シャロットの力による初めての時空移動。付き添いとしてシャロットがいない時渡りに、僅かながら不安を覚えた二人だが、途中までは特に何事もなく、快調だった。
未来に残したシャロットを心配に思いつつも、二人は未来でやることが脳内で渦巻きネガティブな結末を空想してはそんなことないと頭を振る。互いに不安を感じていないわけがなく、口を開けばその口調で、より恐怖や不安をあおられると思ったのか。
そんな二人の想いが、どうしようもなく会話を詰まらせた。
「……うおっ!」
眼前に現れた、膨大なエネルギーをもつ悪の波導。空中で足掛かりもなく身動き一つ出来ない状況で、コリンは避けられないことを悟り思わず眼を閉じた。
それでも、痛みが自身の体をいつまでたっても襲わないことに違和感を感じながら眼を開けてみれば、視界に映るのは大怪我を負ったシデン。
「……だ、大丈夫か!?」
声をかけてみてその様子を見たが、どう考えてもシデンは大丈夫と言える見た目をしていない。そう思うや否や、風――否、何かが二人を引き離そうと二人を、『道』の両側の壁へと吸い込んでいく。
シャロットが居ないことでこうまで変わるものかと、シャロットの有り難味を欲したが、すでに手遅れだ。
「は、放してはダメだ」
ぐったりとして吸い込まれるがままに任せるシデンは何も応えようとしない。その握力は卵を割れるかどうかすら怪しい。
「シデン……もう少し、何とか頑張るんだ!」
だが、コリンの握力はシデンと生き別れとなることを許すほどでは無い。それでも再度の波導が放たれた。先ほどと比べれば弱かったが、その衝撃が体を走ると、コリンの手の力一瞬休むことを許してしまう。
それでもまだ、離そうとはせず歯を食い縛る。だが、コリンの意識も徐々に薄れて、眼前がぼやけ、黒が視界を侵食する。
「ダ、ダメだ……」
腕の筋肉が攣り、激痛とともに掴む指先の感覚がなくなる。
「こ、このままだと……」
するりっ……手が離れた。
「うわああああああああっ!!」
悲壮と、痛み。その両方を込めた叫びが、二人以外誰も居ない空間に響いた。今散っていった涙は、一体どこに落ちるのだろう?
離れた手が、手が届きそうで決して届かないであろう隔たりを以って、無情に二人を引き剥がした。
その際、シデンが髪飾りに用いていた黄金の鳥の羽が神々しく光輝いていた。それは、コリンが暗転する景色の中に見た幻であったのかどうかは、定かでは無い。
◇
強烈な吐き気を催して、まず胃の内容物をすべて吐くことで、危うく窒息しかけながらコリンは目覚めた。目覚めてみると、そこには誰もいない。
「く……一人、か。まさか本当に……シャロットの予想が当たるなんてな」
シデンが居ればそれと分かるように書き置きの一つや二つしているはず。文字通り何も無いという事はやっぱり一人であるという結論に落ち着く。時間帯は暗いことから夜というやつであろうか。……が、神々しく輝く半月や星々が美しく、風がざわめく音も水が流れる音も、無音の世界に居たコリン達にとってはそれこそ五月蠅いくらいだ。
「大人しく寝かせてはくれないか……」
感慨に浸る前に片づける問題がある。どうやらここはダンジョンの中で、敵だけは多いようだ。時空移動の時に受けた傷は、当然まだ治ってはいないが、それでも体はなんとか普通に動きそうだ。
「こっちに来る前に食事もとっていなかったし……寝ていた時間も長いせいか、吐いたせいか……ちょうど腹が減っていたところだ」
このダンジョン、周囲の気配や匂いを探ってみる限り、虫タイプや毒タイプや鳥タイプが馬鹿みたいに多いようだ。俺にとっては嫌なところだが……こいつら事自体にそれほどの力は感じない。
コリンは舌舐めずりをする。
「それなら!!」
囲まれてはいるものの、まだ気絶してからそれほどの時間はたっていないのか、集まりが悪い。この程度なら恐れなければならないほどの数でも強さでも無かった。
横薙ぎに放った種マシンガンで全体をけん制し、それにひるんで歩みを止めた臆病なケムッソに狙いを定め、体を真っ二つになるよう踏みつぶす。敵は心を失っているから当然恐怖心も無い。だから一匹二匹を殺したくらいで戦意をそぐという効果は、不思議のダンジョンで期待する事は出来やしない。
しかし、コリンはそんな事は百も承知である。真っ二つになったケムッソの下半身を掴み、その血は勢いよく振りぬいてばら撒き、上半身の血は口に含む。
目の前に躍り出たムクバードに、口に含んだ緑色の血を吹きかけ視界を奪い、目を緑の血に覆われたムクバードはそのまま木立に激突し、首の骨が折れた。
こうして、機動力の高い最も厄介な脅威を取り除いたところで、後は地を這う雑魚のみがそこに残る。
片方のナゾノクサは先ほどばら撒いた下半身の血で片目が潰されていたために、視界不良に乗じて踵による踏みつぶして仕留める。
もう一匹のフシギソウは腕の葉で撫で切りにしてその命を刈り取った。
襲い掛かってきた四匹の敵を倒し、コリンは安堵の息をついて、改めて周りを見渡す。周囲には、多くの木の実。それも、都合のよい事に飲んだり食べたりすることで体力の回復を見込めるマゴやゴス、ナナ等、熱帯の木々が生い茂る森だった。
「ふぅ……ここは、ずいぶんとマゴとゴスとナナが豊富なのだな。俺は甘い物*1が好きだし……ちょうどいい。
敵も弱いし、ここなら拠点としても悪くない。シデンを……いや、クレアを見つけたらここに呼ぶのも悪くない……。
ああでも……シデンは甘いものよりも渋い木の実の方が好きだったかな……? 嫌いな物は俺と同じく酸っぱいものだからいいとして……」
コリンは散らばった死体を片づけてこれ以上敵を呼び込まないようにすることよりも先に独り言を漏らしながら作業を始める。まずはそこらじゅうに落ちているマゴの実を一口齧った。
コリンは危うく木に寄りかかりながら齧ろうとして、マゴの樹は気を付けないと皮膚がかぶれることもあるという事を思い出した。すんでのところでその身をひるがえす様に木から離れる。
安堵の息をつきつつ、改めて果実に牙を入れる。その果実には甘味だけでなく濃厚なうまみが含まれていて、みずみずしいけれど舌に絡みつく甘みがある。未来のダンジョンで僅かに入手できるのものより随分と美味しかった。
水分と味の濃淡の折り合いも絶妙で、中にある巨大な種が邪魔ではあるが木の実自体の大きさがそれほど小さくはないので不快は大きくない。
コリンは時渡りで大きく体力を消耗をしていたようで、これを食べる前は乾ききった喉がヒリヒリと焼け付くような感覚すらしていたが、治癒成分が宿っているその味を噛みしめると、喉を通って潤されていく感覚が知覚できると同時に、コリンは自身の体に活力が戻るのを感じる。
このころのコリンはもう、親友とはぐれた悲しみから吹っ切れていた。やっぱり、誰かが死ぬことや突然の別れのはもう慣れ切っているのだ。
「ふぅ……」
コリンは幅が広く良い香りのするナナの葉を千切り、数枚は敷物にする。座りこんだコリンは真っ先に、荷物の火の着くような強い酒を手に、擦り傷切り傷の傷口へと塗り込む。
塗った瞬間から患部に染みわたるビリビリと痺れるような痛みが襲い、コリンは歯を食いしばりながらその痛みが治まるのを待つ。
痛みが治まったところで、先ほど千切っておいたナナの葉の一枚の1/10にも満たない面積を口に含んで、ドロドロになるまで咀嚼した。
そうして噛み砕いたものを軟膏状にして、マゴの実の絞り汁と混ぜ、それを傷口に塗りこんで傷を塞ぐ。
消毒の時とは逆に、時渡り中の事故の痛みと時渡りの前で消耗した体力が共に傷口から溶けていくようだった。
応急処置が終わったコリンは、先ほど木の実の汁を飲んだ分だけでは到底水分が足りないと、顔も体も腕も、ベタベタに濡らしながら、握りつぶようにしてマゴの汁を絞り出し口に含む。
ムックルの血も飲んで水分補給すると、喉も大分潤った。
そうして、胸のあたりからじわじわと広がるくすぐったい感覚。治癒に有効な成分が効き始める感覚で、今までどれだけ疲れていたかが身にしみていく。
やっと体が落ち着いてきたことで、コリンは疲れで忘れてしまった腹を空かせていたことを思い出した。
木の葉の敷物から起き上がり、先ほど血を飲んだムクバードの死骸の羽根を毟る。初めての過去の光ある世界での肉の味だ。先程の木の実の味を思えば、どんな味がするのだろうと心躍らせ。コリンは思わず唾液を漏らす。
未来では岩タイプやゴーストタイプなど無機質なポケモンが
腹を掻っ捌いたコリンはまず、胃袋や小腸と言った栄養が最も貯蔵されている箇所から食事に入る。先ほどまでケムッソの緑色の血が黒ずみながらコリンの腕や顎にこびりついていたが、すぐに赤い血に上書き為されていく。
ムクバードの体内で消化されかけである木の実の味、肉そのもののうま味、血の味が口いっぱいに広がる。、そろそろ自分の胃袋も限界であることを悟ると、柔らかく美味しい肝臓へと体内を抉る手を移行してそれを取り出した。
引きずり出した時点ではいろいろな器官と腺で繋がる肝臓を腕の葉で切り離し、まだ暖かいそれを両手に湛えるようにしてひと思いにかぶりついた。
「ん……む」
咀嚼するうちに、解けるようにしてするりと喉に消えて行った肝臓の喉越しを楽しみながら、コリンは胃袋に含んでしまった空気を、静かなゲップで体外へと放出した。
過去の世界はこんなに暮らしやすいのだな――などと思いながら、再び先程のナナの葉の上に座り込んで小休止をする。
大いなる時空の乱れはまだしばらく起こりそうもないが……一応ダンジョンを脱出しておくべきだろうな――コリンは溜め息をついた。
ダンジョンに長居すると時折迫ってくる"何か"。それを大いなる時空の乱れと呼び、それに巻き込まれれば心の3精霊の力が乱れ理性が消え失せる。
つまり、『ナカマ』から『ヤセイ』になり下がってしまうのだ。
だが、それには予兆があるために相当運が悪くなければ巻き込まれることはなく、なお且つ今は予兆を感じない。
そう言う意味では安心なのだが、ダンジョンは安心して眠るような環境と言うにはほど遠い。
どうせこのダンジョンの敵は弱い……こういうダンジョンは階層も少ないはず。一気に突破するか――コリンはその力を存分にふるって敵を蹴散らし、今後の活動に備えて大量のマゴやゴスの実を採取しながらダンジョンを脱出する。
ようやくダンジョンの外に出た頃には、彼は肉体よりも精神的な疲れで、清水を湛える湖畔で喉を潤し血を洗い流したと思えば倒れこむように大木にもたれかかった。シデンのこと、シャロットのこと、ドゥーン達刺客のこと。すべてが気がかりで、心身ともに憔悴している彼には、まず休息が必要だった。
寝ているうちに、不意に瞼の裏ですべてが赤に緑を混ぜたくすんだ色――なんだこれは、と起きあがると辺りが眩しかった。
しかも、一瞬ではなく、ずっとずっとそれが続いている。イルミーゼやバルビートのようなポケモンに囲まれているのかとすら思ったが、しかし殺気も気配も無い。と、コリンは急いで起き上がった。
「あ……」
なんだあれは?
コリンは、身軽な胴体を木の上へと移す。マゴの木は触れた時に皮膚が弱ければかぶれるかも知れない事実もどこかへ置き忘れるようにして樹冠に上る。
今度はその上を跳躍しながら渡り、たどり着いた崖を垂直に上がる。突き出た岩を始点に宙返りして着地、振り向いたその先に見えた光景が、
言葉が出ない。
見たことない。
話に聞いたことはある。
もしかしてあれが……
「太……陽……?」
輝く球体が木の葉の海を照らしていた。緑色の木の葉達は、美しく照らす太陽光を照りかえし、元の色が緑であるか分かりにくいほど眩しく白く輝いて目に届いた。
空気中の水分を介すことで美しく模様づいた陽光が光の帯――サンライトフレアを作り、その光が朝靄によって一直線に進んでいることが自身の居る場所から確認できた。徐々に明るみを増す空が、黒から紫を呈していく光景が焼きついた。
涙があふれても、瞬きの一瞬すら惜しいかのように瞬きの回数が増えることなく、震えながら呼吸を荒げて崖の端っこに座り込み、コリンは仰ぐようにして太陽を眺める。
そうだ、絵を描かなきゃ。俺のキャンバスは? 画材道具は? そうだ、崖の下だ――目にも止まらないスピードでコリンは崖を往復し……荷物を広げる音が響く。
この旅には恐らく必要がない画材道具を未練たらしく持っていたコリンは、自身の荷物の中を漁る。時空移動の最中の事故のせいか筆は折れていたが、短くて使えないほどではなさそうだ。
それに、デンリュウの胃袋をキーの実の柿渋で加工して作った水筒も無事だったため、絵を描くために必要な水には困らなそうだ。
これを描かなきゃ……他に何を描けって言うんだよ……すごい。過去の世界は……こんなにも美しいものだったんだな――コリンは鼓動も呼吸も、長い道のりを走ったかのように速かった。
何故この時代に生まれることが出来なかったのかと運命を呪う余裕もなく。ひたすら美しい景色や、煩わしいくらいの音に対し色々な事を考え、感じすぎて、頭が破裂しそうだ。
その思考が、頭の中で抑えきれないかの様に、訳も分からず涙があふれ出していた。
その時のコリンは時間の感覚がおかしかった。太陽が動くせいで時間の感覚が訳が分からない。
夢中で書きあげている間に涙は枯れていた。そのせいで、コリンの眼は乾いて痛む。恐らく鏡をのぞけば相当ひどい顔をしていることだろう。それは、まさしく無我夢中と言うのがふさわしい。
太陽が沈みだす前に、その絵は完成した。夢中で書いたとはいえ、食事のことなど忘れ、休憩一つ取らずにこんな事をしたのは初めてで、書き終えたときにはどっと疲れが押し寄せてきた。
「はあ……出来た。なあ、シデン……これ、どうだ?」
コリンはキャンバスに手を翳してシデンの幻影を呼んだ。答える声はどこにもない。
そうだ……シデンはいないのだったな。目の渇きに気が付く前に気が付くべきだった――絵を描き上げた時のいつものセリフを思わず口走ってしまったことに、コリンは苦笑して、翳していた手を降ろし、さっさと諸々の道具を片づける。
行かなきゃ……道草を食っている暇は、本当は俺には無いのだからな。
声は出さず口だけを動かして、コリンは道を探した。
まずは自身の位置を確認するために最寄の町を目指し、そこでの情報収集を行う計画を立てる。
しばらく歩くだけでその道も割と簡単に見つかり、コリンは何喰わない顔でそこに合流する。
道を歩いていると、さわさわと若草が揺れる音の中に、最初はポツリポツリと、次第に声が重なって斉唱となった歌が届く。
労働の辛さを少しでも惑わすために、誰とも無く鼻歌としてもやのように発生し、いつしか一つの旋律として形を成し、果てには歌詞をつけて揃って歌うようになった。
誰が、歌い始めたのかソレは耳を済ませる必要なくコリンの耳に届き、今まで絵画と言う芸術に没頭していたコリンが、初めて歌に触れた。
それは、相手を眠らせる思念のこもった草笛や歌声と違い、自然に頭に入る穏やかな歌だった。
『春を迎えに仕事にかかれ 春の夜明けは北を見て 火の鳥見れば春が来る。
飛べ飛べファイヤー 春を携え われらに芽吹きを与えてよ われらは 声を送りよう
働けわれら種を播くんだ 草を刈っては山作れ 実りが苦労に報いるさ』
ああ、そうか。この世界には四季があるんだと思うだけで、コリンは心が躍った。春を運んでくれると言われている火の鳥の姿をした伝説のポケモン、ファイヤーをたたえる歌は、胸にすっと心地が良い。
歌を聴いているうちに四季というモノの移り変わりを描いてみたい。想像だけで書いていた絵なんて比べ物にならない絵が描けるんじゃないかなんて、コリンは使命以上にその思いが強くなる。
過去の世界の絵を描く事。それは、コリンの夢であった。それが今なら出来るのだと、朝日の絵を描いた事も忘れているのか、コリンは思う。
雨避けのしてある、黒い土――まだ土では無く、糞であろうそれから漂う匂いに顔をしかめながら通り過ぎる。左手で 恐らくは完成された肥を土に混ぜ込みながら歌っているポケモンたちを横目に見ながら、コリンも小さな声で歌う。
「雨を迎えに仕事にかかれ 雲の訪れ心待ち 雷鳥来れば雨が降る
舞え舞えサンダー 雨雲携え われらに雨を与えてよ われらは 祈りを与えよう
働けわれら苗を植えろ 田畑を耕し肥え入れろ 実りが苦労に報いるさ
夏を迎えに仕事に書かれ 緑に染まる山に向け 木霊を呼べば草育つ
遊べよセレビィ 草を育め われらに糧を与えてよ われらは 感謝をささげよう
働けわれら水を播け 獣掃えや畑守れ 実りが苦労に報いるさ」
あぁ……俺は本当に光ある世界に来たのだな。実りとは一体どのようなものであるのかなんて、歌ってみてコリンは更に興味を募らせた。
この様子だと、季節が来れば祭りや収穫というのも行われるのだろう。祭りなんて、時の停止した世界では行われない。ぜひ、その風景を描いてみたいじゃないかと、コリンは祭りの風景を瞼の裏に想い浮かべる。
サニーの日記によれば、トレジャータウンには、手繋ぎ祭りなるものがあるらしい。そこでサニーは、元救助隊のオクタンに支えられて探検隊になったアグニというヒコザルと手を繋ぎ、一日中連れまわしたのだとか。その日記の中には楽しそうな祭りの様子が記述され、未来世界にいた頃は星の調査団の興味を惹いた事である。
歌を口ずさむことでより確かになった過去の世界へ来たという実感を胸に、コリンは旅の者として街へと入りこんだ。
これから先、彼は自身をヴァイスと名乗ることを肝に銘じて街の喧騒を見回す。
街にたどり着くと、その喧騒はうるさいなどと言うレベルでは無い。街と言う場所には何か特別なイベントがあるわけでもないのに。星の調査団というコミュニティ連合をはるかに超えるような人数が、
未来世界には建物なんて飾りのようなものだから、食料を探す際に乱暴なポケモンが家ごと倒壊させて全ての街が廃墟になってしまった光景しかない。特に、街の中心にある石畳の祭壇は遠くからでもよく目立つ。四角錐の祭壇二つの間に、木の骨組で橋をかけられているそれは、何の儀式に使う物なのか。
未来世界で話にだけ聞いた祭りという物があれで行われるのだとしたら、何ともわくわくするではないか。
商店街とか言う場所は、特に目が回りそうだ。ごった返すポケモンたちの中で怒号のように声が響き。商談の声がやかましい。呆然として突っ立っていると邪魔だと突っぱねられ、ポケモン同士がぶつからないように歩くのが酷く煩わしい。
それに、虫が酷い。未来世界では、こんな風に露店をひらくこともなければ、季節と言うモノがないために虫がわくことも無かった。
虫が集まる場所は、食料品店全般で、薬草らしきものを売っている店は匂いのせいか虫が少ないから、そこで売られている者と似たような草を露店の骨組みからつりさげている食料品店がちらほら見える。
この世界に住む者はこう言った状況に慣れているようだが、コリンはまるで生まれたてのポニータのように戸惑いながら、たどたどしく歩くしかなかった。
この世界の地図はある。未来世界で大陸中のゴーストタウンになった銀行から大量の金貨をかすめ取ったから金もある……が、どうするべきか?
コリンはさんざん考えた挙句、大金はバッグの奥底に隠して、携行用の食糧を売っている店へ視線を向ける。
この店も香草がつりさげられていて衛生面には多少気を使っているようだが、それでも結構な数の虫は居る。
まぁ、細かいことは気にしていられない――と、コリンは店に並ぶ商品を見る。二度焼いたことで水分を極限まで減らしたパン――ラスク。
ガラス製の容器に詰められた、酒と砂糖にどっぷりとつかった果実やジャム。そして干すことで酸味が僅かに収まったウブの実を始めとするドライフルーツ。
それに美味しい蜜……甘い物好きなコリンにとってはあまりに美味しそうなので、コリンは一目見て口の中に唾液がたまる。
酢漬けの魚。コリンは酸っぱいものが嫌いなので頼むことはない。
チーズや
街に来るまでお金の使い方が良く分からなかったコリンだが、流石にここまでの商店街のやり取りを見て、金の使い方は学んだ。大丈夫、物を買うことは容易なはずだ。
「おや、旅の者かい? うちの商品はどれも長持ちで美味しいから、なんでも見て行ってくれよな」
ズガイドス……か――青を基調とした体の所々に灰色の岩のような部分が混ざる体色で、極端にに前傾姿勢な上半身と、重く頑丈な頭を支えるような巨大な尻尾を持ったポケモン。しかし、未進化のポケモンの割にはいささか老けている。
もうとっくにラムパルドへの進化が可能な年齢に達しているとは思えるが、わざわざ神秘の領域に通うことで進化することが面倒なのか、それともこの体の方が商売には適しているのか、もしくは愛嬌のあるこっちの顔の方が商売に向いているのか不明だが、ズガイドスである。
自分たちのいた世界では、ディアルガに頼るか、もしくは正気を失った『ヤセイ』になるかしかない進化という現象だが、普通に進化が行なわれるこの世界にあっては、如何に現在時空の乱れで進化が出来なくなっていると言っても奇異な存在だ。
「すまないが……この街って……地図で言うとどの辺にあるのか教えてはくれないか? あと、今日の日付を出来るだけ正確に……」
そんな奇異な存在に何かを感じたコリンは、早速以ってそのズガイドスへ話しかける。
「ん……構わんが、いったいどうしたんだい? 神隠しにでも会ったのかい? 随分と言葉も訛っているようだし……どっか違う世界からでも来たのかい?」
コリンが言うのも当然である。時間こそ止まって何年何ヶ月経ったか分からない未来世界だが、なんだかんだ言ってそこに生きる者達は何世代も重ねている。言葉が様変わりするのも当然で、コリンはズガイドスの店主の言っている事が少々聞き取りづらいし逆もしかりだ。
答えに詰まっているコリンを、店主は当たり前のように胡散臭い顔で見つめた。上手いいいわけも思い浮かばないコリンは話を合わせる。
「あ……ああ、その通りだよ。盗賊に襲われちまってね……金目のものはほとんど奪われちまってね。命だけは何とか見逃してくれたんだし、街へ行って食料を買うくらいの金は残しておいてくれたが……盗賊どもに川に流されてこの様さ」
と言う設定で、コリンはヴァイスとしての生活の第一歩を始める。
「そんなわけで、ここがどこかも分からないもんでな……金はないけれど、金をまけてくれとはいわねぇ、このラスク*2と砂糖漬けを買っていくから、ここがどこらへんか知りたいんだ」
保存食、と言ってもダンジョンに行けば先ほどコリンがそうしたように食料はとり放題だ。保存食を利用するのは、強さに自信がなかったり、護衛を雇えなかったりで、ダンジョンを避けてかなりの遠回りをして目的地へ行く者。その中でも、草食のポケモンは現地調達が可能なので、肉食のポケモンや、ここら辺の草が食べられないポケモンなどそれ以外の旅人にしか有り難がられない店だ。
何故って、ここは見たところ熱帯系の植物ばかりが生い茂っているから恐らく常夏かそれに近い。食糧は年中手に入るという事だから冬への備えのようなものも必要ないという事になる。
せいぜい、酒の肴や漁に出る時に味の濃いこれらの食品が好まれる程度であろう。
「なるほど……詮索しようってわけじゃなかったんだが……道ではなくこの街の場所を聞きたいだなんて変だと思ったからね。お尋ね者かなんかだと思ったんだよ、すまんね。
それにしても、そいつは災難だったねぇ。俺達がいる街は……一応この地図で言うとここら辺の町……シエルタウンだよ。お前さんがいたって言う森はきっとこのトロの森だね。トレジャータウン周辺では……『東の森』って呼ばれているようだけれど、聞き覚えはあるかい?
川に流された先がこのダンジョンでよくまぁ生き残れたなぁ……あそこにゃお前さんの弱点のムクバードやトロピウス……それに虫タイプもうようよしているって言うのに……」
店主はコリンの体を上から下まで見渡した。
「まぁ、筋肉の付きも悪くないから、それなりには鍛えているんだな。えっと……あとは日付かい? 今日は確か……10月の4日か5日だったかな?」
10月といえば春先である*3。もう少し南に行けば、コリンにはまだ寒い時期だろう。自分が地図上でかなり北のほうに飛ばされたことを思いがけずに感謝しながら、ホッと胸をなでおろす。
「ああ、そうだ……」
言いながら、包み紙にラスクを詰め込んでいた店主が、何かを思い出したように入口を折りたたんでいた油紙の包みを広げた。
「……ほらよ、遭難者にサービスだ。ってか、値切りしたって良いんだぞ? 皆していることだ」
コリンはサービスと銘打って、数個ほど加えられたラスクを渡され、それに笑顔で応える。
「ありがとうございます。不幸と幸運は一緒にやってくるものなんだな」
未来世界では恵まれていない者が多すぎて、それだけに奪い合いは日常茶飯事だった。こうして譲り合えるというのが、未来で調べた知識ではホウオウ教の教えだとか言うモノのおかげらしく、未来にはないその心遣いコリンは心を温めた。
「ところで……こういう奴を見なかったか?」
そう言ってコリンはシデンの似顔絵を差し出す。即席で描いたものだが存外似ているそれを見て、ズガイドスは首を振る。
「いや、見たこと無いなぁ」
「そうか……盗賊に襲われた時に必死の思いで逃がしたからな……まだ逃げているのかもしれないし……もしかしたら」
前半は嘘であったが、後半。『もしかしたら』からその先は本音であった。死んでいるかもしれないと。
「そんな事言うなや。まだ数日も経っていないんだろう?」
安心させるようにズガイドスは笑いかけた。
「……うん、そうだな!!」
その笑顔に照らされ、コリンも笑顔で応え、目の端にたまった涙をぬぐう。
「じゃ、俺は……行くからさ」
コリンは立ち去ろうと足の向きを変えた。
「あぁ、じゃあな。もう盗賊に襲われるんじゃねぇぞ」
「ああ、そう願いたいね……祈っていてくれよなおっさん。襲われなかったらまた買いに来るかも知れんからな」
「おう!! じゃあ、名前覚えておけよ。ロアっていうんだ。俺の店をよろしくな」
「俺はヴァイス。今度あったらよろしくな」
さわやかな別れの文句を交わすと、改めて過去の世界のありがたみを失わせてはならないと心の内に決め込んだ。耳の内に残る余韻が、いつまでもいつまでもコリンの気分を穏やかなものにさせていた。
さて……俺の居場所がトロの森の東側、シエルタウンと言う事か。西の火山帯の島にある闇の火口の歯車を回収するならまず、越えるべきは……うん、このダンジョンか。
あそこは火山帯のドス黒い土のせいで作物がまともに育たないからまともな暮らしをするような奴は稀で、島流しの刑に使われている……無人島に近いし、情報が届きにくいという点では、あそこ以上に優れた場所はない――と、コリンが思うのにも理由があった。
時の歯車を奪った場所は、一時的にだが時間が止まってしまう。そのような異常が起これば、ただちにこの世界の住民も動き出すであろう。そうなったら、コリンは動き難い。ともかく、情報の流出を防ぐためにもコリンはまず火山のダンジョンを目指すことにするのであった。
時間が止まっている世界では、海の上も歩いて渡れたが……この世界ではイカダを作っていくしかあるまい。
「いくら島流しに合った犯罪者とは言え……時が止まるともなれば、そこに住む者たちにはもうしわけない……まぁ、いいか。この世界は結果的に救われるわけだし」
誰にともなく呟いてコリンは先ほど購入したラスクや乾燥させた果実をあさり、一口噛み締める。
「すごいな……こんなに美味いなんて……こんなに美味い物がこの世界にあったんだな」
噛み締めたそれは、口に含んだ瞬間に濃厚な果実の香りが口いっぱいに広がり、唾液で柔らかくなっていくごとに味が舌の上に染みわたっていく。濃すぎる味はラスクがよい緩衝材となってくれた。
後にこれよりもずっと美味しい食べ物に出会うのであるが、保存食特有の味が濃い食品の印象は、いつまでもコリンの心に衝撃として残るのである。後に、コリンがいつになってもこの店を訪れたくなる理由はその味の衝撃をいつまでも忘れられないおかげだ。
◇
一つ目の歯車……闇の火口がある島へ行くには海を越える必要がある。時が停止している未来では海ですら歩いて渡れたものの、この世界では無理だ。
コリンとて、カナヅチではない。泳ぎも淡水ならば可能だが、塩水に長い間使っていれば命にかかわる上に、さすがのコリンも水平線の向こうまで泳ぐだけの体力はない。
そのため、シエルタウンを発ってから数週間の旅の後、造船の街で購入したイカダを作るためのロープ……固定するための鎹(かすがい)や釘、蝋などを持ち込み、材料となる森の木を切り倒していた。ここら辺は造船の街からかなり離れており、誰の土地でもないという事で手つかずの木が残っている。
だからと言って木を切り倒していいというわけではないだろうが、なりふり構ってなどいられない。即金で船を買うお金もあるが、あまり詮索もされたくないし、かといって奪うのもこの世界ではバツが悪い。そうやって考えた結果が、筏で寒流に乗って火山までたどり着くという選択肢である。何気に、未来世界でその器用さを絵画以外にも発揮していたコリンには、簡易な筏を作ることなど造作もない。
付近を流れる寒流は、黙っていても島流しの島に運んでくれると言われる急な海流だ。筏さえ作ってしまえば、きっと言葉通りになるはずであった。
「ふう……まだまだ時間がかかりそうだな」
春先と言う季節柄、コリンにはようやく活動可能な季節と行ったところか。しかしながら、暖かい空気を含んだ季節風の影響と、日差しや運動のおかげで存外に暑い。
徐々に作業によって体が熱くなるが、体の構造上葉っぱ以外からは蒸散出来ないので、胃袋で作った水筒の水を少量飲み、残った水を汗の代わりに頭からかぶる。
体にまとわりつく水が空へ旅立とうと、火照った自分の体から熱を徐々に奪っていくのを感じる。そうやって体温を下げてみると、コリンは汗をかくことが出来るシデンの体の便利さ、ひいては人間の体の便利さをしみじみと感じる。
汗をかける反面、塩味の効いた食事をとる必要があるからマイナスであるとは聞いたが、コリンには汗をかけることは憧れであった。
気持ちいい……体温を冷やすには水をかぶって影で休むのがよいが……栄養補給がてら日光浴でもしておこう――と、コリンは大きくため息をつく。
水は近くの淡水の清水が流れる川でいくらでも取れるから、どれだけ無駄遣いしても大丈夫だった。コリンは作業の合間に、四肢と頭や尻尾をめいいっぱいに広げ、木の字になって日光浴をする。
微動だにしない本当の植物は、これだけで栄養を賄えるが、動きまわるコリンにとっては当然のこと、これだけで栄養が足りるわけはない。
それでも、全身の皮膚から栄養が直に生み出される感覚は何物にも代えがたい満足感と幸福感を伴うために、過去に来て道中で初めて寝そべった時は、あまりの気持ちよさにこのまま死んでもいいとさえ思ったくらいだ。サニーの日記に、死ぬ前に光合成をしたかったという記述があるのも深くうなづける。
太陽の強い光の元で光合成が出来ることがこれほど気持ちの良いことだなんて、噛みしめなきゃ損だろう――なんて思っていたら、シャロットの顔が不意に思い出されて、コリンは早速ホームシックだ。
あぁ、シャロットにもこの強い光の中で光合成させてやりたかったな――なんて、この世界の時間をそのまま流さなければいけない理由の一つを噛みしめながら、コリンはウトウトと眠りについた。
そんなひと時の休息を邪魔するかのようにガサリと茂みが音を立てる。ただ、その前からおぼろげな意識の中で会話が聞こえていたから、心のない存在である『ヤセイ』でないことだけは分かっている。
コリンは危険ではないであろうことを予見し、ゆっくりと目を開けて音の主の方を見た。
「森の木が酷い事になっているザマス。いったい誰がこんなことをしたザマスか?」
ようやくはっきり聞こえる距離になって聞こえたその声は、声質から嘴を持つポケモンだろうと予想が出来た。
「ああ~、これをやったのってあそこで寝てるジュプトルじゃない? どうやら何か作っているみたいだけど……」
気持ちよく眠っていたために起き上がるのもおっくうだったが、無視するわけにはいかないだろうと、コリンは起き上がる。
声のしたほうを向き直ってみれば、一人は全身真っ黒な鳥型の体系で、頭部がテンガロンハット状になっているポケモン――ヤミカラス。
もう一人は晴れを祈る御呪いに使うテルテル坊主を黒くしたような体型で、大きな眼が特徴のポケモン――カゲボウズ。どちらも女性だった。
「済まんな。イカダを作っていたんだ。ここはみんなが利用する森だったか? だとしたら俺は、皆が利用する場所の樹を切ってしまったことになったわけだから……非常に申し訳がないが」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……量が多いものでさ。何に使うかによっては問い詰めたくもなっちゃうじゃない?」
こちらの二人はかわいらしい見た目をしているが、結構な力を持っていそうなことが、肌から伝わってきた。二人を相手にする事となれば、苦戦しそうだ。
エリックが前回過去に来た時と違い、今は時間が歪み始めた影響で進化が出来ないらしい。だとしても、ロアが進化できていないのは年齢を考えればやっぱり異常と言うほかないのだが、進化していないこの二人はその煽りを受けた者たちなのだろう――と推察しながらコリンは二人を見る。
「いやぁ~~木が倒れたおかげで樹冠の虫が取り放題ザマスよ。ほら、おいしいザマス、一人じゃ食べきれないザマス」
こちらのヤミカラスはずいぶん騒がしいやつだった。コリンも少し食べたが、彼女の言う通りぜんぜん減りはしない。
「あのねぇ……美味しいとか言われても私は虫じゃなくて憎しみの感情を食べるんだから、そんなこと言われても困るんだけど……聞いちゃいないね。
あ、それよりも……そちらのジュプトルさん。私たち財宝を探しているんだけど……心当たりは無い?」
「いや、そんな漠然と財宝と言われてもね……」
カゲボウズの女性が話題を持ちかけたことで、ヤミカラスの方も思い出したように饒舌になった。
「そうだったザマス。私は輝くものなら金銀プラチナ真珠に宝石、光り輝くものならば何でもござれザマス」
「私はこう……渋いくてわびさびのある財宝が好みなんだけれどね」
『光り輝く財宝』と言われて、コリンは時の歯車というものは何よりも美しく輝いていると思って、思わず知っているぞと言いたくなった。
もちろん、それは口に出すわけにはいかないので口をつぐんだ。
「すまん、心当たりが無い……と、俺も聞きたいことがある。クレアというやつを知らないか?」
その名を聞いても二人は心当たりが無いようだ。探検隊をやっているならば顔が広いとも思ったが、やはりそう簡単にはいかない。
やはり、まだこちらに来てから数週間ほど。あまり噂が広まっていないのも当然なのかもしれない。
「済まん、俺が探しているのはこういう奴だ」
例の似顔絵を二人に見せるが、やはり二人は見たことがないといったように首をかしげた。
「まあ、分からないなら構わないさ」
「ゴメンナサイね、力になれなくて。ところで、あなた名前は? もしあなたの言うような人を見かけたら、教えておこうと思うの」
「俺の名前はヴァイス。ヴァイス=ジュプトルだ。お前たちは?」
「私はエイミ。エイミ=カゲボウズよ。マックローって言うチームをやってるんだけど、これでもシルバーランクなんだ、すごいでしょ?」
シルバーランクと言う言葉を聞いて、コリンは舌を巻く。このかこの世界にある探検隊と呼ばれる職業の中でも中堅クラスに属する腕前だ。
やはり、それなりの力を持っているのであると納得出来たように頷いた。
「私はシルバーじゃ物足りないザマス。光り輝くダイヤモンドランクまでは行きたいザマス。おっと、申し送れたザマスね。私の名前はキリコ。キリコ=ヤミカラス、ザマス」
なんだかんだで、タイプのぜんぜん違う二人だというのに、それでも結構ウマが合う二人を見て、コリンはシャロットのことを思い出した。そう言えば、自分はなぜあの子と一緒にいたのであろうと考えると、正直分からない。
タイプが全然違うのに一緒に居たくなる感覚は説明しろと言われて出来るものではないから、『なんとなく』なのだが、それでは釈然としない。
そんな思案にふけってこのまま会話を途切れたままにするのもバツが悪いと、コリンは意識を会話の方へ戻す。
「じゃあ、もしクレアを見つけたらよろしく頼む。そのときはコイツ……この指輪をやろう」
コリンは未来から奪って持ってきた大粒のダイヤモンドがはめ込まれた宝石を見せつける。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ! 絶対に探すしか選択肢は無いザマスゥゥゥ。任せろザマスゥゥゥゥ」
キリコは俄然やる気を出したようで、叫び声ともつかない奇声をあげる。正直に言うととてもうるさい奴だ。
「はいはい。それじゃあも財宝の情報見つけたらヴァイスさんも私たちに情報を頼むわね。ほら、行こうよキリコ」
騒ぎ立てているキリコの翼をつかんでエイミはこの場を立ち去ろうとする。
「ああ、任せておけ!」
コリンは手を振ってその二人を見送ると、再び筏を作る作業に戻った。
未来ではみな生きることに精一杯だ。普通の場所では草も育たないが不思議のダンジョンでは手に入る。コリンやシャロットなど、草タイプに必要な日光も、すべての生物に必要な水もダンジョンでしか手にはいらない。
しかし、ダンジョンに侵入することは、闇にとらわれて『ヤセイ』になる危険性を含んでいる。だから『ナカマ』同士での隙を見ての奪い合いや、殺し合いも日常茶飯事だった上に、荒廃した未来ではダンジョン以外でも『ヤセイ』が出没することもある。ある日突然、、誰かが正気を失ってしまうことだってある。
それに対して、この世界はのんびりと出来ていい。本当に良い世界で、このままずっと目的を忘れて永住したいとすら思えてくる。だが、シャロットと約束してしまった身。約束なんて破ったところで誰も咎めやしないだろうが、流石にあまりに決まりが悪い。
結局、コリンは星の停止を防いで歴史を変えるという結論に帰結する。暦によれば、星の停止が起こるまではあと約二年。星の停止を防ぐアプローチを行う時期が早過ぎれば、歴史には修正作用が働く(シャロット談)から、早過ぎても遅すぎてもいけないと、程々の時間に送られたことが原因だ。
例えば、のちに歴史に残る大物となる者がコインの裏と表を当てるギャンブルに全財産をかけた場合、歴史を修正する作用がなければそれこと風が少し吹いただけでも世界が変りかねないように。悪戯好きなセレビィが時渡りと共に悪戯を繰り返しても世界の歴史が平穏なのはこのためである。
本当はもっとこの世界での生活を楽しみたいところだが、あの暗黒世界を全てブッ潰してせいせいした気分になろう……という目的も今はどうでもよくなってしまった。過去の世界は未来世界にいた時の想像よりも遥かに居心地が良い。ふと、コリンは麻薬を甘く見ていてやめられなくなった者達の事を思い出す。それはコリンが最も軽蔑していた人種だ。
過去の世界に順応して、このまま暮らしていたいと思う欲求がひたすら高まるにつれ、自分は最も軽蔑していた人種になり下がってしまうと思うと恐ろしかった。退くも進むも嫌な結果が待ち受ける今、どうすればいいのか分からずコリンはいきなり目的を失った。
そうしてコリンは、無気力な気分でイカダによる数日の旅に繰り出すのである。その旅路は決して楽なものではない。いくらコリンが器用とはいえ、所詮は船造りには素人である。そうして作られたコリンの粗末な船で、水平線の遥か向こうの場所まで旅をする。ほうぼう手を尽くして海流が書かれた海図によれば、黙っていてもたどり着ける火山帯の島ではあるが、いつその姿が見えてくるのかと待ち続けるのは気が気ではない。
だが、幸運な事に天にも恵まれたおかげで、つつがなく目的地へとつけたのはコリンにとってありがたい事であった。本来はいかだで出かけるような距離ではないのだが、過去の世界の天候を甘く見ていたコリンならではの暴挙というべきだろう。
そうしてコリンは風の霊峰や巨大火山と呼ばれるダンジョンがある無人島に足を踏み入れていた。
「まったく、炎タイプの温床かよ……俺に優しくないダンジョン構成だ……少なくともシデンがいてくれれば霊峰は楽だったのに……どこに居るんだよ……シデン」
別れたパートナーの名を呼び、その幻影を虚空に浮かべながら、コリンは肩で息つく有様になるまで疲労困憊して火山までたどり着いた。
疲れた分達成感は高いものだった。後は、火山に入り込むだけ――などと、コリンは軽く考えていたのだが、甘かった。
「熱っ……」
時間が止まった溶岩をわたるのならば、未来世界の溶岩は特に熱を持っているわけでもないがため、つつがなく渡ることが出来た。
そして、過去の世界の溶岩は熱いとエリックから聞いていたコリンだが、その熱さを舐めていた。こんなモノに指の一本でも入れたらたちまち黒こげだ。訓練の末、短時間ならば水上を走って渡ることが出来るスキルを持つコリンだが、こんな場所走っていくことは流石に不可能だろう。
どうする? 誰か一人炎タイプを雇わなければならないが、この島に流される犯罪者は一様に草タイプばかり……となると、外部から雇って?
しかし、時の歯車を奪う仕事を行うなど、どんな探検隊も出来ないだろう……金で動くアウトローな探検隊を雇うべきか。
よしんばそれで発見できたとしても情報が漏洩することで、未来からの刺客以外の者たち……たとえば保安隊とかも敵に回すのは非常にまずい。
こんなところ、草タイプじゃないからってシデンにも流石に不可能だ。……八方ふさがりか。
コリンは舌打ちして、入り口まで顔を突っ込んだ溶岩煮えたぎるダンジョンを去る。考えた末に、結局は無理だと悟ったのだ。
だとすれば、目指すはキザキの森。というよりは、結局今のところ入手が容易であるのは唯一、キザキの森だけとなった。
情報の漏洩を防ぐためと、殆ど人も居らず閉鎖された場所を目指したがコリンの予想は驚くほど甘かったか。溶岩と言うものがどんなものであるかをよく調べもしなかったことでこんな風に躓くとは、あんまりなお笑い種だと、コリンは自嘲して山を下る。いや、本来ならば調べる必要すらなかったのだ。
溶岩がどんなに熱かろうと、もらい火の特性を持つポケモンであれば涼しい顔で乗り越えられる。コリンが頑張らずとも、そいつらに任せれば全ては解決できたのだから。
水晶の湖や大鍾乳洞での時の歯車の入手法はまだ分かっていない。こんなんで大丈夫なのかよと、コリンには言いようのない敗北感が漂う。
その思いが、一層仲間に会いたいと言う欲求を滾らせた。シデンは、一体どこで何をしているのだろう?
結局、コリンは完全な無駄足となった火山帯の島を引き返し、再び寒流に乗ってオースランド大陸の北端である熱帯地域に筏を乗り捨てる。その後は水晶の湖がほど近い石英砂漠地帯へを突っ切り、西南西の大陸縦断山脈を越えた先にあるキザキの森を目指して旅路を急いだ。
9月11日
コリンとシデンが出かける前に合わせておいた懐中時計の刻む時間において同じころ、シデンは全く別の場所、少々過去の時間軸へと飛ばされていた。コリンを庇って攻撃を受けたことで、胸に風穴の開いたシデンは時の回廊の道に鮮血をばらまきながら意識を薄れさせていった。まだ何もしていないのにこのまま死んでしまうのかと、神を恨む。
死に向かって突き進みながら神を恨んで嘆き続けたら、シデンの体は恨みに呼応するように光輝いた。その光の大元は、彼女の唯一の御洒落である黄金の鳥の羽根。
それが不死鳥ホウオウの羽根だとはつゆとも思わずシデンは装着していたが、それが幸運と言うべきか。彼女の生きようとする思いはなんとか成就する事となる。その代償と言うべきか、ショックにより記憶を失い――彼女は今、意識も無いままに海岸に打ち上げられていた。
「呼吸良し、心臓良し……あとは意識が無いだけかなぁ」
ヒコザルの少年、アグニは荒い息をつきながら汗をぬぐう。砂浜の砂を盛り上げ、首の部分に枕を作って気道を確保し、飲みこんだ海水を全て吐き出させたら、口付けを交わすように人工呼吸。心臓はまだ動いていたので、心臓マッサージは放っておき、彼女の容体が安定した今は、とりあえず冷え切った体温をなんとかしようと、乾いた砂に埋めて炎でほどよく炙っておいた。
あまりに手慣れた救助を行うこの少年、海の道標である灯台守の両親の元で生まれ、海での救助は一通り習っていたのである。その両親は今どうしているのかと言えば父親が急激に体を悪くし、水を溜め続けた腹を膨らませて死んでしまったと思えば、母親も後を追うように重い病気にかかり命を落とした。
幼いころから冒険に憧れ、昔はそれなりの実力を持った探検隊であった父親から程々に鍛えてもらっていた日々がずっと続くと思い込んでいた彼だが、探検家としての実力が伴わないままに社会に出ざるを得なくなった。
そうして、ガラガラのリヴァースが経営する道場に就職して一人暮らしを続けていたアグニは、両親の死を期に使われなくなってしまったサメハダーの意匠を施した灯台岬に住んでいる。
朝と昼はそこで激しい嵐の様子を眺めていたのだが、その時はいつもより嫌に強烈な雷が落ちていたのは気になっていたものだ。
夕方、台風一過の快晴の元でアグニは外に出た。先日就職先が経営不振で潰れてしまったために、これからの職を探すためである。
両親の遺産はまだ残っていたが、それには滅多なことじゃ手を出したくはない。だというのに、道場で稼いだお金はもうそろそろ蓄えも尽きかけだ。
普通の職業に就いたっていい。でも、探検隊はやりたい。でも、探検隊をやるにしたって実力はともなっているのか? そう思うと、アグニはギルドの門を叩くためのあと一歩が踏み出せないで、今日もプクリンの意匠を施した探検隊ギルドの入り口で溜め息をつく。
このままうだうだ悩んでいるのもなんだし、海岸を走り込んで手に入れたすばしっこさと、長い事暮らして鬼ごっこで遊びつくした土地勘を活かして街の郵便配達でもなろうかと思いながら、とぼとぼとアグニは海岸を歩く。
「また、一歩が踏み出せなかったなぁ……もうオイラ、一生探検隊になれないかもしれないなぁ……」
この街では、クラブと言うポケモン達が夕暮れ時に泡を吐くという風習がある。泡を長い時間保たせる事は、旅人の安全祈願と商売人の繁盛祈願とされており、ホエルオー寒流高速便が造船の街の次に訪れる港町であり、交易品の集まる探検隊や行商の宿街であるここでは重要な観光資源にしてゲン担ぎである。
夕方に放つのも、潮風も浜風も吹かない夕凪の時間帯が最も泡が長持ちするからであるが、泡が夕陽を照り返す煌めきの美しさもまた価値の一つなのではないかと囁かれている。
「クラブの泡吐きかぁ……いつ見ても綺麗だなぁ」
その光景に見とれて、アグニはうっとりと呟いた。このまま波の音でも聞きながら、ゆったりと時を過ごしていたいとも思ったが、アグニはとんでもないものを発見してしまう。
ピカチュウであった。倒れている、嵐にでも会ってここに漂着したのだろうか? そんな事情は良いから、ともかくアグニは走り出した。こういう時の対処法は父親から習ったから知っている。死んでなければいいのだけれど、とアグニはピカチュウの元へと駆け寄るのである。
そうして、話はあの光景へと進んでゆく。倒れているピカチュウを、ヒコザルが介抱するあの光景へ。
とりあえず、水を吐き出させて人工呼吸をすると、すぐに彼女は息を吹き返す。
「呼吸良し、心臓良し……あとは意識が無いだけかなぁ」
後は意識を取り戻すのを待つだけであった。クラブが帰ってしまった海岸で波の音を聞きながら、アグニは炎で彼女を温める。そのままアグニが数分待っていると、ピカチュウは不意に意識が戻って目を開ける。
「……ヒコザル?」
曖昧な意識の中、回らない口の不明瞭な声だが、そのピカチュウは確かにそう言った。
「うん、そうだよ。目は正常に働いているみたいだね……良かった。自分の名前は分かる?」
「シデン……」
「年齢は?」
「三十四……」
「いや、有り得ないでしょ……せいぜい十四か五かそこいらじゃない? 記憶が混乱しているのかな……まぁいいや、腕に力は入る? オイラの指を思いっきり握って見て」
そう言いながらアグニはシデンの掌に自分の指を乗せる。
「う……ん」
そう言いながら、シデンはアグニの指を握る。力は入っているのだが言いようのない違和感……これはなんだと起きあがって見ると、胸に違和感、頭髪に違和感、尻に違和感、足に違和感、耳に違和感、要するに全身に違和感……
「わ、私の体……ポケモンになってる~~~!!」
突如完全に覚醒したシデンの絶叫が海にさんざめいた。
「ど、どうしたの? 君の体、どっからどう見てもピカチュウだよね? 目覚めたらピチューからピカチュウになって驚いたのなら分かるけれど……」
「い、いや……私は人間……私は、人間……そのはずなんだけれど」
「けれど?」
言っているうちに自信が無くなってきたシデンは言葉を詰まらせる。
「記憶が……ない……自分、何者?」
「お、オイラに聞かれても……どうとも言えないんだけれどね……」
「そ、そうよね……はぁ」
困り顔をするシデンに対してそれ以上の困り顔をされ、シデンは思わずため息をついた。
「しかし、なんて言うの……君、少し怪しいね。もしかしてオイラを油断させて騙そうとしていない?」
「え……そんな事は……」
「ふ~ん……まぁ、騙すために海水をたっぷり飲んで呼吸停止なんてする人になら盗まれてもその根性に感服するしかないかもね……」
ふふ、と微笑んでアグニは続ける。
「と、いうのもさ……最近、時空の乱れが原因だとかなんだとかで、心をかき乱されちゃう人が多いんだよ……時にはいきなり襲って来る奴もいるしさ……心を乱されると欲望に素直になるとかなんだとか……って言っても、愚痴なんどうでもいいよね。
ともかくさ……泊まる所無いならオイラの家に案内しよっか? 少しぐらいなら泊めてあげるけれど……体温もあんまり低くなくなって、なんだか元気みたいだし……自分で歩けるよね?」
「歩くどころか、体は飛び上がって叫び声を上げられるほど元気だよ……はぁ」
もしもシデンに記憶があったのであれば、生きていた事を喜ぶだけの余裕はあっただろう。歴史を変える使命という重荷が無くなったという意味では余裕もあるのだが、それとはまた違う。
死にかけた記憶すら無くなった彼女は、まず最初に感じた感情が驚愕、そして落胆であった。
とにもかくにも、シデンはアグニの家に転がり込む事になってしまった。それ自体は憂鬱な気分ではなく、むしろお礼にセックスの一つや二つでもしてあげようかと思っていた所だ。アグニは純情な少年なので断るだろうが、シデンにはそれが分からない。
未来世界に生きる者だったら、むしろ体を望むくらいの打算はするくらいが純情であるというシデンの歪んだ常識が基準なので仕方が無いと言えば仕方がない。
「それにしても……海を流されていたのに、私助かったんだ……運が良いんだなぁ」
「運が良いだけじゃないよ。オイラ、海に落ちた人の救助の方法は父さんから一通り習っているからね。まぁ、そんなオイラが近くにいたってこと自体運がいいのかもだけれど……
ともかく、オイラの頑張りを無視されたら酷いな」
得意げにアグニは笑う。
「そ、そっか……そうだよね。出来る時にお礼はするからさ……しかし、なんて言うのか……救助の方法なんてどうしてお父さんは知ってるの?」
「昔に探検隊をやっていたんだ。色んな時に、慌てないようにって……覚えておくべき知識をね。……オイラも探検隊に憧れていたものでさ」
そう言って、アグニは首にかけたネットに包まれた石の塊を手に取る。それに描かれていたのは何とも不思議な模様であった。雲のような柔らかい曲線の渦模様、鱗のような細かい模様の集まりで描かれる渦模様、さらに細かい潮のような渦模様、中心に円。いくつもの渦の模様が重なる不思議な図形で、見ているとなんだか吸い込まれそうな錯覚を覚える。
遠近感を狂わせる模様なのか、それとも模様自体に
「この謎の欠片をこの海岸で見つけた時、父さんにすごく褒められたんだ……オイラ、その時褒められた嬉しさもそうだけれど、自分がすごいって感じられる瞬間がすごく嬉かったんだ……『自分はすごい』ってね。
いつも、ただなんとなくのんびりと暮しているだけじゃ誰も褒めてくれないから……これを見つけて、なんだかオイラ始めて褒められた気がしてね……それ以来お守り代わりさ。
オイラはね、今でもあのときみたいに誰かに褒めてもらいたいし……何か歴史の残るような事をしたい。そう言う風に思いながら日々を過ごしていてね……だから、探検隊になりたいの」
「へぇ……それじゃあ、その石の欠片は大事な物なの?」
水を得た魚のようにアグニの瞳が輝き始める。
「そんな所……オイラにとっては宝物みたいなもんさ」
アグニは笑顔で頷いて見せた。それを、遠くで誰かが見ている。
「これがもし、何か考古学的に重要なものだったら……とか思うと、ワクワクするでしょ? そのワクワクを、達成感に変える……そのための探検隊。それで、立派な探検隊になるためには一人じゃ無理なこともいっぱいあるでしょ? だから仲間が欲しいし、仲間が困った時に助けられるように救助の方法を覚えたわけ。探検隊ならダンジョンに入ることも多ければ、ダンジョン以外の危険にだって一般人よりはるかに多く晒されるしね。
探検隊とは……全く関係ない所で役に立ったけれど……役に立ったから良いか」
そう言ってアグニは肩をすくめて苦笑する。
「そっか、改めて……助けてくれてありがとう。本当に、自分は君に恩返ししたいから、何かあったら何でも言ってね」
「ふふ、困った時はお互い様だよ…………ってお互い自己紹介がまだじゃない。オイラはアグニ、君は?」
思い出したようにアグニがそう言うと、シデンは記憶の片隅から名前を引っ張り出してみる。
「
かろうじて思い出せた自分の名前を口に、
「う~ん……ちょっと長いなぁ。ミツヤって呼んでも良い?」
「うん、構わないよ。アグニがそう言うのなら」
シデンは自分の名前にこだわる事はしなかった。『シデン』と呼ばれた方が、何だかしっくりくると告げる事も出来たが、アグニがミツヤと呼びたいのならばそうしようと。それが、後にすれ違いの原因となることなど、今のシデンには知る由も無い事であった。
海岸を歩いている最中、後ろからは修行でもしているのかと思うほど急ぎ足の二人。海岸で修行と言っても、砂浜の足場の悪さを気にする事のないドガースとズバットで、なにしに来たのやら良くわからない。
あまりにもずんずん進んで来るもので、アグニは眉をひそめながらそれを避けようと半歩左へ足を出す。しかし、それに合わせるように二人は位置をずらした。同時に、ではなく、アグニが動くのを見てからずらした。
あえなく、アグニに体当たりが見舞われアグニは海岸に尻もちをついてしまう。そして、性質の悪い事に首につけていた石の欠片を奪い取られてしまっていた。
「ケッ、宝物とか言っていたから価値のあるもんかと思ったが……逆光で見えなかったけれど、ただの石じゃねーか?」
「ヘヘヘ、良いじゃねーか、貰っとけよ」
下品過ぎて、度の強い酒をぶっかけて火にかけたくなるほど不快な声のドガースとズバットが、そんな会話を交わす。
「あ、何やってんだよ? 返してよ!!」
「やだね」
と言って、ズバットはクスクス笑う。
「ケッ、すぐに奪い返しに来るかと思ったが……なんだ、怖くて足が震えて動けませんってか? 意外と意気地なしなんだな……さっ行こうぜ」
そう言ってドガースはさっさと逃げて行く。
「あ、ど、ドロボー!!」
叫んでみたが、アグニは足がすくんでいた。
「なんで……こんなときまでオイラは憶病なんだ……」
二人の影が遠くなるまで立ちすくんで、アグニは自分のふがいなさに毒づきながらシデンに振り返る。
「ね、ねぇミツヤ。恩返しどうのこうのって言っていたけれど今……してもらって良い?」
勇気を振り絞ってそう言うアグニは、目が潤んで今にも泣きそうで。シデンは不覚にも可愛らしいと思えてしまう自分が居た。
「オイラ、あいつらを追うから……えと、その、ピンチになったら助けて欲しいんだ」
「え……あぁ、うん。分かった。それくらい、自分にはお安い御用だよ」
シデンの返事は気の無い返事。相変わらず、付和雷同の多い他人本位な性格は、ポケモンになっても治らないようである。
「と、とにかく……手伝ってくれるならありがとう。なるべく頑張るから、お願い!!」
そう言って、アグニは前を走り始める。シデンもそれに付いて行くように歩きの二速歩行から急ぎ足の四足走行へと切り替わる。
記憶には無いはずの動きだが、シデンは体が知っているとでも言うのだろうか、彼女は初めての四足歩行もつつがなく行う事が出来ていた。
四足歩行はつつがなく、電気も頬に意識を集中すれば使えない事も無い。ズバットとドガース、彼奴等が逃げたダンジョンの敵を蹴散らしながらの道中、シデンは人間よりも非常に身軽なピカチュウの体に対して段々となじんでいった。
襲ってきた桃色のウミウシ形のポケモン、カラナクシの放つ水鉄砲を予備動作で見切ると、前脚の爪を地面に食い込ませて急速に方向転換、斜め左に飛びのきながらカラナクシの側面へ。
腹這いという移動方法のおかげか、方向転換に遅れたカラナクシに飛び掛かると、そのまま突き立てた爪と噛みつきで嬲る。電気技以外の使い方がいまいちわからず、引っ掻きに噛みつきと言う原始的な攻撃に頼らざるを得なかったが、まごつくカラナクシに対してはアグニが蹴りでトドメを刺してくれた。
「随分強力な蹴りだね……」
まじまじと見てみれば、アグニの脚は毛皮によって見えにくくなっているものの、筋肉によって所々隆起しているのが見て取れる
「走り込みと蹴りの練習だけは毎日やっていたもので……」
シデンに褒められると、アグニは少々照れ気味に頭を掻いた。そう、アグニは攻撃の方は十分すぎるほど強いのだ。しかしながら、防御の方はお粗末としか言いようがない。と、言うよりは臆病が過ぎると言ったところか。シデンが先に相手の気を引き、その隙にアグニが攻撃をするというパターンが多く、アグニは見かけによらず火炎放射すら操る高次の攻撃能力の持ち主でありながら、退け腰の彼はあまり攻撃のチャンスをつかめないでいた。
それについての自らのコメントと言えば……
「ごめん……オイラ意気地なしで……」
せっかく高い攻撃能力も、シデンが敵に抱きついたりしている状況では巻き込まれるために使えない技も多い。サニーゴやカブトといった電気の通るポケモンに対しては、シデンが先に片付けてしまう事がしばしばあった。
才能はあるのにもったいないなと、シデンは溜め息をついた。
「探検隊ってダンジョンにも振る必要があるんでしょ? こんなダンジョンで躓いて……アグニは強くなりたくはないの?」
「そりゃ、なりたいけれどさ……」
歯切れの悪いアグニの答えに、シデンは肩をすくめてみせた。これは、未来世界ではよくやる教育法が必要かもしれない、
ともかく、このダンジョンは街中のすぐそばにあっても、子供だけでの立ち入りを禁止する看板と柵が一つあるくらいで、その気になれば簡単に柵を乗り越えて入られるようになっているあたり、あまり危険視されていないダンジョンのようである。闇が濃すぎるせいで敵も軒並み強くなっている未来世界からすれば羨ましい限りの話で、こんなダンジョンシデンのウォーミングアップにはちょうどいいくらいであった。
シデンはピカチュウになる事で発達した嗅覚を利用して彼奴等を追う。ズバットの方はともかく、ドガースの方はよく臭う。その匂いを嗅ぎながらたどり着いた先――
「ケッ……しっかし、これ本当に何に使うんかなー?」
ドガースが盗品の使い道が分からずに毒づいている。
「どっかの古物商に売ればいいんじゃね?」
そのボヤキに、ズバットはそう答えた。二人が呑気に会話しているところに出くわして、アグニはあまりに理不尽な二人の振る舞いに歯を食いしばって憤怒する。
「ドロボー!!」
と、アグニが声を上げて注意を引くと、二人は驚き振り返る。
「ケッ、一人で来やがったのか」
「おーおー、さっきの臆病な姿とは大違いだねぇ……で、さっきのピカチュウの女の子はどうしたよ?」
「ケッ!! 大方ママのおっぱいでも吸っているんじゃねーのか?」
シデンの姿を思い出してドガースは笑う。
「馬鹿にするな!! オイラ一人でだって、お前らを倒すことぐらいわけないんだ――」
そうやってアグニが勇ましく吼えていると、二人組の背後から微かに水音。ざばん、と海面が爆ぜたかと思うと、振り向いた瞬間には宙に浮かぶ山吹色に深紅のほっぺ。
「ギャァァァァァァ!!」
岩陰から躍り出たシデンが無防備な二人の脇腹に電気ショックを放つ。その電気の色は、アメシストを思わせる美しい紫色。非情なまでに電圧の高いそれを食らった二人の叫び声と電撃の音で、アグニのかき消されてしまう。
「もう死んでいいよ」
落ちたズバットを、シデンは海に放り捨てた挙句に胸を強く踏みつけ、強制的かつ思いっきり空気を吐き出させる。そのまま、踏むのを止めないせいで、ズバットは海水をしこたま呑み込んでもがき苦しんだ。苦しいだろうから楽にしてやるよとばかりに、シデンはそのまま電気ショック。
水中に沈んだままズバットは気絶した。放っておけば確実に死ぬだろう。
痛みで呻いていたドガースは、シデンの修羅の如き冷酷さを見て、体を浮かして逃げる準備。しかし、まだ体中の痛みが抜ける前にシデンは電撃で追撃をする。落ちたドガースを球技のように蹴り飛ばしてアグニの方に渡す。
「アグニ、ムカついたでしょそいつ? 目を抉るなりなんなり、自由に痛めつけちゃいなよ。深紅に染め上げてやればいい」
「え……」
そんな事を言われても、アグニには戸惑う事しか出来ない。
「どしたの? 食料の隠し場所を拷問して吐かせるとか? なら、自分も抑えるの手伝うよ?」
「い、いや……そういう事じゃなくって、そういうのはダメだよ」
「そういうのって?」
シデンは首を傾げる。常識的に考えれば殺すことがダメなのだが、シデンにはそれが分からない。
「殺す事……だけれど」
「なんで? あのゴミクズ生かす価値ないでしょ」
『人を殺しちゃダメだよ』と言おうとしたアグニだが、本当にわけが分からない様子で受け答えをしているシデンに対しては、何だか言っても無駄な気がした。まるでそれが当然であるかのように話すシデンは、常識が通じないと感じさせるに十分な態度である。
彼女は、人を殺しても後味の悪い気分や罪悪感に悩まされる事なんて無いだろうとか、そう思ったアグニの思考は当たらずとも遠からずであった。
シデンだって、殺してはいけない事くらいまでは流石に理解している。例えば、二人が食料が足りなくて切羽詰まっている少年だったら、ちょっとしたお仕置きくらいでシデンも許しただろう。しかし愉快犯と言うべきか、切羽詰まっている様子の無い二人が盗みに走るという事は、シデンの脳内では『殺されても文句は言えない』のだ。
確かに、シデンの言う通りあの二人組はゴミクズかもしれないが、アグニにとってはそれでも殺してはいけない気がした。ともかく、シデンに対して倫理的な綺麗事での説得ダメなら、伝家の宝刀とも言える台詞がある。
「おまわりさんに捕まっちゃうよ」
「おまわりさん……?」
オウム返しにシデンは聞き返し、アグニはそんなことも知らないのかと、眉をひそめる。
「あぁ、あれかぁ……悪い事をした人を牢屋に閉じ込める……」
「み、皆が皆閉じ込められるわけじゃないけれどね……一応」
言いながら、アグニはズバットを海から引き揚げた。呑み込んだ水は踏んで吐き出させる。人工呼吸はどうやらする必要がなさそうで良かった。
「ふぅん……まぁ、いいや」
けだるそうにシデンは言って、ドガースを持ちあげる。
「どっちにしろアグニ。生かすなら生かすで二度と刃向かう気持ちも起きないように完膚なきまでにやっておこうよ。
ズバット御自慢の鋭い歯が折れて、これから先は一生お粥が大好物になるくらいにさ……それにアグニ。そんな風におどおどしてちゃ何も変わらないよ……だから、私の補助なしで。
こいつを倒してみなさい……こいつはもう、フラフラだから簡単でしょ?」
「え、あ、うん……」
何を考えているのか分からないシデンの、意味の分からないこの言葉。もはや、アグニは戸惑う事しか出来なかった。
「そうね、ドガースの御兄さん。貴方はあのヒコザルを殺す気で倒しなさい。倒せたら、何もしないで無事にお家へ返してあげる……でも、このヒコザルの子に返り討ちにされたら……貴方の歯を全部叩き折る。それくらいの仕返しされる覚悟であんな小悪党やってたんでしょ?
そんな当たり前の覚悟もないのに子悪党をやっていたら、ごめんね、お詫びに死をあげる」
シデンが尋ねた限りでは、アグニは確かに強くなりたいと言った。それなら、強くさせるためには最適な手段である、『噛ませ犬を用意する』という方法がある。なに、弱らせた獲物を子供にとどめを刺させるというのは(未来世界では)良くある話だから何の問題もない。
シデンの見立てでは、アグニは強い。だけれど、苦痛に対する免疫が無さ過ぎて、敵に向かっていけない事が非常に多いのだ。
「あ、ちなみにアグニ……貴方がもし負けたら、貴方の前歯折るから。頑張って」
ならば簡単な話。『敵から怪我を与えられる苦痛を凌駕する苦痛を与える』罰を、ちらつかせてやればいい。
怖いから戦えないというアグニは、ご褒美よりもむしろ罰を与えられて伸びるタイプだろう。飴ももちろんあげないわけじゃないけれど、鞭の方がきっとアグニには有効だなんて、シデンは保護者の気分でそう思う。
そう考えたシデンの思惑通り、敵に一切の容赦をしないシデンから与えられる罰の宣言に、アグニは怖気づいて積極的になった。そして、積極的なアグニの動きはとにかく目覚ましく、言うなればまるで別人だ。
ドガースが毒ガスを吐くと、アグニはそれを吸わないようにバックステップで下がってから砂を蹴りあげ眼潰しを行う。湿った砂は顔にくっつき、拭おうにも手足の無いドガースには土台それは無理な事。全身からガスを噴き出してなんとか対処しようとするが、そうは問屋がおろさない。
波の音に阻まれたドガースは、なんとか目が見えるようになった頃にはアグニの現在位置を特定できず、そこへ容赦のないアグニの火炎放射が彼を包み込んだ。
いやはや、アグニもなかなかやるものだ。炎を食らって息も絶え絶えのドガースに対して、手に持った顔ほどの大きさの岩で後頭部を殴打する。
そうして撃墜させられたドガースを、さらに完璧に叩きのめすために、アグニは思い切り踵落とし。更に踏みつけへ繋いでドガースを気絶させた。
結局、かすり傷負わない無傷で、アグニは何の危なげも無く勝ってしまう。シデンからすれば十分に合格点を与えても良い結果である。
「すごいじゃん、アグニ。相手が弱っているとはいえ、ここまでうまく行くなんて思わなかったよ」
シデンは手放しでアグニを褒め称える。
「あ、ぁ……うん」
しかし、アグニは自分のしたことに罪悪感を感じていた。ドガース達は自分たちを捕まえてくれなんて警察に何かを頼めるような身分でもないだろうから、自分達がおまわりさんに捕まる事はよもや有り得ないだろう。
だが、保身云々は抜きにしたってここまで痛めつける必要はなかったとアグニは思う。
そんな思惑など知る由もなさそうに、シデンは手ごろな岩を持ち上げ、ドガースの口元に振り下ろした。鈍い音が響き渡り、クリーム色の穢れない砂は海は一部分だけ赤く染まる。恐らく、適切な治療を受けるまではまともな食事など到底不可能だ。
先程ズバットに対して行った例えではないが、しばらくは麦粥が大好物にならざるをえないだろう。
そんな、えぐい真似をしたというのに、ふーっなんて爽やかな溜め息だけがシデンから漏れる。振り向いた彼女は綺麗な笑顔をしていた。
「さて、アグニの家だっけ? さっきは前歯折るとか言ってごめんね……君が強くなりたいっていうから、自分……ちょっとお節介焼いちゃった。
嫌なことから逃げるためなら、アグニも全力で戦えると思ってさ」
「あ、あぁ……あれはお節介だったのね、うん」
なんだか釈然としないがアグニは無理矢理自分を納得させる。アグニの問いかけに対して、シデンは控えめに頷いて続ける。
「恩返ししたいって思ったから……その、あんな風にけしかけてみたら、アグニってきちんと戦えるじゃん。アグニは強いんだからさ、もっと自分に自信を持ってさ……戦いになったらバンバン前に出て行くといいよ」
「あ、ああ……うん」
シデンは、飴を与える時間へと突入する。と言っても、シデンが与えられる飴はただ一つで、褒め言葉だけしか与えられないが、褒められたいと言っていたアグニには効果的じゃないだろうかなんて、シデンは安易な思考で考える。
「さっきのダンジョンは確かに君の苦手な水・岩・地面タイプが跳梁跋扈していた。けれど、大して難易度の高いダンジョンでもなかったわけだし……痛みを恐れるのは良い事だけれど、恐れすぎは禁物。草結びを覚えるなりなんなりすれば、水、地面、岩の全てに対応できるわけだし、そうやってどうにか対処する術をつけた方が良いよ。
それに何よりも、痛みから逃げるのは大事だけれど……でも、痛みに対しては抗おう。探検隊とか言うのがどんな仕事かは知らないけれど、ダンジョンによく入らなきゃいけなかったり、意気地無しでは勤まらない職業だっていうのなら……痛みにあらがう事は大事なことだよ」
そして、褒める事も大事だが、否定的な意見も忘れてはいけない。理想はサンドウィッチで、褒め言葉を上下に据えて、注意点は真ん中に挟む。
「でも、勝つために砂や波の音を利用したのはとっても良かったよ。自分が支持するまでもなく、きちんと勝ちに行けている……アグニは才能あるよ、絶対に」
最後にシデンは笑顔で締める。
「えーと……その……ありがとう」
果たして、シデンの飴はアグニに喜んでもらえたようである。少々頬を上気させて笑むアグニの顔は、その表情そのものに幼さが抜け切れておらず可愛らしくて、シデンはまたもや保護者のような母性本能をたぎらせた。腐っても三十四年ほど生きただけの貫録はあるということだ。
「なに、命の恩人に対して、これくらいなんてことないよ。前歯を折るなんて言っちゃったけれど、あれも君のためを思っての事なんだからね……ダンジョンでの動きを見ていて、君には必要ないって確信していたんだから。
その才能を活かすも殺すもアグニ次第なんだし……だからアグニ。もっと自信を持ちなさいよ」
「う、うん……」
アグニはちらりとドガースとズバットを見る。自信を持てと言われて彼奴等を見てみたが、血まみれの顎を見ていると自信よりも
そして、憐憫の次に思い浮かぶのはシデンの気性。
名前を名乗る前(名乗る馬鹿もいないだろうが)にやられてしまったドガースとズバットの二人を徹底的にやるという残虐性もあるけれど、助けようとしてくれた事。シデンがここまで付き合ってくれたはたしかである。恩返しをしたいという気持ちは本当だろうし、頼まれていないことだって(流石に前歯を折るという脅しはどうかと思うが)やってくれる。
「そう……」
色々鑑みるに、今のシデンは逸脱した常識の持ち主だけれど、本質は悪人とは思えない。やり方次第では……きっと心強い味方になるだろう。シデンに恩返ししたいと言われている手前、間髪いれずにこんなことを頼むのは少し卑怯な気もしたが、アグニは聞くだけ聞いてみる事にする。
「ねぇ、ミツヤ。働くとことも無いんでしょ?」
爽やかな笑顔を向けて、アグニはシデンに問いかける。
「別に、ダンジョンに潜って食料とればいい話だし……」
未来世界よりも随分と簡単な過去のダンジョンなら食料に困らない。その通りだが、そう言われてしまうのはアグニも予想外で、少々口が止まってしまったのは御愛嬌だ。
「あ、いや……と、とりあえずね。もしよければ、オイラと一緒に探検隊をやろうよ! よければで良いけれどさ」
爽やかな笑顔は崩れ、少々引きつった笑顔で、アグニはシデンへそう告げた。
コリン「ケムッソうめぇ」
サツキ「ひえぇ……ぶるぶる(僕の登場まだずっと後なんですけれど……)」
次回へ
最新の12件を表示しています。 コメントページを参照