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心機-きっかけ-

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心機-きっかけ つながりの諧調 ―― Link the Heart 


はじめに:
 融和の後日談です。世界観と登場人物の状態を引き継いでおりますので、お暇があればお読みくださいませ。

作者注:
 官能的な表現が大半を占めます。 よい子は見ちゃダメ。

 オッケーな方はどうぞお進みください。

Writer: 水鏡 @GlaceonJ



Day 01 


 トレーナーカードを手にした俺は、誰に言うでもなく、ひとりつぶやいた。
「貰えるもんなら嬉しいが、ちょっと俺には大きすぎるかもなあ……」
 ポケモンセンターでの一件が終息し、現在は建て直しがおこなわれている。俺たちが派手にぶっ壊してやったからな。センターから救出した彼らも、この家に馴染んできているみたいだ。
 だが、今回の功績が認められ、それに乗じて勢い良くトレーナーライセンスを貰ってしまった結果、駆け出しトレーナーをずいぶんと飛び越えて、『ブリーダー』の肩書きを名乗ることができるようになってしまった。詳細を調べてみると、“ポケモンとしての生命を尊重し、その自由を全うさせる資格を持つ者”らしい。なんだか抽象的すぎてわかりづらいが、世間では、いたずらにタマゴを授かるべからず、とか、途中で世話することを投げ出すべからず、とか、そういう風に解釈されているようだ。俺くらいの知識量なら誰でも持っていると思うんだがなあ。
 で、俺にとって肝心なブリーダーという職業の大まかな業務は、ポケモンを預かる仕事を個人で経営している連中も居る、という話も聞く。俗に『育て屋』を名乗ってるらしい。食費が莫迦になんないだろうよ、こういうの。
 他にも、時間に余裕のないサラリーマンが授かってしまったタマゴとか、交配予定のあるポケモンを預かって産まれたタマゴとかを引き取って、代理で孵化させる業務を取り扱う経営者が居たりするらしい。何キロメートル何百円、という感じに。
 そんな俺の肩書きは、不思議なことに、どうしてか警察庁公認だ。資格ってことは、それだけでメシを食っていける大きなものであることは理解してる。だがそもそも、俺自身から直々に申請した覚えがない。たしかに『持っていれば安心』と言われた記憶はあるが、それが勝手に推薦で選考されて『プレゼントですハイどうぞ』なんて渡される俺としてはびっくりたまげたもんだ。面接なんてやった覚えが――いや、たしかに受付での口頭質問ならさっくり答えたけど。まさかあれが試験だったのか? それにしてはいくらなんでもガバガバ過ぎるというか……まあ、今となっちゃどうでもいいが。
 受け取ってから五日が経つが、生活に劇的な変化が表れたわけでもなく、トレーナーとして何か責任を押し付けられるということもない。正直、俺にはまだ実感が湧かない。ああ、新しい仲間たちは増えたけどな。お陰で食費が今までの二倍必要だ。
「変わっても、変わんないのかもしれないけどな」
 トレーナーカードを財布に仕舞い、居間のテーブルに置くと、反対側にはお腹を見せて四肢を投げ出すシャワーズ――彼にはリュリィと名付けた――が横たわっていた。
「リュリィ、大丈夫か?」
 リュリィは力なく尻尾を動かす。シャワーズは体の細胞が水の分子に似ているといわれているから、気温の高さを強く感じるのだろう。今日は特に、日差しが強い。
「まあ……ここ山ん中だから、夕立が来れば涼しくなるさ。水風呂なら用意できるぞ」
 お。どうやら冷たい水を浴びたいらしい。むっくりと、だるそうに体を起こした。口を開けて息をしているあたり、負担は小さくないようだ。こういうやつには、手を差し伸べてやりたくなる。
 リュリィと一緒に風呂場へと移動すると、外では鳴き声が響いている。この季節に元気が良いのは、葉緑体を宿すハヅキと、体内で炎を生成できるブースター――彼女はセナと呼ぶことにした――だろう。様子を見ることは必要かもしれないが、遠くにさえ行かなければ問題は無いはずだ。あいにく俺は、炎天下に外出する勇気は持ち合わせてない。
 蛇口を捻り、しばらくの間、温まってしまったお湯を流す。手で触り、冷たい水になったことを確かめ、栓をする。浴槽へ打ち付ける音が、じゃばじゃばと水音に変わっていった。
「氷ならあるからな。遠慮するなよ」
 しかし、リュリィは首を横に振る。今でこそ満足に過ごせないのに、冷たい水に慣れすぎると、生活が困難になってしまうからだろうか。
 リュリィは浴槽の縁へ前肢を乗せ、後ろ足で蹴ってバランスよく乗る。そのまますとん、と浴槽の中に入り込んだ。
 落ちてくる水を頭からかぶり、目を細めてとても気持ち良さそうだ。見ている俺も、時間を忘れて和んでしまう。
 すると突然、リュリィがカランの方向を変えた。
「お? もういいのか?」
 リュリィの体が半分ほど浸かるくらいまで、水は溜まっている。こぼれ出る水がもったいない。俺は蛇口を閉めた。
 尻尾のヒレで水を掻いたり、仰向けに寝転んでぶくぶくと泡を立てたり。体温が水道水に近くなったことで、元気を取り戻したのかもしれない。沈んでいた表情も柔らかくなっている。
「好きなだけ潜ってていいからな」
 そういえば、サンダースのレキはどこに居たっけか。居間と台所に姿は見えなかったはずだ。
 俺はリュリィにひと声かけたあと、風呂場をあとにした。

   ◇◆◇

「僕が全力出したら、セナ怪我するでしょ」
「構わないからやってみなさいって言ってるの」
 相変わらずこの子は思慮深いと言うか、単に怖がりなだけと言うか。そのあたりがまた可愛らしい。あたしはハヅキと向かい合い、ユウの攻撃に負けないような打たれ強さを会得しようと目論んでいた。
 あの二匹は怪しい。センターでの一件以来、ユウとハヅキの二匹を見ていると、どうもただの仲良しとは言えない雰囲気が漂っている。ハヅキは妙ににこにこ笑って、ユウをちらちら見ているし、ユウは呆れた目をしながらも頬を緩ませ、ハヅキを気遣っている。あれはどう見たって、明らかに意識している。
 あたしはハヅキを強制的に庭に連れ出して、ユウを超えられるような力をつけたいと思った。というより、もっとハヅキと一緒に居たかった、のほうが正しいかも。彼に振り向いてもらいたかったのかもしれない。でもあたしは、この衝動がどこから来るのか、あたし自身でもよくわからない。
「僕、責任とらないから」
「つべこべ言わずに」
 あたしの言葉に、ハヅキは一つため息をついたあと、目つきを変えた。凛とした一瞬は、ちょっと、見惚れた。
「いくよ、一本目!」
 葉が一枚、あたしへと向かってきた。息を吸い込んで、酸素を燃やして炎に変え、全身にまとわせて迎え焦がす。
「二本目!」
 今度は二枚向かってきた。左右から曲線を描いて、交差するような軌道だ。溜めている炎の勢いを崩さないように、横回転しながら振り払う。日差しを味方につけて、あたしの体温はぐんぐん上がっていく。
「三本目!」
 さらに四枚が現れる。そのすべてを迎撃する。
「四本!」
 さらに葉が増える。この動作を長らく繰り返していた。


「十四!」
 ハヅキもなかなかタフだ。あれほど葉っぱを舞い踊らせながら、息が上がる素振りすら見せない。
 それと対照的に、あたしはもうへとへとだった。
「きゃうっ」
 背中に痛みが走った。息が上がって、うまく炎を生成できない。葉の凶器は数え切れないほどの多さであたしを狙う。
 とっさにその場から横っ跳びをし、地面を転がりながら避ける。残り少ないスタミナで、できることはこれだけしか無い。
 葉の擦れ合う音が地面に突き刺さる。これで、軌道外に出た、はずだった。
「ごっ」
 つかの間の安心感は、鋭利な葉によって刈り取られた。額に衝撃が走り、あたしの視界が一瞬だけ暗くなった。
 もう、動けない。無理だ。お腹を見せて四肢を投げ出せば、降参の合図と受け取ってもらえるはず。
「セナ!」
 ハヅキが近寄ってくることがわかった。
 荒い息が止まらない。ぜえぜえと早い呼吸をして、四肢の力が入りづらい。見えている景色も、なんだかぼやけている。普段思っている限界はとうに超えて、思っている以上に体への負担が大きかったみたいだ。
()っつ……ちょ、ちょっと、休憩……はぁ、はぁ……」
「無理しちゃダメだってば。途中でギブアップすればよかったのに。じっとしてて」
 それだけ言うと、ハヅキはあたしの顔に急接近する。
 や、近いよ、ハヅキ。
 驚きと戸惑いが渦巻く最中、あたしの額に何かが這うような感触がした。それも複数回。
「ハ、ヅキ……?」
 瞬きを数回。彼の笑っている顔は目の前にある。あたしは何をされたのか。いや、まさか。でも、そんな。
 舐められた、の……?
「これでよし」
 突然の接吻。もうそれしか表現のしようがない。ハヅキの舌があたしの額を舐めて。それから、それから……。
 体毛が赤かったことをありがたく思った。頬の赤みは、きっと悟られていないはずだ。緊張する鼓動か、疲れている呼吸かは、もう判断できなかった。
「背中も怪我してる。もう……」
 ハヅキの不満気な声が聞こえたあと、あたしの背中に同じような感覚が伝わってくる。
 ああ、なんだろう。額を舐められるときには感じなかったけれど、ハヅキのざらざらした舌が、なぜか傷口に優しい感じがする。痛みが消えていく。
 ということは、ハヅキはあたしの怪我を少しでも軽減させるために、彼が治癒力を分け与えてくれたのかも。つまり、さっきの行為は接吻なんて意味はまったく無くて、彼の純粋な慈愛の気持ちだったのか。
 邪な考えを巡らせてしまったあたしが恥ずかしくて、ハヅキと顔を合わせられなくなった。
()っつぃー……あら、セナ、ハヅキ。こんなところに居たの」
 きた。最強生物。悪い意味でタイミングが絶妙。
 ハヅキの感触に浸っていたかったけれど、ユウの声が聞こえたあたしは反射的に体を起き上がらせた。
「セナに付き合わされてさ」
「あんた、牝の子をいじめるって何事? セナ、疲れてるみたいだけど、大丈夫?」
「あ、あたしは平気。別に、気にされる程度の、ものじゃ、ないし」
 ユウはあたしをじっと見つめている。呼吸はだんだんと落ち着いてきていて、怪しまれるほどではないはず。それでも息は続かずに、言葉が不自然に途切れてしまった。
「いじめられたのは僕だよ。なんでずっと葉っぱを一点に向かって飛ばさせるのさ」
 はぁ、疲れた、と言って、ハヅキはお腹を伏せてあくびをついた。
 あたしとハヅキを交互に見るユウだったけれど、納得してくれたのか、頬を綻ばせた。
「こんな暑い中でトレーニングって、あなたたちはどんな高みを目指してるの」
 すると、今度はハヅキが食ってかかった。
「ユウが言えたこと? 左前肢()ひとつで炎のパンチを相殺したり、自分から炎の渦の中に入って行ったりしてさ。どんなトレーニングをすればユウみたいになれるのか、僕にはさっぱりだね」
「悪かったわね、型破りなエーフィで」
「誰もそんなこと言ってないって」
 やはり、この二匹は仲が良い。それ以上に、相手のことをよく知っているというか、どう挑発すればいいかわかっているというか。傍から見ていてにやにやする。
「あのさあ……二匹とも、仲良しね」
 あたしの言葉に、二匹ともから振り向かれた。一瞬の後、ユウとハヅキが同時に向き合う。
 やばい、この二匹、息ぴったりだわ。
「誰がこんなのと」
 鼻を鳴らしてそう言ったのはハヅキだった。ちょっと意外。
「ちょっとハヅキ。こんなのって何よ」
「そのまんまだよ。技が出せません、なんて嘘でした、これが現実です、ってよ。ほんっとわけわかんない」
「言いたい放題よね、あんたは。教えてほしいのは私だって同じ。まあ……きっかけは、思い当たるけど」
「そのきっかけが、一匹のポケモンとの出会いってのがねえ」
 口を歪ませるハヅキの意味深な言葉に、あたしの耳が動いた。
「出会い? 何かあったの?」
 ちょっとハヅキ、なんてユウが囁いてるけれど、聞いてしまったあたしとしては興味津々だ。誰と誰が出会って、その後こんなことがあって、なんて聞き捨てならない。それがきっかけだというのなら尚更だ。進展があったのだとしたらテンションは青天井だ。
「はあ……あの、セナ。勘違いしないでよ? ただちょっとした模擬戦をして、反省会をしただけなんから」
 そう言うユウは、少し恥ずかしそうに口を尖らせている。前置きをしてくるあたり、もしかしたら、ひょっとするかも。
「いいじゃん、いいじゃん。何があったか聞かせて」
 ユウがもう一度ため息をついたあと、ハヅキをひと睨みして、話してくれた。
 名前はナッツ、種族はマニューラというポケモンみたい。その頃のユウは、主人と一緒に基礎の攻撃手段は鍛えていたものの、まだ闘いの流れや勘なんて縁が無く、吹っ飛ばされたり串刺しにされたりで、踏んだり蹴ったりだったらしい。
 その最中に、技らしい技が出せたのが始まり。強くなりたい、そう願ったら、目覚ましいくらい力が伸びてきたみたい。それから先もずっとセンターに罹りきりだったけれど、おかしいな、と思い始めたのもこの頃からだったんだって。
「それで、あなたたちがここに居る。私の師匠のお話でした」
「で、それだけ? もうちょっと、何かなかったの?」
「何よセナ。何かって……何を期待してるのよ」
「例えばさ、そのナッツって子と前肢()を重ねたりとかさ」
 あたしが口にした瞬間、ユウの耳がピンと立ち、大きく目が開いた。これは揺さぶってみる価値がありそうだわ。
「抱きしめ合ったり、もしかしたら、キスまで」
「わー、やめて! も、もういいでしょ、この話はおしまい!」
 慌てたユウの姿を見るのは新鮮な気持ちだった。さすがあたし、してやったり。にやにやが止まらない。
「……ねえ、ユウ、それ……本当?」
 ハヅキの反応も初々しい。口に前肢を当てている。この手の話には、ハヅキはもしかしたら耐性がないのかもね。
「ハヅキも引っ掻き回さないで! ちなみに言うけど、抱き合っただけだから。ほんとだから。キスまでいってないから」
 『抱き合った』とは、また妙な誤解を生む表現をしてくれた。本当に、にやにやが止まらない。ユウをからかうのは面白い。
「抱き合ったんだ」
「……セナ」
 ユウのどす黒い笑みを見た瞬間、あたしの首に何か巻き付いてきた。違和感を確かめる時間は無かった。得体の知れない巨大な力が、首から上の血圧を急激に低下させた。
「ゆ、ぅ――」
 あたし自身も、何を喋ろうとしたのかわからない。文字通り、目の前が真っ暗になった。

   ◇◆◇

「言って良いことと悪いこと、そして踏み込んで良い領域と悪い領域がある。わかった? ハヅキ」
「……は、はい、わかりました」
「よろしい」
 本っ当にセナってば、あること無いこと根掘り葉掘り聞きたがるんだから。
 糸状の念でセナの首をきゅっと絞めてあげて、そのまますとん、と意識が落ちたことがわかった。彼女は芝生の上に崩れた。
「あ、あの、ユウ」
「なあに?」
 私はセナを背中に乗せながら、ハヅキのほうへと向いた。もじもじしてる。ちょっと、可愛いかも……いや、今はそんなことを思うべきじゃない。
「そ、その、キスってさ、あの」
「唇と唇を合わせることね。あ、唇じゃなくても、ほっぺにするときもあるわね。おでことか」
「お、おでこ……」
 もうこうなったらヤケだ。セナが純情なハヅキをここまで積極的にさせてしまった。恨んでやる。絶対に。
 私が発した言葉に、ハヅキは恥ずかしがってるのか、照れてるのか、よくわからない表情をしてる。
「もう一つ大切なことを教えてあげる。一生で一度だけの、一番はじめのキスはファーストキスって言って、一生を棒に振ってもいいって思えた子に捧げる大いなる口づけだからね。おいそれと唇を奪うのは御法度だってことを覚えておきなさい。特に牝の子に対しては、ね。デリケートだから」
 一息で喋るのも限界がある。私は知っている知識をさらけ出すのと同時に、むしゃくしゃした気持ちを言葉に載せて吐き出した。自分で何を恥ずかしいことを話しているんだと、少し冷静になれた。
 ハヅキはやっぱり、そわそわしている。落ち着かないのも納得できる。だって性に関する知識だもの。年頃の子が食いつかないわけがない。って……私は何を考えてるの。
「ユウ……物知りだね」
「全てはこいつのせいよ、こいつの。私の念弾の千本ノックを受けさせても足りないくらい恨んでやる」
 背中を揺さぶっても、載っているセナの意識が戻る気配はない。少しきつめに絞りすぎたかしら。まあ、三十分しないうちに目は覚めるでしょ。
「戻りましょ。日差しは暑いし、背中に載ってるこいつも体温高くてやってらんない」
 私の提案に、ハヅキは素直に従った。元はといえば、セナが誘ったことが始まりらしい。
 本当に、セナってば、やりたい放題やってくれるわね。
 思い知らせてやるしかない。

   ◇◆◇

 ふうむ、この家は階段が上へと繋がっているから怪しいと思ってたんだが、どうやら二階建てのようだ。夜になったら主人は一階のソファに寝転ぶから、俺たち五匹もその周りで、絨毯に腹をつけて眠ってたんだが。
「なかなかどうして……暑いじゃねえか」
 口に出さずにはいられない。確かに一階の日差しはある程度遮られているためか、室温は低い。だがこの二階の、特に一番照り返しの強い昼間は暑い。いや、暑いを通り越してやばい。こんなんじゃ夜になったって涼しくないわ。主人が一階で眠るのも納得できる。
 窓という窓は完全に開放され、扉という扉はすべて開け放たれている。熱が逃げる手助けをしてくれているようだが、直射日光が当たる面積は一階の比じゃあないな。
 ちょっとした部屋が三つ。一番北側の部屋に物が散在しているようだが、ダンボールや緩衝材のプチプチとかだな。他の部屋には目立って何もない。誰も住んでいない、と言われても疑えない。主人って、一人暮らしだよな……? なぜこんなに部屋があるかは、まあ、気にしないでおこう。
 廊下を隔てて、寝室が一つある。ベッドは一つだな。そこから覗ける大きな窓は、真っ黒いカーテンみたいな何かで覆われている室外が見える。室外……ベランダ、って言ったっけか。
 おっと、階段を昇ってくる足音だ。間隔は大きく、よく体重が乗っている音がするから、俺たち四足歩行のものとは違う。となれば、だ。

   ∵∴∵

「レキ。そんなところに居たのか」
 主人だ。俺を探しに来たらしい。そんなことされなくたって、この家のどこに居ても良い気はするんだがな。
「暑いだろ、ここ。あんまり長居しても熱中症になるだけだぞ」
 頷ける。あんまり居座りたい場所じゃないし、俺もそろそろ降りるとするか。この家の散策も終了だ。
 俺は主人について、一段、一段と降りていく。俺くらいの体長があればとんとんとんっと降りられるんだが、主人ってば遅いのよ。比べる対象が間違ってる、なんて言わないでくれよ。
 一階まで降りると、玄関が開く音がして、ぐったりした様子のセナを載せたユウが入ってきた。その後に、耳を伏せたハヅキが続く。何が起こったのやら。
「おい、セナ? ユウ、どうしたんだ?」
「疲れたって」
 ユウは人間の言葉を発声できるあたり、羨ましく思う。どうやったらできるのか、今度でいいから聞いてみるか。
 それで、だ。問題は背中に載せられてるセナだ。ユウの言った『疲れた』にしては体の力が抜けすぎている。いや、眠ってなんかいないだろう、これは……気絶させられたか?
 主人はどうやらユウの言葉を信じたようで、その後を追求してくることはなかった。が、俺からしてみれば不自然すぎる。

   ∵∴∵

「ユウ、何かあったか?」
 明らかに不機嫌極まりない様子のユウに、俺は尋ねてしまった。
「何もなかった。ことにしておいて。それから、誰も風呂場に入れないで。これから、みっちり、お仕置きするから」
「お……おう」
 返事もろくにできやしない。ユウの語気にはものすごい威圧感があった。セナ……お前は何をしたんだ。ユウの逆鱗に触れるなんて。センターで圧倒的な差は見せつけられたし、俺はどうなっても知らないぞ。急患だ、輸血だ、なんてセンターに罹るのはごめんだ。
「なあ、ハヅキ。大丈夫か?」
「え、えっ、うん。大丈夫」
 こっちも明らかに挙動不審だ。目が泳いで口を半開きにしているあたり、そこそこ大きな動揺をするような出来事だったに違いない。
 ユウは洗面所に入り、扉を閉めた。その先はもう一つ扉を隔てて、風呂場がある。次の瞬間、風呂場は血の海に……なんて、そんなの嫌だぜ。でもセナ、安心しろ、骨は拾ってやる。
「ね、ねえ、レキ」
 小さな声で、ハヅキは俺の名を呼んできた。まだ慣れないな、名前なんて。小っ恥ずかしい。
「どうした?」
 続いて出されたハヅキの言葉に、俺も動揺せざるを得なかった。
「レキは、好きな子とか、居る?」
「ぶっ」
 こいつはいきなり何を言い出すんだ。驚きと内容の突拍子さに吹き出しちまった。
「居るの?」
「……ハヅキ」
 俺は一つ深呼吸をして、ハヅキの栗色の目を見た。まだ子どもっぽいと思ってたが、実は大人の階段も着実に昇ってるのな。こういうときは冷静さが一番だ。
「何が起こったかは聞かないでおくが……そういうのは、さり気なく聞くもんだ。ストレートに言って答えるやつは、もうデキてるやつで、ひけらかしたいやつしか居ない」
「じゃあ、レキが好きな子は、居ないんだね?」
「ははっ、そうさなあ……俺は一目惚れを信じないが、ユウも、セナも、良いやつだとは思ってる。が、ハヅキが言う好きなやつには、まだ出会ったことはないな」
「そっか……」
 何やら妙な回答になったが、はっきり言うぞ、俺が意識してる牝どもはうちの中には居ない。って、なんでこんな話になってんだっけか。
 とりあえずハヅキも納得してくれたようだし、居間に戻るか。
「ハヅキ」
「ん?」
「オトナになったな」
「そ、そうかな」
「備蓄の飴かなんか食って、少し落ち着こうぜ。腹に何か入れれば、気も安らぐさ」
 少し照れてるハヅキを居間へと誘導させながら、俺は一つ、気づいてしまったことがあった。
「ん、そういえば……リュリィはどこに居るんだ?」
「僕は、見なかったけど……」
 たしか、『夏バテだー俺は苦しいー』とか言いながら、居間でごろごろと悶えていたような気がしたが……まあ、あいつはあいつでどうにか凌いでるんだろ。
 気にする必要はない、かな。

   ◇◆◇

「起きなさい」
「ふぁ……え、ゆ、ユウ」
 俺はなぜ、俺が水風呂を浴びてるところに別の奴が堂々と入ってきたのか問いただしたい。先客は俺だ、つまり今は牡風呂ってことだぜ。
 この声は……ユウと、セナか? なんでこんなところに、しかもこんなタイミングで入ってきたよ。俺、浴槽の水に溶けてふわふわ浮かんで遊んでるよ? 混浴とか誰得だよ。
「こ、ここは……お風呂? え、ハヅキは?」
「さあて、セナ、わかってるんでしょうね。あんたが犯した罪を数えなさいよ」
「えっ、ちょっ、ユウ、やめっ、ひゃんっ」
 はあ? え? や、待って待って。なんで? なんでそうなるの?
 だって、ユウと、セナが、その。セナが艶のある声を出し始めたってことは。口に出すこともはばかられる、忌まわしき儀式を。つまり、その、あ、あんなことやこんなことを。くそう、完全にタイミングを逃しちまった。
 俺の日頃の行いが悪かったからか? それともユウに喧嘩を売りまくってることがまずかったのか? なんの罰ゲームだ畜生!
 俺だって牡だし、そういうことに対しての興味は無いことはない。いや、むしろあるね。大いにあるね。
 シャワーズという体は便利だ。水に溶けて姿を隠すことができる。だが、逆に考えると、隠すことができるのは姿だけだ。視覚を始めとして、聴覚などの五感は正常に機能する。溶けてる水と一体化して、どこへでも行ける。何が言いたいかというと、ユウとセナのやってる音が、隠れてる水面を伝って響いてくるんだよ。強いて言うなら、小さい箱の中に水の入ったコップを入れて、その中で大音量を出すもんだ。考えてもみろ、風呂場の浴槽だぜ? 屋内のプールとは響き方が全っ然違うんだな、これが。
「ハヅキに余計なことを吹き込んで、この私の逢瀬に誤解を生むような表現をした……あんたはそれなりの覚悟があるんでしょうね?」
「ご、ごめんなさい、ちょっと、からかってみたかった、だけだから」
「あのどこが『ちょっと』よ! 悪い子にはこうしてあげようかしら」
「ひぁっ、ゆ、ユウ、そこは、っぁ、あぁっ」
 セナの声が、淫惑の声が、風呂場全体に響き渡る。大丈夫かこれ? 主人とかすぐ走ってきそうだが。ってゆーかセナ、ユウの怒りに触れるのはまずいでしょうよ。センターでこいつを怒らせたらやばいとは俺もわずかながら感じてたけど、けど。けど! なぜこんな淫らな情事が唐突に始まろうとしてるのか俺は全力で問いただしたいね! くうっ、ピンクの悪魔め……ユウの姿と俺の煩悩の両方の意味だよ! ああ畜生!
 俺だって牡なんだぜ。こんな発情しそうな誘惑をされて、メロメロにならない完璧鈍感な野郎が居るなら手でも前肢でも挙げて出てきてくれ。そして俺と代わってくれ。頼むから。
 ああ……あばよ、牝の声を知らない俺。そしてこんにちは、新しい世界へようこそ。
 だってだって、こんなに興奮するとは思ってなかったもん! 事故だよ事故! なんだってこの心拍の早さは収まることを知らないかね!?
「んあぁ、ユウぅ、ふぁあっ」
 あー、目に浮かぶぜ、セナの蕩けた表情がよ。これ、肉声だぜ? 浴槽の外に出たら、今現在春の真っ盛りだぜ? 俺参上して混ぜてもらって、聴覚だけのところに視覚を加えて、さらに触覚まで追加されたら……まあ、そうなる前にユウとセナに殺されそうだが。
 ぐちゅぐちゅ水音を立ててるってことは……いや、想像したら駄目だ。絶対に。ううん、でもこの喘ぎが伝える心地良さと、何とも言えない欲望が、ううう苦しい。
 幸いだったことが一つだけある。意図して水に溶け込ませなければ、もしくは水に溶け込みやすい物質でさえなければ、空気中の匂いは水の中に染み込まない。あまつさえ牝の匂いなんだぜ? いや、想像しちゃ駄目だ。まあつまり、嗅覚はなんとか無事だ。ところがどっこい、俺の息子はすでに無事じゃあないがな。ははははっ……どうしてこうなったんだあ!
「セナの匂い、私に似てるわね……なんか不思議」
「だぅっ、だからって、ひゃうぅ、ああっ、やめてっ」
 ん? 待てよ、ユウとセナの匂いが似てる、だと……? つまり、ユウは自分の匂いを知ってて、その上でセナの行為を。ってことは、ユウはもう経験済み――あああ駄目だ、ユウの姿とか絶対に想像してないからな! 絶対に、だ! たとえあられもない自慰だったとしてもこの俺は何も想像してない! してないったらしてない! もしそんなのバレたら、その夢ごと喰われて俺の体が息をしなくなるのが目に見えてる……って認めちゃいけない! 無関心、平常心だ、ふう。
 ……いや、もう、無理だわ。ははは。諦観って言葉が見えてきそうだぜ。
「やめてほしいんだ……わかったわ」
「ふぇっ、えっ? あぅぅ……」
「セナって感じやすいの? それとも、こんな気持ち良いことは今回が初めてかしら」
 うわあ、ユウってば意地が悪い。セナが不完全燃焼だってのはわかってるでしょうに。そして時間は長引くのだ。さっさと終わらせてくれよ。俺だってここから早く出たいよもう。
「きゃんっ……だ、だめだよユウ、あたし、まだ初めては誰にも」
「大丈夫。私だって牝の子なんだから、構造くらいわかってる。破らないように……ここらへんを……こうすると」
「っあ、ああっ! いっ、いきなりっ、はぁんっ!」
 お? おっ? 何が起こってるんだ? セナの声量が今までの比じゃなくなったってことだけはわかるぜ。ユウ……お前は何者だ。
「なっ、なに、これ、やあっ、入ってくるぅ……お、お腹、だ、だめっ、擦れっ、あぅっ、ああぁんっ! やぁあっ!」
「痛かったら言いなさい。小さく萎めるから。でも……もう少しくらい、拡げられそうね」
 入ってくる、擦れる……だと……? 挿れたのか? セナの初めてはユウなのか? でも何を? しかも萎める、広げるって……いや、考えてもわからんな。
 だが、いよいよセナちゃんも限界みたいだな。あはは。生き地獄だ……元はと言えば主人の計らいか。主人め、俺を苦しめやがって……悔しい! でも感じちゃう! 俺だって駄目だよ、そんな声聞かせないでくれってセナ、頼むから!
 ねっとりした水音はその早さがどんどんと加速して、もう聞くに耐えないくらいセナの喘ぎ声がすっごい。なんというか、もう、すっごい。ユウったら、そこまでやる必要があるの? って聞いてみたいくらいセナに思うところがあるのね。あーあ、セナ、ご愁傷。
「はぁうっ! だめぇっ! あぁっ、あっあっああんっ! にゃああぁぁっ!」
 はいはいビクンビクン、と。セナちゃんはご昇天なさいました。これでなんとか、なる、よな? 俺、もう、限界。何がって、いろいろ想像しちまって頭の中がお花畑。一緒にお腹の下の一部分がパンクしそう。
「ぁああっ、やぁっ、くぅっ……はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
「まだ反省の色が足りないみたいね」
 セナの息が荒いぜ。まあ当たり前だな。あんだけ激しくやられると堪ったもんじゃないだろ。牝は牡のそれより激しいって聞くし。ってゆーか、ユウ、お前まだやるつもりかよ。
「ゆうぅ、はぅっ……お、なかっ、あっ……だしてぇ……しゅ、しゅじんっ……だれかぁ……」
「気持ちいいでしょ? ふふっ、誰かにやってあげるのは初めてだったけど、感じてくれるなら自信が湧くわ。ちゃんと反省するまで撫で撫でしてあげる。大丈夫、防音壁は張り巡らせたから」
「やっ、やだあっ、ああっあっ! はあっ、はあんっ! ふぁっ、いっ、いくっ、いくうっ! あっ、あああっ、はぁあっ! ぃやああぁぁっ!」
 ニ度目。それもこんな短時間に。セナ、あばよ。きっとそこは天国だ。それにしてもすっごい嬌声だな。ユウ、お前は何をしてるんだ? そして誰にも聞こえないのか? おかしいぞ、何かがおかしい。ユウの言う防音壁って……念を操ることができるっていっても無茶過ぎる。何でもアリかよ。これは夢か? 夢なのか? 夢なら醒めてくれ。頼むから。
「はぁっ、はぁっんっ、やっあっ……ゆ、ゆうぅ……きもちぃ……はぁっ、はぁっ……」
「摩擦の出血は……大丈夫、みたいね」
 いやいやセナ、気持ち良いなんて言ってないで。ユウお姉様、ここは一つ、セナのことを許してやってくださいお願いします。セナだって、もう理性が息してるかわかんないくらい呂律が回ってないよ。やめたげてよユウ。セナが死んじゃうよ。俺ももう限界だよ。
「ふふっ……もっと気持ちよくしてあげる」
 ……終わった。主に俺の牡の子の純真的な意味で。これ以上セナの声を聞いてると俺が保たん。
 せっかくの水風呂だってのに、いろいろ温まってきて水とは言えない温度まで上がってきてる。これは、まあ、お隣のせいだな。主にユウ、お前が主犯だ畜生め。暑い。
 そしてなぜか、むせ返るような、頭がくらくらするような、心臓の鼓動を急かす匂いがする。
 匂い……?
 や、待て、浴槽の中をじっと見つめてたことは変わらないが、俺の顔がいつの間にか水面に映ってる。つまり俺は今、水面上に居るってことだ。
「ちょっ、えっ――」
 慌てて前肢を口に当てたが、水を掻く音が大きく響いた。声が出たってことは、水を触ることができるってことは、つまり。
 恐る恐る、ユウたちのほうに向く。時間の流れがこんなに遅いと思ったのは生まれて初めてだ。
 浴槽から見下ろすと、耳を伏せて涙目になって息も絶え絶えなのに喘ぐことをやめられず、なぜか下腹部が不自然に膨らんだまま仰向けの体を仰け反らせ、開いた股の間からひくひくと蜜が流れ出て止まらないセナと、全然まったくの無表情で俺を見つめるユウが居た。
 今度こそ、終わった。俺はセンターでの一件以来の絶望を悟った。
「……リュリィ」
「は、はい」
「いつから居たの?」
「けっこう前から」
「どうして出てこなかったの?」
「聞きたかったから」
 違う違う、出るタイミングを間違えただけなんだ、と言っても、今のユウには信じてもらえそうにない。なんで俺は思ってることと違うことを言ってしまうんだろうな。
「素直でよろしい」
 ユウが妖しい笑みを浮かべたあと、俺の四肢に浸かってたぬるま湯が離れ、体はふわりと宙に浮いた。
「おわっ」
「牡の子も気持ちよくなれるんでしょ? 知ってるわよ。試してみない?」
「ゆ、ユウ()ぇ、許して。何があったか知らんがセナも許してあげて。本当に。俺が悪かったから。責任取るから」
「あんたに姉と呼ばれたくない。しかも……責任、取るのね?」
 俺の必死の懇願が一蹴されたあと、俺の下腹部のモノが下から上へとなぞられるような、不気味で、でも飛び抜けて感じてしまうような感覚に襲われた。なんか俺でも気づかん内に余計なこと喋っちまったし。なんだよ『責任取る』って。
「はぁっ、くっ、ゆ、ユウっ、やめろぉっ」
「あんたも案外高い声が出せるじゃない。見せてみなさいよ……わあ」
 そう言って、ユウは俺を扱くことをやめない。しかも俺が仰け反るような感じで股を開かせてる。やめろって、そんなに見ても面白いもんじゃねえよ。見るか扱くかどっちかにしやがれ。
「これが……リュリィの……」
「そっ、そんなに、珍しいかよっ」
「ふふっ、私だって興味くらいあるわよ。ほらほらほら」
「ちょっ、ちょっ、ユウっ、くぁっ」
 わああ、やめろよ。そんなに早めたら。セナの声の残像と、ちらっと見えた破廉恥な姿と、ユウが与えてくる感触が。
 ああ、もう駄目だ。自分でやるときとは比べ物にならん。
 気持ち良い。
「で、出るっ、だめっ、だっ、ユウっ」
「出しちゃいなさいよ。セナの声を聞いて、溜まってるんでしょ?」
「それを、言うんじゃっ、あああっ」
 ユウが俺を爆発させた。二度、三度、四度……ああ、もう数えらんない。体が脈打つごとに、頭が真っ白になりそうなほどの感覚が俺を襲う。びくびくと腰が痙攣してしまう。
 ぴんと立っていたヒレや尻尾は、きっとだらしなく垂れ下がってるんだろうな。ひとしきり放出してしまった俺は、うっすらと目を開けて、体を向けながら、思いもよらない光景を目にしてしまった。
「ゆ、ユウ……」
 あろうことか、ユウの桃色の体毛が、ところどころ白い。顔、耳、影になって見えにくいけれど胸のあたりに、飛び散ったような模様が描かれている。これは、ひょっとしなくても。ああ……俺の未来はユウによって抹消される。一言で言おう、殺される。
 だが、ユウはなぜか恍惚とした表情で、興味を惹かれた子どもみたいな目をしてる。
「よく飛ぶのね」
 しかも、ユウは前肢についた俺の精液を舐めてる。これは、やばい。かけられたものを舐めるなんて非常にエロい。大切なことだからもう一度。これはやばい。俺的に直球ど真ん中。
「苦いけど……悪くないわね」
「いっ、意味、分かんねえよ。汚ねぇだろ」
 いつまでも宙に浮かされている俺としては、地に足がついてないから違和感がある。上から見下ろすセナは……ああ、ありゃ眠ってしまったみたいだな。おやすみ、セナ。俺ももしかしたら、今からそっちに行くからよ。永遠の眠り的な意味で。
「なあ……そろそろ降ろしてくれよ」
「はいはい」
 そう言ったユウは、俺を浴槽からセナの隣に移動させ、仰向けにさせた。で、それからユウに覆いかぶさられて……って、何やろうとしてるんだ? ユウよ。
「リュリィ。口でやったら気持ちいいって、ほんと?」
「な゛っ」
 こいつはどこまで性の知識を持ち合わせてやがるんだ。相変わらず好奇の目は爛々と輝き、それに加えてにやにや口元を歪めてやがる。ユウ、お前って奴は……。
 俺はもうへとへとだけれど、なぜだか知らないが体が熱い。お盛んなのも大概にしてほしいな、俺の体。そしてなぜか期待している俺が居るよ。もう……どうにでもなれ。どうせ最期だ、楽しんだ者勝ちだ。
「頂くわよ」
 それだけ言って、ユウは体をずらして、俺の張りつめているソレを咥えた。
「ちょっ、やめっ、くぅぅっ」
 ユウの舌がなまめかしくちろちろと動いて、俺の腰も無意識に反応してしまう。だが、力を入れるだけで、体が動く気配はしない。ユウの念に操られているからか。
 そんな予測を立てる余裕ができたのは、やっぱり二回目だったからだと思うんだ。
「ユウっ、気持ちいい……っ」
 俺の言葉に気を良くしたのか、ユウは吸い上げてきた。おわかりだろうか、突然に吸引力が変わるただ一つの感覚。そんなことをされて黙っている俺ではない。自慢にはならないけれどな。
「す、吸うなっ、ユウっ、くっあっ」
 もう限界だ。無理だ。それでも構わず、ユウは吸い上げる力を強くした。加減を知らないな、こいつは。
「出るっ、はっ、離れっ、うあああっ」
 またも俺は、果てた。ユウの口の中で。同時に俺は、明日が来ないことを確信した。あのユウ様のお口の中に出したんだぜ? 絶対に生きて帰れない。
 一回目と変わらない量がだくだくと飛び出ていくのがわかる。世界は真っ白。もう、体力的にも、ユウに与えた罪の重さ的にも限界は突破してる。
 整わない息を必死に落ち着かせ、開けづらい目をこらしてユウを見れば、俺の出したものはどこに行ったのかと疑うほど、何事もなかった。
「ゆ、ユウ……?」
 すると彼女は、満足げな笑みを作って、口の周りをひと舐めしたあと、こう言った。
「ふふっ……おいしかった。でもちょっと、べたべたするわね」
 破滅的だった。心臓がこれでもかと言うほどばくばくと打つ。俺は何を、ユウに対して、意識してるんだ……?
 ひとつだけの事実として、俺とセナは、まんまとユウの餌食になってしまったのだった。しかも、俺はユウをこんなにも汚して。一回だけじゃ済まされない、限界まで殴られて蘇生されて、死ぬより怖い生き地獄が想像できる。
 もう、体を起こす元気もない。視界の焦点が合わなくなって、まぶたが重くなっていく。
「あら? リュリィ? え、セナ?」
 ふわふわと踊りかけた意識が、俺の名前を捉える。けれど、そのままゆっくりと、俺の体から離れていった。

   ◇◆◇

「ハヅキ、食欲無いのか?」
 主人の言葉に、僕は顔を向けて、慌てて目の前の夕食に口をつけた。今日は珍しく、主人は鶏肉を煮てくれた。
 だけど、味が全然わからない。周りのみんなをちらちらと見てしまったり、お昼に聞いたセナとユウの会話が頭に残って離れなかったりして、意識がそっちのほうに向いてしまう。
 主人とレキ、そして僕とで居間に居たんだけど、レキが『洗面所には行かないほうが良い』なんて言ったり、『好きなやつを聞くってことは、お前も意識するやつが居るのか?』なんて鋭い質問をするから、僕は気が気じゃなかった。なんとか答えずにやり過ごすことが精一杯だった。セナのその後は……ま、まあ、ユウだったら常識をわきまえてると思うけど。でも洗面所から出てきたのは、ちょっと反省気味のユウと、変わらずぐったりしてたセナと、なぜだかわからないけどリュリィも一緒に気絶してた。その様子に、主人は『やっぱり氷が必要だったか』って嘆いてたけど、レキはただ苦笑いしてるだけだった。何があったんだろう。
 僕にとって……助けてもらった恩が、ともに戦って乗り越えた達成感が、ふたつともユウに結びついてる。
 ユウが居てくれなかったら、僕は今の僕じゃない。むしろ、臆病で逃げ腰で、暗いセンターでずっと過ごしてたか、この森のどこかで野垂れ死んでた。みんなを説得する勇気も湧いてなかったと思う。だから、特別な想いがあるとしたら、意識してると言われたら、ユウ、なんじゃないかな……。
「無理するなよ、ハヅキ。食欲無いなら、また明日食べればいいから」
 主人の言葉に、僕はもう一度顔を上げて、首を横に振る。別に食欲が無いわけじゃない。
 周りのみんなはすでに食べ終わってて……セナとリュリィはすっごく意気消沈してるけど、それ以外には変わったところは特に無い。ユウを見つめていると、視線が合った。いつものように笑ってくれるんだけど、僕はもう微笑み返せない。視線をそらしてしまった。
 ユウから逃げるように、僕は目の前の鶏肉にかぶりついた。

   ∵∴∵

 夕食のあと、ユウが外に出ることは知ってる。何をしているかまでは気にしなかったけど、今日はやっぱり気になった。
「みんな。僕、外の空気吸ってくる」
「おう。気分転換になるだろ」
「珍しいわね、ハヅキ」
「あんまり牡心を突っつくと痛い目見るぞ? セナ」
「なによリュリィ。そういうあんたは乙牝(おとめ)心を知らないでしょうよ」
 玄関の取っ手は、上から力を加えると仕掛けが動いて、その間に前方へ動かせるようになってる。なんとか体を伸ばして扉を開けて、僕は外に出ることができた。


 外はもう日が落ちて、満月が芝生を照らしてくれている。歩くには問題ない明るさだ。でも、ユウがどこに居るのかは手がかりが無い。
 僕は芝生に目をこらして、様子をうかがう。最近踏まれた足跡があれば、よっぽど軽いものじゃない限り、芝生が教えてくれる。別にユウが重いって言ってるわけじゃないけど。お昼にセナと僕とでトレーニングした跡は消えかかって、その上に新しく踏まれた足跡があった。アスファルトで途切れている。
 この先に。僕は少し駆け足になりながら、ユウのあとを追いかけた。


 足跡は、大きなオレンの木のある広場に続いていた。小道に生える背の高い草は何度か掻き分けられていて、頻繁に出入りされていることが伺える。
 草の中に分け入って、そっと広場の中を覗いてみた。
 ユウは広場の中心にお座りしていた。月の光を浴びながら、空を見つめている。太陽に映えるユウの体毛は明るい桃色だけど、月の中では白さが目立って、まるで別のポケモンを見ているみたいだった。これを、美しい、って言うのかな。雲ひとつ無く、大きな満月が広場を照らしてた。
 このまま時間を忘れてユウの姿を眺めていても良いけど、月が移動すると僕の影がユウに見られてしまう。背の高い草に身を隠したまま、広場の円周に沿って、音を立てないように気をつけながら、移動している最中だった。
「また不意打ち? 場所はわかってる。出てきなさい」
 ユウの声に驚いて、僕はその場で固まってしまった。確かにユウは僕のほうを向いている。音を立ててしまっただろうか。
 でも、ユウの言動におかしな部分があることに気づいた。『また』不意打ちなんて、僕は初めてここに来たばかりだというのに、まるで慣れっこのような言い方だ。
 ユウの念力が飛んできたら、僕の位置がばっちり見つかってしまう。そうなると、“ユウがなぜ夜になって外を出歩くか”という謎の完全な状況把握は望めない。僕は前肢から草を結えるように力を込める。狙いはユウの背後、広場の円周上だ。
 僕の力量では、この広場の端から端まで届かせることが精一杯みたいだ。それでも、草結びは成就した。かさかさと小さな音を立てた。
「っ!?」
 ユウの息を呑む音が聞こえるほど、周りはとても静かだった。ユウの顔が別のほうに向いたことを確認して、もう少し身を隠す位置を変えてみることにした。その間でも、中心を挟んで向こう側の草を揺らすことは欠かさない。
「誰!?」
 ユウがどうやって僕の位置を特定しているのかわからないけど、戸惑っている証拠は聴覚に頼っているからだと思う。それなら、今だけは見つからない自信があった。草の背がより高く、より密集して茂っている場所に、僕は身を潜めた。
「よぉ」
 聞こえた声はリュリィのものだった。入り口からユウ目指して歩いてる。
「なんだ……リュリィだったの。不意打ちなら正々堂々かかってくればよかったのに」
「不意打ちに堂々って表現があるかよ」
「立派な戦法じゃない」
 お互いに笑い合う姿は、ともに仲が良いことを表していると思う。でも僕は、今だけは、リュリィが憎らしく感じた。
「ユウ、ごめん!」
 そして、そんなリュリィが、いきなりユウの目の前で頭を下げた。
「な、なによ」
「ひ、昼間のこと……ほんとにごめん。俺は悪気はなかったから」
「いつまで謝るの。あれは私がハメを外しちゃっただけ。気にしてないって言ってる」
 昼間のこと……確かリュリィは、風呂場から気絶して出てきた。そのときのことだろうか。ユウの様子はあまり把握できなかったけど、そういえばリュリィは、目が覚めてからユウに謝ってたような気がする。
「や、でも、みんなの前で盛大に謝ったら気まずいし、俺、悪いことしたなって」
「あああ、もうっ」
 すると突然、ユウがリュリィを仰向けに寝転ばせて、彼の上に乗った。
 あの体勢、僕も覚えがあるかも。
「あれは遊び。私が一方的にやったこと。あなたが何をしても私は気にしないし、気にしてない。だからあなたが謝る必要はない。わかった?」
「で、でも」
「うるさい。気にしてないって言ってるでしょ? それとも……」
 ユウの声が大きくて、なかなか怒ってるんだな、と思う反面、照れ隠しにも大きな声を使うことがあるから、ユウのことは僕にもよくわからない。
 ユウがリュリィに近づいて、二匹がひとつになって見える。あれだけ寄ると、昼間に聞いた、キス、できるんじゃないかなってくらい……いや、だめだ、今飛び出すと二匹の関係がわからない。でも、僕の心拍は早くなってきてる。
 ユウがリュリィに囁いたことがわかった。直後、リュリィの体が硬直した途端、首を大きく横に振る。
「こっ、これ以上は体が保たないって!」
「だったらもう謝るのはナシ。今度謝ってきたら搾り取ってあげる」
「やめてくれよ……で、でも、ユウになら、俺……」
「言ったわね? じゃあみんなの前で公開処刑ね」
「嘘ですごめんなさいほんとやめてください」
「冗談に決まってるでしょ」
 ぽふぽふ、とユウがリュリィの頬を触って、降りた。普段からリュリィはユウに対して喧嘩腰だけど、こうして見ると仲良しだな。なかなか珍しいかも。
「月が綺麗だな」
 リュリィは仰向けに寝転がったまま、そうつぶやいた。
「そうね」
 ユウも振り返って、天を仰ぐ。
「ユウ……俺さ」
「なあに?」
「お前のこと、好きかも」
 どきっとした。リュリィの口から、そんな言葉が出るなんて。
「言ったわね? みんなの前で公開処刑、決定ね」
 でもユウは、そんな告白には動じない、調子に乗ったような口調だった。
「なっ、なんでそうなるんだよ!」
「ふふっ、冗談に決まってる。でも……そうね、私は、誰かを決めることはできない」
「……どういう意味だ?」
 リュリィは体を起こして、ユウを見た。目と目が合う二匹。今すぐにでも飛び出したい僕は、それでもユウの言葉を待つことに決めた。
「そのままよ。リュリィも、ハヅキも、レキも、セナだって、私はみんなのことが好き。でも、それ以上踏み込むことはできない。あなたの言う『好き』って、それ以上を望んでるんでしょ?」
 それ以上。つまり、愛情表現、ってことかな。キス、したりとか。それ以上……。
「……気にしてるのか?」
「え?」
「俺たちが、ユウ、あんたの子だってこと」
「気にしてない……と言えば、嘘になる、かな。みんな可愛いもの。抱きしめてあげたくなるくらい。それ以上は、私は望まない」
「そうか。ふふふん。じゃあ俺が、無理矢理にでもユウを……い、いや、冗談だって。ごめんって」
 この場所から表情は窺えないけど、リュリィが慌てて訂正するくらいなら、きっとユウはものすごい睨み方をしてたんじゃないかな。
 その言葉を最後に、しばらくの沈黙が、広場を包んだ。リュリィもお座りの姿勢になって、若干だけユウと距離を隔てて見える。
「技の練習は?」
「特訓してもらおうと思ってたんだが、あいにく体が重くてな。また明日にしてくれないか」
 技の練習……そうか、かつてユウは、この広場で技を練習していたと聞いた。なかなか広々とした空間だし、思いっきり暴れても迷惑にはならないだろう。
 ユウは夜になると、リュリィの練習に付き合っていたのかも。リュリィが夜に何をしているかまでは、気にしたことがなかった。
「まあ、無理もないわね。ふふっ、お楽しみだったし」
「やめてくれって……ユウ、本当に、その、気にしてないのか?」
「何回聞くの? あれは私がハメを外しちゃっただけ。私は楽しかったし、いろいろ勉強になった。少しやりすぎちゃったから……ごめんね、リュリィ」
「……お前が謝るなんて珍しいな。俺も、その、楽しかったよ」
「素直なリュリィも可愛いわね。今度から積極的に攻めてあげようかしら」
「ははっ、ユウが言うと洒落にならん。勘弁してくれ」
 リュリィはそろそろ帰って眠りたいらしい。一方、ユウはもう少し月の光を浴びたいと言っていた。
 これはチャンスだ。ユウと僕が二匹きり。僕だって、ユウに伝えたい言葉がある。リュリィが言ったみたいに。
 リュリィが広場から去って、ユウは月を眺めてる。朝の日差しも好みらしいけど、月の仄かな光も好きなのかな。
 この前みたいに、ユウを少し驚かしてみようと決めた。僕はもう一度、草結びを展開させる。
「ん? リュリィ?」
 一瞬の後に、二箇所の草むらを同時に動かす。結ぶことまでは気が回らないけど、動かすくらいなら僕にだってできる。
「さっきから……!」
 ユウの念が芝生を抉る。芝生が痛そうだ。
 僕は、ユウが気を取られていることを疑わなかった。技を放つくらいだもの、僕の存在を察知することに集中力は割けないはず。
 草結びをあちこちにばら撒きながら、一歩、また一歩とユウの背後に忍び寄った。
「どこに……!?」
 相変わらず見えない相手を攻撃しているユウに、僕はもう飛び掛かれる射程圏内まで詰め寄っていた。
 今だ。ユウが念を放った隙を狙って、彼女の背後から体当たりをぶつけに行った。そのまま組み伏せれば僕の勝ち――。
「気づいてないとでも?」
 ユウの声が聞こえた後は、本当に一瞬だった。ありのまま今起こったことを話そう。
 芝生を背景に、ユウの白い背中が見えていたことまでは覚えている。直後、思いもよらない方向から、後ろ足が突き上げられ、頭のほうから前転。体がすくい上げられた僕は、背中から芝生に激突して、少しの間息がしづらくなった。
「――かはっ」
 目の前には、二股の尻尾を僕の喉元に突きつけているユウが居た。敵意まっしぐらの鋭い目つきだ。もちろん、その後ろには月が見える。
「あら。ハヅキじゃない」
 一度目の不意打ちは成功したけど、二度目は完敗だった。やっぱりユウには敵わない。
 ユウは拍子抜けしたような顔を見せた後、尻尾を離した。
「二度も同じ手には乗らない。もう少し気配を消しなさい」
 『気配を消せ』なんて言われたって、どうすれば良いかわからない。悔しさと、ユウの凛とした声音の優しさと、僕でもよくわからないごちゃごちゃした感情が、涙になって溢れてきた。
「ううぅ」
 ユウは、強くて、優しくて、物知りで、それに……僕にとっての救世主だ。憧れの存在が目の前に居るというのに、僕の気持ちは複雑で、整理がつかない。
「何泣いてるの? ハヅキ、今日のあなた……なんだか変よ?」
 変にさせたのは誰だよ、と言ってしまいそうになったけど、なんとかこらえることができた。
 僕は怒っていないし、悲しくもない、笑いたくもなければ、死を覚悟したあの時の恐怖なんて微塵もない。でもどうしてか、叫び出したい衝動だけが、体の中を渦巻いてる。その衝動の正体が何なのか、それだけがわからない。
 『好き』? 合ってるけど、違う。『ありがとう』? それもそうだし、それだけじゃない。『嫌い』? もちろんこんなやつ嫌いだけど、ユウを完全に否定するわけじゃない。
 どんな言葉を選んでも、僕の中では、ぴったりなものが見つからない。
「ユウのバカ」
 涙声になっていたけど、これだけはユウの目をしっかり見据えて言い放ってやった。
「……ごめん、ハヅキ」
 でもユウは、僕から目をそらしながら、恥ずかしそうに、一言だけつぶやいた。
「あんたやっぱり可愛いわ」
 カチンときた。この反応は、まるで子どもをみる母親そのものではないか。
「可愛いって言うな! バカ、ユウのバカ!」
「はいはい、わかったわかった」
 まるでわかってないような口ぶりで、ユウは苦笑いを浮かべながらお座りの姿勢になった。
 ユウのことは大っ嫌いだ。センターに遺伝子情報を提供して、僕たち分身を生み出させる手助けをした根幹の、元凶そのものだから。
 でも、ユウが居なかったら、僕たちは生まれてない。重傷を負った僕のことも助けてくれた。ユウが、僕の命を繋ぎ留めて、生きることを許してくれたんだ。
「月の光って、なんだか力が湧いてくる気がするのよね」
 僕が真剣にユウのことを考えてるっていうのに、こいつってば、月を眺めながらお気楽そうだ。
「あっそ」
 僕でも信じられないほど、かなり乱暴な言葉が、口をついて出てしまった。
「……ハヅキ、怒ってる?」
「怒ってる」
「何に?」
「ユウにだよ」
 僕は体を起こして、ユウと向き合う。対するユウは、首を傾げて眉をひそめている。僕の気持ちなんて、これっぽっちもわかってないんだろうな。
「私が何かしたのなら……ああ、『可愛い』って言っちゃったこと? ごめんなさい、謝るわ」
「そんな小っちゃなことじゃない。どうして僕を助けたのさ」
 僕の言葉に、ユウはしかめ面をした。
「まるで助けてほしくなかったような言い方ね」
「ああそうだよ。おかげでセンターから他のみんなを連れ出して、今こうして生きてられるんだから」
「ますます意味がわからないわよ」
「僕だってわかんないよ。ユウがセンターに関わらなければ、僕たちも居ない。でも、ユウ、あんたがセンターに通い続けたから、僕たちが生まれたんだ」
 僕自身でも自覚するほど、声のトーンが低くなっていた。恨みとは違う、やり場のない虚しさが、怒りに昇華して燃えている。
「それで?」
「生まれなきゃよかった。ユウのせいだ。ユウが僕たちを苦しめてるんだ」
 なんともこじつけな理由だったけど、僕の中で煮えている怒りをユウに向かわせるには、充分だった。
「私のせい……そう。全部、私のせい」
 でも、僕の一言に、ユウはとてつもなく悲しそうな顔をした。
 そんな顔されると、僕にだって罪悪感が湧いてくる。少しでも気を紛らわそうと、僕はユウの四肢に草を巻きつけた。
「ハヅキ。そんな顔しないで」
 しかし、その言葉はユウが放ったものだった。
「苦しむのは私だけでいい。だから、あなたには、苦しんでほしくない」
「知ったような口を……!」
 僕は、ユウに絡ませた草を操って、彼女を仰向けに寝転ばせた。
「きゃっ」
 さらに胴体にも草を這わせ、地面と繋げる。これでユウは逃げられない。僕が完全に拘束して、主導権を握ってやった。
「ハヅキ……」
 主導権を握ったのに、これから先、どうするかまでは考えてない。
 月明かりの中で見下ろすユウは、切なげな瞳を覗かせていた。優越感を覚えるような気がしたけれど、憧れの存在を弄ぶ僕は、どうかしてるんじゃないか、狂ってるんじゃないかとさえ思った。恩返しどころか、恩を仇で返す行為だ。
 僕には、わからない。言葉にできない、行動でも表せないこの気持ちは、どうやったら収まってくれるのか、わからない。
「ユウ」
 彼女の耳は若干だけ伏せて、飾り毛を覆い隠すように、心細さが伺える。潤んだ目で僕を見つめて、今にも泣き出しそうだ。
「大っ嫌い」
 僕の嘘つき。本当は感謝してるくせに。どうして僕は、思ったことと違うことを言ってしまうんだろう。
「……私は、嫌われ者よ。そうなってもおかしくないことをしてしまったんだもの。謝って済む問題じゃない。ねえハヅキ、どうすれば、許してくれる? どうすれば、あなたがそんな悲しそうな顔をしないで済むの?」
 許す、許さないの問題じゃない。もう起こってしまったことなんだから。過去が変えられないことは、僕自身でも理解してる。
 でも、それから先、どうなるっていうんだ。もやもやした虚脱感が、僕の周りを渦巻いて離れない。ユウに怒りをぶつけたくても、なぜ怒ってるのか、その目的がわからない。
「知らない。それはユウが決めて。僕は、ユウが居なけりゃ良かったって思わない。けど、あんたが居るから、良かったとも、思わない」
 僕の声は震えていた。だってこれ、嘘だもの。本当は、ユウは命の恩人で、僕と共闘して、助けてもらって。
 一方、ユウは納得したような顔をして、目をつむった。
「わかった」
 彼女の目が開かれる。その表情は、先ほどの切なさなんて露と消えて、温かく微笑んでいた。
「じゃあもっと、ハヅキとの思い出を作れば良いのね。あなたが言ったとおり、『生きてるって素晴らしい』と思えるような、忘れられない思い出を」
 ユウの額の珠が光る。瞬間、僕の体に、得体の知れない細長い何かが巻きついてきた。
「なっ、なにするの」
「ハヅキ、おいで」
 草結びは、芝生に問いかけて力を貸してくれるように頼まなければならない。体を浮かされて移動させられる僕は、抵抗する術がなかった。
 そのまま、ユウに覆いかぶさるように、僕のお腹とユウのそれとがくっついた。ユウに巻き付いている葉っぱの上から、ふにっとした柔らかさを感じた。
「なにするのさ。やめてよ」
「慌てないで。大丈夫、私に任せて」
 するとユウは、首を起こして、僕の顔に近づける。僕は逃げるように離れようとするけれど、首に巻き付いてきた何かがそれを許さない。
「んっ……」
 僕の頬にユウの唇が触れた途端、何とも言えない温かさが、体毛を伝ってなだれ込んできた。
 これって……昼間、ユウが言ってた、キス……ってやつ……?
「ふふっ」
 目の前には、太陽よりも眩しく映える、ユウの笑顔があった。
「私の初めては、ハヅキにあげちゃった」
 確か、ファーストキスって言って、牝の子にとっては大切なもので、ユウは牝の子で……。
 他にもっと、だいじな何かを考えていたような気がするけれど、僕の頭の中をぐるぐると巡る気持ちが、ユウ一色に染め上げられてしまった。
 相変わらずにこにこしているユウは、僕を見つめて目を離してくれない。
「もっと、しよっか」
 それだけ言って、ユウはもう一度、顔を寄せてきた。あろうことか、僕の唇めがけて。
「えっ、ちょっ、ゆぅんっ」
 それは、柔らかかった。
 牝の子の唇って、ユウの唇って、とっても、柔らかかった。
 僕は何を、ユウに対して、怒っていたんだろう。もう思い出せない。目の前で大きく広がるユウの魅力的な表情が、僕の視線を鷲掴みにする。至近距離で見てみると、体毛を通して、ユウの頬がほんのり赤らんでいることがわかった。
「ふぁっ……」
 唇にまとわりつく温かさが、唐突に離れて行ってしまった。ちょっと切ない気がする。
「あ、解いてくれたんだ。そのままでも良かったのに」
 ユウが前肢を動かしてみせる。僕の草結びは効果が無くなってしまったらしい。そんなこと、もうどうでも良いけど。
「ハヅキ。あなた、やっぱり、可愛い」
 ユウが前肢を僕の首の後ろに回して、そのまま抱き寄せてきた。
 『可愛い』と言われることにあれだけ抵抗感を持っていたのに、どうしてか反論する気になれない。むしろ、もっとユウと触れ合っていたかった。忘れていたんだ。
「あなたの言葉、やっとわかったわ。『大好きなのに大嫌い』って」
 そう。僕が観ていたのは過去のしがらみ。全部、何もかも終わったんだ。
 今、これからを見つめると。
 ユウが、ユウのことが、好きで好きで、仕方がないんだ。
「ユウ」
「ん?」
「助けてくれて、ありがと」
「お互い様よ。私だって、あなたたちに恨まれても仕方のない、罪作りな母親だもの。ありがとう、ハヅキ」
「言いっこなしだよ、そんなの」
「ふふっ……お互い様ね。ハヅキとこうして触れ合えることが、私も嬉しい。怪我が治って、本当に良かった」
 仲直り、できた。本当の意味で、僕はユウを心から受け入れることができたんだ。
「ユウ」
 もう、自分に嘘はつかない。前に向いて、一歩踏み出す勇気でさえ。
「大好き」
 言えた。やっと言えた。これが僕の、本当の気持ちだ。
 それまでの悲しみが嘘のように晴れて、ユウの匂いに包まれた。
 甘くて、心地良い、薔薇のような香りがした。幸せだった。
「……ハヅキ、もっと楽しいこと、しない?」
「えっ?」
 ユウの首元に顔を埋める感触が、暖かくて、ふわふわしてて、気持ち良い。このまま眠っちゃいそうだけど、これ以上楽しいことがあるのだろうか。
「いいえ、違う……あなたを見てると、私が抑えきれそうにないの」
 それだけ言うと、ユウは僕の体と位置を入れ替えてきた。僕が下敷きにされてしまった。
「えっ、わっ」
 さらにユウは、体をずらして、僕の前肢の付け根にある葉っぱを咥えこんできた。
「ぁああっ」
 突如、電撃のような衝撃が全身に駆け巡る。耐えられず、変な声が出てしまった。体が急に仰け反った後、力が抜けていく。
「ハヅキ、牝の子みたい」
「ぼっ、僕は、牡の子っ、ふぁあっ」
 ユウは懲りずに、僕の葉っぱを甘噛みしてくる。これは、気持ち良い。頭の中をかき乱されるような、心が震えるような。例えづらいけど、癖になりそうな感触が、首筋を突き抜け、背中を伝って全身に響いていく。
「ふぇっ……ふっ、んっ」
 葉っぱの愛撫は収まったけど、ときどき小刻みに呼吸が震え、不規則になってしまう。お風呂でのぼせたような感覚が、僕の四肢を骨抜きにしてる。
「おいしかった。こっちも頂こうかしら」
 目の前には、何かに期待をしているようなユウが見えた。
 ユウの顔が視界いっぱいに広がった後、唇に柔らかいものが触れる。
 また、キスだ。でも今回は、触れるだけじゃ終わらなかった。
「んんっ――」
 なんと、ユウの舌らしき温かい何かが、僕の口をこじ開けて、入ってきた。不意を突かれた僕は、そのまま絡め取られてしまう。
 一言で表現すると、気持ち良かった。湿っぽい水音と一緒に、ユウと僕の体液が混ざり合っていく。
 葉っぱの愛撫より優しくて、それでも蕩けそうな黄色い刺激が、僕の体を完璧に麻痺させた。
「――はっ」
 短かったか、長かったかは、もうわからない。ユウとの甘ったるい時間が終わって、僕の呼吸が始まった。
 荒い息が止まらない。僕の視界は霞んで、ユウの姿だけしか見えない。
「はぅ……ゆ、ユウ……」
「ハヅキ、ひとつに、なろう?」
 息を整えることに必死だった。余計に、僕はユウの言葉の意味がわからなかった。
「それって、どういう」
「こういうことよ……っ」
 ユウの体が動いた直後、下腹部が包み込まれるような気がした。それも、大きな大きな温かさとともに。
 聞いたことはある。牡牝が一緒になって、タマゴを授かる行為。もしかして、ユウはそれを、今目の前で、実践してるんじゃなかろうか。ターゲットを僕に見据えて。
「ああんっ」
「ふぁあっ」
 ふたりの声が重なった。一瞬だけ、抵抗感を感じたけど、それも気にならないくらい気持ちが良かった。ユウの言うとおり、溶け出してひとつになってしまいそうだった。
 ぬちゅ、ぬちゅ、と水音がする。それもつかの間で、僕とユウの体は密着した。
「ほら……ひとつに、なった……」
 ユウの声は、苦しそうだった。
「無理、しないで、ユウ」
「だい、じょうぶ……」
 明らかに無理をしていそうなユウの表情は、それでもとても満足そうだった。
「は、ハヅキ……私の中に、ぴったり、当たって……っ、ふぅっ……」
 ユウの熱い吐息が、僕の頬をくすぐる。ユウの中は、絡みつき、吸い取ろうとしてくるような錯覚を与えてきた。
「動くわよ……っく」
「あぁっ……ゆ、ユウ、き、気持ちぃっ、はぁっ」
 そこから先は、あまりよく覚えていない。僕自身でも腰を浮かせていたかもしれない。
 ユウとの摩擦で、計り知れないほどの高揚感が、僕の全身を貫いた。
 ぐちゅぐちゅ、いや、じゅぷじゅぷ、だろうか。とにかく形容できない、湿っぽくて粘性のある、しかも厭らしい水音が、広場の中にこだました。
「はづきぃっ、もっと……ああっ、ああんっ!」
「ゆうっ、はっ、はげしいよっ……ふぁっ、あっ」
 僕たちふたりの、あられもない喘ぎ声と一緒に。
「ゆうっ、なにかっ、出ちゃうっ……!」
「出してっ、わたしの中にぃっ……!」
 ユウの直接的な一言が、僕の引き金になった。ユウがそんな言葉を口走るなんて思わなかった。
「あああっ……!」
 栓が開き、体が脈打つ。尿道を通っていくことはわかったけど、脳天を突き抜けるような痺れが僕を襲う。
 どくどくと出ていく何かを感じながら、頭の中が真っ白になると同時に、周りの靄がすっきりと晴れていく。
 さらに何か、吹っ切れたような気がした。僕のスイッチが完全に切り替わった瞬間だった。

   ◇◆◇

 とにかく、熱い。私の中に、とくん、とくん、と熱い彼が流れ込んでくる。
 ハヅキの想いを受け止めながら、私はお腹の底が、きゅ、と締まるような切なさを覚えていた。誰かと繋がって、それを受け止めることが、こんなにも気持ちの良いものだとは思わなかった。ハヅキの葉っぱの青い匂いも、私を虜にさせる芳醇な香りだった。
「あぁっ……はぁっ、んっ……はづき……」
 上から見下ろすハヅキはしばらく放心していたけれど、瞬きを数回して、微笑んでくれた。
「ユウ……気持ちいい……」
「わたしもよ……はづきが、入ってくる……」
 擦れ合って生まれた快感は尋常なものではなかった。でも、こうして抱き合っているだけで、ハヅキのそれが、私の弱いところにぴったりくっついてくる。
 相性が良いのか、それとも持って生まれた感じ方の違いか。私にはわからないけれど、ハヅキとの行為は、私の心を勢い良く燃え上がらせるものだった。
「ねえ、ユウ……もっと、しよ」
 ハヅキからのリクエストが来た直後だった。私の視界は反転し、今度は私が仰向けにされる。振り出しに戻ってしまった。
「ちょっ、ハヅキっ――」
 さらにハヅキが勢い良く摩擦を与えてくるから、もう何も考えられなくなった。不可抗力だ。ハヅキは意地悪だ。
「やぁあんっ!」
 先ほどの昂りがもう一度戻ってきて――いや、それどころじゃない。ちょっと待って、これは聞いてない。想定外よ。
 自分が動くのと、相手に動いてもらうのとでは、こうも違いが生まれるのか。下腹部から送られてくる大きな痺れが、私の体をことごとく撃ち抜いていく。自分が保てなくなる。
「やあっ、はづきぃっ! だめっ、はげしっ、あああぅっ!」
 私自身も、何を口走っているのかわからない。凪に近いさざ波だった視界は、うねりを伴う大きな流れに変わって、私を意識の外に押し出そうとする。腰が浮いて、体が仰け反る。
 すると突然、嵐が止んだ。ハヅキが動いてくれなくなった。
「やぁっ、くぅぅっ……はぅ、あっ……はっ、はづき……?」
 私の呼吸は荒く、じんじんと体が疼くけれど、まだハヅキの表情は読み取れた。彼は含み笑いをしていた。
「乱れるユウ、めっちゃ可愛い」
「――っ」
 口元を歪めて突拍子もないことを言うから、恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだった。彼が純情だとか、もうそんなこと考えていられなかった。
「かっ、かわいいって、言わないでぇっ」
「仕方ないじゃない、事実なんだから。おあいこ」
 するとまた、ハヅキが動き始める。押し殺す必要がない私の嬌声は、喉を震わせてそのまま出て行く。
 ああ……満たされる。ひとりだけでは味わえない幸福感が、ハヅキによってもたらされる。
 どうせなら、一息に、いけるところまでいってみたい。もう何も考えたくない。
「ああぁっ、はぁんっ!」
 視界がぐらついて、焦点が定まらなくなった。私は目を閉じた。
 一突き、また一突きされるたびに、お腹の奥まで響いてくる。それは体の隅々まで行き渡って、頭に届いた瞬間に、動きに変わる。うねりが共鳴して、さらに高い波になる。
「ああぁぁっ!」
 肺が空っぽになるまで叫んだのは、これが初めてかもしれない。波にさらわれそうになって、ハヅキを抱きしめた。
 気持ち良い、じゃ言い表せない、飛び抜けるような、突き抜けるような衝撃だった。
 何度も何度も波に揉まれ、一度、また一度と体が仰け反り、引き攣ってしまう。
 呼吸が不規則になって、酸素が足りない。それでも、大きな波紋は私を容赦なく襲ってきて。
 波が引いた後は、ぽっかりと空いた真っ白な空間に、私がひとり、取り残される。雲の上から、ゆったりとその場を漂うような。
 私はずいぶんと高いところまで昇りつめてしまったらしい。混濁した意識はふわふわと浮かんで、夢でも見ているようだった。
「あぁっ……くぁっ……はぅっ……」
 息を整えることは難しかったけれど、白い世界がだんだんと元に戻ってきた。地上に降りて、目を開くことができた。
 お腹の底が、熱くて、蕩けてしまいそう。彼のものじゃない、きゅんとした私の疼きが、何度も脈動して止まることを知らない。
「大丈夫?」
 そういえば、ハヅキから与えられる摩擦が止まっている気がする。彼は私を思って、行為を中断していてくれたのか。
「……うん、だい、じょうぶ……」
 ああ、ハヅキ。優しいあなたは、私を受け入れて、さらに私のことを気遣ってくれるなんて。
 もっとあなたが欲しくなる。もっと乱れてみたくなる。あなたに、存分に満たされたい。
 あなたの前でなら、私はどんな姿にだってなれる。
「ねえ、ユウ」
「……なあに?」
「実は、敏感?」
「いっ――」
 まったくこの子ったら、いつまで私を恥ずかしさで覆い隠させるの。
 ハヅキの一言に、私のお腹がもう一度、切なく締まった。
「いじわるっ。おんなの子に、そんなことっ」
 でも、私の言葉は続かなかった。ハヅキがまた、動き始めた。
「――ああんっ」
 ああ、だめだ。もう、何もかも、投げ出してしまおう。
 再び与えられる甘美な刺激に、私は体を委ねるほか、為す術がなかった。
 ハヅキの言うとおり、敏感で、淫乱で、所詮は牡に善がってしまう一匹の牝なんだ。
 どんなに言葉で繕っても、本当の自分は隠せない。嘘をついてたって、いずれは自分に返ってきてしまう。恥ずかしさで覆い隠そうとすれば、どこかで本音が出てしまう。
「はづきぃっ……もっと、もっとぉっ……!」
 彼の名が、私の心を満たしてくれる。ざわついていた水面が、もう一度、高潮になって私を飲み込む。
 こんなに乱れることができるのは、ハヅキ、あなただからなのよ。
 あなたにだけ、見せてあげたい。
「あああっ!」
 彼が、私の奥深くまで入り込んできた。
 それまでは浅く速かったけれど、深く念入りに弄られる感じが、またうねりを増幅させる。重く、鈍い感覚が、私のお腹をじんわりと包んでくる。
「僕っ、そろそろっ……」
「わっ、わたしもっ……き、きてっ、はづきっ……!」
 ひときわ大きく突き込まれたことがわかった。ハヅキの頼りない、悦に入った声が聞こえた後、私の中に、もう一度、灼熱の彼が注ぎ込まれる。
 幸せだった。彼を体中で感じることができていると思うと、どんなものでも投げ打って、受け止めてあげたくなる。静かに燃える青白い焔が、私の体を駆け巡って、じんわりと温かくなる。
「ユウ……」
 温かかった彼は抜き去られた。ハヅキは私の上に倒れ込んでくる。どちらも息遣いは荒く、判断がつかない。
 それでも、この余韻だけは、彼と一緒に感じることができる、一つの思い出だと実感することができた。
「ハヅキ……私、しあわせ……」
「僕も。ユウが、居てくれて、よかった……」
 つぅ、と、秘部から体液が漏れ出ている感じは、彼と交わった証だ。彼の温かさが無くなったことで、少しだけ物寂しく、夜風に吹かれる涼しさが股を撫でてきた。
 彼が私の上から動いて、降りてくれた。もうちょっと抱き合ってても良いのに。
「わっ、ちょっ、ゆ、ユウ!?」
 そして聞こえた素っ頓狂なハヅキの声に、私もびっくりした。
「んぇっ、な、何?」
「血が、血が……!」
 彼は私の股の間を覗き込んで、異常を訴えているようだった。
 よくあることだ、摩擦に慣れていない性器からの出血なんて。私も、今回が初めてだったし、実を言うと少しハヅキのものが大きかったし。と言うより、そんなところをまじまじと観察されると、ちょっと恥ずかしい。
「大丈夫。気にしないで」
「い、痛くないの?」
「それよりも、ハヅキの思いっきりの良さに、体が痺れちゃった」
「……僕のせい?」
 ああ。ハヅキはここまで私を気遣ってくれるんだ。
 彼の優しさに、私は体を起こして、納得させてあげようとした。
「痛みは無いから、気にしないで。それより――っ」
 突然、私の視界がふらついた。電撃を受けたときの黄色い稲妻じゃなくて、赤色の痛みだった。いきなり全身を巡った鈍痛に、四肢に力が入らなくなった。私は芝生の上に伏せてしまう。
 おかしい。行為のはじめが痛かっただけで、これまで微塵も感じることは無かったはずの感覚なのに。
「む、無理しちゃだめだよ」
「……そうね。帰りましょ。あまり長くなっても、主人に、心配かけるだけだし」
「起きれる?」
 ハヅキを安心させようとしたのに、これではまるで役立たずだ。それをあざ笑うかのように、私の体は脈拍を打つごとに、鉛みたいに重くなる。
 視界が霞んでいた。
「……ごめん、無理、みたい」
 すると、私の体に草が巻き付いてくる。これは、彼のものだ。直感でも何でもなく、芝生がそう教えてくれた。
 そのまま、私の体が宙に浮かび、彼の背中に載せられた。
 あたたかい。彼の背中がこんなにも大きかったんだと思うと、とてつもない抱擁感に包まれた。
 安心させられているのは私のほうだった。これじゃ、まるで面目が立たない。
「ありがとう、ハヅキ」
「僕だって、ユウにいっぱい借り物してるからね。こんなのお安い御用だよ」
「ふふっ……お互い様」
 ゆさゆさと、ハヅキの香りに満たされながら、夜風を感じていたことまでは覚えている。
 まぶたを閉じた私は、そのまま睡魔に呑まれてしまった。

Day 02 


 不思議な夢を見た。
“だいじょうぶ。もうすこしで、たどりつく”
 暗闇の中、歩みを進めている茶色い誰かが一匹。その足取りはおぼつかない。私は心配になって、彼を追いかけた。
 両側には金属の壁が見える。一定間隔で左右の道が開けている通路を進んで行く。
“つぎの、かどを、みぎに”
 彼の容態が気になる。傷こそ見あたらないが、浅く早い呼吸は心配だ。
 右へと急ぐ彼を、俯瞰で捉える。天井から見下ろしているはずなのに、その心が前肢()に取るように分かる。
“えっ”
 彼の動きが止まった。何事かと思って振り向く。
 目の前に見えるシルエット。その影が、どんどん迫ってきて。

「――やめてぇっ」

   ∵∴∵

 私の口から叫び声が出てきたことに、私自身が驚いて、目が覚めてしまった。
「ふぇっ!?」
「おっ?」
「な、何!?」
「ユウ……?」
 周りを見渡すと、家に戻ってきていた。ハヅキ、レキ、セナ、リュリィが、私の周りに居てくれた。
 突然の覚醒は、頭痛を伴う。意識が無理やり引っ張り上げられた私は、視界が揺れていることがわかった。
 しかも、体が重い。主に腰の部分が、筋肉痛だ。
「あ……み、みんな。おはよ」
「おはようって時間じゃねえけどな。ユウ、昨日いつまで夜更かししてたんだ」
 鋭い目つきと呆れた口調で追求してきたのは、リュリィだった。
「あー、月を見ながらうとうとしちゃってて」
「ユウってばちゃんと帰って眠ればいいのに、僕が見つけなかったら、ずっとあのまま寝てたんじゃないの?」
 ハヅキのとっさのフォローに、私は胸をなでおろす思いだった。目配せをすると、彼は笑ってくれたけど、若干だけ引きつってる。
「それにしては起きる時間が遅いと思う。ハヅキ、本当に昨日の晩、何も無かったのか?」
 続いて言い出したのはレキだった。
「いや、そんな目で見つめないでくれ、ユウ。俺はただ、お前さんが怪我をしてないか、戦闘やら通り魔やらが無かったか気にしてるだけだから。案外ここらは平和だけど」
 なるほど、レキはいろいろな意味で視野が広い。気遣ってくれることはありがたいが、あまり聞かれたくないのも事実だ。
 ハヅキを通り魔的に犯してしまったのは私だが。
「ないわよ」
「ないけど」
 ハヅキと私の声が重なってしまった。ここまで彼とシンクロするとは思わなかった。
 私はハヅキと目を合わせた後、こらえきれずに頬が緩んでしまった。
「ほんと、あんたたちって息ぴったりよね」
 セナの一言も、どこかむず痒い思いがする。
「リュリィ」
「なんだよ」
「今日、パスね」
「は?」
 リュリィのきょとんとした顔を拝んで、私は目をつむった。今日は養生するほうが無難な日だ。
「リュリィ、あんた、もしかして」
「なっ、なんだよセナ」
「俺も怪しいと思ってた。夜な夜なユウとお前の姿だけ見えなかったからな。パートナーを見捨てるとは牡の風上にも置けねえ」
「レキまでっ。そ、そんな言い方することないだろ。ってゆーか、なんでいきなりそうなるの? いくらなんでも話がぶっ飛びすぎてるよ。俺泣いちゃうよ?」
 どうやら彼らは、私とリュリィとの関係を怪しく思って、疑っているようだ。本当のところ、技の特訓に付き合ってあげてるだけなんだけどね。
「俺には関係ないが、ユウを手篭めにしようってんなら、それなりの覚悟が必要ってもんだ。いくらでも泣いて詫びたって良いんだぜ? 昨日の風呂場で何があったかは察しがついた。さあ、お前の罪を数えろ」
 ちょっ、俺の話を聞け。うるさい、この変態。
 一風変わって積極的な彼らも、なかなか面白い。私が薄目を開けると、ばたばたと駆け回る三匹と、私の隣に伏せているハヅキが見えた。
「ユウ、その、ごめんね。体、重いんでしょ」
「気にしないで。私こそごめんなさい。昨日は昼間から、ちょっと体が火照っちゃってたから。ハヅキは大丈夫?」
「僕は平気。こう見えて、体力はあるほうだから」
「そう」
「なんだろう……言葉じゃ表わせないけど、とっても、今が幸せなんだ」
「私も、幸せ。これからもよろしくね、ハヅキ」
「えへへ……その、ユウ。また、機会があったら、さ」
 私に向いてはにかむハヅキが愛おしくて、糸状の念で彼の頬を突っついた。
「おませな子。そんなに気に入った?」
「い、言わせないでよ。恥ずかしいから」
「ふふっ……私も、そんなあなたが好きよ」
 主人が何事かとこちらにやって来て、騒がしい三匹を遠い目で見つめていた。
「おっ、俺はユウに何もしてない! 言いがかりだ! 冤罪だ! なあユウ、俺が技の特訓の相手してもらってたって一言言ってくれえ!」
 リュリィがレキとセナに押さえつけられて、尻尾でぱたぱたとわずかな抵抗をしていた。
「なかなか良い言い訳ね。あんた、ユウが身重になったらどう責任取るつもりよ」
「せ、責任って……」
「ほう。全力で否定していた気迫が無くなるとは。リュリィ、お前、なかなか度胸あるな。それだけは認めてやる」
 彼らは聞く耳を持ってないようだが。
「いや、だから! 俺は何もやましいことなんて……」
「無いってはっきり言えないのか?」
「無い……無いねっ! はっきり言うぞ、ユウと俺にはやましい関係なんてなあ゛っがっ」
 バチィ、と嫌な音がした直後、リュリィの声が途絶えた。残念、彼は喋られなくなってしまったようだ。
「嘘だな。顔が笑ってる」
「……レキ、あんたちょっと早まってない? 電気を撃つことないでしょ。特訓の件をユウに尋ねてみることが先決じゃない?」
「牡として受けて当然の報いだ」
 ああ、ハヅキがターゲットにされなくて、本当に良かった。
 体が痺れて動けなくなってしまったリュリィをこちらへと運んできたレキが、私の傍に放り投げた。
 あまりにもかわいそうなので、念波を平面状に縫い上げて衝撃を吸収してあげた。
「ユウ、こいつの刑量を決めてくれ」
「無罪で」
 私の即答に、レキは目を丸くした。
「はあ?」
「だって、リュリィの言うとおりだもの。技の練習に付き合ってただけよ。リュリィの水を噴く威力、もう凄いこと上がってきてる。ね? リュリィ」
「それを早く言えよ!」
「ふふっ……ごめん、面白そうだったから」
 ときどき四肢と尻尾を痙攣させながら、目を潤ませているリュリィと、眉をひそめて俯くレキ。さらに、『言わんこっちゃない』とでも言い出しそうな、呆れた表情のセナが帰ってきた。
 今日も平和だ。台所からは、調理をするいい匂いが漂ってきていた。




『心機-きっかけ-』 ―了―


あとがき 


 『融和』って「ひとつになる」という意味があったんですねえ。と白々しく書き記しておきます。

 まずはご挨拶を。ここまで拝読賜りましたことを恐悦至極に存じます。
前々から予想していたカップリングでしたが、読者の皆様の目にはどのように映られましたでしょうか。
作者の私としては、近親相姦ものが書けてしまったことに喜びと戸惑いを覚えます。まあキャラクターたちはそれぞれもともと面識がないし、近親である自覚はあっても意識はほとんどしていないし、確信できる証拠がないからね。仕方ないね。そういう意味では難易度も低めでした。

 さて、当てにならない今後の予定ですが、ありません、とだけ記載しておきます。が、作者のアイデアとやる気が復活すれば、もしや……? と同じように続編を示唆しておきます。
期待されるとどうやら筆が鈍ってしまうので、期待せずにお待ち下さいませ。



お気軽にどうぞ

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Last-modified: 2016-10-06 (木) 18:22:26
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