがタマゴの滑りをよくするための潤滑剤なのだと気づく。こんな気休めでどうにかなるとも思えないけれど。
 水草のベッドから体を起こすのでさえひと苦労だった。紫の胴体をできるだけ10本腕で支えて、タマゴへ負担がかからないようにする。川藻をちぎって体に巻きつけ、どうにか楽になる方法はないか試行錯誤した。水底を這って移動するのでさえままならない。動かない方が無難だろうと思って、わたしはウルマに(なぞら)えた岩の影に(うずくま)って1日の大半を過ごすようになった。
 こんなところをイーギィみたいな奴に襲われでもしたら、と思うとゾッとした。ワイルドエリアは産卵を祝ってくれる奴らよりも、それをチャンスと捉えて襲いかかってくる奴らのが多いんじゃないか。神経が毛羽立っていた。ちょっとした物音でも目が冴えるせいで睡眠もろくに取れず、体重は増えているはずなのにやつれていくのが分かる。
 様子を見にきてくれるメドウさんにだけは唯一、近づかれても喉を低く唸らせずに済んだ。白いもやの不安が消え去ったわけではないけれど、慣れ親しんだサニーゴという種族だからかもしれない。わたしが呼吸困難になった夜だけ珍しく取り乱していた彼は、いつもの落ち着いた様子でわたしの不安に寄り添ってくれる。お腹をさすってくれることはなかったけれど、すぐ隣で「だいぶ大きくなってきましたね」「緊張するとお腹が張るようですから、平静(リラックス)を心がけましょう」「もう産まれそうですか? なら、今日からはすぐそこで寝泊まりしようかな。いつでも駆けつけますから、安心して産卵に臨んでください、ミス・サルディーナ」と優しい声をかけられれば、いやでも頼りきりになってしまう。
 わたしに毒針を打ちこまれそうになったルサも「タマゴを生んだあとで10倍にして呪ってやるから覚悟しておきなさいよ」と吐き捨てながら、まめまめしく世話を焼いてくれた。初対面の印象からは想像もつかないほど彼女は気が利いて、必要な栄養素の詰まったきのみを選んで差し入れしてくれる。ありがたかった。初産に気が立っていて素直にお礼を言えないふうを装ってはいるが、本当は照れ隠しだ。
 ヒドイデの群れでヒドイデのつがいの子を産んでいれば、こんな辛酸を舐めることもなかっただろう。ただそれは、ウルマの子では決してない。わたしがタマゴを産もうとする理由はひとつだけ、腹に宿った命がウルマの残してくれた希望だからだ。ウルマはわたしの腹の中から、応援してくれている。……できればもう少し暴れないでいてくれると助かるけれど。
 そう考えればむしろ、知らない土地に流れ着いていて良かった、とも思った。アローラのサンゴ礁でタマゴを産み落とそうものなら、捕食対象であるはずのサニーゴとのあいのこ(・・・・)なんて、孵るまえに叩き潰されておしまい。この子はわたしとウルマの愛の子だ。彼が残してくれた忘れ形見なんだ。絶対に産んでみせる!





 痛い。
 もうずっと痛い。叫ばずにはいられないような痛みと、自分を呪い殺したくなるような痛みが交互に襲いかかってきて、誰かから正気を保てと言われようものなら、そいつの顔にかじりついて正気を奪い去ってやりたいくらいだった。
 わたしの薄っぺらい体の奥から、肉を食い破って生まれてくる新しいいのち。
 ウルマと出会う前。追い詰めたサニーゴの棘をちょっと深くかじってしまったとき、相手は悲鳴をあげてわたしへ恨みがましい視線をくれていた。かじられるのなんて慣れっこでしょ、ちょっと多めに貰ったくらいで大げさな……と思っていたけれど、今なら分かる。体の中心には傷つけられちゃいけない芯みたいなものが通っていて、そこを侵されるのは信じられないくらい痛いんだけど、痛み以上に何か致命的なものを奪われたような喪失感に陥るのだ。
 産卵とは、それを延々受け続ける拷問みたいなものだった。
 ドロっ、と生殖孔から強烈な粘り気のある潤滑剤が流れ出して、それが地獄の門の開いた合図だった。
 初めてウルマのを受け入れたときを思い出して、あんな痛みで泣きついていた当時のわたしを引っ叩きたくなった。甘えんな。こちとらその何倍もでっかいのをひり出さんといけんのやぞ!
 子宮が抜け落ちるのかと思うほど下に降りて、房越しからでも見るからに膨らみが移動しているのが分かる。タマゴが寝返りを打つたびに内臓を押しやられ、血管を引きちぎられ、消化管を縛り上げられる。言いようのない異物感にずっと苦しめられながら、そんなのどうでもよくなるくらい強烈な痛みが絶えることなく襲いくる。なにこれ。何だコレ。正規の手順を踏んでこの痛みなんですかね? なにか手違いがありませんでしたか?? 産卵とかいう破綻システムを作り出した奴だれ??? 今の今だけはカプ・テテフ様だろうと容赦はできない。いやマジでいっぺん自分で産んでみてほしい。絶対に考え直すから。マジで。
 涙すら出なかった。いや、とっくに涸れるほど泣き腫らした後なのかもしれない。どちらにせよ、まだタマゴは産まれていなかった。ウルマに見立てた岩へ、泣き縋るように10本腕を裏返して掴む。逃げるサニーゴに飛びついて捕まえるこの姿勢がいちばん腹に力をこめやすかった。腕を軋ませながら、下腹部へ力をこめる。やり方も知らないからでたらめに、とにかく排泄するイメージでいきむ。めりめりめり、と幻聴が聞こえるくらいにでっかいものが、総排泄腔をゆっくりとこじ開けていく。
 メドウさんは隣でずっと励ましの言葉をくれていたけれど、わたしが排泄のイメージを抱いた途端、なんだかトイレを見られている……というか見せつけているような気がしてきて。……恥っずかし!! 出産に立ち会ってくれる彼がそんなことを思うはずもないんだけど、というかそもそも生殖孔を見せつけておいて何を今さら、という話なんだけれど、ともかく、心配そうに、それでいてわたしを安心させるような力強さを孕んだ目で見ないで、見ないでよぉ――
 ごりゅん、とタマゴが大きく滑って、わたしの羞恥は弾け飛んだ。
 のたうち回る腕のひとつを優しく握ってくれるルサ。自身の腹に目をやる。あんなに痛かったのにたった数ミリ進んだだけで、まだわたしの中に居座るつもりらしい。こんな調子じゃいつまで経っても生まれやしない。恥ずかしいとか言ってる場合じゃない。
 じっとりとかいた脂汗は、紫の肌から間欠泉よろしく噴き上がってくる。噛みすぎた唇が牙で裂かれて、血の味がする。耐え難い激痛を、我が子を盗まれたジジーロンの咆哮めいた呻きに乗せてどうにか逃がす。

「産まれた――産まれましたよ、ミス・サルディーナ!」

 どれだけ拷問を受け続けていたのか。わたしの体感では丸3日は続いていたような気がするが、ともかくメドウさんの声に意識を揺り起こされて、地獄が終わったことに気付かされた。血と汗と膣液とあと何やらよくわからないわたしの体液で濁った(よど)みの中に、プルリルの腕に包まれたタマゴが、ある。薄緑色の斑点のついた硬いおくるみに包まれた、わたしとウルマの愛の結晶。

「抱いてあげられるかい?」

 曖昧に頷くと、取り上げてくれたルサからタマゴを渡される。反射的に突き出した腕2本に、浮力を受けてもずっしりとした重みが乗る。わたしのにおいが染みついた、粘液まみれの新しい命。これが、こんなのがわたしの中から。はぇぇ……。生命の神秘、というか無茶苦茶さを体感して、わたしの口から出てきたのはそんな情けないため息だった。

「メドウさん、ルサ。ありがとう……」
「いえいえ、とんでもない! 私は見守っていただけ。もっとも成し遂げたのはあなたですよ、ミス・サルディーナ」
「気になってたけど、なんでこいつにはさん付けであたしは呼び捨てなのよ……。ま、素直にお礼言えるようになったのは、成長だと思うケド」

 はた、とメドウさんが険しい目つきをする。何か、タマゴに異変でも起きたんだろうか。肝を潰してわたしは彼の思案顔をうかがった。

「何か、まずいことでも……あった?」
「もしかすると長いこと淑女(レディ)へ働いていたかもしれぬ無礼、お許し願いたい。いえ……タマゴを産んだとなると、ミス・サルディーナを呼ぶにはミスではなくミセスが適切だろうか。そもそも貴女にはミスター・ウルマという愛しい相手がいたはずなのに、私はすっかり失念していた。となるとずっと貴女に失礼な態度を……? どう詫びていいのかわかりません、いやしかし……」
「……いま、それなの?」

 真面目なのかジョークなのか。真剣に思い悩むメドウさんに、産卵を終えたばかりのわたしの口から変な笑い声が漏れた。そっか……そうだよね。タマゴを産むなんて不安に押し潰されて気づけていなかったけれど、わたしのそばにはいつもメドウさんもルサもいてくれるじゃないか。 

「メドウさん。あなたの言葉を借りるなら」はっと顔をあげたサニーゴに、わたしはメドウさんがジョークを披露するときの発音や仕草を真似て、言った。「『なんとも難しい命題だ。私としては、どちらでも構いません。貴女の都合が良い方で捉えてもらって、よろしいですよ』」

 一言一句そのままにお返ししたわたしの精一杯の意趣返しは、どうやらメドウさんのお気に召したようだった。小さく吹き出して、疲労と安堵でくしゃくしゃになったわたしを気遣うような声色で、言う。

「では、私たちのこれからの敬愛と友好を期して『サリー』と、愛称(ニックネーム)で呼ばせてもらっても、構わないかい」
「……なに、それ。もうっ」

 やられた。
 彼のが1枚上手だった。
 疲れ切った笑みを浮かべるわたしに、つられてふたりも朗らかな雰囲気に戻ってくれていた。メドウさんやルサを、そう簡単に信じてしまっていいのか。そんな懸念は、タマゴを取り上げてくれた彼らへの感謝の念でとっくに消え去っていた。




8 霧 


 世の中には稀有(レア)蒐集家(コレクター)が多くいて、そいつらの好奇心を満たすための稀有(レア)な仕事に手を貸すポケモンも少なからず、いた。有り体に言ってしまえば、トレーナーから俺が与えられた〝仕事〟とはつまり、一風変わったポケモンの密売だった。
 ファイトシティの3番通り(ストリート)に軒を連ねる格調高い老舗仕立て屋(テイラー)が、顧客(カスタマー)の要望通りに一点物(ベスポーク)のスーツを(あつら)えるのと何ら変わらない。彼らが1度の発注(オーダー)で提示された全ての要望を満たすのと同様、こだわりの強い蒐集家(コレクター)を満足させるには、与えられた任務がいかに特殊なものでも遂行できるような職人(エキスパート)が必要だった。美術商(アートディーラー)(かた)るトレーナーも、そんな逸材を探していたんだろう。ポケモンに手を掛けて売り飛ばす罪悪感よりも、石化に対する妄執(もうしゅう)が強いサニーゴ、つまりそれが俺だった。
 シャンデラを初め数匹いる職人(エキスパート)はみな曲者揃いだったが、それぞれがこだわりを持って仕事へと向き合っていた。
 注文(オーダー)はときに愛玩人形(ドール)を作成することで、密猟者(ハンター)から送られてきたポケモンの理性を丸ごと崩壊させ、顧客(カスタマー)の声ひとつですぐに股を開くあばずれに仕立て上げることだった。担当していたユキメノコはその相手と特別な関係性(リレーションシップ)を築くと工房(スタジオ)の地下室に籠り、相手を顧客(カスタマー)の要望以上に完璧な作品(アートワーク)へと仕上げるのだ。素体(フィギュア)の性別はどちらでも構わないようだったが、彼女の気にいる美男美女でないと解けない氷で冷凍睡眠(コールドスリープ)にしてしまうから(それはそれでどこかの財団の女代表にいたく気にいられていた)、捕まえてくる人間の方が難儀していることが多かった。
 注文(オーダー)はときに中毒患者(ジャンキー)にすることで、ハンターから送られてきたポケモンを毒で苦しませて弱らせることだった。担当していたエンニュートは、それがたとえ一般的な毒の効かないボスゴドラだろうとマタドガスだろうと、強がっている彼らが自分の腐食毒で酔わされていくさまにひどく性的な興奮を覚えるような奴だった。拷問部屋代わりの工房(スタジオ)の地下室に籠り、組み敷いてもまだ暴れる頑強(タフ)素体(フィギュア)の肌へまずは1滴。腐食の激痛に沸き上がる絶叫(シャウト)を心地よく耳に通しながら、自分も絶頂(エクスタシー)を決めるらしい。甚振(いたぶ)り続けるうちに、反抗的に睨みつけていた目は日を追うごとに絶望の色が強まっていって、最終的には自分から毒を分けてもらおうと惨めにおねだりするまでになる。破滅(ルイン)へ至るまでの過程を収めた映像(テープ)とともに、再生(リハビリテーション)不能なまでに壊れた作品(アートワーク)顧客(カスタマー)まで送りつけるのだ。
 注文(オーダー)はときに彫像(スタチュー)にすることで、担当は俺の指導員(インストラクター)も兼ねているシャンデラだった。憎悪と羞恥と絶望、その他諸々(エトセトラ)。蝋人形に顧客(カスタマー)の要望通りの表情をつけるのが、彼の仕事だった。
 約半年の研修(トレーニング)期間をシェイドと過ごしてきたおかげで、手順は俺の外殻の裏にまでしっかりと焼き付いている。素体(フィギュア)との円滑なコミュニケーションは、仕立て屋(テイラー)で言うところの裁ち鋏だった。鋏の持ち方からよく切れる力の込め具合、優雅に見える扱い方から自分を傷つける危険性まで全て、その半年間でシェイドから徹底的に叩きこまれた。
 炎に抱く強烈な執着を除けば、シェイドの立居振る舞いはまさしく英国紳士(ジェントルマン)のそれだった。素体(フィギュア)との会話や共同生活(シェアハウス)を楽しんでいる節さあった。3週間程度の休暇が与えられたとき――つまり工房(スタジオ)をユキメノコかエンニュートが使っているとき――彼はナックルの洒落た中心街へと繰り出し、イエッサンが甲斐甲斐しく給仕(サーブ)するような喫茶店(カフェ)で苦味の強いコーヒーを片手に、気の利いた円盤(レコード)へ耳を傾けながら、最新の大衆紙(タブロイド)へ目を通していた。地下鉄(メトロ)を乗り継いで郊外の駐車場映画館(ドライブインシアター)まで足を運ぶこともあれば、競技場(スタジアム)で行われるような本格的なものではないにしろ、戯れにポケモンバトルを嗜んだ。
 俺はとにかく真似をした。眉をひそめながら苦すぎるコーヒーを飲み下し、難解なベートーヴェンの奏鳴曲(ソナタ)に耳を貸し、読めもしない英字(アルファベット)と睨み合った。眠気を噛み殺しながらじれついた映像(ムービー)を眺め、見たこともないポケモンに見たこともない技で打ちのめされた。それから、シェイドが素体(フィギュア)を籠絡する手練手管を盗むように観察し続けた。
 シェイドは週末になると軽い野良試合をすることに決めていた。工房(スタジオ)からほど近い住宅街、市民に解放されているバトルコートには大抵いつもトリトドンがいて、彼女とは何度も手合わせをしてもらっているらしい。いい雰囲気になったことも何度かあるが、バトル後のお茶ですら淑女(レディ)のお誘いは毎回丁寧に断っているという。
 1戦交え、コートの端へ追いやられたシャンデラへ俺はハンカチを渡した。彼から借り受けているのだが、英国紳士(ジェントルマン)はいつも懐へ忍ばせておくものらしい。すっきりとした笑顔で汗を拭う彼を、いったいどれだけの者が精神病質者(サイコパス)の蝋人形技師だと見抜けるのだろうか。

「シェイドさん、恋ポケはもう作らないのですか」
「ミスター・シェイド、だ。Mのところにはっきりとしたアクセントを置きな。相手に対して敬愛(リスペクト)の念があるように聞こえる」
「……失礼、ミスター・シェイド。あのご婦人のデカケツを追いかける目つきが、大変いやらしかったですよ」
「あっアッアッアぁ……皮肉(アイロニー)もだいぶ上手くなってきたなァ」俺の毒気には取り合わず、シャンデラは煙草(フォグ)の紫煙を燻らせながら目を細めた。バトルコートではトリトドンが戦友(バディ)だというサイドンと談笑している。「抱いてみたくはァあるが、あいつとは住んでいる世界が違うのさァ」
「ワイルドエリアに暮らす野生と人付きのポケモンが交際するならともかく、貴方は見事に人間社会へと溶けこんでいる」
「ま、そうかもしんねェけど」シェイドの吐いた煙が俺の顔にかかって、抗議のつもりでわざとらしく枝を引っこめる。サーナイトを蝋人形にしたときより、彼とはだいぶ親密な関係になっていた。「一緒にいちゃァ息苦しくなンだろうよ、おれが」
「…………」

 シャンデラは新しい煙草(フォグ)包装(シュリンク)を丁寧に剥がしながら言う。以前1本もらったことがあるが、いきなり泥沼を喉奥へ流しこまれたような感触に、思い切りむせ返してしまった。

「あいつは表社会で自由を満喫できる一般市民で、俺は地下へ閉じこめられた犯罪者よォ。おれがあいつと同じトリトドンで、あいつと同じ湖で暮らしていりゃ、まァ、つがいにしてたとは思う。そんくらいいい女だ。だが、おれは陸に上がっちまった。水ン中での呼吸の仕方を忘れちまった。トリトドンが楽しく泳ぎ回れる水中じゃあ、シャンデラのおれは火を消されて溺れ死ぬしかねエ」

 ちょうど先日の夜にも悪夢(ナイトメア)に見た、サニーゴ族にかけられた呪いを思い出していた。海底の土砂へ生き埋めにされ、死んで実体を喪い、気づいたときには陸地を転がっている。海に戻ろうとも息継ぎさえままならず、泳ぎ方だって忘れてしまっていた。1度呪われたこの枝は、どれほどの祈りを捧げても浄化されることはない。

「やり直すンなら、今のうちだかンな」
No way.(まさか。) 私ももう、元の世界には戻れませんから」
「ん」

 シェイドが煙草(フォグ)を1本、俺へとくれた。青白い炎を先端に灯したそれを咥え、無い臓腑へと重い煙を流しこむ。求めていた息苦しさが俺を満たしていった。





 蝋人形と石像(スタチュー)では、満たせる顧客(カスタマー)の要望が僅かに違うらしい。前者は熱した(ワックス)を流して定着させる過程(プロセス)上、どうしても恐怖や苦痛が作品(アートワーク)の表情に出てしまうのだ。
 シェイドが俺を採用(スカウト)した際に『おれにもできねエ注文(オーダー)をこなすこと』と言った覚えがあるが、そういうことだった。
 俺に任されるのは主として、そうした苦味の少ない味付けだった。つまるところ素体(フィギュア)が俺をすっかり信じきり身を任せ、幸福な夢の中を漂っているうちに動けなくなり、石化させられるまで騙されていたなどとは露にも思わない。そんな状況(シチュエーション)をこしらえる必要があったのだ。
 アノプスやリリーラ、オムナイト、チゴラスといった種族は、その進化系も含めて近年まで絶滅したと考えられていた――ガラルの近海に浮かぶ孤島で、何千年前と変わらぬ姿で発見されるまでは。これはもちろん大衆紙(タブロイド)には乗せられていないし、古生物学会の重鎮しか知らないような機密情報(シークレット)だったが、裏社会にはそういう(ゴシップ)を専門としている情報屋がいる。化石化を免れた種族を、サニーゴの力で石化させる。トレーナーの太客が出した狂気じみた注文(オーダー)をこなすために、俺は教育されてきたようだった。まったく蒐集家(コレクター)の考えることはいつだって分からない。
 カンムリ雪原は巨人の靴底という区画(エリア)から連れてこられた雌のアーケンが、Nice to meet you.(はじめまして) から Farewell.(さようなら) をひとりで任された俺の初仕事だった。

「あの、わたし……こういうところ、よくわからなくて。メドウさんに色々聞けって言われて」
「ええ、よろしくお願いします。失礼、なんとお呼びすればよろしいでしょうか、淑女(レディ)?」
「名前……。みんなからは、セキイと、呼ばれているよ」
「ミス・セキイ。……素敵な響きだ」

 荒涼とした原始林の残存する、人類にとって未踏の地からお越しのうら若い乙女(メイデン)は、平家(フラット)の中を物珍しげに眺め回している。俺も初めて招かれたときはこんなおぼつかない様子だったのだろうか、と郷愁(ノスタルジー)がよぎった。

「はるばる遠くの土地からいらしてくださった淑女(レディ)を狭い部屋に監禁する無礼、どうかお許し願いたい。不安でしょう。要望がありましたら遠慮せずに言ってくださいね。可能な限り、私がトレーナーと話をつけておきましょう」
「うん……ここ、ちょっと落ち着かないの。いつも巣にしている、大きな木の上じゃないと」
「それならばご安心を。床板(フローリング)は天然のパイン材ですので、どうぞ窮屈なナックルシティの眺望をお楽しみください」
「……?」
「…………おっと失礼、冗談(ジョーク)というものも、初めてでしたか」

 挨拶代わりの嘘は、驚くほど流暢(スムーズ)に俺の口からまろび出ていた。シェイドから仕込まれた、淑女(レディ)をたぶらかす方便は何通りも頭に叩きこんであるのだ。
 古風な街並みと称されるナックルシティでも、太古の時代から姿を変えずに生き延びた彼女の目には、並行世界(パラレルワールド)のように映っているのだろう。平家(フラット)に籠っては信頼のおける俺とのおしゃべりで満足し、すぐそこの喫茶店(カフェ)までのデートさえ数回しか誘えていなかった。それでもミス・セキイは他者を疑うことを知らないように俺へ懐いてくれた。任された初仕事としてはシェイドの采配に感謝するしかない。
 だが、最後の最後で彼女にこの呪われた枝で触れられない。向けられるその純粋(ピュア)な笑顔を歪められるのが、急にどうしようもなく怖くなった。俺を信じ切っている彼女を、どうして裏切る必要がある?
 背信に罪悪感を覚える正気の沙汰など、とうに捨てたはずだった。だが、未だ悪いハブネークに(そそのか)されず、カジッチュの林檎を食べていない古き良き時代の無垢(イノセント)さにあてられて、俺は最後の踏ん切りがつかないでいた。
 制作日程(スケジュール)は実のところ、遅れに遅れていた。納期(デッドライン)に間に合わせるには、今すぐに彼女を台座に縛りつけ、俺の腕で抱きしめてやらなくてはならなかった。それぞれの職人(エキスパート)はそれぞれの教条主義(ドグマティズム)(のっと)っており、つまり基本的に良好な関係性(リレーションシップ)を築いているとは言い難い。工房(スタジオ)の使用は交代制で、3日後には次に使うエンニュートのために地下室を整頓しておかなければならなかった。暗がりでしか息のできない悪党(ヴィラン)のくせ、こういうところは根本的に社会的(ソーシャル)なのだ。
 未熟で焦りの色を隠しきれない俺へ、ミス・セキイが心配そうに声をかけてくる。

「ねぇ、聞こえちゃったんだけど……。ご主人さんが、あなたを、逃がすかもしれないって」

 よくよく話を聞けば、工房(スタジオ)の外で同じ手持ちのシャンデラとその仲間数匹が、そんな話をしていたとのことだった。いわく、新入り(ルーキー)のサニーゴは使えそうにない。祟りがこっちへ回ってくる前に、野生へと還してしまえ、と。見かねた先輩が助け舟を出してくれていた。
 彼女の教育係に任命された(という(てい)になっていた)俺への解雇(ファイア)を、ミス・セキイは自分の責任だと感じているらしい。

「心配してくれるんですね。お優しい方だ」
「そ、そんなこと……」

 思い詰めたように深々としたため息をつけば――これは演技だ――ミス・セキイは飛べない翼を広げ、俺へと抱き着こうとしてから、はっとしたように取り下げた。触れられない俺との接触(スキンシップ)にも慣れてきた頃合いだった。
 飛べない翼の先端を握りしめながら、ミス・セキイは力強く俺へ言う。

「一緒に! ……一緒に、逃げよう。ほら、前にメドウさんが教えてくれた、地下鉄ってものに乗れば、どこへだって行けるんでしょう?」
「ええ、まあ、大抵のところには」
「わたしが住んでた雪原も、きっと気に入ると思うの。寒いところだけど、昔は海だった場所なんだって、おばあちゃんも言ってたんだ。だから、メドウさんも気にいるはず。隣の川にはカブトとか、昔からの仲間もいっぱい暮らしているの」
「なぜ、私にそう優しくしてくれるのかい」
「な、なぜ、って……」

 アーケンのつぶらな両眼が所在なげに宙を彷徨って、ああこの子は恋をしてくれているな、と何度目かの確認をした。無理もない。突然に住み慣れた孤島を追い出され、ほとんど平屋(フラット)にこもりきりで俺としかおしゃべりをしてない彼女にとって、頼れるのは俺だけだった。
 シャンデラの目を盗んでミス・セキイを連れ出して、最寄りの地下鉄(メトロ)へ向かう。普段も慌ただしく羽をばたつかせる彼女だが、めくるめく恋愛の急展開に興奮しているらしい。狭い路地を急ぐ彼女を「少し休憩しましょう」と呼び止めて、道中、住宅街にひっそりと現れる公園の茂みへ彼女を誘導しては、そこへ押し倒した。

「め……メドウ、さんっ!?」
「もし……君と逃げたことがトレーナーに知れたら、私はタダじゃ済まないだろう」嘘だった。「もし追いつかれても、私だけが捕まるから、どうか君は逃げてくれ」これも嘘。「だから、だからせめて1度だけでいい、俺との思い出を……。ずっと言えなかった、セキイ。俺は君が好きなんだ。大昔に絶滅して、地層に埋もれた記憶さえ忘れてしまった君の純粋無垢なところに、どうしようもなく惹かれてしまったんだ」――これは?
「――――ッ」

 駆け落ちという非日常の興奮が彼女の思考を狂わせることも、折りこみ済みだった。茂みの中、ひび割れた岩の頬を朱く染めてすとんと脱力した彼女へ、のしかかる。呪いの枝の両手で触れ、胸にある羽毛のけばけばしさを堪能していく。その傷んだ体毛の先端から石化していることに、ミス・セキイは気づかない。
 枝から霊力を解放し、白いもやで彼女をそっと取り囲んだ。喜色に笑んだその口許へキスを落としながら、呪いをかける範囲を広げていく。全幅の信頼を俺へと置いているミス・セキイは、どこに触れようとも始祖的(プリミティブ)なさえずりを響かせてくれた。
 (やじり)形の羽根のついた尾を撫で、鋭い鉤爪の揃った足の(みずかき)をくすぐり、存外に柔らかな腹部をつつき回した。不自由の象徴(シンボル)たるアーケンの両翼を抱きしめて、ついぞ飛ぶことないまま生きた化石にしていく。

「ああっ、ああ――ぅあ、なにっ、これぇ……メドウさっ、これ、なあにッ、なに、なにいいっ」
「――どうですか、あなたの奥深くに眠る記憶では、海は、どのようでしたか。温かいですか、静かですか。波というものはどうですか。海とは、どんなところですか」
「ぁ、なんかっ、へ……ん、もう、あッ! おまたが、あっ、これ、ゃああ……もうっ、なんか、く、る……ぅああああッ!!」

 仮に翼の先さえ動かせないと気づこうとも、それがまさか俺の呪いを直に吸いこんだせいだとは思うまい。初めて味わう性的な快感の副作用(サイドエフェクト)か何かだと錯覚するだろう。ミス・セキイは乱れ、訳もわからず叫びながら、ふくよかな体毛に埋もれた総排泄腔をしとどに濡らしていた。

「メドウさん、メドウさ――ああああっ!!」

 俺の名を何度も呼ぶその口へ、最大限に霊力を高めた枝を差し入れる。ミス・セキイの声を聞くために最後まで残しておいた声帯とその周辺の筋肉へ、ありったけの石化の呪いを浸透させていく。目前にまで迫った地下鉄(メトロ)を眺めながら、もうその翼で満喫できると信じて疑わなかった自由な未来を断たれたことにも気づかないままの、幸せを噛み締めた絶頂(エクスタシー)の表情。純然たる幸福をその顔へ貼りつけたまま、彼女は石像(スタチュー)へと華麗なる変貌を遂げたのだ。台座にうまく乗るかは分からないが、初仕事にしては上出来だろう。
 シェイドから貸してもらったハンカチで、石像(スタチュー)の股を拭い取る。童貞(チェリー)だった俺が彼女の絶頂と共に吐き出した欲情の痕跡を、丁寧に消し去った。蝋人形を製作するにあたって雄のサーナイトを抱いたシェイドには内心ドン引きしていたが、交尾は必要な衝動だと知った。己の根源(オリジン)を強く意識する儀式には、本能を解き放つ行為がとてもよく似合う。





 俺へと仲介された〝仕事〟は通算(トータル)38回、そのうち33回で依頼主(カスタマー)からの高評価を獲得していた。
 5年目に入り、工房(スタジオ)とナックル近郊を行き来する生活にも慣れてきた頃合いだった。
 作品(アートワーク)とすべくひと月かけて適切な関係性(リレーションシップ)を構築してきたラビフットを引き連れ、いつものように仕事場へと向かうと、俺の前期間に使っていたはずのシャンデラが、朽ちたシャンデリアと成り果てて埃っぽい床に転がっていた。側には俺のトレーナーが同じく捨て置かれていて、頭部から広がった赤黒いシミが、干上がった海のように――もちろん俺は海の何たるかを知らないが――広がっている。こめかみに1発、遠くからパシュン。たったそれだけで絶命していた。俺たちが職人(エキスパート)を名乗るのと同様、貧相な拠点(アジト)を襲撃した狙撃手(スナイパー)もまたその道の専門家(エキスパート)と呼ばれるべき存在だったらしい。何か叫んで俺へと小石を蹴りつけて逃げていったラビフットなど、もはやどうでもよくなっていた。
 大破したシャンデリアのそばには見慣れた(シルク)のハンカチが落ちていて、俺はそれで亡骸をくまなく磨き上げた。水で洗い、鬼火で乾かして、丁寧に畳んだシェイドの形見を、懐にしまう。せめてもの(とむら)いのつもり。
 話に聞いたことはある。ガラルという大国には公然に秘密警察が存在していて、その一員に腕の立つインテレオンがいることも。
 彼らが獲物(ターゲット)とするのは政府の転覆を目論む反体制分子や、政府要人にまで潜りこんだ密偵(スパイ)だ。奴らは抜いても抜いても再生する〝がんばりやミント〟のようにしぶとく、だから末端の斡旋者(ブローカー)である俺のトレーナーが狙われたのは、インテレオンの気まぐれか単なる暇つぶしか、水鉄砲の狙撃(スナイプ)の腕を鈍らせないための実地訓練か、得てしてそんなところだろう。行きつけ(ローカル)酒場(パブ)でウィスキーを舐めていたところ、手配書か注意喚起の貼り紙が風に乗って飛んできて、ひょいと路地裏を覗いたら人相の同じ不審人物を見つけたので、撃っておきました。社会平和のために。まったく讃えられるべき性根だと思う。
 腐乱臭の漂い始めた部屋で、俺は大きく、息をついた。いつかはこうなるだろうと思ってはいたが、いざ直面してみると、思いの外に呼吸がしやすい。この狭っ苦しい工房(スタジオ)に閉じこめられて5年、地下組織(アンダーグラウンド)の泥沼に溺れないよう器用に泳いできたつもりだったが、健全な精神を持ち合わせたポケモンがいずれそうなるように、俺もまた窒息しかけていたらしかった。
 諸々の後処理を済ませ、俺はその日のうちに出頭した。
 ガラルに蔓延(はびこ)る犯罪協働機関(シンジケート)が芋づる式に一斉摘発されたことによって、俺は〝元〟手持ちポケモンになった。犯罪に加担させられたポケモンは保護されたのち、警察(ヤード)管轄の精神病棟で2年ほどの心療指導(カウンセリング)を施された後、更生の余地があると判断されればしかるべき環境へ戻される。なければもちろん、殺される。
 2、3度その心療指導(カウンセリング)とやらを受けて、驚いた。俺を担当したのはナマコブシの女医だったが、彼女の任された〝仕事〟はほぼ、俺が素体(フィギュア)芸術作品(アートワーク)へと昇華させる過程(プロセス)と同義だったのだ。すなわち対話を重ねることによって、患者の鬱屈や迷妄を拭い取り不安定な心を方向づけること。方向づけた先が破滅(ルイン)なのか救済(エイド)なのか、ただそれだけの違いだった。相手を中毒患者(ジャンキー)にする悪党(ヴィラン)もいれば、相手に浄化(カタルシス)をもたらす勇士(ヒーロー)もいるのだと、ナマコブシの口から飛び出た内臓の端を眺めながらしみじみと思った。

「ですから大衆紙(タブロイド)のような物資はお渡しできません。これから半野生に還されるあなたには、必要のないものです」
「へえ……」
「聞いていますか? ミスター・メドウ。眠気が強いようならば、処方する向精神薬を減らすか、副作用(サイドエフェクト)の軽いものへ代えるよう検討しますが」
「ああ、いや失礼、ドクター・コス。あなたの肌の潤い具合がまるで(ブラック)真珠(パール)のようにうかがえたもので、つい見惚れていました。育った環境がいいのかな。貴女の故郷(ホーム)の海は、さぞ美しいところなのでしょうね」
「……そういう人間らしい振る舞いは控えていきましょう、と病棟側は提言(アドバイス)してるのです」

 ナマコブシの女医は、背中に連なる鮮やかなピンク色をした突起を緩やかに開閉させながら、曖昧な言葉を並べ立てていた。
 彼女もまた、精神病棟という閉ざされた(ケージ)の中で、窒息しかけていたのだろう。神経症(ノイローゼ)患者の癇癪(ヒステリー)に振り回される沈鬱とした変わり映えのしない日々に、ちょっとした彩りを添える刺激(スパイス)を求めていた。気まぐれに俺の諧謔(ユーモア)に付き合ってくれたのは、そんなところかもしれない。
 そしていつからか、ドクター・コスは俺に対して本気になってしまったようだった。仕草、態度、口調、その他様々な要素(エレメント)が、彼女の目に俺が好意的に映っていることを物語っていた。内陸地では珍しいであろう水中グループという親近感ゆえか、心療指導(カウンセリング)を重ね親睦を深めていくうち、彼女は仕事の愚痴をこぼすこともあれば、トレーナーの優秀さを自慢することもあった。
 興味深い事象だった。俺の心を浄化(カタルシス)へと導かなければならないのに、俺に心を毒されてしまっているのだ。

「単なる社交辞令(レトリック)ですよ。ドクター・コスは仕事に忠実な方だ。貴女のその堅実な態度に救われている患者が何匹もいるのを、私は知っています」
「いくらあなたが英国紳士(ジェントルマン)で模範囚だからといって」診療室(クリニック)の簡素なテーブルへ乗せられたクッションに鎮座して、ナマコブシ女医は俺から目を逸らしていた。相談員(カウンセラー)としてそれはほとんど職務放棄(サボタージュ)に等しい応対だろう。「病棟から特別に物資をお出しすることはないと、心得てください。ましてそれが人間のための娯楽用品(エンターテインメント)なんて、許可が出るはずがありません。あなたは晴れてここを出たら、ワイルドエリア保全委員会のもと巡回(パトロール)を任されることになっているのです。その責務をどうかお忘れずに」
「光栄なことですよ、私みたいな犯罪者には、不当ともいうべき処分だ」
「罪の意識はあってしかるべきですが……、罪悪感をそのように抱えこむのも、やめましょうか」
「……そうかもしれない」

 ワイルドエリアではその混沌とした治安を維持するため、人間の管轄下に置かれたポケモンが広い縄張りを任されることがあった。サニーゴは巨人の鏡池に代表的(ティピカル)な種族であったし、俺は人間の扱いやすい理性とそれなりの知性も備えている。悪辣な犯罪の片棒を担いだといえど、俺は十分に利用可能(アベイラブル)だと判断され、ガラルの全てに携わると言われるマクロコスモス社傘下の子会社に新人採用(リクルート)されたのだ。
 至極簡潔に言ってしまえば、俺は罪を免れた。38匹もの無垢(ナイーヴ)なポケモンを騙して石像(スタチュー)にしてきたのに、その罪状は全てトレーナーが死をもってして償い、里帰りを許されるとともに小気味よい立場に収まろうとしている。
 ――貴女は少々勘違いをしているのですよ、ドクター・コス。俺は石にした彼らへ懺悔したい訳じゃあない。悪役(ヴィラン)にはしかるべき正義の鉄槌が下されるべきだと、イッシュ発の娯楽(エンターテインメント)映画(フィルム)で培われた俺の教養(カルチャー)はそう雄弁に語っていて、しかしそれは達成されずに事件は次の場面(シーン)へ移行している。つまり、第一幕では下っ端の迂闊な斡旋者(ブローカー)職人(エキスパート)のシャンデラが贖罪のウールー(スケープゴート)として殺されて暗転、10分ほどの幕間(ティーブレイク)を挟んで明転した第二幕では、ポケモンの密売事件に巻きこまれた秘密警察のインテレオンが、やれやれといった調子でガラル裏社会の闇へ切り込んでいく――まさにこういった演劇(シアター)のように、だ。端役(エキストラ)の俺は幕間(ティーブレイク)の隙に舞台(ステージ)からそっと降り、誰にも咎められることなくナックルの中央通り(メインストリート)へと消えていく。インテレオンの活劇に首っ丈な観客は、もはや俺に目もくれないでいる。
 巨人の鏡池で(たた)っては眠るばかりのサニーゴたちが海の記憶を忘れているように、俺も己の罪を忘れようとしている。呼吸はずいぶん楽になったはずなのに、それはおかしいと理性が喘いでいる。俺こそが呪われて石にされるべきなのに、なぜお前は女医との会話を、まるで喫茶店(カフェ)のテラスで春の陽気を楽しむような悠長さで聞き流しているのか。
 だから、ワイルドエリアへ戻される前に、ちょっと試してみたくなった。

「――メドウ、ミスター・メドウ! ……また、上の空ですか」
「誠実な淑女(レディ)を前に2度も物思いに耽った無礼、どうかお許し願いたい。しかしそんな怖い顔をしないでください。口許から可憐な臓腑がはみ出ていますよ、ドクター・コス。……今朝の朝食は、少しいいものを食べたのかな。貴女の好きなきのみパンケーキ。しかし糖蜜(シロップ)は少し控えた方がいいかもしれない。純白だったはずの内臓が、ブリーの果汁で黒くくすんでしまっている。淑女(レディ)は身だしなみにも気を使うべきです。ハンカチをどうぞ」
「…………あなたの担当医をからかうのは、おやめください」
「私たちだけでも利用できる喫茶店(カフェ)を知っているんです。そこのパンケーキは休日に行列ができるほどでね。店主(マスター)も気さくな方で、きっと貴女も気に入ってくれる」
「……本気、なの?」
「病棟からは何も出ないらしいですが……。貴女からは、何が出せる?」
「……ッ」

 こうして7度目の定期診療(カウンセリング)の終わりに、俺の外出許可が下りた。ドクター・コスの付き添いのもと半日だけ、という条件(コンディション)付きで。
 38回もの仕事で利用してきた店はナックル近郊に持て余すほどあり、雰囲気の良いデートコースはその日の天候によって変更が利くほど選択肢(チョイス)があった。器用に呪いの枝を避けて俺の外殻へ乗っかったドクター・コスは、彼女のトレーナーがよく掛けているという名盤を扱う円盤(レコード)ショップを内臓で指さした。当然俺には持ち合わせなどなかったし、彼女がねだることもなかったけれど、店内で流れるベートーヴェンの波にさらわれていると、かつて同様の手口で素体(フィギュア)を口説いていた感覚が蘇ってくる。
 午後に入った喫茶店(カフェ)ではもちろんパンケーキを注文(オーダー)した。川沿い(リバーサイド)のテラス席で、彼女は淑女(レディ)と呼ぶに相応しいナイフ捌きを披露してくれたし、わざとらしくたっぷりのブリーソースに浸らせた生地を、優雅な仕草で露出させた内臓の内側へと収めていった。黒いしみなどつけやしない。
 目を凝らすと消化管の粘膜には手入れが施されているようで、よく慕われたアマージョの流し目のような煌めきを纏っていた。仕事一辺倒なドクター・コスが、俺のためにわざわざ化粧(メークアップ)してきてくれたらしい。褒めると、「……似合わない?」とくすぐったそうに聞き返される。内臓まで美しい淑女(レディ)にお会いするのは初めてだ、と答えた。褒められ慣れていないのだろう、反応は劇的だった。
 用意できなかった大衆紙(タブロイド)のお詫びという名目で駐車場映画(ドライブインシアター)を眺め、ミス・セキイとも訪れたことのある魅力的(アンニュイ)な雰囲気の酒場(バー)でたわいない話を交えた。彼女はナックルの東側に広がる9番道路の生まれで、水陸両用のロトム自転車(バイク)でしか進むことのできない狭湾(フィヨルド)には、年中粉雪がちらついているという。海には陸地のような分厚い氷塊が漂っていて、それが互いにぶつかっては砕け、新たな縄張りを生み出しているらしい。ワイルドエリアよりもよっぽど野生的(ワイルド)だな、と思った。

「その、つかぬことをお尋ねするのですが」俺はダメ元で訊いた。「海の中に……その、これは比喩ですが、……花は、咲いていませんでしたか。色とりどりの大輪が折り重なる一面の花畑は」
「……いえ?」ドクター・コスの反応は芳しくない。親和的(スイート)な雰囲気を濁されたことを非難するように、いつもの形式ばった口調へと戻っていた。「一般的な植物は海水の塩分濃度に耐えられません。ましてワタシの育った故郷(ホーム)の海は凍っている。そのような話、冒険小説(ファンタジー)の中ですら聞いたことがありませんけど」
「でも、もしそんな温かな海があれば、楽園(ユートピア)だと思わないかい。足場が崩れる恐れもなければ、寝ているうちに凍え死ぬ心配もない。豊富なきのみを仲良く分配(シェア)しながら、タマンタもタタッコもダダリンも仲良く暮らしているんだ」
「もしあれば、ねえ」

 英国紳士(ジェントルマン)が最初にすべきは正しい礼儀作法(マナー)を身につけることだが、その次には正しいマティーニの作り方を知るべきだ。ベースはラムの代わりにウォッカを用い、音を立てずに10秒ステア。全て注文(オーダー)通りに仕立てるデスバーンの手際は申し分ない。
 たたん、たたん、たたん。薄暗い酒場(バー)のカウンターへ乗せた臓腑の指で、ドクター・コスは静かなリズムを刻んでいる。カクテルグラスを摘んで、ブリーの沈んだマティーニを傾けた。俺の持ち出したつまらない会話に、そこまで気分を害された訳ではいないらしい。

「友だちとの仲良しごっこなんて、もう忘れてしまったわ。ワタシたちは忘れることで、新しい物事を受け入れられるようにできているの。そうでないと息が詰まっちゃうから。あるかどうか分からない楽園(オアシス)よりも、窮屈な病棟生活を凌げる癒しの時間が欲しいかしら。今日みたいな、ね」
「……また、次があると光栄なのですが」
「デート代がワタシ持ちじゃなければ、完璧ね」

 病棟へ戻る職員専用の裏口(バックヤード)、不規則に点滅する電灯(ランプ)の陰で、不意打ち気味に、口からはみ出した彼女の内臓へキスをした。うっすらと香るブリーの甘み。唇を離してもしばらくそのまま俺を見つめていて、普段のきちんとした彼女らしからぬ、無防備な姿だった。
 刺激的(ラヴリー)な夜だったわ、とハッとした彼女は言った。臓腑で1本指を立て、まるでドラメシヤたちがママへのいたずらを共有するかのように、こそばゆそうに俺を個室まで送り届けた。跳ねて帰る彼女が廊下の角を曲がる寸前、振り上げた内臓が特大のピースを作ってみせ、それはナマコブシが心の底から嬉しいときに零れる仕草(サイン)だった。予想通り。俺は今、思うように誰かの心を操っている。心地の良い息苦しさだ。
 ポケモンを相手にする〝仕事〟を受け持つ彼女は俺と同様、相応の知性と理性を備えていた。ある種の息苦しさを共有する俺たちの話が合うのにそう時間はかからず、俺の外出許可は2ヶ月に1度、ひと月に1度、2週間に1度……といった調子で増えていった。もちろんドクター・コスの付き添いは前提として、だ。
 けっきょく彼女の口添えによって俺の収容期間は半分の40週間にまで短縮されたし、出所の日、俺は休暇をもぎ取った彼女を呼びつけた。
 デートの手順(ルーティン)を丁重にこなし、もはや行きつけ(ローカル)とも言える酒場(バー)を後にして、俺は足取りを歓楽街へと向けた。外殻の定席に収まった彼女の内臓も、俺と同じ目的地を示していた。
 プール付きのホテルに先導(エスコート)して、マティーニの残り香をゆったりと楽しみながら、俺はドクター・コスをベッドへと誘う。とても恥ずかしそうに頷いてくれた彼女を霊力で包んで、上質な(シルク)へと横たえた。

「分かっているでしょう。俺が枝で撫でると、貴女を石にしてしまう。覚悟の上……と、受け取っていいんだね」
「あんな病棟で干物になるくらいなら、歓迎するわ。それにワタシ、浄化には自信があるの」
「それでは……、貴女の可憐な腹の中を、俺に見せてくれ」
「心ゆくまで、ワタシに触れて」

 にゅるり、と漆黒の楕円体から這い出した内臓が、砂を揉むように指を踊らせ、俺へと差し伸べられる。呪いの枝である両手で握り、直々に騎士叙任された将軍が女王陛下(クイーンエリザベス)(ひざまず)くように、純白の甲へキスを落とした。そのまま唇を滑らせる。牙のあるものが噛みつけばたちまち裂けてしまいそうな繊細(デリケート)さだった。呪いの枝と指とを絡ませ、形を確かめるように揉みこんでいくと、唇に触れる感覚が明らかに固くなっていくのが分かる。ちらとドクター・コスを窺うと、消化管を噛んだままの五放射相称の口から熱い吐息をこぼし、期待に潤んだ瞳から俺へ熱視線を送ってくれていた。
 ちゅ……、と唇を離す。純白だった下地(キャンバス)は浅黒く(くす)み、浮彫細工(レリーフ)のような質感で硬直した指先から、俺の唾液がてらりと糸を引いていた。恋文を(したた)めその封筒(エンベロープ)へ封蝋を()すように、もういちどキスを落として銀糸を切った。
 飛び出したまま内臓を石にされては、ドクター・コスは前後の平衡(バランス)を取るのにもひと苦労するらしい。とはいえそのまま体内へ戻そうものなら、柔軟性(フレックス)を失った拳が彼女を内側から引き裂いてしまうだろう。息苦しさに顔をしかめながらも、俺へ向けられる視線は信頼を孕んだまま。倒錯的なセックスに度を失ったのか、はたまた俺が命まで奪うことはないと信じきっているのか、それは判断できないが――もう、後に退くことなどできないのだ。
 内臓への愛撫を切りやめ、霊力で彼女を俺の外殻へと乗せる。呪いの枝で取り囲める中央に。
 興奮するにつれ、枝の輪郭(シルエット)が解け、膨張し、拡散した白いもやが彼女を取り囲んでいた。石化の呪いに包まれたまま、抵抗はおろか、つぶらな瞳をうっとりと蕩めかせているナマコブシを、俺はじっくりと(いぶ)していく。
 石にされることを分かっていながら俺に抱かれるという状況(シチュエーション)の新鮮さに、俺もまた、普段とは異なる興奮を覚えていた。俺の息苦しさまで含めて認められ、受け入れられ、愛を捧げられているという充足感。素体(フィギュア)とは疑似的な恋愛関係を築くことも少なくなかったが、このような感情に満たされることは1度たりともなかった。
 聴覚器官が機能しているか定かではなかったが、彼女の全身を固めていく間、しきりにドクター・コスを褒めていた気がする。

「どうですか、窒息するというのは、怖いですか、心細いですか。それとも誰かに祈っていますか。――ああ、ああっ、どうか、どうかその浄化するナマコブシの能力(アビリティ)で、俺の呪いを振り払ってくれ……!」
「あ、ふッ、んッああ、ぁ――、あなたッは、やり直せるから。きっと、きっと――」

 どこにあるか分からない声帯までを凝固させたらしく、ドクター・コスの喘ぎはぱったりと聞こえなくなった。
 ナマコブシは尻からも内臓をはみ出していて、彼女の生殖器はそこに隠されているようだった。白い枝のひとつをそこへ向かわせ、体内へ押し戻すように飛び出した総排泄腔をいじる。硬くなっていく耽美な感触を味わっているうち、枝の先から、どろり……と粘液が(ほとばし)った。石化した生殖孔に受け付けられなかった俺の劣情は、ドクター・コスの下腹部を汚しながら、唯一動くものとして流れていく。
 彼女の自慢するトレーナーは善良なる一般市民で、犯罪歴のある俺と結ばれることはないだろうとドクター・コスは言っていた。俺が今までそうしてきたようにハンカチで局部を清め、美しい石像(スタチュー)となった彼女へ(シルク)の毛布を掛けた。朝まで寝かせてやってくれ、と受付(フロント)(ことづ)けて、ホテルを出る。仕事で何度か利用したことのある、地下組織(アンダーグラウンド)と繋がりのある店だ。警察(ヤード)に通報されるようなことはない。
 内臓から侵攻したとはいえあまり深くは石化させなかったから、ドクター・シスが自己浄化に成功すれば俺のことは忘れて仕事に戻るだろうし、失敗すれば優秀なナマコブシ女医の失踪に彼女のトレーナーが悲しむことになる。それだけだ。幕はもうとうに下りたのだ。
 ホテルの外は深夜の冬空が広がっていたが、ナックルの繁華街(ダウンタウン)蛍光看板(ネオンサイン)に掻き消されて星は見えない。大きく息を吸いこんで、吐いた。楽だ。
 ――それでいいのか?
 楽であっていいはずがない。罰を受けなければならない。シャンデラから教わった煙草(フォグ)を無性に吸いたくなった。あれはいい。重たい煙で体が内側から石にされているような感覚になる。罪の味だ。罪で窒息してしまいたかった。
 しばらくして俺はワイルドエリア保全委員会のもとで巨人の鏡池の一部を縄張りとして認められ、人間の扱いやすい理性と知性をもってして治めることになった。ルサとの再会を果たし、新たな人間やポケモンとの関係性(リレーションシップ)に慣れていく中で、ドクター・コスのその後は未だ耳に届いていない。
 俺は再び赦されてしまうようだった。罪の接種は一過性のもので、俺を(さいな)む窒息がどれほど和らいだままでいてくれるか分からない。ミス・サルディーナに出会い、彼女と親睦を深めるにつれ、俺はまた同じ罪を犯そうとしているのかもしれなかった。




9 雷雨 [#5DdaBAT] 


 朝目を覚ましたときには、すでに変化は現れていた。
 もう絶対に離すもんかと10本の腕で抱きこんでいたタマゴが、ほんのりと輝きを放っている。わたしが慌てふためく猶予もないまま、ぐるんッ! と水中でひとつ大きく揺れて、硬い外殻を上下に割るようにしてひびが走った。
 生まれる。
 あれだけお腹を痛めて産んだ我が子が、やっとわたしに会いにきてくれたんだ!

「ああ……ああああっ!」

 手放しに喜ぼうと思って――できなかった。
 ――なんで?
 雌としての本能の喜びに満たされたわたしの心へ1滴垂らされた、衝撃。
 硬いタマゴの殻を破った棘は、ヒドイデのものではない。突き刺すような鋭利さを欠いた、丸い先端の、枝とでも形容すべきもの。ニンフィアの振り撒く愛嬌よりも鮮やかなピンク色をした甲殻は、できたてほやほやの柔らかさを残すようにところどころ透明で、この世界に生まれ落ちた命の温かさに艶めいている。
 アローラを離れて長らく見ることのなかった、しかし毎晩のように思い返してきた愛しの彼の姿によく似た、それはサニーゴだった。メドウさんのように白骨化していない、生命力に溢れたサニーゴだった。
 ――なんで。
 生まれたばかりのサニーゴは、小さな小さな目を私へと向けていた。きゅらり! とひとつ、言葉にならない産声をあげる。タマゴから飛び出して初めて目にしたわたしを、この子はお母さんだと思ってくれたみたい。それは雌としてなんて嬉しくて、なんて幸せで、なんて――

 ――なんて、美味しそうな。

「――ッ」

 ……は?
 今なんて。
 いまわたし、なんて思った?
 とっさに口許へ持ってきた腕に噛みついて、その痛みにわたしは我に帰る。滲んだ血とは異なる、どろんとした液体が口から溢れていた。喉の奥からせり上がってきて、止まらない。何度飲み下そうとしても、大好きなフィラのみを前にしたかのように腹の奥が疼いている。腕へ牙を突き立てたまま、息が乱れてくる。目が血走って、目の前にいる絶好の獲物へ飛びかかれ! と本能が騒ぎ立てるのがわかる。
 ――ダメ!
 抗い難い衝動をどうにか振り払って、わたしは、余った腕で我が子を水草に押しこみ、死に物狂いで陸へと這い上がっていた。逃げた獲物を追いかけるアリアドスのように10本腕を無様に(わめ)き立て、メドウさんのもとへ駆けこんだ。
 にこやかに応対してくれた彼の枝からハンカチをひったくり、口許を入念に拭う。拭いても拭いても溢れかえってくる唾液に溺れかけながら、使いものにならなくなった白い布を突き返した。

「うま、うまっ、生まれ、うまれて、今っ!」
「落ち着いてください、サリー。絶品のリンゴを食べたみたいになっているよ。そうか、タマゴか孵ったんだ。予定よりも早かったですね。私からはお祝いの突発的(サプライズ)プレゼントを贈らせてもらおうとしていたところでして、そろそろルサが調達して――」
「とっとととにかく、来て!」
「おおっと」

 思わず掴もうとしたわたしの腕を華麗に避け、メドウさんは巨人の鏡池までついてきてくれた。しばらくして、離れて待つわたしのところまで、水草のベッドまで様子を見に行った彼が戻ってくる。

「驚いた……。可愛いヒドイデが生まれたのだとばかり思っていたが、あれは……」
「そうなの。普通じゃない、よね……?」
奇跡的(ミラクル)としか言いようがない。あるいは神秘的(スピリチュアル)かな。タマゴから孵る子どもは、得てして母親と同じ種族であることが世の常だからね。しかしどうして……」
「預かって欲しいの」
「…………」

 口許を押さえたわたしに怪訝な表情のまま、メドウさんは難しい顔をした。

「それはいけない。生まれたばかりの子は特に、母親の愛を受けて育つべきだと、俺は思う。それが可能ならば、なおさらね」
「できないの」
「自信をなくしてしまったかい。それとも産後鬱(ポストナタルブルー)だろうか」
「そうじゃないッ!」
「わかった、聞くから。癇癪(ヒステリー)を起こすのはよくないよ、自分のためにも、子どものためにも。大きく息を吸って……吐いて。ゆっくり繰り返そう。その調子だ、サリー」

 もう、隠し通すことなんて無理だ。
 我が子がアローラのサニーゴとして生まれてしまった以上、その味を知っているヒドイデが愛情を注いで育てるなんてできっこない。それはきっと、人間がタネを植えて鈴()りに実ったきのみを収穫しないようなもの。中にはそういう間の抜けた人間もいるだけろうけど、残念なことにヒドイデの本能はそれほど忘れっぽく作られてはいない。
 この世界に生まれ落ちて初めて見る生き物が、今まさに自分をかじろうと襲いかかってくる天敵だなんて。あの子の目にした惨憺たる光景を想像して、全身を悪寒が貫いた。わたしを見て「きゅらり!」と上げた産声もなんだか、母親へ向けた初めましての挨拶なんかじゃなく、ただただ捕食者の牙に恐ろしいものを感じて漏らした悲鳴だったみたいに思えてきて。
 アローラにおけるサニーゴとヒドイデの関係性をメドウさんに説明しながら、わたしは吐いた。
 呼吸が苦しい、心臓が痛い。酸素を全身へ運んでくれるはずの水管を、しっちゃかめっちゃかに体液が循環する。メドウさんがついていてくれたから過呼吸にはならなかったけれど、そのイメージが、完全には思い出せない嵐の夜の記憶と混じり合って、わたしの循環器系を締め上げる。

「あの、これ……なのですが」

 藤の似合うオドリドリの色をした霊力に包んで、メドウさんがハンカチを渡してくれる。ことあるごとに吐いているわたしのために、用意がいい。さっき汚したはずなのに、いつの間にか綺麗に洗って鬼火で乾かしてあったみたい。
 三角に折られたシルクの布をありがたく受け取って、そこから何か、ピンク色をした長いものが転げ落ちた。腕のひとつで口許を覆いながら、落としてしまったものを拾おうとして、水底の砂へと突き刺さったそれを見た。
 折れたサニーゴの枝の先を、見た。

「……なんで、それを」

 わたしの目はわたしのよく知るピンク色をしたサニーゴの枝に釘付けになっていて、だから震えた声に反応したメドウさんの顔を見ることができなかった。確かめるのが怖かったんだと思う。とにかく、何が起こっているのか理解することをわたしの脳みそは拒んでいて。

「初対面の淑女(レディ)から大切な形見を盗んで隠していた無礼、どうかお許し願いたい……などと、(たわむ)れるつもりもありません。もっと早くにお返しするべきでした。しかし、こればかりは、なぜか私が持っているべきなのではないかと、思ってしまったのです。サリー、これは、もしかすると、ミスター・ウルマの――」

「ああ、あああッ。ぅああ……、あ、っああああああああああああああああああああああああああああ!!」

「サリー!? どうしました、ミス・サルディーナ! お気を確かに!」

 ――なんで、忘れていたんだろう。
 ――なんで、思い出せなかったんだろう。

 記憶が、蘇る。あの嵐の夜の記憶が、まさにその荒れ具合を再現するかのように、わたしの中で吹き荒れていた。過呼吸になった夜、幸せなはずの妄想の中のウルマが『裏切り者』と罵ってわたしを暗い海溝へと突き落としたのは、ずっと、無意識のうちに罪悪感をリフレインしていたから。しっかりと握ったはずの10本腕を離してしまったあの夜の顛末を、わたしは克明に思い出していた。

「わたしは、ウルマを、食べたんだ」





 あれだけ騒がしかった人間たちのいなくなった、西の水平線にうっすらとオレンジ色が残るだけのメレメレビーチ。激しく燃え上がった交尾の後、甘いムードの潮もすっかり引いてしまったタイミングで、ウルマがわたしを抱きしめて言った。

「リーダーに、次からサンゴ礁に近寄ったら攻撃するぞって、言われちゃった」
「……そっ、か」

 サンゴ礁の中心にはいつもサニーゴたちがいて、だからヒドイデと付き合っているというウルマのスキャンダルはあっという間にメレメレ全土のポケモンたちへと波及していった。あのヒドイデはサニーゴをたぶらかしただの、いつでも食べられる非常食として抱えこんでいるんだだの、尾ひれ羽ひれがくっついてはテッポウオのように飛び回り、ついにはサンゴ礁を離れたわたしたちの元まで帰ってきた。
 わたしもヒドイデのリーダーから勘当(かんどう)されていたし、今さらどう噂にされようとも構わなかったのだけれど、ウルマはそれが許せなかったみたい。わたしへの誤解を解くために半月ぶりくらいにサンゴ礁へ戻った彼を待ち受けていたのは、同胞からの猛烈なバッシングの嵐だった。
 それもそうだ。
 サンゴ礁を追放されたとはいえ、サニーゴとヒドイデが恋仲になるなど、どちらのコロニーも見過ごせるはずはない。群れから叩き出されたわたしの背中へ、昨日まで友だちだったヒドイデの仲間が「サルディーナは幸せそうで羨ましいよ。……いつでもサニーゴの枝にありつけるなんてさ」と、皮肉まじりに吐き捨てられたのはさすがにショックだった。わたしでさえこの仕打ちだったのだから、ウルマの方は想像するまでもない。何世代も前から天敵として忌み嫌って、出会った途端に枝を折って逃げ出すべきだと本能に刷りこまれているはずの相手と、まさかつがいになるなんて。詳しくは聞かなかったしウルマも話そうとしなかったけれど、ふだん温厚な彼が激しく怒鳴りあっている姿が目に浮かぶ。結果、サンゴ礁を追放されただけで済んで、サニーゴ族は慈悲深いなあとさえ思ってしまった。
 サニーゴのいるべき楽園を追い出され、濁った淡水がメレメレ島から流れこんでくる汽水域の端っこで隠れて暮らすハメになっても、ウルマは文句ひとつ漏らさなかった。わたしと一緒にいられるだけで十分だって、言ってくれた。けれど、アローラでわたしたちが生きていくには、この息苦しさに耐えながら泳ぎ続けなければならない。それももう限界が来ているのだとウルマも感じていたから、さっきの交尾はなんだかわたしを独り占めするみたいに激しかったのかも。

「だから、逃げよう」

 わたしの目をじっと見つめながら、ウルマが言った。空が宵闇色になっても、ハウオリシティの街灯が星を隠してしまっている。サンゴ礁付近では見上げてばいつもそこにあった北極星が、わたしにはもう見つけられないくらい霞んでしまっている。
 その街明かりにもかき消されないほど強い輝きが、わたしを映すウルマの瞳に宿っているような気がした。
 思っていることはきっと、同じ。確かめるためにわたしは聞き返す。

「逃げるって……どこに?」
「ここじゃないどこか。サニーゴとヒドイデがつがいになっても後ろ指をさされない、楽園にだよ」
「そんなところ、本当にあると思う?」
「見つけられなければ、僕たちで作っちゃえばいい」

 ウルマは優しくて、頼りがいがあって、おまけにイケメンなわたし自慢の恋ポケなのは疑いようもないのだけれど、言い換えればちょっと自分勝手なところがあった。進むべき未来が明るいものだと信じて疑わず、泳ぐのが苦手なわたしを力強く引っ張ってくれる。そういうところに、惚れたのだけれど。
 わたしも同じ決意を固めようとしていたから、迷わず「うんっ!」と屈託なく返事した。わたしの大好きな微笑みを見せたウルマから、キスのお返し。なんだかたまらなくなって、もう1回、誘った。熱い夜だった。
 駆け落ちするとは決めたものの、慣れ親しんだサンゴ礁を離れてしまえば、安寧の海なんてどこにもないような気がして。くよくよするわたしを引き連れながら、ウルマは逃避行の下見のため、ハウオリシティの波止場まで足を伸ばしていた。忍びこめる船がないか物色していると、沖の方から響くけたたましい声とともに、水しぶきが立てられる。

「み〜〜〜っけ!」

 振り返ると停泊している大型フェリーのそばに、サンゴ礁を泳いでいても眩しいくらいのビビッドカラーをしたポケモンが、わたしたちへ牙を剥いていた。

「……ウルマの知り合い?」
「さあ? ハギギシリはメレメレ近くには住んでいないはずだけれど。迷子かな」
「オレ様は迷子じゃね〜よ!」ハギギシリと呼ばれるらしいポケモンは、噛み合わせの悪そうな出っ歯を軋ませて叫ぶ。「でもBINGO! ってことはよ〜〜〜ォく分かったぜ。ヒドイデを好きになっちまった哀れなサニ〜ゴってのは、アンタだな〜あ?」

 野放図な笑い方で不揃いな歯茎が露わになって、それと同じように剥き出しにされた悪意に、わたしは怯えきってウルマの影に隠れた。ヒドイデのものよりも鋭利な牙はきっとサニーゴの殻を噛み砕くことも容易だろうけれど、ウルマは果敢に立ちはだかってくれる。

「ひとを勝手に哀れむのは、やめてほしいな。これでも僕は幸せだから」
「い〜や、哀れだね」
「……どうしてそう言える?」
「だってアンタらはこれからオレ様に捕まって、ご主人の手によってどっか遠くのニンゲンの元まで売り飛ばされるんだからな〜〜〜あ!」

 物好きなサニーゴの噂話はサンゴ礁だけに留まらず、アローラの闇社会にまで届いていたらしい。色違いにも飽きてしまったコレクターは、ポケモンの特殊な関係性に付加価値を見出し始めていた。つまり、一部の人間たちの間では、本来ならいがみ合うはずのサニーゴとヒドイデを同じ水槽で飼うような特殊性が、とてつもなく珍しいことだともてはやされているわけだ。
 わたしとウルマはただ、一緒に暮らしたいだけなのに。サンゴ礁を追い出され、そればかりか悪い人間に捕まって売り飛ばされるなんて。ウルマがサニーゴのリーダーへ噂話を撤回するよう訴えたのは、このためだったのかもしれない。
 さすがのウルマも、このときばかりは怒ってくれた。

「……誰かの幸せを奪って切り売りしているようなお前に、僕たちの何が分かる」
「ひとつだけ、分かることがあるぜ〜え?」
「なんだ」
「アンタらまとめて、このイーギィ様のオヤツってこと〜〜〜!」

 尋ねてもいないのにイーギィと名乗ったそのハギギシリは、叫ぶやいなや不快な歯軋りを音波に乗せて、わたしたちへと放ってきた。毒タイプの加護を受けたわたしの体にはそれが染みて、ウルマが庇ってくれるのだけれど、それも貫いて10本の腕を振盪(しんとう)させる。
 もうダメ。やっぱりわたしたちは付き合うべきじゃなかったんだ。折れかけたわたしをさらに後ろへと下がらせて、ウルマはイーギィの前に出る。なんだか決闘を申し込むみたいで、かっこよかった。
 〝げんしのちから〟で自分自身に眠る太古の力を呼び覚まし、持ち前の豪運で能力を底上げしてからは、〝はりきり〟すぎて技を外すこともなく、ウルマは見事なまでにイーギィを打ち据えた。頼もしかった。これなら、ウルマと駆け落ちしてもどうにかなる! 振り払ってもしつこく噛みついてくるハギギシリへわたし渾身の〝かみつく〟をお見舞いして、ひるんでいる隙にメレメレ発知らない地方行きのフェリーへ飛び乗った。
 慌ただしい船出とは一転、甲板の上は優雅なもので、観光客たちから珍しがられてはきのみやポフィンなんてものを分けてもらっていた。スマホを向けられ、わたしたちの幸せをおすそ分けしてあげるつもりでポーズを取ってみせる。イーギィごと薄暗い過去はアローラに置いてきたんだ、と、わたしは有頂天になっていたんだと思う。
 どこかの地方の港へ停泊しているとき、ふと甲板から海面を覗きこんで、わたしは悲鳴をあげそうになった。
 懲らしめたはずのハギギシリが、その意志ごと砕いてやったはずの牙をより鋭くしてこちらを睨んでいたのだ。それもサメハダーやらドラミドロやら、仲間らしき強面のポケモンを引き連れて。
 ヒドイデと仲のいいサニーゴというのはアローラの外でも珍しいらしく、撮られた写真からわたしたちの居場所が悪い人間どもへと割れていたらしい。
 ウルマと抱き合って、どちらも何も言えなかった。かろうじて彼の短い腕がわたしのおでこを撫でて、不安を拭い去ってくれようとしたけれど、ひぇ……、と(かす)れた悲鳴が彼の喉から漏れていた。珍しく見せるウルマの弱気な反応に、わたしのそら恐ろしさはぶり返して大きく膨らんでいく。どこへ逃げても隠れても、その果てに楽園へたどり着いたとしても、わたしたちには魔の手が忍び寄ってくる。振り払っても振り払っても、サニーゴとヒドイデの確執はどこまでもわたしたちを苦しめるのだ。
 このままでは沈められそうなフェリーを離れ、わたしたちは内陸地へと逃げた。けど、人間たちのいるところではいつわたしたちの情報が漏れるかわからない。人気のない砂浜から再び外洋へと離れ、泳いだ。
 それでも気づかれた。
 ハギギシリに何度も追い詰められ、そのたびにウルマが迎撃してくれて。頼もしかったけれど、いつどこで休んでいても目を閉じればあの耳鳴りがすぐそこから聞こえてきそうで、わたしはめっきり気が滅入っていた。

「わたしたち……どうなっちゃうの」
「大丈夫だよ、大丈夫。僕がついているからね」

 不安がぶり返してきた夜は必ず、彼の硬質な腕がぎゅっと抱きこんできて、隠れている岩礁の近くを嗅ぎ回る追手の怒声から私を守ってくれた。わたしにはウルマがいるから、まだ大丈夫。誰にも邪魔されない、ふたりで幸せに暮らせる楽園にきっと、たどり着けるはず。そう信じて、わたしの逃避行は何ヶ月か続いていた気がする。
 ――この時までは。
 いつかは追いつかれてしまうと覚悟はしていた。執念深いハギギシリの軍勢は20匹を超えていて、わたしたちは嵐の海域へと追いやられていた。人間の船もこの三角地帯は避けて通るのだとか言われる、ダダリンたちが沈めた船の数を競っているとも囁かれる呪いの暴風域。ホエルオーのような力強い泳ぎのできないわたしたちは、なす術もなく荒波に呑まれてしまう。

「絶対に、離しちゃあいけないよ」

 そう諭されて、ちゃんと10本の腕でしっかり掴まっていたはずなのに。長旅の疲れからか、一瞬だけ気が緩んでしまったんだと思う。しまった、と思ったときにはすでに、ウルマの背中があっという間に濁った闇へと見えなくなった。
 海流でもみくちゃにされ、正面から飛んできた流木に打ち据えられ、雷に打たれたケララッパみたいにどうすることもできずに、濁流の餌食になる。意識が暗転する。
 流れ着いたのは、切り立った荒磯の海の中にある、小さなくぼみだった。荒れ狂う海流がほとんど干渉しないそこへ、ウルマはわたしを押しこむように身を寄せる。

「――ナ、ディーナっ、しっかり!」

 目を開ける。我が身を顧みずにわたしを助け出してくれたんだろう、ウルマはボロボロだった。ポケマメのように艶やかだった体色はかすれ、小さくない凹みをいくつも作っている。白いお腹は切り傷だらけでうっすらと血を滲ませ、右後ろの枝は根本から先がない。折れていた。

「食べてくれ」
「いや」
「お願いだ」
「聞きたくないよお」
「ディーナ。僕の最後の頼みだと思って、どうかサニーゴを食べてくれよ。栄養をつけなくっちゃあ、このまま共倒れだ。きみだけでも助かるんだ」
「やァだってばぁ」

 突っぱねた。カプ・レヒレ様の焚く霧よりも蒙昧とした意識の中、とにかく大きく口を開いてはいけないということだけは、なんとなく理解していた。お世話好きなガルーラも袋を裏返すくらいの駄々っ子ぶりで、わたしはウルマの提案を拒んでいたように思う。
 埒があかないと思ったのだろう、ウルマはボロボロの枝へわたしを絡み付かせると、どこにそんな気力が残っていたのか、勢いづいて海面へと泳ぐとそのまま飛び出して岩礁へと乗り上げた。わたしたちがいつも頼っている浮力がなくなると途端に傷が軋む。雨風を多少は凌げる岩陰に、もつれるようにして身を寄せた。

「ディーナ、分かってくれ、どうか」
「――あは、あはははっ。ウルマ、顔、こわいよー?」
「……くっ」

 ウルマがわたしをごつごつとした磯へ押しつけ、のしかかる。仰向けに眺めた土砂降りの空は、そこから大きな穴が空いて異世界のポケモンが攻めこんでくるんじゃないかってくらい禍々しく渦巻いていた。
 死の間際に瀕して、自分のタマゴを残すという、ウルマの雄としての本能が強烈にさざめいているみたいだった。わたしもウルマの子が欲しかったし、もはやそれしか考えられなかったから、お互いがどうしようもなくはやっていて。
 彼のじゃないみたいな乱暴なキスがあって、すぐに挿入をせがまれた。わたしの確認を待つまでもなく、冷たいまま使命感だけで勃たせたようなペニスが生殖孔に入ってくる。大好きなウルマのものでも、慣らされていなければ痛いだけ。わたしは必死に彼との温かな記憶を思い出してはそれに縋って、自分だけでもそういう雰囲気になろうと努力していた覚えがある。
 それでも気持ちいい感触なんてひとつもなくて、それが伝わっちゃったんだろう、見上げたウルマも泣きそうな顔で、必死にわたしへと腰を打ちつけていた。これがわたしたちの愛を確かめるものではなく、死を間際にしたお別れの儀式なんだって考えただけで、振り解きたくなったけれど。

「ディーナっ! ふっ、ふゥ、はっ! しっかりして! 気を失っちゃ、ふぅぅッ、だめだ!」
「う……うううんっ、はっ、はぅ、うあぅぅ……うう、う、ウルマっ、ウルマぁ……」
「好きだ……ディーナ、好きだよ、愛してる。ずっと、一生、愛してるから……っ」
「わたし……もっ、ウルマのこと、好き。大好き、うあっ、ウっ、ふぅぅ……」

 愛してるから……なんだろう。死なないで、なのかな。それとも一緒に死んでほしい? 僕のことは忘れないで? ウルマはいつもよりたくさん愛を叫んで、叫んで、嵐の音にかき消されないくらい大声で叫んでくれていた。だけど、お互いに乱れていく吐息の荒々しさが、興奮のボルテージによるものではなく、風前のヒトモシになった命を削っている音に聞こえてならなくて。
 アローラの逆境の中では子育てをするのに踏ん切りがつかず、だからタマゴを授かるのは新天地での生活が落ち着いたら、という暗黙の了解があって、わたしがいくら可愛くおねだりしてみても、1度もウルマがわたしの中で果てたことはなかった。いつもは彼の限界が訪れるとわたしから身を引いて、砂浜へ白い滾りを放つ。わたしは体に掛けてもらっても構わなかったのだけれど、そうして汚さずにしてくれることが大切にされてるんだなって思えて、嬉しかった。
 今回ばかりはウルマの本能が緩められることはない。射精を止められなくなるタイミングを過ぎても、好きだ、愛してる、と何度も叫びながら、暴力的なまでの前後運動でわたしの中に居続けた。がこっ、がこっ、がこっ、がこッ! 嵐の中、岩ですり潰すような音がわたしの体から響いていて、もう痛いのか気持ちいいのか、それすらもぼんやりとしたままお腹の奥が熱くなっていた。

「もう……僕、ダメだっ、ディーナっ、いちばん奥で、受け止めて……なくさないで……ッ」
「う、ん、ふゃあああ、ぁ……」

 覆い被さったウルマのごつごつした体が、ぎしっ、とひび割れそうなほど軋んで、動かなくなる。わたしの奥底へ押しつけられた熱いペニスが、どくんッ……どくん、どく、どく……と、勢いを失いながらもいつまでも脈打っていた。いちばん長い射精だった。生命力の全てを使い果たして、わたしへと遺伝子を預けてくれている。雌としての本能でそれが分かってしまって、子宮をやさしく押し潰されてイったばかりのわたしの体から、すっと熱が引いていく。
 疲れか寒さか、震えの収まらなくなった体をウルマは引きあげる。わたしの紫の胴の下、激しい交尾で腫れた生殖孔が短い腕で開かれたようで、吹き荒れる風が冷たい。不安になったんだろう、自分であれだけ注いだと分かっているはずなのに、植え付けたばかりの雌の胎から垂れ落ちてくる子種を確かめて、ウルマはようやく息を整えていた。彼がもう少し正気を失っていたら、折った枝を突っこんで栓にしていたかもしれない。
 嵐はいっそうの激しさを増したようで、わたしたちの隠れている岩礁の岩陰にも容赦なく吹きつけてくる。なるべく母体に負担をかけないようにするためだろう、わたしを窪みのさらに奥へと追いやってようやく、ウルマは優しいキスをくれた。

「今ごろ人間たちは血眼になって僕を探しているはずさ。あのハギギシリを迎撃しちゃうたびに、追っ手の数が増えている。諦めてくれると思ったんだけど、僕が甘かった。ごめん、ディーナを巻きこんで、僕がいけないんだ。……こんな体じゃ逃げきれない。捕まって売り飛ばされるより、きみの中で、きみの幸せを、見届けたいんだ」
「……」

 温かいものを注いだ紫の腹を大切そうに撫でながら、ウルマは言った。ピロートークにしてはあんまりな内容だったけれど、わたしは何も言わなかった。〝じこさいせい〟でも〝いのちのしずく〟でも取り返しのつかないところまで彼の命が削られていることを、快楽に叩き起こされたわたしはすっかり理解できていた。
 嵐の中海面を飛び出したときから、いや、アローラの平和なサンゴ礁を飛び出したときから、ウルマは腹を括っていたに違いない。
 涙が溢れてきた。遅いくらいだった。
 ――なんで、なんで。あんなに約束したじゃない。
 あれはあなたと初めて出会った、海流に腕を取られて何日も外洋を彷徨ったわたしが、メレメレの砂浜に流れ着いたところをウルマが助けてくれたとき。食べるものを何も持っていないからって、わざわざ自分で転んで枝を折って、それをわたしに食べさせてくれたよね。「これば僕たちだけの秘密。もしサンゴ礁のみんなに知られて、ひどいことを言われたりされたりしても……何があっても、僕が助けるから」って、言ってくれたよね。
 好きだって告白されて、上ずった声で返事をして、そのままわたしのねぐらでひと晩を明かしてもらったときも、「何があっても、わたしはウルマに噛みついたりなんかしません!」って、わたし言ったはずだよね。
 わたしたちの関係が明るみに出るのも時間の問題になって、勇気を出して群れのサニーゴのリーダーに告白したときに、それでも僕たちは一緒ですって、確かめ合ったよね。居場所をなくしてアローラを後にしたときも、何があっても僕だけはディーナのそばにいるよって、誓ってくれたよね。「もし死んじゃっでも僕がディーナを幸せにする」「死んだらわたしも一緒に死ぬ」「そうならないように、死ぬ気で頑張るよ」って、手を握りあったこと、忘れてなんかいないよね。
 でも、ウルマは、譲らなかった。
 泣きながらわたしが説得しても、折った枝を持ったまま頑なにわたしを見つめてくる。
 わたしだって一緒に死にたかった。こんなヒトデナシな運命なんてさっさと捨ててしまいたかった。体は手を繋いだまま海底の砂になって、魂は来世でもう一度、ウルマと巡り会えればよかった。
 僕を食べてこれからも生きて、なんて。そんなの、呪いみたいだ。サニーゴがゴーストタイプになっちゃったように思えて、わたしはその実体があるうちに泣きついた。唯一短い腕を掻き上げて、おでこを撫でてくれる岩っぽい感触。こうしてもらえるのもこれが最後だって思うだけで、涙は後から後から湧き出てくる。
 呪いであると同時に、それはウルマの覚悟だった。意識をおぼろげにしたわたしの口へ枝を差しこめば、それが恋ポケのものだろうと噛み砕いてしまうことを、ヒドイデと長い付き合いのウルマが気づいていないはずがない。けどそうしなかったのは、わたしに覚えていてほしかったからだ。わたしの中で、記憶として生きようとした。それが彼の貫き通したかった最後の自分勝手。
 だから、わたしはウルマを食べた。
 もうずっと何も食べてこなかったのは、ウルマもだった。渡された枝に歯を当てただけでぼろりと崩れて、弱ったわたしでも食べやすそうにしてくれたんだなって、そこにもウルマの優しさを感じていた。
 こぼれたそのカケラが、わたしの舌に乗っかった。
 ――美味しい!
 ミツハニーの蜂蜜でモモンを煮詰めたような、ヒドイデの魂に訴えかける至極の味。ウルマと出会う前まではとびきりのご馳走だったサニーゴの味。ウルマと出会ってからは、彼の愛情を確かめるための味。ニャースがウイのみの香りを嗅いで酔っ払ってしまうように、枝を噛み砕くたびに息苦しさがふっと和らいだ。滞っていた全身の血液がゆっくりと巡り始める。手渡された1本を腹へ収め、ウルマが両手に持っていてくれた次の1本をガリガリと崩し、そのまま彼のピンク色をした手まで削り取った。枝を味見しただけでは分からない濃密な鉄の味がして、ヒドイデがサニーゴを追い回すに至った根源を知った。れろ……、と舌を伸ばしてすくい取る。喉の奥から奥から唾液がせり上がってきて、それが涙と彼の血液と混じり合って、わたしの顔はもうぐちゃぐちゃだったけれど、それでもなんとか飲み下した。
 泣いた。それはもう泣きじゃくった。泣いて、泣いて、食べた。また泣いて、食べて、食べて、食べては泣いた。食べて食べて食べて食べて食べて、最後のひとかけらを食べて、泣いた。泣いた泣いた泣いた泣いた泣いた泣いた泣いた泣いた。
 わたしに罪悪感を抱かせないためか、それとももう痛みを感じないのか、ウルマは叫び声ひとつあげずにわたしに食べられた。わたしの大好きな微笑みを湛えた顔に噛みつく寸前、都合よく記憶が改竄(かいざん)されている気がしないでもないけれど、「ありがとう」と、彼の唇が動いた気がする。





 それなのにわたしは、罪な雌だ。せっかくのウルマの覚悟を台無しにして、そのあと嵐の海域を泳ぎ通せずに遭難してしまった。しかも彼との壮絶な別れ際を、今の今まで忘れてしまっていたんだ。大好きなひとの最後の想いを踏みにじって、わたしは、なにを呑気にタマゴが孵化するのを見守っていたんだ!
 ――今ならまだ間に合うかも。
 サニーゴを食べた感触が、牙に、舌に、ありありと残っている。ウルマはまだ、わたしのお腹の中にいるはずだ。早くしないと大切なひとを胃酸で溶かしてしまう。なんでこんなことしちゃったんだろ。早く助け出してごめんなさいって言えば、いつもの笑顔で許してくれるよね? またおでこを撫でてくれるよね? ずっと一緒だよね? 絶対にウルマを食べないってあれだけ約束したってのに、わたしってほんとバカ。
 いま、助けるからね!
 わたしは裂けるほど開けたわたしの口へ、腕のひとつを無理やり突っこんだ。




10 吹雪 


 ミス・サルディーナは故郷(ホーム)について語らない。生まれたてのサニーゴを俺へ任せるために教えてくれた要約(サマリー)からの推察でしかないが、彼女の生まれ育ったアローラという海は、ガラルや逃避行(ハネムーン)で通過してきた大海原よりも暖かく、華やかで、長閑(のど)やかな環境であったのだろう。それだけに、彼女の捨ててきた楽園(ユートピア)と比べれば、閉ざされた鏡池での生活はそれこそ土壁に囲まれた、窮屈で沈鬱としたものだから、極力思い出さないよう努めていたはずだ。
 ずっと、息を止めていたんだろう。俺が素体(フィギュア)たちを騙し続けることに耐えきれなかったように、彼女も、ヒドイデという種族の抱え持つ原罪に抗い、最愛の相手をその牙にかけた心的外傷(トラウマ)をひた隠しているうちに、その腕を鏡池の水草に絡め取られ、穏やかに窒息していたのだ。
 にもかかわらずサリーはタマゴをもうけ、さらに驚異的なことにはそこから見たこともないサニーゴが生まれた。俺と同じ呪われた種族、サニーゴ。それでいて魂はきちんと甲殻に収まり、死んでいる俺の目にも鮮やかな枝を授かった、それは彼女のもたらした奇跡(ミラクル)だった。
 いつしか俺は惚れていた。過激(ラディカル)なまでの生命力(バイタリティ)に、魂が震えるほど惹きつけられていた。
 俺が、解き放ってあげたかった。サリーを窒息させている環境もしがらみも取り払い、彼女の思う楽園(ユートピア)の海を自由気ままに泳ぎまわっていてほしい。
 生まれたてのサニーゴを押し付けられ、霊力で(くる)み、落とさないよう細心の注意を払いながら草むらへと退避した。ヒドイデの衝動(インパルス)というものがどれほどなのか俺は共感(シンパシー)を得られないが、我が子は母親の腕の中で育つべきだと、俺は思う。とはいえひどく取り乱した彼女のそばに、何も知らない赤ん坊(ベイビィ)放置状態(ネグレクト)にはできまい。
 感慨があった。多くの無垢(ナイーブ)な命を石へと変えてきた俺が、新たな命を取り上げたのだ。俺の息がかすればたちまち石像(スタチュー)へと成れ果ててしまいそうな、そんな虚弱(フラジャイル)さがあった。罪を重ねてきた俺でも、生暖かで儚い命を慈しむことができる。
 とはいえ、子守りを任されたことなんてない。どれくらいの強さで保持(ホールド)していい? 何か食べさせるべき? 「パパ?」なんて訊ねられたらどう答えようか? おたおたとしているうち、サニーゴのV字型の口をまん丸にしてぐずり出した。お腹が空いたのか、痒いところでもあるのだろうか。親ならば直接抱きしめてあやすものだろうが、俺にはできない選択(チョイス)だ。

「ルサ、助けてくれ!」
「あれ、あんた、あの子に呼びつけられたんじゃなかったっけ? てかその子誰? あんたと同じサニーゴなの……? もしかしてまさか隠し子がいたワケっ!?」
「あーーー違う、そうなっちゃうな確かに。でも違うんだ! サリーのタマゴから孵った、正真正銘彼女の子だよ」
「……で、なんであの子の子どもを、あんたが抱えているワケ? もしかして誘拐(キドナップ)した?」
「あー次はそうなっちゃうか確かに。いや違うんだけれども」

 草むらまで様子を見にきたルサへ、俺の手に負えない赤ん坊(ベイビィ)を押しつけた。普段のがさつな性格からは思いもよらないほど、ルサは面倒見がいい。霊力からサニーゴの赤ん坊(ベイビィ)を受け取ると、ピンクのベールをゆりかごのようにして、あやしつけている。涙の〝ねっとう〟で火傷を負いかねないほど大泣きしていたその子は今、ルサを信頼しきった無垢(イノセント)な顔つきで眠りに入ろうとしている。
 新たな命が孵ってから、サリーの身に起きた変化の委細(ディティール)をルサへ説明する。ヒドイデである彼女がサニーゴを産んだ奇跡(ミラクル)と、それからの彼女の絶叫について。
 優しい夢を見始めた赤ん坊(ベイビィ)を茂みへと寝かせて、ルサは聖母(マリア)のような表情を豹変させた。脚があればツカツカと音を立てそうなほど躊躇いなく俺へ近寄ると、いつになく吊り上がった下まつげに怒りの感情を隠しもせずに、プルリルのベールが俺の頬を華麗に打ち抜いた。
 効果のないはずの〝はたく〟を横っ面にお見舞いされて、俺は唖然とルサを見返すことしかできない。

「なんで見せた」ルサが吐き捨てる。「なんで、そんなもの、見せたんだよ」
「なんでって……」
「あの子を傷つけるって分かっておきながら、なんでアローラのサニーゴの枝なんか見せたんだって聞いてンの」
「……」

 その場の空気を濁す冗談(ジョーク)もない。全くその通りだった。生まれたサニーゴの弾けるような桃色を見て、サリーの腕の隙間からこぼれ落ちたそれを思い出したから、なんの配慮(ケア)もなく見せつけてしまった。息苦しさに喘いで、それでも生きようと魂を輝かせていたサリーは、俺の不用意な行動でまた窒息してしまったようだ。「来ないで!」と拒絶されたきり、まだ母親の顔を認識したかどうかさえあやふやなサニーゴを抱えて、俺はのこのこと草むらへ戻ってきてしまった。
 ルサが俺へと(にじ)り寄る。

「アンタさ、やってること何も変わんないよねえ」
「変わらないって、ワイルドエリアを出る前の俺は、君くらいしかまともに喋れる友だちもいなかったし」
()げーよ。ひと月前までのアンタと、同じことやってるって、言ってんの」
「……………………」

 ――何て?
 ルサの口から(ほとばし)った言葉の違和感に、無い肝が冷える思いだった。
 何かがおかしい。急に息苦しくなって、枝を引っこめ、路傍(ろぼう)の石のふりをすべきか一瞬、本気で悩んだ。なんで、ルサが俺の1ヶ月前を知っている? 折を見て俺のこれまでを打ち明けようとは思っていたが、ワイルドエリアに帰ってきた理由をまだ、ルサにさえ明かしていないはずだ。

「あたしもね、あんたがワイルドエリアを離れている間、呑気にカレシ探ししてただけじゃないワケ。あんたがほいほいと怪しげな人間について行って1年くらいしてかな、噂を聞いたんだよ」
「……どんな」
「ナックルの反社会勢力(ギャングスター)が、精巧に創られた石像(スタチュー)を売り捌くだとか、なんとも芸術的(アーティスティック)なシノギで勢力を増しているって」
「……は」

 言葉が出ない。

「ピンときたね。昔っからそういう細かいことが得意だったアンタが裏で糸を引いているって。で、あたしも、巨人の鏡池を出ることにした。当時のワイルドエリア保全委員会に任命された子に何度も頼みこんで、半年がかりで仲間にしてもらったワケ。あんたも知らないとは言わせないよ……中央警視庁(スコットランドヤード)さ。配属されたのは浜辺(ビーチ)を見回る海難救助(サルベージ)隊だったケドさ」

 ルサが至って真面目に(おど)けて、紋章(バッジ)を見せつけるように右手を突き出した。ナックルに巣食う犯罪組織ならば、王冠(クラウン)の描かれたその象徴(シンボル)を忘れるはずがない。

「あたしが休暇(フリー)の日に地道に進める捜査じゃあ、4年かかった。でも、ようやくあんたを見つけることができたんだ。拠点(アジト)を突き止めて、告げ口してやった。今こうしてワイルドエリアに戻ってるのは、その功績を認められて特別長期休暇(サバティカル)を貰ったから。こう見えてあたし、養成所じゃ首席(チーフ)だったんだからね?」
「……」

 ジバコイルの磁力に絡め取られたドータクンのように、おぼつかない浮遊を保つので精一杯だった。待ってくれ、弁明させてくれ、と情けなく伏し拝む俺を見下げながら、ルサが鼻を鳴らす。

「休暇が終わったら、ルッソくんと中央警視庁(スコットランドヤード)に戻るから。言ってなかったかもだケド、ヨノワールのカレ、警視庁(ヤード)で上がる死者の魂を弔う部署にいてね、直属(ダイレクト)じゃないけどあたしの上司(ボス)なの。だから、もうこれ以上はあんたの面倒も見れないワケ」
「……お、俺は」長いこと水中を漂っていたような錯覚を覚えて、俺は慌てて息を吸いこんだ。生唾を飲みこみながら、どうにか喉を震わせる。「一端(いっぱし)英国紳士(ジェントルマン)になった、つもりだ。面倒を見てもらわなくて、結構。ひとりで保全委員の役割を、全うできる、さ」
「ならなおさら、いつまでも子どもみたいに遊んでんじゃねえよ!!」ルサが喉を張り上げた。「拾ったあの子のことをルッソくんに話したら、警視庁(ヤード)の方から密猟者(ハンター)の手下が追いかけてきているって情報を回してくれてさあ。あんたとあの子の仲が進展するかなって鏡池まで送りつけてやったってのに、犯罪から足を洗ったくせに懲りずに石にするとか、なーに考えてるワケ!? それであの子を不安にさせて、出産を手伝って信頼させたかと思えば、ピンクの枝を突きつけて心的外傷(トラウマ)(えぐ)って、あの子の気持ちを好き勝手(もてあそ)んでさあ! いざあの子が狂乱(パニック)に陥ればあたしに泣きついてきて……。あんたは英国紳士(ジェントルマン)の化けの皮を被った、助けを求める哀れなヒドイデに手を差し伸べてやることもできない、ただのヘタレだってこと! にこやかなフリして近づいて、そのくせ本性を知られるのが怖くてそれ以上は踏みこめない、チンケなミミッキュ野郎だってこと! 今のお前は、ひと月前にナマコブシの療法士(セラピスト)を石にしたのとまるで変わらない、最ッ低のクズ野郎(ラビッシュ)だってことだろうがよ!!」

 何も言い返せなかった。中央刑事裁判所(オールドベイリー)の被告人席へ立たされ、己の犯してきた罪状に対する判決主文(ジャッジメント)を読み上げられている気分だった。弱り目に〝たたりめ〟を打ちこまれ、虚ろな石くれへと成り果てた俺へ、それでもルサは手を差し伸べる。

「前にさ、あんたとあの子が似た者どうしだって言ったこと、あっただろ」
「……」
「答え、まだ分からないワケ?」
「…………」

 俺が惹かれた彼女の魅力(チャーム)は他でもない、ヒドイデという種族の原罪を抱えながらにして命を輝かせている生命力(バイタリティ)だ。その息苦しさに身を委ねてしまった俺とは対照的に、サリーは己の犯した罪に抗い、救いを求め、血涙を絞ってもがいている。嵐の夜の悲劇(トラジェディ)を思い出してしまった今も、受け入れることなく喘ぎ苦しんでいる。
 感じている窒息感は、俺と同じもののはず。

「――罰を受けるべきだと、思っている」
「分かってんじゃん」

 駆け落ちした最愛の相手を食いちぎり、生まれた我が子まで歯牙にかけようとしたミス・サルディーナ。その罪の重さは、俺がどうこう取り立てられるものではない。
 ただ、このまま彼女が平静を取り戻すのを待っておくのは、良い方策(ストラテジー)とはいえないはずだ。
 サリーは窒息していることに気づいてさえいなかった。大きく息を吸っていなかったから、俺がいきなり彼女の水管を塞いでしまったせいで、なす術もなく溺れてしまったんだろう。不安だとすぐに錯乱してしまう彼女のことだ、鏡池に置いてきたサリーが今ごろ何をしでかしているのか、想像に難くない。
 息苦しさに気づいていられた分、俺の方がまだその泥沼の泳ぎ方に慣れている。罪を背負いながら生きることについて、多少なりとも経験を積んできている。

「いつまでも罪の意識に腕を引っ張られて、海藻に絡まったように動けなくなってる。あの子の呪いを解いてあげられるのは、その苦しみを分かってやれるあんただけ。あの子の自由を心から望むなら、誰かの気持ちを弄ぶ前に、自分の気持ちに素直になれよ」
「…………俺は」

 俺は、どうしたい。――決まっている、助けたい。
 置いてきたサリーはきっと、息を詰まらせて溺れてしまっている。助けないと。でも、どうやって? 俺が手を差し伸べたところで、石化の呪いに囚われたサニーゴの枝では、ますます彼女に窒息を強いるだけだ。
 くよくよといつまでも思い悩む俺の背中を、プルリルのベールがぐいと引っ掴んだ。

「餞別に……ん」

 俺と距離をとったルサが、周囲に〝シャドーボール〟の塊をいくつか浮かび上がらせ、臨戦態勢(ファイティングポーズ)をとる。

「ん、って……?」
「バトルだよ。久しぶりにやろうぜ」

 意気揚々と霊力を展開したルサへ、俺は慌てて止めに入った。横目でちらりと見る。草葉の陰で寝息を立てている赤ん坊(ベイビィ)には当たらない距離(ディスタンス)だけれども。

「待ってくれ! 俺には、バトルする理由なんて全く――」
「あたしにゃあるンだよ。いつまでも目を覚さないで、ウジウジと石の殻に閉じこもってる友だちの背中を押すために、な。それにあたし、くどくど説教するよりこっちの方が肌に合うってワケ」
「…………」
「あの子を助けらんないで見殺しにするってンなら……このまま、お縄についてもらおうか」

 警視庁(ヤード)の捜査官の顔をして、ルサがシャドーボールを投げつける。挨拶代わりのそれを避け、俺も負けじと霊力を展開させた。無骨な彼女なりの叱咤激励。ありがたかった。

「君は変わらないな。7年前からずっと、ふたりで野営(キャンプ)している人間やポケモンたちに、『お菓子かイタズラか(トリックオアトリート)』って脅かして遊んでいた頃から」
「あんたが変わっちまっただけでしょ。なーんで悪い人間についていって、ここまでくよくよした性格になるワケぇ? 今からその腐った性根、叩き直してあげるから!」
「……昔っから君は、(ゴースト)タイプと思えないほど熱すぎるよ」





 進化したばかりの体が高揚していた。地面から数ミリメートルしか浮かべなくなった体は移動速度がさらに低下したうえ、小石に(つまず)いただけでもバランスを崩しかねない。もどかしかった。魂ばかりが先行して、残された殻を引きずるような醜態を晒す。ルサは手加減もなく全力でぶつかり、辛勝した俺を見送ってくれたのだが、とんだ置き土産をされたものだ。……彼女が勝利を収めていたら、どうしようと思っていたのか。少なくとも俺は親友の肩書き(タイトル)を剥奪されていただろう。
 とんぼ返りをした先の巨人の鏡池は、遠目からでも異変が起きていると判断できるほど、水面が荒波立っていた。浸かった温泉(スパ)が灼熱だったかのように飛び出してくるトリトドンと入れ違うようにして、大きく息を吸い、狂乱の泉源(ソース)へと潜る。
 サリーの住処としている水草の群生地(クラスター)は無惨にも引きちぎられ、怒り狂うギャラドスが〝たつまき〟を呼び起こしたように水流がとぐろを巻いている。遠巻きに怯えているヒドイデたちはどうすることもできないようで、滑りこんできた俺へと縋るような目線を一斉に送ってきた。
 湖底の砂地を全てひっぺがすような勢いで、騒動(ライオット)の主が叫んでいた。

「ウルマがッ、わた、わたしッの、ウルマがあ! なくなっちゃう、早く、はやく取り出さないと、ウルマっ、うる、まああああアアアア゛!!」
「…………」

 酸鼻を極める光景に見かねた群れのヒドイデたちは、彼女の自傷行為を(なだ)めようと手を差し伸べた。ミスター・ウルマが助かると信じて聞く耳を持たないサリーは、それらを振り払ううちに、進化するのに十分な経験値(エクスペリエンス)を稼いでしまったらしい。ひどい錯乱(パニック)に陥っていて、自分がドヒドイデへと進化したことにすら気づいていないようだった。

「サリー、私の声が聞こえますか。メドウです。どうか落ち着いて。深呼吸しなくてはなりません。息を吐いて……ゆっくり、ですよ。貴女はその体に、途方もない感情を溜めすぎています。まずは、出さないと」
「いや――ああああああ゛!!!!! わたし、もう、これ以じょ、つらい思いする、の、いやッ、やだよお、苦しいいよおおおおおお!!」
「……ミス・サルディーナ」

 俺の声もまるで届いていない。このまま放置すれば、おそらく体力(スタミナ)の尽きるまで暴れるだろうことは、容易に想像できた。自らの腕を引き裂き、毒を吐き散らし、滅多やたらに針を撃ち出した末に残されるのは、心身ともにぺしゃんこに潰され、魂の抜け落ちてヌケニンのような(もぬけ)になった棘皮だけ。
 まずはサリーの自傷行為をやめさせねばならない。――確かに、ルサの予言通りだ。こうなってしまった彼女を救えるのは、進化を果たした俺だけだろう。
 堅牢な外殻の装甲を代償として、格段に霊力が増強されていた。サニゴーンの(コア)をかろうじて内側に押し留めたような風貌へ膨らんだ霊体から、制御(コントロール)下に置いた呪いのエネルギーが枝状になって伸び出ている。〝たたりめ〟と同じ要領で霊力を練り上げれば、呪いの幹を切り離してある程度自由に操作(オペレート)することもできるらしい。触れたところを直ちに石化させることも、柔らかく包むだけに留めることも、もしくは石と成り果てた生体(オーガニック)の呪いを解いてやることもおそらく、思いのままだ。
 これなら、サリーに触れられる。

「――もういい、もういやああああッ!! 来ないで、みんなあっち行ってよぉおおおお゛!!」
「取り乱した淑女(レディ)へ手を挙げる暴挙、お許しください。それから、聞く耳を持たないあなたに愛を囁く狡猾さも併せて、どうかお許し願いたい。……サリー。私はあなたを愛しています。なので、これからあなたを……抱かせてください」

 英国紳士(ジェントルマン)の化けの皮を脱ぎ去った、剥き出しの愛の告白を、一音一句はっきりと、言った。暴れ回る彼女にはもちろん、その喧騒に紛れて鏡池の誰の耳にも届いていないだろうけれど、その逞しくなったドヒドイデの腕へ、俺の枝を差し伸べた。
 ――おや。
 弾け飛んだ俺の外殻の残骸に、何か、温かなものが残されていることに気づく。ミスター・ウルマの枝だった。霊力で取り出したそれから、サリーに対する溢れんばかりの残留思念が流れこんでくる。
 死してなおミスター・ウルマが祈り続けた、生き延びたサリーへの愛だった。ほのかな光に包まれた枝が、誰かを抱きしめているかのように温かい。自分自身に隠された潜在能力(ポテンシャル)があったことに戸惑いながらも、その声に耳を傾けた。

「――いま、助けます」




11 もや [#6cyg8TD] 


 食べてしまったウルマを取り戻そうとして、わたし自身の喉奥へ腕を突っこんだ。なんてバカなことをしたんだろう。あれだけ何回も絶対に食べないって約束したのに、ちょっと意識を朦朧とさせていたからって、ウルマにかじりついたなんて。早く、はやく助け出さないと、わたしのお腹の中で溶けてなくなっちゃう! いまならまだ間に合う、胃酸の海で溺れかけているウルマを急いで救出しないと!
 わたしが懸命に彼を助け出そうとしているのに、鏡池の住民たちはどうしてか必死にわたしを止めに入った。煩わしくて毒針で黙らせているうち、なんだかわたしの体に異変が起こって、腕が太くなったような気もする。うまく喉の奥に入っていかず、細くするために牙で自分の腕を縦に割いた。尋常ではない痛みに我を失いそうになったけれど、ウルマだってわたしの牙に噛みつかれたのだ。このくらいどうってことはない。先っぽについた2本の毒の棘(2本もあったっけ)で喉の奥を引っ掻けば、ごりゅ、と生温かな感触があった。内臓から血が出たんだろうけど、ウルマだって同じ思いをしたはずだ。いいから早く、早く、早く早く早く早くッ!

「――、――――ッ!!」

 すぐそばから、わたしへ投げかけられる声。また、邪魔者が入った。10本からふたつほど増えた気のする余分な腕で、声の主へと水を薙ぎ払う。〝アクアブレイク〟なんて強力な技、いつの間に覚えていたんだろ。とにかくわたしはいま緊急事態なの!

「――――な、――ィーナっ!!」

 もう、しつこいなあ。腕1本だけじゃ足りなかったか。近場の腕から増援を出そうとして、ぎッ、と体が軋んだ気がした。
 ……あれ、動かせない。たくさんあったはずの腕のどれにも、いつの間にか力が入らないようになっていた。
 喉の奥を覗きこもうと細めていた目を向けた。
 太くなった腕のどれもが、筋肉痛みたいに強くこわばっていた。アローラの澄みきった浅瀬のようなセルリアンブルーをしていたはずのわたしの腕が、曇り空のような灰色を帯びている。もともとざらざらした質感の棘皮(きょくひ)だからか、まるでわたしが石にされちゃったみたいだった。
 ……これじゃあウルマを助けられない! 早く、こうしている間にもウルマはわたしのお腹の中で溶けているっていうのに、腕を喉の奥へと突っこんで、息のできないお腹の底から引っ張りあげないといけないのに!
 金縛りのように身動きを封じられて、どうしようもなくて、瞬きもできなくなった目であたりを見回した。気づけば、わたしの血で赤く淀んでいたはずの鏡池は、水中へミルクをこぼしたように白いもやで満たされている。絹のベールが何枚も折り重なるようにして揺らぎ、わたしの痛みは現実なのか、はたまた夢を見ているのか、それさえもやの向こうへ曖昧にしている。なんだか曇りの日にお散歩した、白骨化したサニーゴばかりの草むらのよう。

「ディーナ」

 聞こえるはずのない声が、した。
 それは金縛りにあったわたしの生み出した都合のいい幻聴なのかもしれなかったけれど、とにかく耳元で、私に囁く声が聞こえた。

「ディーナ」

 もういちど。すぐそばから、はっきりと。

「会いにきたよ」
「――わたし、も、会いた、かった」

 いつから現れたのか、わたしの目の前に、白いもやで(かたど)られたサニーゴがいた。枝の丈夫なアローラのサニーゴのシルエットはそのままに、全身はガラルのサニーゴのように透けて見えていた。わたしの大好きな優しい笑顔が湛えられている。それはメドウさんのようにも見えたし、ウルマであるようにも思えた。多分、ふたりともわたしを心配して会いに来てくれたんだ。
 誰かを忘れるとき、それはそのひとの声からだという。裏を返せばつまり、忘れていたはずの声を聞けば、その誰かを強烈に思い出すということ。ウルマの声が頭に響いた途端、色褪せていた思い出が、地下水道を通り抜ける雪解け水のように、わたしの中へとうとうと溢れてくる。

「抱きしめ、て」
「もちろん」

 もっと伝えたいことがあったはずなのに、喉につかえて出てこない。純白の光の粒子を振り撒きながら、サニーゴの枝がわたしへと差し伸べられる。目をつむって、甘えるようにそれを受け入れる。ひた、ひた、とわたしを守るトーチカを避けるように紫色の体へと浸透してきて、ぎゅう……。メリープがうたた寝の寝返りを打つように、実体のない白いもやが、わたしを優しく締めつけてくる。
 ウルマが、抱きしめてくれたんだ。
 わたしの恋ポケは死んじゃったんだって、ずっと割り切ってきたつもりだった。頭では諦められたつもりでいた。でも、こうして触れてもらえると、信じてしまう。ぶり返してしまう。
 無意識のうちにずっと求めていたんだと思う。いくら妄想でウルマの幻影を作り上げても、彼はわたしに触れられなかったし、わたしの想像したことしか言ってくれなかった。でもこれは、わたしの安っぽい空想の賜物(たまもの)なんかじゃない。曖昧な意識の中でも、それははっきりと感じ取れた。
 心まで温めるように抱きしめられ、耳元でウルマ自身の言葉を囁かれると、もうだめだった。それは浅瀬で隣り合い、頬を寄せ合うようなふとした瞬間の充足感に似ているものがあって、何物にも代えがたいその幸せに、わたしはあけすけなまでに飛びこんだ。

「そうだ、あのね。わたし、タマゴを産んだんだよ。ウルマが授けてくれた子、元気にちゃんと孵ってくれたんだよっ」
「うん、すごいね。ずっと見ていたよ」

 深海の、全ての水が生まれるところから響いてくるような、柔らかな声。

「僕によく似た、可愛いサニーゴを産んでくれたんだ。すごいことだよ。よく頑張ったね、えらい、えらい。もっと強く、ディーナが満足するまで抱きしめてあげちゃうよ」

 タマゴを産んだときも、そこからサニーゴが生まれたときも、わたしは必死に涙を堪えていたような気がした。ガラルという知らない世界で、十分な信頼を置ける相手も見つけられずに、泣く暇さえ与えられなかった激動の中で、よく気張ってきたと自分でも思う。ガラルに流れ着いて初めて泣いた夜から、無意識のうちに泣くのを我慢していたんだ。
 それももう、しなくていい。

「ウルマ……ウルマっ、あたし、頑張ったのっ、がんばったんだよぅっ」
「ずっと、ずうっと見ていたよ。約束したじゃない」
「うん」
「いつだったかな。『もし死んじゃっでも、僕がディーナを幸せにする』って、言ったから」
「忘れないでいて、くれたんだ」
「忘れるなんて、ありえないよ。僕の(いと)しい、愛しい――、ディーナなんだもの」

 しまった、と思う間もなく、わたしの目は湧き水を抱えきれなくなっていた。塩分濃度の低いガラルの海へ涙が溶けていって、一度流れ始めた涙はどうやっても止められなくて、でもウルマを見失いたくはなくて。瞬きのできない両眼に潤みを湛えたまま、彼に抱きしめてもらう。
 ぼやけた視界は、ウルマの枝から漏れ広がる白いもやが濃くなったせいなのか、わたしの涙で滲んでいるせいなのか。きっとどちらもなんだろう。

「僕と恋ポケになってくれて、ありがとう。一緒にサンゴ礁を抜け出してくれて、ありがとう。知らない海でも支えあってくれて、ありがとう。とっても嫌だっただろうに、僕を食べてくれて、ありがとう。立ち直ってくれてありがとう。タマゴを産んでくれてありがとう。生きていてくれて、ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう――」

 その永遠にも繰り返されそうな『ありがとう』に、気づく。同じようなことをわたしは以前にも言われている。嵐の夜、わたしがウルマを食べたとき。サニーゴを極上の餌とみなすヒドイデの本能に呑まれて忘れていたけれど、ウルマはわたしの牙に裁断されながら、意識が途切れるまで何回もずっと『ありがとう』と、感謝の言葉を口にしていた。
 サニーゴとヒドイデのしがらみを背負ったまま恋仲になった恨みつらみとか、駆け落ちした相手に添い遂げられなかった後悔とか、自分を食べさせることで生き延びたわたしに罪を負わせた罪悪感だとか――そんなものは、ウルマの言葉に一切含まれていない。向けられるのはただただ、一点の翳りもないわたしへの愛。
 幸せだった。これ以上なく幸せだった。幸福がわたしを包んでいた。金縛りはわたしの深いところまで侵食していて、腕で抱きしめ返すことはおろか、もう呼吸さえ満足にできなかったけれど、それでよかった。サニーゴとヒドイデという煩わしい身体性から解き放たれて、ウルマと魂で触れ合っている。何か温かいものが流れこんできて、それが愛なんだと認識する。
 口なんて開いたまま動かないけれど、わたしはウルマとの幸せなやりとりを続けている。

「僕が願うのは、君と出会ったときからずっと、ずうっと、ディーナの幸せだよ。それだけ。本当は僕が直接、これからもずっとディーナを幸せにしてあげたかったけど、もうそれは叶わなくなっちゃったから」
「そんなことないよ。今だってこうして、わたしを幸せにしてくれてる」
「そうだね。でも、ずっと最後のさよならを続けるわけにもいかないから」

 最後の、だなんて。そんな悲しいこと言わないでほしかった。受け止めきれないほどの幸せが、ちょろちょろと漏れていってしまう。白くなったサニーゴの殻に注いだ水が枝の穴から流れ、それ以上に(かさ)が増えなくなるみたいに。
 ウルマのもたらしてくれる温かな波にいつまでも揺られていたくて、つい聞き分けのないことを言ってしまう。

「ウルマ、好き。大好きだよ。ウルマのこと愛してる」
「うん、分かってるよ」
「分かってないよ。わたしの好きはそれっぽっちじゃない。本当に好きなの。ウルマと一緒にいるだけで嬉しくて、幸せになれる。怒ってケンカしたこともあったし、ウルマが死んじゃったときは悲しかったけど、それも含めてわたしはウルマを愛してるの」
「――うん。分かってるさ。もちろん分かってる。僕のことが大好きなディーナなら、僕が分かってるってことも、分かっちゃうでしょ。もちろん僕も、ディーナのことが……好き、だった」
「……」

 好きだった。わざと過去形にしてウルマが言った。そう、過去なんだ。ウルマはわたしたちの愛を過去のものにしようとしている。
 わたしを見守ってきたウルマもきっと、考えてくれていた。嵐の夜にわたしの記憶の中で生きようとした彼は、きっと後悔したんだと思う。わたしのすぐそばにいるのに、声をかけることはおろか、触れることさえ叶わない。わたしがウルマを喪って塞ぎこんでいるときも、呼吸困難に苦しんでいるときも、タマゴを産もうと体をよじらせているときも、ウルマは見守ることしかできなかった。わたしたちの愛を過去のものにする。必死に生きようとするわたしを助けることのできなかった彼が出した、結論だ。
 ウルマが微笑んだのが、魂を震わせる温かさでわかった。

「君に幸せになってほしいと祈るのは、僕だけじゃない。……もう、気づいているだろう」

 今度は逆に、柔和に微笑むウルマの姿へメドウさんのそれが重なった。呪われた枝のせいで触れられないながらも、わたしを助けてくれたひと。わたしの胸に空いたサニーゴ型の穴を、その白いもやでなみなみと満たしてくれたひと。

「メドウさんも、サニーゴだから……?」
「僕たちの運命に縛られる必要はないさ。ディーナは何も、サニーゴと恋に落ちなければいけないヒドイデなんていう、陳腐なお話のキャラクターじゃない。好きになった相手がたまたま僕で、たまたま僕がサニーゴだっただけ。サニーゴだから好きにならなくちゃ、とか、そんな気に負うことじゃあないさ」
「うん……うん……っ」
「ただ、ずっと寄り添ってくれるひとを、大事にしてほしいんだ。たったひとりでガラルに漂着して、心細い思いをしていた君を支えてくれたのは、メドウさんだ」

 鏡池のみんなをはじめ、ヒドイデの群れの仲間たちも、最初こそ歓迎してくれてはいたけれど、わたしが夜な夜な大泣きしたり、奇声をあげる危なっかしいヒドイデだと知ると、次第に距離を取るようになった。ヒドイデだから仲良くするとか、サニーゴだから繋がってはいけないとか、種族のしがらみに縛られないでいい。そんなの、ウルマと駆け落ちしたわたしが1番分かっていることだった。

「そのためにも、ディーナは忘れちゃうんだ。僕の声を忘れて、僕のことを忘れて、サニーゴの枝のことも忘れて、君を幸せにしてくれるひとと仲良く、ね」
「でも、でもッ!」綺麗な言葉を残してそのままウルマが消えちゃうような気がして、わたしは必死に呼び止めた。「わたし、ウルマを食べちゃったの。あんなにウルマと約束したのに、食べちゃった。サニーゴとヒドイデだって一緒に暮らせるんだってアローラを飛び出したのに、けっきょく食べちゃったの。こんなこと……忘れられないよ。忘れちゃダメなんだ。わたしは、ウルマとじゃなきゃ、幸せになっちゃ、いけないの……。やっぱり、やっぱりわたし、ウルマと一緒に――」
「ディーナ」

 食べ残しを取り上げられたゴンベのように駄々をこねるわたしの魂を、ウルマが優しい声で宥めてくれる。

「そうだね、そうかもしれない。ディーナがすっかり忘れちゃっても、君が僕を食べたって事実が、消えるわけじゃない。それでも罪の意識が残っちゃうのなら」
「なら……?」
「償いなさい」

 優しい口調を残したまま、カプ・コケコ様のお告げのようにしっとりと、ウルマが言う。

「つぐな、う……」
「僕はディーナのことをとっくに(ゆる)しているけれど、ディーナが僕を裏切ったと自分を責めるんだったら、約束だ。辛いことかもしれないし、ディーナの覚悟を僕が否定することなんてできない。でも、僕としては、ディーナに生きてほしい。死んじゃった僕の自分勝手だってことは、自分でも分かってるんだけれど。……ディーナ、生きて。生きて、償うんだ。僕のぶんまで、あの子を立派に育てておくれ」
「ぅああ――ああああっ!」

 最後におでこを撫でてくれたウルマが細かなあぶくに包まれる。彼を象っていた白いもやが薄らいでいく。一面の乳白色に溶けて、夢かうつつか分からないその揺らぎも、次第に鏡池の澄んだ塩水へと戻っていく。
 消えゆくウルマの手を掴もうとして、それもできないことに改めて気づく。腕の先はおろか、トーチカの内側まで全て、石化が侵攻してきていた。わたしは罰せられていく。罪を閉じこめて毒で蓋をしたような体が、奥深いところまで次第に固まっていって、息の詰まるような現実に取り残される。それこそがわたしの受けるべき罰であって、ウルマとメドウさんの愛なのだ。




12 晴れ 


 尊い薄桃色をしたサニーゴの枝が輝きを失っていく。俺の霊体内部を浮遊していたミスター・ウルマは揚力を失い、排水溝へ流されるように渦を描いて沈んでいくと、からり、と寂しい音を立てて割れた器へと収まった。
 運命を全うしたとでも言おうか。拾い上げたその欠片からは、なにも感じられなくなっている。増強された俺の霊力をもってしても、思念の一片(ピース)すら拾うことができなかった。10年間無敗でガラルポケモンリーグの頂点(チャンピオン)へ君臨し続けた男の最後の言葉を借りるならば、『Time is over.(時間切れ)』だ。Rest in peace(安らかに霊界へ)、ミスター・ウルマ。もう俺は彼を降ろすことはできないし、そのつもりもない。
 サニゴーンの熱烈な抱擁(ハグ)を受けたミス・サルディーナ――ディーナは見事なまでの石像(スタチュー)になっていた。俺が今まで手がけてきた作品(アートワーク)と同じように、幸福をその表情に貼りつけている。異なるものがあるとすればそれは、俺の息苦しさだけだ。
 心が温かいもので満たされていた。意識して呼吸をする必要性すらなく、閉塞感などとは無縁の、牢獄から解き放たれたような感覚。
 ミスター・ウルマと共に成し遂げた、ディーナとの対話(ダイアログ)を思い返す。
 霊力が高まったとはいえ、不思議な感覚だった。俺に同調(シンクロ)したミスター・ウルマの記憶や感情、意志が流れこんできて、それがあたかも自分自身のもののように感じられたのだ。希死念慮に囚われたディーナの救出(サルベージ)には、俺だけでも、ミスター・ウルマだけでも成功し得なかった。なんせ、彼女がガラルに流れ着いてからの出来事(イベント)を、彼は知る術がない。俺の持っていた記憶や感情、意志さえも、ミスター・ウルマへと共有(シェア)されていたらしかった。
 それでいて、問答の後半は特に、俺にとって都合のいいことばかり並べ立てていた気がしないでもない。ミスター・ウルマの切なる願いだと解釈すればそれまでだが、少なからず、俺の中にも、彼女へ寄せた恋慕の情をあらわにしてしまったような感覚が残っている。
 改めて、ドヒドイデの石像(スタチュー)へと目をやった。
 もともとざらついた棘皮は、石膏(ギプス)の質感をまとったせいでさらに野趣(ワイルド)さを増していた。2倍近く肥大した12本の腕に比べ、胴体は薄くなったような気さえする。頑丈さを増した顎と吊り上がった双眸は柔らかく(ほぐ)れ、救われたように柔らかな笑みを貼りつけている。
 その、本来は紫色をしたディーナの下腹部には、ターフタウンの伝統料理に使われる肉汁(グレービー)ソースのような、白濁した粘液がこびりついていた。
 ディーナを(ゆる)すための儀式に、俺の生殖行為を介入させる必要はない。折れたサニーゴの枝から逆流してきたミスター・ウルマの意識に身を預けるうち、気づけば彼女の股ぐらへ、白いもやの一片を差し伸べていた。それが俺の意志なのか、俺に宿ったミスター・ウルマの遺志なのかは判然としない。俺の中へ流れこんできた彼の記憶によると、嵐の夜、意識をあやふやにさせた彼女を叩き越すために激しいセックスをしていた。交尾はディーナを救うために必要な(キー)なのだとも都合よく解釈できるが――どちらにせよ、俺が彼女を(はずかし)めたことに違いはない。

「つくづくバカだね」

 ディーナの体をハンカチで拭う俺へ、背後から、聞き馴染んだ罵倒が飛んできた。振り返らずとも分かる。追いかけてきたルサが、サニーゴの赤ん坊(ベイビィ)を抱えたまま、救助劇の一部始終を見守っていたらしい。

「俺もそう思うよ。救うだなんて大口を叩いて、ディーナを(おとし)めてしまった。弱みにつけこんで見返りをむしり取るみたいに交尾するなんて、さ。ルサの言った通りだ。俺は、1ヶ月前と何ら変わっていなかった。ディーナの気持ちを弄んで、交尾までして、石にしてしまった」
()げーよバカ。だからバカだって言ってるワケ」
「……?」
「自分の気持ちに素直になれって、あたし言ったよなあ。あの子が好きなんだろ? 必死になって助けようとしたんだろ? その結果が交尾ってんなら、それでいいじゃねえの」
「……それは、都合のいい解釈じゃないだろうか」

 寝付きのいいサニーゴの赤ん坊(ベイビィ)を撫でながら、ルサはわざとらしく盛大なため息をくれる。

「勢いのまま交尾して、責任取るのが怖くて逃げて、あの子の想いを踏みにじる気かあ!? 動けないように石にしてヤり捨てるとか、そんな悪辣非道な真似、まさか英国紳士(ジェントルマン)がそんなことはしねえよなあ? ……言っとくけどさっきのラブラブ交尾、池のみんながバッチリ見守っていたからな」
「彼女が愛していたのは、俺であって、俺じゃない。俺の面影に見たミスター・ウルマに、最後の別れを済ませたかっただけだろうよ」
「……とことんだなあんた」

 もしかしたら本当にあのピンクの枝にミスター・ウルマの魂が囚われていて、ずっと所持していた俺があまりにも煮え切らない態度を貫いていたから、安心してディーナを任せられないと憤慨していたのかもしれない。童貞(チェリー)じみて抱擁(ハグ)すらできない俺の退路を断つべく、対話(ダイアログ)の終わりにさりげなく恋愛成就(キューピッド)を願っていたとしたら。
 ……死者にまんまと担がれたか?

「雌は、好きでもねえ奴に抱かれるくらいなら、ベロ噛みちぎって死ぬンだよ。たとえ石にされてようとな。あの子は、食い殺したサニーゴの後を追って死にたい、死なせてくれって叫びながらも、最後はこっちに留まった。なんでだと思う?」
「……俺が、いるから」
「なんだ、分かってんじゃん」
「それで、いいんだろうか」
「いいんだよ。あんたはあの子を救った。それだけ」

 いつの間にやら鏡池の住民がわらわらと集まってきていた。進化前ならば篭れる殻もあったのだが、魂を解き放たれた今となってはどこにも逃げ隠れできない。もっともここまでお膳立てをされて箸を付けぬようものなら、腑抜け(マペット)烙印(スティグマ)を押されてしかるべきだ。
 涙の跡がついた石灰質の頬へ、無数に増えた枝のひとつを伸ばす。いとおしい輪廓(シルエット)を撫でながら引き寄せて、俺は霊体を折ってそこへ顔を近づける。魂を包む虚空(ホロウ)の大口をすり抜け、俺の核がディーナへと口付ける。そのまま、彼女を石にしてしまった呪いを吸いあげていく。
 永遠とも思える、ほんのわずかな静寂(サイレンス)が流れた。
 淡い光に包まれたディーナの、その12本の腕が水中でふんわりと、つるばらのゆりかごのように広がった。質感と色を取り戻した腕の中心、紫色を深めた顔だちに浮かんだ黄金色の瞳が、100年の眠りから目覚めた茨姫(ターリア)のように、そっと開く。

「おはようございます、ディーナ。いい夢は、見られましたか」
「う、ン……」彼女は目を何度か(しばたた)いて、牙の揃った口をむにゃむにゃさせる。「……誰?」
「――ッはは」

 ディーナはたまにとても子どもっぽい冗談(ジョーク)を口走って、それがたまらなく心地よかった。凝り固まった俺の思考をほぐしてくれる。捨てられたヤブクロンと見紛うほど憔悴していた初対面のときから、もしかしたら惚れていたのかもしれない。
 お互いに進化を遂げてしまえば、ディーナは俺を同じサニーゴだとは気づくまい。ミスター・ウルマから流れこんできた思念によれば、アローラのサニーゴは進化しないそうだから。
 枝のひとつを胸へと当て、くびれのできた霊体を恭しく折り曲げる。

「お初にお目にかかります。私はメドウと申します。失礼ですが、お名前は?」





 ミスター・ウルマと意識を共有(シェア)していたとき、強烈に流れこんできた属性(アトリビュート)があった。
 海が、広がっていた。
 どこを見渡しても視界の端に煌めく水平線(ホライゾン)。まさに南国を思わせる樹型の植物と、それよりも背の高い姿をしたナッシー。かすかに鼻をつくような独特な潮水のにおいと、引いては寄せる波音の潮騒(しおさい)。穏やかな気候の砂浜(ビーチ)で、のんびりと転がるポケモンたちの生あくびまで聞こえてきそうだ。
 浅瀬には花畑があった。
 ディーナがサンゴ礁と呼んでいた海は、想像したよりもずっときらびやかだった。ひとつひとつは素朴な、されど決して色褪せない株の草花が、折り重なり、入り混じり、花畑を展開している。そこを住処とするポケモンたち、風、光、波、気温、湿度、ときには嵐のような災害でさえ、それら絶え間ない営みの末に楽園(ユートピア)を作り上げるのだ。ミスター・ウルマの根源(オリジン)に刻まれていたそれは、俺の悪夢(ナイトメア)に見るものよりも遥かに鮮明で美しかった。
 そこはまさしく、ガラル風に言えば花畑(メドウ)と呼ばれる、英国紳士(ジェントルマン)ならば誰もが胸に抱く理想の原風景(オリジン)そっくりなのだ。

「ディーナ」
「なあに?」

 石化による贖罪から解き放たれた彼女は、ルサからサニーゴの赤ん坊(ベイビィ)を渡されても、もう取り乱しはしなかった。痛ましく千切れかけた腕2本で抱えながら、慈悲深い視線を注いでいる。

「そういえば、名前、まだ決めていませんでしたね」

 俺が枝のひとつを伸ばすと、未熟な腕で甘えついてくるいたいけさ。ディーナは考える様子もなく、もとから決めていたふうに、穏やかな目つきで顔を上げた。

「オハナ、って名前にするよ」
「オハナ……、素敵(ラブリー)な響きです。どういう願いをこめたのですか」

 確か、カントー地方の言語(ランゲージ)でその言葉の意味するところは、花畑(メドウ)と近いものがある。偶然だろうけど、偶然の連続で結ばれた俺たちにはちょうどいい。
 ディーナは、俺が初めて目にする――いいや、ミスター・ウルマが何度も見てきたものと変わらない、とびきりの笑顔を花開かせた。

「アローラの言葉でね。〝家族〟って意味なんだ」





End.




あとがき

ガラルに来てみたらなんかサニーゴが死んでいたのであら大変。発売当初は公式に殺されただのなんだのってけっこう批判もありましたが、推しが死んで喜ばん創作者おる??? ふだんお絵描きなんてしない私が珍しく絵筆を執ったりしました。落書きでしたが。いやよくぞあんな姿になってくれましたよ。おまけに強かったし。
これはぜひサニーゴの葬式小説を書かなくては、と思い立ってからしかし早2年、作品にするタイミングを逸し続けていたせいで、溜まっていたものを吐き出したら10万字になりました。まずはこの文章量に最後までお付き合いいただきありがとうございます。お疲れ様でした。
ヒドサニは5年前に書いた拙作『青いとげ』を1作目にして手を替え品を替えこれで3作目なのですが、ようやくハッピーエンドを迎えることができました。ハピエンですよ? ハピエンです。いやあ誰もが納得できるようなハッピーな終わり方でしたねえ。サニゴーンの石化能力まわりは独自設定も多い(というか公式が曖昧)ので、呪いを解除するオチに納得できなかった方はぜひサニゴーンで書いてください。喜んで読みます。
『青いとげ』では捕食シーンに注力した覚えがあるので、今回は心理描写をがんばりました。前作は食べるまでのおはなしだったので、今作は食べてからのおはなし。ミス・サルディーナがひとり遊びで気持ちよくなったところで最愛の相手に『裏切り者』と罵られてから窒息する展開、最高にえっちに書けました。抜きどころです(大嘘)。ほかにも地下室に閉じ込めたり駆け落ちさせたり背骨をなぞったりと性癖を並べ連ね、タイトルからして作者の顔を隠すつもりがどこにもありませんねえ。そもそも変態選手権なのに性癖を隠せると思っている方がおかしいんや!



以下大会時にいただいたコメントに返させていただきます。


・カップリングから脇役まで、配役されたポケモンのセレクトも見事にハマっている……! 最初は「なぜだろう?」と思わせるガラルサニーゴのメドウの口調も、その後のエピソードですんなりと納得させる筋運びは巧み。しかもその筋から繰り出される変態、倒錯、嗜虐の一つ一つがどれもとびっきり濃厚で飽きさせないのが凄まじいところ。10万字超の文量も納得というものです。このような話をうまく感動的な大団円でまとめ上げるのは、ひとえにサニーゴ、ヒドイデへの愛と、字書きの実力あってのことです。こんな小説書けるのはあなただけです、スゴい! (2021/12/11(土) 01:37)

せっかく推しが死んだので、その特性は十分に発揮させてあげようとステージを用意しました。アニポケDPtのポケモンハンターJ回を見ていたダイパキッズはあまねく石化の性癖を拗らせているのだ。あの、脚から銅像化させられていくリオルの目から涙が溢れるシーンがね……(以降懐古厨)
濡れ場とかいろいろ書いてましたが、それも10万文字に耐えうる内容にするよう心がけました。せっかく読んでくださるんだからね……。お気に入りにはシャンデラ♂がサーナイト♂の背骨を数えるところです。ヒドサニ関係ないとこですけど。
あれ、わたしそんなに作者バレしてました……? オニオンくんばりに隠れていたはずなんですけどネェ?


・悲しみも罪も乗り越えて、新たな『家族』との絆を育んでいくふたり。双方から交互に語られる想いの交錯に感動しました。 (2021/12/18(土) 07:03)

拙作『青いとげ』も交互に視点の切り替わるものだったので、今作も踏襲してこんな形になりました。メドウが彼女を石にするエンドにならなくて私もホッとしております。大会時はあまりに時間なくてメドウが罪を許されずにちゃっかりディーナの家族になっていたんですけど、修正したのでなんだか納得のいく感じにしておきました。わたしの作品は女の子がヒドい目にあって男の子がクズな配役ばっかりだな……。


・感動しました。具体的に言えば、出産前後の展開で喜びなどが忙しかったです。 (2021/12/18(土) 19:50)

書き出してしばらくしてから「これ10万文字コースじゃない……?」と思ったので省略できるところは省略しました。これでも。ダレそうなところを全カットしたので物語が急な展開になってしまいましたが、感動してくださってありがたい限りです。
出産まわりの描写はP-tanさんの『春が運ぶは幸福か、或いは』をめちゃ参考にさせていただいてます。ぜひ!


・一つ一つの心の描写がとても綺麗で美しくて……。メドウを通して語られるウルマの気持ちが語られるシーンはとても胸が熱くなりました。素敵な作品をありがとうございました! (2021/12/18(土) 21:37)

最後の贖罪シーンは自分でもどうまとめればイイのか分かんなくなっていたところなので、なんかキレイな感じを意識しました。なんかこういう浄化? するの、イイですよね……。


・あらゆる意味で重すぎた……。 (2021/12/18(土) 23:28)

前作のが明確なバッドエンドだったのでまあ……。書いているうちにメドウさんが軽いだけの野郎になってしまったので、なんかイイ感じの過去話を用意しました。石化メインで行こうと思ったんですけど、ヒドサニの捕食愛が食いこんできましたね……。
文章量も超カロリー!



主催さん、参加した方々、読んでくれたひと投票してくれたひと、ありがとうございました!


最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • 主要キャラであるディーナとメドウもさることながら、その他の登場人物も皆濃かったですね…。作者さんのこだわりというかなんというか。そういうものをひしひしと感じられる作品でした。個人的にはルサちゃんがかっこよくて好きです。
    別作品のヒドサニがビターすぎるエンドだったので結末でみんな死んでしまわないかひやひやしながら読み進めていましたがハッピーエンドでほっとしました。 -- カゲフミ
  • >>カゲフミさん
    文字数がとんでもなく多くなってしまったのでせめてキャラは分かりやすいようにしないとね……執筆期間が3週間くらいしかなかったので、書いてて自分でも混同しないくらい大味なキャラ付けに。紳士メドウは大逆転裁判の検事がこんな喋り方するので参考にしました。キャラゲーなのでそういうところ助かります。物語も面白かったですし。
    書き始めた当初は全体で4万字程度のはずだったので、オチもバッドというかビター寄りエンドの予定でしたが、10万字を超える文字数を読んでもらった末に辿り着くのが救いのない結末なのはさすがに申し訳なくて……気づいたら救済していました。メドウが断罪されるとき、もし彼がルサにバトルで負けていたらと考えるとゾッとします。それもアリか……。 -- 水のミドリ
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Last-modified: 2021-12-19 (日) 02:40:57
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