漆黒の双頭“TGS”プロローグ
作者……リング
「よう、レアス」
「や、エレオス」
何とも親しげに二人は挨拶をかわす。ここは、プクリンのギルド地下2階にある親方の私室である。
取り留めのない世間話もほどほどに、本題である漆黒の双頭としての彼らの話が始まる。そのなかでも最も重要な、目覚めたポケモンの話に入ったときレアスは顔を曇らせる。
「う~ん……そこなんだけれどね。そこら辺はもう、ヒューイで妥協しちゃおうかなって思っているの。
強力な草・岩・ノーマル・エスパー。どれかの目覚めの持ち主でしかもめざパが強力であることを要する……それでいて、ミュウやユクシーのように記憶力が良いポケモンなんて……やっぱりレイザーでも難しいみたい。
また、今年の10月……春にでも集まるけれどさ、それまでに条件に当てはまりそうなポケモンがいなかったら、ヒューイで決行しちゃおう……
どうせ、その役目には闘う必要があるわけじゃあるまいし……なんとかなるでしょ」
「そうか……仕方ない」
今集まっているメンバーも、年月が過ぎれば体力が衰えるだろう。いかに優れたスカウトマンといえど無いモノは探せない。
完璧主義なレアスも、リスク対効果を考える以上はそうするしかなかった。
それが今年の2月。真夏のことである*1。
所変わって、4台の大きな掲示板が立てかけられた一室。薄汚れたフローリングの床に作業しづらそうなカマでモップを操るストライク。
そのストライクは救助・救援関係の掲示板をのぞくキルリアに話しかける。
「キール。また救助の仕事か? それ自体はイイんだが……ただの遭難者なんて救っても金がもらえないこと多いんだぜ。金がないから護衛も頼めないような奴らなんだから。お前さんも、趣味はほどほどにしたらどうだ?」
キールと呼ばれた青年はそんな言葉に対し微笑んでこう返す。
「だめさヒューイ。金がもらえないことが多いからこそ、放っておかれることが多いのさ。そんな人たちも誰かが助けてあげなきゃいけないのさ。
と言うか所長……また自分で掃除なの? 清掃の役くらいさぁ…いい加減誰か雇いなよ……」
所長と呼ばれた男性はため息をついてこう返す。
「……仕方ないだろ。レイザーが『隊員とのふれあいが大事なんだ触れ合いが……というのは建前。探検隊として仕事にいそしむと、愛娘と遊んで愛妻とはデートでイイ感じ~……ってことになれないだろう? 毎日冒険なんかに行っていたら、夜伽はご無沙汰娘に稽古つけてやることもまともにできやしない』とか言うんだから」
何やら下心丸見えのセリフを包み隠すこともなくヒューイと名乗るストライクは引用して、掃除を再開する。
「夜のことは知らないけど……レイザー所長もヒューイさんも大変だねぇ……」
「ヒューイって名前はあんまり大声で出すなよ? 聞こえると厄介だ。
……まぁ、ともかく、レイザー曰く『それを毎日やってこそ……家族思いの父という奴であってだなぁ! 特に娘との稽古……『ハッサムに進化した~い』とか寂しいこと言っている娘にストライクの良さを教えてやらなきゃいけないんだよぉ!』だからなぁ……
全く、賃金は高いけれど面倒なお父様だぜ……俺が所長で居る間は、奥さんも浮気しないように頑張っているようだし……キールも掃除手伝ってくれないか?」
「しょうがないのさ。僕も後で少しだけ掃除手伝うよ……依頼選び終わったらさ。隊員とのふれあいは大事だよね」
キールと呼ばれた青年は掲示板をのぞく。
目に留まったのは……『化石のジャングル』に身元不明で大した荷物も持っていないような奴が倒れていたと……。おそらくは野蚕目当てでダンジョンに入って、運悪く囲まれたか何かで倒れたのだろう。
これではほぼ確実に金とは無縁だ。ボランティア精神にあふれたモノ好きでもいなければ助けてはもらえないだろう。
「なるほど……こりゃ救助は望めないのさ。それじゃあ、僕が助けてあげようかね」
その、ボランティア精神にあふれたモノ好きがここに居たのが、その身元不明の者にとっての何よりの幸福であった。
植物がうっそうと生い茂る密林。そこに息づく太古の原形を留めた植物は風に揺れてやかましい合奏を繰り広げる。
日光を浴びるためには、木々の間から木漏れ日が漏れる場所を探すか、大樹をよじ登るしかないはずに思えるような景色だが、樹冠どころか、木の根すら避けるようにぽっかりと口を開けた部屋の中でその少女は気絶していた。
周囲の豊富な水と空間の歪みによる陽光の集中の影響で蒸し暑く熱された空気はまるで、全身がぬるま湯につかっているような気分になり、汗をかこうとパンティングしようと、なかなか体温を下げることのできない暑苦しさが、訪れる者には不快だった。
そこに太陽が追い打ちをかけるように今まで横たわるポケモンを優しく抱いていた影をずらしにかかる。『起きろ』と言わんばかりに光りが射し、その光は瞼を通り抜けて、閉じられた目の中にある網膜を血の色と同じ赤い色に刺激する。
要するに、一言で表せば『暑くて眩しい』のだ。その太陽と湿度の二重の責め苦の上に、風で運ばれた羽毛に顔をくすぐられたことで、気絶しながら夢を見ていた少女は目を覚ます。
・
・
少女はそこでふと思う。『俺はここで何をやっているのだろうか?』 と……
ベタな表現ではあるが、まさしく『ここはどこ? 私は誰?』な状態である。
自分が今まで生きていたことを証明する記憶の一切合切を封じた頭の引き出しが、板でも打ちつけられているのかと思えるほどに開かない。
昨日はなにをしていた? 一年前の俺は何をやっていた? まず、いつ眠ったんだ? などという類の自問自答の何一つも、答えがうかんでくることはない。
思いだそうとしても、クランクの無い蒸気機関の様なもの。空回りの一言に尽きるのだ。
それにしても周囲がやかましい……いったい何が起こっているのかと思い、周囲を確認したいが、体は意志に反して目を開けてはくれない。
体も、鉛のように重い。
どうやら、頭が目覚めていても体が目覚めていないようだ。焦っても無駄ならば……これが悪い夢だと信じてまた眠りにつくのも悪くないのかも知れないと、少女は再び眠りについた。
・
・
しばらく時間がたった。騒がしさはさっきの比ではない。どうやら戦闘が行われているらしい……。
少女はさっきより大分体が軽くなった気がして手を握ってみると、力が入ってるのが分かる。だが、さっきより感覚が戻ってきているおかげでだが、腹は大きな音が鳴るほどに減っている。
いや、そんなことよりも何よりも、これはどうしたことか? 少女は握ってみた指の数を心の中で数えてみる。
指が……1本・2本・3本しかない!? そのうえ、この下半身の感覚……女だ。いや、少女だから当たり前なのだが、少女は男のつもりだった。
何で尻尾があるの!? 俺は人間……と、たまらず目を開けてみればあら不思議。体は少々小さめで、指は三本、大きな尻尾と黄色と茶色を基調とした体。
そう、ユンゲラーになっている。
先ほどの『頭が目覚めていても体が目覚めていない』をは、訂正だ。サイコパワーで体を動かす種族柄、完全に目覚めていないと指一本動かすことが出来ない……の間違いだ。
唐突につきつけられたこの状況は衝撃としか言えない。また夢だと信じて再び眠ってしまいたくなる。
だが、耳に鳴り響くリアルな騒がしい音が、空腹を訴える腹が、自分の体をつねって感じる痛みが。
極めて迷惑なことに夢では無いことを証明してしまっている。
これは……悪の組織の改造手術? 等と自問自答して、だとすれば納得もいくが……と、意味のない問答を繰り返す。
そんな風に考えていても埒が明かないと気が付くまでにそう時間はかからなかった。
少女は大きく眼を開ける。少女はさらに呆然とした。
目の前の光景も夢と。否、悪夢と見まがうような光景であるという点では負けず劣らずの壮絶なものだった。
たった一人の、緑の頭髪と真っ白く小さな体に角が生えたポケモン。そう、キルリアの……『おと・おん・おと・お……どっちだ? 遠くからじゃ分からん』が大量のポケモンたちと戦っている。
状況はよくわからないが見た目ピンチかもしれない。多勢に無勢だし……助けなきゃ!
と、少女は考える。だが、夢でも現実でもどちらでもいいやと開き直って、何の考えもなしに突っ込んでいくほど少女は馬鹿ではない。
こんな状況下でも意外に冷静に薄眼を開けながら冷静に敵の組み合わせを確かめる。
カブト・カブトプス・リリーラ・プテラ・オムナイト・ジーランス・キノココ。その中から倒すべき相手を選ぶ……よし、まずはリリーラからだと、気付いていないポケモンの群れへと突っ込んだ。
キルリアの方ばかりに気を取られていた敵の群れへの奇襲は、まずリリーラを皮切りに行われる。
リリーラの仮茎のような部分を掴み上げ、何が起こったか分からないうちに、隣にいたオムナイトへ叩きつける。この一撃では不意を打ったといっても、肝心の武器に勢いが乗っていないため、威力はたかが知れている。次は頭の上でぐるんと一回転させ、今度は上から下へ叩きつけるように振り回す。
リリーラの頭からは少々体液が漏れた。死んでいるということはないだろうが、意識は飛んだはず。
その時リリーラから漏れ出した体液は、オムナイトの視力を奪う。少女はそれを確認すると一後ろに下がって、次に来るであろうオムナイトからの闇雲な攻撃をさける。
「何をやっているのさ!!寝ていれば無傷で助けられたのに」
こちらに気が付いたキルリアが叫んだ。見たところトレーナーがいるわけでもなさそうなのに喋る……普通に考えればかなり異様な光景のハズ……が、切羽詰まった状況。少女には驚いている余裕はない。
「ほっとけないだろ!!」
少女はそういい返す。そうこうしている内に、少女に気が付いたカブトプスが左手のカマを振り上げて襲いかかってきた。カマの触れない懐に入って肘打ちをし、倒れたところに顔面を踏みつけて攻撃する。
「とにかく、目覚めちゃったならさ……」
右から来た泡による攻撃を前方に小さくジャンプして避ける
「……たならさ、急いで僕のところへ来て!!」
眼の前に躍り出てきたキノガッサのパンチを身をかがめて避け、頭をかばうようにしながら、掲げた腕を肘打ちにシフトしてキノガッサにぶつける。
何の波導もこもっていない攻撃なので、せいぜい怯ませるくらいしか役に立たないだろう。
「……に来て!! それなら守りやすいからさ……」
そして少女は、キノガッサに反撃される前に重心を崩してから敵を左に払いのけ、少女自身は反作用で右に移動する。
「からさ。こいつらは殺すつもりで……」
右に移動したら、地面に念力を掛けてその反作用を速く、大きくジャンプしてキノガッサが繰り出した胞子をかわす。
「つもりでやらないと殺られるからね!」
もう一度キルリアが叫んだ。
「わかった!!」
少女も叫ぶ。
いよいよ少女に気付いているポケモンも多くなってきた。相手は様子を見ながらじりじり近付いて来るようだ。今のところ攻撃の気配はない。
待てよ……今俺はユンゲラーなんだからテレポートとか使えるかもと、少女は思い未だに抱えていたリリーラは放り捨てる。
テレポートの仕方はよく分からないが意識を集中して、場所を移動するイメージを描いて念じる。
……どうだ? と思い目を開けてみれば結果は不発だった。わずかに動いたに過ぎず、すぐに囲まれてしまう。目くらまし程度にはなったようだが……悲しいことに、自分も目をくらまされているから意味がない。
なんで? なんで技が出ないんだ? 俺はユンゲラーだってのにと戸惑う少女の様は、さっきまで『俺は人間』と言って自分の尻尾や指の数に戸惑っていたことを考えると如何なものか。
少女は自分が冷静であったらノリ突っ込みをしていたところだろう。
「こうなったら……もう、何でもいい」
そう開き直って落ちていた岩を浮かせ、振り回してけん制する。
テレポートは意外に最古パワーを消費しやすい。しかし、念力なら先ほど地面に対して念力を使い大きくジャンプをしたりなどの離れ業もやってのけてるほどの力は残っている。
しかし、牽制していても振りまわす高度が問題なのか、背が低い者にはあまり効果がないようで、背の低いポケモンであるカブトが近寄ってくる。
正面から足元に攻撃してきたカブトの攻撃を、少女はジャンプして避け、さらにカブトの広い背中を踏み台にもういちどジャンプ。
そのまま奥に居たキノココにの頭に着地する。着地の衝撃で胞子がばらまかれるのを確認するかしないかのタイミングで、胞子を吸いこまないように息を止めて風上に走って行った。
そこに待ち構えていたのは、さっきは死角に居て確認できなかったポケモン、ユレイドルだ。どうやら、大口を開けながら力を蓄えて攻撃しようとしているようだ。
彼女はその大口に寸分たがわず先ほどの岩を投げつけると、ユレイドルはガクリとうなだれたまま大人しくなる。こうまで威力が強かったのは、好都合にも、力を蓄えようと吸い込む勢いも合わさったためだろう。
そのユレイドルは群れの一番外側に布陣していたようだ。それを突破したからには、囲まれないように外側をぐるりと回って例のキルリアと合流すればいい。種族柄、素早さには自信がある。
側方から泡や水鉄砲などの攻撃が飛んでくるが、奴ら同士は連携が悪く、同士撃ちがそこかしこで行われている。
また、放たれた数が少ないこともあり、避けることは容易だ。さっきの目をつぶされたオムナイトとキノココ系統の胞子も、同士撃ちにひと仕事してくれたようだ。
そうこうしているうちに、例のキルリアとの合流に成功する。
「下がってて」
キルリアが少女にそう指示をした。少女もそれに素直に従う。ただし何もしないのは収まりが悪いので、念力で石を操って攻撃する程度の事はしている。
キルリアは今プテラを相手にしている。近くに飛んできたプテラをマジカルリーフで攻撃をしているようだ。
「こいつを倒したら一気に逃げるよ。いいね?」
キルリアが少女の方を見もせず言った。見てみれば敵の編成中でもっとも機動力の高いポケモンであるプテラはこいつ一匹だけ。
こいつを倒しさえすれば逃げるには問題ない、ということだ。
「
空を飛んで突進してきたプテラの咥内に太ももに下げているアブソルの角と思われるナイフを念力で操って、ブーメランのように回転させながら頸動脈を掻き切った。
現在、プテラは砂埃を立てて地面に滑り込んでいた。
「いくよ!」
キルリアはそう言って走り出し、その声でようやく我に返った少女も続いて走り出す。
さっき少女が眠っていた部屋のように、明らかに不自然に根っこや木が避けている部屋があったかと思うと、今少女達が走っているところは廊下状になっている。彼女にとって今いるこの場所は全くわけが分からない。
しばらく走り続けると、なぜか、密林のど真ん中に階段があった。
「ここを抜ければ安全なのさ」
息切れしながらキルリアがささやいた。その時キルリアは少女の手ひったくるように繋ぐ……
階段を降りる……と視界が一瞬灰色一色に染まる。
少女の、ここは本当になんだって言うんだ?という疑問すらも塗りつぶす様に。
視界を覆っていた灰色が晴れた。そこに広がる景色は、似て非なる違う場所だということはわかる。座るにはちょうどいい木の根っこがあったので、二人はそこに隣合わせて座った。
改めて落ち着いて見てみると、そこにはシダやコケが生い茂る、鬱蒼とした密林。湿度は極めて高く、ユンゲラーが全身から汗をかくことができるならべっとりと濡れていることだろう。
蒸し暑さは尋常では無く、一度汗をかいたら最後。永遠に乾かないのではないかとすら思えるほどだ。
例えば息を勢い良く吸ってみる。舌の上の唾液がまったく乾こうとする気配が無いわかる。このときばかりは汗が出なくて助かったのかもしれない。その証拠とばかりに、キルリアの方は全身汗だくである。
ここは湿度が高いだけでなく、さっきのポケモンの組み合わせから考えて、太古の原形をとどめたポケモンたちが息づいているようだ。
そのせいか、植物まで太古の原形をとどめている印象を受けるのは。気のせいではないだろう。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
キルリアは酷く疲れた様子で、肩で息をしていた。少女も疲れてはいるのだが、走らずにずっと浮かんでいたせいか、息切れするのとは違った疲れ方をしている。
つまりは超能力を使っていた頭が痛鈍い痛みを伴い、前を見るにも焦点が定まらなくなってくる。そして、糖分が足りない。
「ありがとう……本当にありがとう」
意識をもうろうとさせながらも、少女は誠心誠意のお礼をした。キルリアはしばらく答えるのもつらい様子で呼吸していたが、お腹がすいているという事を感じ取ってくれたのか、ウエストポーチから取り出した小さなリンゴを一個譲ってくれた。
「一気にたくさん食べちゃダメさ。小さく一口だけかじってゆっくり50回噛むんだ。胃袋をゆっくり、ゆっくりと目覚めさせてね。そうしないと体に悪いから。お腹すいてるだろうし、一気に食べたい所だろうけどあせっちゃダメさ?」
一気に食べてしまいたいところだが確かにその通りだと少女は思い、湧き上がる食欲を抑えて言われたとおりに食べることにする。
「君は……う~ん。いったいなにから話せばいいものかね……?」
息を整えたのち、リンゴを食べている俺の事を気遣いながらキルリアが話しかけてきた。
「とりあえず、自己紹介からにしよっか。僕の名前は『キール・キルリア』。君はユンゲラーみたいだけど、なんて名前?
てか、男、それとも女? 僕の血の匂いのせいでよく分からないや……アハハ……」
落ち着いて自分の体を改めて見てみる。やはりユンゲラーになっている。少女は口に残っていたリンゴをゆっくり飲み込んで質問に答える。
「えっと……俺は、俺は……ア…サ? 性別は、おと……女だ。それよりもお前は男なのか女なのか……お前の方こそ血の匂いでよくわからん」
少女は自分の体を見てみるとやはり女であることが分かる。男と言ってしまいそうになったのは、人間だった頃の性別の影響だろうか?
自身があまり覚えていない。
「ああ、なるほど。おと……ええ!? 女なのに一人称が『俺?』!? それって微妙におかしいさ……でも嘘ついている感情ではないよねぇ……まあ、ともかく僕は男なのさ」
そう言われてみると、そのキルリアは男であった。進化前だからなのか、まだ声変りも十分に済んでいないような幼い声と、顔つきのせいでどうにもわかりにくいが、目元などに男らしさの片鱗はある。
ただ、慈しみの心をたたえた瞳はどこか母性にも似た女らしさを感じさせ、時折行われるモジモジとした動作は女性を連想させる。
総合的にいえば、顔は片鱗が見える程度に男で、動作はかなり女らしいというところだ。
「で、君はなんでこんなところにいたのかな?」
「知らない……そもそも記憶がほとんど消し飛んでいて……アサって名乗ったのも本名かどうかわからない。これを見てそうだと思っただけ……」
アサは自分の右手に固く握られていたスプーンを見せる。アンノーン文字でに刻まれた文は……『SEND TO ASA BY PHILIA』
『アサへ送る フィリアより』だから、自分はアサと言う名前なのだろうと推測したまでだ。
「自分の名前忘れちゃったの? ってゆうか……本当にその喋り方で女? でも、嘘ついている感情じゃないし……質問に戻るけど自分の名前……」
「いや、名前とか性別とかそういう問題じゃなくて、俺は……もともと人間だったというか……なんだかもう夢の世界に来ちゃったようで……
もう何もかも訳が分からないんだ。いったいどういうことなのやら……」
疑問なのはそれだけではなかった。自分は知らず知らずのうちにしゃべった事のない言語を話している。
唐突に放り出された空間。訳の分からないあの階段も、あの種類豊かな通常では、群れをなすことなどありえない組み合わせのポケモンの群。
そして、なぜトレーナーがいるわけでもないポケモンが喋っているのかもわからない。アサにとってはなにもかもわからないことだらけだ。
落ち着いてみて、改めて自分の状況を口に出して確認したアサは、その瞬間自分の置かれた状況を改めて自覚した。言いしれない不安を改めて自覚した。
不安に駆られ、生み出された生き場のない恐怖は不意にアサの目から涙となって零れ落ちる。途中、顔を覆う毛に阻まれ、地面を濡らすことは無かったものの、大粒の涙が顔に作る暗色の道は確実に長さを増していく。
そんな風に困っているアサの言葉を聞いてキールは少し微笑んでつぶやく。
「なるほど、そういうこと……大丈夫さ。何があったのかは分からないけれど、これまでに君のような例があったから……ていうか、そんなに湿っぽい表情していると僕の角が気持ち悪くなるのさ……知ってるでしょ? キルリアの性質」
キールは肩を軽くたたいて優しく語りかける。まるで不安を
「驚かないのか? 普通に考えれば俺はむちゃくちゃなことを言っているんだが……」
今まさに瞼から飛び降りようとする。涙を拭ってアサはたずねる。まるで親の所在を聞く迷子のような期待と不安を
「昔……僕が生まれるずっと前の話だけど、同じことが実際にあったのさ。自分はもともと人間だったと言うピカチュウの女の子が海岸に倒れていて、『ポケモンになってる!?』とかいって驚きながらね。
その人の名前、シデン様って言うんだけど、そのお話は子供のころから教養がある人は知ってるんだ。なんせ世界を二度も救った英雄だからね」
「だから驚かない……ものなのか? そんな理由で……」
俺は納得いかないといった風に顔をしかめる。それに対してキールは微笑んで答える。
「いや、そりゃさぁ……ちょっとは驚くさ、それに驚かない理由はそれだけじゃないのさ。僕は感情ポケモンだよ? ……君からは強力な不安・困惑・恐怖。そんな感情を感じることなんて朝飯前なのさ。
その原因が異世界から来た事だったら……っていうことさ。さっきまで君の不安が一体どこから来ているのか分からなかった。だからよっぽどの理由があることは予測できたのさ。
それに……ここは、近所にギラティナの住処があるせいか、空間的に微妙に不安定でね……
ま、兎に角大丈夫なのさ。不安だろうし、右も左も分からないと思うけどボクが味方になってあげるのさ……だから、機嫌を直してほしいのさ。
明るい感情は好きだけど……暗い感情は嫌いなのさ」
キールはアサの右手を両手で包み込んで微笑む。その表情には、感情ポケモン特有ともいえる魅力があってなんともいえない安心感に包まれる。
「はあ……そういう事か」
アサの顔に零れ落ちる涙も、いつの間にか引いている。それが安心の感情を物語る。
「それでさ……もし本当に君が異世界から来た人間なら、質問したいこともいろいろあるはずさ。僕が答えられる範囲で答えるから何でも聞いてごらんよ」
キールが微笑みかける。
「ああ、いいのか?」
「『いいのか?』って、断る理由がないのさ。何でもどんと来いってね」
そう言われて、アサは無数の質問の中から一つを選びだした。
「え~と、それじゃあまず。お前みたいに話の出来るポケモンと、奴らみたいに襲いかかってくるポケモンの違いはなんだ? 最早あいつらとお前が同じポケモンとは思えないぜ……」
「ああ、あれね……」
この言い方……この質問がこの世界では半ば常識であるという証拠である。やはり異世界に来たのは間違いがないようだと実感できてしまう。
「襲いかかってくる奴らは闇に捕われたポケモン。さっき言ったピカチュウの件よりも、ずっと昔に現れた人間の言葉で言うならば『ヤセイ』のポケモンだ。僕たちは闇に捕われていないポケモン。『ナカマ』と自称している。
ちなみに、言葉を話す素養のある生き物、つまり『ナカマ』と『ヤセイ』を総称してポケモンと呼称しているんだ。これも大昔に人間が伝えた言葉だね」
違う言語を話しているのに『ポケモン』の発音がアサの知っている世界と同じだったこと……
その意味を察するに、どうやらこの世界はアサが以前いた世界と何らかの関係がある事は間違いない。
「それじゃあ……ここはなんだ? あの階段や、ケモノ道とは異質な通路。全く訳が判らない」
常識にはあり得あない風景だ。地面にある階段を降りたら普通は地下へ行く。だが、ここの階段を降りればあるモノは灰色に塗りつぶされる景色の後に、地下ではなくもう一度地上。いうなれば、常識を完全に脱したふざけた世界だ。
「えーと……ここは『不思議のダンジョン』さ。 人の心を狂わし時間と空間を根底から崩壊させる風、『闇の波導』が吹き荒れる場所なのさ。
空間・時間・心……そう言ったアルセウスと、その下位に当たる神の力が及ばない領域を総称して『不思議のダンジョン』と総称していて、そこにあるのは恵みと崩壊と混沌であり、混沌は空間と空間をありえない形、階段という形でつなぎ、ダンジョンの端と端で近道として機能することもあるのさ。だから、ここは近道として利用されることもあるのさ。
あと、時が崩壊しているから、本来なら長い時間をかけて行われる再生と構築が一瞬のうちに行われ入るたびに形が変わり、突拍子のないものが落ちていることもあるのさ。他にも、怪我が早く治るとかね……それは時として大いなる恵みをもたらしてくれる。
そして、湖の三神の心を守る力が及ばないから長居すれば心を失う……さっきの『ヤセイ』だね」
この説明で、先ほどのテレポートが不発だった理由は説明がつく。恐らく、気絶する前まではひたすらテレポートで『ヤセイ』から逃げ回っていたと言うことだろう。
だから、俺は恐らくはテレポートが使えない訳ではないと、アサは先ほど自分のテレポートが失敗したワケをそう反芻する。
「さっきも説明した通り、『闇』の力は入るたびにダンジョンの形を変えたり、怪我が早く治るようになったりとか、お腹が早く減るようになったり、子供が早く成長するようになったり……『闇』の力は素晴らしいのさ。けれど、その反面に怖いところだってある。
心を壊した者達は、君のような健全な、崩壊していない心を求めてそれを喰らいたくなる……だから起きている時は、『動くんじゃねぇ』とばかりに狙われるのさ」
「さっきの時みたいに?」
そんなものが満ちた空間なんて怖いじゃないかと、アサは身震いした。
「そう、だから寝ていればよかったのさ……動かなければ助けられるから」
キールのセリフは、キールが助けなければそれがアサの運命だという事を意味している。
「なるほど。『寝ていれば無傷で助けられる』って言っていたのはそういうことか」
動くと襲うとは何とも怖い性質だ。記憶には無いものの、アサもここに来た瞬間はさぞ焦ったことであろう。
「そういうことなのさ。だから、『ナカマ』が倒れちゃうと『ヤセイ』達はさっきみたいに一つの部屋に集まっちゃうんだよねぇ。
これが厄介でさ……そのせいで救助に来る者は、ほぼ確実に大群を相手にすることになるのさ。というかこの世界に来て、いきなりダンジョンに飛ばされる君ってすごく運が悪いのさ……」
「俺もそう思うよ……」
「でも」
キールは右手の親指を立て、右目でウィンクする。
「その代わりにその後の運がいいのさ。なぜなら僕が助けに来てあげたんだから」
アサは2秒ほど言葉に詰まる。
「そう……」
「『そう……』って事はないさ~? 僕が助けなかったら、やつらの仲間入りか、人買いにさらわれ売られ、慰み者か重労働!
そこんところちゃんと踏まえて、ありがとうって言って欲しいものさ」
慰み者……つまりは娼婦というわけだ。果たしてその役目がユンゲラーに対してどれほどの需要があるかは不明だから、重労働をさせられていたのかもしれない。そう思うと……
「改めて……ありがとう」
こういわざるを得ない。だが、今度は状況を踏まえたうえでの心からの言葉だ。キルリアはそう言った感情は敏感に読みとってくれるはず。
「ん」と言ってキールは微笑み……
「それでよし、さ♪ やっぱりお礼は人として当然の行為なのさ。種族柄、言葉に心も伴っているとそれだけで嬉しくなっちゃうよね。それじゃあ、何か他に質問したい事は?」
案の定、キールはアサの感情をくみ取ってくれたようだ。キルリアの強みはいつだってありがたい。
「とりあえず最低限聞きたいことは聞けたよ。また、落ち着いたら質問することも出てくると思うから、とりあえず……お前が俺に質問したいことは……あるか?」
アサはキールの方を向いて言う……と、それに対してキールは微笑みながらこう言った。
「質問ね……十の質問をするよりも君のことをよく知る手段があるから……ちょっとの時間抱かせてもらうね。
僕のキルリアの中でも特別強い角の力も、これによって最高の精度が得られるからね」
「質問するよりも俺を良く知る手段かぁ……ええ、抱くぅ!?」
アサは驚愕する。
「はい? と、唐突にそんなこと……」
抱くって……この世界では出会ったら交尾ってのが常識な・の・か、などとアサが考えている内に、キールは断りも入れずに座った体勢からアサの体を寄せて抱いてきた。
まるで母が子供を抱くようだ。『母親のよう』と言いつつもアサの方がはるかに大きい体格をしていることはこの際気にするべきではないのだろう。
生卵を掴むようなな繊細な力加減で、胸を撫でるような髪も、腰を支える手もちょうど良い力加減。
こんな蒸し暑い環境も、その抱擁の前には特に気になりはしない。下手だったら暑苦しいともいえたのだろうが……言ったらせっかくの抱擁が台無しになりそうだ。
あぁ、興奮というか驚きで髭が逆立ってしまう……
「なるほど、なんか誤解されていたようで、変な感情を感じたけど……僕のことを信じてくれたみたいだし、君も信用に値する善人ってことがわかったさ。
お疲れさん……それに目覚めの力が草の限界値近く……シンクロ・めざパ草・記憶力の優れた種族……これはすごい逸材かも……」
キルリアは他人の感情を敏感に察知するポケモンだ。その能力は近づくことでより強まるらしい。直接抱けばなおさらのことだろう。
アサはそんなこともわからずに『抱く』と聞いて交尾を連想していた自分を恥ずかしく思う。
「それで……俺のことは信用してくれたってことか?」
「うん、文字通りさ。自分が信用に足る人間だって事は君自身が一番分かっているでしょ?
それとも……『自分はきっと裏切ります』って確信してる? それはすごいなぁ……」
キールはなかなか嬉しいことを言ってくれる。信用などされようはずも無い裸一貫の自分を信用するなんて、うまい話もあるものだ。もしかして、『キールこそが例の人買いだってことは無いよな』などと勘繰ってしまいそうなほどに……
「いや、その通りだよ。俺は信用に足る人間だよ……多分。とにかく信じてくれてありがとう」
ただ、人買いかもしれないと考えてしまうと、キールがとたんに怪しい者に見えてきて、少し近より難い。
「はは、僕ちょっと警戒されているね……。まあ、いっか。それじゃあさ、しばらく休んだからもう疲れの方は大丈夫だよね?」
キールは尻に突いた汚れを叩き落としてアサを見る。
「ん? ああ」
思案していて気がつかなかったが、僅かな会話の時間の間にアサの疲れはすっかりとれている。疲れが消えやすいと、話には聞いていたことではあるが、実際に体験してみると驚くべきことである。
「疲れていないならばそろそろ行こうか。今回の冒険のノルマはすでに達成しているから……てか、怪しむのやめてほしいのさ」
キールはいまだに怪しまれていることを感じて苦笑する。それでも、気に留めることなく立ち上がって、アサに向かって手を差し出した。
汗によって湿ったその手から伝わる温かみは、やっぱり、冷たい人間じゃないって信じたい、という気分にさせた。
「ところで、ノルマってなんだ?」
思案はそのままに、アサは差し出された手を取って立ち上がりながら質問した。
「一銭にもならないかもしれないけど……フローゼルから遭難者の情報……君の情報があったから来てみたのさ。案の定一銭にもならなそうだね~。
持ち物は本当にスプーン一本だけだし。時間無駄にしちゃったさ」
不満そうな言葉とは裏腹に、満足そうな表情と声色でそういうキールは、アサが助かったことを純粋に喜んでくれているのだろう。
アサが『いまどき珍しいほどにいい奴だ』と感じるのは、アサのいた世界が世知辛かったということか。
「目撃情報って、その目撃した奴はなぜ助けてくれなかったんだ?」
「さっきも説明したけど、倒れた遭難者は放っとくとモンスターハウスが発生するからなのさ。
あ、モンスターハウスってのはさっきみたいなポケモンが異常に群れをなしている状態のことさ。
さっきも説明したように、奴らは君の心のおこぼれをもらいに来ているのさ……だから、あまり近寄りたくないの」
「なるほど、助けに行ってミイラ取りがミイラになることもあり得るからか」
「そ、君は物分かりがよくて助かるさ。そうそう、僕にタダ働きさせたお詫びとして君ところどころに落ちているアイテムを見つけたら、拾うの手伝ってね」
笑顔を崩さず。だが、有無を言わせない口調でキールは言った。
「手伝うのかよ……」
「もちろん。タダ働きさせたのさ。それぐらい手伝ってよね」
「唐突にそんなこと言われても……」
遮るようにキールは再び微笑んだ。表情は穏やかだが、有無を言わせないように脅しをかけるような威圧感はさらに増す。
「分かった……」
キールは強かった。華奢(きゃしゃ)な体でありながら、PSIと、何処で覚えたのかも知れない格闘術で相手を一蹴していた。
アサはもちろんアイテムを回収して……荷物持ちをやらされている。色とりどりのグミの実の採集や、オレンの実にモモンの実と言った便利な実の採取など、結構な労働を強いられている。
「それにしても君って強いね。まだ見た感じ4歳ちょっとくらいなのに……エースランク探検隊クラスの力はあるんじゃないかな?」
キールにははるかに劣るがアサも戦って見た感じではだいぶ強いようだ。先ほどの戦いでもそうだったが、雑魚からの攻撃を一度も喰らっていない。
代わりにサイコパワーの出力には乏しいことが難点だが、キール曰く足手まといにならないだけ一般人をはるかに超えているのだとか。
「エースランクってそんなにすごいものなのか?」
エースランクと言われてもピンとこない。とはいえ、褒めている以上、そう悪い評価が来るわけがないことは容易に想像がきく。
「Fのフレッジリングから始まり、Eのエレメンタリー、D・Cと来てBのブロンズ、その上がAのエースランクさ。
僕は探検隊をはじめて始めてまだ1年だからBランクだったりするけど、既にプラチナランクに通用する強さは持ち合わせているのさ」
本当の話ならば、このキールと言う奴は大したものである。そして、低年齢であるアサ自身がそんな上のランク夢にも思っていなかった。
「そりゃ……光栄だな……て言うかお前は強すぎだ」
「でしょ? 僕も君も掘り出し物だって感じなのさ。おっと、下がってて……敵だ!」
やってきたキノガッサを念の波導で瞬殺……一匹や二匹ではキールに対して全く相手にならない。それは、アサにとっても同じなのかもしれない。
アサは敵に対して手も足も出さずに勝つことが出来る。もちろんそれは手も足も使わず念力を使っているなどと言うへ理屈ではない。
カブトプスが振り下ろしたカマを……
キールを無視して突撃してきた敵を、アサがとある事情で念力では防げなかったために見せた技だ。
「どうして……手を使わないのさ?」
「このスプーンを傷つけるわけにはいかないから……咄嗟に手が出ないように……そう考えていただけだ。でも、どうして俺はこんな技を使えるんだ? いや、今はどうでもいいことか。
それより、武器が欲しいんだけど……替えのスプーンなんて持っていないよね?」
「ゴメン……肉切り用のナイフしかないさ。ダメ?」
キールは肘と手首の間に取り付けていた折り畳み式の果物ナイフを差し出す。そのナイフの刃はどうやらエアームドの羽で出来ているらしい。
「ナイフではダメだ……スプーンは棒状の柄に放物線を描く先端があるからいいんだ。その放物線の焦点に当たる部分でPSIを練ると波導圧縮作用による波導粒子電離中性化作用でスプーン周囲に……」
絶え間なく紡ぎださせる意味不明な言葉に対する反応は勿論……
「分かった分かったのさ。聞いても全くわからないことが分かったからもういいのさ……ごめんごめん」
このように話を中断することである。
「とにかく、あの形状だからこそ強力な攻撃が出来るとだけ認識してもらえれば……特にスプーンが途中で曲がっているとその効果が高まることだけ分かればいいよ」
「分かった。もう何も言わないよ」
そんな他愛もない雑談・戦闘・そして適当な探索。その末に、さっき見たものと同様の階段がそこにあった。どうやら、不思議のダンジョンとやらはこれの連続でどんどん奥深くへと行くようだ。
「さ、改めて説明するよ。ここから次の階層へ行くことができるのさ。ここを降りると、念じた場所に辿り付くのさ。念じる先は……まあ、どこでもいいさ。
けれど、手をつないだり抱きかかえてる場合でもなければ、別々に入るとはぐれるから、順番に一人づつ入る時は僕の居る場所に行きたいと念じて。そういう念じ方をすれば僕とははぐれずに済むのさ」
「念じる……ねえ」
いまいちピンと来ない説明。やれといわれても、出来ているのか出来ていないのか非常にわかりにくいことも難点だ。
「最悪……はぐれるから気を付けてね。じゃあ、『僕の居る場所』を念じるんだよ」
キールは音をたてないのが不思議なくらいあっさりと消えてしまった。取り残されたアサは『一人でどうしろというのか?』と、途方にくれていた。
とりあえず……キールのいる場所、キールのいる場所……と念じながら階段の中の暗闇に一歩踏み出せば、さっき体験した階段と同じく、視界を灰色が塗りつぶす。
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「お疲れ様」
本当にキールが待ち構えていた。
「……お待たせ」
結局、景色はほとんど変わらない場所。これは眼が退屈になりそうだ。これが、キールのいう探検隊の仕事か。
だが、何事にも終わりは来るものだ。『階段を見つけては下る』そんなことを何回も続けていくと最後にワープゾーンとかいうものが現れる。キール曰くようやくゴールらしい。
もう時間帯は深夜だ……少し眠くなってきた。
「さ、ここからダンジョンを出ることができる。ここも階段と同様に、念じた場所に辿り付くよ。
念じる先は……僕たちの街だ……っていいたいところだけど、君は街を知らないからね。
階段と同じく僕の居る場所に行きたいと念じて。きっと上手くいくから」
「またか……」
さっきからこんな風に強引に付き合わされてばかりである。
「文句言わない。それとも手をつないでいく? 最初は照れる暇もなかったけれど……今は僕のことを男として意識しているんじゃない?
さっきは自分が男だったどうこう言っている割には、切り替えが早いね」
そう言ってほほ笑むと……またまた先に消えてしまった。どうしろと言うのだろう? と、アサはため息をつきながら再びキールの居場所を念じる。
謎の床に一歩踏み出せば、先ほどまで何回も体験した階段と同じく、視界を灰色が塗りつぶす。
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「美しき清流の町。スイクンタウンへようこそ。さあさ、大切なお客様、こちらへ付いてきて」
視界が晴れるとそこにはキールがいた。アサは連れられるままに歩いて行く。スイクンタウンと呼ばれるだけあって、水路がそこかしこにあって、深夜だというのに底が見えるくらい澄んでいる。
空気は嘘のように乾燥していて、さっきのジャングルが嘘のように涼しい。空気も負けじと澄んでいて、多くの家に備え付けられた井戸がこの辺の水の豊富さを物語っていた。
キールは水路の水を念力で持ち上げて、それを二つに分けると支えていた念力を消失させる。滝が降り注ぐかの如く水が落ちてきてアサはずぶ濡れになった。
「暑かったでしょ? いま、涼しくしてあげるさ」
キールは髪の毛についた水をぶるぶると震えるように取り去って、あとは念力らしきもので破裂させるように振り払う。
「確かに暑かったけど……いくらなんでもこれはないんじゃないのか?」
そう言ったアサの方にキールが指を向けると、アサの体についた水はじけ飛ぶように落ちていった。
もちろん湿り気が取れた訳ではないが、手と足の内側でしか汗をかけないユンゲラーにとってはむしろこちらの方が体温が下がって助かる。
人間のように汗をかけるというのは、いまさらながらにありがたいことなんだなぁと、アサはヒシヒシと感じていた。
「気にしない気にしない。どうせ君は、濡れちゃいけないものなんて持ってないのさ。
アサは、やれやれと思いながらも、その通りだなと認め、そんなことより、とばかりに質問をする
「分かった、気にしないよ。で、これから、どこに向かうんだ?」
「今は深夜……昼ならギルドへ戻るところだけど、今日はとりあえず僕の家に帰ろうと思う。寝込みを襲ったり、夜這いしたりしないから安心していいさ。
それともしてほしい?」
最後のセリフで、アサはヒゲが逆立つのを感じた。
「ほら、照れてる。今の髭の固さなら何か突き刺さるんじゃない?」
無邪気に笑うキールを見て、アサは質問を忘れてしまうのを防ぐため、流れを断ち切る。
「お前の家って、どんな感じだ?」
アサとしては『襲わない』の真偽よりもこっちの方が気になった。どうせ、明るい感情が好きなキルリアが襲ったりすることなど無いだろう。
例外として、アサが受け入れるという確信があるなら別だが。
「きめ細かな粘土を高温の炎で焼き固めて作った外装に、蝋を当てて防水加工を施したケンタロスの革のカーテン、
内部には柔らかい藁で編んだ寝床と、大事な本をしまう本棚を備え……」
キールはぺらぺらと喋り出して、口が止まりやしない。
「わかった、もういい。立派な家って言うのはわかったから」
ケンタロスの革って……材料に何を使って……などと、アサが考えていると、キールはぶつくさと不平を言っていた。
「む、カマドの説明もまだだし藁を発酵させた床暖房の説明もしてないのさ……最後まで説明させてよ。と言いたいところだけれど不満そうな感情しているからや~めた」
不満そうに髪の毛に隠れた口をすぼめて表情は子供そのモノで、ダンジョンで見た勇敢でかっこいいイメージとは似せても似つかない。
同一人物なのかどうか疑いたくすらある。
「はは……自慢の家ってか? お前の家には期待してるよ」
全部聞くと長くなりそうで、疲れたアサにはそんな長い話はごめんである。今度はこっちが説明を拒否することになるとは……スプーンの説明のお返しかと思うと可笑しい。
キールの家にたどり着いてみると、その家は粘土を固めて作ったレンガを組み合わせ、ドアや窓を嵌めこんだ様な簡素なものだった。もっとも、今まで見てわかる範囲では、他の家もほとんどがそんなものなのだが。
中を覗いて見ると、だらしなく散らかっていて、意外と掃除は行き届いていない。
「さ、今日は疲れたからもう寝るだけ。これが君用のベッドね」
そう言いながら、物置と見られる一室に行って、分厚い毛皮を二枚重ねたような敷布を床面に敷き、薄布を数枚重ね合わせたような掛布を持ち出した。
アサよりもずっと大きなポケモンを家に止めることもあるのだろう。それは2mはあるようなデカブツでもゆったり眠れるような大きさの寝具だ。
「おなかがすいて眠れなかったら、そっちにジュカインシードの塩漬けがあるから好きに食べていいよ」
ソレを敷きながらキールはアサの方を見もせずに言った。ジュカインの種なんてものを食べているのかと思うと、アサはまた複雑な気分になる。
だがダンジョンの中で喰わせられたものに比べれば……驚くことではない。
「いや、大丈夫だ」
ダンジョンを出る前に食料ならばたっぷり食べた。オムナイトとか、カブトの肉とかだったが。
どうやらこの世界では『ヤセイ』のポケモンには人権がないらしい。
「そう、よかった。じゃあ、僕はもう疲れたから寝るさ……お休み……」
キールは一瞬微笑んで寝具に寝転がったかと思うと、十数秒後には眠ってしまった。寝つきはずいぶんいいようだ。
マイペースな奴だ。しかし、親切で一緒に居て悪い気はしない。そして何より顔が可愛いくこっちから襲ってやりたくなってしまう。
そんなキールの隣で眠ることに、アサは抵抗などみじんもなかった。ふぅ、と息をついて横になると、心地よい睡魔が体にまとわりついた。
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しかし、今の状況どうしたものやら。唐突にこの世界に放りだされた俺は、一体どうなるのだろうか? それを予想するための参考になりそうなものは何もない。
また、不安から生じた言いしれない恐怖で、再び涙が出そうになったアサはキールを見る。大丈夫……だよな今はこいつに頼って……それで今後のことを決めようと、アサはキールを心の頼りにして、起こさないように、身長に手を握る。
キールがいると安心できるのは種族柄と言う理由だけなのだろうか? 見れば見るほど可愛らしいその顔のせいだろうか?
そのまま考え事を続けようとも思ったが、襲いかかる睡魔には勝てなかった。
「なんだか、大変なことになっちゃったけど……とりあえず、お休み。それと……ありがとう」
キールは夢の中でもお礼を言われたことを角で感じたのか、一瞬だけ笑った様な気がした。
「夢の中でも感情を感じているのかな? 俺の感謝の気持ち……だとしたらこっちも嬉しいよ……改めて、お休み」
どうやら今日はよく眠れそうだ。これが正真正銘で今夜最後の……お休みと、アサは呟く。
睡魔は疲れを味方につけて、あっという間にアサを心地よい眠りへと叩き落とした。
次回へ ?
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